Illusional Space   作:ジベた

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39 不退転の極地

 北半球は冬が到来している。温帯気候以外は冬と呼ばないであろうが、日照時間には明らかに影響がでる。つまり一際冷え込む時期となっているのである。

 北極海には大陸などない。しかし極度の低温により海面は分厚い氷を形成し、即席の大地と化している。衝撃で割れてしまう不安定な土地は普通ならば人が通ることが推奨されない危険な場所であった。

 天候にも恵まれていない。空は灰一色の曇天。降雪の勢いは留まるところを知らず、体に打ち付ける雪はまるで凍てつく矢。防寒着でどうにかなる程度の冷気ではなかった。

 

 この悪辣な環境で無数の光と銃弾が飛び交っている。猛吹雪に混じって空を飛び回っているものはIS。仮想世界といえど寒さも本物であるのだが、過酷な寒さも希代の大発明の前には無いも同然であった。

 ISの軍勢が攻撃を仕掛けている。その対象は北極海の氷の大地にそびえるマザーアース“ヴィーグリーズ”。レガシーを基点とした拠点型マザーアースであり、その規模はトリガミのヤマタノオロチを軽く凌駕する。正しくIS要塞と呼ぶべき様相であった。

 AICキャノンやENブラスターが立ち並ぶ脅威の対空火力を前に接近がままならない。飛びながら使用できるISの火器はヴィーグリーズのものと比べて出力が低く、猛吹雪によってさらに威力が低減されていた。操縦者は吹雪の影響を受けていなくとも、銃弾まではカバーされていない。射程の差により有効な攻撃ができずにいた。

 そして駄目押しとなるのが空に浮かぶ箱である。ヴィーグリーズ防衛のための空中母艦“ナグルファル”。迎撃用のリミテッドを戦場に展開するだけでなく、内部に搭載されている量産型Ill“ミルメコレオ”を適宜発射する。視界は悪く、反応が遅れるIS部隊に撃ち込まれた自爆Illの光は遠方からも確認が容易だった。

 

 

 所変わってツムギのロビー、転送ゲートの前。ここにはラピスを始めとするプレイヤーのリーダー格が集まっている。そして先遣隊として送り込んだ蒼天騎士団が戦う映像を眺めていた。

 

「やはり大がかりな作戦もなしに落とせるような代物ではありませんわね」

 

 ラピスが呟く。元より先遣隊のみで突破できるとは思っていなく、彼らの最大の役割は敵戦力を見極めるための咬ませ犬である。

 現状で把握できているものは攻略対象である敵拠点ヴィーグリーズ。ヴィーグリーズを空から守る空中母艦ナグルファル。また、ヴィーグリーズの両翼には砲台型マザーアースであるルドラがあり、6機のカルキノスも確認されていた。

 これ以上のマザーアースの参戦は考えにくい。ラピスは先遣隊に撤退の指示を出してロビーに集まっているプレイヤーたちと向き合う。

 

「ではこれより本格的な侵攻作戦を開始します」

 

 誰も異論は挟まない。むしろ早く先を話せという空気で満たされている。

 

「先ほども言ったようにヴィーグリーズへの接近は困難を極めます。吹雪という環境下による有効射程の差や速度重視ユニオンの運用ができない点はもちろんですが、最大の難関は空にあると言えますわ」

「あの母艦か。この吹雪の中でも存在がわかるくらいにはデカいよな」

 

 映像を指さしながら(バレット)が反応する。

 最上会長(リベレーター)も続く。

 

「本丸の前に敵の空中母艦を落とす必要があるってわけだね。敵に大量破壊兵器がある限り、こちらの動きがかなり制限されてしまう」

「要塞側にも大量破壊兵器があったら、どちらを攻めるにせよ難度が変わらない気がするぞ」

「それはないよ。状況的にあれはこのISVSにおける敵の最後の砦。以前にリンが倒したマザーアースのように暴発でもしてしまえばそれで終わりだ。普通はそんな危険なものを内部に積んでおかないと思う」

 

 シャルルの分析にラピスが頷く。

 

「わたくしも同様の考えですわ。自爆Illは空中母艦のみと考えていいでしょう」

「でも空中母艦の位置が要塞の真上だから、難しいことは変わらないよね。結局、要塞の対空砲火が機能するんだし」

「その点は考えてある……対空をさせる余裕を奪えばいい」

 

 ふっふっふ、と怪しい笑みを浮かべるのは簪。この日のために秘策は準備済みだった。

 秘策の内容はラピスも把握している。

 

「要塞からの砲撃の対処は簪さんにお任せしましょう。先遣隊の蒼天騎士団にも要塞への陽動に参加してもらいますので指揮を取ってください」

「その間に俺たちが空中母艦を落とせってわけだ」

「その通りですわ、バレットさん。ただし、敵要塞にはナナさんが捕らわれています。空中母艦を真下に落下させることは避けてください」

「わかってる。やらかしちまったらヤイバに顔向けできねえし」

 

 今、ここにはヤイバがいなくとも何と言うのか想像はできた。

 頼む。きっとこの一言だけなのだろう。

 だからこそ応えてやらねばならないと思わされる。

 

「残る懸念はIll。今までの運用の多くが遊撃でした。今回は要塞内部にいるはずです」

「倒す必要性は?」

「倒せるならば倒した方がいいのですが、無理を押してまでとは言いません。拠点さえ潰してしまえばこれまでのように潜伏することは不可能ですので」

「目的はあくまで要塞の制圧ってわけだ」

「そういうことですわ。また、敗れた先遣隊が帰還できている報告もありますので富士のときよりもIllの領域が狭いと言えます。おそらくは個体によって差が出ているのでしょう。前回と比べてわたくしたちのリスクは大幅に減っていると思っておいてください」

「今更どっちでも変わらないけどな。勝って終わらせるんだから」

「以上、簡単ですがブリーフィングは終わります。質問はありませんか?」

 

 異論は出てこない。

 

「では参りましょう」

 

 ラピスの指示が出た直後からプレイヤーたちが転送ゲートに並び、次々と戦場へと送り出されていく。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 とにかく視界が悪い。ISの目は光学情報だけでないとはいえ、激しく暴れている猛吹雪は様々な情報に外乱(ノイズ)を引き起こす。周囲の味方機の姿すらおぼろげにしか映っていなく、通常の連携は難しい。

 不幸中の幸いなのは攻撃目標である空中母艦ナグルファルなどマザーアースのサイズが大きいこと。そのため、劣悪な環境の中でもその姿を見失わずにすんでいる。

 しかし敵側の索敵はプレイヤーたちの視界よりも優秀である。ほぼ人間大のISを正確に狙い撃ってきているため、バレットたちは息をつく暇もなかった。

 

「お互いに場所はわかってるが、条件的にはあちらさんの方が有利っぽいな」

 

 いかにISが様々な環境に適応できたとして、全ての環境において万全の状態で戦えるわけではない。優先されている操縦者の保護だけは完璧であるが持ち前の機動力が低下することは避けられない。攻城戦の主力であるユニオン部隊も足を奪われていては役に立たない。

 マシンガンなどの各種射撃武器は有効射程が3割短くなっている。ミサイルに至ってはまともに飛ばず、有効打を与えるには接近する必要がある。

 だからこそ、プレイヤーたちは的になっているようなものだった。

 

「カルキノスの位置は?」

『要塞から南に4機が展開。他は東西に1機ずつで北は空いています』

 

 バレットは敵軍で一番フットワークの軽いマザーアースの位置を確認する。悪天候下でもカルキノスは大した影響を受けていないという報告が上がっている。富士での戦闘で苦戦した経験から、楽に勝てるとは考えられなかった。

 最初に警戒すべき相手であることは間違いない。布陣が気になるのも当然のこと。そして、偏った配置には敵の明確な意図が感じられる。

 

「明らかに誘われてんなー」

『カルキノスのない北は最も敵の警戒が強い区域と見て間違いないでしょう。ルドラだけでなく自爆Illも制限無く使えることを意味しますし』

「ラピスも俺たちと同じ意見だったのか」

 

 バレットはやれやれと首を横に振る。

 

「それじゃどうして俺たちは北に転送されてきたんだ? 手違いか?」

 

 バレットたち主力はヴィーグリーズから北に飛んできた。最も手薄な場所に送られるという予想を遙かに上回る無防備さで逆に警戒が強まるというもの。どう見ても罠だと判断して進撃に二の足を踏んでいる。

 

『全ては予定通りですわ。現状、自爆Illよりもカルキノスの突破の方が困難という判断です』

「手違いじゃないんなら結構だ。出撃する」

 

 北に転送されたプレイヤー全員に指令を送る。横一線に並んだISの大群は壮観だった。不規則に並んだ彼らは一斉に動き出す。その様はまるで1つの巨大生物のよう。

 向かう方角はぼんやりと見えている要塞ヴィーグリーズ。攻撃目標は要塞直上の空中母艦。未だ空中母艦は見えていないが方角を見失うことはない。

 まだ戦闘距離に入っていない。しかし、それはプレイヤー側の事情。敵要塞側にとっては既に射程内であった。

 全プレイヤーに緊張が走る。そして――

 要塞から延びる光が数発、プレイヤーに命中する。

 

「怯むな! 一撃で落ちるほどじゃない!」

 

 十分に高威力。下手をすると致命傷な機体もある。

 だが躊躇だけはありえない。足を止めることは敵の益となる。

 そもそもバレットの檄などなくとも士気は低下していない。その理由は敵砲撃の命中率にあった。初撃で命中した機体こそあったが、発射された弾の数の10分の1を下回っている。

 先遣隊の場合は半分以上が当たっていた。この差はどこから生まれたのか。

 第2射が来る。その瞬間、バレットの視界に赤い線が示される。その線は奥から自分に向けて伸びており、カウントダウンの数字もついている。

 

 ――マジか!? この数の戦闘で!?

 

 誰が何をしているのかバレットは把握している。これは攻撃予測。敵の情報を盗み取り、リアルタイムでプレイヤーと情報を共有する彼女の戦い方。

 バレットは軽く砲撃を回避する。コースとタイミングがわかっている攻撃など恐るるに足らず。同じように情報を与えられたプレイヤーに攻撃が当たるはずもなく、第2射の損害は0で抑えられる。

 

「おい、最後までこれで行く気か!? この後から弾幕が濃くなってくってのに……」

 

 いくらなんでも規模がおかしい。いかに“蒼の指揮者”といえど一軍全てに行なう情報サポートなど無茶にも程がある。ラピスの能力を知っているからこそ、バレットは最後まで保つのか気になった。

 

『ご心配なく。要塞からの砲撃は間もなく別の対象へと向けられますわ。あと、わたくしの心配をするのなら緊急時以外の通信を控えてください』

「あ……す、すまんっ!」

 

 自らの失態を悟ったバレットは飛行中に頭を下げる。再び顔を上げたときには強く前を見据えていた。

 士気は上がっている。

 悲壮感など皆無でやる気だけが満ちている。

 本気で勝ちにいく試合と同じ気の持ちようで臨めている。

 全力を出すコンディションには十分だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『かんちゃーん! 全体的に準備オッケーだよ~』

「わかった……皆を出発させて」

『あいあいさー』

 

 ヴィーグリーズの西方にいる簪が本音と通信を交わす。北から進軍する主力を援護するための秘策の準備は整った。あとは実行するのみ。

 簪の傍には直径10mを超える巨大な杭が立ち並んでいた。その数は50弱。杭と言っても木材ではなく金属製。ISに使われている装甲と同じ材質でできている。

 

「作戦名“波状槌(はじょうつい)”、開始」

 

 指示を下すと巨大な杭が一斉に前進を始めた。シールドピアースをそのまま巨大にした代物は向けるだけで危機感を煽るに十分である。いかに強固な要塞型マザーアースといえど、破城槌を思わせる杭に突き破られるであろうことは容易に想像される。

 東西にはカルキノスが1機ずつ配置されている。要塞の防衛に奔走するマザーアースが無数の杭を放置するわけなどない。持ち前の亜音速で豪快に吹雪を裂いて飛来し、アームから伸ばしたENブレードで杭を一刀両断にする。

 杭は容易く輪切りとなった。カルキノスを操縦している者たちは呆気にとられたことだろう。

 

 杭は中身スカスカのハリボテであったのだ。

 

 役割を終えた杭の中からISが離脱した。その数、1。このままカルキノスと戦闘などするはずもなく、出発地点へと撤退を開始する。カルキノスが追撃をかけることはなく、次の杭へと向かっていった。

 

「第2波、開始」

 

 簪の指示に従って、同じように並べられた杭が要塞へ向けて進む。

 第1波と同じくIS1機で動かしているだけのハリボテの群である。たとえ要塞に辿り着いたところで杭が意味を為すことはない。

 だが敵にとってはそうではない。1つがハリボテとわかっても全てがそうであるという保証などどこにもない。カルキノスだけでは対処できず、リミテッドも駆り出されているが、要塞の砲撃も杭の対処に追われ始めていた。

 敵の慌てふためく様を簪は冷たく見下ろす。

 

「囮は成功……失敗してた方が本命を通せて楽だったんだけど……」

 

 戦力を過大に見せて敵の注意を引きつけるという当初の思惑は成功。だが簪の本当の狙いは、敵がハリボテと割り切って無視してくることにあった。

 

 ……そこまでバカじゃないか。

 

 囮に集中しなければ囮が本命に成り代わるだけ。

 二段構えのこの作戦に要塞の対空砲火は振り回されている。今はその結果を上々とし作戦を継続。撤退してきたプレイヤーに新たなハリボテを与えて突っ込ませる。

 一時凌ぎだけでは終わらせない。要塞の目は完全に杭の群に向いていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 明らかに砲撃の数が減っていた。遠目に映る閃光の筋は左右に散っている。秘策が成功している今、北からの進軍を阻む障害は限られている。

 

「おらあああ!」

 

 バレットは吠えながらマシンガンを連射する。ベルグフォルクの硬い装甲に弾かれるが動きを止めるには十分。左から入ってきた味方機が動きの止まった敵に荷電粒子砲を撃ち込んで破壊する。

 空中母艦から出てきたリミテッドとの戦闘が始まった。既に空中母艦ナグルファルは目視できる距離にまで来ている。あとは敵の防衛線を突破して殴り込むのみ。

 だがそれが簡単ではない。数も質もバレットたちが上回っているが敵にも策がある。

 

「来たっ!」

 

 空中母艦からワインレッドの蟻が飛び出す。回避行動も取らず、闇雲に迫ってくるそれは自爆Ill“ミルメコレオ”。以前にもバレットたちを苦しめ、富士の戦いではプレイヤー全員を窮地に追い込んだ悪魔の兵器。

 最大の難点はラピスの星霜真理では見えないことにある。前線の観測でしか確認できず、予言じみたラピスの指示は存在しない。

 

「任せろ!」

 

 プレイヤーの1人が率先してミルメコレオへと向かっていく。結局、ミルメコレオに関しては対策らしい対策は立たなかった。取れる手段など限られている。それは誰かの犠牲。

 遙か前方で吹雪すら気にならないほどの光が炸裂する。ホワイトアウトした視界が落ち着く頃、飛び出していったプレイヤーの姿はどこにもない。

 

「リミテッドは無視! 強引に突っ込むぞ!」

 

 リミテッドがある間は発射してこない、などということはなかった。敵にとってリミテッドは捨て駒。リミテッドごとミルメコレオで一掃すればいい。足を止めて撃ち合っている現状は敵の思う壺に嵌まっている。

 一方的に撃たれようが構わず進む。ここから先はバレットもあまり指示を出さない、各々の判断に任せた形となった。

 再びミルメコレオが発射される。指示を待つことなく、プレイヤーの1人が暴走に近い形で前に飛び出してブレードで斬りつけていく。結果、1対1交換で終わらせてプレイヤーたちの進軍を遅らせることくらいしか効果はない。

 もっとも、この対処法が通じるのもある程度の距離があってのこと。以前と違い、接触からミルメコレオの自爆までの時間が異様に短い。2秒の空白を利用したリンの方法は今回は使えないのである。

 

 距離が残り1kmを切った。目と鼻の先となり、敵がミルメコレオを放てる限界距離とも言える。そして現在、最もプレイヤーが密集している場所はバレットの周囲であった。

 バレットはリミテッドの対処を周りに任せてナグルファルを見据える。自分が敵の視点に立ったときを想定すると、このタイミングでバレット周辺を狙って撃つしかないはず。

 ここが正念場。自分の目こそが道を切り開く鍵となる。

 そして――

 

 ナグルファルからミルメコレオの赤い頭が覗いた。

 

「今だ! いけぇ!」

 

 通信ではないがバレットは叫んだ。バレットが見ている光景は星霜真理によって指揮官にも届いている。つまり、観測者を介することでミルメコレオの正確な座標を導き出せていることを意味し、発進直前ならばまだスピードも出ていない。

 分厚い雲に大穴が開く。ナグルファルよりも上方から飛来するのは1発の砲弾。特殊武装AICキャノンによって高いPICCを付与されたそれは砲弾の形をしたISも同然である。

 雲の上。大穴の奥に垣間見えるのはISVS屈指のスナイパー、本業がメイドのチェルシー・ブランケット。彼女はIS4機によって作られた不安定な土台の上で飛行中に使用不能である武器を発射してみせた。

 敵の注意が向けられていない上方からの正確な狙撃。発射直後のミルメコレオは首を撃ち抜かれて真下へと落下していく。自爆こそしなかったが、この攻撃失敗こそがバレットたちに有利に働く。

 

「突入っ!」

 

 次弾は用意されていない。ミルメコレオの有効射程の内側に雪崩れ込んだプレイヤーたちを止める術は敵に残されていない。

 ミルメコレオの発射口が閉じた。だが場所はわかっている。他の部分よりも柔い構造となっているのは確実であり、バレットたちの集中砲火が浴びせられた。

 装甲板が弾け飛ぶ。内部の空洞が見え、侵入ルートが確立された。こうなってしまえばプレイヤーの独壇場。雪の影響を受けない屋内へと戦場が移行する。

 内部に敵性ISの存在はあるが数が違う上に装備も違う。マザーアースの運用サポートにすぎないISで戦闘用ISの相手が務まることもない。

 瞬く間にナグルファルが制圧されていく。この戦闘の第一段階はほぼ終了と言える段階に入った。

 

「こちら、バレット。空中母艦に侵入した。もう半分くらい制圧できてるはず――」

 

 したり顔での勝利報告。負けか辛勝しかなかった最近の中では上々の戦績にバレットだけでなく参加したプレイヤー全員が納得の表情を浮かべた。

 だがバレットの勝利報告が最後まで発されることはなかった。

 既にナグルファルは落ちたも同然。だからこそ、敵がどのような手段に出るのか想定しておくべきであった。

 ナグルファル内部のあちこちで一斉に光が放たれる。光源は大人しくしていたワインレッドカラーの蟻。その全てが一斉に本来の機能を果たすべく動き始めた。

 

 炸裂。空に浮かぶ砦のような母艦は光と共に消失した。当然、内部にいるプレイヤーをも巻き込んでいる。

 そして、この空域はヴィーグリーズに潜むIllの領域内。復活も見込めないまま戦場は次の状況へと移っていく。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 空中母艦が落ちたのは遠目でも観測は容易だった。同時に多数のプレイヤーが油断によって自爆に巻き込まれたのであるが、全ては計算のうち。ミルメコレオさえなければ“波状槌作戦”は次のステップへと進むことになる。

 

「“本命”を用意して」

 

 簪が通信で指示を送る。

 と同時に1つあった懸念をふと思い出してラピスへ通信をつなぐ。

 

「北に回ったマザーアースはある?」

 

 ナグルファルの落ちた今、北の防衛網には明確な穴が空いている。だからこそ簪は南の余剰戦力がそちらに回されている可能性を危惧していた。

 

『いいえ。東西は波状槌作戦に翻弄されていますし、南は南で敵に余剰戦力などありませんわ』

「他に部隊でも用意してたの?」

『わたくしではありませんわ。ナタルさんが有志を募って駆けつけてくれました。流石に悪天候で4機の相手は辛いでしょうが、対マザーアース戦で最も頼りになるランカーです。心配は無用でしょう』

 

 指揮官の保証も付き、いよいよ以て波状槌作戦の第2段階を開始する。

 本命。要塞突入部隊を送り込む突撃艇型即席マザーアース“ハジョーツイ”を使うとき。

 

「発進」

 

 本命を動かせという指令。それと同時に1本の杭が手薄な北から要塞へと直進を始めた。

 無人の野を行くが如く。戦闘の爪痕が残されている氷の大地の上空を杭が突き進む。

 当然、その存在に敵が気づかぬはずはない。そして今まで東西から無数に迫っていたのに対して、北からは1本しか来ない。それは誰が見ても異様な光景だった。

 AICキャノンとENブラスターは東西に向けられている。そこで要塞“ヴィーグリーズ”の砲手が取った対処は過激なもの。

 

「敵にも本命があった……」

 

 西にいる簪からも確認できる巨大な砲塔はルドラのものと遜色ない。連射が利かない代わりに広範囲高威力のEN属性射撃を行なうものと推測される。

 直接ISを狙われてしまえば回避は困難。ましてや直径10m超の杭では回避行動など取れるはずもない。

 要塞の主砲が放たれた。

 氷の大地に亀裂を入れるほどに大気が振動する。猛吹雪の中を苦もなく突き進む光の奔流はたった1本の杭を飲み込んで北の空へと消えていく。

 あとに残されたものは何もない。その状況を作り上げた主がほくそ笑む。

 

「釣れた。ルドラ2機も他に撃ってるから時間に余裕がある。十分にいける」

 

 簪は作戦の成功を確信する。

 主砲が放たれた直後、北のひび割れた氷の大地を突き破って新たな杭が海中より躍り出た。

 これが本命。敵は海中にも防衛網を張っていたが要塞の近くのみである。途中まで分厚い氷の陰に隠れて進軍し、海中の戦力と衝突する寸前で浮上。残りは氷上を要塞にぶつける勢いで進むのみ。

 ナグルファルを落としておく必要性はここにある。このタイミングからでも上からミルメコレオを撃たれれば全てが水の泡。逆に言えばミルメコレオさえ排除すればこの本命を邪魔するものは何もない。

 ENブラスターとAICキャノンで狙い撃たれる。流石にこの登場の仕方をすれば敵にも狙いがバレている。しかしもう手遅れと言えた。

 杭の正面でENシールドが展開される。AICキャノンはもちろんのこと、ENブラスターにも出力で勝り、強引に突破する。

 

「盾は防ぐことができるものに対して使うもの。防げないのならばそもそも勝負しなければいい。あと、盾は武器にもなる」

 

 杭型のマザーアース“ハジョーツイ”はさらに加速。砲撃を苦ともせず、ENシールドを押し立てる。要塞型マザーアース“ヴィーグリーズ”は頑強であっても動くことは出来ないため衝突は時間の問題だった。

 衝突。ENシールドが要塞外部の装甲を貫通し、内部へと侵入を果たす。

 ここでハジョーツイの役目は終了した。杭の全面が分解され、内部が晒される。中には空間があり、ぞろぞろと控えていたプレイヤーが顔を出す。

 先陣を切ったのは銀髪の男、ヤイバ。

 

「一気に制圧する! ナナを取り返すぞ!」

 

 主戦場は要塞内部へ移ることとなる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヴィーグリーズから南方のカルキノス4機を中心とした敵のいる戦場。既に役割を終えたに等しい部隊の中にトップランカーの姿があった。その数、2。

 1人はアメリカ所属の銀の福音の使い手、セラフィム。

 そしてもう1人は日本の国家代表にして世界最強、ブリュンヒルデ。

 セラフィムはマザーアース戦が得意という理由があったが、ブリュンヒルデは戦闘スタイルからマザーアース戦を苦手としている。ヤイバたち本命を通すために敢えて最も厳しい戦場に身を置いていたのだが、もうその必要はなくなった。

 

「後は任せるぞ、ナタル」

「はいはい。頑張って弟くんの手助けしてあげてくださいね」

 

 ブリュンヒルデがヴィーグリーズへと直走(ひたはし)る。その背中を庇うように銀の天使が翼を広げた。彼女の周囲には雷光の迸る球体が一瞬で展開される。

 

天網恢々(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」

 

 吹雪に混ざって光の雨が降り注ぐ。人為的に生成された天の網の目は粗くとも敵対するものを逃しはしない。

 

 後方の爆発を背景にしてブリュンヒルデは単身でヴィーグリーズへの道を急ぐ。富士のときと違い、その表情には一切の焦りがない。ただひたすらに弟の手助けとなるべく、その足を前へと進める。

 その歩みを止めることが出来る者などそうはいない。アメリカ代表のイーリス・コーリングクラスでなければ接触と同時に敗北する。

 故に敵対する者は相応の実力者でなければ務まらない。エアハルト側が彼女に対して送り込む刺客は常に1人。

 

「来たか」

 

 ブリュンヒルデが失速し、氷上へと軟着陸する。姿を視認せずともブリュンヒルデの身を襲った現象が彼女の出現を示している。

 ワールドパージ“永劫氷河”。領域の中にある飛行物体全ての動きを封じる“停止結界”はブリュンヒルデから機動力を奪う。しかし自らの機動力と射撃武器をも奪う。そのため剣同士の1対1(タイマン)の舞台を整える力となっている。

 盾すら持たない打鉄、暮桜が雪片を下段に構える。不安定な氷の上とはいえブリュンヒルデにとっては土の地面と変わらない。ISらしくない地上戦となるが、本来、ブリュンヒルデにとっては地上戦こそがその本領を発揮できる条件だ。

 対戦相手が姿を見せる。その重さを全く感じさせない黒い甲冑が余裕をも感じさせる悠然とした足取りでブリュンヒルデへと歩んでくる。ISもIllも手足部分は人体のそれより長い。全身装甲(フルスキン)の中身が小柄な少女とわかっていても、熟練さを体現した立ち姿は彼女を歴戦の猛者と思わせる。

 薄い桜色の女武者と漆黒の甲冑の騎士。

 互いに武器は一振りの剣のみ。

 語りかけることはしない。音声などこの戦場では雑音(ノイズ)の1つでしかない。

 故に彼女らが交わす言葉は剣のみ。

 

 ほぼ同時に氷上から姿が消える。否、肉眼で見ていればそう錯覚するほどの初速度があっただけだ。

 彼我の距離は100mを切っていた。とはいえPICの能力を極限まで減らされている今、その距離は決して短くはない。それでもなお、彼女たちは一瞬のうちに剣を合わせた。

 刀と大剣。大きさの異なる二振りがぎりぎりと互いを押し込む。武器自体の質量差があれど、ブリュンヒルデは力負けをしていない。

 鍔迫り合いは均衡する。状況が動くにはどちらかが行動を変える必要がある。だが下手を打てば先に仕掛けた側がそのまま斬られる。

 お互いに顔を隠している。たとえ顔が見えていたとしてもブリュンヒルデは沈着冷静。ラウラ・イラストリアスも本来の彼女とは別人となっているため、顔は能面が張り付いているようなものである。

 残された感覚は戦いの勘のみであった。

 

 先に仕掛けたのはブリュンヒルデ。力比べを中断して剣を引き下げる。あわよくば前に体が泳いだ相手を打ち倒すつもりであった。

 そこまで簡単な相手だとは考えていなかった。イラストリアスにはVTシステムが搭載してある。過去のモンド・グロッソにおける全力のブリュンヒルデの動きをトレースする相手が初歩的な手段で初歩的なミスをするとは思えない。

 しかしそれを踏まえてもなお異様であった。

 ラウラ・イラストリアスの体は前に流れることはない。それだけでなく、彼女は大剣を引いていた。見てからのはずはない。いくらハイパーセンサーを通しているといえど、認識までのタイムラグは存在する。その僅かな時間をブリュンヒルデが見逃すはずもなかった。

 つまりは完全に行動が一致していたことになる。

 

「これは驚いた。癖まで似るとはな」

 

 独り言が漏れる。VTシステムは技量だけでなく呼吸をもトレースしている。そうとしか思えないほどラウラ・イラストリアスの姿は鏡写しになっていた。

 ブリュンヒルデは鼻で笑う。対峙する歪な存在に対してでなく、あくまで自分自身に対して。

 

「私が成長していない証拠か」

 

 (おおやけ)に出回っている映像のうち全力を出したものは1年以上前のモンド・グロッソが最後となる。その模倣が中心であるはずのイラストリアスに徹底的に真似されている事実に苦笑を隠さない。

 だが臆すほどのことではない。逆を言えば明確に相手が有利な点はAICくらいである。ならば勝率が大きく偏った不利な戦闘にはならないという確信がある。

 圧倒することは難しい。それは認めている。ラウラ・イラストリアスとの戦闘をこの戦いのメインと考えているブリュンヒルデは覚悟を決めた。

 ――長期戦の覚悟を。

 

「喜べ。久しぶりに稽古をつけてやる」

 

 技量や間の取り方などの癖。それらを模倣したところで、それらを扱う体力や精神力まではコピーできない。それは今までのイラストリアスの操縦者たちが使い捨てられているという事実が証明している。VTシステムとの親和性が高いラウラといえど、別人を模倣しているからには必ず綻びが生まれる。

 一撃必殺が持ち味であるブリュンヒルデが根比べに臨む。それはギリギリの戦いを強いられることを意味していた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 要塞内の通路はISで飛行できるほどの広さがある。これはマザーアースの都合上、外壁以外に装甲の容量を割くのが勿体ないからだとラピスは言っていた。いちいち歩かなくてもいいのは急いでいる身としては都合がいい。

 

(早くレガシーの内部へ)

(わかってる)

 

 頭の中でラピスの声がする。彼女の言うとおり、まだ俺たちは敵の本拠地に侵入する第一段階までしか達成していない。

 敵の要塞は元々ISVSにあった遺跡(レガシー)と呼ばれる施設を元にして、それを覆い隠すように建造されている。要塞の中を進んでいる俺たちはまだ敵地への侵入を果たせたとは言えない。

 急ぐ必要がある。空中母艦を自爆させたのだからいざとなれば要塞部分を切り離してでも拠点を守る可能性があった。

 あちこちで隔壁が下りている。しかしこの程度で俺たちを止められるとでも思っているのだろうか。雪片弐型で軽く引き裂いて奥へと進む。

 

(ヤイバさん! 戻ってください!)

 

 ラピスの声で俺は急速に引き返す。この警告があって助かった。

 隔壁を切り裂いた俺の前に現れたのは、通路の先で銃口をこちらに向けている敵のIS。

 装備は4連大型ガトリング――クアッド・ファランクス。

 手前に引っ込んだ瞬間、通路を蜂の巣にする勢いで弾丸の雨がぶちまけられた。

 

「あっぶね!」

「ガトリングは屋内の防衛で使われることが多いんだから気をつけなさい」

 

 すぐ後ろでリンがぼやく。そんな彼女がガトリングの苦手な俺の代わりに前に出てくれない。

 

「困ったな。どうやって突破しよう」

「任せろ」

 

 そう言って出てきたのは藍越エンジョイ勢の一発屋、ライター。

 今回は吹雪の中で誤射されるとマズいってことでこっちに来てたんだった。

 トレードマークである集束型ENブラスター2門を抱えて飛び出したライターは進路の先へとぶっ放す。何が起きてるのか俺の位置からは見えないが、向こうからの銃弾の反撃はない。

 ライターは無言で親指を立ててくる。一発で終わらせやがった(一発しか撃てない)。まともに動けない上にEN武器に弱い相手なんてライターにとってカモでしかないな。こういうピンポイント起用だとめっちゃ活躍するってことを改めて再確認した。

 

「サンキュー」

「流石の一発屋ね」

 

 俺たちはライターが切り開いた道を先に進む。

 ライターは置いていこう。この先の戦いについていけそうにない。

 ……真面目な話、ライターはしばらく動けないし。

 

「見えた!」

 

 要塞の最後の直線通路。その先には見覚えのあるロビーへの通路が広がっている。レガシーの内部に入ってしまえば、あとはナナを見つけるだけだ。

 順調な道程。だからこそ俺は若干の違和感を拭えていない。

 なぜまだ“奴”が来ない?

 この疑問は自然と警戒につながる。俺はその場で足を止めた。

 

「どうしたの、ヤイバ?」

「先に行っててもらえるか? いや、むしろ後のことは全部任せていいか?」

「よくわかんないけどしょうがないわね。ナナはあたしたちに任せなさい」

 

 リンは俺を置いて先に向かってくれる。一緒に来ていた皆もリンの後に続いていった。

 これでいい。もし奴と中で戦闘になれば、ナナたちの身が危険に晒される。俺がレガシーに入らなければ、ナナが巻き添えを食うことはないはずだ。

 

 もう俺の中で確信がある。“奴”はこの中にいない。何らかの事情でここを離れている。

 だとすれば外からここへとやってくる。時間としてはそろそろ来てもおかしくない。

 

(ヤイバさん! そちらへ高速で接近する敵が――)

 

 わかっているよ、ラピス。君の目は俺の目も同然。俺にも見えている。

 的確にレガシーの入り口あたりへと飛び込んでくる灰色の機体が。

 

 直後の轟音。分厚かった要塞の壁は消し飛び、レガシーの入り口が雪空の元へ露出する。

 俺とレガシーの入り口までの直線距離はもうがら空きではない。要塞を破壊してまで突入してきた敵がそこに居座っている。特徴的な巨大な手のような翼を広げると、黒い霧のようなものが敵の体を包み込んでいく。

 初めて見る機体だが、初めて見る顔じゃない。

 露出させている頭は銀の長髪。こちらを見据える眼には金色の瞳。つまらなさそうにしている無愛想な表情は冷めた性格を象徴している。

 エアハルト。敵の親玉がやってきたのだ。

 

「間に合った――というわけではなさそうだ。まさかこの私を待っているとは思わなかったぞ、ヤイバ」

「余裕ぶっこいてる場合かよ。俺の仲間が先に行ってんだ。ナナを取り返されるぜ?」

「問題はない。アレの周囲は無防備というわけでもない」

 

 動揺させようとまでは思ってなかったが、全く動じてないのにも困ったものだ。エアハルトがハッタリをかましてくるような相手じゃないことはよく知ってる。無表情でも言葉自体は素直なところがある。だからレガシーの中にはIllが待っているんだろう。

 だけど心配することはない。俺はリンたちに後を任せた。だから俺の仕事に中のIllは関係ない。

 雪片弐型をエアハルトに向ける。お前を倒すという意志と共に。

 

「中のことはどうでもいい。俺の役目はお前を倒すこと」

「必然の一致だな。私がすべきは貴様を倒すこと」

 

 エアハルトが右手を頭上に掲げる。体にまとわりついていた黒い霧が右手に収束して剣の形を造り上げる。あくまで斬り合おうというわけか。望むところだ。

 

「行くぜェ!」

 

 先手必勝。小細工は抜き。突き出したENブレードをそのままにイグニッションブーストで突進する。

 急速に迫る奴の顔が見える。俺がどんな速度で向かおうが、平然とした顔で受け流すことだろう。それを踏まえての攻撃だった。

 だけど、違っていた。

 

 笑ってる……?

 

 頭の中で爆発したような危険信号が発される。反射的にAICを使って急停止。即座にベクトルを反転して後退する。

 あり得ない。少なくとも俺の知ってる顔じゃない。この違和感の正体がわからぬまま、今までのような感覚で戦うのはマズい。

 

「クックック……ハッハッハッハ!」

 

 エアハルトはあからさまに高笑いをした。攻撃もせずに引き下がった俺を嘲笑っているのか。

 臆したのは事実。今の俺はその嘲笑を受け止めることしかできそうにない。奥歯を強く噛んで悔しさを堪える。

 だけどそれすらも俺の思い違いだった。奴は即座に笑うのをやめ、目を見開いて怒りを露わにする。

 

「“ファルスメア”の力を直感のみで悟ったか。やはり貴様は放置できぬ存在。この場で打ち倒さねば私の理想郷を築くことなどできはしない」

「ファルスメア? その黒い霧のことか?」

「Illの根源たる架空の悪夢。囚われた人の魂は恐れを抱き、激しい心の動きは純粋な力となる。この点はISもIllも変わらない」

 

 束さんに聞いた話に近い。

 ISはIllを安全な形で造り上げたもの。

 Illはその逆で意図的に危険なまま仕上げたもの。

 基本的には類似しているのだから、エアハルトの扱う黒い霧も類似品のはず。

 

「Ill専用のEN兵器……」

「良い着眼点だが正解ではないな。もっとも、これ以上口で語る必要もない」

 

 ぞわり、と寒気がした。空気が変わったのを肌で感じる。

 来る。そして、雪片弐型でのバカ正直な迎撃は危険だ。

 左手にスターライトmkⅢを呼び出す(コール)。奴が動く前に射撃で機先を制する。トリガーを引く瞬間でもエアハルトの姿は銃口の正面にあった。

 直進するだけの蒼の光弾は対象へと向かう。偏向射撃(フレキシブル)など使うまでもない。奴は上下左右にズレることなく飛び込んで来たからだ。

 当たり前のように命中する。その一瞬前にエアハルトの正面に黒い霧が覆った。蒼はその黒に吸い込まれるように消える。

 

「くそっ!」

 

 正体は不明だがENシールドみたいなものだと思っておく。このまま衝突するだけで俺が一方的に打ち負ける。その直感を信じて俺はスターライトmkⅢをエアハルトに投げつけた上で雪片弐型を床に突き立てる。

 スターライトmkⅢも黒い霧に触れた途端にバラバラにされて消えた。だが僅かばかりの時間を得られた。その間に床を斬り開いた俺は体ごと突っ込んでこの場を離脱する。

 がむしゃらに下まで突き進む。結果、要塞の底までぶち抜いた。外は海で薄暗いが見えないことはない。水温なんて気にする必要がないから構わず中へと飛び込む。

 海の中は空中のように上手く動けない。雪片弐型も海中での使用は通常より燃費が悪く、すぐにガス欠になってしまう。俺にとって決して良い環境とは言えない。

 だからこそ来た。黒い霧の正体は不明だがEN武器であるならば海中での使用は減衰が激しいはず。常に展開している節が見られる奴の機体は海中でならその性能を引き出せない。

 1つだけ気がかりなことがあるとすれば、俺を追ってくるかどうかだけ。だがそれは杞憂に終わる。

 

「迷わず逃げたかと思えば、私をここまで誘いだそうとしたのか。無駄な徒労だ」

 

 自らの要塞を破壊してまで、エアハルトは追ってきた。俺に対する執念は俺の思っていた以上かもしれない。この様子なら難しく考えずともエアハルトの目を引きつけることはできる。

 だけど楽観視もしていられなかった。

 奴の周囲に黒い霧は健在。海中という環境でも不具合を起こしているようには見えない。

 

「何なんだよ、それはっ!」

 

 ここまで黒い霧に関してわかっていることは3つ。

 EN武器と同じように実体に対して非常に有効である。

 EN武器に対しても一方的に打ち勝てる。

 過去に戦った連中の戦闘記録から、シールドバリアによる減衰はほとんどないこともわかっている。

 

 まとめるとジャンケンでグーチョキパー全部合わせた禁じ手を出したようなもんだ。相性なんてなく、純粋に上位に立っている。

 バレットじゃなくても『このチート野郎!』と言いたくなる。

 

 こうなってしまうと海中は俺が不利なだけ。博打のつもりではあったが、ここまでのことになるとは予想してなかった。EN武器にある弱点すらないならどう勝てばいいのかさっぱりわからない。

 

「どうした、ヤイバ? かかってこないのか?」

 

 エアハルトの翼だったユニットが手として動き始めた。右手の人差し指と親指だけを立てて、人差し指を俺へと向ける。先端には黒い霧が収束して渦となっていた。周りの海水も引っ張られていてまるで小さなブラックホールだ。

 撃たれればマズいことだけはわかる。だけど発射を阻止する方法はなくて、動きの鈍い海中だと避けることも不可能。

 後悔が脳裏を占める。選択を間違えた。軽々しく自分に不都合のある状況を選ぶべきじゃなかった。

 残された道は悪足掻きだけ。方向性は2択。突っ込むか逃げるか。

 俺は海面を目指して浮上することを選ぶ。

 ――勝つためにはこの場を逃れないと!

 悔やみこそしているけど諦めることはしない。選んだ後悔より選ばなかった後悔の方が自分を苦しめるのだと、つい最近あの人から学んだばかりなんだ。

 

「一方的すぎるがそれも仕方あるまい。今、ここで全ての因縁を終わらせよう」

 

 エアハルトから黒い霧の弾丸が放たれる。海水ごと吸い込むブラックホールが俺を飲み込むために大口を広げて向かってくる。海流が変えられてしまい、俺が浮上する速度は失速。逃げられるものではない。

 ……俺ひとりだけの力だったなら。

 

「これは……」

 

 急激に海流が偏向される。俺は凄まじい勢いで海水に押され、黒の弾丸を上回る速度まで急加速して浮上する。

 

(助けが間に合いましたわね)

 

 ラピスが手配してくれた援軍、伊勢怪人さんだ。そのことは知っていたし、彼女が海のスペシャリストなのも知ってる。この状況をひっくり返してくれるのはいい意味で予想外だった。

 空気中へと飛び出した俺はまず自らの機動力を確認する。海水と低温の影響で動けないなどあっては助けてもらった意味がない。イグニッションブーストを2回ほど使用してみて問題ないと結論づける。さすがはISだった。

 外は未だ勢いの衰えない猛吹雪。寒くはないが大幅に視界が制限される白の世界が広がっている。塗れたままの生身だったら一瞬で凍死できるだろう。

 ブルーティアーズを全て呼び出(コール)しておく。ナナの絢爛舞踏を借りられない今の状況だと全開の雪片弐型と併用はできないけど、エアハルトの方はリンドブルムじゃないから雪片弐型にこだわっている方が危険だ。

 

 眼下で変化が起きた。海面を大きく揺らして1機のISが飛び出してくる。いや、Illか。黒い霧をまとったエアハルトが手のような翼を広げ、俺の元へと急上昇してくる。

 ほんの数秒で海の伊勢怪人さんがやられた。やはり今までと違う規格外の怪物として扱わないといけない。あのギドですらヌルく思えてしまう。

 だからこそ、俺は妙だと感じている。

 なぜエアハルトは最初からこの黒い霧を使っていなかったんだ?

 わざわざISVSプレイヤーの範疇に収まる戦い方で俺の前に立ちはだかっていた理由があるに決まっている。それこそが突破口になるはず。

 

「時間稼ぎばかり。それでも私は貴様の評価を下げてはいない。このイリュージョンを前にして未だ立っていられることは才能と言えよう」

「きっつい皮肉だな。仲間を犠牲にして生き残る才能があるって言われてるみたいだ」

「それもまた才能、あるいは天意とでも言おうか。なればこそ、私と貴様は同じ頂に立てはしない」

 

 エアハルトの接近を許してしまった。右手の黒霧の剣が上から振るわれる。

 俺は反射的に雪片弐型を振り抜いた。全てのエネルギーを雪片弐型に回した文字通りの全力。

 剣同士が衝突した。いつもの干渉とは違い、まるで実体の剣同士を打ち合わせたときのような感触がある。つまり、短い時間ではあるがエアハルトの剣を止められた。目に見えて雪片弐型の刀身は端から削り取られていくが、かろうじて残った刀身で受け流す。

 エアハルトの右側を抜ける。その先にはエアハルトの装備である“巨大な右手”が待ち構えていた。黒い霧をまとっている手はこれまでの奴の攻撃と同じ特性を持っていると考えられる。

 イグニッションブーストで左に飛ぶ。とにかく今は動きまくるべき。足を止めれば力負けする。

 だけど速さで勝っているというわけでもない。完全には避けきれず、右のウィングスラスターが半ばからもぎ取られた。

 

「……天意? 全人類を導く使命があるってやつか?」

 

 一方的にやられている状況。全く以てそれどころではないのに、どうしても言いたくなった。

 

「お前みたいな奴と俺を一緒にするなっ!」

 

 ブルーティアーズに指示を送って4発のフレシキブルでエアハルトを狙い撃つ。しかし黒い霧が奴の周囲を全て覆い隠して隙間がない。軽く打ち消されて終わる。

 だけど俺は挫けてもいないし、気が収まってもいない。

 

「俺は誰かに言われて戦ってるわけじゃない! お前と違って!」

「違わぬさ。私が“ヴェーグマン”の名を継いだのと同じように、貴様は“織斑”の立場を継いでいる。だからこそ、今ここに立てているはずだ」

 

 エアハルトの背中の“両手”が広げられる。10本の指先それぞれに黒い霧が収束し、一斉にばらまくように放たれた。

 テキトーに撃ったように見える。事実その通り。この攻撃は目標を後付けで設定できるフレキシブル攻撃。一度は離れた弾丸が軌道を修正して俺の方へと向けて飛んでくる。

 大きく回り込むように綺麗なカーブを描いた。その軌道から同じ光景を見ているラピスが演算を終了する。

 

(3カウント後、前方に5mだけイグニッションブーストをしてください)

(わかった)

 

 詳しい計算は俺の頭でついていけてない。ただ俺は彼女の指示を信じるだけ。

 俺に向けて殺到する黒の流星群。10発が全てバラバラのタイミングで着弾点も微妙にズレている。おまけに後出しで微調整もできる。初見で回避することは極めて困難であり、未だ射撃の知識に乏しい俺では回避は不可能だ。

 提示されたカウントが0になる。同時にイグニッションブースト。速度0から瞬時に最高速度へと至り、5mという短距離を移動して即座に急停止する。これは宍戸から習ったAICの応用。

 ラピスの理想通りに動いた俺の体すれすれを黒い弾道が通過していく。ラピスのフレキシブルと違って鋭角に曲がらないそれらは海水や氷上に着弾すると球状に抉り取った。

 

 ダメージは0。

 

 刀身を出していない雪片弐型をエアハルトに突きつける。

 今の攻撃を潜り抜けることができたのは決して顔も覚えていない父さんの力なんかじゃない。

 

「俺がここに立っているのは“俺”だからだ!」

 

 指令を下す。BTビットではなく、フレキシブルの操作を行なう。

 先ほど放った4発のうち掻き消されたのは3発。残る1発は吹雪に紛れさせておいたまま、俺たちの周囲を大きく円運動させていた。

 いくら黒い霧が無敵でも、攻撃に回ってれば隙もある。

 軌道を変えて白に変えていた光弾がエアハルトの左手ユニットの人差し指を貫く。

 

「貴様……」

「俺には負けられない理由がある。ナナを助けるって約束したんだ。他人の言うことだけ聞いてる奴が俺の邪魔をするなっ!」

「……人間風情がこの私を愚弄するか。身の程を(わきま)えろ」

 

 エアハルトの両目が大きく見開いた。ギドらと違って眼球が黒くはならないが静かな怒りが伝わってきて肌が痺れる。

 突如として黒い霧の量が増した。エアハルトを覆い隠してしまい中が見えなくなる。さらに、外部に残った巨大な手のユニットにも表層に霧が伝っていて隙間などない。

 まるでイルミナントと同じ。攻防一体の超兵器を前にして俺に残された手立てはないに等しい。

 たった1つだけ俺に残されていた希望は奴の戦闘可能時間の長さだった。だけど、効率を考えているとは思えない運用を目の当たりにして、戦闘時間が短い可能性は絶望的になった。

 

「所詮は人間。その非力さを思い知るといい」

 

 10で収まらない数の弾丸が複雑な軌道で一斉に放たれる。

 ラピスの力があっても避けきれるものじゃない。

 借り物であるBTビットは全て撃ち落とされ――

 黒の弾丸が俺の左肩を撃ち抜いた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 レガシーの内部へと潜入した部隊の中にはシャルルの姿もあった。彼女にとってこの戦いはラウラを取り戻す戦いという意味合いが強いのであるが、今のラウラを相手に出来るほどシャルルには技量が足りていない。直接の相手をブリュンヒルデに託した彼女が果たすべき役割はヤイバの目的達成を全力で支援すること。

 

「先に行って、リン!」

 

 同じくレガシーへと入ってきた仲間を先に進めて自分だけが残る。共に進めない理由など、敵の足止め以外にない。

 アサルトライフルを正面に向ける。狭い通路の中、銃口の先に立つ女は水をヴェールのようにまとっている。

 

「皆のところには行かせないよ、シビル・イリシット」

 

 以前にも戦ったことのある相手で名前も知っていた。

 シビル・イリシット。ISVSでただ2人だけ存在するアクア・クリスタルの使い手の片割れである。最初から眼球は黒く染まっていて武器も蛇腹剣“ラスティネイル”と4本のBT大剣という全力の体勢。

 

「どうしてシビルのことを知ってるのかと思ったけど、あのときの女の子みたいなお兄さんかぁ」

「僕は実は女の子なんだ」

 

 シビルが勘違いするのも無理はない。ヤイバと知り合ってからは父との約束もほとんどないも同然になってはいるのだが、シャルルは男装アバターを使い続けている。

 現実と同じ姿ではないからこそ意味がある。この姿のときはか弱いシャルロットでなく“夕暮れの風”で居られる。Illに立ち向かうにも気の持ちようが大きく変わってくるのだ。

 

「男のフリだなんてバッカみたい! 人間は女の方が偉いって思ってるんでしょ?」

 

 シャルルの人差し指がトリガーを引く。アサルトライフルから飛び出した弾丸はけらけらと笑うシビルの眼前で小さい爆発と共に消滅させられる。

 不意打ち気味の攻撃はただの挨拶。シャルルはシビルを強く睨みつける。

 

「男の子は強いよ。少なくとも、僕の知ってる人たちは皆」

「ふーん……そう思ってるのって、シビルだけじゃなかったんだ」

「え?」

 

 思ってもいなかった発言を聞いたシャルルは思わず前のめりに耳を傾けてしまう。だから自らのPICを浸食する反応に対する対応が一瞬だけ遅れた。

 爆発。直接攻撃に転用できるBTナノマシン、アクア・クリスタルによる視認困難な攻撃をシャルルは左手の盾で防御する。

 

「でもさ、ギドもハバヤもいなくなっちゃった。2人ともシビルよりも強いのに、シビルより弱い人に負けちゃったんだってさ。強さって何なんだろ……」

 

 背後のBT大剣の切っ先が全てシャルルに向けられる。以前と違って好戦的には見えないシビルではあるが、戦闘する意志だけは固まっている。

 Illに対して抱いているイメージと食い違っていて戸惑いもあるシャルルだが、四の五の言っていられる状況ではない。今は戦うしかない。

 

「“転身装束”、起動(ブート)。ガーデン・カーテン!」

 

 ワンオフ・アビリティを起動して装備を全取っ換えする。ガーデン・カーテンは拡張装甲(ユニオンスタイル)であり、大量のシールドを搭載した防御特化の装備構成となっている。

 シビルの大剣が一斉に襲ってくる。それらの表面にはアクア・クリスタルを利用した耐ビームコーティングが施されていて、シャルルの通常装備では対応が難しいことは前回の戦闘で学んでいる。

 シャルルが導き出した最適解は攻めないことだった。

 非固定浮遊部位のシールドを立ち並べ、さらに両肩にくっついているENシールド発生装置をフルオープン。多重に折り重なるように配置されたシャルルの盾は即席の城壁とでもいうべき堅牢さを誇る。シビルのBT大剣はその半ばでENシールドを突破できず、逆に先端から4分の1ほどの長さの刀身が折れた。

 

「ウザい……それでシビルを倒す気なの?」

「逆に聞かせてもらおうかな。僕が君を倒さなきゃいけない理由はあるの?」

 

 前回はラウラに助けられた。ラウラはシビルを倒すことなく撃退した。結果で言えばそれも勝利である。

 この戦いの最終目標はシビルを倒すことではない。シビルという存在に本来の目標を妨害されることだけが気がかりだった。だから邪魔さえされなければあとはどうでもいい存在であるともいえる。

 

「僕としては全部終わるまで君とお話をし続けても構わないよ」

 

 既に通路上を陣取った。アクア・クリスタルでもENシールドを突破することは出来ない。シビルが他のプレイヤーの元へ向かうには防戦に集中するシャルルを打ち倒さなければならない状況が出来上がっている。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 レガシーの内部構造はどれも似たり寄ったりである。エアハルトでも内部の改造まではできず、ヴィーグリーズのレガシー部分もツムギ内部と同じ構造となっている。ラピスの星霜真理が示すナナの座標は中枢に当たる位置。リンとシズネ、トモキの3人は仲間たちが足止めをしてくれている隙に、目的地の目の前にまで辿り着いた。

 先頭のリンが曲がり角の陰から奥の様子を窺う。するとそこには1機の人型の姿があった。全身装甲(フルスキン)ではあるがメットからは長い銀髪が外に流れている。ラピスが敵の存在を確認できていないため、間違いなくIllである。

 

「初めて見るタイプね。装備は……防御重視か」

 

 これまでに戦ってきたIllの内、まだ倒せていない相手の情報はプレイヤー間で共有できている。その中に無い敵がナナのいる場所の手前に陣取っている。

 見ただけでわかることはIllの周囲に浮いている板状の物体。BT使いが使用しているシールドビットと酷似していることから同系列のものであるとリンは判断した。

 他の装備は不明だが今はやるしかない。おそらく敵の狙いは時間稼ぎ。この通路を守れさえすれば、援軍が駆けつける手筈となっていることだろう。

 

「シズネはここで隙を窺ってて。あたしとそこの人で奴の注意を引く」

「俺、“そこの人”扱いかよ!? まあ、俺も同じ提案するところだったから別にいいけど」

 

 リンもトモキも耐久に自信のある機体を扱っている。狭いところでも多少の無茶は利くということで2人が先に前に出る。同時に通路に身を投げた後、龍咆と焔備で一斉に攻撃を開始する。

 だが衝撃砲もアサルトライフルも届かない。通路自体を覆い尽くす規模のENシールドが敵の全面に形成されて、全て防がれてしまった。

 攻撃どころか先へ進むための隙間すら存在しない。ここまでされれば敵Illのコンセプトは自ずと理解できる。予想通り、防御特化であり、先への侵入を拒む為だけに存在する番兵だった。

 レガシーはマザーアースと違って破壊は困難である。要塞ならば通路自体を破壊するという選択肢もあったが、ドームの中はリンたちの装備では歯が立たない。

 先に進むためには目の前のIllをどかす必要がある。

 

「シズネ、ちょっと来て!」

 

 リンはシズネを呼んだ。この敵の攻撃能力は低いため、堂々と呼んでも問題はない。

 近くまでやってきたシズネにちょいちょいと手招きして耳元に顔を近づける。別に内緒話ならプライベートチャネルを使えばいいのだが気分でこうした。

 

「今からコイツをちょっとだけ動かすわ。必ず道が出来るから“そこの人”を連れて先に進みなさい」

「リンさんは?」

「あたしはコイツの相手。流石に後ろから追っかけられるのはキツいし」

「すみません……」

 

 リンも敵の足止めのために残るという。ここまで来るのに多くのプレイヤーに同じ責を負わせてきた。大抵はリミテッドの相手であるが、リンとシャルルはIllを相手にしている。負ければどうなるのか、身を以て知っている2人がである。

 全てはナナを助け出すため。シズネとトモキの2人を送り出してくれている。申し訳なさからシズネはつい謝罪を口にした。

 そんなシズネにリンはデコピンを食らわす。

 

「謝ってんじゃないの。皆、好きでやってんだし、それに『ありがとう』の方がやる気が出るってもんよ?」

「……はい。ありがとうございます」

「よろしい。じゃ、行くとしますか!」

 

 リンは右手に武器を呼び出した。いつもの双天牙月は置いてきた。代わりに持ってきていた装備はハヅキ社が開発した新兵器。

 形状は両刃の大剣。ただしどう見ても金属ではなく、水晶を思わせる透き通る材質で造られていた。

 

「たかがENシールド如きで鉄壁気取りとはね。ゲームってのは時間と共に環境が変わるもんよ。時代遅れはそのまま弱さになる」

 

 水晶の剣の先端を敵に向ける。敵はENシールドの出力を上げて迎撃の体勢を整えた。機械的な判断しか下さない敵はその行動が無駄だとまだ察せていない。

 イグニッションブーストで突貫。水晶の剣が光の防壁に触れる。普通の物理ブレードならば触れた箇所から壊されてしまうのだが、この武器は違っていた。シールドに壊されることも、シールドを壊すこともなく、何事もなかったかのように通過した。

 

 ハヅキ社製近接物理ブレード“ブロークン・ハート”。その最大の特徴は使われている材質にある。刀身の全てがハヅキ社の開発したレーザークリステイルのみで構築されている特殊な武装となっている。レーザークリステイルはEN属性を損失無く透過・屈折させる性質をもっているため、ENシールドに阻害されることがない。衝撃に弱い欠点を抱えているが、ENシールドを無力化するただ1つの剣となる。

 リンがわざわざこの装備を用意したのには理由がある。衝撃砲はENシールドで守りに入られると手出しが出来なかったのだ。その欠点を抱えたままこの決戦に臨みたくなかった。その対策が功を奏したのだ。

 

 リンの剣はシールドの奥のIll本体に届いた。命中した衝撃で水晶の剣は粉々に砕け散るものの役割は果たした。胸のど真ん中を突いたことでIllの体がぐらりと揺れ、通路を塞いでいたENシールドが一時的に消失する。

 

「今よ!」

 

 リンが合図を送る頃にはシズネが駆けだしていた。彼女の背を守りながらトモキが追従し、Illの背後の通路を飛んでいく。

 リンも奥側へと移動する。この後は出来ることならIllを倒す。それが無理でもリンがこの場に居座ってシズネたちを守れればいい。

 Illが起きあがる。突破を許した今、盾で守りに入っても無駄だということくらいはわかっている。広範囲に設定していたシールドビットも回収し、腕に集中した。さらに手を覆うように小範囲に小型のENシールドを展開し、ボクサーのように両手を上げて構える。

 

「あたしと殴り合い? 上等っ!」

 

 リンも崩拳を構える。お互いの右ストレートが正面からぶつかり合った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ついにシズネは目的地に辿り着いた。ツムギではクーが居座っているレガシーの最深部となる六角形の部屋。その中央でぼんやりと浮いているのは紅椿を纏ったままのナナである。

 

「ナナちゃん! 助けにきました!」

 

 返事はない。心ここに非ずといった様子で目は虚ろだった。

 近づこうとして足を踏み出すとナナの右手が動く。手に握られている装備は雨月。突きと同時に発生する8本の紅の閃光が外敵であるシズネに殺到する。

 だがここにはこの男がいる。トモキは両肩のシールドを背中に回してシズネを抱くようにして庇った。

 

「ぐっ――大丈夫か、シズネ?」

「は、はい……すみません」

「話には聞いてたがナナが操られてるってのは本当のようだな。だが戦闘って感じじゃない。おそらく複雑な命令は聞けないってとこだろ」

 

 トモキはナナの攻撃を受けたというのに冷静だった。シズネと違って……

 だからシズネには不思議でしょうがない。

 

「落ち着いてるんですね……」

「バカ言え。俺だって色々とテンパってる。全力のナナじゃないとはいえ、装備だけは強力だからいつまでも攻撃を受けてられないしな」

 

 そういうことじゃない。好きな人から攻撃されてショックを受けないのかとシズネは問いたかった。

 しかし疑問の言葉は飲み込んだ。今はそれどころじゃないのも事実。

 

「ナナちゃんを取り返すためにはどうすればいいのですか?」

「ラピスが言うワンオフ・アビリティの影響を無くす手っ取り早い方法は1つ。ISを機能停止させればいい、だとさ」

 

 今のナナは自分の意志でISを解除できない。よって紅椿を停止させるには必然的に攻撃を加える必要がある。

 

「シズネは下がってろ。あとは俺がなんとかする」

 

 トモキはシズネを置いてナナの元へと向かおうとする。流石にこのトモキの対応をシズネはおかしいと感じていた。

 ……過保護すぎる。

 

「トモキくんが1人でナナちゃんに勝てるわけありません。私も戦います」

 

 力強い言葉とは裏腹にシズネの目にはうっすらと涙が浮かぶ。

 もうポーカーフェイスだった彼女はどこにもいない。

 トモキは優しくポンとシズネの頭に右手を乗せる。

 

「じゃあ、頼むわ。2人でナナを助け出すとしようぜ」

 

 あまりにも清々しい爽やかな笑み。それが逆にシズネには儚いものに見えてしまっていた。

 却って涙腺が高まってしまう。それでもシズネは耐えた。鼻をすすり、トモキに答える。

 

「はい!」

 

 シズネはスナイパーライフルを両手で構える。ナナを照準に入れ、引き金に指をかける。

 とてつもなく重い。大丈夫だと頭ではわかっていても、ナナに向けて銃を撃つ行為に躊躇いがないわけがない。

 それでも引いた。他ならぬナナのために。これが最善なのだと自分に言い聞かせた。

 

 覚悟の銃弾は飛んでいく。シズネの思いを抱えて。

 しかし攻撃としては単調なものだ。操られているナナでも簡単に見切れるものであり、一刀の元に弾丸が斬り捨てられる。

 

「良くやった、シズネ。だけど遠くちゃナナに届かないな。俺について来れるか?」

「もちろんです」

 

 トモキの提案は近距離でぶっ放せというもの。近づくことも決して簡単ではないのだが今更尻込みする2人ではない。

 先にトモキがナナへと向かう。当然、向かってくる外敵にナナは迎撃を行なう。左手の空裂による中距離の斬撃。これもまた単調な攻撃であるのだがトモキには避けられない事情がある。両手を交差させて敢えて受けた。全ては後ろについてきている彼女のために。

 無機質な顔のままナナは右手の雨月で追撃を加える。8本のビームが迫るがトモキはこれもまた全て自分から受け入れた。身を盾にして前へと進む。

 

「行け……」

 

 ナナに近づける直前になってトモキが失速する。代わりにシズネが前に飛び出した。スナイパーライフルの長い銃身を前に突き出すと、銃口がナナの胸に触れる。

 トリガーを引く。今度は躊躇う時間はなかった。ここまで自分を導いたトモキの思いを無駄になどできない。そう思うことで自分を奮い立たせている。

 当然1発で倒れる紅椿ではない。ぐらりと揺れた後、攻撃対象をトモキからシズネに変えて両手の刀が振り上げられる。

 そこへすかさずトモキが動いた。やられたフリをしていただけであり、まだトモキは動ける。ナナの背後をとったトモキは彼女を後ろから羽交い締めにした。

 じたばたと暴れるナナ。背中の非固定浮遊部位を剣に変形させてトモキに突き刺す。だがまだトモキは手を離さない。

 

「やれ! シズネェ!」

 

 トモキの叫びに応えるようにしてシズネは引き金を引き続ける。1発ごとにナナの呻く声が耳に届く。

 ……ごめんね、ナナちゃん。

 謝りながらシズネは攻撃の手を緩めなかった。撃った自分の方が痛くても、もうやめたくても引き金を引いた。

 ナナの攻撃の矛先がトモキからシズネに再び切り替わる。浮いていた剣がシズネのスナイパーライフルを半ばで両断した。

 だが武器を失ったところでシズネは止まらない。そもそもこの距離ならば武器なんて必要ない。

 

「あああああ!」

 

 シズネは1歩分前に進み出る。右手を振り上げ、勢いよくナナの頬をひっぱたいた。

 痛烈な音が六角形の部屋に反響する。これを最後にナナは動きを止めた。攻撃に回っていた非固定浮遊部位は粒子に分解されて消滅し、紅椿本体もサラサラと消えていく。支えを失ったナナは落下を始めるがシズネが捕まえた。

 

「ナナちゃん……ごめんなさい、ナナちゃん……」

 

 ぎゅっとナナを抱きしめる。すると腕の中でもぞもぞと動きがあった。

 

「泣くな。胸を張れ。お前のおかげで私は助かったのだ」

 

 エアハルトの能力から解放されたナナはすっかり弱みを見せるようになってしまった親友を茶化すことなく慰める。

 操られている間のことも記憶にある。助けたい人のために助けたい人を撃つなどそう簡単にできることではない。それでも撃ってくれたシズネはかけがえのない友なのだとナナは改めて思い知らされた。

 

「ありがとう、シズネ」

 

 親友同士で抱き合う。

 そんな2人を見つめていたトモキは小さく微笑むとボロボロな姿のままこの場を離れた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 目の前がチカチカしている。左肩が焼けるように熱くなってて、痛み以外の感覚がほとんどない。まるで自分の体ではないものが左肩にぶら下がっているようだった。

 

「バカな……なぜ……?」

 

 正面ではエアハルトの野郎が狼狽している。まさかやられたこっちじゃなくて攻撃した方が驚くなんてな。

 実際、我ながらバカなことをしてるとは思う。やろうと思ってできることじゃないはずなんだけど、どうやら束さんが手を加えてたようだ。

 

「なぜ絶対防御が作動していない?」

 

 俺はエアハルトの攻撃を避けられなかった。左肩に黒い弾丸が直撃した。装甲も紙同然で、シールドバリアもないかのように食い破るエアハルトの新兵器は白式を強制的にアーマーブレイクさせるEN攻撃のようなもの。肩だったとはいえ絶対防御が発動すればストックエネルギーの大部分が削られることとなったはず。

 それは避けたかった。だから俺は絶対防御をカットした。コアを狙われたり、俺の命がなくなる攻撃を受ければ即座に敗北するけど、逆を言えばそれ以外の攻撃で俺が倒れることはない。

 だけどこれは安全装置を外した状態。だからさっきから痛くて痛くてしょうがない。

 肩を見れば風穴が空いていた。

 

「この程度のことで驚いてんじゃねえよ。程度が知れるぞ、遺伝子強化素体(アドヴァンスド)

 

 脂汗を浮かべながらも言葉で噛みつく。じっくり考える余裕がなくてもエアハルトに対して弱音だけは吐かない。

 こうして身を張った甲斐はあった。もしエアハルトに断続的に仕掛けられていたら俺は既にやられてたはず。正攻法でなくともこうして僅かな時間を稼げた。その意味はあったのだ。

 エアハルトを覆っていた黒い霧が急速に小さくなっていく。

 

「バカな……シビルたちがこの短時間で敗れたというのか……?」

 

 やはり使用に制限があったようだ。エアハルトの言動から鑑みるに挑発に乗った末の自滅ではなく、思惑から外れた事態が起きたということだろう。おそらくはナナが関係している。

 助かったぜ、皆。ナナを助けてくれたんだな。

 エアハルトの周りから黒い霧が消えた。まだエアハルトは状況に対応できてない。この隙を逃してたまるものか。

 残っている左のウィングスラスターを真後ろに回してイグニッションブースト。左肩の痛みで僅かに集中が途切れた。エアハルト本体を叩っ斬るつもりだったのに軌道が左に逸れて、奴の背後に浮いている右手ユニットを両断するに留まる。

 

「図に乗るな!」

 

 奴からの反撃。人差し指以外が残っている左手ユニットの指4本の先端に黒い霧が出現し、小さく凝縮される。黒い霧は完全に使用不能になったわけではないらしい。通常の射撃のように黒い弾丸が俺に向けて放たれる。

 その軌道はもうラピスが計算済みだ。

 考えることもなくラピスの指示通りに後方に宙返りすると全て外れた。

 

「反応が鈍いぞ、ヤイバァ!」

 

 回避直後の俺の目の前にエアハルトがいる。近接ブレードもなしに近づいてきた奴は自前の右手を開いて振りかぶった。

 油断してたつもりはない。だけど今まで攻撃に余裕を持たせていたエアハルトが牽制射撃の後に接近戦をしてくるという連携をしてきたのは意外だった。

 雪片弐型で斬るか? いや、まだ一撃で倒せる保証はない。俺の推測ではエアハルトを倒すまでに二撃が必要になる。この状況だと俺が2回斬るまでに奴の右手が俺の頭に届く。

 昨日、セシリアから聞いたエアハルトの単一仕様能力。頭を掴んだ相手を強制的に従わせるという効果が事実なら、奴の右手は敵対する者を一撃で倒すほどの威力を持っているも同然。

 もう逃げられない。左腕が動かない俺には右手を弾くことも無理だ。

 エアハルトの右手が迫ってくる。いつもの冷淡さとは無縁な闘争心が剥き出しとなった金の瞳がギラギラとしている。奴もこの一手が必殺となると確信を持っていることは明白で、俺もそれを否定できない。

 

 手立てはないのか。

 俺には雪片弐型以上の武器なんてない。

 あるのは単体だと役立たずな単一仕様能力だけ――

 

「そうかっ!」

 

 閃いた。確信はないが可能性に賭ける。

 そのために雪片弐型を拡張領域に回収する。

 右手の武器を無くした俺は徒手空拳。この状態で初めて出来ることがある。

 殴ろうってわけじゃない。グーじゃなくてパーだ。

 俺は右手を伸ばす。向かってくるエアハルトの右手はどうでもいい。むしろ俺の頭を差し出してやる。

 代わりに……お前の頭をもらう!

 俺とエアハルトはほぼ同時に互いの頭を鷲掴みにした。

 

 知らない記憶が頭の中に流れ込んでくる。いつものクロッシング・アクセスと比べて暴力的に情報を叩き込まれる感覚だった。これがラピスの言っていた強制的なクロッシング・アクセスなのか。

 映像の景色は薄暗い部屋の中。仄かに怪しく輝く緑色の水槽を背景に白衣の老人がこちらを見ている。左目は機械的なレンズに置き換わっていて左手も完全に機械になっているサイボーグのような爺さんである。

 ――お前の名はエアハルト・ヴェーグマン。私に代わって全人類を導くのだ。

 老人はそう告げた。それがエアハルトに与えられた使命。

 しかし、映像はこれだけじゃない。

 景色が変わる。視界には火の海が広がっていた。あちこちからパパパパと軽い音が聞こえるけど、これはマシンガンなどの銃声。目の前で銀髪の子供たちが次々と殺されていく中、ひたすらに走っていた。

 手には幼い少女を抱えている。これまた銀髪の彼女の足は傷を負っていて走れる状態でない。

 ――安心しろ。私が必ず、我々が生きられる理想郷を創る。

 エアハルトの声に悲観の色はない。そのエアハルトの腕の中で少女は笑ったまま動かなくなった。

 

 これがエアハルトの記憶の一部。単なる裏組織の世界征服計画だと思っていたけど全然違う。

 むしろエアハルトの目的は俺や数馬と同じなのかもしれない。

 だけどこれだけは言いたい。

 ……本当に、その道しか無かったのか?

 プランナーとかいう機械仕掛けの爺さんの操り人形になる必要なんてないはずだろ。

 奪われた過去があるのなら奪い返さなきゃいけないなんて誰が決めたんだよ。

 俺や数馬と似ているところがあるくせに何故他人の言うことに従う必要がある。

 

 このムシャクシャした気持ちを声に出してぶつけたい。

 

「俺はお前が!」「私は貴様が!」

 

 全く同じタイミングでエアハルトも吠える。

 合わないことばかりの俺たちだけど、これだけは一致する。

 

 

『気に入らないっ!』

 

 

 声が被る。同時に相手の頭を押し込むようにして突き放した。

 距離が開いた。俺は掴まれていた頭を右手で押さえる。エアハルトも鏡に映したように頭を押さえていた。

 自分の状態を確認する。エアハルトに命令をされた形跡はない。俺は賭けに勝った。

 

「ヤイバ……貴様も“絶対王権”を持っているのか……」

 

 絶対王権。それがエアハルトの単一仕様能力の名前。

 奴が俺の単一仕様能力を勘違いするのも無理はない。なぜなら俺はその絶対王権を使ってエアハルトに命令したんだ。

 ――単一仕様能力の使用を禁止する、と。

 これは奴の能力が強制的にクロッシング・アクセスを起こすからこそできるカウンター。奴が俺の頭を掴んだとき、俺も奴の頭を掴んでいれば共鳴無極により俺も絶対王権を行使できる。

 

「……私は誤解をしていた。貴様は十分に化け物だ」

「奇遇だな。俺も誤解してた。ギドと違ってお前は割と人間だよ」

 

 エアハルトの右手に黒い霧が現れて剣を象る。おそらくは節約した使い方。絶対王権を封じたからと言ってまだ俺の勝ちは遠い。

 むしろ追いつめられてるのは俺の方。もう痛覚が麻痺したのだろうか。左腕の感覚が全く無くなった。右手に雪片弐型を呼び出したけどバランスが悪く、いつも通りに振るえると思えない。

 漆黒の剣が迫る。純粋に速い攻撃は黒い霧の特殊性を合わせると必殺の一撃となり得る。まともに受けるわけにいかない俺は雪片弐型の高出力に任せて斜めに流す。

 ガリガリと刀身がすり減るような手応え。EN属性の刃すら喰らいつくそうとする黒い塊がまるでIllそのもの。だが扱うエアハルトも通常のブレードと同じ感覚というわけにはいかないようだ。戻ってくる手が明らかに遅い。

 

「くらえっ!」

 

 受け流した後の刀を返すようにしてエアハルトを斬りつける。出力が削られた直後とはいえ雪片弐型だ。すぐさま持ち直して最大に近い威力を奴の肩口にぶつけられた。

 クリーンヒット。確実に絶対防御を発動させた。それも軽いものじゃない。

 攻撃をくらったときから思っていた。黒い霧による攻撃に対してシールドバリアが全く機能しないどころか、砕かれた形跡もないまま消失していた。だから奴自身も黒い霧がある限りシールドバリアが張れないんだと予想した。

 ようやく勝ちが見えた。あと1発。雪片弐型で斬ればエアハルトを倒せる。

 黒い霧のIllを……倒せる!

 

「笑うには早いぞ、ヤイバ」

 

 今は俺が押している。そのはずなのに……

 エアハルトは落ち着きを取り戻している。

 失念していた。まだ奴には手にある剣以外の武器が残っている。

 奴の左肩付近に浮いていた左手ユニット。人差し指部分を失ったそれが手刀を形作り、背中側をぐるりと回って右側から俺に斬りつけてきた。

 俺がエアハルトに攻撃したとほぼ同時。

 巨大な手刀は黒い霧を微少量纏っていて攻撃力は十分にある。

 攻撃のために突き出していた俺の右腕の――肘の位置でぶった斬っていった。

 

「ぐっ――ああああああっ!」

 

 失敗した。絶対防御を切っていたからこその弊害。俺の唯一の攻撃手段だった雪片弐型を使うためには右手がいるというのに。コアの次に守るべきだったのに読み違えた。

 頭の中へと激痛の荒波が押し寄せてくる。どうすればいいのかなんて考える余裕がない。痛いという言葉しか頭に浮かばない。目に映るものは無様に宙を舞う俺の右手と雪片弐型。

 あと一撃。

 それで勝てるのに。

 箒を助けられるのに。

 ここまでなのか、俺は……

 

 なんて諦める自分はもうどこにもいない。

 

「俺はァ! 箒を助けるって誓ったんだよォ!」

 

 目はまだ見えている。右手から投げ出された雪片弐型がクルクルと回りながら宙を舞っている。その軌道も回転の速さも全て認識できる。

 翼はまだ生きている。飛行には支障がなく、イグニッションブーストもやろうと思えばできる。

 口は良く動く。抗いの言葉を叫んで活力が失われていないことを自覚する。

 いける。まだ俺の可能性は潰えちゃいない。

 

 俺は口を大きく開いた。ほんの1mという短距離をイグニッションブーストで前進し、雪片弐型の柄に噛みつく。

 起きろ、雪片弐型! お前もまだ死んじゃいない!

 ENブレードの刀身を再構築。首を折られそうなほどの反動を逆に利用して大きく首を振る。

 勝利を確信していたエアハルトはまだ近くにいる。このまま一気に振り抜く!

 

 

 ………………。

 ……周りが全く見えない。

 猛吹雪だけのせいじゃなくて目に映っているものが何なのか理解できない。

 全方位を見ることが出来るISの視界も意味を理解できなければ見えてないも同然だ。

 顎から力が抜ける。雪片弐型をくわえてたことも忘れてた。下に落ちていったけどその行方を追うだけの気力もない。

 

「……認めよう。貴様は私以上の化け物だ」

 

 それがエアハルトの声だと認識したとき、ようやく俺の目の焦点があった。

 右肩から斜めに大きく切り傷の入ったエアハルトがそこにいる。

 闇雲に振るった最後の一撃が奴に届いていた。

 

「同時に私の敗北も認める。ファルスメアを使っても貴様を倒せなかった。この結果だけが事実として残る」

「負け惜しみも……上から目線かよ……」

 

 勝った俺の方が一言話すのも辛い状況。だけど白式は動いているのに対して奴の機体は戦闘不能。仮想空間に造られた奴のアバターは光の粒子に分解されていき、この世界を退場していく。

 俺が勝った。それも単なるプレイヤーとしてのエアハルトにではなく、黒い霧を使う黒幕としての奴を倒した。この勝利が意味するものは俺の自己満足などでは収まらない。

 だというのに、エアハルトの奴は愉快そうに笑ってみせた。

 

「貴様が男で良かった。これほどの脅威であっても所詮は架空のもの。現実になければ本来の目的の邪魔にはならない」

「何を……言っている……?」

「仮想世界の文月ナナはくれてやる。記憶を見た今、あれは用済みだ。今の私が欲するのは現実のIllを動かすための動力源。絢爛舞踏を持つ篠ノ之箒の体だ」

 

 エアハルトの体が消えていく。奴は遺伝子強化素体と言っても現実に体を持つ個体。だから仮想世界で敗れても死ぬことはなく、現実に戻るだけ。

 現実に戻れば俺と同じように無力。そう思っていたけど、真実は違う……?

 

「まさか、現実にもIllが――」

「同じ土俵もここまでだ。現実の貴様は私とIllを止められはしない」

 

 俺たちは敵を追いつめすぎたんだ。エアハルトは本拠地を死守するつもりなんて最初からなかった。最初から狙いは現実でIllを稼働させることだけ。そのためにナナではなく箒を欲している。

 

「ふざけるな、この卑怯者ォ!」

 

 エアハルトは高笑いをして去っていった。

 これで終わったと思ったのに、そんなことはなかった。

 エアハルトの言い草から黒い霧のIllは現実に存在しているとわかる。今、俺が倒したのがコピーのようなものだとすれば、まだ箒たちを助けられていないことになってしまう。

 それだけじゃない。奴の狙いはナナから箒に変わった。今も眠り続けている箒がエアハルトに連れさらわれてしまう。事態はより悪い方に動いている。

 なのに、俺は何も出来ない。現実の俺は無力だから。

 

 いつの間にか俺は落下し始めていた。両腕を失ったような状態で気を張り続けることに疲れていたのもある。再び飛び上がることも出来ず、海面へと真っ逆様。まるで今の俺の心境そのものだった。

 だけど落下は急に止まる。柔らかい何かがクッションになって俺の体は空中に留まった。

 

「……全く。無茶ばかりするものだな、ヤイバは」

 

 ナナが俺を抱き留めてくれていた。わかってたことだけど、リンたちが無事に彼女を取り戻してくれたことに今更ホッとする。

 だけど、俺はエアハルトの真の狙いを知ってしまっている。こうしてナナが戻ってきても完全に取り戻せたわけじゃない。

 

「お前には感謝の言葉をどれだけ言っても足りない。だが今の私には『ありがとう』としか言えない。許してくれ」

「まだ……その言葉は受け取れない……」

 

 ナナに説明しないといけない。

 だけど痛みで頭の中がまとまらない。早く現実に戻らないといけないという焦りとナナに事情を説明しないといけないという義務感も合わさって混乱している。

 

「言わずともわかる。まだ終わっていないのだな?」

 

 彼女はわかってくれた。おかげで錯綜してた頭の中が一気に整理できた。

 小さく首を縦に振って応える。

 

「悔しいが私は待つことにする。行ってこい。今、言えなかったことは現実で会ったときに改めて言おう」

 

 また約束が増えちまった。でもその分だけまた俺が前に進む力になる。

 冷静さが戻ってきた。

 まずは現実に戻ろう。でないと何も始まらない。

 

「行ってくる」

 

 一言だけ残して、俺は現実へと帰る。

 折角ナナと顔を合わせたのにまともに話す時間もない。

 でもそれももうすぐ終わる。

 なんとかして現実のエアハルトをぶっ飛ばせば、いくらでも話す時間くらい作れるはずだから。


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