Illusional Space   作:ジベた

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49 落ちてゆく星

 12月29日。今年もあと残すところ3日となった。それはつまり、約束の日までもう1週間も残されていないことを意味する。

 そんな俺の個人的な事情を嘲笑うかのように世界には大きな脅威が迫っていた。

 

 ――空に黒い月が現れた。

 

 朝からTVのニュースはそればかりだし、新聞の一面も黒い月の話題で埋まっている。某テレビ局すらもアニメとか美味しそうな蟹を放映していない。

 それもそのはず。

 ただ単純に物珍しいというだけの理由ではなく、明確な危機が迫っているからだ。

 

「隕石が地球に落ちてくる……か」

 

 普段なら絶対に目を通さない新聞の一面を読み終えて投げ捨てる。昨夜の時点でわかっていたことだけど、あまりにも無茶苦茶な状況になってしまっていた。

 正直なところ、束さんがここまでしてくるとは思ってなかった。身内だから甘く見ていたばかりでなく、考え方が浅はかだったと言わざるを得ない。

 

「報道は媒体を問わず“自然発生した隕石”で統一されているようだな」

「当たり前ですわ。篠ノ之束博士の造った人工隕石が落ちてきているだなどと言ってしまえば、篠ノ之博士と白騎士を英雄として祭り上げていた各国政府の立つ瀬がありませんもの」

 

 テーブルに一人座るセシリアは落ち着いた様子で紅茶を口にする。地球がやばいのにもかかわらず、彼女が普段通りの優雅な振る舞いをしているおかげで俺も平静を保てていた。

 ……いや、虚勢を張っているに過ぎないか。

 

「心配ですか?」

「いや、千冬姉に心配なんて無用だよ」

 

 千冬姉は今、地球上にいない。

 ……別に死んだわけじゃなくて、単純に地球の外に出て行っているということだ。

 昨夜、鈴と別れて家に帰ってきた後のこと。千冬姉が俺に言い残していったことを思い返してみる。

 

 

  ***

 

 

 空に穴が開いた。鈴との天然プラネタリウムから帰宅した俺は真っ先にセシリアの元へと向かおうとしていた。

 ただいまと言って帰った俺を玄関先で待ってくれていたのはセシリアじゃなかった。

 

「え、千冬姉?」

「帰ったか。間に合って良かった」

 

 俺を出迎えた千冬姉の服装は家にいると思わせない、キリッとしたスーツ姿だ。俺の帰宅が間に合ったということは、今から千冬姉は出かけるらしい。

 

「どこかに行くのか?」

「ちょっと空の上にまで行ってくる」

「ふーん。ま、気をつけて…………はい?」

 

 ちょっと耳でも悪くしたのだろうか。俺は耳の穴をかっぽじる。

 

「どこに行ってくるって!?」

「そのことで話がある。ついてこい」

 

 半ば強制的に連れてこられたのは最近の恒例となった客間だった。中には既にセシリアがスタンバイしてて、お茶の用意を済ませている。

 セシリアがいることで千冬姉が空の上に行く理由を察せた。

 

「やっぱり()()はやばいものなのか?」

「アレとは何か。おそらくわたくしと千冬さんの知っているものと同じだとは思いますが念のため確認しておきます。黒い月のことですか?」

 

 問い返してきたのはセシリア。電話だとまだハッキリ言ってなかったけど、誤解の無いようにハッキリさせておくという提案は正しい。

 

「俺が確認したのは星空に虫喰いができたこと。理由は一つしか考えてない」

「一夏さんの想像通り、鈴さんとの楽しい楽しい天体観測を邪魔したのは宇宙空間に現れた球体状の構造物による遮蔽が原因ですわ。衛星軌道上よりも遠方ではありますが、便宜上、我々はアレを黒い月と呼称しています」

 

 ……なんかセシリアの言葉の端に少しだけ棘を感じたけど、気のせいということにしておこう。

 ともかく、俺の用件と千冬姉の話は一致するということで良さそうだ。互いの認識がわかったところで千冬姉が口を開く。

 

「彩華の報告によれば、あの黒い月は真っ直ぐ地球に向かってきている。このままだと人類は新年を迎えられないかもしれないだろう、とも言っていた」

「隕石ってことか? しかも突然現れた」

「人類が観測できる領域の内側に出現した隕石だ。通常の対策では間に合わない」

「だからISが必要になるわけか」

「そう。間もなく私に出動命令が下ることだろう。ナタルたちとも合流し、命令に先んじて宇宙(そら)へと上がるつもりだ」

 

 わかりやすい流れだ。今起きている問題はISVSでなく現実の話。ISしか問題を解決する手段がなく、ISを使える人が限られているのなら俺たちは頼るほかない。

 

「わかった。いってらっしゃい、千冬姉」

 

 素直に送りだそうと思って、そう声をかけた。いくら束さんが裏で糸を引いているのだとしてもたかが隕石が相手。千冬姉が出撃するのなら何事もなく解決するだろう。

 だけど当の本人は浮かない顔をしている。絶対に負けないと俺に思わせてくれる無敵の剣士の面影は全く見られない。

 

「何か問題があるのか、千冬姉?」

「…………お前に言っておかねばならないことがある」

 

 長く溜めた後、消え入りそうな小声で言われた。明らかに普通じゃない。少なくとも千冬姉らしくはない。

 

「私は――いや、私たちは後手に回っている。こうして私が駆り出されるのも束の手の平の上で踊っているも同然だ」

「相手が束さんだから仕方ないって。それでも勝つのが千冬姉だろ?」

「もちろん、そのつもりだ。だがな……私の想定するとおりなら、この状況になった時点で既に詰んでいる」

 

 始まる前から負けを認めている。千冬姉が言ったのはそんな諦めの言葉だった。

 

「そんなこと言うなよ! 負けるイメージを持ってたら勝てるものも勝てないだろ!」

「わかっている。だから私は私が果たせる役割を果たすと決めた。だが私や他の国家代表クラスの操縦者たちがいくら戦ったところで、束に勝つことはできない」

「何でだ?」

「……何事もなく終わればそれでいい。だが最悪の事態が起きたとき、おそらく私は帰ってこられない」

「死ぬって言いたいのか!」

 

 つい衝動的に掴みかかってしまったが俺の両手は千冬姉に軽く払いのけられる。千冬姉は至極冷静なままだ。

 

「すぐには死なんさ。単純に帰ってくる余裕がなくなるかもしれないとは思っている」

「そこまで予想を立ててるならハッキリ言ってくれよ! これから何が起きるんだ!?」

 

 いい加減、勿体ぶった話し方をする千冬姉に苛立った俺は単刀直入に問いかけた。

 すると千冬姉はフッと小さく微笑む。だけど視線は俺から逸れているし、下を向いている。千冬姉の笑顔が無理に作っているようにしか見えなかった。

 

「お前が間に合わないと思っていたから、オルコットに伝えておいた。必要なことはその都度、オルコットから聞けばいい。私はもう行かねばならないからお前にじっくり説明する余裕はないんだ」

 

 優しく頭を撫でられる。今更そんな子供扱いされるとは思ってなかった。普段なら心地よく受け入れられる千冬姉の手を俺は払いのける。

 

「俺はそんなに頼りないのかよ!」

 

 怒鳴った俺を見て目を丸くしている千冬姉。

 脅かしてごめん。

 罪悪感で胸が締め付けられる。それでも言いたいことを言わせてほしい。

 

「俺は千冬姉に守られるだけの子供じゃない。箒を助けるために戦ってる男だ。一度は認めてくれたんだろ?」

「……そうだったな」

 

 千冬姉は立ち上がると客間の外へと歩を進める。

 逃げるのか。そう思ったが千冬姉は入り口のドアに手をかけたまま止まった。

 

「悪いが、一夏。時間がないのは事実。詳細はオルコットから聞いてほしいのも変わらない」

 

 ドアを開けて一歩踏み出す。そのとき、背中越しに振り向いて俺の目を見据えてきた。

 セシリアがいつも言っている。人と真摯に向き合うのなら目を見て話せ。たとえ体の向きが合っていなくとも、目さえ合わせていれば、そこに後ろめたい思いはないはずだ。

 

「一つだけ直接言っておく。箒を救えるのは一夏、お前だけだ。いや、少し違うか。箒を救おうと思えるのはお前だけだ。だからもう私はお前が戦うことを否定しない。否定するわけにはいかない。お前自身に選ばせるしか、無力な私に選べる道はなかった」

 

 それだけ言い残して千冬姉は出発していった。

 世界最強のIS操縦者が自身を無力だと言う。それほどの事態であるのだと俺は黙って受け入れるしかなかった。

 

 

  ***

 

 

 一夜明けた今でも千冬姉の言葉の真意は掴めてないままだ。セシリアに聞いてもはぐらかされている。この感じは前にも味わっているから、もう俺の方ではなんとなく察せてしまっている。

 そう、これはナナの正体を知っていても俺たちのために事実を隠していた宍戸先生に似ている。だから俺に隠しているのはナナ――箒に関することだと確信すらしている。そして、それが最上級に悪い報せだとも。

 

「セシリア。箒に関して隠してること、話してくれないか?」

「……やはり心配の種は千冬さんでなく箒さんでしたか。それでこそ一夏さんと言うべきでしょう」

「単刀直入に事実だけを教えてくれ」

「申し訳ありませんが、わたくしにも意地があります。確証もない情報をお伝えするわけには参りません」

 

 わかりやすい。隠し事は箒のことかと聞いたのに明確に否定されなかった。つまり、箒のことで何か隠していることは明白。

 

「今度は何だ? もう箒が現実に帰ってこられないとかそういう類いの問題か?」

 

 当てずっぽうで最悪の事態を口にすると、セシリアは誰の目から見てもわかるくらいに目を丸くして俺を見た。

 

「目は口ほどに良く語るわけだ」

「い、いえ! まだそう決まったわけでは――」

「でも千冬姉はそうだと確信してるんだろ? でなきゃ千冬姉が束さんに一方的に負けるなんてありえない。あの二人は共に並び立つ存在だから」

 

 納得できてなかった事柄もこれで合点がいく。千冬姉が本気で束さんと戦うわけにはいかない理由があった。そして、その理由はきっと箒自身のことでなく、俺を思ってのこと。

 俺が千冬姉の足を引っ張ってる。わかっていたことだけど、いざその事実を突きつけられると胸が痛い。

 でも今は自分のことは置いておく。目の前で黙り込んでいる彼女に俺は言わなくてはならない。

 

「セシリア。頼もしい相棒だと思っていたのは俺だけか?」

 

 以前にもこんなことがあったなと思い返す。あのときはナナが箒だとわかってなくて、現実ではもう死んでいるかもしれないことをセシリアが黙っていた。

 あのとき、お前は泣いてただろうに。

 一人で苦しんでただろうに。

 

「また繰り返すのかっ!」

 

 つい声を荒げてしまう。胸の内に燻っている思いを抑える蓋など吹き飛んだ。

 

「一人で抱え込むなよ! セシリアが俺を支えてくれたように、俺だってセシリアの支えでありたい! 潰れるときは二人一緒にだ!」

 

 そもそも俺たちは協力関係にある。セシリアが一方的に力を貸してくれるだけで、負担が彼女ばかりなのは間違ってる。何よりも俺自身がそう在りたくない。

 言いたいことは言った。

 すると、セシリアは盛大に溜息を吐く。

 

「そんなことを無自覚に言ってしまうからこその一夏さんですわね。わたくしの負けですわ」

「お、おう。そうか」

 

 明らかに呆れられた。なんか思ってた反応と違って俺の方が戸惑ってる。

 おかしい。俺の熱い言葉に感銘を受けたセシリアが思い直すことで、隠してることを話してくれるものだとばかり思ってたのに。

 

「……千冬さんが直接篠ノ之博士から聞いた話と前置きさせていただきます」

 

 セシリアが静かに語り出す。あくまで人伝(ひとづて)であると強調した上で。

 

「仮想世界で活動中の篠ノ之博士を殺害すると箒さんも死亡するそうですわ」

 

 隠されていた情報はあまりにも短いもの。

 なんだか拍子抜けする内容だとすら思えてしまう。

 

「そんなことか。だったら束さんを殺すような暴力的な解決がダメってだけ――」

 

 俺の軽口は途中で止まる。気づいてしまったからだ。

 

「束さんが使ってるのはISなのか?」

 

 千冬姉の暮桜とやりあったのだから、束さんもISを使ってるのは間違いない。ISの開発者なのだからISを使って当たり前だという先入観すら俺にはあった。

 だけど俺は知ってるじゃないか。束さんが何を元にしてISという形を造り上げたのかを。

 

「ISでありIllでもある。フォビアシリーズと同じですわ。付け加えると、箒さんを仮想世界に閉じ込めている元凶でもあるようです」

 

 嫌な予感は当たるもの。セシリアの肯定により、俺は事態の深刻さを理解した。

 ……いや、理解なんてしたくなかった。もう箒を救う術がないなどという真実(デタラメ)なんて認められるわけがない。

 だけど、否定する言葉も口から出てこない。千冬姉が認めてしまっているという事実が重くのしかかる。

 

 しばらくの間、沈黙が場を支配した。どう否定しようとしても根拠がなく、空元気にしかならないとわかりきっている。

 そもそもこの情報自体が根拠の薄いものだ。前提がハッキリしていないからどう議論したところで無駄とも言える。セシリアには最初からこうなることが見えていたんだろう。

 

「……メッセージを発信できるか?」

 

 俺が沈黙を破る。このまま動かないことだけはあり得ないとわかっている。何か方法がないかと模索した結果、俺が選んだ手段はこれだ。

 

「どちらにですか?」

「今日は『もう準備しておきました』とは言わないんだな」

「完全に想定外ですから」

「珍しいこともあるもんだな。送り先はわからないからテキトーに拡散してくれ。目に触れさえすればいい」

「拡散……? 篠ノ之博士宛ですわね」

 

 何が想定外だよ。十分に察してくれてるじゃないか。

 

「内容はどうされますか?」

「日本時間の午後8時、彼女との約束の地で待つ。俺の名前も箒の名前も入れなくていい」

「それで篠ノ之博士が来るのですか?」

「来ないなら来ないで収穫になる。頼んだ」

 

 俺の考えは真っ当な疑惑なのか、はたまた単なる希望的観測に過ぎないのか。その答えを出すための策は今のところこれしか思いつかない。

 ……もっとも、答えが出たところで箒を救う手立てに繋がるとは限らないけどな。

 それでもやれることはしよう。

 今は足掻くことしかできないのだから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 静かな世界だった。振動する媒体がほぼ無いに等しい空間において、ISが聴覚補正をしなければ操縦者には周囲の一切の音が届かない。ほぼ全方位で星が瞬く闇の空で、青い星を背にして織斑千冬が仁王立ちする。

 

『花火師よりブリュンヒルデへ。一部国家を除いて国家代表の出動が決定した。4時間後には指定ポイントで合流可能とのことだ』

「のんびりとした対応だな。危機感がまるで足りていない」

『仕方がない。隕石落下(これ)を危機と思ってない輩が権力を握っている国もある。我々は戦争を仕掛けられているも同然だというのに、自分たちが無関係であると本気で思い込んでいるようだ』

「もはや白騎士事件すらも記憶から薄れたか。あの事件で示されたのはISの有用性などではなく、束個人の保有する軍事力が全世界と戦争ができる規模であることだというのにな」

 

 倉持技研からの連絡を聞いた千冬は嘲笑を隠さない。ISは宇宙にも容易く進出できるほどのポテンシャルを誇っているにもかかわらず、未だに大気圏の外に出られていない理由を実際に示された形だからだ。

 千冬も同意している束の言葉がある。

 

 ――道具を与えたところで人間は地球の外に出られない。重力の枷でなく、隣人の手が翼をもぎ取ってしまうから。

 

 要するに足の引っ張り合い。隙を見せれば後ろから撃たれる。挑戦の度に後背を気にして過剰な予防策を講じなければならず、宇宙に出たところで待っているのは他国との勢力争いだ。

 空の上に求めたロマンは人間という現実を前にして腐り果てた。人間が出てきただけでそこに夢はなく、行き着く先は今と変わらぬ人間社会のみ。

 故に果て無き成層圏(インフィニット・ストラトス)。『人は“楽しい世界”に辿り着けない』という篠ノ之束からの皮肉も込められた名前である。

 

「そう言わないでくれ、ブリュンヒルデ。こうして私が参加すれば何も問題ないのサ」

 

 千冬の右隣にスッと入ってきたISの操縦者はイタリア代表、アリーシャ・ジョセスターフ。ランキング2位、ヴァルキリーの称号を持っている“風”使いである。

 

「宇宙だと無能なのだから下がっていろ」

「ひどい言われようサね。心配されずとも私の風は宇宙だろうが海中だろうが吹き荒れるのサ」

「それは果たして風と呼べるものなのか……」

 

 アリーシャの言動に対して苦笑する千冬は先ほどまでと違って少々楽しげである。

 

「――世界最強さんもあるべきはずの余裕を失ってしまっているようですわねぇ? 親友が世界の敵ともなれば、心中お察ししますけども」

 

 続いて地球から上がってきたISは緑と黒の迷彩色で舞踏会のドレスをイメージした形状をしている。胸元ははだけていてISスーツすらない四肢装甲(ディバイド)の中でも無防備な装甲配置にしているのは単純に操縦者の趣味。頭部には緑色のベレー帽を被っているかのようなデザインのヘッドパーツが装着されているが、これもまた操縦者の趣味であって特別な機能はない。強いて挙げれば、長い金髪をベレー帽の中に束ねて入れていることくらいだろうか。

 

「たとえ親友が相手でも、討つべき敵は討つさ」

「その決意が口だけであることを願っていますわ。身内の手を汚させるなどと悲しいことは避けるべきことですから」

「おい、顔とセリフが一致してないぞ、トリス! なぜ満面の笑みを浮かべている!?」

 

 丁寧な口調で同情を口にしておきながらニッコリと笑っているグリーンベレーの女性は“トリス”という名のイギリス国家代表である。彼女もまたランキング4位のヴァルキリーの一人であり、一般プレイヤーたちには“千弾の魔女”と呼ばれている。

 

「悲しいときこそ人は笑って前を向くべき。そうやってポジティブに生きることを教えてくれた束ちゃんの生き様を胸に刻んで、私は躊躇いなくこの銃のトリガーを引く。それこそが束ちゃんとの絆を大切にするということなのです」

「えらい口上を並べているが、お前と束に面識は無かっただろう?」

「大丈夫です。束ちゃんの思いは私の中で永遠に生き続ける!」

「…………もうお前はそれでいい」

 

 魔女の相手をするのに疲れた千冬は言葉を交わすのを諦めた。元来、人と話すのは得意ではない。

 

「そういえば、アリーシャ。あの寝ぼすけは来ているのか?」

「心配は要らないサね。相変わらず引きこもっていたが、篠ノ之束の名前を出したら部屋から飛び出してきたのサ。もうすぐ来ると思――」

「篠ノ之束ェエエエ!」

 

 返事ごとぶった切るように千冬とアリーシャの間を超高速で何かが通り過ぎていった。地球から黒い月の方面に向かっている。形状は人型。女性とは思いたくない奇声の発生源もそれである。

 

「早速、ドイツ代表が向かっていったようサね」

「くそっ! 流石にワンマンプレーでは歯が立たんだろ! 追うぞ!」

「まだ後続が来るはずだけどどうするのサ?」

「とりあえずお前たちが居れば時間稼ぎくらいできる! 残りは随時加勢するよう伝えておけ!」

 

 急遽、作戦を前倒しして黒い月迎撃作戦を開始。事前にわかっていたことであるが、チームワークの欠片もない作戦である。それでも千冬たちがこの作戦を実行しなければならない。

 現実にISは467しかなく、この場にいる4人が最高戦力に違いないのだから。

 

 黒い月は今もなお速度を上げて地球へと落ちてきている。

 迎え撃つISはより速く、先陣を切った朱色のISが黒い月の眼前で背中の翼を最大限に広げる。翼の先端から輝いている羽根が飛び散り、朱色のISの周囲に大量配置される。羽根は各々がその先端を黒い月に向けると、一斉に射出された。

 無数の光が筋となって黒い月に殺到する。ISが単体で出せる火力としては最高クラスの射撃攻撃であるが、黒い月の質量はその名に恥じない。光の羽根は黒い月の表面に着弾するも、その表層を削るだけに終わる。

 

「――イーリを返して貰うわ」

 

 黒い月の前に白銀の翼も姿を見せた。千冬たちよりも先に到着したISは銀の福音。千冬と同タイミングで宇宙に上がってきていたナターシャ・ファイルスである。

 朱色のIS、ドイツ代表の第一撃に続き、対マザーアース戦でその殲滅力を見せつけた福音がその翼を広げた。無数の光弾が生成される。

 

「消えなさい!」

 

 ナターシャは叫ぶと同時にその場で独楽(コマ)のように1回転。周囲を漂っていた光球が弾き出され、雪崩となって黒い月に直撃する。

 マザーアースに大打撃を与える一撃も星と呼べるサイズの黒い月にとっては蚊に刺された程度ということだろうか。失速することなく地球への進路は変わらない。

 

「質量だけじゃない……? やっぱりこれもISなの?」

「十中八九、束製のマザーアースだ。IS以外の兵器を持ってきて数を揃えたところで無意味だろう」

 

 ここで千冬たちも到着。早速、アリーシャとトリスの2人のヴァルキリーも黒い月への攻撃を開始するが、千冬はその様子を観察するだけに留めていた。

 

「……向こうからの抵抗は無し。単純に落ちてくるだけだな。意外と芸が無い」

『そうは言うが、破砕作業が今のペースでは地球に落ちてしまうぞ?』

「他の操縦者たちは?」

 

 地球の倉持彩華との通信で尋ねるのは援軍の有無。巨大建造物の破砕作業だけならIS同士の戦闘に特化した千冬よりも有象無象を多く連れてきた方が遙かに効率が良い。

 

『我々が作戦行動に入ったのを確認した途端に他の国家代表たちも重い腰を上げたさ。あと、代表候補生を含む専用機持ちも動けるものは片っ端から送り込む予定だ』

「そうか。だが――」

『わかっている。君の要望通り“あの子”だけは例外としておいた』

「助かる。私の想像が正しければ、“あの娘”だけはこちらに来るよりも残ってもらった方がいい」

 

 段取りは概ねOK。これ以上は望めない。あとはこの場でできることに尽力することが千冬の役割。

 

「アリーシャ、合わせろ!」

「はいよ」

 

 AICによる力場を展開。前方にレールを、後方に火を噴くイメージで一気に前に駆け出す。ブリュンヒルデとアーリィ。世界ランキングの1位と2位が肩を並べて宇宙空間を全力で疾走する。

 向かう先は黒い月。月そのものと呼べる大質量に向かってひたすら突き進む2人は、落ちていくのでなく突撃するに相応しい気合いと速度で迫っていく。

 

「ISの攻撃は大きさだけで威力が決まるものではないのサ」

「……吹き飛べ」

 

 2人の動きは一分の狂いもなく同調。クルリと前方宙返りすると片足を突き出した状態で勢いを衰えさせることなく黒い月へと向かう。

 衝突。否、着地と呼ぶべきか。2人の足の裏が黒い月の表層を踏んだ瞬間、初めて黒い月の速度が失速し、軌道がわずかに逸れた。

 

 まだ破壊まで先が見えないことに変わりはない。

 しかし、地球に衝突するまでのカウントは確実に延びていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 12月29日、午後8時。予告していた約束の時間となった俺は()()()()()篠ノ之神社にやってきていた。

 セシリアに頼んで全世界に送って貰ったメッセージに書いた“約束の地”はここしかあり得ない。正確には現実の篠ノ之神社なのだけれど、待ち人が来れるのはこちら側だけだから仮想世界(ここ)で良い。

 

「わたくしも同席してよろしかったのですか?」

 

 今回はラピスにも来てもらった。色々と理由はあるんだけど、一番の理由はジンクス。俺が大きなミスをするときはラピスの目が届いていないときだから、こうして近くに居てもらえれば心強い。

 

「ダメと言ったところで、どうせ監視してるだろ?」

「それはそうなのですが……」

 

 実は否定してほしいんだけど肯定されてしまった。まあ、お互いにそういうもんだと理解し合ってるということなんだけど。

 

「そろそろ時間になるな――と言ってる傍から早速お出ましのようだぜ」

 

 神社の参道に光の柱が昇った次の瞬間には一人の女性が立っていた。

 数えるくらいしか会っていないはずなのにこの服の印象しかない。そう断言できるくらいの『不思議の国のアリス』のコスプレをしてる女性は束さんでしかありえない。

 

「やっほー! やっぱりいっくんだった!」

「“彼女との約束の地”だけでわかったんですか?」

「当たり前だよ! ……と言いたいところだけど暇だったから覗いてみただけだね。いっくんが居ればよし。居なければ無関係で済む話だもん」

 

 それは俺も同じ。このメッセージを見ておいてここに来ない束さんだったら、俺はそんな人相手に話す言葉を持ち合わせていなかったから。

 とりあえず最低限の条件はクリア。この束さんは俺と対話するテーブルにはついてくれている。

 

「束さんの予想通り、いっくんは武装してない。これは束さんと戦闘する意志がないからである。だよね?」

「ええ、もちろん」

 

 俺は別に束さんを殺したいだなんて微塵も思ってない。できれば仮想世界の住人としてでもいいから、これからも俺と箒の助けになってほしいとすら思ってる。

 

「でも、予想外だったなぁ。まさか“約束の地”に無関係な女を連れてくるとは思ってなかった」

 

 束さんの冷めた視線がラピスに向けられている。

 俺はその敵意からラピスを守るため、彼女の前に立った。

 

「彼女は居るだけです。俺が束さんと話をして、束さんは俺とだけ話す。それでいいじゃないですか?」

「……別に邪魔と言いたかったわけじゃないよ。ギャラリーが居る分にはむしろ大歓迎だしね。ただ単純に意外だっただけだよ」

 

 てっきり口を尖らせて不満を言うと思ってたけど、思いの外簡単にラピスの同席を容認してくれた。

 ここで気になるのはその根拠として言った“ギャラリー”。つまり、束さんは見世物を用意しているということになる。

 

「ところで、いっくん。不確実な方法を取ってまで束さんと接触したがった理由は何かな?」

 

 優しい口調。だが目は笑ってない。昔は感情が読めない人の一点張りだったけど、今の束さんからは警戒というか敵意みたいなものが感じ取れてしまう。それは俺の錯覚なのだろうか?

 

「ま、言わずともわかるけどね。箒ちゃんを解放しろと要求するつもりでしょ?」

「はい。俺にはもう、お願いすることしかできません」

 

 建前なんて言うつもりは毛頭無い。千冬姉が聞いた情報が確かであるのならば、束さんが自発的に箒を解放してくれないと箒を救うことができない。

 

「うーん……たしかに私が望めば箒ちゃんとの融合を解除して解放することはできるよ。やっぱりいっくんは正解に辿り着いてるね!」

 

 束さんはアッハッハと高笑いする。

 断言できる。正解に辿り着いたという俺のことを褒めているかもしれないが、決して俺に対して好意的な考えを持っていない。

 ……いくら束さんでも、このタイミングで笑うとは思えないから。

 案の定、笑い終えた束さんの顔が豹変し、俺を見下すように冷たい目を向けてくる。

 

「たった一つの道も私次第ですぐに塞がる。もう妥協しなよ。こうして私が約束の地に赴いたのも、いっくんの妥協に付き合ってあげるためなんだから」

 

 言うや否や、束さんが黒い霧に包まれていく。戦闘行動と判断したラピスがISを展開しようとするのを俺は手と目だけで制した。

 言動からして、このまま俺たちを倒そうという意志はないはず。だから黒い霧の役割は攻撃じゃない。

 やがて黒い霧は霧散する。中から出てきたのは束さんではなかった。

 

「ナナ……?」

「ヤイバ……」

 

 出てきたのはピンク髪のポニーテール少女、文月ナナだった。

 ここはISVS。ただ姿を似せるだけなら簡単な設定だけでできる。だけど、彼女が俺のことを一夏でなくヤイバと呼んだこと。何よりも俺の直感が彼女が俺の探し人本人であると訴えてきている。

 

「シズネは……元気か?」

「ああ。今はまだ病室だけど、もう起きてお母さんと再会してる」

「そうか……そうか」

 

 俺の返答を噛みしめるように何回も頷く。

 この癖まで束さんは知っていて偽物を作ったのだろうか?

 自分のことよりもシズネさんのことを最初に気にかける性格すらも偽物に写しているのだろうか?

 たったこれだけでも俺が確信するのに十分。目の前に居るのは篠ノ之箒本人しかあり得ない。

 

「ツムギの皆はもう、解放されたのだな」

「ああ。あとはお前だけだ」

 

 取り戻したい人がもう目の前にいる。そのはずなのに、今の俺にはとても遠く思えた。

 手を伸ばせば届く。この手で抱きしめてやれる。だけど、一緒に帰ることはできない。

 そう感じているのは俺だけじゃなかった。

 

「もう終わりでいいんだ、一夏」

 

 現実に帰るまでお互いに現実の名前で呼ばないと誓い合った。ついつい呼んでしまうことはあったけど、わざと呼んだことはない。

 今、ナナは俺のことを一夏と呼んだ。それは俺との誓いを無かったことにしようという提案になっている。

 

「いいわけないだろ! まだナナは帰れてない!」

「もう文月ナナは死んだも同然だ。今の私は現実の体ではなく、黒鍵というISのコアと結びつけられている。融合していると言った方がわかりやすいだろう。そして、黒鍵は私をこの世界に閉じ込めた元凶のIllでもある」

 

 ナナの口からその事実を伝えること。

 これこそがこの“見世物”のメインってわけかっ!

 

「Illである黒鍵を破壊しなければ私は現実に帰れない。Illである黒鍵を破壊すれば私は死ぬ」

「方法は必ずある! 実際、同じ状況になるはずだったシズネさんは助かってるだろ!」

「そうだな。黒鍵の操縦者である―――なら任意で解放できるのだろう。だが私にはその権限がなく、許可が無ければこうして話をすることもできない」

 

 何だ? 今、一瞬だけナナの口から言葉が出てなかった。そのことにナナ自身が気づいてない?

 

「もう一度言う。私はもう死人(しびと)だ。これからも生きていくお前たちの枷とはなりたくない」

「何を馬鹿なことを言ってるんだ!」

「私は知っている。このままでは地球が滅びる。できもしない説得を敢行して、世界そのものが消えるだなど断じて許されるべきではない」

「滅びない! 今、地球に向かってる黒い月も千冬姉たちが対処してくれてる! 絶対に地球には衝突しないから! だから諦めるな!」

「いいや、お前は理解していない。現実に姿を見せている黒い月――隕石型マザーアース“ルニ・アンブラ”は想像結晶により仮想世界から送り込まれたクローン体。本体は別に存在し、現実世界に最大1機までだが無尽蔵にクローンを送ることができる」

 

 しばらく言われた内容を飲み込めなかった。

 なんとか要約すると、千冬姉たちが必死に破壊してる黒い月を破壊できたとしても、すぐに新しい隕石を送り込めるということになる。

 つまり、千冬姉たちが行っていることは、地球に隕石が衝突するまでの時間稼ぎでしかない。

 

「隕石を止める手段はある。発生源を止めればいい。仮想世界にあるルニ・アンブラ本体のコア――黒鍵を破壊すれば現実への隕石攻撃も止まる」

 

 単純明快な答えが示される。だけどそれは――

 

「俺に……お前を殺せっていうのか……?」

「別に一夏でなくても構わない。ただ、我が儘を言ってしまえば……一夏がいいな」

 

 こんな……こんなことで俺に笑いかけるなよ……

 そんなの我が儘でもなんでもないだろ……

 作り笑いで頬が引きつってるのも丸わかりだっての。無理してんじゃねーよ……

 

「セシリア。現実で会ったこともないお前に頼むのは恐縮だが、一夏を間違った方向に進まないよう導いてやってくれ。絶体絶命だったツムギを救ってくれた手腕には期待している」

「……わかりましたわ」

「ラピス!? 何を言ってるんだ!?」

 

 まさかラピスがナナの馬鹿な頼み事を引き受けるとは思わなかった。ラピスも俺と同じ気持ちでいてくれるとばかり思ってたのに。

 

「私がいなくなった後の一夏のことも頼む。一夏のことだ。しばらく塞ぎ込むくらいしてくれそうだから、尻を叩いてやってくれ」

「あなたの自分勝手な自己犠牲精神の後始末だなどお断りですわ」

 

 俺の思い違いだった。ラピスは俺と同じ思いでいてくれている。さっき了承したことは別にナナの意志を尊重したわけではない。

 

「代表候補生なら何を優先すべきかわかってくれているものだとばかり思っていたのだがな……」

「残念ながら、世間一般からの評価としてわたくしは代表候補生失格ですの。これは誠に正しい評価だと思いますし、誇りにも思いますわ。血の通った人間なら何を優先すべきかわかっているものですので」

 

 代表候補生失格。そう中傷されてきたのはラピスにとって本当に痛い過去の話だ。それすらも利用して、ラピスはナナに生きろと訴えかける。そんな彼女の想いを聞いた俺の胸の方が熱くなった。

 

「これでわかっただろ、ナナ? 俺もラピスもお前を助けることを諦めない。世界が救われることを望むなら、黙って助けられてろ」

 

 いくら見捨てろと言われたところで揺らぐ気持ちなんてありはしない。そもそも俺が戦う理由は箒を救い出すこと。世界のために箒を見殺しにするのは俺が戦いの目的を見失っているも同然だ。そこに何の価値もない。

 

「……まったく。お前たちはバカばっかりだ」

 

 うつむいたナナの表情は見えない。だけど、地面に落ちていく雫は決して悪いものじゃないと確信させてくれる。

 こういう涙なら流させてもいい。必ず後でその涙を俺の手で拭ってやる。

 

「何も解決の糸口を提示できない。無責任極まりない。それでもいいなら、私の我が儘を聞いてくれ」

 

 再び顔を上げたナナの顔面は涙でぐちゃぐちゃだった。

 

「私を……助けてくれ!」

「当たり前だ!」

 

 即答と同時に俺はナナを抱きしめようと駆け寄ろうとした。

 しかし、直前で強力な斥力によって弾き飛ばされる。

 

「ヤイバっ! うあっ!」

 

 倒れた俺が身を起こしたとき、ナナは頭を抱えて蹲っていた。さらに黒い霧が彼女を覆い隠してしまい、俺たちは全く近寄れない状態となった。

 

「ナナっ!」

 

 呼びかけに答える声は無く。

 次に黒い霧が晴れたときには、もうナナの姿は無く。

 現れたのはいつもの格好をした束さん。

 

「感動のご対面の時間はしゅーりょー。ここまでお膳立てをしたのに、どうしてまだ私と争うつもりなのか、本当に理解に苦しむよ」

「争うつもりがないなら、さっさと箒を解放しろ」

「おや、命令口調になった? 根拠のない自信は若者の特権だけど、年長者に生意気を言うのは良くないぞ?」

「自分のことを棚に上げてよく言う」

「あ、そだっけ? いっくん、毒舌がちーちゃんに似てきたね。やっぱり姉弟なんだなぁ」

「そういうアンタは箒と似ても似つかない」

「昔からよく言われるよ。うんうん」

 

 俺の挑発もにこやかに受け流してきた。きっとこれは自らの優位を確信しているからこそだろう。まあ、もし戦闘を仕掛けられても、今の俺たちには逃げるしか選択肢が無いから困るんだけどな。

 まだ戦うつもりがないのに俺が挑発した理由? それは単純にムカついているからだ。

 

「じゃあ、用件も済んだし帰るとするよ。と思ったけど、その前に空を見てもらえるかな?」

 

 言われるままに頭上を見上げる。何もない夜空だと思ったが、あまりにも暗すぎる。晴れているにもかかわらず、夜空ではあっても星空ではない。

 

「ヤイバさん! 空を大量のゴーレムが埋め尽くしていますわ! それも地球を覆い尽くすほどの量ですっ!」

 

 ラピスからの報告を聞いて、即座に正面を睨み付けた。

 

「争う道を選んだいっくんに最初の課題を出すよ。地球全体をゴーレムが覆い尽くしているし、“ヘリオフォビア”も配置したから簡単に宇宙に出られるとは思わないでね?」

 

 プレイヤーが宇宙に上がれないように戦力を投入してきた。やはり、拠点は宇宙にあるし、宇宙に上がってこられるのを嫌がっているとも受け取れる。

 

「絶対に箒を助ける。俺から言えるのはそれだけだ」

「ふーん。ま、楽しみにしてるよ」

 

 “楽しみにしている”。全く楽しそうじゃない顔をしたウサ耳女はそう言い残して空に消えていった。

 見送った後、俺はすぐに行動を開始する。まずは――

 

「ラピス、頼みたいことがあるんだが――」

「宇宙へ、それも大戦力を一気に送り込む方法の模索ですわね。簪さんとも相談してみますわ」

 

 こういうとき、本当に理解が早くて助かる。

 

「頼んだ。俺の方は他の準備をしておく」

 

 今、やるべきことは見えている。

 箒を救うためには宇宙に出ることが必須。そして俺一人だけ宇宙に出たところで絶対に箒には届かない。

 だったら、まずは箒のところに辿り着いてやる。そのための手段を俺は知ってる。だからやることはもう決まってた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 黒い月――ルニ・アンブラの破壊状況は70%を超えた。だが既に地球が目前に迫っている。残りを破壊できたとしても、その残骸が地球へ落ちていく可能性が高まっていた。

 

「どうするのサ、ブリュンヒルデ?」

「手を止めることだけはあり得ない。攻撃を続行しろ!」

 

 全体への攻撃指示を継続した上で、“千弾の魔女”トリスに個別の指示を加える。

 

「トリスは本体への攻撃をやめて最終防衛ラインまで下がれ! 欠片の一つも地球に落とすんじゃないぞ!」

「イエス、マム!」

 

 グリーンベレーのISが人類軍の最後尾へと移動。配置につくと同時に両手を左右に広げる。

 

「“銃殺書庫(じゅうさつしょこ)”、全開放」

 

 トリスの背後でまるで水に水滴が落ちたかのような波紋が次々と広がっていく。それぞれの波紋の中央からぬっと現れたのはIS用の銃器。ただの一つも同じ種類のものはなく、立ち並ぶ銃器の軍勢はまるで城壁であり、銃器の博物館でもある。

 

 単一仕様能力、銃殺書庫。

 ISVSに存在する全ての射撃武器を扱えるという破格の武器数を誇る拡張領域系パラノーマルである。実際に拡張領域に全ての武器を事前にインストールしているのではなく、ISVSのデータバンクにアクセスしてコピーをその場で生成している。

 この能力が使える条件は拡張領域に何も武装をインストールしていないこと。つまり、全ての射撃武器を得る代わりに他の装備は一切使えない、状況によっては詰む事もあり得る諸刃の剣でもある能力である。

 また、生成された銃器を直接手で扱わなくても非固定浮遊部位として運用できる。つまり、銃器の種類だけ兵隊が増えるようなものだった。

 

 千冬は地球防衛の最後の砦にトリスを指名した。それは手数と射程、個々の射撃の照準精度を総合すると彼女の右に出る者はいないからだ。

 

 総攻撃で黒い月が大きく割れる。バラバラになった破片はまだ大きく、このまま大気圏に突入しても燃え尽きそうにない。

 

「照準……OK。盛大に吹っ飛ばして差し上げます!」

 

 立ち並んだ全ての銃火器が一斉に火を噴いた。ほぼ平行に延びていく火線は破壊の壁となってルニ・アンブラの侵入を防ぐ。

 だが破片となってもまだ残骸と呼べなかった。未だにISとしての防御力を有していたルニ・アンブラはトリスの砲撃も潜り抜けた。

 

「まずいっ! 抜かれるっ!」

 

 ヴァルキリーの額に冷や汗が浮かぶ。ISのシールドが生きている破片ならば、大気圏突入のダメージを受けることなく地球へ落下する。たとえ小質量でも、都市部に落下してしまえば被害は甚大となる。

 千冬も目を閉じて頭を振った。トリスで抑えきれないのならば他の誰がやっても不可能だった。あとは人の居ない土地に落ちてくれることを祈るしかない――かに思われた。

 

 大気圏に突入していく破片。しかしそれらは唐突に地球への落下を停止する。それどころか、まるで意志を持ったかのように軽快に地球から離れ始めた。

 

「――面倒くさい上にウザイことこの上ない仕事だ。なぜこの私がブリュンヒルデと同じ陣営として作戦に参加しなければならない? 地球を守るとか綺麗事過ぎて気持ち悪い」

 

 誰の目から見ても地球から新たな援軍が来たことはわかった。ミスをカバーしてもらったトリスなどは胸を撫で下ろしているのだが、指揮官である千冬だけは苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。

 

「“ネクロマンサー”、オータム……だと……? なぜここに?」

「私だって嫌だったさ! だがスコールに頼まれたら断れるわけないだろうが!」

 

 地球から上がってきたISは蜘蛛。過去、ヴァルキリーの誰を敵に回しても、ただの一度も敗北したことのない最凶のテロリストがその姿を現し、あろうことか人類の危機に立ち向かう千冬たちを援護している。

 

「ここで会ったが100年目……と言いたいところだがそれどころではないな」

「私はお前たちがかかってきてくれた方が都合がいいんだがな! 世界の危機に職務を忘れて私情に走る国家代表だとでもメディアに煽ってやるよ!」

 

 オータムの単一仕様能力、“傀儡転生”は意志なき物質を己の兵隊として使役する能力。ルニ・アンブラの破片はISのシールドが生きていても意志なき物質と分類される。

 破壊でなく操作する。オータムの張った蜘蛛の巣により、ルニ・アンブラの破片が地球に落ちる可能性は限りなく0に近づいた。

 

 防衛の布陣はこれにて完成。現実の操縦者たちはルニ・アンブラの残りを地道に破壊し、ついにコア部分を千冬の剣が貫いた。

 

「無事に終わったようサね。さて、篠ノ之博士は次に何を仕掛けてくるのかナ?」

「違うな、アリーシャ。終わってなどいない。むしろ始まったようだ」

 

 アリーシャを始めとする操縦者たちが任務達成に肩の力を抜こうとしていたときだった。千冬が雪片を向けた先、遠方には黒い巨大な球体が浮かんでいた。

 すぐさま地上からの通信がくる。

 

『ブリュンヒルデ! また黒い月が――』

「こちらからも見えている、彩華。どうやら悪い予感が当たっているようだ」

 

 ルニ・アンブラ破壊直後に再び現れた黒い月はまたしてもルニ・アンブラ。現実の操縦者が総出で迎え撃ってなんとか破壊した隕石が再び地球への侵攻を開始した。その事実は操縦者たちを達成感の高揚から途端に絶望に突き落とす。

 終わりが見えず、ミスを許されない任務。もちろん休憩すら許されない。プロローグが終わり、地球の延命治療に等しい過酷な戦いが幕を上げた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一面に水が張ったような床の上、鏡面に立つ水色ワンピースの女性が壁に浮かんだ映像を見上げている。

 

「想定よりもルニ・アンブラ・レプリカが破壊されるのが遅かったねぇ……ちーちゃんはもうすっかり牙が抜けちゃったのかな?」

 

 現実で起きている隕石迎撃作戦を仮想世界から眺めているウサ耳カチューシャの女性は満面の笑みを浮かべていた。想定外と口にしながらも、その実は思っていたとおりに事が運んでいる。この状況になってもなお、もし世界最強のIS操縦者が自らの前に姿を現すとすれば、それは現実世界の崩壊を意味し、織斑千冬が軍門に降るも等しい。

 既に人類側はブリュンヒルデを仮想世界で戦わせることができなくなっていた。

 

「これも卑劣さだけが取り柄のイレイションのおかげだよ。褒めてつかわすー」

「ハッハッハ。お褒めにあずかり光栄です」

 

 ウサ耳女の傍らにはスーツをラフに着崩した男、ハバヤが立っていた。当たり前のようにこの場にいる彼こそが今回の隕石攻撃を立案した張本人である。

 

「想像結晶などという強力なカードがありましたからね。もう一つ基地を建造すれば、人類は為す術もなく滅びたでしょうが、それだと面白くないですよねぇ?」

「その通りだよ! エンターテイメントをよくわかってるじゃないか!」

 

 2人の男女の大笑いが反響する。もしもこの場に共感できない人物が紛れていれば耳障りなことこの上ない。

 そして、その“もしも”は起きている。

 

「……くだらないな。およそ見世物の域に達していない」

 

 部屋の中央。水晶のように透き通った大木に取り込まれているピンクポニーテールの少女、文月ナナが呟いた。あまりにも冷めた声だったが、その根底には確かな熱が埋まっている。でなければ喋ることすら煩わしいはずであるからだ。

 囚われの身となってからのナナはずっと人形のように何もしなかった。話しかけられても無視を決め込んでいた。聡い彼女は事態の重さを正面から受け止めており、夢すら抱かず絶望の前に折れていた。

 昔からそうだった。自分ではどうしようもない苦難など慣れている。これまでの人生の大半を諦めて生きていた彼女にとって、暗い現実を受け入れることなど造作も無い。ましてや、自分が素直に消えることが一夏のためとなると思えたなら尚更だ。

 

 だが、また叱られてしまった。

 一夏よりも先に諦めてしまった。

 裏切ってしまった。

 

 ナナは素直に自らの非を認める。

 過ちは正さなければならない。まだ手遅れではない。

 だから、最後まで足掻くと決めた。

 たとえ一夏に殺される結末だとしても、生きる努力を放棄しないと決めたのだ。

 

「箒ちゃん……やっと喋ってくれたね」

「訂正しろ。まだ今の私は文月ナナだ。姉さんが付けてくれた二つ目の名前は、一夏と本当の意味で再会するまで消えることはない」

「――ちょっと黙っててね?」

 

 苛立ち混じりの声と共に指がパチンと鳴らされると、ナナは目を閉じてぐったりとしてしまう。

 

「力尽くだなんて大人げないですねぇ?」

「イレイションの場合は首を()ねてもいいよ?」

「前言撤回。お優しい対応でした」

 

 言葉だけなら過激な脅し文句に屈したハバヤであるが、全く恐れを抱いていない。相も変わらず不遜な態度のまま、あくまで対等だと立ち振る舞いで語っている。

 

「さてと。現実世界の崩壊までのカウントダウンが始まりました。このまま何事もなく、終わると思ってますぅ?」

「それはないだろね。まだいっくんが残ってるから」

「織斑一夏。亡国機業に壊滅的な打撃を与えた英雄の息子。彼は女一人を救うために未だに戦い続けている。正直な感想を言わせてもらうと“ガキ”の一言ですが、不気味なほどの一貫性は私好みではあります」

「急に饒舌になってどうしたの?」

「テンションが上がってきてるのは間違いないですねぇ。ここに篠ノ之箒がいるということは、織斑一夏は必ずやここまでやってくるに違いない。たとえ無駄だとわかっていても抗う人の姿は尊い。そう言わせていただきます」

「尊い? どうせ滑稽だと思ってるんでしょ?」

「それはそうですよ。ですがね――その2つは両立するんです」

「ふーん。イレイションの中でいっくんの評価は高いんだ」

「エアハルトを倒した事実もありますから認めてはいますよ」

 

 ハバヤが返事をした瞬間、人差し指を顎に当てていたウサ耳女の眉がハの字になる。

 

「そんな理由で?」

「何か変でした?」

「うーん……ああ、そういうこと」

 

 唸っていたウサ耳女が胸の前で手をポンと叩いて勝手に納得する。

 

「まあ、楽しみにしておく感じかな。まだ一波乱起きそうだから」

「普通に考えると、こちらの戦力を突破してくることはあり得ないはずなんですがね。ただ、私の予想では『彼は来る』でしょう」

「それはイレイションの思惑でもあるということ?」

「さあ、それはどうでしょう? 少なくとも、彼がいないと面白くないとは思ってますけど」

「ま、それでいいよ。束さんもいっくんが来てくれないと寂しく終わっちゃうと思ってるし、やっぱり楽しく終わらないとね」

 

 『楽しく』と言った彼女は頭上を見上げた。外が透けている天井に映し出されている景色は、闇の中に黒い汚れが目立つ青い球体が浮かんでいる。

 

「早くおいで、いっくん。私と――遊ぼう?」


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