(ヒンバス……?初めて見たわ……パッと見コイキングみたいだけど……)
ぬかるんでいるバトルコートの上に佇む一匹の魚ポケモンを目の当たりにしたビオラは、人生で初めて見たポケモンに多少の戸惑いを覚えていた。
コイキングに非常に似た外見であるが、その体色はペールオレンジである、個々の部位を観察するとコイキングとは全く違うというのが良く分かる。
初見である為一体何をして来るのかが予測できない。
「なら……ガンガン攻めさせてもらうわ!ビビヨン、“サイケこうせん”!」
「ビビッ!」
「ヒンバス、躱して“どくどく”!」
「ミッ!」
ビビヨンの小さな手の間から、様々の色が混じりあった摩訶不思議な色合いの一条の光線がフィールド上を走るが、滑るように動いたヒンバスによって躱されてしまう。
ビオラとビビヨンが驚く間もなく、ヒンバスは毒々しい紫色のエネルギーを前方に出現させ、尚且つ技を繰り出した直後で硬直している相手に向かって繰り出した。
思いもよらぬヒンバスの動きの速さに隙を突かれたビビヨンは、そのまま“どくどく”を喰らい、苦悶の表情を浮かべる。
『しまった!』という表情を浮かべるビオラに対し、ライトは『してやった!』というような笑みを浮かべ、ヒンバスに親指を立ててグッドサインを出す。
ヒンバスの繰り出した“どくどく”は、相手を【どく】状態にする技であるが、ただの【どく】状態ではない。【もうどく】と呼ばれる、【どく】状態の一段階上と言ったところだろうか。
時間が経つごとに体力を減らしていくのは【どく】と同様であるが、【もうどく】は時間が経てば経つほどに与えるダメージが多くなっていくのだ。
長期戦になればなるほど猛威を振るう状態異常と言っても過言ではないその状態異常は、よく【ぼうぎょ】や【とくぼう】に優れた、所謂耐久型のポケモンが使うことが多い。
そのような技を、ライトがヒンバスに技マシンで覚えさせていたのには理由がある。
その理由とは、ヒンバスをバトルで活躍させてあげる為、彼女にとってどのような戦法が最も適しているのか熟考を重ねた上で出てきたものだ。
つまり、ヒンバスはお世辞にも攻撃面が良いとは言えないほど非力だったのである。【すばやさ】はまあまあ高く、【とくぼう】も並みにはあるが【HP】が少ない為に余り長所とは言えない。
そこで、無理に技で押し切るよりも優秀な補助技の数々でトリッキーに動いた方が良いという結論がでたのだ。
このような経緯があり、現在ヒンバスにとってのメインウェポンが、今繰り出した“どくどく”となる。命中率は微妙なところであるのだが、今回は命中したのだから一先ずは成功と言ったところ。
「へへッ、ナイス! ヒンバス!」
「ミッ!」
ライトの声援に、ヒンバスも明るい笑みを浮かべている。
「ッ……やってくれるじゃない! でも、そう簡単に勝ちは譲れないわよ! ビビヨン、“エナジーボール”!」
「“まもる”だ!」
直後、ビビヨンの放ったエメラルド色のエネルギー弾を、ヒンバスは自分の前方に展開した透明な防御壁によって無力化する。
ここで“まもる”を繰り出したことによりビオラは、ライトが確実に時間を稼ぎつつ、毒で自分の手持ちをノックダウンしにきているのだと確信した。
子供ながら結構エグイ戦法をとってくるものだと、内心感心するような、小生意気なというように複雑な気分になってくる。
だが、これもまた立派な戦術の一つ。ならばジムリーダーである自分は、全力を以て挑戦者とのバトルに臨まなければならない。
そう意気込んで少し冷静になったところで、ビオラはヒンバスの動きに注目した。
「その子、随分動きが速いんじゃない? もしかして“すいすい”かしら!?」
「だとしたら、どうします!?」
「雨が上がった時が、勝負時ってトコね! “むしのていこう”よ、ビビヨン!」
「“かげぶんしん”!」
先に指示を出したのはビオラ。しかし、彼女の予想通りの特性“すいすい”であるヒンバスは、ビビヨンの繰り出す若草色の小さなエネルギー弾に対し、自分の分身を無数に生み出す事によって回避した。
倍速になっているヒンバスは、デクシオとの戦闘の際に出てきたテッカニンのような速度でフィールドを縦横無尽に駆け巡っており、捉える事は中々困難な話になっている。
白熱するバトルに笑みを浮かべるジムリーダーと挑戦者。そんな二人を観戦しているジーナとデクシオ。
「……なんか……こう……意外だったよ。彼がああいう戦法とるなんて」
「そうですわね。……というより、この戦法どこかで見たような……う~ん、思い出せませんわ」
思っていたよりもネチネチとしている戦法に苦笑いを浮かべるデクシオであったが、ジーナは何かを思い出そうと必死になっておりそれどころではなかった。
どうにも、ライトの“どくどく戦法”が何時か見たことのある記憶と重なるのだ。
特にアクアマリンを彷彿とさせるような瞳は、自分が好きな女優の一人によく似ている様な―――。
そのようなことを考えている内に、試合はどんどん進んでゆき、たった今ビビヨンの放った“エナジーボール”を、ヒンバスが“まもる”で防いだ。“まもる”は技の特性上、連続で繰り出すと失敗する為、ライトは先程から“かげぶんしん”と交互に繰り出して徹底的に時間を稼いでいる。
次第にビビヨンの顔色も優れなくなってきており、そろそろ体力の限界が近付いてきた頃だろう。
だがその時、天窓を覆っていた黒雲が急に晴れ、ヒンバスの動きが次第に鈍ってくる。
(雨が……晴れたか……!)
最初の戦闘でのアメタマの“あまごい”を最大限に生かす為、ストライクではなくヒンバスで勝負に出たのであったが、とうとうアドバンテージが無くなってしまった。
しかし、ここまでくれば後はストライクでどうにでもなる筈。それは慢心などではなく、純粋に分析した上での推察だ。
だからと言って、ここで簡単にヒンバスを見限るなどという選択肢は、ありはしない。
―――……勝ちたいよね。
真摯な眼差しをヒンバスに向けると、彼女はコクンと頷いて戦意を示す。
ライト達が己の意志を互いに見せつけている間、ビビヨンは天窓から差し込む光を羽一杯に浴び、凄まじい輝きを放ち始めていた。
余りの光に思わず目をつぶってしまう者達も居る中で、ライトとヒンバスはしっかりと相手を見据える。
視線の先には、天窓から覗く晴天のように晴々としている笑みを浮かべるビオラが堂々と立っていた。
「ライト君! その、勝利に貪欲なバトルスタイル……いいんじゃない、いいんじゃないの!? でも、私もジムリーダー……全力を出し尽くしていくわよ! ビビヨン、“ソーラービーム”発射用意!」
「ビビヨ~ン!」
日光を羽に浴びるビビヨンは、それらを次のターンに解き放つエネルギーに変換していく。
“ソーラービーム”は言わずと知れた、【くさ】タイプの特殊攻撃において、かなり強力な部類に入る技だ。天候によって多少威力は左右されるものの、今の状況ではヒンバスを倒すのに十二分な威力のものを解き放つことが可能であろう。
「ヒンバス、“ひかりのかべ”!」
「ミッ!」
ヒンバスは“かげぶんしん”を行いながら、自分の目の前に“まもる”とは違う防御壁を展開する。特殊攻撃の威力を半減にする補助技であるが、これならばヒンバスの耐久でもどうにかなるかもしれない。
ライトはそう考えながら、念には念をと、もう一つアイコンタクトでヒンバスに指示を送る。
その直後、煌々と輝いていたビビヨンの羽が、閃光を迸らせながらより一層と輝いた。
「―――“ソーラービーム”、発射!!」
「ヨ―――ンッ!!!」
刹那、ビビヨンの前方に巨大な光球が出現すると、ビビヨンはバトルフィールドに点在するヒンバスの分身を、薙ぎ払うかの如く次々と消し去っていく。
ぬかるんでいたフィールドは“ソーラービーム”によって大きく削られ、泥を周囲に跳ね飛ばしていった。
「さあ、そのまま舞いなさい!」
「なッ……!?」
次の瞬間、ビビヨンはその場でヒラヒラと舞う様にして回転していくではないか。極太の光線が円を描く様に解き放たれ、時間を掛けて増やしていった分身も瞬く間に消滅する。
そして遂に―――。
「ミッ!?」
「ヒンバス!?」
「捉えたわよ!! ビビヨン、踏ん張って!!」
「ヨ――ンッ!」
“ひかりのかべ”を展開している本物のヒンバスに、ビビヨンの最大威力の“ソーラービーム”が直撃する。
展開している壁はあくまでも半減するものであって、無効化するものではない。その為、防ぎきれずに透過する一条の光線が、ヒンバスの体を焼くかのように照射され続けている。
苦しそうに顔を歪めるヒンバスであるが、まだ耐え続けている。
「まだだ……頑張れヒンバス!!」
「ミッ……ミ――――ッ!!!」
一瞬、凄まじい閃光が室内に広がると同時に、大きな爆音も窓ガラスやその他諸々を揺らしていった。
バトルコートの上空では、“ソーラービーム”を発射し終わったビビヨンが疲弊しきった顔で弱弱しく宙を羽ばたいている。
そして、真面に日光を凝縮したエネルギーを喰らったヒンバスが居た場所には、大きな煙が立ち込めて、先程までフィールドを縦横無尽に駆け回っていた魚ポケモンを見る事は叶わない。
だが、すぐにその小さな体は―――強靭な体は姿を現した。
一枚の壁と共に。
「―――今だ!! “ミラーコート”!」
「何ですって!!?」
ライトの口から迸った技名に、思わずビオラは驚愕してしまった。
ペールオレンジの体の目の前には一枚の壁が展開されているが、それは“ひかりのかべ”とは全くの別物だ。
“ミラーコート”。それは相手に対し、受けた分の特殊攻撃を倍返しするという、言わばカウンターのような―――。
「ミ―――ッ!!」
「ビ……ビヨ―――ンッ!?」
ヒンバスの眼前に展開されていた壁が輝きだすと、瞬く間に溜め込まれていたエネルギーが凝縮し、宙に佇まっているビビヨンにお返しとばかりに一条の光線が飛んでゆく。
“ソーラービーム”発射直後且つ、【もうどく】によるダメージもかなり溜まっていたビビヨンはすぐさま反応することができず、真正面から飛来するエネルギーの奔流に呑みこまれた。
そして、一条の光がビビヨンを巻き込み、拡散して光が散っていくと、中からは目をグルグルと回しているビビヨンが力なく地面に落下する。
「ビビヨン、戦闘不能! よって勝者、挑戦者ライト!」
審判がバトル終了を告げるが、室内は一瞬静寂に包まれる。
だが、ビオラが満足そうな顔でビビヨンをボールに戻し、茫然とするライトに微笑みかける。すると正気に戻ったライトは、にっこりと笑っているヒンバスの下に駆け寄って抱きしめた。
「やったぁあ! よく頑張ったね、ヒンバス!」
「ミッ!」
少なくない傷を負いながらも、目尻に涙を浮かべて喜ぶ主人を見て、大役を果たしたヒンバスは満面の笑みを浮かべて喜びを分かち合う。
その間、ビオラは後ろの通路からやって来るジムトレーナーから一つの箱を受け取り、それを目の前でパートナーと抱き合っている少年に差し出した。
「おめでとう、ライト君! これ、受け取ってくれるかしら」
「ッ、ありがとうございます!これって……」
「……私、ハクダンジムリーダー・ビオラは、ポケモンリーグの条項に従い、リーグ公認のバッジ―――『バグバッジ』をここで貴方に授けます。なーんて、堅苦しい感じになっちゃうけど、これが私のジムのバッジよ!」
「は、はい!」
「ついでに、初めて攻略したジムではバッジケースも付属で貰えるから、この箱ごと貰っちゃってね」
そう言われ、金属光沢が凄まじい新品のバッジケースを手に取る。蓋を開けると、中にはケース同様新品のバッジが一番左に埋め込まれていた。残る七つの溝は、それぞれ別の形に凹んでおり、これから手に入れるであろうバッジの形を暗に示している。
だが、後で手に入れるバッジよりも、今は勝利の証であるバグバッジを手に取り、天窓が降り注ぐ光に照らし上げながら、よく観察してみる。
胴のような金属はクワガタを丸くデフォルメしたような形状であり、背中の部分には翅を模った黄緑色の透き通った石のような物がはめ込まれている。それは、角の内側の部分にも埋め込まれていた。
緑の中で逞しく暮らす虫ポケモンをイメージした色合いのバッジは傷一つなく、日光を目が痛くなるほどに反射する。
「わぁ……」
ライトがバッジを眺めていると、ボールに入っていた筈のヒトカゲやストライクも勝手に姿を現し、初めて手にしたバッジを興味深そうに眺めている。
すると、不意に『パシャ!』というシャッターが切られる音が聞こえ、思わずライト達は振り返った。
「よかったんじゃない、今の!? 君とパートナーのスマイル! ベストショットだったわ!」
「は……はぁ、どうも」
カメラを構えてグッドサインを出すビオラに、不意を突かれたライトは少し苦笑いを浮かべた後に、バッジをケースに仕舞ったが―――。
「ブイ―――ッ!!」
「背中痛ァッ!!?」
虚を突く形で、観戦していたジーナに抱かれていた筈のイーブイの“たいあたり”が、ライトの背中に命中する。
『ゴキッ』という目を覆う音を響かせたライトは、顔に汗を滴らせてその場に膝をつくが、『そう言えば……』と得心してイーブイを片手で抱き上げた。
「こッ……この子も一緒で、写真お願いします……」
「え……ええ! いいわよ、じゃあ皆並んで……―――」
「―――はい、チーズッ!」
パシャ!
ライト、バグバッジ獲得。