Illusional Space   作:ジベた

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07 早すぎる訪問

 土曜日。俺がISVSを始めてから初めての週末がやってきた。朝から調査のためにISVSをするということもできたのだろうが、特に予定も入れていない休日の朝に、最近疎かになっていた日課を行うことに決めた。電車に2駅分揺られて毎日のように通っていた病院へ。目的は当然、“彼女”に会うためである。

 

「箒。ごめんな、最近あまり来られなくて」

 

 病室までやってくると、もはや見慣れた光景となってしまった箒の横たわる姿が見える。以前までならこの時点で俺の心は折れて、大した言葉もかけることができずに帰っていくだけだった。

 今の俺はそうじゃない。今の俺には目的がある。箒が目覚めるという希望がある。だから俺は前に進めているということを箒に報告しに来たのだ。いつもどおりに箒の頭側に備えられた椅子に腰掛け、彼女の横顔を見ながら話をする。古すぎる過去の話や俺の後悔や嘆きばかりでない、最近の俺のことを。

 

 ISVSを始めたこと。束さんのすごさを改めて思い知った。

 師範の教えが役にたったこと。剣の技術はさっぱり活かせないが、戦いの心構えは十分に役に立っている。

 そしてISVSで出会った人の話。主にナナとラピスのことだ。どちらもひたむきに戦っている目が印象的で、目的のために手段を選ばないように見えるが本質はかなり甘い人。箒にこんな話をするのは間違っているかもしれないけれど、俺は2人とも箒と同じくらいに放っておけないと思っている。

 

「そうそう、そのラピスなんだけどな」

 

 俺は福音に関するところだけボカしながらも箒に近況として伝えるためにラピスに問われた質問の後のことを思い返した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

「あなたは“銀の福音”を追っていますか?」

 

 

 ――この女は誰だ?

 金髪縦ロールのお嬢様、ラピスラズリ。宝石の名前は取って付けたものだと本人が自白している。そもそも名前などただの記号であって、俺が知りたいこととは塵ほども関係しない要素だ。

 ――なぜ“銀の福音”の名前が出てくる? なぜ『追っているか』などと訊いてきた!?

 今日までの調べでは“銀の福音”の一般的認識は『世界ランキング9位の機体である』ことがわかっている。実力としての目標を意味して『追いかける』のならばえらく中途半端な立ち位置だと言わざるを得ない。ならば噂の方である確率が高い。

 

 冷静になれ。この女は俺を試している。そもそもこの問いかけは()()()()()()。彼女の意図を読みとれなければ、悪くて俺も被害者の仲間入りだぞ、織斑一夏!

 

「ヤイバさん。わたくしの声は届いていますか?」

 

 吸い込まれそうなくらいに澄んだ青い目で見つめられ、俺はたじろいでしまう。その青が海でも空でも、底が知れないことには変わりない。俺が彼女の目に危うさを感じたのは、俺の知られてはいけない箇所をも見通されてしまっているからだったのだろうか。

 そろそろ何かしら言葉を返さなくてはならない。ラピスの言う“銀の福音”の意味が果たして“あの噂”を指すものかどうかでするべきことが変わる。

 

「ランキング9位を目標にするくらいなら1位の“ブリュンヒルデ”を目指すよ。ほら、俺って近接戦闘しかできないからさ」

 

 こんなところか。ラピスが何を思って“銀の福音”の名前を出したのか知らないが、俺は今まで得た知識で一般的なプレイヤーを演じられる。この女が何を知りたいのか知らないが、俺が集団昏睡事件を追っているとはなるべく知られない方がいいはず。

 ラピスは相も変わらず虚ろな目を俺に向け続ける。だが今は彼女の顎が若干上を向き、少し俺を見下しているような印象があった。

 

「お詳しいのですね」

「男の子だからな。強いってのには憧れがある」

「9位を知っているのですから、当然8位もご存じですわよね?」

 

 墓穴だった。俺は「あっ」と口を開いて間抜け面を晒すことしかできない。いや、まだ逃げ道はある!

 

「いや、実はさ! 今度アメリカ代表のいるスフィアと試合をする予定があってそれで調べて――」

「もう、おやめなさい。話し出した途端にわたくしの目を見なくなったあなたの言葉には真摯さの欠片もありませんわ」

 

 言われて気づいた。確かに俺はラピスの目を怖く感じている。だから誤魔化そうとしたとき、本能的に向かい合うことを避けた。最初に『目を見て話せ』と言われてからそうしてきていたのに、ここぞというところでできていない。俺が話す内容など意味はなく、俺は演技が下手だった。

 ……遠回しにしても時間の無駄だな。

 俺には選択肢が2つある。このままラピスから逃げるか、ラピスに本当のことを話すかだ。そもそも俺が誰かに福音のことを話せない理由は危険に巻き込まないためであることもあったのだが、それよりも千冬姉に知られて俺自身の動きを封じられることを危惧してのことだ。

 話そう。ラピスから千冬姉に情報が渡ることはまずありえない。ヤイバ=織斑一夏であることも知らない相手だしな。巻き込んでもいいのかって? ラピスは自分から福音の名前を出した。ならば彼女は追う側か追われる側のどちらかだろう。もし彼女が福音側だったとしても、それはそれで事件の真相に迫る好機となる。俺自身を餌として……。

 

 俺から話を切り出そうとしたのだが、ラピスは無表情を崩した。本人の楽しさや嬉しさよりも、相手のことで喜んでいる笑み。優しいときの千冬姉が見せる笑い方に似ている。俺は母親の顔を知らないが、慈愛とか母性という奴なんだろうか。

 

「良い面もちになりましたわ。あなたを最初にお見かけしたときと同じ……」

「俺、こんな顔で“風”の試合を見てたのか?」

「いいえ。あなたが外から入ってきたときから見ておりましたわ」

「ロビーに入ったときから? どうしてだ?」

「当たり前ですわ。通常はロビーホールの外に出る権限をプレイヤーは持ち合わせていませんもの」

 

 またもや衝撃の事実発覚。俺が毎日好き勝手暴れてきた外の世界は一般プレイヤーが足を踏み入れない領域らしい。そういえばラピスはそれと臭わせることを俺に言ってくれていた。

 ……最初から俺が普通のプレイヤーでないと知ってて近づいてきたわけだ。全く、とんだ食わせ物だよ。

 

「もう何もかもわかってるんだろうけど一応俺から言っておく。俺は“銀の福音”を追っている。出会えば現実に帰れないという怪物をな」

「あのような根も葉もない噂を信じますの?」

「信じるだけの理由が俺にはあるんだよ!」

 

 今も目覚めない箒の顔が目に浮かぶ。すると俺はラピスに大声で詰め寄ってしまっていた。行動してから後悔するが、彼女は怯えることなくただ俺を観察している。

 

「やはりあなたにも、帰ってきて欲しい人がいるということですわね」

 

 ラピスによる俺の見極めが終わった。俺がハッキリと言わずとも俺の苦しみをわかってくれた。それもそうか。彼女は『あなたに()』と言った。だから俺と彼女は“同じ”なんだ。

 ラピスは福音を追う側の人間なんだ。彼女が探していた施設に隠された秘密こそ福音に関すること。俺も福音を追っていると感じた彼女は、そのことに触れることなく一時的な協力関係を築こうとしていた。利益を与えるから利用してやろうという考え方なんだろう。だから俺を利用するだけしてポイとはいかず、見返りを用意できなかったことを悔いてしまったのか。

 ……中途半端に甘い奴だ。そんなことで逆ギレするなんて理解できない。けど、嫌いじゃない。

 

 誰を信用すればいいのかわからず、ただひとりで突っ走ってきた。それは俺もラピスも同じだろう。本気で向き合ってくれる人は少なく、向き合ってくれるような大事な人を危険には巻き込みたくない。だから自然と孤立する。

 そんな俺たちはここで出会った。いいじゃないか、巻き込んでも。それはお互い様なんだ。だから俺はラピスのことを知ろう。

 

「ラピスも噂を聞いて調べ始めたのか?」

「いいえ。わたくしにとってあの噂は旗印のようなものですわ」

 

 旗印。戦場での目印とか行動の目標を形として示すもの。掲げられた旗に書かれたキーワードは“銀の福音”と“現実に帰ってこない”の2点だが、これは“集団昏睡事件を解決しよう”という主張を掲げているということになる。

 俺がISVSを始めるきっかけとなった噂。それを旗印と言った彼女の真意は俺にも伝わった。そういうことか。都市伝説扱いされるような噂にも必ず発生源が存在するはずだった。あの噂はつまり――

 

「“銀の福音”に出会った者は現実に帰ってこない。この噂はわたくしが流したものなのです」

 

 ラピスが世界に発信したSOSだということなのだ。

 彼女には驚かされてばかりだ。彼女から伝えられたISVSの真実ばかりでなく、彼女自身の行動力にである。でも、そんな彼女に俺は言っておかないといけないことがある。自分のことを棚上げしている気がするが、それは些細なことだ。

 

「君はずっと待っていたのか? 同じ目的を持った仲間を」

「仲間? そんな綺麗なものではありませんわ。わたくしが欲していたのは都合のいい手駒だけです」

「またそうやって突き放そうとするんだな。気持ちはわからないこともないけど、もうどうでも良くないか? 俺みたいな奴は自分から巻き込まれたがってるんだぜ?」

「何をおっしゃりたいの?」

「君はたぶん俺よりも福音を追うことの危険性を理解してる。だからこんな話をしてても俺を遠ざけておきたいんだろ。“もしも”があっても自分の目の前で起きて欲しくないだろうから」

 

 ラピスがビクッと震えて後ずさる。口に手を当てて下を向き、みるみる顔が青くなっていった。マズいことを言った。もしかしたら彼女のトラウマを抉ったかもしれん。でも必要なことだ。俺はこれだけは言わなければいけない。

 

「俺は大丈夫だと信じている。そんな“もしも”は起きない」

「……えらく自信がありますのね」

 

 震えながらもラピスは声を絞り出す。不安に彩られた言葉を聞いた俺は『立場が逆転してるよな』と思いつつ話を続けた。

 

「それはそうさ。君が見てくれていれば俺は無敵だから」

 

 彼女の震えが、止まった。彼女自身の受け売りな言葉だが、初めて俺から彼女に届いた気がする。

 無い力で足掻いてるのは俺も同じだ。ラピスの場合は俺と違って失ったという結果だけ与えられたのではなく、惨状を目の当たりにしているのかもしれない。だから彼女は歪な協力関係を求めた。だけどその必要はないんだ。1人だと今日倒したISの半分も倒せなかっただろうけど2人いれば全て倒せたように、力を合わせればできないこともできる。

 

「どうせ今回だけのつもりだったんだろうけど、中途半端な配慮はいらん! 利用するなら最後まで徹底的に利用しろ。自分で言うのもなんだけど、君と組んだときの俺はかなり頼れるぞ?」

 

 ひとりだけの行動力ではたどり着けないのなら、協力すればいい。こんな単純な答えすら、難しく考えすぎると出せない。誰を信用すればいいのかわからない状況。それでも俺とラピスを結びつけた噂は、互いの胸の内を少しだけ理解させるのに十分な役割だった。もうこんな協力者は滅多に見つからないと、そう断言できた。

 ラピスは顔を俯かせたままクスクスと笑い出した。先ほどまでの暗い顔はどこかに捨ててきたらしい。状況は依然良くないが気落ちしていては前に進めないからこれでいい。

 

「あなたを生かすも殺すも、わたくし次第ですわね」

「え、と。そう言われると何か違う気が――」

「トカゲのしっぽ切りと言うのでしたか? ヤイバさんは本当に頼りになります」

「それ違う! 囮ならまだしも生け贄だけは絶対に違う!」

「ヤイバさんがわたくしの計画通りに手駒になってくれたということで、お礼に極上の笑顔をあなたにプレゼントいたします」

「ここまでの全部演技っ!? 俺最初からラピスの手のひらの上で踊ってたの!? くそっ、そんな笑顔で騙されるか!」

「あら、残念ですわ。わたくしがひとりの殿方に微笑みかけるなど滅多にないことですのに」

 

 作戦で目標を達成できなかったときからラピスの計画が始まっていた……? そんな馬鹿げたことは信じない。そもそも彼女はそこまで策士ではない。彼女が得意としているのは状況に対してリアルタイムで対応することだ。これもきっと彼女なりに気落ちした状態から立ち直るための儀式みたいなものだろうと納得しておく。

 

「じゃ、改めて。俺はヤイバだ。銀の福音を追うためにISVSを始めた。これからよろしく」

「わたくしはラピスラズリ。いろいろ肩書きがありますが今はあなたと同じく銀の福音を追っている者とだけ言っておきます。これからもよろしくお願いいたしますわ」

 

 今度は俺から手を差しだし、ラピスと握手を交わす。ずっと孤独に続くであろうと思っていた戦いに、初めて戦友が誕生した瞬間であった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ISVSを始めてから今日までにあったことを大雑把にだが眠っている箒に話した。彼女の耳に届いているはずもないことは承知しているけど、こうすることで俺は少しでも前に進んでいることを実感したかったのだと思う。俺は彼女の左手を両手で握りしめて改めて誓いを立てる。

 

「絶対に俺が助け出す。だから、来年は2人で初詣に行こう。篠ノ之神社へ」

 

 未だ果たされない約束。もう寒空の下ひとりで待ち続ける新年は嫌なんだ。次こそは箒と共にあの参道を歩きたい。そのために俺は、あの仮想世界に戦いにいくのだ。

 

 俺が誓いを立てたちょうどそのとき、病室の扉がカラカラと開けられた。看護師さんの来る時間だったのか。自分の今の体勢に気づいて慌てて箒の手を離して入り口に向き直ると、そこに立っているのは初老の男性だった。医者らしさとは縁のない和装に身を包んでいる彼は俺の姿を見つけて穏やかな笑みを向けてくれる。

 

「来てくれていたのか、一夏くん」

「お久しぶりです。柳韻先生」

 

 この人の名前は篠ノ之柳韻。名字からわかるとおり、箒と束さんの父親だ。俺と千冬姉の剣の師匠でもある。1年前までは箒と同じようにどこにいるのかわからない状態だったが、今はこうして顔を合わせることができている。

 

「私以外にも見舞いに来てくれる人がいて、箒も喜んでくれているだろう」

「俺なんかで箒が喜んでくれますかね?」

「当然だろう。少なくとも父親失格な私よりはな」

 

 俺は席を立ち柳韻先生と位置を入れ替わる。俺の座っていた椅子に腰掛けた柳韻先生は箒の額を優しく撫でていた。娘を心配する親の姿を見せながらも、柳韻先生は自分のことを父親失格であると非難する。

 

 ……師範はすっかり変わってしまった。

 

 昔は自分にも他人にも厳しい人だった。まだ小学生、それも低学年だった俺にさえ一切の容赦なく指導してくれていた地獄の日々は今でも鮮明に思い出すことができる。でも俺は嫌じゃなかった。真剣に向き合ってくれることが嬉しかった。父親の顔も知らない俺にとって、柳韻先生は父親みたいなものだったから。

 7年前に箒と一緒にいなくなるまで柳韻先生は厳格な人という印象が抜けなかった。だが6年間で何かがあったのだろう。再会した柳韻先生は白髪が増え、髭も長くなった。目の下の隈が無いときは無く、声にも覇気がない。かつて見上げていた頼もしい背中は、今は寂しいほどに小さく見えた。

 

「箒は私に似て人付き合いが苦手だった。私の見ていない間、一夏くんが傍にいない間、孤独な思いをしていたのかもしれない。こうして見舞いに来てくれる子がいないのは、悲しいことだ」

 

 否定はできない。7年前の段階で俺は箒と親しい人なんて心当たりがない。そして、千冬姉と柳韻先生以外でこの病室に見舞いに来る人を俺は知らない。

 

「でも、柳韻先生は来てるじゃないですか。それで十分箒は嬉しいはずです。父親失格なわけがありません」

「娘を守れず、助けることができない。剣を振るうしか能のない私が、娘に剣を振ることしか教えてこなかった私が、父親として失格でないと君は言うのか?」

 

 娘のことで頭を悩ませているあなたは十分に父親ですよ、と言いたかった。同時に父親失格だと自分で断定するところは父親としてダメだとも思った。俺が感じたことを柳韻先生に言うことは簡単だ。しかし俺の言葉で柳韻先生が納得するはずがないし、俺の言葉で納得してしまうような柳韻先生は見たくない。だから何も言わない。俺が世界最強だと信じている人の背中をもう一度追いかけたいから。

 

「すみません。先に失礼します」

「そうか。また来てくれ。箒も喜ぶ」

「はい」

 

 箒の顔を静かに見つめ続ける柳韻先生を残して俺は病室を出ていった。俺ができることは言葉をかけることよりも事件を解決すること。柳韻先生の状態も箒が目覚めることで元に戻るはずだ。

 

「さて、ゲーセンにでもいくか」

 

 言葉にしてみると自分がすごい不真面目に聞こえるが大真面目である。家に戻って自宅から入るという選択肢は当然あったのだが、折角遠出してきているので他の皆の状況も知っておきたかった。福音と戦うために必要な大事な一戦が月曜日に待っている。弾はいないだろうけど、他の誰かはいるかもしれない。

 俺たちが銀の福音と戦うチャンスがあることはラピスにも伝えてあったりする。彼女から得られた情報では世界ランキング9位の“セラフィム”は国籍こそアメリカだが代表候補生ではないらしい。モンドグロッソには縁のないプレイヤーであるようだ。6位に国家代表がいるとはいえ、国がお抱えにしないとは珍しいことだ。ラピスは『政府側がプレイヤーの素性を世間に知られたくない可能性』を指摘している。後ろめたい何かがあるのだろうか? 今のところ、俺たちの中で“セラフィム”はグレーな存在ということになっている。

 ――だからまずは直に会ってみるってわけだ。

 ラピスと話し合った結果、俺はアメリカ代表のチームとの試合に集中することとなった。調査よりも自分の実力を磨くことが最優先である。情報収集能力は俺よりもラピスの方が圧倒的に高いから調査はしばらく彼女任せだ。

 今日は週末だから普段はいないプレイヤーとも会えるかもしれない。今は自宅よりもゲーセンの方が都合がいい。

 

 正面玄関の見える1階廊下をやや早歩きで病院の出口へと向かう。病院を出たら駅へ行き、2駅先で降りればすぐにいつものゲーセンだ。頭の中では俺の今日の行動がシミュレートされていたが、俺はふと目に留まった白衣の女性によって足を止めてしまう。

 

「また、いるのか……?」

 

 受付で話をしている白衣の女性には見覚えがある。花火が爆発したような髪型は寸分も変わっていないように見えることから女性のお気に入りなのだろう。左手に持っているのは3本の棒付きキャンディー……俺にイスカをくれた倉持彩華さんだった。少しジロジロと見過ぎたせいか、彼女は俺の方を向き右手を挙げる。

 

「やあ、少年。元気そうだね」

「おかげさまで。そういえば彩華さんはいつも病院にいるイメージがありますけどどこか具合が悪いのでしょうか?」

「ん? 私は見たとおりピンピンしてるぞ? それは君にも言えることだ。快調な人間でも病院に来る理由はある」

 

 察しが付いた。おそらく彩華さんも誰かの見舞いに来ているのだろう。俺と同じように。

 

「なに、命に別状はないらしいから暗い顔をするな」

「はい……」

 

 命に別状はないらしい、か。箒はそうとも言えない状況……っとダメだ。俺が信じなくては箒は帰ってこないだろう!

 

「そうそう。ちょうど良かった。今、仕事を手伝ってくれる人を探しているところなんだが」

「仕事ですか? いったいどんな?」

「お! 興味があるのか! お姉さんは嬉しいよ」

 

 彩華さんは受付から離れて俺の方へとやってくる。俺自身が暗い考えから脱却するために彩華さんの話を拾った。……彩華さんのにししっと笑う姿を見ると、拾ってしまったと後悔したくなる。

 

「うちの製品の試験をしたくてね」

「製品? そういえば、彩華さんってどこに勤めてるんですか?」

 

 もしかしてと俺の目は輝いた。彩華さんが持っていたイスカは倉持技研の試験用だった。つまり、製品って言うのは、

 

「倉持技研っていうIS関連の会社だ。君もISVSをやっているなら名前くらいは知っているだろう?」

 

 IS……なのか?

 製品の試験っていうのがISVS上でのことを指すのなら、新装備が期待できるってことになる。これは僥倖だ!

 

「俺でよければ手伝いをさせてください」

「そうか。君ならそういってくれると思っていたよ。では、ついてきてくれ」

「はい!」

 

 そうして俺は彩華さんについていった。彩華さんは病院の出口ではなく奥へと向かい、エレベーターで上へといく。向かった先は屋上。丸の中にHと書かれた場所に待機しているヘリコプターに乗り込んだ。

 ……ヘリコプター?

 

「ちょっと待ってください! どこに行くんですか!?」

「ふぇ? ふぉひろんふらほひひへんら」

「飴をくわえてたら何言ってるのか、わかんないって! あ、もう離陸してる!?」

 

 ヘリが飛び立つ。俺はなんだかよくわからない内にどこかへ連れて行かれることになった。

 

 

***

 

 

 空を飛んでいる間、それほど時間は経たなかったと思う。つまり遠くまで連れて行かれたわけではなかった。ただし、外を見ていた俺は眼下に海が広がっていたことを確認しているため、着陸したこの場所は陸続きでないと思われる。

 

「いったいどこに連れてきたんですか。倉持技研の研究所かなんかですか?」

「そのとおりだ。ここは海上に造られた倉持技研の研究所のひとつ。特に名前は付いてないが私専用のラボみたいなものだ。入り口は空にしか設けていないから一般人が入ることはほぼ不可能な場所だよ。貴重な体験だな、少年」

 

 呆れ気味に問いかける俺の頭を彩華さんは子供にするようにポンポンと軽く撫でた。なぜか俺が駄々をこねるガキみたいな扱いを受けている気がするが、一応は拉致してるのを理解してるのだろうか。

 ……そういえば俺は拉致られたも同然なのか? これって実はマズい状況? いや、大丈夫だろ。彩華さんが悪人なわけがない。

 

「さて、早速だが君の体を使った実験を――」

「帰して! お家に帰して!」

「どうしたのだい? ああ、そうか。君にはまだ飴をあげてなか――」

「飴で誤魔化されると思うなよ! バイトって、人体実験の被験者のことかよ!」

「人体実験なんて言い方はやめてくれないか、人聞きの悪い。これから行われるのは、この倉持彩華の偉大なる研究のための儀式なのだから。君はその礎となる」

「余計に怖くなったよ!?」

 

 などというやりとりをしていたが、彩華さんはひとりで前を歩き俺は後ろをついて行く。本当に何かされそうだったら全力で暴れる気だったが、今は興味の方が勝っていたのだ。束さんから始まったISという存在。束さんの手を離れて今どうなっているのかをこの目で確かめることができる機会などそうそうない。彩華さんのいうとおり貴重な体験ができるチャンスだった。

 

「着いたぞ。なぁに、怖がることはない。別に君を改造人間にしようという意図などないからな」

「やっぱりさっきの言い方はわざとだったんですね……」

 

 彩華さんは人の不安を煽って楽しんでいただけ。俺が通された部屋には、複数のコンピュータとケーブルの類があり、中央にはメカメカしい手と足の形をしたモノが鎮座している。スーツにしては胴体にあたるものは無く、四肢だけの装甲といった感じだった。かといって未完成には見えない。つまりこれはISなのだろう。俺はゆっくりとISに近づいていく。

 

「これが本物のIS……」

「違うぞ」

「え? 違うの!?」

 

 それなりに感激していたのに台無しである。

 

「こいつはな……“リミテッド”と呼ばれているものだ」

 

 静かに語られた名前は聞き覚えのあるものだった。

 リミテッド。ISVS上ではISコアの補助を受けて稼動する無人機のことだった。しかし目の前にあるこれは明らかに人が装着することを前提としている。

 

「無人機じゃないんですか……?」

「お? まだ初心者だと思ったのだが、まさかリミテッドのことを知ってるとは驚いた。しかし、プレイヤーらしい勘違いもしている」

「勘違い、ですか? それもプレイヤーらしいって……」

「ISVSをプレイしている上では君の認識は間違っていない。現実に実用化されているリミテッドはISコアから一定距離以内で活動可能な無人タイプのものしかない。だがそもそもリミテッドとは能力が制限されてでもISを量産化しようとする計画の産物だ。当然、有人機の構想も存在する」

 

 確かに俺の勘違いだ。リミテッドってのはもっと広義なものであって俺が目にした無人機たちは一例でしかないということを彩華さんは言いたいのだろう。

 

「実用化されている無人リミテッドは1つのISコアで複数機動かせることは実現できたのだがメリットばかりではなかった。ISコアを移動させられなければ活動可能範囲がコア周辺に限られることがデメリットとしてすぐに挙げられる。ISコア自体を移動させればいいという発想で、ISにリミテッドへの能力供給をさせてはみているものの、数を増やした時点でコアが自機をユニオン扱いしてしまいIS本体の能力が下がってしまったりとデメリットは確実に存在する。コアを持っているだけの動力源としてのISと割り切ってしまうことが考えられていたりもするが、IS本体が万全に戦えた方が戦力として上である現状では――」

「あのー、そろそろ手伝いの方の話を進めてもらえませんか?」

「おっと、すまない。つまらない話を聞かせてしまったようだ。では早速本題に移ろう」

 

 彩華さんから弾と似た空気を感じとった俺は急いで話を切り替えた。俺に長話を聞く気がないと察してくれた彩華さんは中央に鎮座している手足がメインのリミテッドに近寄り、コンと軽く叩いた。

 

「話は簡単だ。君にはこのリミテッド……“白式”を動かしてもらいたい」

 

 俺は目を丸くせざるをえなかった。今までの話の内容から、この部屋に置いてあるものが有人リミテッドであることは察しが付いていた。何が俺を驚かせたかというと、機体の名前である。白式はISVSの俺の機体の名前。彩華さんがイスカに入れていた機体の名前だった。

 

「これが、白式……?」

「君がISVSで使ってきた白式との違いはISコアの有無だけだ。性能の面では劣ってしまっているが、現状では仕方がない」

「え? コアなしでPICが使えるんですか!? それってすごいことじゃ――」

「とりあえず装着してみてくれないか? おい! 少年に白式を付けてやってくれ」

 

 部屋の中で作業をしていた白衣の人たちが集まってきて、俺は私服のまま乗せられる。専用のスーツは無いのか確認したけれど、今日の実験では大きな動作はしないから要らないそうだ。

 足が取り付けられる。付いたというよりも俺の足の方が拘束されたような感覚だ。同じように腕にも取り付けられる。機械腕はロボットアームで持ち抱えられたままで、やはり俺の腕の方が拘束されたような気がしている。つまり、俺は手も足も動かせない状態にある。胸の辺りに軽く装甲が取り付けられ、頭にサークル状のものを被せられたところで準備は完了したらしい。研究員らしい人たちは俺と一言も口を利かないままそれぞれの持ち場に戻っていった。

 

「あの……これって本当に大丈夫なんですか?」

 

 ISVSで感じていた軽さが欠片も存在していない。前までならゲームと現実の違いと思えたのだが、ラピスの話を聞いてしまった今ではISとリミテッドの違いとハッキリ思えてしまう。

 

「大丈夫だ。篠ノ之博士のようなスペックは無くとも私は優秀だと自負している。君に怪我をさせるようなヘマはしない」

 

 俺の不安を感じ取ってくれたのか、彩華さんがフォローを入れてくれた。研究員たちが慌ただしくキーボードを叩く音が聞こえ、実験が進行していく。そして彩華さんから起動の命令が下された。

 

 何も起きなかった。

 

 てっきりPICが起動して浮き上がると思っていたが俺は依然拘束されたままである。手足を動かしてみてくれ、と言われて実行して見るもすごく重い。重いながらも少しは動いてくれた。だがそれだけだ。

 

「……ふむ。パワーアシストは働いているが、やはりPICは起動しないか」

「えと、彩華さん? これって失敗なんですか? というか何ができれば成功なんですか?」

「そうだな。こうなれば成功だったかな」

 

 彩華さんが何かをした。そうとしか思えないくらい突然に何もかもが軽くなった。地に足が着いていないのに俺の体は安定している。動かすのがつらかった両腕も動かせる。機械腕に自分の腕を突っ込んでいる感覚だったのが、機械腕自体が自分の腕になったようだった。ISVSの操作感覚にとても似ていた。

 

「今は無人リミテッドと同じ技術でISコアとリンクさせてPICを起動させている。これを独立させて実現したいのだが、まだまだダメらしい」

 

 これまた唐突に浮遊感が消え去り、ゆっくりと地上に降ろされた後、俺は再び機械の手足に拘束された状態となった。

 

「協力ありがとう。これで実験は終了だ」

 

 結局俺が役に立てたのかわからなかったが、上手く進まないのも研究なのだろうと思っておく。とりあえず俺の成果としては、倉持技研関係者とのコネを強くしたことだろうか。役に立つかはわからないけど、いざというときに頼れるかもしれない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 実験終了後、織斑一夏を別室に連れて行かせた後で倉持彩華は実験室に残って今回のデータに目を通していた。ディスプレイに表示された数字の羅列を高速でスクロールしていき、頭にたたき込む。

 

「主任。やはりこの実験には意味が無かったのでは?」

 

 部下の研究員が今回の実験の妥当性について疑念を抱いている。有人リミテッドの研究の着地点は、量産できることと男性が操縦できることの2つだ。現在はISコアを解析して出た仮説をひとつひとつ検証していく段階なのである。これまでも研究員たちは自分が被験者となって実験を行なってきた。だからこそ倉持彩華が織斑一夏(いっぱんじん)を連れてきた理由がわからない。男性研究員が既に同様の実験をしているため、今回の失敗は想定された出来事だったはずなのだ。

 問われた彩華はさして気にする風もなくデータとにらめっこを続ける。思考中は答えないいつもの癖だ。質問した研究員は返答を得るのを諦めて自らの作業に戻ろうとデスクに向かった。

 

「ダメだな。どこをどう見ても結果は変わっていない」

「だから言ったじゃないですか! むしろ被験者を変えるだけで上手くいくなら、今頃男性のIS操縦者のひとりやふたり発見されてますよ!」

「これは驚きだな。男の操縦者がいないことは証明されているのか?」

「いることも証明されてません!」

「尤もだ」

 

 今日は早く返事が来たかと思えば、彩華から返ってきた回答は自明のもの。呆れて返す言葉も無くなった部下の研究員は、次の仮説のための作業に取りかかる。こうなれば作業が一段落するまで会話は発生しない。部下の仕事を邪魔する気はない彩華は黙って退室する。これもいつものこと。もし彩華が『先に上がる』などと言おうものなら室内の研究員全員が手を止めて信じられないものを見る目を向けることになる。

 

 静かに退室した彩華は織斑一夏を待たせている部屋へと向かう。連れてきた身として本土に送り届けるまでキッチリと自分の手で行なうつもりだった。

 一人廊下を歩く彩華だったが、反対側から一人の女の子が歩いてきた。女性、ではなく女の子である。歳は10代の中頃、中学生から高校生辺りだろうか。学校の制服と思われる服装の上から彩華たちと同じような白衣を羽織っているが、袖が長すぎて手が完全に隠れてしまっている。よく見れば白衣の袖から制服の袖も見えていた。服装として問題しかない格好の少女は長い袖をだらりと下げて、とぼとぼと前も見ずに歩いている。彩華はすかさず進路を変えて少女の前に立ちはだかった。当然、そのまま歩けば、

 

「いたた……」

「…………」

 

 衝突する。互いにこけて尻餅をつくが声を上げたのは彩華だけだった。何も言わぬ少女に彩華は文句ありげに声をかける。

 

「気をつけたまえよ」

「……わざと……ぶつかったくせに」

 

 こうして少女にぶつかるのは3度目。否応なしに話をするにはもってこいだったが流石に頻度が多すぎた。尤も、気づかれていても彩華には何も関係がないのだが。

 

「ほら、前を向いて歩け。でないと――」

「青春時代が……もったいない……ですね……」

 

 言いたいことを先に言われてしまった。こうなると彩華から少女に言えることはない。意味まで伝わっているかはさておき、文字として少女の頭に届いていれば、彩華にできることは終わりだった。あとは本人次第である。

 

「後ろ向きな行動だけはやめておくこと。頼りないお姉さんの言うことですまないが、独りでは解決できないこともある」

「わかってます……それでも……」

 

 少女は立ち上がるとぶつかる前と同じ足取りで歩き出した。彩華は少女の後ろ姿を見送ってから再び織斑一夏の待つ部屋へと足を向ける。

 

(同じ言葉でも人によって受け止め方が違う。あの少年は1日で別人のように変わった。私はそんな彼に可能性を感じたのだろう)

 

 織斑一夏の存在が自分の研究を先に進めてくれると根拠もない期待を抱いていた。研究者失格だと彩華は自らを嘲笑った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 時刻は昼過ぎ。彩華さんに病院にまで送ってもらった後、『後で必ず礼をする』とだけ言われて解放された俺は病院からすぐにいつものゲーセンのある駅まで戻った。駅前の牛丼屋で腹を満たしてから早速店内へと突入する。週末にやってくるのは初めてだったから知らなかった。

 

「人、多っ!?」

 

 ISVSの人気をすっかり失念していた。ゲーセンは平日には来られない人たちで溢れかえっている。それも仕方がない。ISVSを知ってしまえば他のゲームは物足りなくなるだろう。そして家庭用ISVSはおそろしい金額がかかる。必然的に安価なゲーセンに人が集中することになるわけだ。などと分析したところで、俺が中に入っていけるわけじゃないけどな。

 

「誰か中にいないか? 着信音が聞こえるかはわからないがメールを出してみよう」

 

【送信先】五反田弾、凰鈴音、御手洗数馬、幸村亮介

【件名】無題

【本文】今いつものゲーセンに来たんだけど、誰か来てたりする?

 

 簡単な内容で送信、と。この中からいつものメンバーを探すのは苦行だから文明の利器に頼らせてもらった。早速、俺の携帯がメールの受信を知らせてきたのでチェックする。

 

【送信元】幸村亮介

【件名】Re:無題

【本文】鈴ちゃんなう!

 

 ……それだけだった。

 

「わけわかんねえよっ! この内容で俺に何を理解してほしかったの!? 何なんだよ、『鈴ちゃんなう!』って!? 俺へのメールはツ○ッターじゃねえ! ツ○ッターだとしても意味がわからねえ!」

 

 そういえば幸村へのメールは初めてだっけ。普段から理解不能だがそれはメールにも表れているのか。

 周囲の目も気にせず声を上げていると画面が切り替わる。他の奴から返信が来た。表示された名前は御手洗数馬。

 

【送信元】御手洗数馬

【件名】鈴ちゃんなう!

【本文】Re:無題

 

 ……何かが、おかしい。

 

「お前もかよっ! 何で本文の方にRe:無題なんてわざわざ書いたんだよ!? ってか幸村と示し合わせてるだろ! 俺を除け者にしやがって!」

 

 数馬なら大丈夫だと思った俺が甘かった。真面目なフリして悪ノリする奴で、読まなくていい空気なら読める厄介なところがあったんだった。しかし、これは数馬と幸村は一緒にいるってことなんだろうな。そして次のメールが届く。

 

【送信元】五反田弾

【件名】鈴ちゃん鈴ちゃん

【本文】鈴ちゃんなう!

 

 ……もうやだ。

 言葉にならなかった。たったメール3通で俺はこんなにも疲れ果てることができたんだな、とどうでもいいことばかり理解させられた。とりあえず今届いた3通は鈴に転送しておこう。どうにでもなれ。

 転送を終えたところで俺は諦めて中へと入っていく。案の定、今のところすぐに使える筐体はない。知ってる顔を探してみたが誰も見あたらなかった。筋骨隆々な店長を除いては、だが。

 

「ヤイバだったな。今日はひとりか?」

「あ、店長さん。バレット来てません?」

「あいつは土曜日は来ないんだよ。……って知らねえのか?」

 

 知らなかった。毎週そうだというのなら、今日は明日の準備のために何かしてるとかそういうわけじゃないのかもしれない。

 知り合いが誰もいない上に混雑しているゲーセンにいる理由は無いため、俺はゲーセンを出た。もう今日はすることを思いつかなくなり、少しばかり早いが家に帰ろうと歩き始めた。するとタイミング良く携帯がメロディを奏でる。メールの着信だ。唯一返信が来ていない鈴だろうと思って携帯を覗くと、

 

「ん? 誰だコレ?」

 

 登録されていないアドレスだった。迷惑メールだろうか?

 件名は【あなたを見ています】。

 

「怖ぇよっ!」

 

 これが迷惑メールの手法なのか。件名だけで興味を抱かせようと必死なのだろう。とりあえず初めての経験だったため開いてみることにした。

 

【件名】あなたを見ています

【本文】3分前にパトリオット藍越店から出てきたそこのあなた! 直ちに藍越駅前の広場にひとりで来るように。広場に着いたら挙動不審に周囲をキョロキョロと見回していなさい。言いつけを守れない場合、あなたの命は保障できません。

 

 ……見なければ良かった。

 

「マジで怖ぇよっ! 何なんだコレ! 俺なんか悪いことした!?」

 

 迷惑メールだったらもっと曖昧な内容だと思うし、何よりこのメールには飛ばしたいリンク先が存在しない。件名も性的興味を抱かせる類のものではなく、文字通りとしか思えない。当然、俺は辺りを確認するが、俺が騒ぎすぎたせいで道行く人の多くが俺を見ている状況だ。もし誰かが俺を見ているとしても俺自身のせいで確認不可能となっている。とりあえず俺は駅の方へと走り出した。まずは周囲の注目から逃げたかったのだ。

 

 ……誰かのいたずら? それとも千冬姉(けいさつ)の身内だから狙われてる?

 前者なら弾や数馬が犯人であるはずだが、その場合そろそろネタばらしをしてくるはずなので違う。後者は千冬姉の仕事の詳細を知らないから何とも言えないが、俺を使って何かをするのなら回りくどい気がする。

 ……つまりこれは、“福音”を追ってることが犯人にバレた?

 俺自身が命を狙われるような後ろめたい心当たりはそれくらいしか考えられない。昨日のラピスとのミッションのこともある。福音でなくとも、ミューレイという企業が何かしらのアクションを起こしてても不思議ではないのかもしれない。

 

 考えながら俺はメールの指示通りに駅前の広場に来た。完全な不意打ちを食らった俺としては下手に逆らうことは危険だと判断せざるを得ない。特に困る要求がされているわけでもない。週末の真っ昼間の駅前は人で溢れかえっているため、俺のような男子高校生を拉致することは難しいはず。メールの送り主には俺をさらうような意図はないはずだ。

 早速、駅前広場にいる人の顔を見て回る。メールの指示と同じ行動だから問題ない。忙しなく歩いている人は除外してベンチに座っている人や端の方に立っている人を重点的に見た。そして時計の下に立っている1人の女の子と目が合った。

 ……どこかで見たような。

 地元民としてハッキリと言わせてもらえば、こんな女子は今まで絶対に見たことがない。フリフリの服装はいいとしよう。だけど、この見事な金髪だけは染めただけじゃ難しい。さらに追い打ちとして髪が縦ロール。そんなお嬢様イメージが先行する髪型が似合う女子など、この辺に住んでいるはずがなかった。

 金髪の彼女は何かに気づいたようにこちらに向かって駆け出す。どことなく嬉しそうな表情は誰に向けられているのだろうと、俺は後ろを振り向いた。特に誰もいない。すると背中に柔らかい衝撃が加えられた。俺の腰には白い手が回っている。

 

「会いたかったですわ。“一夏さん”」

 

 やはり勘違いではない。彼女は俺に向かってきていた。

 他人のそら似? いやいや、名前まで一致する他人が都合良く存在する確率は低いだろ。金髪の外国人に知り合いはいないと言いたかったが、彼女の姿には心当たりしかなかった。彼女の腕を引きはがして、俺は彼女に向き直る。

 

「えーと……ラピス?」

「まだゲームの中のおつもりですか。一夏さんは何度言ってもわたくしの名前をちゃんと呼んでくださらないのですね」

 

 何度言っても? 流石にそこまでの心当たりはなかった。そもそも俺は、ラピスの本名を知らない。

 話がかみ合わないなと感じているとラピス(仮)は首筋辺りに顔を寄せてきていた。金縛りにあったように俺は動きを止めて彼女の行動を待つことしかできない。息が耳にかかるほどの距離で、甘さとは無縁の事務的な声で彼女は囁いてきた。

 

「……わたくしはセシリア・オルコットと申します。今はわたくしに話を合わせてください」

「え……?」

 

 困惑する俺を置き去りにするように、セシリアと名乗った彼女は俺から再び離れた。

 

「一夏さん、会いたかったですわ」

「ああ、俺も会いたかったよ。セシリア」

 

 俺は一体、何をしているのだろうか? 話を合わせろというセシリアと共に知人を演じている。

 そう、演じているのだ。ということは“観客”がどこかにいる?

 

「折角会えたのですから、わたくしだけを見てくださいな」

「当然、そのつもりだ」

 

 周りを見ようとしたら釘を刺された。“観客”を探す行為はNGということになる。一体、この演技は何を隠すために行われているんだ!? メールに事情を書いてくれれば良かったんじゃないか?

 

「それでは一夏さんが普段通われているゲーセンというところに行きましょう」

「りょーかい」

 

 案内をするのは俺であるが、先導しているのは後ろにいるセシリアという妙な状態だった。演技ということで腹をくくった俺は昨日のお返しとばかりに彼女に手を差し出す。彼女は自然な動作で手を取り、俺の隣を歩き始めた。もしこれが鈴だったらビンタが飛ぶかぎこちなくなるかのどちらかだろうな。

 走ってきた道を歩いて戻る。行きは1人で帰りは2人。また周囲の視線を集めてしまっているが、今度は俺でなくセシリアの方だろう。どう見ても立っているだけで別世界を思わせる存在だ。俺はそんな彼女とどういう関係に思われているのだろうか。

 

「賑やかなところですわね」

「ああ。駅も近いから余計に、かな」

「もう少し静かな街を想像していました。一夏さんは騒々しいことがお嫌いのようでしたし」

「好き嫌いで言えばというだけの話だ。どうしてもダメというほどじゃない」

 

 あれは目立ちたくない理由を話したくなかっただけだ。今はセシリアになら話しても問題ないし、彼女ならそのくらい察してくれているとも思う。

 大した雑談をする時間もなく俺たちはゲーセンに着いた。自動ドアをくぐって爆音が支配する空間に足を踏み入れる。すると、セシリアの足が入り口で止まってしまっていた。

 

「な、なんですの、これは!?」

「ちょっと騒々しかった?」

「ええ。音量ということなら問題はないのですが、いくつもの音が入り乱れていると、少々不快に感じますわ」

「じゃあ、やめよっか」

「いえ! 中に入りましょう!」

 

 目に見えてやせ我慢してる癖にセシリアは俺の背を押してきた。後ろでドアが閉まり、俺はセシリアの手を引いて奥へと入っていく。人が多くて動きにくい中、ISVSの場所まで来るも、やはりどの筐体も空いていない。

 

「日本ではこのような場所でISVSをしているのですね」

「そっちでは違うの?」

「はい。大衆用でも個室を借りて使用する場合がほとんどですわね。このように開けた場所に何台も置いてあるのは不思議です」

 

 その辺りは国の違いということだろうか。

 

「悪いけど、今日は混んでるからプレイはできそうにないぞ?」

「お構いなく。見ておきたかっただけですので」

「あ、そうなのか。じゃあ――」

 

 じゃあ早く出ていこう。今は演技のために2人で行動しているが、この場を知り合いに見られたくなかった。このゲーセンは俺のことを知っている人間がいる確率が高い。今日は事前にいつものメンツがいないことを確認できているが、俺のことを一方的に知っている奴から弾たちに話がいく可能性はある。『織斑の奴が金髪美人を連れて歩いてた』なんて話が奴らの耳に入れば、面倒くさいことになることこの上ない。

 

「お、ヤイバ。戻ってきたかと思えば、かわいい彼女を連れてきやがって」

 

 はい、アウト。この店長からだったら間違いなく弾に話が伝わる。

 さて、『彼女じゃない』と弁解していいのか。セシリアの中の設定を把握し切れていないため、対応は彼女に任せるしかない。

 

「初めまして。わたくしはラピスラズリと申します。ヤイバさんとお付き合いさせていただいていますわ」

 

 やっぱり恋人設定なのね。この面倒を背負ってまで演技に付き合う価値があってくれよ。

 それにしても店長が俺をヤイバと呼んだだけで、ここではプレイヤーネームで会話をするということに素早く順応するとは流石である。

 

「冗談じゃ……なかったのか」

 

 しかし、店長の茶化し半分冗談半分の発言に対して真面目に返答する辺りはセシリアらしいというべきか。逆に呆気にとられてしまっているじゃないか。

 

「店長。あの……このことはバレットにはナイショにしといてくれませんか?」

「それは構わないが、あまり友達に隠し事なんてするもんじゃないぞ?」

「ええ。それはもちろん。では、今日は空いてなさそうなので帰ります」

 

 セシリアの手を引き、俺は人混みの中を外へと向かう。途中何人かの目がセシリアに向いていたから明日以降が不安で仕方がない。

 

「それで、次はどこにいく?」

「そうですわね……少しお待ちくださいませ」

 

 外に出たところで次に向かう先を聞こうとした。ちょうどそのときにセシリアが携帯を取り出して耳に当てていた。電話がかかってきていたようだ。

 

「ジョージ、監視の目は? ……そう。一夏さんとわたくしが知り合いであると確信したところで帰られましたのね。意外と手抜きで助かりましたわ。ではまた動きがあれば知らせるように。頼みますわ」

 

 通話が終了したらしい。しかし、日本語でやりとりするとは思ってなかった。おかげで大体の事情は察しが付いたけれども。

 

「今の電話は?」

「オルコット家の執事ですわ。わたくしが“織斑一夏”とその周辺環境を調べていたことまで連中にバレている可能性も考えると、わたくしが色恋沙汰に夢中になっているとした方が都合が良さそうでしたので、監視の目がいつまで続くかを逆に監視させていましたの」

「連中ってのは?」

「FMSという企業。オルコット家からも資本を提供しているイギリスのIS関連企業で、わたくしは専用機を与えられた操縦者なのです。彼らにはわたくしが日本に来る理由を確認する必要があったわけですわね」

 

 聞けば聞くほど話についていけてない気がする。とりあえずここまでの話をまとめると、セシリアはFMSという企業に監視されてる。日本に来た真の目的を悟られたくないセシリアは恋仲である俺に会いに来たと設定した。監視に来ていたFMSの人間を執事に監視させていて、監視の目が無くなったというとこまではOKだ。

 

「専用機って?」

「本物のISのことです。今展開してお見せすることは、この国に対する軍事行動と見なされるためできませんわ」

「オルコット家って?」

「わたくしの実家ですわ」

「執事がいるみたいだし、企業に資本どうのこうのって――」

「何かおかしいでしょうか?」

 

 小首を傾げるセシリア。そんな彼女のことはさておき、俺が聞きたいことは大体聞けた。

 ……この子、かなりのVIPだ。

 金持ちのお嬢様というだけならなんとなく感じていたことだからいいとしても、ISの専用機を持っているとなると話は大きく違ってくる。ISVSと違って世界に467個しか存在しないISコア。そのひとつを持っている人間のひとりが目の前にいる。FMSという企業にとって、イギリスという国にとって、彼女にはそれだけの価値があるということになる。恋人に会いに日本に行くことを許すとは思えないが、そこはオルコット家とやらの発言力なのかもしれない。裏事情は違うかもしれないけどな。

 

「最後に確認。もう俺が聞きたいことを聞いてもいい?」

「ええ、もう大丈夫ですわ。無理にわたくしに話を合わせる必要もありません」

「じゃ、遠慮なく」

 

 友達以上恋人未満ごっこはおしまい。ここからは昨日の続き。ヤイバとラピスの会話となる。

 

「どうしてヤイバが俺だとわかった?」

「ヤイバというプレイヤーの履歴を追うことはわたくしにとっては造作もないことでしたわ。ヤイバさんが活動する場所さえわかれば後は人から聞くだけである程度は情報が整います。メールアドレスに関しましては少々口では言えない方法を使っています」

 

 昨日の今日の話である。信じられない情報収集能力が彼女にはあった。ヤイバというプレイヤーネームのみで俺が特定されるとは思っていなかった。

 

「なぜ日本に来た? どうしてそこまでして俺を見つける必要があった?」

 

 彼女の行動力は異常だ。監視がつくような面倒を抱えてまで俺に会いに来る必要性が俺にはわからない。恋人のフリまでして日本に来ることは、福音を追うために必要なことだったのか?

 そんな俺の疑問はセシリアの一言で片づいてしまった。

 

「わたくしが見ていなければ、あなたは無敵ではありませんから」

 

 ISVSのヤイバだけでなく、現実の俺にもそれは適用されるらしい。彼女は現実の俺にも“もしも”を起こさないために日本に来た。あらゆる可能性を想定して対処できる位置にいようとしてくれている。事実、彼女がISの所持者ならば、俺が軍隊を敵に回しても戦えてしまう。

 

「俺にそこまでの価値があるかな?」

「期待していますわ、一夏さん」

 

 まただ。昨日の今日だというのに俺とセシリアは同じやりとりを繰り返す。だからこそ、大丈夫だと思えた。2対11で圧勝できたように、“福音”を見つけだすことができるはずだと、そう信じられた。

 

 

***

 

 セシリアから連絡先を貰って解散となった。彼女はホテルへ、俺は自宅へと戻る。ちなみに俺は自宅からもISVSができることを伝えておいた。彼女になら話しておいてもいいと判断してのことだ。セシリアと夕方6時に同時に入ることを約束して今に至る。

 6時まであと10分。千冬姉はと言うと、俺が朝出て行った後に書き置きが残してあり、今夜は帰れそうにないということだった。千冬姉の夕食を気にすることなくISVSを始めることができる。

 

 いつもと同じようにベッドに横たわり、いつもと同じようにイスカを胸に置く。

 あとはいつも通り、例の声を聞いてISVSに入るはずだった。

 

 

『助けて……』

 

 

 いつもとは違っていた。


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