Illusional Space   作:ジベた

35 / 57
35 牙を剥く卑怯者

 天と地ほどの実力差があった。

 ラウラはドイツの代表候補生、その中でも次期国家代表に最も近いとされているランキング28位のランカーだというのに攻め倦ねている。

 否、攻めた時点で敗北は必至。相手はその更に上をいく存在であった。

 

「思っていたより消極的な戦い方だな。捨て駒と割り切り、時間稼ぎをしているか」

 

 ラウラが言い返すことはない。全ての攻撃をブリュンヒルデは刀一振りで抑えている。ワイヤーブレードは全て叩き斬られ、レールカノンは砲弾をぶった斬られ、手刀は届かない。優れたAICでかろうじて避けているだけというのが現状だった。

 

「バルツェル准将も甘い人だ。義理の娘のみならず、他の遺伝子強化素体にまで情が湧いたとは」

「教官も十分に甘い。落ち目だった私を引き上げただけでなく、今も手加減してくれています」

「お前が自分を過小評価しているだけだ。私の剣を受けることができる者など世界に100人といない」

 

 ブリュンヒルデの雪片が振るわれる。ラウラはブリュンヒルデの右手をピンポイントで静止させることで攻撃を抑える。止められる時間は一瞬。その間に雪片の届く範囲から逃れることで回避を成立させている。

 

「剣一振りで世界の頂点に立った人にしては謙遜が過ぎます」

「なるほどな。お前は私を過大評価しているようだ」

 

 ブリュンヒルデが続けて攻撃を加えるもラウラは変わらずAICに集中して回避に専念する。物理ブレードである雪片にはEN属性を持たせた手刀で容易に勝てるはずなのだが、ブリュンヒルデに対してだけは通常の相性は成立していない。ブレードに直接触れることなく抑えなければならず、ラウラはその条件をギリギリで満たす対策があったおかげで生き永らえている。

 とはいえ、やはり勝ち目はない。こうして時間を稼ぐのも数馬たちが少しでも逃げられればという微かな可能性にかけてのことだ。銀の福音から無事に逃げられたのか確認することもできず、そろそろ引き際だろうかと考えを巡らせ始めた。そのときだった。

 

『ありがとう、ラウラ。私と数馬は“あっち”に行く。だからもう戦わなくていいんだよ』

 

 IS専用の通信が送られてきた。その声はゼノヴィアのものである。一度もラウラに心を開かなかったというのに、この土壇場で彼女はお礼を言い残した。ラウラの頬が僅かばかり緩む。

 事態は芳しくない。“あっち”とはISVSのことだとラウラは理解できている。既にゼノヴィアを現実の存在ではないと位置づけていたラウラは、彼女たちがISVSへと逃走したと受け取った。

 

 ――たしかに戦わなくていい。

 

 最善ではないが状況が動いた。ラウラが取るべき道も定まっている。元より、ラウラはブリュンヒルデと戦うことを目的としていない。

 

「教官。不躾ですが、この後のことをお任せします」

 

 返事も聞かずにラウラはISを解除した。右手に取り出したのはイスカ。彼女は数馬たちを追ってこの場でISVSに入ることを選択する。

 バタリとその場で倒れ伏すラウラを千冬は静かに見下ろしていた。ほぼ同時にナターシャからの通信を受け取る。

 

『魔女に逃げられた。藍越学園に警察が張り込んでるなんて聞いてない』

「御手洗はどうした?」

『ISVSに入ったみたい。Illの傍にいるだろうから強制的に戻すことは無理。これ以上、厄介なことになる前に撤退するけどいい?』

「御手洗も連れていけ」

『え? あとは日本の警察に任せればいいんじゃ――』

「そいつらはアントラスの変装だ。絶対に御手洗の身柄を渡すんじゃない」

『くっ……そういうこと。了解したわ』

 

 ラウラの突然の武装解除の理由を千冬は察する。これ以上、現実で千冬を足止めする必要がなくなったからだ。そして、自らもISVSへ向かうことで数馬たちの援軍となると同時に、現実で気を失っていることで千冬を現実に足止めすることをも狙っている。

 

「まだ小娘と思っていたが、存外小賢しい真似をしてくれた。これも一夏の影響か。全く……手の掛かる元教え子だな」

 

 後を任せると言い残した意味も察している。ラウラと戦闘している間も周囲に人影があった。最先端の光学迷彩装備を持ちながらその機能を使わずに戦闘の成り行きを見守っていた者たちは皆一様に首をもたげている。意識のない人間を無理矢理立たせているだけという光景を千冬は過去に幾度となく目にしてきた。

 

「まだ日本にいたのか、“死人使い”」

 

 ツムギのメンバーとして活動していた頃に苦しめられてきた経験で敵の正体はすぐに掴めていた。

 ワンオフ・アビリティ“傀儡転生”。非生物、もしくは死人を操る能力。建前上は所属不明である兵隊たちがテロリストであるオータムによって着用中の特殊スーツを操られている。ゼノヴィアに襲われた後のため本人たちの意識は無い。

 

「逃げる理由もねえし、どうせお前らに私は捕まえられねえ」

「相変わらず逃げ足にだけは自信があるようだ」

「正面からブリュンヒルデに挑むわけがないだろ。リスクしかないことはしねえ主義だ」

 

 兵隊の着ている特殊スーツから声が発される。決して表に出ないテロリストの顔を旧ツムギの誰も知らない。正面からかかってこない相手は千冬が苦手とする部類。

 

「さてと。久しぶりに会ったんだ。もちろん手合わせしてくれるよなぁ?」

 

 千冬はオータムの相手をせざるを得ない。この場には千冬だけでなく無防備なラウラもいる。自分だけ逃げれば間違いなくラウラが敵の手に落ちることだろう。

 ラウラを抱えて逃げるのも、ラウラを危険に晒す。残された選択肢は、戦うことのみ。だが全力で戦えば利用されているだけの兵隊を殺すことになる。加減して戦うことにはなるのだが、先日の襲撃時と違い操作する数の少ない人形たちは宍戸がやったように簡単に戦闘不能には追い込めないだけの技量が反映される。

 オータムの狙いはブリュンヒルデを釘付けにすること。ラウラの思惑と合致しているとはいえ協力関係にあるとは思えない。オータムのものとも思えない何者かの策が働いていると思われたが、千冬にできることは変わらない。ラウラを守るだけだった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「2人は無事なのか……」

 

 ISVSへとやってきたラウラは真っ先に数馬との通信を試みた。しかし余裕がないようで全く返答がない。既に戦闘が始まっていると予想される。

 幸いなことに数馬たちのいる場所は見当がついている。現実で数馬の逃走していった方角には藍越学園があった。ISコアを使ってロビーを経由せずにやってきた場合、特別な設定をしていなければ現実と同じ場所に現れる。つまり、藍越学園にいる可能性が高い。

 現実とISVSでは装備の状態が共有されていないためシュヴァルツェア・レーゲンは万全の態勢である。ISを展開したラウラはまだ明けていない夜空へと飛翔する。

 

「あれは……」

 

 空に上がったところで早速ISの姿を見つけた。数馬でもゼノヴィアでもない。黄色主体のボーンイーターフレームに焦げ茶の縞模様が加えられたデザイン。両腕に最大級のシールドピアース“グランドスラム”が取り付けられている格闘型のISは知らぬ者の方が少ない。

 

「本物のファング・クエイク。アメリカ代表のイーリス・コーリングか!」

 

 現実において数馬を追っている者の中に銀の福音が紛れていた。ISVSならばともかく現実で偽物を用意できるとは考えにくい。アメリカが数馬を狙っていることはほぼ間違いなく、このタイミングでISVSに現れたファング・クエイクを偽物だなどと楽観視するわけがない。

 ブリッツを照準する。味方であるはずなどなく話し合いで解決する可能性もほぼ0であることから容赦なく先制攻撃を放つ。当然のように避けられるが、ファング・クエイクがラウラに気づいて進路を変えた。それで十分。

 多段イグニッション・ブーストにより雷のようにジグザグとイーリスが接近する。軌道が予測できず射撃を狙う暇はない。

 ラウラは眼帯を外す。現実でのブリュンヒルデ戦と違い、相手の手加減は期待できない。最初から全力でかからなければ即座に敗北すると言っていい。

 ファング・クエイクの拳に対して掌を向け、一点に意識を集中させて念じる。

 

「停止結界!」

 

 イーリス・コーリングは真っ当な格闘戦ではブリュンヒルデに次ぐ実力と言われている。一度でも攻撃を許せばあっという間に戦闘不能まで持っていかれる。

 固有領域に入ったイーリスの拳をAICで静止させる。押し込もうとするイーリスの意思を止める意思で捻じ伏せる。イナーシャルコントロールの干渉は刀剣の鍔迫り合いと同じ。

 

「これがドイツの冷氷か。ブリュンヒルデと渡り合えるだけのAIC。相手に不足なし!」

 

 拮抗していた状況は徐々にイーリス側に傾いていく。止まっている相手を攻撃する余裕がラウラにはなく、少しでも気を抜けばイーリスの拳が届く。シールドピアースまで決められれば立て直すことは不可能。このまま意地を張り合ってもラウラの分が悪い。

 ここで勝負をかける。

 AICを解除。イーリスの拳に真っ向から手刀で挑む。ブリュンヒルデと違い、イーリスの拳は装甲で殴りつけるだけの単純な打撃。ENブレードで搗ち合わせれば一方的に打ち勝つ。

 

「浅いんだよ!」

 

 だがイーリスはランキング6位の強敵。ただのごり押しのみでその地位にいるわけがない。あろうことかイーリスは零距離射撃武器ともいえるシールドピアースを発射した。

 

「バカなっ!?」

 

 ラウラの想定に無い攻撃。シールドピアースの強みである高PICCの有効距離は杭を出し切るよりも短い。右手同士が接触する直前の30cmという距離でもライフルより弱い威力となる。

 それでも十分な効果があった。杭はラウラの右手の甲に刺さり、逸らされる。右手ごと体が右に泳ぐラウラの懐に短距離のイグニッションブーストで入り込んだイーリスの左手が腹部に押し当てられる。

 

「しまっ――」

 

 殴打とほぼ同時に放たれるは最高威力のシールドピアース“グランドスラム”。PICCの高さは他のカテゴリを含めても頂点にあり、いかなるISのシールドバリアをも一撃で粉砕する。

 完璧なタイミングで入った。重量級(ヴァリス)四肢装甲(ディバイド)であるシュヴァルツェア・レーゲンであっても、この一撃を前にしてアーマーブレイクは避けられない。シールドの修復にエネルギーが回され、まともに飛行できずに墜落を始める。

 

「そのまま逝っとけ!」

 

 なおもイーリスは追撃する。両手のグランドスラムはリロード中で使えないがアーマーブレイク中のラウラを倒し切るにはその拳で殴るだけで十分である。

 対するラウラには手刀にエネルギーが供給できず、頼みの綱のAICも機能不全に陥っている。迫る敵を前にして抵抗する術がなかった。

 

 

「――去るのは貴様だ、イーリス・コーリング」

 

 

 ここに乱入者が現れる。黒のワイヤーにつながれた10を超えるブレードの群が殺到し、不利を悟ったイーリスは急速反転してラウラから距離をとった。

 地面へと落ちていくラウラは下に回り込んだ者にキャッチされる。抱えられた状態で見上げてみれば、ラウラと同じ黒い眼帯をした女性である。彼女は頼もしい援軍だった。

 

「クラリッサ……」

「遅くなりました。援護します」

 

 クラリッサはラウラを抱えたままイーリスと対峙する。両手が塞がっていても彼女には関係がない。肩や背中から延びる複数のワイヤーブレードさえあれば万全なのである。

 グランドスラムのリロードを終えたイーリスが仕掛ける。射撃の的を絞らせない鋭角な多段イグニッションブーストはランカーにも撃ち落とすことは困難だと言える。

 

「流石はアメリカ代表。射撃など当たらなければいいと割り切り、高威力の格闘武器のみで相手を圧倒するプレイスタイルはロマンに溢れている。その魅力は認めよう。だが――」

 

 くっくっくとクラリッサは笑う。彼女の操るワイヤーブレードは射撃武器と違い、発射する必要がない。イーリスの動きに合わせて直線上にブレードを置くことに徹する。イーリスがどう動いたところでクラリッサの刃の枝が本体を隠し続ける。

 クラリッサの実力ではヴァルキリーに匹敵する実力の相手に勝つことは難しい。しかし相手がイーリス・コーリングならば、防戦一方に限ればクラリッサは対等以上に戦える。事実、イーリスは攻め倦ねていた。

 時間さえ稼げばラウラも戦闘態勢に戻る。イーリス側には援軍の気配がない。

 クラリッサはワイヤーブレードしか使わない自らのプレイスタイルを棚に上げて嘲笑う。

 

「所詮はシールドピアースに頼った一発芸。色物の域を出ない!」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 なぜこうなってしまったのか。

 送られてきたメールの通りにISVS内の藍越学園にやってきた俺は無事に数馬と出会えた。俺たちと一緒に遊んでいたライルというプレイヤーではなく、現実の数馬と同じ姿格好で……

 1人で来いという呼び出しにナナを同行させたけど特に咎められてない。だけど数馬は最初から俺の話を聞く気がないみたいで、ENブレードをこちらに突きつけてきた。

 

「俺は今、一夏に立ち向かわなきゃいけないんだよォ!」

 

 こんな数馬を見るのは初めてだった。友達思いだと思っていた数馬が抱えてた劣等感も初めて知った。俺なんか、皆に支えられてるだけの我が儘な男でしかないのに。

 数馬と手合わせしたことはあったが今の数馬はゲームをする目つきではない。簪さん扮する偽楯無に似た雰囲気を俺は感じている。容赦なく俺を斬ろうとする者の目。

 

「待ってくれ! 俺はお前と戦いに来たんじゃない!」

 

 数馬と話すために来たんだ。だから立場に縛られそうなセシリアは置いてきた。だというのに数馬は聞く耳を持っていない。

 雪片弐型の1.5倍の長さはあるENブレード“デュラハン”を数馬が容赦なく振るってくる。俺の間合いの外からの斬撃を、ENブレード同士の干渉を発生させることで受け止める。

 

「俺とは、ね……だったら一夏はここに何をしに来たん?」

「お前を助けに来た」

「一夏らしい答えだよ。周りに合わせたこともないお前には他人の心が見えてない」

 

 頭が衝撃で大きく揺れる。言葉だけでなく弾丸も飛んできた。

 数馬の左手には拳銃型の武器。生徒会長も使っていたハンドガン“ドットファイア”がある。威力は小さいがPICCは射撃武器の中でも高く、速い相手の足を止めるのに有効だと弾が言っていた。

 その引き金は恐ろしく軽かった。鍔迫り合いをしていた俺の顔面にぶつけられたことでよろめく。

 

「俺を何から助けるつもりだ!」

 

 隙を見せた俺に容赦ない追撃。縦に振られたENブレードに対して、今度は受け止めず、受け流す。射撃を警戒して一定の距離を置いた。

 

「敵から――」

「ふざけるな!」

 

 がむしゃらに撃たれたハンドガンの乱射を俺は大きく飛び退いて躱す。

 数馬は冷静さを失うくらいに憤っている。他ならぬ俺に対して。

 

「お前の言う“敵”って何だよ?」

 

 乱射をやめて一時的に攻撃をやめた数馬が小声で呟く。俺に向けられた問いかけなのかはわからないが答えるしかない。

 

「箒を苦しめている奴らだ。彼女だけじゃない。数馬の親さんもIllの被害に遭ってる。皆を助けるために倒さなきゃいけないんだ!」

 

 数馬の背後にいる遺伝子強化素体を睨みつける。数馬はお人好しなところを利用されているだけなんだ。騙されているだけだってことを伝えなきゃいけない。

 でも数馬の表情に変化がない。知らないだろうと思っていた両親のことを伝えても全く動じていない。

 

「やっぱりだ。結局、一夏はここに俺と戦いに来てる」

 

 左手の拳銃を向けてくる数馬の動きに迷いはない。照準から発射までの躊躇なんてなかった。避けられなかった俺は左手の装甲で弾丸を受け止める。

 

「違う! 俺は数馬と戦いたくなんてない!」

「俺だってそうだよ! でも俺に武器を取らせてるのはお前なんだ、一夏!」

 

 再び斬り結ぶ。出力で勝るはずの雪片弐型とほぼ互角になっているのも、数馬の機体のフレームがメイルシュトロームだからだ。

 エネルギーの効率を度外視して出力を高めるEN武器の威力重視のセッティング。高速機体への牽制用にハンドガンを持っている点を考えてもENブレードのブレオン機体の相手を想定している専用装備である。

 

「助けるために一夏は敵を倒してきた。それが一夏の目的だってのは十分にわかってる」

「そうだ。数馬も親さんも助ける」

「そのためにお前はゼノヴィアを討つのか!」

 

 またハンドガンが撃たれる。今度は避けた。だけど何も良くない。数馬が本気で俺を倒そうとしていることに変わりはない。

 ゼノヴィア……それが数馬の後ろにいるIllの名前。

 数馬はゼノヴィアを守るために戦っている。正義感の強い数馬のことだから何も知らずにそうしていたのだと俺は思ってた。

 だけどそうじゃない。数馬は全部知ってて、Illを守っている。

 

「数馬こそ、“それ”がどういう存在かわかってるのか! お前の親を昏睡状態にしてる奴かもしれないんだぞ!」

「かもしれない? 違う。間違いなく“彼女”がやったことだ」

 

 親を昏睡状態にしたIllだと確信すらしていた。なのにその元凶を守ると言っている。

 何が数馬をそうさせているのか俺にはさっぱりわからない。

 

「だったらどうしてお前が守る必要があるんだ! 洗脳でもされてるんじゃないのか!」

「一夏にわかるはずがない!」

 

 数馬が連続してENブレードで斬りつけてくる。その全てを受け流して俺は耐えるのみ。

 

「いいか? ハッキリ言わせてもらうけど、俺は一度として一夏の戦いの目的に共感したことなんてない。俺は篠ノ之箒って子が昏睡状態のまま目が覚めなくてもどうだっていいんだよ」

 

 初めて俺の方から数馬に斬りかかった。反射的に体が動いてた。

 しかしリーチの差とハンドガンの牽制により、俺の接近は阻止される。

 

「やっぱ怒るよな。それも知ってる。一夏に限らず、大切なもんを軽んじられちゃ堪らないもんな」

「数馬にとっての大切なものがゼノヴィアなのか!」

「たぶんね。俺は親父たちのために彼女を殺すこともできた。でも出来なかった。それが答えだ」

 

 俺は数馬を助けようと思ってここに来た。数馬の守るIll(ゼノヴィア)を討ちに来た。それは俺がゼノヴィアを知らないからであり、数馬にとっての箒と変わらないと言う。

 既に数馬は両親と秤にかけてゼノヴィアを取っている。ゼノヴィアを守るためなら、箒が目覚めなくても構わないと本気で言っている。

 良くわかった。俺と数馬は相容れない。

 

「戦うしかないんだな……」

「一夏が俺を助けるために来たのなら、何もせずに帰れ。だけど助けたい彼女のためならしょうがない。俺は全力で立ち向かう」

 

 防戦一方だった剣戟はENブレードの打ち合いへと移り変わる。

 数馬は箒を救うための障害となった。俺の友人であることは最早関係ない。

 現実にいたIllだなどという最も箒に近いIllを俺は見逃すわけにはいかないんだ。

 

「これが洗脳だって言うんなら、俺の想いごと斬り捨てろ!」

「数馬ァ!」

 

 箒を助けるために立ちはだかるものは倒す。数馬の思いは二の次で、俺の思いを優先する。

 数馬との初めての喧嘩は、守りたい者を賭けて互いの思いを斬り捨てる心の殺し合いだった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバに追従してきたナナも黙って見ていたわけではない。彼女はヤイバが数馬との戦いを渋っていること、数馬を無視できないことを重々承知している。幸いなことに2対2。ヤイバと数馬を除けば、ナナとゼノヴィアは1対1となる状況が出来上がっていた。

 この機会を逃す手はない。

 ヒートアップするヤイバたちを尻目にナナは右手の雨月を握る手に力を込める。ヤイバと数馬の間にどのようなトラブルがあろうが、ナナがゼノヴィアを討てば何もかもが解決する。

 

「覚悟っ!」

 

 黙って攻撃できないところはナナの甘さである。とは言ってもゼノヴィアには大した戦闘技能はない。雨月から放たれた8発のビームを避けることなどできるはずもなかった。

 だが異変があった。ナナの放ったビームはゼノヴィアに命中する直前でその軌道を大きく変え、明後日の方向へと飛んでいく。

 

「おやおや。知性あるもの同士だというのに口でなく武器で語るとは……野蛮極まりないですねぇ」

 

 この場に居たのは4人だけだったとナナは認識している。しかし、この一瞬で転送の形跡もなく1人の男が増えていた。ISの戦場に入ってきたのは着崩したスーツ姿の細目の男であり、およそ戦う格好には見えない。

 

「何者だ?」

「おっと。全く動じていないとは……流石は“現代の剣聖”篠ノ之柳韻の娘。肝の据わり方は親譲りといったところでしょうか」

「私を知っているだと!?」

「ええ、篠ノ之束の身辺などとうの昔に調べています。もっとも、私ばかりが知っているのも気分が悪いでしょうから自己紹介しときましょう。平石羽々矢と申します」

 

 気取った所作で頭を下げる姿は余裕の表れ。通常のゲームをしているプレイヤーの方が緊張感があると言えるほど、ハバヤには戦闘意志が見受けられない。

 

「さて、お話でもしませんか? 我々は知性も理性もある人間なのですからね」

「ならば問おう、平石とやら。貴様はその娘を守るために来たのか?」

「ええ、そうですとも! 私は御手洗くんの援護に来ました!」

 

 唐突にハバヤが声を張り上げる。この場に居る者の全てに届かせようとするように。

 ナナは何かの合図かと周囲を警戒する。だが異変はない。

 

「心配せずとも別にあなたを取って食おうだなどと思っていませんよ。私は御手洗くんの味方として、ゼノヴィアちゃんを助けに来ただけです。あなたがゼノヴィアちゃんを害そうとしない限り、手出しをするつもりはありません」

 

 ハバヤは数馬の味方であると主張する。数馬の戦闘目的と合わせて考えてもゼノヴィアを守れれば良いというスタンスに矛盾はない。

 だが信用できるかは全く別の話である。ナナはハバヤのことを名前しか知らない。わかっているのはハバヤが『篠ノ之束の身内を調査したことがある』ということだけ。

 

「わかった。その娘に手を出さない」

 

 ハバヤの言うとおりにすると口にする。

 決して嘘などではなく、ナナは自分の発言に責任を持つ。

 だが、この言葉には続きがあった。

 

「代わりに貴様を討つ!」

 

 左手の空裂を振るう。赤いEN属性の刃が刀身から離れ、ハバヤ目がけて放たれる。

 直感に従っての行動だった。御手洗数馬の味方であり、ナナを積極的には攻撃しないと宣言していても無害だなどとは考えられない。束の身辺を調査していたということは反IS主義者(アントラス)である可能性が高い。

 

「やれやれ。これだからガキの相手は疲れる」

 

 声色が変わる。同時にハバヤの姿が掻き消えて、空裂による攻撃は何もない空を通過した。

 現れたときと同じ様に、今度は一瞬で姿を消して見せた。光学迷彩の類ではなく、ナナの攻撃したポイントにハバヤの存在がない。辺りを見回してみれば、ハバヤの姿はナナの真後ろ方向にあった。

 

「信念を持った男と男が一騎打ちしてんだから、女は黙って見てろ」

 

 耳の穴を小指でほじりながら苛立ち混じりに吐き捨てた。形だけの丁寧さすら取り繕わないハバヤの態度はナナが嫌悪するには十分。言葉は要らず、雨月を放つ。

 

「無駄無駄。この仮想空間でオレに勝てるとでも?」

 

 ナナは本気で当てようとした。ハバヤは避けようとしない。にもかかわらず、雨月のビーム8本は全て外れた。まるでビームの方からハバヤを避けたかのように逸れていったのである。

 平石の名は“避来矢(ひらいし)”という鎧を指す。矢の方から逸れていくという意味通りの現象がナナの目の前で引き起こされていた。

 方法は不明。考えられるのは自らの制御下にないEN射撃に対して偏向射撃を行なえるワンオフ・アビリティ。仮定ではあるが、ものは試しと接近戦を仕掛ける。

 だが当たらない。ナナの刀が届く一瞬前にハバヤの姿が消えた。

 

「暴力はいけませんって小学生でも躾られるもんだろうに。頭の悪いガキにはお灸を据えてやらねえとな」

 

 気づいたときにはナナの脇腹にナイフが突き立てられていた。ISが停止していない限り絶対防御で操縦者は守られているとはいえ、ストックエネルギーが減らされる一撃である。

 

「そこかっ!」

 

 ナナがハバヤを斬りつける。内心の焦りを抑えて行なう即座の反撃は的確であり、ナイフを突き立てたばかりのハバヤが避けられようはずもない。しかし自らに迫る刀を見つめたままハバヤは何もしなかった。不気味な笑みは相も変わらず張り付いている。

 

「馬鹿な……」

 

 あろうことかナナの振るう刀は空を切った。

 避けられていない。今度は消えてすらいない。ハバヤの姿はそこにある。

 しかし刀はハバヤの体を素通りしていた。当然手応えなどあるはずもない。

 困惑を隠せなくなったナナは慌ててハバヤから離れる。完全に理解の外。そのままハバヤの近くにいるのは危険だと判断したのも無理はなかった。

 しかし飛び退いたナナの背中に何かがぶつかる。同時に後ろから両肩を掴まれた。

 

「戦ってる相手に身を預けるのはブームなんですかぁ? これがジェネレーションギャップって奴ぅ?」

 

 既にハバヤが後ろにいた。肩口にナイフを突き立てられたところでナナは気づくも、一撃だけ加えたハバヤは再び姿を消す。今度は敵の姿をすぐに見つけられない。

 

「どこにいった! 出てこい!」

「迷子みたいに騒ぐな。別にどこにも行ってねえって。テメェの真上だよ、ま・う・え!」

 

 上を意識していなかったわけではなく、声のした後でハバヤは何もなかった場所に唐突に姿を現した。

 頭上からナイフが落とされて頭に当たる。投擲されたものでなく、自由落下したナイフにはPICCなど働いておらずナナは無傷。

 ――バカにされている。

 攻撃になっていない攻撃を当ててくることでいつでもナナを討てると宣告している行為。これは単純にナナを格下扱いしているも同然。

 ギドに敗れたとはいえナナはツムギの最高戦力だ。ナナには意地がある。一騎打ちで簡単に敗北を認めるわけにはいかない。

 

「ならばっ!」

 

 敵の能力は全く掴めていない。姿を消していることだけは事実であり、紅椿のセンサーで捉えられない。だが身を隠していてもどこかに実体が存在しているはず。ならば見えなくても攻撃を加えることは可能。

 翼となっている背部ユニットを分離、変形させ砲塔を並べる。その数は片側18門の合計36門。広域への攻撃を目的とした拡散型ENブラスター“シルバーベル”を模倣した即席の兵器である。

 翼を広げてナナはその場で回転をする。羽を散らすように宙に舞った紅の光弾は対象を定めることなく乱射され、偽りの藍越学園や周囲の建物を廃墟にしていく。

 

「これでどうだ……」

 

 自らの攻撃が与えた影響を確認する余裕すらない。一心不乱だったナナは呼吸を整えてから改めて見回す。ところ構わず攻撃した結果、地上には至る所に破壊の爪痕が残っている。なのに――

 

「それが情報にあった可変ENブラスター……規模から考えてサプライエネルギー系統の単一仕様能力があるというのも間違いねえ。でもよォ! 当たらねえと意味がねえんだな、コレが!」

 

 肝心のハバヤには当たらなかった。楽観視すれば、偶然ハバヤのいた位置に飛ばなかったとなる。だが高密度の無差別攻撃を避ける技量となれば、正体不明の能力も含めてナナに勝てる要素が見当たらなくなる。ナナが考えるに後者。力で捻じ伏せてきたギドとは違うタイプの相手であるが、まるで勝てるイメージが湧いてこない。

 本能で足を一歩引く。そうしたナナの挙動を見逃していないハバヤは肩をすくめた。おもむろに溜め息も吐く。

 

「無駄と悟ればそれで結構。ハッキリ言わせてもらえば、私にとってあなたなどどうでもいいんです。戦闘はお互いに面倒なだけなんで大人しくしててください」

 

 元々ナナと戦闘する意志が薄かったこともあり、先に矛を引っ込めたのはハバヤ。

 対するナナは何も言い返せなかった。臆したのは事実。ギドに負けたときの記憶も蘇ってしまい、積極的に敵対行動に出ないハバヤの態度に安堵すら覚えてしまっていた。少なくとも手出しさえしなければ殺されることはないのだから。

 

 ハバヤが十中八九、敵の一味だという認識は変わっていない。

 だがナナには危険を冒してまでハバヤに挑む理由が薄かった。

 何よりも生きて戻ることが最優先である。

 攻めることができなくなったナナは臨戦態勢のままハバヤを睨みつけることしかできなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバと数馬が斬り結ぶ。出力を強化されている数馬のデュラハンはヤイバの雪片弐型に押されていない。剣の技量をリーチの差と左手の拳銃でカバーすることで、ただの一度もヤイバに攻撃を許していない。

 対するヤイバも戦うと決めてからは一度も拳銃に当たっていない。削られていたシールドバリアも回復し、通常の戦闘速度を取り戻している。

 互角の戦いである。だからこそ数馬には違和感があった。

 

 ――ヤイバの力はこんなものじゃない。

 

「ふざけてるのか!」

 

 数馬が激昂する。自分が本気なのにヤイバが手を抜いていると感じられた。ランカーたちでも適わなかったという化け物(Ill)を倒してきた男なら数馬など障害でも何でもないはずだと。

 しかし数馬は気づいていない。ヤイバの躊躇やラピスがこの場にいないだけでなく、他の要因があるということを。

 ヤイバがイグニッションブーストで離れる。即座に急停止。方向転換して再度イグニッションブースト。イーリス・コーリングやイルミナントの動きを見て覚えた多段イグニッションブーストを使い稲妻のように数馬に迫る。

 頭上から雪片弐型が振り下ろされた。イグニッションブーストのスピードも乗った一撃は受ける側の体感としては射撃よりも速い。にもかかわらず数馬の右手は的確にENブレードを合わせていく。

 数馬は自らの技量を軽んじている。

 足を引っ張っているという認識は大きな間違い。得意武器がないのは事実だが苦手武器もないのは長所。足りなかったのは同じ装備を使い続ける経験だけ。それも一夏への対抗心からのやりこみが変えていた。

 シャルロットのように即座に使い分けることはできなくとも、相手に応じた装備で同等以上に渡り合うことが可能になっていた。

 

「強い……」

 

 攻め倦ねているヤイバが呟く。戦うと決めてからも数馬の気迫に呑まれている。数馬は知る由もないが今の一夏にはアドルフィーネやギドと渡り合ったときのような必ず勝つという意志が欠けていた。

 強くなった数馬。彼は明確に守る者が見えている。

 迷いのある一夏。彼にとって倒すべき敵は目の前の者ではない。

 故に、戦いの決着は遠い話ではなく――

 

「ぐっ――」

 

 雪片弐型を握るヤイバの右手を数馬のドットファイアが射抜く。高PICC武器であるハンドガンで撃たれたヤイバは剣を落とした。その隙を数馬は逃さず、丸腰となったヤイバへとENブレードを叩きつける。肩口を捉えたが、一撃では終わらない。

 落ちていく雪片弐型を追い縋るヤイバ。気が高ぶっていた数馬は彼に追撃をかけながら叫ぶ。

 

「本当は例の彼女すらどうでもいいんだろ!」

 

 その挑発はまるでガソリンのようにヤイバの目の火を強くする。瞬間的に体のキレを増したヤイバは空中で雪片弐型をキャッチすると振り向き様に数馬と刃を合わせた。

 

「そんなわけない! 俺は最初から箒を取り戻すために――」

「だったらこの体たらくは何だっ! 俺なんかに負けててどうして助けられる!」

 

 数馬の回し蹴りがヤイバの左肩を強打する。衝撃に顔を歪ませるヤイバはよろめきつつも体勢だけは維持した。そこへ数馬のハンドガンが狙い撃つも外れる。

 

「一夏が助けたいのは本当に彼女本人なのか? 彼女を見つけてからの一夏には前のような必死さがないんだよ!」

「違う! 俺は今のままでいいだなんて思ってない!」

「違わないさ! 俺ごとゼノヴィアを討てないことが、その程度の想いだという証明だ! 今のお前は俺の憧れた織斑一夏なんかじゃない!」

 

 あと一撃、数馬のENブレードが当たれば終わる。射撃を外した数馬だったがヤイバの余裕を削ぐことはできている。

 これが最後。数馬は防御を捨ててがむしゃらに突撃する。雪片弐型の間合いも気にせず右手を上段に振り上げる。

 だが追いつめられて余裕を失ったことでヤイバの脳の領域から思考力が失われていた。五感から伝わる様々な情報の処理を全て反射に委ねる。感情に身を任せた数馬の攻撃を、思考に囚われないヤイバの目は冷淡に隙だらけだと判断する。

 逃げていたヤイバは一転して前に出た。幼い頃に師の元で鍛えられていた際に培った最善を導き出す本能が蘇り、考えることなく的確に数馬の胴を斬り抜いて背後に回る。

 

「くっ! まだまだァ!」

 

 唐突なヤイバの変貌にも数馬は動じない。振り向き様に左手のハンドガンを向ける。

 だが取り回しのしやすいハンドガンといえど、既に雪片弐型の間合いの中。数馬の攻撃よりもヤイバの方が早い。

 勝負の分かれ目は数馬が感情に飲まれたとき。徹底して雪片弐型の間合いの外から攻撃していた数馬が最後の最後で自分から飛び込んでしまったからだ。

 油断をしていたわけではない。単純に数馬は冷淡なままでいられなかっただけのこと。ヤイバに自分のことをわかってほしいと胸の内を曝け出したからこその敗因であった。

 

 ところが――ヤイバの剣は数馬でなく左手のハンドガンのみを斬り落とした。

 

 勝負が決まったはずの瞬間にヤイバは数馬の武器だけを破壊した。これが数馬のメインウェポンならば決着と言えたかもしれない。しかし、数馬の右手にはENブレードが残されている。

 勝つために振られたものではなかった。雪片弐型を振り抜いたヤイバの目には大粒の涙がこぼれている。

 

「だからどうして……俺と数馬が戦わなきゃいけないんだよ……」

 

 Illの存在を擁護する数馬はヤイバとは相容れない。そう言い聞かせて戦っていた少年の迷いは結局、晴れることなどなかった。少年にとっては助けたい幼馴染みだけでなく今居る友人たちも大切な仲間である。明確な優劣などあるわけがない。

 

「バカ野郎……」

 

 数馬がENブレードを振るう。雪片弐型を振り抜いたまま固まっていたヤイバは避けることも防ぐこともできずに受け入れるのみ。

 ストックエネルギーが尽きて戦闘不能となる。Illの存在する領域において自動で転送されることはない。ヤイバはハリボテ同然の白式を纏ったまま地上へと落ちていく。

 

「ヤイバっ!」

 

 ヤイバの敗北とともに紅の機体――ナナが駆けつけると彼の体を空中で抱きとめる。紅椿を通していると彼の重量は全く感じられないはずであるが、ナナが受け止めたものは重かった。

 

「ごめん、ナナ……俺、数馬を討てなかった。俺、弱かった」

 

 ヤイバはナナの前だというのに涙を隠そうとしていない。再会したときの涙とは違い、男が流していい類のものではない。本人の言うとおり軟弱な男のものだと、これまでのナナならば糾弾すべきものであった。

 だが今のナナの胸に去来する思いは失望などではなかった。元よりこの敗北もナナが想定していた事態の1つ。ヤイバが試合以外で仲間を本気で倒せるわけがなく、それを責められるはずもないと知っている。

 

「馬鹿者……それはお前の強さだ」

 

 ヤイバの頭を自らの胸に引き寄せる。ヤイバが自分自身を責めないようにと慰める。

 数馬を倒せなかったヤイバをナナは強いと断言する。当たり前だ。他ならぬナナ自身がそんなヤイバに救われている。

 もし相手が世界の敵となってしまっていても自分の感情を優先して手を差し伸べる。

 これでこそ一夏(ヤイバ)なのだとナナは誇りに思うだけ。ありのままの彼を受け入れているナナは優しく微笑みかけた。

 

 

「まだまだ子供だというのに見せつけてくれますねぇ……こういうときはなんて言うんでしたっけ? あ、そうそう! 『リア充爆発しろ』でした」

 

 

 異変が起きたのは不快な声がしたのとほぼ同時だった。いつの間にかナナの腹部に剣が突き立てられている。まるでヤイバの腹から生えてきたようなそれは黒い大剣。

 ヤイバは何も言わずにナナの体を突き飛ばす。機能停止した白式ではそのような力がないはずだが、動転していたナナはヤイバの意図のとおりに彼から離れた。ナナの支えを失ってもなお、ヤイバは落下せずその場にとどまっている。黒い大剣を支えとして……

 

「あ……ああ……」

 

 ナナの声が震えていた。今の一瞬で何が起きたのかをようやく察した。

 敵の攻撃に全く気づかなかったのだ。

 現実ならば絶命に至るほどの傷を負ったヤイバの体は光の粒子となって分解されていく。その背後には黒い大剣を持った少女の姿がある。その機体はまるで黒い蝶。操縦者である遺伝子強化素体の名はマドカ。ヤイバだった光は全て黒い蝶へと吸い込まれていった。

 

「きっさまぁあああ!」

 

 これがIllであり、ヤイバが“喰われた”ということもハッキリと理解した。絶叫するナナは鬼の形相でIllへと斬りかかる。しかし、黒い蝶をナナが斬り捨てると蜃気楼のように消え去ってしまった。

 

「どこにいった!? 出てこい! 卑怯者ォ!」

 

 答えはない。既に黒い蝶の姿を完全に見失ってしまっていた。この場で姿を確認できるのは数馬ともう1人、ハバヤのみ。

 同じ事実に数馬も気づいた。ずっと確認していたはずの少女の姿がどこにもない。やっとの思いでヤイバを退けたというのに彼女が居なければ何も意味がない。

 

「平石さん、ゼノヴィアはどこですか……?」

 

 戦闘中でも数馬はハバヤと連絡を取っていた。実はISVSプレイヤーであり、ゼノヴィアを守るために戦ってくれるという話をそのまま受け取っていた。

 一般プレイヤーならばこの場に現れること自体が困難であることを数馬は知らない。

 

「そうですねー、色々と頑張ってくれた数馬くんにはご褒美として教えてあげちゃいましょう」

 

 ナナがマドカを探しているその頭上で、数馬と対峙したハバヤが告げる。藍越学園の襲撃から始まった一連の出来事の真の狙いを。そして、数馬の守っていた者の正体を。端的に一言で表した。

 

「数馬くんはあの“通り魔”に騙されていたんですよ」

「通り魔? だってそれは――」

 

 数馬の中では警察が通り魔として認識していたのは現実にいた銀の福音になっているはずだった。しかしそれではハバヤの発言と矛盾が生じる。数馬は銀の福音とは今日初めて会い、最初から敵対していた。騙される以前に信用をするだけの間柄になっていない。

 

「君は知っていたのでしょう? ゼノヴィアという少女が自分の両親を始めとする被害者たちの精神――いえ、魂というべきものを喰らっていた。通り魔事件の犯人と知っていながら君は彼女を守ってきた。全て、彼女の思惑通りにね」

「思惑通り……だって……?」

 

 ゼノヴィアが通り魔であるとハバヤは承知していた。その事実が発覚したのだが、数馬が気にしているのは別の点。

 

「そんなはずがない! だってゼノヴィアは俺に『殺してくれ』って言ってきた! だから俺は彼女が化け物なんかじゃないって確信したんだ!」

「身を張った演技までこなしていたみたいですねぇ。これだから知能を持った化け物は恐ろしい。でも化け物は化け物。人間にはなれません」

「嘘だっ!」

 

 激昂した数馬がハバヤを斬る。しかし、ナナが戦っていたときと同じくハバヤの体をすり抜けるに終わり、ダメージを与えられない。

 

「ハッハッハ! ここで私が『嘘です!』と声高に叫べば満足しますかぁ? 違うでしょう? 君がここにいるのに、黙ってゼノヴィアは姿を消した。それだけが事実なんです」

「ゼノヴィアをどこにやった!」

「よく考えてみてくださいよ。私がゼノヴィアを(さら)おうとしたり殺そうとしたところで、抵抗されてしまったら君が知らないはずがないじゃないですか。どうしてゼノヴィアは君に何も言わなかったのでしょうねぇ」

 

 ヤイバとの戦いに集中していたとはいえ、ゼノヴィアの声を蔑ろにするはずなどなかった。だから数馬の耳に彼女の声が届いていたことはない。なぜ彼女が何も言わなかったのか。数馬には見当もつかない。

 

「ですから教えて差し上げたのです。数馬くんはゼノヴィアという化け物に騙されていたのだと」

「違う……彼女はそんなこと――」

「もう1つ教えて上げましょう。今のままだとゼノヴィアが君を騙した動機がわかりませんからねぇ」

「動機……?」

「ええ。ゼノヴィアが生き延びるために君を利用する必要などありませんし、自分からわざわざ身を危険に晒していたとも言い換えられる行為をしていました。ちゃんと目的があったんですよ。そしてそれはたった今、見事に果たされました」

 

 既に目的が果たされた。それも今だという。つまり、ハバヤの言うゼノヴィアの目的は――

 

「一夏を倒すため……? 俺は、利用されてただけ……?」

「そうですそうです。私は賢い子は好きですよ」

 

 勝ち誇るハバヤがしたり顔で突きつけてきた肯定は数馬の胸を抉るに十分だった。

 

「今、一夏を襲った奴はお前の差し金か?」

「マドカ・イリタレートのことならイエスとお答えします。私は協力者ですからねぇ。ギドを倒すほどのプレイヤーを相手に真っ向勝負できるIllは居ませんでしたから少しばかり搦め手を使うことにしたんですよ。そういう点で君は実にちょうど良かった。君と織斑一夏を戦わせれば倒せずとも精神的に弱らせることは簡単と思われましたしね」

「この、卑怯者っ!」

 

 数馬がENブレードを振り回すがハバヤの体を通り抜けるだけで一向に当たる気配はない。

 

「君も私を騙そうとしていたのですからお互い様ですよ。それに私はただの協力者。そんな私を暴力で倒そうと躍起になったところで何も解決しません。何よりも、どう言い繕ったところで君が織斑一夏の敗北を招いた原因であることは変わりません。責任転嫁はやめなさい」

 

 ハバヤの言うとおり、ハバヤを倒したところで数馬の両親も一夏も帰っては来ない。数馬と一緒に過ごしてきたゼノヴィアという少女が帰って来ることもない。

 そして……ヤイバが負けたのも数馬と戦ったことが原因なのは数馬も認めるところである。責任が何もないだなどと考えてはいない。

 頭で理解すればするほど数馬の暴れは止まらない。感情の行き場がどこにもなかった。

 ゼノヴィアもいなければ、一夏を喰ったIllも近くにいないのだから見えているハバヤに当たるしかなかった。

 

「うわあああ!」

「落ち着いて――と宥めるのも無粋でしょうか。この世界で殺せるのは肉体でなく心のみ。好きなだけ叫んでいてください。私が手を下さずとも疲れた頃には自己嫌悪で潰れていることでしょう」

 

 ハバヤは涼しげに数馬の暴走を眺める。自らの体をENブレードが通過してもそれは変わらない。

 なぜならば、彼の本体はそこには存在しない。

 

「結局のところ、君の正義感が招いたのは友人の犠牲だけだったわけです。しかし騙されている身の上ではありましたが、君の戦いぶりは美しかった。少なくとも私はそう称えます。誇らなくていいですけどね」

 

 今もなおハバヤの()()を相手にENブレードを振り回す数馬を遠目に見やる顔には嘲笑が浮かぶ。踵を返して立ち去る彼は手を振ってその場を後にする。

 大切な者が目の前で消えてしまった数馬とナナの2人の慟哭を背に受けた彼の顔はただひたすらに楽しげであった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一度でも接近を許せば敗北するギリギリの綱渡りのような戦いが続いていた。ほぼ絶え間なくイグニッションブーストで飛び回るイーリスを相手に12のワイヤーブレードを駆使して剣の壁を形成するクラリッサは一歩も引いていない。

 時間は十分に稼いでいた。クラリッサの背後で機体を休めていたラウラのシールドバリアが回復し、正常な戦闘状態に戻る。

 

「助かった。私も加わろう」

 

 ラウラはブリッツでイーリスを狙い撃つ。以心伝心というものだろうか。言葉にせずともブリッツの弾道上には既にワイヤーブレードが存在しない。一瞬で形成された狭間(さま)から飛び出たレールカノンの砲弾は俊足のイーリスを捉えた。

 

「くそっ! 時間切れか!」

 

 右腕でガードされたため致命打にはなっていない。しかしグランドスラムの片方を潰せたのは大きい。イーリスがヴァルキリーと並ぶほどの実力であろうと、ラウラとクラリッサの2人がかりでかかれば十分に勝てる見込みができた。

 それだけではない。遠方に黒いISの集団の陰が見え始めている。

 

「どうやら我々の勝利です、隊長」

 

 クラリッサが勝利を宣言する。今、向かってきている部隊はシュヴァルツェ・ハーゼの隊員たち。天秤がラウラたちに傾いた上での援軍は決定打として十分である。

 イーリスが撤退を開始。背を向けてまで全速力で離脱していく。

 

「追いますか?」

「必要ない。目的は別にある」

 

 無防備な背中に追撃をかける真似はしない。退いてくれるのならばそれで何も問題はなかった。あくまでラウラの目的は数馬とゼノヴィアを守ることにある。

 

「ところでクラリッサ。お前たちが何故ここに?」

 

 わかっていてすっとぼける。一応、ラウラは命令を無視している。だというのにクラリッサを含めたほぼ全隊員がラウラの元に集まってきているのだった。

 クラリッサは困り顔で返す。

 

「あー、えーと……全員で命令違反しました」

「准将の顔を立てる必要などないぞ」

「では遠慮なく。親馬鹿に便乗した次第です」

 

 言葉通り遠慮がない。そんなクラリッサの返答を聞き、ラウラは目を丸くしていた。

 

「親……と思ってくれているのか」

「隊長。もしそうでなければ准将はあのような愉快な人にはなりえませんよ。15年前までは冷徹非道で有名だったようですし」

「それは一体誰だ?」

「私もそう思います」

 

 副隊長と笑いながら言葉を交わす。

 ――やはりここは居心地が良い。

 再認識したのは自分の居場所。物心ついた頃から軍人となるべく育てられてきたラウラにとっての家と家族。

 今回の一件における行動がそれをも壊しかねない出来事だったことは自覚している。

 しかし、この温かさを知っているからこそ、似た境遇のゼノヴィアにも残したかった。他人事と割り切って切り捨てることが出来なかったのだ。

 

「ではこれより藍越学園に向かい、数馬とゼノヴィアの身柄を確保する。イーリス・コーリングがまだ向かってくるかもしれないから周囲の監視は怠るなよ」

「はっ!」

 

 ようやく当初の目的に戻ることができる。イーリスに時間を割かれていた間、数馬たちが無事であるか確認する術はなかった。今になって通信を飛ばしてみてはいるものの、数馬にもゼノヴィアにもつながらない。部下に見せる冷静な顔とは裏腹にラウラの心には焦燥が募る。

 援軍と合流した。周囲に散らせた人員を除いた6名。8人の部隊となったところで数馬の姿を探して藍越学園へと向かう。

 しかし――

 

『所属不明機が高速で接近してきます。数は2』

 

 哨戒に散っていた隊員から通信が送られてくる。イーリスの逃げていった方角とは逆。同時にイーリスの姿が確認できないことから別勢力である可能性が濃厚である。

 問題は数。単機であったとはいえイーリス・コーリングが撤退を選択せざるを得ない戦力であるシュヴァルツェ・ハーゼに向かってきている。この状況下で身内以外の味方がいるとは考えられない。

 

「全隊員を呼び戻せ」

 

 ラウラが下した命令は戦力の集中。向かってくる2機は十中八九、敵である。そして、シュヴァルツェ・ハーゼに向かって来られるとなると2種類が考えられる。

 1つはラウラとクラリッサがランカーであることを知らないだけの無謀な者。多勢に無勢でも向かってくる時点で実力に自信はあるだろうが、限度というものはある。

 もう1つは限度を超えたプレイヤーである場合。簡単に言ってしまえば2機のうち1機にブリュンヒルデが居ただけでシュヴァルツェ・ハーゼが全滅させられる可能性がある。少なくとも“所属不明機”である時点で国家代表の可能性は低いのだが、ヴァルキリーに比肩する者ならば危険である。

 

『敵は左右対称な翼状の非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)を装備した見たこともない機体です。もう一方は黒い甲冑で――』

 

 通信が途絶えた。おそらくは撃墜。悲鳴もないことから遠距離から奇襲のようにやられたと見るべきである。

 戦法は不明だが強敵であることは疑いようがない。この敵を数馬たちの元へ連れて行くわけにはいかない。藍越学園に向かうのを中止して迎撃に移る。

 

「総員、戦闘態勢。敵はヴァルキリークラス2機を想定する。来るぞ!」

 

 敵の姿が視認できた。高速で飛ぶ機体の速度は拡張装甲(ユニオン)の戦闘機型並。2機という報告であったが確認できるのは翼のある機体のみ。

 クラリッサを戦闘にして陣形を組んだラウラたちは真っ向から迎え撃つ。クラリッサ以外による集中砲火。距離は開いているが相対速度から考えて高速飛行中の回避には一定以上の技量が必要とされている。十分に命中する目処はあった。

 しかし当たらない。増設したブースターで無理矢理加速している速度重視ユニオンならば、あのエアハルトであっても大きく旋回しなければ攻撃を避けることは難しい。にもかかわらず所属不明機は平然と機敏にスライド移動して見せた。それも的確に銃撃の合間を縫っている。

 目がいいだけの話ではない。機体の性能からして従来のISを凌駕している。

 ラウラは向かってくる相手の顔を凝視した。相手はユニオンなどではなくディバイド。つまりは顔を出している。

 危惧していたとおりの相手であった。向かってくる敵は長い銀髪を靡かせ、その瞳は怪しく金色に光る。

 

 先頭にいるクラリッサが迎え撃つ。イーリス・コーリングを以てしても攻め倦ねたワイヤーブレードによる剣の壁。黒の茨がクラリッサを覆う。

 欲しかったのは敵の躊躇。足を止めたところへ再び集中攻撃を加える算段となっていた。

 しかし、思惑通りに事は運ばない。翼つきの所属不明機は速度を落とさずにクラリッサへと突撃する。

 

「な――」

 

 迎撃のワイヤーブレードは的確に灰色の所属不明機へと向かっていた。

 だが当たる直前に所属不明機が“黒い霧”に覆われる。

 霧の中へと飛び込むワイヤーブレードだったが、クラリッサには敵に命中した感触は一切ない。それどころか、ワイヤーブレードを操作する感覚までもが消失していた。

 消失したのは感覚だけではない。ワイヤーブレードそのものが消されていた。黒い霧自体がEN武器の類だと、クラリッサがそう認識した頃には懐に所属不明機が飛び込んでしまっている。

 

「ランク91位、ドイツ代表候補のクラリッサ・ハルフォーフか」

 

 所属不明機の操縦者である銀髪の男が呟く。近距離格闘の間合いで右手をクラリッサの頭へと伸ばす。振り払おうとするクラリッサの両手を黒い霧が意志を持った生物のように蠢き、実体があるかのように絡め取る。銀髪の男の右手は拘束されたクラリッサの頭を鷲掴みにした。

 

「あ、ああああああ!」

 

 クラリッサの悲鳴はただ事ではなかった。Illに喰われたことのある鈴やシャルの話を聞いても苦痛を伴った記憶は存在していない。初めてのケースを目の当たりにして、嫌な予感しか覚えない。

 

「クラリッサごと撃てェ!」

 

 ラウラの指示はクラリッサを救おうとするもの。全隊員がそれを理解して従う。

 ここで所属不明機が違った動きを見せる。本体はクラリッサの頭を掴んだまま動かず、非固定浮遊部位の翼だけが独立して稼働する。黒い霧を纏ったそれは先端から5本の“指”に分かれた。3つの間接に加えて掌まで存在するそれは人の手そのものの形状となる。

 ISを丸ごと握りつぶせるほどのサイズの巨大な手が平手を左右の外側に向けると黒い霧が周囲に拡散される。クラリッサごと本体を球状に覆い尽くした防御行動。ラウラたちの射撃は実弾もEN武器も表面で掻き消されて届かない。

 

「突貫します!」

「よせっ!」

 

 血気に逸った隊員が1人、ラウラと同じ装備であるEN手刀で黒い霧へと斬りかかる。意外にも彼女は黒い霧の内部へと簡単に飛び込んでいった。

 だが即座に黒い霧の下部から墜落していく。装甲が全て消え、ISも機能停止した状態で地面へと落下していった。

 敵の防御を打ち破る手立てが思いつかず、見ていることしかできない。そんな状況は敵によってしか動かなかった。

 何も出来ていない内に黒い霧が晴れる。敵の方から解除したことは明白。クラリッサは何も言わないまま棒立ちするようにその場で浮遊しているだけ。

 

「クラリッサ! 無事か!?」

「…………」

 

 虚ろな目をしたままクラリッサは微動だにしない。ラウラの呼びかけに反応する素振りすら見せない。何かされたのはわかるが、何をされたのかは見当もつかなかった。

 墜落した隊員の方を見やる。完全に戦闘不能であるにもかかわらず転送は行われていない。この場にIllが存在していることを指す。クラリッサを助け出すには目の前の敵を倒さなければならない。

 だが勝てるのか。クラリッサが欠けた部隊で未知の力を使う相手に勝てる確証などあるはずもない。

 ラウラが隊長として下すべき決断は1つ。

 だからこそすぐに言葉に出せなかった。

 

「やはり出来損ないか。合理的な判断はおろか感情に沿った判断すら下せぬとは」

 

 銀髪の男が先に動く。翼となっていた巨大な手が開き、全ての指の先端に黒い霧が収束されて塊を形成する。合計10個の黒い霧の小球が一斉に放たれた。

 空に漆黒の線が引かれる。街明かりが照らす程度の夜空の中であっても、その漆黒は際立っている。光ごと何もかもを吸い込んでしまうとすら感じさせた。

 放たれた漆黒は意志を持っているように自在に動き回る。まるでラピスの行なう偏向射撃のように曲がる漆黒の弾丸はそれぞれがラウラの部下たちへと飛んでいく。命中するまで追尾し、盾で防ぐことも叶わない攻撃によって一瞬のうちにラウラ以外の全隊員が墜とされた。

 残されたのはラウラ1人だけとなる。

 

「貴様は一体何者だ……?」

 

 遺伝子強化素体であることはわかっている。そしてIllであることも見当がついている。それでもラウラは疑問として口に出した。

 遺伝子強化素体にしてもIllにしても次元が違う。ラウラが相手をしたことのあるシビル・イリシットはもちろんのこと、話に聞いているだけのアドルフィーネ・イルミナントと比べても圧倒的な力が感じられる。

 

「答えよう。私はプランナーの遺志を継ぐ者。全人類の導き手として君臨するために生まれた存在だ」

 

 決して質問などではなかったというのに男はわざわざ答えてみせる。

 まだ敵は名乗っていないが“プランナー”と聞いたラウラは目を見開いた。

 

「まさか亡国機業の――」

「言うまでもないことだろう?」

「ここに来た狙いは数馬か? それとも、ゼノヴィアか!」

 

 眼帯を投げ捨てて睨みつけるラウラの視線に怯むことのない男は、真っ正面からラウラを見据える。

 

「どちらでもない。私は君を迎えに来たのだ、ラウラ」

 

 あまりにも突飛な回答。

 虚を突かれたラウラが内容を頭の中で反芻している間にも男は続ける。

 

「ヤイバの元で戦う遺伝子強化素体の話は聞いている。イリシットを使っていたシビルを相手に互角以上に戦えた才能を私は高く評価している。プランナーに出来損ないの烙印を押されていようとも私は君に手を差し伸べよう。今からでも高みに至ることは可能だ」

「ふざけるなっ!」

 

 理解が追いついたところで怒鳴り返す。亡国機業の一員である男がラウラを勧誘しに来たなど狂っているとしか考えられない。今更ラウラが亡国機業に手を貸す理由など全くない。既にラウラには居場所があるのだから。

 4本のワイヤーブレードを射出する。捻りのない最短距離での刺突。一切の迷いのない軌道はひたすらに直線をなぞる。

 だが男の周りに黒い霧が立ちこめると、それに触れたワイヤーブレードが全て破壊された。追撃にブリッツを発射するも黒い霧に触れた時点で砲弾が消失するに終わる。

 

「安心したまえ。私はプランナーのように君を見捨てたりはしない」

「私は! 誰にも見捨てられてなどいないっ!」

 

 手刀で飛びかかる。まだ黒い霧が全面展開していない今がチャンスだという考えだった。イグニッションブーストで飛び込んだラウラの右手は武器を持たぬ男の首へと吸い込まれるように迫る。

 

「どうやら毒されてしまっているようだ。これもあの“織斑”の影響かと思うと悲しいことだ」

 

 男は顔を右手で覆って嘆いた。演技の類ではなく、ラウラの攻撃に対する防御行動でもない。

 ラウラの右腕は止まっていた。ラウラの意思ではない。右手首にはワイヤーが絡みついている。それはラウラの使用するものと同じ種類の装備だった。

 

「クラリッサ!? 何をして――」

 

 ここまで全く動きを見せていなかったクラリッサが持ち前のワイヤーブレードを使ってラウラの右腕を拘束していた。他のワイヤーも次々とラウラを縛っていき、雁字搦めとなる。

 突然の裏切りにラウラは戸惑いを隠せない。その間に最後の武器であるブリッツが巨大な手のユニットに握り潰されて破壊された。

 抵抗する術が全て失われてしまった。だがラウラを打ちのめしているのは武装を失った現状ではなく、クラリッサが自分に攻撃をしてきた事実の方である。

 

「何も不思議なことはない。元より我々と人間は相容れない。プランナーの目指した未来とは我々“新人類(アドヴァンスド)”が旧人類を支配する世界。故に現状で対立は避けられぬこと。何も悲観することはない」

「クラリッサに何をしたァ!」

 

 ショックを怒りに変えてラウラが吠える。クラリッサが普通の状態でないことだけは明白だった。

 

「今後を考えると撃墜するよりも手駒にした方が良いと判断した。よって私の“絶対王権(ぜったいおうけん)”により命令を遵守する人形となってもらった」

 

 男はただの質問として受け取っており、あっけらかんとしていた。

 ラウラと接する態度とは裏腹にクラリッサのことを人間扱いしていない。そこには明確な悪意すら見られない。見下しているのならばまだ話はわかるが目の前の男は人を人と思っていないのだ。

 

「では処置を始めるとしよう。君から“織斑”の毒を消さねば、我らの同志にはなりえん」

 

 身動きのとれないラウラに男が近寄る。何の感傷も抱いていない目のまま、作業のように右手をラウラの頭に伸ばす。

 

「やめろ……」

 

 男には焦りもなければ躊躇いもない。まるでロボットのように迫る右手をラウラは見ていることしかできない。越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)があったところでただそれがスローモーションになるだけ。

 

「やめろぉおおお!」

 

 クラリッサを洗脳したと思われる男の右手を拒絶する。武装を全て失っていて、手足を封じられてもまだラウラには出来る抵抗がある。

 停止結界。極限まで研ぎ澄ませたラウラのAICは他のISの動きすらも止める。ドイツの冷氷の二つ名は何も冷徹な態度だけの話ではない。見るものを氷漬けにする魔眼の持ち主としても恐れられているのだ。

 だがそれは実力差によるもの。ラウラが止められるものにも限界はある。現にイーリス・コーリングは一時的に止めることしかできなかった。

 

「ああ……」

 

 今度は止めることすら叶わなかった。的確に反位相をぶつけられて無力化され、男の右手は減速すらせずにラウラの頭を鷲掴みにする。

 

「あ……あああ……」

 

 クラリッサのように悲鳴を上げることはなかった。

 物理的な痛みは全くない。シュヴァルツェア・レーゲンのストックエネルギーも全く減っていない。

 だが変化は確実にある。

 ラウラの頭の中に膨大なイメージが注ぎ込まれていく。

 

 見知らぬ景色が広がった。

 試験管や培養槽が立ち並ぶ薄暗い部屋の中で白衣を着た老人が話しかけてくる。それが誰かはラウラにはわからないが不気味だったことだけは確かだ。その老人は半身が機械で出来ていた。

 ――人間は次の段階に進む。お前が私の代わりに次の世界を導くのだ。

 

 明らかにラウラの知らない場所と人物。これはラウラ以外の記憶としか考えられなかった。

 

「ブルーノ・バルツェル。あの作戦の指揮官が“織斑”から君を預かっていた。以後は娘としてではなく部下として育て、実力の高さからIS部隊の隊長とした。君はまやかしの居場所を与えられて自分が普通の人間だと勘違いしている」

 

 男の声でラウラの意識が帰ってくる。静かに語られた簡潔な内容は、まだヤイバにすら話していないラウラの過去も関わること。

 なぜ知っているのか今すぐに問いただしたい。だが声は出せなかった。

 

「残念ながら私にはハバヤのような説得の技能はない。もっと簡潔に解決することとしよう」

 

 簡潔な解決方法。それは男の所有する単一仕様能力を使うものであるとラウラは男の右手を通じて知っている。

 

 クロッシングアクセス系イレギュラーブート“絶対王権”。

 発動条件は対象ISの頭部かコアに右手が触れていること。対象と強制的にクロッシング・アクセス状態にし、自らの命令を相手に遵守させる能力。命令を下せるのは右手が該当部位に触れている間のみであり、その回数に制限はない。

 既にクラリッサに下されている命令は『ラウラが近づいたら捕縛しろ』と『それ以外は何もするな』の2つ。命令に従っている間、クラリッサは何もできない。

 

 男はラウラに命令を下す。

 

「これまでのことは忘れろ」

 

 命令の遵守に意識的に行えるかどうかは関係ない。忘れろという命令でさえも絶対王権は強制的に従わせる。

 ラウラが声なき悲鳴を上げる。しかしそれは目の前の男にしか届かず、その男は今の行為を悪行と認識していない。

 

 まず最初に、この場にいる理由がわからなくなった。誰かを守るはずだったことだけは辛うじて思い出せる。しかし、その顔も名前も出てこない。

 次に何と戦っているのかわからなくなった。目の前の男が敵なのか味方なのかも区別が付かない。誰かに得意げに『仲間になってやる』と言ったはずだがその顔は輪郭すらなくなった。

 自分を縛り上げている者が誰なのかわからなくなった。ワイヤーを使って自由を奪ってきているということは敵なのだろう。

 自分を友と呼ぶ誰かが居たような気がした。しかしやはり顔も名前も出てこない。気のせいに決まっている。

 

 最後に残された記憶はラウラと同じ顔をした遺伝子強化素体たちを虐殺していく人間たちの映像だけとなった。

 

 男の右手が離れると、虚ろな目をしたラウラが焦点の定まらないまま呟く。

 

「私は……誰?」

「君は我らの同志、ラウラ。ラウラ・イラストリアスだ。共に戦おう」

 

 男の差し伸べた手を躊躇いなく握る。記憶を消された少女が警戒することなく手を取ったのはひとえに金色の瞳に安心感を覚えたからだ。

 

「あなたは誰?」

「私はエアハルト・ヴェーグマン。同志は皆、私のことを“博士”と呼ぶ」

「博士は何と戦っているの?」

「今は人間と戦っている。我々が生きる世界を得るために」

「そう。だったら私も戦う」

 

 記憶の大半を失った少女に新しい記憶が刻まれ始める。

 彼女の過去を覆い隠していたこれまでの日常は消えた。

 奥底に眠っていた人間に対する恐怖が蘇り、それはそのまま少女が戦う理由となる。

 

 エアハルトが黒い霧で剣を形作るとクラリッサのワイヤーを斬り払う。自由となったラウラの前にはエアハルトの後ろに控えていた黒い甲冑が出てきていた。

 

「受け取ってくれ。君へのプレゼントだ」

 

 甲冑の名はイラストリアス。ブリュンヒルデの模倣を目指したVTシステム搭載Illである。

 ラウラはシュヴァルツェア・レーゲンを外すと同時にイラストリアスへと入り込んだ。遺伝子強化素体を認識したイラストリアスは彼女を主と認めて起動する。

 

「まずは調整のために戻る……と言いたいところだが先に補給としよう。これを喰らうといい」

 

 そういってエアハルトが親指で示したのは動けないクラリッサ。ラウラが部隊内で最も信頼する副隊長である。しかし今のラウラにはその記憶がなく、先ほどまで自分を縛り上げていた敵でしかなかった。

 指示されたとおりにラウラはクラリッサの前に赴く。右手の大剣を振り上げるのに一切の躊躇いはなく、振り下ろされるのもまた同様だった。

 

 だがラウラの剣は空を切った。

 

 外したのではなく外された。エアハルトとラウラの警戒している範囲の外からの狙撃がクラリッサを射抜き、自らの意思で動けないクラリッサはそのまま地面へと落ちていく。

 ラウラは落ちていくクラリッサを追撃しようと目を下に向けた。しかしエアハルトは巨大な手のユニットで掴み上げて制する。

 

「残念だがお預けだ。面倒な客人が来た」

 

 エアハルトの目に映ったのは高速で迫ってくる打鉄。その右手には刀が一振りあるのみで他に武器はない。

 IS“暮桜”。操縦者はブリュンヒルデ。

 未調整なラウラを抱えて相手をできるだなどとエアハルトは思い上がっていない。

 迷わず撤退を選択する。ラウラごと黒い霧で自身を覆い隠したエアハルトには狙撃の弾丸も届かない。

 

 目的通りにラウラを手に入れたエアハルトは悠々と去っていった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 仮想世界には現実に存在する生き物の多くが存在しない。それは人間とて例外ではなく、動く者があればそれはISVSプレイヤーであるといえる。

 もっとも、プレイヤーでない者も少数ではあるが存在する。人気のない藍越学園のコピーの上空を今も飛び回っている文月ナナもそんな者の1人だった。

 

「くそっ……くそっ! くそっ!」

 

 苛立ちを隠さず、誰もいない場所に雨月を放つ。ただ建物を倒壊させるだけの攻撃は八つ当たり以外の何でもない。それでも彼女の中では意味がある行為に変換されていた。まだヤイバを喰らった敵が潜んでいて、偶然に当たるかもしれないという有りもしない可能性を胸に抱いて……

 

「もうやめませんか。わたくしの星霜真理でもナノマシンによる探知でも敵の存在は感知できません」

「だがラピス。私のせいでヤイバが……」

 

 ナナの傍にはラピスが駆けつけてきていた。ハバヤはおろか、失意の御手洗数馬も現実に帰還した後というタイミングは手遅れにも程がある。

 

「ナナさんに責はありません。ダメだったのはわたくしなのです」

 

 八つ当たりをしていたナナですらラピスを叱責しないが、他ならぬラピス自身が自分を許せない。

 

「藍越学園が襲撃されたあの日、敵の狙いに気がついたわたくしには余裕が足りませんでした。現実に存在するIllというイレギュラーがあったことも言い訳にしかなりません。常に優雅であれというお母様の教えに背いた罰なのですわ」

 

 ラピスの口から語られるのは後悔。数馬の状況を正確に分析した上で、大きな判断ミスを犯していた。

 数馬に宣告した内容に誤りはない。問題はラピスが数馬を信用しなかったこと。その結果、一夏に信頼されなかったこと。合理的な措置をするあまり、当事者である一夏と数馬の立場に立つことを失念していた。

 

「バカを言うな。お前には落ち度などない。反面、私は目の前にいながらヤイバを守れなかった。ただ守られるだけの弱い女であるつもりなどなかったというのに!」

 

 ナナもひたすらに後悔の言葉を並べる。ヤイバが黒い蝶のIllに飲み込まれていく光景が目に焼き付いて離れない。過ぎ去った事実がナナの胸を締め付けていく。

 そんな2人の傍にはもう1人いる。ツインテールの少女は暗い顔をしている2人の顔を交互に覗き込んだ後でやれやれと肩をすくめた。見られていないことをいいことに、揃って項垂れている2人の脳天に拳骨を振り下ろす。

 

「イタッ!」「痛いですわ!」

「後悔するのはこれでお終い! アンタらは主力なんだからさっさと切り替えて次の行動を起こさないと出来ることも出来ないわよ!」

 

 リンが叱りつけた。ヤイバがIllに喰われたという最悪中の最悪の非常事態だというのに彼女の目に悲観の色は一切ない。ナナもラピスも不思議そうに彼女の顔を見上げている。

 

「もう1発殴らないとわからない? だったら何度でもぶってあげる。それで死んでも恨まないでよね」

「どうしてリンはそんなに平気そうなんだ?」

 

 思わず口をついたナナの疑問。リンは呆れて深い溜め息を吐く。

 

「平気なわけないでしょうが。でもやられたからって落ち込んでてもアイツは帰ってこない。あたしが望んでるのはアイツといる未来だから嘆くより先にすべきことがある。たったそれだけのことじゃない」

 

 単純明快な答えだとリンは主張する。ヤイバが苦悩の末に至った領域に既に足を踏み入れている彼女の凛々しい顔はナナにもラピスにも眩しく映った。

 

「リンさんはお強いですわね」

「アンタがヘタレなだけよ。って言いたいところだけど実は空元気のハッタリなの。一人で気を張るの大変だから手伝ってくれない?」

「任せておけ。途中で音を上げるなよ、リン」

「さっきまで取り乱してた奴が言う事じゃないわよ、全くもう。まあ、役立たずじゃないなら何でもいいわ」

 

 ボロボロに崩れかけていたナナとラピスをリンがいとも簡単に立ち直らせてみせた。敵に手玉に取られて一度は負けたとはいえ、ナナとラピスの2人が欠けていては勝てる勝負も勝てなくなる。ヤイバを取り戻すためには自分たちの持てる限りの戦力を結集するしか道はない。

 

「ナナはツムギに戻って体を休めなさい。アンタは大切な切り札なんだから、いざというときに全力が出せないのは困るわ」

「わかった。今度ばかりは出るなと言われても聞くつもりはないからな」

「当たり前よ。使えるものは何だって使わせてもらう。この仮想世界での死が現実の死であるアンタたちであっても、あたしは止めない」

「感謝する、リン」

「でもってラピスは――」

「わたくしはこのまま敵の位置を特定しますわ。蒼天騎士団も総動員させて網を張ります」

「わかってんじゃん。ってかまだ早朝って言うにも早い時間だけど酷使するのね」

 

 ナナもラピスも行動を開始する。

 いつもは中心にヤイバがいた。今度はその中心が抜けた状態で敵に戦いを挑むこととなる。

 だが戦力には困らないとリンは考えている。着々と仲間を作っていたヤイバの努力が実り、彼を助けようとする者の数は少なくない。

 

「あとは弾が上手くやってくれるといいけど」

 

 リンの中に残る懸念は1つ。

 しかし敢えて自分は口出ししない。

 男の問題は男に解決してもらうのが一番である。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 黒い霧を身に纏った灰色の“IS”が帰還する。その傍らには黒い甲冑に身を包んだラウラの姿もあった。2人は要塞型マザーアース“ヴィーグリーズ”の内部へと入っていく。

 

「首尾はどうでした?」

 

 入り口からすぐ右の壁にもたれかかっているサングラスの男が確認する。ハバヤだ。

 対するエアハルトの返事は一言。

 

「言うまでもないことだろう?」

「これは失敬。一目瞭然でした」

 

 黒い甲冑の中から睨みつける少女の顔を見てハバヤは満足げに頷く。機体だけ完成していたイラストリアスにようやく安定する操縦者を得ることが出来た。VTシステムの細かい調整はこれからであるが、エアハルトがクロッシング・アクセスで確認した時点で高い適性があることは確認できている。

 ラウラはブリュンヒルデに強い憧れを抱いていたのだから……

 

「貴様の方はどうだ?」

「ゼノヴィア・イロジックなら“ユグドラシル”へ連れて行きました。マドカ・イリタレートも同様です」

ヴィーグリーズ(ここ)でなくユグドラシル?」

「ええ。そろそろ目障りな者どもを一掃しようと思いましてね」

 

 サングラスの裏側の細目は愉悦に満ちている。一掃と口にしてから下卑た笑いを隠そうともしていない。

 

「イロジックを餌にする気か」

「あれはヴェーグマンの大事なゼノヴィアちゃんではありませんから問題ないでしょう?」

「……餌としての価値はあるのか?」

「我々と敵対する国の国家代表は釣れると思われます。しかしながら肝心のブリュンヒルデには別の餌が必要でした」

「でした? つまり、もう確保済みということか」

「先ほどマドカ・イリタレートにヤイバを喰わせたんですよ。ブリュンヒルデは間違いなくイリタレートを追ってきます。ヤイバを取り戻すために死に物狂いでね」

「何だと!?」

 

 ここでエアハルトが大きく目を見開く。人間離れした冷静さを備えていてまるでロボットのような男は“ヤイバ”という名前に過剰に反応した。

 普段は感情を見せない者が感情的になるとき、極端に非論理的な行動を取り得る。

 だからこそハバヤは機先を制して告げておく。

 

「あの“ヤイバ”というプレイヤーが絡むとあなたは理屈の通らない戦いを始めてしまう。そのため事前に排除しました。マドカ・イリタレートを手懐けるのにも利用できた上に、そのままマドカ・イリタレートを餌に出来る。私は何か間違ってますかねぇ?」

「いや、ヤイバはいずれ消すことになっていた。少しばかり早くなろうと関係ない。そして今が好機だということも納得した」

 

 ハバヤの思惑通りにエアハルトは気を落ち着かせる。本来の目的さえ自覚すればヤイバに執心することはない。遺伝子強化素体の指導者として生み出された遺伝子強化素体は持ち前の頭の回転の速さでハバヤの意図を察する。

 

「ウォーロックにミルメコレオを用意させる。イロジックとイリタレートはユグドラシルで待機させておけ。間違ってもイロジックを他勢力に渡すような失態は見せるな」

「了解してますって。何があろうとイロジックが奴らの手に渡ることはありません。他に注文はありますぅ?」

「ナナも向かってくるはずだ。彼女だけは殺してはならない。捕獲は私が行なう」

「復元した“ファルスメア・ドライブ”を完全なものにするために必要な情報源ですからね。委細承知しました」

 

 戦力建て直しの期間は終わり、次の戦いが決まる。

 最大の脅威であったヤイバはもういない。

 決戦の舞台が整うのも間もなくのこと。

 

「ツムギ。そして“織斑”。我らの長き因縁にこの戦いで終止符を打とう」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 夜が明ける。空一面が灰色の分厚い雲に覆われ、地上に数多の水滴が打ち付けられている。日の弱さによる薄暗さだけでなく密度の濃い雨で視界が悪い。

 朝を迎えた藍越学園には人気はない。まだ運動部員が朝練に来るような時間ではなく、冬の雨の中に好んで外に出ているような者など居ようはずもない。

 だがグラウンドの中央に立ち尽くしている生徒がいた。傘も差さずに空を見上げている御手洗数馬の眼鏡を大粒の雨が叩く。頬を伝っているのは雨水であろうか。彼の姿はまるで天に許しを乞うているようだった。

 

 もう1人、早朝の藍越学園に傘を差した生徒が訪れる。赤みがかった長髪に若干の寝癖が残っている弾は校門で見慣れぬ金髪の美女とすれ違っても振り向くことなく歩を進める。視線の先にグラウンドで1人、自らを痛めつけている友がいたからだ。

 柔らかくなった土へと足を踏み入れていく。弾の足跡はくっきりと残されており、後で宍戸の説教が待っているのは間違いなかった。

 雨に打たれている数馬の背中へと弾が話しかける。

 

「俺も共犯になっちまった。これ以上面倒なことになる前にさっさと戻ろうぜ」

 

 表向きはぬかるんだグラウンドへの配慮だが含みがある。

 数馬は背を向けたまま振り返らない。何も答えない。

 弾はまだ言い忘れていたことがあることに思い至った。

 

「おかえり、数馬」

 

 時間だけで言えば4日振りの再会ではある。だがとても長い間、離れていたような錯覚をしている。それは弾だけでなく数馬も同じ。

 

「……何でだよ」

 

 黙りを決め込んでいた数馬が重い口を開く。無気力になってしまっていた彼だったが、胸の内に灯った疑問が彼の動力となる。

 なぜ許せるのかと。

 

「俺には一夏を犠牲にしてまで守りたかったものがあった。でもそれは無駄なことでさ……俺なんかじゃ何1つ守れやしなかったんだ。何も出来やしない俺のせいで、一夏までやられちゃった。全部、俺のせいなんだよ……」

 

 ゼノヴィアを守りたかった思いに嘘はない。そのために一夏と敵対することも厭わなかった。だが今、数馬の傍からゼノヴィアがいなくなり、一夏もいなくなってしまっている。片方を選んだつもりが両方を失っていた。

 結果的に数馬本人にとっても価値のない、ひどい裏切りをしただけとなっている。そのことは弾も十分に承知しているはず。にもかかわらず弾は数馬を迎えると言っている。

 理解不能だった。

 

「懺悔合戦をする気なら俺も付き合うぜ」

 

 雨音の中でも数馬の耳には弾の言葉が十分に届いている。しかし弾が何を言っているのかわからない。

 数馬が戸惑う中、弾は自嘲気味に語り始める。自分が抱えていた後悔を。

 

「俺は最初、一夏を手伝う感覚で戦ってた。もうゲームなんかじゃないってわかってたつもりでも、どこかゲームの延長線上で考えてた」

 

 初めて弾が敵との戦いに身を投じたのはイルミナントとの決戦のとき。一夏が初めて無断欠席した日、鈴もいなかったことから何かトラブルがあったのだとは思っていた。弾にとって親友のトラブルを解決するのは当たり前のこと。それが世界規模の争いにまで発展しているとわかった後でも実感はなかった。

 この点は数馬も共感できることである。数馬にとっても一夏が困っているから助けるのは当然のことだった。一夏に助けたい人が居るのなら手伝うつもりだった。篠ノ之箒を救いたいわけでなく、一夏を助けたかった。

 

「それが変わったのは虚さんも巻き込まれたと知ってからだ。一夏に関係なく、俺には俺の戦う意味が出来ていた。虚さんの無事を確認しても妹さんを助けるために俺は戦う意志を持っていた」

 

 一夏の都合ではなく自分の都合。一夏のために言い続けていたことが事実となったのは虚が関わるようになったからだ。戦う理由は一夏の想い人でなく自分の想い人のために変わっていた。

 これも数馬は他人事ではない。ただ一夏に対する立ち位置が違っているだけで、本当に自分の都合で動いた。

 

「でもさ、やっぱり俺は甘く見てたんだ。ゲーム感覚ってわけじゃなかったが、俺はあのとき、やる気さえあればなんとでもできるって楽観的になってた。冷静に考えればあのときは行くべきじゃなかったのにな。こればっかりは数馬のせいなんかじゃない。俺のせいなんだ」

 

 思い出されるのは藍越学園を襲撃されたときのこと。一夏を救うためにと勇敢な自分たちに酔っていたのは否めない。ISVSでないことを考えれば、プロフェッショナルである朝岡だけに任せるべきであった。

 数馬も幸村も自分から行くと言っていた。だが後押しをしたのは弾であり、最後の引き金を引いたのも弾であった。

 

「なんでそうなるんだよ!」

 

 数馬が振り返って叫ぶ。弾の言い分に納得できるはずがない。仲間内のリーダー格ではあったが、弾は誰にも一度として強制していないのだ。数馬が危険に飛び込んだのは数馬自身の責任である。

 数馬のこの反応を弾は否定しない。うんうんと深く頷いてみせる。

 

「今、お前が思っていることはそのまんま俺の考えてることだ。なぜ一夏の件がお前のせいになる?」

 

 弾は既に一夏がIllに敗北したことを知っている。数馬が直接一夏を倒したことも知っている。それでも弾は数馬のせいではないと断言する。

 

「全然違う……失敗なんかじゃなくて、俺は俺のために一夏を蹴落とした。ゼノヴィアが生きれるなら仕方ないって思ったんだ」

「細かいことだ。数馬の意志に関係なく、一夏がやられたのは数馬以外にも原因がある。そういえば数馬は知らなかったかもな。こういう失敗をしたとき、俺も一夏もすべきことは決めてるんだ」

「すべきこと……?」

 

 オウム返しで疑問符を浮かべる数馬に、弾は得意げに言ってやる。

 

「諦めることだけは絶対にしねえ。一夏がやられたのなら一夏を取り返せばいい。まだ取り返しはつくんだ」

「…………」

 

 諦めた自覚のある数馬は何も言えなくなる。少なくとも今の数馬は一夏を犠牲にした上にゼノヴィアが去ったことで無気力になっていた。

 

「数馬の糾弾なんかしたって意味はねえ。俺たちには一夏のために出来ることがある。この現実では数馬以外は無力かもしれねえけどISVSでなら戦える。Illを倒せば一夏は帰ってくる。今こそ藍越エンジョイ勢の底力を見せてやるときだ」

 

 弾が熱く語る。親友が目を覚まさない危機的状況でも彼の目は死んでいない。

 数馬はそんな弾の目にかつての一夏を見た。

 

「俺……まだ弾たちと一緒にいていいのかな……」

「バカ野郎。そんなこと、わざわざ確認するまでもねえ」

「でも俺……まだゼノヴィアを信じていたい」

「数馬はそのままでいい。もしお前が間違ってるなら俺が殴ってでも止めてやる。だから思うままやってみろ」

 

 何も言わずに去ったゼノヴィアに思うところはあった。だが数馬は何かしらの事情があったと考えている。自分を殺せとまで言っていた彼女が偽りであったとはとても思えなかった。

 未だ曖昧な数馬を弾は受け入れる。Illを守っている敵ではなく、共通の目的を持った仲間と考える。

 まずは一夏の救出が先決。ゼノヴィアのことは後からでいい。

 弾は左手に持っていた閉じた傘を差し出す。

 

「いい加減、シリアスごっこは飽き飽きだ。さっさと一夏を取り返して、皆で殺伐としながらも仲良く遊ぼうぜ? それが俺たちのあるべき姿だからよ」

 

 ゼノヴィアの問題が残っているが今は無視する。弾はいずれ取り返すべき日常を語る。

 数馬もそこに行きたいと願っている。戻りたいのではなく行きたい。過去と同じでなく、出来ることならゼノヴィアもいる未来を夢想する。しかし――

 

「ありがとう、弾。また遊べるといいな」

 

 傘を受け取らずに数馬は弾の横を通り過ぎる。

 

「でもやっぱり俺……まだそっちに戻れない」

 

 すれ違い様に呟いた言葉は拒絶。弾が許しても自分でまだ納得できないところがある。敵対する可能性がある以上、共に行くことはできない。

 

「待っててやるから心配するな。お前はいつまでも藍越エンジョイ勢の一員だ」

「ああ。次に遊ぶときは俺の腕前を披露するよ」

 

 全身ずぶ濡れの体は冷え切っている。

 だが握り拳は力強く、熱を帯びている。

 一度は諦観に染まった少年の瞳には、雨でも消えない炎が宿っていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。