脱出のため、駆け出しながら、集は涯に向かって訊ねた。
「コアが壊れるとどうなるッ!?」
「姿勢制御がつかなくなり、どんどん急降下を始める」
「つまりどういうことだ!!」
「質量を保ったまま東京に落下。綺麗なクレーターが出来る」
血の気が引くのを感じた。
つまり東京都市部は間違いなく壊滅、都市にいる人達はまず助からない。
涯は小さく息を吐くと、集に手招きをする。
「おい。あのボールペンはどうした」
「あの奇妙なボールペンのことか?それならここにある───」
瞬間、集はホルスターからXD拳銃を抜き、何も無い空間に銃口を向けた。
「おい、何してんだお前───」
「嘘界のおっさん。そこにいるのは分かっている。そのご立派な義眼を撃ち抜かれたくなければその銃を下ろせ」
集がそう言うと、風景が途端にゆがみ始める。そのゆがみが一枚の布になると、中から道化師のような男、嘘界が現れた。
コートの内ポケットからボールペンを取り、手渡しながら睨みつける。
「おやおや、気づかれてしまいましたか」
嘘界はボールペンを凝視すると、口の両端を三日月上に歪ませた。
「どうやら押さずに済んだようですね。桜満集君」
「はッ!俺の身の安全を保証しなかったあんたなんか信用出来るかよ。お前、同情しているようで一度も俺の身なんて保証してなかったろ?」
「おや、聞き流しているものかと思っていたのですが。どうやら優秀なようですね、君は」
「……御託はいい。何の用だ」
集がトリガーに手をかけたところで、嘘界は両手を上げた。
「いえいえ。いま用があるのは桜満集くんではありません。そこの、恙神涯───葬儀社のリーダーに用があるのです」
嘘界がそう言うと、涯は分かっていたかのように嘘界を睨んだ。
涯の殺気だった視線を飄々と受け流す。
「取引だ。こいつで衛星をなんとかしてやる」
「ほう?」
「その代わり一連の事件で得た桜満集に関するデータを全て抹消しろ」
涯の突然の言葉に集は思わずはあ!?と声を上げる。
「いいでしょう。その代わりしっかりとやってくださいね?」
どういうことだよッ!と叫ぶ集を横目に、涯は一瞬だけ集の方に目を向けて、嘘界の後ろをついて行く。
嫌な予感がして、集は涯の肩を掴んだ。
「涯、お前犠牲になろうなんて考えてねえよな?」
「……」
涯は答えない。
「……答えろよ」
「……」
涯は答えない。
「答えろって言ってんだろ!恙神涯!!」
涯の胸ぐらを掴む。左手のボールペンを奪い返すと、集はそれを涯の目前に突き出した。
「これの正体はなんなんだ!」
「……」
「言えッ!恙神涯ッ!!」
集の剣幕に涯は目を伏せると仕方がない、と言わんばかりに首を振りながら話し始めた。
「……これはルーカサイト発射装置だ。ペンのシグナルはルーカサイトと繋がっている。ボタンを押したらそのペンを標的にレーザーが発射される」
集はその言葉を聞いて、なおのこと涯を行かせるつもりなどなかった。
しかし、突然鳩尾に走った激痛に思わず顔を顰めた。
「……もういいんだ、集」
涯は一瞬、笑うと集のボールペンを奪う。
そして、嘘界の後ろを着いていき、姿を消した。
目前が暗くなっていく。血を流しすぎた体を無理言って動かし続けたのと、今の激痛が仇になったのだろう。
意識を繋ぎとめておきたいのに、どんどん意識が遠のいていく。
───これまでか。
そう思った直後だった。異変が起きた。
急に視界がクリアになったかと思うと、その空間は見覚えのない空間だった。
夢でも、見ているのだろうか。
「……どこだここ」
赤が目の前に広がっていた。その赤は芸術のような綺麗な赤ではなく、ドス黒い血のような赤だった。
天を仰ぐ。無限に広がるかの如く、闇が広がていた。その中で幾つも輝く星。
まるで一つ一つがまるで、生命の輝きのようだ。
『……お前が王の能力の継承者か』
「!?」
突如、背後から聞気覚えのない男の声に肩を揺らしながら集は振り向いた。
赤いコートを着込み、背丈は集よりも高く、目深にフードを被っているため、顔がよく見えない。
しかし、そのフードの間から覗くその“赤”だけは確認することが出来た。
「……お前は」
『名乗る名前はない。が、俺を指す名前ならある。嘗ては『スクルージ』と、そう呼ばれていた』
スクルージ。
1843年のクリスマスにあわせて発表。けちん坊の老人スクルージが、クリスマスの前夜に幽霊の訪問を受けて自分の過ちを教えられ、後悔して温かい心の持主になる物語。個人が同胞に対して善意を抱くことこそ社会改革の基本である、というディケンズの信念を示した作品であり、今日に至るまで圧倒的な人気があり、ディケンズすなわちクリスマス精神という一般的評価を確立するのに貢献したという内容だった。
しかし、この男はどこからどう見ても老人じゃない。
『けちん坊……そこだけならあっているな』
と、スクルージと呼ばれる男は自嘲気味に笑う。集の横まで移動すると、スクルージもまた天を仰ぐ。
「……ここは一体?」
無意識にそう呟いていた。
スクルージは視線を集の方に向けて質問に答える。
「ここはアポカリプスウィルスによって死んだ人間達の生命が最後に輝く場所、とでも言っておこうか」
「……つまり最後くらい輝かしてやろう。そういうことか?」
「違うな。輝かしてやろうではなく、
スクルージの言葉に集は歯を噛み締めた。
もし、それが本当だとしたら───
「死んだ人間は一生救われないのか?一生、アポカリプスウィルスに囚われたままなのか?」
「そうだ」
スクルージは無情にもそう呟く。
「……お前はそれで納得してんのかよ」
思っていることがどんどん口から漏れていく。本来の性格が曝け出されているようで、あまりいい気はしない。
「……」
「お前も奴らみたいに適応しろ、そう言っているのかッ!?」
スクルージの胸ぐらを掴み上げる。
「適応、か。随分と懐かしい言葉だ。少なくとも、俺が適応出来ていたかどうかと答えるとするのであれば答えはノーだ」
スクルージは光を発する両眼で集を瞳に映した。
「俺には無しかない。どこで生まれたのか。本当の名前は何か。家族構成は、年齢は、友達や恋人。何もかも覚えていない。俺がしてきたことは淘汰。現在、お前ら葬儀社がしていることと何の変わりもない」
「……なに?」
「こんな俺が。こんな薄汚い世界に適応しているとでも思うか?」
スクルージは有無を言わせず、集を見据えた。
「……世界は常に選択を迫る。黙って世界に淘汰されるか、適応して自分が変わるか。だが、その二択と決まったわけではないだろ?桜満集。いや───ここでは里見蓮太郎と呼んでおこうか。この世界のイレギュラー因子よ」
スクルージの言葉に集は容赦のない拳を放つも、その拳は空を切り、スクルージは集の背後に回っていた。
集は眼球運動だけでスクルージを睨み、唸るような声で呟く。
「……どうして俺を知っている」
「この空間は意思の疎通が会話なしで行う事が可能だ。真の王の力を持つ人物がどういう人間かということでお前の記憶を覗かせてもらった」
スクルージは左手を集の顔の前に突き出し、こう言い放った。
「……お前、過去の記憶をどこまで持っている?」
「どこまでってどういう意味だよ?」
「……いや、何でもない。忘れろ」
すると、周りの空間が崩れ落ちるかのように光が差し込んできた。
「時間か」
スクルージは集に背を向けながら、闇の中へと消えていく。
「おい!どういうことだ!俺の記憶、だと!?」
集の言葉に、振り返ることなくスクルージは言う。
「いずれわかる事だ。もしわかったのなら、もう一度俺の元に来い……その時は───」
───力を、くれてやる。
辺り一面が眩い光に包まれた。
唸り声を上げながら、目を開くといのりが顔を覗いていた。
どうやら、あのまま気絶してしまったらしい。朦朧とする意識でなんとか体を持ち上げると、いのりは集の体を支えた。
「おはよう」
「……ああ、おはよう。涯は?」
いのりはふるふると首を振る。どうやら行ってしまったようだ。
「……涯から伝言を預かってる。『お前が勝手に死ぬのは自由だ。だがお前が大事だと言ったお前の友達はどうするんだ?』って」
「……」
祭や颯汰、谷尋達らと馬鹿やるのも楽しい。どうでもいいことで笑って、楽しんで。テロリストとは真逆だ、身の安全も少なからず保証されている。みんなとの思い出はかけがえのないものだ。だけど。
「……目の前の誰かを救えないようじゃ、俺はあいつらに合わせる顔がない」
集の雰囲気が剣呑なものに変化する。桜満集という人格から里見蓮太郎という人格に変化。集のその変化を感じ取ってか、いのりは目を伏せた。
「……覚悟だけは、出来た。そういうこと?」
「……ああ」
誰が止めようと、止まるつもりはない。そして、死ぬつもりも毛頭ない。
集が立ち上がると、いのりは顔を上げて言った。
「───やっぱり。貴方はあの時のまま。優しいままです」
いのりの方から、そんな声がした。いのりの声のままだが、トーンが違う。口調が違う。
「……目の見えない私が道端で歌を歌っている時、沢山のお金をくれた優しいプロモーターさんだったんですね」
「……!」
集がいのりの方を向いた時、いのりがおもむろに集の両頬を小さな手で包んだかと思うと、その唇を重ねてきた。突然の行動に目を白黒とさせる。
数秒ほど唇を重ねた後、いのりは集から口を話すとなるほど、と呟く。
「……蓮太郎さん、というのですね、では。蓮太郎さん……救いたいですか?みんなを」
「当たり前だっ!」
なにを当たり前のことを言っているんだと、言おうとして固まった。
周囲はさっきまでいた空間では無く、初めていのりからヴォイドを抜いた時に見た白くコンピューターの仕組みを視覚化したような光景が、あの時の再現のように集といのりの周りを包んでいた。
いのりが目をゆっくりと開く。その目は見慣れた赤色ではなく───すべてを包み込んでしまうかのような、蒼色。
「貴方の願い、聞きました」
俺の左手が無意識の内に動き、いのりのヴォイドを取り出す。
暫くすると、いのりのヴォイドと城戸のヴォイドがゆっくりと融合していく。
「───何が起きてッ!?」
目の前に起きていることを集は理解出来なかった。
涯は星が見えない夜空を睨んでいた。
思えば涯には迷いが無かった。
エレベーターで集が気絶した後いのりが言った通り、自分がここで死ねば葬儀社が瓦解することは分かっている。
その後は新たなリーダーが彼らを導くのだろう。葬儀社を抜けたい者は、いいきっかけになるはずだ。そして、集もデータが消えれば、自由の身だ。今までどおりの生活を送れる。
───それが、恙神涯となった自分に出来る唯一の贖罪だ。
『涯、のこり三分……』
涯はそうかとツグミに返し、夜空を睨む。夜空そのものに戦いを挑む様に、ペンをかざす。
「さあ勝負だ。淘汰されるのは俺か……それとも世界か」
ふと涯の脳裏に、十年間1度たりとも忘れることがなかった、自分が戦う一番の理由の、最愛の人が浮かぶ。
「……真名。もう一度お前に……」
涯がそう呟き眉間に皺を寄せたその時だった。
「……違うぜ。淘汰されるのは世界でも、お前でもない」
ここにいるはずのない声の持ち主に目を見開きながら後方を振り返った。
「消えるのはあのデカブツだ」
巨大な銃剣の切先を天空に向けながら、集は呟いた。
「何をしている!?」
涯が集に駆け寄ると、集は涯の方を見向きもせず言う。
「なんでかは知らないが、ヴォイド同士が融合したんだよ。それで、こいつを使えば世界を変えられるって、見たこともねえ誰かが言ってた」
その時の光景は数十分前に遡る。
まさかヴォイドが融合するとは考えもしていなかった集は途方に暮れていたが、すぐに首を振って再び戦場へと駆け出した。
途中、エンドレイヴの群れに遭遇したものの、いのりの剣による攻撃と、王の力発動時の身体能力強化によって、ものの数分で無力化することが可能となっていた。
因みに、数十分の時間を要したのは涯を探していたからである。決して道草を食っていたという訳では無い。
集は一瞬、涯の方に視線を向けると、鼻で笑う。
「お前の後ろ姿、笑いものだったぜ。まるで死に急いでいる映画の登場人物を見てるみたいだった」
「お前ッ!」
「どうせ、俺が死ねば皆解放されるとかそんなこと考えてるんだろ」
涯は思わず固唾を呑んだ。集はあのな、と続ける。
「お前が死んだって解放されない人間だっているんだぞ。死ぬなら、せめて使命を果たしてからにしやがれッ」
王の力と二一式黒膂石義眼によって強化された視力でルーカサイト到着までの距離を測る。もうすぐ大気圏に突入する所だった。隕石並みのデカさの兵器がまさに東京に降り注ごうとしている最中だった。
「突っ立ってんなら手伝えよ」
「……はは、やっぱりお前はそういう奴か」
「喧嘩か?もしそうなら後で買ってやる」
「いいや。違う」
涯は一瞬笑うと無線越しにいるツグミに向けて声を張った。
「ツグミ!カウントダウンだ!」
『アイアイサー!カウントダウン10秒前!!』
銃を構え、トリガーに手を掛ける。刃の前で巨大な光球が作られ、バチバチと稲妻を発する。
「……頼むぜ。当たってくれよ」
狙いを義定める。
『3!2!1!』
「当れェェェ!!」
稲妻から巨大なレーザーが放たれ、ルーカサイトを真っ二つに両断。
大爆発が起きて、その小さな破片が空中に飛び散った。
「……ふぅ」
王の力を解除すると同時に、大きな疲れが押し寄せてきた。
仰向けに転がり、夜空を見上げている。
さきほどまで星が全く見えていなかった空に、大量の流れ星が夜空を支配していた。それは、しし座流星群を軽く上回る。
幻想的な光景に茫然としていると、その隣に涯が座り込んだ。
「バカな奴だな……」
「んだとてめぇ」
飛び掛ってやりたいところだが、今日は色々とあって疲れてしまった。だから、罵声を浴びせるだけで勘弁してやろうと心に誓う集。
そんな集に気づいていないのだろう、涯は呆れた声を漏らす。
「どうして来た。俺が死ねばお前は自由だった」
「……言っただろうが、『地獄の果てまで付き合ってやるよ。お前の行く末を、この国が変わる最後まで見守ってやる』って───」
集の答えを聞いた涯は呆れたような嬉しいような、よく分からない笑みを漏らす。
「それに、俺はお前を信じるって決めたからな」
痛む体に鞭を打ちながら、集は座り込む涯に手を差し伸べる。
「晴れて、俺もお前ら葬儀社の仲間入りだ───そうだろ?」
「……ああ、そうだな……」
涯はその手を、しっかり握った。夜空はまるで祝福する様に、星の雨を降らせ続けた。
その数分後、GHQのサーバーから、桜満集と葬儀社に関与する全てのデータが抹消された。
ルーカサイトの消滅。
この報告を聞いた茎道は、腸が煮え返りそうな程の怒りに支配された。
世界を再生させるための檻が、このような形で失われるとは誰も予想していなかったろう。茎道は拳をグッと握り締める。
『ありがとう……シュウイチロウ……』
茎道は、声のした方向を見る。
『コキュートスが震えました。彼女はまもなく目覚めます───』
天井に立ち、茎道を見上げる人物がいる。
金髪を揺らす少年のように見える人物だが、年齢を感じさせない不気味さがあった。
『愛しい彼女の王を求めて……彼女は目を覚まします……』
その報告を聞いて、茎道は喜びの感情に満たされ、口元に深い笑みを作った。
『……どうやら、どうしょうもない計画を企んでいるらしいな』
「『!』」
金髪の少年と茎道は声の方向を振り向く。
ノイズがかかり、顔はよく見えない。
だが、彼を。金髪の少年は知っていた。
『……どういうことです?貴方は、右腕のみを残して死んだ筈ですが?スクルージ』
『そんなこと、俺が一番知りたい』
スクルージは殺意の篭った眼差しで金髪の少年を睨んだ。
『実態のない貴方じゃ、僕を殺すことなんて出来ませんよ』
『俺じゃなくてもお前を殺せる人間はいる。例えば───序列96位『
スクルージはそう言うと空間に溶け込むかのように消えていった。
夜空に流星が降り注いでいる。
それを背景にして天童木更は《活人剣*1 焔光》を手に立っていた。
その足元にはエンドレイヴや屍が山積みにされていた。
「あれが……ヴォイド……」
夜空に轟く雷光を目にした木更はヴォイドが放つ輝きを目にしていた。
美しくもどこか悲しげな光。彼女からはそう見えた。
木更はヘッドセットに手を当てて先程から喧しく鳴り響くコールに出た。
『なあ木更。任務ならとっくのとうに終わったやろー。早く帰ってきたらどうなんや?』
「あのねぇ……少しくらい時間くれたっていいじゃないのよ。
『そんなこと言ったってあんたを救えるのは私なんやでー?』
「ぐっ……ああもう!帰ればいいんでしょ!帰れば!」
『素直でよろしい!』
そんなやり取りを天童木更と美織───序司馬美織は外線越しに行っていたのだった。
不義・不正・迷いなどを切り捨て、人を生かす正しい剣。対となる言葉は殺人剣。
禅宗で、師が弟子の自主的な研究にゆだねることを言います。
仏教の禅宗でいう修行者の指導方法の一つで剣法の真剣に例えたものであり、相手を受け入れて進ませるのを活人剣、逆に厳しく突き飛ばすのを殺人刀という。
救いは(期限:The Everything Guilty Crown 投稿まで)
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必要
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