【完結】杜王町怪忌憚   作:ようぐそうとほうとふ

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吉良吉影の探偵ごっこ
吉良吉影の探偵ごっこ:前編


白黒の鯨幕がじわじわとコンクリの熱に炙られながら葬列を飲み込んでいく。

茹だるような暑さ。

そこらじゅうから暖房の温風が吹き荒れてるような熱気に思わず上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた。

記帳を済ませて斎場に入ると、次は恐ろしいほど冷房が効いている。寒暖差に頭を振って脱いだ上着を羽織る。

中にも、人。疎らに座る人たちを横目に、自分も目立たない位置へ座る。

今日は親戚の、葬式だ。

親戚付き合いは避けてきたが、ついこの間父親の葬式の時に世話になった人だった。もはや自分は家長だし、参列しないのはあまりに不義理だし、なにより普通じゃない。

 

普通じゃないといえば…。この葬式も普通じゃない。

何故なら斎場の出入り口付近に、胡散臭い雰囲気を身にまとった、喪服というにはあまりによれよれのスーツを着た刑事がいるからだ。

 

そう、故人は殺された。

 

帚木八寿子

享年38歳。

 

遺影から微笑みかける笑顔は以前と と変わりない。

悲痛な面持ちで、小窓の空いていないぴっちり閉じた棺の表面を撫でる夫。

平穏な人生を送り、非凡な死に方をした女の葬式。悲しくもどこか美しい光景。

 

「兄さん」

 

そこで、不意に声をかけられた。

声のほうを向くと、まるで葬式を人間にしたような、真っ黒いセーラー服を着た透けるような白い肌の少女が立っていた。

腰まで伸びた、艶のある黒髪。黒いセーラー服に白いスカーフ。この真夏に、冬服。

葬式の手本のような格好をした少女に思わず苦笑いする。昔から変わらない。

 

彼女は帚木よう子。18歳。

 

帚木八寿子の一人娘で、自分の従姉妹にあたる少女。

 

「吉影兄さんが来るなんてね。雨でも降るんじゃないかしら。むしろ来なくてもいいから降らせて欲しいもんだわ。少しは涼しいもの」

「無理言うな。この時期は降ってもせいぜい通雨だよ」

「そういう話をしてるんじゃないのよ。本当吉影兄さんは変わらないわ。良くも悪くもね」

「君も相変わらずだね」

 

吉良吉影、24歳。

 

吉良吉影が東方仗助と出会う9年前の夏の出来事。

 

 

 

吉良吉影の探偵ごっこ①

 

 

帚木よう子のことは、彼女がまだおしめを履いている頃から知っている。

年齢差は6歳。しかし他に親戚のいない吉影は事あるごとに彼女の面倒を見させられたものだった。

年に一回会うか会わないか。そんな希薄な関係の親戚だったがお互いに年齢の近い親戚がいなかったため、いつあってもセットにされ放任されていた。

吉影が大学に入った頃からはほとんど会うこともなく、彼女は会うたびに大人になっていた。

男子三日会わずして…とは言うがそれは女の子も同じだろう。

しかし生意気そうなつり目と艶やかな髪は変わらない。そして、性格も。

帚木よう子は温厚で優しく、学校ではどの生徒にも隔てなく接し、成績優秀品行方正。学生の鏡として生徒会長の座に君臨していた。しかし、それはよう子の分厚い仮面だと言うことを幼い時分からの付き合いである吉影は知っていた。

先ほどの会話の通り。

彼女は本当は苛烈で辛辣。一言喋れば毒を吐く。なんでも一番でなければ気の済まないというとんでもない自意識の化け物なのだ。

絶対に目立たないように三位を取り続けてきた吉影とは対極の存在である。

視線も名声も賞賛も、自分のものでないと気が済まない。そんな性格が過剰なまでに模範的な彼女を作り上げている。

 

「焼香が終わったら裏に来てよ。どうせ読経なんて母さんに聞こえやしないわ」

「お経ってのは聞こえる聞こえないの問題じゃあないんだ。それに遺族の君が席にいないなんて具合が悪いだろ」

「いいから来てよ。吉影兄さんなんてどうせ暇でしょ。来たらきっと面白い事を教えてあげる。」

「…わかった。君には後で付き合ってやる。だからきちんと式には出るんだ」

「…なによ。大人みたいなことを言うわね」

「私はもうとっくに大人なんだよ」

「わかったわよ。兎に角終わったら必ず来てよね。」

そう言うとよう子は長い黒髪を翻し、前列の方へ向かった。そろそろ葬式が始まる。

それにしたって、よう子は母親ととても仲が良かったはずだ。その母親が死んだというのにあの様子。

すこしおかしい。

気になりつつも、嫌な予感がした。

 

吉良吉影は静かに暮らしたい。

植物のように平穏な人生を目指し、現在着実に基盤を固めつつある。平穏とは真逆の人生を目指しているであろうよう子の話。これを聞くことはあまりいい結果を招かない。そんな予感がする。

しかしながら断ったら後が面倒なのが彼女だ。

あのよう子という少女は何が何でも我を通したいし、通すためにいかなる手段も使うのだ。

分厚い優等生の面の皮にしたって、そうしたほうが自分の意見が通るからそうしているだけだ。

昔からそうだ。

吉影は目立たない程度にため息をつく。

行くか行かないか。しばし迷ってから決心する。

厳かに進んでいく式。遺影の中で微笑む帚木八寿子。

この女は、私がいつか殺す予定だった。

白魚のような美しい手を持っていた。

愛おしげに寝てしまったよう子の髪を撫でる八寿子の指。

父を亡くした自分を励ますように背中をさすった手。

あれこそ完璧な手だった。

今まで出会った手の中で一番吉影が欲しかった手。

今日、その手はあの棺の中で組まれ、これから焼かれてしまう。

誰がわたしの先に、あの女を殺そうというのだろう。想像がつくだろうか。親しい人間が突然、事故にあったように殺される気持ちが。

まったく。殺人鬼ってのはいつだって理不尽だ。

そう言う意味でも、ちょっぴりなら話を聞いてやってもいいだろう。

 

焼香。合掌。

帚木八寿子。貴女の美しい手がこれから火にくべられて、その他のどうしようもない部位とまぜこぜに灰になってしまいには埋められるのを、とても悔しく思います。

せめてこの遺影が嫋やかに腰の少し下で組まれたあの美しい手まで写っていればよかったのに。

 

 

火葬中。遺族の集められた部屋に通された吉影の腕をむんずとよう子が掴んだ。

「兄さん、来てくれてありがとう」

他の親戚の目があるからか、悲しげでしおらしい顔をしている。

「こっちよ」

すぐに部屋から連れ出され、冷房の効いたロビーに引っ張られる。

「…兄さんは気付いた?斎場の入り口に刑事がいたでしょう。話っていうのはアレ関係よ」

「ああ…殺されたらしいってことくらいは聞いた。」

「そう、殺されたの。でもただ殺されただけじゃないわ。母さんはね、遺体の一部を持ち去られてるのよ。頭と、右手と、左手の薬指と小指の第一関節から上。」

「頭と手と指だと?」

棺の小窓が空いていなかったのはそういう理由か。

「最近ニュースでやっていたバラバラ通り魔の仕業か?」

「そうじゃないかって刑事は言ってた。…母さんで5人目よ。」

バラバラ通り魔とは近頃ニュースを圧巻している猟奇殺人犯の俗称だ。通り魔は必ず、被害者の体の一部を持ち去る。どうやら目的は殺人ではなく部品であるらしく、目的部位を切り取ったり切り抜いたり以外に外傷はない。しかし部位が部位なので結果的に被害者は1人を除き死亡している。

「ねえ、協力してよ」

「ーーは?なにを、だ…?」

不意に話しかけられ、思考に没頭していた吉影は思わず間抜けな声を出してしまう。

 

「母さんの頭を取り戻すのよ」

 

吉影は思わず手を口に当て、押し黙る。

思いがけない提案に胸が踊った。今の自分は唇の端が持ち上がっているに違いない。頭はともかく、犯人は右手を持ち去っている。今ならまだ取り戻せるかもしれない。

夏は腐敗が早いとはいえ、持ち去るからにはきちんと管理しているだろう。首尾よく行けば手を汚さずして帚木八寿子の手が手に入るー。

しかし、ここですぐ乗っては不審がられる。

「何を言ってるんだ。そういうことは警察に任せるべきだろう。私たちは一般市民なんだから」

「母さんは頭のないまま焼かれてるのよ?そんなの許せるもんですか。絶対に取り返す。取り返さなきゃ気が済まないわ」

よう子の目はすわっている。本気で行動しようとしているらしい。

「犯人の手がかりはないんだろう」

「あるわよ。行動圏くらいなら今までの報道でわかってるわ。」

「そこをうろつくつもりか?そんな事をして八寿子さんが喜ぶとは思えんね」

「喜ぶ喜ばないなんてどうでもいいわ。私は私の愛した母親の、奪われたパーツを取り戻したいの。完全な状態で冥土に行って欲しいわ。何がおかしいっていうの?」

よう子は当然のように言う。唯我独尊気質もいいところだが、母親のことは本気で愛していたらしい。愛していたからこそ、自身の完璧を損なう屍体の欠損を許さない。

「おかしくは、ないさ。でもそんなこと子どもの君と、ただの社会人のわたしでできると思うか?わたしは思わんね」

「出来るかじゃないの。やるのよ。」

よう子はそこで大きなため息をつく。

「ねえ、吉影兄さん。母親が異常な死に方をしてるのよ。それをどうにかして整理をつけたい。そんな可愛いいとこに付き合うことは別に変じゃないわ」

どうやら説得の方法を変えたらしい。吉影がよう子の性格を把握してるのと同じようによう子も吉影の性格を把握している。計算高い娘だ。

まあなんにせよ、ちょっと渋ったら乗る予定だった話だ。ここで彼女の思惑通りに折れておこう。

「わかった、わかったよ…それで君の気がすむなら。けれどもあまり危険なことはさせないよ」

「ありがとう兄さん。やっぱり兄さんは頼れるわ」

互いが互いの本性にうっすら気づいてる。だからこそ言える白々しいセリフだ。

もちろん、よう子は吉影の本当の顔を知ってるわけではないのだが。

「それで、具体的にはどうするんだ。そろそろ盆で休みはとれるが、わたしは勤め人だからな。あてもなく毎日彷徨ったりは遠慮したい」

「あてはあるわよ。うろつくけどね」

そこでよう子は時計を確認する。

「いけない。そろそろ焼きあがるわ」

「焼きあがるって…」

よう子のあんまりな物言いに思わず絶句してしまう。

「しょうがないでしょ。顔がないと母さんが死んだって実感がわかないの。」

「…気持ちは分からなくもないが。とりあえず行こうか。」

 

収骨を丁重に辞して、吉影は焼けたアスファルトを踏みしめ、帰る。

ちょうど今回の彼女も手の切どきだった。渡りに船、とはまさにこのことだ。しかもきた船はかねてより望んでいた船。

あの美しい手を奪い返したらどんなデートをしようか。

 

 

翌日の午後1時。日曜日の暑い昼間によう子は吉良の家を訪れた。

「作戦会議にきたわ」

この暑さにもかかわらず、よう子は変わらずセーラー服だった。さすがに暑かったのか夏服を着ている。

"彼女"を慌ててかくし、仏間へ通す。

吉影の父と母の位牌の並ぶ仏壇でよう子は手を合わせる。

その間に麦茶を入れて茶菓子を用意する。突然の来訪には驚いたがたまたま同僚のよこしてきた土産があって助かった。

「…杜王町は遠いのによく来たもんだな」

「知らないの?私の最寄りから快速が通るようになったのよ」

「ああ。この町から出ないからね」

「ふうん。ここで生きてここで死ぬつもりなのね。」

「ああ」

つまらないわね。と言わんばかりの表情で麦茶をぐい、と飲み干した。確かによう子にしたらこんな平凡な町で一生を終えるなんてゾッとする話だろう。

だが吉影にとって、それこそが求めているものだった。

「…それで、昨日の話はどうなった」

「ええ。兄さん休みはいつ取れるの?」

「12日から18日くらいまでかな」

「じゃあその期間、私の家の方に来て。」

「…何をする気だ?」

「簡単よ。囮調査ってやつ」

よう子はカバンから新聞記事と、雑誌の切り抜きを取り出した。

どれもバラバラ通り魔に関する記事で、そこには被害者の写真や犯行現場の写真が載っていた。

 

「今回のバラバラ通り魔には明らかに趣味嗜好が出てるわ。被害者の写真を見ればわかる通り、女の好みがハッキリしている」

被害者の写真を順番に並べ、指し示す。

「被害にあった順番よ。そして切り取られた部位はそれぞれ

一番目、薄野葵は右腕、鎖骨、左の乳房、足の指全て。

二番目、明石茜は胃腸、肺、毛髪を含む頭皮…でも肺は後で捨てられてるのが発見されたわ。喫煙者だったからかしらね。

三番目、野分ゆかりは鼻、耳、左脚。

四番目、賢木翠は唇、心臓、左手の爪、尻肉。

そして五番目の母さんは左手の指と右手と頭。

被害者の写真を見て。顔のパーツを奪われた人は軒並み似てるのよ。内臓や手足については、写真じゃ背格好は分からないけどこの雑誌で大体同じだって分析してるわ」

「…それで囮ってことは…」

「ええ。ご明察。私が囮になるの」

「ふん、やっぱり子どもの考えだったな。そんなのどう考えたって成功しやしない。仮に成功したとして無事で済むとは思えん」

「なんのための吉影兄さんよ!」

要するによう子がいざ殺されそうになったら守れ、ということらしい。

想像よりも調べていたが、想像よりも幼稚な手段だった。

「自信はあるわよ。だって私、次に犯人が欲しがるものを持ってるもの」

「…なんだ?」

「左手よ」

左手。

よう子の左手を思わず見る。母譲りの、美しい手だ。白く、まっすぐに生えた指。そしてその指先を彩る桜色の爪。

「母さんの左手には切断しようとした痕があったの。けれども犯人は途中でやめて逃げたみたい。悔し紛れに薬指だけ持って行ったみたいだけど」

「そう、なのか。」

「ええ。だから必ず母の手とそっくりな私の手を欲しがるはずよ。だって限りなく似ていないと、それは完璧じゃないもの。」

「なにが完璧じゃないんだ?」

「作ろうとしてるものよ」

そう言うと、よう子は麦茶に口をつけて黙りこくる。

吉影は少し考え、納得する。犯人は女性のパーツを奪い、集めたパーツで完璧な人体を作ろうとしている。とよう子は言いたいんだろう。

とんだ推理だ。しかしながら的を射てるのは認めざるを得ない。

手にしか執着のない吉影にはわざわざ人を組み立てようという気持ちは分からなかった。

「もしそれが本当なら、相当危険だ。…君はやめるつもりはないんだろうがな。」

「ないわ。私も完璧じゃないと許せないもの。」

なんて強い意志だろう。その根本がどこにあるのかはわからないが、その執念は自分に通じるものもあるので不思議ではない。が、やはりその執念の向かう先はどうしても相容れない。

「…休みのうちだけだ。」

「ありがとう、兄さん。母も喜ぶわ」

にっこりと微笑む仮面は母そっくりだった。誰にも知らせなかった母の葬式の後、急ぎ駆け付け線香を灯したあの八寿子に。

 


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