Illusional Space   作:ジベた

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33 亡国を織りなす手

 モッピーを肩に乗せての登校も1週間が経つと慣れたものだった。右肩に彼女が乗っていないと落ち着かないくらいで、ツムギの皆を解放したら寂しくなるなと自分勝手なことを考えていたりする。

 すれ違う同級生や先輩と挨拶を交わしながら玄関をくぐり、下駄箱で履き物を変えるのもただのルーチンワーク。他に考え事をしていても体にしっかり身についている動きは実にスムーズ。

 だけど今日はその途中で手を止めた。下駄箱の中に違和感があったからだ。

 

「どうしたのだ、一夏?」

 

 右肩のモッピーも下駄箱を覗き込む。上履きに手を伸ばしたまま固まっている俺の指が触れているものは横書きの封筒だった。しかも赤いハートマークのシールで封をされている。

 

「こ、これはもしや……恋文!?」

 

 俺の心の声をモッピーが代弁してくれる。そんなバカなとは思いつつもちょっとは期待してしまうのが男心というものだ。過去に告白されたことはあるけど、気になるものは仕方がない。

 表面の宛先を確認する。『織斑くんへ』と書かれた後に手書きでハートマーク付き。ここまでハートばかりだと誰もがラブレターと思ってしまうだろうな。字の方も丸っこくて女の子の筆跡に見える。

 差出人の名前は封筒に書かれていない。中の便箋に書かれているか、逆に書かれていないこともありうる。

 周囲を確認する。幸いなことに近くには誰もいないようだ。もし居たらさっきのモッピーの声を聞きつけて野次馬になっているはずだからな。教室に持って行くまでもない。むしろこの場で開いた方が安全とみた。

 ハートのシールをめくり、封筒を開封する。中には便箋が1枚だけ入っていた。

 

――――――――――――――――――――――――――

 織斑くんへ

 

 ずっと前からあなたのことが気になっています。

 怖かったけど勇気を出すことに決めました。

 会って直接私の気持ちを伝えたい。

 1時限目後の休み時間に体育館の倉庫で待っています。

――――――――――――――――――――――――――

 

「マジかよ……」

 

 どう読んでもラブレター。てっきり中には俺の恥ずかしい写真とかが入ってるドッキリ企画だと思ってたのに拍子抜けだった。

 一体誰だ? まるで心当たりがない。

 自分で言うのもなんだが、俺の周りは最近を除くと女っ気どころか友達すら少なかった。鈴は今更こんな手紙なんて出す必要がないし、既に俺はひどい振り方をした。鈴以外で“ずっと”と言えるほど前から知ってる女子は箒くらいだが、その本人が中に入ってるぬいぐるみがラブレターを見て驚愕してたから彼女でもない。

 ……でもこれは俺から見ての話か。“ずっと”なんて言葉の具体的な長さなんてのは個人差があるし、そもそも俺が知っている女子という前提が間違ってる可能性もある。心当たりなんて関係ないな。

 

「どしたの、一夏?」

「うわああ! 鈴!?」

 

 ラブレターを前にして考え込む俺とモッピーの後ろから突然、鈴が話しかけてきた。咄嗟にラブレターを後ろ手に隠して振り返る。

 

「何よ、その反応は。あたしが居て何か不都合でもあるの?」

「そ、そんなことはない……ぞ?」

「なんで疑問系なのよ。まあ、いいわ。見なかったことにしてあげる」

 

 明らかに挙動不審であったろう俺に何も追求せず、鈴はさっさと教室に向かっていった。こういうとき徹底的に問いつめてくるのが鈴だったのに、ここ最近はそうでないときもある。何か心境の変化でもあったのだろうか。

 

「鈴に言わなくて良かったのか?」

「わざわざ言う必要ないからな。もし悪戯じゃなくて本気ならちゃんと断るつもりだし」

「そうか。ならば私がとやかく言うこともなかろう。それはともかくとして、1つ頼みがあるのだがいいか?」

 

 そう言うと、モッピーは人の神経を逆撫でするような(よこしま)な笑みを浮かべた。

 

 

  ***

 

 1時限目が終わってからこっそりと教室を出た。弾とかはトイレに行ったとでも思ってくれるはず。あとはこのまま急いで体育館に向かえばいいんだけど、1つだけ心配の種は残っていた。

 

「早く行かないと次の授業に間に合わないぞ」

「言われなくてもわかってるっての」

 

 俺の肩にはモッピーが乗っている。彼女はこのまま体育館倉庫にまでついてくる気である。先ほどの頼みが正にそれ。置いていきたかったのは山々だがどうしてもとお願いされると嫌だとは言えなかった。やっぱり俺はナナに弱い。

 トイレ休憩程度の短い時間だから体育館倉庫に居られる時間は少ない。呼び出した子がわざわざこの時間を選んだのは昼休みや放課後だと人目につくからだろうか。それ以外にこんな慌ただしいだけのセッティングをする理由を思いつかない。悪戯でなければだけど。

 

 誰もいない体育館に到着する。このタイミングで体育の授業が入っていたら迷わず引き返すところだが、ラブレターの差出人はちゃんと下調べ済みだったようだ。もし悪戯だったらわざと体育の授業に当てて俺の反応を見る方が面白いに決まってる。本気の可能性が高くなってきた。

 誰もいない体育館を俺の足音だけが反響する。奥行きも高さも広い空間にひとりでいると静かで落ち着くと同時に寂しさも覚える。式典などで静かな場でも人が溢れていることが多い場所だから余計にそのギャップは大きい。

 体育倉庫を開けてみる。手入れが十分でない鉄の引き戸は開けるのにそれなりの力が要る。開けるのでなく引きずるに近い行為は何度も開け閉めするのを面倒くさいと思わせるのに十分だ。

 

「人の気配は感じられないな」

 

 ナナはぬいぐるみの中からでも人の気配を探れるらしい。俺も彼女に同感で先に人が入っているとは思えなかった。俺の方が足が速いから先に来てしまったのか。でも今から教室に戻っても間に合うかどうか危ういのにまだ来ていないのはおかしい。

 あと2分くらいなら時間がある。体育館の入り口を見守る。とにかく今は待つだけ待とう。

 

「――わざわざ来てくれてありがとう、織斑くん」

「へ……?」

 

 唐突に女性の声がした。恥ずかしがる気の弱い印象はさらさらなく、俺をガキ扱いしてそうな高圧的な声だ。俺もモッピーも辺りをキョロキョロと見回すがどこにも人影がない。

 

「呼びつけてしまってごめんなさい。でも、どうしても君に伝えたい思いがあるの」

 

 不気味さすら感じさせる声は体育倉庫の中から聞こえてきている。しかしモッピーが言ったように人の気配がない。整頓された倉庫内には身を潜めるような場所も無いはず。

 状況を飲み込めない間にも事態は進む。無人の体育倉庫内に置かれていた剣道の面がカタカタと動いた。これだけでも十分にポルターガイストなのに、あろうことか面が宙に浮き上がる。

 

「何だよ、これ!? 幽霊!?」

「落ち着け、一夏!」

 

 落ち着けるわけがない。浮いているのは面だけでなく胴と小手も含めた防具一式。それらはまるで透明な人間が付けているかのように配置され、右の小手が竹刀を手に取った。

 

「私のために……死ねえ!」

 

 剣道の幽霊が竹刀の切っ先を向けてくる。予備動作などなく、一切の容赦もない突きが俺の喉元に迫る。理解が追いつかない展開に混乱している俺はその意味すらわからぬまま棒立ちしていた。

 

「一夏ァ!」

 

 右肩に軽い衝撃。俺の名を呼ぶ乱入者がこの場に現れた。視界の端に見慣れたツインテールが揺れる。

 鈴だ。なぜ彼女がここに?

 彼女のタックルは体重差のある俺を突き飛ばす。抱きつかれる形で俺たちは床を転がり、空を切った竹刀はそのままコンクリートの壁を刺し貫く。

 俺は一体、何を目にしているんだ!?

 剣道の防具が喋ったり浮いたりするばかりでなく、竹刀がコンクリートを貫通するという常識外れの出来事。人の体に当たればどうなるかは考えるまでもない。

 

「いっつつ……」

 

 俺の上で鈴が苦しげな声を上げる。さっきの竹刀が右肩を掠めたらしく、制服が裂けて血を滲ませていた。

 

「鈴! お前、怪我して――」

「あ、あたしのことはいいから……早く逃げなさい」

 

 逃げろと言われて俺はようやく“敵”を認識した。

 もしかしたらISVSでなく直接仕掛けてくるかもしれないと、いつも言っていたじゃないか。

 いざそのときになって何たる失態だ。その代償が今の鈴の怪我であり、このまま続けば誰かが死ぬかもしれない。

 床を転がっている竹刀を手に取る。

 

「逃げるなら一緒にだ、鈴」

 

 今の危機は全て俺の不注意に原因がある。ラブレターに偽装した罠にかかって、のこのこと誘き寄せられた時点で敵の策に嵌まっていた。俺の失態の皺寄せをまた鈴が受けることになるなんて許せるわけがない。他ならぬ俺自身がだ。

 剣道幽霊は壁から竹刀を引き抜く。普通なら竹刀の方が折れているはずなのに無傷のままだ。単純に力が強いだけじゃ説明できない現象が起きている。俺が竹刀を手にしたところでまともな剣道になるとは思えない。

 だがそれでも引くわけにはいかない。力がないことを理由に諦めない。俺はそう決めたのだから。

 

「立てるか?」

「うん、なんとか」

 

 苦痛に顔を歪めながら鈴は立つけど明らかに足下が覚束ない。なんとか立てると言っても俺を支えにしてやっとだ。ひとりで走って逃げるのはまず無理だろう。

 

「織斑千冬の弟にしては弱すぎて拍子抜けだ。女に守られるなんて恥ずかしくねーのか、おい」

 

 剣道幽霊がじりじりと間合いを詰めてくる。俺を警戒してのことじゃなくて単なる余裕の表れ。戦いではなく一方的な嬲り殺しだと態度で語っている。

 怪我人の鈴を抱えている俺は満足に逃げることもできない。雪片弐型と比べると天と地ほどの差がある得物でも、今は竹刀(こいつ)を頼るしかなかった。

 

「やる気になったのは褒めてやろう。だが――」

 

 見えなかった。俺が構えていた竹刀はその半ばで粉砕され、武器として使い物にならなくなる。立ち会いで剣を見切れなかったのは師匠と千冬姉以来のこと。

 

「無駄な足掻きなんだよ! この壊れちまった世の中、男は女に勝てねえ!」

「ぐあっ!」

「一夏っ!」

 

 左の小手がロケットパンチのように飛んできた。隙を晒した腹を抉る一撃で俺は膝を屈する。壁を貫いた竹刀と違って痛い程度で済んでいるのが幸いだった。

 鈴だけでなく俺も満足に動けなくなる。剣道幽霊は俺たちの前で竹刀を振り上げた。

 

「まずは死なない程度にその手足を砕いてやる。織斑千冬がどんな顔をするのか今から楽しみで仕方ない。精々、ショック死しないよう気を張ってくれよぉ?」

 

 やっぱりダメなのか。俺が戦えるのはISVSの中だけなのか。箒を助けるために戦わなきゃいけない相手なのに、現実での俺は戦力にならない。鈴を巻き込んで、無様に負けるしかないのか。

 ……ちくしょう。

 竹刀が迫る。避けることはできず防ぐものもない。もはや兵器と遜色ない暴力を前に俺は蹂躙されるのを待つばかりだった。

 

 だけど、ここに居るのは俺と鈴だけじゃなかったんだ。

 

 俺の眼前に飛び込んできたのはちんちくりんなぬいぐるみ。

 宙を浮くそれは剣道幽霊の竹刀を指一本で受け止める。

 

「待たせたな、一夏。リミッター解除に手間取った」

 

 初めから戦力外と思っていたモッピーだった。俺と鈴が目を丸くしている間に剣道幽霊の竹刀に短い足で蹴りを浴びせて粉砕する。さらに前進して懐に入ると胴防具に掌打を放ち、こちらもまた破裂するように吹き飛んだ。

 

「武器は……木刀だけか。まあいい。問題はない」

 

 光と共にモッピーの右手に木刀が出現する。この現象は見覚えがある。ISVSで何度も見てきた、拡張領域(バススロット)内の武器を呼び出す(コールする)際の光。

 木刀を得たモッピーは短い手で体ごと回転するように振り回し、剣道幽霊の小手を2つともズタズタに引き裂く。一瞬のうちに全身のパーツのことごとくを破壊された剣道幽霊は残された面だけモッピーから急速に離れた。

 

「チィッ! 何なんだテメーはよ!」

「それはこちらの台詞だ。卑劣な手段で一夏を罠にかけたばかりか、神聖な剣道具を使った悪行、捨ておけん!」

 

 男前な口上で木刀を剣道幽霊の面に突きつけるモッピー。その小さい背中に古い記憶の中の彼女が重なる。虚勢ではなく内から滲み出る確固たる自信。同じ道場で稽古に励んでいた頃の凛々しく頼もしい彼女の背中だ。

 

「箒……」

 

 宙を浮くモッピーが目にも止まらぬ速さでかっ飛んでいく。彼女が正面に構えていた木刀は吸い込まれるように剣道幽霊の面を貫いた。

 木刀の軌跡は線そのもの。ISVSで見慣れた銃撃と遜色ない。

 一連の無駄のない攻撃に見惚れてしまった。技の主が二頭身のぬいぐるみなのにカッコいいとさえ思わされた。

 モッピーが木刀を下ろす。斜めになった木刀を面防具が滑り落ちて床を転がった。ポルターガイストに等しい剣道幽霊は完全に沈黙。奇天烈な襲撃はモッピーの活躍のおかげでなんとか無事に退けた。

 

「助かったぜ。ありがとな、モッピー」

「礼には及ばぬ。私は与えられた役割を全うしただけだ」

「俺の感謝の気持ちを否定するのは許せないな。素直に受け取っておけ」

 

 以前にナナに言われたことをそのまま返してやる。お互い、素直に相手の礼を受け取れないのは似たもの同士だからかな。

 何はともあれ危険を免れた。剣道幽霊に殴られた腹はまだ痛むが動けないほどじゃない。それに、俺よりも鈴の方がひどい怪我をしたはず。

 

「大丈夫か?」

「……う、うん」

 

 返事に元気がないし、痛みに耐えているためか時折目蓋を強く閉じる。肩口からの出血が少ないのが不幸中の幸いか。

 とりあえず保健室に連れて行って、その後で病院だな。

 俺は鈴の前で背中を向けて屈む。

 

「な、何よ……あたしは歩ける……」

「無理すんな。背負われるのが嫌だったら抱いてやるから」

「んな!? いきなり何言って――痛っ!」

「ほら、いきなり大声出すからだぞ。大人しく俺の背中に乗ってけ」

 

 観念してくれたようで、鈴の腕が俺の首に回される。鈴の細い太股を掴み立ち上がるのは全く苦にならない。女子の中でもかなり軽い方だろうなと推察する。

 重さだけじゃない。手と背中で触れ合っているところから伝わる温かさ。ISVSと違って失ったらそれまでの熱。もしかしたら今さっきまでの一瞬で無くなってしまったかもしれないものに触れることで、助かって良かったと感じ入る。

 

「……少しは意識しなさいよ。あたし一人顔を赤くしてバカみたいじゃない」

「意識はしてるぞ。だからこそわかるが、背中に当たる感触が物足りない」

 

 後頭部に拳骨を入れられた。これだけ動ければ十分大丈夫だと俺はようやく安心できる。頭の痛みも嬉しさに変えて一歩ずつ慎重に歩く。

 薄暗い体育倉庫から出る。足音だけが反響していた静かな空間は変わっていないが、外がやたらと騒々しくなっていた。もう授業が始まっている時間のはず。グラウンドでの授業にしても妙だ。

 嫌な予感が拭えない。体育館倉庫から出たところで足を止めているとモッピーが木刀を携えたまま前に進み出る。

 

「そのまま下がっていろ。まだ終わっていないようだ」

 

 モッピーの警告を合図にしたかのように体育館の金属扉が鈍い音を立てて内側に凹んだ。外からガンガンと次々に攻撃が加えられ、最終的に重い金属扉が体育館内に吹き飛んでくる。

 扉の消えた入り口には数()の人影があった。それらは一様に迷彩服という学校に似つかわしくない格好で統一されている上に、顔はガスマスクを被っていて確認できない。

 俺には人だとは思えなかった。鍵が掛かっていない扉なのに力づくで押し通ろうとしたのは知性か手先の器用さが欠けているに違いなかったからだ。もし扉を壊して侵入するのが常識だとしたら、それは狂った世界なんだと思う。

 

「モッピーだけで大丈夫なのか?」

 

 敵の数は見えているだけで3。銃器の類は持っていなさそうだが、逆に言えば道具無しで分厚い金属扉を吹き飛ばしたことになる。どう考えても普通ではない。

 

「案ずるな。一夏も鈴もこの私が守ってみせる。篠ノ之の名にかけて」

 

 閉鎖空間に風が吹く。

 体育館への侵入者にモッピーが木刀で殴りかかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 どの教室の窓にも野次馬が溢れていた。それも仕方のないことだ。外を見やれば迷彩服にガスマスクの異様な集団が校門から真っ直ぐに校舎へと近づいてきているからである。

 不審者の集団の不法侵入により授業は中断。不審者集団が危険であることは学校職員も把握しているが、全生徒を校舎外に避難させることは厳しく逆に危険に晒すことになる。結果、生徒たちを教室に残して、不審者を校舎外で撃退するという方針で固まった。

 玄関から1人の男が出てきた。両腕と両足のみに西洋騎士の甲冑を装着した男。藍越の生徒の誰もが逆らえない鬼教師が金属でできたブーツを打ち鳴らしながら歩みを進める。

 

「銃や爆弾を使わないあたりは良心的だな。それよりある意味で(たち)が悪いのが難点だが」

 

 宍戸恭平。旧ツムギのメンバーであった高校教師がオルコット家が雇っていた護衛を蹂躙したガスマスク集団の前にたった1人で立ちはだかる。

 

『緊急時のため、ブルー・ティアーズを限定展開しました。リミテッドのPIC、ならびにPICCを使用できます』

 

 甲冑から音声が発される。これは屋上にいるセシリア・オルコットからの連絡。戦闘準備完了を意味する合図である。

 襲撃者たちも様子見の時間は終わりだった。宍戸1人を取り囲むようにして広がると5体が一斉に襲いかかる。

 

「遅い」

 

 金色の瞳が怪しく光る。5方向からの同時攻撃を紙一重で躱すと同時に銀色の拳がカウンターで迷彩服の腹にめり込んでいく。バタバタと倒れていく襲撃者のうちの1体のガスマスクを鷲掴みにすると力を入れて砕いた。ガスマスクの中身が空気に晒される。

 

「気を失っているが、これは最初からだろう」

 

 中から出てきたのは気絶した男性。今の攻防によって気を失ったのではないとする根拠は、中に人がいる意味を為してないと宍戸が理解しているからだ。

 事前に襲撃者の情報はセシリアに与えられていた。

 護衛たちが手も足も出なかったのは迷彩服の()()()によって無力化されてしまったため。

 宍戸の攻撃が通用したのはセシリアの専用機の支配下に置かれたリミテッドを使用したため。

 全て、過去に経験のあることだった。

 

「非生物や死体をBT装備やリミテッドのように使役するワンオフ・アビリティ“傀儡転生(かいらいてんせい)”。まさか“死人使い”が生きていたとはな」

 

 周囲を取り囲んでいるガスマスクの1体が前に進み出る。

 

「ハッ! それはこちらのセリフだ、“銀獅子”。クリエイターの死に殉じたと思っていたよ」

 

 発されたのは高圧的な女性の声。過去に直接顔を合わせたことは一度としてないが、宍戸の知っている女で間違いない。

 相手は旧ツムギが最も恐れていたテロリスト。操り人形にした死体を駆使して、自らが表に出ることなく破壊活動や要人の暗殺を行なってきた卑怯者。

 もし彼女が本気になれば、校舎に残る生徒は1人残らず殺される。たったひとりでそれだけの物量が生み出せる強敵だ。直接的な戦闘で圧倒してみせた宍戸だが、その涼しい顔の裏では焦っている。

 

「狙いは織斑一夏か?」

「もしそうだとしても言うわけねーだろ。無い知恵絞って考えるこった」

 

 言われずとも宍戸は考えを巡らせている。本当に織斑一夏を排除するつもりならば銃器や爆発物を用いて殺害するのが手っ取り早い。傀儡の兵隊を使うにしても銃を使用した方が制圧が容易であったはず。

 それをしないのには理由がある。狙いが織斑一夏であるかは定かではなかったが、誰かの命を狙う作戦にしては大人しい。相手の残忍な性格を知っているからこそ違和感となる。

 言葉を交わすのはこれまで。人形たちの活動が再開し、宍戸に群がる者と校舎へ向かうものの2つに分かれた。殴りかかってきた人形に右手でボディブローを入れた宍戸は空いている左の小手を自分の口に近づける。

 

「敵の本体は服とマスクだ。中の人間は無関係だから殺すなよ」

『了解しましたわ。こういった戦闘はわたくしの得意分野です』

 

 屋上から空に放たれた蒼い閃光がカクカクと曲がりながら地面へと降りていく。校舎へ迫る人形の群れに飛び込んでいった蒼き狩人は縦横無尽に駆け回る。その軌跡は人形の脇腹や肩口を掠め、ガスマスクを抉りとり、ただの1つも直撃しない。着弾すらせず、光は最後に空へと消えていく。結果、中の人間が致命傷を負うことなく、バタバタと人形が地面に倒れていった。

 

「鋭角な偏向射撃(フレキシブル)……それも複数同時だと!?」

「セシリア・オルコットを警戒して人形の中に生きた人質を入れていたようだが無駄だったな。ハッキリ言わせてもらうが、お前との相性の良さに限ればブリュンヒルデよりオルコットの方が上だ」

 

 襲撃者にとってセシリアの能力は想定の外。2人でどうにか校舎への侵入を防げている。

 しかし均衡が破られるのも時間の問題。

 状況はまだまだテロリスト側に分があった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「今のってビームだよな!? 俺、リアルで初めて見た!」

「アホか。CGの虚仮威(こけおど)しに決まってるだろ。空間投影ディスプレイを応用すればできる。オルコットさんなら財力的にやりかねないし」

「言われてみれば地面に穴1つ空いてないや」

「ってか、宍戸の方がやばくね? 動きが人間じゃねえんだけど」

 

 窓に張り付いている男子生徒たちが驚嘆の声を上げている。敷地内へ不審者が侵入したという校内放送に続き、授業まで中断になっている非常事態。野次馬になっている者は基本的に異常を楽しんでいる。

 逆に窓から離れた場所でビクビクと震えている者もいれば、入り口から誰もいない廊下をしきりに気にする者もいた。

 

「廊下の様子はどうだ、ジョーメイ」

「無人でござる」

「今のところは敵の侵攻を抑えられているってわけか。だが一夏と鈴もいない。どこ行ったんだ、あいつら……」

 

 弾は頭を掻いていた。事情を知らないクラスメイトと違い、ISVSでIllと戦ってきた者たちは今の状況が深刻であることを理解している。自分たちの手に負えないことも。

 だが教室でじっとしていられそうになかった。セシリアも宍戸も校舎を死守しようとしている。その庇護下に一夏と鈴がいない。携帯電話は圏外となっていて連絡もつかない。

 

「俺が見てくる」

 

 廊下に足を踏み出したのは幸村。鈴のいない現状を最も憂えている男だ。鈴の危機かもしれないとなれば飛び出していくのも無理はない。

 弾は幸村の肩を掴んで引き留める。

 

「よせ。ISVSじゃないんだ。現実(ここ)でのお前には“最速の逃げ足”がない」

「だからどうした。俺が足を止める理由にはならないだろ」

 

 幸村の決意は固く、弾には止められそうにはなかった。

 いや、そもそも本気で止める気はなかった。

 弾は幸村と肩を並べる。反対側には数馬とジョーメイの姿もある。

 

「1人で行くのはよせと言っただけだ」

「友達を助けに行くのを止めるわけないって」

「拙者たちは戦いにいくわけではない。皆、肝に銘じておくように」

 

 藍越エンジョイ勢の男4人が安全な教室を出て一夏たちの捜索を開始する。先頭をいくのはジョーメイ。弾たちの耳には届かないほどの微かな足音だけで素早く移動し、先の様子を確認していく。

 あまりにも手慣れた動きに数馬たちは動揺を隠しきれない。

 

「ござる口調にすると動きまでニンジャになるん?」

「マイブームってのは恐ろしいモチベーションになるんだよ。きっと陰で厳しい鍛錬を積んでいるに違いない」

 

 弾だけはジョーメイの正体を知っているがクラスメイトたちには内緒しておくと約束していた。笑い話にして誤魔化しておく。

 先を行くジョーメイが右手を挙げた。安全だというサインを見てから弾たちが後に続いていく。再びジョーメイが先行する先はトイレ。男子トイレの中に入っていく彼を見守っていた幸村が呟く。

 

「よし、女子トイレは任せろ」

「頼んだ」

「逝ってこーい」

「送り出すんかい! そこは止めるところだろ!」

 

 幸村の冗談ではあったが、実際、鈴がいるかどうか確認しておくのも弾の頭の中に選択肢としてあった。だが男子トイレから出てきたジョーメイが×印でサインを送ってきたことで考えを改める。

 一夏がトイレにもいない。ならば他の階、もしくは校舎の外にいる可能性がある。この時点で女子トイレに鈴がいるか否かは関係なくなった。

 4人は下の階へと降りていく。外や教室の騒々しさとは対照的に階段、1階の廊下は静かなものだった。玄関方面に向かうのは明らかに危険。宍戸が通った後のはずであるから一夏たちがいるとは考えにくかった。

 考えられるのは体育館のある逆方面。今の時間に授業はないのだが、一夏たちが校舎外にいるとすればそちらしか残っていない。

 

「そういえば不審者集団はどうしてあっちから入ってきてないんだろ?」

 

 違和感に最初に気づいたのは数馬だった。校舎へのわかりやすい入り口は玄関の他に体育館への連絡通路もあった。玄関前は宍戸が陣取っているため敵は校舎に侵入できないでいる。1階の窓は進入経路として無防備に等しかったが、それ以前に人が楽々侵入できる入り口が放置されているのは解せない。

 

「オルコット殿の働きによるものでござろう」

「だといいがな」

 

 もちろんセシリアの活躍も影響している。事実、敵が窓からの侵入すらできずにいるのは彼女によって守られているからだ。

 しかし敵の目的が何であれ生徒を人質にとるメリットは大きい。数で圧倒して侵入するにも入りやすい入り口を使わない手はない。

 最善と思われる手で来ない。その理由があるはず。先のデュノア社のミッションで痛い目に遭っていた弾は敵の行動の意図を推察する。

 

「最悪のケースだが、奴らは校舎に来れないんじゃなくて来る必要がないんじゃねえか?」

「織斑が体育館にいるってことだな?」

 

 幸村も同じ考えに行き着いていた。鈴が絡むと彼の頭の回転は凄まじく速くなる。

 方法は不明だが一夏は敵に誘い出されている。鈴もそれについていったと考えると不自然な点が見当たらない。

 セシリアがビームで攻撃している時点で敵がISであることは確定している。現実でISを使うような敵が藍越学園にやってくる目的は一夏しか考えられない。

 

「了解した。拙者が一夏殿と鈴殿を救出に参る」

「いや、ジョーメイ1人を行かせられないって」

「何度も言うが鈴ちゃんの危機に俺が黙ってられるわけがない」

 

 弾としてはジョーメイ1人で行かせるつもりだったが友人思いの数馬と鈴ちゃんバカの幸村を止められるだけの言葉を持っていない。たとえジョーメイの正体を明かしたところで同じだろう。それはジョーメイも同意見で、弾に無言でアイコンタクトをする。

 

「慎重に行くぞ。ジョーメイが先行するのはさっきまでと同じ。ヤバいと思ったら全力で引き返す。いいな?」

 

 全員で顔を合わせてから頷く。できることなど何もないかもしれない。それでも男たちは行動を開始する。

 

「正解だったようでござる」

 

 先を行くジョーメイが呟いた。後に続く3人が目にしたのはあるべきはずの金属扉がなくなっている体育館の入り口。誰もいないはずの体育館に敵が強引に押し入っている理由は1つしかない。

 迷彩服の不審者は近くにいない。まずは中の様子を確認するためにジョーメイが体育館に寄っていく。

 

 誰もが体育館の中ばかりに意識が向いていた。

 現実はISVSと違う。地上にしかいない敵を前にして頭上を気にするはずもなかった。

 そんな中、数馬がふと見上げたのは偶然である。弾と幸村の2人より後ろに居たからこそ、視野が広くなっていた。ただそれだけの違いだった。

 空に人影があった。日本の鎧を模した装甲を身に纏っている。見覚えのあるそれは打鉄のように見える。

 倉持技研から救援が来たのだろうか。

 しかしそれにしては明らかな異常がある。

 

 操縦者は男だった。

 

 数馬が声を上げる間もなく、打鉄は体育館の屋根を突き破っていく。乱暴な侵入は周辺に瓦礫を撒き散らす。その内の1つが前を歩く弾に向かっていた。まだ弾は屋根を突き破る轟音に気づいたばかり。

 考えるより先に体が動いていた。数馬の両手は前を歩く2人を突き飛ばす。そして――

 

 瓦礫が数馬の頭を殴りつけていった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 迷彩服にガスマスクの妙な集団がモッピーの木刀に吹き飛ばされて折り重なる。死屍累々とはこのことだろうか。死んではいないと思うけど、剣道幽霊とは違って中に人が入っていた。

 

「も、モッピー……さっきから木刀で全力で殴りつけてるけどやりすぎじゃないか……?」

「安心しろ。峰打ちだ」

「木刀に刃も峰も無いだろ!?」

「冗談はさておき。一夏にはわからぬだろうがこいつらにはPICが働いている。これくらいやらねば私の攻撃も届かないのだ」

 

 どう見てもただの人間だったがその実は違っている。体育館に侵入してきた者たちはISを傷つけることも不可能ではなく、ISのない者に対して無敵であった。おそらくは有人リミテッド。さっきの剣道幽霊も同類なんだろう。

 モッピーはPICのある敵を打ち破ることができた。もしかしなくてもモッピーってISなんじゃないだろうか。だとすればモッピーさえ居ればなんとかなると思える。

 だが敵も単調な攻めで終わらない。

 けたたましい音と共に体育館全体が大きく揺れる。頭上を見上げれば天井には大きな穴。そして、宙を浮く“打鉄”が俺たちを見下ろしていた。これまでと違う明確な兵器の登場。倉持技研からの援軍とは思えない。打鉄はアサルトライフルを俺たちに向けている。

 

「させるかっ!」

 

 鈴を背負っている俺では動きが鈍い。モッピーが地上の迷彩服野郎どもを放置して宙にいる打鉄へとかっ飛んでいく。体育館内の空気が激しく動き、俺たちを強烈な風圧が襲う。なんとか踏みとどまっている間に1発の打撃音。続いて体育館の床を重いものがガシャガシャと転がる。

 再び見上げたときには宙にいた打鉄の姿はなく、木刀を振り終わったモッピーだけ。

 床に目を移すと転がっているのは操縦者を失った空の打鉄。機能停止と同時に投げ出されたのか操縦者と思われる“気絶した男性”も倒れていた。

 

「男……?」

「奴らが来てるわ! 余所見してないで!」

 

 背中から聞こえる鈴の焦った声の通り、迷彩服たちが俺たちの元へ近寄ってきていた。だけどまだ大丈夫。モッピーが居てくれる。高い天井近くから急降下してきたモッピーが最前列の迷彩服を吹き飛ばして壁となる。

 頼もしい。多勢に無勢でも彼女が負けるとは思えなかった。このまま俺たちは下手に動かず、セシリアや宍戸の救援を待つのが最善だろう。

 

 そう……俺たちだけだったなら。

 

「ねえ……声が聞こえない?」

 

 先に気づいたのは鈴だった。目に見えるものだけでいっぱいいっぱいだった俺には戦闘の騒音に紛れて外からの人の声が聞こえていなかった。

 意識を向けて耳を澄ませる。セシリアでも宍戸でもなく、弾の声……

 

「数馬っ! くそっ!」

 

 弾と数馬が近くに来ている? 他にも幸村とジョーメイの声もする。しかし数馬の声だけはしない。

 外で何が起きてる? ここからだと何も見えない。敵が入り口から攻めてきている現状だと様子を見ることも適わない。

 

「箒っ! 外に皆が――」

「わかっている! だが私はここを離れるわけにはいかん!」

 

 ほぼISであるモッピーといえどできることは敵の迎撃だけ。殲滅してこの状況を強引に打開するような真似はできない。

 手が足りない。ここで見ていることしかできないのか……

 何か手はないか。何でもいいから武器になりそうなものを探して辺りを見回す。

 そんな俺の目に、モッピーが撃墜した打鉄が映った。

 

「もしかして……あれって……」

 

 近くに倒れている操縦者と思しき人物は男である。ISVSならば何も不自然ではないが、現実のISは女性にしか使えないという制限があったはずだ。

 しかし床に転がっている打鉄は正常に動いていた。でなければ体育館の屋根を突き破って入ってくるような荒技は難しい。モッピーにやられはしたものの、男が操縦するISが確かに存在しているのだ。

 

 ――手が足りないなら俺がやればいい。

 

「鈴、ちょっと降りててくれ」

「う、うん。いいけど」

 

 背中から鈴を下ろして墜落した打鉄を見据える。

 動かないかもしれないけど、もしかしたらがあるかもしれない。

 考えてる時間もない。皆に危険が迫ってる。

 俺がやるしか……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一瞬の出来事だった。唐突に後ろから背中を押された弾と幸村の2人は何が起きたかもわからないまま前に転げる。咄嗟に床に伸びた手を強く打って痛むも弾は振り返った。容赦なく突き出された手の主が誰かは振り返る必要もなく誰かはわかっている。

 

「数馬!」

 

 自分の痛みなど忘れた。振り返った弾の目に飛び込んできた光景はにわかには信じられないものだったからだ。

 そこに立っていなければならない男が仰向けに倒れている。彼の頭には打撲痕があり、赤い血が広がっている。その原因と思われるコンクリート片も傍に落ちていた。

 

「おい、数馬! 返事をしろ!」

 

 慌てて駆け寄って必死に呼びかける。何が最善かなど考える余裕などなく、現実を否定するために叫ぶしかできずにいる。弾だけでなく幸村も同じ。鈴の危機すらも頭から吹き飛び、倒れている数馬を黙して見つめるだけ。

 ジョーメイ――朝岡丈明も引き返してきた。更識の忍びの一員として最も危険な位置を買って出ていた彼は自らの視野の狭さと油断、素人を連れてきた判断ミスをひたすらに悔やむ。たとえ誰の悪意もない事故であっても、防ぐことができた事態だった。

 

「マズい。連中がこちらに気づいた」

 

 唇を噛むばかりで終わっていられる状況ではないと切り替える。ジョーメイは高校生でありながらプロフェッショナル。趣味のござる口調は消えて、仕事の顔に変貌する。

 

「出血はひどくない。表層の皮を切った程度だ。だが頭を強く打っているから下手には動かせない」

 

 弾を押しのけて数馬の傷の状態を確認。鼻の前に指をやり、空気の流れを感じ取る。だが頭を強く打っていて危険な状態。治療が遅ければ最悪の場合、数馬が死ぬ可能性もある。急いで動かすのも危険だというのに状況は悪化するばかり。迷彩服とガスマスクのゾンビのような集団が着実に近づいてきていた。

 朝岡は前に立つ。元を辿れば自らの判断ミスが招いた危機。責任は自分が取らなければならない。

 

「弾は数馬を看ていて欲しい。亮介は生徒会長を呼んできてくれ」

「わかった。行ってくる」

 

 幸村が校舎へと走り去るのを見送り、朝岡は1人で襲撃者の群へと飛び込んでいく。宍戸恭平のように直接戦うだけの道具も技量もない。それでも、少しでも時間を稼ぐために朝岡は囮となる道を選んだ。

 殴っても蹴っても意味を為さない。朝岡はISVSにおけるサベージのように敵の攻撃を避けることのみに終始しなければならない。一方的に避け続けることがどれだけ困難なことか。少なくとも朝岡にその才はない。それが意味する結末は1つ。

 

「ジョーメイ!」

 

 迷彩服に殴りつけられて朝岡の体が壁に叩きつけられる。ずるりと崩れ落ちた彼はそのまま倒れ伏し動かなくなった。囮がいなくなった今、弾と数馬を守る者はいない。

 もう弾だけだ。不幸中の幸いか、迷彩服たちは気を失った朝岡を無視して弾へと足を向ける。つまり、弾が動ける限り、数馬も朝岡も狙われることはない。

 

「やるしか……ないか」

 

 幸村が助けを呼びに向かっているが、助けが来たところで状況は変わらない。いくら非凡な生徒会長であっても不可能なことはある。自分がやるしかないと思うには十分だった。

 弾の顔に笑いが浮かぶ。それは嘲笑。目は虚ろ。一夏を助けると勇んで来た自分たちの方が危機に陥っている。今更ながらに自分たちの浅はかさを後悔していた。

 今にも逃げ出したがっている足へと必死に指示を送る。敵の目を引きつけるために前へ踏み出せと。だが弾は朝岡のように訓練を受けているわけではない。ISVSでいくら戦いを経験していようと、現実では思うように体が動かない。

 結局、数馬から離れることもできないまま敵の接近を許すこととなった。

 万事休す。危機的状況を前にした弾は自らの無力さに歯噛みし項垂れた。傍目には敵に土下座しているような低姿勢。当然、弾の目には地面しか映らない。

 

 そんな弾の耳に風切り音が聞こえた。

 頭を下げている弾の後頭部スレスレを巨大な質量が通過して、攻撃的な風が肌を撫でる。自慢の長髪が靡く方向は弾から見て前方。つまり、風下は敵の方にある。

 続いて何かが衝突する音が耳に届く。硬いものがぶつかってひしゃげるときの音で、ガラスの割れる音でも混ざっていれば交通事故でも起きたのかと疑うような音であった。

 

「な、何で、郵便ポストがあるんだ……?」

 

 恐る恐る弾は顔を上げた。近くにまで迫っていた迷彩服はいない。今の一瞬で遠くにまで吹き飛ばされていた。地面に倒れ伏す迷彩服の上には変形してしまっている郵便ポストが乗っている。

 敵に対して郵便ポストが投げつけられた。投げた本人は背後にいる。

 弾は後ろを振り返る。するとそこには長い銀髪の女の子。

 

「それは、誰、カズマを傷つける男であるかどうか、で許されないか」

 

 初めはラウラが来たのだと思いこんだ。一夏の家に居候している彼女が異変に気づいて藍越学園にやってくる可能性は十分にある。だが彼女の特長である黒い眼帯がない。何よりも両目に怪しく光る金色の瞳が別人だと思わせるのに十分な威力があった。

 それだけではない。弾は一夏の近くで戦ってきていた。虚との関係からも“敵”の情報を多く知ることができる立場にいた。それとなく聞いていた遺伝子強化素体(アドヴァンスド)と呼ばれる造られた人間のことを思い出した。

 Illの操縦者かもしれない者たちのことを……

 

「嘘だろ……現実にIllが……」

 

 銀の髪の少女が近づいてくる。装備を展開していないが、たとえISVSであっても弾1人では荷が重い相手の可能性が高い。

 

「置き。煩わすならば許さない」

 

 少女が何を言いたいのかは理解できない。だが弾は本能で危険を感じ取り、無意識のうちに数馬から離れていた。数馬を見捨てるに等しい自らの行動を責める余裕すら残されていない。

 気を失っている数馬の傍で少女は屈み込む。出血している頭を左手で撫でる顔には喜怒哀楽の欠片もない。淡々と事実だけを確認した彼女は数馬の左手を握ると目蓋を閉じた。

 まだ幼いといえる外見の少女が瞑想する。あるいは祈りを捧げているのか。一度だけ苦しげに眉間に大きく皺が寄った後、少女は再び目を開く。

 

 弾は息を呑んだ。

 少女の眼が大きく変貌している。

 彼女の瞳は金のまま。だがしかし、その眼球は漆黒に染まっていた。

 

「大丈夫だから。絶対に数馬を死なせたりしない」

 

 黒き眼の少女が数馬の左手に口づけをする。

 少女の周りには金色の目映い粒子が舞い、それら全てが1つの意志に従って数馬の元へと群がっていく。頭部の裂傷は瞬時に塞がり、全身を覆った粒子は彼の体を軽々と持ち上げると徐々に“ある形”を象り始める。

 

「まさか……これって……」

 

 弾はその正体に気がつくが言葉には出せない。それほど常識外れの出来事が目の前で起きている。

 不可思議な現象を引き起こしている張本人、ゼノヴィアが誇らしげに見つめる中、御手洗数馬は目を覚ました。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 俺は体育館の床に寝転がっていた。左頬が赤く染まっているのは全力で叩かれたからである。

 敵の攻撃じゃない。モッピーが敵を抑えている今、俺に触れることができるのは鈴だけだった。

 

「アンタねぇ……今、何をしようとしたの?」

 

 鈴が肩の痛みで顔を引き攣らせながらも俺を睨みつけてくる。俺はなぜ彼女が怒っているのか理解できないまま困惑していた。

 

「答えなくていいわ。どうせアンタのことだからそこに落ちた敵のISを使おうとでも思ったんでしょ」

 

 どうやらお見通しだったようだ。でもそれじゃ俺を殴ってまで止める理由にはならない。結局、鈴の真意は読めぬまま。俺の考えを言い当ててもなお怒りを収めない彼女は捲し立ててくる。

 

「襲ってきたのは男みたいだし、男が使えるISかもね。でもね、一夏。そんな不確かなものに乗るのを許すわけにはいかないの。自分の身の安全は考えてる? 車とは訳が違うのよ? ましてや敵が用意したものだし、どうして罠かもしれないとか考えないわけ? そんな危険なものを使う一夏の姿を見せられるあたしの身にもなってみなさいよ!」

 

 困った。彼女は俺よりも冷静でいられてる。俺には何一つ言い返すことができない。

 そうだよな。敵が使えた事実があるからって、俺が万全に使えるわけじゃない。さらに言えば、操縦者が投げ出されているのも妙なんだ。ISVSでは見たことのない状況だ。お(あつら)え向きに俺の前に投げ出されたISなんて出来過ぎている。

 もしかすると俺を捕獲する罠かもしれない。そう考え始めるとそうとしか思えなくなった。

 俺は身を起こすと鈴の元へ戻る。

 

「わかったよ、鈴。俺が冷静じゃなかった。だけど外で数馬たちが――」

「何もかもをアンタがやろうと思うな。外に来てるってことはあたしらを助けに来てくれた連中でしょ? 少しは仲間を信じなさい」

 

 またまた返す言葉もない。何も問題を解決していないが、今は下手に動けないのは事実。俺が無茶をして状況を悪化させればそれこそ取り返しがつかない。

 今は我慢。皆を信じて待つ。これが最善だ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『数馬。聞こえる?』

 

 頭の中で声がした。そう認識したとき、数馬は自分という存在を思い出す。今、自分は何をしているのか。自問した末に思い出したのは友人たちを突き飛ばした瞬間までの出来事。自分に向かって飛んでくる瓦礫の映像がフラッシュバックする。

 

 ――俺は死んだのか?

 

『違うよ。数馬は生きてる。私が数馬を死なせない』

 

 また声がする。聞き覚えのある声のようで、どこか違和感も覚えていた。身近だけど遠いような曖昧な感覚を数馬は上手く言葉にできない。

 

「君は誰?」

『私を忘れちゃったの? ゼノヴィアだよ』

 

 名乗られてもピンとは来ない。ゼノヴィアのことはよく覚えている。だからこそ記憶の中の彼女と一致しない。数馬の知るゼノヴィアは日本語を上手く話せないはずなのだ。

 

『やっと普通に話せるね……でも、できればこんな日は来て欲しくなかった』

「普通に話す日が来て欲しくなかったって、その言い草だと嫌ってことじゃないん?」

『嬉しいけど悲しい。それは二律背反じゃないよ』

 

 疑問を口にしながらも数馬は次第に話し相手があのゼノヴィアだと感じ始めていた。今聞こえてきている言葉こそが彼女の本当の言葉だとも。理屈ではなく直感がそう訴えている。

 近くにゼノヴィアがいるのか。数馬の意識は音だけの世界を脱し、光を求めて重い目蓋を開けた。

 昼の明るさが目に飛び込んでくる。見覚えのある場所。藍越学園の体育館入り口付近だ。問題は、数馬が真っ先に目にした光景が空や天井で無かったことだった。

 

「俺……浮いてる?」

 

 数馬は直立した状態で浮いていた。高さにして2m強。自分の身長よりも高い位置で静止している経験は学校生活の中で初めてのことであった。

 だが数馬は違う場所で同じ浮遊感を経験したことがある。現実ではなく仮想世界でのみ使うことが許されていた兵器の名前を口にする。

 

「これって、IS……?」

『そう。数馬の機体をそのまま呼び出したの』

 

 目覚めてもなお頭の中に声は響く。言われた通り、数馬の体に装着されているのは、最後に数馬が使用した打鉄と同じだった。愛用している機体を固定していない数馬であるから、打鉄が現れたのは偶然の産物である。

 数馬は地上を見回すと目的の少女を発見する。頭の中に響く声の正体である銀髪の少女は右手で両の目を覆っている姿で立っている。

 

「ゼノヴィア……君は一体……?」

『ちょっと疲れちゃった。私、もう帰るから、あとは数馬が頑張って』

 

 ゼノヴィアは数馬とは逆方向を向くと右手を下ろして歩いていく。校舎の裏手方面には襲撃者たちがいなく危険はないのだが数馬にはわからないことだ。一見すると無防備な彼女を追おうとする。しかしそんな数馬の思考は先回りされていた。

 

『大丈夫。私は心配ないよ。数馬はお友達を助けてあげて』

 

 振り向かず。歩みも止めず。しかし優しい声音で数馬を諭す。

 友達を助けろとゼノヴィアは言う。ようやく彼女以外が目に入るようになった数馬は気を失っている朝岡と、呆然と自分を見上げる弾の存在に気がついた。

 そして、宍戸が戦っている相手と同じ迷彩服の集団が弾へと向かっているのも確認する。

 

 ――今の俺には力がある。

 

 宍戸の人間離れした戦闘でようやく相手になる敵。普通ならば逃げなくてはならない。だがISを手にした数馬にとっては何の障害にも思えなかった。

 武器は呼び出さない。銃火器の使用は弾と朝岡を無駄に危険に晒す。宍戸が殴りつけてどうにかしているのならば、ISがある数馬では同じことがもっと楽にできる。

 迷彩服の先頭の前に舞い降りた数馬は装甲を纏っている右足で蹴り飛ばす。いとも簡単に10mほど吹き飛んだ敵は迷彩服もガスマスクもボロボロになり動かなくなった。

 

「弾! 俺がなんとかするからジョーメイを頼む!」

「お、おう!」

 

 宣言通り、数馬は迷彩服集団と戦闘を開始した。いや、戦闘と呼ぶにはあまりにも一方的すぎた。迷彩服たちがいくら殴りつけても数馬は微動だにせず、逆に数馬のパンチ1発で迷彩服は戦闘不能になっていく。弾が朝岡を抱え起こしたときには半数以上の迷彩服が倒れ伏していた。

 

「すげぇ……」

 

 弾が見入っている間にも数馬は敵の数を減らしていく。武器を使った派手さはなくとも多数の敵をたった1人で蹴散らす。その様は頼もしくもあり、異様でもあった。

 

「よし、片づいた。じゃあ、俺は一夏たちを探すから、弾はジョーメイを連れて校舎に戻ってて」

「あ、ああ」

 

 数馬はすぐ傍の体育館へと入っていく。もしそこに敵が居ても今の数馬ならば問題なく倒せることだろう。あとは宍戸とセシリアが他の場所を片づければ終わり。もう傷も無さそうな数馬を除けば、負傷者は朝岡のみとなり上々の結果と言える。

 大規模な襲撃の割に大した被害が出ていない。敵の攻撃の意図はわからぬまま。弾はひとまず朝岡を保健室へと連れて行く。その胸には後悔と不安が渦巻いていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 藍越学園を襲った非日常は終わりを告げた。

 迷彩服の襲撃者たちを1体残らず無力化できたのだ。

 俺たちを守っていたモッピー。

 校舎を守っていた宍戸とセシリア。

 そして――ISを使う御手洗数馬の活躍によって……

 

 体育館を出たところで俺、鈴、モッピーは数馬と合流していた。打鉄を纏った数馬は身長が倍くらいになったような存在感を出している。ISVSで見慣れた姿でも現実ではやはり違う印象を受ける。

 

「皆が無事で良かったよー」

 

 数馬の口から出てくるのは安堵の声。中学時代から俺は良く知っている。友人思いな数馬らしい一言だ。なのに今の俺にはそういったいつもの数馬の姿すら異常に映っていた。指をさして問いかける。

 

「数馬、それは一体……?」

「ん? ああ、このISのこと? 気づいたときにはあったから俺には良くわかんね」

 

 敵の装備を利用しようとしていた俺が言えることじゃないかもしれないが、数馬はあっけらかんとしていた。とんでもない手段を使ってる自覚があるんだろうか……ってやっぱり俺が何を言っても棚上げにしかなってない。

 

「そいつがどういうものかは置いといて。お前のおかげで助かったぜ、数馬」

「別にいいって。俺としてはやっと一夏の役に立ててむしろ安心したくらいだし」

「いやいや、今までだって数馬には十分に助けられてる」

「それは違うって。客観的に見て俺は戦力になってなかったしさ」

「だからさ。戦力にならなかった奴なんて誰もいな――」

「あー、鬱陶しいっ! ありがとう。どういたしまして。それで終わりっ!」

 

 数馬との終わらない謙遜合戦を鈴が強制的に打ち切った。俺も数馬も譲れないものがあったから、いつの間にか互いを立てようとして実質的に自分の主張を押しつけ合っていた。こんなことで言い合いになるような奴は数馬の他にいないと思うと俺は自然と頬を緩ませていた。

 

「ところで一夏」

 

 リミッターの付け直しが終わったのか、モッピーがとことこと足下にやってくる。しかもわざとらしい咳払いまでして俺の注目を得ようとしている。

 わかってるって。

 

「モッピーもありがとな。おかげで俺も鈴も助かった」

「そうね。色々と思うところはあるけどあたしからも礼を言わせてもらうわ。ありがと」

「どういたしましてだ、鈴」

 

 得意げなモッピーが胸を張る。まあ、上機嫌そうで何より。

 校舎の方は騒ぎが徐々に静まりつつある。さっきまで窓に張り付いていた野次馬の生徒たちがいなくなってるから、先生方が収拾をつけようと動き出してるんだろう。宍戸も校舎内に戻ったようだし、俺たちも鈴を保健室に連れて行った後で教室に戻るとしよう。

 

「待て、一夏。セシリアが来る」

 

 校舎に入ろうと足を向けた途端にモッピーが呼び止める。足を止めた俺はどこから来るのかと周囲を見回してから頭上を見上げた。

 セシリアが空から降りてきた。蒼い装甲を身に纏った戦闘態勢のまま。彼女の武器である4機のBTビットが数馬を囲うようにして配置される。

 

「へ?」

 

 数馬が間抜け面を晒しつつ両手を上に挙げる。それも仕方がない。セシリアの目つきはとても仲間を見るようなものではなく、むしろイルミナントと戦っていたときの彼女と重なる。

 

「数馬。ISを解除するんだ」

「あ、いっけね。確かにこのまま校舎に入るのはマズいよな」

 

 セシリアの敵対行動の意図を俺なりに解釈して数馬に提言する。数馬は即座にISを待機状態に戻した。数馬の趣味だろうか。待機状態のISはリング状になって左手の薬指で銀色に光っている。

 武装も解除した。なのにセシリアは臨戦態勢を解かない。俺が彼女の考えを読めないのは今に始まったことじゃないけど、今回ばかりは俺も黙っていられそうにない。

 

「おい、セシリア! お前も銃を下げろ!」

「……そうはいきませんわ」

 

 ようやく口を開いてくれた。しかしセシリアの険しい表情は変わらず、BTビットは数馬に狙いを定めたまま。

 俺は自分からBTビットの包囲の中へと入っていく。でないとセシリアは俺と話してくれそうにない。数馬を彼女から隠すようにして立つ。

 

「どういうつもりだ?」

「一夏さんは退いてください。場合によっては御手洗さんを撃たなくてはなりませんので」

 

 冗談じゃなかった。セシリアが俺をからかうときは決まって笑っている。俺ではなく数馬を睨みつけながら冗談を言うことはあり得ない。

 セシリアが数馬を撃つ?

 にわかには信じがたいことだけど認めないといけない。彼女は本気で数馬を敵視している。

 だからこそ俺は数馬の前から動くことはしなかった。

 

「説明してくれ。でないと俺は絶対に退かない。いくらセシリアの言うことでもだ!」

「わたくしだって好きでやってるわけじゃありませんわ! ですが、この場に468個目のISコアが突然出現したんです! わたくしの星霜真理がなくとも世界中のコアの数は確認できます。既に各国のIS操縦者が“あるはずのないIS”を認識してしまっているのです!」

 

 468個目のISコア? そういえば現実に存在するISコアは467個だけだと聞いた。数馬が持っているのは存在しないはずのISということになる。この点はいつの間にか持っていたという数馬の証言とも一致する。

 

「それがどうして銃を向けることになるんだ?」

「入手経路を尋問するからですわ。御手洗さんのISを確認する直前に、強力なPICの反応をわたくしの撒いたナノマシンが捉えました。リミテッドとは格が違うものだったにもかかわらず、星霜真理を以てしてもISの情報を得られなかった。一夏さんにはその意味がおわかりですか?」

 

 リミテッドやBT装備すらも星霜真理ではISコアとのつながりから発見できてしまう。PICは働いてるけど星霜真理では見えない。この条件を満たす存在は俺の知る限り、たった1つだけ。

 

「御手洗さんがISを手にする寸前まで、御手洗さんの傍にIllが居たのは間違いないのです」

「ちょっと待て!」

 

 俺の後ろで数馬が声を荒げる。いつも陽気な雰囲気を出していて、面倒事も笑って受け止めてみせる男はここにいない。

 

「Illって一夏が倒してきた化け物だろ……? 俺は一度気絶した。でも次に目を覚ましたときに化け物なんていなかった! 大体、現実にそんな敵がいるなんておかしいだろ!」

「数馬……」

 

 今まで数馬を庇うようにして立っていた。だけど、セシリアの話と数馬の態度で俺は立場を変えざるを得なくなった。

 俺は振り返る。背中を預けていた親友と正面から対峙して問いかける。

 

「銀髪、もしくは金色の瞳に心当たりはないか?」

 

 化け物という言葉で隠れてしまう敵の特徴。正確には遺伝子強化素体の特徴だ。ラウラも当てはまるけど彼女はバルツェルさんが亡国機業から救出したから例外なだけ。奴らは人と変わらぬ顔も持つ化け物だと身構えておく必要がある。

 Illの存在は噂として広まっていたのもあって藍越エンジョイ勢を初めとする味方してくれたプレイヤーのほぼ全員が知っている。だけどIllの操縦者である遺伝子強化素体の情報については俺やセシリアが率先して広めたことはない。理由は単純に味方にラウラが居たからだ。だから共に戦う機会が弾と比べて少なかった数馬には話していない。

 数馬は俺の質問に答えない。あるともないとも言わなかった。でもこれは無言の肯定だ。ないと嘘をつけず、あると言えないときだけしか沈黙を守る理由は存在しない。嘘をつけないところは数馬らしい。

 

 決まりだ。数馬は俺の知らない遺伝子強化素体を知っている。

 

「これ以上の尋問は必要ありませんわね。Illの件もありますが、いずれにせよ468個目のコアと男性操縦者を放置するわけにはいきません。御手洗さんの身柄を拘束させていただきます」

 

 セシリアの歩みを俺は引き留めなかった。もし本当にIllが絡んでいるのならば、今の数馬の状況も敵の罠である可能性が高い。前もって抑えておこうとするセシリアの判断は間違ってないし俺も同じ意見だった。数馬も指示に従ってくれる。そう漠然と思い込んでいた。

 

「……なあ、一夏。お前はさ、今まで戦ってきた化け物を最後はどうしてきた?」

 

 遠くを見つめて数馬が問いかけてくる。俺が倒してきたIllはアドルフィーネとギドの2体。どちらも倒さなければ帰ってこない人たちがいた。たとえ2体とも命があったとしても、俺は自分のしたことを間違いだなんて思ってない。

 もはやこれは奴らとの生存競争なのだから。

 

「倒してきた」

「そっか……わかったよ」

 

 瞬間、数馬の左手のリングが輝きを放つ。

 俺の返事が引き金だったのかどうかはわからない。

 1つだけ確かな事実は、数馬が再びISを展開したこと。

 数馬はアサルトライフル“焔備”でBTビットを撃墜すると空高くに舞い上がった。

 

「数馬!? 何を――」

 

 もう俺の言葉は数馬には届かない。聞こえてたかもしれないけど、あっという間に遠くまで飛び去ってしまった。

 

「くそっ……何がどうなってるんだよ……」

 

 苛立ちを隠せない。唐突に現れた新たなIllの影はあまりにも想定外な場所だった。数馬も俺の知ってる数馬と違っているように見える。変わり続ける状況に振り回されるばかりで、何をすべきなのか俺の中で確かな答えが確立できないでいた。

 

 このときの俺はまだ気づいていなかった。

 セシリアが本当に危惧していたこと。

 この日に数馬が引き起こした事態は俺たちにとって逆風だったことを。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 日本国内。藍越学園から遠く離れたとある都市の高層ビルの屋上で難しい顔をして寝転がる女がいた。

 彼女の名前はオータム。この日、藍越学園を“単独”で襲撃したテロリストである。

 

「気に入らねえ。結果は予定通りだってのに過程が完全に想定外じゃねーか」

 

 藍越学園への攻撃は数を揃えて大掛かりだったにもかかわらず、殺害対象も破壊対象も存在していない。オータムの目的はただ1つ。藍越学園に“男性操縦者がいる”という確定に近い情報を作り出すことにあった。

 その生け贄として選んだのがライバル視している織斑千冬の弟。2体のIllを倒してきたプレイヤーはスコールにとって邪魔な存在である。織斑一夏を男性操縦者に仕立て上げて、もう1つの目の上のコブと潰しあわせることこそが狙いだった。

 

「いけませんねぇ、オータムさん。織斑一夏の性格は上手く掴めていたようでしたが、彼の周りにある外乱を考慮しておかないと思うように事を運べませんよ」

「出やがったか、キツネ野郎」

 

 屋上にはオータムの他にもう1人、ハバヤの姿がある。メガネをかけていないときは細目だからという理由でオータムは彼をキツネ野郎と呼んでいる。

 

「ハバヤです。いい加減、名前を覚えてくれませんかねぇ?」

「私はテメーを味方だなんて認めてない。スコールの命令さえなきゃ、この場で殺してるところだ」

「怖い怖い」

 

 おちょくるような言動にオータムの堪忍袋は今にも切れそうだった。だがハバヤは態度を改めることなくマイペースである。オータムを怒らせるなとスコールに念を押されていたにもかかわらず、ダメ出しを続けるという暴挙に出た。

 

「最初から銃でも爆弾でも盛大に使って、アントラスのテロだとしておけばあの学園からセシリア・オルコットを排除できたのですがねぇ。イギリスの代表候補生がいたために学校がテロに巻き込まれたとでもなれば、日本の世論が勝手に追いつめてくれるというのに勿体ない」

「イギリスの小娘がどこに居ようと大勢に影響はないだろーが。むしろ篠ノ之束のいない場所への過激な活動はスコールの支持者を減らすだけでリスクしかねーんだよ」

「ごもっとも。これは単純に私の趣味でした。エリートを社会的に抹殺するのって胸が高鳴りますよねぇ?」

「知らねーよ。お前の性格が悪いだけだろ、そんなの」

 

 ハバヤはわざと舌戦で負けてみせた。呆れたオータムからは怒りどころか警戒心すらも薄れている。

 要らぬ敵意がなくなったところでハバヤはさらにオータムを称える。

 

「襲撃に目立つ武器を使わなかったのは“男が扱うIS”を際立たせたかったという理由もあるでしょうか。罠にかける男が安易に立ち向かい易いという配慮でもあります。自分には力があると誤認して好き勝手暴れてくれれば御の字である、と。流石、死人使いの異名は伊達ではありません。味方よりも敵を利用するスタイルは素直に尊敬します」

「世辞は要らねえ。結果的に織斑一夏は私の罠に嵌まらなかった。もっと追いつめて選択肢を潰すつもりだったんだが都合良く他が現れた。テメーが何かしたんだろ?」

「ええ、まあ。どうせやるなら偽物の男性操縦者よりも本物の男性操縦者の方がインパクトあるんで。事実がある以上、真実を知らない者は情報に踊らされて疑心暗鬼を生じることでしょう。早速、御手洗数馬くんが現実でISを使っている映像をネット上に撒いておきました。一般にはCGによる自演として誤魔化せるため世論の誘導までは無理でしょうが、アメリカが水面下で動き出すには十分です」

「……本物だと? まさか本当に日本が篠ノ之論文を抱えてるんじゃないだろうな?」

 

 オータムは怒りとは無縁な睨みを効かせる。感情の伴わない殺意をぶつけられてもハバヤは涼しい顔を崩さない。

 

「いえいえ、そんな事実はないです。ただですね……あれは篠ノ之論文なんて目じゃないですよ。情報でなく、無限の資源が得られる宝の山そのものでして」

「何の話をしている?」

「あなた方が逃した獲物はとてつもなく大きかったという話です。ミツルギ社の巻紙礼子さん?」

 

 ハバヤはオータムを別の女性の名前で呼ぶ。それがトリガーとなり、オータムは懐の拳銃を取り出して突きつけた。

 

「テメーはどこまで知ってる!?」

「大雑把には把握してるつもりです。あ、でもご安心を。あなた方についてはヴェーグマンに何も報告してませんから。むしろ積極的に隠していますのであなた方に害はないはずですよ」

 

 裏を返せばいつでも密告できるということである。ハバヤはスコールが裏でヴェーグマンを出し抜こうとしていた事実を知っている。口封じをしなければスコールの立場が危うくなる危険性があったが、安易にハバヤの殺害という手段はとれない。完全にハバヤが優位な立ち位置を確保していた。

 

「チッ……私の負けだ。何が望みだ?」

「それが特に何もないんですよ。強いて言えば、イロジックから手を引いてくださいということだけです。あれは私が確保しますので」

「聞けないと言ったら?」

「構いませんよ。ただイロジックの件は既にヴェーグマンに報告してあります。あの人と敵対する気があるのならご自由にどうぞ」

「……やっぱテメーはいつか殺す」

「それはご勘弁を。では私はこれで失礼します。ご協力、ありがとうございました」

 

 (うやうや)しく頭を下げる姿はもはや慇懃無礼でしかない。旧ツムギに最凶のテロリストと評された“死人使い”をも手玉に取ったハバヤは高笑いをしてその場を去った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 藍越学園から家とは逆方向に飛んだ数馬はISを解除して地上を走って帰宅した。わざわざ遠回りしたのはセシリアの能力を知っているからである。どれだけISが速くても彼女の星霜真理の目から逃れることは適わない。しかし展開していないISを捕捉することはできないため、待機状態に変更して地上を移動する数馬の位置を特定することは容易ではない。

 

 ……遅くなったけど、ゼノヴィアは無事だよな?

 

 家の周りに待ち伏せがあるかもしれないと警戒していたが誰にも捕まることなく家の前にまでやってきた。あまりにも楽すぎて不気味と感じるほどである。

 家の中に明かりはない。当たり前だ。まだ夕方にもなっていない。中には母親とゼノヴィアがいるはずだからと数馬は鍵を確認することなく扉に手をかける。

 何事もなく開いた。しかし玄関の様子は違っている。靴の数が明らかに多い。見慣れぬものは客人のものだろう。おそらくはセシリアの手の者。問題は見慣れたものの方で、本来はここにあるべきでないものだ。

 

「親父が帰ってきてる……?」

 

 月曜日の昼前に父親が家にいる。以前にも数馬が問題を起こしたときは仕事を休んで帰ってきたことがあった。もしかしなくても今回もそれと同じだろうと思われた。何と説明すべきか。数馬は頭を抱えて家の中へ上がる。

 

「ただいまー」

 

 帰ったときの挨拶。早退であるが緊急事態故に仕方がない。父親に叱られることも覚悟で声を上げる。

 だが、家のどこからも返事がない。

 

「母さん? 親父?」

 

 数馬は両親がいると思われる居間の戸に手をかける。

 隙間が空いた時点で中から静かな息づかいが聞こえた。

 寝ているのだろうか。少なくとも誰かがいるという確信の元に全開にする。

 

「え……」

 

 居間には人がいた。数馬の両親と2人の黒服の男の計4人。だが皆一様に床に横たわっている。

 真っ昼間に客人がいて、全員が一斉に眠りこけるだなどと普通は考えられなかった。

 数馬は一番近くにいた母親に駆け寄る。

 

「母さん! 起きて!」

 

 肩を揺する。しかし目を開かない。徐々に強く体を揺すっていっても何も反応がなかった。父親も黒服の男たちも同様である。

 廊下からひたひたと足音が近づいてくる。家の中で自分以外に動いている人がいる。それが誰かに心当たりがある数馬は躊躇いなく廊下に飛び出た。

 

「ゼノヴィア!」

 

 思った通り、ゼノヴィアがいた。彼女は廊下をゆらゆらと亡霊のように歩いてきている。目は虚ろで焦点が合っていない。

 

「何があったんだ!?」

 

 肩を掴んで問いただす。彼女ならば事情を知っているはず。家に起きている異変は何でもないことなのだと納得できる言葉を、たどたどしくても意味不明でもいいから言って欲しかった。

 数馬の必死な呼びかけにゼノヴィアは気がついた。倒れ込むようにしがみつくと数馬の顔を見上げる。その目にはハッキリと涙が溢れ出していた。

 

『ごめんなさい。私、抑えられなかった』

 

 ゼノヴィアの口は開かれない。代わりに頭の中に彼女の流暢な声が響いてくる。内容は難しい解釈の必要がない端的な謝罪。今までと違って聞き取りやすい日本語だというのに、数馬は彼女が何を言っているのか理解できなかった。

 否。理解したくなかった。自分の服を掴む彼女の手が震えているのも、彼女が流している涙も、頭の中に声が響いている理由も、答えは出ているのに拒絶する。

 

「お腹は空いてない? 何か作るよ」

『……要らない』

「我慢しなくていいよ。元気がないときはとにかく食べないと力が出ない。これも親父の教えだけどさ」

『本当に要らないの……私は“人の魂”を食べる化け物……人間社会を蝕むIll()だから……』

 

 悲壮な顔のままゼノヴィアは体を離す。

 

『私がどう思ってても、餓えたイロジック(わたし)は見境なく人を襲っちゃうの。今日だけで6人。数馬のお母さんも親父も私が食べた』

 

 ゼノヴィアは自らの胸に右手を当てる。数馬に対して自分を見ろと主張する。

 最近になって現れた“通り魔”は自分なのだと告げた。

 隠していた何もかもを独白したゼノヴィアの行き着く先は1つ。

 

 

『親父とお母さんを助けるために……私を殺して、数馬』

 

 

 数馬を救うために自らの“力”を解放したゼノヴィア。副産物として数馬とまともに言葉を交わすこともできた。しかしその代償はあまりにも重く、償うためにできることは自らの死のみ。

 生きるために逃げていたゼノヴィアはここを終着点とした。元より長く生きることが無理な体。“現実に存在しない者”だという自覚もある。短い夢を自分の意思で終わらせる潮時だった。

 数馬がISを展開させる。右手には物理ブレード“葵”。無防備なゼノヴィアにその刃が振り下ろされれば容易くその命を刈り取ることができる。歩くような速さで近づく数馬をゼノヴィアは目を閉じて待った。抵抗はしない。数馬が終わらせるのならば納得して消えることができた。

 

 だが――

 ゼノヴィアに届いたのは冷たい刀でなく、温かい抱擁。

 

「ここも危険になる。一緒に逃げよう」

『どう……して……?』

「俺がそうしたいからだ」

『このままだと数馬の親父もお母さんも目を覚まさないんだよ?』

「親父は最後まで責任を持てと俺に教えた。だからわかってくれるに決まってる。むしろここで投げ出すなと俺を叱りつけるくらいでないとおかしいんだ」

『でも私……人間じゃないんだよ?』

「君はゼノヴィアだ。俺にはそれで十分。今はとりあえず親父たちの治し方を探す旅に出よう。いつかこの家に帰ってくるために」

『……うん』

 

 数馬はゼノヴィアを抱き上げると外へ飛び出した。

 世界のどこにも彼女を受け入れる場所がなくても、彼女を生かすために数馬は逃避行を始める。

 誰を敵に回そうとこの決意は揺るがない。

 これが御手洗数馬の信念である。

 

 

  ***

 

 

 藍越の地から離れた街の郊外に数馬たちは降り立った。ISを解除した数馬はゼノヴィアを降ろしてから今後について考える。追っ手から逃げることと両親を助けることを両立しなくてはならない。

 冷静になったところで数馬は一つだけやり損ねたことがあるのを思い出した。携帯をポケットから取り出そうとして自らの失策に気づく。

 

「しまった。さっき捨てたんだった」

 

 仕方なく公衆電話を探す。幸いなことに近くにあったのだが、今度はかけるべき番号が思い当たらない。できればある程度事情を知っている相手にしたかった数馬だが選択肢は110か119しか残っていない。

 いや、まだあった。財布の中に入れておいた名刺を取り出した数馬は記載されている連絡先に電話をかける。コール音は1回ですぐにつながった。

 

『はい、平石ですけど――』

「刑事さん。御手洗です」

『お、数馬くんじゃないか。どうしたの? 何か情報提供?』

「僕の家に通り魔が来ました。父も母も目が覚めないんです。助けに行ってください」

 

 もしかすると父も母も昏睡したまま放置されているかもしれない。そう心配した数馬は保険として刑事を使おうとした。用件がすんだ数馬は受話器を耳元から離そうとする。

 

『君は逃げてるのかい?』

 

 だが電話口から聞こえてきた平石の言葉で数馬は動きを止める。端的な一言は数馬の現状を的確に言い当てていたからだ。

 平石の言葉は続く。

 

『助けに来てくれじゃなくて、行ってくれ。つまり、君は家にいない。謎の通り魔はもしかして君を追ってるんじゃないか?』

 

 的確などではなかった。平石は数馬が通り魔から逃げているのだと勘違いしている。同時に千冬との関係は薄そうだとも見れる。

 利用できるかもしれない。

 数馬の口元にニヤリと笑みが浮かぶ。

 

「はい。助けてください」


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