作者からのお願いがございます。
当作品に過剰な期待をしてはダメ(´・ω・`)
現在、沖縄の海である。
コミケが終わってからは慌ただしい日々を送った。
まず、長野グループ本社に文乃に連れていかれ、白装束に身を包んだユーリエパパに出会った。
文乃ちゃんに「切腹させます」とか訳分からんこと言われてもお兄ちゃん困るんだよ。
もちろん「潔く腹を切れ」などと言うわけない。
ユーリエちゃんもなんで止めないのかな? 君のパパだぞ。
あとはゲーム(太平洋戦姫2)を差し押さえしようか?
俺に関する同人誌すべて回収破棄しようか?
とか言われたのだが、これやると逆説的に、押すなよ!絶対押すなよ!?の心理が働き、闇でプレミア取引とか行われそうなので断った。断腸の思いであった。
そのゲーム、太平洋戦姫2の苺ちゃんルートRTA動画が伸びてるらしい。スゲーどうでも良い情報を情緒不安定体から聞かされたりね。
あと同人誌と言えば、秋雲がツブヤイターで活動休止を宣言して、一部のネット界隈では騒がれている。
『オークラ先生 海軍にドナドナされる』『ダメ男にひっかかった人気イラストレーターの末路』『長門と陸奥がコミケ会場に登場! 周りにいた美女も艦娘か?』などなど、まあ、そのうち終息するであろう。
俺はあやつが反省するまでは絶対描かせないつもりである。「イラスト描きたい…」とブツブツ言っているが無視して今は魚へんの漢字を書取りの刑に処している。
だが、この手の芸術家は頭のネジ数本飛んでるので、漢字を擬人化させようと試み出す。なので見極めて次の刑を考えねばならないのが悩ましいところだ。
ちなみに俺は魚へんで好きな漢字は『鯤』である。
男子たるもの幻想生物に憧れるのである。
あとは徳田くんのお土産について考えたりだな。
徳田くん骨董とか好きそうという勝手なイメージのもと、実家の蔵にある適当な壺あげたら喜ぶんじゃないだろうかと思い、文乃とユーリエちゃんに戦前に買った(当時は売れてなかった人の作品)あれ、ある? と聞いたら、美術館に収蔵されてると言われた。「あれはいいものだ」だったようだ。
ユーリエちゃんは徳田くんにお土産は要らないというし、さすがにそれはあんまりなので沖縄でちんすこう買っていってあげようと考えている。
それから大将が言っていた日米合同作戦だが、水面下で両国間で色々な話し合いを行っている最中だそうだ。
それに先立ってお徳用瑞雲氏がアリューシャンの方からアラスカまで油取りに輸送作戦実施(二回目)することになって、頑張ってね!と連絡したら、やたら社交辞令的な固い文で返された。…何故なのか?
瑞雲氏のことはともかくとしてこの話に思うところがある。
今はまだ良い。深海棲艦という人類共通の明確な敵がいるのだから。だが、それが終わったらどうなる? 戦後世界における軍事プレゼンスは艦娘という存在の前に一新される。…とは言い過ぎかもしれないが、確実に一石を投じることになるだろう。深海棲艦が消えても彼女達は存在しているのか、消えるのか? 存在しているなら艤装はどうなるのか? 戦う能力を持ち続けるのか。その時、この国は、世界はどういう選択をするのだろう?
今、考えても仕方ない事だとはいえ、考えずにいられないのは場所柄もあるのかもしれない。
そう、沖縄だ。
ここに来るのに艦娘以外の同行者がいる。
主計さんである。
コミケの次の日に主計さんから連絡を受けた。
会合を開き、それに出席してほしいということなので、そのスケジュールについての調整の話し合いをしつつ一緒にここ沖縄までやってきたのだ。
主計さんは慰霊式典に出席して挨拶をしていたが、その姿は堂に入っていたな。
そんなわけで世話になった方々の墓参りは実質一日もできなかった。なので多くは回れていない。
戦後の混乱期、微妙に変えてしまった未来の難しい舵取りを乗り越え、自分の知っている未来より良い方向にこの日本は進んでいたと思う。無条件土下座外交ではなく、あんまりな態度でくる相手にはダメなものはダメとハッキリと物申せる。相手が何かを仕掛けたら対抗、制裁する。当たり前であるが、残念ながら当たり前ではなかったのだ。だからそれを為した戦後の人々には頭が下がる思いである。
少しだけでも未来を変えた。
それは良かったことなのだろうか?
俺に関わって史実と違う人生を歩んだ人たちがいる。
同郷の海軍兵学校同期の栗原くんは有名な重機メーカーに行くはずだったのに戦後は長野重工に就職した。
井上さんも俺が作った学校で教鞭をとったらしい。
松田君は史実ならば自分で会社を起こし発明家として活躍した筈だ。それが、俺があとのことを頼むと言ったせいか、栗原くんと同じようにうちの商会で妹を助けるという人生をおくっている。
西田君は戦後も海軍に残り掃海艇を率いて機雷除去の危険な任務を命がけで遂行した。と主計さんから聞いた。他にも小西君、柳本君、同期だけではなく、たくさんの人が違う人生を送った。送らせてしまった。
彼らの人生を狂わせた責任は取らなければならない。
それはここ、沖縄の海で散っていった者達の分も含めてだ。
お前たちが死してなおこの国を守っていたのなら、その役目を今度は俺が果たさなくてはな。
水平線に陽が沈む。
黄昏時、金剛の胸に様々な思いが去来する。
哀愁、勝利、栄光、終焉、温もり、別離。
今見ているその光景は彼女の心象風景そのものなのかもしれない。
南の島、沖縄。終わりの海。
嘗て共に終わりを迎えたアナタは今、ワタシの隣で何を想っているのデスカ?
冷酷なまでに未来を見通し、それゆえに誰よりも憂うたアナタ。
アナタは誰にも弱音を吐かなかったから、皆が期待してしまうのデス。
デモ、一人で震えていたアナタを知っているデス。
涙を流し急に倒れてしまったアナタを知っているのデス。
それでも託された想いに潰されそうになりながら、最期まで背負ってしまったアナタ。
あの夏の日、一緒に眠りについたときはとても穏やかデシタ。
あの日の約束は果たせなかったケド、こうして逢えたんだヨ?
やっと逢えたんだヨ?
デモ、今はまた難しい顔してるヨ?
テートクは何を想っているノ?
誰を想っているノ?
そこにワタシもいるのカナー?
ねぇ、テートク、ずっと寄り添っていたいというのはワタシのわがままなのカナー?
昭和二〇年の八月十九日。あの日のことは良く覚えております。私は本土への疎開の時に風邪で寝込んでしまいましてね。当時、幼かったこともあり本土へは渡れず仕舞いでありました。それでもアンマーとスー、オジィやオバァと離れなくて済んで内心ホッとしていました。
ですが、ある日を境に空には沢山の、それこそ空を覆い尽くさんばかりの飛行機が飛んでくるようになりました。
そしてついにはアメリカの兵隊が攻めて来ました。
日に日に戦局が悪くなっていったのでしょうね。
少し前までは勇ましい態度の兵隊さんをよく見かけましたが、それも見なくなりました。
そしてある日、オジィが「カジフチがくるでな」と言いました。沖縄は台風がよく来ますから珍しいことではないのですが、その日の台風(カジフチ)は夜にやってました。とても大きな台風でした。大雨と大風、ゴロゴロと雷を降らせまして、眠れぬ夜を過ごしました。朝になってもゴロゴロと雷が鳴り響いておりました。昼になっても鳴りやみません。様子がおかしいことから村の人たちと海の方を見に行きますと、浜辺には夥しい数の屍が横たわっており、いつもは美しく青い海はまっ黒に染まり、燃えておりました。
そして燃える海を突き進む軍艦は雷鳴に向かってゆきました。
『沖縄県民の見た戦争』より
1239分の17
この数字の意味を知っていますか?
──戦艦榛名の生存者の数です。
『坊ノ岬沖海戦回顧録』より
茜の斜陽が沈みゆく金剛を照らし、そして静かに消えていった。
詩的な表現だと思うだろう?
しかし、本当にその通りだった。
あの時、総員最上甲板(退艦)命令が出され、我々乗員は次々に海へ飛び込んでいく。
軍艦ってのは沈むとき大爆発を起こしたり、その船体の重さ故に周りの波を引きずり込んで、逃げる水兵を攫ってしまうものさ。水兵の間じゃそれは船が乗員達を離したがらないからだ。なんて迷信染みた話もあるくらいだ。
だけどな金剛は爆発もしなければ、周りの波を引きずり込む事もなく海原にその巨体を横たえて夕日と一緒に静かに沈んでいったんだ。本当にいい女だったな。まぁ、男でも惚れちまうような提督が一緒だったんで他には目もくれなかっただけかもしれないがな。
『金剛生還兵へのインタビュー』より
夜空には欠けた月と煌めく星星。
八月十九日。
今日、その日はかつて大日本帝国の一つの終着点となった日。
沖縄の海岸、大小の船から流された篝火。
幽玄で幻想的な風景は今年で七〇年の歴史を刻んだ。
誰が始めたかは定かではなく、しかし年々と規模を増し、今では慰霊祭の夜、琉球灯篭流しの名で知られるようになった。
かつて行われた悲惨な戦い、絶望の中で沖縄を救うために命を懸けて駆けつけた英霊達を偲ぶ。
第二次世界大戦史上、最大の犠牲を生み出した海戦。
それを坊ノ岬沖海戦と呼ぶ。
戦後、この慰霊の催しは日本だけではなくアメリカも参加し日米合同の慰霊祭となった。深海棲艦の発生、米国の日本からの撤退により今年も同盟国の姿はなく弔電のみが届けられた。
シーワックスの甲板から指揮下の艦娘達がそれぞれ何を想い、この海を眺めているのだろうか?
北緯25.96東経127.51
そこに眠るのは戦艦金剛と臨時艦隊を率いた司令官。
司令官と呼ばれた男…つまりは俺。何故か今、生きて洋上から月を眺めている。
迷いの多い人生だった。
何が最善なのか、どの道筋が正しいのか、戦争を回避できるのか、もし戦争が始まったら終着点をどうするのか、どの程度の犠牲を容認するのか、本当に俺に出来るのだろうか、迷って、躓いて、転んで、泣いて、立ち上がって、また転ぶ。もう諦めてしまおうと思った。それでも立ち上がれたのは家族がいたから、仲間がいたから、思いを託されたから、最期まで付き従ってくれた勇敢な部下たちに恵まれたからだ。
そして今もまた迷っている。
この景色を見ていると色々なものが込み上げてしまう。
悲しいのに辛いのに美しいと思ってしまう。
彼らに俺は報えたなどと烏滸がましい考えが浮かぶ。
そんな感性を持っている自分が嫌いだ。大嫌いだ。
かつて、この海で散っていった仲間達がどれ程の思いで戦いに臨んだのか、家族、恋人、友人、故郷、全てを捨てさせて今、俺はこうして生きていて…。
「テートク。月がきれいデスネ」
それなのに今夜の月はとても綺麗に見えてしまうのだ。
「あの日はサー、月を一緒に見れなかったから今日はとってもhappyダヨ」
そしてその月明かりと海に浮かぶ篝火に照らされた金剛の横顔が美しくて儚くてどうしようもないほどに胸を焦がす。
俺にはそんな資格はない。あってはいけない。
俺の生きる意味は、深海棲艦を駆逐して平和な海を取り戻すことだ。それが死後も彷徨い護り続けたあいつらに唯一、報いられる方法なのだから。
「燈火の光に見ゆる さ百合花 ゆりも逢はむと思ひそめてき」
だから、彼女が何気なく口ずさむ万葉集の一首に返答してはならない。
いや、違うか。
この歌は評価としては決して良いものではない。
返歌ありきで成り立つと言っても良い。
あえて、この歌を選んだというならば、返歌を求めている。何かを言わせたいという風にとれるわけで、金剛らしいと言えなくもない。たが、きっと彼女は俺に逃げ道をも用意してくれているのだろう。
「…お前は」
本当に良い女だ。という言葉はぐっとのみこんだ。
艦娘となって彼女がどのような思いを秘めて過ごして来たのか、紛い物の俺に向ける過ぎたる想いと共に彼女に重荷を背負わせた罪はどうしたら償えるのだろうか。
彼女が、彼女達が幸せな未来を過ごすことを願いつつも
その中に自分の存在が居れたのならと傲慢で悍ましい考えを持っている。彼女の安寧の日々を願いながら、その隣に自分以外の男が立っていると考えると醜い嫉妬心が溢れ出す。
俺は自分が大嫌いだ。
だから彼女の、彼女たちの未来を思うのなら、応えるような事をするなと理性が訴えているのに、
だというのに、
「百合の花の美しさは百年経とうとも美しいままだ」
こんな言葉を紡いでしまう。
縁を掴んでいた手に金剛の手が重ねられた。
その温もりを嬉しく思う。思ってしまう。
「テートクゥ…。もっとストレートな言葉が欲しいデス」
そう言って儚く微笑む彼女に、これ以上俺は何も言えない。ただ、重ねられたこの手を離さないでほしいと願ってしまう。
なんて度し難い人間なのだろうか。
こちらを優しく見つめる金剛を横目で盗み見て、
「儘ならんものだな」
そう呟いた。
(*・ω・)っ ビターチョコ