Illusional Space   作:ジベた

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09 許せない過去

 日が暮れた暗闇の海上。満天の星空が見え、波は穏やか。耳障りな音の存在しない静かな海の上空に紅のISがやってきていた。

 

「予定ではここで落ち合うはずなのだが」

 

 過去最大の激戦から逃れることができたナナは追っ手に追跡されることを警戒して2時間後にアカルギと合流することに決めていた。間もなく予定時刻となる。すると、ピンポイントに真下の海から潜水艦が飛び出してきた。

 

「全く……もう少し静かに出てこれないものか」

 

 待ち人の派手な登場に呆れつつもナナの頬は緩む。もう会えないかもしれないと思った人たちに会うまであと数秒だった。心なしかナナの下降速度は普段より速い。

 甲板に降り立ち、ISを解除する。長時間戦闘後のIS解除は開放感とは真逆の重さを感じさせていた。自分で自分の肩を揉みつつ入り口へと向かうと、ナナが到達する前に勝手に扉が開いた。親友が真っ先に駆けつけてくれたのだとナナは顔をパーッと明るくさせる。

 

「ナナーっ! 無事で良かったぜーっ!」

 

 出てきたのは茶髪でツンツンした頭の男、トモキだった。期待を裏切られて固まるナナに向かってトモキは走り寄る。ナナに笑顔で応えられた彼は両手を広げてナナへとダイブした。

 そこでナナはようやく我に返った。すかさず右手を伸ばし、飛来するトモキの頭を鷲掴みにする。飛んでいるトモキの勢いを殺さずに頭を後方にまで引っ張り上げ、左手でトモキの腹を掌打。そのまま海へと投げ捨てた。

 

「うわああああぁぁぁ……」

 

 海に落ちていったトモキの悲鳴は水しぶきと共にブツリと消える。ナナは一仕事終えたと額に浮かぶ汗を拭った。

 

「おかえりなさい、ナナちゃん」

「ただいま……シズネ」

 

 改めて入り口に振り返れば、そこには親友の姿があった。

 いつも通りにナナを迎えるシズネ。

 一度はこの瞬間がやってこないという恐怖に震えた。

 ナナは早足でシズネの元に駆け寄ると――

 

「この、馬鹿者がっ!」

 

 頬を叩いた。シズネに戸惑いは無く、彼女は黙って受け入れている。ポタポタと下に落ちる滴の主はシズネでなくナナの方。

 

「何が『がんばれ』だ……一緒じゃないとダメなんだ……」

「はい。ナナちゃんの言うとおりです」

 

 ナナは叩いたばかりのシズネを抱き寄せる。

 シズネがナナのためを思って逃げろと言ったことは理解していた。しかし、ナナにとってシズネの言葉は見捨てられたも同然だった。こうしてシズネの存在を確認することで、まだ大丈夫だとやっと安心できる。

 

「無事で良かった。シズネ」

「はい。皆、無事で良かったです」

 

 シズネは叩いた頬こそ赤くなっているが、涙を見せず笑いもしていない。しかし彼女の無表情は表面上のことだ。ナナと同じように泣いて笑ってくれているとナナだけは知っていた。

 

「無事といえば約1名ほど現在進行形で大ピンチなのですが、このままでいいのですか?」

「あ……」

 

 シズネに言われてナナは甲板の端に寄り、海を見下ろす。海面にはプカーと力なく浮かぶトモキの姿があった。

 

「トモキーッ!」

 

 

***

 

 ブリッジに集合する。集まっているメンバーはナナ、シズネ、トモキにアカルギの操縦を担当する女子3人の計6名である。ナナの帰還を出迎える人数としてはいつもよりも少なかった。

 

「ダイゴさんや他のメンバーは?」

「ダイゴの旦那は戻ってきてからずっと自分を責めてたからな。ついさっきようやく眠ったところだ。他も力尽きてて今も寝てる」

 

 ほとんどが寝ている状況だった。それも無理もない。救出した“仲間”を守りきれず、自分たちもずっと命の危機に晒されていた。今日ほど精神のすり減る戦いを今まで誰も経験していない。だからこそナナは気になった。

 

「シズネとトモキは平気なのか?」

「へっ! 俺を他のやつと一緒にするんじゃ――」

「トモキくんは撤退が完了した直後にバタリと倒れたのでもう十分に休息が取れているのでしょう。私も同じです」

 

 2時間強の休息が十分とは思わなかったが、今にも倒れそうというわけでもなかった。これ以上はナナから言うべきことはない。このまま今日の話を続けると暗い話にしかならないと思ったナナはこれからの話を振る。

 

「ではまた情報収集からだな。次は今日みたいにならないよう、慎重に計画を立てる必要がある」

 

 ナナの発言にシズネ以外からの注目が集まった。驚愕、不安といった各々違った反応だが、全体として概ね否定的である。

 

「次? まだ続けるの?」

「今日みたいなのはもう嫌だよ……」

「悪ぃ、ナナ。こればっかりはコイツらに同意したい。いくら俺とナナが戦えても限界がある。情報を集めたところでどこを攻め込んでも罠が待ってるだろうし」

 

 ナナ信者ともいえるトモキですら今後も同じ活動を続けることには反対を示した。つまりここにいないメンバーに言っても同じ反応が返ってくることは間違いない。

 

「だから慎重にだな――」

「具体的には!? ナナは気づいてないかもしれないけど、この船にずっといるあたしたちでもわかるよ! もう同じ方法は通じないって!」

 

 今日の失敗が皆を不安にさせている。ナナもわかっているからこそ何も言い返せない。自分が全世界の“プレイヤー”の標的、言い換えれば賞金首にされている。自分が皆を守るから大丈夫だなどと言える状況ではないのだ。言葉に詰まったナナは頼りにしている親友に目を向ける。一度目が合っただけでシズネはゆっくり頷いた。

 

「やはりやり方を改めましょう」

 

 シズネもナナとは反対の立場を取った。ナナは動揺を隠せなかったが、考えなしにシズネが裏切るとは思えなかったため大人しく続きに耳を傾ける。

 

「まず私たちの目的を見失ってはいけません。私とナナちゃん2人のときからずっと“この世界に囚われた仲間”を集めてきました。それは傷を舐めあうためなんかじゃありません。この世界で戦うための戦力は目的の副産物でしかありません。本当の目的は、外の世界に私たちの存在を知ってもらうことにあったはずです」

 

 ナナも思い返す。最初はナナとシズネの2人だけ。人どころか他の生物が見当たらない世界で同じ境遇の人たちと出会った。次第に“敵”に囚われてる人が目立つようになり、次々と助け出した。ナナにとっては助けなければならない対象でしかなかったが、シズネはいつも自分たちが助かるための行いなのだと言っていた。

 

「俺たちが仲間を助け出す度に敵が外で行動を起こすはず……ってことだったな? 実際のところ、外で何か動きがあるのか?」

「ええ。それも皆さんの前でハッキリと影響が出ていたじゃないですか」

 

 トモキの疑問にシズネは即答する。相変わらず表情を読みにくいシズネだったが、声がどことなく弾んでいた。シズネが言わんとしていることをナナはすぐに察する。

 

「あの2人のことか?」

「はい。ヤイバくんとラピスラズリさんです」

 

 何故か味方となってくれる謎のプレイヤーだ。ヤイバは2度目、ラピスラズリは今回が最初である。確かに助けられた事実はある。しかしナナにとってはこの世界で初めて殺されそうになった相手でもある。シズネがどういうつもりかまで理解したナナだったが納得したくなかった。

 

「あの2人が私たちの素性を知っていて協力したとでも?」

「その可能性も考えていいと思います。ただのお人好しの可能性もありますけど」

「それは無いだろう。シズネは実際に見ていないからわからないだろうが、アイツは残忍な奴だぞ?」

「私の見解とは違いますね。ヤイバくんはナナちゃんと似ていると思いますよ」

「似てない! それはそれとして、アイツらに全てを任せるなど――」

「おい……」

 

 ナナとシズネの言い争いが激しくなる前にトモキが割って入る。

 

「話についていけないんだが」

「今日の王子様度数はトモキくんよりヤイバくんの方が圧倒的に上だという話です」

「何だって!? 俺だって頑張ったのに……どこのどいつだ! ヤイバって野郎は!」

「いや、トモキ? シズネのいつもの冗談だからな?」

「もちろん1番はナナちゃんですよ?」

「それを聞いて私が喜ぶとでも思ったか! 私は女だ!」

「よし、直に確認してみ――」

 

 ナナの豊満な胸元に視線がいっていたトモキはIS無しに宙を舞う。次に地に着いた時にはトモキの意識はなかった。

 

「ナナの動きが段々と洗練されてくわねぇ」

「トモキくん、最後まで言い切ってなかったのに」

「何を言わんとしていたのか、何をしようとしていたのかは想像できるから問題ない」

 

 倒れ伏したトモキには後で説明をするとして、シズネがアカルギ操縦担当の3人にこれまでの経緯を軽く説明する。

 

「あのときのラピスラズリさんってプレイヤーだったんだ。プレイヤーの人と話したのは初めてだよね」

「そうそう。今までは話しかけても言葉が通じなかったんでしょ?」

「何が違うのかはわからないけれど、話ができるのなら色々と変わりそうです」

 

 ナナがヤイバと言葉を交わす以前にもプレイヤーに関わろうと試みたことがあった。しかし、3人が言うように全ては失敗に終わっている。通信を繋ぐことは愚か、肉声すら届かなかったのだ。

 シズネの言うやり方を改めるとはヤイバ、ラピスラズリ両名との関わりを強くして、外の世界から現状打破のアプローチをしてもらおうということである。確かに意志疎通が可能なのは前回と今回でわかっている事柄だった。問題は、1歩間違えれば敵に情報が筒抜けとなり、ナナたちが一気に追いつめられる危険性があること。

 シズネ以外の3人もヤイバたちに協力を仰ぐことに乗り気となっていたが、ナナの顔だけは浮かない。

 

「まだナナちゃんはヤイバくんを信用できませんか?」

「だから何度も言っているだろう! アイツは必要とあれば味方を後ろから刺す男だぞ?」

「必要であれば自らを捨て石にする人でもありますね。確かに危険人物です」

「そうなのだ。いくら死なないとはいっても自己犠牲は誉められたものではない。私たちとは違うと頭ではわかっているのだが、気分は良くないものだ」

「ナナちゃんはヤイバくんですら危険に巻き込みたくないんですよね」

「バカだよ、アイツは。私たちと同じ境遇に陥る可能性をアイツは少しでも考えているのか。私たちとて、こうなってしまっている元凶を突き止められていないというのに」

「わかっていてもわかっていなくても、どちらにしても、あの人は私たちを助けることを選ぶでしょうね」

「だろうな。だからこそわからん。なぜそんなことができる? 何か裏があると勘ぐりたくもなるだろう?」

 

 これまでプレイヤーと交渉する機会があったのはナナだけだ。言葉が通じず、一方的に刃を向けられることを繰り返してきた。この世界がゲームで彼らがプレイヤーであることを聞かされていたナナは思い知ってしまった。プレイヤーにとって自分たちは助けるべきヒロインではなく、狩るべきモンスターなのだと。

 ナナは敵意に晒されすぎた。ヤイバも最初は他のプレイヤーと同じことをしてきたことも災いし、信用する道への最後の1歩が踏み出せないでいる。

 

「裏があってもいいじゃないですか」

 

 そんなナナの心を動かせる人間はただひとりだけ。

 

「ヤイバくんが私たちを助けてくれようとしているのは事実です。それ以外の何が必要なのですか?」

「しかし――」

「私はヤイバくんを信じます。あの人が私の前で戦ってくれた事実だけは揺るぎません」

 

 シズネはナナの反論を無理矢理押さえつける。一度はナナの意志を尊重して引き下がっていたシズネだったが、今は自分の考えを曲げない。

 

「ナナちゃんはヤイバくんを信じきれないかもしれない。では私ならどうですか? ナナちゃんは私を信用してはくれないのですか? ヤイバくんなら大丈夫だと確信している私を信じてはもらえないのですか?」

「ぐっ……」

 

 袋小路だった。ナナの進もうとしていた道に進むにはシズネへの信頼を捨てる必要がある。それが正しいはずがない。ナナの方から折れるしかなかった。

 

「……参ったよ、シズネ。これからはプレイヤーの協力を得る方向で動こう」

「わかってもらえて何よりです」

 

 渋々ながらナナは承諾した。シズネの頬が自然と緩む。ナナはどこか違和感を感じていたが、いまいちピンとこなかった。

 

「さて、まずはアカルギ以外のメンバーにも方針を伝える必要があるな。あと肝心なところだが、もう一度ヤイバたちと接触する必要がある」

「そういえば何から位置を特定されるかわからないということで、作戦後はISのデータをリセットしてるのでしたね。通信をつなぐ手段がないんでした……」

 

 結局のところ、今決まったことは無理に動かないということだけだった。

 

「とりあえずは“ツムギ”に戻るとしようか。報告することも相談することもあるし、クーの顔を見ておきたい」

 

 プレイヤーとの接触は後回しとしてアカルギは自分たちの拠点へと針路を向ける。ちょうどそのときであった。索敵担当の大人しめの口調であるカグラが声を張り上げる。

 

「海中にISの反応あり!」

「方角は?」

「正面です」

 

 他の者に後は任せて、ナナが休息につこうとした直後の出来事である。正面に陣取られた時点で無理矢理引き離すことは無理だった。

 

「そもそも今のアカルギを捕捉する手段はないはずだ。本当にISなのか?」

「EN反応、PIC反応、共にISと断定。真っ直ぐにこちらへと向かってきています」

 

 ナナは頭を抱える。隠密体勢のアカルギは偏光による光学迷彩によって視界に映らず、各種センサーにも引っかからないステルス性を備えているはずだった。しかし、現実にはここにアカルギがあることを確信して接近する機影が存在する。

 

「偶然……ではないな」

「今ならアカルギの主砲をぶっ放せるけどどうする?」

「やめておけ。接近するISの数は?」

「1機のみです」

「ならば私が出よう。もし偶然に迷い込んでいるのなら、わざわざアカルギの存在をバラす必要もない」

 

 ナナが外に出るためにブリッジの出口へと向かおうとする。海中での戦闘は一切経験が無かったが、何もせず接近を許すのは危険だった。

 

「待って! 通信が入った」

 

 外に出る寸前にナナは呼び止められる。止まらざるを得ない。同じタイミングで紅椿にもプライベートチャネルの通信が入ってきていたのだ。ナナは耳を傾ける。

 

『こちらはラピスラズリですわ。そちらはアカルギの方々で間違いなくて?』

 

 ラピスラズリ。ヤイバの仲間を名乗るプレイヤーで、今日の戦いで全員を生還させた指揮官である。その彼女が1人で目の前にやってきているということだった。正体がわかり、ブリッジにいる全員がホッと息をつく。

 

「今、目の前に来ているISはあなたなのか?」

『はい。一応わかりやすい近づき方をしたつもりでしたが、要らぬ警戒をさせたでしょうか?』

「心臓に悪いぞ。こっちは見つからないこと前提だったのでな。どうやって見つけた?」

『穴があるかということを気にされているのでしたら心配は無用ですわ。わたくし以外にこの船を見つけることは不可能でしょうから』

「どう安心しろというのだ?」

『ISにはオンリーワンの能力が備わることがある。あなたも知っているでしょう?』

 

 そこまで言われればナナも納得できた。ラピスラズリが自分だけだと明言する理由としては十分である。もっとも、似たような能力を持つ者が現れる可能性でもあったのだが、そう簡単に現れるようなものでもなかった。

 

 単一仕様能力(ワンオフアビリティ)。稀にISに発現する特殊能力のことである。全ては偶然の産物とされ、自分が望んだ能力が得られるわけではないが、能力さえ得られれば既存の常識が通用しない強力なISとなる。ISVSが不平等であるといわれる最大の要因であった。

 ナナのIS、紅椿は確かに装備が強力だ。しかし、それらの装備は全て燃費が悪く、ひとつの装備を使うだけでサプライエネルギーが飽和するほどの代物である。もし他のISが同じ装備を付けたところでまともに運用することは難しい。問題をクリアするためにはナナだけのワンオフアビリティが必要なのだった。

 ナナの強さの秘密でもあるワンオフアビリティ。別系統のものをラピスラズリも持っている。飛び抜けた力を得ることもありえるワンオフアビリティならば、隠密体勢のアカルギを見つけることができたとしても不思議ではなかった。

 

「まあいい。今はあなたに会えたことを喜ぶべきだ」

『あら? てっきり二度と会いたくないのかと思っていましたが』

「こちらとしては少しでも尻尾を捕まれるわけにはいかなかったのだ。許してくれ」

『ではそちらに直接伺ってもよろしくて?』

「頼む。ラピスラズリを入り口まで誘導してやってくれ」

 

 ナナはレミに指示を出し、自分はシズネを連れて出迎えに向かう。

 

 

***

 

 

 武装を一通り解除したISがアカルギの船内へと入ってきた。青色で統一されたディバイドスタイルの機体に包まれている操縦者はどう見ても日本人の外見ではない。金髪縦ロールに青い瞳のお嬢様を前にしてナナはある意味で納得していた。

 

「さすがはヤイバの仲間だな。そこまで自分を飾りたいか」

 

 ナナは自分の髪の色を棚に上げて揶揄する。当然その点を言い返されるに決まっていた。

 

「ナナちゃんが言える事じゃありませんよ。ピンクですよピンク。どう見てもアニメキャラじゃないですか」

 

 よもやそれが自分の後ろから来るとは思っていなかったが。

 

「黙っていろ、シズネ。今のは私なりのユーモアという奴でな」

「解説するなんてみっともないですよ、ナナちゃん」

「ぶち壊しにしたのは誰だと思っている!?」

「なるほど。あまり悲観的でもないようですわね」

 

 ISを解除したラピスラズリがクスクスと笑う。意図した流れではなかったが、結果的に殺伐とした空気が消え失せている。

 

「私の部屋に案内しよう。生憎この船には客をもてなすような場所はないのだ」

「お構いなく。わたくしももてなされるために来たわけではありませんので」

 

 

 場所をナナの部屋に移す。小さいベッドと机があるだけの簡潔な部屋だ。大人数が入れないため、部屋の中にいるのはナナとシズネとラピスラズリの3人だけとなる。

 話すべき事は多々ある。ナナは様子見として自己紹介をすることにした。

 

「まずは自己紹介をさせてもらおう。私の名は文月奈々。皆のリーダーのようなものを務めている」

「鷹月静寐です。ナナちゃんを人形とするなら、私は人形師のような立ち位置にいます」

「シズネ。いつからお前が黒幕になったんだ?」

「ナナちゃんと初めて会ったときからに決まってるじゃないですか」

「ええい! ラピスラズリさんが混乱するではないか!」

「あ、大丈夫ですわ。大体あなた方の関係がわかりましたから」

 

 またもラピスラズリが笑い、ナナは軽く凹んでいた。そんなナナを見てシズネは表情を変えることなく力強く親指を立てる。より脱力せざるを得なかった。

 

「ではわたくしも自己紹介をさせていただきますわ」

 

 次はラピスラズリの番。ナナたちのやりとりにより生まれた笑みは瞬時に消え失せ、ナナの目を青い瞳がじっくりとのぞき込んでいた。品定めをするような目つきは決して友好を結んでいる相手に向けるものではない。

 

「わたくしはISVSにおいてはラピスラズリと名乗っていますが、本名をセシリア・オルコットと申します。ISVSで所属するスフィアはありません。しかしFMSという企業から専用機を与えられているイギリス代表候補生という立場にいます」

 

 じっくりと観察されているナナはいきなり出てきた情報を整理していた。

 ISVSという単語は初めて聞いたが、文脈からこの世界、あるいはゲームの名前を指すものだと推察する。本名に関しては特に気にするところはない。FMSという企業名を耳にしてはいたが、EN武器とミサイルが売りである企業という認識だけだった。専用機を与えられている代表候補生ということから、ナナから見てもラピスが外の世界での重要人物であることが窺えた。

 

「なるほど。とりあえずFMSが直接的にあなた方の敵ではないようで安心しましたわ」

 

 ラピスラズリの目が穏やかなものに戻る。今の自己紹介はナナがFMSをどう思っているのかを判別するためのものであった。

 

「人が悪い。そのようなことをせずとも話せることは全て話すつもりだぞ?」

「つもりとは言っても何もかもを話すことは実は大変難しいものです。わかりやすいように説明をしたつもりでも、加工した言葉からは感情が読みとれない場合もありますし」

「いいですよ、ラピスラズリさん。ナナちゃんはすぐに顔に出るので鎌かけでもなんでもしてやってください」

「シズネ、お前は誰の味方なんだ……?」

「もちろんナナちゃんの味方です。そういえばラピスラズリさんはイギリスの方だそうですが、髪とか目とかどこもイジってないのでしょうか?」

「ええ。わたくしは自分の体に誇りを持っていますから」

「だそうですよ、ナナちゃん。アニメキャラはナナちゃんだけですね」

「シズネ。お前は私が嫌いなのか? 嫌いなのだな?」

「もちろん大好きですよ。世界中がナナちゃんの敵となっても、ナナちゃんの味方をするくらいには大好きです」

 

 ちなみにここまでの会話で、シズネはずっと無表情を貫き通している。ややオーバーすぎるシズネの大好き発言だったが、表情とセットでなくともナナを赤面させるのには十分であった。

 

「お二人は大変仲がよろしいのですね」

「ああ。かけがえのない親友だからな」

「……少し、うらやましいですわ」

「ラピスラズリさん……?」

 

 ナナとシズネのやりとりを見ていて微笑んでいたラピスラズリであったが、聞き取りにくいくらい小さい声で2人を妬んでいた。ナナが理由を尋ねる間もなく、ラピスラズリは自らの本題を始める。

 

「どうしてもあなた方に聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「私たちの正体か? それなら聞かれなくてもこちらから聞いてほしいくらいなのだが――」

「それは後でお願いします。わたくしが聞きたいのは“チェルシー・ブランケット”という名前に聞き覚えはないかということです」

 

 チェルシー・ブランケット。明らかに日本人ではない名前だった。ここでラピスラズリが特定の人物を探しているとなると、自分たちの仲間に該当する人物がいるかどうかということになる。

 アカルギには日本人しか乗っていない。理由は単純で、プレイヤーたちの持つ翻訳機能がないからだった。最高戦力であるナナが日本人のため、実働メンバーは日本語が通じるメンバーで固めざるを得なくなる。

 

「シズネ。本部の方に居ただろうか?」

 

 ナナはシズネに訊く。ナナは戦闘が仕事であり、人員の管理などは全てシズネに任せていた。シズネは自らのISのデータベースに入れているリストを立ち上げて検索を開始する。シズネが把握していないメンバーは誰一人としていない。

 

「いません。少なくともチェルシー・ブランケットと名乗ったことはないでしょう。偽名を使われている可能性は否めませんが、他の情報はありますか?」

「いいえ、もう結構ですわ。やはりあなた方のようにこうして話ができる状態と考える方がおかしかったのです」

 

 ラピスラズリの聞きたかった情報は入手できていないことは明らかだった。しかし、ナナとシズネにはこれ以上どうすることもできない。

 

「すまない。もしかしたら今日の戦いで死なせてしまった2人のうちにいたのかも――」

「その可能性は低いですわ。そもそもあなた方の中にいる可能性も低いはずでしたので」

 

 少し残念でしたけど、とラピスラズリは笑ってみせるも無理に整えていることは誰の目にも明らかだった。ナナは気が進まなかったが、話を切り替える意味も兼ねて自分たちの本題に入ることにする。

 

「辛いところすまないが、こちらの話を聞いてもらえるか?」

「もちろんですわ。わたくしはそのために来たのですから」

 

 嘘だ。ラピスラズリがナナたちを追ってきたのはチェルシー・ブランケットの情報を求めてでしかない。ここから先はその代価でしかないはずだった。欲しい情報が得られなくともナナたちを助けようとする姿勢は、やはりヤイバの仲間なのだとナナに思わせるのに十分なものだった。

 

 ナナは語り始める。自分たちの境遇。自分たちの……敵のこと。

 

「私たちはこの世界“ISVS”に閉じこめられた人間なのだ。それもゲームなど関係ない。外の世界で、とあるISの仕業によってだ」

 

 前半は既に想定していたラピスラズリであったが、この話には目を見開かざるを得なかった。

 

「まさか……そんなことが……!?」

「間違いない。私もシズネも共に、黒い霧のようなISに襲われた。その後、気づいたらこの世界にいたのだ。これが原因でなく何だという?」

「その霧のISというものについて他に何か情報は?」

「あるわけがない。外の世界では私もただの一般人だ。そもそもアレがISだと知ったのもこの世界に来てからだ」

「どうやって知ったのですか?」

「憶測のようなものだ。この世界でISについて知っていく内にそのようなこともあり得ると思い至ったまでだ」

 

 ラピスラズリは顎に手を当てて考え込んでしまう。ナナはしばらく待っていたが、先の話を促されて続きを語る。

 

「そうしてこの世界にやってきた人数は100人に満たない。少なくとも私たちが知る限りではだがな。世界各国からこの世界に来ているが、どういうわけか日本人が20人近くと一番多い」

「続けてください」

「当然帰る手段を探していた。来た原因はわかっていても来た方法がわからないため逆を辿ることは不可能だった。できることは帰る方法を知っている人間を頼ること。最初はプレイヤーを頼ろうとしたが……いきなり攻撃された」

「言葉が通じなかったのでしょうね」

「ほう? どうしてわかる?」

「推測ですわ。ヤイバさんがどうしてあなた方と話せたのかはわかりませんが、わたくしの場合はISVSの翻訳機能を完全に外しているため、会話できるのだと考えています」

 

 ラピスラズリの推測は原因に心当たりがあってのものだった。もはや推測でなく確信に近い。

 

「翻訳機能を外した? それがなぜ?」

「翻訳機能が逆に働いて、理解できない言語に変換されていたということになるのでしょうか?」

「そうですわ。わたくしと他のプレイヤーとの差異はそこにしかありません。最悪の場合、変換された言葉が言語ですらない可能性もあります」

 

 ラピスラズリは多言語を習得しているため、翻訳機能が邪魔となると判断してのオミットだった。通常は複数の言語を習得していても翻訳機能を切るような真似をする必要がない。それほどISに備わっていた翻訳機能は優秀な代物だった。苦労してわざわざ外そうとするプレイヤーなど他に存在しないと言ってよかった。なぜならばプレイヤー同士の交流においては何も不都合がないからである。撃墜対象と会話できなくてクレームを出すようなプレイヤーは皆無だ。

 

「だがピンポイントで私たちの言葉だけ聞けなくするなどという真似ができるのか?」

「できるはずですわ。ナナさんが敵と考えている連中ならば簡単なことでしょう」

 

 翻訳機能に関するラピスラズリの推測には先があり、ナナの答えに帰結すると告げた。ナナは自分たちの敵の予想を話すことにする。

 

「ミューレイがこのゲームの運営者なのか?」

「ミューレイは手足でしかないと思われますわ。ISVSの筐体とイスカは彼らの技術です。もっとも、特許を申請せず他企業が簡単に参入できる異常な事態でしたので、詳しく調べていない人間ではどこの企業が始めたのかわからない状態になっていますけど。少なくともISVSにおける機能である翻訳に関してはミューレイが関わっていればあなた方の声が届かない仕掛けを施すことは不可能ではないでしょう」

「特許を申請しない……? 営利目的じゃないということか?」

「ISVSの運営に関して、一企業の利益とならないように動いた組織があるのです」

「組織? ラピスラズリさんはもう心当たりがあるのか?」

 

 ラピスラズリは「ラピスと呼んでいただいて結構です。ヤイバさんもそう呼んでいますので」と断っておいてから、組織の名を告げる。しかし、どこか半信半疑で自信はなさげだった。

 

「国連のIS委員会ですわ。当然わたくしも疑ったのですが、今の国際情勢で一企業の権力が強くなることを発言力の大きな国々が猛抗議したようでして……特に何者かの意志が介在してるようには見られませんでした」

「そうか」

「しかし、仲間の方たちはミューレイの関係施設に囚われていたということで間違いないでしょうか?」

「ああ。もっとも、襲撃していく内にわかったことなのだが」

 

 ナナから言いたいことは言えたはず。しかし、進展してるのか実感は湧かなかった。そもそもナナたちも状況に振り回されてる側なのだから無理もない。話すことも無くなり、この場はひとまず解散することに決まった。

 

「大変有意義な時間でしたわ。今日のところはこれでお暇させていただきます」

「私たちは今後どうするべきだと思う?」

「下手に動かない方が賢明ですわ。ただ、仲間が囚われてると知って黙っては居られないでしょう?」

「ああ。たとえ罠でも、私ひとりででも助けに向かいたい」

「だと思いましたので、少し準備をさせていただきましたわ」

 

 そう言ってラピスは携帯電話を2つ差し出した。

 

「何だこれは?」

「携帯電話ですが、ご存じなくて?」

「いや、そういうことでなくてだな! こんな場所でどうして携帯が使える!? もし使えたとしても敵に筒抜けじゃないのか?」

 

 ナナの疑問はもっともであるが、愚問である。ことコア・ネットワークにおいてラピスのISを超える存在はない。

 

「形こそ携帯電話ですが、それはわたくしの専用機の装備ですわ。わたくし専用のローカルコアネットワークを介して外のわたくしの専用機に届き、後はわたくしの携帯を通じて繋がる仕組みになっています」

 

 つまり外から見ればラピスの携帯のやりとりしか映らない。少なくともナナたちの居場所を特定できるのはラピスひとりだけだった。

 

「連絡先はわたくしとヤイバさんのメールアドレスを登録してあります。何かあれば、行動するより先に必ず相談してください。緊急時はわたくしにのみですが通話できますのでそちらをどうぞ」

 

 ナナは戸惑っていた。ラピスの準備は手際が良すぎる。話してみて敵でないと納得したにもかかわらず、すぐには手が出ない。

 

「ではありがたく使わせてもらいます」

 

 そんなナナを差し置いてシズネが2つの携帯を受け取っていた。

 

「はい、ナナちゃん。もうひとつは私が持ってていいですよね?」

「あ、ああ。頼む」

 

 シズネの手からラピスの携帯を渡される。この世界にくる前には慣れ親しんでいたものだが、今のナナが持つには違和感しかなかった。ISだけが身近になってしまっている証拠だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 10月中旬は1年の中でも過ごしやすい気候だった。残暑の厳しかった9月が過ぎ、冷え込み始める12月までの間の短い秋だ。遅くなり始めた日の出の時間と共に、清々しい朝の空気を吸いながらの目覚めはスッキリする。

 

「よしっ! 今日も1日頑張るか!」

 

 気分良く目覚めた俺は軽く肩を伸ばしながらベッドから起きあがる。思い起こされるのは昨夜のISVSであったこと。ナナたちがただのゲームではありえない存在であることがほぼ確定した。

 都市伝説扱いである福音の噂。

 ゲームの中で“生きている”人たち。

 全くつながりがないはずがない。ナナたちを探せば事件の真相に近づけるはずだ。……箒に会えるはずなんだ。

 

 今日の予定は朝からナナたちの捜索かなと思いながらとりあえず着替えを終えると、ベッド脇に置いてある携帯が点滅して着信があったことを伝えてくるのが目に入った。朝っぱらから誰だと思って見てみるとメールの着信が複数入っている。新着を古い順に見ていく。

 まずは鈴。時間は昨日の夜で、俺の出したメールに対する返信だった。昨日は昼からずっと親父さんの店を手伝っていたらしく、夜までほとんど休みがなかったらしい。内容のほとんどが愚痴である。どんな中華料理屋だと言いたくもなるが、あの店は鈴目当てで来る人がいるくらい鈴は看板娘をやれている。確かに鈴のチャイナドレスは一見の価値ありだとは俺でも思う。

 次は深夜に出されていたメールだった。セシリアからである。内容は――

 

「はぁ? ナナたちの捜索をせず、銀の福音との戦闘の準備に集中しろって!?」

 

 今日の俺の行動を先読みしたものだった。俺が探し回ったところで徒労に終わるから生産的な活動をしろとまで書いてある。じゃあどうしろというんだ。福音よりも大きな手がかりなのはセシリアもわかってるはずなのに。

 冷静になって最後まで読むと、ナナたちの件は任せて欲しいと書いてあった。ヤイバという名前だけで織斑一夏(おれ)を特定できるセシリアのことだ。ISVS内でナナたちを見つけることも彼女ならできるだろう。確かに俺の力はそこには必要ないのかもしれない。

 最後のメールは俺の起床とほぼ同時刻。もしかしたら知らないうちに目覚まし代わりになっていたのかもしれない。送り主は五反田弾。内容は今日の予定について。

 

「あ、忘れてた。今日はゲーセンに来いって言われてたっけ」

 

 金曜日の放課後。2日前の話なのにもうかなり昔の話のように感じていた。あれからラピスに会ったり、ISVSの認識を改めたりと俺の中で進展がありすぎたのだ。まだISVSを始めてから1週間も経っていない。よく考えてみると、順調すぎる気がしないでもない。

 弾の話では日曜日の今日は翌日月曜日に控えている蒼天騎士団戦のメンバーの選出を行う予定らしい。福音と戦うためにはまずこの戦いに勝つ必要がある。

 ……しかし、ランキング9位セラフィムと戦う必要ってあるのか?

 ランカーであるセラフィムが俺たちの探している福音と同じかどうかは未だにわかっていない。ただ正直なところ、セシリアがナナたちを見つけてくれるのを待てばいいような気がしていた。

 いや、待てよ。もし箒が見つかったとしてそれで彼女が帰ってくる保証がない。そのために福音を倒す必要が出てくるかもしれない。昨日の戦闘で俺はランキング5位であるエアハルトと戦った。手傷を負わせることくらいはできたが、ハッキリといえば相性が良かったからでしかない。まともな勝負としては、俺はエアハルトに負けている。俺には実力が……経験が足りない。

 

 両頬をバシンとたたいて気合いを入れ直す。セシリアが優秀なのはわかっているが他力本願になってはダメだ。役割分担はできている。彼女が見つけ、俺が倒す。そのチームワークを俺が乱してはいけない。

 

「一夏! 起きているか!」

「ああ、起きてるよー……ん?」

 

 リビングの方から千冬姉が俺を呼ぶ声がする。反射的に起きてると返したが、何かがおかしい。俺は時計を見る。まだ朝の6時……。俺は慌ててリビングに向かう。

 

「なんで千冬姉が起きてんだ!」

「あのな、一夏。私をダメな大人扱いするんじゃない」

 

 軽く脳天に手刀が入れられる。軽くのはずなのに足の指先までジーンとした。全身が軽く痺れているが、構うことなく訊いてみる。俺が起きる時間に千冬姉がスーツ姿なのだから。

 

「で、どうしたの、千冬姉? 何か用事でもあるの?」

「お前は……いや、まあ、確かに人と会う用事があってな」

 

 なおも俺に手刀を入れようとした千冬姉だったが、普段の自分を思い出したのか俺の言い分を認めた。1日だけ早起きしたからと言って偉そうな顔はさせない。

 

「へぇ、日曜日だってのに忙しいんだな」

「仕事上、安定した休日が得られないのは仕方ない。ちなみに唐突で悪いが今日からしばらく海外出張だ」

「はぁ? なんだよ、それ? 聞いてないぞ!」

「当たり前だ。今言ったのだからな。私がいなくて寂しいか?」

「2人でも広めな家だぜ? 1人なら寂しいに決まってる」

 

 都市圏から少し離れてるとはいえ、織斑家は20代の姉と10代の弟が暮らす家としては立派なものだった。少なくとも趣味が掃除と言えるくらいは手間がかかる。

 

「それに俺のいないところで千冬姉が真っ当な生活を送れるか心配で心配で――」

「それ以上は許容できんぞ?」

「千冬姉は俺の自慢の姉さんだ! 俺のことは心配せずにいってらっしゃい!」

 

 危ない危ない。いくら本当のことでも言っていいことと悪いことがあるよな。……うん、俺の身の安全にとっていいことと悪いことがあるよな。

 時には自分を抑える必要があると頷いていると、呼び鈴が鳴る。まだ早朝であり、俺を訪ねる客に心当たりはない。

 

「む。私の迎えのようだな」

「仕事関係の人?」

「そんなところだ。このまま出かけるが、帰らずに出張することになる」

「りょーかい」

 

 千冬姉を見送るために玄関にまでついていく。千冬姉の手荷物は小さな鞄だけ。本当に海外出張するのか疑問になってしまうが、千冬姉ならなんとでもしてみせるだろう。

 鍵を開け、扉が開かれると呼び鈴を鳴らした人の顔が見えた。

 どうも最近の俺は金髪の女性に縁があるらしい。千冬姉と違い、カジュアルな雰囲気の胸元が大きく開いたスーツを着ている女性は外に出た千冬姉を無視して俺を見てきた。

 

「君が織斑一夏くん?」

「え、はい。そうですけど」

「ふーん」

 

 そういえば今まで気にしてなかったけど、セシリアもこの人も日本語が上手だな。俺の名前を知ってるということは千冬姉が何かを話したのか。一体、俺の何に興味を持たれているのだろうか。……恥ずかしい話じゃないといいな。

 

「いくぞ、ナタル」

「あれ? 弟さんに行ってきますのキスはしないんですか?」

「バカなことを言うな。ではな、一夏」

「ああ。いってらっしゃい」

 

 まさか千冬姉の手刀を避ける人が居るとは思ってなかった。俺は乾いた笑いを浮かべながら千冬姉と金髪お姉さんの2人を見送る。相変わらず千冬姉関係の人は良くわからない人が多い。下手に関わると痛い目に遭いそうだった。

 

「さてと。俺は俺でやることしないとな」

 

 俺がすべきこと。それはランキング9位のセラフィムと接触することだ。

 

 

***

 

 指定された時間である10時半ちょうどにいつものゲーセンに到着した。入り口に弾たちが待っているということはなく、もう中に入ってしまっているだろうと扉をくぐる。すると、俺を待っていたのは――

 

「な……!? 何が起きてるんだ!?」

 

 床に倒れ伏す弾と数馬、幸村の3人の姿だった。周りの客は3mほど距離を開けて円形に囲っている。誰も倒れている3人に近寄ろうとしないという異常事態。俺は一番近くの幸村に駆け寄った。

 

「どうした! 何があった!」

 

 うつ伏せに倒れている幸村の肩を揺すると、幸村は残った力を振り絞って顔を上げた。

 ……何かをやりとげた男の顔をしていた。

 

「鈴ちゃん……俺の心は君の健康的な色した脚に刈り取られてしまった。ガクッ」

 

 幸村は再び倒れてしまう。ちなみに最後の『ガクッ』は口で喋っている。やはりこの男と意志疎通をすることは難しいのかもしれない。

 

 幸村から事情を聞くのは不可能と思ったところで周囲からの声が耳に届く。

 

「3タテ(勝ち抜き戦において1人が3人に連続で勝利すること)とはたまげたぜ」

「リンは間違いなく強キャラ」

 

 この状況で格闘ゲームの話だろうか。3という数字に不吉なものを感じつつ、鈴の名前が出たところで彼女がどこにいるのか探してみることにした。

 ……お探しの人物は目の前にいますと、目が訴えてきた。

 倒れ伏す弾の背中に脚を乗せて勝ち誇っている鈴の姿が見える。彼女はオーディエンスの反応で俺が入ってきたことを知ったのか、腕を組んだ姿勢のまま顔だけこちらに向けた。

 

「Here comes a new challenger!」

「ふざけんなっ! 俺はこの勝負を下りるぞ!」

 

 何なんだよこのゲーセン!? リアルファイトを推奨でもしてんのかよ!?

 

「冗談はさておき、ヤイバが来たからさっさと起きなさい、バレット」

 

 鈴の一言で倒れていた3人がむくりと起きあがる。相変わらず何事も無かったかのようにピンピンとしている弾は以前に『俺、スタントマン目指してもいいかな?』と割とまじめに相談してきてたっけ。どちらかと言えばリアクション芸人だろうと答えたことは今でも覚えてる。

 

「じゃあ早速明日の試合のメンバーの選出を始めるぞー」

 

 起きあがった弾はポケットに入れていた紙を取り出して内容を読み上げ始める。今ここに集まっている人数は20人ほど。弾を中心に集まっている“藍越エンジョイ勢”は総勢50人近くの大所帯だが、スケジュール的に明日参加可能なメンバーである今いるメンバーから明日のメンバーを決めることになるようだ。

 とまあ、今日の内容はひとまず置いといて、隣にいる数馬に訊いておきたいことがあった。

 

「なあ、ライル。どうして俺が来たとき、3人ともリンに倒されてたんだ?」

「最終的にヤイバのせいだけど、まあ悪ノリした俺にも非があるよ。全ての始まりはサベージのようで、実はリンの親父さんが原因なのかも」

 

 さっぱりわからない。こういうときは鈴に訊いてみよう。

 

「リン。さっきのは何だったんだ?」

「ああ。アイツらがいつもどおりあたしをからかったのが悪いだけ。教えてくれたのはアンタでしょ」

 

 ああ、あのメールか。しかし、だとすると、

 

「リンの親父さんが原因って何なんだ?」

「メールに書いたでしょ? たまには手伝ってもいいよってこっちから言ったのが運の尽き。あの親父、あっちこっちに宣伝した挙げ句、営業時間も昼から夜までフルにしたのよ。店が繁盛したのはいいけど、客層の7割がバカどもだし」

 

 鈴が『バカども』と言いながら親指でくいっと指したのは幸村だった。俺はやっと幸村のメールの意味を理解した気がする。

 

「昨日はサベージの奴、リンの店に行ってたんだ」

「昨日は本当に災難だったわぁ……店の方もあれでいいのか激しく疑問ね」

 

 確かに。店のあちこちから鈴ちゃんコールが溢れている中華料理屋になんて俺だったら入ろうとは思えない。

 

「チャイナ服コスプレで災難とは言いつつもヤイバが来てくれるかもしれないという淡い期待を抱いていたリンちゃんは、俺たちの『かわいい!』コールに『え、そうかな?』と照れながら入り口をチラチラ気にしていた。そういうところがかわい――」

「ぎゃーっ! ぎゃーっ!」

「ぐはあっ!」

 

 俺と鈴の会話に幸村が入ってきたかと思うと、一瞬のうちに鈴に叩き伏せられていた。どうしよう、今回は起きあがってくる気配がない。

 

「そ、そんなことはないからね! わかってる、ヤイバ?」

「は、はい! 俺は何も聞いてません!」

 

 いつになく危険な鈴の眼差しに圧倒され、俺はイエスマンとなるしかない。

 

「……少しはわかってよ」

「ごめん」

 

 きっと俺にしか聞こえていない鈴の呟きに対して俺も同じくらい小さな声で謝った。

 

 などと明日の試合に関係ないことを話している内に弾たちの話し合いが終わったようだった。メンバーの選出が終わり、今から発表するのだという。

 

「ではまずはリーダーから……」

 

 今度の試合は10対10の対抗戦であるが、勝利条件が敵リーダーの撃墜になっている。他9人がやられていようが、相手のリーダーさえ倒せれば勝利となるため、リーダーの選出は最重要であった。

 単純な実力で言えば鈴か弾だろうなと思う。しかし、リーダーが攻撃されるリスクを考えると、前線で戦うべきメンバーを選ぶのは得策ではない。鈴も弾も前線で活躍すべきプレイヤーであるから、ここで選ばれるのは後衛のプレイヤーが妥当。

 

「ライル。頼むぞ」

「りょーかい、ボス」

 

 選ばれたのは数馬。確かに馬鹿でかい索敵用の角を装備している数馬の機体ならば後ろにいても全体にプラスとなる行動がとれる。と、なんとなく思っていたのだが、反対の声が上がった。いや、反対というより疑問というべきか。

 

「相手は蒼天騎士団と聞いている。戦場が廃墟都市なのもあり、あのマシューとライル殿がやりあえるとは思えぬが……?」

「ジョーメイの言いたいこともわかる。しかしうちのメンバーで野郎に対抗できるBT使いはいない。勝てないところで無理に勝負する気はないとだけ言えば、お前なら俺の作戦を理解してくれると思うが?」

「ふむ。元よりリーダーを司令塔として配置する気などないということでござるな」

 

 少々会話が異次元だが弾とジョーメイ(本名は朝岡丈明)の間では作戦まで伝わっているらしい。俺は後で弾に直接確認させてもらおう。

 

 次々とメンバーが発表されていく。

 

「リン。お前が前線の要だ。相手を釘付けにしつつも、甘い行動をしてきたら徹底的に叩き潰してやれ」

「はいはい。要はいつもどおりってことよね」

 

 リン。藍越エンジョイ勢の紅一点。物理ブレードと衝撃砲による近中距離の手数重視の機体であるが、攻撃から攻撃までの流れがコンボといえるものになっているため爆発力が侮れない。

 

「アゴ。お前がリンと双璧だ。仕事はわかってるな?」

「仕事はわかってるが、俺はアギトだ!」

 

 アギト。人より角張った顎が特徴的なためアゴとしか呼ばれない男。ヘルハウンドフレームを使った安定した戦いが売り。

 

「テツ。アゴのフォローについてくれ」

「え? 僕でいいんですか!?」

「アギトだって言ってんだろ!」

 

 テツ。俺の次にプレイ歴が浅いルーキー。基本的に長く楽しむことを目的としているため、防御重視の機体を扱っている。

 

「ライター。敵の壁を薙ぎ払ってもらうぞ」

「はっはーっ! 装甲の固まりほど、やりがいがあるってもんだぜ!」

 

 ライター。集束型ENブラスター“イクリプス”を2門束ねてぶっ放すという一発芸的な機体を操る。全力発射後は行動不能なことが欠点であるが、本人の理解が追いついていないことが一番の欠点。

 

「ジョーメイ。いざというときは頼む」

「任されよ。拙者の全ての知恵を以て勝利に導いてみせよう」

 

 ジョーメイ。着物姿が似合いそうな言動をしているが、この喋りになったのはつい最近のことである。曰く、今のブームは忍者なのだとか。仲間内でステルス軍師などと呼ばれているのは、このゲーセンへの出現率かららしい。

 

「サベージ。今回はお前のルアーとしての役割に全てがかかってる」

「言っておくが俺は好き勝手に逃げ回ることとリンちゃんの勇姿を拝むことしか能がない男だ。ついでに言うとリンちゃんのことしか脳にない。存分に頼りにしてくれ」

「どこをよ!」

 

 サベージ。口を開くたびに鈴のことしか喋らないが、自他共に認める最速の逃げ足は伊達ではないらしい。さっき気絶したと思っていたが弾並かそれ以上の復帰速度の持ち主だ。ちなみにまた鈴によって気絶させられている。その顔は幸せそうなのでこれ以上彼に関わるのはやめておこう。

 

「ディーンさん。お願いできますか?」

「俺か? その時間は空けておくつもりだったから構わん」

 

 ディーン店長。俺はこの人のプレイスタイルは知らない。

 

「ヤイバ。お前には敵リーダーであるマシューを倒してもらう。戦闘中は俺とコンビで動くことになるだろう」

「りょーかい」

 

 そして俺と弾。以上10名でアメリカ代表との試合の権利をかけて蒼天騎士団と戦うことになる。俺はセシリアと違って多人数の戦闘をどうすればいいのかなんて全くわからない。尖ったメンバーが多すぎてまとまりに欠ける気はしているが……大丈夫なのだろうか。

 

 

***

 

 一通りの練習を終える頃には日が傾き始めていた。昼に休憩を挟んだとはいえ、ゲームとしては長時間プレイしすぎである。しかし、視力への影響というわかりやすい害が無いため、疲労以外に何が問題なのかは俺は知らない。

 弾、数馬、鈴との帰り道。思えば全員が揃って帰るのは久しぶりである。話題はISVSばかりなのは仕方がないか。今は俺も話についていけるし。

 

「明日はうまくハマってくれるかねぇ」

「数馬としてはハマってくれないとやれることがないからな」

「そうなんだよ。一夏がマシューを瞬殺したら俺の出番がない」

「俺をあまり持ち上げすぎるな。奇襲が通じない相手なんだったら俺が単独で勝てる相手なわけがない」

 

 明日の作戦。俺の役割は仕上げであって、数馬が主役と言ってもいいものだった。幸村に全てがかかってるとはよく言ったもんだ。アイツの働き次第で作戦の効果は大きく変わる。

 

「それで一夏。俺はしばらくノータッチだったが、少しは腕を上げたか?」

「一応、イグニッションブーストの強弱程度のコントロールは身についてきた感じだな。今までは常に全開だったから使いづらかったけど」

「そうか。やっぱりお前は俺と同じでハマったらとことんやりこむタイプだったな」

「買い被りすぎだ。誰でも始めたばっかはこんな感じだって」

 

 弾は俺を天才か何かだと思ってるのかもしれないが、俺は今日までひたすら負けが続いている。足りないものばかりだ。それは戦えば戦うほど露出する。今はできないことを知るだけでも成果になる。

 他愛もない話をする帰り道。数馬、弾と一人ずつ別れて行き、最終的には俺と鈴だけになる。鈴が前を歩いて俺は後ろについていく。弾たちと歩いているときからずっと鈴は俺に話しかけてきていなかった。

 

「鈴、何か怒ってる?」

 

 2人きりとなり沈黙に耐えきれなくなった俺は鈴に訊く。また無自覚に怒らせているのではないかとしか思えなかったからだ。

 

「怒ってない。考え事してるだけよ」

「何か悩み事?」

 

 怒ってないと知ってホッとしつつも今度は鈴らしくない考え事の中身が気になった。鈴だったら本当に考え事をしている場合はそのことを隠すはず。俺にそう言ったということは多分相談したいことなのだと勝手に思った。

 

「一夏……あたしに何か隠してない?」

 

 案の定、鈴は俺に言いたいことがあったのだ。しかしこれが藪蛇だった。隠し事には明らかに心当たりがある上に、俺には鈴を騙しきるだけの演技力はない。

 

「な、無い」

「嘘ね」

「何を根拠に!」

「あたしの目を見ても同じことが言える?」

 

 言われてから俺は初めて鈴の目を見つめる。

 ああ、またやっちまった。これじゃセシリアの時と同じじゃないか。

 俺は鈴の目を見て固まってしまう。ただ『無い』とだけ言えばいいのに、言葉にはならなかった。

 

 ちょうどそのとき、携帯が着信を告げる。メールの方だ。気まずい空気をぶったぎる助け船に乗っかる形で、鈴に『ちょっとすまん』と断りを入れて携帯を開く。

 

【送信元】セシリア・オルコット

【件名】このメールの半分は優しさで出来ています

【本文】昨日は大変助かりました。ヤイバくんのおかげで私たちは無事です。次の機会があれば是非ともヤイバくんとお話がしたいと思います。ヤイバくんのお話を聞かせてください。絶対ですよ?

 ……えーと、久しぶりのメールなので作法等よくわかりませんがこれでいいのでしょうか? 失礼をしたとしても大目に見てください。次に会える時を心より楽しみにしています。

 

 ……とりあえずセシリアじゃないな。俺をヤイバ“くん”と呼ぶ人物に心当たりは1人しかいないとはいえ、名乗りましょうよ、シズネさん。

 しかしなぜセシリアの携帯からシズネさんがメールを送ってくるんだ? もしかしてセシリアは彼女たちと接触することに成功したのか? ならばなぜ俺に連絡を寄越さない?

 

「一夏」

「悪い。今、割と真面目に考え事してるから邪魔しないでくれ」

「そうはいかないわよ!」

 

 鈴の大声で俺は今の事態に気がつく。鈴が俺の後ろから携帯をのぞき込んでいたのだ。

 

「プ、プライバシーの侵害」

「それは悪いと思うけど! アンタが妙な顔をするから何事かと思えば、誰からなのよ、そのメール! 日本人じゃないでしょ、その名前!」

「えーと……まあ、直接会ったことはない人かな」

「まさか変なサイトでひっかけられてるんじゃ……」

「いや、それは無いから。ISVSでも出会い厨にはなってないから」

「ISVSで……? あたしの知らない間に何があったのよ! もしかして昨日!?」

 

 どうしよう。隠し事の本題からは微妙に逸れてるようで逸れてない。それでいて着地点を俺ですら見失っている。鈴が何を勘違いしてるのかは大体の想像はついているが、決して俺は騙されてるわけじゃない。でもそれを説明する自信がない。

 

 こういう面倒くさい事態には面倒くさいことが重なるもので――

 

「あら? 一夏さんではありませんか」

 

 後ろから俺に声をかけてくる金髪縦ロールのお嬢様がいらっしゃるわけで。

 

「“一夏さん”? ちょっと、一夏! 誰よこの女!」

 

 途端に牙を向ける我が女友達なわけで。正直なところ、俺はこの2人を引き合わせることだけは避けたかった。

 

「一夏さんのご学友の方ですか? わたくしはセシリア・オルコットと申します」

「さっきのメールの人じゃない! 一夏! 会ったことないんじゃなかったの!」

 

 いや、現実で会ったことないのはシズネさんであって、メールの送り主となってるセシリアのことじゃない。うん、俺もよくわかってない。

 

「少し一夏さんとお話をと思い、家の方へ伺おうと思っていたのですが、今はそれどころではなさそうですわね」

 

 それを察していただけるのなら声をかけてほしくなどなかった。もしかしてわざとだったりしないだろうか、と疑いたくもなってくる。

 

「ちょっとアンタ! 一夏の何なのよ?」

「申し訳ありませんが、わたくしは名乗らない方とは話したくはありませんの」

「凰鈴音よ。一夏のクラスメイト。これで文句ない?」

 

 すっかりセシリアペースで話が進んでいる。俺が割り込む余地はなく、鈴が名乗ったことでセシリアは俺にウィンクを飛ばしてきた。嫌な予感がする。具体的には、あの演技をさせられそうだ。

 

「わたくしは一夏さんのプレイヤー仲間、ということにしておきましょうか」

 

 良かった。セシリアの監視がついてなくて本当に良かった。しかし鈴の顔だけは晴れない。

 

「家に行こうとしてたって、どんな関係? 日本語うまいから騙されそうだけど、アンタ外国人でしょ?」

「家くらいは友人でも知っているものですわ。あなたも一夏さんの家の場所くらいは知ってるはずです」

「そりゃあ、中にも入ったことあるけど……」

「そういうことですわ。わたくしと一夏さんはISVSを通じて知り合った良き友人です。一夏さんがどう思っていらっしゃるかは知りませんが」

「そこを含み持たせなくていいから!」

「あら、そうですか。残念ですわね。ではごきげんよう」

 

 なんというか、ひっかき回すだけひっかき回してセシリアは去っていった。後に残されたのは脱力した俺と、振り上げた拳の行き先を見失っている鈴だった。

 

「何か、変な人ね」

「だろ? 悪い人じゃないのは間違いないけどな」

「とりあえずアンタの隠し事はあの人のことだったわけね。納得」

 

 結果オーライという奴だった。鈴が勝手に納得してくれるなら俺から話を蒸し返さなければ大丈夫。一番話したくないところは伏せられた。

 

「あたしに隠したってことは、あの人との友達付き合いですらも負い目を感じてるの?」

 

 しかし、やはりいつまでも鈴に対して隠し通せないかもしれない。

 鈴だけは知ってるから。

 

「そうなのかもな」

 

 かもしれないなどという話ではない。本当はわかってる。箒が一人で苦しんでるのに、俺ばかりが幸せになっていいとは思わない。

 

「いつまでも7年前に引き離された子を想ってるって話自体はあたしは嫌いじゃない。でも、正直に言うと嫉妬してる。どうしてあたしがその位置にいないのかって」

 

 鈴の告白。一度は応えたそれを俺は不意にした。7年前の……箒を忘れられないという言い訳で別れたんだ。今も箒が病院で目を覚まさないことについては話していない。

 

「未練がましいのはわかってるけど、今もアンタから離れたくないのは、あたしが一番アンタの理解者だっていう自負があるから。アンタだけがあたしを苦しみから解放してくれたって事実があるから」

「あのときは弾も数馬も大活躍だったぜ?」

「協力者と首謀者の違いは大きいわよ、わからず屋」

 

 一度は歩もうとした。箒のいない人生を。

 もう幼い頃の話であって箒も忘れていると思いこむことで自分を抑えた。

 でも、俺は気づかされた。

 それは妥協だったのだと。

 軽々しい想いでは先が無いのだと。

 

 中学3年の1月3日。俺は初めて篠ノ之神社に行かなかった。

 鈴と一緒に遊んでいたんだ。

 その翌日、俺の元にひとつの報せが届く。

 箒が入院している。

 居場所を知らせるものだが、同時に決別を知らせるものだった。

 俺は彼女に会えない。

 病院に運ばれる前、箒が倒れていた場所は――

 

 

 篠ノ之神社だった。

 

 

 約束を裏切ったのは、俺だけだった。

 俺から交わした約束だったのに。

 箒が無茶をして来てくれたことは間違いないのに。

 2人の大切な約束を俺がぶち壊しにしたんだ。

 

「一夏、泣いてるの?」

「ごめん、箒。ごめん、鈴」

「まったく……男が簡単に涙を見せるんじゃないわよ」

 

 そう言いながらも鈴はうずくまる俺の頭を撫でてくれる。これに甘えた結果が今の箒の状態を招いた気がしていた。まるで俺を罰するようなタイミングで箒を俺から奪っていった。俺への罰だというのは勘違いだってのはわかっている。それでも、約束の地に現れてくれた箒に応えたいと思ったのは勘違いなんかじゃない。

 

「もう大丈夫だよ、鈴。早く帰ろうか」

 

 鈴の手を払って立ち上がる。知らないなりに俺を心配してくれる鈴を危険に巻き込むわけにはいかない。

 足を止めるにはまだ早い。俺とセシリアの2人だけの戦いだが、彼女とならやれるはず。必ず箒を取り戻してやると改めて誓った。


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