Illusional Space   作:ジベた

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50 拡散する光明

 12月30日。例年なら大晦日前日にもなるとお祭り気分になっている人が大半を占めていると思うのだが、残念ながら朝から暗いニュースばかり取り上げられている。

 

 国家代表チーム、隕石の破壊に成功。しかし、二つ目の隕石を観測。

 IS操縦者、休みなき戦い。

 

 どの新聞もテレビもそんな見出しだ。相変わらず不安を煽るのが仕事だと言わんばかりに熱心な報道をしてくれている。

 だけど日本というお国柄だろうか。特別に避難しろという指示が出されることもなく、国民の大半は今も日常の中に居る。ネットの方を確認しても危機感を持っている人は少数派で、隕石のニュースはまるで他人事扱いだ。白騎士事件なんていう前例があるものだから、たかが隕石くらいISがなんとかしてくれるという認識もあるんだろう。

 わからないでもない。本当に危険だったならば政府が動いているはずで、避難指示が出されていないということは危機を回避できる算段があることを意味するはずだから。

 だけど実際は違うのだと俺は知っている。もし国家代表チームが隕石落下を阻止できなければ、地球には次々と隕石が落着する。その果てに何が起きるのかは想像に難くない。地球上のどこに逃げようが、その昔恐竜が滅んだように人類はいなくなることだろう。避難指示など出せるはずなどなく、いたずらにパニックを起こすよりは形だけでも平穏を装っていた方が秩序を保てるというものだ。

 誰も間違っていないと思う。しかし、地球滅亡の危機を前にして、日常の中にいる人たちを眺めているのは複雑な気分にもなる。

 千冬姉は人々を守る戦いに赴いている。それを軽視されているように思えてしまうし、何もできていない自分もそんな大多数の人間と変わらないのではないか。そんなことすら考えてしまうこともあった。

 

 もっとも、今はネガティブ思考をしてる暇もない。

 

「よし。全員集まったところで早速、会議を始めたいと思う」

 

 今日、俺の家のダイニングには俺を含めて6人が集まった。もちろん俺が呼んだのだし、話し合う内容もこのタイミングだと一つだけだ。

 

「会議はいいけどよ。代表候補生と倉持技研職員(仮)以外は役に立ちそうにないんじゃないか?」

 

 いきなり話の腰を折ってきたのは弾。別に俺に文句を言ってるわけじゃなくて、他に話すべき相手がいるだろうという指摘だ。

 

「最終的に彩華さんに話を通せば問題ない。それに俺は弾の力をかなり当てにしてる」

「俺の力……? ああ、やっぱりそういう流れになるよな」

 

 もう弾は察してくれてるようだ。たぶん俺が提案する内容まではわかってないと思うけど。

 ちなみに鈴と数馬も呼んでるけど、特に2人に頼み事をする予定はない。

 

「ではまず、現状の確認からしましょう」

 

 そう仕切り始めてくれたのは当然、セシリア。つくづく思うけど、彼女がいないと俺は致命的な情報不足に陥っているだろう。

 

「皆さんもニュースなどで知っていると思いますが、現在、地球に向かって隕石が落ちてきています。この脅威に対し各国の国家代表が出動。ギリギリのところで破壊に成功しました」

「……え? ギリギリだったん?」

「そうですわ。あの隕石は自然にできたものではなく、仮想世界から“想像結晶”により送られてきた隕石型マザーアースでした。公にはあたかも当たり前のように破壊したと報道されていたわけですが、国家代表を始めとする専用機持ちが集中攻撃してようやく落とせた代物なのです」

「想像結晶……ゼノヴィアの使ってた力だよね?」

 

 想像結晶は仮想世界のものを現実に造り出す単一仕様能力。元々は遺伝子強化素体であるゼノヴィアが現実にやってくる際に使用していた力だった。敵側はどうやらこの力を解析できているようで、仮想世界からゴーレムだったり隕石だったりを現実に送り込んできている。

 全部、千冬姉が追っていて見つけた真実。だけど今はもう千冬姉に仮想世界を追いかける余力がない。

 

「さらに情報を付け加えさせていただくと、ゼノヴィアさんが使っていた想像結晶と違い、この隕石は仮想世界に存在するもののコピーであることがわかりました。不幸中の幸いですが、同時に2つ以上出現させられないようですので、国家代表チームが現在の防衛を続けている限りは地球への落下はありません。続けている限りは、ですが」

 

 まだ、次の隕石が残っている。そして破壊しても後続があることだろう。もし隕石の迎撃で千冬姉が欠ければ、隕石は地球に到達する。

 セシリアの言うとおり、千冬姉たちが抑えてくれているうちはまだ地球への落下はない。だけど、いつまでも全力で戦えるわけもない。ISの操縦者保護機能などを考慮しても、年が明けた頃には限界が近いと予想されている。

 

「はぁ……全部が全部、アンタらの作り話だったら良かったんだけどね。あまりにもフィクションっぽいから全然実感湧かないけど、このままだと地球が滅ぶってのは理解したわ」

 

 今まで黙ってた鈴が頭を掻いている。じれったいのはわかる。このままだと危ないのに逃げることすらできそうになくて、自分の運命が完全に他人任せになっている。自分のことは自分で切り開いてきた鈴としては面白くないだろう。

 

「で、本題は? まさかあたしらにだけ本当に世界の危機なんだって伝えて、セシリアが用意した宇宙船で逃げろとか言わないわよね?」

「あのな、鈴。そんなものがあればとっくに――」

「とっくに政府に徴収されましたわ」

「本当にあったんかいっ!」

「冗談ですわ」

 

 真偽がわかりづらい冗談はやめていただきたい。今は真面目な話をしているんだ。

 

「話を戻すけどさ。危機があるってだけで終わるわけないわよね?」

 

 そう言った鈴の視線はここに集まった最後の一人に向く。

 

「……そう。私も……一夏くんの力になりたかったから」

「ありがとう、簪さん」

 

 6人目は簪さん。ISの装備についてセシリアよりも詳しい彼女が居るのと居ないのでは作戦立案の質が大きく変わってくる。エアハルトとの決戦の攻撃プランもセシリアと簪さんの2人で組み立てていた。

 簪さんを招いた。つまりこれは、俺が反撃に出るという意思表示でもある。

 

「さっきは現状の“危機”について話した。改めて言っておくと、このまま現実で国家代表チームが戦っていても、隕石の襲来は終わらない。だから俺たちが把握すべきは『どうすれば敵の隕石攻撃が終わるのか?』だ」

「……ブリュンヒルデから提出されたデータによると、想像結晶を使用するにはいくつかの制限がある。想像結晶の発動媒体が必要。仮想世界側から現実に送り込む場合、仮想世界での座標に対応する現実座標にしか送れない。そして、発動媒体よりも小さな物体しか送れない……です」

「簪さんが言ってくれた条件を満たせない状況を作り出せば、現実に新たな隕石が出現することはなくなる。つまり、仮想世界にある想像結晶の発動媒体を破壊すればいいってことだ」

「ん? 今の話をまとめると、想像結晶の発動媒体って奴は仮想世界の宇宙にあるってことになるんだけど……?」

「その通りだ、鈴。仮想世界の宇宙空間のどこかに存在する発動媒体――あの隕石型マザーアースのオリジナルであるルニ・アンブラを破壊する。それができなければ、地球が破壊されるんだ」

 

 もう話は単純なものになっている。

 千冬姉たちが力尽きて、隕石が地球に落ち始めれば俺たちの負け。

 千冬姉たちが防衛できている間に、仮想世界のルニ・アンブラを破壊すれば人類の勝ち。

 決着はISVSでつけるというわけだ。

 

「もう目標は定まってるわけね。これから具体的な話をしてくんだろうけど、その前に一ついい?」

「ん? なんだ、鈴?」

「どうして、こんな世界の危機をなんとかしようなんて大それたことを一夏が仕切ってんの?」

 

 ………………。

 言われてから初めて気づく。そういえば、いつの間にか規模のでかい話に巻き込まれてるんだな。

 

「なんで驚いてんのよ。あたし、何か変なこと言った?」

「いや、全くそんなつもりなかった。俺はただ――」

「いつも通り、例の彼女を助けるのに必死なだけだろ。まだその繋がりを把握してねえけど、それ以外ないっての」

 

 俺が言わずとも、勝手に弾が答えてくれた。

 俺は皆の住む現実がどうでもいいとまでは言わないけど、少なくとも箒と共に帰ってくる場所くらいは守りたいと思ってる。それでもやっぱり地球を守るためだなんて大義名分を本気で抱えるつもりはなかった。

 あくまでついで。俺は宇宙まで箒を迎えに行く。

 

「弾に言われなくてもわかってるわよ……でも一夏からまだ聞いてない」

「じゃ、改めて俺の口からも言っておく。この戦いは箒を取り戻すための決戦になる」

「そ。じゃあ、きっちり勝って終わらせないとね!」

 

 とびきりの笑顔でそう言った鈴が俺に手を差し出して話を先に進めるよう促してきたから俺は頷く。

 

「決戦の最終目標はルニ・アンブラの破壊。そのためには俺がルニ・アンブラの内部に突入してコアを破壊する必要がある」

「これまでの戦いと似てるな。突入要員はどうしても一夏である必要があるんだな?」

「その通りだ、弾。俺以外が先に突入して、ルニ・アンブラを破壊できたとしても、それは俺にとって負けだ」

「……OK。全力で支援する」

 

 普通は理由を聞くところだと思うが、答えはさっき言ったも同然。弾は問い詰めてくることなく勝手に納得してくれた。

 

「最終目標はルニ・アンブラ。だけど今までと違ってすぐに戦場といううわけにいかないのが今回の厄介なところだ」

「転送ゲートを使って宇宙に直接出ることができない、って奴だね?」

「ああ。その件に関して聞きたかったから簪さんに来てもらった。実際のところ、どういうことなんだ?」

 

 セシリアも結果を知ってるだけだったこと。本当は彩華さんに聞きたかったけど、あの人は忙しい。俺の把握してる限りでは簪さんなら知っててもおかしくなかった。

 簪さんはズレた眼鏡のブリッジを人差し指でくいっと押し上げる。

 

「転送ゲートは“アウトゲート”にデータを転送するスキャナーみたいなものであって、厳密には好きな場所にテレポートさせる装置ではないの」

 

 スラスラと出てきた説明は俺の頭には上手く入ってこない。

 

「ロビーの転送ゲートは入り口の装置に過ぎず、出口の装置が存在するということですか?」

 

 頭上で疑問符が乱舞している俺の代わりにセシリアが代わりに質問してくれる。

 というか質問じゃないな、これ。どう考えても俺に説明するために言い直してくれただけだ。

 

「わかりやすいように言ったつもりだったんだけど、間違った言い方をしただけになっちゃった……基本的にはセシリアの言うとおり。正確には入り口側である転送ゲートの機能はゲート内の物質のデータを取り込み出口側である“アウトゲート”に送ること。アウトゲートは装置の範囲内の指定した座標にデータを元にしたコピーを再構成するもので、プレイヤーの意識だけは現実から再びダウンロードし直しているの」

 

 ……似たような話をクーから聞いてたな。ギドを倒すときに利用した『仮想世界の住人は転送ゲートを使用すると壊れる』という話だ。それもそのはず。俺たち現実の住人は現実に元となる意識が存在しているが、ナナのように仮想世界に意識を囚われている人間や、ギドのように元々仮想世界にしか存在しない者はダウンロード元となる確定した意識がなくて、肉体に残った絞りかすのような意識しか残らない。

 俺の解釈はそんなところ。現実に転送ゲートが作られないのはそうした“アウトゲート”の機能が理由となっている。

 

「その“アウトゲート”には有効範囲がある。これが宇宙に転送できない原因なんだな?」

「そう。現在、地球上を範囲とするだけのアウトゲートが起動しているけれど、宇宙には届いていない」

「宇宙でアウトゲートを起動したらどうだ?」

「難しい。アウトゲートは転送ゲートやゲートジャマーと同じで遺跡(レガシー)の中でしか起動できない。当然、宇宙に私たちが活用できるレガシーは存在しない」

「じゃあ、転送ゲートで大軍勢を一気に運ぶのは無理ってわけか」

 

 どう考えても敵はこれまでにない大戦力を抱えているし、俺たちが攻勢に出ることはわかってるだろうから警戒してることは間違いない。

 この状況で俺がルニ・アンブラに到達するには敵軍と乱戦に持ち込みたいところだけど、そのための戦力が揃わないと話にならない。

 転送ゲートが不可だとすればあとは地道に飛んでいくしかなくなる。でもそれだとルニ・アンブラの宙域に辿り着ける戦力が極端に削られてしまう。

 今、ISVSの空はゴーレムの軍勢で埋め尽くされている。向こうから攻撃はしてこないようだけど、宇宙へ行こうとすれば途端に牙を剥くに決まってる。

 

 俺が頭を悩ませている中、簪さんは胸を張って笑顔を見せてきた。

 

「難しいとは言ったけど、無理じゃないよ。レガシーを宇宙に運んじゃえばいいから」

「どうやって運ぶんだ? 今のISVSの状況を知ってて言ってるのか?」

「誰もロビードームを運ぶとは言ってないし、ロビードームを移動させることは今の私たちの技術では不可能と結論づけられてる」

 

 この口ぶり。ロビー以外に俺の知らないレガシーがあるってこと?

 

「つい最近まで私たちもその存在がレガシーと同等の機能を持っていることを知らなかった。沈んでいたあの(ふね)を届けてくれなければ、この作戦は立案すらできなかったと思う」

 

 (ふね)……? まさか――

 

「アカルギ……」

「そう。篠ノ之博士が建造した戦艦型マザーアース“アカルギ”は高速で移動できるレガシーでもある。だからアカルギが宇宙に出られれば、プレイヤーを宇宙に転送することが可能になる」

 

 これは朗報だ。何よりも、シズネさんたちが無茶をしたことに意味があったのが嬉しい。結果論ではあるけど。

 

「アカルギを使えば宇宙にプレイヤーを転送できるわけだな?」

「うん。あの艦なら宇宙空間に出てからも単独で高速航行が可能だから、転送範囲に困ることはないと思う。……篠ノ之博士が宇宙空間全てにゲートジャマーを展開していなければ、だけど」

「その心配は要らない。ゲートジャマーが存在するのなら、レガシーもあるだろ? 制圧してアウトゲートを設置すればいい」

 

 もし相手にアカルギのような戦闘可能なレガシーがあると厄介だけど、流石に宇宙空間を覆い尽くすような数を用意できていないはず。

 ……束さんにそんな時間はなかっただろうから。

 

「思ったんだが、一夏。アカルギを使えばいいとは言うけどよ、宇宙まではどうする?」

 

 弾の危惧は至極当然。今、正にISVSで起きている異変が関係している。

 

「ゴーレムのことか」

「ああ。俺も自分で確認したし、他の奴らからの情報と照らし合わせてみても言える。どこに行ってもゴーレムのいない空はない。文字通り、地球を包囲してる」

「まあ、敵さんもそう言ってたからな。目に見えた穴はないと思うから、強行突破するしかないだろ」

「アカルギは決して防御性能が高いわけじゃない。耐えきれるのか?」

「無理だ。だからこそ――」

 

 ここでようやく本題に入る。

 

「知恵を貸してほしい」

 

 本当は『どうやって大量のプレイヤーを宇宙に転送するのか』が議題だったんだけど、簪さんが提示してくれた方法でいくべきなのは一目瞭然で議論の余地がない。

 だけどまだ机上の空論。俺たちが決戦を始める条件は『アカルギが無傷で宇宙に到達すること』なのだが、ゴーレムの攻撃を掻い潜るには図体がデカいため、強引には通過できない。加えて、地球を包囲してるゴーレムの中に“ヘリオフォビア”というフォビアシリーズが紛れてることもわざわざ宣言してきていた。一筋縄にはいかないと思っておかないと痛い目を見る。

 ここでセシリアが挙手する。

 

「残念ながらわたくしが提示するのは解決策ではなく注意点の追加ですわね。宇宙に上がると気軽に言っていますが、転送ゲートの仕様上、敗北したプレイヤーが無事に現実に帰る保証はできません。そして、敵軍の数は地球を包囲してもなお余裕があると思われますので、長期戦は絶対に避けなければなりません」

「元より時間制限があるから1回勝負のつもりだ」

「わたくしが言いたかったのはアカルギを宇宙に打ち上げた後、最終決戦を仕掛けるまで時間を置いてはいけないということですわ」

 

 確かに宇宙に上がった途端に地球を包囲できるほどの数のゴーレムたちが標的をアカルギに移すとなると、現実の地球に隕石が落ちるよりも早くアカルギが落とされる。

 つまり、宇宙へ離脱するときから決戦は始まっているということ。

 

「帰還ができないかもしれない。それはストックエネルギーの回復ができないことを意味します。敵にはIllもありますので、倒れたプレイヤーは決戦が終わるまで復帰できないと思われます」

「どの道、背水の陣だろ? アカルギを宇宙に上げるためには戦いは避けられない。だったら最初から全力でいくだけだ」

「……それは間違ってるよ、一夏」

 

 意図的に強気な発言をした俺を数馬が(たしな)めてきた。正直に言うと意外だし、何よりも俺の何が悪いのかピンと来てない。

 

「一夏の目的を果たすには、一夏がルニ・アンブラってところに突入しないといけない。なのに、地球から出るだけでボロボロになってもいいのか?」

「それは……」

「前にもあったことだって。一夏を無傷で届けるのが()()()の勝利条件の一つ。だから土壇場まで一夏は神輿(みこし)として担がれてろってことさ」

 

 数馬が言ってるのはギドとの戦いのこと。俺は皆の援護を受けて、ナナを助けに向かった。皆の力で無傷の俺が辿り着かなかったら、俺はギドに負けていただろう。

 

「一夏に限らず、宇宙に出るまでの戦いには戦力を割きすぎない方が良さそうね」

「どうしてだ、鈴?」

「だってそうでしょ。相手はわざわざ地球全体を包囲するなんていう効率の悪い方法をとってきたから戦力が集中してないとはいえ楽な相手でもない。どっちにしろ後で大軍と戦うことにはなるけど、いきなり疲弊することもないんじゃない? アカルギさえ宇宙に上がれば、こっちの兵隊は無傷でいられるんだからさ」

 

 ここでセシリアに目配せをしてみる。彼女はコクッと頷くだけ。つまり、鈴の言ってることは間違ってないのだとセシリアも同意している。

 

「しかしメンバーはどうする? ゴーレムの大軍を蹴散らし、未知数の敵をも打ち破ってアカルギの道を確保できるプレイヤーに心当たりがないんだけど」

「人選はあたしに任せてもらえる?」

「鈴がそう言うのも珍しいな。あんまり人脈があるようには見えないんだが――」

「まあ、見てなさいって。とりあえずアンタはあたしを信用して待ってればいいわ」

 

 ここまでハッキリ言われると俺は頷くしかない。

 

「鈴さん。時間の方は調整できますか?」

「作戦開始時刻のこと?」

「違いますわ。アカルギが宇宙に到達する時間です」

「誤差はどれだけ許容できるの?」

「30分ほどなら問題ありませんわ」

「OK。努力はする」

 

 俺が置いてけぼりになってる間に2人の作戦会議は終わってしまったようだ。

 

「では明日、12月31日の午前10時より鈴さんの作戦を実行しましょう。作戦完了の目標時刻は午後1時でお願いします」

 

 あ、そういうことか。終わる時間を気にしてるのは、次のために決まっている。決戦開始時刻をある程度決めておかないといけない理由があるからな。

 

「鈴が上手くいったとして、だ。その後はどうするつもりだ、一夏? いつものメンバーを招集していくのか?」

 

 このタイミングで弾がわざわざ口を挟んできた理由を俺は知っている。確認するように質問をしながらも、弾は暗に『それでは上手くいかない』と言ってくれている。

 当然、俺も今まで通りでなんとかなるだなんて思ってない。ギドやエアハルトのときとは違う。戦力が限られていた奴らと違って、今度の敵は無尽蔵に強力な無人機を出してくるとわかってるからだ。

 その点に関しては俺に策がある。もう形振(なりふ)り構わないと決めた。

 

「ゲームのイベントに仕立てよう。ISVSの年越しイベントとでも銘打って、隕石以上の危機を乗り越えるってミッションをすれば、ゲーム好きなら必ず寄ってくるし、世界中に実力を示したいガチ勢も釣れる」

 

 ミッションのシステムでなく、ISVS全体を巻き込む。運営者ミッションはもう前例が作られているから、彩華さんのコネを頼ればきっと実現は可能だ。ゲームのイベントとするからこそ、開始時刻を決めておくことは戦力に影響してくる。

 そして、俺はプレイヤーを騙すだけにはしておきたくない。

 

「Illの噂も利用する。それとなくISVSでルニ・アンブラを破壊すれば現実の隕石も破壊できるって噂を流しといてくれ。知ってる奴なら協力してくれるだろうし、知らなくても、たとえ半信半疑でもいいから参加してくれればそれだけで心強い」

「……なるほど。その噂の拡散に攻略wiki管理人である俺の力が必要ってわけだ。すぐに仕掛けておく」

「わたくしも情報の拡散はしておきますわ」

 

 ネット関係はセシリアと弾に任せておく。その分野で俺ができることはない。

 

「簪さん、アウトゲートの準備にかかる時間は?」

「準備自体は大気圏外に出る前でもできるから、宇宙に出てから起動するのに大して時間はかからないと思う」

「ではルニ・アンブラへの攻撃開始は午後2時としましょう」

 

 大体の段取りが決まってきた。

 まずは鈴が集めた少数精鋭で地球の包囲網を突破し、アカルギを大気圏外に到達させる。

 その後、ミッションとして掻き集めたプレイヤーによる数の暴力でルニ・アンブラを攻撃。白兵戦で混乱を誘い、俺がルニ・アンブラの内部へと突入する。

 ルニ・アンブラの防衛網がどうなっているのかはまだわからないけど、現状ではこれ以上の策はなさそうだ。

 

「――ふーん、噂の拡散かぁ。それだったら僕も役に立てそうだね」

「私は戦闘が専門だ。決戦の際は最前線で力を示すとしよう」

 

 会議に割り込む形で入り口から声がした。呼んでなかったけど、本当は呼びたかった金髪と銀髪の美少女2人。しばらく留守にしてただけで、彼女らはまだこの家の住人(居候)だ。

 

「シャル、ラウラ! 帰ってきてたのか!」

「うん。ラウラも元気になったし、そろそろ一夏が反撃を始めるってわかってたからね」

「不甲斐ない姿を見せてすまなかった」

「いや、気にするなって。ところで、ラウラ。たしか専用機持ちは隕石迎撃に駆り出されてるって聞いたけど、ここに居ていいのか?」

「病み上がりというのもあってか本国からの要請はないから問題ない。結果論ではあるが、隕石迎撃に主力を割くのは敵の思うつぼだ。わざわざ今から私が向かうのは下策だろう」

 

 淡々とした態度ながらも俺を助けることを全肯定してくれるラウラ。あの不安で染まりきっていた彼女の心はもう前を向いている。もう俺が心配することは何もなさそうで安心した。

 

 俺はこの部屋にいる皆の顔を見回す。

 箒がいなくなった後、俺が周囲から孤立しないよう近くにいてくれた鈴。

 中学で一緒のクラスになり、遊ぶことを忘れていた俺とバカをやってくれた弾と数馬。

 力不足だった俺たちにとって心強い仲間だったシャルとラウラ。

 最初は誤解から敵になっていたけど、今は俺たちと違った視点から手を貸してくれる簪さん。

 そして……たった一人の戦いをしていた俺の前に現れたセシリア。

 

 他にも、この場にいない多くの仲間に助けられてきた。

 俺はアドルフィーネやギドといったIllを倒してきたし、世界最強の男性操縦者と言われていたエアハルトも打ち破ったけど、それは俺一人の力なんかじゃない。

 皆が居てくれたから今の俺がある。

 皆が居てくれたから箒を救いにいく戦いを始めることができる。

 

「ありがとう、皆」

 

 まだ終わってない。まだ礼を言うには早い。そう頭ではわかっているけど、気づいたら口から出ていた。

 

「バカね、アンタは。そういうのはナナを助け出してからにしなさいよ」

「そ、そうだな」

 

 案の定、鈴に指摘されて何も言い返せなかった。

 俺の空気を読まない発言で皆が笑っている。人類が滅ぶかもしれないなんていう悲壮感は全くなく、俺たちの日常がまだまだ続く。きっとそう皆が信じられているのだろうと思う。

 だけど、皆に合わせて作り笑いをしていた俺の胸中はもやもやしていた。

 

 この場で唯一、セシリアだけが笑っていなかったから……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一夏の家での会議を終え、五反田弾は帰路に就いていた。冬休みに入ってから弾は一夏の問題に深く関わってこなかったが、もはや事態は個人の問題ですまなくなっているらしいと知るに至った。

 弾の行動は一夏たちからの提案にあった通り、情報をばらまくこと。もう既にスマホからwikiを更新し、大晦日の大イベントということで情報を出した。あとは閲覧したユーザが勝手に拡散してくれる。

 加えて、匿名のBBSでIllの噂を交えて不安を煽り、半ば強引にでも世界の危機に結びつけておく。本当に世界の危機に立ち向かってもらう必要はない。ただ、事実を事実として受け取れる者だけには本当のことを知っておいてもらいたかった思いがある。一人でも多くのプレイヤーに、本気で戦ってほしいからだ。

 

「さて、こんなとこか」

 

 一通りの作業を終えるとスマホをポケットに仕舞って再び歩き始める。こうして一夏に協力している弾にとっても、世界の危機はあまりにも現実感がなかった。昼の晴れた空にポッカリと穴が開いたような黒い月が浮かんでいるというのに身の危険を全く感じない。この漠然とした安心感に気づいてしまったとき、逆に弾は怖くなった。

 

「平和ボケ……か。今も誰かが必死に対処してるのに、それを知らないと時間が解決してくれるように思えちまう。昔はこうじゃなかったはずなのにな」

 

 10年前の白騎士事件で日本は滅亡の危機に瀕していた。2341発のミサイル。それは一般市民に隠し通せるレベルの脅威ではない。自分だけでも助かろうと数少ない核シェルターを取り合い、少しでも遠くに逃げようと空港や船に人が殺到する。生きるのに必死で他人を蹴落としていた人々の姿はまだ幼かった弾の目にも強烈に焼き付いている。

 世界的な災害時だというのにパニックとは縁遠く、年末の準備で忙しなく歩く人々とすれ違う。見知らぬ人たちの背中を見た弾は少し胸が軽くなった。

 

「醜く争うよりはいい」

 

 ISが登場してからの10年で人は変わったということなのだろう。たとえ楽観視しているだけでも、目的を見失って誰かを蹴落とし始めるよりはずっといい。

 

「初めは危機感がないと思ってたが、戦えない人はこうやって変わらない日常で待ってる方がいいな。実際、俺らみたいな子供ができることなんてないのが普通だし」

 

 などと今の状況の感想を独り言として漏らしていると、正面に見覚えのある顔が見えてきた。

 防寒着で身を固めている“彼女”は塀によりかかって立っている。手袋同士を擦り合わせ、白い吐息を吐きかけて暖をとっている。ここは一夏の家から弾の家までの帰り道。きっと待ってくれていたのだろう。

 

「虚さーん!」

 

 呼びかけると布仏虚は顔を起こして小さく手を振る。弾は早足で彼女の元へと寄っていく。

 

「仕事が忙しいんじゃなかったんですか?」

「お嬢様から暇を出されてしまいましたので」

「またですか。だったら一夏の家まで来てくれれば良かったのに」

「それだと、弾さんだけと話せないじゃないですか」

「え……は、はい」

 

 弾が顔を赤らめて狼狽えると虚はクスクスと微笑む。

 

「そういえばチラリと聞こえてきましたが――」

「俺の独り言を聞いてたんですか?」

「ええ、耳は良い方ですので」

「何かおかしなこと言ってました?」

「いえ。ただ、言っておきたいことはありますね」

「何です?」

「緊急時に子供ができることなんてない、なんてことはないんですよ。大人だからなんでもできるわけではないですし、その逆も然りです」

「ええ、わかってますよ。少なくとも、今回は黙って見てるつもりはありません。世界の危機に立ち向かうなんてシチュエーションは今を逃すと一生出会えないから」

 

 弾の目は先を見据えている。既にステージが出来上がっていて、自分たちには戦うための術がある。戦おうという熱意もある。

 ゲーム好きな弾は高校生になってもなお憧れているものがある。いや、大人でもゲーム好きでなくても一度は憧れるだろう。軽い気持ちではあるが、世界を救うヒーローになってみたいという願望が少なからずあるのだ。男なら誰だってそうだ。

 

「動機が不純ですね」

「いやいや、俺は純粋に俺の欲望に従ってます。そういう虚さんはどうなんです?」

「私は……」

 

 即答しかけた虚が途中で言葉を止める。視線は空へと向いた。

 

「今を守りたい。お嬢様だけでなく、弾さんとの時間も」

「虚さんが言うと、清純に聞こえる不思議」

「おかしいですか?」

「逆です。惚れ直しました」

 

 冗談交じりな言葉だが変わらず頬は赤く熱を帯びていた。冬という気候でもその熱が冷めることはない。

 

「弾さんと話すと不思議な感じです」

「不思議?」

「なんと言えばいいのか……そう! 力が湧いてくるんです!」

「そう言ってもらえると嬉しいっすね」

「明日は私も戦場に出ます。おそらくは弾さんと違う場所で、ですが」

「……そう、ですか」

 

 弾は肩を落とす。どうせだからイベントとして虚と遊びたかった。しかし虚にとって明日の戦いは弾以上に遊びでは済まされないことも知っている。

 

「お互い、頑張りましょう」

「はい。そうっすね」

 

 右手が差し出された。

 虚からの無言の握手の要求に弾は素直に応じる。

 ところが握手した瞬間に弾の右手が強く引っ張られて大きくバランスを崩した。

 

「えっ……?」

 

 事態について行けない弾の体は前に倒れるも途中でクッションに当たって止まる。暖かく、柔らかいクッションに顔を埋めた弾はそれが何なのか理解が追いついていない。

 

「……しばらくの間、こうさせてください」

 

 抱きしめられていることに気づいた弾だったが、虚の不安げな言葉を聞き、恥ずかしがることもなく黙って目を閉じた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一夏の家で解散した直後、御手洗数馬は急ぎ帰宅した。一夏から切り出された話は事前に数馬が想定していた通りのもの。だからこそ、数馬には早急に確認すべき事柄があったのである。

 

「ゼノヴィアは帰ってる?」

 

 玄関を開けての第一声。ゼノヴィアの身を案じてのもの――ではなく、数馬には別の思惑があった。

 トトトト、と軽快な足音と共に階段を駆け下りてきたのは御手洗家の住人となったゼノヴィアだ。一番下まで降りたところでブレーキをかけようとした彼女だったが、想定よりも履いていた靴下が床との摩擦が小さい。玄関ギリギリまで簡易スケートで突っ込んできたところを数馬が受け止めた。

 

「危ないから走るなって」

「おかえり、数馬」

 

 注意しても全く意に介さないゼノヴィアに呆れつつも、優先事項を思い出した数馬は用件を切り出す。

 

「頼んでおいたことはやっておいてくれた?」

「うん。本音ちゃんが協力してくれたから楽に終わったよ」

 

 布仏本音のことは数馬も知っている。ほわわんとした空気を発している不思議な雰囲気の少女だが、その表層に似合わない聡い発言もする。数馬の中では腹黒系女子という位置づけではあるが、少なくともバカではないという信頼にもなっている。

 

「じゃあ、俺の方も連絡を入れておくか」

「誰に?」

「ゼノヴィアに頼んだこともその人に頼まれたことなんだよ」

 

 携帯を取り出して電話する。しかし出る気配がないので止むなくメールを送ることにした。

 

「それじゃ返事になってない。誰?」

「うーん……ごめん。ゼノヴィアに名前を出さないって約束があるんだ」

「ぶー……なんか面白くない」

「ごめんごめん。だけど、これは頼まれたからやったんじゃなくて、俺がそうしたかったからやってるんだ」

 

 きっかけは依頼されたことだが、数馬自身はこれを好機と見ていた。与えられた役割は単なるお膳立てに過ぎないが、これが後に役立つと確信すらしている。

 

「今は少しでも戦力が欲しい。俺が一夏の戦いに貢献できるとしたら、こんなことくらいだ」

「でも……数馬も戦いに行くんだよね?」

 

 おかえりと言った笑顔と秘密と言い渡された不満顔。どちらの表情にも根底には幸福が宿っていたのだが、一瞬のうちに目線を床に下げたゼノヴィアの顔には不安が彩られている。自らにとって数馬が悪い選択をするとわかっていると、正面から目を合わせられない。

 

「もちろん行くよ」

「そっか……」

 

 思っていたとおりの答えに嘆息するゼノヴィア。そんな彼女の気持ちを知らない数馬ではない。

 

「別に一夏のためだけじゃないって。もうアイツだけの問題じゃ済まなくなってる。俺は俺のために戦う。ゼノヴィアのために勝つ。何を利用してでも、ね」

「そっか!」

 

 同じ返事ではあっても、その顔は明るいものに早変わりしている。自分のために戦うという数馬の言葉にすっかり機嫌を良くしたゼノヴィアを見て、数馬もまた心が温まるのだった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 解散した後の織斑家の一室。2回にある客室の中、ベッドに腰掛けたシャルロットは携帯電話を耳に当てていた。耳に届く音声はコール音のみ。空いている左手が暇そうにベッドのシーツを弄くり回している。

 

「やっぱり、忙しいのかな……」

 

 かけた先は父親であるデュノア社長の携帯。連絡先を知っていても、こうして自分から電話を入れるのは初めてであったりする。あくまでシャルロットは娘でなくデュノア社の人間と自覚して活動していたため、連絡手段を簡易なメールのみに限定していた。

 別に電話が禁止されていたわけではない。現に父親からは何度も電話がかかってきている。父親に甘えないように、と自らへの戒めとして禁じていただけのことだ。

 ――否、甘えを絶つためというのは言い訳に過ぎなかった。

 

「僕が義母(かあ)さんの娘じゃないから……なのかな」

 

 本当は怖かったのだ。

 シャルロットは実の母親と2人で暮らしてきた。しかし2年前に母が死去し、頼れる親戚もいない天涯孤独の身となった。

 そんな折りに現れたのはシャルロットにとって“親切なおじさん”。母との2人暮らしのところへ偶にやってきていた彼が実の父親だと知らされ、引き取られることになった。このときはシャルロットもこの事実を良いことだと受け入れられていた。

 しかし父親には妻がいた。愛人も多く囲っていて、シャルロットの母もその一人なのだと知ることとなる。父親の正妻は初めて会うシャルロットのことを娘だと扱ってくれていたが、内心では快く思っていないかもしれない。デュノア家にいた頃のシャルロットは常にそんな不安と戦っていた。

 父に引き取られてから学校も転校した。そこでのシャルロットはシャルロット個人というよりもデュノアの娘としか扱われない。クラスメイトたちは明るくシャルロットに接してくれているが、シャルロットにはそれらが全て作り物のように見えてしまっていた。――いつしか、シャルロットは学校に行かなくなった。

 シャルロットは自分という存在を肯定するために、血を引いていること以外のアイデンティティを欲することとなる。そうして手を出したものがISVS。仮想世界での自分はデュノアの娘でなく、個人としてみられる。少なくとも特別扱いは受けない。居心地が良かった。

 だがISVSで“夕暮れの風”として活動していても胸が苦しくなるときがあった。デュノア社の宣伝は上手くいっていたから父親の役に立っているという自覚はあった。しかし、父親はそんなシャルロットを褒めたことは一度としてなかった。

 

「今は忙しいだけに決まってる! 僕は強くなったんだ!」

 

 不安に飲まれそうになっても、今のシャルロットは屈したりしない。声を張り上げて自分を鼓舞するのは不安の表れでもあるのだが、以前までならこの時点で膝が折れていた。

 

『……そうだ。お前は強い子だ、シャルロット』

「あ……」

 

 いつの間にか電話がつながっていた。聞こえてきた音声は間違いなく父のもの。

 

『出るのが遅くなってすまなかった。何か用があるのだろう?』

「うん。パパに頼みがあるんだ」

『頼み、か。言ってみなさい』

「デュノア社の人でも誰でもいいから、ISVSができる人を片っ端から集めて欲しい。それで――」

『明日に行われる倉持技研が中心となって開催するイベントに参加しろということか』

「う、うん」

 

 デュノア社長は尊大な態度でありつつも事務的な対応でありながらシャルロットの言葉を先読みする理解力を示してきた。

 ……いつもこうだった。

 父親がシャルロットに関心があるのか無いのかわからない。だからシャルロットも自分がどうあるべきなのか、自信が持てなかった。

 今でも父のことでわからないことは多々ある。しかし、今はそんなことは些末な問題だった。

 

「一夏は決着をつけにいく。僕は彼の道を切り開きたい。そのための力を貸してください」

 

 自分にはやりたいことがある。デュノア社のことを考えたわけではない。その気持ちを前面に出して父親にぶつけた。

 これは“夕暮れの風”である自分を捨てたに等しい。ISVSを始めた当初のアイデンティティは崩壊した。しかし、不思議と落ち着いていた。

 ――もう、自分を肯定できるようになったから。

 

『……今一度繰り返そう。お前は強い子だ、シャルロット』

「パパ……」

『私は人付き合いが苦手だ。他人との距離を近づける努力をしたことがない。他人なんてものは放っておいても寄ってくるものだったからな』

 

 電話口の向こうで父親がどのような表情をしているのかシャルロットからは見えない。どことなく寂しそうだという空気だけ察している。

 

『だから私が他人にできることは、私がやりたいようにすることだった。もちろん例外はあったが、概ね私が好き勝手をした方が何事も上手くいっていた』

 

 唯我独尊な態度は結果論。すり寄ってくるものに対して対等であろうとする方が無礼であるという独自の理論でわざとそのような態度をしているのだと父が告白する。

 

『我が儘になればいい。私のように誰に対しても我が儘になる必要はない。だが少なくとも、お前は私に対してだけは我が儘になっていいんだ』

「我が儘になる……?」

『お前は私の娘だ。娘が父に媚びへつらうな。堂々と胸を張れ。お前がどのような道を選ぼうと、私の愛は潰えない』

 

 お願いをするだけの電話のはずだった。

 なのにこんな励ましの言葉を言われると思っていなかった。

 不意打ちだった父の温かさに涙腺を刺激される。

 

「パパ。僕ね、帰ったら言いたいことがいっぱいあるんだ」

『良かろう。パーティの準備をして待っている』

「うん。楽しみにしてる。そのときは友達も一緒に連れてくよ」

 

 年の暮れ。暗がりの一室の中、親子の電話は深夜にまで続いた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒはISVSにログインしていた。日本国内のロビーから転送ゲートを介し、ドイツのロビーに移動している。その理由は黒ウサギ隊の皆に会うためだった。

 

「揃っているな?」

「はっ。お待ちしていました、隊長」

 

 部下を代表してクラリッサが返答する。

 

「ん? 専用機持ちが駆り出されていると聞いていたが、クラリッサは残っているのか?」

「ドイツ代表のみで戦力は事足りるという政府の判断があったようで、黒ウサギ隊には待機命令が出されています。念のために言っておくと准将の独断ではありません」

 

 話題となった上官もこの場にいる。

 

「代表以外の温存は亡国機業の動きを警戒しての妥当な判断だ。最高戦力である国家代表を送り出せば国としての面子は立っている」

「つまり上層部は今回の隕石の件を亡国機業の仕業だと考えているのですか?」

「最初はそうだった。だが亡国機業の“ネクロマンサー”が隕石迎撃に参加したとの報せを受け、混乱しているというところが現状だ」

 

 バルツェルは両手を挙げて首を横に振った。

 情報が錯綜し、目に見えている脅威がある。状況に振り回されている政府は後手後手の対応をするしかできておらず、さらには解決の糸口が見えていなかった。

 

「では早速だが、ボーデヴィッヒ少佐の持ち帰った情報を聞こう」

「了解しました」

 

 黒ウサギ隊がわざわざISVSに集まったのは他でもない。ラウラが織斑一夏の元から持ち帰った情報を元にして、黒ウサギ隊の方針を決定するためである。

 

「現在、地球に迫っている隕石の正体は篠ノ之束が製造したマザーアースであることは間違いありません。しかし本来は現実にないマザーアースであり、オリジナルは仮想世界に存在。現実の脅威となっている隕石は“想像結晶”により生み出されたコピー体であると結論づけられました」

「想像結晶……篠ノ之束がその技術を実現してしまったのか」

「知っての通り、現実で隕石をいくら破壊しようとも想像結晶により即座に次の隕石が送られてきます。想像結晶の制約により同時に2つ以上のコピー体が存在できないことは不幸中の幸いと言えます」

「なるほど。詰みに等しい状況かもしれないが、少なくともしばらくは現状維持をするだろうということか」

 

 バルツェル准将が立派な顎髭をさする。

 

「国家代表部隊はどこにも動かせない。問題の解決策は出てきたのか?」

「方法は至ってシンプル。仮想世界に本体があるのなら、仮想世界の本体を潰せば次の隕石は現れない。一般プレイヤーも集結させて、数の暴力で小惑星型マザーアース“ルニ・アンブラ”を破壊する作戦です」

「時間も有限。奇策に出るだけの猶予も無しということか」

「はい。我々も全隊員を出撃させて、加勢するべきと考えます」

 

 小難しいことは何もない。目的と方法が提示され、自分たちもその方法を実践する。ラウラの単純明快な要求に嫌がる素振りを見せる隊員は皆無であり、逆に拍手が起こった。

 明らかに持ち上げられすぎている。そう感じたラウラは鬱陶しそうに手でパッパッと払いのけた。とは言っても顔は笑っているのだが。

 

「反対はなし。では、准将。承認を願います」

「私も反対する理由などない。むしろ他から戦力が補充できないか検討してみることとしよう」

 

 方針は即座に決定した。クラリッサから細かい指示が各隊員に飛ばされていく。

 その様子をラウラは黙って眺めていた。当然、そんな彼女のことを気にかける男がいる。

 

「まだ元通りとはいかぬか?」

「戻る必要などありません。私は未来(まえ)に進みたい」

「……進めているのか?」

「はい。まずは皆のことをじっくり見ようと思いました」

「そうか。ならばいい」

 

 交わす言葉は少ない。しかし伝えたい思いは通じ合っていた。

 

「ではな。私は上層部に報告をせねばならない」

 

 片手を挙げたバルツェルが現実へと帰還していく。

 ラウラもまた敬礼をして見送った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「折角の病院以外の景色を楽しめるチャンスなのですが、台無しな空ですね。困ったものです」

 

 仮想世界で頭上を見上げると無数のゴーレムが空を埋め尽くしている異様な光景が広がっている。

 ゴーレムの大軍は地上に攻撃を仕掛けて来ていないが敵対の意思がないわけではない。既に倉持技研から送られたプレイヤーが宇宙へ上がろうと試みており、その際にゴーレムたちに妨害され、撃墜されている。ゴーレムたちの包囲網はプレイヤーを地球に閉じ込める檻であった。

 

「ヤイバくんとナナちゃんが2人で飛んでいた景色をもう一度見るには、障害が多すぎますね」

 

 シズネ――鷹月静寐は今までの出来事を思い返す。

 最初は仮想世界の空など見る余裕もなかった。ナナと二人で迷い込んでしまった世界の中を生き延びるのに必死だった。

 まともに空を見上げたのはヤイバとナナがお互いの正体を知った後。二人が空でダンスを踊っていたのを下から見上げたとき、背景に過ぎなかったはずの空にもシズネは見惚れてしまった。

 恐ろしい場所だったISVSも見方が変わると美しく感じられた。

 怖い世界。嫌な世界。それは一面に過ぎず、楽しい世界も内包しているのだとシズネはもう知っている。

 

「もう一度……今度は皆で飛びたいです」

 

 悲観などしない。楽しい世界は自らの力で掴み取ればいい。そう教えてもらったからシズネは戦える。

 もちろん、戦おうと決意しているのはシズネだけではない。

 

「その“皆”の中に私たちは入ってるの?」

 

 シズネの傍らに立つ3人の娘もまたシズネと同じ境遇だった者たちであり、志も同じくしている。

 

「もちろんです、レミさん」

「シズネって変わったよね。会った頃はナナの後ろで『ナナちゃんナナちゃん』言ってただけで、私らの顔を見ようとしてなかったのに」

「すみません。極度の人見知りなんです」

「初対面の人に全力で失礼な発言をかます人見知りを私は知らないけど、そういうことにしておくわ」

「失礼な発言……?」

「うっそー! ラピスに向かって『友達少なくてかわいそう』みたいなこと言ってたのを忘れたの!?」

「言いましたけど、何か問題が?」

「ダメだ、この子。人見知り以前に常識が無かったんだった」

 

 レミが頭を抱えて唸っているのと入れ替わるようにリコが一歩前に出る。

 

「一般常識なんてものは自称常識人たちのスラングに過ぎない! 私はシズネのぶっ飛び方の大ファンだから!」

「そうなんですか。ウザいです」

「やったー! ……でもちょっと待って。なんか納得いかない! 今の私、ウザいこと何も言ってないよね?」

 

 リコは後ろにいるカグラの方を振り返った。しかしカグラは目を閉じていてリコの方を見ていない。

 

「存在がウザい」

「カグラ、ひどっ! ねえ、レミぃ。最近、カグラが冷たいよぅ」

「何言ってるの? 昔からこうだったでしょ」

「あれ、レミも味方してくれないの? というか私の記憶が皆と食い違ってる気がするんだけど」

「それは勘違いよ、リコ。食い違っているのは記憶でなく、認識なの」

「ああ、なるほど……ん? 本当に、そう? 私はそれを認めてしまっていいの?」

「どうでもいいことで悩まないでください、リコさん。ウザいです」

「確かにどうでもいいことだわ。でもさ、こんなどうでもいいことを話せるって素晴らしいことだと思うの」

 

 そんなリコの一言を否定する言葉は誰からも返ってこない。

 カグラがゆっくりと目を開く。

 

「必要なことしか喋らない。それが常に効率がいいとは限りません。無駄と思えるものにこそ価値がある場合だってありますわ」

「お? 珍しくカグラが同意してくれた」

「私たちはアカルギを海の底から引っ張り上げた。あのときは無駄だと思われたことだったけれど、あの戦いがなければ明日の反撃が頓挫していた可能性が高かった。たとえ結果論であっても、意味がないことだけは否定できます」

「つまり、徹底的に足掻きましょうということでいいですね?」

 

 言葉を継いだシズネに頷きを返すカグラ。彼女は手にしていた刀を鞘から抜き放つ。

 

「私は足掻くだけで終わるつもりはありません。勝ちに行きましょう」

 

 黒髪美少女の目つきは“真剣”そのもの。ゼロフォビア(スライム)に敗北した剣士は己のプライドをも賭けて次なる戦いに備えている。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 大晦日の前日。鈴は実家の中華料理屋の手伝いをしていた。元々そのような予定を立ててはいなかったのだが、一夏の家で解散した後に真っ直ぐに帰ってきていたのである。

 特に強い意志があったわけでもない。帰るべき場所に帰り、家族とともに過ごす。そんな日常に居るだけなのだ。

 

「はぁ……」

 

 こうして溜め息を漏らすのも最近の日常であったりする。その多くは一夏が原因なのだが、今回ばかりは少々違う方向性で憂鬱になっているのだった。

 

「ちょっと見栄を張りすぎたわ……」

 

 脳裏に巡るのは昼間の一夏の家でのこと。鈴は自信ありげに『宇宙に出るまでは任せろ』と言った。勝算があるわけでなく、一夏を温存しないと勝てないという事実を意識しての発言だった。

 いや、一番意識していたのは全体の勝敗よりも自分のプライドであったのかもしれない。宇宙に上がってからの決戦では鈴一人の力など微々たるものとなるだろう。その戦場で一夏の役に立てているのだと自分を納得させるのは難しいと無意識ながらに感じていた。

 一夏の役に立ちたい。そう思うようになったのもセシリアが日本にやってきてからだ。一夏の一番の理解者の座を取られそうだと焦っていた。それは今でもあまり変わっていなかったりするのだが、鈴はそんな自分の思いに気づかないフリをしている。

 

「いらっしゃいませー」

 

 決戦の前日だというのにウェイトレスとして仕事をこなしている理由は大きく2つに分けられる。

 1つはもし負ければ現実世界が終わるという不安から、大好きな家族と居る時間が欲しかったから。

 もう1つは大役をこなせる目処が立っておらず、対策の立てようもない現状から逃避しているから。

 

 既に作戦に参加するメンバーには声をかけてある。人選は間違っていないとは思っている。それでも敵の全容を把握できていない不安は拭えない。ベストを尽くして天命を待てばいいだなどと言っていられない。鈴には結果が必要なのだ。

 

「いらっしゃいま――」

 

 新しく来店した客に挨拶をする鈴。その言葉は途中で止まり、表情も笑顔のまま固まって動かなくなった。

 来店したのは男子高校生。特別に身体的な特徴があるわけでなく、顔面偏差値も平均を下回っていると本人は思っている。そんなクラスメイトである幸村亮介が一人で店に来ていた。

 

「マジで!? 今日、鈴ちゃん居る日だったっけ!?」

「うげっ、幸村じゃん」

 

 鈴があからさまに“来るんじゃないオーラ”を発しているというのに幸村のテンションはうなぎ登り。ノリノリなままカウンター席までやってくると「大将、いつもの!」と奥に声をかけている。店の主人――鈴の父は「おう!」と親指を立てた。

 こんな二人のやりとりを鈴は初めて見た。

 そして、思う。

 

「……意外ね。アンタ、あたしがいないときにもこの店(うち)に来てたんだ」

「俺だって鈴ちゃんのスケジュールを完璧に把握してるわけじゃないって。そんなストーカーみたいな真似はしないんだ」

 

 つまり、休みの日に幸村は頻繁にこの店に来ている。それがたまたま鈴の手伝いの日であることを祈ってのことなのだろうか。

 

「毎日来てるの?」

「隔日くらいかな?」

「それもストーカーみたいなもんじゃないの……?」

「いや、俺は大将の料理を食いに来てるだけだ! ……という大義名分がある」

「それを言っちゃダメでしょうが」

 

 鈴の軽いチョップが幸村の脳天に下ろされた。いつも鈴は容赦ない回し蹴りを入れるからか、幸村にはそれがとてもソフトに感じられるものだった。

 

「ダメだ。足りない」

「アンタ、本格的に頭が逝かれてるんじゃない?」

「もっとだ、もっと俺に痛みを――じゃなくてさ」

 

 また変態発言でも飛び出すのか。そう身構えていた鈴だったが、幸村が姿勢を正して鈴に向き直った。普段のふざけている彼からは想像もつかないクソが付くほどの真面目な顔つき。

 

「鈴ちゃんに元気が足りてない」

 

 鈴は即座に幸村に背を向けた。

 向き合うことができなかった。

 

「気のせいよ」

 

 しばしの沈黙。店内には奥で油の跳ねている音が響くのみ。

 少し気まずい雰囲気となる中、幸村はバツが悪そうに後頭部を掻いた。

 

「……やっぱりそう? いやー、俺って良く勘違いするからさ。ごめんなー」

 

 恐ろしいほどの棒読み。彼なりに空気を読もうとした結果なのだが、完全に逆効果になっている。

 下手くそな配慮。それが却って鈴の心に響いた。

 

「不安なのよ。出来る当てもないくせに大口を叩いてさ」

 

 普段なら絶対に見せない本音をぶちまけてしまう。

 弱音を聞かされた幸村はと言うと、うんうんと大げさに頷いた。

 

「わかるわかる。好きな子に自分のカッコイイところを見せようとするのは男の(さが)。鈴ちゃんは男顔負けの男らしさも備えてるから、男っぽい弱点もあるんだよ」

「アンタね……あんまり男らしいとか言わないでくれる? 女の子らしくないのは自覚してるから――」

「否! 断じて否っ! 鈴ちゃんが乙女でなくて誰が乙女だと言うのかっ!」

 

 鈴が自分の胸を見下ろしてがっくりした瞬間に幸村が大声を張り上げた。これには肝っ玉の据わった鈴も目を丸くする。

 

「セシリア・オルコットは確かに美女だ。才色兼備で非の打ち所がない。だが! 非の打ち所がないのは短所にもなり得る!」

「どういうことよ?」

「俺みたいな男はね、可愛い女の子の力になりたいものなんだ。だけど強すぎる女性は助けを必要としてない、もしくは助けるために要求されるレベルが高すぎる。要するに高嶺の花なんだ」

 

 ジト目で幸村に抗議する鈴。

 

「俺は至って真面目だし、鈴ちゃんを卑下してるわけでもない。他人から『助けたい』と思ってもらえるのは、その人の人徳そのもの。一人一人が微々たる力でも多数の人から助けてもらえるなら、助けられた人は強いと思うよ」

 

 付け加えられた言葉を聞いた鈴は、自分よりもむしろ一夏に当てはまっていることなのではないかと感じている。幸村から見て鈴がそうなのだったら、特に悪い気がしなかった。

 

「だから、一人で抱え込む必要なんてないんだ。鈴ちゃんは難題に挑むことを決めたけど、一人の戦いじゃない。“俺たち”がついてる」

 

 ガラガラと入り口が開けられて次々と客が入ってくる。彼らは皆、藍越学園の男子高校生。さらに言えば、この店でよく見かけるメンツである。

 

「わーお! 本当に鈴ちゃんがいるじゃん!」

「幸村、テメェ! 独り占めしてやがったな!」

「来るのが遅いお前たちが悪い」

「違う! 俺はもう食い終わって出て行った後だったんだ! 腹がいっぱいだぜ!」

「……じゃあ、なんで中華料理屋に来たんだよ?」

「そこに理由がいるなんておかしくね?」

「それもそうだな。大将、水ーっ!」

「俺も俺も!」

「料理を注文しろォ!」

 

 一気に席が埋まるほどの大盛況。ここに居る者たちは皆、鈴に惹かれて集まった。そしてそれは――鈴を性的な目だけで見ているわけじゃなかった。

 

「はっきり言ってさ、鈴ちゃんは俺らのアイドルなんだ。別に付き合いたいとかじゃなくて素直に応援したい気持ちで満たされてる。少なくとも俺は鈴ちゃんに救われたから」

「あたし、何かしたっけ?」

「心当たりなんてないと思うよ。具体的に話すと本当にちっぽけなことだったりするし。それでも俺たちが凰鈴音という女の子を好きになるには十分だったんだ」

 

 ここで鈴は振り返った。背中を向けていた店内には鈴を慕っている男たちで溢れかえっている。

 

「はぁ……どうでもいい男には好かれるのよね」

「ひどいよ、鈴ちゃん! でも言いにくいことでもハッキリ言う鈴ちゃんが好きだ!」

「はいはい」

 

 面と向かって好きと言われるのにも慣れていて、ぞんざいに受け流す。これももはや様式美。いつもの状態に戻ってきた証であった。

 

「じゃあ、折角何人か集まってることだし、言っとくわね」

 

 店内にいるのは鈴ちゃんファンクラブのほんの一部である。しかしながら全体に影響力があるメンバーなので、言っておく価値がある。そう、鈴は判断した。

 

「連絡が行ってると思うけど、明日の午前中、ISVSをやるわよ。決戦の前哨戦。本当の最終決戦を行えるかどうかはあたしたちにかかってる。アンタたちはあたしの力になりなさい!」

『喜んで!』

 

 一人一人の力は微々たるもの。

 しかし、鈴一人で立ち向かうよりも遙かに心強い仲間たちであった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『――なるほどね。少年の狙いは良くわかった。危険極まりない代物だが背に腹は代えられない。お姉さんも協力するとしよう』

 

 俺は自室で電話中。電話口の向こうからは彩華さんの声が聞こえてきている。

 昼に俺たちは方針を固めた。折角出した結論も絵に描いた餅では意味が無い。実際にISVSの運営を動かすには一定以上の権力を持った人が必要であり、俺が声を掛けられる範囲だと彩華さんが適任だった。

 仮想世界の黒い月――ルニ・アンブラを破壊すれば地球の危機が去る。俺と千冬姉が得た情報をしっかりと受け止めてくれた彩華さんは世界中のプレイヤーたちを巻き込む俺の作戦を肯定してくれたのだ。ついでの頼み事の方も協力を得られたのは大きい。決戦で俺の力になってくれるはず。

 

「ありがとうございます」

『礼など不要だよ。むしろ我々大人は君たちに謝罪せねばならない立場だろう。本来は大人が解決すべき問題だったにもかかわらず、少年少女たちに重荷を背負わせている』

「いえ、謝罪など不要です。俺は箒を助けられればそれでいいですから」

『フフッ、確かにそうだ。では互いに全力を出すとしよう』

 

 電話が切れる。これで今日、俺ができる下準備は終わった。

 

「お疲れ様ですわ」

 

 携帯を懐に仕舞うとほぼ同時にセシリアが紅茶を差し出してくれた。

 

「ありがとう」

 

 礼を言って受け取りつつも少しばかり違和感がある。セシリアの入れてくれた紅茶を飲むのは割と良くあるんだけども、俺の部屋で彼女から紅茶を受け取るのは初めてのことだ。

 違和感の正体はすぐにわかった。通常、ダイニング以外に紅茶を持ち出す際、セシリア本人が持ってくることはない。いつもならチェルシーさんが付き添っていたからだ。

 

「チェルシーさんは?」

「ジョージ共々、本国に帰らせていますわ。明日に向けて出来る限りの戦力を用意しておかなければなりませんので」

「セシリアは行かなくて良かったのか?」

「わたくしが直々に出向くだけの意味がありませんわね。表向き、わたくしは国家の期待を裏切った代表候補生ですので、(おおやけ)の場で声を上げるのは逆効果なのです」

 

 一緒に紅茶を飲む。俺の部屋のベッドに勝手に腰掛けているセシリアだが高級な椅子などなくてもそのゆったりとした所作には気品を感じさせられる。

 優雅な見た目。自虐する言動。そうしたギャップは初めて会ったときから少しも変わってない。

 

「世間はセシリアの凄さを理解してないんだな」

「同情するつもりならその笑顔を引っ込めてもらえます? からかわれてるようにしか思えませんわ」

 

 指摘されて気づいた。たしかに俺は笑っている。

 ……なるほど。俺は意外と欲深いのかもしれない。

 胸の内にある喜びの感情を自覚し、声に出して「アッハッハ」と笑ってしまう。

 

「え……? 本当にからかってますの?」

 

 なぜか本当に驚いているセシリアに向けて両手を交差して×印を示しておく。

 

「違う違う。セシリアの頼もしさを知ってるのが俺だけだと思ったら、なんか嬉しくなってさ」

「あら? それは独占欲でしょうか?」

「たぶん、そうだ。セシリアみたいな高嶺の花が近くにあるように錯覚できる。そんなことはないはずなのにな」

 

 話していて目の奥が痛くなった。

 明日には決戦が控えている。敗北は世界の滅亡。勝利は箒の帰還。中途半端な終わりなんて考えられなくて、どう転んでも俺の戦いは終わってしまう。

 箒が帰ってくる。それは俺が望んでいた結末に違いない。箒を助けないなんて選択肢はない。だから俺の進む道は間違ってないと言い切れるんだけど、決戦を前にして胸の内を寂しさが埋めてきている。

 今が終わって欲しくなんてないだなんてあり得ない。だけども、名残惜しいとも思う。その理由は一つしか思いつかなかった。

 

 ……この戦いが終わったら、俺とセシリアの関係は終わる。

 元々はたった一人で始めた戦いだった。最後まで一人で戦うつもりだった。

 そんな孤独の中で出会った最初の戦友。目的が同じだったから利用し利用される良い関係が築けると思っていた。

 俺の精神的に都合の良い存在だった。

 だけど、都合が良すぎた。相性が良すぎた。

 セシリアは俺に足りないものを持っている。射撃の腕、情報収集・処理能力の高さ、物事を俯瞰的に見る観察力。彼女と一緒に活動している間、俺は前に進み続けることが出来た。

 

 いつもいつも、俺は俺一人の力で戦っていないと言っている。

 手を貸してくれる皆がいたから勝ててきたのは間違いない。

 そこには必ずセシリアの存在があった。

 俺の力なんてちっぽけなものだったと言えるけど、セシリアのことを大勢の中の一人だなんて括りにまとめることなどできない。

 

「俺は本当に幸せ者だよ。ありがとな、セシリア。お前には本当に助けられた」

「……鈴さんも言ってましたが、お礼を言うにはまだ早すぎますわ」

「いや、そうなんだけど、どうしても感謝を言いたくなったんだよ。普段はこんなこと言ってないから」

 

 もう決戦が近いという気の緩みだと思ってる。終わりが見えないうちは自分のことで手一杯だったから、誰かに礼を言うことすら人間関係を円滑にするための手段としか思ってなかったように思う。そういった打算抜きの感謝を口に出したのは今日が初めてかもしれない。

 だけど――

 

「感謝を言い訳にしないでください!」

 

 セシリアが怒鳴ってきた。怒るにしても静かな彼女が声を荒げるのはよほどの事態である。だが俺には原因に皆目見当が付かない。

 オロオロとする俺。頬を膨らませているセシリア。こんな硬直状態のときに俺の方から声をかけることができないのは以前から成長していない証か。

 

「外に出ますわ!」

「あ……いってらっしゃ――」

「一夏さんもですわ!」

「は、はいっ!」

 

 完全に気圧された俺はセシリアに言われるがままに出かけることとなった。

 

 

  ***

 

 

 目的地もわからぬまま徒歩で移動。

 いつもの駅に着いたかと思えば電車に乗り込んでいる。

 その間、俺はずっとセシリアに手を引かれていた。

 電車内は満員電車と言うほど混雑してはいなかったけど席は埋まっていた。俺はセシリアと手をつないだまま入り口付近で立っている。

 端から見れば恋人のように見えるのだろうか。俺の心情としては飼い犬と主人なんだけども。

 

「なあ、セシリア。どこに行くんだ?」

「さあ? どこでしょうか?」

 

 “いたずら決行中”と顔に書いてある邪悪な笑み。教える気は全くなさそうだ。まあ、それならそれでいい。少なくとも悪い方向には向かわないと思えるから、行き先不明のままでも俺は素直に従っておくことにする。

 ……しかしずっとセシリアのペースというのもつまらない。俺からも何か仕掛けるか。

 

「そういえば気になってたんだけどさ」

「行き先以外で、ですか? なんですの?」

「セシリアって、電車に乗れたんだな」

 

 瞬間、俺の額に衝撃が走る。

 無言でノータイムのデコピンを俺は躱せなかった。

 

「わたくしを馬鹿にしないでくださいな。初めて電車に乗りましたけど、予習はバッチリですから」

「やっぱ初めてだったんだ……って、予習?」

「ええ。計画を立てたからにはシミュレーションも念入りにしておくのは当たり前のことですわ」

 

 計画を立てたって言ったか? つまり、これは俺がセシリアを怒らせたことに起因する突発的事象などではなく、予定を立てていたらしい。

 

「じゃあ、これはちょっとした旅行なのか?」

「わたくしにとっては“冒険”かもしれませんわね。何事も初めてというものは緊張するものですから」

「セシリアでも緊張するんだな」

「一夏さんは覚えておられないかもしれませんが、わたくしも一夏さんと同い年の女子高生なのですわ。怖いものは怖いのです」

 

 知ってる。セシリアはイルミナントと対峙したとき、敵に向ける銃口が震えてた。恐怖もあっただろうけど、外したら終わりというシチュエーションで全く動じないなんてことはなかった。

 怖いものは怖い。セシリアにとってIllという存在は恐怖の対象であったはず。チェルシーさんが戻ってからも俺の都合で彼女を巻き込み続けている。

 以前にセシリアは自分のために戦っていると言ってきた。でも、どう考えても俺のためだろう。でないとセシリアの行動のいくつかは説明できない。

 

「セシリアはさ、どうして――」

「あ、着きましたわね。降りる準備をしてください」

 

 どうして俺と共に戦ってくれるのか。

 そう聞こうとした言葉は偶然にも遮られてしまって消えてしまう。

 言い直すことも出来たはずだけど、俺はもう一度繰り返すことができなかった。

 ……聞きたくない答えが返ってくるかもしれなかったから。

 

 

  ***

 

 

 降りた駅は無人駅で人はいなかった。晴れ渡った冬の空は気温が下がっている証拠。突き刺さるような冷たい空気が頬を撫でたとき、同時に鼻腔を潮の香りがくすぐってきた。

 着いた場所は海沿いの田舎という印象だった。砂浜もなく、コンクリートで固められた海岸では観光客を呼びにくそうだ。周囲に民家も見えず、観葉植物っぽい樹木が並んでいるだけの殺風景がひたすらに続いている。

 セシリアが俺を連れ出した目的地にしてはとても地味な場所だった。

 

「……こんな場所に来たかったのか?」

 

 否定的に質問しながらも俺は期待もしている。俺が知らないだけでセシリアが知っている素晴らしいものがあるのかもしれないし。

 

「このような場所でしたのね。知りませんでしたわ」

 

 そんな俺の淡い期待はあっさりと裏切られた。隠れた名スポットどころか、セシリア自身も初見という事実を知らされる。

 ……セシリアはわかってるんだろうか? 俺たちには時間がないってことを。

 

「では行きましょうか」

 

 この後はどうするつもりかと思っていた俺に対し、セシリアはつないでいた手を引っ張ってきた。まだ俺をどこかに連れ出そうとしている。彼女のことは信用しているけど、俺の脳裏には明日の決戦が控えている現実が過ぎっている。無駄なことはしたくない。

 

「どこに行くんだ? 俺たちにはこんなところで時間を潰している余裕なんて――」

 

 余裕なんてない。そう言おうとした俺だったが、セシリアの人差し指で唇を押さえられて強引に黙らせられる。柔らかいタッチだが、芯のぶれない力強さで気圧(けお)された。

 

「明日までわたくしたちにできることなどもうありません。賽は投げ終わりましたわ」

 

 たしかにイベントの準備は彩華さんにお願いした時点で俺の仕事は終わっていた。前準備となるアカルギの打ち上げは鈴が担当すると決めているし、セシリアがそれを承認したってことは既に策があるということだ。

 残る仕事は明日の決戦で勝つだけ。今できることは休むこと。

 頭ではわかってるんだけど、今の時間を無駄に過ごしていると思うと焦って仕方がない。

 俺の焦燥はきっとセシリアにバレている。それでも彼女は俺の手を引いてどこかへと連れ出そうとしている。根拠もなくその手を振り払うことなど出来なかった。

 

 海岸線まで出てきた。砂浜でなく、海面よりも2mほど高いコンクリートの壁の上にまで波打ち際の冷たい水飛沫が跳ねてくる。波が打ち付ける音以外は鳥の声くらいしか聞こえてこない。そんな車の通らない閑散とした道路の脇を2人でのんびりと歩いていた。

 

「風が気持ちいいですわね、一夏さん」

 

 とっさに同意できなかった俺は口を噤んでしまった。折角、セシリアが楽しそうに笑ってるけど、その感情を共有できそうになかった。

 そもそもセシリアは俺に怒っていたはず。

 どうして何も言ってこない?

 どうして笑っていられる?

 理解できない。

 

「……海を見てもらえますか?」

 

 立ち止まったセシリアはつないでいた手を離した。

 家を出てからというもの、ずっと離そうとしなかった手を。

 つまり、こここそが目的地。特別なものは何も見当たらない。目に飛び込んでくる風景は広大な海が広がっているだけだった。

 

「静かな海を見ていると落ち着きませんか? それも今日のように晴れた空だと、空と海で鏡に映したような青い世界が広がります。わたくしはこの色が好きなのです」

 

 雲もほとんどない空には言われてから気がついた。

 青い空。青い海。なるほど、確かに青尽くし。セシリアが近場で青い景色を求めたのなら、ここが目的地なのも納得できる。

 

「青は母が好きだった色でした。自分の瞳を指しながら『青には誠実が宿っているの』と自慢げに語っていたことを今でもハッキリと覚えています。お金で人は動くけれど、お金だけが全てではないのだとも教わりましたわ」

 

 そういえばセシリアの親の話を俺は初めて聞いた気がする。俺自身に両親の記憶がないから、あまりセシリアの親について触れようとは思ってなかった。既に亡くなっていることは知ってたから俺の方から聞くような内容でもなかったし。

 

「本当のことを言ってしまうと、わたくしは最近まで母の教えを理解できていませんでした。わたくしが取り残された後、わたくしに寄ってきた人たちにはわたくしはお金にしか見えてなかったでしょう。わたくしも人はお金で動くものだとそう思うようになっていましたわ」

「今では弱みを握って脅すことを覚えたから金なんて要らない、ということか?」

「そうですわね。結局のところ、人は損得勘定で行動指針を決めます。何が得で何が損であるのか。そこに違いがあるだけなのですわ」

 

 冗談を言ったのにまさかの肯定をされてしまって、俺は口をあんぐりと開けざるを得ない。

 弱みを握って脅す、の箇所はキッチリと否定してくれ。建前だけでもいいから。

 

「大金を得る。脅しに屈する。結局のところ、『今よりも良くなった』と言える環境を求めて人は足掻いています。箒さんを取り戻したいという一夏さんの戦いも、願う未来があるからこそでしょう?」

「ああ」

 

 これだけは即答できた。

 しかし相変わらずセシリアの言いたいことが掴めていないまま。

 だから聞くことにした。俺が気になっていたことを。

 

「セシリアにも願う未来があるんだよな?」

「当然ですわ」

「それが何か聞いてもいいか?」

「では、単刀直入に言いましょう」

 

 向かい合ったまま一歩前に進み出てきたセシリア。

 上目遣いの彼女の顔がかなり近い。

 反射的に離れようとして俺の右足が一歩下がった。しかしそれ以上離れられない。セシリアが俺の腰に手を回して抱きついているからだ。

 

「わたくしは……今のこの関係がずっと続いて欲しい。そう願っていますわ」

 

 急に俺の肩から力が抜けていったのがわかる。さっきまで離れないといけないと思っていたけど、今は逆に離れたくないとさえ思っている。

 

 セシリアは俺と同じ事を思ってくれていた。

 

 全てが終わった後、イギリスに帰りたくないと言ってくれている。

 

「でも……帰るんだろ?」

 

 願い。それは実現が遠い未来を意味している。だから全てが終わった後、セシリアは日本から去ると決まっているのだろう。

 それも仕方がない。そもそも彼女は代表候補生。本来は公人としての立場があるのだから、ここまで俺に付き合ってくれただけでも御の字というもの。

 

「一夏さん次第ですわ」

「はい?」

 

 どういうこと?

 思っていた返答と違う。

 

「言葉通りですわ。一夏さんが望むのなら、わたくしはしがらみを捨ててでも一夏さんの隣(ここ)に残りましょう」

「なんでそこまで……?」

「やはりそうでしたか。ここまで来ると単なる鈍感ではなく、強い思い込みがあるとしか思えませんわね」

 

 セシリアの体が離れる。柔らかさと温かさを同時に失った俺の右手は勝手に彼女へと伸びていた。

 無意識に伸ばした右手は彼女の左手とつながる。互いの指が互いの指の間で絡まり、彼女は俺を引き寄せようと引っ張ってきた。追いかけようとして前のめりだった俺は体勢を崩す。

 いつの間にか俺の襟がセシリアの右手に掴まれている。これまた引っ張られた俺は前に倒れかねないほどつんのめる。

 

「うおっ――ん……」

 

 ……すぐ目の前にセシリアの顔があった。ほぼ密着する距離。香水の匂いだけでない女の子の香りが俺の鼻腔を埋め尽くす。

 唇に当たる柔らかい感触。これはさっきみたいな人差し指じゃない。

 

 キス、された。

 

 時間にして一秒ほどだろうか。実際はもっとあったのかもしれないけど、俺には時間をカウントするだけの余裕なんてなかった。

 口が離れ、体も離れる。

 今度は喪失感なんて全くなくて、ただただ余韻だけが唇に残り、頭の中が痺れている。

 

「わたくしがあなたを手助けする理由など、好きだから以外にありませんわ、朴念仁さん」

「え……えぇ!?」

 

 ちょっと待ってくれ。まだ頭の整理が追いついてない。

 セシリアが好き? 俺を? 友人としてでなく、男として?

 

「そこまで驚かれるとは思いませんでした。悲しいですわね。これまでもわたくしは必死に歩み寄っていたのに……」

 

 いや、妙に距離感が近いと思うことはあったよ? その度に俺は自分の勘違いだって言い聞かせてきたんだ。だって、これまでは――

 

「恋人のフリだったんじゃないのか?」

「ああ、あれが原因でしたか。しかしですね、一夏さん。あなたも知っての通りわたくしは昔、男性に嫌悪していた時期がありましたの。そんなわたくしが例え演技であっても殿方に触ることが出来ると思いますか?」

 

 クロッシングアクセスしたときにチラッと聞いたような気がする。男嫌いがするような真似じゃなかったと言われればその通りだ。

 

「あれってセシリアと知り合ってからそんな時間が経ってなかったよな。俺の方にしてみれば、まだセシリアの本名すら知らない時期だぞ? そんな頃からなのか……?」

「ええ。わたくしも自覚したのはもっと後ですが、今にして思えば、日本に来たのもチェルシーのためだけのはずがなかったのです」

 

 俺はクロッシング・アクセスによってセシリアと通じ合ったとき、彼女の記憶の一端を覗いた。

 家族同然だったチェルシーさんを失った。今まで頼りにしてきたオルコット家の権威でも事態は改善せず、代表候補生でありながら力尽くで解決できる力すらなかった。

 オルコット家の当主として強い人間であった彼女は、あの一連の出来事でそれまでのアイデンティティを全否定されている。

 男性不信どころか人間不信にすら陥っていた。

 チェルシーさんを救えるのは自分だけだと、自分を追い込んでいた。

 

 彼女に秘められていた想いは激情。

 多くを失った悲しみと奪った者への怒り。

 

 そんなセシリアが日本にまでやってきた理由は俺に会うためだった……?

 

「わたくしはずっとオルコット家の当主として振る舞ってきました。当然、相手もわたくしのことをセシリアでなくオルコットとして扱ってきます。それが当然だと思っていたのです」

 

 セシリアはオルコット家の当主で在り続けなければならなかった。

 誰に強制されたわけでもなく自分の意思だったことだろう。

 オルコットの家名は誇りであると同時に、今は亡き両親との繋がりの象徴。

 親というものを俺はよく知らない。でも、大切な誰かとの絆を失いたくないのは当たり前にわかる。俺が戦う理由も似たようなもんだしな。

 

「ですが、あの日。一夏さんと出会い、わたくしの素性を知らないあなたに言われた言葉がずっと胸に残っています」

 

 セシリアとの出会いはロビーでシャルの試合を観戦してたときだった。でもあのときの俺はテンパってて大したことを言ってなかったはず。

 

「俺、何言ったっけ?」

「『君が見てくれていれば俺は無敵だから』。わたくしの言葉を全肯定された瞬間、わたくし自身も無敵になった気がしました」

 

 それは俺が嬉しかった言葉を視点を変えて言ってやっただけだ。

 俺を無敵に仕立て上げたくせにセシリアは自信なさげだった。

 俺が認めた彼女の実力を、他ならぬ彼女自身が否定しているのは気にくわなかったんだ。

 

「オルコットであるわたくしを知らないあなたが、わたくし個人を認めてくれた。単純に嬉しかった。そう自覚した途端、気づきましたわ。わたくしは本当は――」

 

 俺は未だにオルコット家の権力なんてものは知らない。

 彼女に力になって欲しいと思ったのは、彼女がオルコットだからなんてどうでもよくて、彼女が良かった。

 資金力? 情報収集力? たしかに助かっている。だけどそれが彼女の全てではない。俺が彼女を必要としたのはもっと別のところ。

 孤独に戦っていた俺は彼女に救われたんだ。

 俺は――

 

「お母様のように“セシリア”とつながってくれる人を探していたのです!」

 

 我が儘で危険に飛び込む俺を肯定してくれる人が居て欲しかったんだ!

 

「……俺はセシリアとつながった」

「わたくしは一夏さんについていきました」

「俺はずっとセシリアに助けられてきた。一方的な関係だと思ってた」

「わたくしはずっと一夏さんに助けられてきました。わたくしばかりが得をしているのだと思っていました」

 

 初めは割と打算的だった。セシリアが居ることのメリットを考えて、鈴の前で恋人のフリをしたりすらした。

 だからだろうか。居てくれて当たり前に感じるようになっても、心のどこかで『セシリアはメリットがあって俺を助けてくれているだけであって、終わればすぐに去る』と思い込んでいた。

 

 勘違いだった。そうとわかった途端に俺たちは笑い合った。どこか後ろめたいと思っていたことで、逆にセシリアに迷惑を掛けていただなんて滑稽にもほどがある。

 

「さて、一夏さん」

 

 胸の内を少しばかり明かしたところでセシリアが改まって俺の名を呼んできた。

 

「どうした?」

「わたくしは今もあなたを見ています。であるならば、あなたは“無敵のヤイバ”なのですわ」

「ん? そうだな」

「だから箒さんが帰ってくるまで、わたくしに礼を言うのはやめてくださいな?」

 

 何を言いたいのだろうか。そう考えたとき、礼というキーワードから朝のことを思い出していた。

 俺が皆に礼を言ったとき、セシリアだけは笑ってなかった。心の底から、礼を言う俺に否定的だったんだろう。

 その理由。“無敵のヤイバ”と言われてやっと気づいた。

 

「……俺、箒を助けられないとか思っちまってたんだな」

 

 ゴールが見えてきた矢先で降って湧いた無理難題。

 箒が現実に帰る条件と箒が死ぬ条件が重なっている。明確な解決策がないまま、俺たちは明日を迎えようとしている。

 現状、説得しかない。その可能性を俺が信じられてない。

 

「この体たらくで箒を救えるとかあり得ないな」

「わたくしも解決策を導くことができていません。それでも言わせてください。決して諦めないでください。あなたが諦めれば、箒さんは絶対に帰ってこれないのですから……」

 

 その通りだ。千冬姉も言っていた通り、俺以外の人間は世界を救うために箒を見殺しにする。俺にしかできないんだ。

 

「気を引き締め直しましたか?」

「ああ。助かった。セシリアがいないと俺はダメだな」

「やはり全てが終わった後もわたくしが見ていないといけませんわね。おそらく、一夏さんはもう一般人でいられない未来が待っているでしょうから」

「やめてくれ。俺は平穏な生活を送りたい」

「人生、諦めが肝心ですわね。彩華さんを始めとしてIS業界ではもう有名人ですし」

「おい、そこも諦めるなって言ってくれよ!」

「それはそれ、これはこれ、ですわ♪」

 

 とても楽しそうなお顔をしていらっしゃる。真面目に俺の未来は今まで通りにいかないのかもしれない。

 まあ、それはそれでいいか。今まで通りが嫌だったから、俺は“楽しい世界”を求めて箒を助けようとしている。

 箒がいて、セシリアもいる。きっとそこは楽しい世界。

 

「そういえば、セシリア。さっきの話だけど――」

「わたくしが一夏さんのことを好きだという話でしたら、返事など要りませんわ。一夏さんがわたくしに好意を持ってくださっているのは聞くまでもありませんし、恋人になれという要求はまだ控えておきたいですから」

 

 これまた言いたいことが読まれてた。鈴に言ったことと同じ事を言おうとしたけど意味が無かったようだ。

 

「“まだ”、なんだな」

「ええ。これまた最近になって気づいたのですが、どうやらわたくしにも“欲”というものがあったようでして。一夏さんを独占したい想いで溢れていますわ」

 

 どストレートにぶつけられる好意に俺はたじろいだ。今まで高嶺の花だと思ってた人だからこそ、嬉しさが爆発して暴力的な衝撃が体を襲ってくるような錯覚すら覚える。

 

「もしここでわたくしが一夏さんに『恋人になれ』と迫り、一夏さんが了承したと仮定しましょう。そうなるとわたくしは一夏さんに幻滅してその場で別れ話が始まります。不毛ではありませんか?」

「あ、そうなるんだ?」

「当たり前ですわ。今の時点でわたくしに振り向いてしまうような一夏さんは、わたくしの好きな一夏さんではなくなり、単なるクズ野郎と化します」

 

 きっと俺がセシリアと付き合ったら、俺は今ほど箒を助けようとはしなくなる。

 俺の原動力は束さん風に言うと『楽しい世界を求める』という欲。

 セシリアと恋仲になった俺はその時点で楽しい世界に到達できてしまう。

 当然、そうなれば箒を救えない。

 幸せを掴んだ手では箒に届かないと思うから。

 原動力を失った俺はセシリアが好きになってくれた俺とは違っているということだ。

 

「でもそれだったら、決戦が終わった後の俺もセシリアの好きな俺じゃないだろ?」

「あら、そうですか? やり遂げた男の子というものもカッコイイと思うのですが」

「ああ、なるほど。道半ばで投げ出すなってことね」

「ええ。何よりもわたくしを妥協と扱われてしまうのが気に入りませんわ。わたくしはわたくし自身の魅力で箒さんから一夏さんを奪い取らなくてはなりません」

「楽しそうだな」

「ええ、それはもう。スタートラインが待ち遠しいですわね。そして、その日は近い」

 

 すっとさりげなく俺の隣に寄ってきていたセシリアが俺の左腕に抱きついてくる。

 

「大丈夫ですわ。わたくしたちは勝てます。もし一人で考え込んでしまって心が折れそうなときは、遠慮無く寄りかかってきてくださいな?」

「頼もしいな。そうさせてもらうとするか」

 

 青い空。青い海。そして青い瞳の彼女。

 俺たちはしばらくの間、寄り添い合って波の音に耳を傾けていた。


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