「お前、俺の失った記憶を知っているのか……!?」
グロックを眉間に押し付けながらキャロルに訊ねるも、彼女は答えようとしない。恐怖心を抱いて喋らないというわけではなく、単に喋る気がないようだ。
「答えろッ!!」
「どーどー、落ち着きなさいな」
刹那、キャロルの姿が霧散して消えた。比喩表現でもなんでもない。彼女の姿が粒子上になって消えたのだ。
「ホントになんにも覚えてないんだね。いや、封じられてるの方が正確かな?」
再び背後から気配。
立ち上がりグロックを構えるもキャロルは小さく笑いながら集に一歩、また一歩と近づく。気づけば、キャロルと集との距離は数センチ程になっていた。
「どうしたの?ここからなら外すことはないと思うけど」
「……ッ」
その時だった。集の五感が一瞬遠ざかる。再び視界に光が戻った時には引き金を絞っていた。
しかし、キャロルに銃弾が届く前に姿がまた霧散し、直撃を免れていた。
「酷いなぁ。まだ話してる途中じゃない。って言っても今の君じゃ、何も分からないか」
「……んだと?」
「君の中にいるもう一人の君と打ち解けたら、また来ようかな。頑張れ若人、負けるな若人」
歌うように背を向けて歩き出すと、キャロルの姿が再度霧散し、何処かへと消えた。
もし霧散して移動を可能とするならば、彼女がこの封鎖された天王州第一高校に入れたのも納得出来る。裏から外に出るルートは無人型のエンドレイヴによって破壊されてしまっているため、真正面からの突破はほぼ不可能だからだ。
「……」
集はこの場から立ち去ろうとして一瞬、足を止めた。
キャロルが集の近くまで接近してきた時、体の底から凍えるような寒さを感じた。死というものが形をもって現れるのならば、きっとああいう形をしているのだろうというそんな感覚。その奥には得体も知れない怪物がこちらを覗き込んでいて───。
「……やめだ」
首を横に振る。きっと悪い夢だったのだと思いながらその場を後にした。
現在、避難所となっている天王州第一高校の路地裏に座りながら集は、考え込んでいた。
両腕に宿った『王の能力』についてだ。右手の甲に黒く刻印されたそれを見下ろしながら、唸る。
力が一箇所に纏まると、敵対組織から狙われやすくなる。そう考えた集は事前に祭の『すべてを癒すヴォイド』を準備しておき、いのりや綾瀬、ツグミや葬儀社の面々に『王の能力』を託そうとしたのだ。彼女たちからは激しく拒否されたが、戦力は多いに越したことはない。集の言葉に彼女たちは腑に落ちないながらも頷いた。
聞いた話によると、能力の宿った腕を切り落とすことにより、その所有権を他者に移し替えることが出来るというのだ。生前、涯が能力を放棄したくなった場合の最終手段として、集に教えていたのでそれを実行したのだ。
───しかし、それは失敗に終わった。
「……」
祭のヴォイドで繋がった右腕を強く握りしめながら大きくため息を吐く。
思いつく限り、ありとあらゆる方法を試してみたが、結果は変わらない。左腕でも同様のことを行ったが、『王の能力』の譲渡は出来なかった。
涯が言っていた事が嘘だったのかと言われれば、それも違うであろう。彼は欺く場合以外では嘘をつく男ではない。と、なると考えられる可能性は一つ。
「……『王の能力』の変質、か」
第二次ロスト・クリスマス事件以降、『王の能力』が変質していたことは知っていた。
知らない内に、相手の手を取りながらヴォイドを取り出すことで、意識を失わずにヴォイドを相手に手渡すことができるようになっていたのだ。
それと同時に『王の能力』が持つ特性自体が変わってしまったのかもしれない。
結果、集は『王の能力』の保有権の放棄が出来ず、解決策が見つからない限り、永遠に呪われた力と付き合う羽目になってしまったのだ。
「……どうすればいいんだよ」
「なにが?」
「うおっ!?」
唐突に背後から集に寄りかかってきたいのりに、集はくぐもったような声を上げる。
堪らず後ろを振り返ると、赤い瞳が集を射抜いた。
「あ、あの、いのりさん?」
「なにをどうするの?」
「あ、いや……まあ、あれだ。『
右手をヒラヒラとさせながらいのりの質問に答えた。
「保有権の放棄は後々考えるとして、他者にヴォイドを手渡せるようになっただろ?この変質を───『王の能力』を知る面々に伝えるべきか、否かって考えてたんだ」
「集はどうしたいの?」
いのりの真っ直ぐな視線が集を捉える。
一拍置いて、集は自身の考えを話し始めた。
「……俺は、伝えるべきではないと考えてる」
集の言葉にいのりは何度か目を瞬かせてから「どうして?」と首を傾げた。
「ヴォイドはこちらの戦力増強になるかもしれない。GHQの包囲網の突破だって容易くなる。彼らの協力さえあれば、そんなことだって可能になると思う。それでも、集は祭たちに伝えないの?」
「……だったら尚更だろ」
いのりを引き剥がし、真横に座らせてから集は天を仰いだ。
風に流されてゆっくりと動く積乱雲が太陽を隠した。
「あいつらは俺と間接的に関わってしまったとはいえ、まだ日向の道を歩けている。これ以上巻き込む訳にはいかねえだろ。出来れば、いのりにも内緒にしておきたかったんだけど───」
「私に隠し事は無駄」
「……だから正直に話したんだよ」
「それでも暫く渋ってたよ?」
弁明する余地がなく、押し黙るしかない。なんとも言えない顔をしていた集の頭をいのりは自分の胸へと引き寄せて抱き締めた。
「……おい!」
赤面していのりを引き剥がそうとするも、思いの外力が強くて難しい。それに、いのりの儚くも柔らかい部分に触れてしまいそうで、触れようにも触れられない。
「大丈夫」
そんな集の動揺を知っていてわざとやっているのだろう、いのりは口元に弧を描きながら集の頭を優しく撫でた。
「集は私の生命に替えても守るから」
集は頭の中を無にし、いのりを引き剥がした。集が何もしないという安心からなのだろう、いのりはこういう行動を取ったのだろうが、正直な話、心臓に悪いのでやめて欲しいというのが本音だ。
「いのり、前も言っただろ。自分の生命を優先にしろッ」
「……でも」
「でもじゃ無いッ!残された側の気持ちも考えてくれ……!!」
頭の中を過ぎるのは千寿夏世の記録。集自分は持ち合わせていないが、里見蓮太郎がかつて体験した記録。しかし、それは確かに集の記憶として、経験として蓄積されていた。
あの出来事なければ里見蓮太郎は進めなかった。闘い続け、武勲をあげることもなかっただろう。しかし、あの出来事がなければ、里見蓮太郎は茨の道を歩むことはなかったのかもしれない。
そんな集の考えを読み取ってか、いのりは集の頬に手を伸ばし、そして困ったような顔を浮かべた。
「……それは、集も同じ。私たちの静止を振り切って自分の腕を切り落とした時は、どうなるのかと思った」
「……その後、ちゃんと謝っただろ」
いのりは集の頰に触れたまま、今は繋がっている右腕を見下ろした。
「今はこうやって癒着しているから大丈夫だけど、今回はたまたま上手くいっただけかも。次はどうなるかは分からない」
「行動せず止まっているよりはいいはずだ」
いのりはなにを思ったのか、集の右腕を取ると、自分の胸元に引き寄せた。
「いのり、なにを!?」
「集は涯が居なくなってから変わった。何か、切羽詰ってる感じがする」
「それは……」
間違っていない。事実、涯を撃ってから集の中で何かが変わったという感覚はあった。
大切なものを失ったショックだろうか、それとも自分の中で得体の知れない何かが覚醒したからだろうか。定かでは無いが、前よりも臆病になったように感じる。精神的な壁を作り、他人に自身の領域を暴かせない。唯一、心を許せるのは、壁を作って尚、心の隙間に入り込んでくる楪いのりただ一人だけだ。
しばらく動けずにそのままの体勢でいた集であったが、やがていのりは頬を少し赤らめながら首を傾げて言った。
「……あの、そろそろ私の胸から手を離して」
「これはどう考えても不可抗力だッ!」
集の悲痛な叫び声が木霊した。