ーーーそして放課後。生物室。
トリニダードはガラリ、引き戸を引く。幸いなことに、または当たり前なことに。黒板消し落下ドッキリが仕掛けられている、なんてことは無かった。
「やぁ、待っていたよ」
「おい」
「キミなら"此処"に辿り着ける、と信じていたよ」
「……おい」
「さぁ。神々の黄昏《ラグナロク》の為の作戦会議と行こうか」
「その喋り方を止めろ!!」
「………テンション乗ってきたとこだったんだけどなぁ」
先に生物室で待っていたのはパブロ。妙ちきりんな口調に、らしくもなく怒鳴ってしまうトリニダード。どうして怒鳴ったのかについては、今紐解かれるべき話題ではない。
生物室は普通の教室の1.5倍程度の広さであり、黒光りするカウンターのようなテーブル、背もたれの無い不親切な椅子、窓際に鎮座する水槽。そこまではよくあるであろう生物室の様相だった。しかし、アノマロカリス・シーラカンス・カブトガニという三代剥製が並んで居てはどうだろう。男子にとってはたまらん生物室である。トリニダードはその剥製に目を奪われた。彼もやはり、男子だった。
「アノマロカリス、マジだったんだな」
「ディエゴ、嘘つくような奴じゃないだろ」
「でもさ、さすがにありえなさが高いっていうか」
「……耳を疑ったから反論出来ねぇ」
「まぁ、それよかありえん事態が起きてるってのが、俺の見解なんだが」
「それな。アンビリーバボーに投稿出来るレベルな」
肩を竦めてお手上げのポーズをとるパブロ。それにうなづくトリニダード。全く予想外の事態が明らかになって、二人してどうしたらいいものか。と思っていた。迷っていた。
「「まさかあの二人があんなになるとは」」
というのが二人の感想であった。パブロはファンの幼馴染で、トリニダードはディエゴの幼馴染。そういう、よーく似たスタンスの二人だから困るのだ。ノータッチで行くべきか、それとも気付かぬフリして口笛吹くか。……本人×2としてはこの二択であって欲しかった。ただし、それを幼馴染×2が許してくれるのか。非情にも微妙だった。特にファンは、容赦無いだろうな、とパブロの心は梅雨よろしくジメジメしてくるのだった。
ゆえに。何かを頼まれる可能性のある二人は。頼まれるうちに、可能な限り口裏を合わせる。または共謀しておこう。そういう算段である。ちなみにトリニダードが連絡しようとした相手はパブロであったので、トリニダード的にもちょうど良かった図式になる。
「何がどうしたら、あのアマがディエゴに惚れるのかが分かんねぇ…」
「喧嘩なら買うぞ」
「売ってないから。あ、そっか。解説、ファンという生命体はジャニーズ系が趣味であります」
「なるほど。ディエゴって……その、ガチムチ系だもんなぁ」
「ねぇ、なんか言い方悪い気がする。うーーんと、野球のキャッチャーみたいな?」
「あぁ、キャッチャーか。わかるわかる。たぶんプロテクターとかめっちゃ似合うぞ。見たこと無いけど」
「今度さり気なーく、そんな役になるように話てみるか?」
「いいなそれ。結構面白そうだ」
「だろ?……ってちげえよ。恋愛脳対策だろーがよ」
「すまんパブロ。脱線させてしまった」
「いちいち謝んなよ……で、どうよ?ディエゴはよ」
「どうって?」
「なんか普段と様子が違ったり?」
「いや別に」
こんな調子で大丈夫かね、とパブロは思った。もしかしたらコイツかなりの鈍感なのではとも。その呆れが、顔に出ていたのかも知れない。
「………なんか、たまーにディエゴがする眼と一緒の眼だ。バカにしてるな?違うからな。ディエゴが取り繕うの上手いんだからな?」
「いやいや、なんでそんなん隠すのが上手いんだよ。ディエゴっておっとりが人の形をとったような奴だろ?」
「パブロ。お前はバカか?」
「なんでそこまで言われなき「ぶーかーつ。ディエゴの。」
「………あ、そうだな。そういやそうだった」
そうパブロの頭からあっさり飛んでいたことだが。ディエゴも演劇部の人間であった。…自身の幼馴染が演劇部である事は、しっかり頭にあったのだけれど。いかんせん、それを軽く吹き飛ばすような事件があったもんで。
「それにしてもなぁ、どうすっかトリ公」
「なんかムカつくからその呼び方止めろよパブ公」
「「…………………」」
「とりあえず、なんか変化あったら連絡するって事で」
「りょーかい」
そう言い合って、二人は生物室を後にする。しかしパブロは前の出口から、トリニダードは後ろの出口から。一緒に帰るという選択肢は二人に無かった。
「ふふふ……面白い事を聞いてしまいましたねぇ…」
そして二人は、何者かがその話を聞いていたことに。全く、これっぽっちも、1ミクロンも気付く事はなかった。
ーーーその頃、演劇部。
「はいカット!どーして言った事が出来ないのかなぁ?ねぇ。浜辺でイチャつくカップルの目が泳いでるってどうよ?どうなのよ?おかしくない?」
黒いカチンとやるやつを持った監督らしき男が檄をとばしている。ディエゴとファンは二人して申し訳なさそうに縮こまっている。……指示の通り出来ていないことは、二人とも理解していた。しかし今の二人には、あまりに酷では無いだろうか。
「どーやったら伝わるかなぁ?実演した方がいい?それとも参考映像引っ張ってくる?」
監督は真剣なだけであって、悪い人でないことはみんながよく知ってる事だった。しかし……!他の演劇部メンバーがあっさり気付けたことに、彼は気付けて居なかった。そう、彼は恋愛経験ナシ!長ったらしく言えば彼女居ない歴=年齢!二人の間に流れる甘酸っぱい雰囲気を感知する事は不可能!ただ単に恋人役に照れてるとしか思ってない!
ディエゴとファンが教壇、前から二番目の席に監督、ロッカーのとこらへんに他の演劇部メンバーという布陣である。ロッカー周辺がざわついていた…!
あの二人が照れているであろう理由もしくは原因を伝えるべきか、伝えぬべきか。白熱教室を追い越すような熱を帯びている!(主に女子が)男子はディエゴへの妬み嫉み罵詈雑言パーティである。「どうしてあんなのが、ファンちゃんと……」みたいなセリフが無限ループ地獄を形成していた。
もちろん監督は気付かない。だって二人に指導するのに人間的キャパシティを割いている。魂の熱血指導だ。二人に事細かに注文を付け、それを二人は書き留める。
今、この部室をサーモグラフィで測ったなら驚くべき温度差であるだろうことは、もはや疑いようが無かった。
とりあえずこんな感じで、ディエゴとファンは部活してたのであった。
つづくよっ