Illusional Space   作:ジベた

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51 天空を開く一振りの閃き

 空から黒い穴が消えていない。

 12月31日、大晦日。隕石出現の第一報から既に丸2日以上が経過していた。当初の衝突予想時刻はとうに過ぎているにもかかわらず、地球への衝突も隕石の消滅もないまま、今に至るまで状況は変わっていない。

 

 この日になって、日本の人々の反応は前日とは打って変わっていた。

 昨日までは世界中のISが問題解決に動いていることから、9割以上の人間が危機感を覚えていなかった。その理由としてはやはり10年前にもっと大きな災害を無傷で乗り越えてしまっている実績がISにはあったからだろう。

 故に、早急な解決がなされていないのは一般人レベルでも想定外だと言える。

 

「今更騒ぎ始めても何も変わらないっての」

 

 どのチャンネルを見ても朝のニュースは大騒ぎだ。昨日は海外で起きた事件くらいの扱い方だったのに、今日は国内での大きな震災レベルでの報道が始まっている。地域によっては避難勧告も出ているらしいけど、どこに逃げろと言っているのかは甚だ疑問である。

 今朝の時点で空に見えている隕石は3つ目。国家代表たちが2つ目を破壊すると同時に次の隕石が迫ってきている。

 終わりが見えない災厄。もし隕石が一つ落下したとして、次が現れないと楽観視するものなどいないのは必然だ。自分たちの生活が脅かされなければいいだなどと他人事で居られる人間は地球上には存在しないと言いきれる。

 

「あ! この評論家、千冬姉の責任とか言い出しやがった! 千冬姉いなかったら地球が終わってるのわかってねえだろ!」

 

 テレビの出演者に悪態をついてると、勝手に画面がプツリと切れた。

 リモコンの行方を確認すると、セシリアが手に持っている。

 

「いつの時代であろうと、どのような状況であろうと、他人に悪意の矛先を向けなければ喋ることすらできない人間は存在します。嘆かわしいことですが、前向きな発言にもセンスが必要なのですわ」

「そりゃそうだ。俺にもそういう時期があったし」

「もちろん今は?」

「違うに決まってる。止まらないよ、俺は」

 

 席を立ち、胸ポケットにあるイスカを手で触れて確認する。

 いよいよこれから決戦が始まる。

 人類にとっては生き残りを賭けた仮想世界勢力との全面戦争。

 俺にとっては永く待ち望んでいたもの。願いを掴み、約束を叶えるための戦いだ。

 

「行こう、セシリア」

「はい。お供しますわ」

 

 泣いても笑ってもこれで最後だ。

 必ず、箒との約束を果たしてみせる。

 

 ――束さんのためにも。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 決戦予定時刻まで残り――――5時間。

 

 地球上のISVSプレイヤーたちに発せられた大イベントの情報は既に末端にまで行き渡っていると言っていい。これも五反田弾たちプレイヤーの有志の集まりや、倉持技研、デュノア社を始めとするIS関連企業が参加を広く募ったからであろう。事情を知らない人間からすれば、世界の危機にゲームをしている不真面目な連中とでもなるところだろうが、事情を知っている人間は最早少数派でなくなっていた。

 Ill。現実の人間の意識を奪っていく怪物の噂はヤイバがIllを倒すごとに信憑性を増していた。今回の隕石騒ぎもその延長線上であると定義するだけで、大晦日イベントが単なる遊びではないと考える人も少なくない。

 

 世界中の人々が地球滅亡の危機を自覚した。

 救世主が求められ、立ち上がった者は孤独な勇者などではなかった。

 たかがゲームのプレイヤーに過ぎない? 事実、そうであるかもしれないが、求められるのは結果のみ。

 生まれ持った才能が全てではない。

 大した境遇などなくとも、簡単な環境さえあれば権利は得られる。

 結果を出した者が英雄だ。

 ロールプレイなどではない、本当の戦いが待っている。

 戦う力を手にしている男たちの少年の心に火が(とも)った。

 

 決戦イベントへの予定参加人数は数え切れていないという。

 当初の予定では倉持技研とデュノア社から報酬を用意するつもりであったが、そのような真似は必要なかった。

 

 お膳立ては残る一つの行程を以て終了となる。

 だがその最後の一つこそが最大のネック。

 主戦場としたい宇宙までの道はまだ開かれていない。

 

「さてと。予定していた戦力は集まったかしら?」

 

 地上で待機している戦艦アカルギの傍らで、リンは空を見上げた。

 ISVSの空はゴーレムの大軍によって埋め尽くされていて、朝だというのにひどく暗い。

 およそ現実的ではない(おびただ)しい数の敵勢力をいざ目の当たりにすると気が遠くなりそうにもなる。

 全てを倒す必要はないとわかっていても、これからそれら全てが牙を剥いてくるのだと思うと無理ゲーの4文字が脳裏に浮かぶ。

 一応、リンはその不安を覆すだけの仲間を用意したつもりだった。

 

「鈴ちゃんファンクラブは全員が強制参加。むしろ参加するなと言っても聞かない連中ばかりだけどね」

 

 まずはサベージやバンガードら鈴ちゃんファンクラブの面々。私生活において面倒だとしか思えない連中だが、危機に立ち向かおうとするリンを全面的に支える彼らの存在は実力以上にリンを支える柱となってくれる。

 

「さっき、“更識の忍び”も到着してたみたいだよ」

「簪も来るからね。忍びの人たちはあの子の護衛も兼ねてるみたい」

 

 簪はアカルギのブリッジ要員としてこの作戦に参加する。戦闘面での彼女の活躍は最初から期待していないが、護衛として付けられた更識の忍びは十分な戦力である。

 リンにとっての勝利はアカルギを宇宙に送り出すこと。簪がアカルギ内にいるのならば、アカルギの護衛は勝利条件に直結する。目的はほぼ同じと言っていい。

 

 他、集められる知人はまだいたのだが、リンは敢えて選択肢から外した。

 作戦目的は戦艦一隻の強行突破。まだ大きな作戦が控えている以上、無駄に戦力を浪費するつもりはない。そんな昨日の自分の主張を馬鹿正直なまでに実践している。

 

『リンさん。ラピスですわ』

 

 作戦開始まで間もない。そんな折り、ラピスからの通信が届く。

 

「何よ、唐突に。今更、あたしには任せられないとか言い出すんじゃないでしょうねぇ?」

『まさか。わたくしにはわたくしの役割があります。ここはリンさんにしか任せられません』

 

 リップサービス。

 少なくともリンにはそうとしか思えなかった。

 

「嘘ね。アンタの役割はこの次だけ。だから今は暇なんでしょ?」

『正確には“何もしない”のが今のわたくしの仕事ですわ。暇などありませんの』

 

 リンも知っている。いざ全面戦争が始まったとすれば、ラピスは膨大な数の味方に指示を下す立場になる。今までの比ではない負荷が彼女の脳にのしかかることがわかっているからこそ、できるだけ決戦までラピスを温存しておく必要があった。

 あくまでラピスの代理。ヤイバの代理。そう言ってしまえば虚しくもなる。ただ――それは誰にでも務まるものではなかった。

 

『わたくしとヤイバさん。二人が揃って他の誰かに任せられるとしたらリンさんしかいませんわ』

「単に共通の知り合いがあたしだけだからなんじゃ……?」

『もっとご自分に自信を持ってくださいな。あまりネガティブなことばかりおっしゃっていると、わたくしのライバル失格ですわよ?』

「え……?」

 

 思わぬ一言だった。

 ラピスにとっては何気ない一言だったのかもしれない。

 しかし、リンにとっては重要なキーワードがあった。

 

「ライバル……? あたしが……?」

『ええ。ヤイバさんのことを昔から知っていたリンさんに嫉妬しました。ヤイバさんの些細な変化を見逃さない観察力に尊敬すらしていました。わたくしの目指していた男女の関係にリンさんなら簡単に辿り着けてしまえるとすら思えますわ』

 

 ……ずっと劣っていると感じているのは自分だけだと思っていた。

 後から来ておいて、当たり前のようにラピスは一夏の隣にいた。

 ずっと妬ましく思うと同時に、羨ましかった。尊敬すらしていた。

 そんなラピスが実は同じ事を自分に対して感じていたなどと想像すらしていなかった。

 

「同じなのね、あたしとラピス」

『ええ。ですから、リンさんなら大丈夫と言い切れるのです』

「アンタ、前より自信過剰になってない?」

『それは当たり前ですわ。今のわたくしを全肯定してくれる人がいますから』

 

 誰か、などと尋ねるまでもなかった。

 今のリンを全肯定してくれる誰かをリンも知っている。

 

「よし、吹っ切れた。あんがと、ラピス」

『お気を付けて。日付が変わってからISVSからログアウトできなくなりました。おそらくは仮想世界全体がIllの領域とされてしまっています』

「元々2度目の挑戦なんてないでしょ?」

『ええ』

「だったら問題ないわ。例えあたしが倒れたとしても、アカルギさえ宇宙に辿り着けばラピスたちの戦いが始められる。あたしが仮想世界に閉じ込められたとしても、皆がすぐに解放してくれる。それでいいじゃない」

 

 敵が仕掛けてきている障害はもうこれ以上重ねたところで意味をなしていない。

 元より背水の陣。これ以上の逆境など蛇足に過ぎず、戦う者の心積もりはとうに終わっている。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 アカルギのブリッジ。人類の最後の希望を託された(ふね)の船員として選ばれたのは、アカルギを使い慣れた者たちだった。

 

「いやー、またここに座るときが来るだなんて思ってなかったわー!」

 

 真っ先に操縦席に座り込んだのはレミ。ツムギにいたときから操舵手として働いており、ツムギの構成員を逃がす際などに陰ながら活躍していた実績がある。

 今回の作戦におけるアカルギの役割は敵の大軍の中を強引に突破するというもの。操舵手にかかる負担は大きいもので、任せられる人材はレミをおいて他にいない。

 

「アッハッハ! レミってば、テンション上がって子供みたいになってる!」

「笑うな! ってかアンタも同類でしょうが、リコ!」

 

 操縦席の左隣にはアカルギの火器管制が集中している砲撃手用の席がある。ここに座るのもツムギ時代と同じリコが選ばれている。アカルギの主砲“アケヨイ”の照準は独特なシステムであり、ISVSプレイヤーだからといってすぐに扱える代物でないのが理由だ。

 

「まだそれほど時間が経っていませんけど、皆さんはもうこの場所を“懐かしい”と感じているんですね。同時に、楽しかったとも思ってくれている。合ってますか?」

 

 操縦席の右側。通信と索敵を担当するオペレーター席に座っているのはシズネだった。ツムギ時代にはカグラが座っていた場所であるが、この席に特別な技能は要求されておらず、必要なのはアカルギに関する知識だけ。よってアカルギの知識があって、手も空いているシズネが入っている。

 

「帰りたいとは違いますが、また集まりたいと思っています。だからこそ、私たちは剣をとったのですから」

 

 シズネの傍らに立っているカグラ。彼女は始めからブリッジ要員としてカウントされていない。これはカグラ自身が前線に出たいという意思表示をしたからだった。

 

「いいの、カグラさん? 前線にはフォビアシリーズといって、Illとゴーレムを混ぜたような強敵がいるんだけど……」

 

 シズネとカグラとは反対側。リコの後ろで簪が疑問を投げかける。

 簪はIllの強大さを身を以て知っている。それも最強のIllであったギドという化け物と直接対峙している。非戦闘要員だったカグラがそういった強敵に立ち向かう構図をあまり想像できない、というのが簪の素直な感想である。

 

「……自分は戦えないのだと甘えてしまっていました。父の教えてくれた剣を信じられず、似た育ち方をしたはずのナナに頼ってしまっていました。そんな弱い私を斬り捨てると誓ったんです」

「やばいよやばいよ。カグラの目が逝っちゃってる」

「リコ。真面目な話をしてるんだから、黙ってなさい」

 

 カグラの目つきはツムギ時代とは別人に変わっている。

 強気の発言は死なない保証が生まれたためか。

 はたまた、戦う目的が生まれたためか。

 いずれにせよ、剣技においてナナと互角に渡り合った剣士の参戦は朗報と言えた。

 

「ブリッジの方はあと、ヤイバくんとラピスちゃん、花火師さんが来れば全員ね?」

 

 ブリッジの中央。この後、ラピスが定位置として着く指揮官席では更識楯無――プレイヤー名も楯無に変更した――が“必勝”と書かれた扇子を広げていた。

 

「姉さん、どうしてここに?」

「念のための予備戦力よ、簪ちゃん。私には後でやるべきことがあるから、なるべく出撃したくはないけどね」

 

 楯無の言うとおり、楯無には決戦で戦う役割が存在している。

 国家代表が抜けている今、仮想世界における最高戦力は楯無であると言っても過言ではない。決戦をする上で主軸となるのはもちろんのこと。何よりも楯無には自らの手で倒さねばならない相手がいる。

 

「私は“あの男”を倒す。それが楯無である私の役目。簪ちゃんも虚ちゃんも助ける余裕がないと思うけど、許してほしいの」

「大丈夫。私が姉さんの道を切り開くから」

「頼もしいわね」

 

 過去に距離が開いていた姉妹仲は完全に復旧している。

 劣等感を抱えていた妹が姉の背中を押し、妹に引け目を感じていた姉は堂々と胸を張るようになった。

 これはヤイバの戦いの副作用に過ぎない。しかしながら当人たちにとっては確かな救いであった。

 

「遅くなってすまない! もう全員準備できてる?」

 

 最後。ブリッジに駆け込んできたのは唯一の男、ヤイバ。ラピスと花火師の3人が到着した今、作戦開始は秒読み段階に入る。

 

「いつでも発進できるよー!」

「じゃあ、アケヨイ第一射、いっきまーすっ!」

 

 リコの軽いトリガーが引き絞られる。

 戦闘が始まった。長い長い決戦の幕が上がる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 黒く濁った空に白い極光が筋を指す。

 ど派手な開戦の合図により、ゴーレムの空が割れた。

 それも束の間、一瞬のうちに戦力が補充され、包囲網は揺らがない。

 

 元より覚悟の上。リンは圧倒的な数的不利を背負ってでも勝つと決めてここに立っている。

 臆す理由などない。双天牙月を天に掲げて吠える。

 

「全軍、突撃ーっ!」

『うおおおおおお!』

 

 いかにも脳筋な指令が飛び、彼女を慕っている連中はハイテンションで空へと飛び立った。

 待ち構えるはゴーレムの大部隊。アケヨイの先制攻撃により、ゴーレム軍は戦闘状態に移行。ゴーレムたちは長い両腕を地上へと向けた。

 黒く濁った空に無数の光点が灯る。それら一つ一つがゴーレムの腕。その先端にある巨大な砲口である。

 

 降り注ぐ閃光。蹂躙の雨にも怯まない者たちの怒号。

 ISの戦闘に置いて、高さの要素(ファクター)は単なる位置関係に過ぎない。地上から駆け上がるプレイヤーたちはゴーレムの包囲網に容易く飛び込んでいく。

 多勢に無勢。ゴーレムは一体一体が強力な武装を所持している。だからこそリンは両軍が入り乱れる乱戦を選んだ。

 

「来るなら来なさい!」

 

 自らに向けられる砲口も恐れることなどない。むしろ大歓迎だ。

 ラピスの解析により、ゴーレムの大半は照準から発射のタイミングが一定であることがわかっている。つまり、イグニッションブーストさえ習得していれば、回避は余裕で可能。

 さらにだ。避けるだけでは終わらない。多数の敵軍の中で敵の強力な砲撃を避ける。外れたビームがどうなるのか。どうなる確率が高いか。

 

「相変わらず同士討ちしてんのね……こいつら無人機のくせに連携もまともにとれないの?」

 

 ゴーレムの攻撃がゴーレムに当たる。数が多くても、ゴーレムの行動を管理・制御ができていないのでは烏合の衆と変わらない。単機の性能も数も勝っているゴーレム軍であったが、徹底して同士討ちを誘うリンたちの前に翻弄され続けている。

 リンにこの戦法を決断させた“最速の逃げ足”を持つ男は一足先にさらに上へと飛んでいった。高さが上がるほどゴーレムのマークがきつくなる。同士討ちも構わず、数が増していくビームの隙間を的確に縫う男の名はサベージ。避ける技能だけならばランカーに匹敵するという驚異の操縦技術の持ち主である。

 

「どんどんかかってきやがれ! この空が晴れるまでな!」

 

 サベージの両手にはマシンガン。本来は別のイスカ(週末のベルゼブブ)のときにしか使わない装備であるが、今日ばかりは出し惜しみする気などない。

 本気のリンに本気で向き合う。それができなければ、リンを想い慕う資格などないのだから。

 否。資格など関係ない。サベージはリンの本気に応えたいと思った。それが全てだ。

 

 敵の数を利用した同士討ちを誘う戦術。時間と共に同士討ちの比率は激減し、敵を全滅させることなど不可能な消極的戦闘方法ではある。元よりリンの目的は敵に打ち勝つことなどではない。アカルギを宇宙に送り出すことである。敵の陣形さえ乱せれば良かった。

 静かな水面に投石したかのように、整然と並んでいたゴーレムの隊形に波紋が広がっている。頭数が減れば、包囲網の薄い場所ができる。弱点を補おうとして陣形を変えたとしても、絶対量が変わらないのならば必ず隙も生まれるはず。

 

 リンたちは攻撃を避け続けることを強いられる。いつか来る逆転のときをひたすらに待つ。そのような無茶がいつまでも続くわけもなく、一人、また一人とゴーレムの放つ光に散っていく。

 そんな中、最もヘイトを集めている男、サベージはひたすらに高度を上げていく。一様に地球を覆い隠そうとしていたゴーレムたちであったが、間もなく包囲網を離脱するであろうプレイヤーの存在を見逃すわけもなく、積乱雲のように高く密度を増していく。

 水平方向でなく垂直方向にゴーレムが並ぶ。最強の囮役であるサベージの仕事は敵の同士討ちだけでは終わらない。彼の無茶苦茶な突撃が味方の最強の一撃を最高のシチュエーションに仕立て上げる。

 

 ――アケヨイの第二射。

 

 地上からの砲撃の射線上に並べられたゴーレムは光の中に消えた。

 空が青い。

 地球の包囲網に第一射と比べても大きな穴が空いている。

 

「今よ! 行きなさいっ!」

 

 これ以上にない隙。少なくともリンはそう判断して、アカルギに指示を出した。

 アカルギのブリッジも反対する理由はないはずである。少なくとも操舵手であるレミは空への道を駆け上がるため、推進機に火を点けようとした。

 

 だが、ブリッジから様子を見ていたヤイバとラピスの2人は訝しげだった。

 ……本当にこのまま進んでもいいのか?

 もしアカルギを落とされれば、人類の反撃は絶望的になる。アカルギを宇宙に送り出すには出来る限りの安全を確保しなければならない。

 2人だけは聞いていた。『“ヘリオフォビア”を配備した』というウサ耳女の言葉を。

 

「レミさん、アカルギはちょっと待機で。サベージはもっと上空に行って欲しい」

 

 ヤイバの指示は様子見。レミはヤイバの直感に従い、サベージはヤイバに言われなくてもさらに上空を目指している。

 ついにサベージがゴーレムの包囲を突破した。純粋な速度では通常型のゴーレムよりもフォスクラスのISを使っているサベージの方が速い。この状況が完成した時点で、待ち伏せがない限りはサベージは宇宙に到達できる。

 包囲の外側は満天の澄み切った青空。宇宙への入り口にもうすぐで手が届く。

 ――そのとき、声が聞こえた。

 

『我は太陽に恐怖する(ヘリオフォビア)。故に飛び立つ者を地上に帰す』

 

 その声は作戦に参加している者、全員に届いた。

 フォビアを名乗る無人機シリーズ。それは規格外の装備を持っている篠ノ之束製の特別なゴーレム。一機一機がこれまでヤイバたちを苦しめてきたIllと同等の性能を持っていると言っていい。

 

『“イカロスの翼”、起動』

 

 宣言と同時にサベージのISに異変が生じる。

 全身が急激に重くなり、空が遠くなっていく。

 

「くっ……これは」

 

 落ちている。重力に捕まる感覚はサベージにとっては二度目。ISが飛べなくなったのだと感覚で理解した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 サベージに追いすがっていたゴーレムたちも同じように落ちていく。敵の新兵器はサベージ個人に向けられた兵器でなく無差別であることがわかる。

 リンたちは影響を受けていない。つまり、一定の高度以上になると発動する兵器である。

 

「ラウラさんの“永劫氷河”と同等機能を持った兵器、もしくは篠ノ之博士の“玉座の謁見(キングス・フィールド)”そのものでしょうか……重力などの引力でなく、ISコアに飛行禁止を強制するようですので前者に近いものでしょう」

 

 ISの強みである飛行能力を奪われる。プレイヤーの宇宙進出を防ぐのにこれ以上の手段はないと言っていいくらい効果覿面である。

 ゴーレムの大軍は心を折るための視覚的な圧迫。本命はヘリオフォビアによる飛行性能削除。最初から二段構えの包囲網であった。

 結果的にアカルギが飛び出さなくて良かったと言える。しかし、敗北が遠退いただけに過ぎず、強引な強行突破すら封じられたも同然だ。

 

「ラピス。ヘリオフォビアの位置はわかるか?」

 

 こうなれば温存とも言っていられない。ヤイバはラピスに敵の位置確認を行うよう要請する。しかし――

 

「特定できません」

 

 返答は否。純粋なIllと違い、フォビアシリーズはISのコア・ネットワークにつながっている。にもかかわらず、ラピスが敵の位置を特定できないでいる。

 

「特定できない? 見えないってことか?」

「いえ……該当する特殊装備使用個体を逆探知したところ、反応が多数存在しているのです」

「今度のフォビアシリーズは単体じゃないのか」

「まだ断言はできませんわ。BTドールなどの分離体である可能性はありますし、おそらくはそれです」

 

 Illと違い、星霜真理に敵の姿が映っていないわけではない。反応のある座標が幾つもあるために絞りきれないのである。

 

「一つ一つ潰すしかないな」

「問題があります」

「時間がないってことか?」

「それもありますが、敵の位置が飛行禁止区域よりも上――衛星軌道上にありますわ」

「……俺たちは完全に籠の中か」

 

 早急に倒さねばならない敵が宇宙にいる。しかし翼を奪われているISでは飛んでいくことが出来ない。

 

「地上から狙撃するとかは?」

「撃鉄などの一部スナイパーキャノンやアケヨイの射程内ではありますが、敵に気づかれては当たるものも当たらなくなるでしょう。不完全な観測のみで一撃で決められる可能性はないに等しいですわ」

「じゃあ、有効な対策は?」

「そうですわねぇ……封じられているものはISの飛行能力。原理としてはISを引力で落としているのではなくコア・ネットワークを介して飛行能力を禁止している。つまり、コア・ネットワークから切り離されたものであれば大気圏離脱は可能となります」

 

 ラピスの視線は同じブリッジ内の花火師に向けられる。

 

「ISを輸送するロケットは用意できますか?」

「……試験用にストックしてある弾道ミサイル擬きなら100発ほどある。準備時間として10分欲しい」

「わかった。アカルギの大気圏離脱のため、敵フォビアシリーズの討伐隊を編成する。討伐隊はミサイルに乗って大気圏を離脱後、敵フォビアシリーズと思われる対象を破壊。これしかない」

 

 作戦の提示から即断即決。直ちにミサイルの用意が始まり、討伐隊要員として更識の忍びが前線から呼び戻される。

 全員は呼び戻せない。既に戦闘が始まっているため、全軍が退いてしまえばゴーレムの部隊も地上まで連れてきてしまう。そうなるとアカルギが戦闘に巻き込まれる。

 

「リン。話は聞いてたか?」

『うん、聞いてた。結局、アンタらを頼っちゃったわね……』

「最初からお前一人の戦いじゃない。むしろ頼ってるのは俺の方だし、今からもお前を当てにする」

『わかった。10分、時間を稼ぐ』

「頼む」

 

 ヤイバは祈るように目を閉じた。もうリンの集めた戦力は半分以下になっている。ゴーレムの密度は変わっていない。更識の忍びを全員呼び戻した上で10分耐えろという指示は過酷なものになるはずだった。

 負担があるのはリンだけにはしない。そうした想いがあるからか、ヤイバは席を立ち、ブリッジの出口へ向かおうとした。

 そこに立ちはだかるのはラピス。

 

「どちらへ?」

「俺も討伐隊に加わる」

「この戦いの意味を忘れたのですか?」

「忘れてない。だけど、そもそも宇宙で決戦が出来なかったら意味が無い。違うか?」

 

 どちらの主張も間違ってはいない。

 ナナを助けるためにヤイバを温存するべきというラピスの主張。

 大気圏(ここ)を突破できなければナナを救う戦いを始められないというヤイバの主張。

 間違っていなくとも、最良とは限らない。

 

 この場には他に楯無もいる。しかし彼女もまた、後の決戦に目的があってここにいる。楯無の能力は広範囲に散った複数の対象を攻撃するのに向いていない上に、(アイ)が参加しているのだから彼女に任せる判断を下すのが当然とも言える。

 

「ヤイバくんはさ、うちの虚ちゃんをバカにしてない?」

 

 楯無が抗議するのも無理はなかった。

 

「いえ、そういうわけでは――」

「じゃあ、キミはここで待ってるのが筋でしょ。なんでもかんでも一人でやろうとしても、絶対に上手くいかないの。いーい?」

「あ、はい……」

「わかれば良し!」

 

 舌戦で完全敗北したヤイバは渋々と着席する。理屈の上ではヤイバもわかっている。仲間を信頼して、任せなければならない状況だということくらいわかっている。それでも彼の直感がまだ足りないという主張を崩さなかった。

 

「……それでは、私たちが切り札を切るとしましょう」

 

 納得し切れていないヤイバのためにシズネが声を上げた。さっきまで作戦に口を挟んでこなかった彼女の発言にヤイバだけでなく全員の注意が向いた。

 私たちとシズネは言った。そのような団体はツムギしか考えられないのだが、現状、シズネの近くにいる構成員は本人を含めても4人しかいない。

 

「カグラさん。やってくれますか?」

 

 切り札とはカグラのこと。元より、彼女はアカルギを動かす船員(クルー)として乗船したわけでない。

 カグラは鞘に納まったままの刀を手に歩き出す。

 

「相手は化け物(フォビアシリーズ)。不足はありません」

「え? カグラさん?」

 

 疑問の声を上げたヤイバ。彼の驚く様を見てシズネはしたり顔を披露した。

 

「驚きましたか?」

「いや、なんでカグラさんが行く必要があるの?」

 

 ヤイバの認識だとカグラは戦闘要員でない。海底のアカルギを回収に向かったときも、ゼロフォビアにやられていたことも知っている。それはシズネも同じはずだったが、彼女はツムギ時代に乏しかった微笑みで応える。

 

「大丈夫です。今のカグラさんはナナちゃんと互角に渡り合えると思ってます」

「ナナと? それってかなりのもんだってわかってる?」

「はい。他ならぬ私がそう言っている。ヤイバくんならその意味を理解してもらえますよね?」

 

 ナナに対して依存に近い状態だったシズネが、ナナと同等の戦闘力を持っているとカグラを認めた。他の人間ならいざ知らず、ヤイバがシズネのこの言葉を軽いものだと受け取ることはない。

 

「わかった。頼む、カグラさん。俺たちの道を切り開いてくれ」

 

 ヤイバは頭を下げた。

 

「シズネとナナだけではありません。私もまたヤイバさんに助けられました。こうして恩返しの機会があるのは喜ばしいことです」

 

 カグラもまた会釈で返す。再び顔を上げた彼女はスタスタとブリッジの出口へ歩き、出る寸前に振り返った。

 

「全てが終わった後で構いません。私と手合わせを願えませんか?」

 

 視線の先はヤイバ。一瞬の狼狽が窺えたがヤイバは力強く頷いた。

 

「その勝負、受けた」

「楽しみにしておきますね」

 

 ブリッジにいた間、カグラはピリピリとした緊張感を放っていた。

 ツムギにいた頃にお腹を抱えて大笑いしていた彼女は形を潜めていた。

 まるで無表情だったシズネと入れ替わってるかのようとも受け取れるほどに。

 だがヤイバと約束を取り付けた彼女は笑顔だった。

 楽しみにしておく。その言葉に嘘偽りがないというただ一つの証明。未来に新たな希望を見出したカグラは勢いよくブリッジを飛び出していった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 10分の時間を稼げ。

 ヤイバから提示されたミッションは簡潔な一言であったが、その実現は満身創痍なリンたちには過酷そのものだった。

 ゴーレムは一機一機が並のプレイヤーよりも動ける上、機体性能もプレイヤーたちを上回っている無人機。ヤイバが苦戦した迷宮の門番ほどの性能ではないのだが、雑魚として一蹴できるほどでもない。むしろ1対1で確実に勝てる保証すらない。

 事実、ここまでリンが自らの攻撃で撃破したゴーレムは3機ほど。この数字が味方のISの中で単独トップであると言えば、まともな戦闘になっていないことが理解できるだろう。普通ならば拮抗することなど不可能なのである。

 

「へへっ……あと、10分か。あの野郎も随分な無茶を言うようになったもんだ」

 

 敵の兵器“イカロスの翼”により落下していたサベージが飛行能力を取り戻して体勢を立て直す。動けない間に攻撃されなかったのは僥倖。まだその体は囮として機能する。

 サベージは周囲に両手のマシンガンを乱射する。ターゲットなんてない。撃てば何かに当たるほどの密な包囲網の中だ。倒すことが目的でなく、攻撃されたと認識したゴーレムのヘイトを向けられればいい。

 

「バンガード! リンちゃんを連れてアカルギに戻れ!」

「任されたァ!」

 

 仲間内のほぼ以心伝心。サベージの要請の意図の解説など必要としていない。主戦力の一人だったバンガードはリンの腕を掴んで強引に地上へと引っ張っていく。

 

「ちょっと! 何すんのよ!」

「リンちゃんは戻るべきだ。ここで失ってはいけない」

「でも、10分――」

「そんなもの、俺たち2人がいようがいまいが戦力として誤差範囲だ。むしろリンちゃんが先に散ってしまえば、アイツが戦意喪失する」

 

 アイツとはサベージのことに他ならない。それはリンにもわかっている。圧倒的劣勢でも敵軍の中に飛び込んでいく“最速の逃げ足を持つ男”はその逃げ足を以て誰よりも長く敵前で立っている。リンを勝たせる、ただそれだけのために。

 最速の逃げ足。それは真っ先に敵前逃亡するというヘタレを意味するのでなく、『最も多くの攻撃に晒されながら生き残る生存能力を称えた賞賛』に『攻撃に貢献しない欠点を踏まえた皮肉』を交えた称号。こうした時間を稼ぐだけのミッションならば、サベージは圧倒的なエースなのである。

 

「あたし……役立たずなのかな」

「リンちゃんはアイツが戦う意味になってる。むしろ俺の方が役立たずだ。アイツに言われるがままリンちゃんを戦場から引き離すしかできないんだからな」

「そんなことない。皆、役に立ってる」

「その言葉はそのまま返すとする。リンちゃんも役に立ってないなんてありえない」

「うん……」

 

 無事、リンが地上へと帰還したのをサベージは見届けた。

 責任を背負って出てきていたリンを半ば強引に帰らせたのだ。ここで時間稼ぎを失敗してしまえば、それはサベージだけでなくリンのミスとなってしまう。サベージ流の背水の陣が敷かれたも同然だ。

 丁度、このタイミングで他プレイヤーが全滅した。残りはまだ8分。空の戦場にプレイヤーはサベージただ一人。

 不幸中の幸いか。ゴーレムたちの最優先目標はサベージ。ただの一機も地上へと向かわず、サベージを中心に球状に陣形を組んでいる。全てはサベージの目論見通りである。

 

「さあ! こっからは俺のワンマンショーだ!!」

 

 四方八方からゴーレムの砲撃が迫る。殺意なき淡々とした射撃の全てをサベージはまるで他人事のように冷静に見分けている。不気味なほど綺麗にターゲットへ集中しすぎている射撃の軌跡は発射時点で掴めた。

 イグニッションブースト。

 敵の包囲射撃には一見すると隙間がないように感じられる。しかしそれは立ち止まっていればの話であり、包囲球の中心から離れるほどに隙間ができ、安全地帯すら存在する。理屈がわかっていても、どこが安全地帯かなど常人には瞬時に判断が付かないものだが、サベージは息を吸うように実行できる。

 包囲射撃の第一射を潜り抜けた。ゴーレムたちも味方の射撃を回避した後、即座に次の攻撃のために照準をサベージに定める。これもまたサベージは同じ方法で安全地帯に逃げ込んだ。

 この時点で判明しているのは敵の連携の練度がまだまだ低いということ。精度はあっても柔軟な対応は苦手としている。射撃のタイミングを揃えていないとすぐに同士討ちをしてしまっているのが現状だ。

 

「なんか、天才博士の作った軍隊にしてはレベルが低い気がする。まあ、そのおかげで簡単になってるんだけど」

 

 少しばかりゲーマーとしての物足りなさすら覚えたサベージであるが、今はゲームで遊んでるわけでないことを思い出してクレームをぼやくのをやめる。

 提示された時間まで残り5分。孤軍奮闘は次第に安定していき、ワンマンショーは演舞の域に到達している。見ている者をハラハラさせつつも、結局は大丈夫だろうと思わせる安心感がそこにはあった。

 

 反撃の狼煙を上げるまでの時間をたった一人で稼ぐ。

 慕っている女子の名誉を背負い、戦場に立ち続ける。

 たかが意思無き人形如きに砕くことができるはずもない。

 これは共通認識だった。

 友軍のみならず、敵軍もそれは同じ。

 

「けっ……本命がやってきやがった」

 

 敵軍に動きあり。腕の長い木偶人形ばかりの中にたった一機だけ違う形式のものが存在している。全体的に細く滑らかなボディラインは人間の女性を思わせるシルエット。顔はのっぺりとしたフルフェイスのメットを被っているが女性型ゴーレムという印象は崩れない。背中には鳥の翼を模したユニットが生えており、女性の体と合わせると天使を連想させた。

 天使の手には西洋風の剣がある。明らかな近接戦闘装備である。この時点でサベージの思惑は崩れてしまった。

 

 最初、味方が居る内にサベージは積極的に敵の同士討ちを誘っていた。主に近づいてきたゴーレムに向けて敵の射撃を誤射させていた。それを繰り返す内に学習したゴーレムたちは接近すると同士討ちすると刷り込まれていたのである。

 単機となってからサベージに危機が訪れていない。その最大の理由は射撃攻撃しか来なかったからだ。格闘戦と比べて戦闘速度が遅く、集中さえできていればサベージには死角が存在しない。サベージの策略は無人機に格闘戦を避けるように仕向けるという単純学習のAIを騙す手法であった。

 敵援軍である天使型はその学習結果を反映していない。

 

「くそっ! 寄って来んなっ!」

 

 敵天使型の行動は突撃の一択。敵が選んだのは最悪の選択肢。

 接近戦を苦手とするサベージは近接戦闘型に対して後ろに下がることしかできない。1対1ならば十分に対応できるが今は違う。ゴーレムに包囲された背水の陣の下、サベージが下がるべき後方は存在しない。

 

「うらああああ!」

 

 吠える。マシンガンを撃つ。絶望的なまでに射撃センスのないサベージの放った弾丸は避けようとしない相手に掠りもしない。当然だ。今まで攻撃を当てる努力などしてこなかったのだから。

 

 負けるのが当たり前の人生を送っていた。勉強もスポーツも人並みにはできたが、常に誰かが上にいる。競争するよりも、今の立ち位置でどう満足するかを考えた方が気楽だった。

 好きな女の子ができても性根は変わらなかった。自分が恋人になりたいだなどと表に出さず、彼女の恋を応援をすると言い出す。自らが我を通して、険悪な空気を生み出す未来に耐えられそうになかったからだ。

 勝利から逃げていた。勝者の陰には常に敗者がいる。自分が敗者を生み出すよりも、自分が敗北を引き受けた方が世界が平和なのだと信じていた。

 

 いつからだろうか。

 負けを受け入れるだけだったサベージに変化が訪れたのは。

 “週末のベルゼブブ”というプレイヤーが生まれたのは何故だろうか。

 本人に尋ねれば間違いなくこう返ってくる。

 

 ――鈴ちゃんが遊ぼうと言ってくれたから。

 

 もう理屈の域はとっくに過ぎている。

 彼女の笑顔は太陽。その眩しさに憧れて、サベージは空を飛んだ。

 蝋で固めた翼でも構わない。墜落する未来が見えていようが、彼女の近くで飛んでいたい。その想いに偽りはない。

 

 鈴ちゃんの笑顔に影を差す輩がいる。

 ならば全力を以て、障害を排除する。

 それ以上でも以下でもない。

 世界平和なんてどうでもいい。

 ただ、彼女のために在れば誇らしいのだ。

 

「おらァ!」

 

 柄にもない荒い声を上げ、サベージは敵天使型に頭突きをかます。

 射撃の技能が足りないなら殴ればいい。殴った経験も薄いが根性でカバーする。

 状況は不利。生き残ることは絶望的。

 ならば選択肢は一つ。少しでも敵に損害を残すこと。後々のリンの戦いが少しでも楽になれば、自らの戦いにも意味がある。

 

 天使の剣が突き立てられる。

 避ける必要など皆無。死ななければ全てのダメージは安いもの。

 お返しにマシンガンの銃口を天使の頭に押しつけて引き金を引く。発砲と連動して天使の頭がガンガンと大きく揺れたが貫通はしない。

 マシンガンを切り払われた。もう武器はない。サベージの右手は迷いなく天使の首目掛けて伸びており、掴み取る。

 

「俺だってなァ! ただじゃ終われねえんだよ!」

 

 絶対に眼前の敵だけでも倒す。勝ち取ることから逃げていたはずの男が少女の名誉を背負って闘争本能を剥き出しにする。

 無数の無慈悲な砲口が向けられている。味方がいようがお構いなし。ゴーレムたちの無機質な殺意を前にしたサベージは高笑いする。

 

「10分だ!」

 

 一点への集中砲火はただ一機のISを倒すためのものとして過剰であった。

 サベージは光の中に消える。最後まで右手に掴んだ天使の首は離さず、逃げられなかった天使も同様に消滅した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 空の部隊が全滅。その報せとミサイル発射準備完了は全くの同時であった。

 

「発射!」

 

 花火師の号令で一斉に100発のミサイルが放たれる。既にミサイルの先端にはヘリオフォビア討伐隊に選ばれた者たちが立っている。

 このミサイルは“イカロスの翼”の領域を突破するためだけの高速輸送船。故にまずはゴーレムの包囲網をミサイルを守りながら突破しなくてはならない。

 そのために地上にはAICスナイパーキャノンの部隊が展開され、援護射撃をする体勢が整えられている。他にもゴーレムの部隊を引きつける囮が地上から飛び立った。

 

「……始まりましたか」

 

 加速するミサイルの上でカグラは呟く。

 ISVS歴は一週間ほど。強敵との対戦経験は深海のゼロフォビアのみ。

 ほぼ初心者も同然である。しかし、鞘に納まった刀を携える凜とした立ち姿は不安定なミサイルの上でも揺るがない。

 作戦が始まっているにもかかわらず、カグラはラピスに通信を送るだけの余裕があった。

 

「ラピスさん。確認しますが、先ほどの羽の生えた敵はどうなりましたか?」

『サベージさんと共に消滅を確認しましたわ。しかしながら“イカロスの翼”は健在です』

「その言い方……敵の新兵器と無関係ではないと?」

『ええ。サベージさんのおかげで敵フォビアシリーズの概要が掴めてきました。先ほどの天使型のものはISでなくリミテッドに近い。カグラさんに身近な例で言うと、レミさんの扱うBTドールと似たものですわ』

「複数の反応の正体はBTドールが複数展開されているから。そして、BTドールの大元は1機のフォビアである。そういうことですか?」

『わたくしの見解と一致していますわね』

「本体の位置は?」

『残念ながら。戦術から考えて、遠方であることだけは間違いないでしょう。()()()()()()()()()()

「わかりました」

 

 欲しい情報は得られた。敵の位置が不明で討伐隊が自分の足で虱潰しに当たっていくしかないということである。当然、そんなことをしている時間の余裕はなく、ここで戦力を割きすぎて被害が拡大すれば後の決戦に支障が出る。

 求められるのは最小限の犠牲と最大限の早さ。あまりにも無理難題だ。ここは後の憂いを覚悟してでも目的の達成に尽力するのがセオリーであろう。

 だがカグラが了解したのは妥協などではない。そもそも妥協するのならばカグラはこの戦場に出撃しなかった。逆境だからこそ自らの剣を振るうのだ、とカグラは息巻いている。

 

「策は2つですね。できればA案で突破したかったところですが、確実性と早さを考慮するとB案が有力でしょう。いずれにせよ、負けはありません」

 

 視線は既に先を見据えている。この戦闘の終結も予見した。

 あとはより良い選択を掴めるかの問題となる。

 

「そこのニンジャさん?」

 

 近くにいた更識の忍びに声を掛ける。するとたまたまその忍びはカグラにとって見覚えのある人物だった。

 

「あ、たしか貴方はシズネLOVEなニンジャさん」

「ちょ、いきなり何をっ!?」

 

 唐突にコイバナを振られて焦りを隠さないニンジャさん、ことジョーメイ。なにかとツムギにやってきていた彼のことをカグラたちは覚えてしまっていた。

 

「せ、拙者は任務でここにいるでござる! 色恋に現を抜かすなど拙者がするわけ――」

「隠してるつもりでしたら、シズネの前でだけ口調が真面目になるのをどうにかした方がいいですよ」

「ぐはっ……そ、そうであったか」

 

 周囲にはバレバレであり、知らぬは本人たちばかりなり。

 シズネに至ってはジョーメイの名前すら知らないのだが、その事実をジョーメイは知らない。

 

「ニンジャさんに頼みがあります」

「この話の流れで物事を頼めると本気で思っているでござるか!?」

「私をゴーレムの攻撃から守ってください。絶対に私はゴーレムに攻撃されるわけにはいかないのです」

 

 問答無用で要求だけがなされる。あまりにも厚かましい頼みであったのだが、それが逆にジョーメイの心を動かした。

 

「承知した。それが勝利への道ならば」

 

 余分な言葉は要らない。むしろ言葉を絞ることで要点が明確に伝わると言える。

 カグラはこう言ったも同然なのだ。

 ――ゴーレムからの攻撃さえなければ、この状況を打破してみせる、と。

 

 ミサイルは徐々に加速。

 正面のゴーレムは臨戦態勢。その長い腕を向けてきている。

 いかに高速といえど、単調な軌跡である。照準の精度だけならば人よりも精密なゴーレムに対して、無防備も同然。ISと違い、ミサイルはゴーレムの攻撃を一撃でも受けてしまえば壊れてしまう。衛星軌道まで上がるためにはミサイルの死守が必須事項だった。

 ミサイル部隊とは別に囮の部隊が送られたのはミサイルを守るため。最悪の場合は身を挺してでもミサイルを守ることが彼らに与えられた任務である。およそゲームとは思えない指令内容であるが、この部隊に抜擢されたのは蒼天騎士団の一部であるため、彼らは喜んでラピスの頼みに応えている。

 ただし、肉壁のような存在にすぎない彼らではサベージほど長時間は保たない。見る見るうちにその数を減らしていき、ついにミサイルの1発が被弾して失速していく。

 残りは99。空を埋め尽くすほどのゴーレムの包囲網を突破するビジョンなど誰に見えるというのか。更識の忍びも宇宙まで行かなければ、ヘリオフォビアの暗殺ができない。作戦の前提条件で無理があり、それは当然ラピスも承知の上である。

 

 そう。ラピスは知っていた。

 ツムギの生き残りの切り札がどのような存在であるかを。

 始めからこの作戦はカグラありきで立てられている。

 カグラを空に上げるためだけのミサイルである。

 故に、討伐隊の中に(アイ)が入っていない。

 

 

『――天の上に人は無く 天の下に人は無し』

 

 

 ミサイルの上。頑強かつ流線形の舞台に立つ剣士は(まぶた)を閉じ、腰に据えた刀に手を掛ける。

 ゴーレムに墜とされた友軍が傍らを流れていく。不利な戦況は明らかで、これから正に死地に飛び込むというのに、その立ち振る舞いはあまりにも無防備だった。

 案の定、迫る光撃。微動だにせず、柄を握っておきながら刀を鞘から抜き放とうとしない。回避したところでミサイルを壊されてしまえば作戦が失敗するとはいえ、避けようとすらしないのは異常である。

 

 ジョーメイは聞いていた。

 この戦いで彼が為すべき役割を。

 勝つために何が必要であるかを。

 

「カグラ殿をやらせはせぬ!」

 

 射線上に飛び込む忍びの少年。高い機動力とステルス性を重視した彼の機体は攻撃を受ける盾としてはあまりにも耐久性が無さ過ぎる。しかし、機動性が高いからこそたった一回の攻撃を防ぐ肉壁としてなら優秀だった。

 ただの一撃の身代わりとなっただけで瀕死となるジョーメイ。身を張って守ってもらったカグラは未だ眼を閉じたまま。

 

 

『傍らに人は亡く 荒れ果てた地で独り 青天を見下そう』

 

 

 やはり動くことなく、ポツポツと言葉を紡ぐのみ。

 近づいてくるゴーレム。ジョーメイはビームを受けて離れてしまっている。守る者は誰もいない。長い腕がカグラめがけて振り下ろされた。

 轟音にはほど遠かった。結果だけを言えば、ゴーレムの拳は空を切っている。

 手刀。カグラは迎撃に動いていた。しかし鞘に納まっている刀を抜くことはなく、右手でゴーレムの拳を横から叩いて軌道を逸らしたのだ。

 未だ瞼は閉じている。視覚に映る光景など必要としていない。脳に映すべき景色は己が剣の極地のみである。

 

 

『唯一無二の我 果てなき空虚の頂に立つ』

 

 

 右手は再び刀を握る。

 腰は一段と低く、閉じていた瞼は開かれた。

 言霊は完成し、残るは解き放つ意思を形とする。

 

 

『――掃剣(そうけん)虚空荒蕪(こくうこうぶ)

 

 

 抜刀。

 (はし)る閃光、音を絶つ。

 刻まれた軌跡は一の文字。

 断たれた空はひたすらに平穏。

 騒がしい機械人形など初めからいなかったかの如く。

 

 空は綺麗に晴れ渡る。

 ただの一刀を前にして。

 抜き放たれたのは文字通りの閃光。

 地平線をも描く剣戟が曇り空を斬り(ひら)いた。

 

 虚空荒蕪。

 この剣が通った後、動く者は残らない。

 

「……まだ終わっていませんよ?」

 

 止まっていた時間が動き出す。

 道は開け、ミサイルはゴーレム無き青空を駆け上がる。

 破れた網の突破は容易。

 ヘリオフォビア討伐隊の面々はついに“イカロスの翼”の範囲に突入する。

 ISは飛べなくとも、不安定なミサイル上で立つことに支障は無かった。ISの機能が完全に死んでいるというわけでなく、単純に飛ぶことが出来ないだけである。

 旧式の技術で飛翔するミサイルは“イカロスの翼”の適用外。ゴーレムももう追っては来られない。

 

 まだ終わりではない。ゴーレムは飛べなくとも、“イカロスの翼”の使用者が残っている。衛星軌道のヘリオフォビアは隠れたままでも分身を使うことで大気圏内にアプローチが可能。

 景色が青から黒へと変わりつつある。

 ミサイルの進む先には天使の軍勢が立ちはだかる。

 剣のみならず、天使たちは銃火器も所持していた。

 

 高速で移動するミサイルだが、操縦はできない。

 正面からの攻撃に対しては固定標的と同等。

 ミサイルは討伐隊の棺桶となっている。

 

 天使の一斉攻撃。被弾したミサイルは爆発して散っていく。カグラを守る任務を与えられたジョーメイも爆炎の中に消えていった。

 出撃した討伐隊はカグラを残して全滅。残されたカグラも足場が破壊されては対抗する術がない。

 掃剣・虚空荒蕪は使えない。奥義の発動には3つの制限がある。

 1つ。刀を鞘に納めた状態で手に持っていること。

 2つ。納刀したまま、詠唱を行うこと。

 3つ。詠唱中は飛行機能を使わないこと。

 ミサイルへの攻撃を刀を用いて迎撃している限り、切り札は封じられている。

 

 元より、刀という装備は防衛に向いていない。世界最強で知られているブリュンヒルデを以てしても、ISが相手では一人の人間を守り切ることすら難しいと断じている。異質な剣を振るうカグラもこの例に漏れない。

 最後のミサイルが崩壊。地に落ちていくカグラは目を閉じて刀を鞘に納めた。どうせ飛べないのならば飛ばなければいい。

 天使の軍勢は勝利に酔いしれることなどなかった。ゴーレムの大軍を一刀の元に切り伏せたカグラはわかりやすい脅威となっている。地に墜としただけではまた這い上がってくることは想像に難くない。故に念には念を入れて追撃に来る。

 落ちていくカグラは的。避けるどころか移動することもままならない。精々が空気抵抗を利用して体をズラす程度。それでは空を飛ぶ敵の攻撃を避けることなどできようはずもない。

 銃弾が直撃する。ビームが装甲を剥がしていく。一方的な蹂躙をカグラはただただ耐えた。その全てを受け入れた。

 “イカロスの翼”の領域から外れる。飛行能力が回復したカグラは地面に向かって加速。自らの意思で逃げていくカグラを天使は見送り、代わりにゴーレムがカグラを追っていく。

 手が届くようになったのはゴーレムだけではない。地上が近づいている。つまり、地上にいる狙撃部隊の射程圏内にカグラが入ってきたことになる。

 地上からの援護射撃がゴーレムを追い散らす。ゴーレムの頑強な守備力を以てしても、AICキャノンの破壊力を前にして無傷ではいられない。プレイヤーたちがラピスから課せられたミッションは『カグラの生存』。それこそが勝利条件であるという意思で統一されていた。

 カグラが地上に降り立つ。ストックエネルギーは残り僅かの虫の息。再度、空の戦場に戻るのは難しいと言わざるを得ない。そんな満身創痍であっても、この帰還には確かな意味がある。

 

 

『地に落ちた血だまり 捧げられた贄は(あらが)いの雄叫びを上げる』

 

 

 詠唱を始める。内容は掃剣・虚空荒蕪のものと異なっている。

 ゴーレムたちに放った虚空荒蕪は厳密には単一仕様能力でない。カグラの単一仕様能力によって生じた剣技であるが、単一仕様能力そのものではない。

 

 

『復讐の怨嗟は一振りの剣と成し 身命を賭した愚者の覚悟は罪を以て大罪を誅す』

 

 

 単一仕様能力、“抜刀魔術(ばっとうまじゅつ)”。

 ゼロフォビアに敗北した後、ひたすらにISVSで剣を振るっていて生じたコア・ネットワーク系ワールドパージ。他のワールドパージと違い、特別なルールのある空間を作り出すのでなく、ISのコア・ネットワークに干渉してIS戦闘に関するルールを作り出す。

 やっていることはハッカーと同じ。厨二病という名のコンピュータ・ウイルスでコア・ネットワークを汚染し、術者の言霊と強烈なイメージを具現化する。

 

 

『たとえ紅蓮の花と散ろうとも 不毛な連鎖を断ち切る最後の刃とならん』

 

 

 詠唱を終えた。開眼と共にカグラは刀を抜き放つ。

 

 

『――怨剣(えんけん)報復絶刀(ほうふくぜっとう)

 

 

 抜刀。

 抜かれた刀は鉄の煌めきを軌跡として弧を描く。

 眼前に敵対する者は皆無。

 戦闘とはほど遠い演舞。

 その剣戟は見る者を惹きつけて止まない芸術であった。

 

 同時刻。遙か上空、衛星軌道上に異変が生じた。

 翼の生えた卵のような形状の機械人形――ヘリオフォビアに亀裂が入る。

 自然なひび割れにしては鋭利。客観的に見れば、それは切り傷と呼べるもの。

 そう。これは刀による傷だった。

 

 怨剣・報復絶刀。

 カグラの扱う抜刀魔術の中でも異質な能力を発揮する奥義である。

 虚空荒蕪はENブレードに分類されているが、報復絶刀は現在のISVSではカテゴリーに当てはめることが出来ない。

 前例が皆無というわけでもない。過去にヤイバたちは同種の攻撃を先端恐怖症(アイクモフォビア)から受けていた。

 コア・ネットワークを介して対象のISに『攻撃された』という幻覚を植え付けて絶対防御を強制発動させる。ラピスがコンピュータ・ウイルスに例えたその武装にカテゴリーを設けるならば、ウイルス系統とでも呼ぶことになるだろうか。

 報復絶刀の効力は『術者が負ったダメージを攻撃者に与える』というもの。対象が見えていなくとも、コア・ネットワークが攻撃者を導きだし、対象となるISにダメージを実体化する。衛星軌道に隠れ潜んでいようとも、カグラに直接攻撃を加えた時点でつながりができてしまっていた。

 出撃直前にカグラは()()()()()攻撃されることを嫌った。ヘリオフォビア以外からのダメージは報復絶刀で与えるダメージが減ってしまうことを意味する。だからヘリオフォビアの懐までノーダメージである必要があった。

 

 呪いの一刀は確実にヘリオフォビアに届いた。

 しかし、これが初撃である。自らのダメージをそのまま相手にも与える報復絶刀では倒しきれないことが確定している。

 

 

『神域を侵す大罪』

 

 

 刀を抜いたまま、カグラは詠唱を始める。

 これより始まるはカーテンフォール。

 抜刀魔術により生まれた中で唯一、抜刀中でのみ使用できる奥義。

 

 

『他を滅する殺意 他を蝕む呪い』

 

 

 腰から鞘を外し、左手を突き出す。

 

 

『自己の確立とは罪無くして在り得ぬ 悲しくも黒き人の(さが)

 

 

 右手の刀の切っ先は鞘に向き、先端が入り口を通る。

 抜刀ではない。これは納刀そのもの。

 

 

『我 神の代行者と成りて 罪の根源を絶つ』

 

 

 抜刀魔術の内、唯一の納刀は当然のことながら刀を納めるだけでは終わらない。

 争いの根源となる、敵対者。その定義は術者の刀が傷を付けた者。そして、他者を呪う者。術者は神に成り代わり、それらを討つと宣告する。

 

 

『追悼の意を表して黙祷を捧げよう』

 

 

 言霊が完成。

 カグラは体の正面で刀を鞘に納めた。

 

 

『――終剣(ついけん)修祓神威(しゅうふつかむい)

 

 

 パチン。

 その納刀は手品師が指を鳴らしたが如く。

 刀が鞘に納まった瞬間に世界に変化が訪れた。

 

『“イカロスの翼”、沈黙っ!』

『衛星軌道上からフォビアの反応が消失しましたわ』

 

 敵の消滅を確認したとする味方の通信がカグラの耳にも届いた。

 

 修祓神威は報復絶刀と同じウイルス系に分類される奥義。納刀時にのみ発動できるその効力は『術者の刀が与えたダメージを各対象に与える』というもの。言い換えると、ダメージの倍加である。

 ヘリオフォビアには報復絶刀でダメージが与えられた。だからこそ追撃の奥義もコア・ネットワークを通して確定で命中する。カグラ自身が瀕死になるダメージの2倍を受けることとなったヘリオフォビアは卵状の本体が真っ二つとなった。いかにフォビアシリーズといえど、ストックエネルギーの絶対量はプレイヤーと変わらない。防御能力を無視したウイルス系攻撃の前にヘリオフォビアは為す術もなかった。

 十分すぎる戦果だ。しかしコア・ネットワークを厨二病で汚染することで実現した奥義である。何もリスクを負わないことなどあり得ない。ウイルス系に分類される報復絶刀と修祓神威には発動条件以外の弱点が存在していた。

 

「ふふっ……これにて終幕」

 

 勝ち誇った顔をしたカグラの体に刀傷が浮かび上がっている。傷口からは光の粒子が漏れており、アバターが消失する運命にある。

 修祓神威は争いの根源を駆逐する。その建前を形としたためか、報復絶刀が参照した自らのダメージをも対象とした。既に瀕死だったカグラに耐えられるはずもなく、絶対防御を突き破ってもなお有り余る斬撃がカグラを襲っていた。

 全て予定通り。少しだけ自分も生き残る道を模索したが、足場であるミサイルを破壊された時点でその狙いは潰えた。潔く役割に徹したカグラは自らの退場と引き替えに、皆の未来を切り開いたのだ。

 

「約束通りに手合わせ願います、ヤイバさん」

 

 悔いは無い。未来に楽しみもある。カグラは満ち足りた表情で光の中に消えていった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 空への架け橋がかかっていた。

 ゴーレムの包囲網には特大の穴が開いていて、イカロスの翼は消失。

 カグラが己の存在を賭けて臨んだ戦いは相打ちでありながらも圧勝であった。

 

「最大船速で一気に宇宙に行くよっ!」

「お願いしますわ、レミさん!」

 

 アカルギのブリッジは一気に慌ただしくなる。レミの掛け声と共に瞬時加速によって最高速に達した戦艦は見る見るうちに地上から遠ざかった。

 妨害する敵はいない。気づけば外の景色は星空となり、後背には青い星が鎮座する。

 呆気なく宇宙に到達した。これで決戦を始めるための障害は全て乗り越えたことになる。

 

「AIC全力稼働(フルスロットル)……転移領域を確保……」

 

 ここからは簪の出番。キーボードを高速で叩いて、アカルギのレガシーとしての機能を呼び起こしていく。

 

「コア・ネットワークを再構築……アウトゲート展開っ!」

 

 時間にして3分。予定時刻である日本時間の午後1時には間に合った。最後に力強くエンターキーを叩く。

 直後、アカルギの周囲に無数の光が生まれた。光は一瞬で人の形を成し、ISも展開した戦闘態勢で実体化する。

 出口の開放と地上での転送開始はほぼ同時。今か今かと待ちわびていた全世界のプレイヤーがこぞって宇宙へと雪崩れ込んできている。

 

「アカルギの進路をルニ・アンブラへ。止まってたら転移領域が味方で埋まっちまう」

 

 ヤイバの指示でアカルギは決戦の地へと突き進む。

 アカルギが通る軌跡は転送されたプレイヤーの光で天の川を作り上げている。世界の危機を知って立ち上がった者もいれば、実力を世界に示したい者、ゲームの新しい環境と聞いてじっとしていられなかった者などこの場に集まった理由は様々である。重要なのは全員の目的が『この決戦に勝つ』という意思で統一できていることにあった。

 通常なら絶対にあり得ない人類軍という大きな括り。その壮大さを目の当たりにして、ヤイバたち素人のみにとどまらず、花火師――倉持彩華も興奮を隠しきれない。

 

「背水の陣は誰もが承知している。この戦いには人類の命運がかかっている。元より敗走する退路など残されてはいない」

 

 花火師の視界に黒い月が映るところまで近づいた。

 黒い月には篠ノ之束がいる可能性が高い。少なくとも花火師はそう信じている。だからこそ、この決戦には地球を守ると言う大義名分以外にも戦うべき理由が彼女にはあった。

 科学者として鬱憤が溜まっていたのは亡国機業のジョナス・ウォーロックだけではない。むしろ全世界の科学者が篠ノ之束に振り回されてきた。能力は認めていても、心証は最悪に近い。

 今回の一件は明らかに篠ノ之束が人類を軽視している。これには温厚な花火師も怒り心頭。黒い月を囲む無人機の軍勢を見据えて高らかと叫ぶ。

 

「かかって来るがいい、木偶ども! 人間様の底力を見せてやろう!」

 

 人類の反撃が始まるまで、あと数分もかからない。


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