ポケの細道   作:柴猫侍

115 / 125
第百十話 バトンタッチ

 

「ニャオニクス、戦闘不能! ライト選手、準決勝進出だぁ―――!!」

 

 湧き上がる歓声。

 だが、勝利の実感が湧き上がってこない。それよりも心を埋め尽くすのは言いようのない喪失感。

 訳も分からないまま相手方と握手を交わした後、後ろ髪をひかれることもなく一心不乱に駆けだす。

 

(なんで……?)

 

 もしかすれば今の内であれば。

 それが甘い考えであることを知るのは、もう少し後。

 

 

 

 ***

 

 

 

「え?」

 

 頓狂な声を上げるライトの目の前には、神妙な面持ちのジョーイが佇んでいる。

 三回戦を勝利した後に訪れたポケモンセンターで、アブソルとバトルした後すぐさまボールに戻したハッサムと他のポケモンたちを預けたのだが、バトルに出たミロカロスとブラッキーはボールで返ってきた。しかし、ハッサムは一向に返って来ていない。

 事情は話した。右腕に怪我をしていると。

 しっかりと検査するにはある程度の時間が必要なことは分かっていたが、冷静ではないライトは一分一秒をやけに長く感じてしまい、黙っていられる状態ではなかった。

 

 そして一時間後―――すでに他の試合が終わってしまっているかもしれない頃合いに、ライトがジョーイに連れられてきたのはガラス張りの部屋。

 ガラス越しに見えるのは、寝台に腰掛けて外を眺めているハッサム。

 

 首から三角巾を下げて、動かない右腕をぶら下げる力ない姿。

 

「あ……あのう、もう……一度お願いしま、す」

 

 震えた声でライトが問いかける。

 自分がどのような表情をしているかは把握していないが、ジョーイの悲痛な面持ちを見る限り、平静ではないことは窺えた。

 

「貴方のハッサムは、右腕の節に酷いダメージを負っていまして……。大きな病院で精密検査も必要です。もしかすると、後遺症も残るかもしれません。以後のバトルに選出するのは―――」

 

 憶測でものを言わないでくれ。

 そう言いたかったが、ライトの唇は震えるばかりで言葉を吐き出すことができない。

 

 一先ず理解できたのは、準決勝は勿論、その先挑めるかもしれない決勝にも選出できないという事実だ。

 誰よりも自分と共にチャンピオンという頂きを目指したがっていたパートナーが、今ここで抜ける―――それがライトの動揺を誘うことは想像に難くないだろう。

 

「え、と……その、中に入ってみても……」

「はい、大丈夫です。試合に出れないことは、貴方の口から直接……」

「……分かりました」

 

 まだ心ここに在らずのままのライトであったが、居ても経っても居られずにハッサムとの面会の為に部屋に踏み入る。

 ポケモン専門とはいえ病院らしく消毒の臭いが鼻をつく部屋。小ざっぱりとした空間は厭と言う程の空虚感を煽る。

 一歩一歩が重く感じられた。

 

 なんて言えばいいんだろう。

 

―――なんで黙ってたの?

 

―――怪我は大丈夫?

 

―――後は僕らに任せてよ

 

 いくつもの慰めの言葉を思い浮かべるも、しっくりくる言葉が見つからない。

 思慮を巡らせながら近寄ろうとしていたライトであったが、あと一歩というところで立ち止まってしまう。

 

 ハッサムがこうなってしまったのは、自分が彼の負傷に気付いてあげられなかったからではないのか。

 自分がトレーナーとして不甲斐無かったから、これからのバトルにも支障が出てしまうような傷を負ってしまったのではないか。

 

 己の至らなさ故にパートナーを傷付けたのではないかという考えばかりが浮かび上がってしまい、臆病になってしまう。

 何時まで経っても踏み出せないライト。

 すると、徐にライトの足元へ一枚の布が舞い落ちてきた。

 

 銀色のバンダナ。

 ヒヨクシティで贈ったプレゼントだ。絆を深める一環として参加し、その際手渡した一品。これを手渡した時の彼の照れた顔は、今でも鮮明に思い出せる。

 手前に落ちたバンダナを拾いながら、勇気を振り絞って声を掛けた。

 

「ハッサム?」

 

 振り返らない。

 

「ねえ」

 

 黙って外を眺め続けるだけ。

 

「こっち向いてよ」

 

 ピクリとも動かない。

 

「ねえったら」

 

 拳を握る軋んだ音が部屋に響く。

 

「……ハ……っ!!」

 

 喉の奥から絞り出そうとした声を止め、踵を返して部屋を飛び出す。

 此処がどこだとしても構わない。普段なら、施設内で走らないようにという注意書きに沿うよう、どれだけ急いでいても駆け出すことなどなかった。

 だが、この時ばかりはどうしようもなくハッサムから離れたい気分に駆られて仕方が無かったのだ。

 

 照明の光を反射するほどに磨かれた廊下を走り数十秒。しどろもどろな様子で走り続けていた為か、途中で足を絡ませてしまい、派手に転んでしまった。

 痛々しい音が響く。

 同時に、足音が聞こえなくなった為に漸く聞こえるようになった音がもう一つ。

 

「~~~……っ!!!!」

 

 声とは言い難い、絞り出すかのような息遣い。

 嗚咽にも似たような音が吐き出すのは、怒りのような、悲しみのような、寂しさのような―――さまざまな感情が入り乱れ、形容しがたいライトの胸中を表現していた。

 先程拾い上げたバンダナを握りしめる。

 それこそ、裂けて破れてしまうのではないかという程。

 

 暫し、廊下に四つん這いとなって歯を食い縛るだけのライトであったが、遠くの方からコツンコツンと足音が聞こえてきた。

 他人の目など、最早どうでもよかった。

 最愛のパートナーに拒絶されたかのような態度をとられたのに比べれば―――。

 

「……!? ライト、どうしたのッ!?」

 

 曲がり角から出てきた人影が、焦った声でライトの下へ駆け寄る。

 徐に駆け寄った人物は四つん這いになったライトの前で膝立ちとなり、肩に手を掛けた。

 

「カ、ノン……」

「ッ……」

 

 幼馴染の登場に漸く面を上げたライトであったが、瞬時にカノンが息を飲んだ。

 

 彼が泣いているところなど、久しく見ていなかった。いつも明るく振る舞い、誰かに心配はかけさせまいと気丈に振る舞っているようなライトが、これだけ顔を歪ませて目尻に涙を浮かべている様など。

 余程のこと―――十中八九、ハッサムのことだと理解したカノンは、なにも言わずにそっと寄り添う。正直に言えば、なにをすればいいのか分からなかったということもある。

 

 だが、下手に慰めてもなんの解決にもなりはしないことは理解していた。

 

 そのように何も言わず寄り添ってくれる幼馴染―――ふわりと香る落ち着いた匂いに、僅かに我を取り戻したライトは顔を俯かせたまま、ポツリポツリと言葉を紡いでいく。

 

「……ショックだったんだ。怪我を伝えてくれなかったのが、僕らを信用してくれてないみたいで。そ、そんなにハッサムに気負わせちゃってたのかって……同じ夢、見てたはずなのにって……」

「ライト……」

「僕はハッサムの思う所なんて、これっぽっちも分かってなかった……勝手に、ポケモンリーグに賭ける想いは一緒って思ってた。でも……でもッ……泣くほど出られないのが悔しいなら、それこそ言って欲しかったよぉッ!!!」

 

 カノンの手に乱雑に手渡すハッサムのバンダナ。

 じんわりと濡れているバンダナに染み込んでいるのは、それを身に着けていた本人の悔恨の念だ。

 

 小刻みに震えるライトが吐き出したのは、仲間たちを信頼していないかのような素振りを見せたハッサムへの怒り。彼の異変に気付かなかった自分の情けなさへの怒り。そして、肝心な所で抱いていた想いのすれ違いに対する悲しさだった。

 初めてのポケモンリーグ。例え優勝できなかったとしても、次がある。ライトはそう思っていた。

 しかしハッサムにとって、初めてのポケモンリーグはたった一度しかこないチャンス。是が非でも主人を優勝に導きたいという執念が、彼をある種狂った方向へ導いたのかもしれない。

 それこそ、自分のこれからのバトル人生を犠牲にしたとしても。

 

 

「っ……ゴメン。ちょっと外に出てくる」

「あ……うん」

「それも少しの間持ってて」

 

 バンダナをカノンに預けたまま、ライトは小走りでコロシアムの外へと駆け出して行った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 初めてストライクが言うこと聞いてくれたの、何時だったっけかな?

 ……ああ、そうだ。ヨシノシティの、子供バトル大会だ。あの時の優勝賞品のお菓子の詰め合わせ、皆で食べたんだったなぁ。

 

 懐かしい記憶を思い出しながら、ライトは空を仰ぐ。

 心中とは打って変わって、澄み渡った空だ。ヤヤコマやポッポも元気に空を飛び交っていて、平凡な一日の一場面に自分が混じっているようで、少しばかり平静は取り戻せてきていた。

 柄にもなくカノンに色々言ったライトは、後でもう一回謝っておこうかななどと呑気に雲の軌跡を追う。

 

 すると、徐にポケットのボールから一体飛び出してくる。

 視界に映る橙色の巨体。出てきただけで周囲の気温が二、三度上がりそうな熱を尾に帯びている火竜は、普段と変わらない瞳で呆けているライトに視線を遣った。

 

「グォ」

「……リザードン、どうし―――」

 

 勝手に飛び出してきたリザードンに問いかけるや否や、結構な勢いの炎がライトの顔に襲いかかる。

 

「んあ゛ぁッづいッ!? なに、反抗期!?」

 

 突如として自分を襲いかかった暴力に取り乱す。

 本気を出せば岩石をも溶かす炎―――尤も、炎を顔面に受けただけで大抵の者は取り乱すが、ライトはハッサムのことも相まって意気消沈していた為、リザードンの突拍子もない行動に反射的に驚愕してしまった。

 煤けた顔に、第二回戦で戦った相手のようなアフロヘアーとなってしまったライト。ジト目で真意を探るようにリザードンへ視線を向ければ、リザードンは天を仰ぎ―――。

 

 

 

「―――グォォォォオオオオオオオオッッ!!!!!!」

 

 

 

「いッ……!?」

 

 辺りに地響きが轟くほどの声量で咆哮を上げる。

 思わず耳を塞ぐライトの後方では、木の枝にとまっていた鳥ポケモンたちが大慌てで逃げ出す。

 離れた街に響くのではないかと思われる咆哮を暫し耳にすれば、気が済んだらしいリザードンは鼻を鳴らして、ライトに顎を差す。

 

「グォウ」

「……なに? もしかして……イライラしてる?」

 

 尻尾の炎の色で気分を察したライト。

 咆哮を上げている最中、リザードンの炎は青色だった。青色―――つまり、怒りを示す態度であったリザードンは、一体何に怒っていたのか?

 

「僕に?」

「……」

「……じゃあ、ハッサムに?」

「グォウ」

 

 即答。

 成程、互いに意地っ張りとして張り合ってきた二体であるのならば、リザードンがここまで怒っていることは納得いく。

 認めていたからこその怒り。

 沸々と燃え滾る感情が並々でないことは、ポケモンでないライトにも理解できた。

 

 そのようなリザードンの様子に思わずクスリと笑ってしまったライト。そうだ、リザードンは本選では余り戦っていないのだから、体力は有り余っていることだろう。

 ドンと胸を叩いてみせるリザードンの姿は、いつもに増して頼もしい。

 

「……そうだね。いつまでも引っ張ってらんないよね。まだ……―――終わってないんだから」

「グォウ」

 

 リザードンなりの激励を受けたライトの瞳の色が変わる。

 

 曇天のように曇っていた瞳が、晴天の如く澄み渡った青色へと。

 

「まったくさぁ、ハッサムもいまいち信用してくれてないみたいだけど……ここで一つ見せてやろうよ」

「ドンッ」

「準決勝と決勝……チームの大黒柱(エース)はキミに任せる。それで異存ないかい?」

「グォウッ!!!」

「いい返事! ……ぁぁあああああああ゛あ゛あ゛ッッ!!!!」

 

 リザードンの咆哮を真似るよう雄叫びを上げるライトは、体内の陰鬱な気を全て吐き出す勢いで続く限り叫ぶ。

 

 

 

―――持ち帰るべき切符(挑戦権)は持ち帰る

 

 

 

―――それでいいでしょ? ハッサム

 

 

 

「絶ッッッ対、勝ぁぁああああああつッ!!!!!!」

「キシャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 日も上り、一層気温が上り詰めた昼。気を抜いてしまえば熱中症にかかってしまいそうな天候の中、彼等は冷房の効いた選手用観戦室に居た。

 

「ゴメン……期待に応えられなくて……」

「あ~……でも、全力は尽くしたんでしょう? あたくしがどうこう言える立場ではないのはご存知でしょう。ここは、残ったライトに後を任せることにしますわよ」

 

 意気消沈したデクシオを慰めるのはジーナ。

 第三回戦第二試合でアッシュとバトルしたデクシオであったが、結果的には敗北を喫することとなった。

 互角―――とは言い難いが、傍目から見てもデクシオは善戦した方であった。

 だが、敗北という結果に変わりはない。

 

 こうして準決勝進出を逃した仲である二人は、観戦席から準決勝進出者たちが立ち並ぶ様を眺めている。

 まず一人目は、言わずもがなライト。

 次に、デクシオに圧勝したアッシュ。

 三番目に、ホウエンリーグで優勝した経験もあるテツヤ。

 最後に、ジョウトとホウエン―――二つのリーグで実績をもつハヅキ。

 

 この中で優勝候補と問われれば、一度他のリーグで優勝した経験のあるテツヤか、ここまで圧倒的な力で相手をねじ伏せてきたアッシュか―――この二人に絞られる。

 だが、ハヅキもトレーナーとして充分強者の部類に入り、爆発力ではライトも負けてはいない。

 結局のところ、戦ってみなければ分からないところではあるが……

 

「ライトは大丈夫なのかしら? ハッサム……恐らく戦線離脱ですわよね?」

「うん。彼のハッサムはパーティの重要な役を担っていた筈だから、抜けるとなるとこれからのフルバトルは相当厳しい筈だけれど……」

「どうしたんだい、二人共? そんなに神妙な顔で」

 

 ふと背後から聞こえる声に、二人は反射的に振り返った。

 

「プ、プラターヌ博士!?」

「学会でシンオウに行かれていたんではないですか!?」

「うん、そうだよ。でも、終わってすぐに戻ってきたからね! なんせ、僕がポケモン図鑑を託した子達が出場してるんだから!」

 

 学会の後、直で戻ってきてスタジアムに来たらしいプラターヌは、その髪型の荒れ方で忙しさを表現していた。

 目を燦々と輝かせて二人に笑顔を贈るプラターヌ。

 しかし、二人の表情は優れない。

 

「も、申し訳ありません、プラターヌ博士……あたくし達は……」

「ん? なんで謝るんだい? 君達はとても素晴らしい試合をしていたじゃないか!! 直接見れなかった分も、友人に録画を頼んでいたからね。後でじっくりプライベートの時に見直すつもりだよ!」

「博士……僕達は……」

「うん、僅かながらでも君達とポケモンの絆はしっかり見せてもらったよ。じゃあ、後はライト君の応援に勤しむとしようじゃあないか!!」

「「……はい!」」

 

 プラターヌに促された二人は、再びスタジアムのフィールドへと目線を移す。

 これから準決勝の組み合わせを発表し、一時間の休憩を経て準決勝へとプログラムは移行する。

 ポケモンリーグの日程の中で最も厳しい日にちであるが、この正念場を抜ければ残るは決勝のみだ。

 

―――彼は今、どのような気持ちであの場に佇んでいるのだろうか

 

 この抽選の為だけに召集された四人。その中に佇むライトの抱く想いは如何なるものなのか、二人には想像もつかない。

 しかし、三回戦以前と明らかに違う事象が一つ。

 

 ライトが身に纏う覇気が凄まじいということだ。鬼気迫っていると言うべきか、思わず見ている此方が委縮してしまうほどの執念の炎を背に背負っているように見える。

 

「うん、いい目だ」

 

 そのような少年を一瞥して、プラターヌはそう評す。

 

 するとスタジアムの大画面に映っていた四人の顔画像が途端にチカチカと入れ替わり始める。抽選が始まったようだ。

 どよめく会場。

 一体どのような組み合わせになるのかと、期待と緊張がスタジアム全体を覆う。実際に戦うこととなる選手は、それ以上の感情を抱いているだろうが―――。

 

『レディ―――ス、ァア―――ンドジェントルメェ―――ン!! お待たせいたしました!! ようやく……ようやく、このカロスリーグ準決勝を彩る組み合わせが決まりましたぁ!!! どうぞ、御覧下さぁぁぁあああいッ!!!』

 

 ド派手に映し出される選手の組み合わせ。

 そして、ライトが戦うのは―――。

 

「キンセツシティのテツヤ選手……ですわね」

「ホウエンリーグ優勝経験者……!」

 

 カードとしては最悪の組み合わせと言えるだろう。

 実績があるというだけで、新参者には只ならぬプレッシャーを与えることができる。

 そのように片や優勝経験者であるという一方、片やリーグ初出場者。幾ら同じステージに駒を進められたとはいえ、格の違いという現実が直面しそうだ。

 

「ええと、プラターヌ博士? ライトと相手の方……どちらが勝つと思います?」

「ん? う~ん、どうかなぁ~。ボクはバトルはさっぱりだからねぇ、ははッ!」

(か、軽いですわ……)

 

 飄々とした様子のプラターヌに、ジーナは頬を引き攣らせる。

 

「あぁ、でも……」

「でも……なんですか?」

「ボクとしては、ポケモンとより強い絆を深めている方が勝つ……そう思うよ」

 

 打って変わって真摯な面持ちに変わるプラターヌに、二人も思わず息を飲む。

 

 今、最も強い絆で結ばれていた筈のポケモンが傍に居なくなった少年は、果たしてチャンピオンになったことのあるトレーナーを超えられるのか。

 

 

 

 バトルが始まるのは、泣いても笑っても一時間後。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。