【完結】杜王町怪忌憚   作:ようぐそうとほうとふ

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Nobody Home

 

引き摺り込まれた和室は不自然なほど暗かった。

がっちゃん、とまるで錠をかけたような音を立てて襖が閉まった。

病院で見たのとそっくりな閂がどこからか現れ、襖を封鎖している。

 

閉じ込められた…?

 

しかし引っ張ってきた腕以外に異常が見当たらない。

真っ暗な部屋のなかで、響くのは足音だけ。

 

ぺた…ぺた…

 

足を引き摺るような、ゆっくりとした足音だ。

それは自分から離れて、部屋を出て行く。

 

お母さん。どこに行くの?

 

催眠術にかけられたように、夕は暗闇を音の方へ這い進む。

暗い。本当に暗い。

見えるのは自分の手元だけ。足と床についた手の感触と、聴覚だけが鮮明であとは全部どこか遠いところへ行ってしまったみたいだ。

まるで麻痺したみたいに、ただ前へ。

足音は先を行く。

その足音は、遠い昔に聞いたことがある。

お母さんの、足音。

そう、妹の写真がびっしりと貼られた廊下のフローリングをゆく、裸足の足音。

 

ああ…お母さんはずっと、ずっと妹を探し続けてるんだ。

 

ぽた、と手元に熱い水が落ちた。

涙だ。

 

お母さん、もう朝菜はいないよ。

私しかいないんだよ。

ごめんなさい…ごめんなさい。

 

ずっと、夕はあのエジプトの夜を悔いていた。

幸せだった家族を自分が取り返しのつかないまでに壊してしまった。一生元に戻らない欠損を作ってしまった。

妹は消え、母は壊れ、父は離れていった。

そして、私も家を出た。

償うことを一度もできずに私は逃げてきた。

きっと母はそんな私が許せなかったんだろう。だから連れ戻しに来た。そうでしょう?

 

もう終わりにしないとー。

 

全部私の責任だった。

全部目を逸らしてきた。

逃げて逃げて、逃げ切ったところで突きつけられる。

逃げた過程で作った罪まで。

そう…私が逃げたせいでたくさん人が死んだ。

それが、私が直接手を下していなくても。

全部、私が引き起こしたことだ。

 

私は妹を殺した。

私は母を殺した。

私はよう子さんの目を奪い、榊さんを殺した。

名前も知らない善良な人々を、たくさん殺した。

 

そう、全て私のせい。

 

私は弱いから。

私はまだ子どもだから。

私は、そんな言い訳ばかりして…。

 

もうおしまいだ。全て終わりにしよう。

 

顔を上げると、暗闇の中かすかに見える。泥の足跡が、一つの部屋へ。

 

 

 

 

「わあ!」

背後から、真横から、隙間から、天井から。

色々な場所から現れる白い幼女を潰して潰して、それを繰り返し前進する。

遅々として進まない中、ついに潰しそびれた真下から生えてきた幼い腕に足が掴まれた。

それは子供の力とは到底思えない力で足をひねりつぶさんとする。勿論すかさず、潰す。

べっとりとした泥がいつの間にか足元に広がって酷く歩きにくい。靴下もぐちゃぐちゃだ。疲労感が康一を襲う。一歩、足を泥から引き抜きまた泥の中へ。すると鋭い痛みが足の裏に走る。

 

「…うっ…?!」

 

ガラスだ。割れたガラスが、泥の中に撒き散らされてる。

目の前の泥の海の向こう、幼女は後ろ姿を見せ、先ほど露伴たちが走って行った方へ向かう。

「行かせないぞ!」

act3の重みで潰す。しかし潰れて飛び散った泥からまた幼女は生えてきて、それを潰すとまた生えてくる。

追わないと、と足を動かそうとする。しかし泥の中でがっしりと固定されてしまっている。

見ると腕だけがぬう、と康一の足に絡みついている。

「こいつ…操れる数が増えてるのか?」

 

辺りは一面泥だ。あの体を、この腕を作る泥がある限り潰し続けてもあの幼女は現れる。

この泥がなければ…

「泥…?」

泥、泥だ。

思えばはじめからずっとこの泥が怪談の中心にあった。そう、スタンドは泥からできている。そして泥は土と水でできている。

 

「なんだ、こんな簡単なことだったんだ…」

 

幼女はてとてとと足音を立てて廊下を歩き始めた。真っ直ぐ夕を目指して。しかし途中でかくん、と転んでしまう。

その足は膝から下がポッキリと折れ、折れた先の足はサラサラと音を立てて崩壊している。

 

《じゅうううう》

 

音が、文字になってその足についていた。幼女がそれを目にした時にはその音は床に広がる全ての泥を熱で砂へ戻していく。

 

「泥だから君は形を保って入られたんだね。簡単な話だ。砂で団子は作れない。」

 

幼女の形が崩れる。

その顔はまるで表情というものがないにもかかわらずどこか哀しげに見えて、心がほんの少し傷んだ。

 

幼女がさらさらとした砂の山になった時、康一はその砂山に埋もれた白い何かに気づく。

遠巻きに、未だ音に焼かれるそれをじっくり見る。それは

「人間の…小指?」

白くて細い、しかし骨というにはあまりに艶やかな小指の骨だ。根元から第一関節、第二関節。全て揃っている。

「まさかーー」

それはひく、と動いたと思ったら崩れて、砂のような灰のようなものに変わる。

 

「はやく露伴先生と仗助くんたちに知らせなきゃ…」

 

廊下を曲がると、露伴にばったり出くわした。

「康一くん!すまん。籠原夕を見失った」

「そうですか、急いで見つけましょう!」

「あの妹はどうなったんだ?」

「倒しました。それで…わかったことがありました」

康一は露伴へ、真相を話す。

「それなら、急がないといけないな」

焦りを孕んだ口調で露伴が言う。

夜明けまであと少し。

 

 

真っ暗な部屋の入り口。薄明かりで四角く切り抜かれたそこに、骨のようなスタンドはゆらりと立っていた。

足元から泥を吸い上げて、骨は次第に肉をつけていく。

仗助をつかんだらしい白い腕が、ぬるぬると身体を昇り元の位置へもどる。

骨から、泥まみれの女へ。

その過程はまるで白骨死体から腐乱死体へを逆再生してるようだった。

「…………」

無言。

刺さった包丁を抜く。ざっくり埋まった包丁は腱こそ切断しなかったものの大きめの血管を傷つけたらしい。血が思ったよりも出ている。

億泰を早く治さないと。刺さりどころが悪ければ死んでしまう。

立ち上がろうとすると、足に突然ものすごい痛みが走る。

見ると、足の甲が割れた食器の破片で刺し貫かれていた。

「いつの間に…」

泥の女は一歩一歩仗助に近づいてくる。

もう、夕を助けるなんて言ってられない。

相手を傷つけずに勝つ手段がどうしても思いつかなかった。

拳を握り、近づいてくる女を睨みつける。

射程まであともう数歩。

 

「お母さん……」

 

響くその声に、泥の女は動きを止めた。

部屋の入り口。破られた襖を踏みつけて、そこに夕がたっていた。

夕はぼうっとどこか非現実的な無表情で呼びかける。

そして片手に握った、仗助に肩から抜け落ちた長い、血の付いた柳刃包丁をぬらりと向ける。

 

「お母さん、おかえり…」

 

夕の顔が凄絶な、泣き出してしまいそうな、絶望しきったような、そんな顔で笑みを浮かべた。

泥の女は夕の方を向いてゆっくりその手を伸ばす。

柳刃包丁を握る夕の手は酷く震えて、切っ先は彷徨う。

 

「仗助ェーッ!!」

 

そこへ、億泰が突然飛び込んできた。夕にぶつかり、縺れ合うようにそのまま泥の女も巻き込む。

ザ・ハンドで空間を削り自分を無理やり移動させたらしい。さらにもう一かき。

次は仗助が引っ張られ億泰の目の前へ。

すかさず億泰の傷を治す。

そのまま億泰は容赦なく夕を蹴飛ばし、泥の女と引き剥がす。

「仗助…この人か?」

「ああ、そうだ。彼女だ」

「わかった。」

聞くや否や億泰は仗助の胸倉をつかみ、蹴飛ばされた夕の居る部屋に飛ばす。

「億泰、なにをー」

「よくわかんねーけど、おれらはその人のこと守りにきたんだよな?おめーはこのスタンドが本当にこの人のかを確かめろ。おれはここでこいつをできる限り止める」

「億泰…」

「早めに頼むぜ」

そう言うと、億泰背を向けて泥の女に向き直る。

 

「今度こそよォー、死なねー程度に削ってやっから覚悟しろよォ!」

 

 

夕は自分に何が起きたか理解できていなかった。ただ、重い衝撃が走った肩の部分と打ち付けた背中が痛い。

 

殺さなきゃ…

 

手探りで包丁を探す。

 

殺さなきゃ。お母さんを、止めないと。

切っ先が手に触れる。引きつったような痛みが走った。しかしそれを無視してその剥き身の刃を握る。

握り、持ち上げようとした時。暖かく大きな手がその手を止めた。

 

「ケガ、しちゃってますよ」

「仗助…さん…」

その手が退くと、血を流してた指が治っている。

不思議だ。彼が背後から出す変な、幽霊みたいな何かは物を壊す他に何かを治すこともできるらしい。

その掌は暖かい。

私の手は、氷みたいに冷たい。

 

「夕さん。おれ…わかんねーんす。あのスタンドが本当にあんたのものなのか。あんたのものなら…おれは、あんたを止めなきゃなんねー」

 

視線を下に向けながら、それでもその目は迷いの中に一筋の覚悟が宿っている。

私も覚悟を決めないといけない。

「あれは、私のせいです。スタンドが何か、私にはよくわからないんですが…あれは私がここまで逃げてきたツケです。巻き込んで、ごめんなさい」

「……あれを、止められますか」

「大丈夫です、私は止めにきたんです。」

 

夕はよろよろと立ち上がる。仗助も柱に手をかけてなんとか立ち上がる。

敷居を隔てた向こう側では、億泰の怒声と泥の飛び散る音が聞こえる。そして絶え間なくあのじっとりとした視線が向けられている。

 

「仗助さん、私ね。ずっと後悔してたんです。妹がいなくなってしまったこともですけど。その後、バラバラになった家族と向き合うことを避けてしまったことを。でもやっと決心がついたんです。…少し、時間をくれますか」

「ああ…わかった。よく、わかったぜ」

 

夕はふらつきながらも、一歩一歩をしっかりと踏みしめて母親へ向く。手に握った柳刃包丁を向けながら。

 

「お母さん!」

 

その声に億泰も泥の女も止まる。泥の女は泥が吹き飛び白い本体を露出させた顔をぎこちなく向ける。

 

「お母さん、私はここにいるよ。朝菜はもう、死んじゃったんだよ」

 

女は朝菜という名前を聞くとその首を不自然に、ひどく不快な動きで曲げる。聞くのを拒否するように。

 

「私ね、本当はお母さんのことだいすきだよ。お母さんは朝菜のことしか好きじゃないかもしれないけど、私は……ずっと……」

 

ごきごきと音を立てて身体を捩りながら、母は娘の元へ近づいていく。

 

「あのね、お母さん。このお母さんが私の妄想でも、幽霊でも。やっちゃいけないことをしたの。だからもう…逃げるのは終わりにしないと。」

 

母親の手が、包丁の目の前まで近づく。夕は震えながら、その切っ先をゆっくり母の眼前へ挙げる。

 

「私が逃げ続けるから追いかけるんだよね。大丈夫。もう逃げない。ちゃんとお母さんのところに行くから。」

 

「まさか…」

そのセリフに仗助はつぶやく。

 

 

「お母さん、私と死のう。」

 

 

「やめっ…」

仗助と億泰が走り出すより先に、くるりと返された鈍色の切っ先は夕の細く白い頸筋にぷつりと刺さり、億泰がその腕を掴んだ時には首を深く深く切り裂いた。

 

ごぽ、と水音がたって夕の口から赤い筋が流れた。刹那、傷口から滝のように血が流れる。

 

「キ、イ、ヤアアアーーーーッ!!!」

 

金属が擦れるような音を立てて、泥の女は叫ぶ。夕の血を虚ろなその穴から見ているように。

しかしその頸には傷跡が、ない。

 

そんな…。

 

絶望的な気持ちが仗助を襲う。

 

このスタンドは、夕のスタンドじゃない。

クレイジーダイヤモンドで治さなければ。

夕はその深く突き刺さった柳刃包丁を抜く。鈍色の刃がぬらりと血と脂肪で煌めいて、白い首から抜け落ちる。

瞬間、ばっくりと割れた赤い断面から物凄い勢いで血が吹き出した。

血飛沫が顔面にかかり、仗助の視界が赤く染まる。

 

「エコーズ!act2!」

 

ばん、ともう一方の扉を破り、エコーズが飛び込んでくる。尻尾文字を泥の女に貼り付けると女は発火する。

 

「ギャアアアーーーッ」

 

獣じみた咆哮があがり、土の焼ける匂いが充満する。夕は燃えたりしない。

泥の表面が焼け落ち、白い白い骨のような身体が熱によりびしびしとひび割れる。

「トドメだ!」

億泰がザ・ハンドをめちゃくちゃに振るう。削られ、削られ、穴ぼこだらけになったソレは倒れた夕を見ながら、熱で脆くなった体を四散させた。

 

「夕さん!夕さん!」

 

すぐさまクレイジーダイヤモンドで夕を治す。ばっくり割れた傷が塞がる。浅いが、呼吸が戻ってくる。

 

「スタンド使いは、2人いたんだ…」

 

康一が静かに言う。

 

「正確には、スタンド使いが1人とスタンドが一体。あの骨と泥のスタンドは死んだお母さんのスタンドで、妹さんたちはスタンドの体の一部から作られていたんだ。

そして夕さんのスタンドは家と病院で起きたように、誰かを閉じ込める閂」

 

チリチリと、熱を持ちながら飛び散った骨片が燃える。火葬場の、むせるような灰の匂いが充満する。

 

「暴走した母親のスタンドに対抗するように、娘自身もスタンドを成長させたんだな…」

「全然、見抜けなかった…。スタンドの正体も、夕さんが自殺しようとすることも」

「わかるわけないさ。彼女の抱えた13年の孤独も、母親の妄執も。ぼくたちにはきっと…一生わからない」

 

ゆっくり、日が昇る。

蒼い蒼い空に、火葬場のように白い煙が一筋上がった。

 

 

こうして、4月から街を騒がせた怪談騒ぎは死者27名、重傷者1名を出し

犯人不在のままに終わった。


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