小高い丘。木々が生い茂る山間の中、切り開かれている一帯は一際目立つ場所だ。この土地における時刻は午後の3時頃。最高高度を過ぎたお天道様が西へと向かって降りていく真っ只中である。太陽という確かな光源の下であるのに、警戒の素振りを全く見せない漆黒のISが辺りを見下ろすように仁王立ちしていた。
「ふむ……目算を誤ったか」
腕を組んだまま独り言を呟く。眼下には木々の他にはコンクリートの建物しか存在しない。先ほどまではあちこちから銃声や爆発音が聞こえてきていたが、今は大人しくなってしまっている。
「隊長、ご報告が」
仁王立ちしていたISは隊長と呼ばれて振り返る。腰まで届く長い銀髪がサラリと流れて、人形のような美しくも感情の乏しい顔が森から現れた部下へと向けられた。隊長と呼ばれた少女と部下の女性はどちらとも左目に黒い眼帯を着けていた。
「一応、聞いておく。直接通信が繋げない時点でわかりきってはいるがな」
「はっ」
隊長である少女が報告の先を促す。隊長に対して高校生と新米教師くらい歳の離れた部下である女性が事務的に状況を説明する。
「先行して敵ISを引きつけていたミーネ隊の4名は3分ほどで全滅。単独で保護対象を追っていたヘルガも敵ISと遭遇し撃墜されました」
明らかに悪い報せ。だが銀髪の隊長は顔色を崩さず淡々と聞いていた。部下の失態よりも、その先にある新たな情報の方が重要である。
「『全滅した』の一言でいい。帰ったら説教だな。と言いたいところだったが少々不可解だ」
「敵ISの数……ですね?」
「そうだ。敵ISは2機。ミーネ隊がその存在を確認している。よもや4対2で負けるとは思っていなかったが、敵戦力はそこに集中していたはずだった。いくらヘルガが隠密活動用に装備の大半を外していたといっても、IS以外に敗れるとは考えづらい」
「敵の援軍と考えるのが妥当かと」
「それ以外の回答は存在しない。問題はターゲットが保有している戦力なのか、それとも他勢力の介入かだったのだが――」
「前者でしょう。後者ならば今頃潰し合いでもしてるはずです」
部下の返答を聞き、無表情だった隊長がフッと笑みを見せた。部下の推測を否定せず、悪い状況を受け入れての顔である。
「上等な獲物だ。隊員の教育目的で前線を任せていたが、存外骨のある相手らしい。久しぶりに私たちも全力を出せそうだ。そうは思わないか、クラリッサ?」
「…………」
「クラリッサ?」
隊長が笑顔を見せた。ただそれだけで副隊長であるクラリッサ・ハルフォーフの時間は一時的に停止した。常に的確な返事をする優秀な副官の突然の沈黙に隊長、ラウラ・ボーデヴィッヒは若干の焦りを見せる。
「どうした、クラリッサ!」
「慌てる隊長もかわいい……」
また例の発作か、とラウラはため息混じりにクラリッサとは反対側を向く。クラリッサを含めた全隊員は同じ病気を発症しているとラウラは確信しているのだが、軍医に相談しても『彼女らは異常ですけど正常です』という答えしか返ってこなかった。もう諦めている。
クラリッサのペースに合わせていると既に逃亡を図っているであろうターゲットを見過ごしかねないため、ラウラはひとりでもターゲットを追うために浮き上がる。
「呆けてないで行くぞ、クラリッサ」
「は、はいっ! お供します!」
我に返ったクラリッサが後ろについたところで、ラウラは速度を上げて飛ぶ。視界内に敵影はない。おそらくは森に隠れて移動している。索敵要員はさきほどの戦闘で撃墜されているため、手探りで進むしかなかった。
「焦って向こうから飛び出してくれれば良いのだがな」
既にラウラは任務失敗の可能性が高いとわかっている。全ては敵戦力を侮ったラウラ自身の責任だった。
◆◇◆―――◆◇◆
森の中を低空で飛行する。木々の隙間を縫っているためスピードは出せない。もちろん上空を飛んでいけば速いのだが、今は見つかりにくいことが重要だということでシズネさんの指示通りに移動している。
「指定ポイントにシズネさんとクーがいるのか?」
前を行くピンクポニーテールに声をかけてみる。別に質問した内容に深い意味はなく、ただ話をしてみたかった。
「いない。そもそも私とお前は囮なのだ」
少々意外な反応で面食らう。まさか質問に答えが返ってくるとは思っていなかったのだ。ならば好都合、と話を膨らませにかかる。
「囮、ね。まだ敵が残ってるってこと?」
「ああ。シズネが確認しただけでも6機いた。撃墜できたのはお前が倒したのも含めて4機。わかるか?」
「いや、そこまでバカじゃないんで少なく見積もっても2機はいるってことはわかるよ。でもお前の強さを知って、たった2機で向かってくるか?」
「来るさ。お前たちも似た状況で向かってきただろう?」
言われてみればそうか。不利を感じていても『とりあえずやってみる』だろうから撤退は考えにくい。今も敵は俺たちを探し回っていることが想像に難くない。
「じゃあ、俺たちがこそこそ動いてる理由は? 返り討ちにしてしまおうとは考えないのか?」
「クーをできる限り引き離すためだ。下手を打てば先ほどの二の舞となる。だからこそ暴れ始めるのにも場所を選ぶ必要がある」
そんなところだろうな。囮の意味もその方がわかるというもの。個人的にはなぜクーを連れているのかが気になってたりするが、聞くだけ無駄だろうなぁ。とりあえず聞いてみよう。
「お前はさ、最初ひとりで俺たちがいるところに飛び込んできたよな? そんな戦場にどうしてクーみたいな戦えないAIを連れてくることになったんだ?」
「お前に話す理由がない」
「ですよねー」
別に赤武者が心を開いてくれたわけじゃなくて、必要な情報だけ俺に与えてくれているんだろう。距離感としてはこれが普通なのかもしれないな。お互いに本当の顔を知らない、ここだけの関係だし。
赤武者が速度を落とす。マップを確認すると、シズネさんが指定した場所の近くまで来ていた。
「そろそろシズネが指定したポイントだ。戦闘の用意をしておけ」
「了解、と。ところで信用してない俺と共闘するなんて本当にできるのか?」
頑なに俺を倒そうとしていたはずの赤武者が態度を翻していることがずっと気になっている。移動中に斬りかかられることも考慮していたのだが、それほど単純ではないようだ。シズネという人の方が立場が上だったりするのだろうか。そもそもこの2人ってどんなプレイヤーなんだろう……?
俺の思考が明後日の方向に向かう中、赤武者は振り返らずに単刀直入に答えてくれる。
「共闘などと考えてはいない。私は私で、お前はお前だ。せいぜい的として長く残っていてくれ。どうせなら敵と相討ちでもして退場してくれると喜ばしいのだがな」
……左様でございますか。
しかし、今の発言は気にかかる。『信用しない』と言ったはずの赤武者の頭の中にその可能性は存在していないのだろうか? 俺は問わずにはいられなかった。
「俺がお前を斬るとは考えないのか?」
赤武者は反射的に俺へと振り返った。急にあたふたとし始めたところから察するに、本当にその可能性を考えていなかったのだろう。厳しそうに見えて実はかなり甘い奴なのかもしれない。
「お、お前のような偽善者が卑怯な手段を取るものか!」
「あれ? 俺って信用されてる?」
「仲間の背中から攻撃する卑怯者など信用できるか!」
「言ってることが支離滅裂だな」
「黙れ! 私はお前の手など借りる必要はない! そもそもお前のように取るに足らない輩が何をしようが私には関係ないのだ」
赤武者、いやもう、ナナと呼ぼう。彼女は段々と自分の中で答えを確立させてきたのか、ハッキリとした声に戻ってきた。
「でも、俺に負けそうだったよね?」
「負けてない! 私はお前に勝った! あと……泣いてなどいないからな」
ナナの発言はダウトの塊すぎて逆に俺は何も言い返せない。俺にできることはただ微笑ましくナナを見守ることだけ。
「何をニヤニヤしている!?」
「ん? 別に笑ってないよ? それとも何か心当たりでもあ――」
言い切る前に無言で頭を叩かれた。戦闘準備を終えているナナの両手は当然刀で塞がっている。
「ちょ!? 俺、友軍! 戦えなくなったらどうする気だ!?」
「要らないことを言うからだ、愚か者。落ち着いて状況を確認しろ」
言われるまでもなくダメージチェックを行なう。ストックエネルギー、シールドバリア共にダメージなし。PICCを完全にカットしてやがったな。
「敵影を補足した。さっきまでのバカ騒ぎをちゃんと聞きつけてくれていたようだ。もう戦闘準備はできているな?」
ナナの表情は先ほどまでとは打って変わり、ケロッとした顔で南の空を指さした。からかっていたのは俺のはずではなかったか? 刀でどつかれた俺だけが動揺してるじゃないか。
――ええい、そうはさせるか!
負けじと俺は切り返す。
「今度は泣くなよ?」
「泣いてない!」
俺から逃げるようにナナは身を隠していた森から上空へと飛び立つ。俺も並行して飛び上がった。もうナナと無駄話をする気はない。ここから先は戦いである。白式の視界にもようやく空を飛んでくる2機の黒い影が映っていた。
追う側の余裕だとでも言うのだろうか。隠す場所のない空を黒の機体は悠然と飛ぶ。こちらが撃っても関係ないとでも言わんばかりの行動だった。舐められてる。
『ナナちゃん、ヤイバくん。敵機の情報を取得できましたので送ります』
戦闘開始、というところでシズネさんから通信がくる。
『口頭でも説明します。敵はドイツのトップスフィアのひとつ“シュヴァルツェ・ハーゼ”所属のランカー2人です』
「スフィア? ランカー?」
聞き慣れない単語を問い返すとシズネさんがわざとらしいため息を吐いた。
『失礼しました。ヤイバくんはルーキーのようですね。スフィアというのはISVSのプレイヤー同士が組むチームのようなものです。ランカーは世界ランキング上位100に名を連ねる人物のことを指します』
言葉遣いは丁寧だけど、シズネさんの言葉はとても毒々しく感じる。ナナと中身反対だったりしないか、これ?
それはともかく、今の説明を踏まえると敵さんは“ドイツでトップクラスの団体に所属する世界最強100人のうちの2人”だということか。……え?
「それってめっちゃ強いってことじゃね?」
『はい。残念ながらヤイバくん程度の実力では返り討ちになるだけです』
それはそうだろうけど、今から戦う人間に対して言うことじゃないと思う。正直凹んだが、シズネさんの話には続きがあった。オープンチャネルではなく、プライベートチャネルで――
『でも、今はあなたに頼らざるを得ません。ナナちゃんはバカ正直なところがありますから、1人だけで実力者に立ち向かわせることなどしたくないんです』
森の中の会話だけでもナナの不器用そうなところや単純そうなところは伝わってる。1人だけで戦って、今日の俺との戦いの時みたいな攻め方をされると容易く負けそうだ。
「了解。俺への依頼は“ナナを勝たせろ”でいいかい?」
シズネさんからは『はい』と静かなトーンの声だけ返ってきた。俺への話が終わる頃にはナナはもう敵へと向かって飛んでいった後。俺は慌ててナナを追う。
俺たちが姿を見せると敵2人は進行をやめ、その場に停止していた。ナナも真っ向から飛びかかることはせず相手の出方を窺っている。俺は硬直状態となっている間にナナの隣にまで追いついた。
「ナナにしては慎重だな」
「当たり前だ。彼女らはお前のように遊びでここに来ているわけではないからな」
「いや俺だって――」
つい言い返しそうになってから俺が口走りそうだった内容に気づき慌てて口を噤む。俺だって遊びのつもりはない、だなどと言ってはダメだ。俺は表向きはひとりのプレイヤーである必要がある。ナナの物言いは俺にとって都合がいいはずなのだ、と頭に血が上りかけていた自分に言い聞かせた。
「強がる必要はない。お前は一般人で、あれらは軍人だ。同じ場所に立つ必要などないのだ」
「そりゃそうか。って、あいつら軍人なの?」
「気になるなら直接聞いてみたらどうだ? そろそろ仕掛けてくるぞ」
ナナの声を合図にしたかのように、黒のISの内銀髪の方が右肩の大砲のようなものを動かし始める。バレットの機体の左肩についてたものよりも大型だ。人目でヤバい武器だと直感できた。本能で俺はナナとは逆方向に飛び出す。直後、俺は目を丸くすることになった。
「速ぇ……何なんだよ、今のは!?」
ISの目を以てしても撃たれたと認識してから回避することは不可能に近かった。今まで相手にしてきたライフルなどとは次元が違う。戸惑う俺にシズネさんが情報をフォローしてくれる。
『レールガンですね。レールガン自体は元々研究が進んでいた兵器でして、ISの登場によって実戦投入が増えてきたとは聞いています』
「ああ、名前くらいは聞いたことがある。で、ライフルとはどう違うの?」
シズネさんに聞きながらも次弾を警戒して俺は銀髪の方の動きを注視する。もうひとりの敵は大砲を装備していなく、ナナに向かっていったことから近接型と思われた。
『主な違いは弾速です。サプライエネルギーを使って弾丸を加速させているはずですので、桁違いと思ってください』
「EN武器なのか?」
『いいえ。カテゴリとしてはライフルと同じ系統です』
サプライエネルギーを消費して撃つという点はEN武器と同じで、属性は物理的ダメージの兵器というわけか。デメリットの代わりに得られたものが弾速だとすると、射程や威力も半端なさそうだ。
敵に他に射撃武器と思われる装備は見当たらない。ならばあと必要な情報は射撃間隔だ。
「連射はできないよね?」
『原理的に連射が利く兵器ですが、ISに有効な攻撃とするにはPICCを機能させる必要があります。私の知る限りではレールガンにPICC性能を持たせるにはライフルなどよりも多くの時間を要するため、結果的に連射性能は低くなるはずです』
「OK。それだけわかればいい」
基本的には砲塔の前からすぐ離れることを心がければいい。そこはリンの衝撃砲のように見えないわけじゃないから対応がしやすいところだ。接近は容易そうだという印象を受ける。雪片弐型を右手に握ったまま前を見据え、翼を広げる。俺がやることはいつもと同じだ。
「イグニッションブースト」
声に出して突っ込む意志を表に出す。敵の大型レールガンの右側を掠めるルートに狙いを絞って一気に駆けだした。見たところ敵の射撃武器はレールガンのみ。まずは飛び道具から落とす。
「あれ?」
飛ぶ勢いのまま撫でるように雪片弐型を走らせたが空を切った。理由は至極単純で避けられただけである。ただ、これまでの経験ではあの赤武者も含めて俺の接近に対して“避ける”相手はいなかったから戸惑いを覚えた。
相手の脇を通り抜けた俺は回避行動直後の敵の様子をすぐに確認する。回避から次の攻撃へと移る動作に無駄を感じさせない敵は既に砲身を俺に向けていた。避けられたことを自覚してつい足を止めそうなところだったが、慌ててスラスターを噴かして勢いを殺さずに移動を継続。狙いを絞らせにくくする。かろうじて敵の射撃に当たらずにすんだ。
「ほう、2度も避けたか。ヘルガに格闘戦で勝ったのは偶然ではないようで安心した」
戦闘開始時と同じ距離が開いたところで敵から通信が来た。戦闘中の相手に話しかけるなど相手を舐め腐っているとしか思えない。なんとなくだが、相手は俺と戦闘をしているつもりがないのだと感じていた。
「柔い機体を使ってるからな。当たらないことに必死なんだよ」
通信に答える。相手が余裕をぶっこいているとはいえ、俺に対して隙を晒しているわけではないから攻撃チャンスではなかった。飛び込むタイミングを図りつつも言葉で牽制をする。相手側も乗ってきてくれていた。
「格闘型フォスだなどと
「俺のアイデンティティみたいなものだと思ってたんだけど、他にもいることにびっくりだよ。まあ、軍人さんには理解できない構成だろうけどさ」
「ふっ。確かに身の安全を蔑ろにする戦法は実戦ではまずしない。だからこそ、この場では素人の愚かでいて独特な戦いと対することができる。貴重な経験だな」
ナナに言われたとおり本人に確認してみたけど、彼女は本当に軍人らしい。彼女、でいいんだよな? 声色はイジレないと信じておこう。
「どうした? もう飛び込んでは来ないのか?」
「そっちこそ遠くから撃つことしかできないのか? 世界ランキング100位以内が聞いて呆れるぜ」
敵さんの挑発に対する俺の返答を要約すると『すみません。俺から攻めるのは難しいんでそっちから近づいてもらえますか?』ってところだ。もう少し相手の余裕を削れないと、攻撃を当てられる気がしない。
「なるほど。私の機体は遠距離型というわけでもない。敢えて貴様の戦えるレンジでやってやるのも、たまには悪くない」
銀髪の少女がレールガンから手を離したかと思うと、レールガンは粒子状になって消えていった。挑発したのはこちらだが、まさかレールガンを手放すとは思っていなかった。ほぼ同時に両手が赤く染まっていく。先ほど戦った機体と同じ武器とみていいだろう。射撃武器を手放した敵は眼帯で隠れていない目でキッと俺を睨むと、予備動作もそこそこに突っ込んできた。
「うわっ!」
咄嗟に雪片弐型で手刀を受け止める。やはりEN武器の類であるらしく互いが干渉しあってせめぎ合う。ただし今回の相手は片手で受け流すような動きは見せず両手で雪片弐型を抑えていた。
「ぬっ。想定よりも出力が高いな。何なんだ、その機体は?」
てっきり先ほどの格闘機体よりも技量が無いのかとも思ったが、この物言いは俺の機体の性能を確かめるような戦いをしてきていると見た方がいいのかもしれない。
俺にはひとつ確信したことがある。相手は間違いなく実力者であり、マジな軍人かもしれないが、軍人としてここに立っていない。ナナたちの必死さとは正反対の態度がある以上、この戦闘に利用ができるはず。
「倉持技研の最新装備さ。なんならこのまま押し合って力比べするってのはどうだ?」
「フォスでヴァリスと力でやり合う気か!?」
「どうした? 自信がないのか? ドイツの装備の弱さを自分から認める気か?」
両手を合わせると敵の出力は雪片弐型を抑えられるくらいはある。ほぼ手と一体化しているコンパクトな装備だが油断ならない出力だ。だからこそ手を抜いている装備ではないとみて、この状況を続けるよう挑発する。雪片弐型ひとつでこの敵を確実に“止める”にはこれが最善だ。
――流石にそこまでバカじゃないか。
銀髪の少女は両手で雪片弐型を抑えながらも肩の装甲を動かし始めた。
「そうだな。フォスでも1点に絞ればヴァリスの火力と並ぶ装備は持たせられる。素直に不利を認めよう」
レールガンを捨てたことから俺の方が油断していたと認めるしかない。敵はひどく冷静だ。俺の挑発になど最初から乗っていなく、相手は相手の思惑で動けている。
――やったことはないが、やるしかない。
敵は何かしらの攻撃に移ろうとしている。しかし俺は攻撃の手段を封じられている。退かなければならない。いつもは前に出るためにしか使っていないイグニッションブーストを、下がるために使用する。
普段と違う操作で戸惑うがなんとか白式は後ろに飛んでくれた。雪片弐型と敵の手刀が離れ、グングンと距離が開く。離れゆく俺に対して黒いISの肩から生えてきたワイヤー付きの“矢尻”が向かってきていた。後少し遅ければ俺は八つ裂きにされていた。
「ぐっ!」
前に出るときと違い、全身のあちこちに妙な圧力がかかっている。俺の認識が追いついていないからだろうか。不完全なイグニッションブーストによって絶対防御が発動し、ストックエネルギーが削られる。
――くっ! シールドバリアも少し削れてる! リンと戦ったときの自滅よりはマシだけど、同じことは続けられない。
俺から離れた。その結果、敵がとった行動は射撃。再びレールガンが姿を現していた。銀髪の少女は俺への興味を失ったようで、一言も発することなく砲口を俺に向ける。
避けなければならない。しかし不完全なイグニッションブーストの直後にイグニッションブーストを使用してもいいのだろうか。躊躇した俺に対して、白式は不可能だと返してくる。
――ならば、やれることはひとつ。
ライフルに対してやった時とは弾速が違うが、雪片弐型の出力を信じる。
目で追えぬことは体感して理解している。だがそれは不可能を指すわけではない。そもそも見えてから対応できることこそが不自然だったのだ。
感覚を研ぎ澄ませる。久しく感じていなかった緊張感。遠い日のことだったが、当時の俺が蘇るのに支障はなかった。
対象を凝視する。読みとるべきは弾丸の軌道でなく相手の呼吸。師範や千冬姉の剣とやりあうよりも楽なはずだ。
撃つ。そう感じる瞬間に俺は雪片弐型を振っていた。
「なっ――!? 斬り落とした、だと!?」
ダメージなし。放たれた弾丸は雪片弐型で完全に消滅した。その間に白式の機能は復帰を果たす。驚愕に染まった顔をする敵に向けて再びイグニッションブーストで飛び込む。接近を阻止されることも、回避されることもなく、俺の攻撃はレールガンの砲身を両断した。そのまま敵の脇をすり抜けて再び距離を置く。
「貴様……何者だ?」
銀髪の少女が右目だけで俺を睨んでくる。最初にあった余裕も、俺が離れたときの失望もなく、俺を障害と認識したようだった。
……そろそろ限界だな。
「俺の名前はヤイバだ。それ以外に言うことはない」
名乗っておく。これ以上は会話でも引き延ばせそうにない。まだかと思っているところに都合よく通信が入ってくる。
『ありがとうございました、ヤイバくん。私たちは無事離脱を完了。後はナナちゃんが離脱すればOKです』
「了解」
どうやらミッションコンプリートといったところだ。後はロビーに戻るだけ……だったらいいなぁ。最初から確信しているが、シズネさんの依頼をこなしたからといって俺には何も得はない。システム上の保護すらなく、俺にはこの状況が継続される。
「わかりきっていたことだが、我々の負けのようだな。だが解せん。貴様はなぜ残っている?」
「そりゃあ俺はただの囮だからだよ。最初っから俺の目的はお前の足止めだしさ」
その後は何も想定されていない。相手を撃墜できればこの後も活動できるだろうが、今夜はここまでのようだと諦めるしかない。周囲を確認すると、ナナが相手をしていた機体まで俺へと向かってきているのが見えた。
「ヤイバだったな。私の名はラウラ・ボーデヴィッヒ。貴様は……面白いな」
銀髪の眼帯少女、ラウラはここで初めて笑顔を見せた。俺もつられてヘラッと笑ってみる。瞬間、俺は背後から延びてきたワイヤーで縛り上げられた。
「貴様、隊長に何をした……?」
背後からものすごい殺気を感じる。怖くて顔をまともに見れないが、年上の女性のようだ。しかし、ラウラの方が隊長……? 縛り上げられたままの俺にラウラが近づいてくる。
「今日のところは我々の負けだ。貴様たちの実力を過小評価していたとはいえ、言い訳にしかなるまい。まだまだIS戦闘技術が軍に浸透できていないところがあることも認めよう」
「はあ」
「いずれ貴様とはわかりやすい決着をつけよう。今回のようなターゲットの奪い合いなどではなく、純粋な決闘でな」
「ははは……そうだな」
既に俺は捕虜扱いなのだろう。思ったよりも優しい対応だ。このまま解放されてくれないかなと期待さえする。まあ、その期待は裏切られるだろうけど。
「今日のところはこれでお別れだ。クラリッサ、八つ裂きにしろ」
「はっ!」
背後の女性は喜色満面といった顔で肩から延びた矢尻の群を俺に向けた。
◆◇◆―――◆◇◆
戦闘は終了した。ターゲットは愚か、敵ISにも完全に逃げられてしまっていた。部下の訓練の一環として受けた民間のミッションであるが、シュヴァルツェ・ハーゼの汚点として残るだろう。だがラウラにとって個人的な収穫はあった。
「どう思う、クラリッサ?」
「彼は一般プレイヤーですね。手加減して撃墜寸前まで追い込むつもりでしたが、ログアウトしたようです」
クラリッサにとどめをさせと命令した。それはヤイバと名乗る男の正体を見極めるため。結果はここではないどこかへと転送されるということで示された。
「ミューレイと敵対する組織の依頼で動いていたとみるべきでしょうか?」
「その組織とやらはどこだというんだ? バックに国連IS委員会が絡んでる企業だ。国同士の諍いはない上に敵対して得なことなど考えづらいぞ」
「では一体……?」
今度ばかりは優秀な副官から答えは出てこない。だがラウラにはひとつの答えが見えてきていた。それはヤイバと言葉を交わしたからこそ見えたもの。
「あの男はターゲット、もしくは敵ISから依頼を受けたとみていいだろうな」
「AIから受けた依頼……ですか?」
クラリッサが目を見開くのも無理はない。ミッションで相手をするのは造られた存在だ。自立していて思考する存在であるが、役割を与えられているが故にプレイヤーを頼るなど通常は考えられない。
だがここでラウラにはひとつの可能性が思い浮かんでいた。かねてからの疑問でもあったそれは、
「そのAIとやらは誰が造ったんだ?」
この世界におけるAIの起源だ。答えを持っていないクラリッサは言い淀む。
「それは……」
「答えなくていい。ただ、与えられた情報だけでなく、既に常識と思っていることも疑う必要があるやもしれん」
部下に無茶なことを言っていることはわかっている。ラウラの疑問に答えられるのは、この世界を造った者くらいだ。他にもいるかもしれないが、それはおそらくラウラの権限でも知ってはいけない類の情報。
「クラリッサ。今の話は他の隊員には伏せておけ」
「はっ。ではそろそろ帰還しますか?」
「ああ」
まだ確信はしていないことだが、クラリッサにだけ伝えるべきことは伝えた。この世界にはプレイヤー以外の存在が確かに居る。AIと片づけられている彼らが何者か。それは己の出生にも関わることかもしれない。
「ヤイバ。貴様は何を知っている……?」
矛を交えた男のことを思い起こす。AIのために囮と割り切っていたことなど気になる点は多々あった。何かしらラウラの知らない情報を握っている可能性がある。問いただそうと思っていたが、現実と同じ手法で尋問や拷問をしても成果は得られないだろうことは想定していた。案の定、彼は目の前から消え去るだけ。話を聞くならば、もっと他の方法を試みる必要があった。
「その前に、あの男のことを知る必要があるな」
他にもラウラが気になった点がある。最後に彼が見せた弾丸斬りはラウラが敬愛する最強のプレイヤー、“ブリュンヒルデ”の技を連想させる。同じ流派とは思えない太刀筋であったものの、対面した印象はかなり近いものがあった。
ブリュンヒルデは素顔を見せぬまま、存在意義を見失っていた頃のラウラに道を示したことがある。ブリュンヒルデに近づくことがラウラの目的の一つでもある。ヤイバはブリュンヒルデと近しい存在かもしれない。これからの自分を想像し、ラウラは「くっくっく」と静かに笑った。
◆◇◆―――◆◇◆
高速機動形態で飛ぶこと20分。既に周囲の景色は一変し、海に出てきていた。戦闘していた黒いISは追ってきていない。それも当然で、この“紅椿”についてくるには相応の装備を用意する必要があった。元より紅椿単独ならば逃げることは容易なのである。
「着いたぞ」
高速機動形態を解除し、通常形態に戻って通信を飛ばす。すると、海中から巨大な影が浮かび上がってきた。影はそのまま海面を突き破り、船が姿を現す。
「お疲れさま、ナナちゃん。早いところ中に入っちゃってください」
船の中から高校生くらいの女子が顔を出してナナに手招きをする。肩にかかるくらいの髪をヘアピンで2カ所留めているこの少女こそが
「皆はどうしている?」
「クーちゃんは部屋で眠っています。他の皆はナナちゃんの顔を見るまで安心できないとブリッジに集まっています」
「やれやれ。休む前に顔を出しておかねばならないな」
面倒だなどと口では言っていてもナナの顔は綻んでいる。自分たちの“今”を共有している仲間がいると思うと、押しつぶされそうな心もまだ持ち直すことができた。
ISを解除して船内に入ったナナはシズネの後に続いてブリッジにまで移動する。その間に船は海中へと沈んでいった。これで追手に見つかることはまずない。この潜水艇にはそういう特殊性があるのだ。
「皆さん、ナナちゃんが戻ってきました」
シズネ、ナナの順でブリッジに入る。船内で最も広い空間であるここは船の制御系統が全て集まっているばかりでなく、中心部に3つのISコアが輝いていた。
「おっかえりーっ!」
「今度ばかりはダメなんじゃないかって心配したんだから!」
「無茶はやめて」
「私ならば大丈夫だ。要らぬ心配をする必要はないぞ」
3つある座席に座っていた少女たちが席を立って、ナナの元に集まってきた。それぞれがナナの安否を気にかけていたことがわかる言葉を投げかけ、ナナは気を張ってそれに答えていた。
「すまねぇ、
「皆が無事だったのですから自分を責めるのはやめましょう。ダイゴさんたちのおかげで“仲間”を助け出すことができたのですから」
続いてガタイが良い癖に肩を小さくしている大男がナナに頭を下げていた。隣にいる線の細い男も同様だ。彼らが頭を下げる理由は戦闘に敗北し、危機に陥ったからだ。それもナナが救援に駆けつけたことで危機を脱せたのだから、結果論としては問題ない。ちなみに大男の言った文月とはナナの名字のことである。
「何はともあれ、結果オーライってやつだよね! いつも冷静沈着なシズネがスッゴい取り乱してたときはどうなるか心配だったけどさ」
「そ、そうなのか? シズネ」
「……気のせいです。私はナナちゃんを信じていましたから」
明らかに嘘である。この船の砲撃手であるメガネ少女、リコが語ったシズネの様子は事実だろう。ナナ自身、今回の作戦は過去最大の危機に陥ったと自覚しているから無理もない。
『お前、泣くだろ?』
思い出したら腹が立ってきた。皆が見ている前だというのに、つい壁を殴りつけてしまう。
「うわーお……ナナの姉御はシズネっちの強がりに大変お怒りだぁ」
リコだけでなく、船の操作のために席に戻っていたレミ、カグラの2人も手を止めて振り返り、男性陣もナナらしくない突然の暴力に驚きを隠せていなかった。
この場でただひとり、理由を把握している少女はあえてこの場では話題にせず、手をパンパンと打ち鳴らして話を終わらせにかかる。
「さ、皆さん。無事を確認しあえたことですし、持ち場に戻りましょう。ナナちゃんも今日は疲れたと思いますし、ゆっくり休んでください」
シズネがナナに『同意してください』と目で訴える。疲れているという点を否定できなかったナナは素直に応じることにした。
「では甘えさせてもらう。何か問題があったら遠慮なく起こしてくれ」
お疲れさま、と仲間たちに見送られ、ナナは自分の部屋への道を行く。その後ろには当然のようにシズネがついてきていた。通路を歩いているのは2人だけ。他の皆の前では話せないことなのだろうと黙っていたがナナはブリッジでの話を蒸し返した。
「心配をかけてしまったみたいだな、シズネ」
「当然ですよ、ナナちゃん。ここにいる皆は仲間と言っても運命共同体でしかないんです。私にとって親友はあなただけ」
皆の前では言わないシズネの本音。実のところナナにとっても親友はシズネしかいない。ナナは慕われているが、それがどこまでが真実かわからない。“仲間”の皆にとってナナは生きるための希望でしかないのかもしれなかった。彼らが無事を喜んでくれたのは果たしてナナの無事だったのだろうか。もしかしたらナナが無事なことで自らの生に安堵しただけかもしれない。そう思うと、心のどこかで気を許しきれない。この船は拠点であるが、家にはなりえなかった。
「それで、ナナちゃん。何か言いたいことはありませんか?」
シズネはナナの個室にまでついてきた。今までにないパターンである理由はやはり今日の戦いに原因があるとナナはすぐに察する。シズネを部屋に通し、彼女をイスに座らせたところで自分はベッドに腰掛けた。ナナに言われるままにイスに座ったシズネは感情を悟らせない表情のまま真っ直ぐにナナの目を見つめる。
「わ、私が言いたいこと? 特には思いつかないが」
「用件という意味合いでなく、愚痴はないかと訊いています」
表情を変えないままシズネはずいっと身を乗り出してきた。反射的にナナは上体を反らして手で壁を作る。
「愚痴……? 何のことで?」
「そうですね。わからないフリをするのならこちらから責めてみましょう」
責めるという言葉にナナはビクンと体を震わせる。久しく感じていなかった戦慄だった。これまでの経験上、実戦よりもシズネの言葉責めの方が恐ろしかったと記憶している。
「お、お手柔らかに頼む」
「怖がることは何もないですよ。ただヤイバくんについてお話を聞かせてくださればいいんです」
それはスイッチだった。ヤイバという名前は今日の出来事の象徴である。あの銀髪の男性プレイヤーを思い出すだけでナナの脳はヒートアップする。仰け反っていた体が瞬時に前に傾き、両手は力強く目の前のシズネの肩を掴んでいた。
「話すことなどあるかっ! あのプレイヤー特有のヘラヘラした態度までならいつものことですませてやるところだが、あの銀髪はどうみても厨二病というやつだろう!? いつもシズネが『関わってはいけない人種です』と言っていたのをよーく理解した。決して強いプレイヤーではないのだが、勝つためなら手段を選ばない残忍な戦いをする奴で、味方ごと私に攻撃してきたのだ! 思い出すだけでもゾッとする! そこまでしておいて私を追いつめておきながら、最後は自分から攻撃をやめる始末。あれは何か!? 勝とうと思えば勝てるが今回は勝ちを譲ってやろうとでも言うつもりなのか!? ふざけるな! アイツらにとってこれは遊びかもしれないが、私たちはここで“戦っている”んだ! だから――」
シズネの肩を掴むナナの手が震える。
「怖くて、当たり前だろうが……」
涙腺が高まり、ナナは俯く。シズネの顔を見られなくなった。肩を掴んでいた手はシズネによって払われ、行き場のなくなった両手はだらりと下がる。ナナには見えていないがシズネはイスからゆっくりと立ち上がった。なおもナナは独白を続ける。もう理性で取り繕っていた堰が切れてしまったのだ。
「泣いても仕方ないじゃないか。本当に死ぬかと思った。今“ここ”に存在している私たちは帰ることができるなんて保証されていない」
「はい。だからナナちゃんと私は帰る道を探しているんです」
シズネに頭を抱かれてナナは少しずつ落ち着きを取り戻す。
「何が『お前、泣くだろ?』だ……私たちのことなど何も知らないくせに。この世界のことなど何も知らないくせに」
「知らない方が自然ですから仕方がありません」
「わかっている。わかってはいるんだ。私たちのことを無闇にプレイヤーに話すことが危険だということもわかっている。ただ……やるせないだけだ」
「やるせない、ですか?」
「ああ。初めて“プレイヤー”と会話できたことが良いことだったのかどうか。境遇の違うアイツは私たちのために戦ってくれたというのに、何も話せないことがもどかしい」
初めて負けそうになった。何故か見逃され、次に現れたときは共に戦ってくれた。本当に信用していなかったのだが、ヤイバはナナたちのために最後まで戦ってくれていたのだ。ただのプレイヤーであるはずのヤイバが何を目的にしているのか、その意図が掴めない。ついでに言うと、憎いやら嬉しいやらナナの中では感情がぐちゃぐちゃだ。
心を許してもいいのか。自分たちと同じ境遇にしてしまうかもしれない危険に巻き込んでしまっていいのか。自らの願いや理想と現実の非情さが絡まって結論が出ない。できることは現状の維持だけ。
「話してみませんか? 私たちの真実を」
「冗談が過ぎるぞ、シズネ。そもそも私たちも全てを知っているわけではない。断片的な話だけしても、当事者でなければ耳を傾けるはずのない荒唐無稽な話でしかない。今回、共に戦ってくれたのも奴にとってはゲームの一環でしかないだろうな」
「そう……ですよね」
提案したシズネだったがナナの否定に反論できない。ナナの頭を抱いていた腕を離してイスへと戻る。明らかに伏し目となっている今のシズネはナナもあまり見ないくらいにわかりやすく凹んでいた。
「ナナちゃんの王子様だったら、話を聞いてくれていたかもしれないのにとは思います」
凹んだはずのシズネからの不意打ちにナナはノックアウトされたように後ろに倒れ込む。2秒ほど動かなかった後、急速に上半身を起こしてシズネに詰め寄る。
「お、王子様ぁ!? だ、誰のことを言っている!?」
「ナナちゃんの王子様はひとりだけでしょう。『私はいつか必ず彼の元に帰るんだ』っていつも言ってたじゃないですか」
「違う! ち、違わないが違う!」
「大丈夫です。私たちの活動も無駄ではありません。今日の作戦でも5人の“仲間”を救えましたし、いずれ“あちら”で問題が浮き彫りになるでしょう。帰ることができるのも時間の問題です。そのときは私にもその王子様を紹介してください」
「だから、違うと言っている!」
「ではそろそろお暇しましょう。おやすみなさい、ナナちゃん」
「そこまで頑なに私の否定を無視するか。良くわかったぞ、シズネ。お前とはいずれ決着をつけねばならん。おやすみ」
シズネは言うだけ言って速やかに退室した。実は“王子様”の話は今日いきなり出てきたわけではない。船の皆にとっての希望がナナであるように、ナナにとっての希望が“王子様”なのだとシズネだけは知っていた。これはシズネなりの激励のようなものであるとナナも理解している。
シズネが部屋を出ていってすぐに部屋の明かりを落とす。“ここ”では食事やトイレは必要ないが、睡眠だけは必要だった。ベッドに横たわり、目蓋を閉じる。寝る前には必ず思い出される“彼”の顔。だが、その彼の顔はもうぼんやりとしか浮かんできていなかった。
(会いたいのは私だけだったりしないだろうか)
もう7年も前の話だ。自分も彼もすっかり顔も体つきも変わってしまっていることだろう。おそらくは“感情”も……。そう思うと、帰った自分を待ってくれている人など世界のどこにもいないのではないかと考えてしまう。
ナナはいつも途中で彼について考えることをやめる。自分が苦しんでいるのに彼が助けに来てくれない事実を認めてしまうと、彼に対して不条理な怒りを抱いてしまうことになる。思考がそこに向かうのを本能で阻止しているのかもしれない。
◆◇◆―――◆◇◆
翌朝、寝ぼけ眼こすりつつ目を覚ます。今日は弁当を作っていく余裕があるな、とさっそく朝の準備を始める。
「ちくしょう……眠い」
ラウラというドイツ軍人に敗北した後、俺は気がついたら自室のベッドだった。時刻は丁度0時を回ったところだったのでもう一度ISVSに入ろうとしたが、何故か二度目のログインはできなかった。エラーメッセージとして『エネルギー回復中です』と出たので時間さえ開けば再度入ることができるだろう。
今回の収穫は『負けてもちゃんと帰ってこれる』ということがわかったことだ。通常のミッションとは外れた今回のような状況での敗北によるバグで意識不明となった可能性は薄くなったといえる。そもそもプレイしていくうちにその可能性が低いことはわかっていたので初日ほど深刻には考えていなかった。やはり噂どおり“銀の福音”を調べないと真実にはたどり着けないと思われる。
「それにしても本当にこのゲームが危険なのか、自信が無くなってきたなぁ。段々とただゲームをしてるだけに感じてきてる」
ゲーセンで練習をしていても負けることは割と良くある。負けても大したペナルティはなく(報酬や実績関連でマイナスがあるらしいが俺には関係ない)やられることに抵抗を感じなくなってきていた。今回出会った軍人の態度もそう思うのに拍車をかけている。彼女ら戦闘のプロですら“戦い”をしていなかった。
「あの子、ナナって言ったよな」
俺から見て“戦っていた”のは彼女たちだけだった。鬼気迫るとは彼女のためにあるような言葉だったろう。彼女が表に出す感情は俺の手を止めるのに十分だった。
無事逃げ切れただろうか。結果的には再びナナによって夜の探索ができなくなってしまったのだが、彼女たちが無事ならば今回の俺の行動は徒労などではないと言い切れる。
「一体、ナナたちは何なんだろうな――っと、電話だ」
考え事をしながら食事の支度をしていると携帯が鳴ったのですかさず手に取る。表示されている名前は凰鈴音。朝から電話など珍しいと思いつつ通話を押す。
「おう、鈴か。どうした?」
『お、おはよう、一夏。チッ、今日はちゃんと起きてたか』
モーニングコールなのだろうか。昨日は起きるのが遅くて弁当を作れなかった。それを鈴は知ってるから特に不自然でもない。しかし、何故舌打ちをする?
「わざわざサンキューな。今日はいつも通りいけそうだぜ」
『そ、そう? 今日は弁当を作るのが億劫だとかそういうことはない?』
「ハハハ! 俺は買い食いの方が抵抗あるからそんなことはないぜ。じゃ、また学校でな!」
『う、うん……それじゃね』
通話を切る。俺の昼飯が買い食いにならないように電話してくれるとか鈴は優しいなぁ。俺の財布事情的にとても助かる。さっさと朝の支度を終えて千冬姉を起こして学校に行くとしよう。
本日は金曜日。平日最後の日ということは明日からは休日である。我らが藍越学園は週休二日制を完全に実施しているのだ。それを嬉しく感じるのは入学して以来初めてかもしれない。義務がある方が気楽であった今までとは違い、俺にはやりたいことがある。休日の自由な時間が待ち遠しかった。退屈な授業を受ける気力はなく、グラウンドを眺めながら考え事をして時間をつぶす。
……これからどういう方針でいこうか。
昨日まででISVSの基本はそれなりにこなせたと思っている。昨日の夜に負けてからはネットで情報を漁ったりもした。昏睡事件のことでなく、ISVSについてだ。ある程度の装備の知識もつけたし、よく使われている戦術も調べた。確実に戦う力は付いてきたと思う。
あとはどう目的にアプローチしていくか。おそらくはゲーセンでは事件に迫る何かには近づけない。メインは夜、自宅から入ったときになると考えられる。そちらでもどう情報を得ていくか段取りは何も思い浮かばない。
……やはり“銀の福音”に会うしかないか。
実を言えば、毎日千冬姉の部屋に行って情報が落ちてないか調べていたりするのだが、最近はメモ書きひとつ見つからない。あの日、箒に関する記述を見つけられたのは千冬姉が油断していたからでしかないのだろう。できれば福音関係の続報を知りたかったのだが、千冬姉から情報を得られる可能性は低い。
今、考えられる最も早い手段は――弾の伝手を利用して戦うことだろうな。
俺の中で方針が定まったその時だった。
俺の机が突然揺れる。何かがぶつかった衝撃によるものだ。
甲高い破砕音と共に、俺の周囲には砕かれた白い石灰が飛び散る。
何が起きたかを把握しないまま、視線を窓の外から前に移すと教壇に立っている“鬼”がこちらを見つめていた。
「織斑……外に行きたいか?」
「あ、あの、その、えと――」
我がクラスの担任でもある英語を教える鬼教師が俺に笑いかけてくれていた。鬼が微笑んだところで仏にはならないのだと思い知る。俺は自らの犯した失態を後悔していた。
「確かにつまらん授業をするオレが悪いのかもしれないな。眠ってしまうだけで飽きたらず、自らの意志で無視をするとは。ある意味で自己主張してくれてオレは嬉しいぞ、織斑」
「い、いえ! 決して無視していたわけでは――」
「織斑。グラウンドを10周してこい」
「す、すみませんでした! 欠席扱いだけはご勘弁を!」
「安心しろ。授業が終わる時に席に着いていれば出席にしといてやる」
教室に設置してある時計を確認すると、授業の残り時間は10分。それまでにグラウンドに出て10周を走り、なおかつ戻ってこいだと!? 無茶にも程がある。
「行けばいいんだろ! 行けば!」
俺は席を立ち、教室を出ていく。誰か止めてくれるかとも思ったが皆明るい顔で俺を送り出してくれた。ちくしょうめ。
当然、10分で終わるはずはなかった。廊下で帰宅や部活に向かう生徒たちとすれ違いながらとぼとぼと教室へと戻る道を歩く。
「今度こそ訴えたら勝てないかな勝てないな」
またも千冬姉に泣きついたところで『お前が悪い』の一言で終了だろう。ああ、俺は良い教育者に恵まれているよ、うん。
週の最後の授業が終わったことで校舎全体が騒々しくなっている。俺も早くこの中に入りたいものだと教室の扉を開けた。
「遅かったな。もう少し気合いを入れて走らんと罰にならんだろうが」
「え? どうして?」
どうして宍戸先生がまだ教壇に立っているんだ? それに鈴と弾と数馬、他にも数人が席に着いている。
「今回は出席にしといてやる。質問をして授業を延ばしていた五反田たちに礼を言っておくこと。授業の内容が知りたければ後でオレのところに補習を受けに来い。以上」
そう言い残して宍戸は教室を出ていった。呆気にとられている俺の元へ弾たちがやってくる。
「お疲れさん。ったく、宍戸の時だけは注意しとけっていつも言ってるだろ?」
「悪い。ちょっと考え事してたんだ」
「ISVSのこと?」
鈴に訊かれて正直に頷いておく。別に嘘はついてない。
「じゃあそれだけISVSで頭がいっぱいな一夏くんのためにお話がある。というより、この場にいる“藍越エンジョイ勢”に関わることだな」
俺の周りにできていた輪から弾が離れ、教壇に立つ。チョークを取り出して板書を始めていた。書き出しは『アメリカ代表へのリベンジについて』。
「さて、まだ3日ほど前の話だが俺たちはアメリカ代表“イーリス・コーリング”が率いるスフィア“セレスティアルクラウン”に敗北したばかりだ。知っての通り、このセレスティアルクラウンは訓練として一般人との試合を行うことが多いガチ勢の中でも珍しいスフィアだ。俺たちもその相手として選ばれたってわけだったな」
俺がISVSを始めた日の話だ。弾たちも弱くはないことを今の俺は知っているが、そんな弾たちでも“イーリス・コーリング”を相手にすると簡単に蹴散らされていた。リベンジするも何も、まだまだ実力が足りないのは弾もわかりきってるはず。
「で、あの惨敗だとまず相手にしてもらえないと思っていたんだが、やる気があるならもう一度戦ってもいいと提案されてな。俺たちも最強メンバーではなかったし、相手さんもランカーがひとり抜けてた状況だった。まだ戦う意味があると俺は思っている」
ここにいるメンツでわかるだけでも弾、鈴、数馬、幸村があの時参加していた。この場には他に3人居るが実力は未知数。しかし、弾や鈴よりも強いという雰囲気は感じない。最強メンバーとやらは藍越学園の生徒でない外部の人間かもしれない。
こちらのメンツよりは相手のランカーの方が重要か。以前聞いた話から十中八九“銀の福音”である。やはり、近道はここにあった。
「弾。俺としては反対しないつもりだ。で、いつ戦うんだ?」
最初の頃と違って俺から積極的に戦う方向に誘導しようとする。しかし弾の顔は曇った。
「実は、まだ決定じゃない。今日のところはそれを知らせようと思った」
全員の顔に疑問符が浮かんだことだろう。数馬が皆の代弁をする。
「じゃ、誰が決定するん?」
「スケジュールの問題なんだが、セレスティアルクラウンがフルメンバーで一般との試合をできる機会が近いうちには一度しかないらしい。当然それを希望するスフィアは俺たち以外にもいる」
「ははーん。つまり試合をする権利をかけてどっかと戦う必要があるってことだね?」
「ご名答。それで、週明けの月曜日に10対10の試合を行うこととなった」
「あら、珍しいじゃない? 弾が3日も前に試合の告知をしてくれるなんて」
鈴の発言に弾以外の全員が一斉に頷いた。
「俺だって気がついたときにはちゃんと連絡してるぞ。それに今回はいつもよりも負けたくない相手なんだ」
弾が右手を強く握る。力を入れすぎて震えていた。武者震いに近いものだろうか。それだけ強く意識する相手が敵となる。俺以外のメンツはすでに心当たりがあるようだった。数馬が早速その名前を出す。
「もしかして“蒼天騎士団”?」
「そう、そのまさかだ」
「マジかよ……俺、あいつらのテンションを見てると胃が痛くなるんだけど」
幸村が腹を押さえてうずくまる。一体、どんな集団が相手だと幸村みたいな状態になってしまうのだろうか。純粋に興味が湧いてきた。
「一夏は知らないだろうが、蒼天騎士団はうちのスフィアの天敵みたいなものだ。これまでの団体戦の対戦成績は全敗」
「マジで?」
「ああ。一夏はまだ相手にしたことがないから知らないだろうが、蒼天騎士団のリーダーは男のくせにBT兵器の使い手でな。BT適性が高いプレイヤーらしく索敵能力や情報処理能力がハンパなく高い」
BT兵器。独立PICを搭載した遠隔操作できる兵器の総称だったか。ひとつ動かすのに“もうひとりの自分を操る感覚”が必要らしく、イグニッションブースト以上に使用できるプレイヤーが限られているものらしい。
「で、今度こそ負けられないってことだな」
「その通りだ。ある程度作戦は立てていくつもりだが、あちら側も前と同じではないだろう。頼りにしてるぜ、一夏」
勝てるかどうかは俺次第らしい。しかし、いつも思うが弾たちで勝てないのなら俺がいくら頑張っても無理じゃないだろうか。
と、いつまでも無理だなどと言ってられない。せっかくの近道をこんなところで閉ざされてたまるものか。俺が勝利の鍵だと言うのなら、全力でそれに応えなければならない。
「善処する。で、今日の放課後とか週末は何をするんだ?」
「今日明日のところは俺は情報収集と作戦の立案をしておく。日曜にいつものゲーセンでメンバーの選定と練習をするつもりだ。だからそれまでは各自で適当に準備しといてくれ」
弾は勝ちにこだわっている割にはテキトーな感じだった。
これも弾が“遊んでいる”からこそなのだろう。誰にも強制はしない。弾にとって遊びとはそういうものだった。俺もそれでいいと思ってる。俺が勝たなければいけない理由は皆には関係ないのだから。だから死力を尽くすのは俺一人で良い。
「じゃあ、俺は今日のところは帰るか」
「え? そうなの、一夏?」
「たまには早く帰らないと千冬姉も心配するだろうしな」
「そっか。じゃ、あたしも!」
「ってことは今日のところはこのまま解散だな」
弾の言葉を最後に各々が鞄をとって教室を出る。俺がすべきことは日曜日までに実力を磨いておくことだ。ゲーセンだと無駄に金がかかるだけだろうから自宅から入ることにしよう。