Illusional Space   作:ジベた

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53 生きている証

 不本意な出撃だった。

 更識楯無は自身の実力を見誤ってはいない。単純に個としての戦力で考えて、現在のプレイヤー軍でトップレベルであると断言できる。しかしこの戦場全体で考えれば、自身の評価が大きく下がることも自覚している。フォビアの名を冠する敵戦力を楯無は過小評価していない。

 楯無がこの戦いに参加した理由は概ね他のプレイヤーと変わらない。地球の危機で自分に出来ることを考えた結果、現実世界よりもISVSの方が事件解決に貢献できるという判断を下した。織斑一夏(ヤイバ)黒い月(ルニ・アンブラ)に送り込むことが最善であるという作戦方針にも賛同の立場を示した。

 出撃のタイミングは間違ってなどいない。楯無が出なければアカルギは確実に破壊された。アカルギが無事に通過できたのも、楯無が敵と対峙しているからに他ならない。

 役割を全うできている。それでもなお不本意と言ってしまう理由は至極単純。想定されている敵戦力の中で最強と目されている存在が相手であり、そのような存在に単独で挑まねばならない状況だったからだ。

 

「……本当にどうしようかしら。前に不意打ちで負けた相手ってだけのはずなのに、不思議とリベンジしてやろうって気力が湧いてこないわ」

 

 義務感のみで受け継いだからとはいえ、更識の長を名乗る者としてのプライドくらい持ち合わせている。負けず嫌いな楯無ならば一度負けた相手にやりかえす機会は望むところのはずなのだが、そのような気力など欠片もなかった。

 理由は知っている。戦う前から敗北を悟っているからだ。

 諦めるなと自らを奮い立たせようとする熱血さは持ち合わせていない。普段から軽薄そうな態度で大きな口を叩いていても、楯無の本質は生真面目で冷静な現実主義者(リアリスト)。自己の戦力分析と簪が持ち帰ったギド・イリーガルの戦闘能力を比べて、勝算はほぼ無いに等しいと結論づけている。

 

「このまま睨み合ってるだけにしたいんだけど……そういうわけにはいかないわよね、やっぱ」

 

 楯無に逃げる選択肢はない。

 対峙している敵、デモノフォビアは両手に赤黒い爪を展開。のっぺらぼうな顔面にギザギザの切り込みが走ると、縦に大口を開いて牙となった。

 人の言葉を話さず、雄叫びを上げる姿はもはや獣。視界の中でその敵影が唐突にぶれる。

 

「やばっ!」

 

 慌てて飛び退く楯無。さっきまで居た場所にデモノフォビアの爪が振り下ろされていた。

 速いだけで語ることの出来ない芸当。荒々しい外見に反した予備モーションなどほぼ無いに等しい静かなイグニッションブーストは“無音瞬動”と呼ばれている高等技能であり、織斑千冬(ブリュンヒルデ)の得意技として有名である。

 

 攻撃したデモノフォビア。回避した楯無。攻撃した側の方こそ不利な状況になりやすいISVSであるが、無音瞬動を使いこなしているデモノフォビアに隙は無く、後のことを考えない全力の回避をした楯無の体勢が崩されていないはずなどない。

 続く二撃目。獣の爪が楯無の体を捉え、楯無はその勢いに逆らうことなく吹き飛ばされた。否、正確には自分から飛んでいった。

 全く戦闘する気が無いわけでもない。これが楯無なりの強敵との戦い方。受け身に回ったとしても、致命傷を避けながら自らに有利な状況を組み立てていく。具体的にはアクアナノマシンを配置して罠を張り巡らせていく。今もデモノフォビアを包囲するようにナノマシンを散布したところだ。

 

 デモノフォビアが咆哮を上げる。鬼神の体の内から溢れ出した赤黒い波動が急速に拡散されていく。強大な圧力となって襲いかかる波動を楯無は両腕を交差させて耐えるしかなかった。

 

「くっ、何なのよこれ!」

 

 まともに浴びてもダメージらしいダメージはない。その正体はAIC。動きを止めるほどの干渉を起こすものでないが、ISコアから独立したPICを解除する程度の干渉は起こせている。

 普通のISならば威嚇された程度のこと。しかし、楯無にとってデモノフォビアの行動は絶対に勝てないと宣告されたようなもの。ばら撒いたナノマシンを片っ端から使用不能にされてしまっていた。

 広範囲のナノマシン潰しは楯無の天敵。以前に戦闘した閉所恐怖症(ステノフォビア)のときは敵の攻撃の隙間を突くことが出来たのだが、限定空間でない今回のケースでは敵の行動を予測しきれない。

 

「ううっ!」

 

 デモノフォビアの爪を扇子で受け流す。真っ向から受け止めなくとも呻き声が漏れるほどの衝撃が両腕を襲ってくる。

 そもそもデモノフォビアの方が足が速い。ステノフォビアのときのような戦略的撤退も選択肢に入りづらい。追われればすぐに追いつかれるし、もし追われなかったとしても、それこそ楯無がデモノフォビアの前に出た意義を失う。

 

「あっ!」

 

 連撃の2発目。今度は受け流すことができず、まともに扇子で受け止めてしまう。咄嗟に後方へ推進機を吹かして逃げ、扇子は壊されずに済んだ。

 ここで反撃も試みる。吹き飛ばされて不安定な姿勢でありながらも、強引に閉じた扇子の先端をデモノフォビアに照準する。

 EN弾の発射。結果的に奇襲となった一発はデモノフォビアの胸部に直撃する。

 だがこの攻撃の成立は現実を思い知らされるだけとなる。

 

「効いて……ない……?」

 

 敵の姿は一見すると上半身裸のようで無防備に見える。モチーフがギド・イリーガルであり、ギドがディバイドスタイルでIllを使用していた名残であるのだろう。それは単なるデザインでしかなく、無人機らしくどの部位も同程度の強度を持っている。

 問題はその防御力。フォビアシリーズは単一仕様能力に匹敵する強力な装備を使用する特徴があったが、本体性能はISと大きく差が付いていないことが多い。少なくとも楯無が一騎打ちしたことのあるステノフォビアはフォスクラスのIS程度の防御性能であった。

 デモノフォビアは逆。情報だけ聞いていたコピー元のイリーガルよりも固いとしか思えない。

 圧倒的なパワー。EN武器を寄せ付けない防御力。さらに与えたダメージ分だけエネルギーを回復するという能力まである。

 

「どう考えても無理難題。だからこそ私がなんとかしないといけない、かぁ」

 

 口から弱音を吐く。簪の前だったなら強気な発言の一つや二つ飛び出る場面であるが、気を張る必要も無いと割り切って腕をだらりと下げた。

 ここで通信を開く。相手はラピス。

 

「ねえ、ラピスちゃん。ヤイバくんはどうなったの?」

『先ほど内部へと突入していきましたわ』

「そう。だったら私の役目は終わったのね」

 

 当初の目的が完了していることを確認した。これでいつ負けても決戦の勝敗に直接影響はしない。抵抗してもしなくても意味が無いとなれば、無理して怪物と戦う理由などない。

 

『いえ。外にいる強力な手駒をルニ・アンブラの内部に戻してはいけませんわ。わたくしたちは入り口で敵戦力を中に入れないよう防衛をしています。ですがそれはフォビアシリーズを皆さんが引きつけてくれているからこそ可能なのです』

「……たしかに、中に入ってから一瞬で事態が解決する保証なんてないわね」

 

 まだ終わってない。まだ戦わないといけない。もう心が折れているというのに、仲間に対して楯無は弱音を吐かなかった。

 楯無は強く在らねばならない。常勝不敗でなくとも、膝を折ってはならない。

 国を守ってきた一族の矜持が脳裏に浮かぶ。

 

「ああ、もう! やればいいんでしょ、やれば!」

 

 逃げ出したい思いを抑え込み、前方を睨み付ける。

 獣そのものとなった無人機はしばらく楯無を攻撃せず傍観していた。それはまるで獲物を前にして舌なめずりをしていたかのよう。楯無が戦意を態度で示すとデモノフォビアの黒金の双眸が妖しく光る。

 

 一呼吸を置いた。

 その一瞬。

 すぐ目の前には赤黒い爪――

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 黒い月の内部は真紅に染まっていた。ナナのIS、紅椿の色と言いたいところだが、印象はまるで異なっている。

 紅椿は名前の通りの花。鮮やかで心癒やされる色合い。

 対する黒い月の内部はどことなく淀んだ雰囲気を放っている。若干紫がかっているのが暗いイメージを植え付けてきてるのだろうか。通路に平行に走っている良くわからない配管が血管のように思えてしまうのはどこか生物的だと俺が感じているからなのだと思う。

 黒い月が生物で通路が血管だとすれば、俺は傷口から紛れ込んできた菌やウイルスの類。正常な生物なら当然の反応がある。

 

「来たか……」

 

 ゴーレム。それも以前に簪さんたちと一緒に遭遇した門番タイプ。IB(インパクトバウンス)装甲とやらを搭載している近接格闘型の天敵と言える存在だ。

 狭い通路は一直線。ただでさえ近寄ろうとしても強力な斥力で弾き飛ばされるのに、接近するルートまで限定されている。

 対する敵には両腕に強力なビーム兵器がある。狭い通路だ。撃ち方によっては俺に逃げる場所がない。

 

 どうやって突破するか。答えは簡単だ。

 

 スターライトmkⅢを呼び出し(コール)。即時発射。

 EN射撃はIB装甲の影響を全く受けない。それどころかIB装甲はシールドバリアを犠牲にする特性があるため、普通のゴーレムよりも大きくダメージが入っている。

 ゴーレムの腕が上がろうとする度に撃ち落とす。ただ作業のように一方的に撃ち続けること10秒。呆気なくゴーレムは残骸と成り果てた。

 

「……結局、繋がったままだったな」

 

 突入前の一番の心配事項だったコア・ネットワークの切断。しかしいざ内部に突入してみれば、ラピスとのクロッシング・アクセスは有効なままだった。

 

(良き想定外でしたわ。これもヤイバさんの単一仕様能力の力なのでしょうか)

「ん? ラピスが心配しすぎたとかそういう話じゃないのか?」

(コア・ネットワークが繋がっていないのは事実ですわ。今の会話も通常の回線とは全く違う、クロッシング・アクセスによる思考の共有に近い状態ですわね)

「でも俺、今はラピスの考えてることわかんないぜ?」

(意識を交差しつつもパーソナルスペースを明確に分けているということでしょう。無闇矢鱈に近づいても自己意識を保てなくなるだけですし、いい傾向ですわ)

 

 言われてみると最初のクロッシング・アクセスって結構危険な代物だったのかもしれない。ISが勝手に危険性を学んで改善したってことか。でもあれがきっかけで色々と感覚を掴んだのもあるから、この成長はなんとなく寂しい。

 

「外の戦況はどうだ?」

(入り口は問題なく。今のところ、外の敵軍が内部に向かう様子もありませんわ)

「俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて――」

(ヤイバさんが全てを終わらせる頃までは耐えます。ご心配なさらず)

 

 やっぱり玉砕前提な返答だ。まあ、数から考えて一桁どころか二桁も違う物量が敵にはある。こちらが世界中からプレイヤーを募ったところで、絶望的な戦力差がひっくり返ることはなかった。

 リンやシャルル、ラウラは今頃フォビアシリーズと戦っている。

 楯無さんに至ってはギドのコピーらしきフォビアと戦っている。

 他の皆も戦っている。

 皆、無事でいるだろうか。負けると未帰還者。勝っても俺がルニ・アンブラを破壊しなければ死亡。リスクがリスク足り得てないことはわかってるけど、どうせならやっぱり負けて欲しくない。

 

 立ちはだかるゴーレムを両断して奥へ。道は枝分かれしていたりするけど、中心の方角は把握できているから感覚だけを頼りに進んでいく。ここまで来たら、立ち止まって迷うだけ無駄だ。もし行き止まりがあるのだとしても、立ち止まっていて答えが出るものでもない。後先考えずに突っ走る俺は正に、今の俺たちの作戦の縮図となっている。

 中枢まで半分くらいの距離を移動しただろうか。ここまでの間、通路には一切の扉がなかった。侵入者を迎撃するための施設としての機能が全くと言っていいほどない。そんな建造物であっても、扉が全くないということはなかったようで、生き物の体内を思わせる真紅の通路に相応しくない木製の両開きの扉が突き当たりの壁に張り付いている。

 

(気をつけてください。その先には――)

「たぶんフォビアシリーズがいるな」

 

 今の俺はラピスの星霜真理を使える。使いこなせるわけじゃないが、ISコアの反応が2つある程度のことはわかる。俺がルニ・アンブラに突入する前は内部のことは全くわからなかったが、俺が中に入ってからは星霜真理が機能しているようだ。おそらくは月の内外でコア・ネットワークが分断されているのだが、俺が裏技的にラピスを通じて外と繋がっているということなのだろう。中心の方角を把握できているのもこのおかげだったりする。

 

「ま、大丈夫だろ。今の俺はそう簡単にやられる気がしない」

(先ほどは鎖に縛られていましたのに?)

「それを言うな」

(とにかく、油断なさらず。先ほどのように助けが入ることはないのですから)

「ああ。肝に銘じる」

 

 木の扉を押し開ける。

 その先は――古い遺跡のような石壁の部屋だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバを見送った。自らに与えられた最低限の役割を果たしたラピスは一先ず胸を撫で下ろす。

 しかし、まだ終わりではない。この決戦におけるラピスの目的は『ヤイバが万全の状態で敵の親玉と戦うこと』である。最後の戦場に向かったヤイバに無駄な邪魔を入れさせないよう、外の敵が内部へ攻め込むのを防ぐことも彼女の役目であった。

 

「アカルギ、回頭。主砲の照準を敵ゴーレム部隊へ」

「回頭180°」

「照準オッケー」

「では遠慮なくいきましょう」

 

 漆黒の宇宙を一筋の極光が彩る。数合わせのような雑魚ゴーレムはアケヨイが掠めただけで消し飛んでいった。だが倒れたのはほんの一部。大多数は無人機らしく敗れた同胞を全く気に掛けることなく向かってくる。

 主砲のアケヨイしか武装を積んでいないアカルギは防衛戦には適していない。一点を突破することには長けているが、広範囲から攻撃されると脆い。壁となる部隊があれば別であるが、生憎と近くに護衛のプレイヤーは残されていなかった。

 

「ふっふっふ。いよいよ私のフルアーマーをフル稼働させるときがきたァ!」

 

 (おもむろ)に立ち上がったリコの眼鏡がキランと光る。

 

「操縦と射撃管制を全部シズネに譲渡、と。リコじゃないけど、私もそろそろ普通にISVSを楽しませてもらおっかなー」

 

 続いてレミも操縦席から立った。

 二人は自前のISを展開してブリッジの外へ歩いていく。

 彼女らの背中を見送ることなく、シズネは黙々とアカルギの操作に専念していた。

 

「やはりお二人が降りてしまうと主砲(アケヨイ)の出力が大幅に落ちますね」

 

 単独操縦に切り替えてから即座に主砲を発射。しかし、その威力はENブラスター“イクリプス”程度といったところであり、ゴーレムを一撃で倒せないほど弱体化している。

 

「ではシズネさんにここをお任せして、わたくしも外で戦いますわ」

「いよいよラピスさんの sparrow's tear を見せつけるときですね」

「いえ、わたくしの機体の名前は Blue Tears ……って、わたくしでは雀の涙ほどの戦力にしかならないと言いたいんですの!?」

「あ、間違えました。正しくは chicken feed(家禽(かきん)の餌:はした金の意)でした」

「そっちを訂正っ!? 結局は雀の涙なんですの!?」

 

 意気込んで出て行こうとしたラピスであったが、何故か味方に出鼻を挫かれた。

 単独戦闘、特に近距離戦闘における力の無さは自覚していた。しかしまさかシズネにまでそう思われていたことに若干どころではないショックを受ける。

 

「早く行ってください。塵も積もれば山となりますが、積まなければ始まらないのですから」

「今度は塵……もういいですわ! わたくしもいつまでも同じままではありません! 行き過ぎた過小評価を取っ払って差し上げます!」

 

 シズネの追い打ちを受けたラピスはいつになく興奮した様子で飛び出していった。

 

「……世界の中のほんの小さな塵に過ぎなかった私たちを高く積み上げてくれたラピスさんの力を過小評価なんてしてないですよ」

 

 残されたのはシズネだけ。彼女は自分以外誰もいなくなったブリッジを見回す。

 

「最初にここに足を踏み入れたときは私とナナちゃん、クーちゃんの三人だけだった。当てもないまま途方に暮れていた私たちにとって、ここは家のようでした」

 

 思い返すのは仮想世界生活の始まりの頃。

 神社で機械仕掛けの老人に襲われ、現実とそっくりであるにもかかわらず誰も居ない世界に投げ出された。

 いずれ救助が来るのだとナナは希望を語っていた。彼女がいなければシズネはとっくの昔に壊れてしまっていた。二人だけしかいない静かなブリッジでも寂しいと感じたことはなかった。

 

「不思議ですね。今こうして一人でここにいても何も不安がありません。たとえこの場にナナちゃんがいなくても、私たちはまた会える。そう確信しているからなのでしょう」

 

 もう一人じゃないと知っている。

 二人だけでもないとも知っている。

 数え切れないほどの人たちが共に戦ってくれている。思惑は千差万別なれど目的は一致している。

 まるで世界そのものが自分たちの味方になったかのような絶対的な安心感。

 中心にいるのはシズネが最も信頼している男、ヤイバ。

 たとえ仮想世界そのものを敵に回していても大丈夫だ。そう思えた。

 

「……おそらく敵はこのアカルギを執拗に狙ってくると思いますけど、ラピスさんを降ろしたのでもう役目を終えています。あとはアカルギが健在であることを示し続けましょう」

 

 もはや戦闘能力が無いに等しいアカルギを単独で動かすシズネ。

 彼女に届くアカルギのセンサーによれば、敵の大部隊がアカルギに向かって押し寄せてきている。

 黒い月内部に攻め込んだヤイバの元へ行かせるわけにはいかない。

 退かぬ瞳は前を向く。

 心に刃を宿し、切っ先を敵に突きつける。

 

「ツムギの参謀、鷹月静寐! 参ります!」

 

 アケヨイ発射。

 まだまだ彼女の戦いは終わらない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 久しぶりの戦場――と呼ぶほど、全くISVSをしていなかったわけでもなかった。自らの長所と短所を理解していたラピスが後方支援に徹していたのは事実だが、最近ではシャルロットやラウラとも試合をしてハイレベルな実戦の感覚を掴もうとしてきた。

 ヤイバが近くにいない上に、仲間内での試合でもない戦場に立つ。それもIllと同等以上の化け物が蔓延るようなところだ。少し前のラピスだったなら足が竦んで動けなかったことだろう。

 もう弱かった彼女の面影はどこにもない。毅然たる態度で胸を張り、右手のスターライトmkⅢのトリガーを引く指は軽い。敵のいない明後日の方向へ発射された蒼の弾丸は鋭角にカクカクと稲妻のように曲がり、ゴーレムの側頭部を撃ち抜く。

 

「対ゴーレムに限って言えば、ヤイバさんよりもわたくしの方が得意でしてよ?」

 

 周囲を旋回する4機のBTビットからは絶えず蒼い光弾が発射されている。ほぼ無作為に放たれた光弾はラピスから一定の距離を保って廻る。幾重にも取り巻く蒼の軌跡は彼女の盾となり、彼女の矛となる。

 

「頑丈な駒を揃えたところで、鈍重であっては何の脅威にもなりませんの。迎撃の準備が間に合ってしまうのですから」

 

 時間と共に蒼き線は面となり、球状となった蒼はもはや一つの星となる。

 頑丈なゴーレムであっても、EN射撃の奔流である蒼の星に触れてしまえば一瞬で蒸発する。ゴーレムは近寄れない。故に取るべき行動は自ずと決まってくる。

 両腕を正面に突き出す射撃体勢。掌に開けられた砲門から放たれるENブラスターならば、BTビットのビームの集合体であろうとも貫通して内部にまで届かせることが出来る。

 ……だが彼女には見えている。射撃攻撃は誘導されている。発射位置も発射タイミングも把握されている。無数のEN弾の一つ一つを個別にコントロールしている彼女が取るべき行動も決まっていた。

 

「チェックメイト」

 

 蒼の星から光の筋が伸びる。正確にゴーレムの腕の砲口に飛び込み――大爆発を引き起こした。

 多勢に無勢のときは相手の力を利用するのもあり。同じBT使いであるランカー、更識楯無の戦い方を自己流にアレンジした結果、全くの別物になった。

 偏向射撃(フレキシブル)衛星軌道(サテライト・オービット)。準備に時間がかかる欠点こそあるが完成してしまえば難攻不落、攻防一体の陣となる。

 

「ラピス、やばくない? いろんな人から『前に出ると無能』とか言われてたのにラスボス感すらあるんだけど?」

「まあ、RPGで言うなら味方の支援出来る上に火力も持ってる魔法使いだから。詠唱時間さえ稼げればいいんだよ」

「ほほう。つまり、私らは壁にされた、と?」

「裏を返せば気楽に戦えるって事だから気にしないの!」

 

 全力を出しているラピスの近くにはリコとレミもいる。彼女らも押し寄せてくるゴーレムと戦っているのだが、ラピスほどの派手な戦果は挙げられていない。

 

「でも、負けてらんないよねー」

 

 大量の銃火器を装備したフルアーマーリコリンが宇宙を駆ける。大気圏内では重量の制約から移動にかかるエネルギーコストが膨大であったリコの機体だが、宇宙空間では扱い方次第で高速戦闘も行える。

 背中のミサイルポッドを全て発射しつつ移動も継続。高速でかっ飛ぶ重装甲な本体は一発の砲弾に等しく、ゴーレムの1体に向かって突撃を敢行。正面衝突した結果、ゴーレムが一方的に吹っ飛ばされた。

 

「オラオラオラァ!」

 

 日常生活では絶対に出てこないようなヒャッハーな叫びを上げながら両手のガトリングガンを乱射する。衝突の影響で体勢が崩れていたゴーレムに次々と風穴が開いていき、やがて物言わぬ屑鉄と化した。

 

「リコの性格が変わってる……これ、あれだ。普段大人しい人がハンドルを握るとスピード狂になっちゃうのと同じだ」

 

 リコの豹変ぶりに驚きを隠せないレミ。

 この独り言を聞いていたラピスは『リコさんが大人しい? わたくしの知っている大人しいとは意味が違う……?』という疑問を抱いていたのだった。

 

「どれもこれも皆のウザキャラ、リコリンの素顔だよ?」

「はいはい、良かったね」

「やっぱり、最近のレミはノリが悪ーい!」

「こっちとしては最高に乗ってやってるつもりなのよ」

 

 レミの戦闘は派手に暴れているリコとは対照的。彼女はBTドールを操ってゴーレムと取っ組み合いをさせ、動きを止めた相手をラピスの射撃が射貫くという堅実な戦い方を繰り返す。

 地味。だが壁に徹している彼女の存在がある限り、ゴーレムがラピスに接近することはさらに難しくなっている。

 2人とも既に初心者の域にはいない。カグラも含め、ISVSを始めてからおよそ一週間という僅かな期間で一線級の戦力に成長していた。

 

「やっぱりカグラがいないと決め手に欠けるなぁ……」

「そうね。あの子、刀しか持ってない剣士のくせに、バ火力の後衛だし。銃火器を大量に装備してるくせに前衛でタンクしてるリコとは対照的よね」

「レミ、私のこと褒めた?」

「割と(けな)してるけど?」

「ハッキリ言った! ひどいっ!」

「喋ってないで手を動かしなさいって! ラピスが援護してくれてるからって、胡座(あぐら)をかいてると足下を掬われるわよ?」

「座ってる状態で足下を掬われても大してダメージないじゃん」

「今度、やったげよっか?」

「え、遠慮しとく。なんか怖い……」

 

 会話は平常運転。武器を手にして暴れ回っていても、まるで日常生活の一部であるかのような落ち着きぶりである。

 それも当たり前のこと。彼女たちにとっての修羅場はとっくの昔に過ぎ去った。負けたらゲームの世界から出られないだとか言われても今更と受け取っており、世界の危機だとか言われてもツムギ時代の自身の危機と比べたら当事者間がない分だけ緊張感に欠ける。

 この決戦において、レミとリコの二人はゲーマーたちよりもゲームを楽しんでいる。

 

「ん? ごめん、抜かれた!」

 

 リコの立ち回りはラピスに敵を近づけさせないことを念頭に置いている。離れる相手には手を出さず、近寄る相手には超重量で突撃を繰り返していた。先ほどまではそれで上手くいっていたのだが、まるで示し合わせたかのようにゴーレムが一斉に突撃してきたため迎撃が追いつかない。

 即座にフォローに回るレミ。だが彼女の操るBTドールは1体。ゴーレム1体だけなら押さえられるが複数体を同時には無理だ。

 

「ラピス、そっちにいった!」

 

 突破したゴーレムは5機。十分にラピスのサテライト・オービットで迎撃が可能な数である。

 しかし――ラピスは顔を(しか)める。

 

「止まる気がありませんの……?」

 

 ゴーレムのスピードが落ちない。それこそがラピスの思惑から大きく外れた敵の行動。ゴーレムたちは蒼の軌跡に自ら飛び込んでいき、無数のEN弾に身を晒す。

 5機のゴーレムは溶けるようにして無くなった。蒼の弾丸を道連れにして……

 ここまでの戦闘でゴーレムの行動パターンは把握していた。集団戦闘に明るくない脆弱なAIは同士討ちを頻繁に起こし、個体の存続を優先して味方の射撃の的になる行動は取らなくなっていた。つまり、数が多いほど接近戦を仕掛けないという誤った方向に学習させられていたのである。

 射撃の的になることを避けるAIに対して、ラピスのサテライト・オービットは強力な威嚇である。ラピスとしても敵を自身に接近させないことが一番の狙いだった。

 この思惑が崩れた要因。ゴーレムたちが自身の消失をも考慮しなくなった理由。ラピスの想定する可能性はとても簡単なもの。

 

「二人とも、気をつけてください! 指揮個体がいますわ!」

 

 ゴーレムを統率している何者かがいる。個体ごとのAIが自身の生存を優先していてはラピスのサテライト・オービットに飛び込むという自殺行為はありえない。

 ゴーレムの無謀な突撃はサテライト・オービットの守りを削ることが狙いでしかない。全体が見えていない脆弱なAIが急に書き換わるというよりも、上位権限の何かがゴーレムに働きかけたと考える方が自然である。

 

「いるよ。変なのが」

 

 リコが見つけた。同じようなゴーレムばかりの戦場で、友軍でない異質な存在が姿を現している。水色のドレスを纏い、周囲に巨大な砲塔をいくつも浮かべている、マネキンのように表情のない人型の機体が両手を広げた。

 

 

『我は不完全に恐怖する(アテロフォビア)。故に我は完全である……完全でなければならない』

 

 

 フォビアの名乗りは強敵の証。ラピスはこの名乗りを特殊武装の起動キーと判断しており、その認識は他の二人とも共有している。

 共有している……はずなのだが。

 

「先手必勝!」

「ちょっ、リコ! 待ちなさいって!」

 

 リコは形振り構わず水色ドレスの機体、アテロフォビアへと駆けていく。彼女の行動にレミは驚きを露わにしているが、むしろこの場ではリコの無謀に見える突撃こそが多数派の意見であった。

 どこからどう見てもアテロフォビアはBT使いである。レミはまだISVSの知識が少ないため、未知の強敵に対しては様子見を選択したくなるのは自然。しかし、ISVSにおけるBT使いの脅威を予習しているリコにしてみれば、様子見=詰みという認識だ。

 現に実例が自分たちのすぐ後ろに控えている。接近戦の弱さばかりが目立ってしまっているが、“蒼の指揮者”と遠距離戦などしようものなら瞬く間に封殺される。敵が強敵のBT使いというなら、前に出ないことこそが愚策なのである。

 

 リコの行動だけでなく、敵の反応も早い。大小様々なビットが散開し、リコらを包囲せんと目まぐるしく動き回る。撃ち落としてやろうかとリコがガトリングを向けるも、全く的が定まらないため、諦めざるを得なかった。

 撃ち落とせないなら強引に突破するだけだ。こうだと決めたらリコの行動は迅速。ビットを無視して最短距離で敵を目指す。

 判断は間違っていない。だが重装甲高火力ユニオンという機体コンセプトからしてBT使いは根本的に相性が悪い相手である。

 

「あ、やばい!」

 

 先にビットの包囲網が完成した。どの方向を見ても砲口がこちらを向いている。

 右からのビーム。流石はISのハイパーセンサー。リコの目にも放たれる光の軌跡が見て取れる。

 だからこそ見てしまう。ただの一射に注目してしまう。全方位に視界のあるISであっても、意識が一方に集中してしまえば、逆側が死角となる。

 

「うわ!」

 

 背中に被弾。1発当たり、2発3発と続く衝撃。パックパックを貫かれ、ミサイルポッド付近の熱量が増大。とっさの判断でバックパックを丸ごとパージする。

 爆発。しかしPICCのない攻撃は攻撃とならず、爆風に巻き込まれたリコはストックエネルギーを減らされないまま投げ出された。

 

「やっぱ無理ィ!」

 

 逃げ道はどこにあるのか。戦闘経験に乏しいリコでは生き残る道を見つけられない。

 そもそもここまでの戦闘も純粋にリコたちだけの力で切り抜けてきたわけではなく、手厚いサポートの恩恵もあったからゴーレム相手でも圧倒できていた。しかし、今は敵の攻撃予測データが送られてこない。

 

「ラピス! データ送って!」

『ですが――』

「早く!」

 

 要求した攻撃予測データは送られてきた。いつものように敵の射線が赤く表示されたとき、リコの視界に赤いフィルターがかかる。

 

「え……?」

 

 隙間など無い。全方位から狙える上に、偏向射撃(フレキシブル)も扱ってくる敵機体は後出しでいくらでも攻撃コースを変えられる。唯一、攻撃のタイミングだけは正確だがそれを知る意味などない。

 無駄に多い情報量に気を取られたリコは、自分を狙う巨大な砲口に気づかなかった。向けられた代物はENブラスタービット。

 

「リコ、危ない!」

 

 ENブラスターはリコに届かなかった。目の前にいるのはリコ以上にボロボロな姿だったレミ。強力な一撃を耐えられるだけのエネルギー残量などなかった。

 

「ごめん、先にリタイアするわ」

 

 レミの姿が消える。エネルギーが尽きて退場し、この世界の中で意識だけが取り残されることとなる。

 

「よくもォ!」

 

 吠える。この戦いに参加する上で散々口ではゲームだと言っていたが、リコたちにとってやはりこの世界での生死は軽いものではない。

 もう考えることはやめた。避けられないのだったらやられる前にやればいい。というよりやるしかない。

 敵の姿は見えている。意外と距離は近い。手持ちのアサルトカノンならば届く。

 

「喰らえっ!」

 

 即座にトリガーを引く。砲弾はリコの思い描くように水色ドレスの機体、アテロフォビアへと飛んでいく。

 避けられて当然。そう思っていた攻撃ではあった。

 しかし、アテロフォビアは動かない。代わりにビットの一つが砲口の先をリコから外す。狙いはもちろん――

 

「嘘……撃ち落とされた……?」

 

 リコの放った砲弾が的確に射貫かれた。避けもせず、一発のみ。避ければいい攻撃をわざわざ撃ち落とした意図は明確。

 ……単なる示威行為。余裕の現れと言い換えてもいい。

 攻撃のやりとりだけで敵はこう言っている。

 お前など相手にならない、と。

 尚もBTビットに囲まれている状況。

 最後の武器だったアサルトカノンも撃ち抜かれる。

 ラピスの力を借りた攻撃予測は、逆に回避不能という結論しか出てこない。

 

「ごめん。私も先に落ちるわ」

 

 まるで一旦ゲームを休憩するかのような言葉。

 ビットから伸びる無数のビームに串刺しにされたリコはISVSから姿を消すこととなった。

 

「……謝るのはわたくしの方ですわ」

 

 一人残されたラピスがポツリと呟く。

 リコとレミの二人が倒れていくのをただ黙って見ていたわけではない。当然、敵のビットを牽制するために援護射撃もした。

 だが届かなかった。ラピスの放ったビームは途中で全て()()()()()()()。相手も同じBTビットから放たれたビームで偏向射撃。同規模のビームの相殺はラピスも使う手ではあるのだが、同レベルの偏向射撃が相手という特殊ケースが発生するとは思っていなかった。

 敵の妨害は完璧。名乗りの際、自らを完全であると豪語したのは伊達ではない。

 

 BT使いとしての技能が劣っているとは感じていなかった。

 しかし戦いは個人でするものではない。障害物も何もない白兵戦をするしかない宇宙空間では前衛の有無が大きく戦況を左右する。先ほどまでたった三人だったが、三人だったからこそ立ち向かえたのだ。

 今は一人。衛星軌道(サテライト・オービット)は無謀なゴーレムの突撃により剥がされた。身を守るものは既に無く、無防備なラピスの前に立ちはだかるのはゴーレムの群れ。

 

「ここまで……ですわね」

 

 冷や汗が頬を伝う。まだ敵の本拠地に乗り込んだヤイバが戦っているというのに、彼とつながったまま自分がやられれば、彼の能力によって二人が同時に敗北する。

 今はただ、彼の勝利を祈ってクロッシング・アクセスを切るしかなかった。

 だというのに……

 この大事な場面で完全に失念していた事実に気づく。

 

「切り方がわかりませんわ!」

 

 元々、クロッシング・アクセスをする方法など判明していない。

 大きな戦いを前にすると自然にクロッシング・アクセスを起こしていたものだから、今まで全く不都合を感じなかった。

 切る必要性など生じなかった。

 “無敵のヤイバ”は負けない。ラピスは後方で支援であったため、矢面に立つこと自体が非常に稀だった。

 

「こんなところで! わたくしが足を引っ張るわけには参りませんのに!」

 

 早く切らなければ。そんなラピスの焦燥をヤイバも感じ取っているはず。それだけでも彼の戦闘に影響が出てしまうというのに、ラピスは感情を抑えられない。

 ゴーレムが突撃してくる。その数、15。まだ後方に控えている機体もあるというのに控えめな数の理由はおそらく『この数で十分だ』という指揮官の挑発のようなもの。実際、15体も差し向ける時点で十分脅威と見なされているわけではあるが、敵が全力を出していない事実はさらにラピスを焦らせる。

 

(落ち着け、ラピス。まだ君は負けてない)

 

 ヤイバからの声が聞こえる。通常の通信とは違う、頭の中に直接語りかけられているかのような感覚はとても温かいもの。

 彼の声が聞こえた。それだけだ。状況は何も変わっていない。

 しかし変化はあった。心境の変化というものだろうか。てんやわんやだった頭の中がまるで水を打ったように静かになる。

 

 迫るゴーレムの右拳。波紋一つない澄み切った心を自覚したラピスには全てがスローモーションに見えている。拳の軌道は以前から把握できていた。あとは目まぐるしく動く状況とそれに対応する度胸の問題だった。全ての問題は今このときだけは存在していない。

 滑るように横移動する。動きらしい動きのない平行移動だが、その正体はイグニッションブースト。高速で放たれたゴーレムの拳を上回る速度で、間合いを見切った紙一重の回避を披露する。

 伸びきった腕が右肩を掠めている。ラピスは右手に武器を呼び出す(コール)。現れた得物はENブレード“雪片弐型”。

 

 一閃。

 振り上げた一刀はゴーレムの脇から入り、頭をも切り裂く。

 これだけでも致命傷。さらにラピスは返す刀で同じ箇所を切りつけた。この場所にはゴーレムのコアがある。情け容赦の無い一撃でコアは砕け散った。

 

「ふぅ……」

 

 深呼吸をする。ヤイバの戦闘技能を取り込んでの格闘戦はラピスにとって慣れないもの。まだまだ場数が足りなく、少し全力で動くだけで気力の消耗が激しい。

 今の立ち回りに一定の効果はあった。近寄ってきていたゴーレムは一度距離を開けた。残った14機で強引に攻めても倒せないという判断がなされたのだろう。

 敵の狙いは周囲からの増援が来るまでの待ちであることは明白だったが、ラピスから動くことはできない。

 待つと言うほどの時間も稼げていなかった。ゴーレムの数はさらに15体増えている。ラピスの精神的な消耗も見破られているのだろう。アテロフォビア自身が出てこないあたり、完全に持久戦に持ち込むつもりである。

 

「……ヤイバさんなら、簡単に乗り越えられますのに」

 

 たった一機との戦闘で一杯一杯だった。このまま30機との連戦を(しの)ぎきれるかどうかは定かではない。どちらかといえば分が悪い。

 ゴーレムが突撃してくる。まるで黒い月に攻め込もうとしているときの自分たちを見ているかのような無謀さを伴っている。差があるとすれば、突撃してくる全てが捨て駒に過ぎないことくらいか。

 いつまでも雪片弐型を借りているわけにもいかない。むしろラピスは装備をヤイバに貸す側でなければ、この作戦に意味が無い。

 事前にわかっていたことであるが、この作戦には最初から欠陥があった。無謀な突撃にはアカルギが必要で、途中で通信ができなくなるリスクもあったためアカルギにラピスが乗艦することも必要だった。それ故に、ヤイバが黒い月に突入した後、ラピスたちが敵の真っ只中に取り残されてしまう。その状況下でラピスが生き残らなければ、ヤイバを“無敵のヤイバ”に仕立て上げられない。

 

 ――この危機を理解しているのはラピスだけではなかった。

 

「退いてください、ラピスさんっ!」

 

 声がしたのは黒い月側。つまりは後方。意識を向ければ、アカルギが高速を維持したままラピスに向かって突っ込んできている。

 

「え、シズネさん!?」

 

 たった一人取り残された戦場。そう思っていたのはラピスだけだった。黒い月に開けた入り口付近に残してきたシズネの存在を完全に失念していた。

 アカルギは減速する気配を見せない。シズネの思惑をラピスは悟る。

 

「それでは時間稼ぎにしか――」

「それでもですっ!」

 

 彼女の意志は固い。この限界状態、時間もない中で説得することは不可能だ。

 ギリギリで回避したラピスのすぐ脇をアカルギが走る。その先にはラピスを襲おうとしていたゴーレムの集団があり、それらをアカルギの強力なPICCと大質量を以て牽き潰した。

 直後、アカルギをBTビットが取り囲む。

 

「きゃあああ!」

 

 全方位から浴びせられる光の雨は確実にアカルギの装甲を剥いでいく。篠ノ之束製だからといって、戦闘用に特化したわけでもない艦である。本格的に武装したISを相手に真っ正面から戦うだけのポテンシャルは元から無い。

 アカルギは失速しなかった。まだ潰さなければならない目標が残っている。ラピスを危機に追い込んでいる元凶、水色ドレスの機体を目指しての無謀な突撃は終わらない。

 

「負けられない! ラピスさんは絶対に討たせない! 私たちの希望を絶対に潰させたりしない!」

 

 ビームが直撃する衝撃にも慣れた。ブリッジ内にはアラートが鳴り響いている。行動不能までの予測時間はまだある。眼前の敵さえ倒せれば、あとはどうなろうと構わない。

 シズネにとってアカルギは家だった。ナナと仮想世界で過ごした思い出の場所でもある。単なるデータではなく、もし破壊されれば二度と返ってこないことも知っている。

 それでも前に進む。思い出も大事だけれど、それに縋る必要なんてない。ナナは生きていて、ヤイバが取り戻してくれると信じている。そのための道を開けるのなら、この思い出の品の犠牲は決して無駄なんかじゃない。

 

「届いてェ!」

 

 叫び、祈り、願う。

 自分にできる最善は尽くした。あとは運に賭ける他ない。

 蜂の巣になったアカルギは速度を損なうことなく、アテロフォビアにまで辿り着いた。

 

 それまでだった。

 

 威力が高くとも直線的すぎる。

 アテロフォビアの行動はシズネの熱い思いをあざ笑うかのような無慈悲な回避行動だった。

 誰もいない空間を通過したアカルギを今度はENブラスタービットが取り囲む。

 先ほどまで全く使っていなかった強力な武装。それをわざわざこのタイミングで使う理由はおよそ機械らしくないものしか考えられない。

 

「どこまで人を弄べば気が済むんですのっ!」

 

 敵はわざとアカルギが自分に届くまで攻撃の威力を調整していたということになる。

 BTブラスタービットが一斉に火を噴いた。ボロボロなアカルギで耐えられるわけもなく、ビームが貫通する。艦の原型さえなくなって、宇宙の残骸として漂い始めた。

 

「シズネさん……?」

 

 通信をするもシズネからの返事はない。

 ショックを隠せないラピスを取り囲むようにしてBTビットが動き回る。

 次はお前の番だ、とアテロフォビアの無表情な仮面が振り向いた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 人の形に翼が生えても天使とは限らない。たとえ美しい外見であっても、敵対すれば悪魔も同然である。

 星々を背景とした暗闇を流星の如く駆けるのは白く輝く翼。地上から見ることが出来たなら、純真無垢な少年少女なら三回お願い事を言いたくなることだろう。しかし綺麗な流れ星を近くで見てみると、その実態は子供には優しくない存在である。

 ニクトフォビア。暗闇を照らす暴力的な輝きは殺意で溢れていた。

 鋭い牙をぎらつかせ、開く顎門(あぎと)に集束する光。一点に圧縮される膨大なエネルギーは行き場を求めて暴れている。そこに出口を作れば、エネルギーは光の剣となって虚空をも穿つ。

 

「あぶなっ!」

「大丈夫、リン?」

 

 光線がリンの頬を掠めていった。お互いに高速で動き回っているというのに、敵の照準は徐々に精度を増してきている。

 攻撃は高出力のビームのみではない。翼を広げ、駒のように一回転すると同時に全方位無差別に無数のEN弾がばらまかれる。むしろこちらの方がリンにとって因縁のあるイルミナントが主に使ってきていた攻撃方法であり、多対一であるのにリンたちが有利を取れない要因だ。

 全方位無差別攻撃の間、リンもカズマも弾幕系シューティングゲームをやらされる羽目になっている。避けるのに精一杯で攻めに転じるだけの余裕はない。一発一発が仮にもENブラスターに分類されるため、ダメージ覚悟で飛び込もうとしてもノックバックが大きく、まともに前に進めない。

 

「本当にこれ鬱陶しいわ。何か打開策ないの、カズマ?」

「さっき撃鉄を破壊されちゃったから、拡張領域(バススロット)内で自動修復(オートリペア)が終わるまでこの距離(レンジ)でできることはないよ」

「リペアが終わるまでの時間は?」

「ロビーに戻らないなら軽く一日ってところ。一応、打鉄フレームの特性で装備修復が速いはずだけど、AICキャノンはリペア時間が長い部類だからなぁ」

「……つまり、使えないってことね」

 

 二人併せても遠距離に対応できる装備は一つも残っていなかった。

 接近戦に持ち込めればリンにも勝ち目が生まれてくる。しかし、一度痛い目に遭った接近戦を仕掛けてくるとは考えにくい。敵側の視点に立って考えてみると、遠距離からだけで十分に封殺が可能と判断するのは自然であり、それを逆手に取る方法などなさそうだ。

 

「何度も言うけど、俺らにしてみればコイツを倒す必要は無いから、このまま弾幕避けゲーしてればいいんじゃね?」

「そんなストレスが溜まるだけのゲームなんてやりたくないわよ」

「見解の相違だね。リンならわかると思うけど、全力の攻撃が全く相手に当たらないっていうのは、攻撃できないことよりもフラストレーションが溜まる。避けるだけでも、それがもたらす戦術的な効果は意外と大きいんだよ」

「たしかにそうかもしれないけど、何が言いたいの?」

「攻撃するだけが戦闘じゃない。サベージがそうだったように。リンはもう少し忍耐が必要だと思うよ」

「普通、このタイミングでダメ出しする?」

「このタイミングだからさ。俺らだけじゃ突破できない。こういうときは仲間が来るのを待つのも有りじゃない?」

 

 援軍を待とう。その提案をした直後、ニクトフォビアの口から放たれた光の筋がカズマの左肩を抉る。

 

「カズマっ!」

 

 ダメージのためか、錐揉み回転して流されていくカズマ。リンは反射的に彼の後を追った。

 

「あー、そういうこと。弾幕は目くらましで、光線の予備動作を隠したのか。厄介だね」

 

 敵の攻撃を分析する発言が飛び出す辺り、カズマにはまだ余裕が窺えた。だが見た目として、カズマの機体は左半身がほとんどなくなってしまっている。戦えそうには見えない。

 

「大丈夫なの……?」

「大丈夫、致命傷で済んだ」

「全然大丈夫じゃないでしょ、それ!」

「なんとかストックエネルギーを節約するよう受け身を取ったつもりだったんだけど、ここが宇宙っていうのがネックだった。操縦者保護機能が死んでるみたいで、時間と共にストックエネルギーが減少してる」

 

 地上でならばまだ戦えたかもしれないが、悪環境という制約によってカズマはもう戦えない。あと十数秒で退場することが確定してしまっている。

 

「あとは任せるよ、リン。あんなどうでもいい化け物なんかには勝てなくていい。どうか最後まで生き延びて」

「何よ、それ! サベージも他の連中もどうしてあたしだけ残そうとするのよ!」

「ヤイバが勝つためにリンが必要だと思うからだよ」

 

 そう言い残して、カズマの姿は光の粒となって消えていった。

 

「……意外と失礼な男よね、カズマは。今の言い草だとあたしが便利な道具みたいじゃない」

 

 わなわなと両手が震える。怯えとは無縁。どちらかと言えば武者震いの類いである。

 

()()()()勝てなくていい? あたしの気持ちを完全に無視して! 勝手に押しつけて! それであたしが喜ぶとでも思ってるの! ふざけんなっ!」

 

 相手は強大。カズマがやられてリンは一人。絶望的な状況のはずなのだが、リンの心は折れず、むしろ強固なものへと変わっていく。

 

「あたしは! アイツに勝ちたいのよ!」

 

 指さす先には光の翼の怪物がいる。

 この決戦は前に進むためのものだ。

 ヤイバにとってのそれがナナを取り戻すことであり、リンにとってのそれは過去の敗北を精算するだけの活躍をすること。

 全てが終わった新しい世界でヤイバがスタートラインに立ったとき、自分も同じ場所に立っていたい。

 ナナやラピスと並び立てる自分でないとそこに居られない。他ならぬ自分がそう思っている。

 所詮は自己満足。だがヤイバの優しさに胡座を掻いているようでは到底、欲しいものには届かない。

 

 甘えや優しさなど不要。

 リンは勝利こそを欲する。

 明日へと向かうために。

 

 突撃を敢行する。いくら勝算が薄くとも、どのみち接近戦でしか勝ち目がないのだから、バカの一つ覚えのように進むしかない。

 光の砲弾が拡散される。光線と比べれば弾速が遅い部類であり、ISのハイパーセンサーならば目で追える程度のもの。隙間がないわけでもなく、リンは瞬時にルートを絞って敵に近づこうと試みる。

 

 木の葉を隠すなら森の中。

 光を隠すなら同じ光の中。

 弾幕の中を光の筋が走る。

 直後、リンの右肩付近で龍咆が撃ち抜かれた。

 

「しまっ――」

 

 カズマの分析通りの攻撃。折角最後に忠告をしてくれていたのに、リンはその情報を扱い切れていなかった。

 被弾に気づくまでラグがあった。被弾してから意識が被弾箇所に向いてしまった。まだ敵の拡散ENブラスターによる攻撃は終わっていないというのに。

 迫る弾幕を避けられるタイミングはとうに逸していた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 どこかで見た風景。

 扉をくぐった俺の目に飛び込んできたのは埃っぽい石の壁でできた部屋。天井は高く、体育館くらいの広さはあるだろうか。内装らしい内装は特になく、床と天井をつなぐ柱が何本も立っている。

 用途のわからない謎の空間だ。黒い月の中において、この場所は異質そのもの。だけど、俺はなんとなくこの空間が存在している意図を察することができた。

 

「出てこいよ」

 

 待ち受けている何者かがいる。その程度のことは誰にだって予想が付く。

 ただ、俺にはそれが何かも想像が付いている。

 

「居るのはわかっているぞ、蜘蛛野郎」

 

 ここは始めてマドカと戦った場所に似ている。

 周りと協調しようとすらしていない異質な空間をわざわざ用意した敵の意図。

 以前に戦ったことのあるIllをコピーしたようなフォビアシリーズの存在。

 この二点から考えられる可能性は、マドカと似た戦い方をするフォビアシリーズが待ち受けていることくらいだ。

 

 俺の呼びかけに応えたわけではないだろうが、奥からやってくる影がある。

 輪郭は人とはほど遠い多脚型。周囲に漂うBTビットは糸を張るために使うことを俺は知っている。

 

『我は蜘蛛に恐怖する(アラクノフォビア)。故に蜘蛛を支配する』

 

 名乗りと共に敵のビットが壁の方へと散っていく。このまま放置すれば部屋中に糸を張られて面倒なことになるのは経験済みだ。

 

「スターライトmkⅢ、展開」

 

 右手を横に突き出してラピスから借りた武器を手に取る。

 先手必勝。即座に発射。

 敵のいない方に発射しても全く関係はない。最初から狙いは敵本体でなくビットの方。

 フレキシブル起動。複雑な形としていてもラピスのBT技能があれば部屋中のどこでも狙い撃てる。曲がりくねった蒼の弾丸は敵のビットを撃ち抜いた。

 まずは一機。そして、この時点で俺は既に3発ほど発射済み。それぞれが各々の対象へとカクカク曲がりながら追尾していく。

 四機破壊。その間も俺は休まず連射。その全てが敵のビットを正確に射貫いた。

 

 敵もこのまま黙っているわけがない。

 蜘蛛の胴体最前面に砲口が開く。たしかこれは威力重視のAICキャノンのはずだ。PICCは一定以上の強度となるとEN兵器を掻き消すという話もあって、AICキャノンの一部はENシールドをも貫通するらしい。

 動けないなどのデメリットはあっても、有り余るくらいのメリットも存在している武器。撃って当たれば勝つというシンプルな強さがある。

 おまけに単調な射撃に終わるとは限らない。BT適性の高いものが扱えば曲がる弾道も使える。遮蔽物がない状態で向き合っているこの状況は非常にまずい。

 俺が柱の陰に移動するよりも先に、蜘蛛のAICキャノンが火を噴いた。

 

 イグニッションブーストで避ける? それは不確かな方法だ。相手がマドカのコピーだとするならBT適性は高い。後出しで曲げられれば、俺は避けきれずに被弾する。

 雪片弐型で斬り捨てる? 当てられる可能性が低い上に、もし砲弾に雪片弐型が負けたら、これもまた俺が被弾する。

 

 つくづく俺の打てる手だけじゃ勝てない相手がごろごろしている。

 だから俺は俺以外の力を借りてでも勝つ道を選ぶ。

 右手を前に突き出す。

 掌を砲弾に向け、意識を集中。いつもより格段とゆっくりに見える世界の中で、目に見えない意識の網を張り巡らせ、目標となる砲弾に集中的に絡ませるイメージを確定させる。

 最後に網と砲弾が重なったほんの一瞬を逃さず、掴み取る!

 

 砲弾は止まった。空中で静止したまま、内包していた破壊力を完全に失っている。

 

「初めてやったが、こいつは俺だけじゃ無理だ」

 

 これはピンポイントAICという特殊技能。俺が普段格闘戦で使っているAICと違って、あらゆるものの動きを止めるという防御的な使い方が主になるのだが、タイミングがシビア過ぎて使い物になるような代物ではない。実戦に投入できている達人はランカーの中でもほんの一部だけであり、ヴァルキリーでもできるとは限らない分野だと聞いている。

 

「さて。攻撃はもう終わりか?」

 

 敵からの追撃はない。だったら今度は俺の番。

 スターライトmkⅢから雪片弐型に武器を変更する。

 やはり使い慣れた武器が一番だ。

 イグニッションブーストで接近ついでに足の一本を切り取る。返す刀で反対側の前足を一本。

 残った足のうちの一本がENブレードを展開して振り下ろしてくる。出力規模はエアハルトの剣(リンドブルム)くらいか。普通のISにはできない構成をフォビアの基本性能で実現しているあたり、ISの上位互換のような相手だと思い知らされる。

 だがISも負けてられない。人が使っているISにはフォビアに対抗しうる特殊な力が宿ることもあるのだ。

 

 敵のENブレードに対して、俺は雪片弐型を真っ向からぶつける。

 干渉は起きない。雪片弐型に触れた敵のENブレードは砕け散り、俺の攻撃は蜘蛛の本体にまで達する。

 これが単一仕様能力“零落白夜”。マドカから受け取った千冬姉と同じ力はあらゆるEN兵器やファルスメアに一方的に打ち勝つ最強の剣を作り上げる。

 ここで攻撃を止める理由はない。続けざまに斬りつけ、蜘蛛の分厚い装甲を解体。内部に別の機体が入っていることはなく、フォビアのコアが露出した。

 

「終わりだ」

 

 コアを突き刺す。零落白夜の前にはシールドバリアなど意味を成さない。絶対防御のない無人機のコアを守るものはなく、刺し穿たれたコアは次々と亀裂が入って最終的に砕け散った。

 

「……先を急ぐか」

 

 過去の強敵を倒したけど達成感なんてまるでない。

 口にした言葉通り、先を急ごうという思いしかなかった。

 

 

『つれないね~。折角、束さんがいっくんのために用意してあげた門番だったのに』

 

 

 先へと向かう俺の背中に声を掛けられる。正確には頭上から声が振ってきた。

 上を見上げても遺跡っぽい石の天井しかない。どうやら声だけのようだ。

 この声の正体はこの先で待ち受けている。

 

「門番? ってことはもうすぐそこがゴールか?」

『まだもうちょっと距離はあるけど、アラクノフォビア以上の障害は置いてないね』

「それをわざわざ俺に教えてくれるんだな」

『嘘を言ってもしょうがないからね。早くおいでよ。ここまで来たのなら逃げも隠れもしないよ』

「そりゃどーも」

 

 おそらく本当のことを言ってるだろう。もしこれが嘘で、フォビアシリーズが三体待ち受けていたとしても俺が引き返す理由にはならない。立ちはだかるのなら全て打ち倒す。今日の俺に退路はなく、活路は常に前にある。

 

『でも、ちょっと聞いていいかな?』

「さっき俺も質問したからな。いいぜ、言ってみろよ」

『いっくんは外がどうなってるのか知ってるの?』

「外、か。ラピスやリン、皆が割とやばい状況になってるのはなんとなく知ってる」

『敗色濃厚だよ。このまま無駄に無人機に蹂躙される運命にある。どうせこの世界の住人になるのなら、酷い目に遭わない方がいいのに、頭悪い奴ばっかだ』

 

 一瞬だけ、リンの顔が浮かんだ。

 動けない俺を置いて去って行った、妙にすっきりした寂しい笑顔。

 その後に起きた惨状が、この決戦の至る所で発生している。

 

「じゃあ、賢いってなんだ?」

 

 苦しいと思うことから逃げたいのは本能だ。だから楽な方へ逃げることを賢いというつもりなのだろう。俺はそういう生き方を否定するつもりはないし、俺自身も嫌なことからは割と逃げている。

 でも、俺は言いたい。必ずしも逃げることと諦めることはイコールなんかじゃない。必要ない苦労からは逃げるけど、やりたいことを諦めてまで逃げる道は選びたくない。

 

「酷い目に遭うかもしれないのがどうした? その可能性があってもなお“お前の世界”を受け入れるなんてまっぴらごめんだってことだろ。実際、誰も諦めてない」

『お仲間が負けてるのに、いっくんはまだ私を受け入れてくれないんだね?』

「これは俺が望んで始めた戦いだ。たとえ皆が負けても、俺自身がまだ立っている限り戦うのをやめるつもりなんてない。負けはあっても挫折だけはない」

『責任感?』

「いいや。我欲だ」

 

 少し強い言葉を使ったけど、あながち間違ってない。

 俺は俺のしたいようにしている。この戦いに参加した皆もやりたいことをやっているはず。中には責任感とか義務感で戦ってる人もいるだろうけど、それはそれで個人の自由だ。

 

『存外、くだらないね』

「理解できない、と受け取っておく」

 

 これ以上、顔が見えない状態で話すこともない。

 先をふさぐ石の扉を蹴り開け、俺は奥へと突き進む。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 10年前の白騎士事件は少女、更識刀奈の人生を大きく変えた。

 

 ちょうどその頃、父である先代の楯無が不慮の事故で死亡し、後継者のいない更識の次期当主を誰にするかで揉めていた。

 直系は娘が二人。男はいない。楯無の名は男が引き継ぐものであったため、更識家の者たちは暗部の一族の中から優秀な男を養子として迎え入れることも視野に入れていた。

 養子として迎え入れる。それは娘のどちらかと婚姻させるということ。当時、まだ7歳だった刀奈はその意味を理解していたし、更識の娘として覚悟もできていた。

 だが候補に挙がった男を見て考えを翻した。軽薄なお調子者のようでいて、道化を演じながらも目だけはいつも笑っていない。当時15歳だった少年に心から嫌悪感を覚えていた。

 少年の名は、平石羽々矢。

 ――“アレ”を更識家に入れてはならない。

 そんな直感が働いていた。理由はわからなかったが、受け入れることはできなかった。

 刀奈は己の感情を律することが出来なかった。結果、許嫁として白羽の矢が立ったのは妹の簪の方だった。それは自分が生け贄になることよりも刀奈を苦しめた。

 無力さに打ちひしがれていた。そんなときに白騎士事件が起きた。世界を支配していたシステムが崩壊し、世界には新しい秩序が求められることとなる。

 新しい秩序の中心には“女性”が必要だった。

 渡りに船。刀奈は当主代行となった祖父から提案されることとなる。

 ――お前が楯無になれ、と。

 

 以来、刀奈は楯無とならねばならなかった。

 楯無は凡人であってはならない。

 常人であってはならない。

 優秀でなくてはならない。

 致命的な敗北をしてはならない。

 勝負事を始めれば、必ず勝って終わらなければ許されなかった。

 

 最初は義務だった。

 だが今では更識刀奈の生き方として定着している。

 楯無としての自覚は彼女をより高みへと導いてきた。

 

 ……そんな強いはずの彼女が勝利を諦めざるを得なかった。

 対峙している敵の強大さがハッキリとしすぎている。努力だけでひっくり返らない何かがうっすらと感じ取れてしまうほどの実力差が見えてしまった。

 楯無であろうとした。だが思ってしまったのだ。

 歴代の楯無はタイマンでこの怪物を打ち倒せるのだろうか、と。

 

 敵は男ではない。獣の類い。がむしゃらに暴力を振り回し、獲物を蹂躙する本能で動いている。

 勝利までのイメージが固まらなかった楯無は集中力すら欠き、敵から意識を逸らしてしまっていた。

 その間、1秒あるかないか。

 気づけばデモノフォビアの赤い爪が目の前にある。

 避けられない。かといって受け止めることなどできず、受け流せるタイミングも過ぎている。

 明確な敗北。更識楯無にとっての死が確実に迫っていた。

 

 ……戦闘中に初めて目を瞑った。物理的に閉じただけではない。心の底から現実に目を背けたのだ。

 ISの目を閉じても脳裏に映る視界も、意識が拒めば闇となる。

 暗い。何も感じない。来るであろう衝撃は微塵もなく、むしろ水の上で浮いているような心地よさすら覚える。

 現実逃避の結果にしてはあまりにも不自然だった。考えにくい可能性だったが、デモノフォビアが途中で気を変えて離れていったのだろうか。それとも他の何かがあるのか。

 好奇心が勝り、再び目を開く。

 すると目の前には当然、デモノフォビアがいる。

 だがデモノフォビアと楯無の間にいつの間にか割って入っていた男の背中があった。

 

「こういう役回りは織斑だろうに。面倒くせぇ。オレは誰かを守る戦いなんて向いてないんだっての」

 

 悪態をつく男は驚くほど手入れがされていない伸ばし放題の銀髪が特徴的だった。ふっくらとした髪の量のためか、いつの間にかついた通り名がある。

 

「“銀獅子”がどうしてここに……?」

 

 裏の世界での有名人。どこかの勢力に肩入れすることなく、紛争地帯にふらりと現れては手段を問わず戦闘を終わらせる伝説の傭兵がいた。ツムギが活動を始めた頃に行方不明となっていた男が何故かISVSという戦場に現れている。

 

「オレを知ってるのか、不法侵入女子高生」

「え――まさか、あのときの暴力教師!?」

「しまった! 正体がバレた!」

 

 などと間抜けな声を上げた銀獅子だが、間抜けなのは声だけだ。デモノフォビアの右手首を正確に掴み、力だけで押さえつけている。

 デモノフォビアが左手の爪で斬りかかろうとする。だがその初動に対して左後ろ回し蹴りがデモノフォビアの顔面に炸裂。鉄壁を誇っていたデモノフォビアの顔面を歪ませ、吹き飛ばした。

 

「お嬢さん。オレの正体は藍越の生徒には黙っててくれ」

「言えないわよ、そんなの。どう考えても私の頭がおかしいって思われるに決まってるじゃない」

「だろうな」

 

 銀獅子のISはフレームこそラファールリヴァイヴであるが、全く装備を展開していない。デモノフォビアとの戦闘も徒手空拳のみである。距離が開いても武器を出す様子はなく、拳のみでデモノフォビアに対峙する。

 

「素手、なの……?」

「素手なわけがないだろ。ISという凶器を使っている」

 

 男の戦い方はおよそISVSらしくない。だがISの性能を極限にまで引き出している戦い方である。

 ISが凶器という認識が彼にはある。一般人にとってISは武器を使うためのスーツだが、彼にとってはISさえあれば武器はおまけ程度でしかない。

 消えたかと錯覚するほどの静かなイグニッションブーストで銀獅子はデモノフォビアを追った。礼を言う暇も無いまま呆気にとられていた楯無はその場に残される。

 

「まだまだ私も小娘なのね……」

 

 伝説の域にいる者の戦いの一部を目の当たりにしただけで距離を感じた。まだ遠い。13位のランカーである楯無だが、上位10人はまだまだ手の届かない存在だ。銀獅子のようにランキングに載っていなくともヴァルキリーに匹敵する者もいる。世界は広い。

 デモノフォビアの脅威が去って、楯無は冷静さを取り戻していく。やはり事前の自己分析のとおり、デモノフォビアは楯無が無策で戦える相手ではなかった。敗色濃厚な戦いをいかに避けるのか、という視点で物事を考えなかった。成長した己の実力に胡座を掻いたツケが回ってきたのだろう。

 結果的に助けられた。これは単なる僥倖。二度目はないと言い聞かせて、自分が楯無であるという自己暗示をかけていく。

 

「まずは状況の把握から、かな。ナノマシンを吹っ飛ばされたから何も情報がないわ」

 

 ナノマシンを散布し、わかる範囲での情報を集める。

 デモノフォビアが暴れていた影響からか、近くにゴーレムはなく、味方プレイヤーの姿もない。ステルスで隠れているISもない。

 ただ、PICの反応が一つだけあった。人が入っているISだ。しかし味方プレイヤーではないと断言できる。

 なぜなら、その顔には見覚えがある。そして、楯無しかいないこの場所にやってくることに何の違和感もない男だ。

 

「来たのね、ハバヤ」

 

 細長い黒い霧を体に纏わり付かせた男は楯無の知るとおりのハバヤだった。

 一つ違うとすれば、建前の仮面を脱ぎ去っていることくらいか。だが本質を知っている楯無が驚くことは何もない。

 

「さっきまで泣きそうだった子猫ちゃんが粋がってんじゃねえよ!」

「自分は後ろに隠れてるだけで、煽りだけは一人前。救えないわね」

 

 煽りには煽りで返す。デモノフォビアに屈していた楯無だが、この男にだけは負けられない。たとえ子供っぽい口喧嘩であっても(おく)れを取ることは許せなかった。

 たとえ虚勢を張ってでも周囲に自らの強さを示そうとする点は共通している二人。だが、誰のために張る虚勢かどうかは大きく異なっている。一方は大切な妹のため。もう一方はひたすらに己のため。

 この遭遇が単なる煽り合いで収まるわけなどない。言葉の応酬の裏では既に敵を討たんとする一手が始まっている。

 爆発。前触れもない一撃が二人から離れた箇所で発生した。

 楯無の舌打ちが鳴る。

 

「バレてた」

「当たり前だろ。BTナノマシンってのはBT使い以外に使うもんだ」

 

 先制攻撃を仕掛けようとしていたのは楯無。相手と会話しながらも強かに敵を討つ手を実行していた。

 だがそれはハバヤには見えている。BT使い同士の戦闘ではナノマシンの存在をお互いが把握した状態であることが前提となる。当然、楯無にもそういう認識はあるが、彼女はハバヤのことをBT使いと扱っていなかっただけのことだ。

 

「まあ、落ち着けよ、更識楯無。オレ様は戦いに来たわけじゃねえ」

「それは命乞いなのかしら? 聞く気は無いけど」

「言葉に気をつけろよ。オレ様の気分次第でテメエはすぐに消え去ることになる」

 

 ハバヤの煽りが控えめになり、楯無の調子の方が狂う。弱者扱いされればすぐに怒りの沸点を超えるはずのハバヤが落ち着いている。つまり、戦闘の弱さをコンプレックスとしていない。

 この点は楯無の知るハバヤとは違う。イーリスと戦闘して圧勝したという、にわかには信じられなかった情報も嘘ではないのかもしれないと思い直した。

 積極的に挑発していた楯無がその矛を引っ込めると、ハバヤの顔には愉悦が浮かぶ。

 

「理解してくれて何より。気分がいいから少しネタ晴らしをしてやんよ」

 

 楯無の返事など待たない。

 ハバヤは自分が心地よい気分に浸るためだけに語る。

 

「圧倒的な物量を誇る無人機軍に対し、人類はISVSプレイヤーを総動員して立ち向かった。だが戦力差を覆すことはできず、プレイヤー軍は一縷の望みを抱いて、英雄を敵の本陣に送り込む決死の作戦を敢行する。ボスさえ倒せば勝ちなんだからな」

「そうね。私たちはヤイバを黒い月に送り込むことに成功した。彼は必ず勝ってくれると信じてる」

 

 楯無がしたり顔で返す。

 対するハバヤは――深く頷いた。

 

「オレ様もヤイバが勝利すると信じている」

「え……?」

 

 完全に想定外な返答。どのようにしてハバヤの裏をかくか思考を巡らせていた脳内が全ての議論を放棄して呆気にとられる。

 

「勘違いしてもらっちゃ困るぜ、更識楯無。テメエらは今の状況を勝ち取った気でいやがるが、オレ様の敷いたレールに従って突き進んできたに過ぎねえんだよ!」

「あなたの、筋書き……?」

「無人機軍には膨大な戦力がある。個体の性能でもヴァルキリーと張り合えるフォビアが何体もいる。そして、防衛の布陣を敷いたのはオレ様とまできたもんだ。まともにやってテメエらがルニ・アンブラに入れるわけねーだろ」

 

 目を丸くする楯無に気を良くしたハバヤはさらに饒舌となる。

 

「当然、オレ様の目的は無人機軍の勝利なんかじゃねえ。むしろ、あんな篠ノ之束の遺物なんか全滅しちまった方がせいせいする。ま、その力だけは欲しいけどな」

 

 敵に与しながらもその勝利を願っていない。

 ということはハバヤは無人機軍に入り込んだ人類側のスパイなのか。

 楯無の答えは――否。

 

「あなたは人類の勝利も望んでいない」

「流石、オレ様のことを良くわかってるじゃねーか」

「共倒れが狙いなの? あなたが支配者になるつもり?」

「悪くねえ。だがオレ様は悟った。オレ様には王の資質がない。自分本位なオレ様は他者の征服はしても管理や支配は性に合わねーんだ」

 

 またも楯無の知らないハバヤの顔が覗く。

 楯無の名を欲していた男が支配に興味が無いと言い出した。

 資質がないと言った。つまり――

 

「王となるべき何者かがいる?」

 

 資質のある人間をハバヤは知っている。少なくともハバヤが王と認めた者が存在することを意味している。

 

「今日のテメエは察しが良くて話が早い。そう、オレ様は偽りの神を崇める気なんてさらさらねえ! 王は他にいるからなぁ!」

 

 ハバヤに纏わり付いていた長細い黒い霧が肥大し、各々の先端が狐の顔を模した。黒狐の牙は全て楯無に向けられる。

 戦いに来たわけではないと断言した。ハバヤにとってそれは嘘などではない。彼は楯無を()()()()()()ために来たのだから。

 

「ネタ晴らしはここまでにするか。続きは冥土の土産として語ってやんよ!」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 蒼い閃光が飛び交っている。多数対多数の射撃戦であるが、その担い手はどちらの陣営も単独であった。

 片や人類最高のBT使いである“蒼の指揮者”、ラピスラズリ。EN弾の軌道を曲げる偏向射撃を得意としており、曲げるだけに留まらず複数のEN弾を維持することすらも可能としている彼女の支援射撃の密度と精度はISのみで編成された軍隊を相手にしているようだと賞賛されている。

 片や人類の敵として立ちはだかる無人機の特異個体、フォビアシリーズの一角であるアテロフォビア。一部の例外を除き、一芸に特化した怪物たちの中で、アテロフォビアはBT技能に特化した個体である。ヴァルキリーに匹敵するとされる戦闘能力を持つBT使いはプレイヤーの中には存在していない。

 BT使いの最高決戦とも言えるこの組み合わせだが、根本的に土俵が違っている。

 ラピスは裏方。アテロフォビアは前線。お互いに向かい合っての戦闘となれば、明らかにアテロフォビアの方が有利である。

 だがラピスはまだ膝を突いていない。敵の全ての射撃に対して、ラピスは自分の射撃を当てて相殺を繰り返した。

 

「頭が破裂しそうですわね……」

 

 操縦者保護機能が働いているにもかかわらず、ぜえぜえとラピスの呼吸が乱れている。支援射撃に専念できる後衛と違い、矢面に立ちながらの複数同時偏向射撃は確実にラピスの思考能力を限界突破させて熱を上げていく。

 相殺合戦の手数はほぼ互角。BTビットから放たれる一度のビームの生成量はアテロフォビアの方が上であるが、同時に操作できる偏向射撃の数ではラピスが上回っている。無駄弾のない攻撃効率によってラピスは状況を維持できていた。

 だがもう限界が近い。ISの保護があっても、操縦者の精神力までは支えられない。集中力が切れたとき、ラピスは敵の攻撃に晒されることになる。

 

 このまま戦闘が継続するだけで危険であった。

 さらに状況は悪化する。

 ここまで一対一であったのに、次々と近づいてくる機影があった。

 

「ゴーレム……」

 

 既に手一杯なラピスにはたとえゴーレムが一機だけでも相手にする余裕はない。

 ゴーレムの部隊が押し寄せてきている。これらが来てしまえばもうラピスに抗う術はない。

 視覚的な情報は否応無しに絶望を押しつけてくる。

 たとえ表向きは気丈に振る舞っていても、心の奥底ではバタ足で必死に足掻いている。

 気持ちに余裕などなく、一つのことに集中するなどできようはずもない。必ず隙が生まれてしまう。

 

「あ――」

 

 敵のビームの相殺に失敗した。ラピスのEN弾はコントロールを失って明後日の方向へ。アテロフォビアのEN弾は曲がりながらラピスへと向かってくる。

 自分が動いて回避する余裕もなかった。脳は限界を超えて情報を処理している。敵の攻撃が迫っているという情報が脳に届いても、どうするべきかという判断が出るまでのラグが大きい。

 ビームが着弾し、爆発を引き起こす。

 ……ラピスのすぐ手前で、だが。

 

「どういうこと、ですの?」

 

 またもや視界に飛び込んできた情報を脳が処理できていない。

 アテロフォビアの攻撃からラピスを守るように立ちはだかったのは知った顔でなかったばかりか、人間ですらなかった。

 無人機(ゴーレム)が腹に風穴を開けている。身を以てEN弾の威力を殺した人形は何も言わぬまま、砕け散った。

 

 状況に理解が追いつかないラピスは隙だらけとなっている。

 偏向射撃の一つもしていない。ビットの操作すらもしていない。

 そんな無防備を晒しているにもかかわらず、アテロフォビアからの追撃はなかった。

 なぜならば、アテロフォビアにはもうラピスを相手にするだけの余裕がなかったからだ。

 

「なぜ、ゴーレムがフォビアを襲っていますの……?」

 

 近づいてきていたゴーレムの大部隊はラピスを狙っていたわけではなかった。

 援軍は援軍だった。しかし陣営が違う。ラピスの援軍として駆けつけたゴーレムだったのだ。

 ラピスは即座に星霜真理を起動する。コア・ネットワークを通じて援軍のゴーレムの正体を探る。だが返ってくる内容は『敵のゴーレムである』という事実だけ。

 

 意思を持たないゴーレムが敵の陣営を裏切った。

 あり得ないことが起きている裏には必ず“単一仕様能力”があると考えるのがISVSの常識。

 そう思い至った瞬間、ラピスはこの事態を引き起こした人物の正体に行き着いた。

 

「エアハルト……ヴェーグマン……」

 

 ゴーレムの群れに紛れている唯一のISを発見する。

 竜を模した装甲を纏ったISの操縦者はかつてヤイバと死闘を繰り広げた男。この決戦に参加したプレイヤーの中でランキングの最高位に座る男の右手はあらゆるISを支配下に置く。

 

「つくづくナンセンスだ。蒼の指揮者が前線で戦っている作戦もだが、こうして私がヤイバの女を守らねばならない事実も慙死(ざんし)に値する」

 

 ラピスの窮地を救ったのはエアハルトの単一仕様能力“絶対王権”。右手で頭かコアを掴んだ対象ISに命令を与え、意思に関わらず強制的に従わせるという強大な力である。

 問題はこの力を使う制限である()()ということ。決して大多数に対して有効な手段ではなく、エアハルトの戦闘能力ならばいちいち敵を掴んで回るよりも攻撃した方が早い。

 にもかかわらず、手間を惜しまずにゴーレムの部隊を配下とした理由は一つ。

 倒すための戦闘でなく、守るための戦闘をするからである。

 

「わたくしは守ってくれだなどと言っておりませんわ」

「貴様の都合など知らぬ。私はあの男に借りを返すために、貴様を守らねばならない」

「あの男? ヤイバさんですか?」

「虫酸が走る冗談だ。私がヤイバのために戦うことなどあり得ない」

「では、一体――」

「黙っていろ、蒼の指揮者。貴様はただ私が敵を蹂躙する様を眺めていればいい」

「あなたの目的は? どうしてこの戦場に?」

「依頼を受けた。契約を交わした。私は貴様たちを勝利に導く。他ならぬ私自身のために。これ以上の返答は要るまい?」

「……そうですわね」

 

 ラピスはそれ以上、エアハルトに追求する気にはなれなかった。

 ヤイバと対照的だった男。自分のためでなく、他人の理想を掲げて戦っていた造り物の男が『自分自身のために戦う』と言ってのけた。

 エアハルトは改心などしていない。しかし、彼の中で何か変化があったことは確実である。

 

「お言葉に甘えて、わたくしは見物させていただきますわ」

「そうするといい。ヤイバが勝つために、貴様はなくてはならない存在だ。生き残ることこそが貴様の真の戦いであると心得ろ」

 

 去って行くエアハルトを見送ったラピスは武器を全て拡張領域に仕舞う。これらの武器はヤイバが必要とする可能性のある力だ。下手に戦って壊してしまうわけにもいかない。

 周囲から敵がいなくなる。敵地の真ん中で安全を確保できてしまったラピスは黒い月に向き直って目を閉じた。

 

「わたくしは祈りましょう。我々の勝利を。何よりもあなたの勝利を」

 

 満身創痍のラピスは祈りを捧げる。

 最後の戦いへと臨むヤイバの勝利と、彼と共に過ごす未来を願って……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ENブラスタービットから放たれた光線がゴーレムの頭を貫く。だが頭部を失ってもなお活動しているゴーレムは水色ドレスのアテロフォビアに果敢に飛びかかっていく。すれ違いざまに一刀両断にされるゴーレムだが、機能停止するまでの僅かな時間に発射したビームが水色ドレスの肩部を引き剥がしていった。

 恐れを知らぬばかりか、自らの命も知らないゴーレムの部隊がアテロフォビアに次々と群がっていく。多数のビットから放たれるビーム攻撃もゴーレムの足を止めることは適わず、アテロフォビアはじりじりと後退を余儀なくされていた。

 ラピスラズリに対して行った戦術をそのままそっくり返されていた。手駒だったはずのゴーレムは全て寝返り、反旗を翻したゴーレムは一つの意思の元に統制された軍隊として動いている。

 否。軍隊と呼ぶには語弊がある。ゴーレムたちは正しく一つの意思によって動いている、言わばBTビットと同じ扱いだった。

 

「ふむ。流石は篠ノ之束といったところか。ウォーロックのリミテッドとは比べるべくもなく基本性能が高い。AIの方は戦術や戦略というものを知らないお粗末な代物だが、方向性を示してやればどうとでもなる」

 

 ゴーレムの部隊を操っているエアハルトが独り言を垂れ流す。操っていると言ってもエアハルトが下した命令は『玉砕覚悟でアテロフォビアに突撃し、撃墜しろ』のみ。多数に細かい命令をするような手間はかけられず、『従え』などの曖昧な命令は意味を成さないという制約があった。その程度でも一定の効果が得られているのはゴーレムの個体性能の高さと言える。

 当然、エアハルト本人も高みの見物を決めているわけではない。宇宙というステージではエアハルトの移動スタイルである『初速のみイグニッションブーストによる慣性航行』が優位に働く。大気圏内よりも機動力を増した竜のISは縦横無尽に宇宙を駆け巡り、アテロフォビアのBTビットを一つずつ斬り捨てる。

 “完全”を自称するアテロフォビアがたった一機のISに圧倒されていた。特異な単一仕様能力による結果ではあるのだが、単純な力に差があるとも言えてしまう。何より、負けという結果が出てしまえば“不完全”の烙印を押されて仕舞いかねない。

 ……少なくともアテロフォビアにとってはそうなのだろう。

 

「アアアアアアアアア!」

 

 確実に迫ってくる敗北の足音を聞き、悲鳴を上げた。

 残ったBTビットは三機。残り全てを使い、エアハルトに向けて一斉射撃をする。偏向射撃を駆使して三方向から同時に攻撃するも、エアハルトは回転しながらリンドブルムを振り回して全てを叩き落とした。

 いくら曲げられても消されてしまえば意味が無い。かつてラピスがエアハルトと対峙した際に経験した偏向射撃の攻略法は誰にでもできることではないが、エアハルトという男はいとも簡単にやってみせた。

 二回目の一斉射撃をする間もなく、アテロフォビアの操るBTビットは食い散らかされた。残された武器はENブレードのみ。

 もう格闘戦しか残されていないアテロフォビアをゴーレムが襲う。一体程度ならば余裕を持って斬り返したアテロフォビアだったが二体、三体と増えるにつれて手が足りなくなり、四体目の拳をまともに受ける。

 フォビアの一角といえど、BT装備を失ったBT使いではまともな戦力として機能していない。手駒となるべきゴーレムに攻撃された時点で勝ち目などなかったとすら言える。

 この敗戦は必然。このまま名も無きゴーレムの手にかかって消えることとなる。

 そうした終わりを悟ったときだった。アテロフォビアにとどめを刺そうとしたゴーレムが一刀両断される。

 

「……これは誤算だ。この可能性を想定していなかった私の落ち度である。もっとも、ヤイバに後れを取った時点でこの結末は避けられなかったとも言える」

 

 ゴーレムを叩き斬ったのはエアハルトだった。彼はアテロフォビアに背を向けて、向かい来るゴーレムを迎え撃っている。

 自分で命令をしておきながら、自分でその対処をしている。その滑稽さを一番笑っているのは他ならぬエアハルト本人だろう。

 

「この数を再び命令し直すのは現実的ではない。命令を忠実に実行したゴーレムのどれかがお前を殺す方が早い」

 

 万全を期してゴーレムの数を揃えた。その手間と同じ労力を駆使しなければゴーレムを止めることは出来ない。

 ゴーレムはエアハルトの命令により、アテロフォビアのみを攻撃対象としている。エアハルトが囮となることも適わない。

 加えて、エアハルトにとっての敵は命令を遵守しようとしているゴーレムの大部隊に留まらない。

 背中にENブレードが突き立てられる。攻撃の主はもちろんアテロフォビア。いきなり現れた敵の背中を攻撃しない理由がない。

 そう、アテロフォビアにとってエアハルトは敵なのである。

 

「賽はとうに投げられていた。そういえば敵の中にあのハバヤもいたか。あの男らしい“他人”の使い方をしている」

 

 攻撃されたエアハルトはリンドブルムを拡張領域に片付け、体の向きを反転。勢いを殺さずに右手でアテロフォビアの頭を掴み取る。

 絶対王権を発動。強制クロッシング・アクセス。無人機からは流れてくる記憶などないのだが、アテロフォビアからは彼女の記憶が流れてきた。

 記憶の登場人物の中で最も頻度が多い人物。その顔をエアハルトは鏡越しでしか見られない。

 

「……すまないな、()()()

 

 アテロフォビアは無人機などではなかった。先ほど上がった悲鳴でエアハルトは気づいた。彼女は遺伝子強化素体のシビル・イリシットであるのだと。

 エアハルトの敗北後、慕う相手を失ったシビルはハバヤを頼った。Illの力をも手に入れていたハバヤはシビルを連れていき、兵器として改造を施した。戦力とするためでなく、自身の快楽のために。

 

「苦労を掛けた。許せとは言わない。存分に恨んで逝け」

 

 命令を下す。内容はアテロフォビアの放棄。今のシビルがアテロフォビアとのつながりを失えば、その存在を維持できずに消滅する。それでもエアハルトはシビルをアテロフォビアのままにしておきたくなかったのだ。

 命令と共にアテロフォビアの仮面が砕け散り、操縦者の顔が露出する。

 

「……はか……せ?」

 

 アテロフォビアから切り離されたシビルが目を開く。黒く染まっていない眼球の中で輝く金色の瞳は焦点が合っていない。

 

「シビルね……頑張ったんだよ」

 

 シビルが消えていく中、エアハルトは彼女の体を抱き抱えた。支配者の右手は彼女の頭をもう一度掴む。

 

「いい子だ。おやすみ、シビル。良い夢を」

 

 エアハルトの腕の中でシビルは満足そうに微笑んだ。完全でないと捨てられるのだと思い込まされ、辛いだけの戦いに身を置いていたことも最後の一瞬で忘れられたのだろうか。

 彼女が消え去った後もエアハルトはその場で立ち尽くす。

 

「仮初めの命が消えたとき、元から存在しなかったと考えることもできる。だが少なくとも、私がこの喪失感を抱えている間は彼女が生きていたと言える。そのはずだ」

 

 この幻のような世界でエアハルトは確かに仲間と過ごしていた。言葉を交わして、彼女らの未来のために戦っていたことに嘘はない。

 果たして彼女たちの存在は架空のものだったのだろうか。

 その答えは出ている。この胸の痛みこそが答えなのだと最近になって気がついたのだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 長い道のりだった。

 この決戦で進んできた道だけじゃない。

 ISVSと出会ってからの全てがそう思わせる。

 

 最初は一人だった。

 ラピスが隣に立ってくれた。

 リンやバレットたちも戦ってくれるようになった。

 今まで関わらなかった多くの人たちとも共に戦うようになった。

 

 少しずつ、俺にできることが増えてきた。

 敵を倒して、誰かを助けてきた。

 その全ては、本当に助けたい彼女のため。

 何も出来なかった俺じゃなく、彼女を助けられる俺がここにいる。

 

「ナナっ!」

 

 最後の扉を蹴り開けると、床一面が鏡のような水面となった不思議な空間に出る。

 後ろに目を向けると俺の入ってきた入り口はもうない。つまり、ここは特殊な場所。敵のワールドパージの中に入り込んだということだ。

 

「そこは呼ぶ名前が間違ってるんじゃないかなー、いっくん?」

 

 果ての無い水面の中心で水色ワンピースの女性が立っている。

 彼女こそが全ての元凶。箒を今もこの世界に閉じ込めている黒幕だ。

 俺は迷わず、雪片弐型の切っ先を向ける。

 

「ナナを返してもらうぞ!」

 

 今度こそ、彼女を取り返す。

 7年前の約束を果たしたいなんていうのはおまけだ。

 俺は彼女と一緒にいたい。それだけだ。


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