「――また、この景色……」
速水奏は、見慣れた景色になりつつある場所を見ると嫌気が差してくる。奏が参加して行われているシンデレラ・プロジェクトのレッスンは、毎回同じ結果で終わる。勝者のように君臨する渋谷凛とアナスタシア。その後を追いかける、新田美波、諸星きらり、前川みく。そして、共に同じ場所から始めた本田未央は、すでに自分の傍にはいない。
「ねぇ、プロデューサーさん」
奏は身体を起こし、今も仕事をしている武内の方を見る。
「今日は、どうだった?」
内容はあまり期待していない。そんな簡単に変われるとは思っていない。ただ、彼の目から見る物を知りたい。
「そうですね。速水さんは、物覚えの早い方だと思います。予想よりも早く動きを覚えていると思います」
「――そう……ありがとう」
思いがけない言葉に気恥ずかしくなる。今日も無様な姿を晒したのに。
「一つ聞きますが、頭の中に他の方の動きはありますか?」
「そうね……」
思い出すとすぐに浮かぶ二つの顔がある。
「あると思う……合っているかは、わからないけど」
自信はない。ただ、常に凛とアナスタシアの事を意識してやっていた。だから動きはわかると思う。ただ、最後までやろうとしているからか途中から記憶が曖昧になる。
「速水さんの長所を上げるとするならばそこだと思います。ただ、長所は短所に繋がります。自分の理想と現実での差が今の速水さんには辛いのではないですか?」
「理想と現実……」
目指すべき場所と今居る場所。
「上を目指す者が持つ感覚だと思います。ただ、そこに辿り着くまでは他の方よりも辛く苦しいものになるものです。下手に見えると知らなくていいものまで知ってしまいますから」
「だったらどうすればいいの? 前に居る人達は、私が進むよりも早く先に行く。一緒に始めた人だって」
自分でも焦っているのはわかる。でも、置いて行かれたくない。負けたくはない。
武内は、奏の言葉にどう返すか悩む。
「明日、少し皆さんよりも先にレッスン場に来てください。言葉で語るよりも見た方がいいかもしれません」
今の奏に言葉は届かない。そう思うと他に方法もない。
♢♢♢♢♢
「体調の方は大丈夫ですか?」
先にレッスン場で準備をしていた武内の下に奏はやって来る。
「……少しだけ、気怠いわね」
隠さずに言う。自分よりも知っている人に隠しても意味がない。
「そうですか。では、速水さんの準備をしてから始めます」
レッスンを始める前に身体を念入りに解す。基本は、奏一人でやってもらうが二人で行わないとできないものもあるのでそれは武内が手伝う。
「速水さんには、実験で行われていた物をやって頂きます。内容に関しては、今行っているものと半分近くは似ていますのでその部分をお願いします」
「それをやればいいの?」
「奏さんは、実験の内容も知っています。参加者で行われた視聴会にも参加されていましたから。今日は、実際にやってみてください」
武内は通しでやる前に奏に確認のために教えていく。物覚えがいいからか、今行っている物が実験で行われている物を参考にしているとはいえ奏は少しの確認だけで覚える。仮に見ていた物を憶えていたとしても早い。それだけ執着していたのかもしれない。
「それでは、実際にやってみます。準備は大丈夫ですね?」
「お願い」
奏に確認をしてから実験で行われた物と同じものをやっていく。
♢♢♢♢♢
結果を、おそらく奏は理解していないだろう。
「どうですか?」
奏は、半分とは言え実験と同じ内容を行った。やり方を間違えたわけではない。それは、実際にやった奏自身がわかっているはずだ。
「……もう終わりなの?」
息は切れている。心臓も激しく動き、肩も大きく揺れている。でも、意識ははっきりしているし、まだやれる自信がある。
「最初に話した事を憶えていますか? 私は、最初に言ったと思います。渋谷さん、アナスタシアさんに合わせて行うと。その意味がわかって頂けましたか?」
武内の言葉を上手く呑み込めない。
「今行っている物は、実験の内容よりも上になります。それこそプロジェクト・クローネのマスタートレーナーの意見を取り入れていますので、本当の意味で渋谷さん達に合わせたものになっています。速水さんがステージで見たアイドルと変わらない物を既にやっています」
別に隠していたわけではない。元々、シンデレラ・プロジェクトのアイドル達をプロジェクト・クローネと同じ場所まで連れて行くのが今回の目的だ。次に行われるライブでは、ニュージェネレーションとラブライカの新曲を発表したい。その為にも同じ場所に立つ必要がある。
「速水さんは、上を見ていたから気づかなかったと思いますが、既に多くの階段を上っています。上を見る事は良い事です。しかし、今自分が何処に居るかを知る事は、それ以上に大切な事です。もし目標を見失えば、自分が何処でなんのために歩いて来たかわからなくなりますから」
「でも……凛たちはまだ先に……」
言いたいことはわかる。でも、凛やアナスタシアの場所は遠い。
「二人は、今は必要な分だけしか行っていません。速水さんとは違い身体に負担を掛けない程度に抑えています。これは、他の方々にも言えます。二人以外は、他にもやっています。今の速水さんと同じように。身体に負担があれば、動きなどに影響があるのは言わなくてもわかりますね?」
今も身体に違和感がある。筋肉痛とまではいかないが疲労感はある。それは、始まる前からもわかっていた。
「万全の状態である人間とそうでない人間では結果は明確に表れます。確かにまだ距離はあります。ただ、それは速水さんが考えて居る程は遠くありません。速水さんは、良い目を持っています。今日行われる物で、もう一度見て下さい。先を行く者と自分の居る場所を。その目で」
♢♢♢♢♢
武内の指示で、今日は休みを細かく入れてレッスンを受けた。どちらかと言うと、やるのではなく、見るレッスンだった。だからだろうか? 今まで見えなかったものが見える気がした。
「どうでしたか?」
武内は、奏が一人だけ残るレッスン場で声を掛ける。他のアイドル達は既にこの場から去っている。
「見えるわ」
奏は、レッスンが終わった後も一人で見ていた。いつもは途中から疲れで意識が薄れる。それこそ最後には、疲労に負けて眠りに落ちるほどに。でも、今日は最後まで意識をもってこの場所に居た。今も普段とは違う景色を見ている。
「遠くに居たわ。まだ遠くに。でも……」
凛もアナスタシアも。それ以外のアイドル達も自分よりも前に居た。ただ、思っていたよりも遠くに居るとは思えなかった。凛とアナスタシアは、最後まで立っていた。いつもは余裕に見える表情。それこそ勝者として居た彼女達もレッスン中は必死に行っていた。他のアイドル達も何度も立ち上がり、必死に追いつこうとしていた。皆、自分と同じで必死にこの場所に居た。
「差は確かにあります。明確にわかる程に。しかし、速水さんはこの場所に居る事が出来ます。速水さんが目標にしている者と同じ場所に。私は、言いました。危険だと思えば他への異動もあると。しかし、速水さんの頑張りが今もこの場所に居る事を可能にしています。その事だけは忘れないでください」
「近くで見る事の出来る場所に居たのね……私は……」
気づけばそれだけの話。確かに無様な姿を晒していたかもしれない。でも、この場所に居られる。もしそうでないなら他へ行っているはずだから。用意されているもう一つの場所に。それこそ、プロジェクト・クローネの方でも大槻唯と宮本フレデリカの二人が皆に追いつくために行っている場所もある。
「まだ、道は始まったばかりです。焦るなとは言いません。ただ、自分の事を知りながら歩いて下さい。そうしないと大切なものに気づくこともできません」
「そうね。歩いている事を忘れていたものね。皆も歩いているけど、私も歩いている。なんで、忘れていたのかしら」
「今日は、このまま家まで送ります」
一晩考える時間があれば次に見る時には変わるだろう。速水奏なら。
♢♢♢♢♢
次の日に行われたレッスンから奏は無茶をしなくなった。自分のペースで休みながら最後までレッスンを終えるようなった。もちろん休んでいる時は、他のアイドル達の事を見る事を忘れてはいない。
「ねぇ、プロデューサーさん。ここの動きなんだけど――」
ただ、その代わりにやる事が増えた。奏は、レッスンが終わると撮られていた物を見ながら自分が気になった所を武内に聞く癖がついた。
「そうですね。ここはですね――」
奏の目は予想よりも良いらしく、他のアイドル達の良い所と悪い所を正確に見られるようだ。おかげで、それを自分に活かせないかと質問攻めにされる。体力はすぐには得られないが、知識や技術なら少しは違ってくる。
「――と言った感じです」
「ありがとう」
奏は、武内が言った事をノートに記録する。できる限り自分がわかる書き方で。わからなければ、もう一度聞き直して。
「速水さん、そろそろ帰られませんか?」
レッスンも終わり、こうして確認をしているといい時間になる。
「迷惑だった?」
書いている手が止まる。彼女も気にしていないわけではない。
「私はかまいませんが、あまり遅くなると御家族の方が心配されます。私としては、親御さんから速水さんを預からせて頂いている身ですから」
「……そう」
奏は、書いていた物を置くと武内に近づく。元々話しやすいように隣に座っていたが、今はすぐ近くに顔がある。
「私は、自分の身を気にした方がいいのかしら?」
目を見て言われる。更に距離が近くなる。
「――いえ、そんな事はありません」
思わず顔を背ける。
「だったら、大丈夫よね?」
奏は楽しそうに笑う。口元を手で押さえて。
「……あまりからかわないでください」
相手は自分よりも年下。大人の言葉にしては酷く情けない。
「ごめんなさい。でも――」
奏の方に向き直すと、目が合う。
「そういうところはまた見たいかも」
年相応な少女の笑顔と不相応な大人の魅力を持つ彼女の笑みは、今は一人の男にだけ向けられる。