Illusional Space   作:ジベた

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34 破られた誓い

 藍越学園がオータムに襲撃された事件から3日が経過した。セシリアや政府によって世間には変質者の集団が高校に乗り込む珍事として片づけられている。表向きにはISの関与も伏せられ、報道があったのも1日のみ。以後は藍越学園に元の日常が帰ってきていた。

 だが一夏たちにとっての日常とは程遠い。クラスの唯一の空席はこの3日間、常に埋まっていない。この席の主である御手洗数馬は事件の直後から失踪し、未だに仲間の誰とも連絡を取らずにいる。当然、一夏も弾も捜していたが、今までに見つかったのは数馬の携帯だけであった。

 

 木曜日の授業が終わる。放課後になってもクラスの中には重い空気が漂っている。それもそのはず。クラスの中心人物である弾や鈴が沈んでいては誰も明るい顔をできない。

 授業が終わると同時に教室を飛び出していく一夏を弾は何も言わずに見送った。今日も数馬を探しに行くのだろう。しかし千冬が捜索している今、一夏個人の力は微々たるもの。初めこそ一緒に捜し回っていた弾だったがもう諦めていた。

 

 平日に時間があればまずゲーセンに向かっていた弾だが数馬が失踪してからは一度も顔を出していない。弾にとってのISVSは友達と遊ぶ場である。友達の1人が欠けているのに遊ぶなどと考えられるはずもない。

 学校を出て向かう先は家。数馬を捜さず、ISVSもしない弾は何もする気力が起きていない。帰ってからも何も考えずに過ごすことになるだろうと漠然と思っていた。

 たった1人の帰り道。下を向いて歩く弾の足取りは重い。彼らしくない陰鬱な空気は知人が見れば目を疑うことだろう。容易に話しかけることなどとてもできそうにない。

 

「大丈夫ですか、弾さん?」

 

 しかしそんな弾に声をかける女子がいた。藍越学園とは違う制服は近くの女子校のもの。自分の名前に反応した弾が顔を上げると、歩道の真ん中に立つ“彼女”がいた。

 

「虚さん……?」

 

 彼女の頼みもあって土曜日以外は会わないようにしている恋人と呼ぶには微妙な間柄の2人。互いに想いも伝え合っているがまだ踏み込んだ関係にはなりきれていない。それもそのはずで布仏虚は一般人である弾とは違う。“更識の忍び”として暗躍する諜報員なのである。

 だからこそ弾は疑問を禁じ得ない。藍越学園が襲撃されてから千冬たちだけでなく、楯無たちも数馬を追っている。ただでさえ平日は仕事優先であった虚だというのに弾の前に現れる暇があるはずなどない。

 ではなぜここにいるのか。弾に答えを出せるはずもなかった。

 

「やはり疲れているようですね」

 

 いつの間にか虚が密着できる距離にまで歩み寄っていた。下から覗き込む彼女は上目遣い。眼鏡の奥にある瞳が映す感情を察することは困難を極める。

 

「疲れてない! 俺は何も……」

 

 反射的に虚の体を引き離す。彼女の指摘を否定する言葉は最後まで続かなかった。

 何も出来なかった。それは数馬を捜している今のことではなく事件のときの後悔……

 自責の念に駆られる弾の手を振り払い、虚はまた弾の懐に踏み込んでいく。

 

「全て否定します。弾さんは疲れていますし、何も出来てないなどあり得ません」

 

 頬を撫でてくる彼女の言葉は優しすぎた。思わず身を預けそうになるのを堪えた弾は虚の右手をとって独白する。

 

「俺が間違えたんだ。あのとき、ジョーメイ1人に任せていれば数馬を危険な目に遭わせずにすんだ。止めることが出来たはずなのに背中を押した。数馬がISを使うことになったのも俺が無駄にピンチを招いたからなんだ……」

 

 ゼノヴィアという遺伝子強化素体の存在は弾には関係のないこと。あの場で一夏たちを助けに行くと最終的な決断を下したのは弾であった。やろうと思えばできるという過信があったのは否めない。もし数馬にISが与えられなければ、代わりに数馬は死んでいたかもしれない。どちらに転んでも事態は重く、原因を辿ると自分にしかない。持ち前の責任感が弾自身を追いつめていた。

 虚の手が弾の背中に伸びる。後悔で胸が詰まる彼をまるで子供をあやすように撫でる。

 

「弾さんは失敗したかもしれません。でも、罪じゃありません。本当に罪があるとしたら笑えなくなること。今の弾さんに出来ることがなかったとしても、御手洗さんが戻ってきたときにいつもの弾さんで居ることが大切だと私は思います」

「何食わぬ顔で数馬と会えって言うんですか……?」

「少なくとも、自分勝手に落ち込んでいる友達を見て喜ぶ人は世界のどこにもいないですよ。弾さんと出会う前の私が本音と再会していたら、きっとあの子を悲しませたことでしょう」

「自分勝手……か」

 

 復唱した言葉が胸に刺さった。数馬の都合を考えず、自分が受けたショックに酔っているだけ。そう自分を見つめ直したら無性に恥ずかしくなっていた。

 

「俺に出来ることってまだあるんですね」

「はい。戻るべき場所で待っている人がいる。その代わりなんてどこにもいません」

 

 日常で待っているのも大切な役割であると虚は言う。弾は否定する言葉を持ち合わせていなかった。

 

「……ですね。よし! 俺、これからゲーセンに行きます!」

 

 このままでは陰鬱だったときの一夏と同じである。気づけば弾の決断は早い。携帯でメンバーを召集してゲーセンに向かうことにする。敵と戦う目的もない、遊びでしかない集合。だがそれでいい。

 空元気でも明るい顔を取り戻した弾の足取りは軽い。そんな彼の3歩後ろを虚がついてきていた。

 

「そういえば虚さん。平日にこんなところで会うなんて珍しいっすね。まさか俺に会いにきてくれたんですか?」

「……暇でしたので」

 

 からかい半分で弾が尋ねると虚は目を逸らす。弾に会いに来たことを否定はしていないがどうも様子がおかしい。そもそも楯無が数馬を追っているのに虚が暇なわけなかったのだが嘘を言っているようにも見えない。

 

「何かあったんすか?」

「……お嬢様に戦力外と通告されました。理由は察してください」

 

 返事はあったが弾は首を傾げるだけ。結局、その理由を察することは出来なかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 学校が終わってから街の中を走り回ったけど数馬の姿はどこにもなかった。

 わかっていたことだ。今もなお千冬姉や楯無さんたちが捜索しているのに見つかってない。ISを使っての移動もしていた数馬が俺の手の届く範囲にいるとは思えない。それでも俺はじっとなんてしてられなかったんだ。

 日が沈み、街灯だけが照らす帰り道を力なく歩いて帰った。体力がほぼ底をついての帰宅。玄関を開けるとそこにはモッピーの姿がある。

 

「やっと帰ってきたか。気持ちはわかるが自分の体も大事にしろ」

「セシリアは?」

 

 ナナの小言を無視してセシリアの居場所を尋ねる。俺が自分の足で捜し回っている間も効率よく情報を集めてくれているだろう彼女から何でもいいから手がかりを聞きたかった。

 モッピーに案内されたのはセシリアの自室。彼女が俺の家にやってきてからというもの、ただの一度として入れてもらったことのない部屋に足を踏み入れる。

 自分の家なのに別世界が広がっていた。どこぞの王族が使っていると言われた方が納得できそうなレースのカーテン付きの豪華なベッドがあるかと思えば、パソコンが複数台同時に稼働していて、まだ一般には普及していない複数の空間表示ディスプレイが壁と天井を埋めている。

 

「おかえりなさいませ、一夏さん」

 

 部屋の主は全てのディスプレイの中心で俺を待ち受けていた。そんなセシリアに聞きたいことは1つ。

 

「数馬は見つかったか?」

「いいえ。表立って指名手配するわけでもありませんから千冬さんも苦戦しているようです。楯無さんも追ってくれているようですが、割ける人手が限られているようで成果は芳しくありませんわ」

「そっか……そうだよな」

 

 床に膝を突く。何を期待していたんだか。もし数馬が見つかってたらセシリアが連絡してこないはずがないのに。帰ってくるまで報せが何もない時点で見つかってないのは間違いなかったんだ。

 

「数馬の奴……親まで放っておいてどこに行ったんだよ……」

 

 数馬が失踪した日、数馬の家で昏睡状態の人間が4人発見された。数馬の両親とセシリアの部下2人である。4人は病院に搬送され、未だに意識が回復していない。この症状は箒たちIllの被害者と全く同じだった。

 数馬の家にIllが居た。現実にIllが居たところで驚くはずもない。今更の話だ。むしろやっと見つけたと言いたかった。箒と静寐さんを襲った黒い霧のIllはISVSでなく現実にいるはずなのだから。

 問題は数馬の現状だ。数馬の失踪と両親が襲われたのは同じタイミング。親父さんと交わした約束を頑なに守っていた数馬が、親を襲ったIllを許すはずがない。ISを使って戦いを挑んだはずなんだ。でも御手洗家で昏睡状態の数馬は見つかっていない。Illが数馬を連れ回す理由が見えないことから、数馬は自分の意思で俺たちの前から姿を消したことになる。

 数馬が何を考えているのかわからない。現実に潜むIllの目的もだ。

 エアハルトの狙いは一体何なんだ? それとも奴は関与してないのか?

 

「一夏さんには別件でお知らせしておくことがあります」

「別件? エアハルトが攻めてきたとか?」

 

 これだけ現実がこんがらがってる状況でツムギに攻めて来られたらマズい。倉持技研が守ってくれているとはいえ、俺たちが戦える状態にないから同じだけの戦力を整えることは不可能だ。

 幸いにもセシリアは首を横に振る。

 

「本日、アメリカ政府から正式に日本政府に抗議がされました。内容は篠ノ之論文の独占に対するもので、倉持技研の保有する全ての情報の開示を求めています」

 

 だけど吉報でもなかった。

 

「はあ? それだともう抗議ってレベルじゃ――」

「ええ。おそらくは焦っています。先日の襲撃で468個目のISコアと男性操縦者の存在が世界中に知らされてしまいました。一般の方々には眉唾物として情報操作できましたがIS関係者の目までは誤魔化せません。日本の倉持技研にコアの生産と操縦者制限解除の両方の技術があると錯覚してもおかしくありませんわ」

 

 それが敵の狙いだったのか。ミューレイは徐々に孤立していく状況を打開するために、味方を増やすのではなく敵の敵を創り出すことにしたんだ。有りもしない篠ノ之論文を餌にしてアメリカを日本に敵対させることで三つ巴の状況に持ち込めることになる。

 見つかっていない篠ノ之論文があると思わせるために選ばれたのは俺だ。藍越学園の体育館で襲ってきた奴は明らかに俺を意識していた。俺の前に打鉄もどきのリミテッドを配置したのも、俺がISを使えているとアメリカに思わせるため。結果的に俺でなく数馬が本物のISを動かしたけど、俺が罠にかかっていてもアメリカの立ち位置はそれほど変わらないだろう。

 数日前にナタルさんと話していたときのことを思い出す。

 

「セシリアはわかってたんだな。こんな簡単にアメリカが敵に回るって」

「一夏さんは甘いですわ。下手をすればわたくしにも本国から御手洗さん捕獲の命令が下されていたかもしれませんのに」

「もしそんな命令があってもセシリアならなんとかしてくれてる」

「ではその信頼に応えましょうか」

 

 空間ディスプレイに指を這わせて操作するセシリア。メールでも打っているようだけど俺が見ててもさっぱりわからない。進展があるまで待っていることしかできない俺は退散するとしよう。

 

「アメリカが動き始めた。千冬さんたちのような身近な人が先に見つけないと御手洗が危険だ」

 

 廊下に出たところでモッピーの中からナナが声をかけてくる。言われずとも数馬が危険だってのは承知している。でも、彼女が危惧しているのはもっと踏み込んだことだった。

 

「倉持技研に隠された篠ノ之論文が存在しないことを証明する手段はない。男性操縦者の存在は事実であるから、日本側は御手洗数馬が特異点であると主張せざるを得なくなる。アメリカと事を構えたくない政府は下手をすれば御手洗を引き渡すことも検討するかもしれん」

「それって数馬をモルモットにするってことか? 無駄なのに」

「あちらさんが無駄と思ってくれる保証はない。今までは誰かが御手洗を見つければ良かったが、こうなってしまうと千冬さんのような我々に身近な人間が保護せねばならない」

 

 きっとこの辺りの話はセシリアが俺に言えなかったことなんだと思う。ナナは束さんの妹だけあって昔から頭が切れるから、セシリアの言葉の裏まで読めたんだろう。

 

「要するに、俺たちも数馬を捜すべきだってことが言いたいのか?」

「厳密には違う。シャルロットはどうしている?」

 

 シャルロット。つまり、デュノア社の協力を仰げってことか。

 でもそんなことはとっくに頼んでる。ラウラも3日前から一度も帰ってきてないし、数馬を捜すのに全力を傾けてくれていることだろう。

 

「シャルもラウラも独自に動いてくれてるよ。何かあれば連絡をしてくれるんじゃないか?」

「そうか。ならいいのだが……」

 

 最後に含みを持たせたナナだがこれ以上何も言わなかった。

 結局、次の活動は翌日に回すこととなる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 コンビニで適当に買ったサンドウィッチを頬張るゼノヴィアを数馬はじっくりと眺めていた。そんな数馬の視線に気づいたゼノヴィアはムッと顔をしかめて数馬にデコピンを加える。

 

『恥ずかしい』

「あ、ごめん」

 

 ヒリヒリする額を押さえる数馬の方が謝る。そんな彼らが座り込んでいるのは昼間でも薄暗いビルの隙間である狭い路地。人目を避けて徒歩での移動中である。

 失踪した日、数馬はISを使って目立ちながら遠方へと逃れた。ISを解除した地点は既にセシリアに割れている。数馬はそれを踏まえた上で行動していた。

 徒歩で移動する明確な目的地はまだ存在しない。だが向かう方面は決まっている。数馬は藍越の地へと戻ろうとしていた。

 

「食べ終わったらまた歩くことになるけど大丈夫?」

『問題ない』

 

 最後の一口を飲み込んだゼノヴィアはぶかぶかのコートに付いているフードを深く被った。長い銀髪を隠すには多少怪しくても服で誤魔化せばいい。12月という季節は数馬たちにとっては追い風といえる。

 手をつないで歩き出した2人には悲壮感がない。数馬もゼノヴィアも逃走中とは思えない明るい笑みをこぼす。ゼノヴィアには数馬への信頼。そして数馬には自らの信念に殉じる使命感がある。気の持ちようだけで前へ進んでいた。

 

「次に通るルートが送られてきた。川沿いを歩く道かー」

 

 歩きながら()()を確認する数馬。画面にはメールに添付されてきた地図が映っている。

 

「寒いかもしれないけど大丈夫?」

『うん』

 

 こくんと頷くゼノヴィアだが数馬がメールを見始めてから険しい顔を隠さない。その原因には心当たりがある。

 

「本当に平石さんが苦手なんだね」

 

 数馬の持っている携帯は自分の所有物ではない。電源を入れていれば居場所を察知されると警戒して捨てていた。今、持っている携帯は“協力者”から貰い受けたもの。

 

『だって……私に味方するのは変』

「その理屈だと俺も変人じゃん」

『数馬は変な人。あいつは変質者』

「変にも種類があるんだね……」

 

 相変わらず平石を毛嫌いしているゼノヴィアだが理由を尋ねると『なんとなく』としか返ってこなかった。好き嫌いなどそんなものかと数馬は納得している。さらに言ってしまえば平石を利用しているだけである数馬としては、平石の好感度などどうでもよかった。

 数馬は藍越に戻るという提案を平石に受け入れさせた。通り魔の犠牲者を出さないためという名目で人気の少ない道までナビゲートさせている。時間的に翌日である金曜日に藍越に戻る予定だった。平石も準備万端で“通り魔”を待ち受けていることだろう。

 

「“お腹”は空いてない?」

『まだ大丈夫。“イロジック”が休んでるときは省エネなの』

 

 食事を終えたばかりのゼノヴィアにする質問ではないが、数馬はふざけているわけではない。ゼノヴィアが抱えている時間制限を気にしてのことだ。そこに平石との協力関係も絡んでくる。

 平石が通り魔の危険度をどの程度で考えているのかは未知数。だが普通でないことだけは数馬の口から伝えてあった。通り魔を捕まえるために多くの人員を投入してくると考えられる。

 数馬はそれを利用する。

 たとえゼノヴィアの忌み嫌う行為であっても他の手立てを用意する時間がない。今回だけだと自分に言い聞かせた期間はもう終わっており、数馬にはもう迷いがない。

 

 川沿いを歩く。寒さのためか人通りが少なく、誰とも会わないまま川下へと進む。平石の設定したルートは正確に追っ手の目を掻い潜るものとなっていた。

 ところが3日目にして初めて数馬は見覚えのある顔と遭遇することとなった。知らないフリをしてすれ違うことは難しい。2人の前に立ちはだかった少女は黒い眼帯で覆っていない右目で数馬の顔を見据えている。

 

「ようやく見つけたぞ、愚か者」

「ラウラ……ボーデヴィッヒ……」

 

 ゼノヴィアを背中に隠した数馬はラウラを睨みつける。一夏とともにISVSを戦ってきた猛者である彼女が数馬たちの前に現れた理由など1つしか考えられない。

 できればISを展開したくなかった。だが見つかってしまった今ではそうも言っていられない。数馬は左手を前に突き出していつでもISを呼び出せるよう構えておく。

 

「まあ、待て。私はお前を捕まえに来たわけでも、ゼノヴィアを排除しに来たわけでもない」

 

 敵意剥き出しの数馬に対してラウラは両手を上に挙げて戦闘意志がないことを示す。だからといって数馬が警戒を緩める理由とはならない。

 

「だったら何をしに来た!」

「わかりやすく言うのならば守りに来たのだ。お前たちを、他の者全てからな」

 

 平然と一夏たちと敵対することも厭わないと口にするラウラ。当然、数馬は疑いの目を向ける。

 

「信用できるわけないだろ!」

「信じるのが無理な話なのは承知の上だ。それでも私はお前たちに手を差し伸べよう。このままだとお前たちは時を置かずして討たれることになる」

 

 説得とも言い難い強行的な歩み寄りは数馬にとって想定外のこと。ラウラのことを奸計の苦手な純粋な武人だと分析しているからだ。騙し討ちができる性分でないのはこれまでの付き合いから十分に察せられる。

 また、騙し討ちをする必要性もなかった。いくら数馬がISを持っていたところでラウラはドイツの代表候補生として現実でも専用機を所持している。自分から仕掛けることは不可能であるが、数馬が先に使用すれば緊急事態として展開が許される。ISVSの経験からも数馬が勝てる相手ではない。かといって数馬がISを使わずにラウラに勝てるかと言えば、純粋な体術でも彼女の方が圧倒的に上なのは明白だった。

 

「本気……なのか?」

「冗談でこのような真似をするはずがないだろう。私がお前たちを守る。ついてこい」

「ダメだ。お前はドイツの軍人なんだろ? 一夏たちのところじゃなくても、本国に連れて行く気に決まってる」

「……この件は私の独断で動いている。定時連絡にも嘘の情報を流している。それがどういう意味かわかるか?」

 

 一夏だけでなく自らの所属する組織をも裏切って数馬とゼノヴィアを守る。そう言っているとしか受け取れない。だからこそわからない。

 

「何でそんな平然とバカなことを言えるんだ? 逆に信用できないっての……」

「ダメか。ならば距離を取ってお前たちを見守るしかないな」

 

 ラウラが道を譲る。先に行くのならば邪魔をしない。だがその後はつけさせてもらうと片目で訴えてくる。

 

「もう勝手にしてくれ……」

 

 戦闘する意志がないのは間違いなかった。今の数馬にはラウラを追い払う術がないだけでなく、無理にISを展開しなければならない理由すら存在しない。だから放置するのが最善だ。

 こうしてゼノヴィアの手を引いて進む数馬の後方50mにピッタリとラウラが張り付くこととなった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 見上げれば暗闇、眼下が目映い摩天楼。

 メールを送り終えた携帯を手にほくそ笑むハバヤは自らを偽るための黒縁眼鏡もサングラスもかけていない。この屋上に騙すべき相手が存在しないからである。

 

「いよいよ秒読みですねぇ。流石の数馬くんでも私が藍越の地で罠を張っているとは予想していることでしょう。もっとも、その種類までは想定できていないでしょうが」

 

 独り言を漏らす。まるで誰かに説明しているようにハッキリと言葉にしている。

 準備が整うまで3日の時を要した。その時間を稼ぐために安全なルートを提示するという形で数馬の行動を誘導。捜索側である警察などには偽の情報を流して攪乱。そうして時間を稼ぐことができたのも通り魔を確実に捕まえるためだなどという稚拙な言い訳に数馬が乗ってきたからだった。

 

「人を騙すという行為において最も信頼していけないのは、騙す相手でなく騙している自分自身です。嘘をつくという自覚は信頼を賭けたギャンブルに等しい。自分が相手を騙せているという期待が目を眩まし、最後には搾取される側となる未来もあり得ます」

 

 ハバヤの指摘通り、数馬はラウラを疑いはしてもハバヤを軽視している。相手に自分の嘘を信じさせているという心理的優位が警戒を緩くさせている。その嘘の発端がハバヤから提示されたものであると気づかぬまま……

 

「もちろん、嘘に限らず隠し事も同じ。隠れているという過信は逆に相手に隙を晒すことにつながりますよ」

 

 独り言は話しかけるものへと変わる。その対象の名前をハバヤは呼ぶ。

 

「出てきたらどうですか? 刀奈お嬢ちゃん」

「……やっぱバレてた」

 

 素直に出てきたのは制服姿の女子高生、更識楯無。それを合図にして階下からぞろぞろと黒ずくめの集団が押し入ってきた。あまりの人数にハバヤは目を丸くする。

 

「わーお。これは中々な人数を揃えてきましたね。更識翁の説得にでも成功しましたか?」

「どちらかと言えばあなたが敵と認定されただけよ。進言したのは私だけど」

「簪嬢の件ですか。私も焼きが回ったものです。最強という言葉を過信した己の失態は認めましょう」

 

 ギドの件である。そもそもギドの敗北がなければハバヤは更識の実権を高確率で掌握していた。そうなれば数馬への対応も変わっていたはずであるし、立場も大きく違っているはずだった。

 今日このときを以て、平石羽々矢は所属していた組織と完全に縁を切ることとなる。家名を自らの代で終わらせることとなったというのにハバヤの細目は笑みを形作ったまま。

 元より、ギドの敗北からこの未来は見えていた。想定通りに事が運んでいて悔しがる者などそうはいない。

 

「ずっと気に入らなかったのよ、あなたの顔」

「では寒気を走らせてあげましょう。私は刀奈ちゃんが大好きですよ。その顔も、その体も」

 

 ハバヤの宣言通り、楯無は自分の体を抱きながら1歩退いた。本能で反射的に動いており、その顔は青い。彼女の反応すらハバヤは楽しげに眺める。

 

「叶うことなら今すぐにでも私の手で壊してしまいたい。誰だかわからなくなるまで顔を切り刻みたい。動けなくなるまで殴りつけたい。この愛を是非とも刀奈ちゃんに届けたいものです」

「……今ならハッキリと断言できる。10年前の私は間違ってなかった」

「10年前。白騎士事件の起きた年。私が生まれ変わった年とも言えますが、楯無の名を継いだ刀奈ちゃんにはわからないことでしょう」

「いちいちその名前で呼ばないでくれる?」

「これは失礼しました。お詫びに1つ、私の方から情報提供をさせていただきます」

 

 煽るだけ煽っておいて敵である楯無に情報を渡すというハバヤ。当然、その狙いは命乞いなどではなく自らの利益となるため。楯無が部下に命令を下すよりもハバヤが話す方が早かった。

 

「現在、日本に名も無き兵たち(アンネイムド)が入り込んでいます。彼らのターゲットは……言わなくてもわかりますよね?」

 

 衝撃が走る。ハバヤの発した情報は更識でも想定していることだったが既に入り込んでいるとまでは考えていない。更識は既に表向きには存在しないことになっているアメリカの特殊部隊に対して警戒を強めていた。しかし連中が網を(くぐ)ってしまっているとハバヤは言っている。

 嘘にしてはハバヤにメリットがない。さらにアンネイムドが侵入できた唯一の可能性が楯無の目の前で笑っている。この男ならば、更識の警戒網の穴をアンネイムドに横流ししていてもおかしくはない。

 ただハバヤが悦にいるだけの情報である。逆に信憑性が高い。

 

「何が狙いなの? あなたの背後にいるのはアントラス?」

「楯無を名乗る者が質問ばかりではいけません。少しはご自分でお考えください。まあ、特別サービスで答えてやるけどさ」

 

 ハバヤは歯を剥き出しにして笑う。

 

「壊したいんですよ。色々とね」

 

 狂っている。その判断を引き金にして楯無が動いた。手にしている扇子を突きつけて宣告する。

 

「平石羽々矢! お前を拘束する!」

「では私からも命令を。更識楯無を殺せ!」

 

 楯無からの捕縛命令に重ねるようにしてハバヤが楯無の殺害を命じた。この場には更識に従う者しかいないはずである。ハバヤの発言は世迷い言でしかない。

 だが、男たちは皆、楯無を守ろうと周囲を警戒した。誰かが裏切り者かもしれない、と。楯無すらもハバヤから意識を逸らして周りを確認してしまった。

 

「疑心は人の動きを止める。それでは失礼」

 

 誰も楯無を殺そうとなどしていない。だが誰もハバヤの捕縛に動けていなかった。ハバヤは唯一の逃げ道である屋上から身を投げる。直下へ落下はしない。隣のビルに結んであったワイヤーを使って振り子のように隣のビルへと向かう。長さも計算してあるようで、事前に開いてあった窓から屋内へと消えていった。

 

「すぐに追って!」

「はっ!」

 

 追いかけるように指示を出すが手遅れ。潜伏先を突き止めて完全に包囲したと油断していた。最後のやりとりで更識内部の裏切り者が炙り出せるかもしれないという淡い期待すら利用されていた。

 だがハバヤにばかり気を取られているわけにもいかない。楯無は即座に当主代行に連絡をとる。

 もし本当にアンネイムドが来ているのならば、一刻も早く居場所を突き止めなければならない。更識の名に懸けて。何よりも友人のために。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 昼の明るいうちに体を休めていた数馬とゼノヴィアは真夜中であっても歩く速度に支障はない。どちらも明らかに未成年であるから警官に見つかれば即補導されるところだが、平石のナビに従っているだけで警官どころか人にも遭遇しない。上手いこと人払いをしてくれているのだと納得して先へと歩く。

 

『ねえ、数馬。何か、ついてきてるよ?』

 

 頭の中で響くような声はゼノヴィアのもの。数馬がISを手にしてからずっと彼女は口から声を出していない。

 時折、ゼノヴィアは後ろを振り返る。その視線の先にはゼノヴィアにそっくりな眼帯の少女がついてきている。バレているのだからと割り切っているため、堂々とした尾行だった。

 暗いからといって身体能力がゼノヴィアよりも上であるラウラが相手では走って振り切れる保証はない。さらに言えば、平石から走ってしまうと目立つため見つからない保証がないと忠告を受けていた。

 

「我慢するしかないよ。今はこのまま連れて行って、平石さんたちと潰し合ってもらうから」

『え、でも……』

「大丈夫。俺がなんとかするから」

 

 わしゃわしゃと少し乱暴にゼノヴィアの頭を撫でる。彼女は数馬の手を受け入れているものの不安げな顔を崩さない。

 

『そこまで待ってくれないと思う』

「どういうこと? ラウラが何か仕掛けて――」

『ラウラじゃない! 変なのがいるの!』

 

 頭の中でゼノヴィアの叫びが反響する。認識のすれ違いに気づいた数馬は足を止めて振り返った。後方のラウラも同じように立ち止まる。数馬が見る限りではラウラ1人しかいない。暗がりに隠れているのだろうか。

 

「何も見えないけど……」

『こっちに近づいてきてる!』

 

 周囲に人影はないはずである。数馬から見てもラウラから見ても同じ。にもかかわらずゼノヴィアは自分たち以外の何者かの存在を指摘する。

 期せずして3人とも足を止めた。つまり、この場で聞こえるべき音は数馬の話し声が主であり、あとは風くらいのもの。

 しかしその中に異音が混ざる。かすかに地面に擦れる音は砂利の音。常人では判別もしづらい小さな音で数馬が気づくはずもないが、この場には例外がいる。

 

「そこだっ!」

 

 静から動へ。棒立ちの姿勢からほぼ予備動作なしで横に飛んだラウラは何もない場所へ回し蹴りを放つ。すると何もないところから枯れ葉を全身に付けたような格好の男が出現した。

 

「逃げろ、数馬!」

 

 存在さえ認識すればラウラには見えていた。後方から迫ってきていた見えない集団を相手に素手で殴りかかっていく。

 ついに追っ手に見つかった。こうなっては平石の忠告など意味をなさない。数馬が取るべき行動はラウラの指示と合致する。

 

「行こう。前にはいないよね?」

『うん。ラウラが止めてくれてる6人だけだよ』

 

 走ることには慣れている。数馬とゼノヴィアは逃走を開始する。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 最新式の光学迷彩を使用していた6人の兵にラウラはたった1人で立ち向かっていた。この時点で相手の正体をある程度は絞り込めている。

 まず第一に一定の水準以上の資金と技術のある軍、あるいはその代替組織でなければ用意できる装備ではない。

 一番の敵である亡国機業を始めとするアントラスならば容赦なくラウラに攻撃を仕掛けていたことだろう。専用機持ちを潰すのではなく避けるという思考は連中にはない。専用機持ちとの戦闘を避けようとするのにはISを使いたくない理由、あるいは使えない事情があると考えられる。

 残っている勢力は倉持技研の千冬派、倉持技研の政府派、アメリカの3つが主。倉持技研ならばどちらの勢力でも国内でこそこそと動く理由もない。

 

「米兵か。表向きには外交で圧力をかけておいて、裏では既に行動を起こしていたというわけだ」

「ドイツの黒ウサギか。生憎だがここは通してもらう」

 

 6人の内、唯一の女性が光学迷彩のスーツを脱ぎ去ってISを展開する。

 フレームはネイビーブルーカラーのボーンイーター。両手には単分子ナックル。小手には大型の杭が覗いており、背中には増設されているイグニッションブースター。色が違うだけで全く同じ構成のISをラウラは知っていた。

 

「ファング・クエイク。虎柄じゃないところを見るに、アメリカ代表のファンといったところか」

「実働部隊を舐めると痛い目を見るぞ、小娘」

 

 口数が多い。それはラウラを倒す意味がないからである。既に他の5人は光学迷彩を使って姿を消し、逃げていった数馬たちの追撃を始めていた。ラウラはそれらを見逃さざるを得なかった。

 

「男性操縦者対策は貴様だけなのだろう? ならば私は貴様だけを抑えていればいいわけだ」

 

 これはただの強がり。ISを相手にして一般兵も同時に抑えることは困難を極める。何より、正体不明の相手という建前とは言えラウラからISで先制攻撃をするわけにはいかない。

 

「我々には黒ウサギと敵対する意志はない。そこを通してもらう」

 

 ISを展開はしていても敵にはラウラを攻撃する意志がなかった。よってラウラが正当防衛のために専用機を展開することができない。相手がISを使っていても自分に直接危害を加えるものではないからだ。

 ラウラはおもむろに取り出した通信端末を耳に当てると、すぐに相手の声が聞こえてくる。

 

『私だ。ボーデヴィッヒ少佐、何かトラブルでもあったのか?』

「准将。所属不明のISと遭遇しました。ISの使用許可を求めます」

 

 通信の相手は直接の上司であるバルツェル准将。相手から仕掛けてこないのならば自分から仕掛ければいい。必要なのは上からの許しのみ。本来、バルツェルの一存で決められることではないが、ラウラへの信頼が彼を動かす。

 

『許可する。ただし所属不明機は必ず捕獲せよ。でなければ私のクビが危うい』

「了解。クビを洗って待っていてください」

『……ん? ラウラ、ちょっと待ちなさ――』

 

 通話を切った。話している暇などもうない。

 ラウラが光に包まれる。その一瞬の後、出てきた機体は“シュバルツェア・レーゲン”。夜闇にとけ込む漆黒の機体が所属不明機の前に立ちはだかる。

 

「待たせたな。ここは日本ということも踏まえて穏便に格闘戦に付き合ってやろう」

 

 手刀にISコアから発されるエネルギーを這わせて飛びかかっていく。ここに現実におけるIS戦闘の火蓋が切られた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 いくら数馬とゼノヴィアの足が速くても追っ手である特殊部隊“アンネイムド”から逃げられるほどではなかった。平石の手で人気のない道を選ばされている数馬たちは誰かに助けを求めることも出来ない。もっとも、誰かに助けを求めることなどできない上に、訓練された特殊部隊を相手に立ち回れる一般市民などいるはずもないのだが。

 

『もういい。私が戦う』

「それぐらいなら俺がやるよ」

『ダメだよ。数馬の機体は正真正銘のIS。使ったら他の人たちにもすぐに居場所がバレちゃう』

「だからってゼノヴィアを戦わせる事なんて」

『大丈夫。こう見えて、私って強いんだよ? でも――』

 

 2人は逃げる足を止めた。来た道へと振り返り、1歩2歩と前に出る彼女を止める術のない数馬は立ち尽くすだけ。光学迷彩で見えづらくなっている敵を前にしても臆さないゼノヴィアは唯一の不安を言葉にする。

 

『戦ってる私の顔は見ないで』

 

 数馬の死角では既に変貌が始まっていた。一度閉じた眼を再び開くと、眼球が真っ黒に染まってしまっている。唯一残されている金色の瞳はまるで夜闇に浮かぶ満月であった。犬歯を剥き出しにした笑みには狂気すら宿っていた。

 突如、何もない空間に青白く発光する球体が複数出現する。光は徐々に形を作りながら輝きを失っていく。人を象ったそれは無機質なロボットであった。

 

『捕らえなさい』

 

 リミテッド。呼び出された機械人形は忠実に命令に従う。光学迷彩など目眩ましにもならず、追っ手たちへと真っ直ぐに向かっていく。それらは皆、一様に浮いていた。

 人気が少ないとはいえ日本の街中である。いくらアンネイムドといえど、過剰な装備は所持していない。武器も精々サイレンサー付きの拳銃までだった。しかしその程度の射撃では機械人形たちを破壊することなど不可能。もっとも、どれだけ強力な兵器があったところで機械人形たちに傷一つつけられないのであるが。

 アンネイムドの選択は逃げの一手。対象が抵抗した際の対策は彼らの隊長のISのみである。数馬たちを追撃してきたのも後ろから追いかけてくる予定の隊長が来るまでの時間を稼げればよいというものだった。

 だが想定から外れていたのはゼノヴィアの能力。ISを展開することなく10機のリミテッドを召喚した物量を相手にして稼げる時間など微々たるものだった。

 あっという間に捕らえられた特殊部隊の男たちはゼノヴィアの前に跪かされる。彼女が男たちを見下ろす視線は冷たく、黒い。

 

「あ……ああ……」

 

 ゼノヴィアが額に手を触れる。すると男は気を失った。1人、また1人と繰り返され、追っ手は全て地に伏せることとなる。

 

『終わったよ』

「……ごめんな、ゼノヴィア」

『謝るのは私。数馬はもっと堂々としてて』

 

 目の前で何が起きていたのか数馬が理解していないわけがない。ある条件を満たさない限り男たちが目を覚まさないことも知っている。他の条件を探そうとしている数馬だがまだ手がかりは何もない。それでも数馬はゼノヴィアの現実から目を背けなかった。見逃すのではなく認めた。彼の謝罪は本当にゼノヴィアに向けたものだったのだろうか。

 ゼノヴィアの眼は白に戻っている。奥底に眠る黒を隠した少女に数馬は再びフードを被せた。

 まだ藍越に帰っていない。まだ歩かなくてはいけない。

 

 

「――少年少女の逃避行。行く当てもなければ、立ち止まる暇もなし。一寸先は闇。されど、逃げる彼らの顔には輝きが残っていた」

 

 

 だが出発には早かった。倒した特殊部隊以外にも数馬たちを追っていた者がいる。光学迷彩すらも見破っていたゼノヴィアが気づかなかったほどの相手。その声は女性のもの。

 女性は姿を隠そうとしていない。現れたのは数馬たちの正面だった。長い金髪の女性。着ている白いコートのところどころに“銀”の装飾が施されていた。

 日本語の達者な外国人女性は身近な人間を例に挙げるとセシリアが該当する。危険を感じるには十分だ。数馬はゼノヴィアをその背に隠すように立つ。

 

「少年は志を剣とし、少女の騎士となる。魔女と知ってもなお、彼女の盾であり続ける。いずれその心は闇に染まるというのに……」

 

 明らかに数馬たちの前に立ちはだかる女性は独り言を続けている。言葉を交わそうとしない理由はただ1つ。話しても無駄という認識があるからだ。

 女性がISを展開する。目映い光の後に現れた姿は銀の翼を広げる天使。

 

「我が名はセラフィム。哀れな子らに福音を(もたら)す者。我は執行する。少年に救済を。そして――」

 

 セラフィムの周囲に光弾が生成される。一度停滞させたEN属性の弾丸の群れを一斉に射出する拡散型ENブラスター“シルバーベル”。現実の日本だというのに一切の容赦のない攻撃が準備されていた。

 相手が何者なのかわからない数馬ではない。過去に一夏が追っていた銀の福音である。もうISの展開を渋る理由などなかった。幸いなことに数馬の機体は打鉄。誰かを守る盾としては優秀である。

 数馬がゼノヴィアを抱きしめるようにして庇うと同時にセラフィムが指令を下す。

 

「――魔女に断罪を」

 

 光が雨となって降り注いだ。真夜中だというのに、視界が白一色に染まるほどの光量が解き放たれる。背中に打ち付けられる光。打鉄の装備だけでなく数馬自身をも盾としてゼノヴィアの代わりに攻撃を浴びた。

 

『数馬!』

「まだ大丈夫。打鉄ならそう易々と落ちない」

 

 第1射を受けきったが決して余裕などではない。既に肩の大盾は大破していて、ストックエネルギーだけで持ちこたえている状況。痩せ我慢だった。

 

 

「ナタル。いくら近隣住民を強制退去させているからといって派手にやりすぎだ。あと、戦闘時だけのその妙な話し方もなんとかならんか?」

 

 

 さらにもう1人、この場に現れる。銀のIS側の人間として数馬の前に姿を見せた女性は、数馬も知っている顔。織斑一夏の実姉、織斑千冬その人である。

 既に一夏や弾から話は聞いていた。織斑千冬はただの警察官などではない。世界最強のIS操縦者として知られるブリュンヒルデ。ISを持っていようと正面から抵抗することができない絶対的な存在だった。

 ブリュンヒルデはゼノヴィアを魔女と断じた銀の福音の仲間である。親友の姉で数馬個人としても顔見知り程度にはなっている間柄でも、自分たちに友好的な存在とは限らない。

 

「御手洗。悪いことは言わん。大人しくその娘を引き渡せ」

「断る! 絶対にゼノヴィアは殺させない!」

 

 ここで千冬を信頼するくらいならば、一夏からも逃げ出したりはしていない。ゼノヴィアを引き渡すことは彼女の死を容認するも同然である。

 

「お前の両親は3日前から昏睡状態が続いている。その意味をわかっていないのか?」

「放っておくつもりなんてない。俺は親父たちを助ける方法を探してる」

「目の前にあるぞ?」

「それ以外でだ!」

 

 福音とは違い、千冬は言葉を挟む。だがお互いに主張を変えるつもりがない平行線。片や絵空事に過ぎない理想を並べ、片や現実を諭す。歩み寄りはありえない。

 

「一夏が何のために戦っているのか理解しているものと思っていたのだがな……」

「理解してるからこそ、俺は一夏から離れたんだ」

 

 一夏が幼馴染みを助けるためだけに戦っていることを数馬は知っている。そしてその障害となる敵を例外なく倒してきたことも。ゼノヴィアの正体を知ってしまった時点で共存は不可能だった。

 数馬は父親の教えに従った誓いがある。

 友を裏切らないこと。

 交わした約束を守ること。

 それらを両立できなくなったとき、父の教えでなく、初めて自らの想いで片方を選んだ。

 

 ――孤立している彼女に俺だけでも味方する。

 

 敵に回すものの強大さなど最初からわかりきっていた。孤独な戦いは予想できた。無謀を百も承知で数馬はゼノヴィアに手を差し伸べたのだ。今更世界最強が1人、敵に増えたところで動じようもない。

 

「ならば力で捩じ伏せるまでだ。殺しはしないが病院送りくらいは覚悟してもらおう」

 

 ブリュンヒルデが剣を抜く。専用機“暮桜”。物理ブレード“雪片”一振りで世界を制した最強のISが数馬に刃を向ける。

 銀の福音も未だに健在。片方を数馬1人が請け負えたとしてもゼノヴィアを逃がすことはできない。数馬のいない状況となればブリュンヒルデも福音もゼノヴィアに容赦のない攻撃を加えることになる。

 

「俺から離れないでくれ、ゼノヴィア」

『うん』

 

 力の差をゼノヴィアも悟っている。彼女はギドやアドルフィーネどころかシビルにも戦闘能力で劣っている遺伝子強化素体。トップランカー2人を相手にできるだけの技量はない。10機のリミテッドを呼び出すがISVSにおいては単なるザコ敵程度の存在であり、世界最強クラスの2人を相手にするには装備も物足りない。

 銀の福音は傍観に徹しているが追い風とは言えない。ブリュンヒルデの攻撃が始まる時点で数馬たちが抗う術はほぼなかった。

 ブリュンヒルデが動く。機械人形など意に介さず無人の野を駆ける如く直進する。立ちはだかったリミテッドは例外なく斬り捨てられて散った。速すぎる剣閃はハイパーセンサーの加護があっても数馬の目では捉えられない。迎撃用に右手に取り出した物理ブレード“葵”を振ることもできないままブリュンヒルデの雪片が迫る。

 

「どういうつもりだ……?」

 

 しかし雪片は数馬に届かなかった。間に割って入った黒の機体を前にしてブリュンヒルデの右腕は静止させられている。数馬もゼノヴィアも気づかぬ内にまたもや乱入者が駆けつけてきた。

 

「見ての通りです、教官。数馬とゼノヴィアに手出しはさせません」

「ラウラ!?」

 

 アンネイムドの隊長と戦っていたラウラが追いついた。行動原理が理解できずに疑いの目を向けていた数馬だったが、この状況下で千冬と敵対する彼女が少なくとも一夏たちと意志を共にしていないことだけは信じても良い。

 

「ブリュンヒルデは私が引き受ける。お前たちは逃げろ。人の多い場所ならば銀の福音は攻撃できなくなる」

「お願いします」

 

 ほぼ唯一の味方となっているラウラを頼ることにする。元より自分たちだけでなんとかなると数馬は楽観視していない。複数勢力の潰し合いという当初の思惑から少しズレているがそれは細かいことだった。

 数馬がゼノヴィアを連れて逃走を図り、銀の福音が追いかける。残されたラウラと千冬は互いの剣を向け合った。

 

「お前が刃向かうのは意外だった。バルツェル准将の指示とは思えん。まさかとは思うがあのIllに同族意識でもあるのか?」

「そうかもしれません。ですが、私は自分が間違っているとは思いません!」

「この私を敵に回してでもか?」

「私は憧れで戦意が鈍るような乙女じゃない!」

 

 ラウラのEN属性の手刀で飛びかかるも千冬は物理ブレードで受け流す。

 

「お前も御手洗数馬もある意味では一夏の影響を受けている。さて、どうしてくれようか」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 シュヴァルツェ・ハーゼの本拠地でバルツェル准将が頭を抱えていた。ラウラにIS使用許可を求められたことは想定内のことであり、許可することまでは予定通りだったが彼女の行動はバルツェルの意に反している。

 ラウラは所属不明機体――アンネイムドの隊長を無傷で打ち倒した。所属不明としておきながらもバルツェルの中でもアメリカの者という推測は立っている。故に妨害は必須。しかしラウラはアンネイムドを捕縛せず、本来援護すべきブリュンヒルデに敵対する事態に発展していた。

 

「何をしているのだ、ラウラ……人類の敵と見なされてしまえば私はお前を守れぬというのに……」

「隊長を止めますか?」

「私が直接言おう。つないでくれ」

 

 戦闘中のラウラに通信をつなげる。表向きは軍の命令を装って――

 

「本部からの命令だ。ボーデヴィッヒ少佐は直ちに戦闘行為を停止しろ」

 

 停戦を命じる。しかし予想通りと言うべきか。返事は肯定ではなかった。

 

『従えません。私はあの娘を守りたいのです』

「バカなことを言うな。その専用機を使っている時点でお前個人の考えのみで動いていいわけではない」

 

 ラウラもIllの専用操縦者たちと同じく遺伝子強化素体。助けたい心情をバルツェルも理解しているが許すわけにはいかなかった。他ならぬラウラ自身の未来のために。

 

『たしかに私は独断で動いています。しかしそれは私情だけではありません』

「ほう。ならば言ってみろ。今のお前の行動が我らにとってどのような益となる?」

 

 低年齢の軍属というばかりでなく少佐という階級が確約されている代表候補生。ISを扱う上での技量は高くても軍人としての評価が高いわけではない。シュヴァルツェ・ハーゼの実質的な隊長は副隊長であるクラリッサ・ハルフォーフとも言える体制になっている。ラウラが日本に向かった理由を考えても、物心つく前に見た“織斑”の影を追いかけてのこと。自らの義理の娘であることも手伝ってバルツェルはまだラウラを子供扱いしていた。

 しかしそれはこのときまでの話。説明を求められたラウラは戦闘中にもかかわらず自らの考えを述べる。

 

『今回の件は御手洗数馬がISを所持し、使用できることが発覚したことに端を発します。米国を始めとする諸国は日本が篠ノ之論文を独占していると疑っていますがそうではありません』

「我らもそのように見ている。御手洗数馬がイレギュラーなのだとな」

『それも違います。御手洗数馬はただの一般人に過ぎません』

「では468個目のコアが特殊なのか? どちらにせよ、我らが独占するメリットより、敵が増えるデメリットばかりが目立つ」

『あのコアも何も特別ではありません。しかし他の467個との明確な違いはあります』

 

 アメリカの狙っている男性操縦者も468個目のコアも全く価値がないものだと断言する。バルツェルも無理に確保するだけの価値がないと判断していたがラウラの考えとは異なっている。

 468個目のコアの正体を多くの者が誤解している。

 数馬の持っているISのコアは正確には()()()468個目などではない。

 

『御手洗数馬の所有するISは、ゼノヴィアという遺伝子強化素体がISVSから実体化させたものです』

「なに……?」

『藍越学園襲撃の際の状況と御手洗数馬の言動から考えてほぼ間違いありません。アントラスや米国に奪われることはもちろん、日本に処分される前に我々が確保することこそ我々の益となるはずです』

 

 数馬の失踪から3日間、ラウラは1人で考えに考え抜いていた。原因追究のみならず、シュヴァルツェ・ハーゼを失わずにゼノヴィアを守る口実を。

 実を言えば数馬の機体がISVSから実体化されたなどという証拠は何もない。全てが推測の域で否定する材料がないだけである。それでも強行したのは(ひとえ)にゼノヴィアを殺させないため。

 ラウラはゼノヴィアが数馬と楽しそうに生活しているのを見ている。織斑家に居候している自分とも重なった姿だった。遺伝子強化素体であると発覚したことでゼノヴィアが殺されるのを他人事だとは思えなかったのだ。

 バルツェルはふっと微笑んだ。幼い頃からずっと見守ってきた上官は、ラウラが子供なりに理由を紡ぎ出したことに満足する。

 ――その理想に乗ってやろう。あながち外れでもあるまい。

 

「何と言っているのだ、ボーデヴィッヒ少佐! よく聞き取れぬ!」

『准将?』

 

 ラウラ側ではクリアな通信状況である。しかしバルツェルは聞こえぬ振りをした。

 

「聞いているのか、ボーデヴィッヒ! くそっ! どうもノイズがひどくて指示を伝えられぬようだ。かくなる上は私自らが日本に出向くとしよう。それまでは……ボーデヴィッヒ少佐の判断に任せるしかあるまい」

『感謝します、准将』

 

 ラウラからの礼を最後に通信を切った。バルツェルが大きく息を吐き出すと、傍に控えていた副官が声をかける。

 

「今回も親馬鹿ですか?」

「否定はせん。だが少佐の護衛する少女が篠ノ之論文より重大な情報を握っている可能性があるのは事実。他国に渡すわけにはいくまい」

 

 バルツェルが椅子から立ち上がると同時に、シュヴァルツェ・ハーゼの全隊員がバルツェルに敬礼する。ドイツの誇る最強のIS部隊。バルツェルは彼女たちに指令を下す。

 

「専用機を持たぬシュヴァルツェ・ハーゼ全隊員はコア仮想空間内にて待機。専用機持ちは私と共に日本へ赴く。急げ!」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 うっすらとした意識の中、携帯がメールの着信を告げていた。深く眠れなかった俺は今が真夜中であることをハッキリと認識できている。このような時間に来る連絡は緊急性の高いものだ。十中八九、数馬に関する情報。飛び起きた俺はすぐさまメール画面を開く。

 

 ――ISVSの藍越学園で待ってる。1人で来てくれ。

 

 内容はたったそれだけだった。知らないアドレスからであり差出人の名前もない。でも心当たりは1人いる。

 

「数馬なのか……?」

 

 アドレスのドメインはフリーメールのもの。携帯でなくパソコンから送られたと考えれば数馬が俺に連絡してくる可能性は0じゃない。1人で来てほしいというのも、おそらくはセシリアに来てほしくないということだろう。あのときのセシリアは問答無用という感じだった。

 まだ俺ひとりを狙った敵の罠の可能性の方が高いのはわかってる。それでも何も手がかりがない今、放っておけない。

 

「セシリアがいると話し合いにならないかもしれない。弾や鈴を今から家に呼ぶか? でもセシリアに悟られるよなぁ」

「では私がついていこう」

 

 部屋の中でモッピーが起動していた。話を聞いていたということは俺が寝ている間もこちら側に来ていたことになる。

 

「危険だ。罠かもしれない」

「だからこそ私が行くのだ。もし罠だとしても関係ない。そのような姑息な手段しか取れない者など私の敵ではないからな」

「エアハルトに負けてたのにか?」

「こう見えて私はメンタルが弱い。あのときは負けても仕方ないほど参っていたが、本来の私はエアハルトなど敵ではないぞ」

「胸を張って言うことじゃないだろ……あと、根拠もない」

 

 呆れつつもナナの言うこともあながち間違いではない。相手がアドルフィーネ並でもナナなら逃げきれるだろう。ギド並だったらマズいが、それならば敵は小細工してくる必要がない。言いたいことはわからないでもなかった。

 

 

 とりあえずISVSにやってくる。ツムギのロビーに現れた俺をナナとシズネさんが出迎えてくれた。ナナは既に紅椿を展開していて臨戦態勢である。

 

「私も行きたいのですが……」

「ダメだ。罠でもそうでなくてもどちらにせよIllとの戦闘になる可能性がある。足手まといだ」

 

 シズネさんが冗談の1つも言わずに同行を申し出るがナナはきっぱりと却下する。足手まといと突き放すような言い方をしてまでもシズネさんを連れて行かないという固い意志がある。こうなったナナをシズネさんは強引に説き伏せようとはしない。

 

「わかりました。2人とも、お気をつけて」

「行ってくるよ、シズネさん」

 

 俺も白式を展開して出口へと向かう。ナナに同行してもらう都合上、転送ゲートは利用できない。空路を使って直接向かうつもりだった。この仮想世界にある藍越学園へ。

 先にナナが外に出る。俺も後に続こうとしたところで、左手をシズネさんが掴んで引き留めてきた。

 

「帰って……来るんですよね?」

「当たり前だよ。なんか急にそう聞かれると怖くなってくるけどさ」

「すみません」

「謝ることじゃないって。でも明るく送り出してくれる方がいいな。シズネさんにとって俺は何?」

「超絶かっこいいスーパーヒーローに決まってるじゃないですか」

「なら大丈夫だ」

 

 ヒーローなんて柄じゃない。でもシズネさんにそう言ってもらえると勇気が湧いてくる。今までISVSで俺が成し遂げてきた実績を言葉にしてもらえている。数馬も助けられると、そう思えた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 夜の明けていない街の上空をISが翔る。世界で唯一の現実の男性操縦者となった御手洗数馬は、守るべき少女を抱えてひたすら逃走を続けた。

 背後には銀の福音が迫っている。始めはシルバーベルで攻撃を加えていたが人のいる領域に入ったため迂闊な攻撃ができなくなっていた。数馬は街に住む人々を人質としてなんとか逃げおおせている。

 だがそれも時間の問題だった。追っ手である福音から距離を離せない以上、いずれは他のISに先回りされて捕まるのが目に見えている。

 

『もういいよ。私を置いて逃げて』

「そんなことできるわけがないだろ!」

『でも、このままじゃ数馬まで捕まっちゃう』

「ゼノヴィアが殺されていいわけない!」

 

 始めから損得で動いていたわけではない。共に過ごした期間は短いものであったが、数馬は彼女を失いたくないと願ったのは事実。ここで投げ出すようならば失踪する前にゼノヴィアを斬っている。

 

『でも私は……本当は存在しない者なのに』

「じゃあ、ここにいるゼノヴィアは嘘なのか? 俺が感じている重さも、温もりも全部幻だっていうのか? 俺の本当は俺が決める!」

 

 自己犠牲を孕んだゼノヴィアの説得を斬って捨てる。たとえ事実だとしても数馬の信念に狂いは生じない。他人から見れば無駄な意地でしかなくとも現実に抗い続ける。

 

「運命に抗う者を賞賛こそすれど貶めはしない」

 

 ふいに聞こえてきた肉声は福音からのもの。いつの間にか並んで飛ぶくらいの至近距離にまで接近されていた。

 イグニッションブースト。新手の待ち伏せなどなくとも、福音が数馬に追いつくことは造作もないことであった。

 背中を蹴りつけられる。PICに不調を来す格闘攻撃によって数馬とゼノヴィアは地面に落下した。蹴られた数馬がゼノヴィアの下に回り込んで庇う。土の地面だったこともあり、ゼノヴィアが大怪我をしていないことにホッとする。

 

「だが名誉だけで物事を成せはしない。力なき者の抵抗――人はそれを無謀と呼ぶ」

 

 星の見えない夜空を背にして銀の天使が翼を広げた。安心するのはまだ早かった。これはシルバーベルの攻撃準備。住民という制約があって使えなかった射撃兵器を放とうとしている。

 それもそのはず。数馬が墜落させられた場所は藍越学園のグラウンド中央。真夜中の学校のグラウンドに人がいるはずもなかった。

 蹴られた影響でまだすぐには高速機動が行えない。福音の攻撃範囲外に出ることはできず、今度こそISの機能停止に追い込まれる。そうなればゼノヴィアを守る者は誰もいない。

 だが数馬の顔にはまだ余裕があった。

 

「ここにいるぞォ!」

 

 声の限りを尽くして叫ぶ。その自己主張と同時に藍越学園のナイター設備である照明が一斉に点灯した。明かりの下には複数の人影が見える。

 

「この学園は包囲した! 抵抗はやめて大人しく投降しろ!」

 

 ぞろぞろと現れたのはスーツ姿の男数人と警官の制服を着た集団であった。リーダーらしき男がハンドスピーカー片手に投降を呼びかける相手は数馬ではなく銀の福音。相手がISであることはわかりきっているというのに臆した様子はない。

 

「なんでここに人が? それも警察!? まさか……」

 

 この場にISを持たない人が現れたことで銀の福音は武器の使用を封じられた。そればかりか下手に動けなくなっている。理由はどうあれ、日本のISを持たない警察官をISで攻撃などしてしまえば宣戦布告したも同然になる。そもそも関係者以外に見つかった時点でナターシャの立場は苦しい。

 この場に警察が現れたのは数馬にとって予定通りの出来事。平石と示し合わせて藍越学園で“通り魔”を捕らえることになっていた。この状況で誰が通り魔なのかは言わずとも知れている。

 とは言っても数馬の策の効果は時間を稼ぐ程度しかない。結局のところ、この場で福音に攻撃されない確約が得られているだけであり、藍越学園から逃げれば警察など無視して福音が追ってくる。少しだけ安全な檻の中に自ら飛び込んだだけなのである。

 

「ねえ、ゼノヴィア。君は自分のことを嘘の存在って言ってたよね?」

 

 この後に残された手立ては最終手段と呼べるもの。どう転ぶのかなど数馬が想定できるはずもないが使わざるを得ない。それだけ追い込まれてしまっている。

 

「嫌かもしれないけどさ。嘘の世界に逃げないか? 俺も一緒に行くから」

『いいの? 現実(ここ)よりもずっと辛いはずだよ?』

「大丈夫。俺は藍越エンジョイ勢でリーダーを努めたこともあるライルだぜ? 半分、ISVS(あっち)の住人みたいなもんだっての」

現実(ここ)よりも残酷な世界なんだよ?』

「だからこそゼノヴィアだけじゃなくて俺も行くんだ」

 

 もう逃げ場がない。それは現実での話。まだゼノヴィアには逃げる道があった。

 元々はこの現実へと逃げてきた。二度と戻りたくないとさえ思っていた場所へ逃げ帰る。逃げてばかりの宿命を背負っていると認めるようなもの。だが――

 

『数馬も行くなら私も行く』

 

 数馬が居るなら違う世界に思えた。きっとこの先に、自分が居てもいい場所があるのだと淡い期待さえ抱いて、ゼノヴィアは自らの力を解放する。

 

『“想像結晶”、反転起動』

 

 ゼノヴィアの体が粒子に分解されていずこかへと消えていく。

 存在の消滅ではない。あるべき場所へと還っていくだけ。

 

 単一仕様能力“想像結晶”。

 ただ一つの現実干渉系イレギュラーブートであり、その効果はISVSに存在する仮想の存在を現実に実体化するというもの。ゲームの域を超え、現実の物理法則すら歪める魔法と呼べる能力である。

 

 ゼノヴィアは自らの能力を使って現実へとやってきたISVSの住人であった。この能力を反転させて使用することでゼノヴィアはISVSへと逃げることが可能となる。現実にその体は残らない。

 数馬はイスカを取り出した。ゼノヴィアを1人だけで逃げさせたりなどしない。即座に追いかけるためにイスカを胸に当てる。

 近くにISVSの筐体はない。だがそもそもISVSの筐体とは、コアネットワーク上の仮想世界にアクセスする機能のみを備えた劣化ISコアだ。元々現実のものでないにしろ、今の数馬の手には本物のISコアが存在する。

 数馬はその場で気を失う。意識はISVSへと潜っていった。

 

 

  ***

 

 いつものゲームとは違っていた。装備を選択してからやってきた場所はプレイヤーの集まるロビーではなく、数馬が現れた場所は藍越学園と瓜二つの土地である。現実をそっくりそのまま投影した景色には銀の福音も警察官もいない。

 

「本当に来てくれた。嬉しい」

 

 ゼノヴィアはすぐ傍にいた。頭の中に響く声ではなく彼女の口から直接発せられている言葉は現実と違って普通に聞き取れる。

 彼女は数馬が数馬だとすぐに理解する。それもそのはずで数馬はアバターの外見を初期化し、現実の自分と全く同じ外見に直していた。プレイヤーネームも“数馬”にしている。

 

「やっと普通に話せるようになったな。そういえば、どうして今まで変な日本語だったん?」

「想像結晶による具現化が不完全だったの。翻訳機能が変な方向に働いてたみたい」

「翻訳機能って……機械じゃないんだから」

「私じゃなくてイロジックの方。伝えたいことが上手く伝えられなくてじれったかった」

「筆談すれば良かったんじゃ――」

「ごめん。文字はわからないの」

「そっか。じゃ、仕方ない」

 

 初めて声と声で会話する。もう出会ったときのようなチグハグでわかりづらい会話をすることはない。

 数馬の心に若干の寂しさが過ぎる。

 元の自分たちには戻れないのだと認めざるを得ないから。

 

「……やっぱり最後はお前が来るのか」

 

 ゼノヴィアと向き合っていた数馬は笑顔を絶やさなかった。しかし近づいてくる2機のISに気づいて顔を引き締める。南方の空からやってきている機影は白と紅。彼らの狙いはゼノヴィアに決まっている。

 

「俺、戦うよ」

 

 数馬がISを展開して飛翔する。現実で使っていた打鉄ではなく、フレームをメイルシュトロームに変更。装備も変えている。戦う用意はできていた。

 藍越学園の上空で数馬とゼノヴィアは白と紅に対峙する。白の機体の操縦者である銀髪の男は数馬にとって特別な相手。

 

「一夏。いや、ヤイバ……って、どっちでもいいよな」

「数馬……」

 

 数馬の目には闘志が、ヤイバの目には困惑が宿っている。

 迷いの有無が両者の間でハッキリと分かれていた。

 

「俺はさ……ずっと一夏に憧れていたんだ」

 

 独白を始める。これから戦うにしても、数馬にはどうしても言っておきたいことがある。

 

「親父に言われた通りに生きてきててさ。親父の言うとおりに“友達”を大切にしてきた。自分が生きるために周りに合わせなきゃいけない。代わりにいつか自分が良い目を見る。それが友情って奴なんだと思いこんでた」

 

 数馬の根底にあった父の教え。だが数馬には『なぜ?』と疑問に思うことはなかった。故に父の真意すらも知らぬまま、形だけ従っていた。空気を読むことに必死で、自分がしたいことなど考えたこともなかった。

 

「でもお前らは違った。一夏は他人と上手く付き合おうだなんてしなかったし、弾は自分に合わさせようとする奴だった。そんな奴らがいつの間にか仲良くなってて、いい顔をするようになった。俺もその中に混ざりたくなったんだ」

 

 変わったのは中学での出会い。周りと合わせようとせず我が道を貫く一夏や、他者を巻き込んで今を楽しもうとする弾の2人には自分にないものがあると感じられた。

 

「あれから今日まで色々あった。特に一夏は弾すら辟易するような厄介事を持ち込んできた。鈴の狂言誘拐とか正気の沙汰じゃなかった。でも、あのときの一夏は間違ってなかったと俺は思ってる」

 

 中でも一夏は特別だった。数馬には理解不能だった行動原理で動いている。弾と口を揃えてバカだと言っていたが本心は別。一見すると狂ったような行いで、一夏は最善の結果を導いてきた。

 

「一夏は昔から普通の奴にはできないようなことを平然とやってのける。鈴を日本に引き留めたことだけじゃない。ISVSだっていつの間にか学校連中の誰よりも強くなって……俺は才能って奴を見せつけられてきた。力だけじゃなくて、意志の強さって言うの? そういう点でも一夏はいい意味で俺たちからズレてた」

 

 一夏の知らない内面を暴露する。常に自分と比較して、適わないと思い続けてきたことを……

 

「別に嫉妬なんかしてない。俺は一夏を誇らしく思ってる。俺の親友は最高にかっこいい奴なんだって俺は知ってる」

 

 親友の目から見た一夏は英雄のような存在だった。凡人には理解できない存在という悪い意味にも捉えられるが、数馬は決して悪感情を持っていない。むしろ率先して自慢するくらい、一夏のことが好きだった。

 

「俺なんかじゃ一夏に勝てない! そんなことは俺が一番良くわかってるんだ! でも――」

 

 一夏の理解者であるという自負すら持っている。一夏の目的も、そのための手段も何もかもわかり切っている。

 だからこそ数馬はこの場で剣をとる。ENブレードをヤイバに向けるのは抗う意志。羨望を向けていた自慢の親友と相容れない現状を明確な形にする。

 戦いたいわけなどない。でも――

 

「俺は今、一夏に立ち向かわなきゃいけないんだよォ!」

 

 ゼノヴィアを守ると決めた。彼女は一夏にとっての敵。両方をとることができればと数馬は3日間の失踪のうちに何度も苦悩した。

 だが都合の良い解決策など出てこなかった。

 ヤイバの背後には一夏の救いたい人がいる。彼女を救うために一夏(ヤイバ)は戦ってきた。今更その想いを無くすことなどできようもない。

 ヤイバはナナのためにゼノヴィアを討たなければならない。

 数馬はゼノヴィアのためにヤイバを討たなければならない。

 

 数馬は初めて自分の我が儘を通そうとする。

 友達を何よりも大切にするという16年守られてきた誓いが破られた。


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