Illusional Space   作:ジベた

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【白騎士 - Illogical Salvation - 】
27 白い嘘、黒い嘘


 宝石箱をぶちまけたような目映い星空が広がっている。人工の明かりに包まれている人里では決して見ることのできない自然のプラネタリウムを落ち着いて眺めていられるのは大きな戦いを終えた戦士たちにしばしの休息が与えられたからだ。

 海上にポツンと浮かぶ半球状の建造物がある。仮想世界に囚われの身となってしまった者たちが寄り添い集まった最後の砦であり、リーダーである少女、文月奈々はこの場所をツムギと名付けた。自分たちの集まりもツムギと名乗っている。その理由を知っている者は彼女本人だけだった。……昨日までは。

 

「帰ってきた!」

 

 ドームの屋根の上、たったひとりで苛々しながら座り込んでいた茶髪の少年は東の空からやってくる戦艦を見つけて指をさす。ツムギが所有する戦艦型マザーアース“アカルギ”である。

 ギド・イリーガルとの戦いを終えての帰還。中には少年の想い人が乗っているはず。居ても立っても居られなくなった少年は急いで通信をつないだ。

 

「無事か、ナナ!?」

『おい、トモキ……それは私にではなくシズネに言うべきだろう?』

 

 ツムギに所属する少年、トモキの通信にはすぐに返事が来た。我を忘れて敵地へと単身で突入していったリーダーが取り乱すことなく冷静に話せている。直接シズネに聞くことなく無事目的を果たせられたのだと察するのは容易であった。

 

「おいおい、1人で飛び出しといて心配するなってのはないんじゃねーの?」

『それは……すまなかった』

「あ、いや、謝られても困る。とりあえず戻ってきて無事な姿を皆に見せてやれって」

『そうだな。皆を集めておいてくれ』

 

 通信を終える。ツムギの皆を集めろと言われるまでもなく、既にトモキ以外のメンバーはロビーに集合していた。だから改めてトモキが何かをするまでもない。

 そろそろ自分も迎える準備をしようか。基地の内部へと戻ろうと立ち上がる。ISを展開して一歩踏み出したところで彼は足を止めることとなった。

 

『珍しいですね。トモキくんが大人しく留守番をしていたなんて』

 

 シズネからの通信が来た。ナナとの通信に割り込んでこなかったのはトモキの本心を聞き出したいからなのだとトモキは漠然と理解している。彼女の疑問は尤もなこと。ナナの窮地にトモキが動かないのはこれまでにあり得なかったことだ。

 

「ラピスを信頼してたからな。プレイヤーのみの方が下手に俺たちが行くよりも都合がいいから任せてた。いざとなれば捨て身の攻撃もできるだろうし」

『本当は別の人を頼りにしてたんですよね?』

「あ? 誰がヤイバなんかを――」

『私、ヤイバくんとは言ってませんよ?』

 

 うぐ、と言葉に詰まる。明らかにヤイバを意識していたことが露呈した。

 

『どういう風の吹き回しですか? ヤイバくんを許せないのではなかったのですか?』

 

 ナナを好く者としてヤイバとトモキは相容れない。一般的な感覚であればそう結論づけるのも無理はない。シズネには欠けている常識が多いのだが、一般的な恋敵がどういうものであるのかある程度は把握している。

 だからトモキの想いとは一般的な恋とは遠いものなのだろう。

 

「許せなかった。それは事実だが既に過去の話。野郎がナナとシズネのために敵地へと乗り込んだ今、俺にできるのは託すことだけだ」

『託す? 諦めるんですか?』

「……そういうことにしとけ。一つ言えるのは、俺のゴールが近づいてるってことだな」

 

 もう話すことはないとトモキの方から通信を切る。必要以上に話しすぎてしまった自分自身に対して苦笑する。

 誰にも理解される必要などないというのに。

 誰にも知られてはならないというのに。

 

「さて。もう大丈夫そうだから、俺は引きこもりのガキの様子でも見に行くとするかな」

 

 間もなくアカルギが帰還する。しかしトモキは迎えにいかず、ツムギの中枢に居座る少女の元へと足を向ける。倉持技研がやってきてからあまり顔を見せなくなった少女の元へ通っているのは彼に残された最後の趣味だった。

 トモキのゴールは確実に近づいている。いずれナナとシズネたちはISVSから解放される。その瞬間を待ちわびこそするが恐れなどありはしない。

 たとえ、自分が消えると知っていても……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 仮想世界にも現実と同じ時刻に朝が訪れた。東の空に上ったお日様が照らす海面の反射はキラキラしていて下手な宝石よりも美しく感じられる。煌びやかな海の上、青く澄み渡った果てのない空を白と紅のISが鳥の(つがい)のように縦横無尽に飛び回っていた。

 対照的に鬱屈とした空気が蔓延しているのが海上に浮かぶドームの入り口である。1人のツインテールの少女が頭上を見上げて嘆息していた。その目にはまるで光が感じられない。

 

「帰って早々に何しに来てるかと思えば、あの子と逢い引きしてたのね……」

「まあまあ、リンさん。今だけは邪魔をしてはいけませんわ」

「わかってるわよ。……でも、面白くない」

 

 2人で空を飛んでいるヤイバとナナ。その様子をリンとラピスが下から見上げていた。不機嫌さを露わにしているリンに対して、ラピスは何故かニコニコと笑みを絶やさない。それもリンにとって面白くない。棘を前面に押し出して投げかける。

 

「なんでアンタが嬉しそうなのよ?」

「わたくしの胸の支えがおりたからですわ。ナナさんが篠ノ之箒さんだった。ナナさんは生きている。嬉しくないはずがありません」

「やめて! アンタの話を聞いてるとあたしの器の小ささを思い知っちゃう!」

 

 またもや頭を抱えて勝手に自己嫌悪するリン。彼女とラピスの会話でよく見られる光景であり、もうラピスはリンを心配しないくらいには慣れている。

 そんないつもの2人に近づく人影があった。

 

「大丈夫です。手に収まるくらいに小振りでもヤイバくんなら愛してくれますよ」

「誰も胸の話なんてしてない!」

 

 喋ったのが誰かも確認せずにリンは反射的に振り向いた。そこに居たのはプレイヤーではなくシズネである。唐突に現れた彼女は2人に向かって会釈する。

 

「こんにちは。『口を開けば胸を撃つ』でお馴染みのシズネです」

「前にも自己紹介してたでしょ……って、えらい自信家ね。言葉だけで人を感動させるなんて難しいと思うわ」

「私の口癖は『あ、間違えちゃった』です。やはりこのライフルの引き金が軽いことが問題なのでしょうか」

 

 リンは今更になって気が付いた。戦闘中でもないのにシズネがスナイパーライフルを所持している。抱えているだけならばまだしも、なぜかグリップをしっかりと握っていてトリガーに指もかけていた。

 

「ちょっと待って! 『胸を打つ』んじゃなくて胸を『撃つ』なの!? 喋った人が撃たれちゃうって意味なの!?」

「冗談を解説するなんて物好きな人ですね」

「冗談は口だけにして! そのライフルを下ろしなさい!」

 

 リンがシズネから武器を取り上げようとする。しかしその弾みで――

 

 バン。

 

「あ、間違えちゃった」

 

 暴発した弾丸がリンの頬を掠めていった。当たってもISが防ぐ上に、プレイヤーだから死なないとはいえ、リンの堪忍袋の尾が切れるのには十分であった。

 

「ふざけんな! 冗談で人に銃を向けるんじゃない!」

「返す言葉もありません」

「ああ、もう! なんでそんなに冷静なの!? あたしはともかく、今のがアンタに当たってたら危ないでしょうが!」

 

 ただし、怒るポイントが違う。このゲームでは相手に銃を向けるななどと言う方が変だ。しかしリンにとってはゲームの中でもシズネにとっては現実と変わらない。リンはそれを踏まえたからこそ、シズネに怒りを示した。

 

「リンさんも優しい人ですね。だからヤイバくんが嫌いになるなんてことはないと断言できます。自信を持ってください」

「え、あ、う、うん。ありがと」

 

 なぜかシズネに励まされ、リンは戸惑いつつ受け取った。その成り行きを見守っていたラピスはクスクスと小さく笑う。すっかりリンは自分のペースを乱されて頭が痛くなる。

 

「で、あたしらに何か用?」

 

 改まってリンが問う。ナナのいない場でシズネの方からリンに話しかけてくるのは珍しいことだった。

 シズネは無表情のまま、さも当然であるかのように答える。

 

「皆さんにはお世話になっているのでお礼参りに来ました」

「合ってるのか間違ってるのか良くわかんないボケはやめて! ライフルなんて持ってたら変な意味にしかならないでしょうが! ってかいくらなんでもライフルは無いわよ!」

 

 ツッコミを入れざるを得ない。迷走する2人の会話の傍でセシリアはお腹を抱えて(うずくま)っていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 あれから半日以上が経過した。『さっさと寝ろ』というナナによって俺は半ば強制的に帰らされた。部屋に戻った俺はそのままベッドに倒れ込んで眠りこけていたらしい。外を見ればもう暗くなっている。

 

「腹減った……」

 

 思えば朝から何も食べていない。時計を見ればそろそろ夕食の時間。チェルシーさんが何か作ってくれていることだろう。こういうとき、ひとりじゃないととても助かる。

 部屋を出ると階下から姦しい声が聞こえてきた。そういえばオルコット家の人たちだけでなく、まだシャルやラウラも居たんだった。ついでに鈴の声も聞こえてきているが細かいことは気にしないでおこう。

 

「皆、集まってるんなら俺も起こしてくれて良かったのに」

 

 とくに躊躇いもなくダイニングに入る。ここは俺の家だから俺が気を遣う方が変だし。

 中では既に夕食会が繰り広げられていた。メンバーも最近のいつも通りというべきか。もはや俺の家は女子寮か何かと化している気がするが、独りよりは楽しいから良しとしている。

 

「一夏さん。お目覚めのところ突然このような話をするのは大変恐縮なのですが……」

 

 しかしどうやら楽しいガールズトークが繰り広げられているわけではなかったようだ。難しい顔をしたセシリアが何やら言い淀んでいる。

 

「どうした、セシリア? 俺が寝起きだとかそんなことは関係ないから遠慮なく言ってくれ」

「あと1時間もしないうちに千冬さんが帰ってきます」

「…………」

 

 前言撤回しよう。俺の家が女子寮と化しているのは何もよろしくない。

 今の状況は俺1人だからこそ許されているようなものだ。いや、ハッキリ言って許されてない。許可がでているのはセシリアだけであって、鈴は遊びに来てるということで誤魔化せてもラウラとシャルは言い訳のしようがない。

 

「マジで? 千冬姉は何か言ってた?」

「特には。先ほど『帰る』と連絡があっただけですわ」

 

 つまり千冬姉は今の状況を知らないってことになる。

 俺に用意された選択肢は2つ。

 千冬姉に正直に話すか、適当に理由を付けて誤魔化すかだ。

 

「何を悩む必要がある。私とシャルロットを追い出せば済むのだろう?」

「え? どうして?」

「どうしてって……考えなかったの、一夏?」

 

 ラウラとシャルが意外そうに俺を見てくる。逆に俺の方が聞きたい。なぜそんな選択肢が存在する?

 

「2人には俺がここに居ていいって言ったんだ。なのに都合が悪くなったからって夜に女の子を外に放り出すような真似をすれば、それこそ千冬姉に叱られるっての」

「……一夏らしい理由ね」

 

 鈴がぼそっと呟く。なんだかんだで姉離れできてない俺だから鈴の言ってることは全く否定できないしする気もない。

 

「というわけで真面目に相談だ。千冬姉に何て言い訳をしよう? できればラウラもシャルもここに居たままの方が都合がいいんだが、このままだと千冬姉の許可が下りない」

「一夏も男の子だから皆を引き留めるのに必死なんだね。僕も含めてもらってるのは素直に嬉しい」

「ちょっと待て、シャル。それはどういう意味だ?」

「大丈夫。僕のパパですら色んな女性(ひと)と上手くやってるんだから心配ないよ」

「お前の父さんがどんな人か知らないけど一緒にされるのは心外だってことだけはわかった」

 

 シャルは基本的に優秀なんだけど、パパさんが絡むと途端に残念な子になってる気がする。とりあえずこうなったシャルは当てにならない。他を頼ろう。

 

「ラウラ。何か妙案はないか?」

「ISVSはワールドワイドなゲームなのだろう? ならばゲームを通じて知り合った友人が来日したため宿を提供していると正直に説明すればいいのではないか? お前の保護者をやれているほどの人なら無下に断ることもないと思うのだが」

「それなら嘘はついてないけど……本音を言わせてもらうと千冬姉にはISVSをやってることも内緒にしときたい。でもISVSを避けてラウラとシャルに自然と知り合うってのはちょっと無理があるんだよなぁ」

 

 そう。Illのことを説明する必要は全くないがISVSだけは説明せざるを得ない状況になっている。だがしかし千冬姉はISVSが危険だと思っているはずで、堂々とISVSをやっていると言っていいとは思えない。だから俺はこんなに悩んでいる。

 

「一夏。アンタって結構バカよね」

 

 頭を抱えている俺を小馬鹿にする鈴。情け容赦のない罵倒には呆れが見え隠れしている。

 

「バカなのは否定しないけどこのタイミングで言うことか?」

「ええ、そうよ。逆に質問させてもらうけど、一夏は本気で千冬さんが何も知らないと思ってる?」

「そりゃそうだろ。そもそも俺が例の昏睡事件を知ったのも千冬姉のメモがきっかけなんだ。千冬姉が危険だとわかってるゲームを俺にやらせたまま放置するわけがない」

「でも、千冬さんは一夏がISVSをやってるって知ってるわよ」

「は……嘘だろ?」

 

 大口を開けて唖然とせざるを得ない。

 俺がISVSをやってることを千冬姉が知ってる?

 そんなはずはない。俺がISVSを今も続けていることこそが証拠だ。俺の知ってる千冬姉なら絶対に俺を関わらせようとしない。

 だから鈴の言ってることは何かの間違いに決まってる。

 

「嘘じゃないわよ。アンタがISVSを初めてすぐの頃、千冬さんと道端で会ったときに『今から皆でISVSをやりにいく』ってあたしが言ったんだから」

「お前が言ったんかいっ!」

 

 そういえば鈴と弾、数馬は俺が気づかなかったところで千冬姉と話してたんだっけ。あの段階だと鈴だけは口止め出来てなかったな。

 だとするとどうして千冬姉は俺を放置したんだろう? 俺も箒と同じ状態になる可能性を千冬姉が考えないわけがないし、そもそも俺がISVSを始める動機も箒にあるのだと千冬姉なら真っ先に思い至るはず。

 

「……ではそろそろ茶番は終わりにしましょうか。後ろをご覧ください」

 

 話題が『千冬姉への言い訳をどうするか』から『千冬姉が俺の最近の行動をどこまで知っているか』に変わってきたところで、口数の少なかったセシリアが口を開いた。

 セシリアはここまでの会話を茶番と言い切る。その理由を俺がわざわざ問うまでもない。後ろを向けと彼女が示した先には、最近会っていなかった我が姉が仁王立ちしていたのだった。

 

「あれ? い、いつから居たの、千冬姉?」

 

 声にまで動揺が表れている。そう自覚できるくらい俺は浮き足立っている。

 千冬姉はというとそんな俺の様子を眺めてくっくっくと笑う。

 

「帰ってきたのは昼頃だ。もっとも、オルコット以外は知らなかっただろうがな」

 

 腕を組んだ偉そうなポーズだが、千冬姉はいたずらの成功した子供のような笑みを作っていた。この場にいる全員の顔を見回してみると、確かに千冬姉の言ったとおりセシリア以外は呆気にとられている。もちろん俺も含めてだ。

 

「あ、えーと、千冬姉。今まで言ってなかったけど俺――」

「落ち着け。とりあえずは夕食としよう」

 

 千冬姉が俺の真っ正面の席に着く。チェルシーさんが料理を運んできて、我が家における過去最大人数となった夕食が静かに始まったのだった。

 

 

  ***

 

 

 淡々とした夕食の時間。いつもならうるさいくらいに騒いでいる鈴も場の空気に押されてか黙り込んでいる。とりあえず食事と提案した千冬姉が少しも喋ろうとしていないからだろう。

 

「千冬姉、ごめん……俺、勝手にISVSやってた」

 

 普段よりも会話のない食事も終わりにさしかかってきたところで俺の方から切り出した。

 千冬姉は手を止めると怪訝な顔で俺を見る。

 

「何を謝る必要がある? 一夏も高校生だ。友達と遊んで悪いことなどない」

「千冬姉が調べてる昏睡事件のことを俺は知ってる。遊ぶためじゃなくて、俺が事件を解決するためにISVSに手を出した。危険だって知ってて始めたんだ」

「……きっかけは彩華ではなく私のミスか」

 

 千冬姉が食べ終えてチェルシーさんがお皿を下げた。これで話に集中できる。他のことに気を使うことなく、俺は一切の誤魔化しをしない覚悟を決めて千冬姉と向き合う。

 

「謝るのは私の方だ、一夏。本来はお前の知らぬ間に全てを終わらせるべきだった。お前にとってISVSはただの遊び場であるべきだったのだ」

「千冬姉がそこまで気負う必要こそない。箒が巻き込まれてる。だから俺は無関係なんかじゃないんだ」

「そう言うと思っていた。だからこそ急いでいた。結局、私だけでは手がかりすら掴めなかったがな」

 

 力ない声と共に千冬姉が項垂れる。こんな覇気のない千冬姉を見るのは二度目。一度目は箒の入院を知った俺に『この子は私が助ける』と言ってくれたときだった。どっちも俺と箒が絡んでいることであり、何でもそつなくこなしていた千冬姉が何も出来なかったときのこと。

 

「一夏……お前は私が到達できなかった場所に立っている。Illという敵の存在も、裏で糸を引いているエアハルトという男のこともお前だから辿りつけた真実なのだ」

「千冬姉は全部知ってるのか?」

「知っているさ。一夏たちのことは彩華から聞かせてもらっていた」

「そういえば千冬姉は彩華さんと知り合いなのか?」

 

 さっきも呟いてたけど千冬姉が他人を下の名前で呼ぶことは少ない。それなりに親しい相手であることは間違いなかった。だけど俺には2人の接点が良くわからない。警察と倉持技研のどこにつながりがあるんだ?

 

「千冬さん、そのお話はわたくしの方からさせてもらって良いですか?」

「任せる」

 

 ここでセシリアが割って入ってきた。つまり、彼女は俺の知らないことを知っている。それは今に始まったことじゃないから特に驚くようなことじゃない。

 セシリアによる事情の説明が始まる。でもそれは思いの外、単刀直入であり、たった一言で終わるものだった。

 

「一夏さんのお姉さん、織斑千冬さんは“ブリュンヒルデ”なのです」

 

 あまりにも簡潔な一言であり、しばらくこの場は静まりかえった。意味を理解するのに時間が必要だったんだ。

 最初に反応を示せたのは俺ではない。俺の2つ隣に座っているラウラだった。彼女は素早くイスから直立して敬礼をする。

 

「あなたが教官でしたか!? お、お会いできて光栄です!」

「たった1週間の指導をしただけで教官扱いは止せ。話なら後で時間をとるから今はこっちに集中させてくれ」

「はっ!」

 

 ラウラが着席する。彼女が代わりに大げさな反応をしてくれたおかげで冷静でいられたから騒がずにすんだ。

 

 ブリュンヒルデ。

 モンドグロッソの日本代表にして、誰もが認める世界最強のIS操縦者。

 ツムギ防衛の切り札としてこちら側に参加してくれていたことは伝え聞いている。

 まさかその正体が千冬姉だったなんて。

 そして、セシリアがそのことを知っていた?

 

「驚かれるのも無理はないと思いますが、今はわたくしの話を聞いていただけますか?」

「あ、ああ」

「まず、お話しすべきはわたくしが千冬さんと知り合ったきっかけですわね」

「セシリアが俺の家族構成を調べたとかだろ? ここにくる理由を作るために」

「違いますわ。そもそもわたくしのホームステイは千冬さんから提案されたお話なのです」

 

 この時点で俺の認識とは食い違っていた。

 俺はずっと、セシリアが俺の護衛のために千冬姉を籠絡していたのだと思っていた。

 しかしこの話を持って行ったのは千冬姉の方。

 なぜ千冬姉がそんなことをしたのか。

 それに、そもそも――

 

「どうして千冬姉がセシリアにそんな話を? 千冬姉が日本代表でセシリアがイギリスの代表候補生だとしても接点があるとは思えない」

「それは……わたくしがドジを踏んだからですわ」

 

 無念そうに頭を垂れた。俺の知らない内に何か失敗をやらかしたことは察した。

 

「実は福音を追っている上で、本物の福音とブリュンヒルデが密かに会っている現場を目撃しまして……そのときにわたくしの姿を見られていたのです。イルミナントを倒してから本国に戻っていたわたくしの元に警察手帳を携えてやってくるとは思ってもみませんでした」

 

 即座に千冬姉へと視線を移す。しかし目を閉じていて何か話してくれる素振りはない。まだセシリアの話を聞けということだろう。

 

「て、敵じゃなくて良かったな」

「全くですわ。いくらわたくしに専用機があるといってもブリュンヒルデ相手では歯が立ちませんし」

「同感ね。セシリア1人じゃISが相手ってだけで絶望的だし」

「専用機の無い鈴さんには言われたくありませんわ」

「では私から言おう。セシリア1人ではIS同士の戦闘というだけで荷が重いと思うぞ」

「ラウラさん、少しは容赦して下さい。こう見えてかなり気にしているのですから……」

「話を戻すと、千冬姉から見たら自分たちを尾行していた怪しいプレイヤーを捕まえたってことになる。それがどうして今の状況になるんだ?」

 

 今の状況とは千冬姉がセシリアを家に招いたことだ。その時点でセシリアは千冬姉にとって敵の可能性が高かったはず。

 

「わたくしのことをマークしていたのは事実でしょう。しかしわたくしを捕らえる前に事態が動き、倉持技研にイルミナントの情報がもたらされました。それは千冬さんにも伝わり、わたくしが一夏さんと行動を共にしていたことも伝わったようです」

 

 これも彩華さんから千冬姉に情報が伝わったからなのか。タイミングも俺が彩華さんに協力を要請したイルミナントとの決戦の直後だから納得できる。

 俺とセシリアが親しいことを知った千冬姉がわざわざイギリスにいるセシリアの家を訪ねた。昏睡事件の容疑者としてのわけがない。むしろその逆。

 

「わたくしは千冬さんの依頼を受けてここにホームステイという形でやってきました。全ては一夏さんに自由を与えると同時に安全を確保するという意図があってのことです」

 

 最初から俺の護衛としてセシリアを呼んだんだ。俺がISVSでエアハルトとの戦いを続けることを見越した上で、俺の身の安全を確保するために。

 セシリアが頭を下げる。

 

「今まで黙っていて申し訳ありませんでした」

「いや、俺は守ってもらってる立場だから何も文句は言えない。とりあえずセシリアは千冬姉から依頼されて俺の護衛に来てくれたわけだな?」

「あ、はい……渡りに船でしたし」

「だったら俺は感謝するだけだ。セシリアにも、千冬姉にも」

 

 これでセシリアの話は終わりだった。内容をまとめると千冬姉がブリュンヒルデであったことと、今まで知っていて意図的に隠してきたことの2つ。内緒にされてたのは少し寂しく感じるけど、俺のために黙っていてくれたんだってことくらいは俺にだってわかる。そんなセシリアを責められるはずもなく、千冬姉の無茶な頼みを聞いてくれた彼女に頭を下げるのはこちらの方だ。

 俺がうんうんと頷いていると左から肘で小突かれる。左隣に座っているのは鈴だ。彼女は小声で俺に言ってくる。

 

「アンタ、今の聞き逃したりしてないわよね?」

「もちろんだ。本当に俺は恵まれてると実感してるよ」

「ふーん……ま、あたしには関係ないか。でもそれをあたしにやったらたとえ天然でも全力でぶっ飛ばす」

 

 なぜ俺が脅されなきゃいけないんだ? 久しぶりに鈴に睨まれた。しかし俺には鈴に悪いことをした心当たりがない。

 鈴の機嫌については放っておこう。それよりも今は千冬姉の意図を確認するのが先だ。

 

「今日まで俺に隠してたのにわざわざ教えてくれたってことは、俺がISVSで戦うのを認めるってことでいいのか?」

 

 千冬姉は全てを知った上で何も言わなかった。言い換えれば俺が事件に関わるのを黙認していた。

 俺はそんなことを知る由もないからどこか後ろめたい気持ちがあった。千冬姉の前だと表立って動けなかった。それが枷になっていたのは否定できないところだと思う。きっと千冬姉が黙っていたのもそれが理由であって、千冬姉のいない日が多かったから上手くいっていただけだった。

 今日になって千冬姉は自分がブリュンヒルデであることも含めて俺に暴露した。つまり、千冬姉に隠れてISVSをやる必要がなくなるということになる。

 

「その通りだ。同時に、私が本格的に一夏に手を貸すということでもある」

「千冬姉……」

「もうお前はこの事件から切り離せない存在となった。敵……おそらくは亡国機業の残党だろう。奴らは2体のIllを討伐した一夏を最大の脅威と認識しているはずだ。この“ブリュンヒルデ”を差し置いてな」

 

 千冬姉がポケットから取り出したのはブリュンヒルデのプレイヤーネームが入っているイスカだった。セシリアの言うように、千冬姉がISVS最強のプレイヤーと謳われるブリュンヒルデなのは間違いないだろう。

 ……俺としてもしっくりくる。千冬姉がISVSをやってて中途半端で終わるわけがない。世界最強と言われても特に不思議ではなかった。

 しかし俺が千冬姉以上の脅威となる、か。もしエアハルトがそう思っているのなら逆に都合がいい。どう考えても俺より千冬姉の方が強いのだが、敵の目を俺が引きつけられる。今後、この点を上手く突けるかもしれない。

 

「千冬姉が一緒に戦ってくれるのは心強いよ」

「だが調子にだけは乗るなよ。一夏が無茶をしていると判断すれば問答無用でイスカを取り上げる。そのつもりでいろ」

「わかったよ」

 

 これまでの戦いを認めてもらって嬉しかったが最終的にはお小言のようでもあった。俺は口をとがらせて拗ねてみせるも千冬姉には伝わっていなく、席を立たれた。

 こうしてこの日の夕食は終わった。

 ISVSで箒を見つけ、千冬姉がブリュンヒルデとして一緒に戦ってくれることになった。

 一月前では考えられない進歩だ。俺は前に進めている。その確信を胸にしてその日は眠った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 コンコンと木製のドアがノックされる。久方ぶりの我が家でくつろいでいた千冬だったが、今は多くの若い客人を抱えていることを思いだして姿勢を正した。幸いなことに部屋の中はチェルシーが掃除をした後のため散らかっていない。

 千冬は客人に心当たりがあって自分から呼びかける。

 

「ボーデヴィッヒか?」

「いえ。シャルロット・デュノアです」

「入れ」

 

 夕食時に教官と慕ってきたドイツ軍人が来たものだと思いこんでいたが外れだった。来訪者は夕食の時に口数の少なかったシャルロットである。唯一の完全な初対面の相手だったが千冬は遠慮なく招き入れる。彼女が訪ねてきた理由は不明。ただし、名前を聞いてある程度は察することが出来ていた。

 

「デュノア社長の使いか」

「そんなところです、ツムギの特攻隊長さん」

「一夏の前では絶対に言うな。それで、用件は何だ?」

「宍戸恭平を始めとする旧ツムギのメンバーが一夏を支援しています。そして、あなたも一夏と共に戦うと僕の前で表明しました。これはツムギの意志が一夏と共にあると受け取っていいでしょうか?」

「ツムギは解散している。過去に所属していたメンバーの意志が一つにまとまっているとは限らない」

「そうではありません。聞きたいのは織斑千冬さん、あなたがどう思っているのかです。あなたは一夏が“織斑”の後継者にもなり得ると考えていますか?」

 

 初対面の、それも世界最強のIS操縦者を前にしてルーキーである夕暮れの風は少しも気後れしない。自然と千冬の対応も一夏と同い年の少女ではなく、デュノア社のエージェントに対してのものとなる。

 

「でなければ私が矢面に立つさ」

「わかりました。父にはそう伝えておきます。これでデュノア社として一夏を支援することも可能かもしれません。もちろん僕からも口添えをするつもりです」

「束のいないツムギの後援者(パトロン)になっても得があるとは思えないがな」

「昔も父は技術ではなく志に投資したんです。でなければ今頃はフランスもイグニッションプランを受け入れてミューレイの影響下に置かれていたことでしょう」

「イグニッションプラン……日米に対抗するための軍事同盟もどきを主導していたのはミューレイだと聞いていたがやはりクロか」

「父の見解ではほぼ間違いありません。加盟国はフランスを除いたEUほぼ全て。ですが、度重なるIllの敗北で綻びが生じるはず。いずれは内部から崩壊すると考えます」

「だといいがな」

 

 ここで再び入り口をノックする音が響く。ちょうど一区切りついたところだったためシャルロットは入れ替わりに外に出ようと入り口の脇に立つ。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒです。少し話をしてもよろしいでしょうか?」

「入れ」

「失礼します……やっと会えました」

 

 次の来訪者はラウラ。1年前に千冬がISVSの指導をしたこともあるドイツの軍人だ。

 当時はランカーどころか一般プレイヤーにも勝てなかったラウラ。そんな彼女を見かねて、養父が用意した臨時の講師がブリュンヒルデだった。期間にして1週間。短い期間でラウラは急成長を遂げ、今では“ドイツの冷氷”としてその名を知られている。

 訓練期間中ずっと顔を見せなかったというのに、なぜかラウラはブリュンヒルデに懐いてしまっていた。人嫌いの気がある千冬としては煩わしいことのはずなのであるが、子供のように目をキラキラさせているラウラを前にして何も言えなくなる。

 

「教官の指導のおかげで今の私があります! 今はまだ28位という順位ですが、いずれドイツ代表となり、教官とモンドグロッソで対峙したいと考えています!」

「そうか。夢を持つのはいいことだ」

「はい!」

 

 ちなみにまだシャルロットは退室していない。自分にとってかけがえのない親友が千冬と何を話すのか純粋に興味を持っていた。

 同じ部屋にいるというのにラウラはシャルロットの気配に気づいていない。視界の隅に移っていてもスルーした。他のことが目に入らないくらい、ラウラにとってブリュンヒルデという存在は大きいものだった。

 ……なんか面白くない。

 これから知っていこうとした友人の意外な一面をいきなり目の当たりにすることができた。しかし、無視されているも同然に思えたシャルロットは頬を膨らませる。

 なおも千冬に熱く語るラウラの背にこっそりと忍び寄ったシャルロットは「えい!」とラウラの背中をつねる。

 

「痛っ! 誰だっ!? ……シャルロットだと? どうしてお前がここに――ぐあっ!」

 

 シャルロットが無言でもうひと捻り加えるとラウラは再び仰け反った。

 その様子を見ていて千冬はニヤニヤとラウラに笑みを向ける。

 

「その程度の奇襲も察知できないようでは私に挑戦など夢のまた夢だ。精々、一夏の元で敵と戦い、経験を積むといい」

「くぅ……了解。失礼します!」

「あ、待ってよ、ラウラ!」

 

 痛みで涙目になったラウラはシャルロットに気づかなかった不甲斐なさに恥ずかしくなり千冬の部屋から勢いよく飛び出していく。謝らせてもらえなかったシャルロットも慌てて彼女を追っていった。

 2人の客人がいなくなって千冬の私室は静まりかえる。机の上にあった冷めたコーヒーを口にしてから千冬はベッドに腰掛けた。

 

「騒々しいのは苦手だ」

 

 雑音の少ないひとりの時間を千冬は好む。

 さっきまでのような騒がしさは基本的に避けている。

 嫌でも騒々しさの塊であった親友を思い出すからだ。

 しかし千冬は気づいていない。

 ラウラとシャルロットを見ていた自分が愛想笑いなどしていなかったという事実に……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 時間は日曜日の朝に遡る。

 数馬にとっては徹夜明けの日曜日だった。一夏たちと違って朝にはベッドに潜ったのだが、優秀な体内時計を持っている数馬は就寝には至れない。厳格な父が起床してからは寝て過ごすことも出来ず、ずっと起きていた。

 家に居てもすることがない。誰か友人を誘おうにも一緒に遊ぶような間柄の人間は皆が寝入っているため誰とも連絡が付かなかった。眠気を誤魔化すために外に出ることだけは決めていた数馬は、いい機会だからと居候している少女、ゼノヴィアを外に連れ出すことにした。

 ……とは言ってもどこに行こうか?

 隣を歩く銀髪の少女は明らかに年下であり高く見積もって小学校の高学年くらいだろう。どう見ても妹でも親戚の子とも言えない容姿である。もし知り合いに見られたら面倒なことになるのはわかりきっていた。

 

「通常、カズマはどこに遊んでいますか?」

 

 目的もなく歩いているとゼノヴィアが尋ねてくる。相変わらず不自由な日本語だが数馬はなんとなくで内容を察していた。

 

「いつもはゲーセンだけど、そこはマズいんだよなぁ」

 

 言ってから気づく。今日に限っては知り合いがゲーセンにいる確率は低いのではないだろうか。そもそもゼノヴィアを外に連れ出そうと思った理由でもあった。

 数馬は残念そうに俯いているゼノヴィアに提案する。

 

「やっぱり行ってみたい?」

 

 コクンと小さく頷いた。ならば数馬が言うことは1つ。

 

「よし、行こう!」

 

 瞬間、ゼノヴィアの顔がパーッと明るくなった。左手に体当たりする勢いで飛びつかれて数馬は狼狽する。

 ……まあ、いっか。誰も見てないだろうし。

 楽しげなゼノヴィアに水を差すのも気が引けたため、そのままにしていつものゲーセンに向かうことにした。

 

 

 日曜日のゲーセン。昨夜は店長も戦闘に参加していたのだが、店の方は普通に開いている。入り口が開くと喧騒が空気の塊のようにぶつかってきて慣れていないゼノヴィアは目を回した。彼女が持ち直すまで待ってから手を握って中へと入る。周囲を見回してみて店長の姿はなかったのでほっと一息を吐いた。

 やはり昨夜の疲れが出ているのだろう。予想通り、知り合いと鉢合わせる可能性は低そうで小さくガッツポーズをとる。

 

「ここで何を行いますか?」

 

 ぐっぐっと数馬の手が引かれた。そういえばまだ説明していなかったと思い至り、いつもの場所へとゼノヴィアを連れていく。

 

「あれだよ。ISVSって言って、仮想世界でISを使って戦うゲームで遊んでるんだ」

 

 指さした先にある筐体の周りには人だかりが出来ている。これは全て順番待ちやモニターでの観戦だった。休日だからか数馬の知らない客が多い。

 少し待つことになるが折角連れてきたのだからゼノヴィアも遊ばせるべきだろう。

 イスカは自分のもの1枚しかない。出費が嵩むが新しくゼノヴィア用のイスカを購入して一緒にプレイするのが最善だと数馬は頭の中で考えを巡らせた。

 ところが――

 

「それは恐ろしい……」

 

 興味津々だったはずのゼノヴィアが隠れるように数馬の背中に回り込んでしまった。数馬の服を掴む手が尋常ではないくらい震えている。

 犬のときのような未知への恐怖でなく、知っているからこその恐怖を抱えている。そう思わせるだけの真に迫る怯え方をしていた。

 数馬はそっとゼノヴィアの頭を優しく撫でる。

 

「ゼノヴィアには合わないのかもね。混んでるみたいだし、無理してやることもないか」

「……私は残念です」

「気にするなって。他のところに行こ?」

 

 この日はゼノヴィアのために時間を使うと決めていた。だから嫌がっている彼女にISVSをやらせる理由など数馬には存在しない。

 ゼノヴィアの手を引いてゲーセンを後にする。出たところは駅前の大通りとなっていて日曜日である今日は人通りが多い。明らかに日本人ではないゼノヴィアは目立ってしまっているのか道行く人たちの注目を集めてしまっている。

 

「カズマ。既に戻りたい」

 

 人目に晒されてすっかり辟易してしまっているゼノヴィアは数馬を不安げに見つめた。

 数馬の本来の目的はゼノヴィアのことを知っている人を捜すこと。そのためにはこうして人目に付く場所を歩かせるのも意味があるのだが、当の本人は嫌がっている。数馬が強行するはずもなく、

 

「じゃあ、帰ろっか」

 

 家に帰ることに決めた。結局、ゼノヴィアにとって楽しい休日にはできそうになかった。己の不甲斐なさに対して数馬が大きく溜め息をつくと、今度はゼノヴィアの方が背伸びをして数馬の頭を撫でる。

 

「カズマは構ってはなりません」

「気にするなって? ああ、うん。ありがとう」

 

 年下の女の子に道端で頭を撫でられているという恥ずかしい状況も忘れて数馬はゼノヴィアに笑顔を向けた。

 道行く人たちは数馬たちを見てヒソヒソと何やら話しているが数馬は気づいていない。不幸中の幸いと言うべきか数馬の直接的な知り合いは誰もいなかった。このまま数馬はゼノヴィアを連れて家に帰るだけで今日という日を終える。

 そのはずだった……

 

「すみません。少しお話を聞かせてもらってよろしいですかねぇ?」

 

 しかし、数馬とゼノヴィアの2人に声をかける男がいた。数馬は真っ先に知り合いの誰かなのではないかと焦ったが、どうにも聞き覚えがない声である。振り向いて顔を見ても、真面目そうな黒縁メガネをかけているサラリーマン風の男に見覚えはない。

 

「えーと、僕たちに用ですか?」

 

 一人称に僕を使う程度に身構えて応対する。その数馬以上に警戒を示しているのはゼノヴィア。彼女は犬のときと同じように数馬の背中に回って、話しかけてきた男から距離を置いていた。

 

「そんな緊張しないでくださいよ。(わたくし)、こういうものです」

 

 そういってスーツ姿の男が懐から黒い手帳を取り出した。手帳とは言っても横ではなく縦に開かれていて、顔写真や名前などが記載された中身が数馬に提示される。

 

「警察の人……ですか?」

「この辺りで少々物騒な事件がありましてね。今はその聞き込み中なんですよ」

 

 男が提示したものは警察手帳である。そう判断した数馬が問うと、男は事件の捜査中であることを明かす。物騒な事件と聞いて、数馬には心当たりがあった。

 

「例の通り魔事件――」

「ええ。昨日の深夜にも被害者が出ていましてね。こうしてお話を伺っているわけなんです」

 

 数馬の言う通り魔事件は1週間ほど前から起きている。通り魔とは言っても殺人事件ではなく、被害者となっている人たちが道端で気を失って倒れているというもの。被害者に外傷はないが、持病のない若い男性が次々と倒れるのは不自然であることから事件として捜査されている。現在は病院に搬送されているがその全員がいつ死んでもおかしくないという辛うじて生きている状態であり、原因は特定できていない。通り魔などと犯人がいるかのようであるが確証があるわけでなく、噂には尾ひれがついている。

 そこまでの詳細は知らなくとも、数馬は事件が実際にあることは知っている。昨夜のようにゼノヴィアが外を出歩いたとき、通り魔に出会ってしまったらと考えると気が気じゃない。

 

「それで、お話とは?」

 

 事件を解決してほしいという思いが数馬にはある。そのための協力を惜しむつもりはなかった。

 不気味な事件を追っているはずの男は笑みを絶やさない。市民を不安にさせないための配慮なのだとも考えられるが、どこか違和感を覚えるところでもあった。

 

「まずは簡単な質問から。君は高校生ですよね?」

「はい。藍越学園の1年生です」

「藍越、と。なるほど、都合がいい。次の質問。昨日の深夜、藍越学園に男子生徒が多数集まっていたらしいけど知ってる?」

 

 予想外の質問に数馬は目を見開いた。たしかに隠れてこそこそとしていたわけではないから知られていても不思議ではないのだが、どのような理由で警察がその件に触れる必要があるのか見当もつかない。

 深夜の学校に集まってゲームをしていた。社会的には褒められたことではなく、下手をすれば宍戸の責任問題になる。正直に言うべきかどうか、数馬には判断が出来ないところだった。

 

「あ、心配しなくていいよ。君たちの学校に告げ口とかしないから。こっちは事件さえ解決できればそれでいいからねぇ」

 

 何も言っていないのに男は数馬の心配事に先回りしていた。そもそもこの時点で数馬が昨夜の集まりに関わりがあるとバレているようなものである。今更、目の前の男に嘘をつくのは心証を悪くするだけ。正直に話した方がいい。

 

「……僕も参加してました。何をしてたかは言いにくいんですけど、言わないとダメですか?」

「いやいや、必要ないよ。こっちが知りたいのは、君たちが帰りの道中で何か見てないかって点だけ。何せ一番最近の被害者が襲われたのは真夜中のこと。目撃者なんてまずいないだろうって状況なんだけど、君たちが該当する時間に出歩いていた可能性が浮かび上がったんだ」

 

 これで数馬の中で合点がいった。駅前の大人数がいる中でわざわざ数馬に声をかけてきた理由は男子高校生だったから。通り魔事件を追っている男が欲しているのは事件につながる目撃情報。

 

「つまり、僕が何か目撃していないか知りたいってことですか?」

「そういうこと。賢い子は好きだよ」

 

 男に好きと言われて喜ぶ趣味を持ち合わせていない数馬は苦笑いを浮かべた。

 真面目に思い返してみる。昨日の戦いが終わった後、すぐに家に帰った数馬は何か変わったものを見ただろうか。いや、特に変わり映えのない帰り道だったはず。

 

「すみませんが、特に変わったことはなかったと思います」

「あー、そうですかー。折角、情報にあった高校生を見つけたのに残念」

 

 情報が得られずに男ががっくしと項垂れる。このまま何も収穫がないのは流石に可哀想だと思った数馬は少しでも足しになればと男に教えることにした。

 

「他の皆は徹夜明けで寝てると思うんで外を歩いてても見つからないと思いますよ」

「あー、そっか。徹夜明けで仕事するのに慣れててその可能性を考えてなかったわー」

「お、お疲れさまです」

 

 哀愁すら漂い始めた男に労いの言葉をかけたが、男の耳には届いていなかったようだ。

 

「じゃあ、聞き込みは違う時間にするよ。情報、ありがとう」

「いえいえ。事件解決、がんばってください」

 

 これで話すことは終わり。男が片手を挙げて立ち去っていこうとするのを数馬は右手を軽く振って見送る。

 ところが男は急に立ち止まって振り返った。聞き忘れたことでもあるのかと数馬の方から彼に近寄っていく。当然、ゼノヴィアも数馬の後ろについていく。

 

「どうかしたんですか?」

「いや、ちょっと気になってさ。後ろの子は君の妹……にしてはちょっと珍しい髪の色をしてるねぇ」

「この子はちょっと事情があって預かってる子で、妹ではないです。何か気になることでも?」

 

 男が興味を示したのはゼノヴィアだった。むしろここまで話題に上らなかったことの方が不思議と言えるくらいゼノヴィアは異質な外見をしている。

 数馬はゼノヴィアのことを話すべきか少しだけ悩んだ。ゼノヴィアが本来居るべき場所を知るには警察の手を借りるのが手っ取り早いのはわかりきっている。ここで相談に乗ってもらうのも1つの手だった。

 ……やっぱりやめておこう。

 ゼノヴィアと出会った日を思い出す。彼女は警察に通報しようとした数馬を止めた。本気で拒絶していた。その理由をまだ知らない数馬は下手に警察に相談すべきでないという結論しか出せない。

 よってこの場では目の前の男がゼノヴィアについて何か知っていないか探りを入れる程度で済ませる。

 

「そりゃー気になるよ。その子が君と一緒にいるのを嫌がってたら誘拐の現行犯で逮捕するくらいには怪しいし」

「ですよねー」

「でも本当の兄妹みたいに仲良さそうだから、倫理的に問題のあることをしてなければ別にいいでしょ」

「そう言ってもらえると助かります……」

 

 話のわかる人で良かったとホッと一息をつく。

 そして、男がゼノヴィアについて特に知っていることは無さそうであることもわかった。

 最後に男は再び手帳を手にして中から名刺を取り出す。

 

「あ、そうそう。もしかしたらまた君に話を聞きたいことができるかもしれないから名前を教えてくれる? ちなみにこれは私の名刺ね」

 

 数馬は先に名刺を受け取った。名前と役職、連絡先が書いてある。まだ高校生の数馬に名刺はないため、口頭で名前を告げることでしか返せない。

 

「僕は御手洗数馬です。連絡先は――」

「あー、大丈夫。何かあったら藍越学園の方に聞くから。じゃあ今日は本当にありがとう」

 

 今度こそ男は立ち去る。大した情報も得られていないだろうに歩いていく後ろ姿は軽快だった。

 男の姿が見えなくなった頃になってようやくゼノヴィアが口を開く。

 

「……私はあの人が嫌いです」

「そうなん? 俺は特にそう思わなかったけど」

「再び顔を見たくありません」

「ええ!? そこまで嫌いなん? うーん、そういうこともあるのか……」

 

 男の前で喋らなかったゼノヴィアだったが、ISVSのときのような怯えでなく嫌悪を露わにしていた。

 数馬にとっては話のわかる優しい刑事という印象だっただけにゼノヴィアとのギャップは少しばかりショックでもある。だが好き嫌いに関しては何が正しいということもないため、数馬の価値観をゼノヴィアに押しつけることだけは間違っている。ゼノヴィアと感性がずれているということで数馬は自分を納得させた。

 

 今度こそ家路につく2人を邪魔する者はなく、無事に家に辿りつく。

 ゼノヴィアを部屋に戻して、自分の部屋に戻った数馬は男から貰った名刺に目を通した。

 役職はそれっぽい名称であることしかわからない。

 連絡先はゼノヴィアの件でいずれ使うことになるかもしれないと考えられる。

 その名刺には“平石羽々矢”という名前が書かれていた。


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