人口約50000人。東北地方の中心都市から外れたニュータウン。
町の花は「フクジュソウ」。
特産品は「牛たんのみそづけ」。
行方不明者が、他の町より7倍はおおい。
私が越して来た町はごく普通にほんの少し影が落ちた、そういう町。
そんなM県S市杜王町。広い家が立ち並ぶ町々に、しがないサラリーマン家庭の娘である私が一軒家を借りられたのには理由がある。
遠い遠い親戚が事故死して、そこそこに広い一軒家だけ残された。そこそこ広い、日本家屋。取り壊すには惜しいが何に使うかもまるで思いつかない。
持て余した結果、利用方針が決まるまで誰かしら人を住まわせておこうという結論に達したらしい。そして、貸すならばいざとなったら融通の利く親族に…。というように回り回って私に話が来たわけだ。
家から逃げたかった私にとってはまさに渡りに船。
そういうことでこの寒い、がらんどうの屋敷に一人越してきたわけである。
格安の家賃に広くて落ち着いた日本家屋。はじめは心地よく一人を満喫して、掃除や洗濯に張り切って、バイト先も探して、あの重苦しい生活から逃げた気でいた。
…でも違った。
私は勘違いをしていた。
逃げられると思ってたのだ。
実家で始終私を見ていた、写真のなかの妹の視線。
家の壁という壁に張り付いたその視線と気配。
私は、ただその空間から逃げようとする一心だった。
でも逃げられなかった。
13年前に行方不明になった妹の、気配から。
むしろ家から逃げ出した途端、妹の気配は濃度を増して常に私を追いかけ回す。
許さないよ、と責め立てるように。
今夜も虫の音すら聞こえない。静寂の中またどこかからか家鳴りが聞こえる。
幼くして消えてしまった妹の、足音のような家鳴りが。
つちくれのはか
ー知ってる?この学校って昔墓地だったんだって。それでね、でるんだって!幽霊が!
ーよくある話じゃん
ーちゃんと最後まで聞いてよ。それでね、昔看守が囚人をいじめすぎて間違って殺しちゃったんだって。虐待してたなんてバレるとまずいし、死刑囚だったのをいいことに刑務所ぐるみでこっそり裏庭に埋めちゃったんだって
ーえー?犯罪じゃんそんなの
ーそれでね、囚人はすごい恨んでて、夜みんなが寝静まった頃、腐りかけの体で穴から這い出して看守を殺したんだって…
ーうそだー!そんなの捕まるよ!
ーそう、みんな捕まえようと思ったのさ。その囚人の足跡を追ってくと埋めたところから続いてたんだって。でも穴を掘り返しても埋めたはずの死体はでない。それ以来囚人は夜な夜な自分を虐待してきた看守たちを殺すために探し続けてる…
ーへー…面白いけどやっぱりうそっぽいよ
ーほんとだよ、先輩が見たって言ってたもん!それにでたっていう廊下や床には、謎の泥が落ちてたんだって!
ーはいはい…
春だ…
広瀬康一は頭上を舞う桜の花びらを見上げながら、ぼんやりと思う。
高校2年生の春。
初年度特有のそわそわした感じも、来年に痛感するであろう受験のプレッシャーもない、一番遊べるであろう学年。
しかし康一にはそういった実感もなく、ただその風景をぼんやり眺め、歩いていた。
ほとんど散った桜並木。新しい制服の混じった生徒の群れ。
そんな風景のなかにぽつんと目立つ二人。仗助と億泰の後ろ姿を見つけた。
「おはよう、二人とも」
「おう」
不良みたいな外見だが、彼らはいわゆるワルではない。だいたい一限の、サボっても差し支えない全校集会に間に合う時間に登校している時点でそれはわかるというものだが。
…案外億泰なんかは知らずに来てるのかも知れないけれども。
「知ってるか?駅前のあのうま〜いパン屋、あれの移動販売が先週から学校のそばに止まってるらしいぜ!」
「え?あの東京のチェーンのところ?」
「へぇー俺食ったことねーな。今日の飯、そこで買おうぜ」
「いいねぇ!」
ぞろぞろと校舎に吸い込まれていく黒色の集団。その中に混じりながらやっと訪れた平穏な日常を痛感した。
新学期も始まって少しダレてきたのか、春の暖かさにやられたのか。授業そっちのけで居眠りをしたり、こっそり漫画を読むクラスメイトたち。
康一たちも例外でなく、億泰は居眠り。仗助は何かの雑誌を読みふけってるようだ。そして康一自身も、別の授業の課題を片付けている。
「…ねえ……だって」
「うそぉ…でも…………でしょ?」
「やだあ」
後ろの方から女子のヒソヒソ笑い。
どうやら誰かの噂話をしているらしい。
「でもばかだよね…おばけが怖いから部活辞めちゃうって」
「高校生にもなっておばけとかウケる」
噂話と思いきや、怪談めいた話のようだ。
「でもさあ…最後は本当らしいよ?」
「泥が落ちてたってやつ?それその子がやったんじゃないの」
「そうなのかなあ…でも、人一人分くらいある土なんだよ?わざわざそんなもの運ぶかなあ」
「人一人分ってのが勘違いじゃないの?」
「でもあたしも見たしぃ……」
どうやら人はいくつになっても怪談が好きらしい。そういえばここ最近、町の至る所で怖い話を聞く気がする。
バスの中。電車の中。立ち話中の中学生。井戸端会議。そしてこの学校の至る所で。
夏でもないのに流行っているのだろうか。最近、ホラー映画でも大ヒットしたのだろうか。そこまで流行には敏感ではないし疎くもないが、こう周りで流行ってると気になってしまう。今度露伴先生に会う時に聞いてみよう。
「すみません、遅れました…」
「ああ、もういいから急いで急いで!」
フリーターである私の収入の半分を占めるパン屋のバイト。9時出勤でいいはずなのに、8時半出勤しても遅いと怒られる超絶ブラックである。
「籠原さん、最近遅刻おおくない?」
「すみません…眠れなくて」
「しっかりしてくれなきゃ困るよ。あなた今いくつだっけ?」
「18です…」
「そんなんじゃ社会人になれないよ?フリーターなんだからもっと頑張らなきゃいけないんだよ?」
「はあ…すみません、気をつけます」
社員さんの田口さんは息子さんが今年の春から関東の国立大に通ってる。だから私みたいな負け組に厳しいのだ。自分だって高卒のくせに、ぐぬぬ許すまじ。と思いつつも、そんなこと口で言えるわけもなく私は黙って手を消毒する。
フリーターだって悪い暮らしじゃない。ほんのちょっと未来が見えにくいだけだ。
「今日は11時から酒井君と移動販売だよ」
「あ、はい。」
移動販売は嫌いだ。シフトの関係で週に三回だけだが、パンをたくさん乗せた自動車で町内を周りパンをばら撒いてくる、休まる暇のないお仕事。
「籠原さんもはやく免許とってくれればねー」
「そうですね。まあでも、お金がないので」
田口さんは苦手だ。私は黙々と作業がしたいのにいつも話しかけてくる。2月末に越してきて、只今四月末。バイトを始めて一ヶ月、まだパンの種類を覚えきれてない。人一倍頭が悪いわけではない、と信じたいが、どうもパンと私は相性が悪いようで、どのパンも何か特殊な具が挟まってないとどれもこれも同じに見える。それに私は朝ごはんは米派だ。脳が拒否反応を起こしているのかも。
なんてバカなことを考えるうちに酒井さんが来る。
移動販売の時間だ。
最高に嫌いだ。この時間が。
休み時間にかぶるように高校のそばに止まるので、高校生が大量に押し寄せパンを根こそぎ買っていく。
私は知らなかったのだがこのパン屋は東京から進出してきた有名チェーンらしく、物珍しさからロゴを見てふらっと買っていく客も多い。
高校の他に病院や大きな公園、住宅街は徐行して、呼び止められたら止まるため本当に気が休まらないのだ。
それに、人混みは苦手なのだ。
正確には、視線が。
パンを買おうとする人は、必然レジ係の私を見る。それが高校だと常に人だかり。たくさんの視線がパンと、私に集まるのだ。
その人混みの視線の中に、たまに妹を感じる。
あの、じっとりと生暖かい視線が。
人混みのちょっとした隙間から覗いてくる。
お金を受け取り、小銭を渡そうとお客さんを見た時に、その足にすがりつくように妹がしがみついている…。
そんな想像をして内心ゾッとする。
移動販売のある曜日の夜は最悪だ。
家鳴りが、家鳴りでない。
…最近特にひどいのだ。風が吹いてるわけでも湿気が多いわけでも極度に乾燥してるわけでもないのに、まるで私以外がいるように床が鳴る。足音のように。
ぱた、
資格の勉強を終え一息つき、メガネを置いた瞬間。
みし、みし、みし
家に帰り、習慣でただいまとつぶやいた瞬間。
それは鳴る。
私に返事をするように。
ぽ、ぽ、ぽ、
がさ、がさ
移動販売用のビニール袋を用意する音と、蛇口から水滴が漏れる音。たまたま無人の控え室に響く。
機密性の高い、簡単な調理場しかない窮屈な部屋。すぐ隣が売り場なせいで、休んでいてもたまに駆り出される。
……あれ?いつもこんなに静かだったっけ。
かさ…
ぽっ、ぽっ、ぽっぽっぽっぽぽぽ…
手が止まる。
水滴の音が静寂に響く。
背筋になにか、冷たいものが走る。
ぽぽぽぼぼぼぼぼぼ
呼吸の音すら聞こえない。
水滴は激しく落ちる。蛇口の締めが、甘かったのかな。
シンクはすぐ背後にある。止めなきゃ。
けれども振り返れない。
だって振り返ったら何かがいるような気がして。
ぼぼぼぼぼどぼどぼどぼどぼ
蛇口から出る音はもはら水滴ではない。何かもっと、重たいものが流れてる。
止めないと。止めないと。早く止めなきゃ。
どほどぼどぼどぼどぼどぼどほどぼどぼどぼどぼどぼどほどぼどぼどぼどぼどぼどぼどほどぼどぼどぼどぼどぼどほどぼどぼどぼどぼどぼどほどぼどぼどぼどぼどぼど
キュッ
音がして、音がやんだ。
「っーー!?」
今、誰が蛇口をひねったの…?
誰か、いる?
誰が…?
…何が?
心臓の音が早鐘のように鳴る。のどが渇く。ごとり、と生唾を飲み込もうとして、なにも飲み込んでない。
振り向かなきゃ。
いや、振り向いちゃダメ?
ううん、確かめなきゃ。
大丈夫…。何も、いない。
きっと、気のせい。
、、
がば
「ゔっ…?!」
振り向くと、シンクには大量の泥が詰まっていた。
そして腐臭とも死臭ともつかない悪臭が一気に部屋の中を侵食する。