Illusional Space   作:ジベた

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31 不本意な依頼

 夕食後、俺は珍しく千冬姉に部屋にまで呼び出された。以前なら疲れたからマッサージをしろとでも言ってくるところだけど、今はセシリアを始めとする客が何人も泊まっている。千冬姉は割と体面を気にするところがあるから、弟の俺にマッサージをさせている姿を見られたくないと思っているはず。

 部屋に入ると案の定、千冬姉の姿はベッドになく机に向かっていた。さらに言えば先客の女子3人も居て、ベッドに並んで腰掛けている。

 

「全員揃ったな。一夏も適当に座れ」

 

 指を差された壁に立てかけられている折りたたみイスを取って広げて座る。わざわざ座らせるということは呼び出した用件が長くなるってことだった。

 千冬姉が全員の顔を見回して話を始める。

 

「まず初めに紹介しておきたい者がいる。私がISVSで調査を行う際の相棒のような者だ。今はアメリカに戻っているため、パソコンの画面越しだが容赦してくれ」

 

 そういえば机の上に見慣れないノーパソがある。ディスプレイ上部に付いているカメラらしき装置は千冬姉が触っていないのにまるで目のようにキョロキョロと部屋の中を見回している。

 

『ここが弟さんとの愛の巣なんですねー』

「バカなことを言ってないで自己紹介をしろ」

『流石はブリュンヒルデ。この程度の揺さぶりでは動じないのか……もしくは当たり前すぎる事実なのか』

「そこの眼帯娘が誤解しているから直ちにやめろ。でないとこの通信は切る」

 

 反応に困ることばかりを言う面倒そうな人と通話しているらしい。困惑気味のラウラが俺と千冬姉の顔を高速で見比べているがシャルからフォローが入っているので任せておく。

 俺は少しだけ腰を上げてパソコンの画面を覗き込んだ。向こうがこっちの様子をカメラで見ているのならこっちからも向こうの顔が見えるようにしてくれてるはず。

 相手の顔はノイズも少ない状態でハッキリと確認できる。流暢な日本語に似合わず、アメリカのイメージ通りに金髪の白人女性だったのだが、不思議なことに俺には見覚えがあった。

 

『仕方ないですね。私はナターシャ・ファイルス。気軽にナタルって呼んでくれて構わないわ、弟くん』

 

 イルミナントを追っていた頃、俺の家にやってきた千冬姉の同僚というお姉さんだった。画面越しだというのにウィンクまでして俺個人に向けて自己紹介してくる。セシリアたちも居るのになぁ。

 このタイミングでセシリアが俺の耳元に口を寄せて来た。ナタルさんについて補足があるらしい。

 

「この方が“セラフィム”ですわ」

「マジで? ってよく考えてみると千冬姉がブリュンヒルデなんだから、上位ランカーでつながりがあっても不思議じゃないよな」

 

 過去に俺とセシリアは銀の福音を追っていた。結果的に敵は偽物であるイルミナントであったのだが、一度は本物であるセラフィムと戦うために蒼天騎士団と争ったこともあったっけ。

 ……たしか俺がナタルさんと会ったのって蒼天騎士団との試合の前だったような。灯台もと暗しだったのか。いや、過ぎたことだけど。

 とりあえずナタルさんの自己紹介の時間はここまで。

 

「では本題に入る。今日、お前たちを呼んだ理由は私が現状を把握したかったからだ」

「現状って言っても事件について進展はないから千冬姉に伝えることなんてないはずなんだけど」

「敵に関してはな。だが今日、私のいない間にデュノア社長とバルツェル准将が来ていたと聞いた。この2人の動向次第ではミューレイの活動の幅を制限できる。だからデュノアとボーデヴィッヒの2人には2勢力がどのような動きを想定しているのか意見を述べて欲しいのだが――」

 

 さて。ギリギリで話についていけてない。どうしよう?

 

「あの、すみません」

「何だ、オルコット?」

「少し一夏さんに説明する時間をいただけますか?」

「……頼む」

 

 気を利かせてくれたセシリアが千冬姉の話を遮って、ISVSにおける勢力図を簡単に教えてくれることとなった。

 

 まず、エアハルトが居るとされているミューレイについて。ミューレイは企業の中でもかなり特殊な立ち位置であり、初めはIS関連の大企業を持たない欧州の国々のIS開発を担当していたのだという。小国相手の慈善事業のようだったビジネスも次第に活動の範囲を広げ、今ではフランス以外の全ての国と技術を提携している欧州の要といえる存在となった。国連のIS委員会にもミューレイの関係者が何人もいるという状況になったのも欧州圏における発言力が高いからなのだという。

 そして、俺が倉持技研を巻き込んでエアハルトに敵対したことにより、日本の倉持技研が欧州のミューレイと対立するという構造が出来上がる。日本企業は基本的に倉持技研に逆らうことはなく、欧州各国はイグニッションプランという軍事同盟もどきもあるためミューレイに真っ向から意見することはない。

 つまり、俺たちを味方する日本企業とエアハルトを味方する欧州企業が対立していて、アメリカや中国などが静観しているというのがISVSにおける国際情勢だった。

 もっとも、これは一般プレイヤーの対立を指すものではないため欧州のプレイヤーが日本のプレイヤーに敵意を持っているというわけではない。

 

 以上がセシリアの説明した内容だった。ずっとミューレイが敵だと認識して戦ってきてたけど、俺が思っていたよりも敵に回してた相手の規模が大きかったことに驚く。

 ――何より、今の説明だとセシリアもラウラも敵だということになってしまう。

 疑問が湧いてしまった俺は聞かずにはいられなかった。

 

「フランス以外のヨーロッパが敵なんだったら、セシリアとラウラはどうして……」

「イギリスのFMSは当初、ミューレイの味方でしたわ。しかしながら亡国機業がIllを使ってわたくしを排除しようと先に仕掛けてきました。当然わたくし個人の感情は反ミューレイとなります。初めはわたくしの証言を子供の戯れ言だとして聞かなかったFMSも、イルミナントの討伐によってIllが存在する事実が浮かび上がることでミューレイに対して懐疑的となり、現在は中立の態度を示しています」

「シュヴァルツェ・ハーゼは企業でなく軍隊だ。国が決めた方針に従うだけの手足でしかなく、一度は一夏たちとの敵対も覚悟した。だが准将が異を唱えてな。タイミングが良かったのか上にあっさり聞き入れられて拍子抜けだったそうだ」

 

 やはり最初から味方だったわけじゃないらしい。セシリアは個人の問題で国の意向を無視して行動していただけで、国が敵対しなかったのは後の結果とのこと。ラウラに至ってはバルツェル准将が国の方に働きかけてなんとかなったということか。

 

「一夏が理解したところでもう一度聞く。デュノア社長とバルツェル准将は何と言っていた?」

 

 デュノア社長が言ってたことはこの場で絶対に言いたくない。少なくとも俺の敵に回ろうとするはずがないことだけは間違いないから、味方って言って良さそうだ。

 バルツェル准将はラウラに俺の護衛任務を課していると言った。つまりラウラ個人ではなく軍として俺の支援をしていると見ていい。

 

「どっちとも俺の味方になってくれる。フランスは現状維持でドイツが敵戦力から消えたってことでいいんだよな?」

「そうなる。イギリスが現状を維持する姿勢は変わりそうにない。他は味方に付けられる当てがない。周りから力を削げるのはここまでのようだ」

 

 千冬姉はミューレイを敵として徹底的に叩くつもりでいる。最初から真っ向勝負を仕掛けずに敵の戦力を削るところから始めている。同時進行しているとすれば味方を増やすことだろう。その候補が千冬姉が相棒と言った通信相手ということになりそうだ。

 

「そっちの動向はどうだ、ナタル?」

『今更になっての反ミューレイの動きは欧州に限ったことでなく、私たちも同じなんですよ。福音の偽物なんて明らかにアメリカに喧嘩を売る行為をされて犯人がミューレイと確定すれば上も重い腰を上げることになりそうです。私としても……この手で八つ裂きにしたいですね』

 

 首筋がヒヤッとするような冷たい声にビクッと震えてしまったがそれもナタルさんの頼もしさの証。ランキング9位という楯無さんよりも上位のランカーは公には一般プレイヤーとなっているが国との結びつきが強いような口振りだった。でもってそのアメリカはIllを敵視している。

 

「アメリカも味方ってことでいいんですか?」

『現状だとそう考えていいわよ。私個人の意見を言わせてもらうと、ブリュンヒルデのかわいい弟くんの味方をする方が気分がいいし』

「ナタルの個人的な感情を無視しても、亡国機業がアメリカ企業の顔に泥を塗ったことは事実だ。裏にミューレイの存在があるとナタルから伝わっているアメリカが我々と敵対する理由などないだろう」

 

 千冬姉も言うならアメリカも敵ではないどころか味方となってくれる。

 ところがこの見解は満場一致というわけにはいかなかった。

 

「ファイルスさんがお気を悪くされるかもしれませんが、わたくしはアメリカを信用していません」

 

 異を唱えたのはセシリア。

 

「今でこそ共通の敵がある状況ですが、アメリカは自国の軍事的優位を奪ったISの存在を快く受け入れたわけではないはず。アントラスのテロ行為を支援していた政治家のスキャンダルも記憶に新しいですわね。ISVSでプレイヤーに最も使用されている米クラウス社のボーンイーターフレームも名前の由来が“従順な犬”だそうで、女性軽視のアントラスの思想に近いものを感じますわ」

 

 全部が全部『そんなことがあったんだ』と思うだけの俺だった。媒体は何でもいいからニュースは見ておけと千冬姉に言われてたけど、こういうときに何も知らないことが露呈するのだと身を以て痛感する。

 俺の無知はどうでもいいとして。ここまで悪し様に言われてしまったナタルさんの機嫌を損ねないだろうか。

 

『全部あなたの言うとおり。白騎士事件の与えた影響が一番大きかったのはアメリカ。もう10年も経つのに未練がましくIS登場以前の世界に戻そうと考えている輩もいる。そこまで極端でなくとも、アメリカの復権を国民の誰もが願っている。今はミューレイを放置できないとする考えで一致しているけど、何かの拍子に主張を翻すことは十分に考えられるわ』

 

 怒っていない。自国の話であるのにまるで他人事であるかのように淡々と話した内容は、信用しきってはいけないという戒めであった。

 

「もしアメリカがミューレイと結託する道を選ぶとしたら、ファイルスさん個人はどうするのですか?」

『もちろんストライキ。ミューレイと手を組んで国益につながるとは思えないし』

「そう……ですか」

 

 話は不穏な方向に転がったがナタルさん自身は俺たちの味方で居てくれるということらしい。でなきゃ千冬姉がこの場で俺たちと引き合わせようだなんて思わないだろうというのもある。

 でも少し引っかかる。敵に回らないとナタルさんが言っていたのを、セシリアが訝しげに見つめていたように思えた。俺の気にしすぎなんだろうか。

 

 

  ***

 

 千冬姉とISVSや昏睡事件に関して真面目に話す日が来るとは思ってなかった。他にもデュノア社長やバルツェル准将といった父さんの友達と話をしたりと、今日1日だけで少し前の俺には考えられないことが起きている。色々とあって疲れてしまった部屋にまで戻ってくるとベッドに身を投げる。

 

「モッピー……俺、疲れたよ」

 

 うつ伏せに寝たままくぐもった声で話しかける。だが聞こえなかったのだろうかモッピーから返事が来ない。体を起こしてモッピーの姿を探そうとしたところで思い出した。

 

「そういえば今夜はセシリアが持っていったんだっけ。俺のところじゃなくてもナナが楽しいのならそれでいいんだけどさ」

 

 簪さんからモッピーを受け取って以来、ナナはモッピーとして頻繁に現実側に顔を出している。きっと早く帰ってきたい思いを抑え切れていないんだろうし、非難されるようなことでもない。ただ、気になるのはシズネさんを始めとする現ツムギの人たちを放っておいていいのかだ。

 ……俺が気にするだけ野暮か。ISVSに囚われている間は篠ノ之箒でなく文月奈々でいると決めた彼女が現ツムギの皆のことを忘れていることなんてあり得ない。

 

 結局、今日は一度もISVSに入っていない。寝る前に軽くプレイするくらいはできそうだけど……やめておこう。なんというか、そんな気分じゃなかった。

 もう今日は休もう。いつもより少し早い時間に布団の中に入ろうと思い立ったのだが、ドアがノックされて手を止める。

 

「一夏、居る? 僕だけど」

 

 てっきりセシリアだと思っていたけど違った。シャルが俺の部屋を訪ねるなんて家に泊まりに来て以来初のことである。

 俺はドアを開けて出迎える。

 

「こんな時間にどうしたんだ、シャル?」

「ちょっと一夏と話があってさ……」

 

 暗い顔をしたシャルは俺と目を合わそうとしない。話があるとは言っても乗り気ではないという様子だった。

 深刻な用件だろうか。だがIllや昏睡事件に関係することならわざわざ俺が1人になったところに来る必要なんてない。さっき集まっていたところで皆に話せばそれで良かったはず。

 まさか……デュノア社長が何か言ったのか? 夜に俺の部屋に来たってのもそういう意味なのか!? でもこの顔だと嫌々にしか見えないじゃん!

 

「わかった。中で話そう」

 

 とにかく中に招き入れる。思い詰めたシャルを説得するにしても廊下で立ち話するようなことじゃない。

 部屋にある唯一のイスをシャルに譲り、俺はベッドに腰掛けて向き合う。言われるままにイスに腰掛けたシャルだったが、やはりその視線は俺ではなく床に向いている。

 

「親父さんの言うとおりにするのが最善だとは限らない。シャルにはシャルの思いがあるんだからそれに従えばいい」

 

 俺から先に逃げ道を作っておくことで機先を制する。正直に言わせてもらうと、シャルみたいな可愛い子に強引に迫られたら冷静でいられる自信がない。互いにとっての間違いを起こさないために慎重な立ち回りを要求されているが俺はこの危機を乗り越えて有効な関係を維持してみせる。

 

「うん、そうだよね……一夏の言うとおりだよ。パパに従ってるだけじゃ僕はいつまでもパパに認めてもらえない」

 

 うんうん。シャルはわかってくれたようだ。どこか後ろめたさを感じているような弱さはもう無くなり、真正面から俺の目を捉えてくる。体つきは女の子そのものなのに、この目つきの力強さは男顔負けなんだなと今更ながらに理解した。

 

「だから一夏。僕から君に頼みがある」

「へ?」

 

 逆に俺は間抜けな声を出してしまってちっとも男らしくない。

 

「親父さんに従わないって決めたんじゃないのか?」

「決めたよ。でも、僕の力だけじゃ足りない。一夏が必要なんだ」

「ちょっと待て! それは親父さんの思う壺だろ!」

「そうなの? だったら僕が躊躇う理由なんてない」

 

 部屋に入ったときとは打って変わって力強い返事をするようになった。目が据わってしまっている。もう彼女が要求を口に出すのを止める術はない。俺も覚悟を決めるしかないようだ。

 

「日本時間の明日の深夜にデュノア社から出されるミッションがあるんだ。僕と一緒に一夏も参加して欲しい」

「…………はい? ミッション?」

「今更とぼけないでよ。僕が明日のミッションに参加するのをパパが反対したのを知ってたから、従う必要がないって言ってくれたんでしょ?」

「え、あ、う、うん。そ、そうだぞ」

 

 俺の恥ずかしい勘違いが発覚して動揺が隠しきれない。

 ややこしいんだよ、チクショーめ! 俺ひとり勝手にそういう展開を妄想してただけじゃねーか!

 胸の内で叫ぶにとどめておいて、頭を切り替える。

 

「で、そのミッションってどんなのだ?」

「一夏は詳しくは聞いてないんだね」

 

 全く聞いてないんだな、これが。デュノア社長からはハーレム推進の危険思想を押しつけられて、娘を泣かしたらただじゃすまさないと脅されただけだし。

 

「一夏はタワーディフェンスってゲームを知ってる?」

「悪い。ゲームは詳しくないんだ」

「簡単に言うとタワーディフェンスっていうのはプレイヤーの拠点である塔を防衛するゲームのこと。塔を攻撃してくる無数の敵を撃退するのがプレイヤーの役目になる」

「俺たちがツムギを守る戦いが全部それに当てはまるな」

「明日のミッションはそれを競技にしたものだと思ってくれればいいよ。けど少し違うのは防衛側と攻撃側に分けられることはなくて、どちらの勢力にも守るべき塔があるんだ。先に相手の塔を破壊した勢力の勝ちってことだね」

 

 互いが防衛拠点を抱えて、相手の拠点を破壊すれば勝ち。前に生徒会長とやったときのようなリーダー撃破と違って攻撃対象が敵にハッキリ見えている点が異なる。要するに運動会定番の棒倒しをISVSでやれってことだな。割とゲームらしい内容に聞こえる。

 

「それでどうしてシャルの参加に反対されるんだ? 男装してればいいって話だったんだろ?」

「相手がミューレイだから。しかも実質的な宣戦布告をされた形でね」

「宣戦布告?」

「そう。つい最近の話――一夏たちが2体目のIllを倒した後のことなんだけど、ミューレイからフランス政府に『デュノア社を頼っていてはいずれ国防が行き詰まる』という感じの内容の警告文が送られたんだ。デュノア社はリヴァイヴという武器があるけど、フランス代表をモンド・グロッソで勝たせることはできてない。日本代表以外の3人のヴァルキリーがイグニッションプラン加盟国の代表というのもあって、結果を求める人たちはミューレイの技術者を国内に引き込むべきだと主張もしてる」

 

 フランスがミューレイと付き合わないという方針なのはデュノア社にIS開発企業としての実績があったからだ。国防に関わるものはできれば自国の企業で開発したいという思いもあっただろう。だがそれは最低でも他国に五分で対抗できていることが前提にある。

 ミューレイの主張はデュノア社でなく自分たちのISを使えというもの。たしかにこれはデュノア社への宣戦布告だ。フランス政府の中にはデュノア社の力を疑問視する者もいて、ミューレイを受け入れるという意見も出ている。黙らせるには力を示すのが手っ取り早い。

 

「デュノア社の面子にかけて、ミューレイと戦争をする気概でかかるってことだな。シャルを参加させたくないのはミューレイが手段を選ばない可能性を社長は想定してるからってことになる」

「さっきの千冬さんの話を聞く限りだとミューレイも焦ってる。だからたぶんフランス政府に対してだけじゃなくて、他の国への牽制も狙いなんだと思う」

 

 たしかにミューレイはどこの国の企業とも言えないあやふやな立場にある。支持する国が減るほど守りが薄くなり、千冬姉たちの手が入りやすい。

 エアハルトたちがその状況を放置するわけがない。その対抗策がデュノア社との決戦。もしこれでデュノア社が惨敗でもすればミューレイはフランスの支持を受けることになり、イギリスやドイツが再びミューレイ側につく可能性もできてしまう。

 誰だって身の安全が第一だ。守れない自国の戦力に固執するより、より安全を保証してくれる外部の戦力の方が頼れることもある。たとえ侵略者であっても、牙を剥く確証がなければ誘惑を断ち切れない可能性は常にある。

 

「大体は把握した。俺が参加を渋る理由はないし、シャルの参加を止めることもない。だって敵が表立ってIllを使っちまったらミューレイは国際的な信用を失ってフランスの支持どころか今までの味方全てを敵に回すだろ」

「僕もそう思う。パパはああ見えて心配性だから最悪中の最悪を想定しちゃってるんだ」

「そうと決まれば明日1日で戦力を集めるか。プレイヤーの参加ができるなら皆の力を借りれる」

「一般プレイヤーなら問題ないね。でもセシリアや千冬さんは無理だよ」

「どうしてだ?」

「名目がデュノア社の力を示すことだから、他の国や企業を代表する立場の人の力は借りられない。一般プレイヤーにミューレイが負ける時点でミューレイ側に問題があるってことになるから一般プレイヤーの参加はOK。ミューレイが一般参加も可能なゲームとして提案したからっていう理由もあるけど」

 

 難易度が急に上がったな。セシリア抜きの俺の戦績はひどく悪い。ラウラもドイツ代表候補生だから無理。日本代表の千冬姉は当たり前に参加不可。簪さんも倉持技研関係でNGだろう。

 

「ちょっと厳しいけど、条件はわかった。弾と相談してメンバーを集めてみる」

「うん……ありがとう、一夏」

「礼は勝ったときまでとっとけって」

 

 次の戦いは決まった。エアハルトにしては俺から遠い場所で仕掛けてきたものだと思うが、黙って放置することはできない。ミューレイの地盤を崩すためにも明日のミッションを絶対にクリアするんだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 葉の散った広葉樹林が群生している中、枝すら存在しない巨木が1本だけ天を突くように空に伸びている。周囲に溶けこめていないのは高さだけでなく材質もだった。植物と違って無機物で構成されている建造物は競技のために急造された塔である。

 

「このハリボテの鉄塔を守ることに企業の命運が懸かっている。惨めなものねぇ」

 

 自らが守るべき塔に触れながら、金色のISに身を包んでいるスコール・ミューゼルは遠く離れた山に配置されたデュノア社側の塔を見やる。競技のために建てられた塔は中身などないただの鉄の塊であり、壊されるためだけに存在しているといっても過言ではない。

 

「こちらの準備は整ってる?」

『“ミルメコレオ”を搭載した“アルゴス”は開始直後にそっちに送る手筈になってるぜ。アンタに頼まれたのはそれで最後のはずだ』

 

 通信の相手はミューレイの技術者であるウォーロック。投げやりな態度ではあるが仕事はきっちりこなしているためスコールがつける文句はない。

 

『アルゴスの対空射撃性能はマザーアースの中でも高いとはいえ、単体でフランス代表を擁するデュノア社の連中を抑えきることは不可能だ。ミルメコレオだけで押し切るつもりか?』

「どれもついでに使っているだけよ。私が直々に手を下すから時間さえ稼げれば問題ないわぁ」

『納得した。俺が心配するのはお門違いだわな』

 

 通信が切れる。エアハルトからの借り物の準備は完了。試験運用が終われば、最後はスコール自身の手で決着をつける。マザーアースは時間稼ぎさえできていればいいと割り切っていた。

 

「あの坊やが不甲斐ないのを理由にして我々の組織自体が衰退するのを黙って見てるわけないわ。少しはあの坊やに感謝してもらいたいものねぇ」

 

 エメラルドの瞳が破壊すべき山の上の塔を見据えた。

 間もなく戦いの火蓋が切って落とされることになる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 1日が経過して現在の時刻は深夜の3時。こんな時間からミッションがあるというのだが、フランスは現在午後7時だそうだから特におかしい時間というわけでもない。日本から参加しようとしている俺たちの方が普通じゃないだけだ。

 俺はいつもどおりに家からログインした。最近は出現する初期位置も安定していてツムギのロビーになっている上に、利便性から転送ゲートを復活させている。他のロビーと同様に通常のミッションも受けられるよう簪さんが設定してくれたから、今回のミッションフィールドにまでやってくるのにも苦労はなかった。

 

「なんか偏った配置ね。こっちが障害物がない山頂で、あっちは丸裸の森の中」

 

 一緒にISVSに入ってきたリンが隣で呟く。他にはシャルも一緒だったが彼女は今、デュノア社の人と打ち合わせに向かっていた。

 まだミッション開始時刻の前だが参加プレイヤーは自分たちの陣地の中で待機していることができる。始まる前に少しだけ情報を整理する時間が与えられてるってことだろう。リンの言うようにデュノア社側は木も生えていない岩だらけの山頂に塔があって、ミューレイ側の塔は葉っぱの散った灰色の森の中に建っている。高さが上のこちらは攻撃面で有利だが、罠を仕掛けることもできる向こうは守りやすい地形かもしれない。

 

「リンちゃん! 最後の方がよく聞こえなかったからもう一回言って!」

 

 サベージが合流してきた。他にもバンガード先輩たちが来るはずだけどとりあえずまだコイツだけ。鬼気迫るサベージの迫力に押されたリンは言われるままに同じ言葉を繰り返す。

 

「あっちは“丸裸”の森の中……?」

「よし、素材ゲット」

「素材って何!? アンタ、“あたしを”どうしたいわけ!?」

「むむむ、後一押しが欲しい……ヤイバ、質問があるんだけどいいか?」

「俺まで巻き込むなんて珍しいな」

「ぶっちゃけた話、リンちゃんって可愛い?」

「ああ、当たり前だ」

 

 何を急に聞かれるかと思えば、そんなことか。イエスかノーかで聞かれたらイエスに決まってるし、リンはそう言われて調子に乗る奴じゃないから遠慮なく言っても問題ない。

 

「い、いきなり何を言ってんのよ!」

「じゃ、次の質問。リンちゃんの男勝りな性格はどう思う?」

「リンが男勝り? そんなはずがないって。勝ち気ではあるけど空元気みたいなもんだから」

「そんなリンちゃんは守ってあげたいタイプ?」

「そりゃそうだろ。本質は打たれ弱いのも知ってるし」

「もう、いい加減“にしてっ!” 今はあたしのことなんてどうでもいいじゃない!」

 

 リンが顔を赤くして怒っている。両親の離婚騒動のときのリンを知ってるから俺の中ではリンに弱い一面があるってのは揺るがないけど、強くあろうとするリンを否定したら、そりゃ怒るよなぁ。

 どう謝ろうかと考えているとサベージがこそこそとリンの背後に回る。そして――

 

『“あたしを”“丸裸”“にしてっ!”』

 

 リンの声でツギハギの言葉が再生された。

 サベージの悪戯なのはすぐにわかったけど、目の前にリンがいるときにリンの声でリンの言わないような言葉を耳にすると不覚にもドキッとしてしまう。

 

「素材ってあたしの声のことかあああ!」

 

 怒り心頭のリンが吠えてサベージを追っていき、鬼ごっこが始まった。サベージの悪戯は男子小学生が好きな女の子をからかう心理と同じなんだろう。

 リンがいなくなり、俺が1人になったところへシャルが戻ってくる。

 

「何の騒ぎ?」

「気にすんな。こんなのは藍越エンジョイ勢の日常だから騒ぎの範疇にも入らない。ところで話は聞いてきたのか?」

「うん。パパの方針かはわからないけど、デュノア社はプレイヤーと連携をとるつもりはないみたいだった。僕に対しても『好き勝手にやれ』だってさ」

 

 渋い顔だ。これはどうやら冷たくあしらわれたと見える。父親の意思ではないと思わないとやっていけないくらいにはショックだったんだろう。

 

「それだけの自信があるってことだ。俺としてもデュノア社が勝てるんだったらいいし」

 

 フォローになるかはわからないけど、デュノア社の人間に他意がないという憶測を言っておく。どういうわけだか知らないけどシャルはあの父親を慕っている。もしその父親に悪し様に扱われでもしたら壊れてしまいそうな気がするんだ。

 俺の言葉だけで気が楽になればいいけど。

 

「そう……だよね。僕なんかいなくても大丈夫だよね」

 

 虚ろな瞳に一段と濃い影が差す。父親が絡むとシャルはいつも平静ではいられない。Illを倒そうとしてたのも本当はデュノア社のためなんかじゃなくて自分のため。父親に必要としてもらいたがっていた子供の思いだ。

 バカバカしい。気にしすぎだ。

 シャルの家庭の事情を俺は何も知らないけど、あの父親はどの角度から見ても娘を溺愛する親馬鹿だから。

 

「少なくともシャルがあの社長の前からいなくなったら、あの社長は発狂してそこら中に戦争をふっかけてもおかしくない」

「どうしてそうなるの? 意味がわからないよ」

「わからなくて当然だ。理屈じゃないんだよ」

 

 ポンと頭に手を置く。父親を知らない俺が父親面するのもおかしいことだが、こういうときは誰かに優しく触ってもらえると安心するのだと千冬姉が俺に教えてくれている。どうやらその効果があったようで、

 

「わからないけど、わかった」

 

 彼女の顔に少しだけ笑顔が戻った。

 これでいい。シャルがいつも通りに戦えないと俺たちがここに来た意味が失われてしまう。

 俺はデュノア社だけでどうにかなるだなんて楽観視していない。別にデュノア社を甘く見てるわけじゃなくて敵を危険視してる意味合いが強い。俺が危惧するとおりの展開になるのだとすれば、戦いの行方は俺たちプレイヤーの手にかかってる。

 でもただ勝つだけじゃダメなんだ。

 

「頼むぜ、シャル。少なくとも俺はお前を頼りにしてる」

 

 プレイヤーが最後の1手を担うにしてもシャルの方がいいに決まってる。

 デュノア社のためにも。

 彼女自身のためにも。

 

 

  ***

 

 ミッション開始が告げられた。敵の陣地方面の空へと複数のラファール・リヴァイヴが一斉に飛び上がる。統一された機体による統率の取れた動きは一般プレイヤーではほぼあり得ない光景。つまり、企業の専属操縦者たちであることは間違いない。

 

『攻撃部隊を最短距離で向かわせて正面からの攻撃を迎撃もしつつ敵の塔へ速攻を仕掛ける。フランス代表が率いているからか、デュノア社は強気に出たな』

 

 俺のいる位置から離れたバレットからの通信。俺たちのチームを大雑把に2つに分けて、塔の左翼と右翼にそれぞれ陣取っていて俺が左翼、バレットが右翼を率いる形をとっている。

 

「防衛部隊の方が多く残ってるけど肝心の代表は攻撃に回ったみたいだな。俺たちがすべきは塔の防衛ってことになる」

『企業のエリート様たちは一般プレイヤーなんてアテにしてないだろうがな。あちらさんにとって俺たちが烏合の衆なのは間違いねえし、身内以外のプレイヤーと連携が取れる自信は俺ですら無い』

「そこは皆の適応力に期待するしかないな。とりあえずの方針が塔の防衛であることには変わらない」

『違いねえ』

 

 話はまとまった。俺たちは塔の防衛に回る。だからといって全てのプレイヤーがそうするというわけでもない。

 このミッションに参加している日本のプレイヤーは全員が身内。割合的には全体の20%ほどで他は欧州圏の人たちだと思われる。プレイヤー全体への指示をデュノア社側が放棄しているため、全プレイヤーが好き勝手に行動しているというのが現状であり、フランス代表のチームに続いて攻撃に向かうプレイヤーたちの方が圧倒的に多かった。

 このミッションは途中参加が認められていない。敵も味方も援軍を送って寄越すことはできず、今ある戦力で勝たなくてはいけない。

 

 俺たちは今、待ちの状態。やれることは前線へと向かう味方を見守ることと、敵の動きを観察することくらい。敵側から攻撃に向かってくる部隊が全く見られないが明らかに浮いている巨大な物体が敵の塔の前に陣取っていることが遠目にもわかる。

 

「バレット。敵の作戦は何だと思う?」

『どう見ても敵にはマザーアースがあるからな。この距離から砲撃してくることも視野に入れて、不動岩山を装備したアギトたちを待機させてる。だが開始と同時に撃ってこないところを見るに作戦は別にありそうだ』

 

 デュノア社に対するミューレイのアドバンテージのひとつがマザーアースの存在だ。彩華さんが言うにはマザーアース自体は世間に公表もしている上に他企業も開発を進めている分野だという。既にラウラたちシュヴァルツェ・ハーゼが所有していることも確認できている。マザーアースが悪だというわけではないため、ミューレイは遠慮なく使うことができるわけだ。

 だが流石に複数体は用意しなかったようだ。マザーアースはその性質上、稼働させるためには使用したISコアと同じ数の操縦者を必要とする。加えて搭乗する操縦者の組み合わせ次第でISコア間の伝達系統が著しく変化するため、ISVSで1体配備するのにも骨が折れるのだそうだ。

 俺たちが見ている間にもこちら側の攻撃部隊が進軍していき、敵側は不気味なくらい沈黙を保っている。そしてとうとう最前線の部隊が敵の防衛部隊と交戦を開始した。

 何もせずに見ていることが耐えられないのか、シャルがそわそわしている。

 

「ヤイバ。僕たちはどうするの?」

「落ち着けって。シャルらしくないぞ。今戦ってるミューレイが俺たちの敵である奴らだったら、何も仕掛けてきてないはずがない。デュノア社がフランス代表を押し立てて速攻に出るのも想定の範囲内だとすれば、おそらくは誘い込んだ後で何らかの攻撃を開始するはず」

 

 だからこそ攻めるより守ることを優先した。敵のマザーアースが防御に特化したタイプで俺たちが攻撃に加わっても塔に到達できなかったとしたら、敵の攻撃が先にこちらの塔に届いて負けることもあり得る。

 まずは負けない立ち回り。エアハルトとの戦いで俺に欠けていた部分で、セシリアに怒られてた部分でもある。急がなくてもいい状況で焦る必要なんてない。

 

「だけど敵がどう攻めてくるのか見当もつかない。正面からの突撃を読んで別働隊を動かすなら左右に散らして迂回させるしかないけど、森の葉が全て枯れ落ちているから身を隠せる場所なんてない」

「遠距離からの狙撃の可能性は?」

『AICキャノンか荷電粒子砲が考えられるがIS単機に積めるようなのだと破壊対象の塔を一撃で破壊するのは到底不可能。マザーアースなら余裕で可能だが、敵が見えている以上、見てからの不動岩山で防ぐことができる』

 

 シャルの指摘にバレットが答える。もし敵の中にチェルシーさんクラスのスナイパーが紛れてても塔に奇襲できるのは1発が限度。それで勝負を持って行かれることはない。

 

「じゃあ、ミサイルじゃないかな?」

『ISが積めるミサイルはPICCの持続時間の影響から有効射程がライフル系統と比べて小さい。距離重視の高速ミサイルでもAICキャノンの射程とは雲泥の差だ。店長みたいに拡張装甲(ユニオン)で突撃して発射する方法もないことはないが、制空権を取れていないところへ爆撃機を送り込んだところで撃墜されて終わりだ』

 

 ここでちょっと違和感を覚えた。バレットの説明は間違っていないんだけど、どこかおかしい。そんな気がした。

 そもそもシャルはなぜミサイルを挙げた? シャルはバレット並かそれ以上にISVSに詳しいはず。今のバレットの回答をシャルも知っているはずなのに。

 防衛対象の鉄塔を見上げる。敵の陣地からも丸見えなくらいに巨大で、移動することもないただの的だ。ミサイルみたいな誘導兵器でなくても簡単に攻撃を当てられる鉄の塊でしかない。

 

 ん? 鉄の塊でしかない……? しまった!?

 

「バレット! 上だ! 上を確認することはできるか!」

『急に慌ててどうした? 上?』

「敵の攻撃は弾道ミサイルの可能性がある。だよね、ヤイバ」

『そんなPICCの使えない兵器でどうやって……げっ!?』

 

 バレットも気がついたようだ。

 たしかにPICCが上手く働かないという理由からIS戦闘におけるミサイルの攻撃力は低くなりがちである。

 だが今回の防衛対象はただの鉄の塊であってISではない。先に挙げたAICキャノンや荷電粒子砲よりもミサイルの方が有効な兵器であるくらい、普通ならば当たり前の選択肢である。

 

『索敵が大気圏外に熱源を捉えた。マジで来てやがる』

「いくつだ?」

『1発だ。今見つけたからどうにかできるが、大気圏への再突入まで気が付かなかったらその時点でアウトだったろうな』

「よし。俺が迎撃に向かう。左翼の指揮はリンに任せた」

「あたし? りょーかいよ」

 

 すっかり敵の術中に嵌まりかけていた。攻撃に対して消極的だった不気味さから俺たちはマザーアースに注意を向けさせられてた。まさかISが台頭する以前からある兵器で死角から攻めてくるとは思ってなかった。

 これが現実ならば発射の時点で観測されているだろうが、ISVSだと弾道ミサイルの発射を監視していることはないし、あったとしても俺たちに報せが来るとは思えない。

 ゲームの中だからこそ使えるゲームらしくない1手。敵の指揮官はエアハルトではなく、もっと狡猾な相手だ。

 

「オレっちに乗ってけ、ヤイバ」

「お願いします!」

 

 今回も手を貸してくれているカイトさんに連れられて、俺は空よりもさらに上を目指して急上昇する。

 地上が遠くなり、遠方を見やれば地球の丸さを感じられる高々度。宇宙にまで到達するかの瀬戸際までやってきたところで大気圏へと高度を下げ始める大型ミサイルを視認する。

 

「まだ加速前だが終末速度はマッハ20にもなるらしい。もし後ろに逃したら撃っても弾が追いつかねーな」

「このまま突撃してください。正面から衝突してもPICCがなければこちらにダメージはないんで」

「そういやISってのはそんなもんだったな。りょーかい。いくら速かろうと軌道上から撃てば動いてないも同然ってわけだ」

 

 当てにくい横から撃つ必要なんてない。軌道修正なんてできるものでもないから、ISで道を塞げば弾道ミサイルが衝突して一方的に自壊する。その意図がカイトさんにも伝わり、俺たちは弾道ミサイルの真っ正面に居座る。

 迎撃はこれで完了したも同然。だというのにまだ腑に落ちない。ISが弾道ミサイルをも落とせることは10年前の白騎士事件で実証されていることだし、2000発以上というふざけた数を1機のISで撃墜したという記録もある。奇襲とはいえ、たかが1発の弾道ミサイルが奥の手なのだろうか。

 

「カイトさんはこのままミサイルの迎撃を続行してください」

「お前さんはどーする気だ?」

「俺は前に出ます」

 

 言うや否や俺はミサイルへと向かっていく。既に迎撃ポイントをカイトさんが押さえているからこれ以上前に出るメリットはないはず。だけど、念には念を入れておきたかった。

 何か迎撃を阻むものがあったら。そのもしものために、いざとなれば俺が捨て石となる必要も出てくる。

 嫌な予感がしたというだけで取った行動だった。迫り来る弾道ミサイルを前にして、俺は自分の直感が正しかったことを知る。

 

「ISが張り付いてる……」

 

 弾道ミサイルには護衛のISがいた。弾道ミサイルの爆発ではISにダメージを与えられないことを逆手に取った方法。もし俺たちが迎撃に来ていなければミサイルと共に突っ込めばいいし、こうして迎撃のISが居れば軌道上から排除することも可能である。

 数は1。多すぎても弾道ミサイルの方に影響が出るからだろう。そして少数だからこそ、ここには精鋭を置くに決まっている。

 俺がミサイルに到達するまであと5秒。だが敵ISが黙っているはずもなく、ミサイルよりも速く俺へと向かって飛んでくる。黒い四肢装甲(ディバイド)スタイルのように見えるがフレームは不明。右手には実体剣をEN属性の刃が覆っている紅椿の空裂のような装備。素顔は見えず蝶をあしらった仮面がついている。IS自体も蝶を思わせるデザインの翼になっていた。

 激突。ENブレード同士で鍔迫り合い。敵の勢いに押された俺はミサイルの軌道上からどかされてしまう。やはり迎撃に来たISを押しのけるのが狙いだったわけだ。単機で来ていたら危なかった。

 

「……お前だったのか」

 

 蝶の仮面の女が声をかけてくる。俺のことを“お前”などと言う。

 誰だ、コイツは……?

 知り合いだから仮面で顔を隠しているのか。だが初めて見た機体だし、ISVS外でも心当たりがない。

 

「話すつもりはないか。それでいい。私とお前が交わすべきは言葉ではなく剣であるべきだ」

 

 強く押してきた後、蝶の女は距離を取った。

 この時点で弾道ミサイルは通り過ぎている。もう俺も目の前の敵も追いつけないからカイトさんが破壊してくれるのを待てばいい。

 俺の役目は当初の予定から変わっている。1合打ち合っただけだが蝶の女はランカーに匹敵する強敵と見える。この女を成層圏より上で孤立させられた状況をみすみす逃すのは勿体ない。俺がここで引きつけておくべきだ。

 

「俺のことを知ってるのか?」

「知っているとも。お前たちは“苦せずして価値を得ている私”。お前たちを倒すことで私はようやく価値ある自分になれる」

 

 何を言っているのか意味がわからない。だけど、女には俺に対する憎悪に似た執念があることだけは感じて取れた。

 蝶の羽の一部になっている黄色の円錐状のパーツ。左右それぞれにあるそれの先端が俺に向く。砲口と思しき穴は全くないが先端に赤紫色の光が集まり始めた時点で射撃攻撃だと直感する。

 俺の脇を赤紫色の光線が通過。回避は間に合った。敵の攻撃の種別はENブラスターと見られ、ENブレードを搭載している機体なのにサプライエネルギー消費量を考慮していない構成だ。

 今が隙であるはず。イグニッションブーストで飛び込む。使用できるエネルギーが減った状態で白式から距離をとることはまずできない上に、雪片弐型を防げるだけのENブレードの出力が得られるとは思えない。

 

「なんで……?」

 

 だが雪片弐型は最初と同じように敵のENブレードと打ち合わさるだけで貫通しない。こちらの出力まで落ちているのかと思ったがそうではない。相手の出力が変わっていないのだ。

 蝶のISの背中から黒い円錐が複数分離する。非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)というわけでなく、固有領域から離れてもなお独立して浮遊するそれらはBT兵器(ビット)に違いない。尖った先端は全て俺を向いて包囲している。

 マズい。

 相手を蹴って鍔迫り合いをやめると同時にイグニッションブーストで距離を取る。敵からの追撃はなく、周囲に浮遊するビットは変わらず俺をロックしているだけ。

 

 ここまでにわかった敵の装備は出力が中型相当のENブレードを展開できる大剣、中型ENブラスター2門、BTビットが6機ほど。EN武器偏重で攻撃力も機動力も高い。そのためのディバイドスタイルとも言えるが、流石にENブラスターを積んでおきながらこの性能はおかしい。

 ワンオフ・アビリティの効果か。それとも……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 地上からも弾道ミサイルの撃墜成功を確認した。他2発の発射も確認し、迎撃部隊を送ったところで戦局は大きく動く。森林地帯の塔より後方に無数の熱源を確認。それらは全てミサイル発射によるものだった。乱戦状態となっている前線を迂回しての狙いはデュノア社の塔。

 

「今度は巡航ミサイルかよ……最初っから向こうの指揮官はISVSをやるつもりがねえのか」

 

 バレットが呟く。広範囲を数で攻めてくるミサイル群だが距離が開いているためISにダメージを与えるためのPICCは消えているも同然でISに対してほぼ無力な兵器と成り下がる。ISVSプレイヤーだけでなく、IS装備の開発に携わるものならばまず思いつかない戦術はバレットから見れば常識外れそのものだった。

 ISに対して無力とはいっても放置するわけにはいかない。防衛対象である塔にとってはミサイルの1発1発が重い一撃となる。防衛部隊の戦線を広げて対処せざるを得なくなる。

 

「大丈夫だな。いける」

 

 幸いなことにミサイルの数に対して守りのISの数は足りている。最前列だけでミサイルの8割を撃ち落とし、打ち損じは後続で全て破壊。敵からのミサイル発射は継続しているがISが落とされることもないため安定して迎撃に当たることができていた。

 まるでただの射撃訓練。いや、射撃に留まらない。バンガードのような格闘主体の機体が突撃してもダメージはない。

 弾道ミサイルを始めとする敵の攻撃はISVSプレイヤーの意表を突くものではあった。だがISを傷つけることはおろか、エネルギーを削ることすらできない兵器群である。白騎士事件以降、数多くの研究者たちが認めざるを得なかった事実をこの競技中に再現するだけとなっているのが現状。所詮は奇策であり、来るとわかってさえいれば初心者でも対処できる程度のものだった。

 防衛部隊を散らせて塔を囲うように展開している。敵陣地とは逆方向もカバーしたため、ミサイルの数で押そうとしたところで通す気はない。

 ……そろそろミサイル攻撃をやめてIS部隊でも送ってくるか?

 数だけを頼りにする効果のない攻撃を続ける意味はない。最前線のフランス代表が敵の防衛網を破ればその時点でデュノア社の勝利が確定する。

 勝ちペースなのは間違いない。しかしバレットの脳裏には違和感しかなかった。過去の戦いと比べて必要以上に(ぬる)すぎたのだ。

 

 バレットの不安はすぐに形となる。遠距離からのミサイル爆撃が続く中、敵が動く。丸めの巨大な金属の塊に100以上の穴が開いているマザーアース“アルゴス”の中で一際大きい穴から飛び出す影があった。ミサイル群に紛れてデュノア社の陣地へと飛ぶ物体はそれほど大きくはなく、一般的なディバイドスタイルのISよりも一回りほど小さい。

 バレットはマザーアースから放たれた異物を凝視する。手足があるためISだろうか。顔も含めて全身を光沢のあるワインレッドの丸い装甲が覆っており間接部だけが細い。まるで昆虫の甲殻を思わせる体。そして、頭に該当する部分にはライオンのたてがみのようなマリーゴールドの装甲も付いている。一見するとどうでもいいパーツが付いている敵の新手は逆にバレットの不安を煽ってくる。

 

「敵ISによる攻撃? だがなぜ単機だ?」

 

 自分ならば他の方法を取る。ミサイルの中にISを紛れさせるにしても複数機一斉に仕掛けた方がいいに決まっている。だからこそバレットは敵の狙いを察することができない。

 これもまた、ISVSの常識から外れた攻撃であるのだから。

 ミサイルの中に紛れる異物の存在には誰もが気づいている。異物が向かうのは塔の正面に配置された不動岩山を所持する防御部隊。ミサイルの群も持ち前の大盾で軽々と防いでいる鉄壁の装備はマザーアース“ルドラ”の砲撃すらも耐えきった実績がある。

 

「アギト、シールド最大展開!」

『わかった!』

 

 バレットの通信を受け取ったプレイヤー、アギトは不動岩山のENシールドを展開して敵ISの接近を阻む。ISでも正面からぶつかり合えば一方的に破壊されるだけである強固な盾を前にして、(あり)を模したワインレッドのISはあろうことか頭から飛び込んだ。

 

 次の瞬間――

 網膜を焼き付くさんとする激しい光が放たれた。

 

 ワインレッドの蟻を光源とする赤紫色の波動は周囲の不動岩山部隊を包み込んで膨れ上がる。直前まで通信をつないでいたバレットにはもうノイズしか聞こえて来ない。やがて通信の異常より遅れて空気を激しく揺らす轟音がバレットたちの耳にも届いた。

 爆発だと気づいたのは光が収まった後のこと。爆心地であった蟻のISはもちろん、光に巻き込まれていた防衛部隊が全て消滅したのを目の当たりにしたときだった。盾の無くなった正面をミサイルが通過していき、デュノア社の塔に着弾していく。

 

「マズい! 正面に部隊を回せ!」

 

 主にデュノア社の部隊で構成された正面を守る部隊は今の一撃で消失し、防衛網の穴となっている。主に左右を守っている部隊から人を出して埋めなければならず、それができるのはバレットたち日本のプレイヤーを中心とした部隊だけであった。バレットの指示に従って正面に駆けつけたプレイヤーたちの手によってミサイルの迎撃が行われ、なんとか塔の破壊は免れる。

 再び守りが安定し始めたそのとき、マザーアース“アルゴス”から再びたてがみを付けた蟻が飛び出す。数は2。今度は正面でなく左右を同時に狙って来ている。戦力の厚い場所をわざわざ狙ってきているのは間違いなかった。

 ミサイルの数は既に白騎士事件も真っ青な数に上っている。コスト度外視でそのような数を放てるのもISVSであるため。固定標的をミサイルから守らなければならない都合上、機動力のあるはずのISも塔の周囲に釘付けとなる。そこを新兵器で一掃しようというのが敵のとった戦術である。

 新兵器“ミルメコレオ”の狙いは密集せざるを得ないISにあった。攻撃範囲、威力ともに単体のISが持つものにしては異常。いや、それどころか不動岩山ですら防げなかった時点でマザーアースの砲撃をも上回っている。

 その正体についてバレットの中では既に仮説が立っている。

 

「自爆……おそらくは全てのストックエネルギーの攻撃転用。ミューレイはそんなものまで開発してんのかっ!」

 

 またもやバレットの中の常識を崩す攻撃。2機目と3機目が出てきた時点でワンオフ・アビリティではない。絶対防御のためにストックしてあるISVSにおけるHP的な存在を攻撃に使用する技術はこれまで確認されていなかったが、そうでもなければこの攻撃の規模を説明することなどできない。

 敵の術中に嵌まっている。防衛部隊をじわじわと潰していく敵に良いように扱われている。早急に対策を立てなければ早い段階で全滅する。

 

「あとはお任せします、バレットさん」

「え……? (アイ)さん?」

 

 指示が出ていない内に(アイ)が動いた。バレットが戸惑っている間にも彼女はミルメコレオに単身で立ち向かっていく。その意図を察した頃には彼女は斬りかかっているところだった。

 爆発の中に彼女の姿が消える。代わりにバレットたちは無傷で残った。

 

『バレット。こっちはバンガードがあの変なのに突っ込んでいったおかげで助かったわ……射撃で撃ち落とせなかったから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど、悔しいわね』

 

 リンからの通信で反対側でも同じことが起きていたことを知るバレット。アイとバンガードの2人が独断でとった行動はチームを救うこととなった。結果的に被害は最小限ですんだ。本当に死んでしまうわけではないから勝つために彼女たちが正しい選択をしたことには違いない。

 だがリンの言うとおり悔しいのも事実。隣で戦ってくれていた想い人が自分を置いていくのを見ているだけだった自分を恥じた。

 これで負けたら彼女に合わせる顔がない。

 

『悪い報せだよ、バレット。フランス代表が負けた。攻撃は失敗で、逆に敵の部隊がこっちに向かってきてる』

 

 シャルルからはさらに状況が悪化していることが告げられた。淡々と報告しているように見えて、普段の彼女らしくない早口には誰もが違和感を覚えた。ここでバレットが何も指示を出さなくても彼女が1人で突っ走ることは目に見えていた。

 

「……ブレードに自信のある奴、マシンガンやミサイルなど手数に自信がある奴は引き続き防衛に残れ。どちらでもない奴は直ちに攻撃を開始」

 

 もう打って出るしか方法がない。フランス代表を中心とした攻撃部隊が負けた時点でこの勝負は負けたも同然だったが悪足掻きだけはしてやると意気込んだ。

 バレットは当然、防衛側に残る。ミサイルの撃墜数はプレイヤーの中でもトップである彼が抜けるのは防衛対象を危険に晒すだけでより負けに近くなるからだ。

 

「リンは攻撃に回れ」

『向かってくる部隊を倒すの?』

「そいつらは無視だ。リンには敵のマザーアースを倒してもらう。他の奴にはミサイルの発射台を潰してもらってくれ」

『簡単に言うけど無理難題ね。でも敵の守りが薄くなってるから今やるしかないのかぁ……』

 

 リンが部隊の一部を引き連れて移動を開始する。ミルメコレオの母艦となっているマザーアース“アルゴス”を倒さなければデュノア社側に勝機はない。

 敵はIS部隊が攻め込んできている。後方からのミサイルは継続して発射されているがミルメコレオの方は味方を巻き込むため撃てない。このような行動をとった背景にはミルメコレオの弾数に制限があるためだとバレットは踏んでいる。

 ――まだ勝てないわけじゃない。

 勝負の行方は日本の高校生を中心としたプレイヤーたちの悪足掻きに託された。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ミサイル攻撃が続けられているデュノア社側の塔に金色のISが近づいていく。悠然と構えたまま移動する姿には一切の焦りが感じられず、銃弾やミサイルの飛び交っている戦場には似つかわしくない。

 必然的に金色のISは狙われることとなる。戦闘機動にはほど遠い、のんびりと近づいてくる敵を見逃す者などそうそう居るはずもない。同時に3機のラファール・リヴァイヴがアサルトライフルやマシンガン、ミサイルなどで集中砲火を浴びせる。

 

「さっきの戦闘データをフィードバックしてないなんて……冗談じゃなく本当にデュノア社には力が足りてないわぁ」

 

 金色のISの操縦者、スコール・ミューゼルが呆れを口からこぼす。自分に向かって飛んでくる弾丸やミサイルを前にして冷静さを崩さないばかりか動こうとすらしない。

 全弾命中し、スコールは爆煙に包まれる。攻撃が成功したリヴァイヴは煙の中にライフルを撃ち続けたまま煙が晴れるのを待つ。決して油断などしていない。だが、煙が晴れた直後、3機のISは一斉に武器を下ろさざるを得なかった。

 

「効いて……ない……?」

 

 金色の装甲に傷一つついていない。それだけならば何かの防御用兵器を使用した可能性を疑うところだ。だが3人が目の当たりにしたものは自分たちの攻撃が当たっているのに一方的に弾き返されているという事実だった。

 ISの装甲は絶対防御に守られていない。攻撃が当たればストックエネルギーよりも優先して削られていく場所である。装甲が無傷であるということは当然ストックエネルギーも減らせていないことになる。

 装甲が何かしているのか。しかしIB(インパクトバウンス)装甲で無傷にする場合、実弾攻撃が装甲にまで届いていないことが前提となる。そもそも装甲のない部分に当たってもスコールは涼しい顔を崩していないから特殊な装甲の可能性は否定できる。

 見るからに怪しいのは金色のISの周囲を覆っている薄い色の炎。しかしENシールドの類にしては銃弾を素通ししているようにしか映らない。

 理由を説明できないまま3機のうちの1機がブレードスライサーで飛びかかる。射撃が通じないならば格闘戦に持ち込むという発想はISVSでは割と良くあること。だがやはりスコールは微動だにせず斬撃を受け入れた。

 結果は――命中と同時にブレードスライサーが砕け散ったのみ。

 スコールの背中から蠍の尾を模した機械腕が伸びてくる。先端は2つに分かれてそれぞれに棘がついており、中央には射撃攻撃用の砲口が見受けられる。2つの棘が挟み込むようにしてリヴァイヴを捕らえるとギリギリと締め付け始めた。

 

「これが力のない者の末路。この仮想世界で経験できた貴女は幸せ者よ」

 

 蠍の尾から赤紫色の閃光が放たれる。既にアーマーブレイクしていた機体はこの一撃で消滅。あっさりと勝負が着いた。

 戦闘は全てスコールが後手に回っている。にもかかわらずスコールは無傷で圧倒する。数の優位があっても意味がないと悟り、2機のリヴァイヴは塔へと撤退していく。否、逃走していく。

 

「逃げても無駄。立ち向かっても無駄。救いがないわね」

 

 スコールの足は止まらない。全力で移動せずとも確実にデュノア社の陣地へと歩を進めている。彼女が塔に辿り着いたときに間違いなくデュノア社は敗北するというのに誰も彼女の進軍を妨げることはできない。フランス代表をも圧倒した彼女を止められる者など居るはずもない。他国の国家代表の参戦が禁じられている戦いに参加できる者でスコールに太刀打ちできる者などという都合の良い存在をデュノア社が用意できるはずもなかったのだ。

 だがスコールはその足を止めた。彼女の前に立ちはだかるプレイヤーをスコールは知っている。機体は違うが、過去に戦ったこともある相手。余裕を見せたままでは戦えないと断言するほどの相手がなぜかこの場に現れている。

 

「本当に企業間の諍いだったなら静観を決め込むつもりだったけど、無所属なはずのランカーが相手なら私が出ても問題ないわよね? 私も一応、企業には属してないし」

 

 対面に立つは水を纏った着物の女。装備らしい装備は右手に扇子を持っているだけというおおよそISVSには似つかわしくない姿は他にいない。

 更識楯無。プレイヤーネームはカティーナ・サラスキーであるがスコールには正体がバレている。公には国家代表どころか代表候補生でもない彼女ならばこのミッションに参加しても問題はなかった。

 

「あまりランキングに固執するつもりはないけど、ちょうど私の1つ上があなたっていうのは気に入らないのよね。本当は捕まえたいんだけど、今日は無理そうだから個人的な理由でボッコボコにするだけに留めてあげる」

「威勢だけはいいわね、更識楯無。でも無駄よ。貴女のISでは私の“黄金の夜明け(ゴールデン・ドーン)”には敵わない」

「やってみないとわからないわよ?」

 

 先に仕掛けたのは楯無。閉じた扇子の先に集まった水が青く輝き、球状を維持したまま高速でスコールに向けて飛ばされる。ただしIS戦闘においては決して速すぎる攻撃ではなく、加えて小細工もない単調な射撃だ。スコールが回避するのは容易かった。

 しかし笑っているのは避けられた側である楯無の方。口元の笑みはいたずらの成功した子供を思わせ、敵対する者の神経を逆撫でする。

 

「ほら、避けた。当たると困るわよね。あなたのISはEN属性に対しては普通のディバイドと変わらない防御性能しか持っていないもの」

「あら、良く知ってるわね。ちゃんと勉強して来て偉いわぁ」

「危険な戦場に滅多に顔を出さないあなたが国家代表の相手をしたのは2度目。シールドピアース使いのアメリカ代表と実弾しか使わないフランス代表。どちらもEN武器を使わないからこそあなたが出張ってきている」

 

 子供扱いして言い返すスコールに対して楯無は遠回しに腰抜けであると宣告し返す。どちらもただ敵を倒すだけでは満足しない。徹底的に自分が優位であることを相手に思い知らさなければ気が済まない。

 片や亡国機業の幹部。“織斑”と並んで組織を脅かしてきた日本の一族を優先的に潰したいと考えている。ISVS外における組織力という観点では最も警戒すべき相手。

 片や暗部の一族の現当主。先代楯無から続いている因縁ある組織を潰すことは刀奈が楯無であるために必要な通過儀礼である。一度は壊滅した組織であるため人員構成は少数であり幹部は貴重な存在。

 どちらにとっても負けられない相手である。こうして対面しているのは仮想世界のことで勝敗は現実に影響を及ぼさない。そうわかっていてもここで負けることはおろか逃げることも信条が許さない。

 

「逆に貴女は勇敢ね。私は負けたところで痛くも痒くもないのだけど貴女はそうじゃないのに」

「Illのことを言ってる? ハッタリはやめなさい。負けたプレイヤーが無事にゲームから離脱してる時点で近くにIllがいないことは自明。ついでに言っておくと無謀じゃなく勇敢と口にしたあなた自身が私の選択は間違いじゃないと認めているようなものだし」

「あら、失言だったかしら。そういうことにしておくわね」

 

 本人も手応えを感じた楯無の指摘だったが、スコールは攻撃を避けたときほど余裕を崩していない。含みを持たせた発言の真意がハッタリなのか隠し玉があるのか楯無には判断が付かなかった。

 口での攻防はここまで。Illの存在の有無がどちらにせよ、楯無がすべきことはスコールを倒すこと。もしIllが現れてもまとめて蹴散らしてやる気概である。

 喋っている時間で楯無の攻撃準備は終わった。スコールの周囲には目視できないBTナノマシンが漂っている。意識を集中し、ズームして見なければ存在を確認することはできないのだが対峙しているときにそのような対応は不可能。

 ――装甲の中に忍ばせて爆発させる。

 爆発は実弾兵器に分類されうるが楯無の使うアクア・クリスタルは事情が異なる。スコールのワンオフ・アビリティの効力として推測される『物理属性ダメージの完全無効』は突破できる。

 銃も剣も交わすことなく、楯無は決着をつけようとナノマシンに指令を送る。避ける素振りを見せないスコールを見て勝利を確信した。

 だが笑うことになったのはスコールの方だった。

 

「偉そうな口を叩く割には姑息な手を使うのね。でも貴女のアクア・クリスタルは私の“紅炎宝玉”の結界には入れない」

 

 スコールの体は薄い色の炎に覆われている。楯無の操作するアクア・クリスタルは全て、炎に触れると同時に地へと落ちていく。侵入を拒むだけでなく操作不能に追い込まれていた。

 

「BT兵器を使って至近距離から攻撃するのがあなたの得意技のようだけど、太陽に近づこうだなんて愚かだわぁ」

 

 楯無はスコールの能力を読み違えている。この時点で圧勝するプランは水の泡となっていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 リンを先頭にして左を迂回するルートを通り、ミューレイ側の塔へと侵攻する。バレットに出された指示は敵マザーアースの破壊であったがリンの発想は向こうから来てもらえばいいというものだった。

 道中、ついでに森の中に潜んでいたミサイル発射専門の部隊を蹴散らし、塔が近づいてくると敵のIS部隊が飛び出してくる。少数精鋭のリンの部隊と比べて3倍の数だがリンには臆す理由などなかった。

 

「出番よ、サベージ。1機もあたしに攻撃させるんじゃないわよ」

「あいよー」

 

 リンの後方から黒いシルフィードが速度を上げて突出する。彼が両手にマシンガンを持っている姿は本気の表れ。下手な鉄砲を撃ちまくり、相手の陣形を乱せばそれで役割を果たしたも同然。必然的に攻撃を集中されるサベージを尻目にリンは敵の防衛部隊をスルーして先を急ぐ。

 

「さてと……思った通り、敵の本命が来たわ」

 

 強引に敵の陣地に入り込んだリンたちを敵が放置するはずもなかった。敵防衛部隊の切り札であろうマザーアース“アルゴス”が行動を開始。ずんぐりとした外見は戦艦というよりも要塞というべきもので、全体に開いている100以上の穴からはENライフルが覗いている。

 対ISの対空射撃。リンだけでなく他のプレイヤーも同じ判断をした。いくらマザーアースといっても100以上も同じ装備を搭載していてはISが使うENライフルと規模が変わらない。大して怖い攻撃は来ないと思わされた。

 先に攻撃を仕掛けたのはアルゴス。あろうことか対空ENライフルの全てを一斉に発射する。明らかにリンたちのいない方面のものも含めてだ。

 ウニや毬栗(いがぐり)のように全方位に光が伸びる。プレイヤーたちが直線を思い浮かべていたそれらは予想に反して大きく曲がり、明確な意思を伴ってプレイヤーたちに飛来する。

 

「これって偏向射撃(フレキシブル)!? こんな数を同時に操るなんてラピス並じゃない!」

 

 BT適性Aでなければ使えないとされている偏向射撃。ラピスはカーブするだけでなく鋭角に曲げることも可能という違いがあるのだがリンはそこまで詳しくはない。

 おまけにリンは思い違いもしている。マザーアースが巨大であるのは複数のISコアを組み合わせた建造物であるため。コアと同じ数の操縦者を必要としている意味を考えれば、同時に複数の偏向射撃を行えるカラクリも自ずと見えてくる。決してラピスと同レベルのBT使いを必要とはしていない。

 

「くっそ……わかってたことだけど、敵に回すと鬱陶しいことこの上ないわね、これ!」

 

 避けても避けても追ってくる。EN射撃も射程に限度があるとはいえ、射程限界まで避け続けるのは精神的にも時間的にも厳しい。ENシールドで防ぐのが最善の対処法であるがそのような燃費の悪い装備を都合良く持っているはずもなかった。

 

「くっ! 龍咆がやられた!」

 

 メインウェポンである非固定浮遊部位の衝撃砲が2つとも破壊される。ヤイバのような回避が生命線のプレイヤーと違って、リンには偏向射撃を避け続けるだけの技量はない。時間が経てば経つほど追い込まれていく。

 元より打って出る他ない。

 まだ敵マザーアースは手の内を晒しきっていない可能性はある。しかし既に敵の隠し玉を警戒する段階は過ぎている。玉砕覚悟で攻撃にいくしか勝つ方法は残されていないのだ。

 曲がるビームを双天牙月で斬る。当たり前のように双天牙月が壊れ、歪な形になってしまったそれは最早ブレードとは呼べない状態だ。盾になればいいと割り切ってリンはアルゴスへと立ち向かう。

 偏向射撃が突出したリンに集中する。敵から相対的に見れば最も脅威となりうると判断するのも無理はない。だがリンについてきたプレイヤーたちの性格までは知る由もなかった。

 

「ここは俺たちに任せて先に――ぷぎゃあ!」

「この程度の攻撃からリンちゃんを守れずして親衛隊を名乗れ――げはぁ!」

 

 自ら率先してアルゴスの対空射撃に当たりにいくプレイヤーたち。一度は散開した彼らはリンを前に進める盾となるために再び集まった。なお、リンは彼らが親衛隊を名乗ることなど断じて認めていない。とはいえリンの想定になかった援護はリンにとってプラスに働くことは間違いなかった。

 ISが1カ所に集まる。この状況になると偏向射撃の数で押したところで接敵を許すのは目に見えている。だからこそアルゴスは別の手を打つ必要があった。ENライフルが設置されていない唯一の穴。1つだけ大きさの違う穴は搭載されている機体の発進口となっている。

 リンは自分からその正面を狙っていた。そもそもバレットが最も嫌がっていたものは敵の新兵器である。マザーアース自体を落とせなくても、新兵器さえ使えない状態にすればそれで問題はなかった。

 ――敵は新兵器を使ってくる。

 密集したISを一撃で吹き飛ばす兵器をこの状況で惜しむはずがない。

 当初は腕の衝撃砲“崩拳”のみでの発進口の破壊を考えていたが、自称親衛隊のおかげでもっと効率の良い方法を使える。対Ill戦では使ってはいけない策だが今は問題ない。

 

「全員、次にあたしが叫んだら散らばりなさい」

 

 指示を伝達。リンを慕ってついてきている者たちが彼女の命令に逆らう理由はなかった。だがリンの思惑を知っていれば反対したかもしれないが。

 アルゴスからワインレッドの蟻、ミルメコレオが射出される。ミルメコレオは言わば“IS爆弾”。コアに蓄積されている全てのエネルギーを攻撃に転化することでISの防御機構の一切を無視し、ストックエネルギーが足りない規模の爆発を起こす代物。リンはその詳細を知らないがとにかく凄い威力だとだけは認識していた。

 迫り来る蟻型ミサイルにリンは自分から右手を伸ばす。その手は的確にミルメコレオの細い首を掴む。

 

「いっけーっ!」

 

 リンが叫びながら加速する。同時に自称親衛隊は指示通りにリンから離れ、リンは単独でミルメコレオをアルゴスへと押し戻していく。

 ――接触から爆発まで猶予はおよそ2秒。

 目の前でバンガードが犠牲となったとき、リンは冷静に時間を計っていた。2秒で爆発の範囲外に出ることは不可能。だが、近距離でミルメコレオを撃たれた今の状況ならば、敵を巻き込むことくらいはできる。

 とどめのイグニッションブースト。自爆準備に入ったミルメコレオには大した推進力が残っていなく、リンの思うように動ける。鈍重なマザーアースが逃げることなどできるはずもない。

 

 2秒。

 

 ISをも消滅させる爆弾が起動する。この時点でリンの体は消えてゲームから退場。爆心地に近かったアルゴスは完全消滅とまではいかなかったものの、ミルメコレオの発射口が潰れ、浮遊を続けることも困難となり静かに墜落していく。

 ここに敵の防衛線の主軸が陥落した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 リンが敵マザーアースを撃墜した。

 その報せをシャルロットは遙か上空で受け取る。背中に大型のブースターを積んだ“リヴァイヴ・テンペート”で高々度に上がり、敵の防衛網が崩れる瞬間を今か今かと待ちかまえていたのだ。

 気は熟した。シャルロットは眼下の塔めがけて急降下を始める。本来迎撃として飛んでくるはずのアルゴスの偏向射撃はリンの活躍によって排除された。他の残っている防衛のISはリンの率いていた攻撃部隊が引き受けている。シャルロットを止める敵はもういない。

 

「ありがとう、リン。ありがとう、皆」

 

 まだ終わっていない内からシャルロットの口から感謝の言葉がこぼれる。たとえ負けたとしてもシャルロットは同じ言葉を口にしたであろう。たとえ独り言でも、言わなければ自分の気が済まなかった。

 テンペートに搭載している全ての武装を一斉に発射する。上空から飛来するミサイル群は重力も乗ることでスペックよりも高速でミューレイの塔を襲う。着弾する度に少しずつ抉られていく塔だが、流石に1機のISが搭載する火力では簡単には倒壊しない。

 全弾を撃ちきった。再装填までは時間がかかる。それまでにシャルロットの攻撃に気づいた敵がやってくる危険性は高かった。

 

「“転身装束”、起動(ブート)

 

 だがシャルロットには通常の再装填時間を待つ必要などなかった。彼女にのみ許された力(ワンオフ・アビリティ)によってミサイル発射直後の装備を丸ごと全部取り替える。ラファール・リヴァイヴにありったけのミサイルを搭載した拠点攻撃に特化したフォルダに換装。ロスなく次の攻撃にとりかかる。

 

 ――こんなに簡単な戦いなんて、昔からじゃ考えられない。

 

 思い起こされるのは父親の反対を振り切って“夕暮れの風”としてISVSを戦っていた日々。シャルロットは常に1人だった。初めから勝利を義務として自分に課し、力を示すために不利な戦いにも臨んできた。

 

 ――力を示したかったのは誰に対して?

 

 今だからこそ言えることだが、いくら“夕暮れの風”が強くなろうともデュノア社長が求めている力にはなり得ない。個人の技量がどれほど優れていようと意味を為さない戦いもあるのだと、これまでのヤイバたちの戦いから学んでいた。

 

 ――パパに認めてもらうためなんて、ただの言い訳だった。僕はずっと僕を認めたかっただけなんだ。

 

 2年前に母親と死別するまで自分が妾の子だと知らなかった。たまにしか顔を見せない父親も、仕事が忙しいからなのだと納得していた。母親の死後、父親の家に引き取られて初めて事実を知り、少なからずショックを受けたことは記憶に新しいことなのである。

 デュノア社長は優しい父親だった。本妻だという女性にも実の娘のように可愛がってもらっている。文句など言えないはずの恵まれた環境には違いない。

 だがそれらが全て上っ面だけの愛情かもしれないという不安は常につきまとっていた。父親には自分たち以外の家族がいる。義理の母親となっている女性にとってはシャルロットの存在は疎ましいだけのはず。自分がいなくてもデュノア家は成り立っている。だからシャルロットは血のつながり以外でも自分を必要としてほしかった。

 

 デュノア家に必要な自分であるために。

 他ならぬ自分が安心するために。

 

 デュノア社長が陰で危機感を覚えていたことをシャルロットは知っていた。イメージインターフェースやEN武装といったIS装備の進展にデュノア社は乗り遅れ、ミューレイが技術を武器に欧州圏での権力を強めていく。フランス政府がデュノア社を見限ってミューレイを受け入れるのも時間の問題であった。

 

 シャルロットの手によってミューレイの塔が破壊される。デュノア社長の危機感を象徴する建造物が音を立てて崩れていく。勝利が確定した光景を見下ろしながらシャルロットは思う。

 1人の力だなどと言えるわけがない。日本で出会ったプレイヤーたちが手を貸してくれなければこの結果はなかった。

 もしヤイバと出会っていなければ、この戦いにシャルロットは1人で参加していたことだろう。だが敵のミサイル策、新兵器、フランス代表を倒した猛者の全てを相手にしてデュノア社の塔を守り切れたはずがないと確信している。

 

 ――僕、強くなったよ。

 

 “夕暮れの風”が目指した力はまだ手に入っていない。しかし“夕暮れの風”では手に入らなかった勝利が目の前にある。

 シャルロット・デュノアが手に入れた力はデュノア社長が喜ぶものに違いなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 成層圏の上で蝶の女と斬り結ぶ。とはいってもお世辞にも互角だなどとは言えず、俺の攻撃が受け止められては一方的にBTビットで狙い撃たれて逃げ回るしかできない。格闘とBTビットを織り交ぜる戦闘スタイルは俺とラピスがクロッシング・アクセスしているときと同じものであり、近接戦闘とBTの高い技能が要求される高度なもの。

 単純に強い相手だ。だが強さの秘密は技能だけじゃない。

 外見がすっかり違っているからすぐにピンと来なかったが俺は一度、蝶の姿をした敵と遭遇している。

 

 こいつは蜘蛛の中身だった奴――つまり、Illだ。

 

 そうとわかれば俺がすべきは時間稼ぎ。ラピスやナナとのクロッシング・アクセス抜きでIllに勝てるだなんて思い上がっちゃいない。あわよくばミューレイがIllを使っているという状況証拠を作ってやろうと、デュノア社が負けない範囲でIllを地上に引きずり下ろそうと試みている。

 意図的に落ちながら戦っている俺たちは熱を帯びた空気に晒されて赤く発色しているように見える。こんな状況でもアーマーブレイクしない限り戦闘に支障がないというのがISの怖いところ。

 

「……拍子抜けだな。“織斑”とはこんなものか」

 

 またか。俺を目の仇にしていたのも合点がいく。ギドと同じようにヤイバが織斑一夏だと知っているのだろう。

 

「生憎だがそれは俺の台詞だ。ギドやアドルフィーネと比べたらお前、弱いぞ?」

 

 ただの強がりだ。たしかにギドやアドルフィーネのように絶対的な強さみたいなものは見せつけられていないが現時点で俺の勝てる見込みがない相手なのは間違いない。

 ここで逃がしたくない気持ちはある。でもそれが不可能である事実も認めないといけない。ナナともラピスとも無理はしないと約束しているから。

 

 俺の思いが届いたのか、ミッションの終了が告げられる。デュノア社の勝利に終わり、俺と蝶の女の戦闘の行方はミッションに関係のないこととなった。

 即座にログアウトを試す。しかし反応はない。わかってはいたけど、コイツはIllだった。

 

「どうする? まだ続けてもいいけど、ミッションを終えた俺の仲間がここに駆けつけてくるぜ?」

「全て蹴散らせばいい」

 

 Illってのはどいつもこいつも自信過剰だ。今までの倒してきた相手を考えればそれも妥当なのだとわかってしまう。

 このまま戦闘となれば俺は死に物狂いで逃げなければならない。逃げきれる保証もないからできれば向こうから退いて欲しいのだが。

 

「私が怖いか、織斑一夏?」

 

 仮面の下の口が歪む。笑っているようにも怒っているようにも見える。こちらの心情を見抜かれているようで、俺は雪片弐型を握る手に余分な力を入れてしまう。

 怖くないわけなどない。だが俺の手が震えているのは武者震いだ。たとえ箒に直接関わりのないIllだとしても、全力で殲滅しなければならない。

 否定する意志を込めて睨みつける。こいつらは箒を助けるために倒すべき敵。戦力を揃えて確実に倒してみせる。それが俺の使命だ。

 

 動かない俺の前で蝶の女はおもむろに仮面を投げ捨てた。蝶をあしらっていた手の込んだ仮面はシールドバリアの保護から離れたため瞬時に燃え尽きる。

 消えた仮面の後に敵の素顔に目が向くのは自然なことだろう。どんな奴だろうとIllであるかぎり打ち倒さなければならないことには変わりないが見てしまうものは仕方ない。

 だけど……まさか知ってる顔だとは思いもしなかった。

 

「千冬……姉……?」

 

 蝶の女の素顔は千冬姉と瓜二つ。正確には中学生くらいのときの千冬姉とそっくりだった。

 違う点としては瞳の色が金色であることだけ。それはそのまま彼女が遺伝子強化素体であることを示している。

 

「私はマドカだ。この名をその胸に刻んでおけ、織斑一夏」

 

 最後に名乗るだけ名乗って蝶の女、マドカは去っていく。

 追撃をしようだなどと考える余裕もなく。

 今の顔がアバターとして造られたものだとも思えず。

 俺は重力に身を預けて地上へと落ちていった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 隠れ家としている高級住宅の一室でスコールは目覚める。睡眠からの覚醒という意味ではなく、ISVSからの帰還。その眉間には皺が寄っていた。

 

「……ウォーロック博士の発明を過大評価していたわ。あの程度の時間を稼ぐこともできないなんて」

 

 自らが出向いての敗北。開始直後から戦況を思い通りにコントロールしていたスコールが最後の最後でデュノア社に逆転を許してしまった。

 その原因について思考する。

 たしかに更識楯無という想定外の存在はあった。しかし彼女はスコールの歩みを遅らせることしかできていない。結果的にスコールはデュノア社の塔にまで到達し、更識楯無と交戦しながらも塔への攻撃も開始していた。

 だが、あと一歩というところでミューレイの塔が先に落ちた。

 フランス代表のいないデュノア社の戦力ではマザーアース“アルゴス”を突破できるはずもない。“夕暮れの風”の姿を見ていないことは気がかりではあったが、1人であの戦況をひっくり返すほどの力は持っていないことは確実。

 マザーアースが想定以上に弱かったという結論をスコールが出すのも無理はなかった。

 

「亡国機業の中ではISに理解のある方だと思っていましたが、やはり認識が甘いところがありますねぇ」

 

 室内に男の声が響く。反射的に立ち上がったスコールは拳銃を手にして辺りを確認する。

 探すまでもなく男の姿は確認できた。窓際のソファに勝手に腰掛けている男は細目でにこやかな顔をしている。失敗した直後のためスコールは嘲笑われているとしか思えない。拳銃を向けるのに一切の抵抗はなかった。

 

「招かれてもいない女性の寝室に忍び込むなんて、紳士のすることではないわ」

「おや、この部屋に“女性”がいるのですか? 不思議ですねぇ。ミューゼルさんには一度、私に『何を以て女性と定義するのか』をお教え願いたいところです」

 

 男の発言はスコールを女性扱いしないというもの。スコールは強く歯噛みするだけで反論はしない。

 

「いつもの似合わないメガネはやめたのね」

「別に私は視力が悪いわけじゃありません。演出用の小道具ですよ。黒縁の大きいメガネをかけて服装をきっちり整えると真面目な雰囲気が出ます。サングラスをしてスーツを着崩すとアウトローな雰囲気が出ます。相手に合わせて形から入るのも大切なんですよ」

「じゃあ今の貴方は何者かしら、嘘吐きさん?」

「嫌だなぁ。いつだって私は私。今の世の中を憂う、平石羽々矢という1人の男です」

 

 ハバヤがソファから立ち上がるとおもむろに窓を開け放つ。

 

「今日は挨拶に来ただけです。そろそろ日本で起きるだろう“こと”に私も関わらせていただきますので」

「勝手なことを言うのね」

「もちろん邪魔をするつもりはありません。むしろあなた方のお手伝いになると思っています」

「嘘吐きの貴方にそう言われても困るわね」

 

 ここでスコールはハバヤに向けていた拳銃を下ろした。

 

「好きにすればいいわ。貴方が利口ならオータムを怒らせないでしょうし」

「ご理解に感謝を。では失礼いたします」

 

 窓の外へハバヤが消える。その背中を目で追うことすらせずにスコールは窓を閉じて鍵をかけると頭を抱えて近くのソファに座り込む。

 ――ISが登場して以来、亡国機業は弱体化の一途を辿っている

 組織外の人間に頼らなければならない現状を悔やむ。

 スコールはハバヤを微塵も信用していないが、亡国機業が劣勢である現状では彼のようなジョーカーでも使う価値がある。当然、裏切りの可能性は常について回るが殺すのは邪魔になってからでも遅くない。

 ハバヤは男である。専用機を所有しているスコールやオータムに彼が敵うわけなどないのだから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ミッションを終えて自分の部屋に意識が戻ってきた。窓の外から見える外はまだまだ暗く、早朝と呼ぶには早い時間である。前回の経験からISVSのプレイ中は休息にならないとわかってはいたけど、やっぱり眠い。これでも仮眠は取ってたんだけどなぁ。

 コンコンと控えめなノックが聞こえてくる。ミッションが終わった直後ということもあり、来るのなら鈴かシャルのどちらかだと見当がついている。時間的に声を出して返事をするのは気が引けたから何も言わずに扉を開けて訪問者を出迎える。

 

「一夏。ちょっとだけ話があるんだ」

 

 シャルだった。昨日、ミッションの話を切り出したときと違って、彼女の目はまっすぐに俺を見てくる。

 

「じゃあ、中で――」

「ううん。一言だけだからここでいい」

 

 部屋に通そうとするが断りを入れられる。そもそも誰が訪ねてきたかは心当たりがあったが、何の用があるのかは俺にはさっぱりわからない。

 たった一言のためにわざわざやってきたシャルの真意は全く読めない。

 俺の頭上に疑問符が浮かんでいるのが見えているのだろうか。シャルはふふふと小さく笑う。

 

「今日はありがとう。これからも僕の力になってね!」

 

 たったそれだけ。シャルは足早に自分の部屋へと帰っていく。俺はポカンと口を開けたまま彼女の背中を見送ることしかできない。

 一体、何が言いたかったんだ?

 力になってくれだなんて今更な話だし、お互い様な話でもある。今日はたまたまシャルの都合が大きかっただけで、本質的にはシャルに味方でいて欲しい俺の都合なのにな。

 ……考えても良くわからん。とりあえず悪く思われてなさそうだから別にいいや。


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