もう春はすっかり終わってしまい、初夏といっても差し支えない気温になってきた。
昨晩の雨で駅前の緑は青々と濡れている。
うっとおしい梅雨も、もう終わってしまう。
汗ばむ季節でも頑なに学ランを脱ごうとしない仗助は軽く手で首元を扇ぐ。
水曜日。
時刻は11時。
学校はとっくに始まってるが、今日はそんなことより大切な用事があった。
駅前のロータリーに一台のタクシーが乗り付ける。
その中から、真っ黒な喪服を纏った少女が大きな荷物を持って出てくる。
籠原夕。
大量の犠牲者を出したあの事件の、当事者。
「こんにちは。」
にこ、と笑う顔は一ヶ月半前と比べてよっぽど元気そうだったが、しかし何処か陰を感じさせる。
夕はあのあと、精神病院に入院させられていた。
事件との関係を疑われ警察にも連日押しかけられたが、物証など何もなく結果的に疑われつつも放免となった。
肉体的な疲労と精神的な消耗が激しく、入院して2週間は面会も謝絶されていた。
幼少期からのトラウマと今回の事件の傷を、少しでも癒せたのだろうか。
「わざわざ見送りに来てくれたんですね…ありがとう」
「いえ、そんな…。もう体の方はいーんスか?」
「うん、入院生活でむしろ太っちゃった」
「あーー…女の人ってーのは何キロから太ったって言うんすか?」
他愛も無い会話。
しかし夕の平静がまだ脆い理性の上に作られていることを仗助は知っている。
面会が許されてから、康一や億泰とも何度か見舞いに行った。しかしはじめて見舞いに行った時の夕は廃人のようで、仗助たちの顔を見るや否や悲鳴をあげてその場で自分の目を潰そうとしたほどに錯乱していたのだ。
本当なら、まだこうして歩き回れる時期じゃない。
しかし面会に来た露伴となにかしらやりとりがあったらしく、ヘブンズドアーによりあっさりと退院許可を獲得したのだった。
「帰るんですね、家に」
「ええ」
生暖かい風が頬を撫でた。夕は伸びた髪を耳にかける。
「父が…お見舞いに来てくれたんです。」
「お父さんが?」
「ええ。話してわかったんですよ。父もまたあの家に閉じ込められているんだって…。私、言いましたよね、仗助さんに。」
「え?」
「家族とちゃんと向き合わなかったのを後悔してるって。……私は、あの家でやり直さなきゃいけないんです。だから、岸辺露伴さんに頼んで出してもらいました」
夕は真っ黒いワンピースをたなびかせ、重そうな荷物を持ち上げる。
「おれ、持ちますよ。」
「ありがとう」
ホームに降りると、人はまばらだった。線路がずっと奥へ伸びている。改めて見ると、途方も無い。
「私に責任はない…って、露伴さんも広瀬さんも、あなたも言ってくれました。でも、私にはそう思えません」
仗助は黙って夕の方を見る。夕は市中の方へ伸びるレールを眺めながら言葉を続ける。
「でも、死ぬ事は逃げることです。償いじゃありません…。私はしっかり妹の死と母の死に向き合って、それからまた、ここで起きたことに向き合っていこうと思います。向き合って、見つめて、考えて…そうやって償ってこうと思います」
「あんたを責めてる人は誰もいない。あんたを苦しめるのは、あんた自身だ。…でもそれが…夕さん、あんたの見つけた答えならおれは否定しない」
「うん。ありがとう仗助さん」
「そういえば、スタンドの名前は決まったンスか?」
「うん。決まったよ。名前は、『ザ・ウォール』虹村さんの、ちょっと真似しちゃった。」
「う〜〜ん。なーんかザ・ハンドって人気なんだよなぁ」
発着メロディが流れる。遠くから電車がやってくる。
「…また、戻ってくると思います。その時にはちゃんと、広瀬さんや虹村さんたちにお礼をします。」
「ああ。みんなで待ってますよ。その時はきっと…もっと楽になってますって」
「なれるかな…」
「なれるって」
電車がホームに滑り込み、夕の少し癖のある髪を舞い上げる。
ドアが開き、少ない乗客が降りてくる。
「…じゃあ、行きますね。仗助さん。本当にありがとう」
「夕さん。きっと、幸せに」
「なれるかな?」
「なれるよ。絶対」
「ありがとう」
再度ベルが鳴る。電車のドアが、閉まる。
ドアの向こうで夕が手を振った。悲しそうな顔で。
窓の外を風景が流れていく。
三ヶ月ほどしか暮らしてないとはいえ、杜王町との別れは悲しかった。
いや、正確には仗助や彼の仲間たちとの別れが。
座席は空いていたが、夕は立ったままいつまでも車窓を眺める。
入院して一月。ようやく錯乱しない程度に落ち着いた頃を思い出す。
「痩せたな、籠原さん」
礼儀というのを欠いた挨拶。しかしそれくらいの方が夕にはありがたかった。罪の意識で毎日死ぬ方法を模索していた夕にとってはむしろ、気遣いだとか優しさが辛かった。
「病院の変死事件については、警察が捜査を打ち切った。正確にはヘブンズドアーで打ち切らせたんだが…。だから、もうあのうるさいバカどもに煩わせられることもないよ」
「それは、ありがとうございます。でもいっそ…捕まえて欲しかった」
「バカなこと言うなよ。あんたは犯人じゃない。何度も康一くんたちに言われただろ」
「そんな簡単に納得できませんよ。事実として、よう子さんや患者さんたちは私の巻き添えなんですから。私がいなければ、こんなことにならなかったんです」
「そっか。なにもかも自分のせいだと思ったからあんたは一回死んだんだな。…それで、あんたの感じてる責任は死で償えるものなのか?」
「…………」
「母親の前で言ったんだろ。逃げないって。」
「…はい」
「じゃあ、逃げるな」
とん、と露伴は漫画本を数冊カバンから机へ取り出す。
ピンクダークの少年。読んだことがない。
「こんな病院じゃろくな娯楽がないだろ。…また続きを持ってくるからそれまでもっとじっくり、自分のことを考えるんだな」
思い返すと、露伴の行動は事態を見抜けなかった罪悪感によるものが少なからず含まれていた。しかしそれでも足繁く通って話を聞いてくれた露伴にはとても感謝している。
結局、あの漫画は途中までしか読めなかった。
家に帰ったら、買って読もう。
そして手紙を出そう。
乗換駅だ。
さすがに大きな駅は人が多い。人ごみに酔いながらなんとかホームへたどり着く。
きっと、杜王町にはまた戻ってくる。
よう子の世話をしに。
帚木よう子は結局両目とも視力を失い、現在はS市の大病院の閉鎖病棟にいる。詳しいことはわからない。しかし、どうやら見えないものが見えてしまうらしく、危険でとても外には出られないらしい。
彼女には、必ず償わないといけない。
そのまま終点近くまで、一時間半あまり。
小ぢんまりとした駅で降りると、懐かしい匂いがした。
ほんのすこし離れただけなのにとても時間が経ったような気がする。
駅から10分ほど歩くと、我が家だ。
インターホンを押すか悩んだ。悩んで、鳴らさずにノブを回すと扉は開いた。
「………」
陽の射す廊下を、久々に見た気がする。写真は剥がされていた。写真の跡に日焼けして壁の色はまだらだ。
廊下を進もうとして、気づく。
「これ……?」
それは、家族写真だった。
ピラミッドの前。微笑むお母さんと、妹を抱き上げる父と、二人の間で手を振ってる私。
「……ずっと、そこに貼られてたんだ」
声に振り向くと、父が居間から顔をのぞかせていた。
「夕。お前には辛い思いをさせたな」
「お父さん……私…。」
「お前も俺も、かあさんとちゃんと話すのを避けてたな。これを見ると、母さんは、本当は家族全員を探してたんじゃないかって。最近そう思うよ」
「おとうさん…わたし…」
お母さんがおかしくなってから、ほとんど家で話さなかった父。
思っていたことは自分と同じだった。その事実に今更気付いた。
「おとうさん。私…それに気付いたから、帰ってきたの…。」
「そうか…おかえり、夕」
「ただいま」
『ザ・ウォール』
本体 籠原夕
囲われた空間を絶対に入れないようにする。中から外への干渉も外から中への干渉もできない。
破壊力 E
スピード E
射程距離 A
持続力 A
機密動作性 D
成長性 A
スタンド名なし
本体名 籠原真昼
土で体を覆い変身する。体の一部を使い自立型の分身を作ることができる。分身は標的の恐怖の対象に擬態し、自動で追尾し攻撃する。
破壊力 B
スピード C
射程距離 A
持続力 D
機密動作性 B
成長性 C
【挿絵表示】
完結です。ありがうございました。
来週からは番外編『吉良吉影の探偵ごっこ』が始まります。