目が覚めた所は保健室だった。
いや、記憶の中で一番イメージと合致したのが保健室だっただけで、実際にそうなのかは知らない。
俺は白いベッドに寝かされており、体には白いシーツがかけられていた。
体の両側には視界を遮るカーテンが並んでおり、そのせいで見える物は対面の白いベッドだけだった。
シンプルでいかにも保健室といったベッドだ、恐らくは俺が寝転んでいるのも同じようなデザインなのだろう。
部屋の外からは話し声が聞こえた。
少し遠くて、聞き耳をたてても単語すら拾えなかった。
カーテンに遮られて姿も見えないし、どうやらしばらくはここでじっとしてる他ないようだ。
部屋には話し声と何かの機械が動いている音が断続的に続いている。
何もせず天井をひたすら見つめ続けていると、ふと淋しさが襲ってきた。
じいちゃんの葬式の次の日の朝もこんな気持ちだった事を思い出した。
そうか、俺はこの世界で一人なんだな。
間抜けにもようやく気づいた俺は、少し目頭が熱くなったのを感じた。
情けない、くそ。
せめて泣いてなるものか。
気分を紛らわせるために、違うことを考える。
そうだ、神から貰ったザ・ワールドがあるじゃないか。
今のうちにスタンドの操作に慣れておくのも悪くないだろう。
手を動かさずに、手を動かすように脳に命令する。
体を動かさずに、シーツをめくり取る…。
どれくらい念じていただろうか、鼻息も少し荒くなっていたその頃ようやっとそれは現れた。
特にドラマティックな演出もなく、淡々と。
薄く発光しているような、黄色い手。
シーツをめくると徐々に、その全体像が明らかになっていった。
まるで黄色いギリシャ彫刻のようなその姿は、間違い無く俺の知っているザ・ワールドそのものだった。
しかし、何か違う。
何と言うか、その、スゴ味が無い。
迫力とか、圧力といったものが、このスタンドからは一切感じられなかった。
スタンドなんて、こんなものなのか?
ザ・ワールドは何も言わず、凛々しい瞳を俺に向け続けていた。
俺は続いてザ・ワールドにカーテンを開けさせた。
体から見て右側のカーテンから開けさせると、大きな窓から日光が室内へ差し込んできた。
どうやら今は朝、もしくは昼らしい。
次いで左側のカーテンを開けさせようとした時、突然話し声が近づき、足音が室内へ響いてきた。
俺は慌ててザ・ワールドを戻そうとするが、やり方が分からない。
俺の慌てようがザ・ワールドに伝わったのか、ザ・ワールドもカーテンからぱっと手を離した。
ブレザーを着た女が俺の目の前に現れる。
もうダメだ、見られたーー。
そう思った瞬間、世界が止まったような感覚に襲われた。
いや、感覚ではない。
俺のザ・ワールドを中心に起こったその現象は、確かに世界を止めていた。
俺はこれを知っている。
ザ・ワールドのスタンド能力、『時を止める』能力だ。
止まった時の中で、俺は落ち着きを取り戻した。
よく考えれば、スタンドは同じスタンド使いにしか見えないはずだから、そもそも慌てる必要すら無かったのに気付く。
ジョジョ世界が選択から排除されている今、このザ・ワールドが見える人間はいないという事になるからだ。
「あら、起きたみたいよ」
と、止まっていたはずブレザーの女が呟いた。
ウソだろ?と俺は内心で驚いた。
女の言葉にではない、ザ・ワールドの能力にだ。
時が止まっている時間が短すぎるのだ。
本来の、完全な状態のザ・ワールドなら9秒、最低でも5秒は止められたはずなのだが、さっきはせいぜい一秒程しか止まっていなかった。
下手をするともっと短いかもしれない。
もしかして、迫力が無い事といい、ザ・ワールドが初期化しているんじゃないか?
あの神が変に手心を加えたって事は…あり得る。
出会ってーーと表現していいものなのか知らないがーー、間もないあれの事を信用しきるほど、俺はお人よしではない。
いや、面白い、面白くないで人の生きる世界を決めるやつだ、面白半分でデチューンしかねない。
そう思うと、一気に気分が冷めてきた。
怒る気力も無いと言うか、がっかりしたのだ。
俺は深いため息をついた。
すると目の前の女は勘違いしたようで、
「人の顔見てため息とは、随分とふてえガキが来たもんね」
女は口角を僅かに痙攣させながら、俺の顔を睨みつけた。
その様子を見てか、開けきられていないカーテンの陰から人影が慌てて飛び出してきた。
いかにも人の良さそうな、若い男だった。
「やめてくださいよ先輩。大人げない」
男が言うと、女はふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ。
そんなつもりは無かったが、どうやら俺の第一印象は悪いようだ。
男は不機嫌そうな態度の女を少したしなめた後、俺の顔をのぞき込んだ。
「どこか痛いところはない?気分が悪いとかは?」
なれなれしい男だな、どう見ても俺の一つ上か二つ上程度だろうに・・・・・、と思った瞬間、俺はやっと自分の立場を理解した。
本当ならシーツをめくった時に理解するはずと思える辺り、やはり俺は相当な間抜けらしい。
俺の手足、体は生前に比べ異様に小さかったのだ。
神は別れ際に『胎児や乳児の期間は飛ばす』と言っていたことから考えると、今の俺は少なくとも自立歩行が可能な年なのだろう。
俺自身の推測では、4,5歳とみた。
俺がそうやって黙っていると、男が心配そうな顔でこちらを見ているのに気付いた。
慌てて返事をする。
「大丈夫です、ハイ。体調が悪いとかは無いです」
「そう、良かったよ。今まで何をされても起きなかったから・・・」
ちょっと待て、何をされてもって言ったか?
何かしたのか?
俺の知ってる創作物にはR指定の物もたくさんある。
それこそ子供に気軽にメスを入れるような物が・・・・・。
そんな考えが表情に出ていたのだろう、男は慌てて胸の前で手をぶんぶん振った。
「違う違う!揺らしても軽く叩いてもって意味だよ、安心して」
「さて、どうかな。最近は妙ちくりんな都市伝説も飛び交っていることだしね」
男の後ろでブレザーの女がくっくっと笑う。
先ほどの仕返しのつもりだろうか。
声色からは子供を怯えさせる為の悪戯心がひしひしと感じられた。
わざと怯えたふりをしてやろうかとも思ったが、何だか癪なのでやめた。
「ちょっと、先輩。やめてくださいよ」
「冗談だよ、ジョーダン」
「子供に変な恐怖心を与えないでください。だいたいあなたは僕の先輩だというのにーーー、」
男と女は再び話し始めてしまった。
ほっとくと永遠に話してそうだな、この人達。
時間はたっぷりあるんだろうが、状況が進展しないと現状を確認できないじゃあないか。
「あの」
俺は強めに声を出して二人の話を遮った。
「ここはどこなんでしょう」
もちろん、今俺がいるこの場所はどこか、という意味だ。
素直に世界の事情を聞いても良かったが、それだとかなり『おかしな』子供と見られてしまうだろう。
俺のその問には、女の方が答えた。
その声色に先程のような悪意は無く、大人が子供に言い聞かせるような優しい含みだけがあった。
「ここはあすなろ園。君みたいな
「先輩」
女が言うと、男が短く戒めるように呟く。
また始まったか、と思ったが、男の語気は静かだが今までで一番強いものだった。
しかし、女の方は堪えてないようだった。
「何を怒ってる?置き去りは置き去りだ。下手な言葉でごまかしてこの子の親が帰ってくるとでも思ってるのか?」
「それは・・・」
男が言いよどむ。
なるほど、そのチャイルドエラーとかいうのはこの世界における捨て子、孤児のような意味合いを持つらしい。
確かに、今の俺ぐらいの子供に『君は捨て子だ』などと告げるのはいささか酷な話ではある。
しかし女が言うように、一度捨てた子供を迎えにくる親はいないだろう。
あるいは既に死んでいるとか。
と、考えただけで優しかった祖父母の顔が脳裏を過ぎって切なくなってきた。
これじゃあいかんと、また別のことを考える。
はて、そういえば、チャイルドエラーなんて言葉が出てくる創作物が俺の記憶にあっただろうか。
記憶の隅に追いやられているだけなのかもしれないが、いまいちピンとこないぞ。
そもそもここが日本なのかどうかも分からない。
いや、日本語は通じてはいるが、果たして俺の知っている国家なのかどうかも。
ごちゃごちゃと複雑に考えてしまう思考を振り切るべく、俺は一気にベッドから上半身を起こした。
「あ、まだ寝ててもいいよ」
と、男の方が俺の頭を撫でた。
その腕に緑色の腕章が留められていた。
見れば、ブレザーの女の方にも同じような腕章が留めてあった。
見たことないデザインだが、どこにでもありふれていそうなデザインだ。
何かこれがヒントになるかもしれない。
「その、腕のやつは」
俺が指を指すと、男は少し探した後ああ、これかと腕を持ち上げた。
「僕達は
ジャッジメント?ああ、くそ。
答えが喉でつっかえて出てこない、聞き覚えはあるのに。
俺が唸っていると、男は拍子抜けした顔をして腕を下ろした。
その反応からして、この世界ではそのジャッジメントは有名なものなんだろう、俺も知ってる辺りな。
「あれ、もしかして知らない?…案内のパンフレットにも載ってるはずだけどな…今時見ないのかな?」
得意げに言ったのが恥ずかしかったのか、男は下ろした手を居心地悪そうに揺らしていた。
僅かな顔を紅潮させ、わざとらしく俺から目を背ける。
そんな男とは対照的に、ブレザーの女は怪訝な顔をして俺に近づいてきた。
「ヘンなことを質問するようだけど、君、ここが『日本の何処か』分かる?」
やっとまともに状況を把握できそうだと、俺は内心胸をなで下ろした。
さて、どうするか。
適当に答えてもいいが、間違っていたら要らぬ疑いをかけてしまうかもしれない。
ここはやはり正直に、
「すみません・・・分かりません」
俺がそう答えると、男はぎょっとした表情を浮かべた。
女は何か確信を得たようで、俺に更なる質問を投げかけた。
「君、自分の名前言える?」
ああ、なるほど、分かってきたぞ。
何て簡単な設定なんだ、もっと早く思いつけば良かった。
この『役割』を演じていれば、容易に知識を得られるはずだ。
俺は質問に答える。
「分かりません」
素直に自分の名前を言っても良かったが、折角新しい人生を歩んでいるんだ、何もかも一新したいと思うのは悪い事じゃあないだろう?
どうせ顔も覚えていない親からつけられた名前だし、呼んで貰える祖父母はもういないんだ。
俺が名前も言えないと知ると、男は目を丸くした。
「記憶喪失・・・」
「外傷は認められなかったけれど、病院で検査した方が良さそうね」
ジャッジメントの二人は真剣な面持ちで顔を見合わせた。
当の本人である俺が何でもないような顔でそれを眺めている。
記憶喪失の捨て子、というのが、俺のこの世界における立場のようだった。