きの子抄   作:星輝子

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その1

・・・

 

 

 知らないことだらけで、こ、困る。

 

 人との接し方もよくわからない私に、それ以上のことを求められても、こ、困るに決まっているじゃないか。

 

 

・・・

 

 

 親友からこんなことをやってみないか、と持ち掛けられたのがだいたい二日前くらい前の話で、その時に私が返した言葉がはじめに並んでいる言葉だ。見てもらえばわかるとおりに、普段の会話だと基本的にどうしても私は吃ってしまう。そう考えると文章を書く、っていうこの仕事は私に向いているものなのかもしれない。私は笑い方もキモいしな。それにしても吃るって漢字だとこう書くのか、パソコンの変換機能はすごい。勉強になりそうだ。

 でもだからって出されたテーマについて書けるとはすこしも思ってなくて、それを親友に話したら、書けなかったらそれでもいいから試しにやってみな、って言われたんだ。だからちょっと悩んで、結局はやってみることに決めた。挑戦は大事なことだしな。

 

 書くのは “これまでの振り返り” だ。いちばん初めに書かなきゃいけないことを、ここへ来てやっと思い出して書いてるくらいだから、きっとうまくいかないんだろうな。

 

 

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 登場人物、というか、親友については説明しておかないと混乱するひとが出てくると思うから、先に書いておくことにする。親友は、私をアイドルの世界に引っ張ってきたプロデューサーという立場の人だ。いろいろとすごい人で、いろいろあって親友と呼ぶことになった。ここで一気に書こうとすると長くなりすぎるから、たぶん分けて書くことになると思う。いちおう、私は星輝子といいます。キノコが好きで左利きです。

 きっとこれから書いていくなかで、他にもトモダチが出てくると思うけど、それについてはそのたびに説明しようと思う。

 

 振り返りとなると、やっぱりいちばん最初は親友との出会いの話になると思う。

 その日はふつうの晴れで、あまり得意な天気じゃなくて、私はお気に入りの公園のベンチの裏の木陰に陣取っていた。そこの木の根にはキノコが生えていて、会いに行ったんだ。そこはベンチと木のおかげで一日中ずっと太陽の光の当たらないジメジメしたグッドプレイスで、私の気分も乗っていた。だから、自分で作ったキノコの歌を歌っていたんだ。誰も聞いていないしな。もともとこの公園はほとんど人が来ない公園で、まさにぼっちの私のためにあるようなところなんだ。

 だから私は何も警戒することなくキノコと触れ合っていて、そんなときに急に後ろから声をかけられた。今でもよく覚えてる。たしか私は変な声を出して心臓が口から出そうなくらいに驚いたんだ。

 私に声をかけた人は今では親友だけど、そのときは違っていて、まだただの知らない人で、私はすごく動転していた。日陰にいた私から見て親友は日なたにいて、眩しいところにいて、逆光のせいで顔もよく見えなくて、きっとあのときは怖かったんだと思う。そのとき出てきたスカウトだのアイドルだのなんて言葉は非現実的で、渡された名刺にはしっかりとしたことが書いてあったけどとても信じられなくて、あのとき誘われたアイドルのオーディションを、キノコのオークションと思い込むことにしたんだ。

 

 家に帰るころにはすっかりキノコのオークションだと思い込むことに成功していて、お母さんにそういうことが公園であったんだと話をした。不思議そうな顔をしていたけど、お母さんにとって私の属するキノコ界はよくわからない世界みたいだから、そういうものなのかと結局は納得したみたいだった。ついでにそのために上京することを許してもくれた。福島から東京に出るのと、あと名刺の裏に書かれていたオークションが始まる日時を確認して、前日に泊まりで行かなきゃならないななんて考えてた。

 コミュ障でぼっちの私がひとりで東京に行くだなんて、いま考えてもぶっ飛んだ行動だと思う。親友のシイタケくんを鉢植えごと持っていなかったら、きっと新幹線の中でテンパって大変なことになってたんだろうな。

 東京駅からクモの巣みたいに広がる電車の乗り換えをどうにかこうにか時間をかけて乗り越えて、事前にネットで予約したビジネスホテルの近くの駅で降りたころにはもう夕方だった。地元と比べてわけがわからないくらい人がたくさんいて、そのほとんどが歩くのが早かった。こう書いて伝わるか不安だけど、街のというか空気のというか、とにかくニオイが違っていた。人が思いきり間近を通っていくのにぼっちを感じさせられるような、こういう感覚があることを初めて知った。

 ビルはどれも高くて灰色で、一度行ったくらいじゃ覚えられないような街並みだった。本当はそれほど似通った建物じゃなかったのかもしれないけど、私の印象にはそう残ってるんだ。それほど迷うことなくビジネスホテルに着けたのは、奇跡に近い出来事だったと今でも思う。五階の部屋に入ったらなんだか清潔で、洗面台とかぴかぴかしてて、自分が場違いな存在なんじゃないかと思った記憶がある。それで、ホテル内で何をしたらいいかなんてまったくわからなかったから、早めに寝ることにしたんだ。

 

 次の日もすごく晴れてて、キノコ的にはあまりいい天気じゃなくて、私個人としては日陰を選んで歩きたくなるくらいの空模様だった。いつもみたいに適当な服に着替えて左耳の前の髪だけ結って準備はそれでおしまい。私の髪は長いけどそのぶん手入れが大変で、ぼさぼさになっているのがいつもの感じだったんだ。まあそのときはキノコのオークションに出るものだと思っていたから、見た目にそれほど気を遣うようなつもりもなかった。いま考えるとドレスコードがあったら一発でアウトだったんだけど、あのころはあんまりものを知らなかったんだなって思う。

 事前に地図で調べた通りのところに着いてみると、すごく大きな敷地にすごく高いビルがそびえていて、田舎者丸出しでそのビルを見上げてから視線をもとに戻した。パッと見た感じは庭園みたいで、東京という街にそぐわない庭園にそぐわない私がいるような、そんな遠回りをした奇妙なことを思ったことを覚えている。はじめは場所を間違えたかとも思ったけど、このあいだもらった名刺には同じ所在地と社名があったから目的地で間違いないみたいだった。

 それにしても周りを見てみるとやたらめったら外見偏差値の高い女子がその辺を行き来してて、私の知らない間にキノコブームが女子中学生やら女子高校生に訪れてしまったのだろうかと疑った。数少ない私の生息領域であるキノコ界もリア充が席巻するのかと思って思わず歯がかちかちと鳴り始めた。でもひょっとしたらキノコ好き同士でトモダチができるかもしれない、なんて淡い希望を抱いていたのも本当だ。そのときは大まじめにキノコのオークションに参加するものだと信じ込んでいたからな。

 

「あちらのエレベータから七階へどうぞ」

 

 入り口のところで受付のお姉さんにキョドりながらもらった名刺を見せると、そうやって優しく案内してくれた。それまで行ったことのある建物のなかでいちばん綺麗な建物だったから、歩くのでさえどこかぎこちなくなった。お気に入りだけどよれよれのロンTにテキトーなスカートだったから場違いもいいところだったと思う。私が乗ったエレベータにはたまたま誰も乗っていなくて、私ひとりが七階に向かうことになった。それからほどなくして七階について、降りてみると目の前に看板が置いてあって、そこに “オーディション控室はあちら” って書いてあったんだ。私は首をひねった。私が来たのはキノコのオークションのはずで、オーディションなんてものじゃないはずだったから。そもそもこんな綺麗な建物でいったい何のオーディションをやるんだろう、堂々とした書き間違いなんだろうか、なんて呑気なことを考えていた。だいいち出品者でないかぎりオークションに控室なんてあるわけがなくて、思い込みっていうのはほんとうに怖ろしいものだと思う。

 仕方がないからその控室とやらに入ってみると、リア充のさらに上澄みみたいな見た目をした人たちが必死にいろんなことをしていた。ノートを開いて読んでいたり、鏡を見ながら表情を作ったり。まるで小さなころに絵本で読んだ、舞踏会で王子様に選んでもらうために一生懸命なお姫様たちみたいだった。そうなると私はとんでもない場違いだった。魔法使いと出会っていないシンデレラだ。お城にたどり着けすらしないな、なんてひとりで考えてニヤニヤしてたと思う。

 

 私がそのリア充控室に着いたのは事前に確認しておいた名刺の日時のせいぜい五分前で、要するに待ち時間なんてほとんどないままに呼び出しを食らった。それも控室にいたリア充どもとまとめて。

 どこに行けばいいのかなんて全然わからなかったから動き出すのを最後にして、キラキラした連中の最後尾を冴えない従者みたいについていった。たしかこの辺りでオークションだと思い込んでいたその幻想にひびが入り始めていたような気がする。何が始まるのかわからなさすぎて、もしシイタケくんがいなければ叫びながら走って逃げていたかもしれないな。

 

 ついていった先の通された部屋は、妙に広いのに長机とその向かいにいくつか椅子が置いてあるだけの変な部屋だった。机には偉そうな人がふたりと、若い人がいた。いまではどの人も面識があるし親友はいるしで何も怖いことはないけど、そのときはただの知らない大人が三人いるだけで、ぼっちにはどうしようもなくキツい状況だったんだ。

 それでは右の方から自己紹介をお願いします、って手で先頭をきって入っていった栗色の髪の子が指名されて、元気よく名前だの趣味だの得意なことだのをしゃべるのを聞いた。その時にはこれはもうオークションなんかじゃないってことはわかっていたけど、じゃあ何なんだっていう考えが頭を離れなかった。傍から見たってかわいかったりキレイだったりする人が受けるようなオーディションなんか私は知らなかったんだ。ついでに言えば私はどう見ても場にそぐわない存在だったと今でも思っている。髪はボサボサ、笑顔は作れない、着ているTシャツはよれよれだ。百歩譲って共通点を見つけるなら性別くらいだった。

 自己紹介の順番がちょっとずつ回っていって、どうやっても私のところに来るのは避けられそうになくて、影が薄いから見逃してもらえないかなとか考えたけど、そんなのやっぱりあり得ないってことはわかってたんだ。心臓が体を膨らませるくらいに脈打って、目の焦点は合わなくなって、でも耳だけはいつもよりはっきり聞こえてた。思えば過呼吸寸前だったんじゃないかな、あの時の私は。

 

「それでは次の方お願いします」

 

 それは私にとってほとんど死刑宣告と同じような言葉だった。私はぼっちで、だから空気というものの読み方も知らなくて、私が複数人の前で話をすると決まってその空気は壊れてきた。それに同じ空間にいるのが立場のありそうな大人の人と厳選されたリア充なんていう明るい場所に住んでいる連中だったから、余計に私はテンパった。私みたいな純粋培養のぼっちにはそいつらが何を考えているかなんてまったくわからなかったから。

 声をかけられたっきり静かになった部屋の雰囲気が私には耐えられなくて、怖くて、ついスイッチが入っちゃったんだ。あの時の緊張は私のあんまり長くない人生の中でもちょっと他に比べるものがないくらいのもので、だから何をどう叫んだのかははっきり覚えてない。きっと余計なことも叫んでたんだろうけど、いまさら親友に聞くのもなんだか照れくさくて、はい。

 

 そこから先はわけがわからないくらいに話が早く進んでいった。面白いから採用だ、と、新ジャンルのアイドルの誕生だ、と親友から言われ、何もわからないままに福島の家に帰ってみるともう話が通っていて、次の日には説得のために親友が家に訪ねてきていた。台風のほうがよほどマシだと思えるほどの急転直下の数日だった、と思う。

 アイドルなんていう単語が自分に向けられているんだと理解したのは、親友が両親を説得してから三日目くらいのことだった。それまでひとりぼっちできのことだけ生活していたような、取り柄なんて大真面目にどこにもないような私に向けられちゃいけないはずの単語で、まったく意味が理解できなかった。あまりに実感がなさ過ぎて、誰かが出てきて、これは夢ですよ、って言ってくれたらきっと素直に信じたと思う。

 気が付けば東京行きが決まっていて、寮に、それも本物のアイドルとかその卵が住んでいる寮に行くことも決まってて、まあ転校すること自体はそんなに大きな問題じゃなかったけど、そこへ来てやっと私の世界が信じられないような変化をしようとしているんだと気が付いたんだ。衝撃だった。体も心もバラバラになってどこかに飛んでいってしまうような気がした。お父さんもお母さんも環境の変化とかひとりでやっていけるかなんてことを心配していたけど、それは大丈夫だったんだ。そんなことじゃなくて、そのときにはまだはっきりしたかたちを持っていない漠然とした不安があって、それが原因だったんだ。実際には体も心もどこかに飛んでいくようなことはなかったから別によかったんだけどな。いわゆる杞憂ってやつ、だな。このあいだ学校で勉強しました。

 

 

・・・

 

 

 もう一度訪れた東京はやっぱり晴れていて、やっぱりそれは苦手な天気で、でも前よりはスムーズに行動することができた。荷物は宅配便でほとんど送ってしまったあとだったから、むしろあの日よりも身軽なくらいで、それも理由のひとつだったのかもしれない。あのオークションと思い込んでいたオーディションを受けたきれいなビルまでたどり着いて、前とは違う受付のお姉さんになんとか名前を言ったら、今度は八階に行くように言われた。どうしてだかわからないけど、この辺りのことはよく覚えてるんだ。

 エレベーターを降りて、案内板みたいなものを探そうとして左を見て右を見たら、公園で私に声をかけてオーディションにも顔を出していた今の親友がそこにいた。私には細かい表情の分類なんてできないから詳しいことはわからないけど、親友はにかっと笑ってこう言った。

 

「ようこそ346プロへ! これからよろしくな!」

 

 こうやって私と親友は出会って、そして私はアイドルになったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


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