Illusional Space   作:ジベた

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38 それぞれの決意

 一夜明けた。深い眠りにつけなかった俺は休日の土曜日だというのにまだ早朝と呼べる時間に目が覚めてしまった。

 これも昨日の戦いが原因だろう。

 

「箒……」

 

 セシリア、鈴、マドカ。他にも藍越学園の連中やプレイヤーたちの助けもあって、俺は現実に帰ってくることが出来た。Illとの戦闘であったにもかかわらず、プレイヤーは誰一人として犠牲になっていない。

 だが何もかもが順調に終わったわけじゃない。俺を助けようと戦ってくれた人たちの中にはナナがいた。ツムギのメンバーがいた。まるで俺が帰ってくる代償であるかのようにナナはエアハルトに連れ去られ、ツムギのメンバーは11人が消えてしまった。

 

「ナナちゃんの本名、ですか」

 

 自分の部屋で目覚めたというのに声がする。もう慣れたものと言いたいところだったが、このタイミングで聞こえるべきはナナの声であった。

 今は違う。同じモッピーから発されている声だが中身はシズネさんである。

 

「来てたのか、シズネさん」

「はい。ヤイバくんがまた落ち込んでいそうでしたので」

 

 俺はわかりやすいんだろう。顔を合わせていなくてもシズネさんには見抜かれていた。

 たしかに落ち込んでいないと言えば嘘になる。俺がIllに喰われた要因は俺の失敗にあった。数馬にやられるのではなく、俺が退いていれば昨日の戦いは起きなかった。

 俺のせいでナナがさらわれたも同然だ。

 

「落ち込んでばかりもいられないよ」

 

 否定はしないけど何もしないことだけはありえない。

 ナナは生きている。まだ取り返しがつかないなんてことはない。

 もう俺のするべきことは決まっている。

 

「今、セシリア……ラピスたちにエアハルトの居場所を探してもらってる。昨日の戦いは形の上では俺たちの勝利だ。確実に奴らを追い込んでるから、拠点を割り出すのもそう時間はかからない」

 

 今は情報が来るまで待つ。闇雲に飛び出していったところで地球と同じだけ広いISVSの世界の中からナナ1人を見つけだすことは不可能だ。

 ……もう束さんも当てにできないだろうしな。

 

「そういえば、シズネさんの方こそ俺に気を使う余裕があるんだな。シズネさんがさらわれたときはナナが即座に飛び出していったって聞いたけど、シズネさんは落ち着いてる」

「私は……非道なのでしょうか」

 

 モッピーから憂いの声が漏れる。いつになく感傷的な声音は普段の抑揚の小さい喋り方とは一線を画する。もしかしなくても動揺していた。

 当たり前だ。この1年、彼女たちはただの親友どころの関係ではなかったはず。半身に等しい存在が欠けていて不安でないはずがない。

 そんな人に俺は心配されてる。そこまで俺は弱いと思われてるのか。

 

 ……弱いんだろうな。でもそのままじゃいけない。

 

「ごめん。落ち着いてるはずなんてなかったよな。冗談の1つもない時点でシズネさんは元気ないよ」

「すみません……」

「謝らないでくれ。むしろ謝るのは俺の方なんだ。でも謝っただけで済むことじゃないから、俺は全力でナナを取り戻しにかかる」

「ナナちゃんは無事なんですよね?」

「それだけは間違いない。現実の彼女は変わらず眠ったままだから」

 

 携帯のメールを確認する。少しでも異変があれば、箒に付きっきりになってる柳韻先生から連絡が来る手筈になってる。沙汰がないということは起きていない代わりに死んでもいない。

 

「エアハルトがナナを連れ去った理由はわからない。ただ、少なくとも奴はナナを殺さないように注意を払ってた。だからまだ終わってなんかない」

「ヤイバくんの希望的観測……ではなさそうですね」

「そうとでも思ってないと耐えられないってのもあるけどな。奴は俺に執着を持ってた。ラピスに頼んで俺が健在であると喧伝してもらったから、きっと奴は俺との決着をつけに来ると思う。そこが最後の勝負だ」

 

 最後の勝負。それはもう現実味を帯びてきている。

 富士での戦いでは各国の国家代表まで参戦していた。エアハルトの狙いは脅威となる彼女らを大量の自爆Illで一気に殲滅し、他のIllに喰わせて他勢力の勢いを潰すこと。その目論見を崩した今、奴らには後がない。

 千冬姉の話では既にミューレイの包囲網が完成しているらしい。国連のIS委員会もメンバーが入れ替わり、ミューレイの権威は一企業レベルにまで落ちた。昏睡事件の件で本社にも捜査の手が伸びていると聞いている。

 未だエアハルトの尻尾は掴めていないが時間の問題だ。

 だからこそ奴が何かしらの逆転の一手を打ってくると俺は確信している。それを返り討ちにしてこそ俺たちの完全勝利となる。

 

「ヤイバくんは大丈夫そうですね。これもナナちゃんを助けようとする男の子らしい力なんでしょう」

 

 モッピーが『やれやれ』とでも言いたげに肩をすくめる。少しばかりシズネさんらしさが戻ったような気がした。

 

「実はヤイバくんに会って欲しい人がいるのですが……お願いできますか?」

「遠慮しなくていいよ」

 

 シズネさんはただ俺を慰めに来ただけじゃなかった。

 ナナのいないツムギで俺と引き合わせたい人物。心当たりは2人ほどある。

 

「クーか? それともトモキか?」

 

 どちらもナナを大切にしていたツムギメンバー。しかもクーの方は束さんが絡んでいる可能性が高い。

 ……しまったな。あのとき、クーについて質問しとくんだった。

 

「トモキくんの方です。クーちゃんは、その……」

 

 トモキの方となると昨日の戦い絡みの話になる。覚悟はしてるし、俺の方から会いに行くつもりでもあった。

 むしろ気になるのはクーの方。ナナがさらわれて何もしないとは思えないのだが……

 

「クーに何かあったのか?」

「……そちらも会ってもらった方が早そうです。すぐにこちらへ来てもらえますか?」

「わかった」

 

 幸い、今日は土曜日で学校は休み。

 起きて早々、俺はISVSへとログインする。

 

 いつもの声は聞こえなかった。

 

 

  ***

 

 ツムギへとやってきた。ギドとの戦いの後からずっと、ここに来ると決まって彼女が出迎えてくれていた。

 でも、今はいない。これには俺の責任も少なからずある。

 胸が苦しくなったけど、それは俺1人が抱えてる傷じゃない。シズネさんもそうだし、何よりもこの男が黙っているはずなどなかった。

 

「どの面を下げて来やがった?」

 

 茶髪を逆立ててるチャラそうな見た目に反して目つきは真剣そのもの。

 ツムギメンバーの中でも取り分けナナを慕っている男、トモキ。

 前に会ったときから俺に因縁を付けてきている。だけどどういう意味なのかは不明のまま。単純な嫉妬でないことだけは確かだけど、俺は“トモキの希望”が何なのかわかっていない。

 今日まで俺はトモキも含めてツムギのメンバーとはなるべく会わないようにしていた。俺はラピスと違ってすぐ顔に出るところがあったからボロが出ないようにと気を使っていた。

 だけど流石に今日は顔を合わせないわけにはいかなかった。眉間に寄った皺から怒りが感じ取れる男に対して頭を下げる。

 

「すまない。俺のせいでナナが捕まった。それに他の――」

「待て。謝罪なんて誰も欲しがってねえ」

 

 懐を掴まれ、無理矢理顔を起こされる。トモキの顔には怒りが感じられるが激情と呼べるほどのものではなく、どちらかと言えば冷淡だった。ますますトモキの考えてることがわからない。

 

「俺が言いたいのは『ナナを助けるために出来ることをしてるのか?』だけだ。大方、ラピスに場所を探らせてる間にやることがないんだろうがな」

 

 逆にトモキは俺のことなどお見通しだったようだ。

 

「その通りだ。だから俺は――」

「空いた時間を使って俺たちに謝りにきたってわけか。くだらねえ。そんなことに意味はないだろ」

 

 掴まれていた襟が解放される。変わらずトモキの怒りは感じられるが1つだけわかった。そもそもトモキは俺に怒りを向けてない。

 

「でもナナがさらわれただけじゃない。俺がIllに喰われたせいで死んだ人がいるんだろ?」

「『全部、ヤイバのせいだ』なんて言った奴がいるのか? 誰だ? 言ってみろ。この俺が殴ってやる」

「いや、誰も言ってないけど――」

 

 言い切る前に容赦のない拳が俺の左頬に叩き込まれた。

 仮想世界だけどかなり痛い。

 殴られた勢いのまま俺は床を転がった。

 

「有言実行だ。悪く思うな」

「どういう意味だ?」

「だってお前しか言ってないだろ? 『全部、ヤイバのせいだ』なんて世迷い言にも程がある」

 

 まさかコイツも弾たちと似たようなことを言うとは思わなかった。

 だけど今回ばかりは失ったものの方が大きい。

 少なくともツムギのメンバーならそう思ってるはず。

 

「消えた命は帰ってこないのにか?」

「そうだな。手遅れなんだ。もしヤイバが化け物に喰われてなかったとしてもな」

 

 この瞬間、俺の中にあった違和感が明確に形となった。

 手遅れだとトモキは言う。しかしそれは今の時点での話をしているわけじゃない。

 俺がマドカにやられる前の“もしも”を話しているはずなのに、手遅れだと断言している。

 俺にはその意味が伝わった。ナナもシズネさんもわからないこと。幸いなことに今はどちらも近くにいない。

 

「全部、知っているのか……?」

「ああ……ここに囚われた奴らの大半は“ゾンビみたいなもん”だろ?」

 

 決定的な一言をトモキは言ってのけた。

 俺はラピスから既に聞かされていた事実。ツムギのメンバーで現実に生存が確認されているのはナナ、シズネさん、アカルギのクルー3人の計5人のみ。

 最後まで隠しておかなければならないと思ってたのに……

 

「俺を含めて戦場に出てた奴らは察してたさ。1年近く経ってナナもシズネもISの技能が上達してた。だが俺たちはいくら練習しようと変わらない。最初に与えられた能力で同じようにしか戦えなかった」

「……そうか」

「俺の調べではナナとシズネ、レミ、リコ、カグラの5人は生きてる。他の連中は死んでる。これも合ってるか?」

 

 ラピスの調査とピタリ一致している。声で返事ができなかった俺は首を縦に振った。

 トモキの言動もわかってきた。コイツは最初から自分が死んでるものとして俺に向かってきてた。戦う理由も自分本位なんかじゃなくて、まだ生きてるナナたちだけでも生還させられる道を探してたんだ。

 

「どうして今まで戦えたんだ? ナナが現実に帰ってもお前は消えるだけなんだろ?」

 

 わかってるのに聞いてしまう。なぜなら俺が箒を助けようとしてるのは自分のためだと自覚しているからだ。でもトモキは自分のことなど二の次。俺に託すと言っていた“希望”は“ナナの生存”以外にはない。

 どうしてナナのためにそこまでできる?

 もしかしたらナナの生還と引き替えにISVSのトモキも消える必要があるかもしれない。現実の体が死んでいると知っているのに、今の自分の存在の何もかもが消えるかもしれない戦いに身を投じるのは何故だ?

 

「生きるためだ」

「生きる……?」

「現実で死んでる俺たちが神様の悪戯(いたずら)か何かでこうして動けている。だけどテメェらの話を聞いてる限りじゃこんなもの幻みたいなもんだ。そんな俺たちでもこうして寄り添い合って生きてたってそう思いたいんだよ」

 

 ――その結果を現世(うつしよ)に肉体を持たぬ私が生きた証としよう。

 

 トモキの顔にマドカがダブる。出自は違うが状況的にトモキもマドカも似たようなもの。その果てに得た結論はほぼ同じだった。

 

「だからな、テメェに言っておかなきゃならねえ」

 

 力強い拳が俺の胸に押し当てられた。

 

「アイツらが逝ったことにテメェは関係ねえ。でもな……ナナがさらわれたことだけはテメェの責任だ。意地でも取り返せ!」

「わかってる……」

「テメェは! これから先、ただの一度も負けんじゃねえぞ! ナナたちを必ず現実に戻せ!」

「わかってる!」

 

 最後に圧迫感が加えられた後、トモキの手が離れる。

 自らが死んでいると自覚している割には力も熱もあった。

 その想いは受け取った。

 他ならぬ俺のために。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「全く。“俺の希望”様はどこか頼りねえな」

 

 ツムギの奥へと1人で歩いていった背中を見送った後でトモキはぼやいていた。

 完全に独り言のつもりだった。

 しかし、熱くなって周りが見えなくなっていたトモキは気づいていなかったのだ。

 

「“私たちの希望”はトモキくんよりとても頼りになりますので何も心配は要りませんよ」

「シズネ? まさかお前――」

 

 唐突に現れたのはナナの親友の少女。ツムギの内情を知らない5人のうちの1人がこの場に現れた。つまり、

 

「今の話を聞いていたのか……?」

 

 盗み聞かれていた。よりによってトモキが最も聞かれたくなかった人に。

 

「……ずっと違和感はあったんです。私にも。もちろん、ナナちゃんにも」

 

 ヤイバの去った方を向いているがシズネの目は焦点が合っていない。遠くをぼんやりと眺めている彼女の目に映っているものはトモキたちが隠してきた真実。

 

「こんな恐ろしいことだとは少しも想像してませんでした。でも、悲しいと思うより先に妙に納得している自分がいるのがわかるんです。最初からそうだと言ってくれても良か――」

「やめろっ!」

 

 淡々と告げるシズネに掴みかかってでもトモキはその先を言わせなかった。

 シズネが黙ると強く掴んでいた手を離す。

 

「そんな風に泣いてたら説得力なんてねえだろ……」

「あれ……? おかしいです。私、泣けなかったはずなのに」

 

 ボロボロと溢れてくる涙にシズネは戸惑いを隠せない。今までも全く泣かないわけではなかったが、以前と比べて涙腺が緩くなっている。

 これもきっかけがあったからだ。その詳細を知らなくても、トモキには誰の影響かハッキリと理解できている。

 

「おかしくねえよ。お前はそれでいい。俺たちどころかナナでも取り戻せなかった“お前らしさ”だ」

 

 誰が取り戻したのかは敢えて言わない。言わなくてもわかるはずであるし、言ってしまうと台無しな気がした。

 トモキは涙を拭っているシズネの頭に右手を優しく置いて笑いかける。

 

「お前にもちゃんと現実に帰ってもらわないとな。あの野郎だけにナナを任せるのは不安しかない」

「……トモキくんより安心できます」

「まだ言うか。ま、それは事実だけどよ」

「でも――」

 

 涙の止まらないまま、シズネはトモキの目を見つめ返した。

 

「トモキくんたちが格好良かったことを私は忘れません。現実に帰っても」

「……そいつは最高のご褒美だな」

 

 恥ずかしげに目線を外したトモキは右手で後ろ頭を掻く。

 もうすぐ最後の戦いが始まる。

 勝っても負けてもトモキは消えるだろう。それは最早、避けられない事実。

 怖くないと言えば嘘になる。しかし、トモキは悲観していない。

 

現実(向こう)でナナと思い出話でもしてくれ。ヤイバも交えてな」

 

 ここにいた自分が幻でないとそう思えるから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ツムギの中枢。迷宮の入り口のある部屋の中心に彼女の姿はあった。

 クーと呼ばれている自称AIの少女。

 だけど俺たちが想像するAIとは全く違う。彼女にはトラウマがあり、それはとても人間らしい反応だった。

 

「クー。元気にしてたか?」

 

 呼びかけてみる。しかし今の彼女は無表情と呼ぶのも違和感があるくらい反応が薄い。

 目は虚ろ。無とでも言った方がしっくりくる。

 

「ヤイバお兄ちゃん……」

 

 一応、俺の名前を呼んでくれたけど、俺を見てくれてはいない。シズネさんが言うにはナナが連れ去られたと聞いた後から魂が抜けたように喋らなくなったらしい。

 ナナをさらわれたことが影響しているのか。

 それとも、俺が束さんの声を聞けなくなったことの影響か。

 どちらも考えられるけど、答えは出そうにない。

 

「ごめんな。俺のせいでナナがさらわれた」

 

 口をついて出たのは謝罪。クーはナナを守ることを任としていた。気にしているはずだと思うと言わずにはいられなかった。

 でも俺は心のどこかで期待もしていた。『ヤイバお兄ちゃんのせいじゃありません』と反応を返してくれるのだと。

 だけど違った。

 

「そう思うなら、早く連れ戻してください」

 

 目を見張る。無反応に等しかったクーが明確な意思表示を示したことはいい。だけどその言葉はどこか無機質で、以前のような人間らしい思いやりが欠けていた。

 

「あ、ああ。わかってる。今は居場所を調べてるところだ」

「“北緯83°、東経36°”」

「へ?」

「ナナさまの居場所です。早期の救出をお願いします」

「あ、ああ」

 

 なぜ知ってるのかなど言いたいことはあったけど、有無を言わせない迫力に押された俺は頷くことしかできなかった。

 本当にそこにいる保証はまだない。ラピスに確認してもらうとしよう。

 

「まだ何か?」

 

 俺が立ち尽くしていると無機質な声で問われる。クーの目つきは俺を糾弾するかのように冷たい。ナナが最優先と言わんばかりに、俺がこの場に残ること自体を叱責してきているようだ。

 ……きっとナナがいなくてクーの精神が安定してないんだろう。

 ここで俺が何を言ったところで無駄か。クーの言うとおり、ナナを連れ戻すことを最優先にしないと。

 

「いや。情報ありがとう。必ずエアハルトに勝ってナナを取り戻すよ」

「お願いします。私はここでヤイバさまの勝利を祈っています」

 

 一応、期待はされているらしい。だったら応えないとな。

 ……何か違和感があるけど気のせいだろう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ピンポーンと織斑家の呼び鈴が鳴る。一夏はISVSでログイン中であり応対には出ない。もっとも、今現在の織斑家には使用人がいた。オルコット家の専属メイドが玄関を開く。

 客人は黒い軍服に身を包み、左目を眼帯で隠した女性だった。

 メイド、チェルシー・ブランケットは無言でドアを閉める。

 

「え……私が何か不作法でもしたのか?」

「すみません。お嬢様からいただいたブラックリストに載っている顔でしたので……黒ウサギ隊だけに」

 

 チェルシーがドア越しに応対している相手はISVSでは有名人の1人。シュヴァルツェ・ハーゼのナンバー2、クラリッサ・ハルフォーフであった。

 

(あるじ)の意向であなたを一夏様に会わせてはいけないことになっています。お引き取りを」

「いや、私は教官――千冬さんに用事があるのだが……」

 

 しばしの静寂。そして、再びドアが開けられた。

 

「大変失礼しました。一夏様に悪影響が出ないのでしたら問題はないとのことです」

「……一体、私は何を警戒されているのだろうか」

 

 首を傾げながら中へと案内されていく。その先の客間でクラリッサは目的の人物と会えた。

 織斑千冬。ブリュンヒルデの正体であり、過去にはバルツェルの伝手でシュヴァルツェ・ハーゼを指導していたことから隊内では教官で通じる人物である。

 

「お久しぶりです、教官」

「その呼び方は止せ。ラウラにも影響が出ていたぞ」

「隊長はここで楽しくやっていましたか?」

「隊長、か……どちらかと言えばクラリッサがアイツの保護者だと思うのだが」

「たしかに姉のように振る舞っているのは事実ですね。隊長はかわいい人ですから」

 

 他愛もない談笑。しかしどこか暗い笑い声。その原因は、話題の中心人物がいないことである。

 客間へとやってきたチェルシーがお茶を淹れてきた。受け取ってすぐに口に運び、気を落ち着ける。そうでないとまともに話もおぼつかない。

 

「……私では力不足でした。隊長を守れないどころか、足を引っ張るだなどと」

 

 クラリッサが後悔を吐露する。あわや自分が昏睡状態になっていた危機だったというのに、気にするところはかわいがっていた上官のことばかり。カップを握る手にも力が籠もる。

 

「AICの天才が敵に回ってしまったのは脅威ではある。だが、クラリッサもラウラも大切な情報を(もたら)してくれた。あまり気負うな」

「しかし、隊長が――」

「解決策はわかりやすい。現実での戦闘でないのなら、ラウラの纏うIllを破壊さえすれば帰ってくる」

「私では……隊長に勝てません」

「だからこそここに来たのだろう? 私も無関係ではない。次の戦いでもおそらくは私が相手をすることになるだろう。今度は全力で向き合うさ」

 

 富士の戦いとは違う。一夏の救出が優先であったときと違い、今度はラウラを取り戻すことが千冬の戦いとなる。それが最も一夏の助けとなると理解している。

 

「それとも私では不安か?」

「いえ。お願いします、教官」

「だから私は教官では……まあ、いい。任せておけ」

 

 クラリッサも千冬には絶大の信頼を置いていることだろう。多くのISVSプレイヤーはブリュンヒルデが誰かに負けるだなどとは考えられないはずだ。

 だから不安になっているのは本人だけである。今のラウラはVTシステムだけでない。完全なコピーではなく、千冬の技能を最低限備えて強みまである強敵だ。

 それでも千冬は勝たなくてはならない。

 勝利こそが世界最強の務めなのである。

 

 クラリッサが出て行った。本当にラウラの件で話をしにきただけだった。

 バルツェル准将の部下らしい行動だ。

 亡き父の親友である強面が不安げに眉をひそめている顔を想像し、千冬は苦笑する。

 造られた存在だったラウラが、この輪の中だとただの人間である。そう肌で感じ取れた。

 

「失礼します」

 

 客間から自室に戻ろうとしたところで、入ってくる人物がある。外からの来客ではない。そして、千冬には心当たりもあった。

 

「デュノアか。またあの社長に何か言われて――」

「違います」

 

 空気を読まずにデュノア社長の使いとしてきたのだと千冬は思いこんでいたが、シャルロットはきっぱりと否定する。

 

「恥を忍んでお願いをしに来ました。父は関係なく、僕個人の意志です」

「ほう……」

 

 千冬は感嘆の声を上げる。以前にデュノア社の使いを名乗ったときとは目つきが違う。宣言通り、誰かの意志で動いているわけではないのだと見ただけでわかるものだった。

 そんなシャルロットの頼みとは何か。先に言ってしまえば、決して複雑なものなどではない。

 彼女は深々と頭を下げる。

 

「ラウラを助けてください」

 

 本当は自分で助けたかった。富士での決戦でもシャルロットはラウラの位置を把握していた。

 だがラウラの前に立つことすら適わなかった。彼女の単一仕様能力により近づくことすらできなかったのだ。

 

 改変系ワールドパージ“永劫氷河(えいごうひょうが)”。

 発動は任意、解除も任意でイレギュラーブートとしても使える。

 その効力は、自機から一定範囲内にある全てにAICをかけるというもの。その影響で真っ先にISの飛行能力が奪われる。機動力を奪われ、重すぎる機体は身動きすら取れなくなり、実弾は静止する。

 またもう1つ効力があり、ISから離れたEN兵器によるビームも急速に減衰する。

 要約すると射撃武器が全てまともに使えなくなり、IS自体の機動力を奪う領域を展開する能力だった。

 

 ラウラの永劫氷河はブリュンヒルデを捕らえる檻となっていただけでなく、周囲からの接近をも阻む障壁となる。

 徒歩で辿りついた先でシャルロットが見たものはPICの恩恵が微少な中での超人同士の立ち会い。その中に割って入ることは不可能だと悟るには十分であった。

 夕暮れの風がプライドを捨てて頭を下げた。ブリュンヒルデと比べれば夕暮れの風の名前は霞むものだが、以前の彼女ならば意地でも他人に任せたりはしなかっただろう。

 

「頼まれなくてもそれは私の仕事だ。あのバカな教え子には教官を私事で利用した罰を与えてやらねばならない。トイレ掃除でもやらせようかと思ってるがどう思う?」

 

 立て続けに同じことを頼まれた千冬は快く快諾する。元より、一夏救出に動いてくれたものたちの頼みを断るつもりなどなかった。

 シャルロットの肩を掴んで無理矢理顔を上げさせた千冬は楽しげに笑う。釣られてシャルロットの顔も明るいものに変わった。

 

「ラウラに掃除なんてさせたら酷い出来になりそうです。僕も手伝いますよ」

「良いだろう。最終的にあのメイドが完璧に仕上げるだろうが、やりたいものを止めはしない」

 

 言ってから気づく。すっかり織斑家も狭くなった。いずれ全てが解決すればいなくなるとは言っても、今だけは共に住んでいる家族みたいなものだと思うと、また千冬が戦う理由となる。

 千冬の中でラウラと決着をつける意志が固まりつつあった。同時に不安になることもできてくる。解消するためには誰かの手を借りる必要があった。

 

「逆に私からも頼む。私はラウラの相手で手一杯となる。代わりに一夏を助けてやってくれ」

「任せてください。一夏の障害は僕が取り除いてみせます」

 

 頼みごとが交差し、お互いに了承した。互いにすべきことはハッキリとしている。あとは戦場で役割を果たすのみ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 昼になり、俺は外に出てきていた。家の方は千冬姉にお客さんが来ててちょっと居づらかったからだ。まだ飯も食ってない。

 必然的に外で食事ということになるのだが、生憎と手持ちが心許ない。馴染みのある場所の方がいいしな。こうなると俺が向かう場所は限られてくる。

 藍越学園に進学してから一番多いのは無頼さんのラーメン屋台だけど、あの店は夜限定だから無理。そもそも今は1人で食いにいく気分でもないし。

 次に多いのは五反田食堂だけど土曜日に行っても弾はいない。

 だったらあそこが一番だな。たしか土曜日は店の手伝いをしてるはず。今日は俺の家に来てなかったからまず間違いない。

 

「いらっしゃいませー! おひとり様ですか――って一夏ぁ!?」

 

 店内に入ると仰天とされた。久しぶりに来たから当然の反応か。あの狂言誘拐で色々とやらかしてるからここに来づらかったし。俺のメンタルはそこまで図太くない。

 というわけでやってきたのは鈴の親父さんが営む中華料理屋。軽く1年以上振りな気がするけど雰囲気は少しも変わってない。……土曜日の昼時にしてはお客が多いとは言えないけど、絶対に口には出さない。

 飲食店として最低限綺麗にしているが建物はもうかなり老朽化をしてきている。壁なんかあちこちにくすみが見られるし。お世辞にも綺麗とは言い切れない店内だけど、逆に俺はこれくらいの方が落ち着いた。すぐ傍に調理場があることもあって、空気もどことなく油っぽい。だがこれも中華料理屋ならではの味と言えるだろう。

 鈴に案内されるまでもなく勝手に席に着く。そうしてウェイトレスの鈴に目をやってみると、彼女は私服の上にエプロンという格好だった。

 

「あれ? 今日はチャイナドレスじゃないんだ」

「あんなふざけた格好、二度とするもんか!」

「かわいいらしいから、ちょっと期待してたんだけどなぁ……」

「お父さん! あの制服ってどこに片づけたっけ?」

 

 鈴が奥に引っ込んでしまった。からかうつもりだったのに本気で着替えに行ってしまったようだ。

 ……うーむ。今更冗談とは言い出せない。そっとしておこう。

 

 話し相手もいないし、注文を取るはずのウェイトレスはしばらく来ない。注文するメニューは決まってるから、この暇な時間は携帯で潰すとしよう。

 クーの話を聞いてからまだセシリアに会えてない。今日は外に出ているとのことだった。例の情報は直接言おうと思ってたけど折角だからメールで済ませる。

 

「“北緯83°、東経36°”か……」

 

 具体的な場所はセシリアに任せるつもりだけど、俺でさえ数字だけでどんな場所かは想像できる。北緯83°なんてどう考えても北極海だ。だからこそ敵の拠点があっても不思議じゃないし、下手をすると現実の同じ場所にも何らかの施設があるのかもしれない。

 簡単に座標を送信したところでカウンターの奥で動きがあった。少し慌てた感じで飛び出してきたのは、見慣れた彼女の見慣れない格好である。

 

「お、お待たせ」

 

 これでどうだと胸を張ってはいるが恥ずかしげに俺から視線を逸らしている。俺は俺で割とすぐに鈴の顔から足に目を移していた。

 鈴が着てきたチャイナドレスのスリットはかなり深い。これは親父さんの好みなのだろうか。よくわかります。

 正直に言うと鈴の体格だと衣装に負けると思ってたんだけど、とんでもない。歩く度にチラチラと覗く白い太股が持っている破壊力を俺は甘く見ていた。

 

「うーむ……盛り上がりに欠けるなぁ」

「胸見て言ってんじゃないわよ! こんちくしょう!」

 

 太股から意識を逸らすために胸のことでからかう。鈴はお世辞にも胸が大きい方ではないから親父さんも胸を露出させるデザインにはしていなかった。もしこれで胸付近の露出度も上げていたら色々と危なかったぜ。

 ごめんな、鈴。思ったより俺の方が恥ずかしかった。

 

 軽く注文を済ませ、暇な鈴が俺の対面に座る。今は親父さんの調理待ちだし他の客の対応もないから別にいいのか。

 

「今日はどうしたのよ。ここに来るなんて珍しいじゃない?」

「なんとなくだよ。理由がないとダメか?」

「てっきりあたしに会いに来たのかと思った」

「ハハハ。実はその通りなんだ」

「その明らかな愛想笑いは癪に障るわ」

 

 あながち冗談でもないんだけど、鈴が勘違いしてるならそのままでいい。

 セシリアがいなくて千冬姉が忙しそうにしてる家で飯を食うより、来やすい間柄の誰かが居るところに来たかったんだ。

 

「あたしじゃなくて誰でも良かったって感じなのよね」

 

 全然勘違いしてないじゃん。やっぱり鈴は鋭い。

 

「でも、あたしの予想とは違ってる。一夏のことだからもっと取り乱してると思ってた。今日も本当ならさっさと手伝いを切り上げて様子を見に行くつもりだったのに」

「……今の俺って変か?」

「当たり前よ」

 

 自分では気づいてなかったけど、今の俺は変らしい。

 取り乱す、か。言われてみればナナがエアハルトにさらわれたっていうのに俺は落ち着いてる。数馬が失踪してたときなんかはがむしゃらに街を走り回ってたくらいだったのにな。

 ナナが大切な存在じゃないからか? いや、そんなはずはない。彼女の顔を思い起こすと抱きしめたい衝動に駆られる。会えないとばかり考えると鈴の予想しているような取り乱した俺になるから、考えすぎないようにしているだけなんだ。

 

「慌てたところでナナが帰ってくるわけじゃない。今はセシリアたちを信じて待つ。俺は次の一回で確実にエアハルトをぶちのめす。休むのが最良なんだよ」

 

 もう1つ、俺が落ち着けているのはきっと束さんの話の影響だと思う。

 箒を取り戻すために俺は自分を最適化しなくちゃいけない。無駄なことはせず、必要なことのみを実行して確実に達成する必要がある。

 今は俺の力の及ばない状況。そして、エアハルトと戦うときになれば全力を尽くす。

 もう俺の中でその割り切りはできている。鈴に質問されて再確認した。

 

「そろそろ出来るわね。ちょっと待ってて。持ってくる」

 

 話の途中だが鈴は席を立ちカウンターの方へと向かう。

 流石は中華料理。注文してから出てくるのが早い。俺の前に置かれた酢豚から立ち上る香りが空きっ腹を刺激する。我慢は体に悪い。割り箸を取って早速食べ始める。

 すると、また鈴は俺の正面に座った。両手で頬杖をつき、やたらとニコニコしながら食事中の俺を覗いてくる。

 

「なんだよ? そうやって見られてると食べづらいんだけど……」

「いいじゃん。減るもんじゃないし」

「逆の立場になって考えてみろ。俺がじっと見てる中で食べてて気分がいいか?」

「最高だと思うけど?」

「お前に聞いた俺がバカだったよ」

 

 今日は俺よりも鈴の方が変じゃないだろうか。鈴の奴ってこんな価値観だったっけ?

 

「ねえ、一夏」

「ん?」

 

 なぜか改まって俺の名前を呼んでくる。変だと一言でいうなら簡単だけど、鈴の意図が掴めなくて困る。ただまあ、上機嫌そうだからいいんだけど。

 

「美味しい?」

「じゃなきゃここに来ないっての。でも前に食ったのと違う気がする」

「実はその酢豚、あたしのアレンジレシピなのよ」

「そうなのか。ってことは作った人の腕の差だろうな」

「何が?」

「俺の家で食った奴よりこっちの方が旨い」

「随分とハッキリ言ってくれるわね……まだお父さんに適わないのは認めるわよぅ……」

 

 口を尖らせて拗ねたけど怒ってはなさそうだ。つい正直に言っちゃったけど結果オーライ。とりあえずじーっと見て来なくなったから落ち着いて食べられる。

 

「そういや、鈴の酢豚を初めて食ったのって中3のときだったっけ」

「そ、そうよ。よく覚えてるわね」

「当たり前だって。筆舌に尽くしがたいという言葉の意味を知った瞬間だった。悪い意味で」

「喧嘩売ってる?」

 

 おっと、流石に図々しすぎたか。久しぶりに鈴に青筋が浮かんでるのを見た。

 さて、どう機嫌を直してもらおう。

 しかし何事もなかったかのように鈴は大笑いした。

 

「ま、仕方ないわよねー! あのときのあたしの料理ってひどかったもん!」

 

 この自虐を否定する言葉を俺は持ち合わせていない。

 あのときの鈴が作った酢豚は酸っぱかったもんなぁ。調味料の加減が全然できてなくて、絶対に俺が自分で作った方が旨かったと断言できる。

 たぶん……鈴は中3まで料理なんてしたことがなかったんだ。料理はどうしても両親の確執を思い知らされただろうから見たくもなかったはず。

 変わったのは中2の冬。今思い返すと我ながら無茶をしたもんだけど、親父さんと仲良く料理をする鈴が得られたと思うと『良くやった』と自分を褒めてやりたい。

 

「ちゃんと上達してるよ、鈴は」

「それってお世辞?」

「本当だって。いつか親父さんの味も超えるって信じてるぜ」

「うん、頑張る!」

 

 なんか小さい子供みたいに元気な返事がきた。体格の小ささも相俟って同級生なのに年下みたいに思えてしまう。これがいざとなったら男顔負けの勇ましさを発揮するなんてにわかには信じられないよな。

 酢豚を完食。すぐに出ていかずに鈴と話でもしていようと思った矢先だった。店内に新たな客がやってくる。話し相手はしばらくお預け。鈴は席を立って入り口へと歩いていく。

 

「いらっしゃいませー! 何名さ……」

 

 鈴の挨拶が途中で止まった。何かトラブルでもあったのかと入り口に目を向ける。すると、そこには中華料理屋には似つかわしくない金髪縦ドリルの美少女の姿があった。

 店員のスマイルをどこかへと捨てた鈴が口を尖らせる。

 

「何しに来たのよ……」

「もちろんお食事ですわ。ちなみに3名です」

 

 先頭のインパクトに持っていかれたけど、よく見ればセシリアの後ろに簪さんとのほほんさんが付いてきている。珍しい組み合わせだった。

 

「……では席にご案内します」

 

 ぶっきらぼうな応対をする鈴。対するセシリアは彼女の案内を無視してこっちに向かってきた。

 

「あら、一夏さんもいらしたのですか」

「まあな」

「ちょっとアンタ! 何勝手に――」

「相席よろしいかしら?」

「もう俺、食い終わってるんだけど」

「まあまあ。お話にだけでもお付き合いください」

 

 そう言ってセシリアは俺の正面に座る。簪さんとのほほんさんも同じテーブルについた。

 不機嫌さを露わにする鈴の様子を見ておどおどしている簪さんに、目を輝かせてメニューとにらめっこするのほほんさん……両極端な2人だなぁ。

 この2人と一緒にいることといい、鈴の店に来たことといい、絶対に偶然なんかじゃない。3人が適当に注文を終わらせ、鈴が奥へと引っ込むとセシリアは俺を真っ直ぐ見据えてくる。

 

「お元気そうで良かったですわ。これも鈴さんのおかげでしょうか」

「最初っから俺がここにいるの知ってて来たんだな」

「否定はしませんわ。ただ、一度ここに来てみたかったというのもありますわね」

 

 店内を新鮮そうに眺めるセシリア。来てみたかったというのは本当だと思う。セシリアが来る飲食店としては品格なんてまるでないところなんだけど、鈴の家ってことに意味があるんだと俺は勝手に納得する。

 しかし簪さんもセシリアと同じように店内を見回している。彼女も実は割と大衆向けの食堂とかに縁がないのかも。

 

「簪さんとのほほんさんがセシリアと一緒だなんて珍しいな」

「ああ、それは――」

「一夏くんに聞きたいことがあったから……」

 

 簪さんが話してくれた。俺に会うためにセシリアについてきたってことらしい。昼食はついでなんだ。のほほんさんはどうか知らないけど。

 

「簪さんのお話はまた後ほど。まずはわたくしからでよろしいですか?」

「うん……それでいい」

 

 セシリアからの話。まさかとは思いつつ俺の方から心当たりを聞いてみる。

 

「さっきのメールの件?」

「はい」

 

 俺が飯を食べ始める前に送ったメール。それは敵の拠点が北極にあるかもしれないというもので大雑把な座標も指定したものだった。

 まさか肯定されるとは思わなかった。こんな短時間で調べ終わったのかよ。

 

「で、どうだった?」

「星霜真理で調べたところ、ISコアの不自然な集中が確認できましたわ。十中八九、マザーアース。さらにゲートジャマーが確認されたため、トリガミのような登録されていないレガシーである可能性も高いです」

 

 つまり、隠されていた敵の拠点を発見したということになる。セシリアですら発見が困難だった場所をクーがどうやって見つけているのかはさっぱりわからないが、彼女の情報は正確なものだったようだ。

 間違いなくそこにナナがいる。そうなるとここでのんびりしている時間は終わり。さっさと家に戻るために席を立つ。

 

「お待ちください。攻撃は明日ではいけませんか?」

 

 席を立った俺はセシリアに掴まれた。彼女の手を強引に振り払って良い結果が出た試しがない。大人しく彼女と向き合う。

 

「どうしてそんな悠長なことを言うんだ?」

「今の一夏さんには周りが見えておりません。一夏さんは睡眠のような昏睡状態から解放されたばかりで動けます。しかしながら昨日、一夏さんのために戦った方たちは疲れ果てているのです」

 

 いくらISVSといえども精神的疲労と無縁ではない。俺は結果的に休めているが皆は連日の戦いばかりで疲労困憊であるとセシリアは言う。

 俺には否定する言葉などなかった。

 

「わかった……俺一人じゃ奴らに勝てないしな」

 

 セシリアが俺を止めるということは敵の拠点の戦力はこれまでと同等かそれ以上であることを指す。敵にマザーアースが1機あるだけでも俺単独では突破できない。

 

「予定は? 皆には伝えてあるのか?」

「弾さんやマシューさんといった方々には伝えておきました。あとは通常のミッションと同じように協力者が集まると思われます」

「敵にそのことは気取られてると思うか?」

「おそらくは今日に奇襲をかけられることすら想定していると思われます。急ぐことよりもこちらの体勢を万全に整える方が現実的でしょう」

「皆の休養。あとは敵の対策を練るってところだな」

「はい。そのことでも今日はお話があります」

 

 敵の対策を練る。敵の主力と言えるマザーアースはもちろんのこと、俺が一番気にしているのはエアハルト。ナナが奴に連れ去られたってことは、奴は以前までとは違うはず。

 そんな俺の意図をセシリアも理解してくれているのか、話題はやはり奴のことだ。

 

「長らく不明でしたがエアハルトの単一仕様能力の概要が掴めました。種別はクロッシング・アクセス系イレギュラーブート。発動条件は対象のISの頭を鷲掴みにすること。効果は対象ISを強制的に命令に従わせるというものです」

 

 思ったよりも使いにくそうな能力という印象だ。俺が接近戦ばかりしているから思うことだが、相手の頭を手で掴むというのは面倒極まりない。使いづらいとされているシールドピアースを当てる方が簡単だ。そんなレベルのことをしなければ使えない能力となると実戦での使い道はほとんどないと言える。

 効力の方は大きい。それでも戦闘で多数を相手にするのには向いてない。ブレードで斬った方が早いに決まってる。

 

「つまり、頭を掴まれないように注意しろってことだな。でもなんでクロッシング・アクセス系なんだ?」

「クラリッサさんからの情報ですが、能力を使用された際、相手側の記憶と思われる光景を見たそうです。わたくしが一夏さんとのクロッシング・アクセスで経験したことを同じでしたので、そう判断しました」

「強制的にクロッシング・アクセスをする能力ってことか……」

 

 クロッシング・アクセスはまず起きない。単純に仲が良いだけで起きているのならもっと一般的なものになっているはず。条件は不明だけどエアハルトが見ず知らずの相手とクロッシング・アクセスしたとなると、漠然と無理矢理なんだと思えた。

 

「エアハルトのワンオフはそれほど脅威とは思えないな。だったらナナはどうして負けた?」

「目撃した方の情報を集めてみると、ナナさんもラウラさんも“黒い霧”にやられたとのことです。変幻自在に動き、実体にもEN属性にも対応できるそうですわ」

「黒い霧……」

 

 ここで聞いたことのあるキーワードが出てくるのは偶然とは思えない。

 エアハルトの使ったという装備の概要を聞いた俺は思わず笑ってしまった。

 

「一夏さん……? どうかされましたか?」

「あっと、ごめん。気にしないでくれ」

 

 笑わずにいられない。“黒い霧”は箒たちをISVSに閉じこめた元凶の証明に等しい。エアハルトを倒す意味はナナを取り戻すことに留まらない。

 ……束さん。思ったよりも早く約束を果たせそうです。

 エアハルトに捕まったというラウラもエアハルトさえ倒せば帰ってくるはず。何をすればいいのかはハッキリした。

 

「わたくしからは以上ですわ。次は――」

「私。一夏くんに聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

「ああ」

 

 先行きが見えてきて、気が大きくなっていた俺は特に考えることなく返事する。

 すると、簪さんは手の平側を上に向けて右手を出してきた。

 

「イスカを貸して」

「え、あ、ああ。ほい」

 

 意表を突かれた要求だった。しかし一度頷いた手前断りづらく、言われるままにイスカを手渡す。

 何をするのかと黙って見つめる。

 簪さんは表と裏を確認したかと思うと、あろうことか俺のイスカを自分の上着のポケットに仕舞い込んだ。

 

「ちょ、おま! しれっと自分の懐に入れてんじゃねえ!」

「ひっ! ご、ごめんなさ……」

 

 ついセシリアや鈴と同じように大声でツッコミを入れたら彼女を怖がらせてしまったらしい。慌ててポケットからイスカを出して俺の方に差し出している。

 何か悪いことした気分だ……

 そんな俺を咎める一撃が上から降ってくる。

 

「女の子泣かせるなんて最低よ、一夏!」

「ぎゃふん! って、鈴? これは俺が悪いのか?」

 

 拳骨を振り下ろしたのは料理を運んできた鈴だった。片手でトレーを支えながら俺を殴りつけられるとは脅威のバランス感覚である。無駄な才能だと言っておこう。

 俺は悪くない。とはいえ、悪いことをした気分になったのも事実。

 

「ごめんな、簪さん。だけどまさかイスカを持っていかれるとは思ってなかったんだ」

 

 謝りつつも暗に説明を要求する。その意図を察してくれた簪さんは俺のイスカを両手で差し出したまま言ってくれる。

 

「一夏くんは昨日……白騎士を使ってた。だから……白騎士の情報がないか調べておきたかったの」

「そっか。だったら預からないと調べられないな。次の戦いは明日って決めたからそれまでなら問題ないし。でも最初からそう説明してくれれば別に怒らなかったのに」

「……言おうとしたときだったの」

「ごめん」

 

 少しばかり遅いよ、とは思ったが俺がせっかちだったのも悪かったかもしれない。前にも唐突にイスカを取り上げられた経験があるものだから許してほしい。

 簪さんのしたいことはわかる。たしかに昨日の戦いで白騎士が上げた戦果は凄まじいものだった。ISVSにあったら間違いなくバランスブレイカーになるが、敵との戦いに限ればあって困るものじゃない。

 ……でもよく考えると白騎士って10年前にあったISなんだよな。そのデータを今更欲しがるってどういうことなんだろう?

 

「10年前、白騎士はISの見本として篠ノ之博士から提供されました。しかし、白騎士をそのまま使っても白騎士事件で見せていた性能の10分の1も発揮できなかったのです」

 

 俺の疑問は顔に出ていたのか。セシリアが補足を入れてくれる。

 

「束さんが何かを隠してたってことかな?」

「多くの研究者はそう見ていますわ。だからこそ篠ノ之博士を信用できず、テロリスト扱いする者までいたのです」

 

 束さんがテロリストとして疑われていた背景には国際社会の信用がなかったのもあるわけか。たしかに2千発以上のミサイルを完璧に落とした謎の兵器として登場したのに、実物を渡されて誰も再現できないのなら何か裏があると思うだろうし。

 どうして束さんはそんなことをしたのか。

 きっとこの事件に関わらなかったら、束さんを理解できずに終わってた。

 でも今は違う。俺はツムギを知ってる。束さんがツムギに守られていたのも知ってる。束さんには敵がいたんだ。

 だから真実は国際社会が束さんを信用する以前の問題。束さんが世界各国の首脳を信じていないことが根源にある。

 

「何かわかったら俺にも教えて、簪さん」

「うん……」

「そういえばセシリア。昨日の戦いに白騎士が現れたって事実はどれくらいの人に知られてるんだ?」

 

 白騎士の話を聞いて、昨日の派手な活躍は問題じゃないかと思い至った。白騎士の情報が貴重なものなら、男性操縦者やイロジックのようにアメリカとかが欲しがっても不思議じゃない。

 だから確認してみたんだけど、セシリアが目を丸くする。

 よもや彼女が気づいていないとは思わなかった。

 

「まさか一夏さんが気づくなんて……」

 

 前言撤回。セシリアが気づいてないなんてはずはなくて、わざと俺に話さなかっただけ。

 ってか失礼すぎるだろ。俺を何だと思ってるんだ……いや、学校の成績はお察しだけどさ。

 

「一夏さんが危惧されているとおり、倉持技研や日本の立場は苦しいですわね。平石羽々矢が公表していたイロジックの存在が失われた今、手柄を求めるアメリカの手のものが狙ってくる可能性があります」

「だろうなぁ……ナタルさんが味方じゃないのかぁ」

「いえ、あの人は割と千冬さん寄りなので心配は要りませんわ」

 

 意外だ。最初にナタルさんに敵意を見せていたはずのセシリアが彼女を擁護してる。つまり、本物の銀の福音が俺たちの敵として立ちはだかる心配はしなくて良さそうというわけか。

 と、そういえば。今の話に出てきた名前を忘れてた。

 

「数馬を騙してたっていう平石羽々矢はどうなったんだ?」

「捕まえた……お姉ちゃんが言ってたから間違いない」

 

 簪さんが答えてくれる。楯無さんが捕まえたって断言したならそれは事実だろう。あの人が簪さんに嘘をつくとは思えないし。

 だけど何もかも解決しているとは言っていない。

 

「捕まった平石羽々矢ですが、昏睡状態が続いているそうですわ」

「Illに喰われた? エアハルトの仲間じゃないのか!?」

「少なくともIllが関わっていることだけは確実ですわね」

 

 セシリアは含みを持たせた。そう、Illに喰われていなくともIllの傍にいれば同じような状況に陥るはず。

 いなくなったわけじゃないかもしれない。でも数馬にやっていたような非道な真似はできないだろうと思えば進歩ではあるか。

 

「あ、これ美味しい! かんちゃん、あーんして!」

「ほ、本音!? 一夏くんの前でそれはちょっと……」

 

 話し込んでいる間に頼んだ料理が既に並び終わっている。俺たちに構わずのほほんさんは先に食べ始めていた。簪さんに食わせてる麻婆豆腐は結構辛いんだけど、簪さんは平気かな?

 あ、やっぱり辛そう。涙目で水を求めて手が空中を泳いでる。

 

「お話はここまでですわね。食事にしましょうか。一夏さんはこれからどうされます?」

「腹一杯だけど皆が食べ終わるまで待ってようかな。イスカがないからISVSも出来ないし」

 

 女子3人の食事が始まり、俺は手持ち無沙汰で見ているだけ。

 ついでにセシリアの顔をじっと見ていたら「こういうとき、紳士はどうするべきと思いますか?」などと言われてしまった。どういう意味かわからんけどジロジロ見るなってことだろうと思い、そっぽを向く。

 

「あれ? アンタ、まだ帰らないの?」

「折角だからセシリアたちを待ってようと思ってな」

「……ふーん」

 

 鈴が不機嫌そうにこちらを見てくる。これは『早く出てけ』と責めてきているのか。だったらハッキリ言ってくれればいいのに。

 一応、まだ邪魔にはなってないと勝手に判断して居座ることにする。俺が退いたところでテーブルが空くわけじゃないし。それにお客さんも多いわけじゃない。

 しかし、外がやけに騒がしくなってきたな。今日、この辺で何かイベントでもあったっけ?

 

「い、一夏! 食べ終わってるなら早く出ていくのが筋ってもんじゃない!?」

 

 さっきまでやや遠回しだったのに、何故か急に直球で帰れと言ってきた。何があったのかは知らないけど、この変化は異様だ。

 

「ああ、もう! あ、しまった! まだ着替えてなかった! これもマズい!」

 

 完全にパニクっている。一体何が彼女をそうさせているのだろうか。

 その答えは入り口が開くと同時に理解できた。

 

「来たよー! 鈴ちゃーん!」

「今日もたらふく食うぜ!」

「やべっ! 今日の鈴ちゃん、チャイナドレスだ! これは嬉しい誤算!」

 

 なんともまあ……見覚えのある団体だこと。軽く見積もって30人近くいる気がする。でもってどういう集団かは先頭にいる男2人でわかった。

 幸村亮介(サベージ)内野剣菱(バンガード)先輩。

 つまり、鈴ちゃんファンクラブの面々だった。

 土曜日の昼だってのに人が少ないのはそういうことか。こんな連中が来るって知ってる人はわざわざ来ようとは思わないんだろう。悪意がなくても立派な営業妨害になってる気がするが、俺が気にすることでもないか。

 にしても数が異様すぎる。テーブル席が次々と埋まっていき、あっという間に満席という事態になった。

 

「あ、織斑がいる!」

「鈴ちゃんが珍しい格好してると思ったら、そういうことか!」

「ナイス、織斑!」

「俺は今、初めて織斑という存在をありがたく感じている!」

 

 何やら俺が褒められているようだが少しも嬉しくない。まあ、知らない間柄でもないし、色々と助けられてるから愛想笑いでもして手を振っておこう。

 ……コイツら、無駄にテンション高いな。疲れなんて溜まってないんじゃないの?

 

『鈴ちゃん、かわいいよ!』

「だーっ! いちいち、うっさい!」

「ポーズとってよ、ポーズ! 織斑を悩殺する勢いで!」

「誰がするかぁ!」

『えー! 勿体ない!』

 

 ファンクラブの数人が俺を見てきた。まさか俺に同意しろとでも言う気か?

 お断りだ。俺までお前らと同じ扱いを受けたくはない。

 首を横に振ると盛大な舌打ちが返された。率先しているのは内野先輩。この人、本当にブレないな。

 って、ちょっと待て。ファンクラブの中に弾が混じってやがる。土曜日なのに虚さんはどうしたんだよ!

 

「ねえ、のほほんさん? 今日、虚さんって何してるの?」

 

 隣に座ってるのほほんさんに聞いてみる。ファンクラブという変人集団を目の当たりにしてもまるで動じていないどころか指さして笑い転げている彼女は平然と答えてくれる。

 

「お姉ちゃんはお仕事~」

「よくわかったよ。弾の奴は暇なんだな」

 

 店内は俺たちを蚊帳の外にして盛り上がっていく。弾みたいに遊び半分で参加している奴もいるが、これも鈴人気なんだろう。

 

「あたしをからかうな、おだてるな、かわいいって言うなぁ!」

 

 鈴が叫ぶ。まあ、弾の奴まで混ざってるならからかわれてるだけに見えるわな。幸村や内野先輩はガチなファンだと思うけど。

 

「鈴さんは人気なのですわね……羨ましい」

 

 鈴に物憂げな眼差しを向けているセシリアがそっと呟く。

 現役の代表候補生が見当違いなことを仰っているのでつい口出しせざるを得なかった。

 

「いや、たぶんセシリアの方が世界的にファンは多いぞ。鈴のはあくまでローカルな人気だ」

「……同じくらい、もしくはそれ以上に嫌っている人の方が多いですわ」

「それはセシリアのことを誤解してる奴だけだって。少なくとも俺は好きだぞ」

「だといいですわね」

 

 少しだけセシリアの顔に明るさが戻る。思ったよりも深刻に考え込んでたみたいだけど、俺の一言で気が楽になったなら安いもんだ。

 

「アンタら! とにかく注文しなさいっ! ないならとっとと出てけぇ!」

「イエス、マム! 1人当たりノルマ1000円、貢がせていただきやす!」

 

 鈴の激昂。もう声量は近所迷惑レベルになってる。

 そんな鈴の反応もファンクラブの連中にとっては褒美なんだろう。ほぼ全員がにやけながら敬礼をしてやがる。1人1000円は高校生にしちゃ払ってる方だし人数がハンパないけど、この店大丈夫かな。経営的な意味だけじゃなくて。

 流石にこの人数は鈴1人じゃ捌ききれない。調理場からも数人が援軍に駆けつけてオーダーを取っていく。

 そんな中、1人だけ席を立って調理場に向かっていく姿がある。幸村だった。

 奴は調理場にいる鈴の親父さんに人差し指を突きつけた。

 

「行くぞ、ご主人! 食材の貯蔵は十分か?」

「黙れ、小僧。お残しは許しまへんで」

 

 何故か喧嘩腰な宣戦布告だった。コイツら、店の食材を食い尽くすつもりかよ。1000円じゃすまねえぞ?

 なんだかんだで大量の注文が入ってしまった。調理場が唐突に慌ただしくなるのも無理はない。いくら中華料理屋でもこの人数だと全員分が出てくるのには時間がかかるだろう。

 鈴も調理場の援軍として奥に引っ込んでしまった。そうなるとここに集まった男たちは暇になってしょうがないはず。自然と鈴に関係ないダベりが始まるわけだ。

 

「おい、皆。聞いてくれ! アゴが女子に告白したらしい」

 

 まさかの恋バナだった。しかもセシリアとはいえ同じ学校の女子の前でする話題じゃない。

 ……コイツらが常識で動いてるわけないか。いい意味でも悪い意味でも。

 アゴとは藍越エンジョイ勢のプレイヤーであるアギトのこと。鈴のファンクラブ所属じゃないし、弾みたいにバカ騒ぎが好きでもなさそうな奴だからこの場にはいない。

 ちなみにセシリアたちは黙って食べている。男連中が入ってくるまでは会話もあったんだけど雰囲気に飲まれてるんだろうな。特に簪さんが。

 

「アゴが誰に告白したんだよ? あの顔でさ」

「相川と一緒にいた――」

「サマーデビル?」

「違う、もう一人の方」

 

 相川さんはうちの学校の同級生だけど、ほか2人というのは別の学校だ。サマーデビルの方は谷本さんだったかな。でも彼女でもないらしい。

 あれ? でもたしか、もう一人って……

 

「まさかの伊勢怪人かよ! いや、確かに中身は超美人だったけども!」

 

 弾も覚えていた。伊勢エビの着ぐるみに身を包んだランカー。中身が同い年の女子だって知ったのは結構後のことだけどさ。

 

「で、どうなったん?」

「『伊勢エビよりも格好悪い人はお断り』だそうだ」

 

 そいつは……悲しい返事だな。同情するぜ、アギト。

 だが悲しんでるのは俺だけらしい。店内は笑い声に包まれていた。

 

「ギャハハハ! アゴの奴、甲殻類に顔で負けてんのか!」

 

 一番声がでかいのは弾。彼女持ちだからって調子に乗りすぎだろ。

 同意する輩ばかり。アギトの名誉のために俺が立ち上がろうかとも考えたが、特に反論が思いつかなかった。すまない、アギト。

 

「でも、ナギーはダンダンが一番あり得ないって言ってたよ~」

 

 急にのほほんさんがしゃべったと思ったら男たちの笑い声が止んだ。

 ナギーとはきっと伊勢怪人のこと。たしか本名は鏡ナギだったはずで、彼女はのほほんさんと同じ学校に通っている。

 別世界のように静まりかえった店内でのほほんとした口調が場を支配した。

 

「朝の校庭で~、情けない愛を叫ぶ姿が滑稽だったってさ~」

「忘れてくれ! 頼むから!」

「じゃあ、お姉ちゃんに『忘れて』って伝えておくー」

「ノリノリでドS発言!? また俺、校庭の中心で叫ばなきゃいけないの!?」

 

 いつの間にか弾が笑われてた。まあ、因果応報だから止めはしない。

 

「そ、そういえばジョーメイにも好きな人が出来たらしい」

 

 ここで弾は強引な話題転換を仕掛ける。しかしその話題はいくらなんでも苦し紛れの嘘としか思えない。

 ジョーメイはうちのクラスでも硬派で通ってる堅物。なぜかこの場に居てしまっているが、鈴やセシリアに一切靡かなかった強者だ。

 全員の注目がジョーメイに集まる。ここで冷静に否定されて弾が非難されるのがオチだ。

 ……そう思っていた時期が俺にもあった。

 

「な!? オホン。何を世迷い言を言ってるでござるか? そのような根も葉もないデマを流さないでいただきたい」

 

 ありえないくらい動揺してた。こうなると、もう俺たちの好奇心は止まらない。硬派男を陥落させた女子が誰なのか激しく気になってくる。簪さんとのほほんさんも食事の手を止めてまで聞き耳を立てていた。

 ここで弾が追撃の手を加える。

 

「ジョーメイはISVSにログインしては必要もないのにツムギにまで通っているとのことだ。ちゃんと証言(ウラ)もとれている」

「え? ツムギのメンバー!?」

 

 今のツムギはゲートジャマーの影響で俺の家から以外はロビーから長距離を移動する必要がある。しかも企業からの許可かミッションによるゲート使用で外に出なければならない。そこまでの面倒を抱えてツムギに行く目的は恋愛ごとにこそあると邪推するのは仕方ない。

 

「ぐぬぅ……」

「しかも図星だ。一体、誰だろう……自称ウザい人? 腹黒大和撫子?」

「そういや最近になってヤイバへの愚痴が目立ってたな。つまり――」

「や、や、やめるでござる! 土下座でも何でもするから放っておいてくれー!」

 

 からかいすぎてジョーメイの口調が壊れつつある。しかしジョーメイが俺の陰口を叩いてたのか。これは意外なことを知った。だからって何かするつもりはさらさらないけど。

 

「そういうお主らは――」

 

 ジョーメイも弾と同じように話題を変えようとする。だがな、ジョーメイ。それは愚問という奴だ。

 

 

『もちろん鈴ちゃん一筋に決まってる!』

 

 

 ここにいる男子はお前と弾、俺を除けば鈴のファンだけなんだって。

 ちょうど鈴が料理の第一弾を持ってきたところで固まっている。

 

「モテモテだな、鈴」

「もうやだ、コイツら……」

 

 鈴の顔に疲れが見えた気がするけど、そっとしておこう。

 

 

 

「――ここは、楽しいな」

 

 

 

 不意に後ろから声がした。俺はハッとして振り返る。

 人が多かったり、騒いでいたから気づかなかった。

 真面目っぽい眼鏡をかけているがイメージに反して肉体労働が得意な男。

 まさかここに来てるだなんて考えもしてなかった。

 

「数馬……?」

「ちょっといいか? 話がある」

 

 昨日……いや、今日まで行方をくらませていた男がこうして姿を見せた。

 色々と話だけは聞いてた。もう追われるだけの理由がないこともわかってる。

 だけどこうして俺たちの前に姿を見せられるのはまだ早い気がする。にもかかわらずこうしてやってきたのは本当に大事な話があるからだ。

 

「わかった。外に出よう」

 

 チラッとセシリアに目配せをする。彼女はウィンクだけ返してきた。これで数馬との話に邪魔が入らないよう手を打ってくれるはず。

 俺と数馬は連れ立って外に出た。店の入り口だと落ち着かないため、路地へと入る。人通りがないどころか日光もあまり入ってこない、建物の隙間というだけの狭い空間は2人だけで静かに話をするにうってつけだった。

 久しぶりに会った数馬は少しやつれて見えた。それもそのはずだ。俺たちから逃げている間、ほとんどまともに飯も食えてなかっただろうし。

 ……それだけじゃないか。

 昨日の戦いの顛末は聞かされている。俺を倒してまで数馬が守りたかったものはもう……

 

「一夏が思ったより元気そうだと思ってたんだけど、俺の顔を見るなり暗い顔しないでくれよ」

「あ、わりぃ」

「親父たちも無事に目を覚ました。これから何もかもが元通りになるんだから悪い話ばかりじゃないって」

 

 数馬は笑ってくれているが明らかに作り笑いだ。今までも作り笑いだったみたいなことを言ってたけど、その質が大きく違ってる。

 だけどそれをわざわざ指摘することはできなかった。きっと数馬は前を向こうとしてる。それを俺が邪魔することなどできない。

 

「……俺のことはともかくとしてだ。ナナさんがさらわれたんだって?」

「ああ。でももう場所は見当がついたから、明日にでも乗り込むつもりだ」

「そっか……まだ取り返しがつくのか。良かった」

「数馬はこれからどうするんだ? 俺を手伝ってくれるのか?」

 

 ゼノヴィアのことで敵対していた手前、当たり前に数馬が協力してくれるとは限らない。そう思っての質問だ。

 以前とは少し違う距離感の俺たち。そう思っているのは俺だけでなかったらしい。数馬は目を見開いていた。

 

「まだ……俺を友達と思ってくれてるのか……?」

「それは俺のセリフだっての。あのときは俺が悪かった。ゼノヴィアって女の子は絶対に悪者なんかじゃない」

「……ありがとう、一夏」

「なんでだよ。礼なんて言うタイミングじゃ――」

「ありがとう……」

 

 涙まで見せられたら俺はこれ以上何も言えなかった。

 ……だから俺が謝るべきなんだよ。数馬がこれほどまで大切にしてた子を問答無用で殺そうとしていたんだから。

 しばらくそのままそっとしておいた。落ち着いたところで数馬は自分で涙を拭う。

 

「ごめん……ちょっと涙腺が緩くてさ」

「皆には黙っておくから安心しろって」

「そうしてくれ。戻るときにからかわれたくないし」

「流石にそこまで空気を読めない奴は1人もいないだろ」

「言われてみりゃそうだね。一夏が大丈夫なら皆大丈夫に決まってる」

「うん、そうそう――ってその言い方だと俺が一番空気読めないってことになるだろ!」

「え、違うん?」

 

 こればっかりは違うと否定できない。空気を読めると自称するなんて情けない男が空気を読めてるわけないし。

 俺が黙り込むと数馬の奴は吹き出した。目に涙すら浮かべて腹を抱えている。

 ……野郎。俺が黙認するのをわかってて言いやがったな。

 

「ひどいな、数馬は……」

「これくらい、いつものことじゃん」

「違いない」

 

 本気で戦った俺たちだけどまたこうして笑い合えている。きっと数馬が望んだ未来とは違ってるんだけど、また数馬と友達でいられるのは純粋に嬉しく思う。

 俺は右手を差し出した。

 

「だから、空気を読まずに言ってやる。明日の決戦に数馬の手を貸してくれ」

 

 戦力的には数馬1人が加わったところで大勢に影響はない。だけど俺としてはよく知らない誰かよりも数馬がいてくれる方が心強い。気の持ちようの話なんだ。

 ゼノヴィアを救えなかった数馬にとって酷な話かもしれない。それでも俺は数馬の力も借りたい。そう思うのは図々しいだろうか。

 

「ごめん、一夏。それは無理」

 

 正直、断られるとは思ってなかった。俺はがっくりと肩を落とす。

 しかし、右手を下ろす前に数馬の右手が掴み取ってきた。

 

「勘違いはしないでくれ。別に一夏が嫌いだとか、本気でナナさんがどうなってもいいとか思ってるわけじゃない。俺の力でいいのなら貸してやりたい。だけど一夏の要請には応えられないんだ」

「どういうことだ?」

「少し野暮用があってさ……今日、これから日本を出ることになってる」

 

 急な話だった。国外に出るとなると、環境によってはISVSが出来なくなるのはわかる。

 でもどこへ? 心当たりがあるにはあるけど、数馬はそれを認めたのか?

 

「アメリカに行くのか?」

「行き先はまだ知らない。でも一夏が心配してるようなことじゃないよ。宍戸先生も一緒だから」

「宍戸が? どうして?」

「元々、宍戸先生に俺が志願したことなんだ。俺なりのけじめになるし、俺にしかできないことだと思ってる」

 

 数馬は左手を顔の高さに持ってくる。薬指に輝いている銀色のリングがおよそ高校生には似つかわしくない。

 ……そうだったな。お前は特別だった。

 

「俺は一夏と共に戦ってるつもりだよ。たとえ隣じゃなくてもね」

「わかった。行ってこい、数馬」

 

 堅く握手を交わす。こうして俺たちはお互いの背中を押している。

 立つ戦場は違うし、思惑も違うかもしれない。それでも俺たちは共に戦う仲間だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 とある山間部。表向きは電化製品の製造工場に偽装している場所の地下深くで銀髪の男が透明なガラスケースの中身を眺めていた。

 声を発することなく、中で横たわる者を見つめて目を細める。悲哀を感じさせる視線はおよそ彼らしい表情ではない。この部屋に居るもう1人、作業着姿の無精髭男、ウォーロックは尋ねざるを得ない。

 

「意外だな。そんな顔もできたのか」

「顔などいくらでも作れる。人間は愚かだ。表層しか見えぬものから心などというものまで見ようとする」

「……別に俺は心の話なんてしてねえよ、ヴェーグマン」

 

 2人のやりとりは明らかに変化してきている。初めはエアハルトに混乱が見られていて、ウォーロックは理不尽な粛正がくるかもしれないと戦々恐々としていた。

 だが次第にウォーロックは理解し始めていた。確かにエアハルト・ヴェーグマンはある目的のために造られた存在だ。しかし、遺伝子操作していようと根本は人間。本当に感情が抜け落ちることなどなく、これまではただ感情を知らないだけだった。

 あくまで仮説。しかし否定する材料どころか、時と共に肯定する材料しか出てこない。

 きっかけはヤイバ。エアハルトにとって目的も憎悪も誰かに与えられたものではある。しかし、自らに何度も立ちはだかる男に対して覚えた怒りは彼本人のものだった。そして、今のように怒り以外の顔を見せるようにもなっている。

 

「それでだ、ヴェーグマン。もう“お前の機体”の調整も終わってるんだが、他にも仕事があるのか? わざわざ俺をこんなところに呼び出したのも理由があるはずだろう?」

 

 そもそも今、ウォーロックが立ち入っている部屋はエアハルトが他人の立ち入りを禁じていた場所だった。存在を知っていたのもエアハルト本人を除けば勝手に調べていたハバヤのみである。

 なぜ今更、戦いに関係のない部屋をウォーロックに見せる必要があるのか。

 隠れ蓑であったミューレイが外部から切り崩され、アントラスの立場が厳しい。自分たちの命運を賭けた決戦の前だというのに、肝心の指導者が合理的な行動を取っていない。

 暗にエアハルトの行動を非難しているわけであるが、とうのエアハルト本人は気づかぬまま。いつも通り、ただの質問として受け取った。

 

「私が帰るまで、お前にはここに居てもらいたいのだ」

「はぁ?」

 

 ウォーロックがあからさまに疑問の声を上げる。その最大の要因は具体的な内容ではなく、エアハルトが命令口調でなかったこと。ただのお願い事としか受け取れない言い方だった。

 

「ここを死守しろだなどとは言わん。もしここが襲撃でもされれば降伏しても構わない。だが、ここに居てほしい」

「おい、ヴェーグマン。お前は自分が何を言ってるのかわかってるのか?」

「何かおかしいことを言っているか?」

 

 彼は本気で首を傾げている。口で説明するのもバカバカしい。ウォーロックは大きく溜め息をついた。

 

「しょうがねえ。ここで待っててやる。ちゃんと帰ってこいよ」

「単一仕様能力の複製はことごとく失敗に終わっているが、想像結晶と違って絢爛舞踏は有効利用できる。制限の無くなった“イリュージョン・レプリカ”が負けるはずなどないだろう?」

「その通りだ」

 

 言うだけのことは言った。エアハルトは足早に部屋を出ていく。

 向かう先は輸送機。行き先は日本である。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 もう12月も終わりが近づいている。冬休みに入る直前の日曜日に俺はヘリに乗せられて倉持技研にまで来ていた。何度か来ていて既に勝手もわかっている。入所許可証を受け取ったらすぐに目的の研究室へと足を運ぶ。

 

「簪さーん?」

 

 中と通話ができるので声をかける。数秒後、慌てた様子の簪さんが中から出てきた。

 

「い、いらっしゃい、一夏くん」

「いや、息を切らせるほど慌てなくてもいいぞ。ミッションの開始予定時刻はまだ先だし」

 

 今日はエアハルトたちとの決戦に臨む日である。それでいて俺が倉持技研にまでやってきたのは昨日預けておいたイスカを取りに来たからだ。

 イスカは量産こそされているが実際のところ企業から見てもブラックボックスが多々あるらしい。プレイヤーが使用できる装備など内部データの管理すらも未知の部分があるとのこと。

 結局、あの後調べてみてどうだったのだろうか。

 俺から聞かずとも簪さんは俺のイスカを持ってきてくれた。

 

「ありがとう、一夏くん」

「どういたしまして。で、どうだった?」

 

 もしかしたら今日の戦いが楽になるかもしれない。そんな淡い期待も寄せての質問だ。

 だけど簪さんは目に見えて肩を落としている。

 

「調べてみたけど白騎士の装備のデータは欠片も見つからなかった……」

「やっぱりそっか。俺が見ても同じだったし」

 

 残念だけど仕方がない。無い物ねだりなんてしている暇はないから、今あるものでなんとかしよう。白式で勝てないなんてちっとも思ってないし。

 

「……篠ノ之博士の手が加わっていたからといっても一夏くんが使っていた。だからイスカに登録されていないとおかしいんだけどなぁ」

 

 しかし、あれば儲けものくらいの感覚でいた俺と違って簪さんは悔しそうである。ブツブツと俺に構わず独り言を垂れ流している。

 

「あの、簪さん? この後、ここからISVSに入るつもりなんだけど、どこに行けばいいかな?」

「……あ、ごめん。案内する」

 

 これで決戦前に出来る準備は全て終わった。

 あとは本番を残すのみ。

 エアハルトを倒し、箒を助け出す。

 もうこれで最後にしてやる。

 待っててくれ、箒。


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