Scene02 集結するプレイヤー
Scene03 mission:黒死蝶の破壊
Scene04 ブレードモンスター、カルキノス
Scene05 見抜かれた虚言
Scene06 機械的思考
Scene07 アメリカの参戦
Scene08 遺伝子に刻まれた呪い
Scene09 想いに従った一歩
Scene10 囚われのゼノヴィア
Scene11 優しい右手
Scene12 黒い霧のIll
仮想世界でも風は吹いている。海上ドームの外に設けられたテラスでは立っているだけで服がはためくほど潮風が強い。シズネを始めとした女子たちはスカートを抑えていなければ男たちを喜ばせることだろう。
そのような場所だというのに女子たちは屋内に戻ることはない。男たちもミニスカート女子に鼻の下を伸ばすことなく、別の“2人”を見守っていた。
この場を支配する音は人の声ではない。ISVSらしい銃撃や爆発でもない。
ただひたすらに竹のぶつかり合う音だけが幾度も響いている。
「まさかISなしでここまでの戦いが見られるなんてな」
シズネの隣でトモキが呟く。彼の視線の先には竹刀で打ち合っている袴姿の少女がいる。色こそピンクと黒で違っているが、同じくらいの長さまで伸ばされている髪を2人ともポニーテールに結っている。
2人の手合わせは果たして剣道なのだろうか。少なくとも防具を付けない剣道をトモキは知らない。ISVSではナナの次に果敢に戦っていた彼でも生身でこの中に割って入れる自信などなかった。
「ナナちゃんが強いのは知ってましたけど、カグラさんがついて行ってるのにはビックリです」
常人お断りの稽古をしているのはナナとカグラ。篠ノ之流剣術を修めているナナはともかくとして、平然とついていけているカグラも普通ではない。既に凡人たちからは『危ないから防具を付けろ』と言えるような雰囲気ではなかった。
「トモキくん、カグラさんに代わってもらってはどうです?」
「俺じゃ無理だっての」
「そんなこと言ってていいんですか? ヤイバくんだったら――」
「野郎ならナナについていけるだろうな。だからこそ現状は不甲斐なくてしょうがない」
シズネのからかい混じりの一言だったがトモキは全く動じない。
既にヤイバがいないことはツムギの全員が知っている。
決して表に出さないように気を張っているが、シズネも内心穏やかではない。平常心を取り戻すためにトモキに発破をかけたのだが、その反応は想定とは違っていて逆に混乱してしまう。
「お前、変わったな。色々と顔に出てるぜ」
「変わったのはトモキくんの方です。どうしてそう達観してるんですか?」
「それは俺が大人の男だからだ」
「同い年でバカなことを言わないでください。たとえ大人でもトモキくんみたいなのは変です」
シズネの胸にはギドとの戦いの後からずっと違和感があった。
ナナがモッピーを使うようになり、ツムギの皆の前に姿を見せなくなったことでトモキはもっと騒ぐと思っていた。ツムギの皆に情報が拡散しないようにと彼にだけモッピーの情報を流した。当然、それはナナがヤイバと現実で会っていると教えるようなものである。内心では不満が溜まっているのだと、シズネはそう思いこんでいた。
実際は違う。トモキは不気味なほどナナの前に姿を見せなくなっていた。トモキだけではない。今まで共に戦ってくれていたメンバーのほとんどが自室に籠もるようになっていた。ナナ以外のメンバーを探してツムギ内を歩いていたシズネが見つけられたのはレミたちアカルギクルーの3人だけだったのである。
「トモキくんはナナちゃんが嫌いになりましたか?」
「ありえねえ。ナナはいつだって最高の女だ」
「良くわかりません。トモキくんはおかしいんです。そうに決まってます」
ヤイバのいない不安がある。さらにトモキが考えていることがわからない状況も重なってシズネは若干涙ぐんだ。積み重ねられてきた安心感が一気に崩れていくように感じられた。
トモキはシズネの頭にポンと手を乗せる。
「俺のことなんて全部はわからなくていい。俺はナナが好きだし、シズネのことだってどうでもいいなんて思ったことはない。それだけ知っててくれればいいさ。お前たちがヤイバを助けるために戦う道を選ぶなら俺も行く。放っておくわけにはいかないからな」
「優しい言葉をかける相手を間違えてますよ」
「『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』。ちゃんと下心があってのことだから心配すんなって。じゃ、俺は他の連中の様子を見てくる」
シズネの頭から手が離れる。背中越しに手を振るトモキをシズネは黙って見送ることしかできなかった。
「トモキと何かあったのか、シズネ? 浮かない顔をしているようだが」
カグラとの稽古を済ませたナナが問う。ヤイバのことに気を取られすぎないよう、戦いに気を集中させる儀式を終えたナナの表情には一切の動揺が見られない。
「……トモキくんはナナちゃんのために頑張るそうです」
「無理はするな、と今は言えないな。トモキのことだから止めるのも難しいだろう」
「そうですね」
嘘は付いていない。しかし全てを正直に話せてもいない。
以前と違って達観としすぎているトモキ。
彼がもう帰ってこないような気がする。
そんな漠然とした不安を戦闘前のナナに言えるはずなどなかった。
◆◇◆―――◆◇◆
金曜日の放課後。前日の深夜にISが暴れていたことなど一般の生徒は知る由もなく、学業から一時的に解放された生徒たちが各々の放課後ライフを満喫するために教室から散っていく。
しかし今日は一部の生徒の動きが違っていた。彼らはISVSプレイヤーであるが向かう先は外ではなく体育館。崩落していた屋根の修理が終わって立ち入り禁止は解除されている。あまりに早い工事に驚嘆を示しつつ生徒たちは続々と集結した。
「皆、良く来てくれた。ひとまずは歓迎する」
ステージの上には生徒会長の最上英臣が待っていた。体育館の床の上には多数のISVSの筐体が配置されていて、集まった生徒たちはその隙間を埋めるようにして整列する。誰一人として私語をせずに壇上の生徒会長を注目しているという異様な雰囲気が体育館中に満ちていた。
「君たちに聞こう! ここへ何をしに来た!」
沈着冷静な生徒会長らしくなく大声を張り上げる。普段は見せない熱さが、この場が普通ではないことを示している。
「よもや遊びに来たなどと言う者はおるまい! もし周りに流されている輩が紛れているならば、直ちに帰宅したまえ!」
最早怒声に近い言葉が生徒たちにぶつけられる。以前のイベントのときと違い、ISVSの筐体があっても遊びにいくわけではない。最上は事前に己の知る事柄を全て打ち明けている。今、集まっている者たちはその事実を踏まえた上で駆けつけた者たちなのである。
誰も動かない。この中で本気で危険であることを承知している者が何割いるかは最上も想定できていない。だがもう十分すぎるくらいに引き返す道を提示した。この先は遊び半分でついてきても、最後まで心中をも覚悟して付き合ってもらうことになる。
「君たちの覚悟と心意気、しかと受け取った。準備を終えた者からISVSへ入ってくれ。後の説明はラピスラズリから聞くように」
生徒会長からの許可が下りた。生徒たちはイスカを手に次々とISVSにログインしていく。その中には弾を始めとする藍越エンジョイ勢も当たり前のように入っている。
「あれ? もしかして遅刻?」
藍越学園生徒のログインが一段落したところで追加で体育館に入ってくる者たちがいた。その先頭に顔を出したのは弾の妹である蘭。そのすぐ後ろにはマシューこと真島慎二や大学生以上のプレイヤーの姿もあった。藍越学園外の彼らも一夏の危機を知って駆けつけてきた者たちである。
「大丈夫だ。しかし藍越学園でなくともゲームセンターからで良かったのでは――」
「会長さん。この場に集まったことに意味があるんだ」
「なるほどね。君の言うとおりだ」
3つ年下の真島に諭されて最上は納得させられた。この場にいるのは最上が集めたのではなく、一夏のために勝手に集まった者たちばかり。藍越学園にわざわざやってきたこと自体が士気を底上げしているのは間違いない。
最上は新たにやってきた者たちの代表として蘭と真島を選んで問う。
「念のため確認しておくけど、今からやろうとしていることと、今から戦う敵が何かを理解しているかい?」
「一夏さんには色々と返さなきゃいけない恩があるんです。主に兄貴のことで」
「織斑くんは貸してるだなんて思ってないだろうけど、君が参加する理由は良くわかった」
続いて真島に最上の目が向けられる。
「僕に戦う意味を問うとは滑稽な話だ。我ら蒼天騎士団が名誉団長の危機に動かぬはずなどない。ついでに言えば会長さんよりも前から僕は戦っている」
「たしかに。聞くだけ無駄だったかな?」
「逆に会長さんに聞くけど、あなたはどうして戦力や設備を集めてまで戦うんです? まあ、風の噂を聞く限りだと正義のためなんだろうけど――」
「心外だな。僕は自分のことを正義だなどと言ったことは一度もないよ。そもそも正義や正論というものは他者を評価するための言葉であって自己を肯定するための言葉じゃない」
「じゃあどうして?」
問い返された最上は自らの戦う理由を述べる。
自らの行ないを正義と自称しない彼が語る動機は一言。
「ただの趣味さ」
「…………」
誰も一言も発さずに淡々とイスカを使ってログイン作業を始めた。気づけば体育館の中で立っているのは最上と宍戸のみとなっている。
「では先生。後はよろしくお願いします」
「任せた。今のを聞いた後だと任せていいのか激しく不安だがお前ならなんとかするだろう。織斑を喰ったIllをなんとしてでも討て」
「了解しました。もっとも、僕としては織斑くんも助けるべき対象の1人でしかないのですけどね」
最上がログインして藍越学園の体育館には宍戸が1人残ることになる。
旧ツムギの一員として現実で戦っていた戦士はISVSで戦えず、教え子たちを頼るしか道がない。
「頼んだぞ」
無意識な握り拳には力が籠もっていた。
◆◇◆―――◆◇◆
マザーアース“アカルギ”。ツムギの所有する戦艦のブリッジの中でラピスは戦場の分析結果をまとめている。
アカルギがやってきた場所は富士山から南の海岸線の上空。集まったプレイヤーたちもアカルギの周囲に展開して臨戦態勢は整っている。全軍が目を向けている先は富士山であった。
否。富士山と呼ぶには現実のそれと大きく変わっている。なぜならば日本の最高峰から、あり得ないものが
「ミューレイ内のスパイからの情報によると、あれはミューレイの開発した拠点防衛用マザーアース“ユグドラシル”。ルドラの主砲を上回る荷電粒子砲を搭載し、さらに対空火器として強力なEN兵器を無数に搭載していますわ」
全軍に情報を伝達する。富士山に巣くっている敵のマザーアースは必死にかき集めた戦力を以てしても落とせるとは限らない強大な代物である。
まだ戦いを挑むような相手ではない。それでもラピスたちがユグドラシルと対峙しているのは、そこに目標があるからだ。
ラピスはマドカ・イリタレートの行方を追っていた。そしてそれはわざわざ捜索せずともすぐに見つかることとなる。大掛かりな光学迷彩で隠れていたユグドラシルが姿を見せ、ラピスの目の前で黒い蝶がユグドラシルへと入っていったのだった。
明らかに誘われている。それでもラピスたちは挑む必要がある。いつまでもマドカ・イリタレートがユグドラシルにいる保証はない。罠とわかっていてもチャンスであることに違いはなかった。
さらに言えば、待つことができない最高戦力の存在もある。一夏が被害に遭うことを最も危惧していた日本代表がいつまでも大人しくしているはずもない。ラピスたちが戦いを挑むにはブリュンヒルデの攻撃に合わせる必要もあった。
「今回の作戦目標は『ユグドラシルの破壊』並びに『黒い蝶のIllの破壊』とします。困難な作戦となりますが明確な時間制限はありません。落ち着いて対処していけば突破口を見つけられるはずです」
らしくないことしか話せない。過去最大の戦力を預かっているラピスだが、彼女自身には勝利のビジョンが見えていない。
確認できるだけでも敵の戦力は強大である。
まずユグドラシルの周囲1kmの円周上には4機のマザーアースが配置されている。ダンゴムシ形状のそれの名前は“カルキノス”。機体前面に巨大ENブレードを展開して突貫する格闘戦仕様のマザーアースである。
他にも当然のように大量のリミテッドが空に散らばっている。硬さが売りのベルグフォルク、数が取り柄のスケルトン。どちらもISの敵ではないが、後方からユグドラシルの砲撃がある場合は事情が違う。数でのごり押しを防ぐ壁として十分に機能している厄介な存在だった。
見えている敵はこれだけ。しかしそれで終わるわけがないとラピスは確信している。
「やはりわたくしは強くなどありませんわね……ブリュンヒルデが味方にいても全く勝てる気がしていませんわ」
現段階の戦力ならばユグドラシルの破壊は可能だと考えている。しかしそれはブリュンヒルデがカルキノスを突破してユグドラシルへの道を開いてこそだった。ブリュンヒルデの足が止められてしまえば、カルキノスの突破は遅れ、味方はユグドラシルの砲撃に晒され続けることとなる。
もし自分が相手の指揮官ならばブリュンヒルデに対して伏兵を用意しておくはず。よって悪い方向に転がると見るべきであり、わかっていても有効な対処法はない。
『ラピスの悪い癖だ。指揮官だからと言って一から十まで自分一人でなんとかしようとしてしまっている。お前はあくまでサポートなのだと自覚しろ』
外に出ているナナからの通信。少なくとも彼女はラピスより精神状態が安定している。たとえ強がりでも今は必要な意地と言えよう。
『そもそも指揮官だって肩肘を張る必要なんてないのよ。アンタに求められてるのは戦況の分析。ただの高性能レーダーなんだから、実質的な戦闘は前線の仕事よ。まさかヤイバ以外の前線部隊に不安しかないとか失礼なこと言わないわよね?』
続いてリン。辛辣な物言いだがラピスから余分な力が抜けるには十分なエールとなった。
表情を引き締めなおしてラピスが告げる。
「これより攻撃を開始します。
アカルギの前部が左右に開き、内部から巨大な砲身が現れる。
絶大な防御力を誇ったイルミナントの光の翼をも突き破ったツムギ最大の火力。
相手が動かない上にでかい的ならば遠距離からでも十分に狙える。撃たない手はない。
「ユグドラシル中心部までの直線上には敵リミテッド部隊のみです」
「船首角度調整完了。リコ、いけそう?」
「OK! タイミングはラピスに任せる!」
「では狼煙を上げましょう。できればこの一撃で終わることを願います」
引き金が引かれた。
海岸線から放たれた極光は昼の空すらも白く染める。
◆◇◆―――◆◇◆
アカルギからの砲撃が開戦を告げた。単機のISでは到達できない破壊力のENブラスターの光が道中のリミテッドを消し飛ばしながらユグドラシルへと突き進む。
しかし光の進撃は半ばで止まる。ユグドラシルの前面に光の壁が展開され、内側への進入を拒絶する。倉持技研の不動岩山を遙かに凌駕する出力のENシールドであった。
巨大マザーアースならばあって当然ともいえる長距離砲撃に対する備え。開幕の先制攻撃は結果的に失敗に終わるも想定の範囲内。強力なシールドと言えど長時間の展開は不可能であり、付け入る隙がないわけではない。富士山を包囲する全IS部隊がユグドラシルへの侵攻を開始する。
無論、近づくISに対して無防備であるはずなどない。そのためのリミテッド部隊であり、4機のマザーアース“カルキノス”である。
IS部隊で真っ先に敵陣へと突入したプレイヤー、カイトが呟く。
「めっちゃ速いなー」
言葉は軽いが目つきは真剣そのもの。ISVSの全国区プレイヤーでもマザーアースとの戦闘経験はほとんどない未知の領域である。油断せずに大きく旋回することでカルキノスの軌道上を避ける。最善を見つけるまで無茶はできない。
カイトの機体、ラインドサイトはスピードを重視している。変形機構は飾りではなく戦闘機を模しているときは最高速度、人型のときは敏捷性に特化したスラスターの配置となるように組んである。
カルキノスの巨体が通過する。ギリギリを通過したため、ラインドサイトのPICにも干渉され機体バランスを僅かに崩す。戦闘機状態の最高速度でようやく軌道上から離脱できた。
「オレっちだけ先に進んだところで無駄か。しゃーない」
危機感からカイトは引き返す。自分だけならばカルキノスを無視して先に進めるが単機ではユグドラシルを落とせない。カルキノスを落として道を開かなくてはこの戦いに勝利はない。
空飛ぶ巨大ダンゴムシのような敵を後ろから追い縋る。機体の先端に配置したレールカノン“レヴィアタン”でマザーアースの後部大型ブースターを狙い撃つ。高速戦闘下においても機体速度を遙かに上回る弾速は後方からの追撃も可能としている。
「ちっともダメージが入ってない」
装甲の薄いと思われるブースター本体に当てたというのにカルキノスの足は止まらない。それだけでなく、体表面に配置されている砲塔がぐるりと後方のカイトに向けられ、即座に光が放たれる。
複数の荷電粒子砲に晒されながらもカイトは食らいつく。小回りを重視して変形を解除し、右手のレールカノンで執拗にカルキノスのメインブースターを撃ち続ける。装甲を打ち破らずとも機動力さえ奪えば無力化したも同然。他のIS部隊を無傷で通せればユグドラシル攻略も見えてくる。
だからこそ気が緩んだ。見えているものだけで判断し、相手がバンガードと同じ重装甲で突撃するタイプだと誤認していた。カルキノスという名前の意味をカイトは知らない。
ダンゴムシ形状の左右が開かれ、中から巨大な機械腕が出現する。先端部分は単純に巨大化されたENブレードであると視認できるもの。
「やばっ――」
気づいたときには手遅れ。突如現れた巨大ENブレードが一閃。荷電粒子砲の回避に気を取られていたカイトは直撃を受けてしまう。機動性重視のユニオンは装甲が薄いだけでなくシールドバリアも薄い。とても耐えられるわけがない。
後続の部隊の目の前でエース級プレイヤーがいきなり敗北した。蟹の化け物の名を冠したマザーアースは3本の巨大ENブレードを振り回す文字通りの格闘型。バンガードのように重装甲と高い推進力で接近し、ヤイバのように高威力のENブレードで薙ぎ払ってくるのは並大抵の脅威ではない。
「総員散開。荷電粒子砲、ミサイル、一斉掃射」
強敵なのは百も承知。エースが1機落とされた程度でプレイヤーたちは浮き足立たない。集まったプレイヤーの内、最年少であるマシューの指示で上下左右からの包囲射撃がカルキノスへと殺到する。速いとは言っても一軒家程の巨体であり、小回りの利かないマザーアースが回避などできるはずもない。
だが止まらない。決して無傷ではないが、致命傷には遠い。表面の装甲をボロボロにしながらも強引に包囲網へと近づいたカルキノスのENブレードが振り回され、ディバイドも含めたISが蒸発する。
「正面の機体は全速力で離脱せよ。両翼の部隊は攻撃を続行。ミサイル攻撃を続けつつ荷電粒子砲を順次発射。攻撃の手を休めるな」
1機も失わずに勝利することは不可能と割り切っている。マシューは包囲を突破したカルキノスの追撃を指示する。自らもBTビットを操って攻撃に加わった。
距離を空けての集中砲火はISバトルと言うよりも攻城戦に近い。さらに攻撃対象であるカルキノスは通常のISよりも速度自体は上。IS同士の対決ばかりのプレイヤーでは慣れない戦闘だがマシューの口元には笑みが浮かぶ。
「マザーアースとはつまりユニオンの集合体。ミサイルとEN射撃で飽和攻撃を仕掛ければいずれ落ちるだけのもの!」
既存の情報から敵戦力を分析した。機体前面と可動腕のENブレードはそれぞれ推定2・3個分のISコアにより起動させている。ブースターに割り振ったISコアは10個ほど。機体の全体を形作っている丸い装甲も複数体のユニオンが連結して成り立っている。
複数のISが役割分担して1機の兵器となっている。使用した数分のISコアに対応する操縦者は内部のコクピットに存在しているため、人とコアの数は常に1対1。防御性能もENシールドを使用していなければIS単機分のものと変わらないはずである。
事実、プレイヤーたちの放った荷電粒子砲はカルキノスの装甲を抉っている。装甲を厚くしていてもEN武器に対しての防御力は変わらない。ミサイルについても同様でPICによる衝撃軽減は装甲に対しては小さく、相対的にライフル等よりも効果的な武器となる。
「……10機落とされた。でももう終わる。マザーアースを落とせるなら安い被害だ」
暴れ回っているカルキノスの装甲に虫食いが目立ち始めた。BTビットから送られる映像にもカルキノスを操縦しているプレイヤーの姿が見える。直接狙い撃てばその損害は大きい。
もらった。マシューは確信の元にBTビットに指示を送る。
装甲に空いた穴から内部へと光線が向かっていく。カルキノスの移動速度に合わせた的確な射撃は装甲の隙間を突いて内部のプレイヤー自身を襲う――はずだった。
しかしマシューの攻撃が当たる直前に穴が装甲に塞がれる。あまりにも瞬間的な再生。それはISVSでは考えられない。
「あ、しまった! そういうことか!」
マシューはそのカラクリに気づく。今の出来事は正確には再生ではなく新調であったのだと。
カルキノスが機首を変更する。対象はマシュー。ここまでのやりとりで部隊の連携の指揮を取っていたプレイヤーが誰なのかを見定めての行動。
マシューは狩りのつもりで臨んでいた。しかし敵は知性のないモンスターでなく、人間が操縦しているのである。あからさまに相手の弱点に狙いを絞ってくるのも無理はないのだが、とどめをさせると踏んでいたマシューは前に出過ぎていた。カルキノスの機体前面に設置されているENブレードを前にして体が硬直する。
「足を止めるな、バカ!」
横からマシューの体がかっさらわれ、カルキノスは誰もいない空を通過する。間一髪で指揮官を救出したのはハンマーを持った女子プレイヤー、カトレア――つまり蘭である。
「あれ? カトレアはバレットの方じゃなかった?」
「お兄に邪魔って言われたからこっちに来たのよ。文句ある?」
「ないけど、僕らの役目はデカブツの足止めか破壊だから君のやれることなんて何も――」
「私がいなかったらやられてた奴が言うことじゃないでしょ」
「……一理ある」
一夏の後輩に当たる2人が並び立つ。相手の強大さを思い知らされているが、目的のある彼らの目は決して臆していない。
気持ちは負けていない。
だがまだそれは結果には結びついていない。
◆◇◆―――◆◇◆
4カ所でほぼ同時にカルキノスとの交戦が開始された。過去に対戦したルドラやヤマタノオロチと違い、近距離戦に特化したマザーアースに対してはISの機動力が武器とならない。近寄ればENブレードの餌食となり、遠距離からの攻撃は有効なダメージとなる前に接近される。攻め倦ねるばかりか、いたずらに被害が拡大していくばかりだった。
さらに悪い報せが入っている。敗北したプレイヤーの強制転送が確認されていない。つまり、この戦場のどこかでIllが活動していることは確実で、それがターゲットのマドカ・イリタレートでない可能性も考えられた。
カルキノスとの激戦が繰り広げられている頃、富士の登山道を複数人が飛ぶように駆け上がる。現在の主戦場は空に集中している上に、敵の主力であるカルキノスは地上付近の戦闘を不得手としている。ISによる補助を最小限に抑えた少数精鋭の隠密部隊、更識の忍びは敵の警戒網をすり抜けて既にユグドラシルの根本にまで到達していた。
先頭を走っていた
「これより突入します」
『頼みましたわ。内部でターゲット以外のIllと遭遇する可能性もあります。お気をつけください』
これより先はマザーアース。無数のISコアで作られた要塞ではセシリアの星霜真理もISを探知できない領域となる。ほぼサポートを得られない戦場へと更識の忍びたちが潜入する。
外壁の突破は容易だった。内部はマザーアースと言っても人が通れる建造物となっている。情報通りならばこの中にマドカ・イリタレートが潜んでいるはずであり、更識の忍びに与えられている任務はマドカを討伐してヤイバを解放することにあった。
しかしこれで敵に存在を察知されたはず。外と比較すれば手薄であると予想されるマザーアース内部であるが、時間をかけてしまえば利点を失う。アイたちは内部の捜索を急いだ。
「お疲れさん。わざわざ出力を落として登山道を通ってくるとは正気の沙汰じゃないですねぇ」
時間との戦いであるはずだった。
だが実際はアイたちには捜索する時間など存在しない。侵入する前から警戒されていて、既に目の前に門番が立ちはだかっている。
「マザーアースは操縦者の才能に左右されずに一定のポテンシャルを発揮することができる。だがやはり判断するのは人。センサーを抜けてくる相手を見つける直感までは備えられない。だからこそ私がここにいるわけです。マドカちゃんをやらせるわけにはいきませんので」
したり顔で解説する細目の男は武器も持たずに丸腰。
アイを始めとして、更識の忍びは全員がその顔に見覚えがあった。
「平石……ハバヤ!」
総員がブレードを抜き放つ。PICを極力利用せずに移動するため、更識の忍びは極端な重量の装備を使うことができない。従ってメイン装備は威力と低質量を両立できるブレードとなる。
相手に読まれていたのは誤算だった。しかしハバヤは何故か無防備な姿を見せている。他に敵は見受けられず、アイならば武器を出される前に斬ることができる間合い。当然、躊躇う理由はない。仮想世界であるため、アイの剣は迷わずハバヤの首を襲う。
手応えはあった。ISすら展開していなかったためか、いとも簡単にブレードで両断でき、ハバヤの首と胴が離れる。
「ヒッヒッヒ、速い速い。純粋に速さだけならランカーにもなれる逸材でしょうねぇ。ですが速さだけではどうにもなりませんよ」
首だけとなったハバヤがほくそ笑む。仮想世界とはいえアバターが活動不能になるだけの致命傷を受けたはずであるにもかかわらずハバヤには何の障害にもなっていない。
「ぐあっ!」
アイの後ろで1人倒れた。ハバヤは目の前で笑っているだけで他に敵はいない。だというのに攻撃を受けて戦闘不能になった者がいる。
2人目も倒れた。今度はアイも目を光らせている中での出来事。近接戦闘の腕に覚えのある忍びが何もできずに敗北している。それも無理はない。誰の目から見ても攻撃を受けてはいなかったのだ。
「やっぱ影は影。当主様がいないと張り合いがねーなー」
浮いている首を一突きで串刺しにする。ハバヤの笑みは崩れぬまま顔面に穴が空く。それでもハバヤの声は止まらない。
「ま、あの女がここにいたところで何も変わりませんがね」
1人、また1人と忍びたちが消えていく。アイに見えている敵は既に斬り捨てたハバヤだけであるのに未だにハバヤの声は途絶えず、仲間が一方的に狩られていく。
姿を消して透明になっている。そう判断した者が周囲にブレードを振り回し始めた。しかしその攻撃が敵を捉えることはなく、逆にやられるだけで何も事態は好転しない。
そもそも敵が透明になったところで攻撃されれば敵の攻撃手段くらいはわかる。それすらも確認できていない現状を説明することなどできない。
このまま何もできずにやられるのを待つだけ。それくらいならば逃げるべきか。逃げきれる保証などないがこの場を突破する方が難しい。
アイが撤退を決断しようとしたそのときである。
「見つけた……」
忍び部隊に入っていたジョーメイが呟いた。彼は何もない場所を指さす。アイには彼が何を言っているのか瞬時には理解できない。1つだけ強烈な違和感を覚えたのは、ジョーメイがISを解除するという血迷った行動を取っていたこと。
「テメェ!」
この戦闘中で初めてハバヤの声に焦燥が混ざる。ジョーメイが次の言葉を発する前にと慌てたのか、アイの視界の中で何もない場所から突然に現れたナイフがジョーメイの喉元を貫いたのが視認できた。
体を張ったジョーメイのおかげで敵の攻撃の正体に推測が立った。事実だとすればハバヤの能力はステルスという域を超えている。アイは確信を得るためにISを解除する。
「本当にそこに居たのですか」
ISの補助が何も働いていない肉眼で見る景色は全く違っていた。
アイが首を斬り落としたものはリミテッド。貫いた首はただの機械の残骸である。
誰もいないと思っていたジョーメイの指さした場所には深緑のISを纏ったハバヤ。両手にナイフを持ち、非固定浮遊部位にはワイヤーブレードを射出するユニットが4つ存在している。
鬼の形相のハバヤが手にしたナイフを投擲する。ISによる攻撃であるが軽さを重視したナイフは人体への殺傷力が素の拳銃を下回る。生身のアイは右手を犠牲にして生き残ることを優先し、改めてISを展開し直した。
すると再びハバヤの姿を見つけられなくなり、転がっていたリミテッドの残骸はハバヤの死体に変貌する。
「やはり幻覚。それもISにのみ見せるワンオフ・アビリティ……」
外部への通信として呟く。それはアイに残された唯一の仕事であった。
コア・ネットワーク系イレギュラーブート“
アイとジョーメイが辿りついたハバヤの能力は対象のISに幻覚を見せるというもの。コア・ネットワークを通じて嘘の映像と音声を送りつけ、IS自体を混乱させて操縦者を騙すという仕組みになっている。
ISはコア・ネットワークから完全に断絶することはできず、ISコアは嘘の情報を嘘だと認識することはない。ハイパーセンサーを始めとする優秀なISの目や耳をハッキングするハバヤの能力から逃れるには何らかの特殊性が無い限りISを使わないしか手はない。
しかしそうなると攻撃する手段がなくなる。ISの解除と展開には一定の時間を要するため瞬時に切り替えて戦闘するのは現実的ではない。
相手の正体は見えた。しかしそれでアイが勝てるわけではなかったのだ。
アイは最後に確認したハバヤの居た場所へとブレードを振るう。しかし手応えはない。それどころか振り切った自らの脇腹にナイフが突き立てられ、逆に手痛いダメージを入れられる。続けざまに放たれたワイヤーブレードが装甲のない喉元を的確に突き、アイのストックエネルギーも空となった。
「チッ。オレの勝ちは揺るがねえにしても気分が悪い」
ハバヤがとどめを加えることでアイの体も消失する。現実に強制転送されることなく留まる光はIllにとってのエネルギー源となる。この戦場において、敗北したプレイヤーたちの運命は戦闘の結末によって明暗がくっきりと分かれることとなる。
「じっくりいたぶる時間すら惜しいのが残念。しかし今回ばかりは油断するわけにもいきませんか。ヴェーグマンには敵対勢力をことごとく潰していただかないと困りますし、今回以上のチャンスは二度と来ないでしょうね」
結果的に多勢に無勢の戦闘を難なくこなしたハバヤ。ワンオフのカラクリを見抜かれてもまだ彼の優位は崩れていない。にわかに表出した怒りを抑え込み、冷静さを取り戻した彼は次の場所へと移動する。
◆◇◆―――◆◇◆
カルキノスを1機も破壊できぬまま時間だけが過ぎていく。策の1つとして送り込んだ更識の忍びの部隊は壊滅し、ラピスたちは他の手を敢行することとなった。
敵の防衛網は崩壊していなくとも主軸であるカルキノスを引きつけることはできている。その4カ所を避ければユグドラシルへの攻撃を仕掛けることは不可能ではない。
当然のことながら敵からの反撃は予想され、敵防衛部隊を無視するための進軍速度も要求される。この場で適切な戦力は推進力に特化したユニオン部隊しかなかった。
既にバンガードを筆頭とする部隊を編成してある。この部隊の最低限の目標はユグドラシルのENシールド発生装置の破壊。できることならばユグドラシル内部に潜むマドカ・イリタレートを討つことも視野に入れている。
トリガミでの戦闘の時と違い、ヤイバの生死に関しては時間制限はない。かと言ってのんびりとしていられるかというとそうでもない。マザーアースを1機も落とせていない現状では時が経てば経つほど戦力差が開いていく。この辺りで起死回生の一手が欲しいところではあったのだ。
次々と飛び立っていくユニオン部隊。高度を十分にとっての進軍にリミテッドは脅威とならない。順調に空を行く彼らにとっての障害はユグドラシルのみとなっている。
「いいか! 1発たりとも当たるんじゃないぞ!」
バンガードが檄を飛ばした瞬間だった。すぐ隣を飛行していたプレイヤーが光の中に消える。ユグドラシルから放たれた砲撃はまだ遠距離であるにもかかわらず正確に飛行中のISを捉えていた。
真顔になってしまったバンガードは思い出す。高速機動中の正面からの射撃はその相対速度から回避の難易度は上がる。対して射撃側にとっては大きく的がぶれないため、格好の的となる。
ここで問題となるのが敵の射程。速度重視とはいえユニオンを一撃で吹き飛ばすためには“イクリプス”レベルのENブラスターが必要最低限となる。通常ならば切り札とする攻撃を当たるかどうか定かではない段階で発射してきていることの意味をバンガードのみならず全員が理解した。
改めてバンガードが言葉として口に出す。
「脳筋な直進で突破できるとは思うな!」
『お前が言うな!』
ほぼ全員に言い返されて凹む一幕を挟みつつも上下左右にブレながらの移動を始める。直前まで自分の居た場所をENブラスターの光が通過していき、冷や汗が流れた。
ユグドラシルからの攻撃は切り札でもなんでもなかった。ISが切り札として使っているレベルの攻撃を湯水のように使ってくるというだけの話である。当たれば致命傷である砲撃がユグドラシルのほぼ全ての枝に複数搭載されている。バンガードたちはこのENブラスターの弾幕の中を接近していかなければならない。
30秒が経過。近づくほどに光線の回避率が低下していき仲間が落とされていく。それでも全体の40%はユグドラシルに到達できる試算となっている。実際の戦争と違い、負傷者の回収などを考える必要がないため、最後の1人まで突撃する意味はある。どれだけ被害を出そうとユグドラシルを落とせば勝利は確実に近づくのだから。
「ユグドラシルから敵が出てきた」
敵に新しい動きが見られた。守りきれないと踏んでの援軍と思われる。リミテッドではなくたった1機のISが向かってきた時点で普通の相手ではないことは予想できる。
バンガードの声を拾っていたラピスから通信。
『わたくしが確認できない相手です。間違いなくIllですわ。お気をつけて』
指揮官から正式に強敵認定がなされた。バンガードたちと戦うために高々度の戦場へと赴いてきた敵の見た目はユニオンでなくディバイド。右手に物理ブレード、左手にアサルトライフルを持ち、非固定浮遊部位には左右にシールドを搭載している打鉄の
カラーリングが紫紺である初期装備の打鉄という見た目。しかしオーソドックスな戦闘をこなすだけだなどと誰も考えていない。レールカノンの射程に入ってから、即座に射撃攻撃を開始する。
多対1という状況である。細かく正確に狙わなくても数を撃てば当たるというほどの差ができている中、打鉄と同じ装備をしたIllは僅かに飛行の軌道を逸らすに留めた。たったそれだけでプレイヤーたちが張った弾幕の隙間に入ってしまう。
「もう1回やってくれ」
射撃攻撃の指示を下しながらもバンガードは自らの得物であるドリルランスを準備する。悪い方を想定した準備が無駄になることはなかった。2度目の一斉射撃もほぼ動くことなく弾幕の隙間に入られて盾を使わせることすらできなかった。
敵の排除ができないまま距離だけが狭まる。敵は撃たれるだけの的ではなく、左手のライフルで発砲してくる。最初から避けるつもりのないバンガードが盾で防ぐと特に問題なく弾き返した。
「あれ? 嘘だろ……」
しかし回避しようとしたプレイヤーからは戸惑いの声が漏れる。確実に回避することなどできないが、敵のライフルはただの1発も外れなかった。
多対1の射撃戦における命中率は敵が100%で味方が0%。ただの偶然ではないと感じつつもバンガードはドリルランスを手に格闘戦を仕掛ける。
高速でのぶつかり合い。突き出されたドリルに対して敵は刀1振りで向かってくる。真っ向から当たればドリルが勝つ。
接触の直前までバンガードには勝利が見えていた。それが逆に戸惑いにつながってしまう。不測の事態に対処するために加速を緩めた。
その躊躇こそが敵の狙いだとも気づかずに。
紫紺の打鉄は急加速する。ドリルへと向かっていた刀は軌道を僅かに変え、ドリルの輪郭に沿っていくとバンガードの顔面に叩き込まれる。分厚い装甲のメットで覆っているバンガードの機体“ラセンオー”にとってはこれでもまだ致命傷には遠いが大幅に失速してしまう。
「やばっ!」
咄嗟にブースターを再点火する。反射の領域での対応はその場に居てはマズいという本能によるもの。打鉄のプリセットなど重装甲のユニオンにとっては問題にならないが、敵の本命は大変危険であった。
ユグドラシルからの砲撃。単機で飛び出してきた敵機がいようともお構いなしに放たれる対空放火はその密度を増すばかり。
単機で向かってきた敵の思惑をようやく理解する。このままバンガードは紫紺の打鉄を無視して先に進めるが、それは偶々のこと。砲撃以外の攻撃を加えてくることで軌道を誘導された味方機が次々とユグドラシルの砲撃で落とされる。敵はこちらの陣形を乱すためだけの機体だった。
「先に行け!」
後方から通信が飛ばされる。バンガードの部隊に混ざっていた女子の声。彼女はこの部隊の最高戦力とも呼べる女傑、文月ナナ。
「わかった。ヤイバを助けるまでは死んでくれるなよ」
バンガードは生き残った部隊を引き連れて先に進む。妨害してくる敵は彼女に任せればいい。ヤイバが助けだそうとしている少女は決して弱くはない。
紫紺の打鉄に対するは紅の女武者。二刀を構えるだけで相手の動きを抑え、後続の部隊は彼女たちを追い越していく。
「ラピスの推測通りか。大した装備はなくとも驚異的な先読みの力が大きな武器となる。どれほど強力な攻撃であろうと当たらなければ意味がなく、一方的に攻撃できれば弱い武器でも勝ちが見える」
ナナが左手の空裂を振り切る。纏っていた光波を放つ直前に敵は回避行動に移っていた。結果的に何もない場所へ攻撃をしただけに終わる。
この隙に敵は何もしなかった。ライフルで撃つくらいはできたはずだというのに構えすらせずナナと対峙する状況を継続するのみ。
「おそらくは私に撃っても無駄だとわかっているから撃たない。逃げきれないとわかっているから逃げない。ただ役割として足止めをしなくてはならないからそこにいる。機械のような奴だ」
ここまでナナの独り言しかない。敵は銀髪に金の瞳をしている遺伝子強化素体だがその目は焦点が合っておらず、口が開かれることはなかった。アドルフィーネやギドのような人間性が全く感じられない。
信念も何もなく、義務として立ちはだかる敵にナナは激昂する。
「私の邪魔をするなァ!」
イグニッションブーストで接近。敵もカウンターで刀を振るおうと右手が動いた。しかし、その手は途中で止まる。その抵抗が無意味だと結論づけられた結果……投了した。
空裂、雨月と連続して命中。一方的に攻撃を受け続けた紫紺の打鉄は力なく墜落していく。
「待っていろ、一夏。今度は私がお前を助ける番だ」
新型のIllを相手に圧倒したナナは先を急ぐ。ユグドラシルのENシールドを消せばいいだなどと考えてはいない。自分がマドカを打ち倒すつもりでこの戦場に赴いていた。
そんな彼女の向かう道中に新手が乱入する。それは黒い霧に覆われている、巨大な手の非固定浮遊部位を持ったISであった。
◆◇◆―――◆◇◆
ユニオン部隊がユグドラシルへと順調に迫っている。この報せをラピスはわざわざ全部隊に通達した。カルキノスと戦っている者たちを鼓舞する効果は確かにあるが、真の狙いは別にある。不特定多数に向けた通信を受け取ったのは藍越のプレイヤーばかりではない。
「出遅れてるなー。このまま“あれ”を倉持に取られたら上がお冠だろうぜ、ナタル」
「わかってるなら早く出撃すればいいじゃない。単機特攻はイーリの得意分野なんでしょ?」
「へいへい。でもデカブツの処理は面倒くさいから任せる」
富士山周辺の戦場に新たな部隊が加わる。アメリカ代表、イーリス・コーリングを擁するセレスティアルクラウンを中心としたアメリカの部隊である。軍人と強豪プレイヤーの入り交じった部隊構成には国の本気さが窺える。
ハバヤの手によりアメリカにはゼノヴィアの情報が横流しされている。この場にやってきた目的はツムギや倉持技研への加勢ではなく、ゼノヴィア・イロジックの獲得にあった。マドカ・イリタレートは彼らには関係ない存在といえる。
ファング・クエイクが戦場に躍り出る。対IS戦に特化した格闘型の機体は多数の敵やマザーアースを相手取るのに向いていない。だからイーリスは一目散にユグドラシルへと向かう。
「面倒なのが来やがった」
ユグドラシルに接近するイーリスへとカルキノスが迫る。わざわざ日本のプレイヤーを囮にしたにもかかわらず、持ち前の機動力で振り切ってきたモンスターはイーリスをくい止めようと巨大ENブレードを振り上げる。
足の速いファング・クエイクでも攻撃範囲の外に出るのは簡単なことではない。速度とサイズを両立した格闘型マザーアースはそれだけ脅威の存在である。だがそのような相手を前にしてイーリスは回避どころか迎撃の素振りも見せなかった。
既にデカブツは任せると宣言していたからだ。
「英雄の足を刈ろうとする捨て身の勇気は認めよう。だが分不相応というもの。大人しく天に召されるがいい」
後方にいた銀の天使が翼を広げる。同時に展開される光弾の数は砲門の総数である36を上回り、見る者の視界を白一色で染める。
全ての光が一方向に向けて放たれる。ある程度の指向性しか持たせられない光弾は散弾としてカルキノスに降り注ぐ。通常のISならば1、2発程度しか当たらない広範囲の攻撃だが、カルキノスほどの図体があると話は大きく変わってくる。
振り上げたENブレードはおろか、本体の装甲を根刮ぎ削り取っていく。巨大質量の塊であるマザーアースといえど、中途半端なサイズといえるカルキノスでは広域殲滅を得意とする銀の福音にとってはカモでしかなかった。光が収まったとき、蜂の巣になったカルキノスは戦闘能力を失って地上へと墜落を始める。
◆◇◆―――◆◇◆
藍越のプレイヤーたちにとって純粋な援軍ではないが新たな戦力が加わったことで戦況は大きく動いた。
アメリカだけに留まらず、ドイツの戦艦型マザーアース“シュヴァルツェア・ゲビルゲ”も姿を見せる。主砲であるAICキャノン“ラヴィーネ”が火を噴くがユグドラシルの広域ENシールドに阻まれるに終わった。しかし戦線に加わったこと自体が大きく、それだけユグドラシルの防衛網に穴が目立ち始めることとなる。
情勢が混乱していくに連れて敵に隙が生じやすくなる。ナターシャと密かに連絡を取っていたブリュンヒルデはイーリスを先に向かわせることで敵の目をそちらに向けさせた。まだ敵にはVTシステムを搭載したIllが控えていることが予測されているが、この状況ならばブリュンヒルデが出撃する意味はある。
何より、もう我慢の限界だった。静かに闘志を漲らせていた世界最強のIS乗りが雪片を抜刀する。
「止めるなよ、彩華」
「私は無駄なことをしない主義だ。今の君はたとえ篠ノ之束であっても止められないだろう」
暮桜が戦場に舞う。専用のブースターの補助もなしに音速を軽く突破する。銀の福音が開いた道を突き進む彼女をたかがリミテッドごときが止められるはずもなく、斬り捨てられた残骸が通り道を飾りたてた。
無人の野を行くが如く。ブリュンヒルデはただの一度も失速しない。普段は感情を表に出さない彼女がこのときばかりは顔に鬼が張り付いている。
まだ誰一人としてユグドラシルへと到達できていない中、最後発であったブリュンヒルデが最速で向かっている。当然、敵も手をこまねいているままにはいかず、用意していた最高の手札を繰り出した。
「来たか。VTシステム搭載機」
立ちはだかるは漆黒の甲冑。手にする得物は大剣のみ。西洋と東洋の違いはあれど、装備構成はブリュンヒルデと似通っている。
以前に対峙したときはまるで鏡に映したような動きで対応され、互いに攻撃を当てることができていなかった。今回も同じことを繰り返していては一夏を助け出せない。
形振り構ってはいられない。後先を考えるよりもこの場を突破することが最優先である。技量が同等ならば優位な点で押し切ればいい。いくらVTシステムがブリュンヒルデを模倣しようと再現不可能な単一仕様能力を起動させる。
特定武器強化系イレギュラーブート“零落白夜”。
使用者の任意で発動と解除を行える。発動中は手に持っているブレードによる攻撃に『シールドバリア無効』『EN属性攻撃の打ち消し』『防御系単一仕様能力の無効化』の3つの効果が付加される。その代償として時間経過でストックエネルギーが減少していく、身を削って攻撃力を高める諸刃の剣といえる能力であった。
IS同士の戦いにおいて最強の矛とされる能力を武器に鏡の中の自分と相対する。一方的に攻撃を加える必要性はなく、互いに同じ攻撃を当てても零落白夜を使用しているブリュンヒルデがダメージ勝ちする。使用した時点で無傷とは呼べないが、短時間での突破のために多少の犠牲はやむを得ない。
暮桜と黒の甲冑が激突する。ブリュンヒルデは黒の大剣を防ごうとせず、たとえ自分が斬られようとも雪片を敵に当てることを優先する。ブリュンヒルデの相討ち上等の捨て身の一撃はたとえヴァルキリーであっても凌ぐことは困難を極める。
……その一撃が届かなかった。
「何だと……?」
零落白夜を発動した状態での雪片を完全に防ぐことはブリュンヒルデ本人であっても不可能に近い。正しく最強の矛である。VTシステムで技量が並んだからといって止められるものではなかった。ブリュンヒルデを超える“何か”が必要なのである。
驚愕に染まるブリュンヒルデの右手は空中に固定されて動かない。まるで空気ごと凍り付いたかのような現象はブリュンヒルデも知っているISの基本装備の応用に違いなかった。
AIC。それも他ISの動きを静止させるほど強力な代物。モンド・グロッソで激戦を繰り広げてきたヴァルキリーたちの中にすらその使い手はいない。唯一心当たりがあるのは、たった1週間だけの教え子のみだった。
「遺伝子に刻まれた呪い……駄目だったか」
フルフェイスの奥にある顔が何者であるのか確信している。
15年前、不完全であることを理由に処分される寸前で“織斑”によって救出された現実に存在する最後の遺伝子強化素体。
その出自から生後施される手術が行われず、プランナーへの忠誠が刻まれなかった個体。
彼女は銀獅子らと違ってISVSの中で亡国機業に抗える唯一の遺伝子強化素体であった。
それももう過去の話。人として生活してきた記憶を消された彼女は他の遺伝子強化素体と同じ状態に戻っている。人への憎悪を刷り込まれた生体兵器と化していた。
「思うことはある。だが今はお前に時間を割いている暇はない」
後方へと逃れる。AICから逃れる難度が前に出るよりも容易かったためだ。こうして逃げられるのもブリュンヒルデのAIC能力があってこそであり、普通のISならば固定された時点で詰んでいる。
距離を離したブリュンヒルデが取るべき行動は1つ。手早く倒せない相手ならば無視して先に行けばいい。単機で十分な戦力であるブリュンヒルデだからこそできる選択肢であった。
まずは迂回する。追ってこられても構わない。戦いながらでもイリタレートを見つけだして討伐することくらいできると踏んでいた。
ところがブリュンヒルデは前触れもなく急激に失速する。意図してのことではない。ISを扱っているにもかかわらず重力に捕まり、地上へと落下を始める。
PICに異常が見られる。原因は不明。イグニッションブーストもままならず、スラスターを利用して落下の衝撃を和らげることしかできることはなかった。
地上に降り立ったブリュンヒルデの前に黒い甲冑も降りてくる。いや、落ちてくる。相手も同じ条件となっていた。
「これがお前のワールドパージか……」
対象を選ばずに強力な効果を発揮する単一仕様能力。詳細は不明だが一定範囲内にいるISの飛行能力が奪われていることだけは間違いない。
空を飛べないISに機動力はない。ブリュンヒルデがユグドラシルへと向かうにはワールドパージの使用者を討たなければならなくなった。
ブリュンヒルデが睨みつける。相手がラウラ・ボーデヴィッヒであろうとも、一夏と秤にかけたときにブリュンヒルデが取るべき行動は決まっている。
互いに向けた剣が打ち合わされた。ISらしさのない原始的な一騎打ちがここに始まる。
◆◇◆―――◆◇◆
たった一度だけでも彼女を疑ってしまった。
強くあろうとしていた。
自分が守らなくてはならないのだと気を張っていた。
そのために親友をも敵にして……心に余裕などあるはずもなかった。
弱い数馬は疲れ切っていた。逃げたがっていた。
世界の大きさに比べて数馬はちっぽけな個人でしかない。口では大きなことを言っていても空元気に過ぎなかった。
だからこそあの男――平石ハバヤの言葉を一度は受け入れてしまったのだ。
ゼノヴィアが数馬を騙して一夏を討たせた。
ハバヤの説明に論理的矛盾はなかった。敵の思惑に乗せられて一夏を裏切ってしまった。数馬の人格の核となっていた父の教えも守らなかった数馬には何も残らず、魂が抜け落ちた。
自らを罰したくて仕方なかった。
だがもう1人の親友は数馬を許した。いや、そもそも責めてすらいなかった。
そんなはずはないと言い返した。ゼノヴィアのために悪をも許容した自分に罪がないなどありえない。
すると気づく。なぜ自分は全ての責任をゼノヴィアに押しつけないのかと。
諦めない。まだ取り返しはつく。
そう語る親友の内なる炎が数馬にも燃え移る。
たとえ本当に騙されていたのだとしても、まだ数馬の胸の内に灯る想いは消えていない。
ゼノヴィアと一緒にいたい。
まだ彼女を信じていたい。
共にいる未来を幻視して、数馬は再び自己を確立する。
富士の戦場に数馬も姿を見せている。
弾たちに加わっているわけではなく銀の福音の後方。アメリカの部隊に混ざる形でやってきた。
これはナターシャの計らいによるもの。彼女に身柄を保護された数馬はアメリカに連行されることはなく、作戦の協力を依頼されることとなった。
内容は『ゼノヴィアの身柄の確保』。
依頼などというのは建前に過ぎない。アメリカの目的がゼノヴィアの持っているワンオフ・アビリティにあるのは事実だが、数馬の協力を得る必要性はない。
「イーリの後をついていけば大丈夫よ。早く行きなさい」
敵のリミテッド部隊を引きつけているナターシャが数馬に声をかける。断罪者を演じた話し方ではなく、穏やかな声かけは優しさに溢れているものだった。
ナターシャはゼノヴィアを殺そうとしたが今は数馬に全面的に協力している。数馬はその意図を察せていないが何も問題はない。今はとにかくゼノヴィアに会えさえすれば、たとえ利用されていても構わないのだから。
イーリスの通過した道は比較的安全な経路となっていた。リミテッドはほぼいなく、ユグドラシルの砲撃は他に集まっている。イーリスが先にユグドラシルへと侵入することにはなるがそれは許容範囲であった。
「待ってて、ゼノヴィア。必ずもう一度君に会いに行くから」
そうして数馬はイーリスが突き破った箇所からユグドラシルの内部に入る。
騙されていた可能性は否定されていない。
しかし今の数馬の頭にそんな可能性は露ほどもなかった。
論理的矛盾がなくても、確かな矛盾がある。
数馬の知っているゼノヴィアは悪い子なんかじゃない。
◆◇◆―――◆◇◆
嬉しいと同時に悲しかった。それは二律背反じゃない。
数馬に自分の言葉が正確に届くようになった。これは嬉しいことだ。
理性を上回る食欲が数馬の両親を襲った。これは悲しいことだ。
両者は1つの事象からの派生。現実の数馬にISを与えたことがきっかけで起きた出来事。だから嬉しいけど悲しいこと。
数馬は戦ってくれる。ゼノヴィアを守るためにと世界を敵に回す。たった一人でも味方でいてくれる人がいる。これは嬉しいことだ。
数馬は親友に剣を向ける。ゼノヴィアを守るためにと自らの心をも傷つける。これは悲しいことだ。
嬉しいと悲しいは二律背反じゃない。でも両立なんてして欲しくなかった。嬉しいだけで満たされていたかった。
必死に叫んだ。もうやめて。数馬たちが傷つけあうのは間違っている。
だけどその声は届かなかった。数馬はゼノヴィアに見向きもせず、親友にがむしゃらに挑んでいく。
ゼノヴィアには伝わってくる。発砲する度に、剣を振るう度に数馬の心が悲鳴を上げている。耐えられなかった。
声で止まらないのなら力尽くで止めるしかない。ゼノヴィアは数馬にしがみつこうとした。
でもその手は届かなかった。両腕に絡みつく鎖がゼノヴィアを引っ張り、前に進めない。
――大人しくしててもらわないと困りますよ、ゼノヴィア・イロジック。せっかく数馬くんが織斑一夏を倒してくれそうなんですから。
数馬に声が届かないのに、どうでもいい男の声だけはゼノヴィアの耳に届く。
平石ハバヤ。初めて会ったときから強烈な嫌な予感を感じていた男。そのイメージを上手く伝えられず、数馬は彼を信用してしまっていた。
鎖は解けないままゼノヴィアは連れて行かれる。まだゼノヴィアのために親友と斬り結んでいる数馬を置いて。
ゼノヴィアは数馬の名前を必死に叫んだ。しかしその声は届かない。『ゼノヴィアが沈黙している』という嘘の情報で塗りつぶされてしまっていたのだ。
「数馬……ごめんなさい」
ユグドラシルの内部で檻の中に囚われているゼノヴィアが涙する。
数馬の名前を呼んでいても、ただの一度も助けを求めていない。出てくる言葉は謝罪だけ。
ハバヤの力の正体には気づいている。幼い見た目に反して聡い彼女は今の数馬がどうなっているのか想像できていた。何も言わずに数馬の元を去ったも同然の状況にされてしまっているのだと。自分がしたことではないのにゼノヴィアは数馬に謝る。
「いくら謝っても彼はあなたを許しませんよ。彼から親を奪い、さらには親友を裏切らせたのですから」
全てを仕組んだ男、ハバヤがほくそ笑む。振り返ってみればゼノヴィア自身も平石の言動に操られていた。おもむろに与えられたテロの情報で藍越学園に誘導されていたのだ。あの時点でハバヤの脳裏には今の状況が見えていたことになる。
元凶を潰してやりたくてもゼノヴィアにはできない。イロジックは装備を剥奪され、エネルギーも底をつくギリギリとなっている。まともに戦えないばかりか想像結晶で現実に逃げることもできない。
「さて、そろそろお客さんが来る時間です。イロジックのワンオフを狙う愚か者には私が直々に罰を下してやるとしましょう」
ユグドラシルがいくら強力なマザーアースであってもヴァルキリークラスを相手にして守りきれるとは考えていない。ヴァルキリーを相手に出来る手駒は限られている。よって敵戦力のうち数人はユグドラシルへの潜入を許すことになる。
そのときに備えてハバヤはゼノヴィアの前に張り込んでいる。自分で戦えるマドカ・イリタレートと違ってゼノヴィア・イロジックは囚われのお姫様も同然。門番がいなければ易々と奪われることだろう。
ハバヤはランカーではない。しかし彼のワンオフ・アビリティ“虚言狂騒”は彼にヴァルキリーにも対抗しうる力を与える。ゼノヴィアの元にやってくると思われる強敵相手にもハバヤは敗北するつもりなど毛頭ない。
扉が強引に突き破られた。穏やかではない侵入は敵対の意志そのもの。
虚言狂騒を使用してハバヤが敵の目から姿を消そうとしたそのとき――彼の思考が一瞬だけ停止する。
「な、んでここに、こいつが……?」
驚愕に染まるハバヤとは対照的に檻の中のゼノヴィアは晴れやかとなった。
もう会えないかもしれない。そうわかっていたのに願わずにはいられなかった。
――私の手を握って。離さないで。
謝りたい気持ちは今でも残っているけれど、それよりも温かい気持ちが胸を埋めている。彼の温かさを求めている。
「数馬っ!」
数馬の顔を見て叫ぶ。
嬉しい。悲しくない。それはとても心地よかった。
来てくれた。たとえ自分を殺しに来たのでも構わない。もう一度会えただけでも十分だった。
数馬と目が合う。彼は朗らかに微笑む。少しも怒っていないのだとわかってまたホッとする。
どうして? 理由なんてどうでもいい。
「助けに来たよ、ゼノヴィア」
数馬が手を差し伸べてくれればそれでいいのだから。
◆◇◆―――◆◇◆
イーリスとは別方向に向かった数馬は直感を信じて突き進んだ。
ユグドラシル内部は入り組んでいるというのに迷うことすらなかった。数馬は何かに導かれるようにして真っ直ぐに目的地に辿り着く。
マザーアースの内部はひどく殺風景であった。通常の機械と違ってISを組み合わせて作られた巨大兵器には複雑な電子機械を積み込む必要性がない。装甲で組み合わされた建築物であり、家具がなければがらんどうでもおかしくはない。
「助けに来たよ、ゼノヴィア」
情報通り、探していた彼女はユグドラシルの中にいた。殺風景な空間に唯一存在するオブジェクトは檻である。彼女は檻の中で囚われの身となっていた。数馬の名を呼び、手を伸ばしてくる姿を見て、不謹慎だと感じながらも内心ではホッとする。
――彼女は俺の知る彼女のままだった。
ゼノヴィアは数馬を騙してなどいない。彼女は利用されているだけであり、本当に数馬を騙している者は他にいる。
「平石ハバヤァ!」
檻の前に立つ細目の男。ワンオフ・アビリティのみならず、様々な嘘を操っていた黒幕。この男こそがゼノヴィアを苦しめている張本人だと確信し、数馬はENブレードを抜き放つ。
「おやおや。私の気遣いは逆効果だったようですねぇ」
初めこそ数馬の登場に驚きを隠さなかったが一瞬のこと。持ち前の冷静さを取り戻したハバヤの顔は不敵な笑みを形作る。
「全ての責任をゼノヴィア・イロジックに押しつければ君は元の日常に帰れたというのに……残念です」
「ふざけるな!」
「これが割と大真面目なんですよ。今からでも遅くありません。仲間を裏切って居場所を失った者同士、仲良くやりませんか?」
ハバヤは勘違いをしている。
数馬は居場所を失ってなどいない。裏切った自分を受け入れてくれる親友が待ってくれている。
今の数馬にとってハバヤの発言は何もかもが薄っぺらい。
嘘を武器にして戦う男の言葉に耳を傾けるだけの価値はない。
「ゼノヴィアを返してもらう!」
話し合いの余地などなく、数馬は問答無用で斬りかかる。しかしENブレードの刃は避ける素振りを見せないハバヤの体を透過してしまった。斬られながらもハバヤの顔は愉悦に歪む。
「平和的解決の放棄が何を意味するか、わかってるぅ? それが望みだってからには残酷な現実を受け入れる覚悟があるんだろうなぁ?」
交戦開始。ハバヤの能力のカラクリをまだ知らない数馬は攻撃を当てられない理由もわからず、がむしゃらにENブレードを振り回す。その隙間を縫うようにしてハバヤの投擲したナイフが腹部に突き立てられる。数馬にとっては何をされたのか理解できないうちにダメージが入っただけであった。
このまま続けても一方的に蹂躙されるだけに終わる。そもそも数馬でなくとも虚言狂騒に嵌められてしまえば勝ち目はない。
『上だよ、数馬!』
唐突に声が響く。録音した音声を再生したノイズの多い機械っぽい声はこの場にいる誰もが想定していなかったもの。音源は檻の中に転がっているスピーカーであった。
誰の声かと考えたとき、数馬はゼノヴィアの声が聞こえてこないことに気がついた。代わりに聞こえたスピーカーの声を頼りにして数馬はENブレードを構えて上方に突撃する。
「バカな……そんな手段が……」
ENブレードの突きはハバヤの胴体に直撃した。命中したことは偶然であるが、おおよその位置を把握したのは偶然でない。
まず第一にゼノヴィアはイロジックを展開できないほどエネルギーが枯渇している。Illをも騙せる虚言狂騒であっても展開していなければ意味をなさない。ゼノヴィアの目には嘘が映っていないことになる。
当然ハバヤも承知している。だからこそゼノヴィアの声が数馬に届かないように虚言狂騒で沈黙の嘘を植え付けた。ゼノヴィアが居場所を伝えようとしても数馬には聞こえないはずだったのだ。
ハバヤの誤算は2つ。
ゼノヴィアがハバヤの能力のカラクリに気づいていること。
そして、想像結晶で唐突に出現した物に関する嘘を数馬に植え付けるだけの即効性が虚言狂騒にはないということ。
ゼノヴィアが目となり、数馬が手足となる。
ここに虚言狂騒の絶対優位は崩れた。
『すぐ右を全力で斬って!』
肉声でもISの通信でもないスピーカー音声に従って数馬は躊躇なく攻撃を加える。ナイフとワイヤーブレードしか装備していないハバヤの機体では太刀打ちできず、手にしたナイフごと左手を斬り裂く。
強力な能力を有するハバヤがランカーになっていない
「くそっ! 分が悪ィ!」
ハバヤは形振り構わず逃げ出した。まだ数馬の方が不利であることには変わらないが一方的な状況は覆っている。ハバヤが好むのは戦闘ではなく一方的な蹂躙。危険を冒して数馬と戦う理由は皆無だったのだ。
「逃げてった」
ゼノヴィアの肉声が届くようになる。虚言狂騒でゼノヴィアの口を封じる意味を失ったからであろう。ゼノヴィアを置いてまでハバヤを追いかける意味はない。放っておくことにした。
「ちょっと鉄格子から離れてて」
ゼノヴィアに檻の奥へ行くよう促すと数馬はENブレードを振るって鉄格子をズタズタに引き裂いた。
これでもう2人の間を遮るものは何もない。時間にすると1日程度離れていただけ。しかし一度は互いに心が離れていた。経過した時間以上に寂しさを感じさせる。
「もう一度言うよ、ゼノヴィア。君を迎えに来た」
ENブレードを仕舞い、右手を差し伸べる。自分から向かうことはせず、ゼノヴィアの方から来てくれるのを待つ。
「どうして、来てくれたの?」
ゼノヴィアは檻の奥で立ち尽くしている。拒絶ではなく戸惑い。
数馬は誤解することなく、落ち着いて答える。内容は以前と何も変わらない。
「俺がそうしたかったからだ」
一度は疑った。
もう一度信じたかった。
最初の決断から紆余曲折を経て最初に戻った。その途中経過をわざわざ言う必要はない。
数馬がゼノヴィアに言いたいことは1つ。
「もうゼノヴィアは御手洗家の家族なんだよ」
下心なんてない。朝のジョギングで並んで走るのも、食卓で1つ増えたイスも、もう当たり前の光景になっている。その当たり前を失いたくなかった。
「でも私が生きてると数馬の親父と母さんは――」
「別に死んでるわけじゃない。きっと方法があるはず。でもゼノヴィアは死んだら終わりじゃん?」
決して両親を蔑ろにしているわけじゃない。ただ、家族全員の無事を考えたとき、ゼノヴィアを優先して守らなければならなかったというだけのことである。
「私、人間じゃないよ。数馬に要らない面倒をかけるよ?」
「何者であろうとゼノヴィアはゼノヴィアだ。いくらでも面倒を見る。それでもいいから俺はゼノヴィアとあの家に帰りたい」
「それってプロポーズ? 数馬はロリコン?」
「ゼノヴィアがそれを言わないでよ。最近、自分でもよくわからなくなってるんだ」
肩を落とす数馬にゼノヴィアはふふふと微笑みかける。
「大丈夫。私、こう見えて18歳らしいから」
「……へ?」
「私の方が数馬よりお姉さんってこと!」
特殊な出生を疎んでいた少女が胸を張る。
前を向いた先にいるのは自分を守ると誓った少年。
生まれてからずっと独りぼっちの暗闇にいた彼女が見つけた光。
偽りだと思っていた。いつか簡単に無くなる作り物だと思っていた。
それは違った。
一度は隔たった心も再びつながった。それが偽物でも作り物でもない真実。
差し出されている右手は今も変わらず優しかった。
ゼノヴィアが歩み寄る。絶対の信頼を胸に右手を伸ばす。
その手が届くのを待つ数馬の頬は自然と緩んでいた。
――風を切る音が鳴る。
その刹那、数馬の視界に光の粒子が舞った。
あと10cmでつながったはずの手が届かない。
笑顔を象ったままゼノヴィアの体が崩れ落ちる。
その背にはワイヤーのついたナイフが突き立っていた。
傷口からは血の代わりに彼女の体を構成していた粒子が吹き出続けている。
「ゼノヴィアァ!」
何が起きたのか理解できぬまま数馬は彼女の体を抱き起こした。仮想世界でも温かい。
しかし
彼女の熱が急速に奪われていくのを腕から感じ取れてしまう。
「サービスはここまで。ヴェーグマンの命令通り、イロジックを他勢力に渡すわけには行きませんのでねぇ」
不快な声が再び戻ってきた。逃げたのはポーズであり、単純にゼノヴィアの視界の外に居ただけのこと。数馬の認識の外に居ること自体はハバヤにとって難しいことではない。
「ゼノヴィア! 返事をしてくれ!」
数馬はハバヤに向き直りはしない。ゼノヴィアの背中に刺さったナイフを引き抜いて彼女の名前を呼び続ける。彼女は目を閉じたまま。
「だから最初に言ったでしょう。残酷な現実と向き合うことになると。数馬くん程度の力ではどう足掻いてもゼノヴィア・イロジックを救うことなど不可能だったんです」
哀れみの言葉を茶化すように告げる。そこに思いやりなどあるはずもなく、ハバヤは嘲笑を隠そうともしない。
「これが最後の親切です。君はそこでずっと嘆いていなさい。そうすればすぐにでも彼女の元へ逝くことができるでしょう」
用の済んだハバヤは数馬を残して立ち去る。ゼノヴィアさえいなくなれば彼にとって数馬は脅威でも何でもない。わざわざ手を下さずとも、時がくればまとめて消え去るのみだ。
後に残されたのは2人だけ。数馬はゼノヴィアの体温が光の粒子として外に流れ出るのを見ていることしかできない。
この仮想世界に医者はいない。傷ついたアバターを初期化以外で治す術など思い当たらない。
軽く、冷たくなっていくのに何もできない無力さが歯痒い。
ISVSの中で涙が流せるのだと初めて知った。頬を伝った涙がゼノヴィアの目蓋で弾ける。
「……泣かないで、数馬」
ゼノヴィアの口が開かれる。まだ生きてる。数馬は彼女が助かる1つの可能性に思い至った。
Illだったら人を喰らえば力が蘇るはず。
「俺を使ってくれ! 君の力で傷を塞げば――」
「無理……」
「どうして!? まさか俺を喰いたくないとかそんな理由じゃないだろうな!」
「……さっきのでイロジックが壊れちゃった。もう想像結晶は使えないし、人を食べることもできないの」
背中を射抜いたハバヤの攻撃はゼノヴィアに致命傷を与えるだけでなく、イロジックのコアをも破壊していた。今のゼノヴィアはIllではなく、Illによって生存していた彼女がこれ以上生きていられるはずもない。
もう人を食べられない。そう告げるゼノヴィアの顔は晴れやかだった。対照的に数馬は悲痛な声で叫ぶ。
「なんでそんな嬉しそうなんだよォ!」
「だって少しも悲しくない。不謹慎だけど、数馬が悲しんでくれてるのが嬉しいんだもん」
もはや手足を動かすことすら叶わないゼノヴィアは精一杯の力で笑いかける。
ずっと前から別れを覚悟していた。それが今になっているのは上出来な方。数馬が見ているときに消えることができるなら本望と言えた。
最後に伝えておかなければいけないことがある。このままだと数馬は自分を嫌いになってしまう。これまでの選択を後悔してしまう。それはゼノヴィアの望むところではない。
「私は知ってるよ。人間は私たちを嫌ってる。でも数馬みたいな人も居てくれるって、私は知ってるんだよ」
人ではないと言われ続けていた。自覚もあった。
しかし他のIllのように化け物として受け入れることもなかった。
同じ境遇の者が居ても常に孤独だった。逃げ出しても変わらず、死に場所を探していた。
そんなときに数馬と出会った。
「私は生きたいって思ったんだ。それはとても幸せなことなんだ」
幸せという言葉を口に出来る日が来るとすら思っていなかった。
「だからね、私は幸せだよ。数馬が居てくれたから。数馬が戦ってくれたから」
無駄なんかじゃない。だから自分を嫌わないでほしい。今のゼノヴィアがあるのは数馬が頑張ったおかげなのだから。
そうした想いをこの一言に込める。
「ありがとう、数馬」
言い切れた。安心して気が抜けた途端にゼノヴィアを形作っていた粒子が分解される。数馬の腕の中で弾けたゼノヴィアの体は空気中へと消えていく。
「……ふざけんなよ」
腕の中には何も残っていない。
彼女は言うだけ言って数馬の元を去った。
「俺、まだ言えてないことがあったのに。何で、勝手に満足していなくなってるんだよ……」
彼女は最後まで恨み言など言わず、数馬への感謝しか言わなかった。
いっそのこと不甲斐ない自分を叱ってくれた方がマシだった。
ゼノヴィアは卑怯者だ。
これでは自分を嫌いになることすら難しい。
彼女が礼を言った自分を、自分自身が否定しては彼女に悪かった。
「俺は……行かなきゃね」
1人で立ち上がる。いつまでも
すべきことは1つ。復讐だけではなく、これからの未来のために必要なことを思い浮かべる。
「あのキツネ目野郎をぶっ飛ばしてやる」
ハバヤを討つ。私怨と大義が入り交じった灰色の炎をその目に宿して御手洗数馬は剣を取った。
◆◇◆―――◆◇◆
ユグドラシルへの道を急いでいたナナはその動きを止めざるを得なかった。
紫紺色の打鉄を打ち倒した直後、彼女の前へとやってきた敵の新手。灰色の
「あの黒い霧はまさか……」
ナナに僅かばかり残された現実での最後の記憶。シズネと2人で遭遇した存在が思い起こされる。
ここは
「来たか……ヤイバがいない今、張り合いの無いことこの上ないが仕方ない」
ナナは敵の顔を見ている。
エアハルト・ヴェーグマン。ヤイバに因縁をつけ、ナナを狙っている遺伝子強化素体。
以前は1人のプレイヤーとして立ちはだかっていた男が、機体を改めて目の前に現れた。
ナナが現実に帰るための鍵を握っている“黒い霧”と共に……
「ヤイバを返してもらうぞ!」
「相手を間違えている。ヤイバを取り戻したくばイリタレートを討たねばならない。もっとも、私が君を見逃す理由などないが」
ナナの雨月から8本の紅い閃光が放たれ、エアハルトの非固定浮遊部位の指8本から漆黒の帯が伸びる。
直進する真紅に対して、漆黒は自由自在に軌道を変えて激突する。
「
「驚くほどのものではない。ヤイバに出来て私にできないはずがないだろう」
エアハルトはヤイバのワンオフ・アビリティを把握していない。ヤイバがラピスの力を借りてようやく成り立っていたBTと格闘戦の両立を、事も無げに1人で成し遂げている。その異常を当たり前だと言っている事実がエアハルトの強大さを物語っていた。
エアハルトには負けないとナナは豪語していた。だがそれはエアハルトを甘く見ていたのである。ランキング5位、世界最強の男性プレイヤーの肩書きは伊達ではない。
射撃戦に徹すれば勝てる相手と見込んでいたがその勝算は霧散した。今の攻防だけでわかる。相殺したのは手加減であり、下手をすればあの時点で勝敗は決まっていた。
エアハルトが最善の手を打たない今だけが好機。大技を使える間合いではなく頼りに出来る武器は雨月と空裂だけ。ここまで来て引き下がれない。勝機は接近戦にある。
接近。そして、二刀で挟み撃つ。エアハルトが無手でも油断はあり得ない。防御困難な同時攻撃で確実に当てにいく。
「――残念だがその選択は悪手だ」
勝負を急いだナナに対してエアハルトは非固定浮遊部位である巨大な手を動かした。両側の中指の先端から伸びる黒い霧を固めた爪が雨月と空裂を受け止める。
同時にエアハルトからの攻撃。人差し指部分の先端に集まっていた黒い霧の塊が発射され、動きが止まっていた紅椿の両肩を抉る。
「うあっ――」
ISが正常に動いているにもかかわらず、ナナの両肩に痛みが走った。
エアハルトの攻撃は終わっておらず、巨大な両手が包み込むようにナナの体を掴む。
頭だけ出た状態で拘束され、身動きがとれない。ふりほどこうと力を込めても抗えなかった。
「さて。ファルスメア・ドライブにもこの戦場にも時間が残されていない。早いところ終わらせることとしよう」
エアハルトが右手をナナの頭に伸ばす。それが意味することをナナは知らないが漠然と嫌な予感だけは過ぎる。
「やめ――」
声が途切れる。頭を鷲掴みにされたナナは何も言わず、だらりと脱力する。巨大な手の拘束から解放されても抵抗しない。
「ここは間もなく廃墟となる。我々は立ち去るとしよう」
エアハルトからナナに『ついてこい』と命令がなされる。巨大な手を広げて飛び立つ彼と、追従するナナを追いかけるだけの余裕があるプレイヤーは1人もいない。
「待て! ナナは連れていかせねえ!」
プレイヤーはいなかった。しかし駆けつけた者たちはいる。
筆頭である男の名はトモキ。オーソドックスな打鉄を装備した彼はまだ速度の出ていないエアハルトに斬りかかった。
ナナを圧倒したエアハルトにトモキが勝てるわけがない。そのようなこと、トモキはとうに理解している。それでも彼は行動を起こした。たとえその身が果てようとも譲れない想いがある。
黒い霧が立ちこめる。トモキの刀は黒い霧に触れた時点で消失した。使い物にならなくなった武器を即座に捨て、荷電粒子砲を撃ち込むも黒い霧の中には届かない。
巨大な右の手がピストルを形作る。銃身に該当する人差し指に黒い霧が収束する。ナナに向けられることのなかった“必殺”の一撃を、エアハルトは然したる興味もなさげにただの作業として放つ。
捨て身の攻撃をしていたトモキには回避の概念が存在しない。漆黒の球体が迫ってもそれは変わらなかった。
故にトモキの体が左に流れたのは本人の意思ではない。
「なっ……」
突き飛ばされた。トモキの居た場所に居るのは長く共に戦ってきた戦友であるダイゴ。
「まだお前は残ってるべきだ」
「旦那――」
黒が通過する。再び元の景色が戻ったとき、空にダイゴの姿はない。
エアハルトの攻撃は1発でなく、後続の仲間たちも撃たれている。
この場に駆けつけた者は16名。それがたった数秒で5名にまで減らされた。
「くそぉっ!」
悔しさを言葉として吐き出す。この一瞬で起きた出来事は単なるゲームの敗北ではない。真実を悟っていながら唯一足を止めなかったトモキは激昂してエアハルトに立ち向かおうとした。
だが――
「待てよ、クソ野郎っ!」
エアハルトにとって彼らは憎悪にも値しない有象無象。生きていようが死んでいようがまるで興味がない。己の目的のため、ナナを連れ去ることに終始した。
既にトモキの機体では追いつけない速度に達している。今から追いかけても追いつくことは出来ない。
「俺には戦う価値もないってのかよ……ちくしょう……」
守るべき人を奪われ、友は自らの代わりに散っていった。
行きどころを失った怒りと悔しさで気が狂いそうになる。
何故この場に“あの男”がいないのかと責め立てたくて仕方なかった。
ナナを託したはずだったのに、と。
ナナとエアハルトが去ってもまだ戦闘は続いている。
富士から遠く離れた空には、新たな敵影が姿を見せ始めていた。
ワインレッドの甲殻を持ち、たてがみのついた蟻を模しているのは自爆専用の量産型Ill“ミルメコレオ”。
ISの防御すら易々と突破するISミサイルとも言うべき兵器が、富士の戦場に向けて迫っていた。
――その数、2341。