「久しぶりね、里見くん」
ここにいるはずのない存在。
「……なに、その間抜けた顔は」
絶対にいるはずのない存在。
「……頭と体分離させるわよ?」
「……怖いこと言わないでくれないか」
天童木更。この世にいるはずの無いイレギュラー因子。
「へぇ、顔立ちは全然違うなとは思ったけど思ったよりそっくりね。不幸顔とか不幸顔とか不幸顔とか。隠しきれない要素が沢山あるわね」
「……あんたなんでここにいるんだ」
言いたいことなら山ほどあるが、そんなことはどうでもいい。今は彼女がなぜここにいるのか。ただそれたまけのということ。
「そうそう。忘れるところだったわ」
木更は集の首元に刃先を突き付ける。僅かに触れた剣先が首を浅く切り、赤い血液がスーツを汚す。
「私に着いてきてもらうわよ、里見くん」
凄まじい殺気。
逃げることを一瞬考えたが、生憎とのここは海だ。中に逃げ込めば多少は時間を稼げるかもしれないが、いま春夏に見つかるのはあまり好ましくない。
「……仕方、ないのか?」
天童木更。とある妖怪に【悲しいほど腐りきった剣】と言わしめた天童式抜刀術免許皆伝者。
ここは大人しくついていくのか吉だろう。
だがそれは、リーダーが許したら、の話だが。
「駄目だな。そいつは俺たち葬儀社の所有物だ」
お前の所有物じゃねえよ、と思いつつ口角を上げながら後方へ跳躍。反応の遅れた木更は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「……遅えよ」
「これでも急いだんだ。供奉院亞里沙が見つからなくてな」
「ナンパしてんじゃねえ」
「してないぞ、万年不幸顔」
「黙れナルシスト」
「ナルシストだが?」
「うぜえ」
一見ふざけたやりとりだが、木更からは一度も目を離さない。
一瞬でも目を離せば、それは死を意味することになる。
「邪魔しないでもらえるかしら、葬儀社の恙神涯」
「……お前、司馬企業の人間か。何をしに来たのかは知らんがこいつを連れていくことは諦めてもらおう」
木更が目を細めて涯を睨めつける。
「……仕方ないわ、こうなったらもう実力行使しかないようね」
そう言って木更は刀の柄に手をかける。黒い鞘に銀の頭、赤い下緒。集は知っている。それが模擬刀であであることを。
姿勢を低くして、木更を睨む。
まさに一触即発。どちらかが動けば戦闘になるだろう。
そんな時だった。木更の方から軽快なメロディが流れ始める。木更は最初は無視をしていたが、いつまでも鳴り止まないそのメロディに嫌気がさしたのか、携帯端末機を取り出して、電話に出た。
「はいもしもし!え?帰れ?いや、目の前に目標がいるのよ?ああもう分かったわよ!帰ればいいんでしょ!帰れば!!」
急に叫んだかと思えばこちらを向いて
「命拾いしたわね!!」
言いながら、木更は立ち去っていった。
「……なにがしたかったんだ」
そう呟く涯。
「……んなこと、俺が知りたいよ」
だが、これだけは言える。彼女は逃げたのではない。逃げてくれたのだ。
もしこの場で彼女と一戦を交えていたらと考えると、冷や汗が浮き上がってくる。
「……涯、俺は先に」
「わかった。後のやり取りは俺が行っておく。もう時期ボートが来る、それで沖まで行け」
その後、色々あったらしいが無事供奉院グループとのやり取りが上手くいったようだ。
雲間から朝の光が差し込み、雀が囀りながら枝の上で戯れている。
集が住んでいるマンションの入口に、集は正座させられており、いのりは絶対零度の視線で見下ろしていた。
あくびを堪えながら、集は固唾を飲み込む。居心地の悪い雰囲気に集は視線を中に泳がせた。
「集。説明して?」
前にもこんなようなことがあった気がする。あれは確か今から一ヶ月ほど前の話だったか。その日、集はGHQに連行され、同時に城戸研二を連れ出したというのはまだ記憶に新しい。
集は困り果てながら、カァカァ鳴いているカラスを見上げた。ベッドに入って惰眠を貪りたい。
「集?」
「落ち着いて。落ち着いて聞いてくれ、いのりさん。あれはいまから36億年前のこと───いや、俺たちにとっては一億年前の出来事だ。あれは悲しい事件だったよな」
「集?」
「なんでございましょう」
集はげっそりとした顔でため息をつく。どうやら、一週間前に出かける約束をしていたようなのだが、寝起きだったためか全然記憶になかったのだ。
お陰で時間になっても集合場所に訪れない集をいのりは叩き起しに行き、折角のデートが地獄への片道切符へと変貌している。
「どうして約束を破ったの?」
「い、いや。破ったわけではないんだが……」
「言い訳はいいの。どうして葬儀社の命令の方を優先したか説明して?」
「……仮にも葬儀社はあんたの組織だろ、いのりさん」
何か文句でもある?と言いたげな視線を送ってくるいのりに集は心の底から帰りたいと思う。
「……まさか忘れてたとか?」
「まままままさか!?忘れるわけ」
「忘れたのね」
「いや違うよ!?違うんだいのりさん!!忘れていた訳じゃ───」
「正直に言って」
「……はい」
熟年夫婦か。内心毒づく。
「……私とのデートはそんなに嫌だったの」
本当はそうだが、ここは否定しておく。
「じゃあなんで忘れたの」
不眠虎度重なる戦闘による記憶障害である。
「話せないことなの?」
「い、いや、そういう訳では……」
ここは、嫌でも別の内容を出すしかないだろう。
「……映研の出し物作っていたらその事が頭いっぱいになってしまいました」
「……」
「あ、でも今回のは本気なんです」
「……」
「ほ、ほら、EGOISTのMV応募していたじゃないですか」
「……」
「だ、だから応募してみようかな……と」
「……」
我ながら酷い言い訳である。よくもまあ口から出任せが出るな、と心の中で思う。しかし、MV応募の件は嘘ではないし、それに全力で取り掛かっているのも本当だ。
いのりは数瞬、考えをめぐらせた後、集の腕を掴んだ。近くの喫茶店へと入り、席を確保するなり
「見せて」
開口第一声がそれというのは一体どういう意味だろう。
「え、えっといのりさん?」
「見せて」
「ま、まだ完成してない」
「いいから見せて」
いのりの圧に押されて、集は泣く泣く端末を開いてその映像を見せた。
「試作段階ですけど……」
「構わない」
気を引き締めるように息を吸い込むと端末の電源を入れて、保存フォルダーを開く。
「……イヤフォンは?」
「貸して欲しい」
いのりはワイヤレスイヤフォンを耳に装着すると、集に目線を送る。
「曲は」
「エ、エウテルペにしようかなって」
「わかった」
集は再生ボタンを押した。映像が再生される。
自画自賛ではあるが、いい出来なのではないだろうか。まだ改善の余地はあるが、この数年で極めた技術の集大成と言っても過言ではない。
「……まあ、悪くない。よく出来てる」
そう言いながらいのりは目に手を当てて何かを取り出す。
「と思いますよ?」
「は?ちょ、ま、おま、まさかッ!?」
「はい、ここは店内ですよ」
しー、と口の前に人差し指を持っていくと小さな声で言う。手には赤いコンタクトレンズがあり、目前にいる少女は青い瞳の少女。
間違いない、先日、名前をつけた癒愛だった。
集は目頭を抑えながらそういうことかッ!と呟く。
つまり、嵌められていたのだ。最初からそんな約束などなく、すべてがでっち上げ。
「……あーくそッ!騙されたッ!!」
集は髪をガシガシとかきながら項垂れる。
「ドッキリ大成功」
「こんな心臓に悪いドッキリをするなッ!」
癒愛は面白可笑しそうに笑う。
んだよ、と集はメニュー表を睨む。もうこうするしかなかった。
しばらく端末とにらめっこしていた癒愛は、ふうと呟くとホクホク顔で答える。
「よく出来てますね」
世辞はいらねえよ、と集が呟くと癒愛の───性格にはいのりのではあるが───小さな掌が集の頬を包んだ。
「いえいえ。よく出来てますよ。楽しみにしてますよ───このミュージックビデオが完成するの」
あまりにも綺麗な笑顔でそういうものだから、集は思わず顔を背けたくなった。
その時、心の中で何かが蠢くような気配がしたが───あれは一体なんだったのだろうか。
救いは(期限:The Everything Guilty Crown 投稿まで)
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必要
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不必要