「ああ、騒ぎになってるのがわかったからすぐ戻ってきたよ」
喫茶店からでてすぐ、野次馬に混じった露伴に捕まった。そして事の顛末を聞いた露伴はどことなく楽しそうな様子で家へ帰っていった。
もちろん翌日の学校は、その話で持ちきりだ。
あの喫茶店にいたことがバレると、クラスメイトや、その他挨拶したことがあるくらいの仲の人にまでその話を聞かれる。
なん度も繰り返し話さなければいけないせいで、その話をすっかり暗記してしまった。
「よォー康一、今朝からずいぶん人気者だな」
「もう疲れたよ…」
もちろん2人には朝一で事情を話している。
なにせ、ことが事だからだ。
コーヒーに視線を落としたその一瞬で、幅2メートル、高さ1メートルほどあるウィンドウ全面に手形を残す。
そんないたずら、ありえない。
なんらかの奇妙な…いや、明らかにスタンドがらみのなにかの仕業に違いない。
もし誰かが意図的にやっているなら、それが無害かどうかを確かめなくてはいけない。
また全く意図していないものなら…害になる前に食い止めるべきだ。
怪談の異常流行。実際の幽霊騒ぎを起こしている以上、そろそろ何かしらの手を打ちたいところだ。
「仗助くんはどう思う?この怪談騒ぎ」
「どーもこーも…俺全ッゼン興味なくってよォ…どんな話なんだ?その怪談って…」
「僕の聞いた話もよくある話ばっかりなんだよね。13階段とか自殺した生徒の霊が…とか。変わったところだと、昔この学校は墓地で、埋められた死体が夜な夜な這い出てくるとか。」
「小学生と大差ねーんだな」
「あー。そういえばおれも聞いたぜ!その話。その死体は桜の木の下にあるらしいぜ」
「それは話が混ざってるんじゃないかな…」
康一の心配をよそに二人はどうも食指を引かれないらしく茶化し気味だ。
それともやはり、自分が心配しすぎなだけなのたろうか。
「まー幽霊でも別に不思議じゃねーだろーよ。現にいたし」
もっともだ。
「それより今日はパン屋が来る日だぜ!買いに行こーぜ」
「ぼくはいいかなあ…あそこすごい混むんだもん」
「じゃあわりーけど俺らは行ってくるわ」
予想よりも、仗助と億泰はこの怪談騒動に興味を示さなかった。自分の取り越し苦労ならそれでいい。しかし、いざという時にあの二人がいないのは些か不安だ。
「康一くん、何してるの?」
気づくと、由花子が2人が向かった方から歩いてきていた。
「由花子さん…あ、その袋」
「そう、あのパン屋のよ。前に康一君が食べてるのを見て私も試してみようと思って」
「そこのはおいしいよ。まだ何回かしかたべれてないけど…そうだ、由花子さん」
「なに?」
「最近学校で変な話が流行ってるよね。」
「ああ…ぶどうヶ丘高校新七不思議でしょう。確かによく聞くわ」
「なんでこんなに流行り始めたかわかる?そういうのって女の子の方が詳しいかなって思ったんだねど」
「康一君、知らなかったの?」
「なにが?」
「先々週くらいに本当に幽霊が出たらからみんなして話し始めたみたい」
「本当に出た…?全然知らなかった。それ、どんな話?」
「そうね…ここじゃなんだから、よければ一緒に食べながら話しましょう。」
ーバスケ部の女子生徒が、更衣室の忘れ物を取りに行った。日がとっぷりと沈んだ、暗い学校の廊下を歩いていると後ろから足音が聞こえる。
いくら急いで歩いても足音は追ってくる。
女子生徒はついに我慢できず、後ろを振り返った。
するとそこには人一人分はある泥と、ずっと続く足跡がべったりと残されていた。
「それからその子は部活を辞めてしまったそうよ」
「ああ、その話なら聞いたことある。…これが流行りの発端だったんだ。…その女子生徒、の名前とかってわかる?」
「知らない。」
由花子はパンを食べ終えるとハンカチで口を拭う。
「でも、康一君が探してるなら…協力するわ」
「ほんとに?ありがとう由花子さん」
「いいのよ」
噂話といえば女のコ…というのも偏見だが、少なくとも自分よりは由花子の方がよっぽど縁がありそうだ。
キツイ性格ではあるが、こう見えて以外と友達はいるようだし。
由花子と別れ、次の授業の用意をする。
すると教室のざわめきからまた一つの噂話が聞こえてきた。
「本当だよ。校門のそばの水飲み場に、足跡がたくさん」
「そんなとこ、足跡くらいいくらでもあるだろ」
「でもおかしいんだって、子どもの足跡だぜ」
「こどもぉ?」
足跡、手形。
そういえばあの喫茶店のウィンドウにも子供の手形があったな。
あの手形の正面に座っていた人、随分怯えていた。もしかしたら幽霊、見ちゃったのかな。
もしこの幽霊騒動がぶどうヶ丘高校だけで起きているのなら、近しい場所を探ればいい。けれども杜王町全体がおかしくなっていたら…気が遠くなりそうだ。
露伴先生はどこまで調べているだろう。
町のはずれに位置する、まばらに木が生えた丘の上の別荘。
たしか行政区分的にはぎりぎり隣の町になるらしいが、山や丘の関係で杜王町の方がアクセスしやすい。
私に今の家を貸してくれた人物の家だ。遠縁も遠縁なので、契約書のようなものを出しに行った時しか会ったことがない。
住み始めてしばらくしたら挨拶に行こうと思っていた。いろいろ立て込んで後回しにしていたが、さすがに一ヶ月以上たって行かないわけには行かず、昨日の騒ぎで全く眠れてない中バスを乗り継ぎここまで来た。
「原付だけでも免許が欲しいな…」
バス停から歩いて15分。点々とある空の別荘を目印になんとか辿り着いた。
その親戚は変わった人らしく、絵本作家をしながら各地の別荘を転々として暮らしてるとか、いないとか。
今回空き家を貸し出したのもきっと変人の気まぐれか何かなのだろう。
鬱蒼と茂った蔦に覆われた門柱を見つける。表札も何も出ていないが、ここ以外にない。
なんとか呼び鈴を探し、鳴らす。
返事がない。
聞こえるのは木々が風に揺れる音のみ。
「…帚木さーん…」
堪らず呼びかけるが、どうにも気配がない。
間違えたんだろうか?けれども別荘地帯の一番おく、つきあたりの袋小路だ。間違えるはずは…
「籠原様ですか」
「わ!」
音もなく、門の向こうに誰かがいた。
40歳くらいだろうか。黒くて長いワンピースに地味な白いエプロンという、まるで洋画に出てくる女中のような人。
「手伝いの榊でございます。どうぞ中へ」
「お邪魔します」
無表情に、淡々と招き入れられた。無愛想というよりかは、私にあまり関心がないといった態度。
正直、変に気さくな人よりは好きなタイプだ。かと言って薄暗い不気味な廊下を無言で進まれてもむしろ怖さが増すのだが…。
「どうぞ」
行き止まりの部屋のドアを開けて、榊さんが促す。
恐る恐る中へ入ると、どうやらそこはアトリエらしく、大量の真っ白なキャンバスが並び、絵の具のとカビの匂いが立ち込めていた。
「こんにちは。家の住みごごちはいかがですか」
その真ん中に鎮座しているのが、帚木よう子。絵本作家の遠い親戚。あの家を紹介した人。
「ご挨拶に伺うのが遅れて申し訳ありませんでした。おかげさまで…なんとか、暮らせています」
「そうなの?…まあおかけになって。榊がお茶をお持ちしますわ」
20代後半だったか。日の光を浴びていないせいか、病的な白い肌は実年齢よりはるかに若く見える。
「この町は、素敵な町よねぇ」
「そうですね…静かで落ち着きます」
「でも知ってるかしら。この町の行方不明者の数。この町はなんでかわからないのだけれどもたくさん行方不明者が出てたわ。まるで神隠しにあったみたいに人が消えるの」
「そう、みたいですね」
神隠し、その言葉に胸が少し痛む。
神隠し、行方不明者。…妹。
「貴方、昔話は好き?」
「は…?」
「昔話では行方不明者って神域に入ってしまったからといわれているの。八幡の藪知らずなんかがそれよ。」
「はぁ…」
突然なんなんだ、この人は。こっちの反応なんて御構い無しに喋り立てる。
「…神隠しに合った人は、数年後に山の中で変わり果てた姿で発見されることもあるわ。老婆になっていたり、逆に若いままの姿でね。そしてその後また山に消えてしまうの。…ねえ、似てるわよね」
「へ?」
「あなたの家の、元主人の話に」
「え……?」
「吉良吉影は一度行方不明になっていたのよ。そして何週間かたってから、なぜか救急車に轢かれて亡くなったの。タイヤに顔の皮を巻き込まれて、変わり果てた姿でね」
「…そんなこと……私聞いてません」
心臓が、どくどくと脈打ち始めた。
事故死は事故死だけれども、顔の皮が剥がれた?行方不明から帰還した…?
「なんで教えて下さらなかったんですか」
「普通は、そんなこと知らなくてもいいからよ。行方不明なんてこの町じゃ大したことじゃないし、死に方だって状態が酷かっただけで他殺ではないわ」
「でも…」
「ねえ、籠原さん。本当にあの家の住み心地はいいかしら」
「……」
「わたしは思うの。人はどんな時でも必ず、家に帰ろうとするって。一人で暮らしても、どこか遠くへ家を構えても、帰る場所ってきっと一つだわ。」
「それじゃあ、死んだ吉良吉影さんが家に帰ってくるかもって思ってるんですか」
「そうよ。」
「……アレは、吉良吉影さんなんですか?」
「やっぱり何かいるのね」
「…….聞こえるんです。足音が、ずっと…」
「それが本当に吉良吉影なら、心配しなくてもいいわ。でもあなたが本当に恐れてるのは違うものじゃないの?」
「…」
「この町は今、少し空気がおかしいわ。薄い薄い霧が立ち込めてるみたい。ねえ、家を空けたかったら言ってちょうだいね。」
「はい…。考えて、みます」
「怖がることはないわ。しっかり起きてる事に焦点を合わせれば、自ずと本当のものが見えてくるはずだから」
きし、きし、きし、
と、上の方から家鳴りが聞こえた。
「…お茶、遅いわね。」
「いえ、もう、失礼します」
失礼とは思いつつ、夕は逃げるように部屋を後にした。
見えてしまったのだ。
たくさん並んだキャンバス。よう子のすぐ後ろの白いキャンバスに、天井からぼとりと垂れた泥水が、まるで手形のようなあとをつけているのを。