Illusional Space   作:ジベた

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25 たったひとつの想い

 月明かりだけが照らす夜空を紅の機体が駆け抜ける。普段は非固定浮遊部位として背後に浮いている装備“囲衣”も背中に直結しており、大型のブースターとなっていた。

 速く。早く。

 燃費など一切考慮する必要のない機体は持てる力の全てを振り絞って目的地へと全力疾走する。操縦者であるナナも機体と一体となっているかのように死に物狂いな形相をしていた。

 

「見えた! あそこにシズネが……」

 

 ナナの視線の先には洋上に浮かぶドーム型の施設がある。ツムギやプレイヤーたちが利用するロビーと同じ遺産(レガシー)に分類される建造物であり、機能もほぼ同じである。“トリガミ”という固有の名前を持っているこのレガシーはプレイヤーに提供されてはおらず、表向きには存在しないことになっている代物だ。

 トリガミの上空に到達したナナは高速飛行形態から通常形態に移行する。ここから先は敵の本拠地である。誘い出されていることは百も承知だった。

 だがどのような罠があろうとナナにとっては足を止める理由にならない。さらわれたシズネがいるのならば、たとえ火の中、水の中。どのような過酷が待ち受けていようとも立ち向かう。

 ナナがナナであるために……

 急降下を開始する。気づかれていないということはありえない。いつでも雨月と空裂を振るう心構えはできていた。

 しかし、刀を向ける対象は現れなかった。ナナは何事もなくトリガミに接近を果たす。ツムギと同じ構造であるから入り口の位置もわかっている。ナナはこじ開けようと空裂を振り上げた。

 

「何……? 開いただと!?」

 

 ナナが空裂を振り下ろすことはなかった。トリガミの門はナナを迎え入れようとしている。門の先に敵兵が待ちかまえていることもなく、ナナは易々と侵入できた。

 そして、ナナが門をくぐり終えると当然のように扉は閉じる。敵はナナを招待しているが、帰すつもりはないということだろう。

 

「最初から狙いは私か!」

 

 顎に力が入り、噛み合わさった歯をギリギリと鳴らす。自分ひとりを誘き寄せるためにシズネをさらった敵への怒りを隠せなかった。

 しばらく進むと分かれ道に敵のリミテッド“ベルグフォルク”が1体いた。武器は所持せず、一方向を指さしているだけ。右に曲がれという案内であることは一目瞭然である。

 ……馬鹿にしている。

 ナナは雨月でベルグフォルクを突き刺す。合計9つの穴が空いたベルグフォルクはその場に崩れ落ち、ナナは右へと進んだ。

 数体のベルグフォルクを葬った先。ナナはトリガミの最深部に辿りついた。円形の広めの空間に障害物らしいものは何もない。灰一色で塗られた部屋の壁には模様すらなく、一点だけ装飾があるだけだった。ナナのいる入り口とは真逆の壁には十字架がある。そして、十字架の上には気を失っているシズネが縛り付けられていた。

 

「シズネっ!」

 

 ナナが飛び出す。一切の躊躇もなく一心不乱にシズネの元へと走る。だがこのままシズネの元にいけるはずもない。シズネの足下には銀髪の大男、ギドが立っていたのだから。

 部屋の中央でナナは足を止める。いや、止めざるを得なかった。一瞬で接近してきたギドが立ちはだかっていたのだ。ナナは雨月を突きつけ激昂する。

 

「貴様がシズネをさらったのかァ!」

「奴の言っていたとおり、この娘はシズネというのか。オレ様は最初から違うとわかっていたのだが、この娘が自らをナナと名乗っていたから連れてきただけのこと」

 

 シズネが自分をナナだと偽ったことでさらわれた。それはナナにとって重い事実である。シズネの目にはナナが負けると映っていたことを意味するからだ。

 

「違うとわかっていて、なぜシズネを!」

「オレ様は強すぎる。いつも獲物には逃げられてばかりで退屈していた。そこでオレ様は考えた。立ち向かってくる理由があれば良いのではないかとな」

 

 ギドが饒舌に語り出す。自分の知識をひけらかす子供のように得意げな笑みを向けてくる。

 

「自己犠牲。オレ様には必要ない概念だが理解はしている。人と人が絆で結ばれているとき、他者を生かそうと身を投げ出すのだろう? 残された者が何を思うかなど考えもしない。この娘のようにな」

「シズネを愚弄するか!」

「いや、オレ様はこの娘を気に入っている。よくやったと賞賛すらしている。この娘の自己犠牲が、オレ様に『ナナにとっての重要人物である』ことを教えてくれたのだ。現にお前は1人でのこのことこんなところにまでやってきた。オレ様と戦うためにな」

 

 ギドの両目の眼球が黒く染まる。同時に両手両足に機械装甲が出現。背中にはジャケット風のマントが張り付き、戦闘態勢に移行した。

 

「来い、紅の娘。大切な友人が造り上げたオレ様との決闘を台無しにするんじゃねえぞ?」

 

 電光石火。ギドが言い終わる前にナナは動いていた。イグニッションブーストでギドの右を取ったナナは雨月による8本のEN射撃を解き放つ。

 ギドは右手を水平に上げた。手の平をナナに向けると円形の赤黒い光が広がってギドを覆い隠す壁となる。雨月から放たれた光はギドの出した光に吸い込まれていった。

 異質なENシールド。たった一度の攻撃で普通の相手でないことがわかる。だがナナの戦意が鈍ることはない。

 

「殺すっ!」

「実に心地よい言霊だ。もっとぶつけてこい! お前の全生命を懸けた殺意を!」

 

 攻めに転じるギド。予備動作の全くないイグニッションブーストでナナの懐に踏み込む。左手の指からは爪を模した赤黒いENブレードが生えていて、計5本のENブレードを束ねたような爪をナナに全力で振り下ろした。

 

「くぅ!」

 

 ナナは二刀を交差させて辛うじて受け止めた。対ENブレード用として刀身にEN属性を付与できるナナの刀は壊れこそしないものの、ギドの攻撃のパワーに耐えきれず本体ごと吹き飛ばされる。

 一度目の攻撃を終えたギドは追撃に移らない。爪を片づけると、ナナを見据えて上機嫌に笑う。

 

「オレ様の一撃を受け止めたか。今ので終わりにならなくて嬉しい限り! もっとオレ様を楽しませてくれよっ!」

 

 ギドが両手を合わせると右の脇腹にまで持っていく。手の平には高密度のエネルギーが集中していき、赤黒い光の球体が形成され始めた。黒い稲光を漏らしながら球体は次第に大きくなっていき、それに合わせて手の平同士の距離も開いていく。

 一目でマズい事態だとわかる。予想される攻撃はEN属性の貫通性射撃。その規模は1機のISから繰り出されるレベルとは考えられなかった。

 ナナは最高の火力を以て迎撃を試みる。狭い屋内では回避できるとは考えられない。そして、無防備なシズネを守る必要もあった。シズネの前にやってきたナナは非固定浮遊部位“囲衣”と両手の刀を合体させて1つのクロスボウガンを造り上げる。

 互いに高エネルギーを集中させた。攻撃を繰り出すのはほぼ同時。

 

「闇に沈むがいい!」

穿千(うがち)ィ!」

 

 ギドが両手を前に突き出す。圧縮された赤黒い球体は両手の平を向けたことで解放され、帯状の光となってナナへと向かう。

 対して、クロスボウガン形状の先端から放たれた真紅のENブラスターもギドへ向かって直進した。

 ハイレベルなEN射撃の衝突に部屋全体が空気ごと大きく揺れる。互いに一歩も譲らず、押しては返されるを繰り返した。ナナの額にじわりと汗が滲む。間もなく放出の限界。このまま続ければENブラスター“穿千”が先に壊れてしまう。

 機体よりも先に限界が来たものがあった。指向性をもってぶつかり合った高エネルギー体は衝突によって行き場を失い留まっている。次々と送り込まれるエネルギーが次々と圧縮されていき、送り込まれる以上の威力を伴って周囲に弾け飛ぶこととなった。大爆発である。

 ナナは穿千を解除。椿の盾を展開する時間的余裕はないため、その場しのぎのENシールドで爆風をやり過ごす。後ろにいるシズネに被害が及ばないように。

 

 爆発の衝撃が過ぎ去る。床も壁も天井も、見るも無惨な惨状となっているが部屋としての原形は留めていた。ナナの背後の壁だけは無傷である。無事なシズネの姿を見てナナは胸を撫でおろした。

 

「フッハッハッハ! 楽しいぞ、ナナよ!」

 

 生理的に嫌悪する笑い声が聞こえた。死の瀬戸際の戦いを楽しむ下卑た笑いはナナには理解できない。

 ナナはギドの様子を観察する。そして、知ってしまった。

 

「今ので……無傷だと……!?」

 

 ナナの紅椿は穿千の使用や最後のENシールドの展開で悲鳴を上げている。自分自身の体を使って爆風を受け止めたのもあってストックエネルギーも30%削られていた。

 しかしギドには一切のダメージが見受けられない。四肢にしか存在しない装甲にひびすら入っていない。

 

「まだまだ楽しもうではないか!」

 

 ギドが両手にENブレードを展開する。各指に1本ずつ、合計10本のENブレード。片側だけでもナナが両手で押さえなければならない攻撃をギドは左右同時に繰り出せる。それが意味するものをナナが理解できないわけがなかった。

 イルミナントを相手にしても一応は戦えていたナナだったが今回だけは違う。

 勝てないだけでは終わらない。負けないことすら難しい。

 相手は正真正銘の化け物だ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「それではミッションの概要を説明します」

 

 洋上に停泊するアカルギの船内。下層にある格納庫らしき空間に俺たちプレイヤーは集結していた。

 アカルギがあるのはシズネさんが連れ去られたと思われる敵の拠点“トリガミ”のゲートジャマー範囲ギリギリの海域である。俺たちはプレイヤーロビーからゲートを通過してアカルギへとやってきていた。

 今はブリーフィングの時間。ラピスが前に立ち、プレイヤー全員に情報を送信している。

 

「今回、宍戸先生から出されたミッションの目的は敵の拠点“トリガミ”の制圧、ならびにIllの撃破となります。救助対象が2名いますのでそちらも対応せねばなりません。時間すらも敵と言えます」

 

 俺にとっての最優先目標はナナとシズネの救出だ。他は誰かに任せたいところである。幸いなことにカティーナさんも駆けつけてくれた。このメンバー内で間違いなく最強である彼女ならIllの相手も可能だろう。

 

「トリガミの構造ですが、普段わたくしたちが利用しているロビーのあるドームとほぼ同じ構造となっているようです。ただし、外周部には見慣れないユニットがついてるため、接近は容易でないでしょう」

「見慣れないユニットとは何だ?」

 

 ラウラの質問が入り、ラピスは新しく映像を映した。

 遠方から撮影された写真。海に浮かぶドームの周囲には巨大な大砲が等間隔に設置してあった。そのサイズはルドラのものよりは小振りであるが単体のISが所持できるものよりは遙かに大きい。

 

「マザーアースと思われます。この大砲はおそらく荷電粒子砲であり、等間隔、八方位に設置してあります。また、当然ながらベルグフォルクなどのリミテッドが配備されているのも確認できます」

「敵の配置の詳細はまだ確認できずか。前回みたいに堅い敵に足止めされると敵ごと後ろから撃ってきそうだね」

 

 会長の相槌。話を聞いていたプレイヤーは皆、頷いている。

 

「ベルグフォルクとはそのためのリミテッドなのでしょう。数と装甲で敵の足を止め、犠牲にすることをも前提としているのです」

「攻撃できる分だけサベージの上位互換よね」

「リンちゃんひどい!?」

「それで? 敵の戦術に対してこちらが打つ手は何だ?」

 

 プレイヤーの1人である、名前はたしか……アーヴィンだったか? リンが逸らしかけた話を元に戻すことでラピスはプランを提示する。

 

「三次元的に攻めましょう。まずは四方からベルグフォルクを引きつけるための陽動部隊を出します。これにはバレット隊、リベレーター隊、マシュー隊、サベージさんにお願いします」

「え? 俺だけ単独? おかしくね?」

 

 既に部隊分けは済んでいた。

 西から攻めるバレット隊は藍越エンジョイ勢が中心となり、(アイ)さんとジョーメイを含めたバレット周辺のチーム。

 南から攻めるリベレーター隊は藍越学園生徒会にアーヴィンら国内トッププレイヤー勢が加わった少数チーム。

 東から攻めるマシュー隊は蒼天騎士団の主要メンバーで構成されているチーム。

 北から攻めるサベージさんはおひとり様となっている。

 誰もこれらの構成には異論を挟まなかった。

 

「陽動部隊の皆さんに敵マザーアースの砲撃が向けられることが予想されます。全力の回避をお願いします」

「一つ確認しときたいんだが、俺たちがマザーアースを潰してもいいんだな?」

「できるのならお任せいたします、アーヴィンさん。しかしながら単独で突出することだけはなきよう。たった一人でできることなど限られていますから」

 

 ラピスが冷めた目を向けるとアーヴィンは気まずげに目を逸らした。

 

「それならどうして俺だけ単独部隊なんですかねぇ……」

 

 サベージが何か言っているが何か問題でもあるのだろうか?

 ラピスの次の説明が始まる。

 

「陽動部隊に敵の砲撃が向けられたところで、ライル隊には高々度から爆撃をしてもらいます」

「了解――と言いたいとこなんだけど、本当に俺がリーダーでいいん?」

「安心しろって。オレっちとやり合えたオメーさんの実力は保証してやんよ」

「あ、あざっす」

 

 カイトというプレイヤーに励まされてライルが若干戸惑いつつも礼を言っている。

 今回は防衛戦には参加していなかった数馬(ライル)が参加している。彼の家の門限が過ぎてることが気がかりであったが、今回は事情を話して親父さんに納得してもらってから来ているそうだ。

 ライル隊はユニオン・ファイターによる高速飛行部隊で全員が爆撃仕様となっている。リーダーのライルはメイン装備でないため不慣れなのだが、構成メンバー全員が似たようなものだった。1人だけ爆撃を専門にしているプレイヤーであるゲーセン店長が紛れているが、ライルより腕が劣るとバンガードに断言されている。

 

「まずはこの爆撃で敵マザーアースに打撃を与えられたことを前提として話します。マザーアースさえ無力化すれば内部への侵攻も可能となるでしょう。救助対象は内部にいるものと思われますが、時間の猶予がどれほど残されているのかはわかりません。制圧前に少数の精鋭により先に救助対象の身柄を確保してもらうことになります」

「それが俺たちってわけだな?」

 

 俺は自分の胸に手を当てる。

 ヤイバ隊として割り振られたメンバーはカティーナ、バンガード、カイトの3名。後者2名は俺とカティーナさんを運ぶのが主な役割であり、実質的にナナたちを救いにいくメンバーは2人だけであった。

 

「はい。一度進入してしまえば敵の抵抗は少ないものと考えられます。もし敵軍が内部に多いとすれば、外部がそれだけ楽になるとも言えますので外周から敵を壊滅していけばいいだけの話です。くれぐれも無理はなさらぬよう」

「わかってる」

 

 最後にラピスは名前の挙がらなかったメンバーに顔を向ける。

 

「ラウラさんにはしばらく後方で待機してもらいます。今の作戦ではIllの存在を考慮しておりません。ラウラさんにはトリガミ内外を問わず、Illを確認した場所へと急行してもらいます」

「都合がいい。シャルロットを奴らから取り返すために必要なことだからな」

「他の皆さんには陽動部隊より後方で待機してもらいます。主に爆撃でマザーアースを破壊できなかった場合にマザーアースを攻略してもらうこととなりますわ。具体的な指示は適宜わたくしが下します」

 

 全員への指示は出し終えた。スムーズに行けばいいのだが、敵の戦力が不透明であるためどう考えても想定通りには事が運ばない。唯一ラピスの星霜真理で判明していることはマザーアース以外のISコアがほぼ確認できないということくらいだった。

 ラピスはアカルギに残って全軍の指揮を執る。アカルギはトリガミのゲートジャマーの範囲外である現在位置で待機する。これで全員の配置は決まった。

 順番にアカルギから飛び立つプレイヤーたち。陽動部隊であるメンバーから遠方の海へと消えていく。俺たちも移動しなければならない。

 アカルギの上空に浮かぶ俺の隣に臙脂色のISが並ぶ。ゴテゴテとした装甲をつけたユニオン・ファイターは朝の試合で俺と直接対決したバンガード。

 

「乗れ、ヤイバ。この俺がきっちりとお前を送り届けてやる」

「いいのか?」

 

 つい確認してしまう。俺が試合に勝ったことでリンとの付き合い方に文句は言わせないことになってはいるが、心まで変わるわけじゃない。

 バンガードはフンと鼻を鳴らす。やはり俺が気に入らないのだろう。

 

「これもリンちゃんのためだ。今はお前を手伝ってやる方が好印象だろう?」

「そ、そうだな」

 

 同意しておく。自分の目的に一直線なのは俺も一緒だから特にバンガードを非難することはない。

 俺を背に乗せたバンガードが飛び立ち、戦場へと向かう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 トリガミの四方に陽動部隊の配置が完了。未だに敵に動きがないため気づかれていないと推察される。しかし更識の忍びは地上があり、かつ障害物がなければ機能しないため、孤立した洋上拠点にラピスたちが敵に気取られず近寄る術は少ない。当初の作戦通り、敵と戦闘状態に持ち込むべきと判断した。

 

「それでは陽動部隊の皆さん。前進ですわ」

 

 ラピスの指示によって戦いの火蓋は切って落とされた。四方からほぼ同スピードでトリガミへと近づいていくプレイヤーたちをラピスは星霜真理が送ってくる位置情報を元にマッピングして状況を見守る。

 敵に動きがあった。一番最初に通信を送ってきたのはバレット。

 

『こっちに気づいたようだ。荷電粒子砲だって言ってた例のブツが動き出したぜ』

 

 ラピスはバレットの視界を覗き見る。トリガミの西部に取り付けられていた大型荷電粒子砲はたしかに動いた。ニョロニョロと巣穴から出てくる蛇のように。他3部隊からも同様の報告が上がる。

 

「射線の自由度はかなり高いですわね。しかしBTではなくトリガミと直接つながっていることを考えるに、荷電粒子砲を放つための莫大なエネルギーはトリガミから供給されているのでしょう。8機のマザーアースではなく1機のマザーアースから8つの砲塔が伸びていると考えた方が良さそうですわね」

『八つ首の蛇……ヤマタノオロチとでも言うつもりかな?』

 

 最上会長(リベレーター)の発言をラピスは否定しない。

 

「日本の神話に出てくる怪物でしたか。もしアレがミューレイ製だとすれば、本当にその名前かもしれませんわね。とりあえずわたくしたちはあのマザーアースを“オロチ”と呼称することとします」

 

 レガシー“トリガミ”と一体化しているマザーアース“ヤマタノオロチ”。首の一本だけでも落とさなければ進入チームであるヤイバ隊を前に出せない。

 まずは首を落とす第一歩から。オロチに陽動部隊を攻撃させることから始める。

 最初に動いたのは東の首だった。既にチャージを終えている荷電粒子砲が放たれる。強力な攻撃ではあるが直進するだけのもの。来るとわかっていれば何も恐れることはない。マシュー隊は散開することで被害はゼロであった。

 

『こちらマシュー。引き続き接近をしていきます』

 

 マシュー隊への第1射後、敵に次の動きがある。ツムギ防衛戦時に見飽きるくらいに倒していたリミテッド“ベルグフォルク”がわらわらとトリガミから湧いて出てきた。

 プレイヤーの視覚映像を元にベルグフォルクの配置をマップ上に適用する。トリガミを中心にして同心円上に広がり、陽動部隊に対して戦力を集中させたりはしていない。もっとも、数が多すぎるため交戦が面倒であることは変わらない。

 

「皆さん、乱戦は避けてください。いくらリミテッドといえど高性能な相手です。数で押し切られれば十中八九負けますし、動けなくなった時点でオロチの餌食となります」

 

 ラピスの瞳が蒼い輝きを放つ。星霜真理をフル稼働させ、陽動部隊の全メンバーの取得する情報を整理。乱戦にならないための軌道指示を行なう。

 いよいよ前線がベルグフォルク部隊と衝突した。ラピスが陽動部隊に課しているのは負けない戦闘である。連携を分断しようとするベルグフォルクの動きを制限する攻撃をさせることで、戦線を維持させる。

 ……しかし、戦線も何もない部隊がひとつだけあった。

 

『えーと、こちらサベージ。乱戦になるなとか無茶すぎるんですけど?』

 

 サベージは敵の真っ只中にいる。あっという間に包囲され、アサルトカノンやグレネードランチャーの集中砲火を浴びせられていた。もちろん被弾こそしていない上に数体は同士討ちさせて葬っている。

 

「あ、サベージさんはそのまま避け続けてくださいませ」

『え? そのままって言われても俺は絶対に敵を全滅させられないんだけど……』

「大丈夫ですわ。そろそろ来るはずですから」

 

 ラピスは主語を伏せて『来る』とだけ伝えた。それが何かサベージは即座に悟る。彼の視界の端に映るオロチの首がサベージの方を向いたからだ。北の首1本だけでなく北東と北西の首も合わせた合計3本が。

 サベージは悲鳴を上げながら海へと飛び込んだ。水柱が上った直後に極太のビームが3本、通過していく。光が過ぎ去った後に海上を飛んでいる機影はなかった。

 

『……せめてリンちゃんに俺の雄姿を伝えてくれ』

 

 サベージからの通信をラピスはスルーする。ラピスの予想通り、敵の砲撃はまずサベージを狙った。それは敵にとってサベージが脅威と映っていたからである。

 単独で接近するISは集団で来るISよりも恐ろしい。単独で十分となると必然的にランカークラスの化け物を連想する。早く倒さなければならないという心理が働いていた。ベルグフォルクはAI操作であるがマザーアースは人が操作していることを利用したのである。

 1つ目の道は開けた。

 

「ライル隊、出撃願います」

 

 あらかじめ北に集めておいたライル隊10機を発進させる。北側は荷電粒子砲を撃ったばかりで次の発射まで若干のラグがある。

 ベルグフォルクも敵が焼いたばかりで数が圧倒的に少ない。加えて高度が違う。ベルグフォルクは同心円上にこそ展開していたものの、同心球状には広がっていなかった。ライルたちを遮るものはほとんど何もない。オロチが遙か高空を飛翔する爆撃部隊を狙い撃つもライルはこれを軽く回避した。結果、全機がトリガミの上空を取ることに成功する。

 

『今だ! 全弾発射!』

 

 ライルの指示の元、ライル隊の全員が積んであるミサイルを全て撃ち下ろす。最後にはブースターとして使用していた星火燎原を切り離すことも忘れない。

 トリガミにミサイルの雨が降り注ぐ。レガシーであるトリガミ本体にはほとんど傷がつかないが、マザーアースは違う。1発着弾するごとに装甲がひしゃげ、形を歪ませていく。

 そして駄目押しの星火燎原の10連発。単体のISが持てる最高の爆発物が10発同時に炸裂する。ドームは赤い光に包まれ、広がった炎は夜空をも焼かんと赤く染める。海をも焼け野原にせんとする爆発には攻撃をしかけた本人たちも耐えきれず、戦闘不能に陥っていた。

 ライル隊の犠牲の上に行われた爆撃の余韻が消えていく。煙と炎は消え去り、現れたトリガミは健在。そして、オロチも残っていた。オロチには最初のミサイル攻撃の跡は残されてるが、星火燎原は届いていない。オロチの表面は空気と屈折率の異なる膜で覆われていた。

 

「シビル・イリシットもここにいましたか……」

 

 ラピスは星火燎原が効かなかった原因をすぐに特定する。シャルルの星火燎原からルドラを守ったアクア・クリスタルの使い手が敵にいた。今回も同じ方法で防がれてしまっている。名前はラピスも聞いており、シビル・イリシットというアドヴァンスドだ。

 突入前にヤイバがIllと遭遇することは避けたかった。結果的にヤイバ隊を突入させなかったのは正解だったことになる。

 

『私はいくぞ、セシリア』

「お願いします、ラウラさん」

 

 シビルはバレットの担当する西側に出現した。予定とは違う相手にラウラを向かわせることとなったが仕方がない。トリガミには少なくとも2機のIllが存在すると確定したのだから。

 

「バレット隊は二手に分かれてください。一方は引き続きベルグフォルク群を牽制。もう一方は至急前進しラウラさんと合流。イリシットとの戦闘を援護願います」

 

 イリシットとの戦闘に向かわせたのはバレット、アイ、ジョーメイの3人。他のメンバーではIllとの戦闘をこなせないとのラピスの判断だった。本当ならばIllにはカティーナか共鳴無極を発動させたヤイバを向かわせたいところであったが、ヤイバ隊には他にやるべきことがある。

 そのヤイバ隊を先に行かせるための次の手を打つ。

 サベージがこじ開けた北側は既に防衛網が再構築されているため突破は難しい。この場面でラピスが頼るのは忠誠で動く男。

 

「マシュー隊は戦線の維持を放棄。全てのベルグフォルクを無視し、オロチへと突撃してください」

『マシュー、了解』

 

 東から蒼天騎士団を強引に突っ込ませる。ラピスの指示は要約すると『捨て駒になれ』というもの。蒼天騎士団のメンバーは指示の意味を理解しながらも忠実に従う。

 東の首の砲口にエネルギーが集中する。散開させたマシュー隊ならば撃たれたところで被害は少ないはず。しかし、オロチの首はマシュー隊ではなく遙か左を向いていた。

 オロチの口から光が放たれる。マシューたちへの第2射となるこの攻撃はマシューたちの誰にも当たらないコースを通過した。巨大な光線が北と東を分かつように引かれている。光の放出は止まらず、オロチはそのまま首を右に振る。

 薙ぎ払い。長時間におよぶ荷電粒子砲の照射は発射中に射角を変えることで巨大な疑似ENブレードとなる。

 被害確認。報告を受けるまでもなく、マシュー隊の半数が今の一撃でやられていたことがラピスにはわかった。半数を失ってもなお、マシュー隊は前へと進む。ラピスが必要としているからと男たちは無謀な突撃をやめようとはしなかった。

 目を閉じてラピスは彼らに許しを乞う。仲間の犠牲を前提とした作戦を実行するのは今回が初めてである。罪悪感で押しつぶされそうになるところを持ち前の気丈さではねのけた。

 オロチはルドラと違って発射間隔は短い。既にマシューたちへの次の攻撃準備が終わりかけている。近づくほどに回避は困難となるというのに、まだ東の首だけで3発ほど迎撃されることは覚悟しなくてはならない。

 

「行ってください」

 

 ラピスの指示は変わらない。騎士を自称する少年たちはただ敵の的となるためにひた走る。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 海中を鮮やかな赤が突き進む。ハサミのある巨大なエビが後進ではなく前進によって泳いでいる。海中の戦闘を専門にしているIS“クルーエルデプス・シュリンプ”を駆るプレイヤー“伊勢怪人”の持ち場はここにしかありえない。

 ISコア由来の推進機関、単一仕様能力“海流脈動”により伊勢怪人は海中における驚異の静音性と速度を得ていた。障害物のない洋上ステージでも深い海さえ存在すれば伊勢怪人は隠れることができる。

 

「ラピスから指示が来た。首を釘付けにしたから今のうちにやってくれってさ」

 

 今、伊勢怪人の背中は魚雷コンテナの代わりにISを乗せている。そのうちの1人は現実の友人である7月のサマーデビルだ。彼女の声を聞き、伊勢怪人は首を縦に振る。エビを模したマスクが上下に揺れるだけで意思表示する。言葉には出さない。

 目標ポイントに到達。300mという深さは十分に深海と呼べるもので海上の月明かりなど届くはずもない。いくらISといえど特別な警戒をしていなければ発見は困難である。

 しかし直線距離300mと考えれば、ISにとってこれほどの近距離で気づかないことは致命的である。他に意識を割いているものさえなければあるいは気づいたかもしれないが、今は騎士を夢見る少年たちが敵の気を引いていた。

 ラピスのいう三次元的な攻撃には高空からの攻撃のみならず、海中――真下からの攻撃も含まれていた。

 伊勢怪人が急速上昇する。角度はほぼ垂直。300mという短距離を駆け上がった末に辿りついたのはオロチの首の右側である。

 

「もらった!」

 

 伊勢怪人の背中からサマーデビルが飛び出した。薙刀をオロチの首に突き立ててそのまま張り付く。装甲の塊ともいえるマザーアースには攻撃範囲の狭いブレードはあまり有効な武器ではない。サマーデビルは躊躇いなく持ち前の攻撃手段を使用する。

 

「爆ぜろ!」

 

 薙刀でこじ開けた隙間に左手を差し込んだサマーデビルはオロチの内部に大量の機雷を送り込んだ。拡張領域内の7割の機雷を送り込んだ時点でサマーデビルはオロチから飛び退く。同時に爆破。

 サマーデビルの一撃により東の首の右側が大きく削り取られた。しかしまだ中心部の荷電粒子砲は健在である。それは攻撃した側もわかっている。伊勢怪人に乗っていたのは1人だけではない。

 

「仕上げっ!」

 

 剥き出しになった荷電粒子砲に飛び込むのは甲龍。どの部隊にも加わっていなかったリンだ。いざというときに海中でも戦闘できるということでこのチームに加えられていた。

 今回は双天牙月のない、衝撃砲のみでの出撃である。両手の崩拳と背後に浮いている龍咆を至近距離で一斉に開いた。

 

「吹っ飛べっ!」

 

 不可視の咆哮が荷電粒子砲を襲う。装甲という防護服を失った精密機器はいとも簡単に砕け散った。

 東の首の無力化が完了した。これでヤイバの進む道が開けた。

 

 だがそうは問屋が卸さない。

 リンが首を落とした瞬間を狙いすましたかのように海面が盛り上がった。海水を突き破って出てきたのは巨大な鞭。大きくしなる巨大な尾は真下からリンを叩き落とす。

 

「きゃあああ!」

 

 リンは操縦不能となって海へと墜落する。

 オロチの尾は続けてサマーデビルを捉え、薙刀をへし折りながらサマーデビルを戦闘不能に追いこんだ。

 最後に伊勢怪人を狙ってオロチの尾が迫る。伊勢怪人の選択は1つ。海に飛び込むこと。オロチの尾は海面に当たった瞬間に減速し、伊勢怪人は攻撃の回避に成功する。

 伊勢怪人は背中のユニットを切り離す。敵マザーアース“ヤマタノオロチ”は荷電粒子砲8基のみではなかった。荷電粒子砲は八つ首にあたり、ヤマタノオロチには8本の尾もあったということ。分類としては物理ブレードに該当する巨大鞭は質量が通常のISとは段違いである。残しておくわけにはいかない危険な存在だった。

 もう伊勢怪人には勝利が見えている。鞭という武器は先端に近いほど速く、威力が高い。逆に根本側では武器として成立しない。敢えて尾に近づくことで鞭攻撃を防ぐ。そのまま尾にハサミを突き立てて取り付いた。

 装填されているグレースケールを全弾打ち込む。1発打ち込む度に尾が大きく揺れるが伊勢怪人が離されることはない。元々影響の小さいであろうシールドバリアは破壊できた。あとはとどめの指向性水中衝撃波砲“渦波”を発射するだけ。

 エビの胸部の球体を中心として海水が渦を作る。その渦はまるでドリルのように伸びていき、オロチの尾の根本を刺し貫いた。穴から大きく亀裂が入っていき、ついには尾が切断されるに至る。尾の完全破壊を伊勢怪人は成し遂げた。

 

 目標を達成した。これでヤイバ隊が突入する道が開けた。やりとげた伊勢怪人はほっと一息をついて肩の力を抜く。

 だがまだ終わっていない。

 気を入れ直した伊勢怪人の眼前には次の尾が迫ってきていた。尾は8本ある。他の尾の届く範囲だったために攻撃されることとなったのだ。

 直撃を受けた伊勢怪人。海中における彼女はリンやサマーデビルと違って吹き飛ばされたりなどしていない。咄嗟に前に出した独立可動腕のハサミも潰されてしまっているがオロチの尾は止まっている。

 

「舐めんじゃない――っての! 本音ともう一度会うまで、私は負けるわけにはいかないんだからァ!」

 

 伊勢怪人――鏡ナギが声を発する。その気合いに呼応してクルーエルデプス・シュリンプは単一仕様能力をフル稼働させた。海水で構築された巨大な手が尾を掴んでいた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『今ですわ! 発進してください!』

 

 遠方でオロチの首のひとつが爆発炎上しているときにはラピスからヤイバ隊への指示が下されていた。

 ライル隊のときとは違い、オロチを守るための増援は確認できない。少なくとも外に出てくる敵戦力はイリシットとベルグフォルクで打ち止めと見てよかった。真打ちを出すなら今しかない。

 もっとも、ラピスの考えをヤイバ隊のバンガードは把握できていない。彼の仕事は指示されたタイミングで発進し、背に乗せたヤイバを無傷でトリガミ内部へと送り届けること。ヤイバと本気で敵対していたときからまだ1日すら経っていないというのに、今では完全に仲間として戦う羽目になっていた。

 トリガミの東の空をバンガードのラセンオーが駆ける。隣にはカティーナを乗せたカイトが並ぶ。単機で飛ぶよりも機動性は落ちているが敵からの迎撃はまだなく、順調に進んでいた。

 

『オメーがヤイバの方を引き受けるとは思ってなかったぜ?』

 

 近距離であるのにカイトからの通信が送られる。彼は藍越エンジョイ勢を抜けてからのバンガードがよく一緒にプレイする友人だった。ヤイバに関する愚痴にも付き合ってもらったことが数回あるため、カイトはバンガードの事情を大体把握している。

 

『俺のラセンオーとお前のラインドサイトじゃ装甲の絶対量が違う。カティーナ・サラスキーは自分で防御できるだろうが、ヤイバは攻撃を防ぐ手段に乏しい。この配役は妥当だ』

『理屈はそうなんだがそれを受け入れるってのはまた話が違うってならねーんか?』

 

 通信している間にもトリガミが近づいてきた。マシュー隊がベルグフォルクと戦闘している領域へと飛び込んでいく。

 バンガードの進行方向にベルグフォルクが1機立ちはだかった。アサルトカノンが発射され、砲弾はバンガードへと直進する。避けられる距離とタイミングではない。バンガードは左手の盾で受け止めて突き進み、右手のドリルで敵を刺し貫いた。前進の勢いを殺すことなくベルグフォルクを貫通して先へと進む。

 

『俺はすぐに感情的になり、周りが見えなくなる。織斑に負けた後、生徒会長に俺の弱点だと言われた』

『珍しーな。オメーが素直に認めるなんてよ』

『俺は初心者である生徒会長にボロ負けしている。技量で負けていたとは思えん。ならばあの人の言う弱点とは事実なのだろう』

 

 トリガミが近づくにつれて空間におけるベルグフォルクの密度が増していく。オロチの首と尾が破壊された東側には明らかに他の倍以上の数が投入されていた。内部にはもう残っていないくらいの勢いである。

 攻撃の密度も増している。盾だけでは防ぎきれず、肩や足などの装甲にも被弾して徐々に剥がされていく。背中のブースターはまだ壊れていない。ならばまだラセンオーは前へと進める。

 

『そろそろオレっちも避けるのが難しくなってきた。そっちはどーよ?』

『ふん。この程度を突破できなければ俺はリンちゃんに合わせる顔がない』

『そのリンちゃんはヤイバにお熱なのになー』

『そんなことはわかっている!』

 

 バンガードのドリルがベルグフォルクを3機まとめて刺し貫いた。だが貫通はできず、3機目のベルグフォルクがドリルの柄の部分を掴んできた。バンガードは躊躇いなくドリルを手放し、敵を蹴り飛ばして進む。

 カイトにも余裕がなくなったのか通信はもう送られてこない。代わりに背中から声がした。

 

「大丈夫か!? こうなったら俺が――」

「お前は黙ってろ!」

 

 バンガードの不利を悟ったヤイバが援護を申し出てきた。当然、バンガードはヤイバを怒鳴りつけて黙らせる。ここでヤイバが矢面に立てば、ここまでの作戦の意味がなくなる。

 グレネードランチャーが盾に直撃する。この一撃で盾は限界を迎え、バンガードの両手の装備はなくなった。まだ終わりではない。まだ体がある。

 もう目と鼻の先となったトリガミの入り口であるが、まだ届いてはいなかった。

 あと少し。あと少しで自分にしかできないと任された仕事が片づく。

 しかし、最後の関門が立ちはだかることとなる。

 左方向の海面が不自然な盛り上がり方をした。その正体をバンガードは知らされている。ただし、存在を考慮してはいなかった。

 オロチの尾が海面から現れる。しなったままバンガードを叩き落とさんと迫り来る。直撃を受ければバンガードだけでなくヤイバも大打撃を受けることとなる。そうなれば作戦自体が失敗。悪足掻きする手段も咄嗟には思いつかない。

 これで終わりかとバンガードは目を閉じた。

 

「させるかァ!」

 

 女子の叫び声でバンガードは慌てて目を開く。声の主は顔を見なくてもわかる。バンガードが憧れを抱いているリンその人であった。一度は尾に叩きつけられて操縦不能に陥っていたが、このタイミングで戦線復帰し、バンガードに迫る尾に立ち向かう。

 非固定浮遊部位の龍咆は故障して発射不能となっていた。リンに残された武器は両手にある崩拳のみである。単純な火力でいえばオロチの尾の質量を打ち破れるほどの力はない。だがそんなことで止まるリンではなかった。

 しなる尾に双手突きをぶつける。どう見てもリンが吹き飛ばされるとしか思えない状況。リンの行動が無駄に終わる未来の方が想像に容易かったのは間違いない。

 だが、違っていた。いかなる力が働いたのか、リンの崩拳は規格外の力を発揮してみせる。腕に取り付けられた小さな衝撃砲が発した衝撃は振り回された尾をも上回っていた。尾は丸い打撃痕を残して逆方向に吹き飛ばされる。

 

「さっさと先にいきなさいよ!」

 

 リンが叱りつける。その言葉はバンガードに向けたものなのかヤイバに向けたものなのかはわからない。だがバンガードに活力を与えるには十分だった。

 これが最後だと背中のブースターに火を入れる。ぐんぐんと加速し、トリガミへ到着したと言える距離となった。背後から放たれたアサルトカノンが背中のブースターを貫く。爆発直前に切り離し、ヤイバを放り出すこととなった。

 

「バンガードっ!」

「俺が送れるのはここまでだ! さっさといけェ!」

 

 メインブースターを失ったバンガードはその場で浮遊する。ヤイバに向けてリンと同じ言葉を叩きつける。体の向きは今まで走り抜けてきていた戦場を向いた。

 まだヤイバは行こうとしない。後ろ目にヤイバの様子を見ていたバンガードは背中越しに言ってやることにする。

 

「行けよ。守りたい女がいるんだろ?」

 

 静かに、諭すように伝えた。

 バンガードが織斑一夏に嫉妬しているのは事実。しかし、一番気に入らなかったのは鈴に対する態度である。モテるくせに女子からの好意に対してハッキリしない態度をとり続けることがムカついていたのだ。

 だがそうした一夏が本気で1人の女の子を助けようとしていると知った。エゴとも言える思いを持って一途に突っ走る男を、羨ましかったり憧れたりこそするが非難する気など毛頭ない。

 ――ここで認めてやらなくて何が男か。

 

「ありがとう」

 

 ヤイバは感謝を告げてトリガミへと向かう。閉ざされていた扉は雪片弐型によって強引にこじ開けた。建物内部へと消えていくヤイバを見送ってバンガードは正面の敵を見据える。

 圧倒的多数のベルグフォルクが自分に銃口を向けてくる。前回の防衛戦の比ではない数だった。バンガードには攻撃を受ける盾も避けるための足も奪われている。敵の攻撃を何もできずに受け入れるのみ。

 

 ラセンオーが機能停止する。

 だがバンガードの戦いは決して無駄などではない。

 無傷のヤイバがトリガミへの進入を果たしたのだから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 トリガミ内部は外と打って変わって静かであった。

 全くの無音というわけではないが比較的静かとだけは言える。

 誰もいないどころか何もない通路をヤイバとカティーナの2人が進んでいた。ナナとは何故か通信がつながらない。Illとの戦闘が影響しているかもしれないとラピスは言っている。

 ナナのおおよその位置はラピスから送られた情報でわかっている。ヤイバたちは奥から聞こえてくる戦闘の音を頼りにしてナナの居所を探ろうと試みていた。

 

「ヤイバくんは奥から聞こえる爆発音をどう見る?」

「ナナがまだ戦っている音に決まってるじゃないですか」

「私もそう思う。外で派手にやって誘き出せたからか敵の迎撃は全くないわ。このまま行けば間に合いそうよね?」

 

 このタイミングでラピスからの通信が来る。

 

『トリガミ内部にISが侵入しましたわ。例の偽楯無です』

 

 何も敵のなかった内部に新手が入ってきた。更識簪。ヤイバをIllと思いこんで攻撃してくる更識楯無の妹である。

 カティーナ――更識楯無の目的はIllの撃破ではある。しかし、さらに優先される目的があった。簪に真実を伝えて、敵対を止めさせなければならない。

 

「私が行くわ」

「任せます!」

 

 力強く返事をしたヤイバは前だけを見据えてひとりで進んでいった。

 楯無はその場で静止し、ヤイバの後ろ姿を見送る。

 2人だけとなっていたヤイバ隊はここで二手に分かれることとなった。

 

「ラピスちゃん。簪ちゃんの位置情報をちょうだい」

『了解しましたわ。今から向かうとトリガミ内部のロビーホールに当たる部屋で鉢合わせますわね』

「じゃあ、すぐに行くわ」

 

 楯無も移動を開始する。ラピスの指示に従って通路を進んでいくとやがて広い空間に躍り出た。

 見覚えがあるようでない。

 天井の高い広々とした円形の空間の中心に巨大なリングが設置してあるのはプレイヤーの使用するロビーと同じ。よって巨大リングは転送ゲートである可能性は高い。しかしリング内部の独特の発光が見られないため使用不能になっていると思われる。使えるようにするには設定を変更する必要がある。

 また、転送ゲート以外にはほぼ何も置かれていない。これはプレイヤーの使用するロビーとは大きく異なる。ロビーはゲームを円滑に進めるために企業が手を加えているものだからだ。今、楯無が見ている光景こそが篠ノ之束の遺産と呼ばれているものの真の姿なのだろう。

 楯無がゲートの前に立つと別の入り口からISが現れた。左手に試作装備“雪羅”を装備した打鉄――更識簪である。彼女は楯無の姿を確認すると右手の刀の切っ先を向けた。言葉は何もない。

 

「聞いて、簪ちゃん」

 

 楯無が呼びかける。鏡に映したかのような自らと同じ顔に向かって妹の名前を呼ぶ。双子ではなくただの姉妹。似ているところもあるが瓜二つということはない。簪が意図的に楯無と同じ顔を選んでいることは間違いなかった。

 今は妹の真意を問いただすときではない。楯無が望むのは簪の武装解除、ならびにISVSからの帰還である。返事をしない簪に楯無はさらに説得を重ねる。

 

「簪ちゃんは何と戦うべきか見失ってる。簪ちゃんが敵と思いこんでいる人はあなたの味方なの」

「嘘だ……」

 

 すぐには信じてもらえないと楯無も理解している。とりあえず話に応じてくれたことを幸いとし、このまま話を続けるつもりだった。

 だがまたもや簪の言葉は楯無の想定と食い違う。

 

「また、そうやって……私を騙すんだ……」

「え? またってどういう――」

「もう騙されないっ!」

 

 簪が叫んだ。彼女のイグニッションブーストにより戦闘の火蓋が切って落とされる。刀を全面に押し出した強引な突きを楯無は扇子で右に弾くことでいなす。冷静な対処はトップランカーとして当然の反応。だが思考は混乱していた。

 また騙す。簪の中で楯無に騙された過去があることになっている。楯無には心当たりがなかった。真実を言わないことはあっても嘘だけはつかないように細心の注意を払っていたはず。

 攻撃を躱された簪は突き出した腕を戻すことなく、右脇の下に左手をくぐらせる。

 左腕の装備は簪による試作品である複合装備“雪羅”。ENブレードとENシールドと荷電粒子砲の3つを使い分けることを目的としており、装備する上での制約さえクリアすれば強力な装備である。

 至近距離ではあるが爪状のENブレードを振れる状況ではない。簪の選択肢は荷電粒子砲の1択である。手の平を楯無に向けると中心部に粒子が収束した。

 対する楯無は扇子を広げてアクア・クリスタルを集中させる。

 

「これで……」

 

 簪の左手から放たれたビームは楯無の水のヴェールに直撃する。水のヴェールは硬さで弾き飛ばすのではなく柔軟性を以て少しずつビームの軌道に修正を加えることで無理矢理偏向させた。曲げられたビームは楯無の右方へと飛ばされていき、壁を爆発させる。

 攻撃が失敗した簪は背中の山嵐の発射口を開きつつ楯無から飛び退く。楯無はミサイル迎撃のためにアクア・クリスタルを自分の周囲に漂わせた。だがミサイルが撃たれることはなく簪は距離を取るだけに留まる。

 追撃を加えなかった意図が読めない。不可解な点を感じながらも楯無は攻撃することなく言葉だけをぶつける。

 

「攻撃を止めて! 私たちが戦う意味なんてないの!」

「私を……バカにしてるの?」

 

 両肩の外側に配置されている春雷(荷電粒子砲)が火を噴く。単調な攻撃が楯無に当たるはずもない。左に飛び退くことで楯無は当たり前のように避けた。しかし行動と違ってその内心に余裕は欠片もない。

 

 あまり話さない姉妹であったことは事実だった。楯無は更識の当主として修行し、簪はISの技術者としての道を歩み始めた。今は互いの道のために距離が開いている。それも一人前となれば解消される程度のことだと思っていた。祖父を頼らずとも更識の当主として胸を張れるようになったら、姉としての時間を改めて作っていこうと夢見ていた。

 そもそも楯無の名を継ぐ決意をしたのは政略結婚に利用されそうだった簪を守るため。当時6歳であった幼い楯無の決断であった。

 楯無は一族の男子に継がれてきていた名である。先代楯無は男の子に恵まれないまま急死し、更識翁は他の一族の男を更識に迎えようとした。更識翁に気に入られた男は楯無とはそりが合わなかった。となれば妹の簪に白羽の矢が立つ。

 自分が我慢するつもりであっても更識翁がどう決定するかはわからない。幼い楯無は焦った。このままでは大切な妹が更識の犠牲になる。

 そんなときであった。白騎士事件が起きて世界は変わった。ISの登場により、国家のパワーバランスと性別の価値観が崩れた。ときに武力も求められる更識にとって、男性よりも女性の方が都合が良くなったのである。

 更識翁は楯無に問いかけた。楯無を継ぐ覚悟はあるか、と。

 楯無は答えた。私が楯無になるのは当然だ、と。

 その身を盾とし、妹を普通の子として過ごさせると誓った。

 

 なのになぜ妹と戦うことになっている?

 最愛の妹が敵として自分を睨んでくる。その目は他のどんな攻撃よりも辛く苦しい。

 楯無となったことに見返りがいらないなんてことはない。

 楯無にとっての見返りは簪が更識と関係のない場所で笑顔でいられること。

 今の簪の顔を見るために楯無になったわけではなかった。

 

「簪ちゃん、私……」

 

 妹に呼びかける声は徐々に小さくなっていく。

 楯無の様子に気づかない簪は山嵐を全弾発射した。

 ミサイルの群が楯無に迫る。彼女が開いていた扇子を音を立てながら閉じると、ミサイルは全て何もないところで爆発した。

 

「私……やっぱり、簪ちゃんを攻撃できない……」

 

 力尽くで簪を押さえつけるのが正しい判断であるとは理解している。

 武器だけでも破壊して戦闘不能にするべきだ。

 だが思ったように体が動かない。

 手を出せば、もう二度と妹と向き合えないかもしれないという不安ばかりが脳裏を過ぎる。

 

 爆発による煙と埃が広がっていく。

 楯無の望む戦闘の終結は訪れそうにない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ナナは耐えることしかできなかった。

 敵の剛腕から繰り出される赤黒い光の爪を雨月と空裂の二刀を盾としてギリギリで耐える。ENブレードを束ねたようなENクローは剣術で受け流すことは難しく受けねばならなかった。まともに受け止めた結果、ナナは衝撃を逃がすために吹き飛ばされることとなる。

 1発受けては後ろに下がり、体勢を整える頃にはギドが目の前にまで来ている。攻撃できる頃にはギドの腕が振りあがっていて、ナナは再び受けるしかない。

 するとナナは壁に行き当たる。当然ギドは同じタイミングで爪を振るう。ナナは決死の思いでギドの脇をすり抜けようとするも、非固定浮遊部位の1つを破壊される。

 ギドが両手にENクローを展開してからというもの、ずっと同じことを繰り返してきた。既にナナには非固定浮遊部位が残されておらず、紅椿の拡張領域には予備の装備を入れる容量が余っていない。

 残された武装は両手の雨月と空裂のみ。次に壁に追い込まれれば、今度は敵の攻撃が本体に届く。

 同時にナナは気づいていた。ギドは本気で戦ってなどいない。本気であるならば最初に壁に追い込んだ時点でナナに攻撃を当てられているはずである。いや、むしろ壁に追い込むという行程すら必要ないとも思われた。

 遊ばれている。これまでツムギの全メンバーのために孤軍奮闘もしてきたこともあるナナが手も足も出ていなかった。

 この事実に気づきながら、ナナは認めるわけにはいかない。

 ここで目の前の敵に屈することになれば、間違いなくシズネが殺されてしまう。

 

「どうした? オレ様を殺すのではなかったか?」

 

 攻撃の手を緩めないままギドが嘲笑う。ナナの方から手を出させようとする挑発だろうが、今のナナには悔しさで歯噛みすることしかできない。

 目だけはギドの首を取るつもりで睨みつける。それが精一杯の反撃だった。

 

「クックック……少しばかりハシャぎすぎたか」

 

 ギドは唐突に動きを止めた。ナナの眼力に屈したはずはない。口元から笑いが消えず、整っている白い歯すら覗かせている。

 低空に浮いていた体を降ろして床に足をつけた。両手からはENクローが消失しており、両手で自分を扇ぐようにして『来いよ』とナナを煽る。

 受け手に回ってやるという意思表示はナナを見下す行為であった。だがナナはまだ冷静さを保てている。元よりプライドなどのために戦っていない。隙を見せたわけではない相手に無闇に飛び込むような真似はせず、ギドの観察に終始する。

 ナナは攻めない。ギドの求める殴り合いは起きない。

 

「来ないのか? ならば、向かってくるだけの理由を作らねばならんな」

 

 理由を作る。ナナを誘き寄せるためだけにシズネをさらった男が、ナナに自分を攻撃させる理由を作ると発言した意味をナナは瞬時に悟る。

 ギドの視線がシズネを向くのとほぼ同時。ナナは思考するよりも先に飛び出していた。

 雨月と空裂で左右から同時に斬りかかる。挟み込むような剣撃を前にしたギドは待ってましたと目を輝かせた。

 

 ギドはナナの二刀をそれぞれ掴み取ってみせた。

 

「な……に……?」

 

 ナナの目は驚愕で見開かれる。雨月も空裂も敵を斬ることができていない。押しても引いてもビクともしない。ギドの眼前で完全に動きを止めてしまっていた。

 

「喰らえ」

 

 足の裏で押し出すような蹴りがナナの腹部を捉える。刀を拡張領域に回収することなど考える暇すらなかった。ナナは体をくの字に曲げて反対側の壁に激突する。

 ギドは掴んでいた刀を投げ捨てる。ナナの最後の武器はナナの手の届かない場所に転がった。拾えば使えるのだが、今の紅椿にはまともに浮遊することもできない。壁から離れようとしたところで重力に引かれ、床に落下する。

 ただの蹴りなどではなかった。この一撃でアーマーブレイクが発生している上に、絢爛舞踏によるシールドバリアの高速修復が何かに阻害されている。PICもサプライエネルギーを使い切ってしまったときのペナルティと同様な機能不全に陥っている。

 それでも膝を折るわけにはいかない。ここで倒れればシズネが助かる道がなくなる。ただその一心でナナは膝を振るわせながらよろよろと立ち上がった。

 床ばかり見つめていた顔を上げる。すると、黒と金の目でナナを見下ろす銀髪の大男が目の前に立っている。

 

「その状態で立ち上がる気概は素直に讃えよう。オレ様の遊び相手として実に優秀であった」

 

 ギドの右手がナナの左肩に伸びる。左手で払いのけようとするも、純粋な力でギドに適わない。ギドの右手はナナの肩を掴んだ。

 

「離せ!」

 

 ナナは身をよじるがギドの手は離れない。とどめを刺さないギドの行動を疑問に思う以前に嫌悪感が先行する。

 抵抗は意味を成していない。そして、ギドは肩を掴むこと以外には何もしない。

 ナナが敵の意図に気づいたのは紅椿のストックエネルギーの表示を見てからであった。

 

「エネルギーが……吸われている!?」

「それがオレ様の力だ。オレ様としては敵は殴り倒すものだが、お前はエアハルトへの献上品なのでな。万が一にも殺すわけにはいかん。こうしてエネルギーだけ吸い尽くさせてもらう」

 

 ストックエネルギーが減少していくだけでなく、PICもシールドバリアも復旧しない。絢爛舞踏があり、サプライエネルギーが有り余っていても有効な出力先が何もなかった。

 辛うじて腕のスラスターを駆使して右腕を突き出すことはできる。ナナにとって最後の望みをかけた一撃はギドの胸に当たるがPICCの機能していない攻撃はISには一切通用しない。それはIllも同様。虚しい悪足掻きでしかなかった。

 ストックエネルギーが底をつく。紅椿は全機能を停止し、ストックエネルギーの回復に専念し始める。装甲などはナナの体についたままだが、拘束具のようなものだった。

 ナナは無力化された。役割を終えたナナは床に放り捨てられる。

 

「ぐぅ――!」

 

 くぐもった悲鳴を上げるナナにもう興味はないのか、ギドはナナが入ってきた入り口とは別の入り口に歩を進め始めた。戦闘の終結により現れたベルグフォルク5体にギドは指示を下す。

 

「あとは面倒だから任せる。ナナの方はISコアを引き剥がしてから牢にでもぶちこんでおけ。それが終わったらもう餌の方は要らんから処分しろ」

 

 人の意志でなく機械的に思考するリミテッドは了解と返すことなく忠実に命令を実行するだけである。ギドはリミテッドの仕事ぶりを監督することなく、気怠そうに出口へと歩いた。

 

「シビルが外にも来てると言っていたな。オレ様も加わるとしよう」

 

 そう言い残してギドは去っていった。あとに残されたのは床に這い蹲って動けないナナと壁にくくりつけられたシズネ、命令を下された5機のベルグフォルクのみ。

 頭の無い手足の生えた黒い球体はナナへと体を向ける。表情どころか視線すらわからない5機の機械人形はうつ伏せになっているナナを取り囲んだ。武装は手にしておらず、通常のISと同じように造られている手をナナの体に伸ばす。

 

「私に触れるなっ!」

 

 まともに体を動かせないまま、ナナの四肢は機械人形に取り押さえられる。

 

「何をしている!? 離せェ!」

 

 手足に力を入れても動かせない。取り押さえられた手足からはバキバキと金属製のものを破壊していく音が聞こえてくる。まず最初にナナの右手が露出し、ヒヤリとした空気が肌を撫でた。

 紅椿がナナから剥がされている。唯一の武器である紅椿を失ってしまえば、ナナはただのか弱い少女でしかない。

 シズネを守れない。

 

「やめろ……やめてくれ……」

 

 いや、最初からナナはか弱い少女であった。クーから紅椿という力を受け取り、持ち前の責任感で皆の先頭に立っていただけの歳相応の少女なのだ。

 唯一の抵抗であった拒絶の言葉も次第に力を失って懇願になっていく。敵に負けることは死を意味すると覚悟していたナナであったが、殺されもせずに自分の無力さを延々と思い知らされるとは思っていなかった。

 ナナの懇願は心ない機械人形には届くはずもなく、ナナの手足はすっかりと軽くなった。4機のリミテッドは四肢の装甲を破壊し尽くした後もナナを押さえつけたままであり、ナナは自由を取り戻してはいない。もっとも、ナナにはもう抵抗するだけの気力がなく、悔し涙が床に流されていくだけであった。

 リミテッドの最後の1機がナナの背中に手を伸ばす。ナナに残された唯一の紅椿。ここには紅椿のコアも存在していて、これを剥がされれば終わりだった。

 ……何が終わる?

 気を失いたくなるくらいに現実を拒否したかったナナは考えた。

 紅椿を完全に奪われて終わるものとは何か。

 敗北した時点でシズネを取り返す可能性は費えているようなもの。

 ギドがリミテッドたちに下した命令を思い出す。

 ナナを生かしたまま紅椿を剥がせとしか指示されていないリミテッドはこれ以上ナナに危害を加えない。

 そのあとは――

 ナナは絶叫する。

 

「やめろおおおお!」

 

 手足に活力が戻る。拘束から逃れようと必死に暴れ出す。

 力の差は歴然。紅椿のないナナでは機械人形たちの力には抗えない。

 背中に敵の手が触れてもナナは足掻くことをやめなかった。

 それもそのはずだ。

 紅椿のコアが剥がされたときに終わるもの。

 ギドが処分しろと言っていたもの。

 それはシズネの命。

 

「あああああああ!」

 

 力の限り叫んだ。しかし声だけで敵が倒せるはずもない。

 ベルグフォルクの手が紅椿の外装を剥がす。

 背中が軽くなっていくのと対照的にナナの心にはシズネが殺されるという恐怖が重くのしかかっていく。

 

「が、はっ――」

 

 喉が限界を迎えた。苦しみで手足にももう力が入らない。

 ついに紅椿のコアが空気に触れる。

 タイムリミットはすぐそこまで来ていた。

 

 もうどうしようもない。

 

 追いつめられたナナは都合の良い未来を想像する。

 助けに来てくれる人がいる。

 雁字搦めになって何もできず、不幸な運命だと受け入れていた自分を変えた男のこと。

 7年分の月日――特に1年弱にわたるISVS内での生活によって彼の顔を思い出せなくなっていた。

 今は別の顔が鮮明に浮き上がってくる。

 

「ヤイバ……」

 

 掠れた声で彼の名前を呼ぶ。7年前の一夏の名前は出てこない。今のナナには篠ノ之箒ではなく“ナナ”を助けてくれる男のことしか頭にない。

 ヤイバならなんとかしてくれる。今までずっとそうだった。ナナだけではできなかったことでもヤイバがいればなんとかなる。ナナは絶対的な信頼を寄せていた。

 でも、来るわけがない。ナナはヤイバに会いたくないと拒絶した。嫌われて当然だった。そもそもヤイバが戦う目的は、彼にとって大切な少女を助けるためであり、ナナたちはついでのようなものである。

 わかっている。今の状況はヤイバに合わせる顔がないという自らの身勝手さが招いたことだ。ヤイバには何も責任がない。

 嫌いになった相手を、自分の身を危険に晒してまで助けるはずなどない。

 来ないなんてことはわかりきっている。

 それでもナナは言った。

 

「助けて……」

 

 嫌だ。奪われるだけの人生(さだめ)なんて。

 嫌だ。シズネのいない未来(これから)なんて。

 嫌だ。好きな人に『大好き』すら言えない自分(わたし)なんて。

 憎悪と後悔と懺悔が渦巻いて溺れてしまいそうだった。

 ナナはもがく。

 どこかに光がないか。差し伸べられる手を求めてがむしゃらに手を伸ばす。

 自分にとって都合がいいだけの図々しい願いを……言葉として吐き出した。

 

 

「私を助けてよ……ヤイバ」

 

 

 ――瞬間、世界が白く塗り変わった。

 

 喉が潰れそうなくらい泣き叫んでも何も変わらなかった絶望が、金属のひしゃげる音と共に崩れ去る。

 助けての一言に込められた言霊の力とでも言うべきか。

 手足が軽い。ナナに触れていた機械人形の手は消え去っていた。

 力は入る。うつ伏せであったナナは両手を床について顔だけを起こす。

 ナナを見下ろしていた機械人形の姿などない。

 顔を上げたナナの目に飛び込んできたのは白いISの背中だった。

 背中に浮いている大きな翼からは機体と同じくらい白い粒子が漏れ出ている。羽のように舞い降る粒子はナナの体を優しく包み込んだ。

 温かい。

 目の前の男はまだ何も話さない。しかしどうしようもないくらい、その背中は熱く語っている。

 

 

 ――お前を助けに来た、と。

 

 

 声と共に枯れたと思っていた涙がまた溢れ出してきた。

 両手がわなわなと震えているのは悲しさとは真逆の強い感情が胸にあるからだ。

 ヤイバが来た。その事実は絶望の淵に立たされたナナを軽く引き上げていく。

 彼が傍にいる。その安心感は他の何にも代え難いものだった。

 

「どうして……来たんだ……? 私はヤイバを拒絶したのに」

 

 ナナの口から真っ先に飛び出たのは純粋な疑問。ヤイバを咎めているような攻撃性は声色に一切混ざっていない。

 

「俺は自他共に認めるバカ野郎だ。でもな、アレを拒絶だと思うような奴はバカなんじゃなくて人でなしだろ」

 

 背中越しにヤイバは答える。彼はまだ戦闘の構えを崩さない。ナナを取り押さえていたベルグフォルクたちを吹き飛ばしたもののまだ撃墜には至っていない。

 

「ナナは俺が来たら迷惑だったか?」

「迷惑だなどと言えるわけがない。でも――」

 

 ここでナナは思い出す。ヤイバを拒絶してしまった理由である、7年前に別れた幼馴染みのことを。

 そのナナの思考を読んだかのようにヤイバはナナの言葉を己の言葉で遮った。

 

「忘れちまえ」

「え……?」

 

 一瞬、ナナにはヤイバが何を言ったのか理解が追いつかなかった。

 キョトンとするナナにヤイバが付け足す。自分が出した結論を――

 

「この大事なときに来ない奴のことなんて忘れろって言ってるんだ」

 

 ヤイバのストレートな物言いにナナは目を丸くした。

 彼は今までのナナを支えてきていた思い出を捨てろと言っている。

 長く会っていない大切な女の子を助けるために戦っている男の発言とはとても信じられない。

 彼に何があったのかナナに知る術はない。

 少なくとも、ナナは彼のように割り切ることは難しかった。

 

「だが私は――」

「“でも”とか“だが”とか余計なことを考えるのはやめろ。今のナナの素直な気持ちに従えばいい。俺がここに来てどう思ったのか、言ってみてくれ」

 

 ナナの口答えごとヤイバはその名の如く、バッサリと斬り捨てる。

 ヤイバは言う。7年前の幼馴染みのことは余計なことだと。今の自分たちには何も関わりのないことだと。

 素直な気持ちに従う。それが何かを考えようとしてナナはすぐに気づいた。

 考えなくていい。ヤイバが来る前と来た後でどう変わったのかが全て証明している。

 

「う、嬉しいに決まってる!」

 

 (たが)が外れた。感情を堰き止めるものが瓦解した今、ナナの口から溢れ出すものは精一杯の素直な気持ち。

 

「忘れるのは怖い! だけどそれ以上に、ヤイバと二度と会えない方が嫌だ! 私は浅ましい女だ。私は尻軽な女かもしれない。都合よく助けてくれるだけでヤイバにこんなことを言っているのだと思うと胸が苦しい。それでも……現実に帰っても、ヤイバに傍にいてほしいんだ!」

 

 ヤイバが望む以上の答えだった。

 すれ違っていた2人は離れてからも互いを意識し、今、再び向き合うこととなる。

 

「よくわかった。ナナはもう俺だけを見てろ。その気持ちを濁すような記憶は俺が全部書き換えてやる」

 

 雪片弐型が展開される。過去幾度となく逆境を斬り拓いてきたヤイバの愛刀。持ち主であるヤイバでなくとも、その光の刃は頼もしく映る。

 ここまでベルグフォルクからの攻撃はない。そもそも射撃武器を所持していない。ナナを守るために睨みあっていたヤイバは動き出す。まとまっていた5機の中心に飛び込んだヤイバは瞬く間に敵を斬り払った。ベルグフォルクは5機ともバラバラとなり、ただの粗大ゴミと成り果てる。

 敵を一掃したヤイバはナナに振り返った。顔には笑顔が浮かんでいる。

 

「俺は二度とナナを見捨ててなんかやらない。覚えとけよ?」

「あり……がとう」

 

 ナナはなんとか体を起こし、床にペタンと座り込む。

 ヤイバは照れくさそうに頬を掻いた。

 

「なんかナナに素直に礼を言われると調子が狂うんだよなぁ」

「ヤイバが『俺だけを見てろ』だなどと言うからだ。先に言っておくが私は尽くす女だからな。これまでと違う私を今のうちから覚悟しておくがいい。お前の大切な女とやらも私が忘れさせてやる」

「うっへぇ……おっかねえな」

 

 ナナは顔を真っ赤にしてヤイバに宣言した。おっかないと言いつつもヤイバは満面の笑みを浮かべている。胸のつかえがおりた。互いに相手の想いを確認し、また新しく1歩を踏み出していけることだろう。

 

 まだ戦闘は終わっていない。その事実を先に思い出したのはナナだった。まだ浮かれているヤイバに、ナナが戦った強敵について話さなければならない。水を差すようなことを言うのは気が引けたが、今は非常事態だということを忘れてはならなかった。

 だがヤイバを見た瞬間にナナは固まってしまった。

 先に冷静になったからだろうか。ナナの目はヤイバの左手が妙な挙動をしていることに気づいた。

 何も武器を握っていない手持ち無沙汰な左手は意味もなく閉じたり開いたりを繰り返している。

 続く嫌な予感。ナナは思わず叫ぶ。

 

「危ない!」

 

 紅椿が動いていない今、ハイパーセンサーの恩恵を受けていない。周囲の状況は人並みにしかわからない。にもかかわらずヤイバに危険が迫っている可能性を指摘した。

 ナナの声を聞いたヤイバは瞬時に顔を引き締める。ナナと違ってハイパーセンサーが正常に働いている彼は即座に敵の姿を確認した。入り口にベルグフォルクの6機目がやってきていたのだ。奇襲さえ受けなければ何ということはない軽い相手。あっという間に接近したヤイバの一撃でベルグフォルクはただの残骸となる。

 ナナは全身が震えた。声を出した後からずっと両手で口を押さえている。奇襲しようとしていた敵の存在などどうでもよくなるくらいの出来事が目の前で起きているのだ。

 一度は収まっていた涙が再び溢れ出す。泣き虫な自分を自覚しつつも否定したがっていたナナであったが、今はひたすらに泣きたかった。

 

「助かったぜ、ナナ。それにしても良く気づいたな」

 

 ヤイバがナナに礼を言う。癖というものは本人に限って気づかないものだった。

 ナナは言葉を選ぶ。記憶に残っているやりとりの一部をここに再現しようとした。

 

「お前はバカだ。死ぬところ……だったのだぞ」

 

 奇襲されそうだったとはいえ、全く死ぬ状況ではなかった。それを踏まえてナナは死ぬかもしれなかったと言う。以前にナナは“彼”に同じことを言ったからだった。

 ヤイバがナナを見て固まっている。彼が気づいたのか定かではなかったが、ナナは自分から答えを言うような真似はしなかった。我が儘なのはわかっている。それでも、彼には先に呼んでほしかった。

 

 ナナはもう確信している。

 ずっと一番近くで戦ってくれていたヤイバ。

 ナナのために敵地に飛び込んできた彼はナナがずっと待ちこがれていた少年本人だったのだ。

 織斑一夏。篠ノ之箒がずっと会いたいと願っていた少年。

 彼はヤイバとしてナナの前に現れ、ナナの心を揺さぶった。

 箒は一夏を想い、ナナはヤイバを想う。

 ずっと自分を苦しめてきた想いは二心などではない。

 胸の内に存在するのは、常にたったひとつの想いだけ。

 

 故に正当だ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ナナのおかげで不意打ちをもらわずにすんだ。バンガードが決死の思いで俺を無傷で運んでくれたのに、ザコなんかの攻撃を受けては申し訳が立たない。本当に助かった。

 俺はナナに正直な気持ちを話した。俺だけを見てろと、ナナに例の王子様を忘れさせるようなひどいことを強いている。助けに来ても嫌われて当然だと思っていたのだが、ナナは俺を受け入れてくれた。

 だからきっと油断していたのだと思う。俺は正直、浮かれていた。普段なら絶対に気づくような敵の存在すら見落としていた。

 ナナは気づいた。見るからにISが機能していないにもかかわらず敵の存在を察知するとは化け物か、と彼女を褒めた。だけど、彼女は何かが気に食わなかったようだ。

 

「お前はバカだ。死ぬところ……だったのだぞ」

 

 その瞬間、俺は強烈な既視感に襲われた。

 涙を拭うことなく、俺に笑いかけるナナの顔に誰かがダブって見える。

 彼女の言っていることが理解できない。俺は今の状況ではどう考えても死なない。精々手痛いダメージをもらう程度の損害だ。そもそもプレイヤーはIllを相手にしても決定的な死亡をしたケースは存在しない。

 つまり、ナナはわざと理に適っていないことを言っている。

 

「本当にバカだ……お前も……私も……」

 

 あと少しで何かが見える。そう思った俺はナナをひたすら見続けた。

 彼女は小さな声で俺と自分自身をバカだと罵倒している。

 同時に、しきりに何度も頷いていた。

 

 ――ああ、彼女は俺たち2人をバカにしてるんじゃなくて、自分を納得させているんだ。

 

 いつの間にか俺はナナがバカと言っている意図を察していた。まるで何年も一緒に過ごして、お互いの変な癖すらも理解しているように。

 ……ように、なんてレベルじゃない!

 これは俺の知ってる“彼女”そのもの。

 何度も頷いているのは自分に言い聞かせているときの彼女の癖。

 一番最後に見た7年前の篠ノ之神社でしていた彼女の仕草とピタリと一致した。

 

「そう、だな」

 

 俺はナナに同意する。胸の奥から何かがこみ上げてきて、涙腺が刺激されるが、外に出さないように我慢する。

 

「俺って、バカだよ」

 

 本当に、どうして今まで気づかなかったのだろうか。

 いや、もしかしたら俺は気づいていたのかもしれない。

 ずっとナナが気がかりだったのもナナと“彼女”を重ねていたからだ。

 それでもピンと来なかったのは鈴のことがあったからだろう。

 結果的に鈴をひどい形で振ってしまった経験が、俺にナナをナナだと思わせた。

 シズネさんがナナの本名を知らなかったのも追い打ちだった。

 ……などというのは全て言い訳に過ぎないな。

 俺は長く会っていない女の子を探してISVSで戦っていた。

 ナナは昔に別れさせられた王子様が助けに来てくれると夢見ていた。

 そこまで互いに知っていて、どうして気づかない?

 我ながらバカの一言しか出てこない。

 

「ナナ。俺さ、今すぐにお前に言いたいことがあるんだ」

 

 これは俺から切り出すしかない。ナナは頷くのをやめて俺を待ってくれている。

 今からもう、彼女がどう返事をしてくれるのか期待している自分がいた。

 俺がナナに言いたいこと。それは名前。

 

 

「“箒”」

 

 

 それ以外に言葉は要らなかった。

 ナナは目を閉じてゆっくり1回だけ頷く。俺の一言を全身に澄み渡らせてでもいるかのようだった。

 目を開けると彼女はニッコリと微笑む。涙の跡がくっきりと残っているがもう泣いていない。満面の笑みを俺に向けて、彼女は期待通りに返してくれた。

 

 

「“一夏”」

 

 

 俺の名前。俺は一度としてナナに現実の名前を明かしていない。だから、彼女から俺の名前が出てくるということは、彼女が篠ノ之箒であるからに他ならない。

 ……もうそんな証明は必要ないくらいに互いに確信しているよな。

 しかしいざ俺の名前を(ナナ)から聞かされると、我慢してきた涙腺が決壊してしまった。

 一度はナナが死んでいることも覚悟した。その彼女が生きていると証明されたのだ。セシリアはナナと箒が同一人物だと知らないからこそ、いないと言っていただけ。俺は箒が入院している病院を知っているし、生きている姿を何度もこの目で見てきた。

 彼女が生きていて良かった。

 俺の頬を涙が伝ってしまう。男が涙を見せてしまって恥ずかしい。軽く拭った後で気合いを入れ直すも箒からの一言が入った。

 

「一夏は泣き虫なのだな」

「うるさい! これは目にゴミが入っただけだ!」

 

 俺は今、いつかの仕返しをされている。泣いていたナナをからかったことをまだ根に持っているらしい。

 ……別にあれはバカにしてたんじゃなくて、綺麗だなと思ったんだけど、それを言ってしまうのはこれまで以上に気恥ずかしいのでやめておこう。

 今は他に話したいことが沢山ある。今までのこと。これからのこと。眠っている箒に一方的にしか話せなかったこと。これからはそれに返事が来るんだ。

 

「箒。俺――」

「待て、一夏。積もる話は後だ」

 

 途中で遮られてしまう。頭の中に思い描いた箒に話したいこと百選が行き場を失って暴れ回っている。消化不良や欲求不満の状態となり、俺は『うがー!』と叫び出しそうだ。

 

「落ち着け。私もシズネもお前のおかげで助かった。だが、お前が倒したのはただのザコであって、私が敗北を喫した相手は他の場所へと向かった」

 

 箒に宥められることでようやく冷静さを取り戻した。俺の第一目標は達成したが、まだ戦いは終わっていない。箒とシズネさんの安全を確保しても、Illを倒さなければシャルは帰ってこないのだ。

 Illは倒さなければならない。宍戸も俺たちが勝つと信じてくれている。奪われた何もかもを取り戻して、全員で帰るんだ。

 

「ごめん、一人で舞い上がってた。早速教えてくれないか? 箒が戦ったIllのことを」

 

 箒はたった一人の敵と戦っていたらしい。

 赤黒いEN武器を扱うアドヴァンスドの大男。

 触れた相手のエネルギーを吸い取るという特殊な能力を持っている。

 紅椿が力負けするくらいのパワータイプで防御能力も高い。

 話を聞くだけでもイルミナントと同等、あるいはそれ以上の相手と思われた。

 

「だいたいわかった。あとは俺がそいつを倒せば終わりだな」

「簡単に言ってくれるな。いくら一夏が強くとも、今度の相手は一筋縄ではいかん」

「違うって、箒。こういうときはもっと他に言うことあるだろ?」

 

 手厳しいことを言うのはいつもの箒だ。箒らしいといえば箒らしいんだが、今の俺が言ってほしいことはそんなことじゃない。

 

「聞かせてくれよ。箒の“尽くす女”っぽいところ」

「バカなことを言わずにさっさといけ」

 

 俺が一夏だと知った途端にこれだよ。

 少々残念に感じながらトボトボと敵を追おうと出口へと進む。

 そんな俺の背中に箒はさらに付け加えてきた。

 

「全部終わらせてさっさと迎えに来てくれ。私だって一夏に話したいことの1つや2つや3つや4つ……ええい! 数えきれるかァ!」

「箒……」

 

 突然の叫びは俺の胸にジーンと響いた。まったく……嬉しいことを言ってくれる。

 箒も俺と同じなのだとわかったとき、白式に変化が生じる。

 サプライエネルギーの表示が常に最大を示し続けている。

 そして、変化があったのは俺だけではない。

 

「紅椿が急に動き出した!?」

 

 箒の紅椿が再起動したらしい。この短時間でストックエネルギーが規定量回復したということではなく、紅椿の起動には俺が関わっていた。

 セシリアから聞いた俺の単一仕様能力、共鳴無極の説明によるとストックエネルギーも共有されるらしい。今、起きている現象は俺の共鳴無極によって紅椿にストックエネルギーが供給されたような状態ということだろう。

 そしてサプライエネルギーが常に最大なのも共鳴無極の影響だ。サプライエネルギーの共有をするということは絢爛舞踏を持っている紅椿とクロッシング・アクセスすることで白式もサプライエネルギー無限の効果を得られるということになる。ワンオフ共有なんて効果もあったからその影響としても説明できる。

 これで心おきなく箒を置いて敵を追いかけられる。紅椿さえ動いていれば、ザコが来たところで箒が負けるはずがない。ヤバイのが来る前にシズネさんと逃げてくれるはず。

 

「箒。あのさ……」

 

 あとは箒に言ってやる必要がある。

 

「今の俺、相手が何であっても負ける気しないから!」

 

 だから何も心配するな。

 俺は必ずIllを倒して、お前を迎えに来る。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ギドを追うヤイバを見送る。姿が見えなくなっても今のナナにはまるで自分がヤイバであるかのように近くに感じていた。

 ――必ずIllを倒して、お前を迎えに来る。

 力強い彼の意志を受け取ったナナは胸に手を当てる。目を閉じれば今までの全てが鮮明に蘇る。

 

 ひとりぼっちだった小学生時代。友達というものを単語でしか認識していなかった。周囲の人は箒から一定以上の距離を置く。箒に、あるいは箒の背後にいる人物をまるで化け物であるかのように恐れていた。箒も自分を化け物として扱う人たちが怖かった。

 ――くだらねえ。

 彼はそう言って幼い箒の価値観を粉々に砕いた。世界が明るくなった。それは箒だけでなく彼もだったのだと今の箒には理解できる。彼は最初から箒の笑った顔を見たくて近づいてきた男だったのだ。

 

 七年前の篠ノ之神社。彼に会える最後の機会かもしれないと焦った。まだ子供であったが、精一杯に着飾った姿を彼に見せたくて待ち合わせた。

 ――きれいだな。

 言葉としては聞いていない。当時の彼がどう思ってくれたのか今までは想像しかできなかった。今の箒にはわかる。伝わってくる。彼が自分といる時間が楽しいと思っていてくれて、“約束”をしてくれたのだということもハッキリと伝わってきていた。

 

 毎年1月の篠ノ之神社。箒のいない場所に彼はひとりで待ちぼうけ。

 ――また来年に来てくれるはずだ。

 ごめんと謝りたい。仕方がないことではあったが、免罪符にするつもりなどない。約束を守れなかったのは事実だった。

 

 今年の1月3日。静寐とともに初めて辿りつけた篠ノ之神社。彼は来なかった。

 その日の記憶は定かではない。彼ではない“何か”がやってきたことしか覚えていない。

 ――もう俺なんてどうでもいい。そう思ってくれてるはず。

 彼は別の女の子と遊びに行っていた。胸が苦しい。

 逆だと言ってやりたい衝動に駆られる。彼と遊んでいた女の子に嫉妬した。

 

 明くる1月4日。横たわる箒を前にして彼は膝を突いた。無力さに打ちひしがれ、己の行為を恥じ、自分たちの運命を呪った。

 ――なんで今年なんだよ! なんで俺は行かなかったんだよォ!

 ひたすらに後悔を重ねて苦しんでいた彼を知り、胸が痛む。別の女の子でなく、箒を想っていると知って嬉しく思っている自分もいる。ひどい女だと自嘲するには十分だがそれでいいとも思えた。

 

 10月。ヤイバとナナは出会った。思えばこの出会いは仕組まれたものだったのかもしれない。偶然にもヤイバはナナと何度も出会い、互いを知るまで時には戦い、時には助け、和解した。ランダムと称して突然現れるヤイバの背後に、お節介なナナの姉の姿が目に見えるようだった。

 

 彼の聞いていた声。

 『今の世界は楽しい?』という問いかけ。

 今のナナならば『楽しい』と答える。

 ひとりじゃない。

 自分のことを大切に思っている人が居てくれる。

 姉が創り出した幻想世界の中でも、ナナは生きていると実感できたから。

 

 クロッシング・アクセスによる記憶の共有が終わる。深層に眠っている記憶は本来は覗けないものなのだが、ヤイバとナナはお互いに自らの過去を掘り起こし、交換していた。話をしたいという思いが強すぎる故に。

 

 ナナはギドと戦った部屋の中を見回す。ボロボロだった。転がっている雨月と空裂を拾って拡張領域にしまっておく。

 次に部屋の中で唯一綺麗な壁へと進む。十字架の装飾と、括り付けられたシズネがいる。敵のいない今ならば、満身創痍であるナナでも簡単に助け出すことができた。

 

 拘束から解放したシズネを床に下ろして寝かせようと思ったそのときである。

 ナナは異変に気がついた。

 シズネの目は完全に開いていた。

 

「シズネ?」

「ぐー」

 

 眠ったフリのつもりだろうか。完全に棒読みである。

 ナナは抱き抱えていたシズネの体を放り捨てた。そのままシズネは床を転がり、仰向けで止まったところで体を大の字に広げた。

 シズネの目は天井に向いている。

 

「ひどいです。ナナちゃん」

 

 彼女はナナを見ることなく淡々と口にした。呆れたナナは右手を額に当てて頭を振る。

 

「起きているのならばそう言え。無駄な心配をかけさせるんじゃない」

「その心配とはヤイバくんと話していたことを私が聞いていたかどうかですか?」

「どこから聞いてた? むしろいつから起きていた?」

 

 むくりと起き上ったシズネに問う。

 聞かれて困るということはない。

 むしろどこまで知ってくれているかが知りたかった。

 

「目が覚めたらナナちゃんが自分のことをバカバカと言い続けていたところでした。とうとう壊れてしまったのかと思い、私が涙ながらに斜め45°の角度でチョップを繰り返す未来を想像しちゃいましたね」

「いいや。私はきっと直ったのだ」

 

 シズネの冗談を流しつつも一部を拾う。壊れたのではなく直った。ナナと箒でバラバラになっていた心がひとつに繋ぎ合わさった。

 シズネはナナに嘘をつかない。彼女が目を覚ましたタイミングは宣言した通りだろう。だから細かい説明はいらない。ナナは一番の親友に言いたかった。親友の想いを知っていても、隠すような間柄ではいたくなかった。

 

「知ってるか、シズネ? 白馬の王子様は実在するのだ。馬ではなくISだったが」

「知っています。私もそうでした」

 

 お互いに同じ背中を思い浮かべている。ナナは以前にさんざんシズネに聞かされていた。翼の生えた騎士の背中の話を熱弁するシズネを当時のナナは話半分に聞いていたのだが、今のナナはシズネの話を全て理解できる。

 王子様。ナナとシズネの間でこの言葉はナナ――正確には箒の想い人を指す。ナナが口にした白馬の王子様の意味をシズネが理解できないはずはない。それでもシズネは平常運転の無表情を貫き通していた。

 ナナは話をやめない。自分が辿りついた結論がとても嬉しいものだったことを伝えなくてはならない。たとえ親友が苦しんでも、隠すことは絶対にしない。

 

「とんだお笑い草だった。私には最初からたったひとりの王子様しかいなかったんだ」

 

 たったひとりの王子様。そう言った途端に視界が滲んできた。

 自分の素直な気持ちは誰も裏切っていなかった。

 もし記憶を失ってもまた彼を好きになる。そう思うと自分が誇らしくなった。

 シズネの顔がよく見えなくなったまま、ナナは話し続ける。

 

「本当に……良かった。ずっと一夏を想っていて良かった。ずっと一夏が私を忘れないでいてくれて、ずっと私を助けようとしてくれていて……本当に嬉しかった」

 

 聞き手のことを考えない独り言の垂れ流しと化したナナの本音。

 涙で前がよく見えないため、親友が何を思っているのかナナには全く想像がつかない。

 たとえ無表情でも顔を見なければ始まらない。ナナは涙を指で拭う。

 

「良かったです、ナナちゃん。私も嬉しいです」

「シズネぇ」

 

 相も変わらずの無表情……などではなかった。

 シズネはこれ以上にない微笑みをナナに見せてくれている。

 作り笑顔などしたことがないはずのシズネが見せた優しい顔は、彼女の本心で間違いなかった。

 ナナはシズネの胸に飛び込む。

 

「私は……幸せ者だ」

 

 気丈に振る舞い続けた少女の嗚咽が響く。

 弱い部分を隠さなくなった彼女の背中を親友の少女はただ優しく撫でていた。


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