【完結】杜王町怪忌憚   作:ようぐそうとほうとふ

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死人の家

 

どうやらコーヒーを淹れてる間に夕に着替えをさせたらしい。タオルでは追いつかなかったようだ。

 

「…家から、出られないんです」

 

コーヒーを渡された夕は、ぼそりとつぶやく。

「出られない…?」

よう子は怪訝そうに繰り返す。出られないのなら何故こんなところに?

「出られないんですよ。何回出ようとしても、家に戻らなきゃいけなくなるんです。カバンが壊れたり靴が壊れたり泥を引っ掛けられたり…何回出ようとしても、ダメなんです」

夕は熱いはずのカップを握りしめてぽろぽろと泣く。

「今なんとかここまで来れましたけど、多分また何かしらで帰ることになると思います」

「待って、籠原さん。まずどうして家をでようとしたの?何かあったの?」

「……電話が」

「え?」

「吉良吉影さんから、電話がきたんです」

「そんな、ありえないわ」

「本当にかかってきたんです!その日、家に帰る途中で私…何かに追いかけられたんです。その前からずっと、妹の気配がどんどん濃くなって、足音が聞こえるんです…もう私、限界なんです」

「妹…?」

「………」

「…ねえ、籠原さん。ちょっと深呼吸してちょうだい。吉良吉影から電話がかかってきたって言ったわね」

「はい…」

「その人はどんな声だったの?なにを、話したの?」

「声は…わかりません。低かったとしか。変な感じで、印象に残らないというか…クセとかもなくて…よく思い出せないんです。話は、私の家で何してる。私は吉良吉影。とかそれくらいで、切っちゃって。話という話はできませんでした」

「そう…」

いたずら電話とも言えなくはない。しかし、わざわざ死人の名前を使っていたずらされる理由が彼女にはない。

ならば、黄泉がえり?それこそありえない。

よう子はしばし、考える。

籠原夕に前言った通り、よう子は霊魂のようなものが家に帰ってくると、信じていた。しかしそれは盆の時期に死者迎えるような、形のない気配のようなもので、電話がかかってくるなんていうのはもはや…

「怪談…ね」

「帰るのが怖いんです。今夜、もし吉良吉影が玄関を開けたら、って…思うと…」

死者の、帰宅。

籠原夕はそれを異常に恐れている。そしてよう子はそれを待っていた。

「…わかったわ、籠原さん。」

もし、本当に電話の主が吉良吉影で、今夜家に帰ってきたら?そんなの決まってる。正体を突き止め、解明して、その原因を確かめる。

原因を確かめたら、きっとよう子にもできる。死者の蘇生。黄泉がえりが。

「とりあえず今夜はここに泊まって。そしたら、明日あなたの家に…」

 

ジリリリリーン

 

そこで、鳴り響く電話のベル。

百合が慌てて電話を受けに行く。

「………」

押し黙る夕。

 

ジリリリ…

 

百合が電話を取ったらしい。ベルが止まり、静寂。雨の降る音だけが部屋に響く。

しばらくして、百合がまた慌てた調子で戻ってくる。

「警察から、電話です。籠原さんの家の近所で不審者が出たらしく…その、急ぎ家に戻ってきてほしい、と」

「う………」

夕が嘔吐く。

「何でうちにそんな電話が…」

「わかりません。」

「明日じゃダメなの?」

「それが、どうしても今すぐ、って言って聞かないんです」

百合も困った様子で返す。

「………わかったわ。署に掛け直して事実か確かめましょう。私がやるわ。百合は籠原さんとここにいて。」

よう子は部屋を出て行ってしまい、百合と夕が暗い客間に残された。なんとなく気まずい空気が流れる。お互い無口だが、無言でいるとなんだかこの薄暗さから何かが出てきそうな、そんな不気味さが増大してくる。

かといって夕はこの有様だし、百合もこんな状況で何か楽しい話題を触れるような社交性はなかった。

結果、流れる沈黙。

もし夕の言うとおり、彼女が家から出られないと言うのならきっとよう子はよろこび勇んであの家へ向かうだろう。

よう子にはどうしても会いたい死者がいる。朧げながらそれを察していたが、今回の件で確信した。それがなにかはわからないが、兎に角心霊屋敷に向かわなきゃいけないのは確実だろう。

塩でも持って行こうか。食塩じゃダメだろうか。

そんなことを思いながら窓の外で流れる雨粒を見ていると、よう子が戻ってきた。

「警察って、話が通じないのねぇ。空き巣だそうよ。空き巣ごときで家にいろなんてめちゃくちゃよ。」

「どうしますか?」

「仕方ないわ。家へ行きましょう」

「っ…」

夕は肩を震わす。それを見てよう子は優しく微笑みかける。

「大丈夫よ。私も行くから。」

「でも…」

「一人より二人、三人よ。さ、早速行きましょう」

心配してるような口ぶりだが実際は自分が行きたいだけなんだろう。しかし百合に意見する気はない。夕には気の毒だが。

「さ、百合。車を出して」

 

寂しい、街灯の少ない道を車で15分程度。

よう子の別荘と夕の家は、バスなどを使わなければ意外と近所にある。

流れていく、変わらない景色。

やがてたどり着く、夕の…吉良吉影の家。

静まり返った周り。本当に何か事件があったのか?あまりにも気配がない。

雨音だけが反響する、車の中。よう子は何を思っているのかわからないが、少なくともどこか緊張した面持ちだ。

夕は、すっかり怯えている。

「…百合、しばらく車で待機できる?」

「待機、ですか。構いませんがなぜですか?」

「玄関を、見張っていて欲しいの。だって死人といえど玄関から入るでしょ?」

「わかりました。」

「私と籠原さんは中の安全を確かめるわ。それまでよろしくね。大丈夫?籠原さん」

「…はい」

夕は悲痛な面持ちだが、覚悟を決めるように大きく息を吐いた。

「いきます」

「ええ、いきましょう」

車のドアを開け、傘をさし2人が出て行く。百合は車の運転席からそれを見送る。

雨だれが2人の足元を濡らす。

門の向こうへ2人が消える時、なにか違和感があった。

「…あ」

家の前の水溜り。2人がそれを渡り、敷地へ入る。その後ろ。

誰もいないはずのその後ろで、水溜りのなかにばしゃ、と大きな波紋がうかぶ。

まるで見えない誰かが二人の後ろをついていったように。

「…」

ぞく、と全身に鳥肌が立つ。

判断が一瞬遅れ、追いかけようとしたその時には、玄関の戸が大きな音を立て閉じてしまった。

不気味なほどの静寂が、おりる。

 

「さて、お邪魔します。」

「…ええ」

夕は恐る恐るといった風によう子に答える。そんな夕を労わるように、軽く肩をさすってやる。

「とりあえずここから順に部屋を一つ一つ見ていきましょうか」

「はい」

夕は憂鬱な気持ちのままよう子を見た。するといつの間にかよう子は一振りのパレットナイフを握っていた。

「…それ、なんですか?」

「あら、見えるの?」

よう子は意外そうに言う。

「これは私のお守りみたいなものよ」

昨年の春、よう子が手に入れた力。確か町で妙な事件が多発していた時期だった。ある日突然、気づいたらこのパレットナイフを握っていたのだ。初めは驚いた。知らない間に握られていた、しっくり手になじむパレットナイフ。

腕の延長みたいに、手から生えてきたみたいに、あまりに自然に。

その美しいナイフはそこにあった。

そのナイフはどうやら普通の人には見えないらしい。そして何より普通と違うのは、そのナイフは空間を切り取ることができるということ。

そのナイフでキャンバスをなぞった。するとそのキャンバスのむこうに見えたのだ。たった今無残に殺されようとしている男女の姿が。

白昼夢かとも思ったが、どうやらそうではなく実際に今起きている惨劇の現場らしく、後日新聞記事をくまなく探し、その事件を発見した。

そう、いわばそのパレットナイフは千里眼そのもの。

奇妙な力を持つこのナイフなら異常を打ち破る武器にもなり得るだろう、と。よう子はそれを構える。

「行くわよ…」

台所、今、客間、書庫。順々に改め、確認し、家の奥へ奥へと二人は進む。

ぎしぎし、みしみしと二人を追いかけるような足音が聞こえる。でもそんなもの気のせいだ。この目で見たものだけを信じろ。たかだか音に、騙されてはいけない。

パン

襖を開ける。最後の部屋。廊下の明かりに照らされる空っぽの和室。

当然、何もない。

「…何もいなかったわね。」

「はい…」

ほっと一息つく。笑顔で夕に向き直ると夕もいくらか緊張が解けている様子だ。

「それじゃあ百合を呼びましょう。とりあえず玄関に」

 

ピーンポーン………

 

チャイムが、なった。雨音をかき消して、嫌に大きく響くチャイム。

「…百合かしら?」

二人して恐る恐る廊下を戻る。

百合が見張ってるんだから、妙な訪問者ではないはずだ。百合はああ見えて怖がりだけれども、生身の人間には割と遠慮も容赦もない。

 

ピーンポーン

 

また鳴らされるチャイム。玄関はもうすぐそこ。

と、そこで夕がよう子の袖を掴み止める。

「…どうしたの?」

夕は目を見開き、玄関のすりガラス越しのぼやけた影を凝視していた。

「榊さんじゃない…」

その言葉に改めてその影を見る。

白っぽい服を着た、影。

百合の服は確か、黒。

「…インターフォンは、ないのよね」

こくこくと頷く夕。声を出して気付かれるのを恐れているらしい。

 

ピーンポーン

 

再度なる、チャイム。

ごくりと唾を飲み込む。時間は午後8時過ぎ。普通の人の訪問にしては遅すぎる。警察ならば、白い服はおかしい。そもそも家のすぐ前にいる百合が一緒にいるはずだ。

そして、呼びかけすらないその不気味な人影。

「…………」

思わずパレットナイフを握りしめる。

夕の手を握ると、夕は強くそれを握り返してくる。

どうしよう。呼びかける?それとも、やり過ごす?

あまり時間がかかれば、きっと百合が不審に思って呼びに来るだろう。それを待つか?いや、もしこの人影がなにか害のあるものなら、百合はもしかしたらもう…

ぐるぐると考えていると、

 

ぶつん

 

「ひっ…」

家中の電気が、消えた。

よう子の手を握る夕の力が強くなる。

「…きたのかしらね」

 

ピーンポーン

 

「懐中電灯の場所は、わかる?」

「はい…」

「取りに行きましょう」

暗闇を手探りで、二人して進む。雨のせいで月明かりがなくて、何も見えない。

外からのかすかな明かりで照らされた玄関には相変わらず影が見える。

がたん!と、そこで夕が何かに躓いたらしい。大きな音が静まり返った家に響く。

「いっ…」

思わず呻く夕。反射的に玄関を見ると、立っていた人影がぬる、と動いた。

「……!」

すりガラス越しの影が、消える。そして、

ずるずるずるずる…

と家の周りを這いずるような音が、こちらへ向かって響く。

ばん、ばん、ばん。窓が叩かれる。どたたたた…屋根裏から、足音が響き始める。

「ひぃうっ…」

夕は完全にうずくまってしまう。

完全に場所を気づかれたらしい。でもまだ家の中には入ってきていない。

「籠原さん、まだ頑張れる?」

「何をするつもりですか…」

「いま、玄関にいた何かはこっちに来てる。あなたがこのまま、ある程度を音を立てながら家の奥へ行くの。その隙に私が玄関から出て、百合を呼ぶわ。そして今外にいるそれを…なんとか追い払う。」

「ひ、ひとりで…この家のなかに?」

「そうよ。アレは家の中には入ってこれてない。」

「い、いや!いやだ…」

「冷静に考えてちょうだい。二人でここにいてもジリ貧だわ」

「う…」

「必ず戻ってくるから」

半泣きの夕だが、このままここにいてもしょうがないことはわかってるのだろう。渋々頷き、よろよろと立ち上がった。

「わかりました。頑張ります…」

「いい子ね」

よう子はナイフを構えて、元来た廊下を歩く。

夕もフラフラとだが屋敷の奥へ奥へと歩いていく。その音につられてか、足音や壁を叩く音も屋敷の奥へと移動していく。

みし…

足音をなるべく立てないように、前へ前へ。

玄関を見る、人影はない。

今ならきっといける。念のためナイフで空を切る。切り取られた空間、壁の向こうの景色。

玄関口のコンクリには大量の泥の足跡が残されているが、本体はどうやらいないようだ。

今しかない。そっと靴を履き、玄関に手をかける。

カラカラ…と微かな音を立てて扉が開く。

何も、いない。

そ、と恐る恐る玄関から外へ出た途端。

なにか生温い、どろつと液体が足元を撫でた。

「うっ…!」

そして瞬間、ものすごい力で頭が引っ張られて

がつん!

鈍い音を立てて頭が廊下に叩きつけられた。痛みと痺れで頭が真っ白になる。何が起きたかわからなかった。

目の前いっぱいに真っ白な手が広がって、真っ暗になった瞬間倒された。

まずい、とナイフをやたらめったらに振り回す。

するとナイフに何か手応え、気配が一瞬遠のく。その隙に必死に廊下をはい進み、すぐそばの居間に逃げ込んだ。

べしょ

と、湿った足音が聞こえる。

かたかたと震える、パレットナイフを握った手。暗くてよくわからない。頭がいたい。舌が痺れる。

どこに敵がいる?

 

べしょ、べしょ、ぺたっ…

 

は、と音のした方を振り向くとそこには、真っ白なスーツを着た足元がみえた。瞬間、

「なっ…あ…!」

暗闇から突然出てきた手で、ナイフを握る手がへし折られんばかりの力で曲げられた。痛みにまた目の前がくらむ。白いスーツ、変な柄のネクタイ。顔は…見えない。

腕が万力で曲げられる。パレットナイフの切っ先が、こちらへ向く。

「や、やめっ…!」

しだいに、暗闇に目が慣れてきて自分を襲っているものの姿が見えてくる。

それは、葬式の時に見たあの、写真に写っていたまんまの顔をした…

 

「き、ら…よし…かげ……!」

 

人間離れした力で、無表情で、よう子の腕をねじあげる。パレットナイフの鈍く光る切先が、ゆっくりゆっくり目に向かってくる。

 

「や、やめ…て……」

 

めきめきと骨が軋む音がする。目を閉じることすらできず、じりじりと近づいてくる切先が眼前いっぱいに広がる。

 

「やめて…!いや、いや…!私、画家なのよ…目が、目は…!」

 

めき、めき、めき、

 

「あ…あ…あ…!」

 

そして、目の前が真っ暗になる程に切先が近づいてー

 

「ぎゃああああああーーっ!!!」

 

ぞぶ、とそれが埋まる。

全身が訳のわからない悪寒で包まれ体内を蹂躙するそのおぞましい切先を全力で拒むかのように吐き気がこみ上げる。

しかし叫べどもパレットナイフはぞぶぞぶと組織を割って進む。恐怖のあまりかそのおぞましい感触から逃げられない。気絶すら、できない。

ぐちゅ、と

ナイフが中で回転する。

「うげっ…」

その感触に、全身が痙攣して、汚物が口から溢れた。

 

ぐちゅぐちゅ、ぐちゅ

 

かき混ぜるように、パレットナイフは眼窩で踊る。

「ーーーッ、〜〜〜ッ」

もはや声にならない悲鳴をあげながら、よう子は自分の眼球がずたずたに潰される様を全身で感じた。

 

っぷ…

 

パレットナイフが抜かれる、そしてその切先は、右目へ

「アあああアぁアアアーーッ!」

絶叫が、響いた。


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