Illusional Space   作:ジベた

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37 はじまりの再来

 気づいたときには知らない場所にいた。

 寝そべっている俺を照らす光がひどく眩しい。反射的に目を瞑ったけれどそれは一瞬のことで、目が慣れる。光源は天井に設置された大型の蛍光灯だったようだ。

 ここはどこだろう。そう疑問に思い体を起こそうとしてみる。だけど体は動いてくれなかった。金縛りにでもあっているのか。首すら動かず、蛍光灯以外に何もない殺風景ばかり見せつけられている。

 背中の感触も硬く冷たい。ベッドというよりは作業台にでも乗せられていると言った方が正しい。

 

「目が覚めたようだな」

 

 意外なことに聞き覚えのある声がした。だからといって嬉しいわけなどない。抑揚の小さく、上から目線だと感じさせる男の声色に俺が良い感情など持っているわけがない。

 声に反応して上半身を起こす。俺の意志じゃない。まるで俺の体ではないようだ。

 ……いや、本当にこれは俺の体じゃないんだろう。似たようなことを俺は経験している。

 

「何者だ?」

 

 自分の喉が動いた感覚があるが、俺の言葉じゃない。なぜなら俺は目の前にいる銀髪の男が何者であるか知っている。

 

「私はエアハルト・ヴェーグマン。親しい者は私のことを“博士”と呼ぶ」

 

 奴は自分から名乗った。アドルフィーネの残した言葉の中にも“博士”が出てきてるから十中八九、俺の知るエアハルト自身と見ていい。

 

「ヴェーグマン。私はお前の名前を聞きたかったわけではない」

「ふむ。では何を伝えれば納得する? 私の出生か? それとも私の公的な役職か?」

 

 それはぜひ聞きたいところだ。千冬姉が掴みたい情報でもあり、奴らを追いつめるきっかけになる。

 

「まあいい。答えてやろう。私はプランナーに指導者として生み出された遺伝子強化素体。いずれはプランナーに代わり、全人類を導く使命を課せられている。故にヴェーグマンの名を継いだ」

「プランナー? 植物でも育て――」

「それはプランターだ。これも“アレ”の遺伝子を使った弊害なのだろうか。初期学習で主に日本語を習得させたが他言語の認識に障害が見られる」

 

 プランナーと聞いて俺も同じことを思ってた。他人を通してとは言え、まさかエアハルトに諭されるだなんて悔しいにも程がある。どうせ俺は英語ができねーよ。

 

「プランナーとは我らの長の名の1つだ。人類の宇宙への進出を先導するILL計画の発案者であることからそう呼ばれている」

「そうか」

「まとめると私はILL計画を進めている遺伝子強化素体となる。他に質問はあるか?」

「ない」

 

 身を起こす。当然ながら俺の意志は一切関係ない。直立した状態の目線は低く、エアハルトの胸よりも下にあった。

 周囲には作業台を取り囲むように様々な機材が置かれている。唯一わかるものは心電図を表示するディスプレイくらい。おそらく手術室に近い環境なのだろう。

 

「質問はない……か。これは驚かされた。では私が逆に聞こう」

 

 部屋の出口を探して視線を泳がせていたが再びエアハルトへと目を向ける。奴は意外と顔に感情が出るようで明らかに目を丸くしていた。それほどまでの疑問を持ったということだろう。

 

「君は何者だ?」

 

 言われて俺も知らないことに気づく。

 ――俺は一体、誰の記憶を覗いているんだ?

 

「…………さあ?」

 

 首を傾げた答えは答えになっていない。少なくとも声色は高めで女であることは間違いない。年齢も俺と変わらないか年下だと思う。

 

「私は誰だ?」

 

 エアハルトをバカにしてるわけではなく、彼女は答えを目の前の男に求めた。

 するとエアハルトは鼻で笑う。俺と敵対したときよりも感情的で、この少女に対してどこか小馬鹿にした雰囲気を隠そうともしていない。

 

「マドカだったはずだ。君を同志として歓迎しよう」

「マドカ……それが私の名前……」

 

 与えられた名前はマドカ。俺も聞き覚えのある名前だ。

 弾と一緒に戦った蜘蛛のIllの操縦者。

 そして、デュノア社のミッションで戦った蝶の女。

 中学時代の千冬姉と瓜二つの彼女はこうして生まれた。

 

 

  ***

 

 

 銀髪の少女が赤黒い刃に貫かれる。ラウラと瓜二つの顔をした少女はさして反応もなく、だらりと腕を下げた後で光の粒子に分解されていった。その粒子はまとめて殺戮者の手の中に収まり、吸い込まれていく。

 こうした風景は珍しくなかった。力のない者が失敗作の人形として捕食者により処分される。それがIllの操縦者として造られた遺伝子強化素体の辿る道であることは、遺伝子強化素体でない俺ですらも理解させられた。

 

「足しにならん。やはり活きの良い人間が相手でなければな!」

 

 この場における絶対的な捕食者の顔には俺も見覚えがあった。

 ギドだ。エアハルト以外に顔を出す作業員のような男が奴のことをギド・イリーガルと呼んでいたから間違いなく同一人物だろう。

 奴らは力を維持するために人を喰らう。だが昏睡状態のプレイヤーという証拠が残ってしまうため、あまり表立って行動できはしない。強力な個体を生かすために、こうして役立たずとして切り捨てられる個体を餌としている。

 マドカが周囲の顔を見回す。不気味なくらいにラウラやクーと同じ顔が立ち並び、皆が無感情に仲間の死を眺めている。

 怖くて心臓が暴れ回っている自分がおかしいと思わされる異様な光景だった。

 

「ん? そこの黒髪の女!」

「な、何だ!」

 

 上擦った声の返事はわかりやすい恐怖を証明している。そのような心の機微を知ってか知らずか、黒い眼をしたギドが歩み寄ってくる。

 

「その返事。ただの人形ではないな。自我のある者は生かしておけとエアハルトに厳命されてなきゃ手合わせ願うところなんだが」

 

 ここで返事をしていなければ、ギドは容赦なくマドカを手に掛けた。理由は目に止まったから程度なんだろう。マドカは他の遺伝子強化素体と違って髪が黒く、悪目立ちしている。

 しかし意外だ。俺の戦ったギドという男は戦闘狂に分類できる奴だった。冷静な部分を併せ持っていたとはいえ、最後は俺の挑発に乗ったことから後先を深く考えるタイプではない。なのに自らの欲よりもエアハルトの命令を優先している。

 

「博士が怖いのか?」

「怖い? オレ様が? そのようなはずがあるまい」

「じゃあどうして博士の命令を素直に聞いている?」

 

 マドカは俺と同じ疑問に行き着いていた。異常な共食いの現場で理性を維持しているギドという男はその行為以上に不気味に見える。

 

「エアハルトがオレ様に命令できるのは当たり前だろう。そう決められている」

 

 ギドの答えは俺たちの予想を遙かに上回るものだった。

 マドカの動揺が伝わってくる。圧倒的な力を持っていて、傲慢なところもあるギドが命令に従うことを常識として語っている。まるで遺伝子に刻まれた本能であるかのように。

 おそらくマドカはギドの発言に一切共感してない。だが異を唱えることなど出来るはずもない。遺伝子強化素体でない俺の脳裏でも警鐘が鳴っている。この疑問を口にすればマドカの命はないのだと。

 マドカは他の遺伝子強化素体と根本的に違う存在なのだ。

 

 

  ***

 

 

 マドカにはイリタレートという機体が与えられた。IllとはISと似て非なる機体の総称で、ISコアがなくても使える代わりに動力源として人の魂を必要としているという。

 イリタレートは二層構造になっている機体だ。本体はティアーズフレームをベースにしたBTビット運用もできるオールラウンダー。その外装として蜘蛛型の別のIll“イリベラル”を搭載している。イリベラルに搭載されている武装は拡張装甲(ユニオン)専用のものと相違ない強力なもの。最大の特徴は、イリベラルを切り離(パージ)しても即座にディバイドとしてのイリタレートを起動できることにある。それもIllだからできることなのだとか。

 エアハルトに言われるまま、マドカはプレイヤーと戦闘をこなした。一度でも敗北すればマドカ自身が消される。

 常に死と隣り合わせの戦場で、彼女は死に物狂いに戦った。

 自らが生き残るために。

 

 見ていて辛かった。

 だってさ……戦って、相手プレイヤーを喰らって……その先に何も喜びがないんだぜ?

 生きるために。死から逃げるためにマドカは戦う。もし俺だったら耐えられない苦難の連鎖で狂ってた。

 いっそのことギドのように戦うことを生き甲斐にしてくれた方が、見ているこっちは気が楽になるくらいだ。

 

 次第にマドカの心は死んでいく。まともに会話が出来る相手がいない。仲間とされている者たちのことが理解できない。エアハルトからの扱いも他の遺伝子強化素体と比べて素っ気ないものだった。

 そんな中――

 

「大丈夫? 顔色が悪いよ?」

 

 暗い顔をしたマドカに声をかけてくる女の子がいた。これまた俺には見覚えがある。ラウラを幼くしたような容姿をした彼女は数馬が必死に守ろうとしていたゼノヴィアである。

 まさか遺伝子強化素体の中に他者の体調を気遣う者が現れるとは思っていなかった。しかもそれがゼノヴィアという少女である。

 数馬が俺と敵対してでも守ろうとした理由が見えてきた気がする。

 

 彼女は自我を持っているというだけで生かされている遺伝子強化素体であった。操縦者に自我があるとIllにも強力な単一仕様能力が発現する可能性があるらしい。そうした成長が期待できる個体は処分には当たらないということだろう。

 実際、彼女は不思議な力を持っていた。拡張領域の中にある物を呼び出すのではなく、何もないところから己の想像を頼りにして物体を具現化する単一仕様能力を持っていた。それを戦闘に利用できていないのが現状であるが、貴重な存在だったのは間違いない。

 マドカは彼女と話をするようになった。お互いに完全に気を許してはいなかったが誰とも話をしないよりも気が楽だったことだろう。遺伝子強化素体やエアハルトに対する疑問を封じ込めて、日々のことを互いに報告する。

 そうしている内にゼノヴィアの方で動きがあった。戦闘向きではないと言われていた彼女を戦闘用に仕立てる計画が動き始めていたのだ。

 その原因はイルミナントの消失。つまり、俺がアドルフィーネを討伐したことにあった。イルミナントはIllたちの中核の1つであったらしく、戦力の補充は急務らしい。

 マドカの焦りが伝わってくる。俺にもわかる。このままだとゼノヴィアにはマドカと同じ苦しみが待っている。もし彼女が受け入れてしまえばギドと同じ存在になるかもしれない。

 だから彼女は動いた。

 

「逃げるから手伝って……」

 

 一緒に逃げようとでも言えばいいものを、マドカは手伝えという建前を口にする。

 不器用な奴だ、と思いきや中々強かな言葉選びだと思う。あくまで主犯はマドカ自身であり、もし失敗してもゼノヴィアに責がないとエアハルトに訴えるつもりだろう。

 だけでこれに対する返事が――

 

「ちょうど良かった。私も同じことを言おうと思ってたの」

 

 これでは台無しもいいところである。

 同意は得られた。マドカは最後に一言付け加える。

 

「協力関係は脱出するまでだ。その後はお互い好き勝手にしよう」

「う、うん。そうだね……」

 

 マドカは気づかなかっただろうけど、俺には悲しげに目を伏せるゼノヴィアの態度が気になった。

 2人は脱走を図る。後のことは気にせず、ゼノヴィアの能力で偽物を造りだし、出口へと向かう。当然ロックされているため、強引に破壊するしか方法を思いついていない。

 ところが問題なく開いてしまった。

 マドカは居残っているIllたちと1戦交える覚悟だったはずなのだが結局、1発も撃つことなく脱出に成功する。あまりにも拍子抜けだったのにはカラクリがある。

 

「こいつは都合がいい。例のブリュンヒルデのクローンじゃねーか。逃げたいなら手伝ってやるからついてこい」

 

 蜘蛛を模したIS。Illではない。現実からやってきた人間だった。顔は隠れていてわからないが、声の感じは高圧的。

 確証はないけど、おそらくは藍越学園を襲ったテロリストだ。

 どう見ても不審人物であったがマドカとゼノヴィアはついていくことを選択する。遺伝子強化素体を勝手に逃がそうとしていた者がエアハルト側であるとは考えられず、最悪は避けられると判断していた。

 ……俺だったら徹底抗戦した気がする。でもそれは藍越学園を襲ってきた経緯があるからなんだよな。事前に因縁が無かったらきっと……利用した。

 マドカは俺と同じだった。脱走の手引きをしてくれているISを信用なんてするはずもなく、隙をついてゼノヴィアが造った偽物と入れ替わった。

 そうして2人の遺伝子強化素体は自由を手に入れた。

 だが目的を達したマドカの顔は晴れない。テロリストの女が言ったことが頭を離れないんだろう。

 

 ――ブリュンヒルデのクローン。

 俺でもクローンが意味することは大体察しがつく。どうやって造るのかは知らないけど同じ遺伝子を持つ生物を指す。つまり、マドカとは千冬姉のクローンとして造られた存在ということになる。

 エアハルトが欲したものが何なのかわかった。奴は戦力としての千冬姉を欲しがってたんだ。今までに俺が相手にしてきた中で千冬姉に対抗できそうなのはギドくらいだから、国家代表たちとの戦いを想定するとブリュンヒルデは喉から手が出るほど欲しいはず。

 その程度のことでマドカを生み出したのだとすれば反吐が出る。

 

 脱走した2人にはまだ苦難が待ち受けていた。

 彼女たちを捕らえようと幾人もの追っ手がやってくる。

 マドカはそれらを次々と倒した。戦い続けるために喰らった。

 結局のところ、逃げ出してもマドカの生きるための戦いは終わってなどいなかった。

 戦いの最中、ゼノヴィアともはぐれた。既にマドカには周りを気にする余裕などなく、彼女がいないことに気づいたのは見ている俺だけだった。

 

 疲れ切ったマドカはジャングルの中に隠れている妙な建造物を発見する。

 エジプトのピラミッドと似た遺跡だった。

 少しでも体を休めれば、と一時的な宿として選ぶ。その中は俺も見覚えがあった。

 

 

  ***

 

 

 見つけた遺跡はマドカにとって都合が良い物件だった。イリタレートの機体特性を考えると頑丈な天井と壁がある限定空間の方が望ましい。さらに柱が数本立っている広めの空間もあり、巣を張るには最適な場所だった。

 ……ここは俺とマドカが初めて遭遇した場所だ。

 きっかけは弾の彼女、虚さんが消息を絶ち、弾も後を追ったからだった。つまり、この場に彼女がやってくることになる。

 

 最初に姿を見せたプレイヤーは俺が知らない人。イリタレートで巣を張り終えていたマドカは糸に絡まった侵入者を情け容赦なく攻撃する。あっという間に撃墜し、今までと同じように魂を吸収した。

 戦うのにもコストがかかる。それに力も蓄えなければ勝てない。もしギドが追手となれば、今のマドカでは太刀打ちできない。

 プレイヤーは次々とやってくる。いつの間にかマドカの顔に笑みが浮かぶようになっていた。対照的に俺の胸の内には不安ばかりが募る。脱走した頃の彼女とは違う人格が生まれているような気がしたからだ。

 とうとう運命のとき。虚さんと数名のプレイヤーが姿を見せた。全員が“更識の忍び”と呼ばれている凄腕だけど、巣を張り終えたマドカの相手をするには機体が力不足。素早いことが売りのプレイヤーたちが糸の前に屈していき、マドカの餌食となる。

 不幸中の幸いだったのはマドカが一度に喰える数に限りがあったこと。この辺りは普通の人間の食欲と同じらしい。負けた虚さんが喰われるまで時間に猶予があった。

 その後、バレットとジョーメイがやってきて彼女を連れ出すことに成功。代わりにジョーメイが捕まり、あとは俺の知ってる通り。

 この場に俺――ヤイバが現れた。

 

「……この男は一体何?」

 

 マドカが呟いた。俺はマドカの顔を見るまで何とも思わなかったけど、彼女はヤイバを見て何かを感じ取っていた。

 

「敵は敵。倒さなきゃ生き残れない」

 

 小さな声で覚悟を決める。もし俺がこの声を聞いていたら俺は攻撃する手を止めただろうか?

 ……いや、きっと問答無用で倒したと思う。ナナのときと違って、蜘蛛が敵だという確信だけはあった。数馬を敵に回してでもゼノヴィアを倒そうとした俺が止まるわけないよな。

 俺たちとマドカの戦いは苛烈だった。マドカにしてみれば今まで見破られなかった糸を早々に攻略されて巣の利点を失っていた。こうして敵の視点に立ってみるとラピスの目は恐ろしい。このとき、彼女が居なければ俺たちはマドカにやられてたんだと改めて実感する。

 もう1人。マドカの所持する武装で最高火力を持っているAICキャノンを右手1つで無効化する遺伝子強化素体の存在がある。強力な遺伝子強化素体が攻め込んできた事実が既にマドカを追いつめていた。

 急がないとギドがやってくる。マドカは俺たちと戦いながらも別の恐怖と戦っていた。俺とバレットで打ち破れたのはマドカがギドに気を取られていたからかもしれない。外装であるイリベラルを破壊したことで、イリベラルが喰らっていた魂は解放された。

 戦闘が終わり、簪が扮する偽楯無が乱入する。マドカに味方をする理由は不明だったが利用して逃げ出す。

 

 

  ***

 

 

 ギドではない相手にイリベラルを破壊され、巣も失った。行く当てもないまま空を飛ぶ彼女には何も残っていない。

 

「私に平穏などない。わかっていたことだ」

 

 脱走する前には無かった願いが生まれてる。マドカは平穏を求めてる。そして、それが平和的解決で得られないことも知ってる。だから彼女はいつの間にか力を求めるようになった。それは結局ギドたちと同じ道を歩んでるとわかっているのだろうか……

 

「私はマドカ。ブリュンヒルデなんて知らない。マドカなんだ」

 

 マドカは与えられただけの名前を繰り返す。クローンとしての価値ばかり求められ続けた彼女は名前こそ与えられたが、一度として彼女自身を見てもらってはいなかった。

 唯一、マドカを見ていたかもしれない仲間とははぐれてしまっている。そして、マドカはその存在をも忘れている。戦いの繰り返しで、自分すら見失っていたんだ。

 俺とバレットが倒したのは何だったんだろうか。あのときは喜んでいたけど、今になると素直に喜べない。

 

「やっと見つけましたよ、マドカちゃーん」

 

 逃亡中のマドカの隣に影が1つ瞬時に現れる。着崩したスーツにサングラスをかけた男はISを付けていないように見える。どうやって浮いているんだろうか。どれだけ装甲を排除してもコア部分だけは必要となるはずなのにそれすらなかった。

 マドカには心当たりがない相手らしいが俺には覚えがある。サングラスはしていなかったけど、数馬と戦っていた場所に現れた平石という刑事だったはず。なぜコイツがここに?

 咄嗟にマドカは飛び退いた。危機察知からの反射的な行動だろう。すると不思議な現象が起こる。

 

「あらら。まだ何もしていないのに私に身を預けるんですかぁ?」

 

 離れた先に平石がいた。客観的に見てる俺ですら何が起きてるのかわからない。当事者であるマドカはもっと混乱してるはず。そのままなし崩し的に戦闘が始まった。

 あまりにも一方的だった。マドカの攻撃は何も当たらない。マドカが暴れている間に次々とナイフが突き立てられていく。そのナイフがどこから来ているのかすらもわからない。刻一刻と敗北の2文字が迫ってくる。

 恐怖に駆られたマドカは手にしたライフルとBTビット全てを辺りに乱射する。

 

「これは傑作ですねぇ! ウォーロックがティアーズフレームを参考に造り上げたIllだってのに、見えてねえのかよ!」

 

 平石は煽る。だけどマドカにしてみれば怒りよりも戸惑いや恐れの方が強い。理解不能というのはそれだけで怖いんだ。

 未知のナイフ攻撃を最後まで見極められず、マドカの身を守っていたイリタレートはその機能を停止した。平石という男は俺たちが苦戦していたマドカをたった1人で赤子の手を捻るように倒してみせたのだ。

 ここでマドカの意識が途切れて視界が真っ暗になる。

 

 1つ、わかったことがある。失踪中の数馬が接触していたと思われる平石という男はエアハルト側の人間だ。でなければIllに詳しいはずがない。

 数馬の近くにいたのも偶然とは思えない。

 つまり、俺と数馬が戦っていたのは敵の思惑通りだったってことだ。

 

 

  ***

 

 

 次にマドカが目を覚ましたとき、元の遺伝子強化素体の収容所とも呼べる施設に戻されていた。

 殺されていないことに驚いたのか、マドカは自分の手を見て指の動きを確認している。

 そんなマドカを出迎えたのはイリタレートを渡してきた作業服姿の中年男である。

 

「生きているのは意外か? 安心しろ。ヴェーグマンはお前を許している」

「どうして?」

「マドカちゃんが遺伝子強化素体だからですよ」

 

 そしてもう1人。サングラスをかけた平石も姿を見せていた。マドカが睨みつけてやるが平石はどこ吹く風。敵対していた事実すら無かったかのように馴れ馴れしい。

 

「ブリュンヒルデに匹敵する力は欲しい。しかし、強すぎる“人間”は要らない。だからあなたのような存在が必要だった。簡単なことでしょう?」

「……勝手なことだな」

「勝手ついでに耳寄りな情報をお伝えしましょうか。ブリュンヒルデの正体である織斑千冬に関することです」

「何?」

 

 マドカが興味を示すのも無理はない。千冬姉のコピーとして生み出されたのだから、気にならないと言えば嘘になるはず。

 平石は簡単なプロフィールと、弟である俺の存在を伝えた。するとマドカは千冬姉よりもそちらの情報に食いつく。

 

「織斑一夏……?」

「ええ。イリベラルを破壊した者たちのうち、白い機体を操っていた男こそがブリュンヒルデの弟です」

「アイツがそうなのか。だから私は……」

「負けるのも仕方ないかもしれませんねぇ。あの“織斑”の息子ですし」

 

 この業界のどこでも俺の父さんは有名人扱いされてるらしい。父さんは父さん、俺は俺なんだけど、そんなことはこの連中には関係ないだろうな。

 マドカは平石から織斑家のことを熱心に聞いた。俺の知らないことはないし、大した情報なんてない。それでも彼女には意味のあるものだったらしい。

 

「それで? 私に何をして欲しい?」

「話が早くて結構。とは言ってもお願いするのではなく、される側のつもりなんですよ。単刀直入に聞きます。あなたは織斑一夏と戦いたいですか?」

「ああ」

 

 即答だった。俺の存在を知り、平石の言葉に素直に従うと言う。これまでの彼女らしくない言動だけど、平石は満足げに頷いていた。

 ……きっとこの男はマドカの狙いに気づいてない。

 いや、『狙い』だなんて気取ったものじゃないか。これは彼女の『思い』といった方が正解に近い。

 

 そして彼女は再び俺の前に現れる。何も言わずに斬り結び、剣を通して1つ1つ確認していく。

 ――お前たちは“苦せずして価値を得ている私”。

 これは口をついて出た彼女の本音。こうして彼女のことを知った今だと言いたいことはわからないでもない。

 でも異を唱えさせてもらう。

 俺も千冬姉も何も苦労していないなんてことはない。俺自身の価値なんてものは誰かに与えられるものなんかじゃなかった。俺自身の手で箒を助け出さないといけないと思い知ったとき、俺の中で俺の価値が定まったんだ。

 戦闘が終わり、彼女は最後に吐き捨てた。

 ――この名をその胸に刻んでおけ。

 今の俺には、この言葉が助けを求めているようにしか聞こえない。

 

 ところ変わって、俺と数馬との戦いの場。

 マドカはこの戦場にいた。俺たちは全く気づかなかったらしい。

 俺が数馬にやられ、箒に抱き抱えられた。

 そこへ彼女がゆっくりと忍び寄る。手に持った大剣を白式が機能停止している俺の背中へと突き立てた。

 

 マドカは自らの手で“織斑”の息子を倒した。

 それでお前に価値は生まれたのか?

 お前自身は満足しているのか?

 

 急速に俺の意識が遠くに飛ばされていく。

 自分自身のように感じられていたマドカから引き剥がされていく感覚。

 どうやらマドカの記憶を垣間見る時間は終わりらしい。

 

 

  ***

 

 気がつくと俺は篠ノ之神社に立っていた。あまりにも唐突な変化にはとても現実味が感じられない。事実、これは現実ではないのだろう。

 箒ともう一度会うと約束したこの場所には先客がいた。箒と違って、神社に相応しい格好なんてしたことがない人である。お気に入りだと自慢していた機械仕掛けのウサ耳のカチューシャに水色のワンピース。『1つの物語を1つのファッションに』をテーマにしていた人だけど、不思議の国のアリスはいつからか特別な格好になったらしい。

 

「束さん」

 

 名前を呼びかける。神社に相応しくない格好でも、篠ノ之神社に相応しい人の1人であることは疑いようもない。彼女は箒の実の姉である篠ノ之束に違いなかった。

 

「ハロー、いっくん! 元気してた?」

「今の状態だと返事に困りますね……」

 

 底抜けに明るい顔で振り向いた束さん。この人はいつまで経っても変わらない気がする。俺の記憶を遡ってみても束さんが笑ってる顔しか見たことがない。

 だからちょっと不安になってる。束さんは箒の現状を知っても、その笑顔が崩れないんじゃないかって。

 

「いっくんがそんなんだと箒ちゃんも苦労が多そうだね~」

「その箒がどうなってるのか知ってて言ってるんですか?」

 

 束さんのペースに合わせるつもりなんてない俺はさっさと本題を切り出す。

 ここが現実でないかもしれないし、目の前にいるのが現実の束さんと同じ存在じゃないかもしれない。

 それでも俺は聞かずにはいられなかった。千冬姉は疑ってなかったけど、今の俺には束さんすら無条件に信じることが出来ないのだ。

 だって、束さんだったら箒を簡単に救い出せるはずだから。

 

「ふむ。いっくんには束さんを甘く見てると同時に束さんの力を過信してる節が見られる」

 

 笑顔は崩れないけど間延びしたような喋り方ではなくなった。これだけでも俺の知らない束さんになってる。やっぱり俺は束さんのことをほとんどわかってないんだ。

 

「箒ちゃんがISVSで囚われのお姫様になってる。もちろんこの束さんが知らないはずなんてない。でもね、ISを開発した束さんの力があってもできないことはあるんだよ」

「束さんにできない……? 一体、箒を苦しめてるIllって何なんですか! 束さんが関与してるんじゃないんですか!」

 

 段々と遠回しには言えなくなってきた。Illなんて普通は造れない。簪さんたちを見てると余計にそう思う。だから敵の技術には束さんの力が関わってると俺は見てる。

 俺の指摘にも束さんは動じない。

 

「Ill……アレの開発に束さんは関係ない。そもそもアレは『私の生まれる前から造られていた代物』なんだしさー」

「じゃあどうしてIllとISは似ているんですか!」

「察しが悪いよ、いっくん。実際の完成のタイミングは逆だったけど、設計思想の段階だとIllの方がISよりも先だった。そこから見えてくるものがあるはず」

 

 Illが先にあった。ISの方がIllに似てるってことになる。だとすると真似をしたのは――

 

「束さんがIllを元にしてISを開発した……?」

「ご名答。細かい経緯は置いとくとして、束さんは開発途中だったアレを安全な形で造り上げたわけなのだ」

「だからIllには束さんも理解できてないことがあるってこと?」

「うーん、ちょっと違う。『Illに束さんが関わってるかどうか』と『束さんが箒ちゃんを救うことが出来ない理由』は別の話」

「やっぱり束さんには箒を助けられない理由があるんですか」

「そうなるね……本当にもどかしくて仕方ないよ」

 

 束さんから笑みが消えた。近所の親しいお姉さんから冷酷な殺人者にでもなったかくらいに急変し、背筋が冷える。世間が束さんをテロリストとして疑っていたときは何をバカなことをと思っていたけど、この顔を知ると仕方がないと思えてしまった。

 

「こうしていっくんとお話をしにきたのも箒ちゃんが関係してるの」

「何回か話しかけてきてたのも束さんですよね? 千冬姉も聞いたことがない声を俺だけが聞いてたのも箒が関係してるってことですか?」

「ちーちゃんは私に近すぎるからダメだった。でもいっくんなら私より箒ちゃんの方を大切にしてくれる。いっくん以上に箒ちゃん()()を想ってくれる人はいないから。だから私はいっくんを頼るしかなかった」

「教えてください。俺は箒のために何をすればいいんですか!」

 

 核心に迫る。束さんは俺たちの知らない真実を知っている。だから答えを明確にしてくれるはず。

 

「いっくんが辿り着いた答えと何も変わらないよ。箒ちゃんをISVSに閉じこめた元凶を倒してしまえば箒ちゃんは何事もなく現実に帰ることが出来る」

「黒い霧のIS……たぶんIllだと思いますけど、それを倒せばいいんですね?」

「うん。束さんも居場所までは知らないけど、そいつを倒せばいい」

 

 結局、俺の知り得たことと束さんの答えは変わらなかった。俺のこれまでの道のりは何も間違ってなくて、確実に箒を助ける道につながっていたんだ。

 だけど今の俺は足止めされてしまっている。順調だったはずだけど、数馬に負けてマドカに喰われた。

 現状を再認識すると自嘲気味な笑いが漏れてしまう。

 

「俺を頼ってもらって悪いんですけど、俺じゃ無理ですよ。マドカにやられてしまって動けません。そもそも束さんが自分でやればいいんじゃないですか?」

 

 俺としては自分の力で箒を助けたいという()がある。だけど束さんが箒を助けるならそれはそれで構わない。束さんにとっても箒は特別だろうから。

 でも束さんは首を縦に振らなかった。

 

「本当に無理なのは束さんの方。いっくんにはまだ次があるけど、私にはもう無いから」

 

 何が無いというのだろうか。ピンとは来ないけど、束さんが俺を頼っているのも実は本心じゃない気がする。苦肉の策であって、できれば関わらせたくないという千冬姉と似た雰囲気を感じ取れた。

 これ以上、束さんにやれというのも酷な話なんだと思う。だから俺は受け入れるべき。そして、束さんの言う『次』を活かすことを考えるべきなんだ。

 

「いっくんには束さんにない力がある」

 

 束さんが語り始める。

 これまでの戦いで培ってきた力がこの現状を打破することにつながるのだと。

 

「今もいっくんを助けるために多くの人が戦ってる。諦めるのは早いよ。いっくんにはまだチャンスがあるんだから」

「そう、ですよね。セシリアに鈴、弾たちも……戦ってくれてるんですよね」

「でも完全に解放は難しい。だからちょっと裏技を使うことになると思う」

「裏技?」

「そう。完全にIllを倒せなくても消耗さえさせてくれれば、あとは束さんが道をこじ開ける。いっくんはそれを辿って戻ればいい」

 

 ふと気づいた。そういえばどうして俺は、Illに喰われた後なのに束さんと話しているんだ?

 

「ここはIllが構築するコア・ネットワークの中に無理矢理造った仮想空間。こうやってスペースを創るのも結構無茶してるんだけど、あともう一歩踏み込まないと箒ちゃんに顔向けできないもん」

「何を言ってるんですか……?」

「こうやって束さんがいっくんにちょっかいをかけられるのもこれが最後ってこと。束さんに残された力は本当に小さなものになってるからね」

 

 まるで俺を助けるために命を絞っているという言い草だった。

 苦しそうに顔をしかめている束さんは独り言のように話を続ける。

 

「いっくんは何のために戦ってきたのかを思い返してみて」

 

 俺は箒のために戦っている。

 

「悲しいことだけど救えない人はいる。何もかもは救えない。逆に、敵対する者を何でもかんでも殺す必要もない」

 

 数馬とゼノヴィアのことだろう。結果的にゼノヴィアは箒とは関わりがなかった。何が正しいのかは置いておき、Illであるからというだけで殺すのは箒のためだけの話ではなくなっている。

 

「いっくんが戦うべき相手は必ずしもIllではないし遺伝子強化素体とも限らない。箒ちゃんのために最後まで戦い抜ける自信はある?」

 

 もちろんだ。俺は頷くことで答える。

 

「よろしい。戦う相手を間違えちゃダメ。戦わなくていい相手は無視していい。その代わり、倒さなきゃいけない相手に手加減は無用。それが束さんとの約束だよ」

 

 あくまで箒を助けることに全身全霊をかけろということ。人ひとりができることには限度がある。ゼノヴィアが喰らったであろう人は俺が気にかけることではなく、精神をすり減らしてまで俺が数馬と斬り合うことなんてなかった。

 とはいえ所詮は結果論。あのときの俺はゼノヴィアを倒せば箒が帰ってくる可能性があると思ってた。だから数馬との戦い自体は否定しない。

 だけど俺に問題はなかっただろうか。束さんによる補足が入る。

 

「今回のいっくんの唯一の失敗は選ばなかったこと。ゼノヴィア・イロジックを殺すでもなく守るでもなく、成り行きに任せちゃったのはダメ。ちゃんと箒ちゃんのためを思って決断する。そうじゃないといっくんは誰も救えない」

 

 俺は最後に数馬に斬られることを選んだ。いや、あれは逃げたんだ。数馬を押しのけてでも箒を救うためにゼノヴィアを討つという覚悟もなく、箒に関係ないと割り切ってゼノヴィアを見逃すこともなかった。決断を数馬に投げたのは諦めたことと同じだった。

 それでは箒を助けられない。束さんはそう言っている。

 

「もう束さんが助けられるのはこれが限界。あとは自分たちの力だけでやってくの。箒ちゃんを助けられるのは、いっくんしかいないと思うから……だから私は託すんだ」

「はい。俺が箒を助けます。必ず!」

 

 強く答える。こうして束さんと話せたのは良かった。自分勝手なエゴを押し通せという見る人によっては悪とされることだけど、今の俺に必要な心の持ちようだと思ったんだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 富士の戦場は少しずつ終結に向かっていた。しかしそれは必ずしも藍越のプレイヤーたちの勝利に近づいているとは限らない。

 アメリカのチームの参戦。シュヴァルツェ・ハーゼやデュノア社もユグドラシルへの攻撃を開始した他、ヤイバに身近でない勢力もこの戦闘に参加している。

 他勢力の介入もあってエアハルト側の主力であるマザーアース、カルキノスは4機のうち半数を失った。しかしユグドラシルは未だ健在。その強力な砲撃能力でプレイヤーたちを次々と戦闘不能に追いやっている。

 内部への潜入に成功したプレイヤーはいるがユグドラシルへの攻撃に移れてはいない。

 数馬は平石ハバヤを追っている。

 イーリス・コーリングはオータムの操作する人形と交戦中。

 他のプレイヤーたちは残らず平石ハバヤに狩られてしまっている。

 

『遅くなりました。カルキノス撃破です』

 

 ラピスの元に通信が送られてくる。送信主はマシュー。蒼天騎士団を中心としたプレイヤーたちを率いてカルキノスとの戦闘をしていた。被害は指揮下のプレイヤーの6割。辛勝と呼ぶにも手痛い損失である。

 待ち望んだ勝利報告だったにもかかわらずマシューの声は明るいものではない。そして、ラピスが彼に返す言葉も労いなどではなかった。

 

「即座にユグドラシルへ。主砲(アケヨイ)さえ通せば勝てます。一刻も早くユグドラシルの防壁を破壊してください」

『了解!』

 

 作戦はまだ続いている。手を休める余裕などなく、ひたすらに攻撃を加え続けなければならない。

 撤退はこれまでに散っていったプレイヤーを見捨てることとなる。

 プレイヤー全員が現実に帰るには、この戦場から全てのIllを排除しなければならないのだ。

 そのためにはユグドラシルの内部に潜んでいるIllを倒す必要がある。

 

「ラピス! アカルギのカメラが何かを捉えました!」

 

 カグラの報告を聞いてラピスは映像に目を向ける。

 まだ遙か遠方の空を埋める群れが見える。まだラピスのナノマシン散布範囲の外であるため、星霜真理で確認を行おうとした。しかし、その場にISがいないという情報しか得られない。

 

「Ill……それもあの数だと量産型といったところでしょうか」

 

 Illだとすればそれらも全滅させなければ勝利できないことになり、面倒な援軍であると言えた。

 だが事態はそれだけで終わらない。アカルギの移された映像の解析を進み、ぼやけた輪郭がハッキリしたところでその正体が何かを悟る。

 ワインレッドの甲殻を持った蟻。獅子のたてがみをつけたようなその形状は以前にリンたちが対戦したことがある。ラピスもその戦闘記録は確認している。

 

「自爆IS……いえ、ISではなくIllでしたわね」

「つまりミサIll(ミサイル)だよね!」

 

 暫しの静寂。

 リコの相槌に対して誰も答えない。

 

「アケヨイで一掃は可能ですか?」

「難しいどうこうじゃなくて無理。発射中は船体の角度を変えられないから」

「連射も無理だね。2射目の前にあちらさんが到達する方が早い」

「同種の敵影は全方位から確認できます。完全に包囲されていると見ていいです」

 

 3人の報告を統合するとアカルギでどうにかできる状況ではなかった。

 富士の戦場に迫る蟻の大群の数は1000では済まない。概算で2000を超えている。

 日本という場所。逃げ場が無く包囲されていて、1発でも着弾すればその被害は甚大であるとわかっている。

 この状況はISに携わるものでなくても思い起こされるものがあった。

 

「まるで白騎士事件ですわね」

 

 10年前に起きた全ての始まり。

 日本を攻撃範囲に納めている戦略級ミサイルが誤作動を起こして日本に発射されるという前代未聞の事件のことだ。その数は2341発と言われていて、当時の迎撃システムでは迎撃しきれるものではないと断言できた。

 しかしそれらはただの1発も日本の国土に落ちなかった。世界で最初に現れたIS“白騎士”により全て斬り落とされたのである。

 全世界にISの力を示し、その後の世界の在り方すらをも変えた歴史的事件を今の状況は再現しているようにも思える。

 

 問題は今回使われている代物がミサイルでなく自爆Illであること。爆発の有効範囲に入ってしまえばどのようなISであろうとも一撃で消されてしまうほどの威力を誇り、近くで迎撃を行うわけにはいかない。

 そもそも白騎士事件自体が未だに人類には再現不可能とされているオカルトである。ラピスには今ある戦力でただの1発も日本にミサイルを落とさせない自信など皆無。ラピス以外のプレイヤーが指揮を取ったところで変わらない。

 過去に倉持技研はISVSでミッションを出したことがある。とある島に向けて当時と同じ状況を再現してプレイヤーたちに挑戦させた。その結果は失敗のみ。バレットのWikiにも最高難易度のミッションとして記載されている。

 絶体絶命の状況。自爆Illが来てしまえばこの場にいる全てのプレイヤーの敗北が確定する。そして、ユグドラシルの内部にIllが存在する限り、現実に帰ることはできない。

 ラピスは決断を下す。

 

「わたくしは戦場に出ます。アカルギは直ちに高度を上げ、戦場から離脱してください」

 

 全ての自爆Illを迎撃することは現実的でない。よって自爆されてもプレイヤーが帰ることができる状況を作る必要がある。プレイヤーが全滅してもヤイバを含めて全員が帰ればこの戦いは勝利と言える。

 勝利条件は定まった。自爆Illの到達までにユグドラシル内部にいるイリタレートを破壊する。

 ブルー・ティアーズが前線に出るのもイルミナントとの戦い以来のこと。それだけ追いつめられているとも言える。

 ユグドラシルへと向かう彼女の隣にツインテールを揺らしてリンも追従する。

 

「もう特攻するしかないのよね。最近、こんなのばっか」

「今は少しでも手数を用意するしかありません」

「アンタが出ても変わらない気がするけど……」

「そうでもありませんわ。ユグドラシル攻略を困難としているのはハバヤという敵プレイヤーの存在にあります。そしてナナさんをも手玉に取った手法には見当が付きました。対抗できるとすればわたくしのみでしょう」

 

 実を言えば確証などない。しかし可能性があるとすればラピスのみであるというのは事実。時間がない今、少しでも高い可能性にかけるのは当然である。

 もっとも、ラピスが前線に出ることを選んだ理由がそのような合理的な判断のみであるとは限らない。

 彼女の青い瞳は静かに燃える。ヤイバを救出できるか否かが自分にかかっているとなれば、臆すことなく(たぎ)るのみ。

 

 ユグドラシルにはイクリプス級のENブラスターが100基以上積まれている。厄介な点はそれらを連射できることにあった。おまけに1つ1つの精度も並の狙撃手以上である。遠くからの接近が困難を極めていた。

 リンの顔にも余裕がない。自分も無傷で突破できるか不安である上に、相棒がどこか頼りないからである。

 

「アンタ、本当に大丈夫?」

「リンさん。わたくしはこれでも代表候補生ですわ。基本操縦技能はリンさんよりも上です」

「でも実戦は壊滅的に下手でしょ? 射撃戦も距離が近いほど無能になるし」

「……それ以上言うとぶっ飛ばしますわ」

「地が出てるわよ。ちょっと余裕がなさ過ぎ」

 

 呆れた吐息を漏らす。そんなやりとりをしつつも彼女たちは遠方から飛んでくるENブラスターをひょいひょいと避ける。事前にマシューたちを押し立てていた効果もあり、的が上手く分散してくれていた。

 数で言うならラピスとリンの2人だけ。ユグドラシルに最もマークされない2人は弾幕の薄い戦線を突破する。

 

「結構拍子抜けだったわね。ユニオンでも苦労したって話だったのに」

「カルキノスを想定よりも多く倒せているからですわ。あと、もう1つ理由がありますが聞きます?」

「あー、言われなくてもわかったわ。あたしらが舐められてんのね」

 

 何はともあれ、2人はユグドラシルに肉薄した。あとはENシールドの出力装置を破壊するか、マドカ・イリタレートを討伐すればこの戦いを征することになる。

 リンは早速外壁の一部を拳で打ち破る。内部への進入路は確保。ラピスはその間、周囲に気を配っていたが何も襲ってこない。逆に不可解である。

 

「そろそろ妨害が来ると踏んでいたのですが……」

「例の嘘つき野郎のこと? 大方、ラピスの星霜真理が怖くて近寄ってこないのよ」

「だといいのですが……」

 

 首を傾げつつもラピスはリンと共にユグドラシルの内部へと進入する。内部に入ると同時にナノマシンを散布。無駄に歩き回ることなく構造を把握し、マッピングを行なう。

 

「上方にファング・クエイクが居ますわね。どうやらリミテッドかIllと戦闘中のようです」

「加勢するの?」

「いえ、やめておきましょう。他には中央にコアが集中していますが、こちらはユグドラシルの中枢部。そして、下層に妙なPICの反応がありますわね。わたくしたちが行くべきはそちらですわ」

 

 道を把握したラピスが先導し、リンも追従する。

 その道中を妨害する者はなく、いとも容易く目的の場所へと到達する。

 広い空間だった。下を見れば建造物ではなく自然物が露出している。ここは休火山の火口であり、周囲はドーム上に壁が覆っていた。

 中央、空中で蹲っているのは黒い蝶“イリタレート”。ナナから受け取ったデータに残された『ヤイバを喰らったIll』の外見と完全に一致する。

 

 一触即発。言葉は要らない。ラピスはスターライトmkⅢを呼び出して銃口を向ける。隣ではリンが龍咆の砲口を開いた。

 同時に蝶の羽が広がる。2人の殺意に敏感に反応しての行動。円錐型のBTビットと板状のBTシールドビットがばらまかれて臨戦態勢となる。

 

 射撃。ここにヤイバと全プレイヤーの命運を賭けた戦いが始まった。

 シールドビットが展開したENシールドによりスターライトmkⅢと衝撃砲が防がれ、イリタレートは丸まっていた体勢を解く。右手に握られている黒い大剣の表層をうっすらと紫色の光が覆っていく。

 

「紅椿の空裂と似た武器のようですわ。双天牙月で斬り合うには難しいでしょう」

「ああいう相手にはこっちの方が良さそうね」

 

 双天牙月を収納したリンは籠手部分についた衝撃砲“崩拳”を開く。

 相手はブレードとBTビットを両立している。身近な相手ではマシューの戦闘スタイルが該当するが、1つ1つの技能は遠く及ばない。むしろヤイバとラピスを同時に相手にしているのと同じ。

 2対1という考えは捨てるべき。彼我の戦力差は実質的にリンとヤイバの差であるようなもの。もし負けるようであれば自分1人の責任であると自らに発破をかける。

 射程は短い。崩拳を運用する上で求められている間合いは『つかず離れず』。敵のブレードの外、かつ射撃よりも早く攻撃を出せる距離を維持する。

 当然、マドカもリンの得意な間合いに入らせる理由はない。周囲に散らせていたBTビットが一斉にリンへと向けられて発射される。

 

 ――全部任せた。

 

 リンは敵の射撃攻撃に目もくれず強引に接近を試みる。その背景には相棒に対する信頼があった。リンはラピスの指示通りに突き進んでいるにすぎない。彼女の前方にはラピスが放ったBTミサイルが先行している。

 爆発。否。どちらかと言えば自壊と言った方が正しい。攻撃を目的としていないミサイルが破裂すると同時に内部から煙幕が放出される。リンの姿は煙の中へと消えた。

 煙の中へとマドカの射撃が飛び込む。目眩まし程度で外すような距離でもない上に、手数が多い。下手な鉄砲でも数を撃てば当たる。しかしそれは避けることが前提での理屈。

 マドカが目を見張る。BTビットから放たれたEN射撃は全て煙幕の中で細かく裁断されて消失した。

 

「ハヅキ社が開発を進めていたEN射撃を透過、屈折させる特殊素材“レーザークリステイル”。それとBTナノマシンを併用して簡単なプリズムを造らせていただきました」

 

 したり顔で解説するラピス。BTミサイルから散布された煙幕の中にレーザークリステイルの破片を仕込み、小規模のEN射撃を分散させて消滅させている。ENブラスターほどの出力には対応できないがBTビットから撃てる程度ならば無力化も可能。

 そうなるとマドカの選択肢は羽に備え付けられている2門のENブラスターとなる。リンの予想進路を計算して斉射した。

 煙幕を晴らした紫の光は富士火口を覆っている壁をも撃ち貫く。それ以外の手応えはない。

 互いに相手を見失っているはずの状況であった。しかし、リンの目は相棒についている。

 

「まずは1発目!」

 

 射撃での対応が難しい距離に到達。両手と両肩の衝撃砲を一斉にマドカへと叩きつける。面を制圧する4発は相手の回避を想定した命中重視の攻撃である。不可視なのも相俟って見極めることは困難を極める。

 マドカの対応は最善手。右手の大剣の腹を見せて体を隠す。盾となった大剣に衝撃砲が命中するも凹みすらしない。

 

「もういっちょ!」

 

 初撃の成果を確認することなくリンは次の攻撃のために位置を変えていた。イグニッションブーストでマドカの脇を通過し、すれ違いざまに龍咆を後ろに向けて発射する。

 背中に命中。マドカがよろけている間にスピードに乗ったリンは距離を開けた。

 

「くっ!」

 

 そのリンの左肩をENブラスターが掠める。マドカもリンと同様に後方へENブラスターを放っていた。左の龍咆が破壊され、残る武装は龍咆1に崩拳2。

 体勢を立て直す隙もない。既にマドカはリンをブレードの射程に捉えている。そう気づいたときには右の龍咆も両断された後だった。

 マズいと思う前に反射的に手が出る。大剣を逆袈裟に振り終えたばかりのマドカめがけて左の拳を叩き込む。

 だが衝撃砲ごとマドカの左手に受け止められた。

 AIC。ラウラに迫るイナーシャルコントロール能力により衝撃砲の威力を極限まで減らされてしまう。不可視が特色であるのに、近距離すぎてタイミングがバレバレだったことが防がれた要因。

 固定された左手。然したる抵抗もできぬまま、マドカの大剣が振り下ろされた。

 

「あっ……つぅっ!」

 

 直撃。崩拳ごと装甲を砕いた剣はリンの腕に届き、甲龍に対して絶対防御を強制させる。ストックエネルギーの大幅減少。さらに追い打ちとして二の太刀が迫る。

 リンは対応できない。黒い大剣はリンの頭へと吸い込まれていく。近づいてくる敗北をただ見ていることしかできない。

 

 だがマドカの右手は途中で止まった。

 ラピスが攻撃したわけでもリンが起死回生の一手を打ったわけでもない。

 彼女はリンの顔を見て硬直していた。

 

「リン……」

 

 名前を口走る。剣を握る手は震えている。まるで何かを恐れているかのように。

 理解はできずともリンにとってはチャンスだった。残された武器ですぐに使えるものは右手の崩拳だけ。挙動不審な相手に構うことなく、全身全霊の一撃を右拳に込めて突き出す。

 

 特定武器強化系イレギュラーブート“火輪咆哮”。

 リンは単一仕様能力を発現させているが藍越エンジョイ勢のメンバー全員に対してすら事実を伏せており、極力使用も控えている。常日頃からバレットが『ISVSは不平等』とボヤいていることを気にしてのことであり、リン本人も自らの強みとは考えていない。

 その効果はストックエネルギーが減少した際、その値に応じて次の衝撃砲の威力が増大するというもの。条件が限られている一発逆転専用の能力である。

 通常の試合で使うつもりはなかった。目立ちすぎると面倒くさい連中に目を付けられることをも危惧していた。リンは多くの女子たちと違って代表候補生という地位に興味がないのではなく、なりたくないのである。

 しかしこれがヤイバの命運がかかっているとなれば話は別。最初に能力が発現したヤマタノオロチ戦と同様に、手段を選ぶような相手ではない。

 自らの痛みを力に変えて放出する。リンの渾身の一撃は反動で自らの武器をも破壊する。

 

 マドカの回避は遅れた。結果的にリンの攻撃はクリーンヒットにはならずともマドカの右の羽をもぎ取る。

 ここまでだった。リンは満身創痍。衝撃砲を全て失い、拡張領域から双天牙月を呼び出そうとする。シャルロットのようなラピッドスイッチの技能がないリンの早さでは戦闘中の装備変更は隙だらけにしかならず、今度こそマドカの剣がリンの体を捉えた。

 戦闘不能となったリンが墜落を始める。その光景を眺めていたマドカは目を見開いて放心状態となる。そして、左手で頭を抱えると――

 

「あああああああ!」

 

 絶叫する。自分で攻撃をしておいて、後悔しているようにも映る。

 実際に彼女が見ていたのは目の前の現実か、それとも過去の幻か。

 いずれにせよ、まともな反応をしていない。

 隙だらけにもほどがある。そんなマドカの背中に蒼い流星群が殺到した。

 

「まだわたくしが居ますわ!」

 

 リンは負けた。だがまだラピスたちが負けたわけではない。BTビット4基とスターライトmkⅢを駆使して集中砲火を浴びせる。そこに沈着冷静なラピスの姿はなかった。歯を食いしばり、思考を空にして引き金を引くことを繰り返す。

 

 1つ1つのダメージは大きすぎるものではない。しかし意志を持って曲がる射撃は確実に命中という結果を残す。着実にダメージが重ねられ、マドカ自身の危機が残りのストックエネルギーという目に見える数値で示されてしまう。

 このままでは消されてしまう。抗わなければならない。

 再び戦闘に意識を割けるようになったマドカはラピスの弱点を見抜いた。手にしている装備はEN射撃武器のみ。接近戦には対応できず、広大とは言え限定空間である富士火口の戦場で射撃型が不利なのは自明の理。

 マドカは剣を前に突き出して前進する。ラピスから放たれたスターライトmkⅢの光弾をEN属性を付与した大剣で弾いた。

 接敵するのは一瞬のこと。ラピスはそもそも中距離射撃戦闘も並程度の腕しかなく、マドカの接近を阻害するほどの牽制などできない。前に出していたスターライトmkⅢの銃身が叩き斬られて爆散する。

 こうなってしまってはマドカの間合い。周囲のBTビットにマドカへの射撃を指示するも、マドカのBTビットが先にラピスのBTビットを撃ち抜いた。

 

 ずっとヤイバに任せてきた戦場に立っている。あの人が居たからこそ前線を離れて後方支援に徹することができていた。2人ならイルミナントだろうが世界最強の男だろうが打ち破ることができた。

 自分が代表候補生であるということを忘れるくらいに心地よかった。

 そのヤイバはいない。だからと言って自分が役立たずで終わっていいはずなどない。

 

 マドカの剣が振るわれる。左肩に直撃。防御性能が低いブルー・ティアーズではあと一撃加えられれば撃墜される。

 

 地面への落下を始めるラピス。彼女にとどめを刺すためにマドカは急降下する。

 ここが正念場。格闘戦を仕掛けた方が有利だという固定観念に囚われたマドカは射撃武器を全て失っているラピスにわざわざ接近戦を仕掛けている。だから有効な一手がラピスの頭には浮かんでいた。

 自分だけでは掴めなかったイメージがある。幾度となく“あの人”と繋がったことで少しずつ自分のものとなってきた。

 それは刀を振るイメージ。

 完璧でなくとも、今では名前さえ呼べば応えてくれる。

 

一夏さん(インターセプター)っ!」

 

 右手を前に突き出しながら呼び出すはENショートブレード。

 頼ってばかりはいられない。いつかは自分で斬り開かなくてはならないときがくる。

 それでも――

 

 ……勇気だけは貸してください。

 

 蒼と黒が交錯する。互いの剣は互いの腹部を刺していた。降下の勢いを殺さないまま揉み合って墜落する。

 

「どうなりました……?」

 

 クレーターの中でまだラピスは動くことができた。体に乗った岩をどけて起きあがる。

 その彼女をマドカが見下ろしていた。ラピスの攻撃は届いていたが戦闘不能には足りない。

 勝敗は決している。

 

「ここまで、だなんて……」

 

 ラピスはその場で膝を屈した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 穴の開けられたユグドラシルの外壁でハバヤは肩をすくめていた。その穴はラピスとリンが開けていったもの。イーリス・コーリングに続いて2組目の進入を許したことになる。

 

「“蒼の指揮者”が直接乗り込んでくるなんて聞いてませんよ……全く、(冗談)の通じない相手はやりづらくて仕方ありません」

 

 ここまで大多数のプレイヤーたちを一方的に始末してきたハバヤが戦闘能力の低いラピスを見逃さざるを得なかった。その理由は彼女の単一仕様能力にある。あらゆるISの情報を取得するラピスをハバヤの単一仕様能力は騙すことができない。彼女から他のISへの情報には介入できるが本人だけは無理なのである。

 嘘を操る単一仕様能力に対して真実を見抜く単一仕様能力は相性が悪い。事前にラピスの情報を得ていたハバヤにとって最も相手をしたくない相手だったと言える。

 

「まあ、いいでしょう。マドカ・イリタレートも自我を持ったIllなのですからあの程度のプレイヤーに負けはしないでしょうし」

 

 損得を考えると、もしラピスと真っ向勝負をしてハバヤ自身が負けてしまえば藍越側の一転攻勢となり得る。被害を最小限に済ませるにはラピスを素通りさせる方が効率的なのは間違いなかった。

 タイムリミットが迫っている。ハバヤは時間さえ稼げば勝利を得る。危ない橋を渡る必要性などどこにもなかった。

 

「というわけであとは……冗談が通じない愚か者の相手をしてやるとしましょうか」

 

 ハバヤの前に新たなプレイヤーが姿を見せる。いや、この戦場で対峙するのは2度目。

 

「平石ハバヤァ!」

「数馬くんもいい加減にしつこいですねぇ。何度も言うように私を倒したところで織斑一夏もゼノヴィア・イロジックも帰――」

 

 まだ話している最中のハバヤに容赦なくENブレードが振り下ろされる。しかしこれは幻。本体の位置は違う。

 

「君は意外と血の気が多かったようで」

「俺と戦え!」

 

 ところ構わずハンドガンを撃ち放つ。だが闇雲な攻撃がハバヤに届くはずもない。

 

「問答無用ですか。これでも私は君に一定の敬意を払っていたのですが……もう必要ねーな」

 

 何もなかった場所から飛び出したナイフが数馬に刺さる。

 

「相手をしてやんよ、クソガキィ!」

 

 ハバヤの口調が豹変する。慇懃無礼ながら丁寧な物腰に隠していた凶暴性が曝け出される。情けをやめたハバヤが攻撃を控える理由は消えていた。

 決して攻撃力は高くないが防御困難なナイフが次々と数馬を襲う。視認が難しいだけならばまだ対処はできる。問題は当てられるまで存在を認識できないことにある。

 数馬よりも強いプレイヤーがユグドラシルには数人到達できていた。その全員がまとめてハバヤ1人に敗北を喫している。到底、数馬1人でどうにかなる相手ではない。

 

 だがそんな理屈で止まる足など持ち合わせていない。

 

 キョロキョロと周囲を見回す。もしかしたらハバヤの戦闘の綻びが見つけられるかもしれない。ハバヤの戦闘のカラクリを完全に理解していない数馬は足掻く。狙いを絞らずにハンドガンを乱射し続ける。

 

「何をそう必死になってるんだか……ひょっとして、あの人形に劣情でも催してたかぁ?」

 

 ハバヤの煽り。無言の数馬が乱射するハンドガンの連射間隔は短くなる。その目つきは友人の誰も見たことのない鋭さを持っている。

 

「しゃーねーなぁ。今度、お兄さんが代わりを用意してあげようかぁ?」

「黙れ!」

 

 数馬の怒りが口から漏れだした。

 たしかにゼノヴィアは造られた存在かもしれない。

 でも数馬の知っているゼノヴィアは彼女だけしかいない。

 代わりなんてどこにもない!

 

「ヒッヒッヒ! オレは野蛮人じゃないんで、戦ってる相手とも言葉を交わすぜ? 数馬くんももっと語れよ」

「死ねェ!」

「これが今時のキレやすい若者って奴か。ジェネレーションギャップを感じずにはいられねーなぁ?」

 

 必死な数馬に対してハバヤは嗜虐の笑みを浮かべるのみ。すぐにでもとどめを刺せる状況下だというのに、じわじわといたぶる。

 

「黙れ。死ね。どっちもオレには届かない言葉だ。次は何を言ってくれるのかなぁ?」

 

 答えは返さない。言いたいことはもう終わっている。だが銃を撃つ気力をも失い始めていた。

 がむしゃらに立ち向かっても無駄。それは状況が物語っている。ゼノヴィアの仇を討ちたくても数馬には十分な力がない。

 

 ……もし一夏だったら。

 

 過去に強大なIllを打ち破ってきた親友を思い浮かべる。数馬では手も足も出ていない相手でも、一夏なら倒してみせるはずだとそう確信している。

 

 ……何で俺が残っちゃったんだ。

 

 喰われるなら自分で良かった。逆なら一夏がハバヤを倒してくれる。ゼノヴィアの仇を討ってくれる。そう信じられた。

 自分なんかよりよほど頼りになるのだと、自分を卑下せざるを得ない。

 

 ――数馬はどうして来てくれたの?

 

 ふと、彼女の声が脳裏に蘇る。

 なぜ自分はここに来たのか。それはゼノヴィアの仇を討つため――

 

 ――違う! ゼノヴィアを迎えに来たんだ!

 

 ゼノヴィアが消えたのは結果論。

 ハバヤに落とし前をつけるのも結果論。

 一夏ではなく数馬がこの場に立っている理由はもっと単純な話だ。

 

 ……俺がそうしたかったからだ。

 

 叶えられなかった願いがある。だからといって何もかもを無駄と切り捨ててはいけない。

 彼女は数馬を全て受け入れた。死を待つ身でも恨み言1つ残さず礼を述べた。

 危うくゼノヴィアが残した想いすらも裏切るところだった。

 

「俺は――」

 

 ENブレードを横に薙ぐ。数馬に迫っていた投げナイフが初めて斬り落とされた。

 

「仇討ちをしに来た。だけど1人の復讐なんかじゃなかった」

 

 攻撃を防いだ後の第2波は投げナイフとワイヤーブレードによる前後からの挟み撃ち。認識の外から本人が近寄ることなくトリッキーな中距離攻撃を仕掛ける。

 卑怯者の戦術の全容が今の数馬には見えていた。

 

「バカな……!?」

 

 前後からの同時攻撃も前からのナイフはハンドガンで撃ち落とし、背後からのワイヤーブレードはENブレードで真っ二つにする。

 立て続けに的確に攻撃を防がれたハバヤは絶句する。

 入れ替わりに数馬の口元に笑みが浮かんだ。

 

「俺は1人でお前を倒しに来たんじゃない。彼女も一緒に戦ってくれてる」

 

 言葉を交わせなくても数馬はゼノヴィアを傍に感じている。そう自覚した途端にハバヤの繰り出した幻覚の何もかもが消え失せていた。

 もう本体の位置も目に映っている。こうなってしまうとハバヤは藍越エンジョイ勢のどのプレイヤーと比べても脅威にならない。

 

「おかしいだろ! なぜ虚言狂騒が通じない!?」

 

 ISの持っているハイパーセンサーを始めとする情報収集能力は高い。虚言狂騒はその取得データに介入し、偽のデータを植え付けることでISコアにも真偽が判断できない状態を生み出す。

 だが今の数馬はISを使いながらもIS以上に信用している存在がある。彼女の遺志とも言うべきデータがハバヤの偽の情報を拒絶し、数馬を守る。

 

「これで終わりだ!」

 

 近寄れば一瞬。壁を背にして逃げ場もなかったハバヤにENブレードを振り下ろす。

 何度でも。ただ、奴が黙るまで。奴の心が折れるまで。

 ストックエネルギーが尽き、戦闘不能となっても数馬の手は止まらなかった。ISが解除された生身のハバヤの襟を掴みあげるとユグドラシルの外壁に押さえつける。

 

「おめでとう。数馬くんの勝利だ」

 

 ハバヤはひきつった笑みで数馬を称えた。

 もちろん、心からの言葉ではない。続きがある。

 

「けどざーんねん! こっちは負けても痛くも痒くもねーんだっての! ミルメコレオが来ればテメェらは例外なく消えるんだよ! ヒャッハッハッハー!」

 

 仮想世界で肉体は殺せない。殺せるのは心だけである。

 それはハバヤの言であるが数馬も同じ意見だった。

 今のハバヤは自らの精神的優位のために数馬をからかい混じりに煽っている。

 敵の意図を理解している数馬は暴力で黙らせずに言ってやることにした。

 奴の心を殺すために。

 

「この勝利は俺の自己満足。だけど俺がお前を倒した事実だけは揺るがない」

 

 どれだけ上から目線で煽って来ようが関係ない。

 淡々として事実を突きつけるだけでいい。

 御手洗数馬というノーマークに等しかったプレイヤーが平石ハバヤを打倒した。

 その事実を引っ提げて宣告してやる。

 

「お前は俺より『絶対的に弱い』んだよ。精々、自分に嘘をついてるといいさ」

「……ウゼェな、テメェ」

 

 ハバヤが静かに凄む。嘘に塗れていた男が見せた真実の顔には怒りだけでなく悔しさも浮かぶ。

 最後に数馬はハバヤの体を投げ捨てた。これでハバヤは高々度のユグドラシルからパラシュートのないスカイダイビングを体験することとなる。もっとも、途中で体が分解されてその場に止まるため、苦痛を味あわせるには至らないが数馬にはもうどうでもいいことだった。

 

 2千を超えるミルメコレオが迫る。タイムリミットが近づいているにもかかわらず、数馬の顔は満たされていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラピスは全ての攻撃手段を失った。リンは既に戦闘不能で、他にプレイヤーがいない。だというのに未だにマドカは健在である。

 不幸中の幸いかマドカはラピスにとどめを刺そうとはしない。必要がないからと蔑んでいるようには感じられず、ただラピスの眼前で立ち尽くしていた。

 Illを前にして無防備も同然の状況だというのにラピスには恐怖心が一切存在していない。それもそのはず。彼女の蒼い瞳が映しているのは化け物などではなかった。

 

「……私とアイツは違い過ぎるのだな」

 

 独り言が漏れ聞こえる。砕かれたバイザーから覗くマドカの眼は黒でなく白。発言も外見もこれまでに敵対したIllとは決定的に違っていた。

 

「あなたは一体――」

 

 何者なのかと問おうとした言葉は宙に消える。

 ラピスの意識をマドカから引き離したのはアカルギからの通信であった。

 

『敵自爆Ill部隊の到達まであと3分を切りました。こちらの判断でアケヨイを発射しましたが落とせたものは10機程度です』

 

 あと3分でプレイヤーが全滅させられる。現実に帰るためには目の前にいるIllを倒さなくてはならない。

 だがそれは不可能な話。ラピスには武器がなく、仮にあったとしてもまだまだマドカは戦闘可能な状態である。彼女にはとどめを刺す気配が見られず、ラピスは時間切れまで放置されることだろう。

 思考を巡らせても答えは出ない。ラピスは俯いていた。

 

 

 ――前を見てて、ラピス。君が見てくれていれば、俺は無敵だから。

 

 

 あり得ない声がした。

 

 ハッと気がついたラピスが顔を上げると、半ば呆然と立ち尽くしていたマドカが頭を押さえて後ずさる。

 

「い……痛い……う、くっ……」

 

 原因は不明だがマドカは突然苦しみだした。全身が仄かに白く光を発している。その色をラピスはよく知っている。

 やがてマドカを覆っていた光が乖離して1つに集う。そして――

 

 天へと解き放たれた。

 

 光はユグドラシルを突き破り、遙か上空へと昇っていく。

 既にラピスからは肉眼では見えない場所へと消えていた。

 しかし彼女には別の眼がある。星霜真理はISの真実を映し出す。光の位置も、光の正体もラピスにはお見通しだった。

 なんとかなる。その確信が生まれた。

 

「一夏さんっ!」

 

 成層圏よりも更に上。地球の丸さ、青さが実感できるほどの高空へと昇った“白”はその手にある剣を頭上に掲げた。

 剣に雪のような白い粒子がまとわりつく。加速度的に増殖するそれらは剣の表面だけでは収まらず、刀身に沿って長く伸びていく。遙か彼方に存在する別の星までつながる架け橋でも創るのではないかという勢いであった。

 どれほどの長さになったのか。それはおそらく剣の所有者すら正確に把握していない。だがそれが(もたら)すものは承知している。

 ISVSには存在しないはずの過去の遺物の全性能を引きだした。

 あとはISにとっての“はじまり”を再現するのみ。

 

 

 一閃。

 

 

 たった一薙ぎである。“白”が右手の剣を振るうと、無限に感じられるほどの刀身も追従する。

 空に閃光が走る。

 そうして、“はじまり”は終わりを告げた。

 成層圏よりも上での出来事。富士の戦場へと向かっていた蟻の軍勢は1匹たりとも残っていない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 地上からもユグドラシルから昇った光は見えていた。

 ラウラ・イラストリアスと交戦中のブリュンヒルデはその光を以前にも見たことがある。

 具体的には10年前。日本に2341発ものミサイルが発射された“白騎士事件”。1点を中心に円形に白い光が広がり、全ての脅威が一瞬で駆逐されたあの事件を再現していた。

 危機的状況は一瞬でひっくり返り、気づいたときには平穏な空だけが残されている。

 

「束……なのか……」

 

 ブリュンヒルデは雪片を下ろし、呆然と空を見上げる。

 挙げた名前は死んだはずの親友。

 10年前に一夏と箒を守るためだけにISを持ち出した天才が再び現れた。

 しかしわからない。なぜ彼女は自分に何も言わないのか。

 ブリュンヒルデにとっては危機が無事に去った安堵よりも疑問の方が大きかった。

 

 敵対していたラウラ・イラストリアスも剣を下げる。この戦場で戦う意義を失った彼女はブリュンヒルデをその場に残して立ち去った。

 ブリュンヒルデは追撃をかけることすらなく、なおも空を見上げ続けていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 状況はすぐに理解できてた。ラピスたちは戦力を結集し、罠を承知でエアハルトたちに決戦を挑んだ。そしてその罠を打ち破れないという瀬戸際だった。

 2341発のミサイルが日本に迫っていた白騎士事件を再現するかのようなエアハルトの攻撃。バレットが言ってたけど白騎士事件は現存するIS単機では再現不可能という無理難題だったらしい。そもそも伝え聞いた話が『白騎士は剣の一振りでミサイルを全て叩き斬った』という。ISVSをプレイしてればそんな無茶な話があるかとなるのも良くわかる。

 ラピスは最後の力を振り絞ってマドカに挑んでいた。彼女もバレットと同じく自爆Illの攻撃を防ぎきることは不可能と考えている。だからこそIllを倒して帰る道を用意することしかできなかった。

 

 ……助かったよ、ラピス。リンも。

 

 彼女たちはマドカを倒せなかった。だけど無駄なんかじゃない。そのおかげで俺はこうして皆の前に帰ってくることができたのだから。

 役目を終えた長大な刀身が砕けるように消え去る。もう制限時間が来ていた。あらかじめ言われていた時間にピッタリというあたり、流石の束さんだと思う。

 ……両刃の剣はどうもしっくりこない。

 今の俺の機体は白式ではなかった。顔も覆われてる全身装甲(フルスキン)で、武器は西洋剣が1つ。あとは非固定浮遊部位に荷電粒子砲があるけど俺には上手く使いこなせそうにない。

 俺には合ってない機体だけど、今の俺には必要な力だった。束さんが貸してくれたこの力の名前は白騎士。10年前、日本を救った“はじまりのIS”である。

 自爆Illの脅威は去った。だけど俺には別のタイムリミットが迫っている。こうして実体化しているのも束さんが無茶をした結果らしくて、無限に続くようなものじゃないとのこと。

 急速下降して俺が飛び出した穴へと飛び込む。敵の拠点ともなっていたマザーアース“ユグドラシル”は俺の攻撃で中枢のコアをいくつか砕いたため、戦闘不能の木偶の坊となっていた。あとは中に残っているはずの“アイツ”を倒せば終わる。

 

「一夏さん、ご無事だったんですか!?」

 

 ラピスからの通信。彼女は自分が呼んでいる名前に違和感がないのだろうか。今の俺はヤイバというアバターの姿をしていない。これは束さんが知ってる俺を形にしたからだろう。

 

「全然無事じゃないって。だから帰るためにできることをしないとな」

 

 富士の火口の戦場に降り立つと中心で蹲っていたマドカが顔を上げた。目が合った瞬間に大剣を持って飛びかかってくる。

 ……そこに何の意味があるのだろうか。

 イリタレートの大剣を白騎士の剣で真っ向から受け止めてやるとマドカは俺の目の前で止まった。力で押しつけることもせず、その場で浮いているだけ。

 コイツはわからないんだ。今、何のために戦ってるのかを。

 

「……お前の価値は見つかったか?」

 

 俺の口からついて出たのは問いかけだった。返答はない。だけどマドカはぶつけてきていた剣を引き下げる。

 

「私は……何者なのだ……?」

 

 マドカの口から漏れた疑問。彼女のこれまでを知った俺でも明確な答えなんて知らない。

 千冬姉と同じ力を持った遺伝子強化素体として造られたクローン。だというのにVTシステムを使いこなせなかった。普通の人間に近い外見からエアハルトにすら忌み嫌われ、彼女はただの道具となっていた。

 

「私はなぜ……現実(そこ)にいない……?」

 

 割れたバイザーの隙間から俺を見つめるその目は今にも泣き出しそうで、とても子供だった。

 事実、彼女は子供なのだろう。彼女に意識が生まれたときには既に今と同じ体を与えられていた。それは1年も前の話ではない。

 彼女に与えられた価値は戦いの勝利にしかなかった。だから比較対象である織斑を討たなくてはならないという思考に縛られることになり、ターゲットとして俺が選ばれた。

 俺はもう一度問いかける。

 

「お前の言う価値って何だ?」

 

 価値ある自分のために俺を倒す。それはいいとしよう。

 でも俺を倒した後のはずなのに、マドカはずっと暗い顔をしてるじゃないか。

 その証拠に、ついさっき俺に振るわれた剣にはまるで殺意がなかった。

 だから俺は断言してやる。

 今もなお困惑してるマドカが本当に欲しがっている価値を。

 彼女が一度だけ俺に求めた救いへの答えを。

 

「俺は知ってるぞ! マドカがISVS(ここ)に生きてたってこと!」

 

 自分のしたいことすらわからなかった彼女が無意識のうちに口にした願い。それは――

 

「マドカ。ちゃんと俺の胸に刻んだ!」

 

 名前を胸に刻め。これはただの捨て台詞なんかじゃなかったんだ。

 俺だけはお前を忘れない。たとえ現実に体のない幻のような存在でも、俺の前に現れたマドカという人格は確かに居た。

 

「無理に戦わなくても、お前に価値がないなんてことはないんだよ!」

 

 マドカの記憶を覗き見てからずっと思ってたことは言ってやった。

 ……ただの自己満足だ。

 この後、俺がすべきことは1つしかない。束さんにも指摘されたこと。自分の願いのために、切り捨てるべきものは切り捨てなければならない。

 俺はマドカに恨みなんてない。彼女も被害者でしかない。

 だけどゼノヴィアと違ってマドカはヤイバを喰らった。“俺”が箒を助けるために彼女は相容れない存在となってしまっている。

 

「まるで拷問だった」

 

 白騎士の剣を握り直して不意打ちしようと考えていたところへマドカが語りかけてくる。

 

「織斑一夏の記憶が私に流れてきた。今まで経験したことがなかった事態に戸惑うだけでなく、見せつけられた映像は私の胸を抉った。私はお前にはなれないと宣告されているようなものだった」

 

 斬りかかってきたときの気迫とは無縁な静かな語りに俺は黙って聞き入る。

 

「織斑一夏と仲間の信頼を身近に感じた。それが苦痛だった。私の存在がゼノヴィアの心にすらいなかったという証明だったからだ。所詮、私は造られた存在であり、人ではなく道具に過ぎないのだと思い直した」

 

 それがこの戦いに望む前のマドカの心境。俺がマドカの記憶を見ていたようにマドカも俺の記憶を見ていた。

 やはりクロッシング・アクセスだったか。相変わらず発動条件がわからな――

 

 ――私は人になれるのか?

 

 ハッと息を呑む。マドカの口を通さず、ISの通信でもない言葉が頭に浮かんだ。

 これはナナやラピスとのクロッシング・アクセスと同じ。

 

 ……なれるも何も最初から人だろ?

 

 そもそもの話、エアハルトの言いなりになる必要なんてない。エアハルトに気に入られなくても、それだけで価値がないだなんて俺は思わない。

 マドカが人でなくなるとき。それはマドカ自身がマドカを否定したときだけだと思う。

 

「……よくわかった」

 

 ぶつり、とクロッシング・アクセスが途切れる。最後に一言だけ口走った後、マドカの目つきが変わる。迷いの消えたその瞳の奥には確かな決意があるように見えるけど、その具体的な中身は俺にはわからない。

 マドカが大剣を振り上げる。彼女は結局、戦うことを選んだということだ。

 そんな彼女に対して安堵を覚えたことに気づく。

 なんて自分勝手な。彼女を手に掛ける理由ができてホッとしてるのかよ。

 

 俺が止める間もなくマドカが斬りかかってくる。遅い。きっとラピスにも見切れる程度だ。

 わかってしまった。けど、ここまで来てしまっては止まる理由がなかった。

 本当のところ、俺が偽善者でマドカが優しい奴なんだ。

 俺は剣を突き出す。難しい技量なんて要らない。これはお互いにとっての予定調和でしかなかった。

 

 白騎士の剣はマドカの体を貫く。イリタレートの核をも破壊し、マドカは消えることとなる。

 

「……私に勝ったお前は何か変わったか?」

 

 Illを失い、消滅に瀕しているマドカが逆に俺に聞いてくる。

 何も変わってないというのが正直なところ。だけど、より確実になったことが1つだけあった。

 

「絶対にエアハルトの野郎をぶっ飛ばさなきゃいけないってことがわかった」

 

 マドカは被害者である。とすれば加害者は誰か。

 その答えはエアハルトだと断言する。

 ここで俺はマドカを消す。でもそれだけじゃ何も終わらない。箒のことも他のことも何もかも、奴との決着無くして解決なんてしないんだ。

 俺が改めて宣言するとマドカから「ふふっ」と小さな笑い声が聞こえた。

 

「ならば成し遂げて見せろ。その結果を現世(うつしよ)に肉体を持たぬ私が生きた証としよう」

 

 マドカのバイザーが完全に消失。隠されていた彼女の顔は10年前の千冬姉と瓜二つで……俺の知ってる優しい笑顔も同じだった。

 生きた証。それが彼女が欲していたもの。俺がエアハルトを倒した後の世界こそがマドカが生きていた証となる。

 この場で消えることを自ら選んだ彼女を俺は生涯忘れはしないだろう。

 

「本当はお前にも現実の世界を見てもらいたかった。俺ならそれが実現できたのに……」

 

 俺は良心の呵責から、できたかもしれない可能性を口にしてしまう。マドカの体が現実になくてもモッピーがある。あれを通せばマドカも現実を体験できるはず。

 言ってから失言だったことに気づいた。もう消えるしかない彼女に夢を見せるのはそれこそ拷問のようなもののはずなのに。

 でも杞憂だった。バカな俺をマドカは軽く鼻で笑ってくれる。

 

「却下に決まっているだろう。一度知ってしまえば願いから未練に変わる。私はここで消える方が幸せだ」

 

 幸せ。本当にそうだとはとても思えないけど、俺には否定することなんてできない。

 もうマドカの体は下半分が消えていた。光の粒子の分解は徐々に進行していき、じきに顔も見えなくなる。

 残り時間が少ない。それでもマドカは恨み言を残さず、笑みを作る。俺を小馬鹿にしたような嘲笑でもマドカが楽しそうならそれでいいと思えた。

 だけど意外にも最後に彼女はニカッと満面の笑みを浮かべる。

 

 

「お前が覚えてくれてればいいんだよ。“お兄ちゃん”」

 

 

 瞬間、俺の思考がぶっ飛んだ。俺が固まっている間に逃げるようにマドカの体が全て消え去ってしまう。

 ……俺が、兄か。

 もちろん俺に自覚なんてない。だけど、そう呼ばれて悪い気はしなかった。絆なんて呼べるほどのつながりはなかったけど、最後に彼女は俺とつながりを感じてくれていた。

 絶望して消えたわけじゃないことだけは嬉しかった。

 

「ごめんな、マドカ……」

 

 謝らなくては気が済まない。俺のために道を譲ってくれた仮想世界だけの妹。彼女の優しさを犠牲にして、俺は俺の願いを叶えようとしている。

 箒を救い出す。

 その確かな想いを再認識した。何もかもは救えない。本当に助けたいもののために、俺はマドカの死をも受け入れて乗り越えなくてはならない。

 

 ……泣くのはこれで最後にしたいな。箒に軟弱者だって叱られちまう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 互いに多大な戦力を揃えての決戦はミルメコレオの全滅とイリタレートの破壊を以て終わりを告げた。

 白騎士として一時的に蘇った織斑一夏はマドカが消えた後で現実へと帰還を果たす。今回の戦いで帰還できなかった()()()()()は誰もいなかった。

 エアハルトは確実に手駒を失いつつある。逆転の一手であったこの戦いで対抗勢力を潰せなかったことは大きなマイナスであった。

 一方でツムギの被害も甚大である。ナナの護衛として参戦していた男たち16名の内11名が消滅。プレイヤーでない彼らは二度と帰ってはこない。そして、彼らが守るはずだったリーダー、文月ナナはエアハルトに連れ去られた。

 アメリカの部隊もイロジックが破壊されたことで成果を得られていない。日本企業との亀裂を覚悟してまで強行しただけに割を食った形となっている。

 

 結果だけ見れば痛み分け。誰も得していない。

 当然、このままで終わらせるつもりなど誰1人として考えていなかった。

 ナナを取り返す。

 敵対勢力を殲滅する。

 篠ノ之論文を手に入れる。

 様々な者の思惑が交錯し、時を置かずして次の戦いが待っている。

 

 

「篠ノ之束……更識楯無……そして、御手洗数馬。どこまでもオレの邪魔をしやがってェ!」

 

 プレイヤーたちが去った後の富士の戦場に残っている男もまた、己の目的のために行動を起こそうとしている。

 平石ハバヤの傍らには墜落した紫紺の打鉄“イレイション”がいる。完全破壊を免れていたIllの前で激昂しているハバヤには今までのような余裕は微塵もない。

 

「お前の機体を寄越せ」

 

 命令を下す。本来、全てのIllはハバヤの無茶な命令を聞かないようエアハルトから指令が下っているために無駄なはずだった。

 しかしハバヤはエアハルトとの協定違反となる禁じ手を使った。

 イレイションの操縦者の返答は事務的なもの。

 

「承知しました、()()

 

 虚言狂騒で自身をエアハルトと誤認させてイレイションを外させる。ハイパーセンサーの加護を失うと同時にエアハルトだったはずの男がハバヤだと認識したが時既に遅し。ハバヤのナイフが胸に突き立てられた。Illを外した遺伝子強化素体を絶対防御システムは守らない。

 自意識に乏しかったはずの遺伝子強化素体の少女が目を見開いてその場に崩れ落ちた。恨みがましくハバヤを睨むも力尽きて光と化して空気中に消えていく。

 主を失ったIllの核を手にハバヤはほくそ笑んだ。

 

「出来の悪い人形に使われた結末がこれじゃテメェも無念だろう? オレがテメェを使ってやる! オレを世界最強の存在にしてみろや!」

 

 遺伝子強化素体でないハバヤがイレイションを装着する。

 瞬間、ハバヤから笑みが消えた。

 

「ぐっ――」

 

 呻き声を上げて地面に膝を突く。胸を押さえても奥底で痛みが駆けめぐる。

 

「ぐあああああああ!」

 

 絶叫。その傍らには誰一人としていない。


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