きの子抄   作:星輝子

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その6

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 振り返りってテーマでアイドルとしての初仕事のことを書き終わってしまうと、どうにも続きが難しいな。もちろんあの事件からいまこうやってこっそり部屋で書くまでにはいろいろあったんだけど、あれ以上の衝撃となるとやっぱりそんなに数はないんじゃないかと私自身そう思ってしまうところがある。ずっとぼっちで生きてきて、世のリア充どもを敵視してきた私が、もっと面白いことがあればよかった、なんて悩むのはお門違いだとは思うけどな。人間という生き物がわがままになる過程を私はいままさに体験しているのかもしれない。

 しばらく前にテレビを見ていて、逆転の発想だったかな、そんなような感じの言葉が出てきて、書くことに悩んでいる私の頭にふっと浮かんできたから、その思考方法に頼ってみようか。

 いっそのことアイドルとして活動してない部分を書いてみよう。現に前にも普段の生活みたいなものを書いたし、そういう、外には出ないようなところも私であることに変わりはないからな。振り返りとしては必要だろう。

 

 私を支えてくれているのはファンの人たちももちろんそうだけど、トモダチっていう存在もやっぱり大きい。なにせ私はぼっちだったから、安心感のあるつながりみたいなものはこれまでほとんど経験がなくて、それはすごく寒い日にお風呂に入ったときの、あの足先なんかがむずがゆくなるような温もりだったんだ。誰かから教わったことがなくても、じんわりと体に馴染んでいくのが初めからなんとなくわかっているっていうのも感覚として近かったんじゃないかっていうふうに思っている。

 トモダチについて書くということになると、ちょっと時間をさかのぼることになる。具体的には宣材写真を撮るよりももっと前のころからになるな。時系列がばらばらになってちょっと申し訳ないけど、これはこれで、なんだか文学っぽい感じがしないか? しませんか、そうですか。

 

 

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 前にちょっと書いたけど、あれじゃ説明が足りないと思うからもうすこし事務所のことを書いておこうと思う。私たちが普段いる部屋にはアイドルのみんなと親友を含めてプロデューサーっていう立場の人が何人かいて、簡単に言えばひとつの部屋を共同で使ってるんだ。もちろんそれぞれにそれぞれの担当アイドルがいて、だけど部屋でまとめてひとつの部署ってことになっている。机はプロデューサーひとりにつきひとつ。じゃないと仕事ができないしな。それで、そんな感じの部屋がいくつかあって、346プロはそういうふうにして成り立っているらしい。これはアイドル部門に限った話らしいと聞いている。ただ、前にも書いたかもしれないけど、別に部署が違ってもユニットを組んだり一緒にお仕事をすることはよくある。というかユニットを組むときはたいてい部署の枠を超えるからな。そのあたりのことを気にしてるアイドルはたぶんいないんじゃないかと思う。

 

 話を戻そうか。私のぼっち属性を考えるとなかなか信じにくいかもしれないけど、私にアイドルのトモダチができたのは二回目に東京に来てすぐ、オーディションじゃなくて、寮に入るために東京に来てすぐのことだった。

 八階の案内板で親友に声をかけられて、たしかここまでは前に書いたよな、話を聞いてみると、今後の説明とか施設の案内とかで今日は忙しくなるぞって言われたんだ。でも実は私はそういうのはそこまで苦手じゃない。だって黙って話を聞いてれば何も問題なく事態は進行していくからな。でもすぐさまその案内ってわけじゃなくて、親友にも仕事があって、代わりに案内役を頼んだからちょっとのあいだその人を待っててほしいってことだった。

 この時もまだ親友とは出会ったばっかりだからろくすっぽ話せなくて、なんか言われるがままに待つための部屋に連れていかれた。いまでも思ってるけど基本的に346プロは綺麗で、ときどき自分なんかがいるのは場違いなんじゃないかって心拍数が上がることがある。やっぱりその待合室みたいなところも綺麗だった。ここ最近で疑問に思うようになったんだけど、社会に出ると部屋にでっかい水槽が置いてあるのは当たり前なんだろうか。

 親友は部屋を出ていくその直前に、そういえば私と同じような立場の子が来るから仲良くしてやってくれ、って言うだけ言って行ってしまった。同じ立場と言われてもどんな立場なのかすっと答えが出て来なかったのは仕方ないと思ってほしい。ぼっちがいきなりアイドルとか言われて東京に引っ張り出されて、すぐに自覚なんてできないのは当たり前だろう? 私が考えをまとめ切らないうちに姿を消すのはひどいと思ったけど、まあ、仮に親友が部屋で待ってたとしても結局は何も言えなかっただろうから私は残された部屋でひとりニヤニヤごまかし笑いをするしかできなかった。

 そこは建物の内部にあったんだろうな、窓のない部屋で、ちょっと窮屈な感じがあった。けれど狭いところが好きな人が積極的に気に入るようなタイプの部屋ともまた違う部屋だった。狭くて落ち着くんじゃなくて、なんかただ圧迫感みたいなものがあるだけの、そんな部屋。精神的な状況が影響してたって言われたら何も返せないけど。

 

 人が来るっていう時点で私はもう緊張は避けられなくて、時間がどれだけ経ったかなんて数える余裕はちっともなかった。それに、どうせとんでもなく可愛いリア充の権化みたいなアイドルの卵そのものが来るんだろうっていう考えにたどり着いてから、どんどん考えは卑屈になっていった。まともに声を出してあいさつできたら満点だな、くらいに思うようにはなってた。

 がちゃり、とゆっくりドアノブが鳴って、それはクラス替え直後の自己紹介の時間で私の出番を告げる先生の声と同じレベルで終わりを告げる音だった。案内役の人なのかアイドルの卵と思われるほうなのかはわからなかったけど、私がビビってたのはたぶんこれを読んでる人には想像がつくんじゃないかと思う。ぼっちってそういうものだからな。私はドアが開いたら自然に隠れる位置に陣取って、横目でちらちらドアのほうをのぞき見しまくった。すぐには何も見えなかったけど、すこしするとやっとドアの陰からさらりとした髪が覗いたんだ。色は白っぽい系統の金色だった。そんなに長くなくて、顔が見える前に髪だけが見えたから、なんだか不思議な感じがしたな。

 続いて小さな頭がちょこんと出てきて、きょろきょろと何かを探すように視線を飛ばし始めた。そりゃそうだよな、たぶん人が待ってるって言われて入ってきたのに誰も見当たらないんだもんな。全面的に私が悪いやつだ。ドアからすっかり全身が見えるくらいになって、ようやく入ってきた女の子が私を見つけたみたいだった。私は初対面の人と目なんて合わせられないから、シイタケくんの鉢植えを持ち替えまくることで気を紛らわせながら、ずっと右の壁と左の壁のあいだで視線を往復させ続けてた。ちらちら視界に入る女の子は特徴的な見た目ではあったけど、やっぱりむちゃくちゃに可愛い子だった。

 髪は肩にも届かないくらいなんだけど、あれは最近教わった髪型の類型でいえばアシメっていうのか、左右非対称で片目が隠れるくらいに前髪が長かった。だぼっとしたパーカーは暗めの色もそうだけど袖が長いのが印象的で、その子の手はすっかり袖の中に納まってた。もうみんな気付いてるし知ってるよな。私と同じタイミングで346プロにやってきたのは白坂小梅ちゃんだったんだ。

 私も小梅ちゃんもどっちも声を出さないまま、なんだか居心地の悪い空気が流れた。仲良くなると積極的なところが出てくるとはいってもその時の小梅ちゃんは私と初対面だったし、私に関してはそういう能力を期待するほうが間違ってる。たしか小声でどもりながら “ど、どうも” なんてお互いに言っていたような気がする。まさかソファに座れるほど心にゆとりがあるわけもなくて、私たちは微妙な距離感を保ったままぽつんと突っ立ってた。

 

 やっぱり時間の感覚はなくて、私からすると十五分ぐらいは経ってたような気がするんだけど、はっきりしたところはよくわからない。とにかくそれだけもじもじしてると閉まったはずのドアがまた開いたんだ。別に勢いよく開いたとかそういうわけでもなかったんだけど、開いた直後にはものすごく元気な声が聞こえてきた。

 

「いやあごめんなさい、少々お待たせしてしまいましたね! でも大丈夫ですよ! これからカワイイボクがこのビルの案内をしてあげますからね!」

 

 私と小梅ちゃんは開いたドアで死角になるところにいたから入ってきた子は見えなくて、その子からも私たちの姿は見えないはずで、だからそうやって元気よく声をかけているのはすごく不思議だった。実際そのとき私と小梅ちゃんはまだまともに会話もしてなかったのに目を見合わせていっしょに首をひねってた。いま思えばあれはひとつの連帯感って言えるのかもしれないな。普通じゃない状況は連帯感を生みやすいってどこかで聞いたけど、どこだったかちょっと覚えてない。

 

「……おや? すでにここで待っているっていうふうに聞いたんですけど。さてはプロデューサーさんウソでもつきましたか?」

 

 そう言ってその子はキョロキョロと部屋の中を探索し始めた。小梅ちゃんとは違う感じの、わかりづらいかな、それこそ待ち合わせ場所でトモダチを探すようなスピードだった。私たちの位置からは、次第に閉まるドアの動きもあって、ちょこちょこ頭が見えたり服が見えたりしてた。まあ気付かれるのは時間の問題だった。気付かれちゃいけないどころか本当なら顔を合わせなきゃいけなかったんだけどな。

 私と小梅ちゃんはその場でじっとしてた。小梅ちゃんは違うけど、こういうとき自分から動こうとしないのがぼっちだ。覚えておくといずれ役に立つかもしれない。その時の私はさっきまでの気まずい状況と、突然に訪れた変化で脳の処理が追い付いてなかったっていうのもあって、引きつった笑いをしてたような記憶がある。というか東京に来てからしばらくはそんな顔をしてたことが多かったような気もするんだけど、これは、まあ仕方のないことなんだ。はい。

 やっとその子がこっちに視線を向けて、やっと私たちもその子の姿を確認することができた。一見して驚いたっていうのは誇張でもなんでもなくて、なんか特別なスポットライトが当たってるんじゃないのかって疑うくらいに眩しかった。余計なことは言う必要もないよな、カワイイを体現した女の子がそこにいたんだ。なるほどこいつは住む世界が違うぜ、と一発で理解させられたような記憶がある。

 

「ああなんだ、こちらにいらしたんですか。ようこそ346プロへ、世界で一番カワイイボクの名前は輿水幸子といいます。覚えておいて損はないと思いますよ。おっと、遅れましたね、これからどうぞよろしくお願いします」

 

 そう言って幸子ちゃんは丁寧にお辞儀をした。こんな同年代くらいの女の子から、いや年代を考えなくたってそうかもしれない、礼儀正しい挨拶をもらったのは初めてで、私はやっぱりどうしていいかわからなかった。もうその時には小梅ちゃんのことは私のあまり多いわけじゃない脳のスペースからはすっ飛んでしまうくらいにテンパってた。具体的には小梅ちゃんのほうを見るとか、そういった選択肢がまったく浮かんですらこなくなってたんだ。

 ただただ手元のシイタケくんの鉢植えに目をやったり戻したりしてあわあわしてたら、運良く事態は進行した。というか幸子ちゃんが進めてくれたって言うべきだな。もしかしたら幸子ちゃんは事情を察してくれてたのかもしれないけど、まだこの時のことを聞いたことはないから、ちょっと怖かったりもするんだ。もっと時間が経ったら悪い話でも笑い話にできるかもしれないから、まだまだ聞かないことにしようと思ってる。そしたらいつの間にか私たちも大人になってるのかもしれないな。すいません。話が逸れました。

 

「ふーむ、ボクほどではありませんが、お二人ともなかなかカワイイですねぇ。お名前はなんとおっしゃるんですか?」

 

「あ、あの……、し、白坂……、小梅……」

 

「ほ、星、輝子、っていいます……、フ、フヒ」

 

「小梅さんに輝子さんですか。なるほどカワイイお名前ですね、あとでどんな字を書くのか教えてください」

 

 思い返してみると幸子ちゃんのこういうコミュニケーション能力はヤバいと思う。ぼっちの私からすると信じられないような技術だ。私なんか名前を聞くだけでも大変なのに、当たり前みたいに他人をほめるのってこれはすごいことだよな。当時は緊張してて気づかなかったけど、実際このちょっとのやり取りだけで私の心理的な壁はちょっと薄くなってた。いまでも誰かに頼ろうと思ったら幸子ちゃんが選択肢の中に浮かぶのもこの時の影響が大きいのかもしれない。

 

「さて、じゃあとりあえず荷物だけ置いて行きましょうか、けっこう長丁場になりますからね。心の準備はいいですか、小梅さん、輝子さん。けっこうびっくりするような施設もありますよ」

 

「え、ど、どんな……?」

 

「そうですねえ、たとえばボクが使ったことがある範囲ならミストサウナなんかがありますよ」

 

 緊張を解くための冗談かなんかだと思ってたんだけどな。

 

 

・・・

 

 

 これがアイドルになって初めてのトモダチとの出会いで、いまでも私が頑張れている理由のひとつなんだと思う。いや、トモダチに優劣をつけるんじゃなくて、これまでずっとぼっちだった私にトモダチができたってことが何より大きなことだったんだ。正確にはきちんと仲良くなるのはまだ先なんだけど、でももう私の中では大事な思い出の始まりとして捉えられてしまっているからな。たぶん、この辺りのことは一生忘れないんじゃないかと思う。もちろんそれはこのときの二人だけじゃなくて、いま仲良くさせてもらってる人たちとの出会いも全部ってことだ。

 普段の話なら面白い話はたくさんあるんだけど、そこはみんなのプライバシーに関わってきちゃうから、これ以上書けないっていうのは許してほしい。これは誰にも言わずに書いてるから許可も取れないし。それに振り返りってテーマだってことを考えると思いっきりずれちゃうもんな。

 

 その当時はまったく気付いてなかったけど、この体験がいろんな自信の芽みたいなものの種になってたんじゃないかと自分では思っている。たしかに私からは何もしていなかったけど、こういう偶然が人を助けてくれるっていうことはあるんじゃないか。

 

 

 ここらへんの話はすこし照れくさい気もするな。

 

 

 

 

 

 


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