アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

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第11話「それが可能性ってものだろ?」

 バトル開始時刻が迫り、昼食に出ていた人々が戻ってきて、コロシアムの中にはだんだんと声が増えていく。今日の目玉でもある、高等部生同士の唯一の試合で、しかもこの試合は彼らのデビュー戦だ。彼らが、今までのαドライバーとは全く違う戦術を見せてくれることへの期待で、会場はさらに盛り上がっていく。

 そんな中、高等部1年のαドライバー3人もまた、期待に胸をふくらませていた。

 

 ハイネは、普段一緒にいるソフィーナと、それに加え沙織と希美と並んで座っていた。

「ブルーミングバトルって……噂に聞いてたよりは、ずっと、こう、なんていうか……泥臭くて重いのね」

「俺らも来年あそこに立つんだよ」

「ま、私は優雅に戦わせてもらうけど? でも、傷は御免ね」

 ソフィーナとハイネは途方にくれたように、あるいは感心したように言葉を交わしていた。

 先の2戦は青蘭大学のαドライバー同士が戦っていたが、バトルの内容はどちらも見応えがあって、映像で見るより何倍も面白かった。しかし、どちらのバトルも、終わった時には、フィールド上にプログレスが転がって痛みに悶えていたのを見て、少し背筋が冷えた。バトル終了と同時にリンクは切断され、αドライバーにフィードバックしていた痛覚をそのまま感じなければならないためだ。もちろん、すぐに医療班が出てきてそれらのプログレスは回収・治療されたが、ブルーミングバトルは予想以上に重い(・・)バトルなのだった。間違っても、ちょっとした喧嘩で「じゃあブルーミングバトルで決着をつけよう!」などというノリでできるものではない。ボクシングやプロレスに近いものだということがはっきりと感じられた。

 ハイネは3年前からブルーミングバトルを見ているから今更ながらの感慨はないが、それでも来年あそこに立つと考えると、武者震いした。

 その横で、沙織と希美は口を一文字に結んでバトル開始を待っている。春樹のチームで出場する美海、琉花、忍は一緒の寮に住み親しいため、彼女らがどんなバトルをするか楽しみで、それ以上に心配で不安なのだった。

 

 俊太は左にアウロラ、右に葵という、何とも正反対の2人に挟まれていた。

「どちらのバトルも良かったが……私は次のバトルが一番楽しみだ。俊太は?」

「俺は……俺も、そうだな。先輩達がどんなバトルを見せてくれるのか、楽しみだ」

 俊太は、まだ誰もいないフィールドに目を向ける。俊太には、隠していた感情があった。それは、美海達3人のプログレスがあの場に立つ事に関してだった。

 3人も俊太と同じく、右も左もわからない状態でこの青蘭学園に入学した。みんな、入学直後でいろいろとゴタゴタしていた。それは仕方ない。でも、3人はもうあの場に立とうとしているのだ。それが、俊太をひどく焦らせた(・・・・)。自分は……まだプログレスを1人見つけられただけだ。いや、アウロラの友達である妖精も合わせれば――その妖精たちとは、アウロラほど強力ではないものの、かなり強度の高いリンクができた――1人と2匹。

 素直に、すごいと思った。それはきっと葵も同じだろう。バトルフィールドに立つことそのものよりも、入学して1ヶ月も経たないのにそこに立とうと頑張れるその勇気に、感銘を受けた。

「私もいつか……あそこで戦いたい」

 隣でぼそっと葵が呟いた。やたらと好戦的な葵だが、今の呟きには普段とはまるで異なる感情が込められているように感じた。

 対するアウロラは、あまり楽しそうな表情ではない。生来非常に慈愛に満ち溢れた彼女は、どんな形であれ傷つけあう事が嫌いだ。ブルーミングバトルも、生で見たのは実は2回目――去年の春以来である。

 しかし、そのアウロラが今頑張ってブルーミングバトルを見ているのは、(ひとえ)に俊太のためだった。彼のパートナーになる彼女は、決心していた。もう逃げない、と。

「私も近く、あそこに立つ事になるのね……」

「……アウロラ? その、別に俺は……」

 うっかり漏らしてしまった声に、俊太が敏感に反応する。アウロラは柔らかく微笑んで言った。

「いいの。私も、逃げてたから。傷つけあうのが嫌いなのは本当だけど……放っておくだけでは、このエクシードは育たないって分かってる。分かってて、避けてたから。むしろシュンくんにはお礼を言いたいくらい。私、シュンくんのために頑張るわ」

「……あ、そ」

 「シュンくんのために」辺りで頬を赤くした俊太は、照れを隠すようにぷいっとそっぽを向いた。葵がじとっとした視線を彼に向けるが、生憎気づかない。

 アウロラが頑張っているのは本当だ。防御寄りなエクシードを持つ彼女は、この春から『魔術戦闘』の専科を取って、攻撃手段を持つために練習に励んでいた。そして、それは俊太も知っている。知っているからこそ、余計に照れくさいのだ。

「俺も、頑張んなきゃな……」

 俊太もまた、頑張らなければならないことは十分に承知していた。大好きなアウロラに、報いるために。

 

 早輝は誰とも一緒にいなかった。わざわざハイネや俊太からは離れた席を選んで、1人で座っていた。その視線は、鋭い。それは、自分とリンクできるプログレスがいつか現れた時のために、全てを吸収しようという学びの姿勢だった。

「プログレス……」

 早輝は普段の朗らかさがどこにも見えない、寂しげで弱々しい声で呟く。

「俺にも……プログレス、できないかなぁ……」

 

 バトル開始15分前。遂に2人のαドライバーがフィールドに姿を現し、会場は熱狂に包まれる。

 

 

…………

 

「さて、いよいよだな」

 5人揃ってクレープを食べ終えたあと、春樹はそう切り出した。

 妙な閉塞感のある控え室の中。目の前には、美海、琉花、忍、兎莉子の4人。

「作戦は……昨日までに考えた奴をそのまま使う。でも、ひとつだけお願いがあるんだ」

 バトルに出る3人は、一体何だろうと身構える表情になったが、春樹はむしろ笑みを強めた。

「思い通りにやってくれ。俺はお前たちを信じるから、お前たちのやりたいようにやってみな」

 それを聞いた3人は、表情をぱあっと明るくした。

「うん! 一緒に頑張ろう!」

「ま、極力負担にならないように頑張るぜ!」

「拙者の忍術、しかとお目にかけるでゴザル。期待して良いでゴザルよ」

 3人に気合が入ったところで……いよいよ会場に、と思ったその時、兎莉子が声を上げた。

「あ、あの!」

「どうした、兎莉子」

「その……皆さんに、伝えておきたいことがあるんです!」

 兎莉子は、何か壮絶な決心をしたかのように顔を引き締めて言う。

「春樹さんは、セニアさんのエネルギーショットが琉花ちゃんの水の壁を貫通することを懸念していらっしゃいましたね」

「そうだけど……それが?」

「あのショットは、最大でも25秒しか打てないんです!」

「――っ!」

 その一言で、一同に衝撃が走る。

「……どうしてそれを?」

「あの……友達の猫ちゃんがセニアさんとユーフィリア先輩と三島先輩の会話を盗み聞きしてて、それを教えてもらったんです」

 申し訳なさそうにもじもじする兎莉子。その仕草で春樹は、兎莉子がここ数日感何か言いたげな様子をしていたことを思い出した。

「知ったのはたまたまだったけど、それでも、盗み聞きしたことを戦力にしていいのか、私、ずっと迷ってたんです。卑怯かもしれない、嫌われるかも知れないって。でも、私、春樹さんに信じてもらえて、春樹さんが「勝ちたい」って言っていたのを聞いて、それで思ったんです。私も、みんなの役に立ちたいです」

 兎莉子は顔を上げると、笑顔に涙を浮かべて言った。

「これが、私の力です」

「……そっか」

 自分を信じてくれた人に嫌われるかもしれない。それでも必死に勇気を振り絞った兎莉子に、春樹は感動する。春樹は彼女の頭を優しく撫でた。

「別に俺は、卑怯だなんて思わないよ。兎莉子の言うとおり、これは兎莉子の力の賜物だ。よーし、その情報、ちゃんと使わせて貰うよ!」

「は、はい……ありがとう、ございます……!」

 嫌われなかったことが意外だったのか、兎莉子がちょっと本気で泣き始めてしまった。他の3人が「あーあ、泣かしたー!」などと囃してくるので、春樹は慌てて兎莉子の頭をさらに撫でる。

「……で、3人とも聞いたな? 25秒だ。キツいかもしれないけど、頑張って避け続けてくれ。ショットを打った時間は俺が計るから、3人はバトルに集中してくれ」

『はい!』

 美海と琉花と忍の返事を聞いて、自分も気を引き締めた春樹は、最後に兎莉子の頭をもうひと撫でして、

「じゃあ、行ってくるよ」

「みんな、頑張ってください!」

 満面の笑顔に最高のエール。春樹たちは、戦場へと足を踏み出す。

 

…………

 

 別室でセニア、ユーフィリア、テルルの3人が装備を整えている間、冬吾は控え室の椅子に座って考え込んでいた。当然バトルのことも色々考えていたが、やはり集中しきれない。鋭い春樹の言葉、そしてあまりにも純粋なセニアの瞳。それが頭の中をぐちゃぐちゃにかき乱す。表情には出していないが、自分が思うように思考をコントロールできていないという事実に、冬吾は自分でもはっきりと分かるほどに焦っていた。

「冬吾さん、焦ってます?」

「うわっ!?」

 そこのひょっこりと顔を出したのは、ナナだった。全く油断していた冬吾は思わず仰け反る。ナナはくすくすと笑うと、

「冬吾さんって、結構顔に出る人ですよね。春樹さんほどじゃないけど」

「そ、そう?」

 バレていた事が分かったため、反射的に情けない、助けを求めるような表情になってしまった。それを、救護用アンドロイドのナナは見逃さない。冬吾の頭を、その豊満な胸に優しく抱いた。予期せぬ柔らかさに思わず変な声を上げてしまうが、彼女は気にせずに冬吾の頭をよしよしと撫でた。

「大丈夫ですよ、冬吾さん。私はバトルに出れないけど、こうして冬吾さんを勇気づけてあげることならできます。頑張ってください。私はみんなの努力をちゃんと見ていました。負けるはずありません。大丈夫です」

 ナナが、大丈夫、大丈夫と繰り返すたびに、頭の中をかき乱していた2つの要素が、だんだんと落ち着いていく。思考のコントロールを徐々に取り戻し、内心の焦りが溶けていく。

「冬吾さんは、やりたいようにやってください。みんな、それを望んでいます」

「……そうだね。ありがとう、ナナ」

 天にも昇る心地良さを持つナナの胸から顔を離すのはどうにも惜しかったが、そんなことは言っていられない。ナナの言うとおり、彼女は彼女なりに冬吾を応援しているのだ。それは、男性本能的なことなどとは全く関係なしに嬉しかった。

 ちょうど良いタイミングで3人が戻ってくる。冬吾は立ち上がり、3人に向かって言った。

「僕はこの試合に、勝ちたい」

 最初の一言で、3人が見せた反応はそれぞれ違った。セニアはいつもどおりの無表情を少し引き締め、ユーフィリアは感心したように頷き、テルルは呆れをにじませた笑顔で肩をすくめた。

「僕は春樹に、勝ちたい。頑張ろう」

「珍しく物事に私情を絡めてますの。まあ、想像つきますけど」

「本気ならいいじゃないですか。私も気分が高まります」

「セニアは、マスターのために頑張ります」

 戦略は何度も確認しているので、試合前に交わす言葉はこれだけで良かった。冬吾は自分も表情を引き締めると、入場口の方を向いた。

「じゃあ、行こうか」

『はい、マスター』

 セニアは普段と同じだが、ユーフィリアとテルルが冬吾を『マスター』と呼び、戦闘状態に切り替わる。踏み出したその一歩が、未来を構築し始めた。

 

 バトル開始、15分前。

 

 

…………

 

 ゲートをくぐる前にαデータパッドを受け取った春樹達が入場するなり、観衆が一斉に声を上げた。その様子に少しびくりとしながら、春樹達はフィールドに入っていく。去年までは観衆の側にいた春樹は、こんなにプレッシャーを受けるなら声を上げるのを自重しておけばよかった、と意味のない後悔をした。

「うわわ……テレビで見たことあるけど、やっぱりすごいなぁ……」

「やば、この私が緊張してる……? これ、ヤバイね……!」

「……やっぱり、忍びというものは、こんなに観衆に囲まれて戦うものではないと思うのでゴザルが……」

 春樹は例によって緊張のあまり無言、美海は目を皿のようにして会場を見回し、琉花は若干の緊張にありありと興奮を浮かべ、忍は肩を落として嘆息しながらも堂々としている。

 ――これが、観衆ってもんなのか。

 緊張しすぎて逆に冷静になってきた春樹は、改めて会場を見回す。どの顔も、期待と興奮に満ちている。

 隣のゲートから冬吾のチームが入ってくるのが見えた。春樹は何よりも先にそちらへ向かっていく。それを見た冬吾は訝しげな表情になるが、春樹の差し出した手に驚いた。

「正々堂々、勝負だ」

「……負けないよ」

「俺も、負ける気はねぇ」

 春樹の差し出した右手を、冬吾はしっかりと握る。その光景に会場がまた沸いた。

 やりとりは、それだけだった。どちらからともなく手を離すと、春樹は冬吾の背後、3人のアンドロイドに「お互い頑張ろう」とだけ声を掛け、そのまま背を向けて自分のチームメイトの元へと駆け戻っていった。

「……それで、良いでゴザルか?」

「おう。満足した」

 ブルーミングバトルは、バトル開始10分前までに出場するプログレス全員とファーストリンクを結ぶ。これにより、出場するプログレスが登録されるのだ。

「さ……みんな、頑張ろう!」

『はい!』

 春樹の突き出した手に、3人がそれぞれ手を重ねる。目を閉じ、意識を集中。周りに自分を合わせていく。今重ねた手のように、そっと心を重ねていく。

 ――ファーストリンクが完了した。αデータパッドに3人の情報が表示される。

 

 バトル開始、10分前。

 

 どちらのチームも自分たちの作戦を改めて確認し、気合を入れていく。会場の熱は、どんどんと高まっていく。

 出場プログレスが完全に確定し、会場の大スクリーンにそれぞれのプログレスとαドライバーの情報が表示され、さらに熱は高まる。同時に、それぞれのαデータパッドに、相手プログレスの情報が載せられた。

 

 バトル開始、5分前。

 

「それじゃあ、行こう」

 春樹の声に3人が頷くと、春樹はαドライバーゾーンへ、プログレスたちはバトルフィールドの中へ入っていく。春樹がαドライバーゾーンに入ると、足元からαデータパッドを固定しておくための細長い台がせり上がってくる。最悪これに無様にしがみつくことで敗北は回避できるが、そんなαドライバーを春樹は見たことがなかった。

 薄いファーストリンクを通して、全員の緊張が伝わってくる。しかし、ただの緊張ではない。興奮、高揚感、そういうものを含んだ、良い緊張だ。だから春樹は、大丈夫だと心の中で繰り返す。自分に言い聞かせるため、そして、みんなに伝えるため。

 会場が徐々に静まってく。その場にいる全員がただその時を待ち、熱狂を内側で高ぶらせていく。刻一刻と時は進む。

 ふと、冬吾と目があった。真剣な色に満ちた冬吾の眼差し。自分は……どうなんだろう。

 そして――

 時計の長針が真下を指した。

 時刻、13時30分。αドライバーゾーンとバトルフィールドが形成され、会場が興奮で爆発する。

 

 

 ブルーミングバトル、開始。

 

 

 

…………

 

「なあ海斗。なんで今回、彼らにバトルさせたんだ? 僕は正直反対だったぞ。伝えてから1ヶ月もないのに。時間潰し、それに隙間埋めなら僕らがバトルすりゃ良かったろ」

「さあ、なんでだろうな?」

「おいおい、そりゃねえだろ。それに、規制緩和の話も聞いたぞ。彼らには、早めに教えておいたほうがいいんじゃないのか?」

「話していいのは、5月からということになってる」

「全く、手厳しいね。僕は教え子に厳しい方だと思ってたけど、お前は全く僕以上だな」

「可能性というものは、そうやって育てるもんだ」

「厳しくすりゃいいってもんじゃないだろ。過度の負担は可能性の芽を踏み潰しちまう」

「わかっている。だから、これが最良だ」

「……ったく、どこまで読んでることやら。お前、そういうの感じ悪いぞ? 楽園(エデン)を潰した時もそうだったけど、お前の慧眼は一体何なんだ。無理を通してあんな装備作らせて。おかげで今まで大助かりだよ、このスクラップめ」

「可能性の潮流を読むことは、決して難しいことじゃない。如何に広く、そしてどこに視野を絞るかだ。コツ、今教えたぞ」

「僕には無理だね。お前らみたいにめっちゃ強いわけじゃねえし。例え流れを読めたところでボルホワに出来ることっつったら、せいぜいかっちょいいマシンの兵隊並べてニヤニヤするくらいだぜ」

「そのブリキの兵隊が1度に3000人の首を救ってる。お前も立派なヒーローだろ」

「バカ言え。ヒーローってのは、雄馬……じゃねえな。どっちかっつーと凌雅みたいな奴の事を言うんだ」

「雄馬が聞いたら怒るぞ」

「だろうな。他言無用だ。出勤させてる身としては、罪悪感がある。すんげー楽しみにしてたもんな」

「ちゃんとホログラム映像は撮ってるんだろ?」

「もちろん。でないと本当に怒りそうだし。しかし、可能性、ねぇ……彼らの可能性って奴は、そんなに早く育てなきゃいけないのか?」

「当然だ。でなければ、ほかの誰かに摘み取られてしまう。日向が攫われたと知った時には、肝が冷えた。殺されでもしたら、最悪だ」

「でも、無事で良かったな。さ、そろそろゲーム開始だ。BBOSは良好に作動中、っと……ま、反対意見派としてはアレだが、やるならやるで楽しみだ」

 

…………

 

 バトルが始まり、会場が歓声で爆発する。しかし、春樹は冷静だった。

 3人のレベルが徐々に上昇し始める。

「さ、始めるぞ。忍、琉花、頼んだ!」

『了解!』

 忍と琉花を前衛に回し、春樹は戦略通りにリンクのアイコンをタッチした。

 春樹が頭を必死に回して考えた『読めても防げない戦略』。それが、始動する。

 

…………

 

 冬吾はまず、春樹の手を読んでセニアとユーフィリアとセカンドリンクした。セニアは高レベルにならないと戦えないし、ユーフィリアはリンクしていたほうが出力が高い。そして、テルルはリンクなしでも戦える。

「…………」

 αデータパッドに、目をやった冬吾は、驚きに少し眉を上げた。美海のレベルが、もう2になった。バトル開始から10秒しか経っていない。

 美海と春樹のリンク率は98.9%。リンク率100%のプログレスは、セカンドリンク無しでのレベル上昇量は15秒につき1。そして目の前で、10秒で2上がったレベル。そうこうしている間にも、さらにレベルが上昇。レベル上昇のスピードが、通常の3倍。ということはつまり、

「……思ってた通りか」

 春樹は美海とセカンドリンクを2重に結んで、レベル上昇速度を大幅に引き上げている。

 眼前では、こちらのチーム3人掛かりで忍と琉花を攻撃している。向こうも反撃している。が、目立ったヒットはない。向こうは反撃よりも回避・防御に念頭をおいて行動しているようだ。テルルの攻撃も、予想通り琉花の水の防壁に阻まれている。

 しかし、冬吾は慌てない。予想済みだ。

「テルル。作戦通りだ。来るぞ(・・・)

『了解、マスター』

 テルルの了解と同時に美海のレベルが、4になった。

 

…………

 

 美海のレベルが、4になる。それと同時に、春樹はさらにαデータパッドを操作し、既に要求されているリンクを結ぶ。対象は美海。結ぶリンクは、αリンク。

「行くぞ、美海!」

『うん!』

 琉花と忍が前衛で防御している。時間稼ぎだ。春樹の体には既に鈍痛が何度も走り抜けているが、先ほど肩に銃弾を食らったばかりなので、正直気にならなかった。

 5秒の待ち時間。そして、

「琉花、忍! 引け!」

『了解!』

 忍が忍術で琉花を捕まえ、2人で一気に下がる。琉花が飛び散った水滴を残らず集めて2人を包み込む全方向への防壁を張った。練習通りの動き。

 しかし、予想していなかったのは向こうの反応(・・・・・・)だった。急な撤退に慌てていない(・・・・・・)。しかし、今更後には引けない。弱気になるな。

「行け、美海!」

『了解!』

 引き下がる琉花と忍と入れ替わるように、美海が前に出た。その身体は風を纏っている。バトル開始からたった30秒で、既にレベル4のエクシードを開放している。

『いっくよーー!!!!』

 掛け声と同時に、美海が宙へ舞い上がった。両手を前に突き出し、相手の3人に向ける。そして、

 暴風が吹き荒れた。

 体重が軽いセニアが真っ先に吹き飛ばされる。それをなんとか捕まえるユーフィリアも、また飛ばされている。

 『読めても防げない戦略』。美海のエクシードを真っ先に解放させ、敵を全員フィールドから吹き飛ばす(・・・・・・・・・・・・)。春樹は、一番リンク率の高い美海とバトル開始の瞬間から全力でリンクしている。例え読めても、読めた時にはもう追いつけない(・・・・・・・・・・・・・・)

 だからこそ、春樹は瞠目した。美海からも、驚愕の心情が伝わってくる。

 テルルが暴風に身をさらしながら飛び上がり、すでに吹き飛ばされかけたユーフィリアを左手で捕まえた。セニア、ユーフィリア、テルルの3人が数珠繋ぎになる。

 次に、ユーフィリアの三六式神聖炎翼機装(セラフィック・オルタナティブムーブメント)から青白い炎が迸り、3人を地面へと近づけていく。しかし、吹き飛ばされる勢いは変わらない。バトルフィールドのエンドラインが迫る。

 そして、3人が地面と接触した。その瞬間、春樹は自分の失態を悟った。

 鈍い音を立てて、人工芝が舞い上がった。見れば、テルルが自らの右腕を地面に突き刺している(・・・・・・・・・・)。それがまるで船の(いかり)のように、暴力的な空気の猛威から己の位置を固定していた。

 油断していた。レベルの上昇速度的に考えて、向こうがセカンドリンクしていたのはセニアとユーフィリアの2人。テルルはノーマークだった。脳内に、彼女が150キロのバーベルを片手で持ったまま、もう片方の手で懸垂していた光景がフラシュバックする。

 何度も見てきたではないか。テルルがリンク無しでも圧倒的な膂力を持っていることなど。

「……美海、まだいけるか?」

『大丈夫だよ! でも……これ、全然吹き飛ばせない!』

 春樹は不意に訪れた予感に従ってαデータパッドを見下ろした。すると……やはりだ。ユーフィリアのレベル上昇が早い。向こうはユーフィリアにセカンドリンクを一極集中させているらしい。理由は? もちろん、反撃のため(・・・・・)

「美海、反撃されるぞ! 警戒しろ!」

『りょ、了解!』

 その言葉を言い終えた直後、ユーフィリアの背中に装着されたブースターが、先程のとは比較にならないほどの出力の青白い炎を吹き出した。

 

…………

 

 ある程度は予想していた。あれほどの出力のエクシードを持つプログレスがいれば、その戦略は思いつく。相手が控えを用意していないことを知っているなら尚更だ。

 しかし、冬吾は歯噛みする。それにしても、美海の暴風の威力を舐めていた。タイミング的にはギリギリもいいところだった。数珠繋ぎになっている最後尾のセニアなど、つま先がバトルフィールドの端をこすっている。

 右腕が痺れている。テルルが地面に穴を開けるときに走った衝撃だ。覚悟していたが、40%でこれなのか、と冬吾はさらに表情を険しくする。

 しかし、やられっぱなしはこれまでだ。セカンドリンクを集中させたユーフィリアが、遂にレベル4に達する。

「ユフィ、完成だ。反撃して」

『了解です、マスター』

 ユーフィリアは返事一つで反応した。うんと力を込めて、自分の両腕に握っているテルルの腕とセニアの腕を引き寄せ、互いに繋がせた。

『行きます! セラフィック・ブースト!』

 三六式神聖炎翼機装が青白い炎を吹き上げ、翼にように広がった。美海の暴風はなおも吹き荒れ、それを吹き消そうとするが、炎の勢いは一向に弱まらない。どころか、向かい風に逆らって美海の方へ進み始めた。美海が焦ったような表情になる。しかし、春樹に言葉をかけられたのか、表情を引き締め直すと、不意に暴風を止ませた。自分を浮かせていた風まで止め、自然落下していく。ユーフィリアは一瞬の困惑の末、それを追った。

 美海は地面に落ちる直前、一気に上昇気流を作り出した。真上から追っていたユーフィリアはモロにそれを受ける。体勢を崩す一瞬。その一瞬で美海が急上昇し、ユーフィリアの上に出た。

 ――しまった!

『食らえぇ~!』

 ユーフィリアは、内心疑問だった。風を操るエクシードは確かに有用だ。しかし、バトルフィールドから押し出す以外に、どうやって攻撃に使用するのか? その答えは、冬吾も出しかねていた。

 答えは簡単だった。

 美海の掛け声と同時に、今度は急激な下降気流が発生。激しい気流の変化に、ユーフィリアの反応が遅れる。肝が冷える感覚と共に、身体が急降下する。

 ――空中に巻き上げてから、地面に叩きつける。

 だが、ユーフィリアも一筋縄ではいかない。地面に接触する寸前にコントロールを取り戻し、ダメージを免れる

「ユフィ、危ない!?」

 はずだった。

『がっ!?』

 ユーフィリアが思わず声を上げたのは、背中に衝撃が走り抜けたからだ。今のは確実にダメージを受けた。冬吾の背中に鈍痛が走る。

 ――なぜ? 地面との距離は計算済み……!

 疑問に思うユーフィリア。その答えは、彼女の体が沈んだ(・・・)時に始めて気がついた。

 水。即ち琉花だ。彼女が水を操り、ユーフィリアの下に敷いてから、急上昇させてユーフィリアに当てたのだ。水は、一定以上の速度でぶつかると鋼のように硬くなる。プールで飛び込みをやろうとして腹打ちした時に悶えるほど痛いのと同じだ。

 ――お見事です、春樹さん。それに、美海さんと琉花さんも。

 ユーフィリアは心中で3人に賛辞を送りながら、小さく、セラフィック・バースト、と唱える。一旦出力が弱まっていたブースターから再び炎が迸り、身を包む水を残らず払った。

「ユフィ、大丈夫?」

『マスターこそ、大丈夫ですか?』

「僕はまだまだ。時間稼ぎ、ありがとう」

『どういたしまして。では、そろそろ本番と行きましょう』

 ユーフィリアが不敵な笑みを浮かべる。

 ユーフィリアがαリンク抜きで美海のエクシードを引き付けること30秒。

 その間に結んでおいたセカンドリンクによって、テルルとセニアのレベルは4になっていた。

 

…………

 

 αデータパッドに表示された情報を見て、春樹は歯噛みする。

「美海、αリンクを切るぞ」

『うん!』

 そう断ってから美海とのリンクを断つ。すぐさま操作を進めて琉花と忍とセカンドリンクし、レベルを上昇させにかかる。バトル開始から既に1分と30秒が経過している。琉花と忍のレベルは既に3まで上昇しているが、向こうは全員4だ。

「琉花、忍! 10秒辛抱しろ!」

『了解!』

 琉花と忍のリンク率は、1桁目を切り捨てて80%。レベルが1上昇するまでに25秒かかる。端数を切り捨てているので実際はそれより早いが……既に向こうは攻撃を開始している。

「琉花、防壁だ! テルルは通すな!」

『オッケー!』

 琉花に指示しながら、春樹は内心焦っていた。

 先ほど、美海と琉花の連携攻撃でユーフィリアにダメージを与えられた。それはいい。それはいいのだが。

 琉花がユーフィリアに水の塊をぶつける直前のユーフィリアの体勢から察するに、彼女はあそこから体勢を立て直せただろう。そして、彼女の武装のブーストによって、琉花が操っていた水はまとめて吹き飛ばされた。

 確かにダメージは通った。しかし、彼女はαリンク無しで美海と琉花相手に戦っていた。逆説的に考えれば、ユーフィリアには美海と琉花の2人掛かりでなければ(・・・・・・・・・・)ダメージを通せない(・・・・・・・・・)ということになる。

 結果的に今の局面で、ダメージの点では冬吾よりも春樹の方が優位に立った反面、プログレスレベルの点では逆に優位に立たれてしまった。

 ――勝ちたい。

 ――だから、容赦はしない。

 だから、狙うべきは。

「忍! セニアを狙え!」

 無情かもしれない。だが、それが春樹の選択だった。

 忍は軽く頷くと、セニアの方へ駆け出した。

 

…………

 

 美海が宙へ舞い上がり、それをユーフィリアが追う。琉花が水の防壁を張り、それを突破しようとするテルル。そして、セニアを狙う忍。

「マスター、リンクを」

『分かった! いくよ!』

 セニアは自分に危機が迫っていることが分かっていた。それは冬吾も同じだ。

「セニア殿、ご覚悟を!」

 そう言いながら忍が駆けてくる。武器は持っていない。体術で攻めてくるつもりだ。

 しかし、セニアも黙っているわけではない。小柄なのはお互い様、それを活かした素早い攻防が繰り広げられる。

 冬吾が言っていた。「誰かと相手をする時には、出来るだけそいつに近づけ」と。冬吾は、美海によってセニアがフィールド外に吹き飛ばされる可能性を常に懸念していた。「敵の誰かに密着していれば、美海ちゃんは味方を巻き込むことを恐れて攻撃してこないはずだ」と。そして、その推測は正しかった。

『セニア、αリンク完了だ!』

「了解です、マスター!」

 冬吾の声と同時に、遂にセニアのエクシードが完全に解放される。

四六式乙型亜空間連結機構(ブルム・エクス・マキナ)機動。レベル4領域、フルアクセス」

 セニアが唱えると同時に、まずセニアの腕に腕部装甲(ガントレット)が現れ、細やかな金属音を立てて装着。更に、バトルスーツを締めているベルトに、2丁の銃が出現した。セニアは右手の平を忍に向ける。そこにエネルギーショットの銃口があった。

「本気でゴザルな。なら拙者も行くでゴザル! 忍法・火遁の術!」

 忍は手印を結んで身の回りに炎を出現させた。ここからが本当の勝負だ。

「……行きます!」

 自然と気分が高ぶる。練習中にこんな気分になったことはない。その感情は、どこか心地よかった。

 忍の炎術を躱して拳を放つ。特殊な合金でできたパンチは喰らえば痛いだろうが、忍はそれを軽々と避けてみせる。逆に拳を打ち込まれたが、それはガントレットでガードする。炎術は熱いが、耐えられないほどではない。熱はαドライバーへフィードバックせず、プログレスが受けるのだ。火傷するほどの熱さなら当然痛みを伴うため、それはαドライバーへとフィードバックするが。

 そうして数回拳を交わしたところで、今度は隙を突いて右手の平から3秒間ショットを放つ。忍の気配が変わった。勢いを増させた炎を盾にすると、エネルギーショットはそれに吸い込まれてしまった。エネルギーショットと同じで、炎もまた純粋なエネルギーの形。よりエネルギーの強い方へ吸収されてしまったのだ。それだけ、忍のエクシードが強力だとも言えるが……。

 インカムから、冬吾の舌打ちが聞こえた。セニアも承知している。あと22秒しかショットは打てない。

『セニア! 銃に切り替えろ! 揺さぶれ(・・・・)!』

「了解です、マスター!」

 セニアはすぐに腰から2丁の銃を抜く。片方は装弾数7発のエネルギーガンだが、もう片方は非殺傷のゴム弾が装填されている。たった10発しかないが、無論、炎で溶けるようなゴムは使っていない。

 セニアはゴム弾装填の銃を1発、忍に向かって放つ。流石に銃弾の速度には追いつけなかったのか、腕に当たる。すぐさま2発目を放ったが、今度は即座にそれを見破った忍が、驚異的な反射神経でそれを躱すために集中させ、結果、避けた。素晴らしい。セニアは心の中で思う。そして、

 それを待っていた。

 セニアは目の端で捉えていた、テルルと交戦中の琉花(・・)に向かって、もう片手のエネルギーガンを放った。

 忍が驚いたのも無理はない。2丁の銃はそれぞれ外見の形状が全く同じなのだ。そして、セニアのゴム弾を躱すのに神経を集中させた上、ゴム弾なら琉花が打たれても大丈夫だ、と反射的に判断したのだろう。その攻撃は、完全に琉花を捉えていた。水の防壁を貫通してショットは琉花にヒット。衝撃で転倒した拍子に防壁が緩む。冬吾の作戦が上手く嵌ったことに、セニアは薄く笑いを浮かべた。

 忍が舌打ちをひとつ。

「世話が焼けるでゴザル!」

 懐から何やら小さな玉をいくつか取り出すと、それを空中に放り、

「目暗ましでゴザル!」

 纏っていた炎を操って点火した。破裂音とともに色とりどりの煙が舞い上がり、セニアの視界を覆い尽くした。急いで振り払うが、視界は一向に晴れない。視覚が役に立たなくなった以上、次に頼れるのは聴覚だ。耳を澄ますと、忍の声が聞こえてくる。

「あそこに投げるでゴザル!」

 ――いけない。

『セニア! 避けて!』

 悪い視界の中、冬吾の声が聞こえるが早いか、イチかバチか横っ飛びに跳んだ。次の瞬間、セニアのいた場所に大量の水が降ってくる。煙はその水が洗い流してくれたが、良くないものが近づいてきていた。

「っしゃあ! 次は私の番だぜ!」

 言うまでもない、琉花だ。しかし、これはセニアにとって格好の標的と言える。水の防壁ではエネルギーショットを防ぎきれない。ついさっき、そのせいで琉花はセニアの攻撃をモロに食らったのだ。このバトルでセニアともっとも相性の悪い春樹のプログレスは、間違いなく彼女だろう。

 セニアは、そして冬吾は、その理由を判断しかねた。どちらも合理的なものの考え方には長けている――それ故、春樹が悪手を踏んだ理由が、すぐに理解できない。そして、両者共に琉花に対してエネルギーショットが有効だということなら知っている。セニアはゴム弾の銃を収め、右手の平、そして左手でエネルギーガンを構えた。

「行きます!」

「よしきた! 当ててみな!」

 琉花がくるくるとリボルバー銃(みずでっぽう)を回しながらセニアを挑発。左の銃で狙い撃つ。が、直前で避けられた。見れば、彼女の足元に水が流れている。それに敢えて足を捕らえさせて躱したのだ。

 そこからの琉花の動きは、誰もの想像を絶していた。

 半分地面に倒れるような体勢になりながら、背中に這わせた水流で高速に移動する。時に高く巻き上げた水流に乗って自分も宙へと飛び、そこからリボルバー銃によって何発も水の弾を発射。まるでウォータースライダーに乗っているかのように素早い移動。しかも厄介なのは、ウォータースライダーと違ってルートが読めないところだ。セニアがルートを予測してエネルギーショットを放つと、琉花は直前で水流の向きを変えてやり過ごした。単発のエネルギーガンではまともに当てられない。なので継続して打っていられるエネルギーショットを、琉花のルートを予測して薙ぎ払うように放つことで、何度かヒットさせることができた。しかし、大きなデメリットを負う。ショットの残量が急激に減っていた。

 しかし、琉花の動きはだんだんと短調になってきた。疲れているようだ。ここが決め所だ、と判断したセニアは、左手のエネルギーガンと右手のエネルギーショットの残弾をすべて同時に放つ。

 それが間違いだった。

 琉花の足元から間欠泉のように莫大な水流が立ち上り、琉花を空中へと押し上げた。息をやや荒げながらも、その表情は軽い。

 攻撃が外れると同時に、エネルギー攻撃の残弾がなくなった。セニアは悟る。

 ――疲れたフリ? 攻撃を誘っていた?

 驚くのはそれだけではなかった。琉花は、まるで今の一撃でセニアが弾切れを起こしていることを知っているかのように、水流を操って一直線に突っ込んできた。冬吾が息を呑む気配が伝わってくる。

『ユフィ! セニアを!』

 冬吾の叫び声が聞こえる。その声に反応したユーフィリアは、琉花がセニアに激突する寸前でその間に滑り込んだ。

「セラフィック・ガード!」

 その叫びに応じて炎の翼が盾のようにユーフィリアの前に広がり、琉花の水流を押しとどめた。弾き飛ばされた琉花が地面に転がる。これで琉花の驚異はどうにかなった。

 琉花の驚異は。

 ユーフィリアがセニアのガードに回るということが、彼女(・・)から枷を外したことに、そのときは誰も気づいていなかった。外された彼女さえも、その瞬間は呆然とした。

 

 ――誰かと相手をする時には、出来るだけそいつに近づけ。

 

 ――敵の誰かに密着していれば、美海ちゃんは見方を巻き込むことを恐れて攻撃してこないはずだ。

 

 だから、その一撃は誰にも予想できなかった。

 ユーフィリアの後ろを駆け抜ける疾風(・・)

 冬吾が、己のミスを自覚する。訪れるであろう痛覚に身構える。

 セニアとユーフィリアの真横に軟着陸した美海が発生させた突風によって、体重の軽いセニアは、まるで小枝のように吹き飛んだ。

 

…………

 

 これが全部計算ずくだったらかっこいいのに。と春樹は自分をそう評価した。

 既に全身に痛みが走っている。当然だ。琉花はエネルギーショットを何度か食らっているし、忍は頑張ってテルルと単身で戦い引きつけておいてくれた。美海もユーフィリアの攻撃を数回受けているし、軟着陸の衝撃もある。だが、まだ行ける。

 そしてなにより、セニアを盤上から引き下ろすことができた。しかし、これは偶然に偶然が重なって導かれた結果だ。ある程度は戦略通りだった――例えば、琉花がセニアのショットを消費させるところとか。でも、結果としてセニアはフィールド外に出てしまった。これは大きい。美海と琉花でユーフィリアを、忍でテルルを。バトルフィールド外に出たプログレスは、30秒の間再入場が禁止される。とりあえず30秒間はそういうふうに戦える。

 それは向こうも承知しているはずだ。しかし、どうも冬吾の様子がおかしい。どこかで読まれる、そのときを今か今かと恐れていたが、結局セニアがフィールド外に放り出された。

 ――あいつ、集中できてないのか?

 自分が昨日、冬吾に何を言ったかを思い出す。

 

 ――理解して欲しい思いを無視して、理解できるところだけ一方的に理解してるフリをするお前よりも、はるかにいい!

 

 その言葉は、春樹が予想した以上の効果を発揮しているようだ。一方の春樹は――もう、そんな言葉には惑わされない。美海に、琉花に、忍に、そして兎莉子に。みんなに励まされ、傷が癒えた。

 なら、負けない。

「美海と琉花はユーフィリアを! 忍はテルルを!」

 そして、美海のαリンクに応じ、美海のエクシードを解放させる。

「さあ、一気に行くぞ!」

『はい!』

 打てば響くコンビネーション。このチームが結成から1ヶ月も経っていないと暴露したら、この試合の観客は大いに驚いただろう。

 

…………

 

 地面に叩きつけられたセニアは、何が起きたのかわからなかった。気づいたら宙を舞い、気づいたら地面に転がっていた。受身さえ取れなかった。というより、上空から墜落したときの対処法を知らなかった。

 痛くない。だが、それが逆に背筋をぞっとさせた。 

 冬吾の方を見ると、端正な顔を歪ませて痛みに耐えていた。やっぱりだ。セニアは冬吾の言いつけを破って敵に密着しなかったためにバトルフィールド外に放り出された挙句、墜落の衝撃で冬吾にダメージを与えてしまった。

「ま、マスター」

『セニア……大丈夫か?』

 必死に取り繕った声を聞いて、セニアは自分の身体を確認する。背筋が冷えた。

「マスター……」

『どうした?』

 セニアは呆然となって、その事実を告げた。

「腕部装甲が、動きません」

『――っ!』

 セニアの両腕に装着されたガントレットは、墜落の衝撃で壊れていた。さらに、バトルフィールド外に出たことでエクシードが抑圧され、セニアの装備が格納され直した。

『セニア、あとは何が使える?』

「……ゴム弾が8発と閃光弾が2発のみです」

『……そうか。セニア、エンドラインに戻っておいで』

 あくまで優しい響きの冬吾の声に、セニアはえも言われぬ感情に囚われた。

 それは、真っ赤な感情だった。

 両手が勝手に固く握り締められ、奥歯が砕けそうなほど噛み締められる。四肢が震え、頭が熱くなる。心拍が上昇し、息が荒くなる。

『……セニア?』

 なんだ。なんだこの状態は。セニアは自分の中のデータベースを――冬吾やユーフィリア、テルル、ナナに教えてもらったことばかりだ――を漁る。しかし、全く情報がない。

 いつの間にか、セニアは涙を流していた。噛み締めた歯の間から、微かに唸り声が漏れる。

 役に立ちたかった。

 自分も、マスターの役に立ちたかった。

 信頼されたかった。

 でも、結果はどうだ。

 バトルの流れを大きく持って行かれてしまった。

 挙句装備は壊れ、自分は役立たず。

 役立たず。

 ガラクタ。

 ゴミ。

 使えない。

 こんなガラクタを、マスターが信頼するだろうか?

 有り得ない。

 信頼されるような器でもないのに、自分はマスターの信頼を求めた。それはなんて、傲慢。

 春樹が言っていた台詞が、脳内に蘇る。

 

 ――信頼されたら、応えなきゃいけない(・・・・・・・・・)からな。

 

 何が「信頼されたい」だ。

 信頼される資格のない奴が、無礼甚だしい。

 それでもやっぱり、諦められなかった。

 

 ――冬吾を信じて頑張れ。冬吾に認められたいっていう思いがあるなら、それを掲げて頑張るんだ。

 

 セニアはゆらりと立ち上がる。

 認められたい。

 認められたい。いや――違う。

 

「セニアは、マスターを――」

 

 ――認めさせてやる。

 

 その感情は、火傷するほどに熱い《悔しさ》。

 

 

 セニアの中で、何かが壊れた。

 

 

 

…………

 

 全身が痛い。しかし、まだ耐えられる。

 冬吾はテルルとユーフィリアに指示を出しながら痛みに耐えていた。

 バトルフィールドを挟んで春樹を見る。彼もまたダメージを負っているが、瞳には強い光が見える。

 自惚れていた。戦略勝ちできる、と簡単に思っていた。その結果がこれだ。セニアはほぼ戦闘不能といっても過言ではない。30秒の入場制限を終えても、彼女を再びフィールド内に入れるかどうか決めあぐねていた。

 冬吾は正直、恐れていた。手負いの獣の強さ、火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか。冬吾よりもはるかに卓越した戦略の数々に、見入る反面恐怖を抱いた。春樹の勝負強さが、怖かった。

 ――とりあえず、現状に集中しよう。

「ユフィ、美海ちゃんをお願い。テルルは忍ちゃんを頼む」

 ユーフィリアとαリンクを結びながら指示を出し、集中しようとする。

 ふと横を見ると、セニアの様子がおかしい。地面に両手を突いてうなだれたまま、動かない。

「……セニア?」

 冬吾が問いかけると、セニアはゆらりと立ち上がった。その水晶のように澄んだ瞳が、真っ直ぐに冬吾を射抜いている。

『セニアは、マスターを――』

 ぼそっと呟く声が聞こえる。

『マスターは、セニアを――信頼していますか?』

 その声に、思わず息が詰まる。言い訳できない自分の本性は、セニアに見破られていたのだろうか。

 しかし、逃げるのはもうやめた。春樹は今、バトルに全力で挑んでいる。なのに自分は――春樹に恐怖し、セニアの瞳に怯え。

 もう、やめだ。すべて正直に――そうすれば。

「してなかった」

 冬吾はそう口に出した。

「信頼してなかった。したくなかった。怖かったから。こんなに小さくて純粋な子に信頼を押し付けて、傷つくのを見たくなかったから!」

『……では、マスターは、セニアのことを信頼しないのですか』

「いいや、違う!」

 その裂帛の声にセニアが息を呑む。

「僕はセニアを信じる!」

 言い切った。もう後戻りはできない。すると、セニアがとんでもないことを言い出した。

『装備が、あります』

「え?」

『たった今、解放されました。レベル5領域に(・・・・・・・)装備があります(・・・・・・・)

 それは、まさに捨て身の発言だった。でも、もう冬吾は迷わない。

「じゃあ、それを使おう」

 

 セニアがフィールドを出てから30秒が経った。

 

 

…………

 

 美海は苦戦していた。ユーフィリアの動きが、今までとは明らかに違う。はっきりと見て取れる本気。先程まで当たっていた攻撃が当たらない。先程まで避けられていた攻撃が避けられない。

 ユーフィリアは、フィールド外に放り出されたセニアの分まで動き、少しでも美海の体力を削るつもりだ。そして、それははっきりと効果をあらわしていた。美海の息が切れ始める。

 スタミナの枯渇。

 ――でも、負けない!

 不意に、ユーフィリアが美海の下に回った。慌てて方向転換しようとしたが、

「セラフィック・バースト!」

 その真下から、ユーフィリアの炎の翼が襲いかかる。咄嗟に下に向けて風を放出し、押しとどめる。それが罠だった。

 ユーフィリアは、その隙に美海の頭上へと舞い上がっていた。そして、

「セラフィック・ブースト!」

 ブースターの加速を使用して一気に急降下。不意をつかれた衝撃と身体の疲れから反応が遅れた美海の背中にそっと手の平を当て、地面へと突き落とした。

 バトル開始直後に美海が行った攻撃への意趣返し。今度は美海が地面に叩きつけられそうになる番だった。必死に風を操って大勢を立て直す、が、間に合わない――

「みうみん、危ない!」

 琉花の叫びと同時に水の塊が美海を包み込んだ。ユーフィリアにしたのとは異なり、落下の勢いを殺すために美海の降下に合わせ、衝撃を吸収する。

 しかし、すべての衝撃を殺しきることはできず、美海はまた地面に軟着陸した。しかし、今回は真下への軟着陸だ。内蔵が圧迫される感覚に、息が一瞬止まる。

「みうみん。大丈夫!?」

「わ、私は、大丈夫……!」

 嘘だ。ずっとユーフィリアと空中で戦っていたため、体力の限界が近い。元々体力はある方とはいえ、ぶっ続けでここまで激しく動くのだと、やはり要求される体力は桁が違う。

 ――もっと、役に立ちたい。

 ――こんなところで、終わりたくない!

 悔しかった。1年の功があるとは言え、ユーフィリアはエクシードの差をこうも容易く埋めてくる。

 思い上がっていた。自分は、別に強くもなんともない。ただ、みんなに褒められて舞い上がっていただけ――

『弱気になるな!』

 春樹の怒声がインカムから響いた。びくりと震える。春樹の方を見ると、彼は苦痛に耐えながらも、瞳に強い光を宿していた。諦める気など全くない、不退転の覚悟の光。

『まだ俺はやれる! だからお前らも頑張れ!』

 ――そうだ。

 ――何諦めてるんだ。まだみんな立ってる。まだ戦える。春樹くんが付いてる。みんな、信頼し合ってる。

 

 ――繋がっている(リンクしている)

 

 そう自覚すると、不思議と体の底から力が湧いてくるようだった。

 

 ――諦めて、たまるか!

 

 奥歯を食いしばって立ち上がる美海。インカムの向こうで、春樹が驚いたように声を上げた。

『美海、お前……』

「ど、どうしたの?」

 美海が問いかけると、春樹は震える声で、

『レベル5になれる』

「――え?」

 美海ですら自覚がなかった。しかし、体の奥底から湧いてくるこの力は――

 春樹が悩んでいるのがはっきりと分かった。レベル5は諸刃の剣。他のリンクをすべて切断した上で30秒間もサードリンクしていなければいけない上、レベル5状態は20秒で解け、解けた後はレベルが強制的に0に戻される。

 しかし、決めざるを得なくなった。

 フィールドに再入場したセニアが、異常なオーラを発し始めたからだ。即ち、サードリンクを結んでいる。

『――美海、行けるか?』

 春樹の震える疑問。春樹の恐れが――諸刃の剣を切る事への恐怖が――伝わってくる。

 だから美海はむしろ満面の笑みで、心いっぱいに希望を灯して言った。この思いが、みんなに届くように、強く!

 

 

「行こう、春樹くん!」

 

 

 返事は無かった。同時に美海は、自分の中から更に湧き上がる力を感じた。

 

 

…………

 

 美海のアイコンの下に《3rd Link》のボタンが現れた時には、はっきり言って呆然とした。

 現実に引き戻されたのは、セニアのアイコンの下に《3rd Link》の表示が現れたからだ。

 セニアがレベル5になろうとしている。その時、対抗できるのは恐らく美海がレベル5になった時だけだろう。

「美海、行けるか?」

 そう聞いた時の春樹の声は、我ながら笑っちゃうほどに弱々しく震えていたと自覚している。

 だからだろう。返ってきた声は、強く、活力にあふれ、希望に満ちていた。

『行こう、春樹くん!』

 返事はしなかった。その代わり、春樹は美海のサードリンクボタンを迷わずに押した。

 未知の感覚に、胸が震える。今までのリンクとは全然違う。もっと深いところで繋がる。美海の心が流れ込んでくる。光に満ち溢れた美海の心。しかし、少し暗い場所もある。恐怖だ。何かを失うことへの恐怖。

 しかし、そんなものは春樹にもある。むしろ春樹には、失ったことへの痛みがある。

 繋がった心が、互いに互いを癒し合う。美海の光が春樹の痛みを和らげ、春樹の心が――だったら良いのだが――美海の恐怖をほぐしていく。

 フィールド内で、先にセニアがレベル5になった(覚醒した)。全身が白く光り輝き、全身を覆うアーマーが形成される。頭部にはバイザーと口元を覆うマスク、胴体は薄い、しかし弱さなどまるで感じさせないアーマーに覆われ、背面にブースターが、そして6機のビットが出現した。ブースターを噴かして空中へと舞い上がる最中、彼女の背後に、真っ白な炎が形作る光輪を見た。まるで機械でできた神(デウス・エクス・マキナ)のような、神々しく光り輝く存在に、誰もが見入った。

 そして、少し遅れて美海も覚醒する。髪を結い上げていたリボンがひとりでに解け、ツインテールがばらりと広がる。今までのものとは比べ物にならないほどの疾風が美海の元へ集い、眼前の純白の神と同じ格へと彼女を押し上げていく。その背中に、青く煌く翼を見た気がした。赤の世界の伝説の中で、命を導くと言われる大天使ラファエルの持つ青い翼の如く、世界を仰ぎ、大きく広がる。

 あまりの神々しい光景に、まるでバトルフィールドの中が隠世(かくりよ)と化したかのようだった。

 

 神と天使の決戦。誰もの胸が大きく震えた。

 

 

…………

 

 冬吾は、我知らず叫んでいた。

 

「セニア! 行け!」

 

 返ってきた声は、決意に満ちていた。

 

『了解です、冬吾さん!』

 

 

…………

 

 春樹は、思わず叫んだ。

 

「美海!」

 

 飛べ! と言おうとした。しかし、心が叫んだ声は、違っていた。

 

「飛ぼう! 一緒に!」

 

 美海の心から喜びが溢れるのを感じた。

 

『うん! 一緒に飛ぼう、春樹くん!』

 

 

…………

 

 神と天使がぶつかり合う度に、2人のαドライバーに強烈な痛覚が走った。しかし、互いにそれを気にする様子もない。リンクを繋ぐことに必死なのと、目の前の戦いに、ただ純粋に見惚れているのだ。

 地上は美海のエクシードが解放されているせいで、風が荒れ狂うあまり戦うどころの話ではない。なんとか吹き飛ばされないようにしながら、それでも全員が頭上の決戦に見入っていた。

 青く煌く疾風が吹き抜け、白く光り輝く機体が光線を放つ。拳と拳がぶつかる度に、青と白が混じり合い、大輪の花が狂い咲く。

 誰もの目を奪う、至上の戦い。しかし、すぐに違和感が出来始めた。青と白の中に、鮮烈な赤が混じり始めたのだ。

 出処に目を凝らすと――それは、セニアの関節だった。レベル5の装備がセニアの関節に異常なまでの負担を掛けているらしい。そのせいで、皮膚が裂けているのだ。

 冬吾は、急激に増した痛覚に歯を食いしばる。セニアは気づいていない(・・・・・・・)。リンクしているので痛覚を感じられず、自分の体が、自分の召喚した装備によって破壊されていっていることに気づけないのだ。

『セニアちゃん! 血が!』

 戦っている美海まで心配して声を上げる。しかし、セニアは厳しい表情を崩さなかった。

『セニアの心配など、しないでください! セニアはマスターのために、全力であなたを倒す!』

 始めて聞く、セニアの強い怒声。その声を聞いて、美海も表情を改めた。

『なら、容赦しない!』

 疾風が駆け抜ける。光線が荒れ狂う。そして、再び拳と拳がぶつかった。一瞬の均衡。その瞬間だった。

『あっ……!』

 セニアの武装が解除された。20秒。制限時間になり、レベルが0に戻され、装備が光とともに消えてしまった。

 そして、美海はまだレベル5だった。その差が勝負を分けていた。拳の均衡はあっさりと破られ、セニアは大きく吹き飛ぶ。

『セニアちゃん!』

 美海は自分が吹き飛ばしたセニアを必死で追いかけた。なんとか掴む。抱きとめる。

 そこで、美海も覚醒が解けてしまった。同時に、なんと、バトルフィールドの外に出てしまう。風を操って軟着陸しようとしたが――無理だった。バトルフィールド外ではエクシードが使えない――!

 衝撃への恐怖。セニアを庇いながら――美海は地面へ墜落した。

 

…………

 

 激痛が身体を走り抜けた。思わず気を失うかと思った。しかし、土壇場で春樹は踏みとどまる。まだ勝負は終わっていない。春樹も冬吾も。どちらも――立っている。

 αデータパッドを見ると、春樹は肺から空気が全部抜けていくかのような心地を覚えた。美海のアイコンが、消えた。彼女が意識を失い、ファーストリンクまで切断されたためだ。

 叫びそうになる。今すぐαドライバーゾーンから駆け出して、美海を介抱したい。無事を確かめたい。あんな墜落の仕方をしたら、命が危ない。

 でも。春樹はその欲求をねじ伏せた。まだ勝負は――終わっていない。

「琉花! 忍! 決めるぞ!」

『了解!』

 セニアも大きく傷ついている。そのせいで、冬吾にも多大な痛みがあることだろう。だから、勝負はこれで決まる。

「琉花はテルルを相手しろ! 忍! ユーフィリアを捕えろ!」

『オッケー!』

『承ったでゴザル!』

 

 美海の繋いだ、この盤面。意地でも制してやる。

 

 

…………

 

 関節がちぎれるように痛い。墜落の衝撃もある。しかし、冬吾はまだ立っていた。すぐ横に美海とセニアの身体が横たわっている。セニアは肩や肘、膝などの関節から血をどくどくと流し、美海は全く動かない。

 肝が冷えた。美海の安否を確認したい、セニアを今すぐ介抱したい。そう思う心は、自分でも予想できないほど強かった。

 しかし、勝負はまだ終わっていない。終わっていないのだ。

 セニアが己の身を賭して繋げた局面。落とすわけには、決して行かない。

「ユフィ! テルル! 2人掛かりで琉花ちゃんを攻撃しろ! 忍ちゃんが阻んだら、ユーフィリアが対処しろ!」

『了解です、マスター!』

 思わず荒くなる口調に、しっかりと対応するユーフィリアとテルル。最後に、まだリンクが繋がっているセニアに対して言った。

「セニア、よく頑張った。動かないで、後は見ていてくれ。いいな?」

『……は、はい……マスター』

 セニアは掠れた声で、それでもはっきりと言った。

 

 ありがとう、セニア。僕の意志を見ていてくれ。

 

 

…………

 

 2人の意思が交錯し、テルルは琉花と、忍はユーフィリアと対峙した。αリンクが繋がっているのは琉花とテルル。

「ここは通さないでゴザル。ユーフィリア殿には、琉花殿によってテルル殿が敗北する姿をゆるりと見ていていただくでゴザル」

「そうはいきません。忍さん。貴女を倒して、私が、いえ……私たちが、勝利する」

 苛烈な言い合い。忍は懐から1本の苦無(くない)を出した。そして、余計な感情が滑り落ちた、初めて見せる本気の声で言う。

舐めるな(・・・・)

 その声に、ユーフィリアが構える。背中から青白い炎が迸り、再び翼を象る。

「春樹殿! 多少の痛み、ご覚悟を!」

『ああ! 構わない! やれ!』

 春樹の返事を聞くや否や、忍は右手の苦無で左手の平を切り裂いた。鮮血が迸り、人工芝の地面を濡らす。

「――っ!?」

「行くでゴザルよ! この風魔忍、不肖の身ながら、これより拙者の見せる熱い幻想に、どうか酔いしれて下され!」

 慇懃な口調で叫んだ忍は、右手の苦無を左手に持ち替えると、それを素早くユーフィリアに向かって投擲した。それを見切ったユーフィリアは、身体を僅かに逸らして躱す。苦無は背後の地面に虚しく突き刺さった。

 しかし、一瞬気が逸れたのは変わらない。その隙に忍は懐から4枚の式符を取り出していた。その式符に、左手の平から溢れる血液をベッタリと塗りつける。

「さあ、行くでゴザル! 第(いち)の術!」

 忍は式符を宙に投げ捨て、そのうち1枚を掴み取った。ユーフィリアの翼がより一層広がる。

「燐火舞い散らし狂い咲け! 忍法・炎花爆裂(ファイヤー・ボンバー)!」

 式符が赤く光り輝き、いくつもの黒い球へと変化する。それらはユーフィリアの周りへ飛んでいくと、まるで花火のように色とりどりの火花を散らしながら爆発した。

 爆弾? いや――

 ――目くらまし!

「セラフィック・バースト!」

 ユーフィリアが叫び、ブースターから吹き出す炎が勢いを増して火花を残らず払った。その時には、既に忍は空中にいる。

「第()の術! 星礫集いて大河と成せ! 忍法・炎星流河(フレアー・シャワー)!」

 2枚目の式符がまた赤く輝き、今度は白熱したいくつもの小さな球へと変化した。彼女の言葉通り、まるで星のような――

 その星々が、赤い奇跡を引いてユーフィリアへ殺到する。その光景は流星群の如く。しかし、ユーフィリアもただでは受けない。

「セラフィック・リープ!」

 ブースターから溢れる炎が、細長くなった。瞬間、ユーフィリアの姿が掻き消える。まるで瞬間移動のように、現れては消え、消えては現れを繰り返し、全ての流星を躱した。それと同時に忍との距離を詰めていたユーフィリアは、すかさず拳を彼女に叩き込む。

 その拳が、忍の身体にずぼりと埋まった(・・・・)。慌てて引き抜こうとしたその時、下から(・・・)声が聞こえた。そちらを向くと、その手には既に4枚目の式符しかない。つまり――

 ――しまった! 分身――!

「第(さん)の術! 光に煙で幕を引き、我が分け身と成れ! 忍法・炎幕分身(フレイム・ブレイク)!」

 その分身が、爆発した。衝撃をモロに食らう――その寸前で、

「セラフィック・ガード!」

 炎の翼を盾にし、それをなんとか防ぐ。

 忍の赤い炎と、ユーフィリアの青白い炎。2つの炎が互いにその威を競い合うかのように弾け、舞い散り、混ざり合う。表と裏が入れ替わり、一瞬たりとも目が離せない炎同士のバトルに、会場の熱狂はさらに高まっていく。

 忍の手元で、4枚目の式符が赤く煌めいた。

「第(よん)の術! 熱風逆巻き縛り捕らえよ! 忍法・炎熱縛網(ヒート・ネット)!」

 式符を地面に叩きつけると、先ほどの爆発で発生した熱が網と化し、ユーフィリアに上から被さってその動きを捕えた。その熱さに一瞬息が止まり――しかし、諦めない。

「セラフィック・ドライブ!」

 今までで最も強い炎がブースターから発せられ、ユーフィリアは熱の網を強引に破りにかかる。術式は抵抗したが――ユーフィリアに破られた。

 ――これで……!

 もう忍の手元に式符は無い。この勢いで、一気に勝負を決める!

『――っ!? ダメだ、下がれユフィ!』

 その言葉の意味を一瞬理解し損ねた。それが致命的なミスとなった。

「第()の術!」

 ――な、何!?

 驚愕するユーフィリア。対する忍は、会心の笑みを浮かべた。

「千鎖繰り疾く吹き閉じよ! 忍法・炎鎖戒牢(ブレイズ・プリズン)!」

 式符も無いのに、どこから術が。その答えは背後からやってきた。

 熱い鎖が、ユーフィリアの手首、足首、胴体、さらにブースターに巻き付いた。同時に、ユーフィリアの動きが完全に固定される。首しか動かせない。

 ――これは……金縛りの術に、霊力結界!? でも、一体どこから――?

 鎖の飛んできた背後を見て、唖然とする。

 苦無だ。

 最初に忍が投げた苦無。地面に突き刺さったその持ち手に、鎖の先と式符が巻かれている(・・・・・・・・・)。投げる直前に左手に持ち替えたため、血液も付いている。忍は、あの苦無に巻きつけられた式符の術を遠隔で起動させたのだ。

 ――なんて、芸達者。

 このタイプの術式には覚えがある。あの苦無が要なのだ。あれを地面から引っこ抜けば、すぐにこの結界は解ける。だが。

 今、テルルは琉花と戦っている。赤い鎖はブースターまで封じ込めていた。抜け出す手段が、無かった。

 ユーフィリアと冬吾の戦略は、忍に完全に敗北した。

 

…………

 

 自分が情けなかった。琉花の守りを、突破できなかった。忍と戦った時にも、致命的な一撃を入れることができなかった。

 テルルは拳を振るいながら、そのもどかしさに(ほぞ)を噛む。

 対峙する琉花も、息が切れ始めている。あと少し――だが、その少しが、遠い。

 視界の端で、ユーフィリアが忍の鎖に囚われた。もう、自分しか残っていない。

 なまじ強大な膂力を持つテルルは、もしかしたら自惚れていたのかもしれない、と、その時ようやく自覚した。

 ――本気を出せ。

 でなければ、勝てない。

 もう、自分しか残っていない。

 その事実は、テルルの頭を不思議と冷静にさせた。冷静に、自分が何をするべきか悟った。

「いく、ですの」

 テルルは琉花に向かって突進する。そして、水の壁に頭から突っ込んだ。冬吾の制止の声を意図的にシャットアウト。

 半分は破れかぶれだった。でも。

 後悔なんか、していなかった。

 

…………

 

 水の壁を無理やり越えてきたテルルの拳が、琉花の胸に突き刺さった。あまりの衝撃に肺から息が抜けていく。ここまで頑張って防ぎ続けたのに……ダメだった。

 ――諦めて、たまるか!

 春樹の声が聞こえた気がした。その声が、飛びかけた琉花の意識を強く抱きとめる。

「諦めて、たまるか……!」

 テルルは今、ここにいる。今しか、狙えない。

 琉花はありったけの意思を込めて、テルルを抱きしめた。その瞬間、テルルが越えてきた水の壁が凍った(・・・)

 液体の状態変化。

 土壇場で使いこなせていなかったそのエクシードを完璧に操った琉花に、目を剥くテルル。その背中に、大量の氷が降り注いだ。

 ――あーあ、疲れたわ。なんか、ふかふかなベッドで寝たいなぁ。例えば――このテルル先輩の胸みたいな。

 馬鹿らしいことを考えながら、琉花は意識を手放した。

 後悔なんか、していなかった。

 

…………

 

 静けさが、コロシアムを支配していた。スクリーン上に表示された、誰も見たことのない表示に、その場にいた全員が言葉を失っていた。

 

…………

 

「……おい、こんなことって」

「システム上はありえる……かな。しかし、すげえなぁ……」

「……そうだな……今年の連中は、どいつもこいつも素晴らしい」

「でも、ありえねぇよなぁ……こんなの見たことねえ」

「それが、可能性ってものだろ?」

「……かもな。さあ、とっとと救護班だ。みんな無茶しまくりやがって。あとでセニアのレベル5領域の装備を調べまくってやる」

 

…………

 

「あーあ。結局見れずじまいだったよ。ったく。生で見たかったなぁ」

「大丈夫。デルタが撮ってるって言ってた」

「でも、生で見るといろいろと違うもんなの。もう……こっちは雑魚狩りで終わっちまったよ」

「ゆーま。ドーナツ」

「あーはいはい。そうだったな」

「20個」

「……増えてね? お前15個っつったろ」

「沙織と希美呼んで、みんなで食べたい。そっちのほうが、美味しい」

「……そっか。じゃあそうすっか。ブルーミングバトルの映像見ながら、みんなでドーナツパーティだな」

「楽しみ」

 

…………

 

 会場が、まるで爆発したかのような歓声に包み込まれた。どの観客も、素晴らしい攻防の数々にただ胸を打たれ、一心不乱に拍手している。

 春樹は、意識を失って倒れていた。冬吾もまた、意識を失っていた。

 スクリーンにでかでかと表示されたその文字が、春樹の意地と冬吾の意志がぶつかりあった、その結果を表していた。

 

 

 

Draw(引き分け)

 

 


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