「ただいま……ってなんだこれ?」
思わず頬が引き攣る。
扉を開け、部屋に踏み込もうとした集の視界に、女性物の下着が落ちていた。
それだけではなく、脱ぎ散らかしたと思わしき衣類がリビングにまで散乱している。こんな異業ができる人間など集はこの世に一人しか知らしかしらなかった。
「あら、集。おかえり」
リビングの奥から、この大量の衣服の持ち主である女性が顔を出した。
とても人には見せられない姿をした女性こそ集の母、
「痛い痛い!頭が割れちゃう!!」
「知ってるか、春夏。ヘッドロックって脳に直接刺激が与えられるらしいぜ。まあこれはヘッドロックじゃないが」
そんな馬鹿げたやりとりをしていると、いのりが入ってくる。
「……集?」
「……待ってろって言っただろうが」
いのりと春夏の奇妙な沈黙が生まれる。集は面倒なことになったな、と髪を掻く。
どうしたもんかと頭から手を離さないまま思考する。
「あ、集のお母様ですか?はじめまして、桜満集さんとの未来を約束した楪いのりです。不束者ですがどうぞ、よろしくお願いします」
集が思考の海に沈んでいる途中に、いのりがとんでもない爆弾発言をする。堪らず目を剥くと、いのりは綺麗なお辞儀をしていた。
「あ、集の婚約者さん。はじめまして、集の母です。こんな息子ですがどうぞよろしくお願いします」
と、集の手を払い除けて綺麗なお辞儀をする。集はいてもたってもいられず、いのりと春夏の間に立った。
「……真に受けるな春夏!これはいのりさんの嘘だッ!!」
「酷い……集。乙女の純潔まで奪っておいて……」
集が巫山戯るなと叫ぶ前に、ガシッと集の肩が春夏に掴まれる。
嫌な予感がして集は春夏を見下ろすと、春夏は嫌味ったらしく笑いながらウィンクをして見せた。
「……責任、取らなきゃダメだからね?」
「話聞けよッ!!」
集の悲鳴にも似た絶叫響き渡たった。
「……なになに?つまりいのりちゃんは悪いお兄さんから逃げるために集が今匿っている……そういうことなんだね?」
「納得した……?」
「で、本当の所はどうなの」
集の中でなにかが切れた。指を鳴らしながら、額に青筋を浮かべる。
「
「冗談!冗談だから!」
全く、と言いながら大きな溜め息を吐く。本音と冗談の境界線をしっかりと引いて欲しい、とボヤく。
集の剣幕に押されてか、春夏はいのりの方を振り返って訊ねる。
「……いのりちゃん、それは本当なのね?」
「はい」
流石芸能人。猫を被るのが上手だ。と内心揶揄る。
「……集?」
いのりが読心術を使えることを思い出した集は、大きく咳払いをするといのりと春夏を交互に見つめた。
いのりはただ静かに集を見つめていた。睨みつけていた。その視線を逃れるようにして春夏を見る。春夏は缶ビールを手にしたまま押し黙っている。
流石に無理があったかと思ったその時、春夏は手に持った缶ビールを飲み干すと、プハーと息を吐いた。
「あーお腹空いた!いのりちゃんはお腹空いてない?」
突然の言葉に呆気にとられる集。
「童実野とピザァラとどっちがいい?」
「どっちもピザじゃねえか」
「あ、集。シャトレーゼのケーキ買ってきて」
俺はお前らの執事かよカッタリぃとぼやくと、春夏が集に顔を押し寄せて来る。
「おいしいものを食べながらジーックリ。聞かせてもらうからね?」
集はめんどくせえ、ただ一言呟くと天井を仰いだ。
「……解放されたはいいんだが、酒くせえな」
未成年飲酒を何度も勧めてくる義母をなんとか寝かせて、ソファに無理矢理寝かせた集は散らかった服をたたみ直しながら眉間に皺を寄せた。
ふと、いのりを見る。年代物のワインを無表情のままちびちび飲み、ピザはほとんどいのりが平らげた。どんな胃袋をしているんだあんたは。
集は息を吐くと、ソファで気絶している春夏に毛布を掛ける。
すると、ワイングラスを傾けたまま、いのりが口を開く。
「……優しい、のですね」
「……またお前か。今日はよく出てくるな」
「はい、また私です」
いのり───少女はピンと手を挙げて「That's right」と流暢な英語で言う。集は訝しみながら目を細めた。
「……お前よ。実年齢十歳なんだろ?未成年が酒飲んでんじゃねえ」
「それはそれ、これはこれです。それに私は『呪われた子供たち』ですよ?」
そのワードを聞いて集の眉が微かに動く。
『呪われた子供たち』。ガストレアウイルス抑制因子を持ち、ウイルスの宿主となっている人間のことを指すワード。
ウイルスにより超人的な治癒力や運動能力など、さまざまな恩恵を受けている。妊婦がガストレアウイルスに接触することにより胎児が化するもので、出生時に目が赤く光っていることにより判明。
ガストレアウイルスは生物の遺伝子に影響を与えるため、呪われた子供たちはその全員が女性という。
そのためガストレアウイルスを保菌していることや人間離れしたその能力からか、彼女らは迫害されている。
集は止まりそうになった息をなんとか吐き、震える声で言う。
「お前は、人間だ。そこのところを、間違えるな」
すると、少女は悪戯ぽく微笑む。
「ところで蓮太郎さんは十歳の年頃の少女に興味がありますね?」
「……なんだって?」
「以前、一緒に歩いていた時に女の子のスカートから覗く生脚を眺めていたのを見ていたのを知っています」
「眼科に行け」
「面と向かって言うのは憚られたのですが、蓮太郎さんは非常に不幸そうな顔をしていますね」
「うるせえ」
集がそう返すと少女はクスクスと笑う。
俺は毛ほども楽しくねえよ、と喉まででかかったが、彼女の嬉しそうな顔を見ていると言葉に詰まる。
「……なーんてね、冗談ですよ。やっぱり優しいですね、蓮太郎さんは。前世では相当モテてたんじゃないですか?」
「世辞はいらねえ。結局想い人にはいつまでも弟扱いされてた───」
ふと、口を止めた。頭の中に一瞬、誰のものかも分からない記憶を垣間見た気がした。しかし、いつまで経ってもその記憶は蘇らない。
気の所為だったのか?集は空いていた口を閉じた。
「……そう言いながらも、蓮太郎さんに惹かれていた人はいるはずですよ」
彼女は口角を上げて微笑む。集はなあ、と言った後に口を閉じた。
そういえば、目の前の少女の名前を知らない。
「ん?どうかしました?」
彼女は可愛らしく首を傾げる。
暫くして、集の意図を察したらしく顔に悲しそうな笑みを浮かべた。
「……私の名前、ですか?」
「……ああ。知らねえからな」
彼女はそういえばそうですね、と呟くと、暫く考え込むような素振りを見せ、困ったように顔を上げた。
「蓮太郎さん」
「んだよ」
「私、自分の名前がわかりません」
「───はあ!?」
そして少女はそうだ、と言うと集を指さす。
「なんだ?」
「今、この時、この場所で。私の名前、考えてくれません?」
「……つまり、俺に名付け親になれと?」
「はいッ」
「他所を当たれ。専門外だ」
「そんなこと、仰らずに」
集はメモ紙に室戸菫の電話番号を書くと、少女に手渡す。
「先生の電話番号が書いてある。そこに電話して名付けてもらえ」
「あんなマッドサイエンティスト嫌ですよ」
死体にジョニーとか名前をつけて愛してるとか言っている変態、どんな名前をつけられるかわかったものでは無い。よくよく考えたらわかった話だ。
集は仕方ねえなと頭をかいた後に諦めと共に大きく頷いた。
「わかったわかった。だから顔近づけんじゃねえよ、酒くせえ」
集は溜息をつきながら思考をめぐらすと呟く。
「トメ」
「却下で」
「十香」
「私と蓮太郎さんが会ったのは15日です」
このやり取りは数分に渡って行われた。
最終的に辿り着いた唯一の名前。というよりも、これは最初から候補だった。
「イア」
「……理由を聞かせてもらいませんか?」
理由は至極簡単。某キャラクターといのりの外見がそっくりだからである。加え、今のいのりは瞳が蒼いので差別化するにはちょうどいいと思ったからである。
「……そんなことだろうと思いましたよ」
「文句あるなら先生に電話して決めてもらうぞ」
「いえそれはやめてください。こんなことは言いましたがその名前、気に入りました」
「因みに漢字で書くと癒すに愛だ」
よくこんな台詞がペラペラと自分の口から漏れるな、とボヤく。
しかしそんな集を他所に少女は「イア、イア、かぁ」と呟いている。
「お気に召さないならまだ考えるが」
「……いえ、とっても気に入りました!」
いのりさんが決して見せない最大級の笑顔に少し違和感を覚える。
集はどう反応しようか困っていると新たな気配が生まれた。
「おーおー、いい雰囲気になっちゃって」
振り向くと春夏がこちらを見ていた。
「……寝てたんじゃなかったのか」
見られていたか、と訝しむも酔っ払いに何を言っても無駄だろう。
集は気に留めないことにした。
「いやさー、明日にパーティがあったの忘れそうだからさー、起きたのよ」
「そうか。頑張れよ」
興味無さげに手を振る。その時、春夏の手が閃光のように集の手を握った。
「お願い!集!!ドレス探すの手伝って!!」
「春夏が部屋を荒らした時からそんなことだろうと思ってたよ……」
席を立ち上がり、癒愛を見下ろした。
「……少し待っててくれ。なるべく早く戻る」
癒愛は俺の意図を察したのか、緩んだ表情を元に戻すと頷く。
「……さて。どんなドレスが必要なんだ?」
春夏の部屋に入るなり、集は彼女に問いかける。
「お偉いさんの付き添いのね……ちょっと待ってて、とう!!」
「ちょ、待て、おいッ!!」
集の制止も空しく、春夏はクローゼットの中身をぶちまけた。ちなみに、春夏は家事全般が一切出来ない女なので、片付けるのは集である。
「さあ!この中から探すのだ!!」
集は頭を抱えたくなった。こうなる前に写真を見せろと言うべきだった。
溜息を付きながらドレスらしきものを探していく。
黙々と探していると、春夏が集を後ろから抱きしめてくる。
邪魔だよ、と言おうとすると春夏は耳元で呟いた。
「いのりちゃん」
「……?」
「いのりちゃん、いい子じゃない。集には勿体ないくらい」
世間知らずのところはあるが、確かにいのりは純粋な娘だ。
「……そう、だな」
春夏は優しく微笑むと、集の頭を春夏の胸に抱き寄せた。
「おい、春夏お前……ッ」
「あら、スキンシップはいけない?」
「……ったく。好きにしてくれよ、もう」
諦めたように溜息をつく。しばらくして、服の山の中から紫色のヒラヒラとしたものを見つけた。それを引っ張り出すと、集は春夏の前にそれを突き出した。
「ドレスというのはこれのことか?」
「……そう!それ!私の一張羅!これで明日のパーティは大丈夫ね!!さすが私の息子だわ!!」
こんな時ばっかり俺は自慢の息子かよ、と喉まででかかったが、集は息を吐く事で事なきを得た。
「それじゃ、僕は大人しく風呂に入って寝るよ。明日も学校だしさ」
欠伸を噛み殺しながら春夏の部屋から出ようとする。
「集」
春夏に呼び止めら、集は訝しみながら振り返る。
「なんだよ」
「いつもありがとうね」
「……例え血が繋がってなくたって、俺たちは親子なんだから当たり前だろ───母さん」
ムズ痒いものを感じながら、集は春夏の部屋を後にした。
救いは(期限:The Everything Guilty Crown 投稿まで)
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必要
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不必要