征暦1935年4月10日
ガリア軍総司令官ゲオルグ・ダモン大将は、『春の嵐』作戦実行日を4月の14日と決定した。
帝国軍が、南部のクローデンから補給を受けようとしているとの報告が来た為であった。
折角つかみ取った反撃のチャンスを無駄にしたくはないダモンは、量産中の新戦車を待つことなく、アスロン奪還へ向けた準備を行っていた。
今回はガリア軍側の攻勢である。恐らく被害は防衛戦よりも多くなるであろうと踏んだダモンは、味方の消耗を抑えるべく、軽戦車を主軸とした機甲師団を前面に押し出して歩兵の壁となる様に命令を下した。
既に公国内では慌ただしく兵士が動いており、初の反攻作戦に心躍る者もいれば、作戦が失敗しないか不安になる者も居た。
だがそれ以上に、アスロンに立て篭もる帝国軍は
最悪物資が無くなった場合、銃剣突撃も視野に入れている程であった。
義勇軍では先の戦勝で士気が上がっており、下手をすれば正規軍よりも戦果を叩き出しそうな勢いであった。
ただ、一部では勝っているにも関わらず既に脱走兵が出てきてしまっており、必ずしも一枚岩とは言えなかった。
ラジオではこの一戦でガリアの運命が変わると吹聴している。
事実、アスロン奪還が失敗すれば、補給を受けた帝国軍により、再びヴァーゼル橋まで押し戻され、今度こそガリアは帝国に降伏しなければならないだろう。
ガリア正規軍中隊隊長であるバルドレン大佐も「此処が我々の未来を決める戦いである」と、ガリア軍内で鼓舞していた。
◆4月13日~ガリア公国 ダモンの職務室~
この日、ダモンは最後の書類の処理に手を焼いていた。
理由は、自身の生家であるダモン家と縁続きである、エリート軍人家系のラヴェリ家の1人の女性士官にあった。
「閣下。顔色が悪いですよ?そろそろ休憩なさったほうが宜しいかと…」
「そうは言うがな中佐。こればっかりは、流石のわしも放り出せん内容なのだ」
「そんなに、『マルギット・ラヴェリ少尉』に問題がお有りなのですか?」
「うむ。まるで昔のわしを見ているかのようでな。今の内に手を打っておきたいのだが……」
最後の書類の中身というのは、自身の姪であるマルギットの事であった。
彼女は、緒戦でガリア軍部隊を率い、そして見事に部隊壊滅という結果を叩き出した。
しかし彼女は、この責任は壊滅した部隊にあると言って譲らず、叔父であるダモンに泣きついている状況であった。
だが、この責任は何処をどう見ても、指揮をした彼女に非がある。
ダモンは、彼女もまたネームレスへ送られる事を知っている。下手に手を打つ積もりはなかった。
寧ろネームレスへ送られなければ、一生この独善的な性格のままである事は明白だった。
「明日には作戦が開始されると言うのに……。準備で忙しい時に、この姪は…ハァ…」
「どうなされますか?」
「どうせわしが言っても聞く耳持たぬであろうが…。最後くらいはチャンスをくれてやる積もりだ」
「だとしても、少尉に従う兵士が居るでしょうか?」
「老親衛隊から出す。こやつらであれば、何があっても生き残るであろう」
本音を言えば、今直ぐにでもネームレスへ送りたい。
だが、未来を知っているからと、何もせずに送ればラヴェリ家とダモン家の間に亀裂が入る。
であるならば、せめて最後くらいは花を持たせてやろうというダモンの優しさが、マルギットを少しだけ正規軍に留まらせる事となった。
「それと閣下。今回の作戦ですが、『絶対に』前線に出ないようお願いします! 閣下は後方司令部で随時報告をうけるだけで、結構です!」
姪の話から一転、自分の話になった事でダモンは嫌そうな顔をした。
「分かった分かった。その事は耳にたこが出来るほど中佐を含めた現場指揮官から話を聞いておる」
というのも、ダモンは先日作戦会議の中で、現場指揮官から猛抗議を受けたのである。
理由は3つあった。
1つ目は、総大将であるダモンが現場に出てこられては、指揮系統がめちゃくちゃになってしまうという事。
2つ目は、士気は確かに上がるが、もし戦死すればガリア全軍が成り立たなくなってしまう事。
3つ目は、そもそも全ての情報をダモンに伝えなければならないのに、その本人が動くとなると、情報が正しく届けられない事。この3つである。
これには流石のダモンもぐうの音も出ず、渋々指揮官らの抗議を受け入れたのであった。
だがダモン自身は諦めた訳ではなく、もしまた機会があればと考えていた。
これには、オドレイとバーロット以下指揮官全員が呆れ返ってしまった。
「閣下ご自身、言動と行動が矛盾しております。『戦死は嫌だが前線には出たい』など、おかしいです!」
「うるさいのぅ…。分かったと言っておるのに……」
オドレイは先日の件を思い出し、再びダモンにダメ出しを行っていた。
そんな矢先、老親衛隊の1人が報告書をもって部屋にやってきた。
「親父殿。命令されていたアスロン近郊の状況報告に参りましたよ」
「全く、中佐の前でもその名で呼ぶのだな?」
「勿論です。親父は親父ですから」
「ハッハッハ。嬉しい事を言ってくれるものだ。さて、報告を頼む」
老親衛隊に所属する隊員は、誰もがダモンの事を『親父』と言って敬愛していた。
彼らは、ギルランダイオ防衛戦からダモンに付き従ってきた勇敢な兵士達である。
ダモンの戦いぶりや、兵士1人1人に対する言動は、自分達の親の様であると尊敬し、一部の兵士が『親父』と呼んだ事から瞬く間に浸透し、今に至る。
因みにダモンは、その呼び名に対して何とも思ってはおらず、寧ろ自分を『親父』と慕ってくれる彼らを、一層愛でていた。
そんな隊員は、隣で不満そうな表情をしたオドレイにも聞こえるように、少し大きな声で報告を行った。
「親父殿の仰った通り、アスロン近郊にはいくつもの帝国軍陣地が点在していましたが、既に壊滅状態でした」
「壊滅!? 何故です!?」
隊員の報告を聞いたオドレイは、耳を疑った。
帝国軍の防衛陣地はいずれも強固で、それこそ機甲部隊を前面に出すという作戦は、これら敵陣地からの攻撃をできるだけ抑える為であった。
だが、その陣地が壊滅したとあれば、別に機甲部隊に頼らずともガリア軍はアスロンへ進軍可能なのである。
アスロンは"都市"として見ればガリア中部最大であるが、"拠点"という面で見れば、土地が平坦で守りに向いていなかった。
故に帝国軍は近郊に防御陣地を構築し、ガリア軍を待ち構えていたのである。
しかし、何故帝国軍が壊滅しているのか、オドレイには分からなかった。
「流石はアーヴィング少尉。早速やりおったか!」
「閣下。どういうことです?ガリア軍は一度も攻撃命令を許可しておりません。何故にアーヴィング少尉の名前が出るのですか?」
「その説明をするには、まずネームレスという部隊を詳しく知る必要があるな。わしが簡単に教えてやろう」
ダモンは口頭で簡単なネームレスの解説を行った。
そもそもの成り立ち、部隊に所属する兵士の事、そして……彼らが行った戦闘は記録に残らない事も。
ここでネームレスについて少し解説する。
ガリア諜報部所属の懲罰部隊である422部隊。
この部隊は、ガリア軍の特殊部隊として発足したのが元である。
当初は少数精鋭の兵士で部隊を展開させていたが、作戦での死傷率が甚大であった。
当然ガリア上層部は湯水の様に消えて行く精鋭を、黙って見ているつもりは無く、徐々に部隊は犯罪者や命令違反を犯した兵士が送られる様になった。
そして遂に、422部隊には【ネームレス】という不名誉な渾名がつけられ、懲罰部隊として生まれ変わった。
今では、正規軍でありながら余り補給を受けられずにいた。故に、この部隊は常に医療品や物資が不足しがちである。
名前と自由を奪われ、それでもなおガリアという国の為に酷使され続ける部隊。それが422部隊であった。
だが、ダモンは敢えてクルトの事と、グスルグの事を省いた。
今ここでオドレイに2人の話をするのは、色々と問題が起きるかもしれないと思った為である。
クルトは無実の罪であり、それを捏造したのはガリア上層部のアイスラー少将。
グスルグは自身の理想の為にガリアを裏切る事になる。しかし彼は国際法を遵守し、結果的にガリアを救ってくれたのもまた事実である。
これら全ての元凶はひとえにアイスラー少将にあるのを、ダモンは知っている。
ただ、今の状態で彼の裏切りが露見すれば、ガリア軍は疑心暗鬼に陥り、機能が停止してしまう。
それを危惧したのであった。
「……なるほど。諜報部が極秘裏にアスロンの敵を撃破した。そして部隊を率いたのがアーヴィング少尉であると。そう言う訳ですね?」
「理解が早くて助かる。そう言う訳で、『春の嵐』作戦は、もう決着がついているようなものだ」
「ですが、未だアスロンには―――――」
「分かっておる。作戦に変更はない。明日、ガリア軍の総力をもってアスロン奪還に動く。各部隊には、油断せぬよう伝えておくのだ」
そう言うとダモンは椅子の背にもたれ掛ける。椅子は反発するように
老親衛隊の隊員は報告が終わると直ぐに部屋から退出した。
再びオドレイとダモンは2人きりとなった。
(ガリアを舐めるでないぞマクシミリアン…。この国は、そう簡単に負けたりはせん。ランドグリーズ家の秘密が公になるまで、この国には生きていてもらわねばならん。そして、わしはそれを見届ける必要がある。見る事が叶わなかった未来を、この目で……)
オドレイは、ダモンの思いを知ることなく、1人で耽っている彼を尻目に、黙々と作業を進めていた。
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◆4月14日 ガリア軍『春の嵐』作戦を開始す。
ガリア軍は、遂に帝国軍に対して反転攻勢を仕掛ける事になった。
今まで振り上げたままであった拳を振り下ろしたのである。
422部隊のお蔭で、敵防衛陣地を難なく突破したガリア軍は、市内に残る帝国軍と交戦。市街戦に突入した。
無論、ガリア軍の中には義勇軍も含まれているので、ウェルキン率いる第7小隊も参戦していた。
「兄さん。此処からは戦車では無理です。どうしますか?」
「うん。じゃあイサラは此処に残って、味方の突入の援護を頼むよ。僕は降りてアリシア達と進軍する」
「分かりました。どうかお気をつけて…」
市内では、帝国軍が建物の2階から攻撃をしてきたり、土嚢を積んでそこに機関銃を設置して反撃してくるなど、未だ強い意志を持ちガリア軍と交戦していた。
対するガリア軍も、占領した拠点を元に帝国軍を攻撃し続けている。
"ヒュンヒュン"と弾が擦れる音が各地で轟く中、第7小隊は家屋を1つ1つ制圧していった。
2階からの攻撃は、ガリア軽戦車の反撃で次々に潰されていく。
しかしその隙を狙って帝国兵は、軽戦車に対戦車槍を打ち込むなどして反撃を行っていた。
狭い道や場所でこそ真価を発揮するガリア軽戦車ではあるが、その場所が自国の都市と言うのは皮肉であった。
「チッ! 鼠のように次から次へとキリがないよッ!」
「ロージー! 右だッ!」
愚痴をこぼすロージーを狙う帝国兵を、ラルゴは見逃さなかった。
ラルゴは抱えていた対戦車槍を、帝国兵のいる場所へ発射した。薄く弧を描く様に弾は飛んでいき、帝国兵に命中した後、爆散した。
「このままじゃ弾が幾つあっても足らねぇぞ!」
「あんたがバンバン撃つからだろうがッ! 下手したらアタイにも当たってたよッ!」
「助けてやったんだから、少しくらいは感謝しやがれッ!」
ラルゴとロージーは口喧嘩をしながらも、攻撃を止めない帝国軍に業を煮やしていた。
間違いなくその数を減らしていく帝国軍。だが、誰1人として降伏の意志を持たなかった。
敗北を悟った彼らは、少しでもガリア軍を道連れにする為に、死兵と化していたのである。
一方で、アリシアと行動を共にするウェルキンは一足早くアスロン中心部に到着していたが、建物の屋上から狙ってくる敵の狙撃兵により身動きが取れないでいた。少しでも頭を出せば容易に撃ち抜かれる事は流石のアリシアでも理解していた。
「どうするのウェルキン? このままじゃ私達、ここから動けないわ」
こんな話をしている最中ですら、帝国兵は隠れている2人目掛けて弾を撃ち込んできている。
隠れている建物の壁が、その弾でジリジリとただ削られていく一方であった。
「くッ! こんな時にエーデルワイス号があれば、あの建物ごと吹き飛ばせるのに…!」
「エーデルワイス号でもこんな路地までは来られないわ。一体どうしたら…」
アリシアが様々な事を思案していたその時、こちらを狙っていた狙撃兵が1発の銃声でバタリと倒れるのをウェルキンは見逃さなかった。
「やったぞアリシア! どこの誰かは知らないけど、今の内にここから脱出しよう!」
「待ってウェルキン! 誰か屋上にいるわ!」
アリシアがそう言うので、ウェルキンは再び屋上を見つめる。
そこには、黒衣の軍服をきた1人の兵士が、手と国旗を使って何かを伝えようとしていた。どうやら敵では無いらしい。
「右……上………ガリアの旗……そうか! そこまで友軍が来ているんだね!?」
そう思ってウェルキンは、両手を使って大きな丸を表す。
それを見た黒衣の兵士は屋上から姿を消した。
「アリシア! もう少しで此処に友軍がくる! それまで持ちこたえよう!」
「逃げるのか戦うのかメチャメチャね…。でも分かったわ! 頑張りましょ!」
数時間後、ガリア軍の本隊がアスロン中心部へ到達した。
その頃には既に帝国軍も殆ど壊滅しており、市の中心に掲げられていた帝国の旗は、ガリアの旗と入れ替わり、ガリア軍は再びアスロン市を取り戻した。『春の嵐』作戦は無事成功したのである。
このアスロンを起点として、ガリア軍は今後、南北に展開する帝国軍に対して、反攻作戦を行っていく。
ダモンもランドグリーズを離れ、アスロンに第2司令部を設置。
以後、これからの作戦は、第2司令部があるアスロンで話し合う事となった。
黒衣の軍服……皆さんは既にお分かりですよね?