トキワシティ・トレーナーズスクール。
カントー地方最強のジムリーダーが居を構えるこの街。ここでは、プロのポケモントレーナーを目指す者もそうでない者も、ポケモンの扱い方を知る為にトレーナーズスクールに通う。
そんなトキワシティのトレーナーズスクールに、今日から一か月ほど働く者が一人。
「それじゃあ、今日からよろしく頼むよ。レッド君……いや、レッド先生と呼んだ方がいいかな?」
「……先生と呼ばれる程偉くもないので、君付けでお願いします」
「はっはっは。謙遜してるねぇ。元チャンピオンが教師としてやってくるなんて、こっちとしては嬉しい限りなんだけどねぇ」
「……はあ」
トレーナーズスクール一階に存在する校長室。そこには現在、恰幅のよい大らかそうな見た目の老人が、一人の少年と青年の境目にあるような見た目の人物と話をしていた。
着慣れていない紺色のスーツを身に纏い、若干攻めた赤色のネクタイを締める者―――彼こそ、今日からトレーナーズスクールに勤務する元カントー地方チャンピオン・レッドだ。
本来、元とは言えチャンピオンなどに講師を頼む際は、かなりのギャラを支払わなければならないのであるが、今回はトキワジムリーダーを仲介しての『バイト形式で』という申し出を受けた為、教員一同は歓喜を上げたという。
そんなことはいざ知らず常に無表情なレッドと話す校長は、終始微笑みを浮かべている。
「まあ、グリーン君から色々と聞いているよ。君にしてもらいたいことは、大まかに二つ。一つはスクールで飼っているポケモン達の世話。もう一つは、生徒達が行うポケモンバトルの実技の相手。まずは、飼っているポケモン達が暮らしているところに案内するよ」
「……分かりました」
今回のバイトで頼もうとしている仕事を紹介すべく、校長は席を立って部屋の外へ出て行こうと歩み始める。
彼を追うレッドもまた、部屋を出て行こうと歩み始めるが、普段なら常に肩に乗っている重量を感じ取ることができず、一瞬怪訝そうな顔を浮かべた。
(……そういえば、母さんに何体か預けてきたんだ)
勤務中にポケモンを肩に乗せたままは如何なものかと考えた幼馴染の配慮の下、常時ボールの外に出ているピカチュウはマサラに居る母親に預けてきた。
更に、新たに加入したフシギダネとゼニガメも育てていきたいと考えたレッドは、プテラとラプラスも預けている。
(今頃何してるのかな……)
一方、レッドのピカチュウは―――。
***
「ピカチュウちゃん、気持ちいい?」
「ピッカァ~……」
縁側で、レッドの母の膝の上に乗って日向ぼっこしていた。
***
トレーナーズスクールに隣接されているポケモンの飼育小屋。毎日掃除されているのか、清潔感が漂っている。
カラフルな色合いのマットや、綺麗な真っ白の壁紙。その内装は、飼育小屋というよりかは預り所のようなものだ。
(フジ老人のポケモンハウスもこんな感じ……)
あのカラカラは元気にしているのだろうかという考えを頭に浮かべながら、飼育小屋を校長と共に練り歩くレッド。
パッと見た感じ、小さな子でも扱えるようなポケモンが揃っている。
ナゾノクサやガーディ、ニョロモなどといった三すくみの関係にあるタイプのポケモンから、コラッタ、ポッポなどといった比較的誰にでも扱えるようなポケモン。
他にもコイルやキャタピー、コンパン、ニドラン♀、サンドなども窺う事ができる。
「……カワイイ子達ですね」
「そうだねぇ。長い間スクールで飼っている子も居るし、最近きたばかりの子もいるが、皆人懐っこい子達なんだよ」
柔和な笑みを浮かべてレッドの呟きに反応する校長は、ガーディの頭を撫でながらこう続ける。
「ほとんどの子は、保護施設から引き取ったのさ。毎年多くの子が、ウチのスクールに引き取られるんだ。そして、生徒達の卒業と共に巣立っていく……この子達もまた、私達の生徒のようなものだ」
「……成程」
「生徒によっては、もう手持ちの子が居たりするんだけどねぇ。それでも、まだ手持ちが持っていない子は、この中からパートナーを選んだりするのさ」
感慨深そうな顔で語る校長の話を聞いていたレッドは、徐に駆け回るナゾノクサへと手を差し伸ばす。
するとナゾノクサは始めこそ不思議そうにきょとんとしていたが、にぱっと笑ってから差し伸ばされた手に体を委ねた。
レッドが、手に寄りかかったナゾノクサの体を指で擽るように撫でているのを見た校長は、『ほほう』と顎に手を当てて頷く。
「やっぱり君はそういう才能があるのかなぁ。こうも早く懐いてしまうとは」
「……元々人懐っこそうな子達でしたから」
「まあまあ。だが、ここの仕事は安心して任せられそうだよ。ここの詳しい仕事の説明は、後で話すとして……」
ふと窓の方を見遣った校長。
レッドもつられるように窓の外に広がる光景を目に映す。暫くシロガネ山で過ごしていたレッドにとっては、怠く感じてしまう程の晴天の下に広がる校庭。
そこでは、燦々と降り注ぐ日光に負けない程に元気な子供達が、ポケモンバトルを繰り広げていた。
無邪気に指示をポケモンに飛ばす子供達。白い線で描かれるバトルコートの中央線に延長上には、審判をしている教師が垣間見える。
授業の一環なのだろうか、とレッドはなんとなしに考えてみたが、
「ちょうど今、校庭のバトルコートで実技をやっているみたいだね。どうだい? 自己紹介がてらに、一戦どうかな?」
「……分かりました」
「そうかそうか! じゃあ、案内するからよろしく頼むよ!」
実に嬉しそうな校長の様子に首を傾げるレッド。何故、そんなにも校長が嬉しそうにするのかが理解できないレッドであったが、バトルを観戦するのが趣味なのだろうかという結論で納得しておくことにした。
実際の所、校長が只単に元チャンピオンのバトルを間近で見る事ができることに興奮していただけなのであるが、レッドの預かり知るところではない。
ポッポとコラッタが“たいあたり”の応酬を繰り広げている光景に、自分にもああいった時代があったものだと思いふけるレッド。
そんなに老いぼれていない筈なのだが、山に籠っていたレッドはどこか仙人的な感覚が付いているのかもしれない。
そのような冗談は兎も角、再び校長の背中を追って校庭に到着したレッドは、『こんにちはー!』という元気な挨拶が飛び交う中、ゆったりと歩み進んでいく。
「はっはっは。皆、こんにちは」
『こんにちはー!!』
「今日は皆に紹介したい人が居るんだ。今日から約一か月、うちの学校で働いてくれるレッド先生だよ」
チラッと横目で見られたレッドは、一歩前に出て子供達に向かって一礼する。
「皆、よろしくね。今日からお世話になるレッ―――」
「レッドって、あのレッド!? カントー地方チャンピオンの!」
「違うよ、元だぜ! っていうか、レッドで二年前から行方不明だって兄ちゃんが言ってたぜ!」
「ねえ、レッド先生って、あのチャンピオンの!?」
自己紹介を遮る子供達の言葉の嵐。
更に、自分が元カントー地方チャンピオンであるのかを言及するかのような質問に、レッドは頬に汗を垂らす。
チャンピオンだったからと言って、あれこれ無茶ぶりをさせられていても困る。
パッと見、三十人程の子供達であるが、彼らの力を侮ってはいけない。もし自分がチャンピオンだったとバレれば、彼らが口外した先に居る家族、そして主婦ネットワークを通じて瞬く間にトキワ中に広まる。
そうすれば、またリーグ関係者や報道記者関係がやって来て面倒になる筈。
だからレッドは裏声でこう言い放った。
「……同姓同名ダヨー」
「なァ~んだ、つまんな~い!」
「そう言えば、チャンピオンのレッドだったら肩にピカチュウ乗せてるもんねぇ~!」
(……預けてきて良かった)
どうやらピカチュウを預けてきたのが功を奏したようだ。
生徒達の自分への認識が『元チャンピオン似の先生』となったところで、一息吐こうとするが、
「いや、ここに居るレッド君は本も―――」
「校長先生っ。僕にバトルをさせては頂けないでしょうか?」
「む? ……あ、ああ、そうだったね。それじゃあヨウコ先生、お願いしてもいいかな?」
今日一番の決めた顔を浮かべ、ハキハキとした声で話しかけてくるレッドに思わずたじろぐ校長。
キリッとした顔をキープしたままバトルコートの端へと移動するレッドと、ヨウコという女性教師。
「それじゃあ行きますよ! ペルシアン!」
「……フシギダネ、お願い」
相手が繰り出したのはニャースの進化形であるシャムネコポケモン―――『ペルシアン』。対してレッドが繰り出したのは、最近エリカに貰ったばかりであるフシギダネである。
レベルはまだまだ他の手持ちに比べて低いものの、充分に懐いてくれているポケモンだ。
「ダネフッシャ!」
「……頑張ろう」
ポンと頭に手を置いてからフシギダネをバトルコートへと送り出す。
体格差は結構あるが、それだけで勝敗が決するとは思っていない。そうでなければ、ピカチュウを進化させずに戦い続けるなどしないだろう。
「よーし、ペルシアン! “ひっかく”です!」
「ニャアアア!!」
ギャラリーは『キター! “ひっかく”だー!』などという実況染みた歓声を上げているが、既にバトルモードに入っていたレッドには一切聞こえていない。
勝負なら
勝ってみせよう
フシギダネ
どうでもいい俳句が一瞬脳裏を過ったレッドであったが、フシギダネに飛び掛かるペルシアンを一瞥し、口を開いたレッド。
「―――“しびれこな”」
「ダネッ!!」
「フニャ!?」
背中の蕾の先端から黄色の粉を噴射するフシギダネ。その攻撃に、飛び掛かっていたペルシアンは視界を遮られたことに驚き、振り下ろそうとした爪の照準が外れる。
攻撃が外れたところで、ダダダッと駆けてペルシアンから一旦距離をとるフシギダネ。
そして、『褒めて!』と笑みを見せてくるフシギダネを一瞥したレッドは、ウンウンと頷いた。
「いい子いい子……次は、“やどりぎのたね”」
「ペルシアン、避けて下さい!」
「ニャ……ニャ!?」
「ペ、ペルシアン!?」
(……成程。“テクニシャン”のペルシアンっと……)
【まひ】して動けず、フシギダネが蕾の先端から放った“やどりぎのたね”を受けてしまうペルシアン。
ペルシアンの特性は主に二つ。一つは今言った“テクニシャン”であり、もう一つは“じゅうなん”。後者は【まひ】になることがなく、それは“しびれごな”も例外ではない。
しかし、現にペルシアンは痺れ、更には身体中に蔓が巻きついて体力を吸われるという状況に陥っている。
特性の判断には十分すぎる状況に一人頷くレッドは、畳み掛ける様に指示を出す。
「“はっぱカッター”」
「くっ……“スピードスター”です!」
蕾の根元から幾つかの葉を発射するフシギダネ。同時に、何とか動いたペルシアンが長い尾を鞭のように振るい、フシギダネが繰り出した“はっぱカッター”を星形のエネルギーで迎撃した。
二つの攻撃が激突すると、バトルコートの中心に爆発が起こり、土煙が巻き起こる。
「……払うように“つるのムチ”」
「フッシャ!!」
シュッパァン!
『ニャアン!?』
『ペルシアン!?』
腕をスィ~と靡かせてジェスチャーをフシギダネに見せるレッド。
すると、蕾の根元からニョキっと顔を出した蔓が土煙の中へと伸びていき、指示通りに左から右へと払うように振るわれた。
未だに相手の姿は見えないが、土煙の奥からペルシアンの痛がる声が聞こえた事から、攻撃が命中したことは明白だ。
「よっし……あとはテキトーに“はっぱカッター”」
「ダネッ!」
最後の最後でかなり適当な指示を出したレッドであったが、それに応えるフシギダネは自由に“はっぱカッター”を前方に繰り出す。
無数に放たれる葉っぱは土煙を切り裂き、
「ナ~~~ウッ!?」
足元を払われて地面に伏せるように倒れて動けなかったペルシアンの体に命中した。
“はっぱカッター”の直撃を喰らったペルシアンの体は宙に跳ね、そのままドサリと地面に落下する。
(……ちょっと大人気なかったかな?)
「ダネ?」
「……ううん。よしよし、良い子だね」
「ダネ~」
終始一方的であった試合展開に、少々遠慮してバトルした方がよかったのかと今更考えてみるレッド。
しかし、足元に駆け寄って首を傾げているフシギダネを見た途端、そのようなことはどうでもよくなり、コショコショと喉元を撫でてあげる。
人気番組『ミヅゴロウ王国』のメインパーソナリティであるミヅゴロウ先生ばりの撫で方に、見る者は感嘆の息を漏らすばかりだ。
そして暫くフシギダネを撫でた後、周囲がどのような状況になっているのかを確認しようと顔を上げると、
(……何時の間に囲まれた?)
レッドが気付かぬ間に、生徒達がレッドとフシギダネを囲む様にやって来ていた。
屈んでフシギダネを撫でていたレッドは、自ずと生徒達と同じ目線になっており、四方八方どこを見ても目が合ってしまうという状況に、少しだけ怯える。
(え? なに、これは一体どういう状きょ―――)
「レッドせんせいすげぇ―――ッ!」
「フシギダネもかっこよかった!」
「ねえ、今の戦い方、どうやるんですか!?」
「わわわっ……」
直後に駆け寄ってきた生徒達にもみくちゃ&質問攻めされるレッド。息苦しそうな顔は浮かべるものの、生徒達に悪意はないことを理解していたレッドは、人波に揉まれながら何とか立ち上がる。
一気に騒がしくなる校庭。
しかし、同時に微笑ましい光景に校長も、たった今負けてしまった先生もフッと微笑んでレッドと生徒達を見遣る。
「……生徒達もイキイキしてますね」
「はっはっは。やっぱり、迫力のあるバトルを目の前で見るのが生徒達にとって楽しいことなんでしょう。さあ、これからが楽しみですね」
「うふふっ、そうですね」
少し戸惑っているものの、生徒達と楽しそうに会話を交わすレッドの姿を見た校長達は、にこやかにこれからの彼らの成長を願うのであった。
***
「―――……はっ、出てきたよ!」
「ゴン?」
後者の陰に隠れる一人の少女とポケモン。
黒いボブカットの少女は、頭に被っている赤いニット帽を被り直し、ポケモンの飼育小屋から出て来る二人の人物の内、一人の男性に目を向けた。
彼こそ、今日の授業でのお披露目バトルで自分達の担任を圧倒した『レッド先生』だ。
彼が今日から一か月ほどバイトで自分達の学校で働く事を知った少女―――『ミヅキ』は、意を決したようにパートナーのゴンベと共にネクタイを緩めて校舎へと向かって行くレッドを追う。
が、
「わっ……ぶぺっ!?」
「ゴーン!?」
「ぷわぁ!?」
途中で石ころに躓いたミヅキは派手にこけ、そこへやって来たゴンベも同じ石ころに躓いてミヅキの上へと覆いかぶさった。
小さいといっても、体重は大の大人よりも重いゴンベ。そんなポケモンがか弱い少女の上に覆いかぶされば、少女は身動きが取れる訳が無くじたばたするのみだ。
「ゴン……ベッ! 重いぃ~!」
「ゴ~ン」
「……大丈夫?」
フッと背中が軽くなった。
そんな感覚を覚えたミヅキは、フッと上を見上げる。するとそこには、自分のゴンベを抱きかかえているレッドが居るではないか。
どうやら、圧死や窒息することはなくなった現状にホッと息を吐いたミヅキは、差し伸べられたレッドの手を掴んで立ち上がる。
服に付いた土埃を手で払いながら、照れ隠しに『えへへっ』とはにかむミヅキ。
「レッド先生、ありがとうございまつ……」
「……いえいえ。どういたしまして」
片腕でゴンベを抱きかかえていたレッドは、ミヅキがお礼の言葉を噛んだことにも気づかず、そのままゆっくりと腕の中に収まるポケモンを地に置く。
その瞬間にドスンと地響きが響いたが、特に誰も気にする様子はない。
因みに、ゴンベの平均体重は105キロだ。
もう一度言おう。105キロだ。
あとは何も言うまい。
それは兎も角、漸くレッドと一対一で話すことができるようになったミヅキは、鼻息を荒くしながらレッドに詰め寄る。
十五歳と七歳の歳の差。更に、男と女の違いからもかなり身長差があるが、レッドの顔に迫らんばかりに背伸びするミヅキは、興奮した様相のままこう言い放った。
「先生! あたしに、ポケモンバトルを教えてください!」
「……はい?」
レッドの鼓膜を揺らしたのは、
活動報告にありますよう、26から暫く更新できません。
再開は1月4日になると思いますでの、ご了承下さい。