【完結】杜王町怪忌憚   作:ようぐそうとほうとふ

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冷たい土

その日は結局、移動販売に助けられた。

水道管の故障か下水の逆流ということであの後店は大慌て。店を閉め、業者が来てる間作った分だけでも売って来いと移動販売へ追いやられた。

移動販売は苦手。けれども、あんな不気味なところには絶対に居たくなかった。

結果、忙しさに脳の真ん中以外を麻痺させつつパンが売り切れるまで町を回った。

店の水道管に異常は見つからなかった。だが念の為に洗浄やフィルターを取り付けるため店は休みになるらしい。中途半端に夕方から暇になってしまった。

けれども、家に帰りたくなかった。

あの休憩室に確かにいた、なにか。蛇口をひねった何かが家にもいそうで怖かった。

一人暮らしのせい?

疲れとかで、神経が過敏になってるんだろうか。

ペットでも飼おうかな。けれどもフリーター暮らしも余裕があるわけではない。そもそもあの家ってペット買っていいんだっけ?

物思いに耽りながら歩いてると、いつの間にか家の門は目の前。

ここまできたらもうしょうがない。

西日が差し込む玄関を開ける。

真っ黒な影法師が廊下の闇に伸びてる。

「…………………」

重苦しい静寂。いや、沈黙?

家鳴りはない。

靴を脱いで廊下を渡る。ぎし、ぎしと軋む床。居間、台所、玄関にかけてとくに傷んでるようだ。

台所ではごうんごうんと冷蔵庫が唸っている。

雑音とはいえ音がしているし、自分の部屋よりはマシかもしれない。

隣接した居間に座布団を持ち込み、うっすら埃が積もっている卓袱台を拭く。

週に一度の掃除でも埃は積もるものらしい。

一人暮らしのフリーターにとって、毎日この広い屋敷を掃除するのは手間だ。そこで部屋に曜日をふって、どの部屋も週に一度掃除するようにしている。

「…せめてテレビが欲しいな……」

ぼーっと梁を眺めながら呟く。その呟きは日が暮れてできた陰に吸い込まれていく。

ぼーっとしててもしょうがない。いっそのこと大掃除でもしてしまおう。

ここにも掃除機しまってなかったっけ?と、なんとなく押入を開ける。

この家の家財道具一式はそのままだ。写真や賞状など、個人的なものはどうやら先に片付けられてたようだが、ほとんど家主の存命中と変わらないまま貸出された。

……もし家主が死んだことに気づいてなければ、帰ってきて何の違和感もなく暮らすんじゃないだろうか。

 

籠原夕は、幽霊を信じている。

いや、正確には恐れていた。

行方不明の妹の視線を10年間感じ続けた結果、夕は現実的な恐怖として幽霊を恐れている。

そんな怖がりな夕の、たった一人の夜。

押入の中に掃除機はなかった。閉じようとした時、上品な箱が目にとまる。

埃をかぶった、ほとんど何も入ってないどこか茶けた押入。そこにポツンと残された不自然なほど真っ白な箱。

まっさきに連想するのは棺だ。今まで何人か死者を見送ったが、ちゃんと見たのは一度きり。

行方不明になって7年。死亡扱いになった妹の、空っぽのちいさな棺。

勿論ここにあるのは小さい、なにか菓子でも入っていそうなひらたい箱だった。

何だろう。

思わず手を伸ばす。意外と重い。

死んだ家主のものかもしれない。しかしどうしても気になってしまう。さきほどの棺の連想を打ちけすように、勢いよく箱の蓋を開けた。

「…写真……?」

そこに入っていたのは10数枚の写真だった。

家主のものだろうか。

一番上にある写真の日付は、20年ほど前。お母さん、お父さん、男の子の三人家族らしい。

まじまじと、それを見てしまう。

日焼けで退色した写真。かつてここで暮らしていた人たち。

確か家主の両親は、まだ彼が若いうちに亡くなったらしい。ということはこの小さな男の子は家主の幼少期なのだろう。

利発そうな顔立ちの少年だった。しかしどこか冷めてるというか、子どもらしい表情はしていない。

思わず手に取り、その写真の男の子を見る。

そしてその写真の下には若い学生服を着た男の子が門の前で微笑んでいる写真がある。

さきほどの少年か。顔立ちは相変わらず利発そうでいて、微笑んではいるがどこか嘘くさい。

なんて名前だったっけ…?

さきほどの家族写真を見て、門柱を確認する。

そうだ、家主の名前は確か

 

「吉良吉影…」

 

ぎし、

 

は、と気づいてしまう。

写真を眺める視線の端。廊下へ続く暗がりに、誰かが立っている。

つま先が汚れた白いソックス。細い足首。

その、白いソックスにはリボンとフリルがついている。女児用の、よそ行きのソックス。

 

「朝、菜…?」

 

乾いた口から、妹の名前が漏れた。

 

どん!

「きゃああああ!」

窓に何かがぶつかる音で、夕は思わず目を閉じうずくまる。

妹は私を許さない。むしろ家を出て罰から逃げようとした私を怒っているんだ。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

こめんなさい。

許して、朝菜。

私を、あなたを見殺しにした私を許して…。

真っ暗な視界。何も見えない。けれども耳は塞げない。

どんどんどん

窓ガラスが叩かれてる。

ぱたぱたぱた

軽い、子どもの足音がどこからか聞こえる。

うずくまる私の周りを、ひたと誰かが通る気配がする。

ただひたすら謝った。そして祈った。

誰か助けて。

誰か…

 

「最近話題のホラー映画とか、そういうのは聞かないね」

「そうですよね…」

たまたま通りかかった喫茶店でコーヒーとサンドイッチを食べていた露伴を前に、康一はため息をついた。

「じゃあどうしてこんなに怪談がはやってるんでしょう?」

「さーね。誰か怪談がうまいやつがいてみんなが真似し出したとかじゃないのか」

「井戸端会議でおばさんが怪談するんですか?」

康一の注文したカフェラテが運ばれてくる。

ちなみに、この喫茶店までの道は仗助、億泰と一緒だったが仗助と露伴は犬猿の仲だ。露伴の姿を見つけ次第そそくさと退散してしまった。

「康一君は他にはどこで怪談を聞いたんだ?」

「えっと…病院行きのバスの中とか、あと公園で溜まってた小学生。学校でもたくさんの人が。…今日1日でもなん度も聞きましたよ」

「バスの中では?どんな人が話してた?」

「たぶん、おじさんおばさんです。入院してた人が見たって」

「ふうん…」

ぱく、とサンドイッチを完食して露伴は手からパンくずを払う。

それをコーヒーで流し込みなにかを手帳にメモしている。

「普段人の会話なんて気にしないからな。ちょっと注意してみるよ。」

「僕ももう少し調べてみます」

「それにしても、季節外れの怪談か。夏にやらなきゃならないわけでもないんだろうけど、なんだって新学期春浦々の時期に。」

「だから不思議なんですよ」

この町の噂は、事件に直結してることが多々ある。吉良吉影の騒ぎが終わり、冬にあった奇妙な殺人事件が解決し、ようやく訪れたと思った日常。

またすぐに異常が始まりそうだ。このペースじゃいったい残りの人生でどれだけの奇妙な出来事に巻き込まれるのかわかったものではない。

「うーん、興味が出てきたぞ」

露伴は立ち上がりいそいそと帰り支度をする。

「早速町をふらついてみるかな。うまくいけば面白い話がかけるかもしれない」

それじゃあお先にと、康一そっちのけで足早に立ち去っていく。

ふう、とカップを置く。

泥のようなカフェラテが揺蕩った。

 

今日はバイトが休み。何もない日で助かった。

あの騒ぎの後、夕は気絶したか寝てしまったかしたらしい。気づいたら夕方になってた。

うずくまったままの体勢で、周りに写真が散らばっていた。

昨日のはなんだったんだろう…

もし、心霊現象ならお寺とかに行くべきなのだろうか。

料理する気力もなく、軽くシャワーを浴びてからなにかを食べに通りに出てきた。

適当な喫茶店に入る。

ウィンドウに映る自分を見ると、髪の毛がくしゃくしゃだった。恥ずかしい。

軽く手で整えてるとサンドイッチが運ばれてくる。当店自慢。

無心にそれを口に詰める。

コーヒーで流し込む。

昨日のことを考えると、あの家には長居できないかもしれない。

けれども実家にも帰れはしない。

 

13年前、家族でエジプト旅行に行った日、妹は消えた。

誘拐か事件か、当時大騒ぎになったがどこからも身代金の要求なんて来なかったし、それらしき死体も見つからなかった。

それから母は痛ましいほどに衰弱していった。

最愛の妹。母が子宮を犠牲にして産んだ最後のこども。

なんの手がかりも残さず、砂漠に消えた。

行方を訪ねるビラを何枚も何枚も作り、年に何度もエジプトへ。周辺国へ飛び回る母。家庭に無関心な父は黙々と必要な金を家に持ち帰った。妹の写真が廊下に所狭しと貼られ、ファンシーな写真立てやフレームから妹の笑顔が、通るものを見つめてくる。

私の写真は、一枚もない。

新しい写真は一枚も撮られることがなかった。

あの家は妹の失踪と同時に時間が止まってしまった。

そして7年たって、失踪宣言。妹は空っぽの棺で焼かれ、墓に名前だけが刻まれた。

そして1年前。母はついに自ら命を絶った。

それでも写真は外されなかった。

妹に妄執していた母が居なくなっても家の時間は止まったままだった。

限界だ。

私は亡霊のように家にお金を入れ続ける父を置いて逃げ出した。

今も父は空っぽの家に、お金を持って帰ってるんだろうか。

ガチャ、パン!

すぐ横の席でカップが砕け散ったらしい。

慌ただしく店員が駆け寄る。

「すみません!」

割ってしまったお客…中学生だろうか?男の子が謝りながら机の上のコーヒーを拭いている。

ドジだなあ。よくみたら移動販売の時によく見る制服を来ている。ぶどうヶ丘高校の生徒だ。

見ていてもしょうがないので視線を元に戻す、と。そこで愕然とする。

日が落ちてくる時間。空いっぱいが茜色に染まり始め、太陽が西からさしてきて窓いっぱいを染める。

その、染められたウィンドウ一面に、無数の泥で汚れた手形がびっしりと執拗に残されていた。

 

「ーーーーぁ」

 

喉から絞り出すように嗚咽がでた。悲鳴も出せず目を見開いてそれを見た。

私の真正面。ウィンドウの下ギリギリにある、こどもの小さな手形。

「キャアアアアーーーッ!!」

他の席から悲鳴が上がる。

悲鳴からそれに気づいた人々により、店内が阿鼻叫喚に包まれる。さきほどの男子高校生も、これに驚いたんだろう。逃げることも悲鳴をあげることもできず、夕はそれを見ることしかできなかった。

「大丈夫ですか?」

客のほとんどが慌ただしく店を出て、従業員は慌ててウィンドウを拭いてる。そんななか呆然としてる夕を心配して、先ほどカップを割った少年が話しかけた。

うまく声がでない。

「…はい、驚いて…」

やっとそれだけ言うと、ようやく硬直が解けたように大きく息を吐く。

「…こわい……」

つい口をついて出た言葉に、少年が困ったような焦ったような顔をする。それを見て慌てて取り繕う。

「ほんと、タチの悪いいたずらですね。全然気づかなかった…。いったいいつ…こんな……」

「ぼくはほんの一瞬、カップの中を見てて目を離してて。視線を元に戻したらこうなってしました…」

「気味が悪い…」

早くここから立ち去りたい。

そう思い夕は立ち上がる。

「心配させてごめんなさい…。……それでは」

ウィンドウを必死に拭う店員を見ている少年を置いて、夕は支払いをすませ足早に立ち去った。

あの家へ帰るために。

帰りたくないなんて言ってる場合ではない。こんなことじゃまだ家にいた方がマシだ。

影法師が長く、長く。オレンジ色の坂で伸びていく。私は家路を急ぐ。

ひたすらに早足で、後ろに聞こえる、あるはずのない足音を打ち消すように。


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