Illusional Space   作:ジベた

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44 駆け抜けるテンペスタ

 クリスマスから一夜が経過した。例年なら弾や数馬たちと一緒に男だけの祭りでも開催してたんだろうけど今年は事情が違う。弾には彼女がいるし、数馬にも彼女(と呼んでいいのかはわからない合法幼女)がいる。折角のイベントの日なのだから各々で楽しんでもらえればそれでいい。

 俺はと言えば遊ぶという選択肢がなかった。もしたとえ仮想空間であってもナナが居てくれれば皆を誘って遊ぶなんて真似もできたかもしれない。だけど、肝心のナナがどこにいるのかわからないのでは、他ならぬ俺自身が浮かれる気分には全くなれない。

 

「手がかりはまだ足りないけど、やるべき方向性は見えた」

 

 昨日得た情報を整理する。

 箒をISVSに閉じこめている元凶はIS“黒鍵”とIllが融合した存在だという。その中にはエアハルトを先導していた亡国機業のボス、イオニアス・ヴェーグマンの意識が紛れている。束さんが残した記憶によれば黒鍵とIllの融合体を打ち倒せば箒は帰ってくるらしい。

 もし箒自身が見つからなくとも条件さえ満たせば箒は帰ってくる。だから今の俺が見つけなくてはいけない最終目標は黒鍵ということになる。

 最終目標を定めた次はそこに至るまでにどうするかという道筋を決めるべき。またエアハルトのところに行くという選択肢もないことはなかったが、今は別方向からのアプローチをしてみよう。

 

「おはよう、シャル」

 

 今の織斑家の住人は一時期と比べて随分と減ってしまった。朝起きてきて台所に顔を出すと、待ってくれていたのはエプロン姿のシャルだけ。

 

「あ、一夏、おはよう。テキトーにサンドウィッチ作ったけど食べる?」

「いただくよ。セシリアが厨房に立ってるわけじゃないし」

「もしセシリアのだったとしても食べるんでしょ?」

「当たり前だ。俺のために作られたものを粗末にできるかよ」

 

 初めて食べたセシリアの手料理っぽいものを思い出す。アレは単純な卵焼きだったのにすごい味がした。イギリスはマズい料理の国って言われるけど、セシリアのアレはお国柄関係ないレベルだと思う。

 そんな料理であっても俺は一度心を救われている。拙くても俺を元気づけようとしてくれていた彼女の想いは俺の胸に深く染み渡っている。そんな想いの籠もった料理を俺には捨てることなんてできない。

 ……まあ、それはそれ。アレがないことに深く感謝して朝飯にすることとしよう。

 シャルお手製のたまごサンドを頬張りつつ早速、朝の会議的なものを始める。まずは報告会から。

 

「シャルの昨日までの成果はどんな感じだった?」

「鈴たちと一緒にずっとISVS。Illと遭遇はできてないよ。前回の決戦でシビル・イリシットを取り逃がしたことが確定してるんだけど、今のところ新しくIllの被害者が出たという報告も来てない」

 

 エアハルトこそ捕まえることができたが仮想世界における戦いでシビル・イリシットを倒すことはできなかった。シャルの戦闘データからわかるシビルの戦闘能力はギドやアドルフィーネと比べて大きく劣っている。こちら側に反撃を考えているのならば、Illの都合上、プレイヤーを襲わなければ力を蓄えられない。必ず足がつくことになるわけで、シャルはずっとIllの痕跡がないかを追っていた。

 しかし見つからない。それはつまりシビルがプレイヤーを襲っていないということになる。さらに追加して仮説が立つ。

 

「シビルの行動を抑えている奴がいる……?」

 

 シビルは遺伝子強化素体の中でも感情を表に出すタイプであると会話しているシャルから聞いている。頭脳戦が得意なタイプでなく、どちらかといえば猪突猛進な傾向が見られ、ギドよりも合理的でない戦闘をする。そんな不器用そうな性格の敵が単独の判断で隠密行動に徹しているとは考えにくい。

 

「たぶん、親玉がいる。エアハルトを捕まえても亡国機業は滅んでないんだよ」

 

 そもそもの話を辿ればエアハルトは亡国機業の親玉ではあったが唐突に用意された急造の後継者であるようだ。オータムが俺に協力要請してきたことから考えても亡国機業は決して一枚岩の組織じゃない。エアハルトを失って新たな頭が出てきていてもおかしくはない。

 それが誰か。オータムの所属する派閥はおそらく関係ない。Illを手中に収めているのならば篠ノ之論文に固執することはないだろうから、昨日俺と協力したこと自体が彼女たちがシロであると告げている。

 ではイオニアス・ヴェーグマンという機械仕掛けの爺さんだろうか。たしかに束さんの記憶を追ってみた限りではコイツは死んでない可能性が残っている。でも、もし健在だったならエアハルトが指導者になってなかったと思うんだ。

 

「裏に誰がいるのかは結論が出せそうにないな。で、肝心のラウラの情報は?」

「それも全く出てこないんだ。黒い全身甲冑なんて出てきたら目立つに決まってるし、今のラウラは単一仕様能力に目覚めてるからそれを使えば嫌でもセシリアの情報網に引っかかる。Illと遭遇したISの情報は拾えるからね」

「そのセシリアからは何も情報が来ないんだよな」

「うん。だから僕としてはお手上げと言いたくなってきてる。今日もゲーセンに行こうと思ってるけど悪足掻きみたいなものなんだ」

 

 結局、俺たちにやれることは限られていたままだった。

 エアハルトに聞ける情報はイオニアスのことだけ。でも奴とのクロッシングアクセスで覗いた記憶を信じるなら、エアハルトはイオニアスを死人として扱っている。だからエアハルトに居場所を聞く行為は奴の言葉を借りれば『ナンセンス』に他ならない。

 ダメ元でISVS内を飛び回るか。もしかしたら俺が出向くことで奴らが姿を見せるかもしれない。淡い期待でしかないけど。

 

「じゃあ、今日はシャルと一緒にゲーセンに行くか」

「あ、一夏も来るんだ。他の用事は済んだの?」

「やるだけやって、結局こっちに協力する方向になったんだよ。説明は要るか?」

「……今はいいや。ラウラを助けるのに集中するってことでしょ?」

「ああ」

「だったら僕の目的と同じ。それだけわかってればいいよ」

 

 2人だけで予定を決めた。軽食のみの朝食をあっさりと片づけた俺たちは外出着に着替えて玄関を出る。

 

「あれ? シャル、ちょっと服に気合いが入ってないか?」

「前からこんなもんだよ。こんな状況でもデュノア社の“夕暮れの風”で在るつもりだからさ」

 

 単純なファッションへの理解の差なのだろうか。冬の寒い時期の朝、シャルは防寒のためにモコモコのコートを着ているのだがその色はISVSのイメージカラーと同じオレンジ色。家に出る前にチラッとだけ見たコートの中身は、胸に黒い布をサラシのように巻き、下半身は片足だけ根本からもぎ取られているようなダメージジーパン。お腹が丸出しなんだけど、デュノア社長は娘のこの格好を黙認しているのだろうか?

 ……俺は気にしないことにした。

 

 もうクリスマスが過ぎて年末年始がやってくる。雪こそまだ降っていないが気温だけはもう立派な冬だ。俺もシャルも厚着をしているのに寒気が俺たちの体をツンツンと突いて戯れてくる。

 ガタガタ震えそうな体に鞭打って歩を進める。ゲーセンにさえ着けば暖房が俺たちを待っている。

 だから急いでいこう。

 と、思っていたのは俺だけだったのか、シャルは頭上を見上げながらゆっくりと歩く。

 

「何を見てるんだ?」

「空だよ。もうすぐ雪の予報だったから、なんとなく今のうちに見ておこうと思ってさ」

「空なんていつでも――」

 

 いつでも見れると答えようとして俺は固まった。

 違う。シャルが言いたいのはそんな単刀直入な話ではない。

 言い掛けていた言葉は訂正しよう。代わりに付け加える。

 

「終わらないって。次は皆揃ったときに見れるさ」

「そう……だよね。僕もそこに居ていいんだよね……」

「あの社長さんがバカなことを言い出したら俺に言ってくれればいい。叱りつけにいってやる」

「パパは他人の話を聞かない人だから骨が折れるよ?」

「だったら物理的に折ってでも黙らせる。だってさ――」

 

 今まで言葉にはしてこなかったことがある。

 ずっとシャルが俺に協力してくれていたことが実は気になっていた。

 最初はデュノア社のために仕方なくというのが見え見えだったんだけど、最近のシャルは一心不乱にラウラばかりを追っている。これはデュノア社のためというだけでは説明がつかない。

 俺の出した結論は1つ。

 普通は言うようなものじゃないんだけど、シャルには必要なんだと思うから。だから言ってやるんだ。

 

「俺とシャルは友達だから」

「……そう思ってくれてるんだね?」

「ああ。今だけの協力関係だなんてビジネスライクなのはごめんだ。これからの人生、お互いに頼れる友達でいようぜ」

「ありがとう、一夏」

 

 シャルの顔に笑顔が浮かぶ。さっきまであったぎこちなさはどこかへと消え失せている。

 俺は少し気まずげに頬を掻く。他にも言っておかないといけないことがあった。

 

「……今日まで無視してたみたいで悪かった」

「何の話?」

「俺、自分のことばっかりでラウラのこと放っておいただろ?」

「仕方ないよ。ナナが行方不明になってるんだし。それにラウラを助けるのも一夏にとってはナナを助けるための通過点なんでしょ?」

「うっ……」

 

 的確に突かれてぐうの音も出ない。口ではなんと言おうが俺はラウラよりもナナを優先する。ラウラがついでだという指摘に反論ができなかった。

 本当に……都合のいいことばかり考えてる男だな、俺。

 

「あまり気にしなくていいよ。ラウラを助けた後に目的があっても僕は構わない。言えることは1つ。今やるべきことを見出したのなら、とりあえずそれに集中してほしい」

「わかってる。ラウラを助けるなり、シビルを倒すなり、やれることから全力でいく」

「うん、一夏はそれでいい。僕たちはそんな一夏に助けられてきた。そして今度は僕たちが一夏を助ける番でもある」

 

 シャルが差し出してきた右手を掴む。冬空の下、改めて友として向き合い、お互いの胸の内を吐き出した。交錯した想いの中、ラウラを助けるようという意気込みが一致する。

 皆と比べて少し遠く感じていたシャルのことを少しだけ理解できた気がした。

 

 ――お互いに笑顔を交わした直後だった。

 シャルの顔が急変する。視線が空へと向いたまま口を半開きしていた。

 俺がシャルの見ている先を見ようと振り向こうとした瞬間――

 

「一夏、危ない!」

 

 シャルが俺にタックルをかましてくる。体格差があっても不意打ちだったから俺の体はシャルと一緒にアスファルトを転がった。

 激しい衝突音が辺り一帯にばらまかれた。年末の街を歩く人たちの喧噪をも吹き飛ばした音源はさっきまで俺たちがいたところに在る。アスファルトの歩道に生まれた小型のクレーターの中央には漆黒の金属で構成された人型の機械が佇んでいた。

 何だ、あれは? そう疑問に思うのは当然だが不思議と俺は冷静に『奴が空から落ちてきた』ことを理解できている。その理由は『初めて見る相手でない』からだ。

 

「ゴーレム……?」

「え!? どうしてそんなのが現実(ここ)に!?」

 

 シャルの疑問はもっとも。ゴーレムとはISVSの迷宮内に出没する無人ISのことであり、現実には存在しないはずのIS。簡単に言ってしまえばエネミー専用みたいな存在だったはず。現実で作られている無人機はリミテッドまでだってことは倉持技研で学んだ。

 

「逃げるぞ、シャル!」

「う、うん!」

 

 考えるのは後だ。目的は不明だが、ゴーレムが俺とシャルを狙って襲ってきたのは間違いない。現実だと無力な俺たちでは敵に襲われたら逃げることしかできない。

 でもそれですら甘えだ。生身の人間が走った程度でISから逃げきれるはずもない。事実、俺たちが逃げる方向に空から回り込んだゴーレムが目の前に降りてくる。機械的なモノアイのカメラが向いたのは俺。

 

「シャル、二手に分かれるぞ! 追われない方が助けを呼んでくるんだ」

「助けって誰に!?」

「親父さんでも宍戸でも誰でもいい! 行くぞ!」

 

 これ以上シャルに説明する時間はない。あとはシャルの機転に任せて、俺は半ば強引に策を実行する。

 ゴーレムの視界から逃げるために迷わず狭い路地裏に飛び込んだ。そのすぐ後ろを両側の壁を丸く削り取りながら強引にゴーレムが追いかけてくる。

 やはり狙いは俺の方だった。ラウラを追っていただけで特に何もしていないシャルよりも、昨日迷宮に潜っていた俺の方が誰かさんのヘイトを集めていても不思議じゃない。アメリカの差し金にしてはゴーレムが出てきたことだけが引っかかるから敵の正体までは掴めてないけど。

 

「さーて! ISと鬼ごっことか勝てる気がしないな!」

 

 不幸中の幸いか、ゴーレムは射撃攻撃をしてこない。イグニッションブーストなどの高速機動もしない辺り、何かしらの理由で機能を制限している可能性が高い。

 ならば逃げることは不可能じゃない。俺は建物の隙間を練ってゴーレムからひたすら逃げる。

 地の利を活かしての逃走。必然的に俺が走るコースは慣れたものに限られ、最終的に俺は篠ノ之神社付近にまでやってきていた。

 

「あ、そうだ! もしかしたらアイツがいるかも!」

 

 篠ノ之神社で思い出した人がいる。頼るべきでないことは承知しているが、背に腹は変えられない。神社の境内にまで辿り着いた俺は叫ぶ。

 

「助けてくれ、オータム!」

 

 アメリカ軍を相手に一人で戦っていたテロリストならゴーレムの1体程度抑えてくれるに違いない。

 だけど所詮は希望的観測だ。俺の叫びに答える声はなく虚しく時が過ぎた。

 木々のざわめきが聞こえてくる静けさの篠ノ之神社。それをぶち壊す破壊者が空からやってくる。

 着地しただけで林の一部の木が薙ぎ倒された。緑の隙間から覗く黒の機体は歪なカメラアイを俺に向けてくる。飛ぶこともなく一歩一歩確実に俺の方へと歩み寄る。

 

「こいつ、滅茶苦茶な近寄り方をしてるだけで実は味方だったりして……」

 

 急に歩いてきたのもあって、俺はそんな淡すぎる希望を抱いた。

 こっちの言葉の正否を答えようとしてくれたのか、ゴーレムは右手の掌からENブレードを出現させる。

 俺は即座に回れ右した。

 

「殺る気満々じゃねーか!」

 

 再び始まる鬼ごっこ。タッチされたら交代なんてお子さまルールじゃなくてタッチされたらこの世界からさようなら。まさしく命がけのゲームを前にして俺は早くも心が折れそうだ。

 

「くそっ! こっちにもISがないと勝負にならないだろうが!」

 

 全力疾走が続いていてもう俺に体力が残ってない。ここまで逃げられただけでも奇跡に近い。

 もう万策は尽きた。シャルが呼ぶ助けも間に合わない。まぁ、間に合うと思って助けを呼びにいけと言った訳じゃないんだけども。無事だったならそれでいい。

 

「……やっと本当の敵が見えてきたってところだったのにな」

 

 このまま終わることに納得なんて出来ない。

 また箒に近づくための方法が見えてきたんだ。

 俺はまだ箒との約束を叶えられるんだ。

 なのに志半ばで倒れるなんてことできるかよ!

 

 気合いだけで精神を保つ。ゴーレムが振りかぶったのに合わせてその場を飛び退き、必殺の一撃を紙一重で避けた。掠りもしていないのにズタズタにされた袖が千切れて舞う。

 

「くそっ! 人が生身で戦うレベルじゃないだろ」

 

 尻餅をついた俺の前に機械人形が立っている。感情なく無機質なカメラアイが俺を見下してくる。この状況がもう鬼ごっこは終わりだと告げていた。

 右手にはENブレード。種別は不明だが、出力は中型相当。生身の人間を軽くオーバーキルするのは実験をするまでもなくわかる。

 俺を軽く殺せる凶器が振り上げられる。

 

 この絶体絶命の状況下――

 

「ハッ、ハハハハ!」

 

 俺は笑った。自分でも狂ったんじゃないかと思ったんだけど、実はこれ、悲壮感は欠片もなかったんだ。

 遠くに意識を感じる。快晴の青空のように広く、波の立たない海原のように穏やかな、そんな蒼色のイメージが頭の中に湧いている。

 ISはないから声なんて聞こえてこない。これまで俺たちをつないでいたコア・ネットワークにもISのない俺は干渉できない。

 気のせいだとも言える。だけど俺の中には確信が生まれていた。

 

 セシリアが帰ってきた。

 

 そうハッキリと感じ取った次の瞬間にゴーレムの右手を蒼い光の軌跡が貫く。

 

 少しだけ俺の寿命が延びた。彼女の偏向射撃を交えた長距離射撃の精度は相変わらずで頼りになるのは間違いないが、相手は近接戦闘に強いゴーレムである。俺を撲殺するのは簡単であり、遠距離からセシリアの火力で倒しきるのはまず無理だ。

 まだ危機は去っていない。そう思って気を引き締めなおす。

 

 ……どうやら俺はラッキーらしい。

 この晴天の日、篠ノ之神社に神風が吹いた。

 

 巻いた風が葉っぱを引き連れてゴーレムへと向かっていく。その回転数は目で追えず、まるで風がドリルになっているかのよう。事実、その風はゴーレムの分厚い装甲をガリガリと掘削して破壊する。

 加えて、風切り音がなるたびにゴーレムの体に穴が開いていく。

 装甲の薄い間接部がスッパリと切断され、バラバラにされていく。

 まるで見えない剣に解体されていくその様は心霊現象でも目の当たりにしているようだった。

 

「これ、風……だよな?」

「ご名答なのサ」

 

 ゴーレムを一方的に破壊していくものの正体を呟いた後、ふと背後から声がしたため振り向く。

 両肩の露出した着物から豊満な北半球が覗き見える。右目を眼帯が覆い、右腕は機械で出来た義手。左手に日傘をさして突っ立っている女性は数日前に俺の家に来ていた人だ。

 

「アリーシャ・ジョセスターフ……」

「もっと気楽にアーリィと呼ぶといいサ、織斑一夏くん」

 

 世界ランキング2位のイタリア代表。千冬姉に次ぐISVSプレイヤーとしてその名を知られている人がこの場にいるのはおそらく偶然なんかじゃない。このゴーレムの出現を予期していたんだろう。

 

「その言葉、そのまま返しますよ、アーリィさん」

「この状況でも余裕があって何より――しばらく屈んでナ」

 

 言われるままに俺は姿勢を低くする。その俺の頭上を鋭い空気の流れが通過していき、後方から重い金属が地面に墜落する音が聞こえてくる。

 さっきの奴以外にもゴーレムがいた。それも1体やそこらではないようだ。どうなっているのか確認しようとして顔を上げると――

 

「こら。ここは大人しく言うことを聞くところなのサ」

 

 アーリィさんに叱られる。俺が立っているだけでも戦闘に支障が出るということか。戦う術のない俺は素直に言うことを聞くしかないな。ゴーレムに襲われている現状、ゴーレムと戦っているアーリィさんに反抗する理由はない。

 ゴーレムは今になっても射撃をしてこない。ENブレードのみで襲いかかってきているようで戦闘の音は比較的静かだった。風切り音が周囲を支配していることしか今の俺にはわからない。

 

「数が多い。面倒になってきたのサ」

 

 少し不穏な呟き声を俺の耳が拾う。次の瞬間には俺の体が抱えられて地面から引き離されていた。

 

「あの、アーリィさん……?」

 

 俺はアーリィさんに片腕で抱えられている。男として少し恥ずかしい気もしたが、ISが関わっているのなら仕方がない。

 

「しっかり掴まってナ」

「へ? うわあああ!」

 

 体が軽くなったような浮遊感。唐突な急速上昇。IS視点で見れば遅いだろうけど生身だときつい加速が俺を襲う。ISは操縦者以外を保護してくれない。

 

「ちょ、ちょっとゆっくり!」

「男の子なら我慢するのサ」

「アカンって! 慣性とかGとか知ってます!?」

「あのカサカサした動きぶりは苦手サね」

「Gと聞いてゴキブリを想像してんすか!?」

「ちょっとだけ急ぐのサ!」

「え、結局俺の要求とは逆!? ちょ、ま――」

 

 飛翔したアーリィさんは俺を抱えたまま空を蹴る。結構な急加速だったけど意外にも俺の体に一切の衝撃が来ない。

 チラリと視線を上に向ける。俺を見下ろしているアーリィさんの顔は実に楽しそうだった。これは遊ばれてると思えばいいのか?

 

「AICは基本サね」

「……そうっすね」

 

 現実でゴーレムに襲われてるってのに緊張感の欠片もない。少なくとも今の俺にはまるで危機感がない。そう安心させてくれてるのはきっとアーリィさんが千冬姉と似た匂いのする人だったからだと思う。

 

「追っ手は諦めたようだねぇ」

 

 飛行時間はあっという間に終わり、俺たちが降り立ったのは織斑家の正面。周囲を確認したアーリィさんが「敵影なし」と宣言すると右手となっていた義手が光とともに消え去った。とりあえず当面の危機は去ったらしい。

 

「あ、ありがとうございます」

「これは私に与えられた仕事。礼は不要なのサ」

「仕事? それってもしかして――」

「一夏さーんっ!」

「ぐあっ!」

 

 アーリィさんに質問しようとしたところで背中に容赦ないタックルが入ってきた。

 振り返らずとも声だけでタックルの犯人は特定できている。ただ、ちょっと俺の抱いている彼女のイメージと食い違っているからちょっと戸惑う。

 

「セシリア……」

 

 振り返ってみると額を押さえてるセシリアがいた。妙に背中にきついのが入ったと思ったら、どうやら彼女は勢い余って俺の背中に頭をぶつけたらしい。何をそんなに慌ててるんだか。

 

「お怪我はありませんか?」

「痛そうに頭を押さえてる奴が他人の心配するのか。俺なら大丈夫だよ」

「それならば良いのです――なんて言うと思いましたか!」

 

 心配の言葉の直後、彼女は鋭い目つきに豹変した。

 

「わたくしのいない間、現実では無防備だと最初からわかりきっていたことでしょう! どうして大人しくしていてくださらなかったのですか!」

「いや、だって……」

 

 じっとしてられなかった、というのは今に始まったことじゃない。それ以外に理由はないからセシリアが納得のいく理屈なんて答えられそうになかった。

 

「わたくしも油断していましたわ。一夏さんが少なからず凹んでいる間ならイギリスへ報告に行く余裕がある、だなんてありえなかったのです」

 

 うぐ。やっぱり俺、凹んでるように見えてたのか。たしかに急に何をすればいいのかがわからなくなって途方には暮れてたけど。それじゃダメだと思うようになってとりあえずやれることからやり始めたんだけど、セシリアはそのせいで俺が襲われたと考えているようだ。

 しかし俺も全く考えなしというわけじゃなかったんだけどなぁ。エアハルトがいない今、俺が執拗に狙われる理由はないと思ってたし。もっとも、オータムが現れた時点でその見通しが甘かったことも思い知らされているのだが。

 それでも今さっきのようなゴーレムの襲撃を見越して動けというのは無理がある。

 

「セシリアは現実にいないはずのゴーレムが襲ってくるってわかっていたのか?」

「日本を発ってからしばらく後ですわ。本当はすぐにでも戻りたかったのですが、向こうでしておくべきこともありましたので……」

 

 代表候補生で専用機持ちだと色々と大変なんだろうな。

 

「だったら無理せずこっちに来なくても――痛っ!?」

 

 頭にガツンと衝撃がくる。後ろから何かで殴られたらしい。振り返ってみると、さっきから蚊帳の外にしてしまっていたアーリィさんがキセルを鈍器みたいに順手で握っていた。

 

「いきなりなんなんですか!?」

「今のはキミの失言サね。当の本人は気にしないかもしれないが、私は気に入らなかったのサ」

「失言……?」

「お二人とも、いつまでも立ち話もなんですから中に入りませんか?」

 

 言われてみれば俺たちはいつまで家の前で喋ってるんだ?

 俺たちはセシリアに案内されるままに織斑家に入る。

 ……ここ、俺の家だよな? どうもセシリアの方が家主っぽいことしてる気がするぞ。

 

「チェルシー、お茶の用意を」

「かしこまりました」

 

 今朝の時点でいなかったはずのチェルシーさんが当たり前のように台所を取り仕切っている。

 ……ここ、俺の家だよな? 今更だけど。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 富士の戦いにおいてゼノヴィア・イロジックが消失したことにより、通り魔事件の被害者は無事に目覚めている。もちろんその中には御手洗数馬の両親も含まれており、今では何事もなかったかのように退院して普通の生活を送っている。

 宍戸恭平らと共に亡国機業の施設に攻め入っていた数馬もIS操縦者でなくなった一般人として家に帰ってきていた。ただし少しばかり特殊な事情を抱えたままであったのだ。

 

「数馬、まだー? そろそろ出発しようよー!」

 

 玄関先で幼い見た目の銀髪少女が大声で数馬の名を呼ぶ。両親が事件に巻き込まれる前から御手洗家の新たな住人として認められていたゼノヴィアである。当時の彼女と今の彼女は別人であるという話が出ていたが、御手洗家の人間にとってそんなことはどうでもよく、彼女とは以前と変わらぬ付き合いを続けていた。

 一つだけ変わったことがあるとすれば、ゼノヴィアの身の振り方であろうか。以前はゼノヴィアの親を見つけるまでの居候ということになっていたが、今はもう両親も御手洗家の住人として扱っている。その関係で数馬は父親と口論になると思っていたのだが、数馬が自分の意志を伝えると父親はかなりあっさりと承諾したという。

 

「ごめんごめん。じゃ、行こうか」

 

 着替えを済ませた数馬はゼノヴィアと二人で外へ出る。冬期休暇の昼下がりの外出ではあるが、彼らの目に浮かれた様子は微塵もない。

 

「ゼノヴィアが一夏に会いたいなんて言い出すとは思ってなかったよ」

 

 外を歩き始めた数馬の第一声はこの外出の目的の件だった。本当はまだゼノヴィアを外に連れ出すような真似をしたくなかった数馬だが、この日はゼノヴィアの強い希望によって織斑家に出向くことに決める。

 しかし数馬は了承しておきながらゼノヴィアの真意を掴めていない。ゼノヴィアから見れば一夏は自分を殺そうとしてきた敵だったはず。そんな人間に会おうと言い出すのは意外だ。

 

「あの博士をぶっ飛ばした人の顔をちゃんと見ておきたいんだ」

「博士ってエアハルト?」

「そう、私は知りたいの。一夏って人のことも博士のことも」

 

 知りたい。そう告げる彼女の顔はイキイキとしていた。

 それも束の間、即座に表情を暗くさせる。

 

「でもそれはついでの話。今の私には一つの使命があるの」

「まだキミは自由になれてないってことなのか……」

「そうじゃない。この使命は私が私に課したもの。数馬の言葉を借りるなら『私がそうしたいから』だよ」

 

 数馬がゼノヴィアを助けようとした理由。それを今度はゼノヴィアが口にした。そのことが嬉しくてついつい数馬の頬が緩む。

 

「それでその使命って何?」

「私は伝えないといけない。博士がIllの全てを知っていたわけではないのだと」

 

 ゼノヴィアの歩くスピードが上がる。明らかな焦りが見えている。しかし数馬はそんな彼女を後ろから見守りながらついていくだけに努めた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「わぁ、やわらかーい」

 

 家に入ってすぐに目に付いたのは階段の一番下。そこには先に戻ってきていたらしいシャルが背を向けて屈んでいた。何かに夢中になっているようで、どうやら俺たちに気づいていない。

 一体どうしたのか気になった俺はこそこそと回り込んでみる。

 するとそこには猫の肉球をプニプニ触っているシャルのだらしなく緩んだ顔があった。

 

「シャル?」

「えへへー……」

「シャルロットさん?」

「うわぁ!? 一夏! いつからそこに!? というか無事だったんだね!」

 

 何回か呼びかけてようやく反応が返ってきた。しかしやけにオーバーリアクションだが何か後ろめたいことでもあったのか?

 シャルロットが構っていた白猫はアーリィさんを見つけて走っていく。そういえばアーリィさんが猫を連れていたっけ。

 

「シャルの方も大丈夫だったみたいだな」

「うん。一夏と別れた後にアーリィさんに助けられたんだ」

「助けられた?」

 

 てっきりゴーレムが俺を追ってきていたからシャルは無事だと思ってた。しかし敵の狙いは俺だけというわけでもなかったらしい。だからこそ余計に敵の正体が見えなくなってきてるけど。

 

「一夏さん? お話はこちらに来てからにしませんか?」

「あ、ああ。そうだな」

 

 ダイニングのセシリアに呼ばれて俺たちはそちらへ向かう。

 テーブルにお茶と菓子が並べられていて既にセシリアとアーリィさんが着席していた。俺とシャルも空いている席に座ると早速セシリアが口を開く。

 

「さてと。まずはわたくしから質問をさせていただきますわ」

 

 ニッコリと満面の笑みを浮かべるセシリア。俺の経験が訴えかけてくる。不自然なほどの笑顔を見せるセシリアを見たままの感情を持っているとして受け取ってはいけない。

 

「えと……何か怒ってる?」

「一夏さんはわたくしのいない1週間の間に何か大きな行動を起こしましたか?」

 

 どうしよう。『怒ってない』と否定されることなく質問が飛んできた。これは相当マズい。

 しかし俺が関わった大きな出来事か……となるとあれしか思いつかないな。

 

「昨日、ツムギの迷宮に乗り込んだ」

「……やっぱりそうでしたか」

 

 てっきり叱られるかと思ったけどセシリアはひどく落ち着いた様子で紅茶に口を付ける。あくまで予想の範囲内だということか。

 

「ゴーレムを扱えるのは迷宮を作った者に限られます。現実に実体化させている技術も篠ノ之博士が関わっているとなれば不自然とも思いません。ゴーレムに襲われたという時点で自ずと何があったのかは想像がつきますわ」

 

 簡単に解説をしてくれたセシリアが二口目の紅茶を飲む。

 さすがはセシリアだ。俺が彼女に隠し事できることなんてないだろう。全部、正直に話すべきだ。

 

「俺は自分がオータムと組んでアメリカ軍に攻撃を仕掛けることになるとは思わなかったぜ」

 

 セシリアが紅茶を吹き出した。

 

「な、何をしてるんですか!?」

「あれ? 知ってるんじゃなかったの?」

「そんなこと知りませんわ! どうして亡国機業のテロリストなんかと!」

「いや、だって……束さんの情報が欲しかったし」

「それで篠ノ之論文を欲しがったというわけですか……よりによってこのタイミングで」

 

 面倒なことになったと思っているのかセシリアがあからさまに頭を抱えてみせる。

 

「利害が一致していたとは言え、やっぱり亡国機業と協力したのはマズかった?」

「いえ、この際、アメリカと直接敵対したのは問題としません。一夏さんが亡国機業とつながっているとアメリカに思われても、ISVSの中だけですのでテロリストとして逮捕という話にはならないでしょう。まだナターシャさんに庇っていただける範囲ですわ」

「じゃあ何が問題なんだ? それにタイミングって?」

「実はですね……」

 

 セシリアが立ち上がると同時にチェルシーさんが機材を用意して映像を投射する。

 そこに映されていたのはゴーレムとISの戦闘だった。ゴーレムという点さえ考慮しなければISVSで良くある光景とも受け取れる。しかし続くセシリアの言葉が加わることでこの映像が伝える意味が変わってくる。

 

「この戦闘は2日前に撮影された現実の映像ですわ」

「え……?」

「まだ公表されていませんが、1週間前から所属不明の無人ISが世界各地に出没しています」

「今日が最初じゃなかったのか」

「ええ。ゴーレムの攻撃対象が専用機持ちばかりでしたので一夏さんを狙うことはないと思いこんでいました。これはわたくしの落ち度でしたわ」

 

 セシリアの口調から棘が消えてしょぼんと凹んでしまっている。

 

「いや、一般に隠してることをべらべら喋るのもおかしいだろ。俺は一般人だし」

「一般人は迷宮に入りませんが……」

「そこは触れないでくれ。で、俺が迷宮に乗り込んだのが原因でゴーレムが現実の俺を襲ってきたってこと?」

「今はそう推測するしかありませんわ。おそらくは亡国機業が一夏さんに協力を求めたのも篠ノ之論文が狙いではないのでしょう」

「たしかにオータムは篠ノ之論文がアメリカに渡りさえしなければいいって言ってたな。俺が入手する方が都合が良いとも」

「その実、アメリカが篠ノ之論文を手に入れても構わなかったのだと思われますわ。エアハルトを失い、勢力が弱まった亡国機業の狙いは『敵の敵を作ること』。一夏さんも各国の専用機持ちも迷宮の番人であったゴーレムの攻撃対象となってしまいました」

 

 何かしら罠があるとは思ってたし、最初は俺とアメリカを敵対させるのが目的かと思ってた。その考えの方向性は間違ってなかったということか。

 あくまでセシリアの推測。しかし現状、俺はゴーレムに襲われている。さらに言えば、あの迷宮に攻め込む際、オータムは迷宮の中に乗り込もうとしなかった。その理由がゴーレムを操っている者の敵意(ヘイト)を自分たちに向けない意図があったというのも理屈としては間違ってない。

 

「セシリアはこのゴーレム襲撃をどう考えてるんだ?」

 

 亡国機業がゴーレムの裏にいるとは考えられない。少なくともオータムの派閥は関わっていないと言える。エアハルトの派閥はリーダーを失って勢力として存続できていない。他に有力な派閥があると考えるには今まで全く姿を見せていなかったことが気にかかる。

 俺は亡国機業は関係ないと思っている。

 

「今ある情報を組み合わせると『チグハグである』と言わざるを得ませんわ」

「チグハグ?」

「まず『ゴーレム襲撃を実行できる者は何者か?』という視点で見ると篠ノ之束博士以外に考えられません。旧ツムギの中枢に居られた千冬さんや宍戸先生に伺いましたがゴーレムとツムギには直接的なつながりは何もなかったようですので、篠ノ之博士以外は存在すら知らなかったのでしょう」

 

 やっぱり束さんが関わっていないとおかしいよな。そこは俺も否定する気はない。

 

「しかしながら『ゴーレム襲撃を実行して得をする人物』という動機の視点で追ってみると話は真逆になります。襲われているのは千冬さんも含めた専用機持ち、それも亡国機業と関わりの薄い国の方ばかりでした」

「束さんはツムギの中心だった。ツムギと亡国機業は敵対していたのだから束さんが亡国機業の利となることをするとは思えないってことだな?」

「そうですわ」

「何らかの方法で亡国機業の連中がゴーレムを操る手段を手に入れたとかは?」

「それは公開されていない篠ノ之論文が亡国機業の手に渡っているということになるのですが……」

「あ、悪い。そんなことになってたらもっと大事になってるよな」

 

 もし亡国機業がゴーレムとつながっているならオータムの行動と言動に合点がいかない。俺の感覚での話になるが、あいつらはこの状況に振り回されている側だと思う。

 ここでシャルが挙手して話題に入ってくる。

 

「今まで一夏の前で言っていいのかわからなかったけど確認させて欲しい。篠ノ之博士は表向きは行方不明とされてるけど、もう亡くなってるんだよね?」

 

 俺は何も言えずに固まった。

 ……そうだ。あの迷宮の奥で見た光景が束さんの記憶だったのなら、束さんは箒が昏睡状態になったあの日に敵の親玉と相討ちになっている。

 もう束さんは死んでいる。そんなことに今まで思い至ってなかった。ずっと目を向けようとしなかった。ISVSに出会ってからずっと俺はあの人の存在を傍に感じていたから。

 

「シャルロットさんの言うとおり、篠ノ之博士は今年の1月に亡くなっていると聞いています。しかしながら、現実で死んでいることから今の状況に関係ないと判断することはできません」

「どういうこと?」

「ナナさんの作ったツムギに所属していた方々の多くは昨年末に亡くなっています。しかし彼らの意識はISVSの中では生き続けていました」

 

 トモキたちのことだ。彼らは現実で死んだ後も現実と同じ意識を保って仮想世界の中を生きていた。同じことが束さんの身にも起きている可能性を否定することはできない。それどころか高い確率で束さんの意識がISVS内で今もなお生きている。

 

「実を言うと俺がISVSを始めてからずっと、ISVSに入る度に束さんの声が聞こえてたんだ。それだけじゃなくて富士山での戦いの時にはもっと直接的に束さんの意識みたいなものと会話もした」

「あのときの一夏さんが白騎士を使っていたことからも篠ノ之博士の関与を疑う余地はありませんわね」

「だからセシリアの言うように現実の束さんが死んでいるかどうかは関係ないんだと思う。だけど俺の話には続きがあって、あの白騎士を使ったとき以来、俺は一度も束さんの声を聞いてないんだ」

 

 束さん自身も俺に力を貸すのはこれで最後だと言っていた。俺が話していた束さんはきっと会話すらできない状態になっているのだと思う。だから俺の意見としては束さんが裏で糸を引いているとは思えないってことになる。

 

「一夏さんの中ではもう篠ノ之博士黒幕説は否定されているというわけですわね?」

「そうなんだけど俺の考えは身内贔屓も入ってると思うからセシリアはセシリアで考えてくれ」

「今のところ一夏さんの意見を否定する材料もありませんので、わたくしも篠ノ之博士を疑うのはやめておきますわ」

「でもそうなると僕たちの敵って誰なの? 亡国機業の残党でもないんだよね?」

 

 シャルの言うとおり、今の俺たちの敵が何者なのかが断定できない。そもそも敵の目的らしい目的が見えてこない。箒やラウラを捕らえている何者かが居るのに何のためか理由がわからないんだ。

 議論が行き詰まってきたところでピンポーンとインターホンが鳴る。重くなってきた空気を変えるのにちょうどいいタイミングだ。いつもならチェルシーさんに任せるところだけど今回は俺が直接来客に対応することにする。

 この時間に来るってことはきっと俺の客だろうし。

 

「一夏! ISに襲われたって本当なの!?」

 

 玄関を開けた先には鬼気迫る表情をした鈴がいた。

 

「見ての通り無事だ。それにしても情報が早いな。誰に聞いたんだ?」

「セシリアからよ! あの子もあの子で帰ってくるなら帰ってくるって一言連絡を寄越してくれても良かったのに!」

 

 すぐ後ろにいたセシリアの顔を覗いてみると申し訳なさそうに顔を伏せていた。これはわざとじゃなくて完全に失念していたんだろう。意外と抜けてるところもあるし。

 

「前も学校が襲われたけどあのときよりも今の方がひどいことになってたりしないわよね?」

「……正直、俺もよくわかってない」

「まあ、いいわ。立ち話もなんだから中でじっくり話をするわよ」

 

 そう言って鈴は遠慮なく我が家へと足を踏み入れる。まあ、いつものことなので止めるような真似はしない。

 鈴のことはさておき、俺は外にいる意外な人物に目を向ける。

 

「数馬じゃないか」

 

 数馬が俺の家を訪ねることは鈴や弾と比較すると珍しい部類だ。加えて数馬の背中に隠れている銀髪の少女がおどおどした様子でこちらを窺っている。

 

「突然来て悪い、一夏。取り込み中だった?」

「今はたぶん大丈夫だ。ついさっきまで大変だったけどな。ゴーレムに襲われたりとか」

「ちょっと待って! それ、全然大丈夫じゃないだろ!」

「いやいや。銀の福音に追い回されるよりは遙かにマシだろ」

「そ、それはそうかもしれない……」

 

 お互い苦労してるよな、と同時に溜め息を吐く。誰も好き好んでそんな危険な目に遭ってるわけじゃないのだが、いかんせんそうなってでも成し遂げたいことが俺たちにはあるのだ。

 数馬らも家に上げて今度は台所でなく客間に場所を移す。7人は割とぎりぎりな人数だが収容は可能だ。もちろん改装前の客間には入りきらないけどな。もうすっかり我が家らしくない。

 

「じゃあ早速だけどさっきの続きから――」

「待ちなさい、一夏。その前にすることがあるでしょ」

 

 何やら不機嫌な鈴が抗議の声を上げる。その視線の先はアーリィさん。

 そういえばさっきはアーリィさんに全く話を聞いてなかったから俺もアーリィさんがここにいる具体的な理由を知らない。

 俺と鈴の思惑を悟ってくれたのか、アーリィさんが口を開く。

 

「私はアリーシャ・ジョセスターフ。アーリィと呼ぶといいサ」

「えっ、それって……イタリア代表の!?」

 

 彼女は名乗る。それだけで鈴も数馬も彼女が何者なのかを把握した。

 ついでだ。俺の知らないことも聞いておこう。

 

「どうしてイタリア代表が日本に?」

「キミの護衛を依頼されてきたのサ、織斑一夏」

 

 そうじゃないかとは感じていた。でないとゴーレムに襲われている俺を都合良く助けるなんて出来はしない。まあ、護衛してくれてたのならもっと早く助けて欲しかったけども。

 しかしさっきのセシリアの様子だと彼女が手回ししたわけじゃなさそうだ。一体、誰が俺の護衛を頼んだのだろうか?

 

「初めはブラコンをこじらせたのかと耳を疑ったサ」

 

 少々呆れ気味に肩をすくめるアーリィさん。

 なるほど、千冬姉がやったのね。

 ……そういえば当の千冬姉本人はどこに行ってるんだろ? しばらく留守にすると言ったきりで最近は家に帰ってきてないけども。

 

「ゴーレムに狙われたことのある千冬さんと、イタリア代表ということが関係しているのか狙われていないアーリィさん。千冬さんが一夏さんの傍に居ては逆に危険に巻き込む可能性が高かった。さらに言えば暮桜は敵を倒すことに特化している機体であって何かを守ることには向いていませんし。だから欧州でのアーリィさんの仕事を千冬さんが代わりに行っているというわけですわね」

「その通りサ。おかげで楽させてもらってる。あっちはゴーレム退治で東奔西走してるらしいからネェ」

 

 要するに千冬姉とアーリィさんはお互いの仕事を交換したようなものか。国の隔たりを越えてこのような真似をしている辺り、ISの国家代表という人たちは意外とつながりが深いのかもしれない。

 一番意外だったのは束さん以外にも千冬姉が対等と思っている人が居たことか。自分で言うのもなんだけど千冬姉が他人に俺のことを頼むのはよっぽどないし。

 

「その人がここにいる理由はわかったわ。でも千冬さんはどうして一夏が襲われるかもしれないと考えたのかしら?」

 

 鈴の疑問はごもっとも。俺自身、狙われるような心当たりが昨日発生しただけでそれ以前に予測することはできなかった。アーリィさんの口振りだともっと前から護衛してくれてたことになるんだけど、千冬姉は何から俺を守るつもりだったのだろうか。

 

「私は頼まれただけサね。特に聞いていない」

「わたくしも一夏さんが襲われたこと自体が想定の外でしたのでわかりませんわ」

 

 これは千冬姉本人に聞いてみないとわからないか。もしかしたら千冬姉は俺たちに見えていない敵の正体に推測が立っているかもしれない。

 

「……織斑一夏が狙われることは必然でした。織斑千冬が警戒するのは無理もないでしょう」

 

 セシリアすらわからないと言っているところへ意外な声が上がる。声の主は椅子に座ることもせず数馬の背中越しにこちらを窺っている小さい少女。

 

「俺が狙われるのが必然?」

 

 問い返すと彼女はビクッと大きく反応した後で数馬の背中に隠れてしまった。

 ……俺、怖がられてるのかな? この子に関しては心当たりだらけなのだけどもちょっとショック。

 

「織斑一夏はギドも博士も倒した。この情報を全ての遺伝子強化素体が共有していて、最大の脅威と見なしているのは博士のいなくなった今でも変わらないの」

 

 隠れたままでも返答だけはしてくれている。その内容にはちょっと引っかかることがあった。

 

「俺はゴーレムに襲われたんだけど、どうして遺伝子強化素体が関係しているんだ? ゴーレムと亡国機業は関係ないはずだろ?」

「そう、亡国機業なんてもう関係ない。遺伝子強化素体が亡国機業にしかいないと、本気で思っているの?」

 

 言われて気づいた。エアハルトの印象が強かったせいで俺の中に『遺伝子強化素体=亡国機業』のイメージが強く根付いていたことに。

 ゼノヴィアは『ゴーレムを扱っている者が遺伝子強化素体である』と言いたいだけであって、それが亡国機業の者だとは言っていない。

 

「遺伝子強化素体の中でも私やラウラのような後期の個体はクロッシングアクセスとまではいかなくても互いの状態がなんとなくわかるようにできている。一種のテレパシーみたいなものかな。そのラウラから伝わってくるの。彼女は博士とは別の遺伝子強化素体の支配下にいる。ゴーレムと同じ命令を受けて行動にも移してる」

 

 亡国機業以外に遺伝子強化素体はいるのか。その答えは身近にもある。宍戸先生が遺伝子強化素体なのだから他にもそういう遺伝子強化素体がいる可能性は十分にある。

 ゴーレムとつながりのある遺伝子強化素体。そして俺だけが見てきた束さんの記憶。この2点から導かれる答えは1つ。

 

 クー。

 束さんにクロエ・クロニクルと名付けられ、ナナたちの傍にいたあの子だけがゼノヴィアの言う敵の条件に当てはまる。

 ……俺には信じられないことだけどな。

 

「私の使命はこれでお終い。数馬、帰ろ?」

「え? 使命って、それだけを言いに来たん? 俺が一夏に伝えるだけでよくない?」

「私が直接伝えることがラウラの願いでもあったから。あとは織斑一夏に任せて私はお家で朗報を待ってるのが一番なんだよ」

 

 なぜかゼノヴィアはやたらとこの場を離れたがっている。数馬が俺に申し訳なさそうな目を向けてきたから、一緒に帰ってやれと目で返事をしておいた。頷いた数馬はゼノヴィアを連れて客間を出ていく。

 そんな彼らを見送っていると隣に座っている鈴が俺に耳打ちをしてきた。

 

「アンタ、あの子に相当嫌われてるわよ? 何かしたの?」

「いや、まあ……一時期は敵だったから殺す気で立ち会った過去があるかな……」

「ああ、そういうこと。誤解じゃない分、この溝を埋めるのは難しそうね。いつか謝っておきなさいよ」

「そうするよ。箒を取り戻してからな」

 

 と俺と鈴が話している間、数馬たちが出て行く直前にゼノヴィアが何やらセシリアに手渡していたのが見えた。どうやらメモリスティックか何からしい。2人がいなくなった後、中身をチェックしていたセシリアが眉を(ひそ)める。

 

「こんな施設があったのですか……」

「ゼノヴィアから何を渡されていたんだ?」

「亡国機業の隠された施設の座標とその詳細が記されていますわ。現時点でわたくしたちの目に触れていない場所なのは間違いありません」

「でも今更亡国機業を調べる必要があるのか? さっきのゼノヴィアの話を聞く限りだと亡国機業以外に敵がいると思っていいと思うんだけど」

 

 俺の中で具体的な候補がいることは伏せておく。まだそうだと断言したくない。

 

「いえ、わたくしたちは見に行くべきでしょう。もしかしたらわたくしたちは思い違いをしていた可能性があります」

「思い違いって?」

「それは現地で確認してからにしましょうか。皆さん、今からISVSに行きますが構いませんか?」

 

 今、この場にいるメンバーは俺、セシリア、鈴、シャル、アーリィさん。その全員が頷く。

 

「チェルシーたちは現実(こちら)に残り、わたくしたちの安全を確保するように。いいですわね?」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 半ば逃げるようにして一夏の家を出てきた数馬たち。数馬としては中途半端なところで投げ出したようでもやもやしている。それが顔に出てしまっていたのか、前を歩いていたゼノヴィアが振り返ると足を止めた。

 

「ごめんね、数馬。私の我が儘で振り回しちゃって」

「いやいや。今日はゼノヴィアのために出てきたからこれでいいよ」

「でも数馬は織斑一夏と一緒に戦いたいと思ってるよね?」

「それはそうだけど優先順位はゼノヴィアの方が上だから」

 

 ゼノヴィアが一夏の傍に居たがらないのは誰の目から見ても明らか。数馬はそんなゼノヴィアの心情を無視するような真似はしない。

 

「一夏のことが知りたいって言ってたけど、何かわかった?」

「良くも悪くも真っ直ぐで、ついでに言えば鋭利で危なっかしい。鞘のない刀って感じだった」

「変わった例えだね。でも俺もそんなイメージだ」

「博士も似たところがある。違うのは博士は悪人だけど優しい人でアイツは善人だけど怖い人」

「ああ、ゼノヴィアから見るとそんな感じなんだ……というかそれだと悪人と善人ってどんな定義なんだろ……?」

 

 結局のところ、数馬にはゼノヴィアを理解しきることは難しいのかもしれない。もっとも、人が他人を理解しきることなどそうそうあり得ないのではあるが。

 とりあえず彼女の変わった感性はさておき。数馬にはそれよりも気になることがあった。

 

「そういえばセシリアさんに何か渡してたけど、あれは何なん?」

「あれも使命の1つ。ウォーロックがイロジックからサルベージしていたデータの一部を渡した」

「イロジックの? それはまたどうして?」

「さっきも言ったけど、博士はIllの全てを知らない。最強のIllだったギド・イリーガルがなぜ生まれたのかすらも博士は知らなかったんだ。ギド自身もたぶん自覚はしてなかっただろうし」

「へ? どういうこと?」

 

 部分的にしか事情を知らない数馬ですらもゼノヴィアの言っていることには違和感を覚えた。

 戸惑う数馬に対してゼノヴィアは得意げな顔をして言い放つ。

 

「そもそも博士は黒幕なんかじゃなかったってことだよ」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 家からISVSに入るときの恒例だった束さんの声はやはり聞こえない。

 少々の寂しさすら感じながらやってきた場所は樹海の奥深くに隠されていた地下施設だった。獰猛な生物はおろか虫一匹もいない静かな木々の間を通って、機械仕掛けの入り口を破壊して乱暴に入場する。

 

「なんかラピスらしくない入り方ね。壊すのならあたしがやったのに」

「ここから出る頃にはリンさんもどこか壊したくなっていると思いますわ。ここはそれだけの場所です」

 

 セシリア――ラピスがまるで無人の野を行くが如く先頭に立って突き進む。その姿もいつもの冷静で用心深いラピスとは異なっていた。

 だから俺はラピスの肩を掴んで引き留める。

 

「先頭は俺の役目だろ? 何に苛ついてるのかは知らないけどまずは落ち着けって」

「……そう、ですわね。そうでしたわ」

 

 やはり気が立っていたらしい。しかしラピスがこれほど静かに怒りを露わにするのも珍しい。一体、この施設がなんだと言うのだろうか?

 

「そろそろ話してくれない、ラピス? 何か確証が得られるまで話さないのはラピスらしいとは思うけど、ここまで来てそんな態度を見せられたらさすがにこっちは不安になるよ」

 

 普段は黙って聞き役に徹するシャルルにまで言われてはラピスからも反論が出にくい。ラピスは一度目を閉じて何かを断ち切るように首を左右に振ったかと思うとポツリポツリと語り出す。

 

「……ヤイバさんはナナさんたちと出会った頃のことを覚えていますか?」

 

 先頭で歩いている俺はラピスの話を背中で受け止めていた。

 

「覚えてるに決まってる、と言いたいところだけど具体的には何の話なんだ?」

「当時、ISVSの中だけの『ナナさんたちのツムギ』を知る人はほぼ皆無でした。千冬さんや宍戸先生すらもナナさんたちの助けを求める声を聞くことができていなかったのです」

「そう、だったな。俺とラピスがプレイヤーで初めて彼女たちの力になったんだ」

 

 もうかなり昔の話のように聞こえる。おそらく束さんが仕組んだことで俺はISVSの中で生き残るために戦っているナナたちと出会った。

 

「では当時のナナさんたちの取っていた行動は覚えていますか?」

「たしか同じ境遇の仲間を集めてたんだっけか。俺たちが合流する頃にはもう終わりの頃だったみたいだけど」

「集めていた……正確には『囚われている仲間を救出していた』と言い直すべきでしょう。ここで少し気になることはありませんか?」

 

 気になるところと言われてもピンと来ない。強いて言うならラピスがわざわざ言い直した理由が気になると言えば気になる。

 

「では少し違う面からも考えてみましょうか。そもそもヤイバさんがエアハルトと戦うことになった原因は何だったでしょうか?」

「奴がナナを狙っていたからだ」

「そうなのですがそれは最初からそうだったわけではありません。彼の言動から考えられるツムギを襲ってきた最初の理由は倉持技研への報復でしょう。エアハルトはわたくしたちと戦う中でナナさんの存在を知り、単一仕様能力である絢爛舞踏を利用するという目的に途中で置き換わりました」

「エアハルトがナナを知ったのはツムギに攻撃を始めてからだったってのは俺も知ってる。それの何がおかし――」

 

 自分で言ってて気がついた。

 いや、俺が気づけるようにセシリアが誘導してくれたという方が正しい。

 

「ナナたちを狙っていたのは誰だ……?」

「は? ヤイバ、何言ってんの? エアハルトとかいう奴がって、さっきまで言って――」

「いや、タイミングの問題だ、リン。俺がプレイヤーの皆を引き連れて戦う頃はもうエアハルトとの戦いでしかなかったから気づかなかった。イルミナントを倒す前、エアハルトは俺のことだけでなくナナすら眼中になかったんだ。これが事実ならエアハルトよりも先にナナたちを追い回していた何者かが存在することになる」

 

 俺が具体的にその場面に遭遇したのはラウラがナナたちを追っていたときと俺が初めてエアハルトと戦ったときだ。ラウラはミューレイからの依頼だったと言っていたからてっきりエアハルトからの依頼だと思いこんでいた。

 しかしエアハルトと初めて戦ったときはナナを狙う執拗さのようなものを全く感じなかった。奴がラウラに依頼した人間ならば、あれほどあっさり引き下がったのは妙としか言えない。

 

「で、それがどう今につながるわけ?」

 

 リンはまだピンと来ていないようだ。

 ……実を言うと俺もまだラピスの意図を理解し切れてるわけではない。

 

「……ここはISVSから出られなくなった人たちが捕らえられていた牢獄なのです」

 

 そうラピスが言った直後、タイミングを計っていたかのように俺たちの目に飛び込んできた光景は正しく牢獄に相応しい鉄格子が張り巡らされた空間だった。

 今は誰もいない。それもそのはずだ。新ツムギのメンバーと同じ境遇だった彼らはこの間の戦いの後、解放されているはずだから。

 ――という俺の想像すら甘かった。

 

「遺伝子強化素体の間では“ギドの食料庫”と呼ばれていたそうですわ」

 

 ラピスの語る通称の時点で何が起きていたのかを察する。力を高めるために共食いのような真似までしていた奴のことだ。ここに人間が捕らわれていたのならば最終的な使い道は限られている。そして、それは俺の知るIllの被害とはまた別物だったことだろう。

 胸糞悪い話だ。ようやくラピスの憤りを俺も理解したよ。

 

「連中は強い遺伝子強化素体を作り出すために手段を選んでいなかった。奴らはプレイヤーよりもナナたちのような存在を狙っていたってわけか。おそらくは『足がつかない』というただそれだけの理由で」

「いえ、それ以外の利点もあるのでしょう。おそらく敵のIllの中に強力な個体が生まれていることにもつながっていると思われますわ」

 

 俺よりも前に出たラピスがある牢屋の前で足を止める。

 

「ゼノヴィアさんから渡されたデータによればこの中にはまだ捕らわれていた人が残っていたことになっています」

 

 当然ながらラピスの視線の先にある牢屋の中は空っぽ。

 しかし当然と思ったのは俺だけのようでラピスは訝しげな目を向けている。

 

「あの戦いの後にこの世界から解放されたのなら、アバターのみが消失するはず……なぜこの牢屋は開いているのでしょうか?」

 

 言われて気づく。空っぽの牢屋が開いていること自体に違和感はないが、元々閉じているはずの場所をわざわざ開く理由は何かと尋ねられると答えられない。

 誰かがいたはずという情報と照らし合わせるとそれは違和感へと変わる。

 

「ゼノヴィアさんには敵の正体がある程度掴めているのかもしれませんね。放棄されたはずの施設に入り、この牢屋を開ける必要のあった人間がいた。そしてそれは北極での決戦の直前、あるいは戦いの最中だった」

「エアハルトが来た――にしては妙だって話だな」

「エアハルトの使っていたIllはナナさんの絢爛舞踏とつながっていました。人を喰らう必要のない状態でしたのでこの施設を使う理由はありません。それに、おそらくエアハルトはこの施設に関与すらしていないでしょうし。もし知っていればあの黒い霧……ファルスメアをもっと早く運用していたでしょうから」

「エアハルトとは別に遺伝子強化素体にエネルギー源を供給して、かつ俺たちが決戦に臨んでいる間、密かにここにやってきて捕らわれていた人たちを喰らっていた何者かがいる。そして、そいつの正体を俺たちは把握していなくてまだ野放しになっているってわけか」

 

 Illのことを知っている敵がまだISVSに潜んでいることは間違いない。

 ……その人物とはクロエなのだろうか? しかし彼女は最初、ラウラに狙われていた。そのラウラはミューレイからの依頼だったという。ミューレイとクロエがつながっているとは考えづらい。

 クロエとは別に暗躍している奴がいる。そう考えておくべきだろう。

 

「そろそろお暇した方が良さそうサね」

 

 これまで黙ってついてきてくれていたアーリィさんが奥の方へと進み出ると同時に周囲に暴風が吹き荒れる。不安を煽る風切り音が否応なしに俺たちの緊張を高めてきた。

 すると俺たちの視界にゆっくりと第三者が姿を見せる。ISにしてはやたらとすっきりしていて、パワードスーツを纏った人間と言うよりもマネキンと言った方が近い。軽量な全身装甲(フルスキン)かと思えば、関節部分が異常に細くて人が中に入っていないことは明白だった。

 

「ゴーレム!? しかもコイツは――」

 

 ツムギの迷宮に潜った後、楯無さんから聞いていた。普通のゴーレムよりも人形っぽいスラリとした外見とその戦闘能力を――

 

「気をつけろ! なんかヤバそうだ!」

 

 なぜこの場にゴーレムが居るのかは今はどうでもいい。問題はゴーレムが明確な敵意をこちらに向けていることにある。

 ゴーレムの手には1本の槍があるのみ。その切っ先をこちらに向けて後ろに引いて構える。

 

「……我は先鋭に恐怖する(アイクモフォビア)。故に我はこの矛先を汝に向ける」

 

 敵はどう見ても接近戦型という見た目をしている。まだ中距離といえる距離が開いている今、俺は雪片弐型を取り出して迎撃の用意をした。

 強敵を想定し、槍という武器を所持していることから俺が飛び出すのは下策。そう判断する定石が身についていたからこそ、俺は前に出なかった。

 だから俺は何もできなかった。

 

「え……?」

 

 敵は一歩も動かずに槍を前に突き出した。ただそれだけであり、何かしらの飛び道具が放たれた形跡もない。傍目には敵の攻撃が空振りしただけに見える。

 だがその瞬間にラピスのブルー・ティアーズが機能停止した。

 誰もが呆然とする中、ただ一人、アーリィさんだけが叫ぶ。

 

「下がるのサ!」

 

 言われてからようやく体が動く。身動きがとれず、ISVSからログアウトもできないラピスを抱えた俺はこの施設から離脱するべく出口へと急ぐ。

 ――セシリアは絶対に守ってみせる。

 だが敵もそれを易々と見逃してはくれない。原理も不明な謎の攻撃の射程は全くわからないがまたその場を動かずに同じ動作で突きを繰り返そうとしていた。

 

「させないよ!」

 

 シャルルが装備をガーデンカーテンに換装して俺たちを守りに入った。幾重にも張られた盾はイリシットの攻撃の全てに耐えきったという実績もあった。

 そこへ敵の突きが放たれる。何かが飛んでくることもなく、ISのセンサーから見ても異常は何もない。盾を構えたところで何から身を守るのか俺たちには理解が追いつかなかった。

 だからだろうか。俺にはこの結果も見えていた。

 

「リン! シャルルを連れてきてくれ!」

「わ、わかったわ!」

 

 シャルルのリヴァイヴ改も一撃で機能停止に追い込まれた。展開していたシールドは全て無傷でENシールドにも何かを受けた形跡はなし。ISVSで使われる装備に該当する武器は存在しない。

 単一仕様能力か新兵器か。その正体は不明だが、通常の防御方法が通じないことだけは確定したも同然だった。

 現状、俺がラピスを、リンがシャルルを抱えている状態となっている。これではとても敵と戦えない。そして、まともに逃げきれるとも思えない。

 

「キミたちは逃げるといいサ。私はそのためにここにいる」

 

 だけどまだ手詰まりじゃなかった。幸いにも今は俺たちだけじゃなくてランキング2位のアーリィさんが居てくれる。俺の護衛に来てくれているという彼女は自分から進んで殿(しんがり)を買って出てくれた。

 ここはお言葉に甘えよう。楯無さんが苦戦するようなレベルの相手なら下手に俺たちが居るよりもアーリィさん単独の方がマシだろうし。

 

「気をつけてください」

「問題ないサね!」

 

 力強い返事を聞いて俺たちはこの場を後にした。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 アーリィは一人で残った。千冬から依頼された『織斑一夏の護衛』を果たすにはISVSにおける『ヤイバの護衛』もする必要がある。ただゲームをしているだけならば問題などないのだが、相手がIllの領域を展開するゴーレムであるのなら危険だと判断するには十分だった。

 否。依頼されたから戦うというのはもう建前でしかない。

 

「もっと早くこの祭りに参加したかったのサ」

 

 ただ純粋に織斑一夏を気に入った。IS同士の戦闘すら単なるスポーツとされてしまったこの世の中で、自らの存在意義すらかけた本気の戦いを日本の高校生がしている。その事実に嫉妬すら覚えた。

 屋内だというのに空気が渦を巻き、暴風が吹き荒れる。肌を裂きかねない風が吹き付けられる中、細身のゴーレム、アイクモフォビアは槍を構えたまま微動だにしない。

 中腰のアイクモフォビアから槍が放たれる。中距離からの素振りにしか見えないその攻撃は対処法を悟られることもなくラピスとシャルルを倒した。この攻略法を見つけない限り、ヴァルキリーと称されるISVSトッププレイヤーであっても敗北は免れない。

 槍が振り切られた。対してアーリィはその場を動かなかった。結果――

 

 お互いに何も起きなかった。

 

 これを受けてアーリィはほくそ笑む。

 

「これで威力の高いだけの単純な攻撃でないことは確定サね。それどころか実体としての攻撃は全くないことが証明されたのサ」

 

 このただ一度のやりとりでアーリィは敵の攻撃の正体におおよその察しがついていた。この洞察力は決してアーリィが特別だからではない。ISVSにおける高ランク同士の戦いは相手の単一仕様能力の正体を見抜くことから始まる。その当たり前を実践しているに過ぎない。

 逆にアイクモフォビアはもう一度必殺の槍を放つ。なぜ攻撃が通じないのかを分析する思考はあれど、答えを導くことはできず同じ行動を機械のように繰り返す。いや、機械そのものだった。

 もちろんアーリィのテンペスタは全くダメージを受けない。その理由は至極単純。この場に立っているアーリィは実像でなく、風を操る単一仕様能力“暴風疾駆”によって空気中の屈折率を複雑に操作して生み出した精巧な陽炎(かげろう)に過ぎないからだ。

 威力の低いハンドガンでも揺らいでしまう程度の淡い分身。にもかかわらずアイクモフォビアの攻撃は陽炎を消すことすらできなかった。このことから敵の攻撃が通用するのは槍を突き出した直線上に存在するISに対してのみとわかる。

 敵の攻撃の具体的な正体を把握していなくとも対処法さえわかれば問題ない。アーリィはブリュンヒルデと違って搦め手も使える万能タイプ。このまま敵の前に姿を見せずとも一方的に攻撃を加えることなど造作もない。

 攻守交代。風が渦を巻き、螺旋の槍となってアイクモフォビアへと殺到する。アイクモフォビアは槍で弾くような真似をせず竜巻の槍の隙間を縫うようにして移動する。

 移動。それはアイクモフォビアのAIが方針転換したことを意味する。槍を携えたまま低姿勢でアーリィへと矢のように飛びかかっていく。

 狙われたアーリィは見せかけだけの分身。回避行動も取らずに敵の槍を受け入れ、乱された空気と共に雲散霧消した。

 たとえ人形と言えど、手応えの無さは明確に判断できる。ISのセンサーも騙す幻を使う相手だと学習し、奥の手の無駄打ちをすることはなくなる。

 同時に身を隠していたアーリィの姿をも捉えた。この時点で必殺の槍を放つこともできたが、念には念を入れるためアイクモフォビアは接近戦を選択する。ここまでの戦闘で遠距離からの搦め手を多用されたが故に。

 居場所がバレたアーリィのすることは変わらない。竜巻の槍を複数、アイクモフォビアめがけて発射するのみ。決して直線的でなく、視認しづらい風の槍をアイクモフォビアが的確かつ最小限のジグザグした軌道で接近する。

 接近を抑えられない。攻撃が失敗してからアーリィは飛び退くももう遅い。槍の名手であるアイクモフォビアの一撃がアーリィの喉元に突き立った。

 今度は手応えがあった。さらに言えばアイクモフォビアの槍の効果である『突きを向けられた対象ISのストックエネルギーが枯渇するまで絶対防御を誤作動させる』という対IS限定の幻覚も加わり、打ち倒せないISは存在しないと断言できる。

 テンペスタが光の粒子と共に消えていき、胸元の大きくはだけた着物姿のアーリィが投げ出された。ISを失って無力な生身。ISVSにおいてはそうなる前に自動でロビーに転送される安全装置が働いているのだが、アイクモフォビアが展開するIllと同じワールドパージの中では効力を発揮しない。

 アイクモフォビアは槍を持っていない右手でアーリィの左手を引っ張り上げる。無抵抗なまま宙に吊られたアーリィの顔の正面にのっぺらぼうな顔を近づけたかと思えば、その部位なき無表情は豹変した。

 口が開いたのだ。顔の表面にジグザグと切れ目が入り、ギラギラとした牙となって上下に開く。

 何のために口を開いたのか。その答えはヤイバがこの場に居たとすれば容易に連想したことだろう。

 ……イルミナントに敗北したあのときを。

 怪物としての本性を露わにしたアイクモフォビアは機械らしい無機質さでアーリィの首もとにその牙を突き立てた。

 

 しかしここで異変があった。

 生身のはずのアーリィに牙が通らない。

 

「機械すらも魅了してしまったのかネぇ。でもがっつき過ぎる男は嫌われるのサ」

 

 その声はアイクモフォビアの捕らえていたアーリィから発されたものではなかった。周囲から風の槍が殺到してアイクモフォビアの細身の体に風穴を開けていく。

 アイクモフォビアの掴んでいたアーリィは風と共に砂のように消えていった。

 アーリィの策は実に簡単なこと。アイクモフォビアに見つかった体も分身だったというだけの話だ。しかし今度は最初の陽炎と違い、槍の接触に合わせて高密度の空気をぶつけて硬さを演出し、さらにはテンペスタが解除される幻像をも見せつけた。質の劣る分身を事前に見せておくことで、アーリィの創り出す分身の限界を誤認させ、本命の分身を本物だと勘違いさせたわけだ。

 

「それにしても状況はブリュンヒルデの想定に近いようサね。ゴーレムとIllが融合してるということは……」

 

 もう戦闘は終わった。アーリィが右手を強く握ると蜂の巣になったアイクモフォビアがバラバラに砕け散る。

 勝利したアーリィは次を見据えて行動を開始する。まずはこの場から離脱し、ブリュンヒルデと連絡を取る必要がある。

 

「最悪の事態は目の前に迫っている……信じたくなくても受け入れるしかなさそうサ」

 

 表情の明るさに反した重苦しい溜め息を吐いてログアウトした。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 夕食を終えてから寝室へやってきた俺はそのままベッドにダイブする。アーリィさんに全部任せて逃げ帰ってきたとは言え、何度やってもログアウトが自由にできない場所にいるのは精神的に疲れる。慣れることはなさそうだ。

 結局のところ、今日の収穫は『エアハルト以外に裏で糸を引いていた黒幕がいる』だろうとわかったことくらい。エアハルトを倒したところで何も終わってないことを再確認した。そして、新たな黒幕はエアハルトよりも前からナナたちを狙っていた節が見られる。

 俺の戦いはまだ終わってなどいない。

 

「一夏さん?」

 

 ノックの音とともに廊下から俺を呼ぶ声がした。セシリアだ。皆のいる夕食の場でなく、部屋に戻ってからわざわざ訪ねてきたということは少し踏み込んだ話でもするということか。

 すぐに出迎える。すると彼女は顔を伏せたまま何も言わずに部屋の中にまで入ってきた。

 俺は首を傾げつつも彼女をそのまま迎え入れる。俺の部屋にある唯一のイスを譲り、俺はベッドに腰掛けた。

 

「どうしたんだ、セシリア? 何かヤバいことでもあったのか?」

「…………」

 

 セシリアは何も言わず、顔は俯いたまま。両手は膝の上でそれぞれ拳を作っていてわなわなと震えている。

 ……これは怒っているのだろうか? しかしゴーレムに襲われたこととかはもう怒られた後だし、今度はあまり心当たりがない。困ったなぁ。

 

「……先程の戦闘をどう思われましたか?」

 

 やっと口を開いてくれたかと思えば、さっきの戦闘の感想ときたか。

 何もせずに逃げ帰っただけだからあまり深いことは言えそうにない。

 

「楯無さんからもチラッと聞いてたけど、妙な性能のゴーレムだったな。強いというよりも、わからないって感じ」

「わからない……そうですわね。わたくしも同じ思いです」

「やっぱりあの槍の攻撃はセシリアも知らない武装だったってこと?」

「いえ、想像はついていますわ。あれはおそらくコア・ネットワークを利用して対象ISの機能に不具合を生じさせる一種のコンピューターウイルスでしょう。兵器としての構想こそ存在していますが、実現にはほど遠いものを敵が実用化しているのです」

 

 目に見えない攻撃の正体はウイルス……? つまり、あの槍の動作をしておいて、実際にはコア・ネットワークから攻撃を加えてきてたってこと?

 話を聞いても俺にはどう対処すればいいのか皆目見当もつかない。

 

「ところで用件は敵の新型ゴーレムのことなのか? だったら他の皆がいるときの方がいいと思うぞ」

 

 セシリアの話は俺にだけ話すような内容じゃない。そのことを指摘するとなぜかセシリアは黙りこくってしまう。

 

「他に本題があるんだろ? 心の準備はできてるから遠慮なく言ってくれ」

 

 可能性が高いのは悪い報せの方か。ツムギの真実を聞いたときもこんな風にセシリアと二人きりのときだったし。

 

「……ったんです」

 

 ボソっとした声が床の方へと消えていく。何と言ったのか全く聞き取れない。

 いつもはっきりと物事を言うセシリアにしては珍しい。

 俺は彼女の両肩を掴んで問いかける。

 

「セシリア。相手の目を見て話せって言ったのは君だったろ?」

 

 すると俯いていた顔がゆっくりと上向いた。

 セシリアらしくない弱気そうな顔はそこになく、優しげに微笑んでいる。

 

「一夏さんの顔を見たかったんです……」

「顔? 今日会ってからずっと顔を合わせてるだろ?」

「……ハァ。やはり気づいてはもらえませんか」

 

 美しい笑顔から一転、盛大に溜め息を吐かれてしまった。

 俺は何かやらかしたのだろうか。しかし考えてもわからないものはわからない。 

 

「手を握ってもらえますか?」

「あ、ああ」

 

 言われるままに差し出された彼女の右手と握手する。

 ……ああ、そういうことか。これは気づかなかった俺が悪くないとは断言できない。

 セシリアの手は震えていた。

 

「俺、セシリアに無茶させてるのか……」

 

 セシリアはIllに関してトラウマがある。イルミナントを倒してチェルシーさんが帰ってきても、それが直ったとは限らないのに……俺の都合に長々と彼女を付き合わせてしまっている。

 だからといって、俺は彼女に『もう関わるな』なんて言えない。

 ここまで俺が戦えてきたのはセシリアの支えがあったからだ。セシリアがいなかったらイルミナントを倒せなかったし、ナナたちと関わることすらできなかった。箒を見つけることすらできなかっただろうし、エアハルトにも勝ててない。

 

「ごめん。無茶させてるのを承知でも俺はセシリアに力を貸してほしいと思ってる」

「わたくしも一夏さんの力になりたいと思っています」

「強がりじゃないか?」

「そうかもしれません。ですが、今、勇気を分けてもらいました。まだまだやれますわ」

 

 握っている彼女の手はもう震えてない。最初の頃と比べて俺のことを信頼してくれてるんだと思うと胸が暖かくなる。

 

「勇気か。それを貰ってるのは俺の方だよ。セシリアが見てくれていると『なんとかなる』ってそう思えるんだ」

「ではナナさんを救い出すそのときまで見届けなくてはなりませんわね」

「ありがとう、セシリア」

 

 この後は他愛のない話ばかりした。小学生時代の箒の話とかセシリアが代表候補生になるまでの話とか昔の話を中心に。本当に大した話をしにきたわけじゃなかったらしい。

 

 ――翌朝。

 俺たちの元に待ち望んだ報せが届くことになる。

 だけどそれはとても朗報と呼べるものではなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 クリスマスを過ぎた年の暮れになってもISVSの勢いは止まることはない。むしろ休暇となったプレイヤーでどこのロビーも溢れかえっている状況となっている。世界のどこでもそれは同じで、アメリカ西海岸のロビーも非常に混雑していた。

 盛況なロビードームを遠方から見据える影がある。漆黒の甲冑という無骨な姿ではあるが、頭部には兜どころかISらしいバイザーも見受けられない。唯一露出している顔は無骨な鎧に似つかわしくない少女のもの。銀髪の少女はその左目の眼球だけが黒く染まっていた。

 

「のんきな笑い声が外にまで響く。この平和な時間がいつまでも続くといいですよねぇ?」

 

 無言を貫く甲冑の少女の傍らにいるフードを目深に被ったコート姿の男が下卑た笑い声を発していた。ISを装備していないように見えるその男の両目は漆黒の眼球に変貌している。

 

「さーて! お祭りの狼煙を上げるとしましょう! 盛大にっ!」

 

 男の言葉が合図だった。甲冑の少女は消えたかと錯覚するほどの急加速でロビードームへと向かっていく。それに続くようにして無数の物言わぬゴーレムたちが飛び出していった。

 

「終わりの始まりだ!」

 

 一瞬のうちに戦場と化したロビー。その様を眺めているハバヤの高笑いが響く。


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