スーパーマーケットオウソンで品出しをしていると、商品を選んでいる中学生の立ち話が聞こえる。
「病院ででたらしいぜ」
「病院はそりゃでるだろ」
「俺はヤマダんちのそばで出たって聞いたけど?」
「ばっか、テキトー言うなよ」
パン屋の食事コーナーの机を拭いている時、おばさんの噂話が聞こえる。
「あの並木道、一面泥の足跡がついてたらしいわよ」
「イヤねぇ。誰が掃除するのかしら?」
ここ一ヶ月。こういった類の噂話が町に充満している。
バイト先の関係上、町の端から端まで出かけているからこそわかる。今この町は一つの怪談の舞台になったかのような有様だ。
幽霊が土から這い出し、足跡を残して歩き回るという怪談の。
私も、たくさんの当事者のうちの一人。
誰かに話したら楽になるから、噂話は広がるのだろうか。
けれども相談できる人間なんていなかった。唯一淡い期待を持っていた帚木よう子は、むしろ不安を増大させる要因だった。
神隠しにあった人間が、帰ってく
る。
それは夕が一番恐れていることに他ならない。
13年前に、遠い異国で行方不明になった妹。
すでにこの町に来てから、妹の気配を感じ続けている。
そして気配はやがて、姿形へ。
まるで妹が帰ってきたかのように、鮮明に。
「よくねれないんですねー?」
人の良さそうな医者は、カルテに何かを書き込みながらこっちを分厚い眼鏡越しに伺う。
「はあ…」
「何か他に症状は?」
「えと、ちょっとした音がきになるというか…神経が過敏になってるみたいで」
「なるほど、わかりました。気持ちを和らげる薬と、ねれる薬を出しますからねー」
カルテにささっと書き込み、パタンと閉じる。診察は終了らしい。
「ありがとうございました」
神経科というから身構えていたけれども、ないかとかとあまり変わらない雰囲気で安心した。処方箋を受け取り、薬を受け取りに行く。
リノリウムの床は蛍光灯を鈍く反射し白くぼんやりと光ってる。
ぺた…ぺた…
気のせいか。裸足の足音が聞こえる。いや、もしかしたら入院患者かもしれない。なにせ大きな病院だし、自分以外の足音が聞こえないほうが変だ。
やっぱり過敏になっているのだ。
本当に幽霊が出ているなら出ているで、いい。でもそれを妹と結びつけること自体がダメだ。
このままじゃバイトを続けられない。あの家にまた帰ることになってしまう。
「はあ」
病院を出てすぐのベンチで一息つくと、まだ柔らかい春の日差しが木の陰から差し込んでいる。
久々にほっとした気がする。
「こんにちは、お見舞いですか?」
突然、男の人に話しかけられた。
「え…いえ……」
変なイヤリングをした人。医療関係者には見えない、どっちかというとなにかルポライターみたいな感じの人だ。首からカメラを下げてるし。
「…なんだ、そりゃ失礼」
「………はあ」
変な人だ。そう思ってあまりにまじまじ見てしまったせいか、男も立ち去るタイミングを逃したらしい。一瞬間をおいて、男が口を開いた。
「この病院にはよく来ます?ここで流行ってる噂話を耳にしたことは?」
「えっと…」
尋問みたいなぶっきらぼうな口調にたじろぎつつ、なんとか言葉をつなげる。
「たまに、バイトでパンを売りに来ますね。噂は…病院でも、流行ってるんですか?」
「でも?ということはどこか他で聞いたのか。…そう、流行っているらしくて、それを聞きに来たんですよ」
「そうですか…」
変わった人もいるものだ。オカルトマニアなんだろうか。ルポライター然とした格好からみて、宝島とかムーとかの記者?
「あなたの耳にした噂について聞いてもいいですか?」
「え…いいですけど、大したものじゃないですよ。みんな話してることですし…」
「いえ、十分です」
「はあ…」
人に長々と何かを説明するなんて初めてに近かったので、しどろもどろになりながら今まで小耳に挟んだ噂話を伝える。
後ろから聞こえる足音。
残された土くれ。
並木道の足跡。
「ウィンドウ一面の手形…あそこにいたんですか」
「はい、ちょうど目の前に…あの手形がたくさんあってびっくりしました。」
「僕の友人もそこにいまして。…なるほど、ありがとうございました。」
「お力になれたならいいんですけど」
「とても助かりました。…もしまた何か変な話を聞いたら教えてくれませんかね。これ、」
ぶっきらぼうに渡されたのは名刺だった。
「岸辺……ろはん、って読むんですか?」
「ええ」
「あ、私は籠原です。籠原夕…。」
「籠原さんね。何かあったら、頼みます」
男はさっさと立ち上がり、病院内に消えていった。
妙な男だった。まあ記者だとしたらあんな感じでイメージ通りだが。
名刺はさっさとしまい、飲み終わったジュースの缶をゴミ箱に捨てる。
変な人が取材に来るほど、噂話は大きくなってるのか。
なんだか嫌な予感がする。
まだ明るいうちに、家に帰ろう。
町外れの、がらんどうの家へ。
放課後、由花子に呼び出された喫茶店。
「そういうわけで、その怪談の元凶の女子生徒がわかったわ」
由花子さんにダメ元で頼んだ結果、なんと2日たらずで当事者が見つかった。
「すごい、由花子さん」
「そんなにすごくないわ…でも嬉しい」
少し照れる由花子さん。最近たまに見せる乙女な部分にドキドキする。
「同じ学年の子よ。私のクラスの真賀田加奈子。知らない?」
「知らないなあ…」
「普通に通ってるからすぐ聞けたわ。噂は本当だって。」
「ありがとう、助かったよ由花子さん。」
「いいのよ、ところで今度…」
「康一君じゃないか。」
「あ、露伴先生」
「おっと、お邪魔だったみたいだな」
一瞬由花子さんからものすご殺気がたった。それを察知してか、慌てたように言葉を続ける。
「康一君、用事が終わった家に来いよ。例の噂話について色々調べてみたんだ」
「わかりました」
由花子が怒ってないかひやひやしながら露伴が去っていくのを見届ける。
「…で、由花子さん。今度、なに?」
「今度トラサルディーに行きましょう。」
よかった、怒ってはないようだ。
「わかった。…お小遣いがちょっと危ないから、一月後になっちゃうんだけど、いい?」
「いいわ。きっとよ」
夕方、住宅地を抜けて露伴の家へ向かう。
もう子どもは家に帰ったようで通りは嫌に静かだ。ひょっとしたら幽霊騒ぎでみんな早く家に帰ったのかもしれないけど。
と、と、と
カラスの鳴き声に混じって足音が聞こえる。
と…と、と、……とと、と
気のせいだろうか。規則正しく歩いてるはずの足音がダブって聞こえる。まるで後ろにもう一人いるように。
と…
立ち止まる。足音は当然、消える。
ととととと
早足で歩き始める。耳をすますと、後ろから
ぱたぱたぱた…
と、小さな足音が聞こえる。
「…!」
いるのか?噂の幽霊が、後ろに。
後ろを向いて、確かめるべきだろうか。しかし鈴美のいた小道の例もある。迂闊に振り返ってはいけないと、本能が警笛を鳴らしてる。
このまま捲けるか?
まだ足音は遠い。全速力で走れば振り払える。
そうと決まれば…。
康一は勢いよく走り出す。足音はより大きく、ばたばたと追いかけてくる。
全速力で心臓が痛くなってくる。
もう少し、その角を曲がれば…
角を曲がる。その時エコーズを出し、《ばたばた》という足音を少し先を走っていた野良猫に貼り付ける。野良猫は驚いたようにそこから逃げ出していく。康一は息を潜め、その角を動かない。
あのばたばたという足音が、曲がり角のすぐそばまで来る。
万が一戦わなきゃいけなくなったら…その時はその時だ。
ばたばたばたぱた…ぱたばたばたばた
音が、目の前を通り過ぎる。ぼくの足音を張り付けられた。猫を追って。
本体はなかった。しかし音のする端から、地面にべったりと泥まみれの足跡が残されていく。
「…………!」
噴上裕也のハイウェイスターとはまた違う。足跡を残す見えない何かが、そこを通っていった。
エコーズで追いようもない。いや、追えるが深追いは躊躇われた。足音が十分に遠ざかってから、抜き足差し足でそこから逃げた。
「近所にも出たのか」
露伴は康一の話を聞くと、地図に何かを書き込む。
「スタンド本体は見えませんでした。…もうこうなったらスタンドじゃない可能性の方が高いかもしれませんね」
「まあそう結論をいそぐなよ。これ見てくれ」
書き込み終わった地図を目の前に広げ、露伴はペンで指差しながら解説する。
「まず整理しようか。
①怪談が流行り始めたのは4月の中旬から。
②その怪談は旧来のものでなく、最近起きた現象から派生している
③共通項は、土と泥による痕跡。
そしてこの地図はその噂話を知ってる人がどこで聞いたかを書き込んだものだ。色が聞いた時期を表してる。
青が最近聞いた人、黄色が4月中旬。オレンジが4月初旬で赤がそれ以前」
「より前に聞いてるほど実際そこで幽霊が出ていた可能性が高い、ってこですよね」
「そういうことだ。見て貰えばわかる通り噂話は杜王町全体に広がってる。しかしそれはごく最近だ。オレンジの点を見ると、ぶどうヶ丘高校、中央病院。赤い点は駅、そしてこの住宅地に集中している。」
「集中している場所も分散してますね…。街の真ん中、あとはそれぞれ端の方になってる」
「その中で足跡のみがあらわれたのが海沿いの住宅地と駅。大量の土くれがあったのがぶどうヶ丘高校と病院だ。」
「うーん…」
「ここまで調べて参ったよ。本当に現象が起きたと確定してるぶどうヶ丘高校は時期ではあまりはやくないうえに、この場所全部に共通してる事項も見当たらない。昔残虐な事件が起きたという話もない。仮にスタンドだとしても、こうバラバラな場所に現れる意味がわからない」
「せめてあの足音の正体を確かめておけばよかったなァ…」
「康一君は見つけたんだろ、噂の元。そこからまた何かわかるかもしれない。…はー、昨日1日歩き回ったってのにこっちはめぼしい発見もない。損した気分だ」
「仗助くんも億泰くんも大して危険視してないので、もしかしたら本当に骨折り損のくたびれもうけなのかもしれないですね」
…しかし、あの足音に遭遇してわかった。この現象は、放置したらまずい。あきらかにここ数日、異変の濃度が増してる。実しやかに囁かれている噂が、語る人間が増えるにつれて形を得るかのように、加速して行ってる気がする。
「じゃあぼくはそろそろ帰ります。」
「ああ、幽霊には気をつけろよ」