観光客や現地の人々で賑わう浜辺で、集旗そがれていた。そのためだろうか、後ろから近づいてくる気配に気づかず、目前が暗くなった。困惑する集の耳元に抑揚のない声が聞こえてくる。
「……だーれだ」
「───いのりさんしかいないだろ」
「正解」
集は覆われた掌を払いながら、いのりの方を見上げる。
「……どうした?」
「集を見つけたから」
いのりが集から手を離すと、目の前でくるりと回ってみせる。
海にいるからだろう、先日ショッピングモールで購入した水着を着込んでいた。
集は頬を掻きながらいのりが求めているであろう言葉を口にする。
「……似合っていると思うよ」
「それを言うのは女の子がどうって聞いてからと定番が決まっている」
「……そんなもんか?」
「そんなもの」
女心はよくわからない。集は溜息を吐く。
「しゅ、集!」
「あ?」
第三者の声が横から聞こえてくる。祭だろう。集は鬱陶しげに振り向きながら吹き出した。
上に何も羽織っていない祭が水着姿でこちらの方へ走ってきていた。年不相応な乳房が上下に揺れ、周囲の男たちを釘付けにする。
集は思わず顔を背け、いのりは自分に僅かに足りないものを見やると祭の一部分を凝視する。
「……何してんだあんた」
「なんでもない」
そんなやり取りをしているうちに顔を真っ赤にした祭がやって来た。息を荒く吐き、その度に乳房が僅かに揺れる。
「私達も泳ごうよ!」
「お、おい!」
そう言って祭は俺の腕に抱きついてくる。その際、祭がわざとらしく自分の乳房を押し付けてきた。
「ほら早く!」
「あ、当たってるぞ!?」
「いいから!行くよ!」
祭は、いのりを置いてけぼりにして集を海に連れていく。集は助けてくれといのりを見つめる。
「……」
集はいのりの冷たい視線に耐えきれず明後日の方向を向いた。
俺は何も悪くねえよ。集は小さく息を吐いて目を伏せる。
「いやー、仲良しなお二人さんを見てると嫉妬しちゃいますよー」
そんな最中、カメラで海辺を撮っていた颯太は集と祭の方へカメラを向ける。今すぐ海に沈めて颯太を白骨死体にすれば、この映像は永久に使用されることは無いだろう。首を鳴らしながら、完全犯罪を目論む集にいのりが集の方へとやってくる。
「集!」
「ど、どうしたいのりさん」
颯太の乱入によって祭の拘束から解き放たれた隙にいのりが集の腕を掴む。
「ねえ、沖の方へ行ってみよう?」
「う、うん。あれ?」
いのりに引っ張られる形で集は海へ入っていった。
それから、日が暮れるまで集たちは遊び尽くしていた。ほくほく顔で帰る颯太、顔を真っ赤にして何をしているんだろうと呟く祭、どこか上の空の花音。そして、集は頬を真っ赤に腫らし、いのりはバツの悪そうな表情を浮かべていた。
「……ごめんなさい」
「いや、いい。いのりさんだけのせいじゃないから」
海を泳いでいたらいのりの水着の紐が取れたところを目撃、ビンタされることが数回。祭の水着の紐が取れたところを目撃、ビンタされること2回。
呪われているとしか思えない悲劇に集は小さく息を吐いた。
「……海ってこんなに疲れるもんだったか?」
痛みを和らげるために氷嚢を当てた右頬を押さえながら浜辺に座り込む。
「……集?」
「……座ったらどうだ。立ってるのも疲れるだろ」
沈みゆく太陽を見つめながら、呟く。すると、いのりの雰囲気が変わったような気がした。振り向くと、いのりの赤い目が青く染っており、子供っぽい笑を浮かべた癒愛がいた。
「……なんですかそのセリフ。全然似合いませんよ」
「ほっとけ」
吐き捨てるように言う集の隣に癒愛は座り込む。
「隣、大丈夫ですか?」
「構わねえよ」
太陽がゆっくりと海に沈んでいく。これから夜が始まり、葬儀社としての時間が始まる。気を引き締めなくては。軽く頬を張ってから立ち上がろうとする。
そんな中、癒愛が呟いた。
「集さんの故郷、とても綺麗ですね」
「そうだな」
「私たちがいた世界では絶対に見ることが出来ない絶景です」
「……間違いないな」
一瞬どう答えようか迷ってから、適当な言葉で返事をする。
癒愛の言う通りだ。この世界は2031年では間違いなく見ることの出来ない景色だ。海はガストレアの住処となり、海水浴にでも行こうものなら捕食されるだろう。
もし、延珠たちを連れてこれたら───なんて考えてしまうと、なんとも言えない気持ちが込み上げてくる。
「……元の世界のこと、ですか?」
「……」
集はその問いかけに答えない。癒愛は仕方ないですね、と集の頬を小さな掌で包み込むと微笑んだ。いのりが持つ長い桃色の髪が海風で揺れる。
「ほら見てくださいよ。しっかりと目に焼き付けないと」
「……俺に、こんな絶景を見る資格はない」
集がそう呟くと、癒愛は微笑んだまま言葉を紡ぐ。
「…………以前も言いましたが、私は、この世界に来るまで
集はその言葉に目を丸くして癒愛の顔を凝視した。
「言葉通りの意味です。まあ……
癒愛は悲しそうに笑って言う。
「私たち『呪われた子供たち』は、ガストレアウィルスの恩恵で、病気になったり、障害を負ったりすることはありません。だから病気で目が悪くなった訳では無いんです」
淡々と言葉を紡いでいく。
「なので目に鉛を流し込みました」
その言葉に集の身体が硬直するのを感じた。
「あ、他人にやられたんじゃありませんよ。自分でそうしたのですよ。そうやって悲劇の少女を装うことで、大人たちの同情を買って、物乞いをしていたんです」
生きるための知恵ですね。と癒愛はそう言い笑う。
思わず唇を噛み締める。どんな計算があるにせよ、生半な覚悟でできることじゃない。
本当に癒愛は心優しい少女だ。悲しいほどに。
「……でもやっぱり耐えられなくて。挫けそうになった時でした。蓮太郎さんにあったのは」
「……俺に?」
「はい。私にお金を恵んでくださった、プロモーターのあなたに」
集は息を呑んだ。まさか、この少女は。
癒愛は集の頬から掌を話すと、立ち上がる。そして歌い始めた。
「Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see───」
アメイジング・グレイス。有名な聖歌だ。集は、この歌を聞いた事がある。
───“ごめんなさい。民警さんに悲しい顔をさせてしまって”。
集の顔をぺたぺたと触る盲目の少女。思い出す、覚束無い手つき。いつだって笑顔を絶やさない盲目の少女。
まさか彼女は───!
「やっと……思い出しました?」
「……ああ」
「ふふ、やっぱりあの時の人だったんだ」
癒愛は優しく集の頬を包む。
「そんな顔しないでくださいよ」
癒愛はニッコリと俺に笑ってみせる。
「私は生きてますって、ほら」
癒愛は集の顔を自分の胸元まで持っていき、心臓の部分に当てる。ふにょん、と弾力性に富んだ感覚が集を包み込むが、今はそんなことも考えられなかった。
「ほら、私は今もこうやって鼓動を刻んでいますから……」
「……違うよ癒愛」
震える顔をゆっくりと上げる。
「……嬉しかった、それだけだよ」
集は涙声になりながら言う。
「……泣いてるんですか?」
「泣いてなんか、いない」
「……仕方ないですね」
癒愛は俺の頭を抱く。花のような匂いが集を包み込む。
「……癒愛?」
「泣いてもいいですよ。沢山我慢していたのでしょう?」
「……俺は男だ。涙は、流さないけど……しばらくこのままでいさせてくれないか?」
「……わかりました。蓮太郎さんの気が済むまで、このままでいましょう」
集と癒愛は日が沈むその瞬間まで、その体勢で居続けた。
救いは(期限:The Everything Guilty Crown 投稿まで)
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必要
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不必要