ーもしもし仗助くん?ごめんこんな夜に…大丈夫だった?
うん、例の怪談騒ぎ。あれの大元を突き止めたんだけど、ついに怪我人が出て…
そう。勘なんだけど、まだ終わらない気がするんだ。
それでできればぶどうヶ丘病院に行って欲しい。今そこにいるから。
ぼく、お母さんに捕まっちゃってすぐに出られないんだ…ごめん、すぐ抜け出すからそれまでお願いできる?
今は露伴先生が渋々様子を見てる。あー、そこをなんとかお願いだよぉ。ぼくもすぐ行くから。それじゃあ
康一からのそんな電話で、仗助は家をこっそり抜け出して夜の病院へ向かう。
よりにもよって、露伴と一緒か…。
しかし、あの怪談を軽視していたことにほんの少しだけ責任を感じていた。だからわざわざ窓から抜け出して日付が変わる間際のこの夜の町をぬけて向かっている。
吉良吉影の家。あそこに今住んでいる人が幽霊(もしくはスタンド)に狙われているらしい。
怪談騒ぎとの関連性は電話ではイマイチわからなかったが、すでにけが人が出てる。しかもその怪我というのが両目を抉られるというもの。
自分がその場にいたら助けられたかもしれない。しかし、おそらくもうその両目をクレイジーダイヤモンドで治すことはできないだろう。そのずたずたに破壊された眼球は発見時すでに腐敗を開始していたそうだ。
完全に死んだものは、治せない。破損は治せる。元に戻せる。しかし欠損したもの…失われたものそのものを生やすことはできない。
もちろん仗助に責任はないのだが、それでも悔しかった。
泥、足跡。
目を抉った凶器は見つかっておらず何が使われたのかわからないが、傷を見た露伴曰くナイフのような鋭利なものだそうだ。
敵がどんなものかわからないが、人に危害を加えるならば黙って置けない。
ぶどうヶ丘総合病院。
夜中ということもあって静まり返ってる。雨音がしないので傘をどかしてみると雨はほとんどやんでる。
露伴の姿は見つからない。キョロキョロと見回すと、黒い車の中に露伴の姿を見つけた。
「………」
いかにも不機嫌そうに肘をついてこっちをじっと睨んでいる。
か、帰りてェ〜〜。そう思いながら軽く頭を下げて露伴のいる車の前にいく。
「ま、入れよ」
「いや〜おれはここで、大丈夫ッス。…露伴先生車持ってましたっけ?」
「被害者の車だ。ぼくは部外者だし、追い出されちまってね。貸してくれてる」
「はあ、そッスか。」
露伴と二人きりで車内で過ごすのは気が引けた。というか、お互い嫌だろう。
「じゃあおれは病院の周り見てきますね。その被害者がつけ狙われてるっていうなら犯人にバッタリ会うかもしれないんで」
「ああ…ぼくはまだ犯人も犯人のスタンドも見てないからはっきり言えないが、足元に注意しろよ。少なくとも通った場所には足跡が残るからな」
「了解ッス。…あのォ、康一はいつ来るかわかります?」
「さあな。」
御機嫌斜めなようだ。被害者が搬送されて、事情聴取をされてから車に二時間近く閉じ込められちゃ無理もない。そんな露伴と同じ空間に閉じ込められたらたまらない。
それにしても、夜の病院はなんだか不気味だ。怪談の舞台になるのもわからなくない。
まるででっかい白い箱だな。
周りをぶらぶら見回す。被害者のうち、けが人が集中治療室。狙われてるという人が3階の12号室、だったか。康一の言葉を思い出す。
周りは異常が見当たらないな…と、駐車場に戻るか戻る毎回悩んだ時、妙な跡を見つける。
「…足跡………か?」
それは壁についた、恐らくは足跡。雨で落ちてしまったらしく、判別しにくい。見るとざっと3階くらいの高さまで続いている。
「…グレートだぜ」
壁面を歩く幽霊、いや、スタンド?どっちでも変わらない。とにかくここには何かがいる。目を凝らすと、足跡は三階の高さで横におれて続いている。上を見ながら、足跡の行方を辿る。
病院の裏側、おそらく病室がある側のたくさんの窓の中空いているひとつで足跡が消えている。
ヤツはすでに中に入っている。
追うか、追うまいか。
答えはひとつ。
医療機器の電子音が暗い廊下に反響している。
手術中という赤いランプがぼうとリノリウムの床に反射している。
百合は蒼白な顔で、ただひたすら床を見ていた。運び込まれて二時間強。まだ手術は終わらないらしい。
ー眼球はもう…使えません。
手術の前に医者が言った言葉か何度も何度もリフレインする。
もう、よう子は絵が描けない…。
そう思うと泣き尽くしたと思っていたのにまた涙が溢れてきた。
どうしてよう子がこんな目に遭わなければいけないのか。もっと早くに助けに行けばよかった。あの水たまりの波紋に気付いた時に止めればよかった。いや、そもそもあんな家に行かせなければ…。
後悔ばかりが、胸にたまっていく。
ぱたぱたぱた…
「………」
廊下の上の階から時たま足音が聞こえる。上は確か病室だから、入院患者のものだろう。
ぱたぱたぱた…ばたん
よう子はしばらくここで入院するだろうか。いや、総合病院とはいえここじゃあ心もとない。入院させられない。S市で一番大きな病院へ連れていかないと。荷造りして、必要書類を書いて、クライアントにも私が連絡しないと。
やることはたくさんある。
ばたばた…どたん
どんどんどん、どんっ
上の階から聞こえる音が、何やらやかましくなってきた。暴れてるんだろうか?
不審に思いながら耳をそばだてると最後に聞こえた大きな音の後は何も聞こえない。
よくわからないけど、もう音がしないならいいか。
とにかく、よう子にはこれから支えてくれる人が必要だろう。私が彼女を支えなければ。身寄りのないよう子の、家族代わりの私が…。
ぺたっ……
「…?」
裸足の、足音。
入院患者?でも、手術室のそばに病室はない。
廊下は点々としか明かりがついていなく、手術室より向こうはよく見えない。
ぺたっ…ぺたっ…ぺたっ…
こっちに向かってきてる?
夜の手術室前を、裸足で、誰が?
「…だれかそこにいるの?」
無言。
よく目を凝らすと、廊下の向こう、階段のすぐ下に誰かいる。
女のようだ。黒い、長い髪に色のよくわからない服を着ている。うつむき気味で、こっちの声に反応がない。少し様子がおかしい。
「……看護婦さん、よびましょうか?」
無言。
ぞわぞわと鳥肌が立ち始めた。なんだろう、嫌だな。この人少し変だ。
ぎゅ、と少し強く拳を握った時。ずる、とその女がこちらを向いた。
そして、一歩一歩。ぺたぺたと足音を響かせこちらに向かってくる。
思わず、椅子から立ち上がった。
すると弾かれたように女が走り出す。
「ひっ…?!」
ここから先は手術室しかない行き止まり。逃げ場が、ない。
走ってくる女の顔が見えた。
その顔はまるでのっぺらぼうに3つの穴を開けただけの、できの悪い泥人形のようなーー
「わああああ!」
叫べども女は止まらない。そのあまりに人間離れしたヒトガタは正気の崖っぷちにいた百合を完全にパニック状態に陥れた。
その化け物はいっきに近づき、百合の頭を鷲掴みにして壁に叩きつける。
ごしゃ、と頭蓋に衝撃が走り、わけのわからないままにもう片腕で頸部をぐしゃ、と万力で捻り潰される。
「こっ…」
滑稽に聞こえる息が漏れる。いくら口を開いても、もはや呼吸は許されなかった。そのままずるずるとソファーに横倒しにされ、ソレは百合の上にまたがる。
ほとんど途切れかけた意識に視界いっぱいの化け物の、3つの穴が穿たれた貌がひろがる。
その化け物は口にあたる穴をぐぱ、とあけ、そこからいっぱいの泥を吐き出して視界が一面の土色に染まって、百合の意識はそこで終わった。
「………ん…」
物音が聞こえた気がする。どたどたという騒がしい足音。
体を起こし、辺りを見回した。白い壁、白い天井、仕切りのカーテン。
病院だろうか。なぜ、病院に?
ぼんやりした頭で自分の体を見る。薄っぺらい入院着を着せられて腕に点滴が刺さってる。
「あ…」
思い出した。あの家でよう子が襲われ、その現場を見た私はあの後…おそらく失神したのだろう。病院、ということはよう子もここに?生きてるんだろうか。
つい咄嗟にナースコールを押す。
しかし、しばらく待っていても看護婦がこない。
どういうこと…?
ピッ、ピッ、という電子音が静寂の中で規則正しく鳴っている。それ以外何も聞こえない。
まだここはあの悪夢の続きなのだろうか。
くらい病室の入り口へ点滴台を引きずりながら進む。
カラカラカラ…
貧弱な車輪の音が廊下に響いた。ナースステーションはどっちだろうか。ずうっと同じ景色が続く廊下を見渡す。
ぺた、ぺた、と自身の裸足の足音が車輪の音の下で微かになる。
カラカラカラ…
なんだろう、いやに静かだ。夜の病院ってこんなもの?わからない。
カララ…
廊下の切れ目、階段の入り口が見えてきたところで立ち止まる。なぜかわずかな明かりもない真っ暗な先。かすかに照らされてる階段口にべったりと泥の足跡が残されている。
「…!」
よく、目を凝らしてみる。その足跡は階下へ向かっている。
どうするべきか、悩んだ。病室に戻る?けれどもこの足跡を残す何かは人に危害を加えるものだ。ソレが階下へ向かっている。放って部屋で一人震えてていいのだろうか。
それは私を狙ってここまで付いてきたんじゃないのか?
ぶち、と点滴を引き抜いた。
つうと血が手を伝い、床に垂れる。
私が傷つくのは、怖い。すごく嫌だ。
でも私のせいで人が傷つくのはもっと嫌だ。
意を決し、電灯が切れた階段を一段一段下りる。真っ暗な、泥濘の中へ。
ああ、まるで冥府下りだ。
それならばこの先には妹がいるんだろうか。
それとも…
足元のぬかるみは生温かい。まるで肉の中に足を突っ込んでるみたいだ。足を取られないように慎重に進む。
手摺伝いに下りる。泥は二階を通り過ぎて一階へ向かったようだ。そのまま下り続ける。
下は明かりがついているらしい。ぼんやりとした光で照らされている。
べしゃ…
下りると、そこは上の階より広い廊下だ。泥の後はまだ廊下の先に続いている。
廊下へ一歩踏み出すと、どん、と誰かにぶつかった。
「あう、ごめんなさい…」
「あ、こっちこそスイマセン」
背が高い。少し見上げて顔を確認する。すると顔の造形よりも何よりも先に、その頭に乗ってる時代錯誤なリーゼントを見て唖然とした。
なんだこの人、不良?不良がどうしてこんな時間に病院に
絶句したのをどう受け取ったのかわからないが、男は弁明する。
「怪しいものじゃないッス。そのォ〜〜〜不審な影を見たもんで、つい。そしたら泥の足跡があって辿ってきたんスよ」
「あなたも見たの…」
「ええ、ってあー、見たんですか?」
「その、家で。」
「いえ…?じゃああんたが籠原夕、さん」
「何で名前、を…。…………」
と、そこで仗助の体越しにある光景が目に入る。
仗助のきた方向、暗い廊下のはるか向こうにくっきりと浮かび上がる白いソックスとふんわりとした白いワンピースの妹の姿が。
「どうしたんですか」
固まる夕の視線を追う仗助。そしてその先にいるものを見てしまう。
「…幽霊?アレが…?」
戦う準備は万全だ。ただ、敵のターゲットをつれて戦うのは不安だ。先に逃げてもらおうにも、今の様子じゃむしろそっちの方が危険だ。
「しょーがない。逃げるぞ、籠原さん」
「逃げる…ってどこに?」
「まっすぐ行けば出口だ。外には露伴もいる。」
「あ!う、うごいたッ!」
途端、夕が恐怖に駆られ、弾かれたように先ほど示した出口へ走る。
「あ、ちょ…!たっくよォ〜!!」
慌てて仗助も走り出す。ちら、と後ろを見るとその白い幼児はふわーと現実を置いてけぼりに、滑るようにこちらへ向かってくる。
「わ?!」
すると前を走ってた夕が突然すっ転ぶ。その先を見ると次は、出口へ続く廊下の先に女が立っていた。
その女はぼさぼさの黒髪で裸足に、元が何色だったかわからないほど泥で汚れたワンピースを着ている。
「…クソ、挟み撃ちかよ!」
その女はうつむいた顔をこちらへ向ける。その顔は人間というにはあまりに化け物じみていて化け物というにはあまりに人間。3つの虚ろな穴。その、両目にあたる部分から真っ白に白濁した目がぎょろ、と向いた。
そしてその不気味な貌をがくん、と上に向けると、一瞬でソレは膨張し濁った水音を立てて弾け飛んだ。
ざぱ、とそこから泥が濁流のようにこっちへ迫ってくる。
「ひゃあああああああ!」
夕が這いつくばりながら、すぐ真横の部屋に入る。仗助もそれに続く。
ばん!と扉を閉めて鍵を締める。
「なにか重しになるもんは?!」
部屋はちょっとした物置らしい。整然としてるものの箱だらけで殺風景な部屋だ。すこし埃の匂いがした。
夕が扉のすぐ横の重そうなキャビネットを指差し、それを扉の前へ動かそうとした時
「なんだ…これ」
扉には見覚えのない閂がかかっていた。
「いつ、こんな閂がかけられたんだ…?!夕さん、あんた見てたか?」
「わ、わかりません…!」
「クソ、窓から出るしかないか」
扉の前から離れようとしたその時、ガチャガチャとノブが回される
閂なんかで防げるのか?。そう思ったが扉はなぜかびくとも動かなかった。
扉の向こうの何かはガチャガチャとノブをゆすり、開かないとわかってかそれをやめる。
「おねーちゃん」
「ひぃっ!!」
扉の向こうから聞こえてきた、ひどく無機質な声に夕が悲鳴をあげた。
「おねーちゃん、あけて」
「おねーちゃん。ごめんなさい。」
「もうしないから、あけてよう」
仗助の横で、夕が呼吸を忘れてしまったかのように一切の音を漏らさず、目を見開きその閂のかかった扉を凝視した。
「おねーちゃん、おねーちゃん。こわいよお。ごめんなさい」
「ごめんなさい、こめんなさい。あけてよおねーちゃん。おねーちゃん。おいてかないでよお」
「この扉の向こうにいるのは……あんたの…」
仗助の問いかけに、ぎし、と機械仕掛けのような動きで夕が首を向ける。
「あさな………」
ばん!
と、窓の方から全力でなにかが叩きつけられる音がした。
二人して視線を移す、窓の向こう。
小さな小窓にべったりと、まるで体を押し込もうとしてるかのように泥まみれの出来損ないの人形のような顔が張り付いていた。
「もう許して…私を許してよ朝菜。ごめんなさい…ごめんなさい」
夕は頭を抱え込み、その場に崩れ落ちてしまった。
扉はなおも叩かれている。
窓の外の異形はまだこちらを見つめ続けている。
このままこの部屋に居続ければいつか康一か露伴か、はたまた億泰が助けに来るかもしれない。だが仗助はこんな状況で大人しく待っていられない。
「よし…夕さん。ここから逃げるんで、ちょっと協力してもらってもいいッスかね」
「きょうりょく…」
「簡単ですよ。その扉の閂を抜いて、せーのでおれが飛び出します。そんで外にいる何かを出口と反対にぶっ飛ばすんでその隙に逃げる。それだけっす」
「…殴れるんですか?幽霊…なのに」
その単純な策に、驚きながら夕は男を見る。今まで逃げる他に何も思いつかなかったアレを、殴る?
「殴れたら倒せる。殴れなかったらアッチだってこっちを殴れないかな〜なんて…。まあ。ここでジッとしてたってしょーがないんで、試せることは試しましょ」
前向きというか、怖いもの知らずというか。今までこういう人は見たことがない。しかしここにこのままいても何れは襲われるということは薄々分かっていた。結局、早いか遅いかなのだ。
「…わかりました。ええと、あの。あなたの名前は…」
「仗助。東方仗助ッス。」
「東方、さん。わかりました」
「あー仗助でいいッスよ。呼びにくいでしょ、ヒガシカタ」
「仗助さん。…わかりました、扉を開けて、逃げればいいんですよね。頑張ります…」
夕はがくがくと震える脚で立ち上がり、閂に手をかけた。
「タイミングは、仗助さんに任せます」