Illusional Space   作:ジベた

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48 機械仕掛けの巨兵

 12月28日は曇り空。朝から薄暗い天気であっても休日における駅前のゲーセンは賑わっていて陰鬱さの欠片もない。プレイヤーたちは仮想世界へと旅立っているが、モニターで観戦している者たちの喧噪は“動物園”と揶揄されてしまうほどになっている。

 五反田弾もいつものようにISVSをプレイしようとゲーセンに来ている者の1人であった。一夏たちが大変であることは承知しているが、動き方がわからないうちは何をしていても浮き足立つに決まっている。下手に動かず、日常を過ごすことが己の役割なのだという強い自覚があった。

 

「相変わらず恋人よりもゲームを取る、バレットはゲーマーの鑑だよな」

 

 店内に入った弾に声をかけてきたのは幸村亮介。藍越エンジョイ勢において最速の逃げ足を持つ男であり、弾が思うに藍越エンジョイ勢で最も操縦技術に秀でた男である。

 

「ゲームは好きだが虚さんが最優先だっての!」

 

 幸村の明らかな煽りにムキになって言い返す。そうした弾の反応を周囲にいた藍越エンジョイ勢の仲間がゲラゲラと笑った。

 その輪の中で今日は珍しい人物がいることに気づく。藍越学園で会うのなら何も違和感がないのだが、こうしてゲーセンで見るのは初めてだった。

 

「あれ、会長? 珍しいっすね。たしか会長は家庭用勢じゃなかったっすか?」

恋人(ルッキー)のを借りてたけど、最近はずっとISVSをやってたから取り上げられたんだ」

「ダメっすよ。もっと彼女のためにも時間を割かないと」

「それを君が言うのか……」

 

 藍越学園生徒会長、最上英臣。一夏の父親に憧れている自称“解放マニア”。人が束縛から解放される瞬間を見ることが何よりもエクスタシーなのだとは彼の言である。

 

「会長も完全にISVSにハマってますね」

「いや、僕は君たちと違って不純な動機だよ。結果的に自分が楽しむためではあるけど、ISVSは目的でなく手段に過ぎない」

「……今日ここに来たのも何かあるってことですか?」

 

 唐突に弾の声から軽さが消えた。真剣な眼差しを正面から受け止めた生徒会長はゆっくりと頷く。

 

「今朝になって宍戸先生から連絡が来てね。どうやら敵に不穏な動きがあったようだ」

「詳細は?」

「昨日、ロサンゼルスの遺跡奪還作戦に参加したろう? あの後、倉持技研による作戦も実行されたようなんだけど、状況が悪化したらしい」

 

 奪われたロビードームを企業連合軍が取り返す作戦は弾も知っている。一応、参加はしていたがとてもゴーレムの防衛網を突破できるとは思えなかった。最後は戦場にいる全てのISが敵味方を問わず強制的に墜落させられ、いつの間にか終わっていたという消化不良な戦いだった。

 

「これを見てくれ」

 

 そう言って示されたのはISVS関連の表示がされているディスプレイ。その一部に今あるミッションのリストがある。

 生徒会長が指さしたのはミッションのうちの一つ……というのは語弊があった。過去に前例のないことだが、現在あるミッションはたった一つだけ。これだけでも弾にとっては十分に異常だったがもちろん中身も普通じゃない。

 

「篠ノ之束の挑戦状……?」

 

 唯一のミッションのタイトルに入っているIS開発者の名前。一連の事件を知る前の弾だったら、とうとうIS開発者も出張ってきたとテンションを上げるところだが、現状では違う反応になる。

 まだ推測の域ではあるが、もしかすると本当の黒幕は篠ノ之束かもしれない。そう思っていた矢先のこのミッション。只事ではないと思うには十分すぎた。

 

「ミッション内容は?」

「内容は拠点防衛。篠ノ之束の用意した敵がロビードームを襲撃するから、プレイヤーは敵を撃退しろということらしい」

「ロビーを……ですか」

 

 瞬時に顔をしかめる弾。ミッション内容に純粋に怒りを覚えている。

 ロビードーム――遺跡(レガシー)はプレイヤーに必要な施設ではある。だがしかし、これまでのISVSの世界観においては登場しなかった要素である。少なくともミッションの文面に“ロビー”と書かれたのは初めてだ。設定を無視したメタ的な内容としか受け取れなかった。

 そうした弾の印象はあながち間違っていない。

 

「この戦闘でプレイヤー側が敗戦した場合にはISVSを閉鎖する、とISVS運営責任者である轡木十蔵氏の名前で発表されている」

 

 生徒会長の口からミッションでプレイヤー側が敗北した際のデメリットが告げられた。個人に対してだけでなく、参加していないプレイヤーにまで影響が出る。ましてや運営側が損しかしないものを仕様としているのはあまりにも荒唐無稽。

 単なるプレイヤーであったなら運営に対して暴言を吐いていたであろう。しかしそれなりにISVSのことを知っている今では、現状に至るまでの道筋を察せられる。

 

「負けはロビーの破壊を意味していて、ロビーが破壊されたら俺たちはもうISVSができないってことか」

「そう。運営は可能な限りゲームの体裁を保ちつつも、実質はプレイヤーたちに対して無差別に助けを求めている。プレイヤーにとっても他人事じゃなく、運営に文句を言ったところで状況が変わらないことを受け止めて、ミッションを成功させることに終始しなければならない。このゲームを今後も続けたいと思っているのなら、ね」

 

 情報は与えられた。早速、弾はスマホで自分が管理するWikiを更新し始める。

 まだISVSの現状を知らない人が多数を占めている。ならば自分の出番だと弾は奮い立つ。これまで地道にISVSの攻略情報をまとめてきた。弾の立ち上げたサイトを覗くISVSプレイヤーは世界中にいる。ここでミッションの参加を呼びかける効果は決して小さくない。

 

「……やっぱり君に声をかけて正解だったね。僕は広範囲に情報を発信する(コネクション)を持ち合わせてないから」

 

 参加予定プレイヤーの数字が跳ね上がっているのを眺めながら生徒会長が呟く。口元には笑みが見られるが、右手は握り拳を形作っていて必要以上に力んでいる。

 

「篠ノ之束の挑戦状。それがもし本当なら、この戦いは一筋縄にはいかない。何事もなければいいんだけど……」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 プレイヤーたちがロビードームの外に集結する。これまでならばロビーでブリーフィングを行うところだったが今回はほぼ日本中のISVSプレイヤーが集結しているためロビー内ではキャパシティオーバーである。バレットの呼びかけの効果――というだけでなく、ISVS運営のコメントから異様な空気を察知したゲーマーたちが危機感を持って集ったのだ。

 

「ミッションへの参加に感謝する。私の名は轡木十蔵。ISVSの運営責任者ということになっているが、私はこのゲームにおいて何の権限も持ち合わせていないことを先に明言しておこう」

 

 中央に造られた即席のステージにはスーツ姿の初老の男が立っている。ISを身につけていない彼は見たままの通りプレイヤーではなく、名乗った通り運営側の人間だ。

 前置きとして何の権限も持ち合わせていないと発言したのはそれが事実だからだ。彼らISVS運営がゲームとしての機能を維持させてきたのは事実であるが、ISVSを完全にコントロールできるわけではない。もっとも、この発言の真意を理解しているプレイヤーが少ないのも事実であり、大多数にはパフォーマンスの一部として受け取られている。

 

「このミッションの目的は至極簡単だ。我らの拠点となっているロビードームを破壊しようとしている敵ISを撃退すればいい。早速、詳細を話していくとしよう」

 

 上空に巨大な空間ディスプレイが表示される。そこには海上を直立姿勢で浮遊移動している巨大な人型ロボットが映し出されていた。

 

「この巨大ISは今から3時間前にロサンゼルスに出現した。篠ノ之束が送り込んできたこの兵器の内の1機がまっすぐこの日本へと向かってきている。篠ノ之束によればこの兵器の攻撃目標はロビードームであるとのこと。もし破壊を許せばISVSはゲームとしての機能を失うこととなる。諸君らにはこの巨大ISを破壊してもらいたい」

 

 辺りはにわかに騒がしくなる。それはプレイヤーたちに参加を呼びかけていたバレットや生徒会長(リベレーター)も例外ではなかった。想定されるミッション内容と決定的に違っている点があったからだ。

 

「敵は単機……?」

「これまでも巨大兵器はあったけど、人型という点が気になるね。中に人がいないのなら人型であるメリットは思いつかない」

「巨大であってもたかが1機。この数で苦戦するとでも言うってのか?」

 

 全プレイヤーの参加を呼びかけるほどの内容と思えない。だからこそ、単機で向かってきている敵の性能を甘く見てはいけない。

 ISVSは数で決まると言い切れないことを理解していないプレイヤーはいないことだろう。数の差をひっくり返す強大なプレイヤーの存在があるのならば、数の差をひっくり返す兵器があってもおかしくはない。

 運営側責任者である轡木十蔵の作戦概要説明が終了する。簡潔にまとめると、プレイヤーは海上を迫ってくる敵の側に転送され、順次敵への攻撃を開始しろということだった。

 運営側から作戦の指示はない。これがゲームならそれで当たり前だ。この後のことはプレイヤーに全て任せられる。それでこそISVSなのだから。

 

「藍越エンジョイ勢は全員集合!」

 

 気の早いプレイヤーはもう出撃した後だがバレットはすぐに動かない。すぐさま身近なメンバーに召集をかける。続々とバレットの元に集まるメンバーたち。バレットは全員の顔を見回して首を傾げた。

 

「あれ? ラピスさんいねえの?」

 

 バレットはまず声をかけようと思っていた人がいるのだが、この中に思っていた人影はなかった。

 全国から集まったプレイヤーたちは数こそ多いが全体の息を合わせることは難しくなっている。必然的に身内だけで連携を取る小部隊が乱立することとなる。この状況で全軍の意志を統一できるとすれば星霜真理を持っているラピスだけ。しかしラピスはもちろんのこと、ヤイバの姿もなかった。

 

「何か別件があるのか……だったらここは俺たちだけでなんとかしないといけないな」

 

 ISVSの危機。それも篠ノ之束の名前が出ているにもかかわらず、ヤイバが顔を見せていないのは異常と言えた。ラピスが知らないなどあり得ない。何か事情があるのだろうと思っておいて、今はある戦力だけで出来ることを模索するべきだ。

 

「リンもいないのか。あと、バンガードは?」

「もう出てっちゃいましたよ」

「これだから猪突猛進野郎は……」

「いや、彼の先行出撃は僕の方から頼んでおいたんだよ。あまりにも情報がなかったからね」

 

 別に藍越エンジョイ勢でも何でもないリベレーターが話に割って入ってくる。

 

「先遣隊ってことか?」

「うん。敵の力を計るにはある程度の実力が必要だったし彼もやる気満々みたい。だからまずは分析から始めよう」

 

 リベレーターが空にバンガードの視界を表示する。バレットも画面を食い入るように見つめた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 まだ日本の陸地が見えないほどの距離の太平洋上を巨大な人型が直立姿勢で飛翔する。外形はフルスキンのISとほぼ同じだが、そのサイズは優に100mを超えていた。大きさ以外には目立った特徴はなく、むしろシンプルすぎる。武装らしきものも一見しただけではわからない。

 バンガードは高々度から併走するように飛びながら対象を観察していた。まだ戦闘は仕掛けない。バンガード以外に来ているプレイヤーたちが率先して攻撃を始めるからだ。

 

「ENブラスター……デカブツ相手のセオリーだな」

 

 巨大ISを相手に先遣隊は包囲を完成させた。全てのISが所持しているのはENブラスター“イクリプス”。100を超えるISによる一斉射撃が放たれ、火線は敵の胸部に集中させた。

 着弾と同時に白煙が巻き起こる。ここまで等速で飛翔を続けていた巨大ISはその歩みを止めた。

 

「お? もしかして今ので終わり?」

 

 だとしたらあまりにも呆気ない。当然、バンガードは本気で終わりだなどと思っていないし、攻撃したプレイヤーたちも同じである。誰一人として疑うことなく、敵の健在を確信している。

 白煙が風に消されていく。再び姿を見せた巨大ISの胸部には傷一つついていなかった。

 巨大ISが両腕を広げる。まるで空から降ってくる何かを欲するかのように。もし人間ならば雨乞いしているようにも映る。

 

「我は科学技術に恐怖する(テクノフォビア)。故に我は文明を破壊する」

 

 大音量で響きわたる機械音声の名乗り。それを合図として巨大IS、テクノフォビアの背中に三つ重なったリング状の黄色い物体が出現した。

 

「ファルスメア・ドライブ、起動(ブート)。敵対勢力の殲滅を開始」

 

 背中のリングが黄色から漆黒に染まる。黒の浸食は背中のリングから肩へと伝搬し、両手の先へと移動。指の先に集まった黒が球体となって乖離したところでテクノフォビアは両手の指先を周囲に浮遊するプレイヤーたちに向けた。

 

「回避ーっ!」

 

 危険な雰囲気を感じ取ったプレイヤーたちは即座にテクノフォビアから距離を取るべく後退を始める。

 だが遅すぎた。

 黒が放たれる。指の先端から伸びていく黒い弾丸は逃げるISを食いちぎっていく。狙われて避けられたISはない。

 

「何なんだ、あれは……?」

 

 テクノフォビアの攻撃はバンガードにとって初めて経験するものだった。速さはそれほどない代わりに、黒い弾丸がまるで生きているかのように曲がりくねってISを襲っていた。蒼の指揮者の偏向射撃(フレキシブル)のように鋭角に何度も曲がるのとは挙動が異なっている。

 あと2回ほど黒い弾丸が放たれたのを確認したところでテクノフォビアを包囲していたISは跡形もなく消えていた。あまりにも一方的すぎる戦闘はもはや蹂躙でしかない。

 

「簡単なはずないとは思ってたがこれじゃ無理ゲーだろ!」

 

 ENブラスター100発超を受けて無傷。

 IS100体超を10秒で殲滅。

 今この場に残っているバンガード一人では何をしようと無駄に終わる。

 

「とりあえず戻って会長に報告でもしとくか」

 

 と、いつもの感覚でロビーに戻ろうとしたバンガードだったが転送が全く機能しない。ログアウトも不可能。

 

「チッ……コイツも例のアレかよ!」

 

 ロビーから戦場への転送は一方通行。こうして戦場に来たからには戦う他の道はテクノフォビアのワールドパージの範囲外に出るしか残されていない。

 戦うか逃げるか。その決断を下す前に先にテクノフォビアが指先をバンガードに向ける。

 

「チクショウッ!」

 

 咄嗟に反応して全速力でテクノフォビアから離れ始めるバンガード。生き物みたいに曲がる弾丸でも弾速さえ遅ければ速度で振り切れる。

 そうした考えすら甘かった。

 

「嘘……だろ……?」

 

 音速域に到達したバンガードの背中を黒の弾丸が貫く。ユニオンスタイルのファイタータイプですら逃げられない。それはテクノフォビアを前にして逃げられるISが存在しないことを意味する。

 装甲もシールドバリアも意味をなしていない。絶対防御が発動しても、体に張り付いた黒い霧の残骸がストックエネルギーを奪い続けた。ただの一撃で戦闘不能になったバンガードを黒い霧が包み込んでいく。

 

「くそっ! くそおおおお!」

 

 武器を手にとって戦うことすらできずに散っていく。悔しさのあまりに叫んだバンガードの意識はここで途切れた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 戦闘開始から1分も経たない内に100名以上のプレイヤーが蒸発した。その光景を見せつけられた形となった藍越エンジョイ勢のプレイヤーたちは言葉を失い、ただただ空を見上げていた。

 これまでも亡国機業のマザーアースと戦ってきた。その経験があったからこそ相手がいかに強大であろうともやり方次第で倒せると思えていた。

 敵の図体は似たようなもの。しかし本質が大きく異なっていることに気づかされている。

 マザーアースは凡人集団が扱っていた兵器。

 対して、テクノフォビアはギドやエアハルトといった強者がそのまま巨大化したようなもの。

 一個体の戦闘能力を比較すればどちらが上かは明白だ。

 一筋縄ではいかない相手、という枠に収まってすらいない。

 

「……さて、バレットくんの作戦を聞こう」

「会長!? アンタ、自分がお手上げだからって俺に押しつける気かよ!?」

「僕は初心者で君はベテラン。つまりはそういうことだよ」

「もうアンタは初心者の域にいない!」

 

 吠えるバレットを後目にリベレーターが周囲の皆を見回す。

 

「冗談はさておき。さっきの映像から、思考停止の物量で押すのは得策でないことだけはわかった。問題は敵の使っている装備だけど、誰か心当たりは?」

「エアハルトが使ってたのと同じ系統だと思う」

 

 挙手して発言したのは海老をモチーフにしたIS。中身は少女の伊勢怪人。彼女はヤイバとエアハルトの戦闘の際に割り込んだことがある。海中という得意フィールドであったにもかかわらず、一瞬で強引に戦闘不能に持って行かれた経験から言えること。それは――

 

「あれに打ち勝てる装備はこっち側にはないと思った方がいい。あるとすれば単一仕様能力だけ」

 

 実弾でもEN武器でも喰らい尽くす黒い霧、ファルスメア。ヤイバの雪片弐型も零落白夜なしでは一方的に押し負けていた。正面からぶつかってしまった時点で敗北を意味すると言っていい。

 

「単一仕様能力……だったら、ヤイバくんが来るまで待つ方がいいかな」

「いや、そんな暇はないだろ。アレがロビーに来たら俺たちの負けだ。今ある戦力でやるしかない」

 

 リベレーターの待つ策をバレットは否定する。

 

「今ならログアウトしてヤイバくんらを呼ぶこともできるよ?」

「もうジョーメイに行かせた。それでもこっちに来れるかわからない戦力に頼るのは手遅れになる危険がある」

「ああ、そうだね。だったらどうする? 僕らで時間稼ぎをするかい? 何分保つかというレベルだと思うけど」

 

 バレットは首を横に振る。

 

「生憎、俺はISVSという場において脇役に徹するつもりなんてない。時間稼ぎ? そんなつまんねー目的のゲームじゃモチベーションが足りねえんだよ! そうだろ、お前らァ!」

 

 周囲に叫びを撒き散らすと、あちらこちらから同意の声が上がっていく。先ほどまで衝撃映像を前にして萎縮していた者たちとは最早別人。彼らの瞳には闘志が宿っている。

 

「このゲームの主役は俺たちだ! ヤイバだけじゃねえ!」

 

 作戦なんて決まっていない。

 だがプレイヤーたちは一人、また一人と転送ゲートへと向かっていく。

 このミッションがただのゲームでないことを知っていても止まらぬ理由がある。

 篠ノ之束の我が儘なんかでISVSを終わらせてたまるかという熱い思いがある。

 勝算などなく、賞賛も要らない。

 他に適任がいようとも、自分が戦ってはいけない理由などどこにもない。

 ISVSが好きだから。それだけでプレイヤーたちはゲームでない戦場へと赴く。

 

「……なるほど。ISVSができなくなることの不自由こそが君たちを苦しめるということだね。だったら僕は後押しするまでだ。この身を賭してでも、ね」

 

 最後まで残っていたリベレーターも戦場へと転送される。誰もいなくなったロビー周辺であるが、水平線の向こうには空へと伸びていく幾つもの閃光が視認できてしまっていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ふと気がついたときには、俺は見覚えのある神社に立っていた。左右に杉の木が立ち並ぶ参道の脇を特に目的もなく歩いている。何かしなければいけない気がしていたけど、それが何なのか思い出せない。まるで微睡みの中であるかのように考えることができない。

 

「やっと来たか、一夏」

 

 神社には先客がいた。それどころか俺を待っていたらしい。神社の娘らしいと言えばいいのか、巫女服姿で出迎える彼女の姿はとても風景に馴染んでいる。

 

「待たせて悪かった」

 

 俺はそう答えるのが当たり前であるかのように答えた。罪悪感なんてこれっぽっちもなく、ただ状況に合わせてルーチンワークのように答える様はまるでロボット。そんな俺の返答でも気を良くしたのか、巫女服姿の少女は小さく微笑んだ。

 

「悪いだなんて少しも思ってないくせに」

 

 バレバレだった。

 でもむしろ彼女は機嫌を良くしているのだからそれでいいとさえ思える。

 ……どうして俺はそう思えるんだろうか。

 

「約束通り、神社の清掃を手伝ってもらうぞ」

 

 半ば無理矢理竹箒を手渡された。どうやら俺は彼女と約束をしていたらしい。

 約束は大事だ。だったらちゃんと守らないとな。

 俺は彼女の指示に従って参道の落ち葉を掃き始める。

 

「ほう、感心だな。今日は文句の一つも言わないではないか」

「約束したからしょうがない……っていうのは違うか。なんか、こうしてるのがすごく楽しく思えるんだよ」

 

 思わず口を突いて出てきた言葉は紛れもなく俺の本心だ。掃除がしたいというわけじゃなくて、彼女が居るというだけで喜びに溢れている。

 ……それは何故だ?

 

「ほほう、約束をしていなくとも一夏は掃除を手伝ってくれるのか?」

「手伝いはする。代わりにはやらない」

「安心しろ。私も一夏一人に押しつけたりはしない」

 

 会話の他には風が木々を撫でる音と竹箒が地面を掃く音しか聞こえない。

 この穏やかでまったりとした時間はとても落ち着く。

 できることならいつまでもここに居たい。

 

 ――でも、夢の時間は終わりだ。

 

「そろそろ行くよ、箒」

 

 頭がハッキリしてきた。まだ箒が帰ってきてない現実がある。俺はこの夢を現実にするためにもやり遂げなきゃいけないことがあるんだ。

 

「どこへ行くんだ?」

「お前を迎えに行く」

 

 普通なら首を傾げられても仕方のない問答。

 だが彼女はうんうんと笑顔で頷いた。

 

「そうだな……」

 

 瞬間、この世界の夢は崩壊した。神社の景色は吸い込まれるように何処(いずこ)かへと消えていき、真っ白い世界に俺と箒の二人だけが残される。

 単なる夢じゃない……? どちらかと言えばここは束さんと話したあの空間に似ている。

 

「私の元へ来てくれ。そして――」

 

 笑顔は作ったもの。強かったはずの彼女の両目からは大粒の涙が零れている。

 

「全てを終わらせてくれ、一夏」

 

 彼女の背後から黒い霧が広がっていく。霧は徐々に彼女の体をも浸食していく。

 

「箒っ!」

「私は……お前がいい」

 

 伸ばした手が彼女に届くことはなく、彼女は黒い霧に飲み込まれた。

 最後に彼女が言い残した言葉。その中に一度として『助けて』が出てくることはなかった。

 

 

  ***

 

 

「箒っ!」

 

 ガバッと跳ね起きたそこは俺の部屋だった。年末だというのに外が明るいのは既にお日様が高いからだろう。つまり、もう昼を過ぎていた。

 

「そういえば朝までISVSにいたんだっけ」

 

 ただでさえ最近は寝不足だったのに昨日は徹夜までしてしまった。シズネさんに言われるがままにベッドで横になったらすぐに意識が飛んだんだろう。あまりその辺りの記憶がない。

 

「さっきのは夢……なんだよな?」

 

 箒と話していたのは間違いなく現実ではなかったと言える。だけど夢にしては少し妙だった。俺は篠ノ之神社の掃除の手伝いをしたことはあるけど、あんなにも素直に手伝ったことは一度としてない。もしかしたら俺の願望だったのかもしれないが、最後の箒がどうしても俺の願望とは違うことを喋っていた気がしてならなかった。

 俺の知ってる箒。俺の望む箒。どちらでもない箒が居たとすれば、それは――

 憶測の域だ。だけど単なる夢として片付けられない俺がいる。

 何か嫌な予感がしてならなかった。

 

 寝起きであるのも重なって頭を抱えていた。そんなときに唐突に部屋のドアがバンと大きな音を立てて蹴り開けられる。

 

「一夏っ! 起きてるっ?」

「もっとお淑やかに開けろ、鈴」

 

 音で殴られたような感覚もあったせいか、つい苛立ち混じりに返事をしてしまった。その程度の棘が刺さるはずもなく、鈴は仁王立ちしたまま俺を指さしてくる。

 

「ISVSに敵が来てるわ」

「ISVSのどこにだよ?」

 

 なんとも曖昧な言い方だ。そう思ったのだが、別に鈴の表現は外れでもなかった。

 

「はい、これ」

 

 渡されたのはISVSのミッションリストのページが開かれたタブレットPC。そこに載っているミッションは一つだけであり、俺はその詳細を目で追った。

 

「束さんからの挑戦状……?」

「そ。でもってもう既にミッションは始まってて、弾たちはもう出撃した後。これに負ければISVSが無くなるっていうんだから、皆必死よね」

 

 負ければISVSが無くなる。つまり、狙いはプレイヤーの出入り口である遺跡(レガシー)の破壊か。通常のISでは破壊できないけど、アカルギなどのマザーアースでは破壊できると言われていたし、束さんが関わってるなら壊すのも容易だろう。

 ん? 束さん? そういえば――

 

「千冬姉の方はどうなったんだ!?」

 

 俺が寝る前の時点では千冬姉がロスにいる束さんを倒しに向かっていたはず。なのに今、プレイヤーたちは束さんからの挑戦状が来て天手古舞(てんてこま)いになっている。

 もう事実関係だけで察することはできてた。けど認めたくもなかった。

 

「残念ながらロスでの戦闘は篠ノ之束に敗北したそうです。ブリュンヒルデの消息は不明で、倉持技研の部隊も帰還しておりません」

 

 寝間着姿のセシリアが顔を出して教えてくれる。彼女からの情報となると信憑性が上がってしまう。俺からは否定する言葉など出てこなかった。

 

「助けに行かないと」

 

 ここまで聞いてしまったら、俺はもう休んでなどいられない。千冬姉が勝てなかった相手に俺が勝てるのかは怪しいけど何もしないなんてありえない。

 

「ちょっと待って、一夏。どこに行くつもり?」

「そんなの千冬姉を助けに――」

「弾たちを放っておいていくの?」

 

 浮き足立っていた俺の頭は鈴の言葉で我に返った。

 と言うよりもまだ現状を理解し切れていないことに気がついたという方が正しいか。少しだけ冷静に戻れた。

 

「さっきのミッションの話か。マズイのか?」

「どうやらフォビアシリーズが出てきているようですわ」

 

 フォビアシリーズ。例のゴーレムとIllの融合体という奴か。確かにその戦闘力は高かったし、未知の力を使ってくる難敵だけど、プレイヤーが集まれば勝てないことはないだろう。

 そんな俺の考えはセシリアにはお見通しだったようだ。彼女は俺の顔を見て嘆息する。

 

「仲間への信頼は結構ですが過信は禁物ですわ。まだ確証は得られてませんが、今度のフォビアシリーズは例の黒い霧(ファルスメア)を使用したという情報が入っています」

「ファルスメア。エアハルトが使ってた装備だな」

「一夏さんもご存じの通り、ファルスメアはEN装備の上位に位置しています。現在、確認されているファルスメアへの有効な対処法は零落白夜しかなく、使い手であるブリュンヒルデはロスで消息不明となっています」

「ってことは、束さんは千冬姉がいない確証を得てからそのフォビアシリーズを送り込んできたわけだ」

 

 自分で言ったことなのに何か違和感を覚えた。けどそれが何なのか上手く言葉にできない。

 

「鈴とセシリアが言いたいのはつまり、千冬姉以外で零落白夜を使えるかもしれない俺が弾たちに加勢に行った方がいいってこと?」

「あたしはそんな理屈の話してないわよ」

「わたくしはこのまま弾さんたちを放置するのは得策でないと断言しておきますわ」

 

 断言と来たか。だったら俺がとるべき道は決まってるも同然。

 

「弾たちの加勢に向かう。俺が零落白夜を使えるかは運次第だけどな」

「OK。じゃ、早速行くわよ!」

 

 俺の意思を確認した鈴はさっさと1階へと駆け下りていった。そのままリビングのソファでも使ってISVSに入るつもりだろう。

 

「千冬さんの方はいいんですの?」

「セシリアが俺に弾たちの方へ行くよう誘導した。ってことは千冬姉の方には既に別働隊を送ってくれてる。違うか?」

「ああ、心地よい信頼ですわぁ……」

 

 寝間着姿のままで恍惚とした表情を浮かべるセシリア。唐突かつ無造作に俺の健全な青少年の心を根絶やしにしようとするのはやめてくれ。

 とりあえず彼女のこの反応を肯定と受け取っておこう。千冬姉のことは別働隊に任せた。それが最善だと自分に言い聞かせて、俺は俺の戦場に赴く。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 阿鼻叫喚だった。悠然と佇みながらも進軍を続ける巨人。周囲を小バエのように集まるプレイヤーたちが包囲して集中砲火を浴びせるも巨人は止まらない。ふと気がついたように両手をかざし、指先から発射される黒い霧の獣たちがプレイヤーを喰らい尽くしていった。

 たとえこれが単なる遊びであったとしても同じようにプレイヤーの悲鳴が溢れかえっていることだろう。

 

「無理ゲーだろ! 攻撃が全部掻き消されてるっ!」

「製作者出てこい!」

「設計ミスを謝罪しろ!」

「ついでにその武器を寄越せっ!」

 

 吐き出される言葉は緊張感の欠片もない。だが並べ立てられる言葉は皆一様に現状の理不尽を嘆くものになっている。

 

「今ので何人やられた!?」

「うちのメンバーは12人ほど。サベージまでやられた」

「チッ……奴が避けられないなら必中みたいなもんじゃねえか。このままだとじり貧だ」

 

 ノープランの物量で攻撃を続けているものの着実にプレイヤーの数は減っている。対する巨人、テクノフォビアはまるでダメージを負っていなく、進軍速度すらも落ちていない。

 

「誰か、試してない攻撃はないのか!?」

「実弾、ミサイル、ENブラスター……射撃できるものは大体終わってる。あとは接近戦だけど――」

 

 言っている間にも果敢なプレイヤーが近接攻撃を敢行する。だが近づくよりも先に指先から放たれた黒い霧がプレイヤーを襲う。これまで接近できたプレイヤーは皆無であった。

 

「ダメだ、バレット。近寄れない」

 

 絶望を告げる報告。しかしバレットの耳にはそう聞こえなかった。

 射撃攻撃を受けてきていたテクノフォビアが接近するISに対しては敏感に反応して迎撃している。これは裏を返せば――

 

「勝機は接近戦にこそある……?」

 

 テクノフォビアが接近戦を嫌がっている。つまり、接近戦にこそ突破口がある可能性があると言い換えられる。

 ここまでわかってもまだ問題はある。テクノフォビアが接近戦の何を嫌がっているのか、だ。特定の武器が苦手なのか。あるいはテクノフォビアの鉄壁を生み出している機能が近くだと不都合のある代物であるかもしれない。ここを特定できなければ作戦を立てられない。

 

「よし。ここは僕が調べてこよう。あとは任せるよ、バレットくん」

 

 バレットに通信を送って寄越したのはリベレーター。今残っているプレイヤーの中でトップクラスの操縦技術を持っている彼が自分から捨て駒になる選択をする。

 止める時間も頼む暇もなく100mを超える巨人へと立ち向かっていく一人の戦士。敵から発射された黒い霧の弾丸には左手のハンドガンを投げつけて代わりに喰らわせる。そうして時間を稼ぎ、足下から急上昇したリベレーターは足の付け根を狙って右のハンドガンのトリガーを引き絞る。

 カンッと軽い金属音。当たりはしたがダメージがあるようには思えない。しかしながらこれは確実に収穫だった。

 

「ハンドガンのダメージが全く軽減されてない」

 

 ISの防御機構は4層に分かれている。PIC、装甲、シールドバリア、絶対防御の4つだ。それらにはそれぞれの役割が存在し、ハンドガンのダメージを押さえる役割は主にPICと装甲となる。

 まずはPICが実弾の見かけの質量を操作して運動エネルギーを減衰させる。PICCなどの妨害によって消しきれなかったエネルギーを受け止め、物理的な衝撃をシールドバリアの代わりに受け止めるのが装甲の役目。

 金属音が聞こえたということはPICを突破できたということ。そして、装甲に多少なりともダメージが入ったということ。

 これまでテクノフォビアはプレイヤーたちの射撃に晒されながらも無傷で在り続けた。これはPICのようなパッシヴな防御機構でなく、むしろAICのようなアクティヴな防御機構によるものだと考えられる。

 

「接近戦を嫌ってたのは反応速度の限界があるからだ。敵の防御は完璧なものではないよ」

 

 これが突破口だと言い残し、リベレーターも黒い霧に呑まれていった。

 残されたプレイヤーはもう2割を切っている。そして、とうとう水平線に陸地が見えてきてしまった。

 

「包囲射撃を続けろ! 奴の処理速度を超えれば、攻撃が届く!」

 

 敵の限界がどこにあるのか全く想像がつかないまま、そんな指示を出すしかできなかった。

 残り時間は限られている。このままこのミッションが最後のプレイとなってしまうのだろうか。

 そんなこと、認められるはずがない。

 届け。

 届け。

 連なる想いが環となって巨人へと収束していく。

 

 だが悲しいかな。

 黒霧を纏った巨人の叫びが漆黒の閃光となってプレイヤーたちの想いごと包囲射撃の環を引き裂いた。

 巨人の歩む道を阻む者は無し。無人の野を行くが如く突き進む巨人を引き留める手は小さく、数は減り、熱意すら風前の灯火となった。

 笑えないクソゲーだ。普通のゲームだったなら制作者を罵ることも躊躇わない酷いゲームバランスであると言わざるを得ない。

 だがバレット――五反田弾は知ってしまっている。今自分たちが戦っている場所こそ仮想世界であるが、戦いそのものは現実であるのだと。今直面している現実こそが“人々”と“敵”の歴然とした戦力差であるのだと。

 

「負けるかよ……」

 

 その呟きは自然と出てきていた。勝つ手段などこれっぽっちも思いついていないにもかかわらず、バレットの目の奥底にはまだ火が揺らめいている。

 

「ISVSは不平等だ。だからどうした? その程度で辞めるほど俺は――俺たちはつまらない人間じゃない!」

 

 非力だとは承知している。それでも食らいつくことをやめない。悠々と進軍している巨人の背中に絶えず射撃が命中し続ける。始めは音すらも皆無だった攻撃が、徐々に金属同士の衝突を知らせる甲高い音を発するようになってきた。

 この変化はリベレーターの分析した反応速度の限界だけの問題ではない。単純にこれまでの物量が導いた末に得た絶好の機会。

 

「黒い霧にも限度はある! ミサイル部隊、一斉に撃て!」

 

 ファルスメアには一度に精製できる限界がある。あくまで予想の範疇であったが、一縷の望みにかけた。足掻くことをやめなかったものだけが辿り着ける答え。それこそが無人機が持ち得ない人間の力である。

 全方位から殺到するミサイルの群れは黒い霧の防壁を潜り抜けて次々と着弾する。ファルスメアを防御に使っていた弊害によりシールドバリアだけでなくPICの性能まで落ちていた巨人の装甲は表層から吹き飛ばされていく。

 

 このまま押し切れる。誰もが勝利を確信した。

 だがそれは次なる試練の到来を告げるものであった。

 

「ストックエネルギー危険域に突入。リミッター解除。インパクトバウンス、神の祭壇(オーリオール)起動」

 

 突如、逆風が吹き荒れる。発射していたミサイルですら推進力とは別方向に流され、眼下の海面に水柱を昇らせる。弾丸の類も全て真逆のベクトルに書き換えられており、バレットの撃っていたマシンガンの弾丸もそっくりそのまま跳ね返ってきていた。

 

「くっ……何が起きた……?」

 

 疑問を口にしながらも理解は追いついている。プレイヤーも使用できる装備であるIB(インパクトバウンス)装甲と同じ現象が引き起こされ、実弾の類が全て強力な斥力によって弾き飛ばされたのだ。

 問題はその規模。通常のIB装甲では物理的な攻撃を近寄らせないことしかできないのだが、テクノフォビアの使用した代物は強制的に離れさせられるのである。同心球状に働く斥力には隙間などなく、オーリオール展開中は物理的な攻撃を加えることは難しい。

 ではEN攻撃ならばどうか。IB装甲の影響を受けないENブラスターで遠くから撃てば問題なく攻撃は可能だと容易に考えられる。だがしかし、そもそもテクノフォビアの鉄壁を実現している装備はオーリオールなどではなかった。

 バレットが指示を出すまでもなく、加えられるEN射撃。オーリオールの影響を無視して伸びる光の筋の向かう先には黒い霧が漂っている。闇の中へと溶けていった光はテクノフォビアに届かない。

 こうなればEN射撃のみで飽和攻撃を加える必要が出てくる。しかしながらEN射撃は一つ一つの攻撃に消費するサプライエネルギーが多く、実弾中心の攻撃と比べて弾幕は薄くならざるを得ない。参加プレイヤーの半数以上がいなくなった現状では必要十分な飽和射撃を加えることは不可能と言えた。

 

「情報が出揃うまでリソースを使いすぎた。最初からわかってれば勝てない勝負じゃなかったってのに……」

 

 テクノフォビアの指先がバレットへと向けられる。収束した黒い霧が放たれればバレットもこのゲームから退場することとなるだろう。

 これがラストゲームとなるのか。

 全然満足しちゃいない。

 悔しさだけ残して終わるような結末は嫌だった。

 どうしようもない現状を憂い、天を仰ぐ。

 するとバレットの目に無数の蒼い光が上空で渦を巻いているという光景が飛び込んできた。

 バレットの口元に笑みが浮かぶ。

 

「遅すぎんだよ、お前ら。いいとこだけ持っていきやがって」

 

 悪態をつきながらも胸の内に温かいものが広がっていく。

 必殺の一撃を向けられながらも、その心は黒に染まらない。

 

「この際、クリアできれば何だっていい。後は頼むぜ、ヒーロー」

 

 自分の戦いは無駄などではない。最終走者(アンカー)がゴールできればそれでいい。タスキをつなぐのも重要な役割であり、決して脇役などではないと自らを誇る。

 漆黒の弾丸に貫かれてもなお、バレットは空を見上げ続けた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 前情報と著しく食い違っている。

 参加プレイヤーの数は万に届こうとしていると聞いていたけど、俺が確認できるプレイヤーは既に百を切ろうとしていた。バレットを始めとする知人は誰も生き残っていない。

 正直なところ、俺は甘く見ていたのだと思う。仲間の力を信頼していたことは間違いだなんて思いたくない。けど、決定的に俺は敵の力を見誤っていたのだと認識を改める。

 束さんが敵となり、千冬姉が敗れた。それが事実なら人類滅亡すらあり得ると言えてしまうのだ。

 

「状況はどうだ、ラピス?」

「敵の巨大ゴーレムはフォビアシリーズ、それもこれまで確認された中で最も強大なものですわ。大規模なファルスメアにより、プレイヤーの皆さんは為す術もなくやられてしまったのでしょう」

「為す術もなく……本当にそうか?」

 

 初見のファルスメアに面を喰らったのは間違いないと思うけど、根性あるプレイヤーたちだから誰の心も折れてなかったとも思う。でなきゃ巨大ゴーレムに傷がついてるはずないし。

 

「……訂正しますわ。健闘むなしく敗退されました」

「で、あのデカイ図体を倒しきれないのは何故かわかるか?」

「ファルスメアを防御に回せばEN武器も通らないのはエアハルトとの戦闘でわかっています。全身を覆うだけのファルスメアを展開できていないため隙があるように見えますが、現在は大規模なIB装甲が並列で起動しているためEN射撃以外の攻撃は近づけません」

 

 よりによってIB装甲と来たか。俺の天敵とも言える装備。ファルスメアに打ち勝てる零落白夜があっても近づけなければ意味がない。

 

「ねえ、ヤイバ。今、零落白夜っていうのは使えるの?」

 

 リンに尋ねられたから改めて確認してみる。

 

「使えるみたいだ。誰ともクロッシングアクセスしてるわけじゃないのにな」

 

 たぶんだけど“アイツ”が力を貸してくれている。俺がファルスメアに立ち向かうための刃は“アイツ”がこの世界で生きていた証だ。ありがたく使わせてもらおう。

 

「じゃあ、あたしがアンタを連れて行く」

「リンが? どうやって?」

「説明は面倒くさいからパス。アンタはあたしを信じて、あたしに掴まってればいいの」

 

 俺を試すような視線が突き刺さる。

 もし俺たちが失敗すればISVSが終わるかもしれない。それは俺の戦いがここで終わってしまうことをも意味する。

 戦場に出てきていきなりの土壇場。俺一人では決して突破できない状況を前にして、リンは任せろと言ってきた。

 答えなど決まっている。

 

「わかった。頼むぜ、リン」

 

 俺はリンの背中に回って肩をがっしりと掴む。

 小さい背中だ。だけど今は他に頼れるものがない。

 だけどなんとなく――本当になんとなくだが、リンの背中が見た目通りの小ささであるように感じられてしまった。

 

「本当にあたしでいいの? ラピスに対案を聞かなくてもいいの?」

 

 背を向けてる彼女の表情はわからない。任せろと言った直後、彼女はいつになく不安げに再確認してきた。

 ラピスに聞くまでもない。問題があればとっくに口を挟んできてるはず。何も言わないということはラピスもリンの案に乗るという無言の肯定だ。

 

「わたくしは偏向射撃でファルスメアを引きつけます。お二人はその間に敵を撃破してください」

 

 後押しの一言もあり、リンは強く拳を握りしめた。

 

「よしっ! 行くわよっ!」

 

 覚悟は決まった。リンに合わせて俺も巨大ゴーレムへ向けて突撃を開始する。

 もうプレイヤーの数が少ない。俺たちの突撃はすぐさま敵の知るところとなる。当然のように黒い霧の魔手が俺たちへ伸びてきた。

 

「零落白夜、起動(ブート)っ!」

 

 ここで零落白夜を起動。リンに迫るファルスメアを雪片弐型で斬り払う。生き物のように蠢く黒い霧は零落白夜の光に照らされて雲散霧消していった。

 俺たちの速度は衰えない。続いて肝心の特大のIB装甲が待ち受ける。その領域に入った途端に後ろ側へと強烈に引っ張るような力が俺の体を襲う。

 

「火輪咆哮、起動(ブート)っ!」

 

 リンが吠える。すると後ろに引っ張られる力以上に俺たちを前に進める推力が発生した。

 これは火輪咆哮の応用。衝撃砲の威力を上乗せするだけでなく、自らにかかる荷重を別方向に強制的に推力として変換することが可能だ。

 徐々に。徐々にだが俺たちは巨人へと向かっている。だが――

 

「白式のストックエネルギーの減少が早い。もう少し速くならないか、リン!」

「この斥力の中を2機分引っ張るだけで精一杯なのよ! 零落白夜の節約とかできないの?」

「やってたらファルスメアにやられる!」

 

 俺とリンで足りない部分を補って前には進めている。だけど、同時にお互いの重荷にもなってしまっていて、能力のデメリットが俺たちを苦しめてくる。

 突破口が開けているように見えて、その口には俺たちが通れる広さなどなかった。

 

「……あたし、やっぱ役に立てないのかな」

「急に何を言い出すんだよ、リン!」

「だってさ……アンタが火輪咆哮を使えればあの巨人を簡単に倒せるのよ?」

「そんなもしもの話、意味が無いだろ」

「もしもの話なんかじゃない!」

 

 怒鳴り声が鼓膜を叩く。耳を塞げない俺は反射的に目を瞑った。

 

「アンタの共鳴無極(ちから)なら現実的な話のはずでしょ! そうでしょ!」

「いや、でもあれは俺が自由に使いこなせるわけじゃな――」

「セシリアとは普通に使えてるじゃない!」

 

 ISVS内なのにラピスではなくセシリアと呼んでしまっている。それだけ今のリンは感情的になっているし、気が動転している。

 

「落ち着け、リン。今は戦いに集中――」

「集中してるわよ! 愚痴くらい言わせなさいよ!」

「いや、それは集中できてな――」

「アンタは黙ってろ!」

 

 ダメだ、聞く耳を持ってない。

 しかし本当にリンはどうしてしまったのか。

 彼女に何を言えばいいのか、俺の頭には何も浮かんでこない。

 彼女の肩を掴んでいる左手からも何も伝わってこない。

 ただし唯一、俺の額に当たる水滴に気がついた。

 

「これは……」

 

 水滴は前から飛んできた。つまりリンの顔、目元付近から流れてきたことになる。

 

「あたしの気も知らないでどんどん先に行っちゃって……クロッシングアクセスって何よ。ナナとセシリアばっかり。弾とすらも繋がってたのに、どうしてあたしだけ……あたしだってアンタを想ってるのに……」

 

 そういうことか。

 リンの悩みがなんなのか、ようやくわかった。

 

「気にしすぎだ。偶然だって」

「違う! アンタ、絶対にあたしと距離を取ろうとしてる!」

「そんなことはない!」

「だったらどうしてあたしとだけクロッシングアクセスできてないのよ! あたしがアンタと一緒に戦おうとしてても、アンタがあたしも戦うことを望んでないんじゃないの!?」

「だから理由はわかんないんだっての!」

 

 あ、ダメだ、これ。もう俺の方が黙ってられない。

 

「ISのシステムだけで人の想いまで計ろうとしてんじゃねえよ! 俺が鈴をどう想ってるかまで反映されててたまるか!」

「何よ、それ! なんでそんなことで怒鳴ってくんのよ!」

「お前がわからず屋だからだ! いいか! 俺はもうこの戦いはお前に預けたんだ! お前には全幅の信頼を寄せてる! それはお前が凰鈴音だからに他ならない!」

「嘘よ! アンタはあたしのことなんて見てない! わかってくれてない!」

「わかってないのはお前も同じだ! 俺が距離を取ってるって? 一歩引いてたのはお前の方だろ! 最近になって急に余所余所しくなりやがって!」

「仕方ないでしょ! アンタがナナばっかり見てたから、あたしが前までのように近くにいたら迷惑でしょ!」

「それこそお前の勝手な思い違いだろうが! 俺はナナばかり見てたわけじゃない! お前がイルミナントに喰われた後、俺にはお前のことしか頭になかったってのに! 俺の悩みも知らずに好き勝手言うな!」

「え、そうなの?」

 

 急激にリンの声のトーンが落ち着いたものに変化した。

 

「お、おう……」

 

 呆気にとられた俺もヒートアップしていた感情に冷や水が浴びせられたも同然となり、口から出そうだった言葉は出口を見失う。

 

「あたしはついでじゃなかったの?」

「……当たり前だろ。“俺の世界”に“凰鈴音”は絶対に必要な存在なんだ。理不尽に奪われて黙ってられるかよ」

「ナナと比べると?」

「バカか。俺にどちらかを選ばせるな。俺は両方を選ぶ強欲な男なんだよ」

「うわ、マジ引くわー」

「何とでも言え。鈴にも箒にも傍にいてほしい。それが今の俺の素直な想いだ」

「後で酷いことになるわよ?」

「そんときはそんときだ。そもそもお前は色恋沙汰の話をしてそうだけど、俺はまだそこまで頭が回ってない」

 

 全部が俺の本音。俺を形作っている世界には箒がいて鈴がいる。そのどちらが欠けても俺の世界は成り立たない。

 今の世界は楽しいか、と束さんは問いかけてきた。何度考えても結論は同じ。そもそも楽しいかどうか以前の問題だ。俺の世界は今もなお壊れてるから、取り戻すために必死なんだよ。

 

「やっぱりあたしの望む答えは出てこないわよね。わかってたけど」

「悪いな。全部片付くまでは待ってくれ」

「わかってたつもりだったけど不安なのよ、あたしは」

「すまん」

「最近はもうナナたちだけスタートラインを超えてるんじゃないかってことばかり考えてた。だけど卑屈になってもいいことないわね。少なくともあたしらしくなかった」

「薄情な俺を見捨てる選択肢もあるぞ?」

「バカね……今、アンタを見捨てたらあたしがいい女になれないでしょうが」

 

 リンが後ろを振り返った。その表情には少しの陰りもなく、太陽のように眩しい笑顔に八重歯がキラリと光る。

 いや、リン。お前は今の時点でめっちゃいい女だから。そこは断言できる。

 

「お二人とも。痴話喧嘩は終わりましたか?」

『そんなんじゃない!』

 

 ラピスの一言にリンと同時に反応した。気づいてからお互いの顔を見る動作もピッタリ一致し、ハッと目が合う。

 

「うふふ。すっかり息が合いましたわね。といったところで落ち着いてご自分の機体の状態を確認してくださいませ」

「機体の状態……?」

 

 言われてから確認すると、白式のストックエネルギーの最大値が1機分増えている。おまけに単一仕様能力の項目にも能力が一つ追加されていた。

 火輪咆哮。リンの単一仕様能力に違いない。つまり、これは――

 

「クロッシングアクセス? これまでと違って全然実感ないけど」

 

 俺とリンがクロッシングアクセスを起こしている。感覚共有とかの不思議な感じが全くしないけど、白式がそう言ってるんだから本当なんだろう。

 

「これがそうなのね……なんか期待してたのと違う」

「自然体とあまり変わらないということでしょう。羨ましいですわね」

「一応、褒め言葉として受け取っておくわ」

「さて、雨降って地が固まるを実践したところで本題と行きましょう。まだ戦闘中ですからね。ヤイバさん、火輪咆哮の扱いは?」

「なんとなくわかる」

「ではお二人は3カウント後に散開。個別に特攻をしかけましょう」

 

 視界に表示されるカウントダウンに俺とリンは黙って従う。

 目の前には次の黒い霧が迫っている。今度は斬り払うことはしない。

 カウントゼロと同時に俺は右へリンは左へと散る。

 方向を示し合わせるタイムロスなんてない。今の俺とリンは互いの動きが手に取るようにわかっている。逆方向に動くことなど以心伝心でできた。

 リンの背中から飛び出す。それは俺自身が巨大ゴーレムの眼前に出たことを意味する。今の高度は膝元当たり。垂直に聳え立っている巨人は山でなく崖であり、俺たちの前に立ちはだかる文字通りの壁だ。

 

「“オーリオール”出力全開」

 

 巨人の背中には後光を思わせるリングが黄金に輝いており、さらに輝きが強まった。引き離そうとする斥力が吹き当てられる。だが逆風は最早逆風ではない――

 

「火輪咆哮、起動――衝撃転換」

 

 ただの追い風だ。

 後ろに引かれる力を衝撃として検知。それをそのまま推力に変換、リンから貰った脚部衝撃砲から出力して前進する。

 俺という重荷を失った今、俺たちは敵の斥力領域の中を縦横無尽に飛び回れている。

 

「脅威レベル上方修正。ファルスメア全出力を以て撃退する」

 

 巨人の独り言が大音量で響く。

 背中から這い出た黒い霧が広がっていき、俺に向けて一斉に殺到してくる。

 

「ヤイバさんっ! この量は流石に想定外ですわ!」

「大丈夫だって、ラピス」

 

 雪片弐型を抜き放った状態で俺は冷や汗を浮かべている。ちっとも余裕なんかない。いくら零落白夜でファルスメアに打ち勝てると言っても刀の届く範囲に限られるから、物量で押されれば簡単に俺は負ける。

 だけどそれは敵も同じ。俺に対してのみファルスメアの優位を失っているからこそ、大規模な攻撃を俺に向けて仕掛けてきた。無人機であっても零落白夜の脅威を理解しているからこそ対処をしてくるのは当たり前。

 ――言い換えるとゴーレムの目を俺に誘導できるということ。

 

『喰らえェェ!』

 

 声が重なる。黒い霧に襲われている俺と反対側。巨大ゴーレムの背中側に回り込んでいた彼女の叫びは確定反撃成立の宣言。

 俺は何も持っていない左腕をファルスメアに突っ込む。当然、無防備な左手はファルスメアに侵されて一瞬のうちに装甲を持ってかれる。

 ダメージを受けた。共鳴無極の効果により、その事実は俺と繋がっているリンにも言えることとなる。

 

 世界が揺れた。そう錯覚するほどの衝撃波が発生した。

 震源は巨人の背中。ファルスメアと斥力領域の発生源となっているリング上の非固定浮遊部位。その中央である。

 

「うらあああ!」

 

 ファルスメアの元は潰した。雪片弐型を振り回して黒い霧を薙ぎ払う。これで勝利の道は明確に見えた。

 ラピスの指示が飛び、残っていたプレイヤーたちの一斉射撃が次々と巨人に着弾する。ファルスメアと斥力領域の二重の防壁を失った巨人の防御能力は並のIS以下にまで低下している。まだファルスメアを使用しているが、デカイ図体をカバーしきれる量の精製などできていない。

 

「とどめだ! いくぞ、リン!」

「わかってるわよ!」

 

 弾幕の中を突っ込む。ラピスの分析で味方の射撃コースは手に取るようにわかる。フレンドリーファイアを恐れることなく、俺とリンはそれぞれ巨人の胸と背中に到達する。

 雪片弐型の出番はもうない。俺が繰り出すのは腕の攻撃でなく脚の攻撃。衝撃砲の砲口を開いて、跳び蹴りをぶちかます。

 衝撃砲による前後からの同時攻撃。逃げ場のないエネルギーは巨人の心臓部で炸裂し、至近距離での挟み込みは攻撃していた俺たちをも傷つける。

 ここで火輪咆哮の本領が発揮される。お互いを傷つけた衝撃をもまた攻撃に転換し、衝撃砲の出力を上げる。

 無駄なく、ただひたすらに破壊するための力が循環していく。

 強靱だった装甲も内側から弾け飛び、内部が露出したゴーレムの心臓部にあるコアには亀裂が入る。

 俺たちは止まらない。加え続けた圧力は最高潮に達し、ついに巨大ISコア全体に亀裂が広がった。

 次の瞬間――

 

 世界が白く染まった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 静かな蒼穹に一人、不思議の国のアリスを一人で体現した格好の女性が天を見上げていた。浮遊しているのにまるで椅子に座っているような姿勢で両足を落ち着きなくブラブラと揺らしている。

 

「全滅かぁ。ヴァルキリーどもと戦闘したクローン4機はともかくとして、ちーちゃんのいない日本でオリジナルのテクノフォビアが負けるとは思ってなかったよ」

 

 予想外だと口にしながらも声は弾んでいた。それもそのはずだ。女性は不満など言っていない。さながら楽しい遊び相手を見つけた、そんな感覚だと言えよう。

 

「やっぱり“織斑”の息子だからなのかな……どー思う、ちーちゃん?」

 

 傍らには刀を杖代わりにして辛うじて立っているブリュンヒルデの姿があった。世界最強と謳われ、ただの一度も1VS1で敗北したことのないプレイヤーが負けた。この事実が知れ渡れば人々は再び篠ノ之束に恐怖することだろう。誰も彼女の暴走を止める術を持たないことに気づかされてしまうから……

 

「お前の目は節穴だ。一夏が勝ったのは一夏だからに他ならない」

「ふーん……ま、結果は受け入れるよ。いっくんはフォビアの一角を倒すまでの存在になった。“織斑”の目指した世界を救う英雄にだってなれるかもしれないね」

 

 “英雄”という単語を出した途端にほくそ笑む。その意図をブリュンヒユデは瞬時に察した。

 

「……それがお前の狙いか。ただ、一夏を絶望させたいがために」

「誤解だよ、ちーちゃん。もちろん束さんはいっくんが英雄なんかにならない方がいいと思ってるよ?」

 

 クスクスとやはり愉快そうに笑う。千冬と同年代とは思えない子供じみた表情をするところは千冬の知っている彼女と何一つ変わらなかった。……なぜ敵となっているのかすらわからないほどに。

 

「テクノフォビアが落とされたなら、次はとりあえず物量で押してみようかな? テクノフォビアのクローン5体ほどを一気に送り込んだらいっくんはクリアできると思う?」

「……いつまで遊んでいる気だ?」

「世界が終わるまで。そのための基地がここにあるわけだしね」

 

 自らの立っている塔を軽く小突いて存在をアピールする。

 

「もう知ってると思うけど、想像結晶の基地塔で送り込める物体は自身の質量以下のものに限られる。だからこんな巨大建造物が必要となるし、これを壊されてしまえばあっちの世界に束さんが手を出すことができなくなる」

 

 送る物体の制限までは掴めていなかったが、ある程度は千冬の想定していた性能だった。基地塔さえ破壊すれば想像結晶は止まる。現在、アメリカに出現している無人機も目の前の塔が壊れさえすれば湧きを潰せることになる。

 

「この程度で終わる世界ではない」

「言っとくけど、基地がある限り送れる戦力は無尽蔵だよ? ここに束さんが居て、玉座の謁見(キングス・フィールド)が展開されてる。ちーちゃんがその体たらくで一体誰がこの塔を破壊――」

 

 突如、轟音と振動が発生。言いかけた言葉は途切れさせられた。2人がいる屋上から見える塔には大穴が開いていて、見るからに斜めに傾いていく。もう倒壊まで秒読みが始まっていた。

 キョロキョロと混乱した様子で辺りを見回す全身アリスのコスプレイヤー。それを眺めていた千冬の方が先に事態を把握した。

 

「破壊できたぞ?」

「……みたいだね」

 

 今度の予想外は不満であるらしく、あからさまに頬を膨らませた。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒを忘れてた。彼女のAICなら玉座の謁見(キングス・フィールド)を打ち消せる。それに加えてマザーアースによるAICキャノンの遠距離砲撃をしてくるってことは、あの白髭独身親父の仕業しか考えられない」

「これは意外だ。お前がラウラのことを認識しているとは」

「いつまでも昔の束さんじゃないよ」

 

 盛大に溜息を吐いたのは自分自身への失望か。はたまた千冬の誤解への呆れか。その真実を千冬が知る間もなく、事態は次の状況へと移っていく。

 

「今回はプレイヤーの完全勝利、ということにしとく。束さんが思っているよりも人は強いことがわかった。難易度を上げないとゲームとして成り立ちそうにないね」

 

 千冬に対してクルリと背を向ける。もうこの場で戦闘しないという意思表示であり、この場に千冬を縛り付けていたワールドパージを終了させることにもつながる。

 この戦闘は終わった。だが決着にはほど遠い。

 

「本当はここまでする気はなかったけど、こうなったら仕方ないから奥の手を出す。これがどういう結末を辿ろうと束さんは後悔しない」

「何をする気だ?」

「想像結晶は基地塔よりも小さいものしか送れない。そして、地球上にある最大の基地塔は今さっき破壊された。これだけ言えば、束さんが次に何をするのか、ちーちゃんならわかるはず」

「……まさか」

 

 以心伝心。またしても言葉の意図を汲み取った千冬は思い至った可能性を口にする。

 

「宇宙に建造してあるのか……?」

Exactly(イグザクトリー)! 特大のを用意してるに決まってるでしょ」

「ならば、お前は――」

「うん。地球に束さんお手製の隕石もどきでも落とそうかな。シールドバリアによって燃え尽きずに落ちてくの。一つ命中したらまた次を送り込む。何度でも、“人間”が地球上から消えるまで、ね」

 

 狂っている。隕石が一つ落下するだけで地球上にどれだけの被害が出るというのか。それをひたすらに繰り返されてしまえば、地球は人間が住める土地ではなくなる。

 

「攻撃開始はちーちゃんが復活してそうな明朝にする。すぐに終わったらつまらないし、ちーちゃんが心変わりして束さんの元に来る可能性も捨ててないから」

「ふざけるな。何をされようが私が束の愚行を肯定することはない!」

「だよねー。でもとりあえず根比べをしよう。ちーちゃんのことだから根を上げないとは思うけど、淡く期待しとく。じゃーね!」

 

 用事は済んだとばかりに千冬の前から飛び去る。行き先は真上。自らの根城がある宇宙へと昇っていく顔には不敵な笑みが張り付いていた。

 

「あっちの世界を守るのなら、もうちーちゃんは自由に動けない。早く私の世界を受け入れた方が楽だけど、いつ来るかはちーちゃんの意思に任せる」

 

 高度を上げていくにつれて、楽しげだったはずの顔から徐々に笑みが消えていく。大気圏を突破する頃にはもう無表情に近くなり、虚ろな視線は地球とは逆方向に向けられている。もはや、興味が無いとでも言わんばかりに。

 

「…………別に来なくても構わないしね」

 

 小さな呟きが広大な宇宙に溶けていく。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 束さんからのミッションをクリアした。巨大ゴーレム撃破時の爆発に巻き込まれた俺とリンは共に戦闘不能に陥ったがIllの領域も消滅していたので実害は何もなかった。現在、再びISVSに入り直してロビーにやってきている。リンは気が乗らないらしく、ここには戻ってきてない。

 他にミッションがないためか、先ほどのミッションで疲労しているプレイヤーばかりなのかは知らないがロビーは閑散としていた。周囲にはいつものメンバーくらいしか見当たらない。

 とりあえず俺とラピスとバレットの3人で反省会を行うことにする。と言っても今日は特に反省会と銘打って話すようなことはなく、もう次に目を向けているけども。

 第一声はバレット。

 

「ったく、何か別件でもあるのかと思ったら単なる寝坊だとは思わなかったぜ」

「そう言うな、バレット。別件が忙しかった影響だ」

 

 嘘は言ってない。シズネさんのピンチは緊急事態だった。それが深夜のこと。

 寝る時間も必要だった。俺は悪くない。

 

「なんにせよ、ヤイバのおかげでISVSの危機は去ったってわけだ」

「いや、それはどうだろ?」

「そうですわね。今回の件は嘘でも誇張でもなく篠ノ之束博士の宣戦布告に等しいものでした。あの巨大ゴーレム――テクノフォビアだけで終わるものだとは考えづらいですもの」

 

 そう、まだ通過点に過ぎない。ラピスの根拠とは違った理由で俺は確信している。束さんと俺は箒を巡って完全に対立しているも同然だから、箒を取り戻すか俺の心が折れるまでこの戦いは終わらないのだ。

 少なくとも束さんは俺が箒を求めて宇宙に出ることまで知っている。意に沿わないことだろうからきっとまだまだ妨害してくると思う。

 と、そういえばそうだ。まだバレットたちには言ってなかった。

 

「やったな、バレット。次の舞台は宇宙だぞ」

「待て。話の転換が唐突すぎるし、まるで俺が宇宙を楽しみにしてたかのように扱うな……って、宇宙っ!? マジで!?」

 

 反応が遅いけど、やっぱ嬉しそうだ。

 

「そういや、ISVSで宇宙に出たことねーな。たしかISって性能だけなら宇宙にも出られるんだろ?」

 

 尤もな疑問を投げかけるバレットの視線はラピスに向けられている。

 

「ええ、出られるはずですわ。それどころかIS単独で大気圏外に出ることもできますし、宇宙からそのまま大気圏に突入しても問題ありません。限りなき成層圏(インフィニット・ストラトス)の名の通り、成層圏とさらに上との境界線は無いも同然なのです」

「大気圏突入形態が必要ないのはそれはそれでロマンがねーな……」

 

 何故かガッカリしているバレットはさておき。

 ラピスの言うとおりISは単独で宇宙に出られる。それは俺自身、デュノア社のミッションで弾道ミサイルを迎撃したときに経験したから断言できる。ISにとって宇宙とは身近な場所であると言っても過言ではない。

 となると、新たに疑問が湧き出てくるのが自然だろう。それは俺だけでなくバレットも同じだった。

 

「しかしどうしてISVSには宇宙ステージがなかったんだ?」

 

 それこそが俺たちの捜索範囲に宇宙が挙がらなかった最大の理由。

 これまでプレイしてきたISVSにおいて、宇宙に出たことはあるものの宇宙が舞台となったことは一度としてなかった。現実を映し出している高度なシミュレータという観点からでも、現実のISが宇宙に出られるのだからそこも再現されているはずだし、何よりも企業がそれを率先して行っているはずだ。

 ラピスはやや難しい顔をしている。どうやら明確な答えは持っていない。

 

「おそらくはISVSの仕様のためだと思われますわ」

「仕様? 宇宙に出ることを禁止してるわけじゃないのにか?」

「正確には“転送ゲートの座標指定の仕様”ですわね。わたくしはミッションを設定できる立場上、転送ゲートの出口を指定することもあるのですが、宇宙は最初から選択肢から外されていました。やろうとしてもできないのです」

「転送ゲートで送れないからプレイヤーが宇宙に出るにはわざわざ空の上へと飛んでいかないといけない、か。そうなると、なぜ送れないのかも気になってくる」

 

 最初からISVSというゲームはプレイヤーの目を宇宙から逸らせようとしているとも受け取れる。どういう意図なのかは知らないが、俺たちが宇宙に出るには少し手間がかかることだけは間違いない。

 

「ラピスに頼みがあるんだけど――」

「宇宙に出るルートの洗い出しですわね。広大な宇宙を捜索するのですから、何度も往復する可能性を踏まえると効率を高めたいところですし……」

 

 流石、良くわかってらっしゃる。俺と彼女は以心伝心だから当たり前だ。……俺からラピスへの一方通行な気もしてるけどな。

 

「捜索手段もそうですが、戦闘面も気になっていることがありますわ」

 

 ほら。俺にはラピスの言葉の真意が掴めない。

 

「気になってること?」

「先ほどのテクノフォビアを倒したときのことです。ヤイバさんとリンさんの活躍によって勝利した我々ですが、もし敵が他にいたとすればどうなるでしょうか?」

「俺とリンは敵の自爆に巻き込まれて戦闘不能。プレイヤー側は壊滅してたから負けになるってことか?」

「ええ。もし今後、敵が物量に任せてきたら、道連れも避けなければ勝機がなくなります」

 

 面倒くさい話だ。ただのゲームでそんなことを仕掛けてみたらユーザがぶち切れるほどの案件だろうに。

 俺が頭を抱えている隣でバレットも同じように頭を抱えている。

 

「そろそろ笑えないクソゲーの要素になってきてるな。難度が高いならともかく、面倒と思わせるだけだろ」

「それもそのはずでしょう。こちらはISVSというゲームをしている人が多数を占めていますが、あちらはゲームをしているのではないでしょうから」

「…………」

 

 ラピスの物言いには同意してるんだけど、聞いていて引っかかることもある。

 なんというか最後の自爆は“姑息”な気がしている。そのことが違和感になってるのだと思う。だけどそれがどうして違和感なのかは答えとして上手く出てこない。

 

「皆さん、今日はもう休みませんか? これが宣戦布告だとすれば、篠ノ之博士は必ず次を仕掛けてきます」

「それもそうだな。バレットはどうする?」

「俺も休むとするか。虚さんとも話したいし」

 

 ラピスの提案からあっさりとその場を解散することとなった。

 

 

  ***

 

 

 意識が自室に帰ってくるのは一瞬のこと。もう慣れてしまったけれど、最初の頃は現実と仮想世界の区別がなかなかつかなくて体が重く感じていたこともあったっけ。

 

「ん? メール?」

 

 ISVSから帰ってきての日課はまず携帯を見ること。最近はISVS内で連絡が終わってたことばかりだったから使用頻度は減ったけど、携帯でしか連絡してこない人もいるからやっぱり手放せない。

 しかし誰だろう? ちょっと前までは『箒が目覚めた』という連絡が入るかもしれないと思って毎日欠かさずチェックしていたわけだけど、今ではそれはありえないことを確信できている。毎日顔を合わせてる奴らを除くと、もう心当たりはない。

 

「鈴……?」

 

 メールを開いて飛び込んできた名前は凰鈴音。見慣れすぎた名前だったから逆に意外だった。先に帰ったからてっきり家の用事でもあるのかと思ってたのに。

 中身を見てみる。わざわざメールを打ってきた割には簡潔な一文が書いてあるだけ。

 

 ――あの日、星を見た丘で待ってる。

 

 具体的に書かれなくても待ち合わせ場所がわかった。

 そもそもあの場所を鈴に教えたのは俺だから。

 あのときは2月。今は12月。どちらにせよ寒いだろう。

 

「すぐに行かないとな」

 

 鈴のことだ。俺の返事を聞くことなく動いてて、もうあの場所で白い吐息を吐きながら待っているのだろう。厚めのジャンバーを羽織った俺は飛び出すように部屋を出た。

 

 

  ***

 

 

 部屋を出てからというもの誰からも呼び止められずに最短距離、最短時間で辿り着けたと思う。2年近く前に来たときからまるで変わっていない景色。街の明かりは遠く、喧噪もまるで聞こえてこない静寂に包まれた場所。この辺りで一番美しい星空を背景として、一本杉の下に立ち尽くしているツインテールを発見した。

 

「待たせた」

「今も待ってるわ」

 

 どちらが呼んだのかはさておき、寒空の下で待たせていたのだから理不尽なお小言が俺を待ってると思ってた。けど、今日の鈴はちょっと違うようだ。待ち人であるはずの俺が来てもそっぽを向いたまま。機嫌を損ねているようにも見えず、どこか淡々としている鈴は俺の知らない鈴だった。

 

「怒ってるのか?」

「へ? どうして?」

「いや……違うならいいんだ」

 

 鈴はこっちを向かないまま首を傾げる。たぶん違うと思いながら試しに聞いてみたけど、この反応はやはり本当に怒ってない。

 

「ところで、どうして俺の方を向かないんだ?」

「星を見てるのよ」

 

 どうやらそっぽを向いているということ自体が俺の勘違いだったようだ。真上でないから気づきにくかったけれど、たしかに鈴の顔はやや上を向いている。

 俺は鈴の隣に歩を進めた。ほぼ無意識で特別な意図は何もない。なんとなく体が勝手に動いてた。

 見上げた夜空は雲一つ無い満天の星空。星の瞬きに魅せられていると、冬の澄んだ空気は寒さよりも心地よさを覚えるようになってくる。

 

 ……だけど今日の俺は素直に星空を賛美できそうにない。

 

「アンタの考えてること、当ててみせよっか?」

 

 いつの間にか鈴の視線が空でなく俺に向いていた。さっきまで素っ気なかった態度とは一転して人懐っこい猫のような――きっといたずら好きだろう――笑みを浮かべている。

 言われる前から確信できることがある。鈴は間違いなく今の俺の心情を言い当ててくる。

 結果はわかりきっていると思いながらも俺は素知らぬフリをして星空を見上げていた。

 

「アンタは星空じゃなくてISVSの宇宙を見てる。そこに箒がいるってことしか考えてない。そうよね?」

 

 頭の中が箒のことだけというわけじゃない。でも星が綺麗だと思うだけの心の余裕はなくて、地表から見える宇宙の姿は嫌でも俺の意識を次の戦いに向けさせるものだった。

 

「それがわかっててここに呼び出したんだろ?」

「再確認という意味ではそれも正解ね。まだまだアンタは非日常の世界に生きてる。ま、それはそれでいいのよ。悪いことじゃないわ」

 

 ちょっと含みのある返答だ。キーワードは“再確認”。

 

「じゃあ何を再確認するつもりなんだ?」

「あら? もう確認はすんだわよ」

「そうなのか――って、ちょ!?」

 

 唐突に胸ぐらを掴まれたかと思えば、強引に引っ張られた俺は半ば強制的に上半身を屈めさせられる。抵抗しようと思う前に意表を突かれた形でされるがままだ。

 反射的に殴られると思い込んだ体が勝手に反応したため、俺は痛みに耐えるために目を思い切り瞑って歯を食いしばる。

 

 …………。

 頬に柔らかい感触。鼻腔をくすぐる香りはお日様を吸収した布団に顔を突っ込んだかのような脱力感を生じさせてきた。

 ふと鈴の気配が離れる。冬の空気で乾燥していた頬にはしっとりとした熱が残っている。その意味がわからない俺ではない。

 

「情熱的と見せかけて、頬という辺りは臆病者だよな、鈴は」

「むっ! そんな冷静な反応されると傷つくんだけど?」

「十分に冷静じゃないっての。俺は元々口数が少ない男だ」

「ダウト! いつもと同じだけ喋ってる! だからもっとどぎまぎしなさいよ!」

「無理」

「なんでよ!」

「今気づいたことだが、お前の言う“いつもの俺”こそがどぎまぎしてる状態だからだ」

「…………え? それって――」

「なーんてな。軽い冗談だ」

「ふっざけんなァ!」

 

 鈴がムキになるのを眺めながら大笑いしてやる。

 でもさ。こうやって鈴をからかうこと自体が気恥ずかしいからで、それは鈴が単なるクラスメイトの女の子というだけじゃ説明できない存在だからなんだとは思ってる。

 まあ、そんな本音を言うつもりはないけどな。少なくとも、今は。

 などと内心思っている間に鈴は沈静化したよう。呆れたとでも言いたげに俺から目を逸らして溜息を吐く。

 

「あたし、また怒っちゃった」

 

 呆れたという点は合ってたけど、対象がどうやら俺でなく自分自身らしい。

 

「仕方ない。俺が怒らせちまった」

「もし今のがセシリアだったらもっとお淑やかに対応してたと思うのよ」

「うーん、それはどうだろ? たぶんセシリアに対して今の対応してたら、今頃俺はセシリアに土下座してると思うぞ」

「……ごめん。今の話だけじゃアンタの頭の中にどんな展開が繰り広げられたのかさっぱりわかんないわ」

「知らない方がいいこともある。少なくとも鈴のシミュレーション通りにはならないって」

 

 だから嫉妬することなんてない、とでも言いたかったのか、俺は。

 言ってからちょっと後悔。これはきっと甘えだ。

 

「ナナ――箒だったら怒ったと思う?」

「そんなもしもがあったとしたら、今頃俺は箒に殴り倒された上で箒に膝枕されてるだろうな」

「自作自演?」

「無自覚なマッチポンプを平然とやってのけるんだよ、アイツは。全部が全部、アイツの正直な思いと行動なんだ」

「そう……羨ましいわね」

「ああ。だから俺は――」

「待って! その先は言わないで。ちょっと揺らぎそうになるから」

「揺らぐって何が?」

「それを聞くの?」

「聞かれたくないなら別にいい」

 

 なんとなく鈴の言いたいことをわかっていながらも、彼女の意図に従ってスルーした。

 

 ……呆れるほどに前に進めないな、俺たちは。

 

 結局のところ、答えは最初から鈴が言っているとおりなんだろう。ここでどれだけ言葉を重ねようが、俺の心は未来へ向かおうとしない。

 叶えたい約束がある。認めたくないがこれはある種の呪縛。願望と後悔が入り交じった結果、重い扉となって俺の進む道を塞いでいる。

 

「……本当に言ってもいいの?」

 

 次なる話題転換を模索していた矢先のこと、鈴に先制攻撃を許す。

 上目遣いは卑怯だ。心なしか潤んでいるような瞳なのに口元には俺をからかっているかのような小悪魔じみた笑みが垣間見える。普段の勝ち気さの欠片もない、甘えたいと主張してくるギャップは大多数の男を籠絡させる。俺も例外なんかじゃない。

 

「やっといい顔してくれた」

「それってどんな顔だ?」

「困った顔」

「鈴は俺を困らせたかったのかよ」

「あたしのことで悩んでほしかった。だってあたしが悩んでるんだからアンタにも悩んでほしいじゃない?」

「そういうもんか?」

「そういうもんよ」

 

 じゃあそういうことにしておこう。これ以上、突っ込んだ話をするのはお互いに望んじゃいない。

 過去に俺と鈴は数日間だけ付き合った。あれからもう一年も経つ。俺の身勝手さで線引きされた俺たちの関係はまだこのままで在りたい。

 

「ねえ、一夏。あれがシリウスだっけ?」

 

 唐突に。本当に唐突に鈴は頭上を指さした。あからさまな話題の切り替えは俺も望んでいたことだから、不自然だとわかっていても乗っかるだけの理由がある。それに折角星のよく見える場所に来たのだから簡単な天体観測をするのも悪くない。

 見上げた夜空、鈴の指さす先にあるのはオリオン座だった。

 

「違う違う。オリオン座にある冬の大三角はベテルギウス。シリウスがあるのはおおいぬ座だ」

「あれ、そだっけ?」

「2年前に教えただろ? シリウスは一等星の中で一番明るい星だって。鈴くらい目が良ければ違いがわかる」

「そのはずなのよね……でもさ。あたし、一番明るい一等星だと思ったのを指さしたのよ?」

「ん? そうなのか?」

 

 言われてからもう一度空を見上げた。雲一つない、理想的な星空であり、俺たちの視界を遮るものは何もない。

 だというのに、俺の目から見ても「これが一番明るい」と言える星はなかった。

 

「あと、さっきから探してるんだけど冬の大三角になるような正三角形が見つからないの」

 

 鈴に言われるまでもなく俺も同じことを思った。ついでに言うと、俺たちが冬の一等星を見失っている理由が単純であるのも気づいている。

 

「シリウスがない……?」

 

 あるはずの星がない。一等星の一つが消えたなんて話になれば朝のニュースのトップの方に話題が昇るのは間違いないけど、俺はそんなことを耳にした覚えがない。遮蔽物もなしに星一つが見えなくなるなんてことは考えにくい。

 鈴と違って俺は冬の大三角の大体の位置に当たりがついている。だから気づけた。

 

「星一つの話じゃない! 空の一部が真っ黒になってる!」

 

 シリウスのあるおおいぬ座の周辺だけ星が一切見えなくなっている。

 虫食いの星空を見上げる俺の両手は拳を形作り、否応なしに力が入った。

 

「どうしたの、一夏? 急に笑って……」

 

 ああ、そうか。俺は笑っているのか。

 今、何が起きているのか察しがついている上に、それが皆にとって朗報でないとすら思っているのに……

 

 俺は笑っている。何せ、探す手間が省けたのだから。

 

 すぐに携帯を取り出す。かける先はもちろん決まっている。相手はすぐに出た。

 

「セシリア。ちょっと確認してほしいことがあるんだけど……」

「ちょうど良かったですわ。厄介なことが発覚しましたので戻ってきていただけます?」

「わかった。俺の方の話もそっちで直接話す。たぶん、同じことだと思うけどな」

 

 電話を切った。するとタイミングを見計らっていたのか、鈴がわざわざ俺の視線に入るように下からのぞき込んできた。相当不機嫌そうな膨れっ面のおまけ付きで。

 

「もう戻るの?」

「ああ。いつまでも夢の中にはいられない」

「どっちが現実なんだかわかんないわよ、それ。今のアンタ、ナナと同じなんじゃないの?」

「たぶんそうだ。ISVSに出会ったあの日から、俺はずっとあの世界に囚われてる」

「じゃ、あたしが助けてあげるわ、お姫様」

「はいはい。頼りにしてるぜ、王子様」

 

 結局、なけなしのロマンチックの欠片をも粉々に砕いて天体観測を終える。

 本音を言えば、もうちょっとここでゆっくりしてるつもりだったけど、そうはいかなくなった。

 星空に虫食いが生じた原因は星が消えたからなんかじゃない。

 遮蔽物があるからだ。

 その遮蔽物が()()()()()()()()()()()()()

 

「……宇宙に地表からでも見えるほどの巨大な建造物が急に現れた。束さんが絡んでないわけがないよな」

 

 束さんの次の一手はもう始まっている。

 世界をも終わらせかねない一手を――


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