Illusional Space   作:ジベた

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23 背中合わせの二人 【後編】

 ルドラ主砲のエネルギー充填率は70%と推察される。

 最もルドラに近づけたラウラ&シャルルコンビは直前でラウラが戦闘を放棄したため、シャルルが単独でルドラへ向かっている。しかし彼女ひとりでマザーアースを攻略することは困難を極める。

 リンの率いる戦闘機部隊はベルグフォルク部隊と交戦。1部隊が100機単位であるため、少数であるリンたちでは突破に多大な時間がかかる。サベージが追いつくまで足止めされることはほぼ確定。

 バレット率いる部隊もベルグフォルクに手を焼いている。ルドラまでの距離を考えるとバレットたちは次弾の発射までにルドラを無効化することは不可能。

 倉持技研の部隊と合流したリベレーター率いる部隊はベルグフォルクの大部隊と衝突している。この戦力はもはや囮としてしか機能しない。ベルグフォルクは強すぎることはないが、時間を稼ぐことに関しては優秀なリミテッドといえた。

 ベルグフォルクはただのリミテッドではなくIllであるとラピスは思っているのだが確証はない。それに今はそのようなことはどうでもよかった。ルドラを破壊することこそが重要なのである。

 

 今、手の空いている戦力はツムギの防衛に回っているヤイバと蒼天騎士団だけ。敵の狙いがツムギである以上、この戦力を動かすことは危険だった。同様の理由で“防衛部隊の最高戦力”もルドラへの攻撃に回せない。

 敵の新しいマザーアースへの対策も立たないまま、状況はさらに動く。

 

「ヤイバさん。エアハルトが現れましたわ」

『了解。すぐに向かう』

 

 予定通りヤイバにはエアハルトの相手をしてもらう。ヤイバ以外の選択肢はあったが敵の底が見えるまで使いたくはなかった。

 だが戦闘が常に自分たちの思い通りになるわけがない。

 

『ラピス! 楯無だ!』

 

 このタイミングで“敵の楯無”が現れた。予想できなかったわけではない。対策はある。

 問題はフリーになるエアハルトの方。ラピスは切り札の一つを切ることにする。

 

「お願いしますわ。“ブリュンヒルデ”さん」

『頼まれずとも私が迎え撃つつもりだった。敵の中枢に近い男ならば私の知りたいことも知っているだろう』

 

 通信越しに、それも自分に向けられていない殺気を感じてラピスは背筋が凍る。

 何はともあれ、どうにか形になった。不確定要素は沈黙を続ける2機目のマザーアース。間違いなく長距離砲を備えているため、ルドラと続けて連射されればツムギは落とされる。なんとか回復した倉持の防御部隊が防げるのもあと1発が限度と予想される。

 

 ラピスは全体を観察する。どこか膠着状態が解ければ手の打ちようがある。早く。早く。ラピスは祈る。

 状況は動いた。それも予想外なところで。

 

「エアハルトがフリーに……?」

 

 ブリュンヒルデがエアハルトでない機体に足止めを食らっていた。星霜真理が示す情報ではブリュンヒルデは単独で戦闘機動をしているように映る。

 状況を理解したが認めたくはなかった。ラピスは確認する。

 

「ブリュンヒルデさん! 何があったのですか!?」

 

 ラピスに対して返ってきたのは一言。

 

『黒い甲冑が現れた』

 

 黒い甲冑。ラピスの集めた情報の中にあったIllかもしれない噂のひとつ“大剣の一振りで遠く離れたISを打ち落とす甲冑騎士”のことだと思い至る。星霜真理のデータを踏まえてもブリュンヒルデの前に現れたのはIllに間違いない。

 ラピスの脳裏にはイルミナントの姿が蘇る。ワンオフ・アビリティに目覚めたヤイバであっても単独で倒すことは適わなかった。実力はあってもルーキーであったヤイバと世界最強のプレイヤーを比較するべきではないところだが、ブリュンヒルデといえどもIllを短時間で倒すとは考えられなかった。

 

「蒼天騎士団は全軍でエアハルトを撃退してください」

『はっ!』

 

 次々と現れる敵戦力。前回と比較して十分な戦力を揃えても、ほとんど余裕はない。

 間もなくルドラの第2射が放たれる。アカルギの主砲という手は残しているが、有効射程に入れるには制空権を握っていない領域までアカルギを単艦で出さざるを得ない。リスクが大きく、動かすわけにはいかなかった。

 第2射も防ぎきれる保証はない。あと1手が足りない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 エアハルトの相手は俺がしなければならない。だというのに俺の前に別の敵が立ちはだかっていた。

 楯無。過去3回、俺の前に敵として現れては逃げていく謎の敵。蜘蛛のときといい、今回といい、Illやエアハルトとつながりがあることは確実だった。

 捕まえて聞きたいことはある。だけど今は、

 

「お前の相手をしている暇はない!」

「私は……お前を、倒す!」

 

 雪片弐型で斬りつける。楯無は左手のENクローで受けてきた。

 面と向かい合ってわかるのは、彼女の鋭い視線だ。激しい憎悪が俺に向けられている。

 何故かは考えるまでもないだろう。俺は彼女の敵だからだ。

 

「ラピス! エアハルトはどうなってる?」

『現在、蒼天騎士団全員で迎撃に当たらせていますが……』

 

 目の前の楯無よりも俺が気にしているのはエアハルトの動き。

 今回の戦闘において、奴はルドラでツムギを破壊するつもりではない。俺の直感はそう告げている。最初の砲撃も防がれること前提で発射している上に、ルドラの防備を固めているのもこちらの戦力の大多数を釘付けにするためだ。

 マザーアースを囮にしてエアハルトが何をするのか。

 奴の狙いはナナしか考えられない。

 マシューに直接通信をつなぐ。

 

「聞こえるか、マシュー」

『用件は手短にお願いします! 今、忙しいので!』

 

 楯無の相手に蒼天騎士団を何人か回して欲しいと思ったのだが、後方にいるはずのマシューが忙しいという。おそらく既に蒼天騎士団はエアハルトにしてやられている。人数をこちらに割く余裕はないだろう。最初から俺に何人か付けておくべきだったか。こうなればマシューに頼むしかない。たとえ時間稼ぎだけであっても。

 

「奴の狙いはナナだ。彼女をラピスだと思って死守しろ」

『了解です! うわっ! 危ない……』

 

 一体、何分保たせることができるか……

 通信を終えたところでENブレード同士の鍔迫り合いを拒否する。距離が開き、楯無は背中に浮遊しているミサイルの発射口をフルオープンした。

 ミサイルが発射される。俺はとうに逃げ出していたが、ミサイルの方が速い。射撃で撃ち落とせない俺はこういうとき、誘導ミサイルの旋回の限界を見極めて回避するのだが、このミサイルは旋回でなく一時停止から急旋回して再加速してきた。

 不気味な挙動をするこのミサイルはFMS製ではなく、倉持技研製の“山嵐”。自動制御ではFMS製に劣るため、誘導ミサイルとしては“ネビュラ”に軍配が上がるとされている。しかし山嵐だけの特色がある。

 

「BTを織り交ぜたマニュアル操作か」

 

 精度はラピスの偏向射撃に遠く及ばないものの、通常のミサイルとは避け方が変わってくる。

 撃ち落とすか、燃料が切れるまで逃げ続けるしかない。残念ながら俺の場合は後者一択となる。

 ラピスに撃ち落として欲しいところだったが、彼女の偏向射撃支援は他に向けられている。おそらくは蒼天騎士団の支援。エアハルトが相手ではこちらも頼むと無理を言えない。

 

 俺がミサイルと戯れている間でも楯無は他の攻撃をする余裕があるようだ。両脇に備えている荷電粒子砲“春雷”が俺に狙いを定めてきている。

 放たれる閃光。春雷に注意を向けていたため、一応は避けることができた。だが、俺はサベージみたいに周囲の全てを把握する目を持っていない。

 

「ぐっ――」

 

 背中に山嵐が1発命中する。ISにとって一度の被弾が致命的になることがある。今のような状況では1発当たれば他も次々と当てられてしまう。事実、白式は俺の思った通りに動かない。

 ミサイルが俺に迫る。

 

「くそっ! こんな奴に手間取ってる暇なんてないのに!」

 

 自分に不満をぶつける。

 頭の中は『早くナナの元へ行かなくては』で埋められていた。

 

 そんなときである。

 

「ダメよ。熱血もいいけど、男の子はクールさも備えてなきゃね」

 

 女の人の声がしたと同時に、全てのミサイルが俺に届くことなく爆散した。

 援軍がきた。俺はそれが誰かを考えずに探し、振り袖のISを見つける。

 

「ありがとうございます! ここは任せていいで、す……」

 

 言い方は悪いが、俺は楯無の相手をその人に押しつけようとした。しかし、言い切る前に彼女の顔を見た俺は硬直する。

 俺が固まってしまった理由は2つある。

 1つは彼女が“たっちゃんさん”であること。仮面を付けたプレイヤーなんて1人しかいなかった。

 もう1つはたっちゃんさんが俺の目の前で仮面を取り外したこと。アバターとして設定していたわけでなく、ラウラの眼帯のように着脱可能なファッションだったらしい。別に彼女が仮面を外したこと自体はどうでもいいことだ。問題は彼女の顔である。

 

「楯無が……2人……?」

 

 たっちゃんさんの仮面の下には楯無と同じ顔があった。仮面を海に投げ捨てた彼女はいたずらに成功した悪ガキのようなしたり顔を見せる。

 

「一度挨拶をすませてるけど、改めて自己紹介させてもらうわ。私は更識楯無。君たちの追っている集団昏睡事件を調査している女子高生(仮)(かっこかり)よ」

 

 彼女、更識楯無は“敵の楯無”から守るように俺の前へと移動する。無防備な背中を俺に向け、右手の扇子を広げた彼女は簡潔に一言だけ俺に伝えてきた。

 

「偽物の相手は本物に任せなさい。あなたはあなたのすべきことをするの。いいわね?」

「わかりました!」

 

 俺は即答する。突然、たっちゃんさんが本物の更識楯無だとか言われたところでピンと来ていないこともある。しかし、彼女が敵ならば今の一瞬で俺を葬ることが出来たはずだ。

 ラピスからの警告もなかった。おそらく彼女は俺よりも楯無のことを理解している。俺に言わなかったのは理由があるんだろう。落ち着いたときにでも聞けばいい。

 俺の道を開いてくれるのなら誰でも良かった。あとは、エアハルトを倒しに向かうだけ。

 楯無2人を置いて、ナナの元へと向かう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 無数の閃光が飛ぶ戦場。光る軌跡の群れは2つの軍による撃ち合いによるものではない。弾幕を形成しているのは片方のみであり、そもそも戦力比は大きく偏っている。

 数にして22対1。22機のISがただ1機のIS相手に全力で攻撃を加えている。それがこの戦場における開始時の状況だ。

 1分後。8対1となっていた。残されたプレイヤーが広範囲に攻撃をバラまいてもただ1機のISに掠らせることもできていない。

 マシューは圧倒的な実力差を感じずにいられなかった。蒼天騎士団は日本国内でも比較的上位に位置するスフィアである。アメリカ国家代表を擁する“セレスティアルクラウン”との10VS10の試合において相手を半数まで撃墜した実績がある。にもかかわらず、敵のユニオン・ファイターはただ1機のみ、たった1分で蒼天騎士団の実力者たちを半数以上沈めていた。

 

『うわあああ!』

 

 通信をつないでいたメンバーがやられる。転送されることなく下方の海へと墜落していった。

 残り7機となったことにマシューが歯噛みしている間にももう1機落とされる。まるで敵だけがISであり、マシューたちはリミテッドであるかのようだった。

 空気を突き破り、衝撃波をまき散らしながら、竜を模したISがマシューへと向かってくる。右手には大型のENブレード“リンドブルム”。その出力はヤイバの使う“雪片弐型”をも上回る。

 

「姫様! 私が受け止めます! そこへ――」

 

 マシューがラピスに通信を送るが最後まで伝えられなかった。

 彼は両手に装備していたENブレード“クレセント”で受けようとした。出力で劣っていても2振りならば問題なく止められるはずだった。

 だがエアハルトの剣戟は決して単純なものではない。

 

「すみません……名誉団長」

 

 エアハルトの剣はマシューの構えた剣を無視し、すり抜ける際に横から胴体を一閃。絶対防御のコストが大きいポイントを突いている。シールドバリア性能の低いティアーズフレームでさらにフルスキンスタイルの機体では一撃で落ちる。所持していたENブレードから光が消え、マシューは海へと落下していった。

 

 

 マシューが落とされてから全滅までも早く、空にはエアハルトしかいない。ラピスの偏向射撃だけは飛んでいるが、エアハルトには正確に斬り払われるため一撃も当てられていなかった。

 誰もいなくなった空の戦場。ただひとり残されたエアハルトは眼下のドームを見下ろす。そこには彼の目的である紅の少女がいる。

 

「あの男はまだ来ないか。ならば先に娘をいただこう」

 

 エアハルトは背中のブースターを点火し、空へと舞い上がる。大きく旋回をしている間もエアハルトの目は少女、ナナを注視する。ここまでエアハルトが攻めてきていて彼女が何もしないわけがない。ナナは両手の刀を前に突き出すと非固定浮遊部位である可変ユニットも合体して巨大なクロスボウガンが完成する。

 天に向けて放たれた紅の光が空を二分する。紅の進む先にはエアハルト。直撃コースであったが、エアハルトはリンドブルムで光線を叩き斬る。ENブレードで高出力のENブラスターを消滅させることはできないが、軌道を逸らすことくらいはできていた。

 

「あの可変装備の種類はENブラスターでしかない。ルドラの荷電粒子砲を防いだ盾。今の砲撃。あと考えられる形態はENブレード。種さえ把握すれば対処は容易だ。強力な攻撃も当たらなければ問題はない」

 

 ナナしか持っていない装備の分析。エアハルトは“技術者”として紅椿がどのような機体なのか思考する。

 

「特異な点としては出力が高すぎる点が挙げられる。普通のISならば今の攻撃の後ではサプライエネルギーが不足してまともに飛べず墜落することだろう。現状の開発技術では再現が不可能な機体性能。なるほど。それがあの娘の力か」

 

 ワンオフ・アビリティ“絢爛舞踏”の存在にまで行き着いた。シャルロットでさえ攻略が困難としていたナナの機体スペックを把握したエアハルト。彼の感想はただ一言のみ。

 

「問題はない」

 

 己の実力による慢心などではなく、事実として口に出していた。

 急降下を始める。エアハルトの行動に反応した“プレイヤーではないIS”たちがエアハルトに立ち向かってくる。どれもエアハルトが警戒するような相手ではない。ただ飛び込んで斬り捨てていくだけ。

 1機、また1機と散っていく。エアハルトにとって彼らの生死などどうでもよく、戦闘不能にだけして目的へと接近する。

 

「貴様ーっ!」

 

 ここで状況がエアハルトにとって都合のよい方向に傾く。

 ナナが痺れを切らして飛び出したのだ。

 彼女の右手の刀から8本のビームが放たれるも、エアハルトは速度を落とさずに間をすり抜ける。

 接近戦の間合い。ナナの二刀とエアハルトの大剣が交差する。

 

「う……あ」

 

 リンドブルムは止まらなかった。ナナの右手の刀“雨月”の刀身を折り、そのまま右腕の装甲と右の翼を抉りとる。

 エアハルトはリンドブルムの刃を消し、慣性航行をPICの再起動で無効化。次の加速のため再び高空へ上がろうとブースターを噴かす。

 

 高速が取り柄の機体が静止した一瞬。エアハルトは自分を狩るハンターの存在に気がついた。守るために立ちはだかっていたISとは違う、エアハルトを落とすための存在だ。ドームの頂上。AICスナイパーキャノン“撃鉄”を構える狙撃手がそこにいる。

 同じタイミングでエアハルトを取り囲んでいた蒼の閃光の群も殺到する。

 BTの偏向射撃に対してはリンドブルムを使う必要がある。本体機動のみでの回避は困難。

 AICキャノンはリンドブルムでは消滅させられない。避ける必要がある。

 ナナを囮とした長距離狙撃による罠はリンドブルムとスラスターとPICを3つ同時に使えないというエアハルトの弱点を突いていた。

 

「大した人材を集めてくれたものだ。やはりあの男は……」

 

 エアハルトの機体“ドラグーンヴェイル”には1基の大型ブースターと6基の小型ブースターが付けられている。小型のうち2基にエネルギーを送り込んだ直後で切り離し(パージ)。他のブースターは停止させてリンドブルムに刃を出現させる。

 蒼の光が殺到する。これすらもエアハルトにENブレードを使わせるための囮。足を止めさせるための布石だった。エアハルトは理解した上でENブレードを振り回す。その場で乱回転して蒼いビームの全てを薙ぎ払った。

 エアハルトは直ちにリンドブルムの刃を消す。その場から飛び退く用意だ。罠を仕掛けた者の計算ではエアハルトの離脱は間に合わない。それはエアハルトの簡単な試算でも同様である。

 だが完璧なタイミングで弾が届かなければ意味がない。

 AICキャノンの砲弾はエアハルトが切り離した小型ブースターに命中。貫通はしたものの軌道が大きく逸れたため、命中することはなかった。

 絶体絶命に陥るはずの罠をも蹂躙してみせ、エアハルトは空へと舞い戻る。狙いは半壊した紅椿を纏ったナナ。

 

「いくら秀でていようと人間の範疇。我々人類を超越した者たち(アドヴァンスド)には及ばない」

 

 無慈悲な竜の牙がナナへと迫る。

 ナナの機体は右半身が大破しており、まともな迎撃はおろか逃走も不可能。

 上空からの初期加速を終えたエアハルトはPICを一時的に解除し、ブースターの推力と自由落下によってナナに迫る。

 存在がバレている狙撃手やBT偏向射撃ではエアハルトを捉えられず、身を呈したところで壁にもならない。エアハルトを止める者はなく、攻撃の最終工程であるブースターの停止が行われた。あとは慣性で飛んでいき、リンドブルムで斬り払うのみ。悪足掻きといえる偏向射撃が撃たれたが、リンドブルムによって全て薙ぎ払われた。

 ナナは強く目を閉じた。顎を引き体を震わせる。敗北の現実を受け入れられていない。怯える少女を目にしてもエアハルトの心は揺るがない。これで終わりだ、とリンドブルムが振り上げられる。

 躊躇いなどなかった。両機体の接触に合わせてエアハルトは大剣を振るう。

 

 いや。エアハルトのタイミングは若干早かった。それはナナをターゲットにした攻撃ではないことを意味する。

 

「エアハルトォ!」

 

 ギリギリのタイミングでヤイバが駆けつけた。これ以降にチャンスは存在しない。エアハルトのリンドブルムとヤイバの雪片弐型が互いを消してやろうとせめぎ合う。

 

「遅かったな。私は貴様を待っていた」

「だったら俺と正面から勝負しろ!」

「思い違いも甚だしい。私は貴様に勝ちたいのではない。徹底的に打ちのめす必要があるだけだ」

「違いがわかんねえよ!」

 

 再びぶつかる2人。合わせた剣を同時に引き、距離を置く。

 エアハルトは空へと舞い戻る。

 ヤイバはナナを守るようにして彼女の前に立つ。

 右手には雪片弐型。左手にはインターセプター。

 圧倒的な力を持つ竜に蒼き翼の勇者が立ち向かう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 シャルルと別れたラウラはルドラの後方に控えている黒い戦艦へと向かっていた。ベルグフォルクではなく、黒いISの集団が守る戦艦にラウラは俯きながら近づいていく。迎撃は一切行われなかった。

 甲板に着陸し、ISを解除して戦艦の内部へと進入する。手探りで進むわけではなく、確信を持って彼女は戦艦内の通路を歩む。

 辿りついた先には閉じられた自動ドア。ラウラは慣れた所作でロックを解除する。扉が開いた瞬間には暗かった顔を引き締めなおしていた。

 

「クラリッサ! これはどういうことだ!」

 

 入った先は戦艦のブリッジに当たる場所。ラウラの所属する部隊、シュヴァルツェ・ハーゼが所有する最新型マザーアース“シュヴァルツェア・ゲビルゲ”の操作を担当する者たちが集まっている部屋だ。

 6人の操縦士の他に中央の椅子には副隊長のクラリッサ・ハルフォーフが居るはずだった。ラウラ以外にゲビルゲを出撃させるような人物は副隊長以外にあり得ないと思いこんでいたからである。

 だがクラリッサは指揮官席の脇に立っていた。7人居るはずのブリッジにはラウラの他に8人目が存在している。しかも男だ。

 ラウラはブリッジの入り口で立ち尽くす。シュバルツェ・ハーゼは女性のみで編成された部隊であり、本来ならば男がいるはずがない。しかし、1人だけ可能性はあった。

 

「どういうことか、だと? それは私の台詞だとは思わんかね? ボーデヴィッヒ少佐」

 

 椅子から立ち上がった男はISを展開していなく、アバターの軍服を着た状態である。一般男性の平均よりも背が高いのはISVSのアバターだからなどではなく現実と同じだとラウラは知っている。年齢は50を過ぎているが服の上からでも鍛えられた筋肉が衰えていないことがわかるほどの肉体。軍帽を被った偉丈夫の名前は、

 

「バルツェル准将……」

 

 ブルーノ・バルツェル。シュヴァルツェ・ハーゼを設立した総責任者であり、ドイツ軍内部のIS推進派の中心人物。ラウラをシュヴァルツェ・ハーゼに入隊させた張本人でもある。

 強面の上官を前にして萎縮するラウラ。

 バルツェルは彼女に問う。内容は先ほどの彼女と同じ。

 

「では改めて聞こう、少佐。君の現状について説明したまえ」

「はっ!」

 

 形だけでも模範的な敬礼をする。だが彼女の胸の内は模範的な兵士のものとはとても呼べるものではない。

 軸がブレている。何が正しいのかを全て他人任せにしてきたつもりなどなかったラウラだったが、過去に決断を迫られたときは全て軍の意向に従うことばかりだった。それはラウラが上官であるバルツェルを信頼していたからだと言えよう。

 

「ご存じの通り、私は休暇中の身で日本に滞在中です。日本で知り合った少年とともにISVSのミッションを受けました」

 

 ここまではいい。問題は今のシュヴァルツェ・ハーゼの立場だ。

 

「知らぬこととはいえ、本国と敵対する勢力に力を貸してしまいました。申し訳ありません」

 

 説明されずともラウラは理解している。

 ラウラが休暇を取っている間にシュヴァルツェ・ハーゼはミューレイの依頼を受けている。留守を任せたクラリッサが勝手に受けたものではなく、本国からの要請であることもバルツェルが同席していることから察していた。

 ドイツはミューレイに味方する立場を取る。そうなれば、ラウラがどう思っていようとシュヴァルツェ・ハーゼはヤイバの敵となる。ラウラは国を裏切っても行くアテがない。シュヴァルツェ・ハーゼは彼女にとって帰るべき場所だった。

 

「こちらの状況は把握したようだな。では、ゲビルゲと敵対する立場を取らず、ゲビルゲにまでやってきたのはミューレイ側に寝返るためというわけか?」

 

 バルツェルは言いにくいことをハッキリと言ってくる。ラウラは強く歯噛みした後で静かに答える。

 

「……その通りです」

「なるほど。少佐は休暇中に出会った男とゲームに興じていただけであり、その男には我々を裏切ってまで味方するだけの価値がないというわけだな?」

「はい……ヤイバは――」

 

 軍の決定に敵対する意志はない。バルツェルにそう告げるにはヤイバのことを否定しなければならなかった。

 ラウラから見てヤイバは一般人のカテゴリに入っていない。初対面からずっと本能といえる直感が彼のことを特別な人間だと訴えている。直接会って話をして、彼と居ればラウラの過去を知ることにつながるとも思えた。

 何よりヤイバには戦わねばならない理由があることをラウラは知っていた。

 

「ヤイバが? その男がどうしたのだ? 早く言いなさい」

 

 すぐに答えられないラウラは回答を急かされる。

 

「では、復唱したまえ。『ヤイバはISVSをゲームとして遊んでいるだけの一般人であり、軍の決定に逆らってまで彼の味方をするだけの価値がありません』とな。さあ」

 

 バルツェルによって回答のレールが敷かれた。ラウラが少佐となり、シュヴァルツェ・ハーゼの隊長となっているのもバルツェルの敷くレールの上を走ってきたからだ。今回も従えばいいという誘惑がラウラを襲う。

 ここでラウラは思い至った。この場でヤイバたちと敵対する。それはつまり、このまま彼らと戦闘するということになる。

 一番近いのはルドラに攻撃をしているシャルル。上官と部下という関係でない初めての友達。ラウラはそれを友達と呼ぶことすら知らないが、彼女と敵対すると思うと胸が締め付けられるようだった。

 ただ対戦するだけではない。つい先ほどまで背中を預けていた相手を騙し討ちするも同然のことで、その行為は彼女との決別が決定的なものとなる。そんな気がした。だから、

 

「嫌だっ!」

 

 ラウラは口答えをした。軍人としてでなく、友達を持った1人の少女として。

 バルツェルは整えられている顎鬚(あごひげ)を右手でさする。口元には笑みが浮かんでいた。

 

「私に逆らうのか、ボーデヴィッヒ。本国からの正式な要請によりシュヴァルツェ・ハーゼはミューレイ社を支援する必要がある」

「私は……裏切りたくない。シュヴァルツェ・ハーゼも、ヤイバたちのどちらとも」

「裏切るなどと重く考えすぎだ。たかがゲームで何を熱くなる必要がある? 休暇中でできたお友達と今戦ったところでただの対戦であり、実戦で殺し合うわけではない。命令に背く価値などないだろう?」

「違うっ! たしかにISVSはゲームだ。だがしかしっ! ゲームに紛れて悪事を働いている輩がいる!」

「それがミューレイだということか?」

「……そう確信しています。そして、ヤイバたちは奴らと戦っている戦士なのです。彼らにとって、ここは負ければ死が待っている戦場であります」

 

 勢いもあってラウラは己の真実を全て曝け出した。次第に冷静さを取り戻し始めていたが、もう撤回する気はない。目を強く閉じてバルツェルの返答を待つのみ。

 バルツェルはというと終始笑みを絶やさなかった。指揮官用の席に戻るのではなくブリッジの入り口の方へと歩いていき、ラウラの前に立つ。

 

「言い忘れていたが、今の私はラウラと同じ休暇中の身で、ゲームをするついでに職場の人間にちょっかいをかけに来た鬱陶しいだけのおっさんでしかない。たまたま同じくゲームをしていただけの休暇中の部下に会う可能性があったかもしれないが、そうだと気づかないことなど良くあることだ」

「准将……?」

「私は最初に『どういうことだ?』と問うた。それは、命令も無しに何故戻ってきたのか、という意味だったのだ」

 

 ラウラの頭が優しく撫でられる。ゴツゴツとしていて、それでいて柔らかい。ラウラの胸のわだかまりがストンと落ちたような気がした。

 

「ハルフォーフ大尉。いや、クラリッサくん。任務中におじさんの相手をさせて悪かった。指揮を執りたまえ」

 

 バルツェルがクラリッサに明確に指揮権を譲った。クラリッサは短く敬礼を返して、クルーに告げる。

 

「プランBに移行する。ラヴィーネ起動。照準、ドーム型レガシー」

 

 戦艦型マザーアース“シュヴァルツェア・ゲビルゲ”が動き出す。現在位置から移動はせず、艦中心に据えられた巨大な砲身の角度を調整する。

 IS10機分のコアにより発射されるゲビルゲの主砲の名はAICキャノン“ラヴィーネ”。その破壊力はルドラの大型荷電粒子砲に引けを取らない。

 今、ゲビルゲとツムギ、そしてルドラが一直線に並んでいた。

 砲撃管制の隊員が報告する。

 

「射線上に友軍のME(エムイー)(マザーアース)があります」

「こちらの射線にいる方が悪い。構わず撃て。始末書は准将が書いてくださる」

「りょーかいしましたー!」

 

 口ではツムギを狙うと言っているが、照準はルドラの中心部を狙っている。

 ブリッジの空気の変化にラウラはついていけていない。

 

「どういうことだ……?」

「説明はしない。私がラウラの上官として命令することがあるとすれば、君は君の休暇を楽しんできなさい、ということだけだ」

 

 バルツェルはラウラの両肩を掴むと強引に入り口の方を向かせ、軽く背中を押す。

 ラウラは目を閉じる。背中に触れる手の温かさは『お前の大切なものは全てお前と共にある』と言ってくれている気がした。

 もう迷いはない。

 

「行ってきます」

「いってらっしゃい、ラウラ」

 

 

 ラウラはブリッジから飛び出すと来た道を駆け戻り、戦場の空へと帰って行く。その様子をブリッジからバルツェルとクラリッサは見守っていた。

 

「ご自分が休暇中だと隊長相手にしか通じない嘘をついたばかりか、隊長の言葉だけで本国の決定に逆らうだなどと現実主義者なはずの貴方らしくない判断ですね、准将」

「ミューレイの件に関しては私を含めた軍上層部の意見などアテにならんよ。あの子の直感の方がよほど指針となる」

 

 クラリッサは笑う。

 

「親馬鹿を発揮されただけでしょう?」

「断固として否定する。私はラウラの判断が国益にかなうものとしてだな――」

「彼女はボーデヴィッヒ少佐です、バルツェル准将。お間違えなく」

「ぐぬ……」

 

 ラウラと呼んでしまっていることを指摘されてバルツェルは言い返せなくなる。独身を貫いてきていた堅物軍人でも、養子として迎えた子供は可愛い存在ということだった。

 

「ええい! とにかくだ! 私も少佐もこの場には居なかったということにしておけ! いいなっ!」

「はっ! 全隊員に徹底させます!」

 

 ムキになっての恫喝もただの照れ隠しにしか見えず、クラリッサを含めた全ての隊員は笑いを堪えられなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ルドラから見て左の空ではオレンジ色のISと水色の機体が戦闘を続けていた。遭遇してからずっと様子見の射撃を繰り返していたシャルルであるが明確な突破口はまだイメージできていない。ミッションの撃破対象であるルドラを見れば主砲に光が集まりつつある。

 発射まで時間がない。焦りが隠せなかった。

 敵はシャルルに近寄らず、水で形成した十数発の槍を射出する。倒すためでなく時間を稼ぐための牽制だ。シャルルは両手のショットガンで槍を撃ち落とす。やはり追撃は何もない。

 敵の意図は読める。ルドラさえ健在であれば一方的に攻撃を加えられる。シャルルたちが勝利するにはルドラを撃墜する以外にありえない。シャルルから攻めざるを得ない状況だった。アクア・クリスタルを使った罠を使えるのならば相手に攻めてきてもらう方が都合がよい。

 誘っているのは明らか。ルドラに攻撃を加えられる位置にいるのはシャルルだけ。罠があるとわかっていても行くしかない。

 

 装備を入れ替える。右手にはレイン・オブ・サタデイ(ショットガン)。左手にはヴェント(アサルトライフル)。非固定浮遊部位にはミルキーウェイを選択。上空へとミサイルを射出してシャルルは前に出る。

 攻めに転じたシャルル。対する敵もなぜか打って出てきた。ランスを正面に構えて突撃してくる。

 シャルルの想定から若干外れているが修正は容易。左手の装備をブレイドスライサーに持ち替える。変化した状況に即時対応することこそがシャルルの武器。ランスを横から叩いて軌道を逸らし、ショットガンを至近距離でぶっ放す。全弾が顔面にクリーンヒットしていた。

 攻撃が命中した。だというのにシャルルの顔は浮かない。直後、鬼気迫る表情に豹変して飛び退く。

 敵の顔は人の顔の原型をとどめていなかった。下手な粘土細工のように歪んでいるそれは表面だけ取り繕った水である。シャルルが離れると同時に水で出来た人形が爆発する。

 いつ入れ替わったのかは不明だが、アクア・クリスタルで構成した分身であった。

 敵本体を探すと水の分身が持っていたランスを海の上で回収している。目的の1つを達成したシャルルは通信をつなぐ。

 

「ちょこっとだけルドラから引き離せたけどどう?」

『星霜真理には映りませんわ。お気をつけて。それはIllです』

 

 ラピスから情報を得る。知りたかった情報は相手の正体。ルドラの近くでは他のISコアに紛れて確定はできなかったが、少しでも離せば確信にまで至れる。

 

「気をつけて、か。パパには『お前は何もするな』としか言われないから新鮮だなぁ」

 

 通信は切り、独り言を漏らす。

 ここで先ほど撃ったミルキーウェイが落ちてくるが槍のIllは散布していたアクア・クリスタルを爆発させることで誘爆させて迎撃する。

 

「小細工は通じそうにないか。だからといって足を止める気はないけどさ。僕にはアレを倒さなきゃいけない理由があるんだから」

 

 ルドラの第2射までの残り時間はわずか。だがシャルルの顔から焦りの色は消えている。それは目標が切り替わったからに他ならない。

 

「Illは全て排除する。僕だってパパが頼りにするような“ツムギ”になれるんだ!」

 

 ヤイバに語ったデュノア社の宣伝はついでのこと。シャルルの真の目的はIllを倒すことにこそある。

 背中にイグニッションブースターを展開。ブレードスライサー2本は非固定浮遊部位に設定。ショットガンとアサルトライフルを両手にそれぞれ持って準備完了。突撃する。

 敵の行動は先ほどと同じ。ランスを構えての突進だった。今度は接近戦で対処するつもりはなく、両手の銃を片づけてスナイパーライフルを構えたシャルルは早撃ちを披露する。銃弾は首を貫通した。やはり水の分身。

 銃で撃ち抜いたからといって爆破を誘発することはできない。スナイパーライフルをしまい、右手にアサルトライフルを呼び出す。空いた左手には非固定浮遊部位として使うはずのミルキーウェイのランチャー。

 

「ハンドグレネードを持ってくるべきだったね」

 

 ミサイルを発射管ごと投擲する。タイミングを見計らい、自分のライフルで撃ち抜いた。直進してきた水の分身はミサイルの爆発をもろに受けて四散する。

 水の分身は消した。シャルルは透かさずイグニッションブーストを使用する。方向は前方、水分身がいた位置。

 敵はまたランスを取りに来ていた。弱いプレイヤーであってもここまでの間抜けはいない。戸惑いすら覚えた状態でシャルルは接近戦を仕掛ける。

 敵の周囲に水の槍が形成されて放たれる。シャルルは拡張領域から装甲板を呼び出し、フリスビーのように投げて迎撃する。攻撃は相殺され、格闘の間合いに到達する。

 ランスによる迎撃がくる。これが敵の最後の足掻き。アクア・クリスタルも水分身2体分使用していては残量もほとんどないと踏んでいた。

 ランスは浮かせているブレード2本で受け止める。本体に固定していない装備であるため、シャルルはまだ前に進むことができる。フリーの左手にはグレースケール(シールドピアース)が仕込んである。あとは押しつけてトリガーを引けば終わり。

 水分身ではない手応えはある。炸裂音と共にシャルルの左手から敵の胸に杭が打ち込まれた。

 

「おかしい……」

 

 いつもどおりの強引な接近戦に持ち込んでシールドピアースで勝利をもぎ取った。まだ倒せていなくともグレースケールの連射性ならば逃がす前にとどめをさせる。そのはずである。しかしシャルルは喜ぶ気になれない。

 敵の顔を見る。ヤイバとともに遭遇した“楯無”と同じ顔。敗北を前にしているIllが少しも恐怖に歪んでいない。

 嫌な予感がする。

 シャルルが罠だと思うのは至極当然のことである。とどめを刺さずに距離を離す。

 その判断は正しかった。

 

「アッハッハッハ! いいよー、いいよいいよー、人間! シビルたちのことを知らないと怯えてくれないからさー、つまんなかったんだ。何も知らない人間を勝手に食べるのは禁止されてるしねー」

 

 敵の髪が銀色に染まる。瞼を一度閉じ、次に開かれたときには金の瞳となっていた。いや、瞳の色など些細な問題だった。白であるはずの眼球が黒に染まっている。武器として使っていたランスを投げ捨て、蛇腹剣が呼び出される。背中には4本の巨大なBTソード。消耗していたはずのアクア・クリスタルも戦闘開始時の倍以上存在している。

 転身装束を使う前のシャルルと同じだ。敵はまだ本気を出していなかった。

 

「シビルはねー、イリシットって言うんだよ。お兄さんは?」

 

 遺伝子強化素体の少女は唐突に名乗る。シャルルはそれが敵の名前だと理解するまで時間を要していた。

 痺れを切らしたシビルは頬を膨らませる。

 

「ぶぅ! 喋んないのもつまんなーい!」

 

 蛇腹剣を何もないところで振る。まるで猛獣使いが使う鞭のよう。蛇腹剣が鞭ならば、3mを越えるサイズのBTソードは猛獣である。鞭に呼応してBTソード4本がシャルルに狙いを定めた。

 

「ま、いっか! 顔は出てるから、それで楽しめるもん!」

 

 BTソードが迫る。

 シャルルが黙り込んでいたのは豹変した敵のペースについていけていなかったこともあるが、見た目からわかる敵の戦闘能力を計っていたからという点が大きい。

 シビルのBTソードは本数だけで見ればアーヴィンの半分しかない。問題となるのはやはりサイズか。単純に攻撃範囲と威力が増す。

 シャルルは手堅くENライフルで破壊を狙う。大きくても弱点は同じのはず。

 だが、ENライフルの攻撃はBTソードの表面で弾かれた。当たった箇所からBTソード全体に波紋が広がる。

 

「アクア・クリスタルのコーティング!?」

「そだよ」

 

 シビルが引き裂けそうなくらいに口を横に広げて笑む。

 アクア・クリスタルは本来は脆い装備である。しかし、高密度に集積させることでEN属性攻撃と同様の特性を発現させることができる。シビルのBTソードは表面を高密度のアクア・クリスタルが覆っていてEN武器に対する耐性を獲得している。

 破壊に失敗したシャルルはBTソードをインターセプターで弾こうとする。しかし、インターセプターの出力ではBTソードを抑えられず、軌道を変えることすらできなかった。急上昇して回避するも間に合わない。

 BTソードが右足に直撃する。装甲は粉砕され、ストックエネルギーも約10%減少した。続く右上、左、真下からの同時攻撃も避けられない。

 

「きゃあああ!」

「いい顔! それが見たかったんだー! 女の子みたいな悲鳴でおっかしー!」

 

 全身の装甲がボロボロにされ、ストックエネルギーも半分を切った。

 シャルルの持ち味である対応力も追いついていない。様々な状況に対応するシャルルの万能さは言い方を変えれば器用貧乏。突出したものがないために、定石が通じないほどの高性能な相手には一芸のみで完封される可能性が十分にある。

 夕暮れの風に敗北の文字はない。ISVSを始めてからずっと無敗記録を更新し続けている。まだランカーとの戦闘は経験していないが、負けるとは微塵も思っていなかった。その自信こそがシャルルをIll討伐に駆り立てていた。

 

「僕が……負ける?」

 

 今できることを頭の中でリスト化してシミュレートする。デフォルトフォルダの中には手立てがない。フォルダAは壊滅状態でフォルダBは限定空間用(クアッド・ファランクス)であるから役立たず。残ったフォルダCは防御特化(ガーデン・カーテン)であり、1対1の戦闘を想定していない。

 戦闘前準備の段階でシャルルはシビルに敗北していた。

 

「人間が遺伝子強化素体(シビルたち)に勝てるわけがないんだよーだ!」

 

 シビルがとどめのBTソードの切っ先をシャルルに向ける。

 慢心さえ感じられる表情のシビル。だがシャルルには反撃の術が思い当たらない。このまま攻撃されて終わり。それもただ負けるだけではなく、被害者の仲間入りを指す。

 ――もう無理だ。

 だが、シャルルは大切なことを忘れていた。

 

「その人間に造られたくせに何をほざくか。貴様は人間の底力も知らぬ子供なのだな」

 

 ひとりじゃない。まだ短い付き合いでも、共に戦っている仲間はいる。

 

「ラウラっ!」

「遅くなってすまない。前衛を代わろう」

 

 ラウラが帰ってきた。シャルルとラウラの位置が入れ替わり、シビルのBTソードはラウラに殺到する。既にラウラの眼帯は外れていた。

 

「停止結界っ!」

 

 四方からの同時攻撃。だがラウラにはそれらが全て見えている。固有領域外周の4つの点に接触するBTソードに向けてピンポイントでAICを適用する。

 アクア・クリスタルを纏っている攻撃に対して防御AICでは威力を減らせない。だがBTソード本体は実体を伴う。本体を静止させてしまえば剣である以上攻撃として成立しなくなる。ラウラならば止めることが出来た。

 

「その左目……仲間?」

「誰のことを言っている? 私は正真正銘、貴様たちの敵だ」

 

 ブリッツを放つ。まともに当たるなどとは誰も思っていない。

 シビルは蛇腹剣でブリッツの砲弾を簡単そうに斬り捨てる。だが行動とは裏腹に彼女の表情は冷めていた。

 

「意味わかんない。シビルたちが生きてくには博士が創る世界が必要なのに、どうして貴女は邪魔するの?」

「博士とやらなど知らん。私が生きていく上で必要なものはシュヴァルツェ・ハーゼとシャルルたちだけだ」

「あ、そっかー。貴女は仲間なんかじゃなくて出来損ないなんだー」

 

 出来損ない。そう言われたラウラの顔が歪むのをシャルルは見逃さなかった。

 それも一瞬のこと。ラウラは平静を装ってシビルに告げる。

 

「理解が遅いようだな。貴様らの仲間ではないという私の言葉に対してもそうだが、状況の把握も遅い」

「何のことー?」

「もうこの戦いは私たちの勝利だということだ」

 

 唐突なラウラの勝利宣言。

 シャルルも疑問に思ったが答えは結果によって示されることとなる。

 ルドラの主砲エネルギー充填率が100%になる直前、ルドラ後方の黒い戦艦(ゲビルゲ)が動き出した。巨大AICキャノン“ラヴィーネ”の砲口がルドラへと向けられる。

 

「あの黒いマザーアースはラウラの――」

「ああ。自慢の仲間たちだ」

 

 ラヴィーネが発射される。ルドラやアカルギの主砲とは違い、発射音がほとんどしない静かな砲撃であった。銃弾の飛び交う戦場においては最早無音に等しい。だが戦果は派手なものとなる。

 ゲビルゲから放たれた砲弾を遮るものは何もなく、ルドラの真後ろから中心部を正確に捉えていた。ユニオンスタイル・アーマータイプと同等の装甲で固められた外装を易々と貫き、ルドラの主砲“ヴァジュラ”をも貫いていく。ヴァジュラの口から飛び出してきたのは荷電粒子砲によるビームなどではなくAICキャノンの砲弾であった。風穴を開けられたヴァジュラは内部にため込んだエネルギーが暴走して自爆する。

 

「ラウラだ。敵マザーアース“ルドラ”の無力化を完了した。ゲビルゲは『誤射したことにより指揮が混乱している』という設定でこれ以上戦闘に介入しない」

 

 ラウラが通信をつないでいる相手はラピス以外にない。

 シャルルはシビルを倒すことに集中しすぎていて忘れていた。今はルドラを止めることこそが重要であった。にもかかわらず自らの目的を優先し、勝手に追いつめられた。

 しかしラウラは本来の目標を達成しつつ失敗したシャルルをも救って見せた。

 

「ラウラってすごいね」

「買い被りすぎだ。私はまだまだ小娘の域を出ない。それに――」

 

 ラウラは謙遜しつつも戦闘が完全に終わっていないことを理解している。正面に残る敵を指さした。

 

「そこのIllには教えてもらわねばならんことが山ほどある。私を褒めるのは奴を捕らえてからにしておけ」

 

 戦闘態勢に入るラウラ。しかし、シビルは乗り気でない様子である。蛇腹剣とBTソードを全て回収するとつまらなさそうにそっぽを向いた。

 

「ちぇっ。やられてもいいとは言われたけど本当にやられると腹が立つ」

「やられてもいい? どういうことだ?」

 

 シビルの負け惜しみにラウラが反応する。質問をしたのは高い確率で答えてくれるだろうと判断してのことか。実際にシビルは気前よく答えた。

 

「博士が言ってた。“るどら”は囮だから時間さえ稼げばいいってさー」

「ルドラが囮? ならばどうやってツムギを攻略する気だ?」

「知ーらないっ」

 

 シビルは答えない。ラウラもしつこく食い下がるつもりはないようだった。

 

「シビルの役目は終わりだから帰る。じゃーねー」

 

 言うだけ言ったシビルは北東の空へと飛び去っていった。シャルルもラウラも追撃には移らない。2人とも敵が退くのならば戦闘を継続するべきではないと判断してのことだった。

 シビル・イリシット。ラピスの調査に出てきていた水を纏う槍使い。

 シャルルにとって初めてのIllとの遭遇は苦い結果となった。今までのISVSとは別次元だということを理解させられた。同時に昔のシャルルにはなかった力を知ることにもなった。

 

「どうした、シャルロット? 私の顔に何かついているのか?」

「なんでもないよ。ただ見てただけ」

 

 隣にいる友達はとても頼もしい存在だということにようやく気がついたのだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバが去った後、カティーナ・サラスキーこと更識楯無は自らと同じ顔をした相手と対峙している。偽物は本物に任せろと言ってはいたが楯無は自分から積極的に仕掛けようとはしていなかった。

 偽楯無はなぜか動かない。ヤイバを攻めて立てていた時と打って変わって微動だもしない。表情も目を見張ったまま固まってしまっている。

 

「あら? ここに私がいるのってそんなにおかしいかしら?」

 

 偽物が本物と遭遇したときの模範的な反応など楯無は知らない。いたずらのバレた子供と同じかと思いこんでいたが、偽楯無の反応は想定外だった。

 明らかに隙だらけ。既に偽楯無の周囲は水蒸気を模したアクア・クリスタルで覆っている。あとはピンポイントで凝縮すれば攻撃に転じることができる。

 仕止めるための万端な準備だけして楯無は偽楯無の観察を続ける。自分を嵌めようとしていた敵に楯無なりの仕返しをしてやろうと思っていた。

 そんな彼女の思惑は偽楯無のたった一言で打ち砕かれる。

 

「お姉ちゃん……?」

 

 楯無の顔から笑みが消える。今の楯無は仮面もしていなく、アバターの顔は現実と同じ。つまりは楯無本人のものだ。偽楯無は自分の顔を鏡に映したような楯無を見て“お姉ちゃん”だなどと呼ぶ。

 楯無の妹はたったひとりしか存在していないというのに。

 

「簪……ちゃん……?」

「私を知ってる……やっぱりお姉ちゃんなんだね」

 

 更識簪は布仏本音が昏睡状態となった後からずっと塞ぎ込んでいる。そう報告を受けていた。事実、彼女は学校に顔を出さず、家にも帰っていない。彼女が籠もった場所は倉持技研。

 

「どういうことなの? 倉持技研が何かしてるの?」

 

 楯無が知っている限り、倉持技研の動きは倉持彩華が織斑一夏を支援していることくらいだった。織斑一夏がIllの敵であることは間違いなく、彼に協力している倉持技研もシロであるはず。

 偽楯無の存在は把握していた。しかしその正体が実の妹だとは微塵も思っていなかった。混乱した楯無に簪が告げる言葉はさらに追い打ちをかけるものとなる。

 

「どうして、お姉ちゃんがアイツと一緒にいるのっ!? アイツは本音を奪っていった化け物なのにィ!」

 

 楯無は自分と同じ顔をした妹に睨みつけられる。楯無の質問に答えるつもりなどなく、彼女は楯無をも敵として認識した。右手の刀の切っ先を楯無に向けてくる。

 

「落ち着いて、簪ちゃん! 私はただ本音ちゃんを取り戻すのに必死で――」

「そんなはずないっ! お姉ちゃんは更識の当主! 本音ひとりを助けるために動く暇なんてない!」

 

 簪の強い主張を楯無は初めて受けていた。自分の知る妹とかけ離れていたことに戸惑いを覚え、彼女の言ったことは否定できないくらいに的を射ている。

 言い返せず黙ってしまう楯無に簪が畳みかける。

 

「だから私が本音を助けるっ! いくらお姉ちゃんでも、邪魔をするなら排除する!」

 

 山嵐の発射口が開く。合計48発の誘導ミサイルが楯無に向かってきた。

 楯無の仕掛けた水の罠を使えば発射した瞬間のミサイルを誘爆させることは簡単だった。だが楯無は簪への攻撃となる罠を起動できなかった。

 ミサイルが簪から十分に離れたところでアクア・クリスタルを起爆する。ミサイルを全て破壊する。

 まだ簪が敵であるのならば楯無は非情になれた。だが簪は『本音を助ける』ことが目的であると明言している。目的は変わらない。何も争う理由がないのだ。

 

「聞いて! 私は敵じゃない!」

 

 最近の楯無は同じことを繰り返し言っている気がしていた。自分の与り知らぬところで自分への敵意が育っている。更識の当主となった以上ありえることではあったが、これほどまでにあからさまな形となってくるとは思っていなかった。

 簪の返答は彼とほぼ同じ。

 

「そう言われてもわかんないっ!」

 

 楯無が更識の当主になると決まってからというもの、姉妹だけで過ごす時間は減っていた。楯無は祖父から出される課題をこなす毎日で、簪はISの技術者を目指すと言って倉持技研の門を叩いた。お互いのことは布仏姉妹を通じて知ることが多くなっていた。そこに姉妹の信頼関係などあるのであろうか。

 簪が春雷を放つ。これまた発射口を潰せたにもかかわらず楯無は手出しできなかった。大きく後退しながら回避する。

 

「ひとつだけ教えて! 簪ちゃんが見た化け物は本当に一夏くんだったの?」

「イチカ……? それがアレの名前……」

 

 明確な返答でなくとも簪が一夏に執着しているのは手に取るようにわかってしまう。

 午前中の試合を見て、楯無は一夏の人となりを知った。簪の言う化け物とは全く結びつかない。どこかで誤解があるに決まっていた。

 

「答えて、簪ちゃん!」

「私は……イチカを倒さないといけない……じゃないと、本音が帰ってこない……」

 

 聞く耳持たず。簪は呪文のように自らの目的を呟くだけ。

 もう実力行使するしかないのかと楯無が諦めかけたときだった。簪の様子がまた変化する。

 

「時間……切れ?」

 

 簪はあっさりと刀を引き下げる。もう楯無と戦闘する意志はないようだった。彼女は戦場から離れようと飛び立つ。

 戦闘は回避できた。だが何も解決していない。楯無は叫ぶ。

 

「待って! 私の話を聞いて!」

 

 最後に一度だけ簪は振り返った。楯無を姉ではなく敵として冷たい目で睨む。

 楯無は簪が去った後、その場で立ち尽くす。追いかけることもできなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 エアハルトが高空へと舞い上がる。俺が駆けつけてから3度目のことで俺は追撃に移れない。単純な速度の差も理由であるが、俺は遠くに離れるわけにはいかなかった。

 背後に意識を移す。ISは直接顔を向けなくても真後ろの様子を知ることができるのを利用した。俺の後ろには機体の右側が無惨に破壊されたナナがいる。

 

(やはりナナさんが気になるようですわね)

 

 頭の中でラピスの声がする。これはイルミナントとの戦いで経験しているクロッシング・アクセス状態だからできることだ。意図的にこの状態を作り出すことは俺にはできない。今こうしてあのときの再現が出来ているのは偶然の産物だった。

 本来、クロッシング・アクセスは互いの意識を共有して高度な連携が可能となるくらいのメリットしかない。しかし、俺たちのクロッシング・アクセスは装備とエネルギーをも共有し、より大きな戦闘能力を得ることができる。それが俺だけの力だとラピスは言う。

 

 俺だけの力。つまりはワンオフ・アビリティ。

 ひとりだけでは何も意味がない能力だ。

 名を“共鳴無極(きょうめいむきょく)”という。

 

 ナナが気になるかという問いに俺は答える。

 

(当たり前だ。相手がエアハルトとはいえ、あのナナがここまで一方的にやられるなんておかしいだろ)

(ハァ……それだけじゃないでしょう?)

 

 ラピスに呆れられている。何故だろうと考えたとき、不意に彼女の意図を感じ取った。

 俺がナナを特別な女性として見ている……?

 

(そ、そんなはずないだろ!?)

(そういうことにしておきますわ。間もなくエアハルトは旋回を終え、こちらに向かってきます。ご準備を)

(わかってる)

 

 エアハルトの攻撃ルートはまたもやナナ狙い。必然的に俺はその間に割って入る必要があり、エアハルトの攻撃を受け止めさせられる。

 落ちてくるエアハルト。横から飛び込む俺。

 奴の大剣に俺の雪片弐型をぶち当てる。互いが押し合い、その場で力比べが始まる。

 

「俺を倒したいんだろ! なのに何故ナナばかり狙う!」

「だから思い違いをしていると言った。私は貴様を打ちのめすためにあの娘を狙っている」

「この、ゲス野郎がっ!」

 

 確かに俺は思い違いをしていた。5位のランカーだからといって正々堂々と戦うとは限らない。俺に何か怨みがあるとして、俺を直接いたぶる必要などない。

 奴は俺の目の前でナナを連れ去る気だ。

 

(ラピス。ナナを安全に撤退させられるか?)

(護衛なしでは難しいですわ。ですが、ツムギの防衛部隊は奇襲してきたベルグフォルクと交戦中で動かせません。手が空いているのはチェルシーくらいですがエアハルト相手では壁にもなりません)

 

 やはり俺がナナを守りながらツムギにまで退くしかない。

 ENブレード同士で斬り結ぶ。奴の武器“リンドブルム”はIS単体が持てる最高威力のENブレード。対する俺の雪片弐型は威力がサプライエネルギー残量に依存する特殊なENブレード。拮抗するためには俺側に大量のサプライエネルギーが要求される。

 今の白式はラピスとのクロッシング・アクセスにより2機分のサプライエネルギーがある。しかし、エアハルトと打ち合うためにその大半を費やしている状態であった。左手のインターセプターも背中のBTビットもただの飾りとなってしまっている。

 共鳴無極によって武器の種類が増えても、今までのように雪片弐型でやりあう他に手段がない。

 十数合打ち合ったところでエアハルトは方向転換して離れていく。BTビットやスターライトmkⅢ(ENライフル)で追撃は可能であるが、それすらも隙につながるため下手を打てない。

 ともあれ、少しだけまた時間が得られた。背後で左手だけを構え続けるナナに声をかける。

 

「ナナ。少しずつツムギに戻っていくぞ」

「…………」

 

 移動を提案したがナナはうんともすんとも言わない。

 

「聞こえてるか、ナナ?」

 

 答えないばかりか、ナナはその場で静止したままだ。これではエアハルトの的にしかならない。俺は怒声を上げる。

 

「返事をしろ、ナナ!」

 

 叫んでようやくナナは反応をみせた。ビクっと顔を上げ、ようやく俺を見てくれる。

 

「な、何か言ったか、ヤイバ?」

「お前はエアハルトに狙われている。ここじゃ危険だから少しずつツムギに戻るぞ」

「そ、そうか。うむ、そうしよう」

 

 やはり様子がおかしい。しどろもどろになってるとまでは言わないが落ち着きが足りていない。

 そして、ナナには俺の意図が伝わっていなかった。

 彼女はツムギへ向けて急発進する。ただ向かえばいいというわけではなく俺に守られながらでなければならないというのに……半壊している機体であるにもかかわらず、もうイグニッションブーストを使わなければ追いつけない位置にまで移動してしまった。

 

(申し訳ありません! ナナさんを止められませんでした! エアハルトも向かってきます!)

 

 タイミングも悪い。エアハルトは次の攻撃のためにこちらへと加速を開始したところ。奴の速さならば今のナナに追いつくことは十分に可能だ。

 やはりエアハルトは俺でなくナナに向かっていく。奴は俺の目の前でナナを奪うことに固執している。嫌ならば立ち向かってこいと行動が示している。

 俺にやれることはひとつだけ。少なくとも他に思いつかなかった。

 

(ヤイバさん? 今はIllの支配領域の中ですわ! 無茶はいけませんっ!)

 

 ラピスが今からの俺の行動を諫めてくる。だけどここで躊躇する理由などなかった。それはラピスも同じだと思っていたけれど、彼女はなぜかナナの無事よりも俺の無事を優先しようとしている。具体的な理由はわからないけど彼女の強い思いが伝わってきた。

 どう考えても俺よりナナの方が大事だというのに。意識を共有していてもわからないことってあるんだな。

 止められようが俺のすることに変わりはない。

 エアハルトを止められる者に代わりはいない。

 イグニッションブーストを3回ほど連続使用してエアハルトの進路に割り込んでいく。

 

 リンドブルムが迫る。迎え撃つ俺の雪片弐型はひどく頼りない出力しか出なかった。

 このままでは止められない。リンドブルムは雪片弐型を押さえ込み、エアハルトの刃は俺にまで届くことだろう。この1撃で落とされるとは思っていないが、奴ならば一瞬で次の攻撃を入れてくるに違いない。

 

 このままだと俺の負けだ。

 負けたくないと願っていても力がなくては届かない。そんなことはわかっている。

 だけど今日の俺は諦めが悪い。

 そもそも俺がいなくて誰がナナを守ってくれる?

 あの生徒会長ならば義務としてやってくれるとは思う。でもそれじゃ足りない。あの人にはナナ個人に何も思い入れがない。それでエアハルトを止められるわけがない。

 俺がやるしかないんだ……

 だから俺はここでやられるわけにはいかないっ!

 

「貴様……それだけのエネルギーがどこから湧き出た?」

 

 願いだけで何かが変わるだなんて俺は信じていない。

 でも、今だけは違うかもしれない。

 ここでやられたくないと強く願った瞬間、サプライエネルギーの表示が光り、常に満タンを指していた。

 雪片弐型はフルパワーで使用できている。リンドブルムは問題なく止まり、エアハルトからは疑問の声が上がっていた。俺はフッと鼻で笑って答えてやる。

 

「束さんに聞いてくれ」

 

 人の心だ、と言ってやりたかったけどやめておいた。真実はきっと束さんしか知らない。

 状況は一気に好転した。さっきまでと同じなんかじゃない。ENブレードのみだった攻防は終わりを告げている。今の俺には装備を使用するための制限が存在していない。

 BTビットからビームを四方に射出する。それらは明後日の方向へと飛んでいくが向きを変えて俺たちの周囲を回り始める。俺は次々と弾を増やし、エアハルトを逃がさないための檻を形成する。当然、ナナには檻の外に出てもらった。檻の中には俺とエアハルトが残るのみ。

 

「俺を見ろ、エアハルト。世界最強の男だったら、俺くらいは軽く倒してみせろ」

 

 エアハルトのヒット&アウェイ戦法は封じた。今度は俺から仕掛ける番。

 大きな移動を制限されたユニオン・ファイターは小回りの利かない鈍重な機体に変貌する。大きな的であるエアハルトにまずは雪片弐型で斬りつける。当然、奴はリンドブルムで受け止めざるを得ない。

 

「右腕いただきっ!」

 

 動きの止まったエアハルトの右腕を俺は左手のインターセプターで突く。俺の攻撃は装甲を貫き、奴への初ダメージを与えることに成功した。

 エアハルトは俺の左腕を蹴り飛ばしてくる。まともに受けた俺だったが損害は軽微。エアハルトと若干の距離が開くにとどまる。

 俺は直ちにインターセプターをしまう。代わりに左手に呼び出すのはスターライトmkⅢ。有効射程よりも若干近い距離だが構わず発射する。

 流石はエアハルト。近距離の射撃をユニオンの巨体で難なく回避してくる。さらにはイグニッションブーストで接近戦まで仕掛けてくる始末。おそらくリンドブルムはギリギリで使用可能となるのだろう。エアハルトは近距離でも通常のブレード機体と同じように戦えることを示してきた。

 だがもう勝負は見えた。リンドブルムを雪片弐型で制限なく抑えられる限り、エアハルトに勝ちはない。何度目になるかわからないENブレードの衝突はまた同じように膠着状態を作る。ただ、さっきまでと違うのは動きが止まったのがエアハルト側だけということだ。

 

(ラピス、行くぞ)

(ええ)

 

 ここで俺は檻を形成するビーム全てに指示を下す。俺とエアハルトの周囲を衛星のように回っていたビームはほぼ直角に円運動の中心へと軌道を変える。その全てはリンドブルムを止められたエアハルトに殺到した。

 全方位から迫る蒼の流星群がエアハルトを貫いていく。背中のブースターは全て蜂の巣となり爆発。本体の装甲も撃ち砕いた。

 リンドブルムから光が失われ、エアハルトを守るものは何もなくなる。俺はとどめを刺すために雪片弐型を大上段から振り下ろした。

 雪片弐型は竜を模したメットを両断する。頭に直接届いたため、エアハルトの戦闘不能は確定した。それでも奴が転送されていかないのはIllが近くにいるためだろう。

 俺はエアハルトが墜落し始める寸前に奴の胸ぐらを掴み上げる。

 

「俺の――いや、俺たちの勝ちだ!」

 

 ちょうどルドラを破壊したという報告も入ってきていた。ツムギは守られ、ナナも守れた。完全勝利であることは間違いない。

 エアハルトは両手をだらりと下げている。顔は上を向いたまま目を閉じている。悪足掻きのひとつもしない。メットの下の顔は思ったよりも優男で、髪は腰くらいまでありそうなくらい長かった。その色は銀。

 

「……なるほど。たしかに私は負けたようだ」

 

 負けを認める発言をするエアハルト。だが気にくわない。奴の口は笑っていた。

 

「何がおかしい?」

「質問の意図が不明だ。世界は既に狂っている」

 

 わけのわからない返答がくるだけ。

 目を開いた奴の瞳は金色。今では見慣れた遺伝子強化素体の特徴である。つまり、エアハルトもラウラと同じ境遇の人間。もっとも、奴がラウラと同じ遺伝子強化素体だからと言って、俺が奴を理解できることはないだろう。

 だが意外にもエアハルトは俺にもわかる形で答えを補足してきた。

 

「貴様の疑問に答えてやる。仮想世界の私が貴様に敗北したからといって、現実の私は痛くも痒くもない」

 

 簡単なことだった。俺が負ければIllに喰われるリスクがあった。しかし、エアハルトにそのリスクはない。エアハルトを苦労して倒しても、徒労に終わる。

 だけど俺がすることは変わらない。

 

「だったら次も俺がお前を倒す」

「同じ手が通用するなどと思わないことだ。次があるとすれば、だが」

(ヤイバさん、離れてください!)

 

 エアハルトが含みを持たせた答えを返したとき、ラピスから警告がくる。俺も彼女から伝わる感覚を通じて気がついた。慌てて飛び退くと3mを超える大剣が俺のいた場所を通過する。

 

「ちぇっ、ハズれちゃったー。ごめんねー、博士」

「謝る必要などないよ、シビル。帰ろうか」

「うん!」

 

 星霜真理には映っていない機体。つまりIllがやってきた。エアハルトはいくら倒しても意味がないのだとしてもIllは別であることはイルミナントの件でわかっている。

 しかし、今は戦うわけにはいかない。もうサプライエネルギーが無制限ではなくなっていた。

 おそらくエアハルトは今の俺の状態に気づいていない。知ればシビルと呼んでいるIllに俺を倒させようとしてくるだろう。だからここは挑発してハッタリをかます。

 

「逃げるのか? てっきりお前は俺を殺したがってるのかと思ったんだが」

 

 シビルという少女に連れられて撤退を始めるエアハルトの背中に投げかける。すると、奴は目を見開いて俺を見てきた。あまりの形相に俺は背筋が寒くなった。

 

「言うまでもないことだろう?」

 

 殺してやるとでも言ってくれた方がまだ気が楽だったかもしれない。

 エアハルトは去っていく。無尽蔵かのように思えたベルグフォルクの大軍も撤退していき、俺たちのミッションは終わりを告げた。

 

 

***

 

 Illが去ったことにより、ログアウト不能状態はなくなった。撃墜されて海に沈んでいった連中も今は無事に現実に帰還していることだろう。生き残ったプレイヤーたちは一部の物好きを除いて同様に現実へと帰っていった。もうイベントは終わりだ。後のことは最上会長が上手くやっておいてくれる。

 俺はというとまだ帰るつもりはなかった。前回は逃げるようにして帰ってしまった分、今回はツムギの皆とちゃんと喜びを分かち合いたかったんだ。早速見知った後ろ姿を発見して声をかける。

 

「シズネさん!」

「ヤイバくん、良かったです」

 

 アカルギのブリッジクルーに囲まれていたシズネさんはすぐに振り向いてくれた。相変わらずの無表情でも、彼女の単刀直入な物言いは聞いてて心が温かくなる。

 しかし、いつもの調子は取り戻していないのだろうか。余計な一言がついてない。

 

「ヤイバくんの戦いは見ていて不安でした」

「危なっかしい戦いしかできなくてごめんな」

 

 やはり物足りない。それだけシズネさんは精神的に参っているのだろうか。

 ……そう思っていたのは杞憂だったようだ。

 

「リコリンさんがいつヤイバくんもろともアカルギの主砲(アケヨイ)で撃ち抜いてしまうのか気が気じゃありませんでした」

「ちょっ!? 確かに狙ってたけど、わざわざ言わなくてもいいでしょ!? あとリコリンにさんは付けないで!」

「注文が多い人ですね。ウザいです」

「そう、それが私! って流されるところだった! そもそもシズネが撃て撃てうるさかったのが問題でしょ!」

「リコさん、夢と現実の区別が付かないなんて……誠に嘆かわしいことです」

「え? 私を残念な人扱いして無かったことにしようとしてるの!? レミたちも何か言ってよ!」

「えー、やだよ、鬱陶しい」

「鬱陶しいだなんてひどい!」

「じゃあ、ウザい」

「ありがとう!」

「良くわかんないわね、これ……」

「結果的に残念な人です」

 

 シズネさんは前よりもアカルギ・ブリッジの3人と打ち解けているような気がする。

 ちなみにシズネさん。俺を援護しようと必死だったのはラピスを通じて知ってるんだ。でも今それを言ってしまうと何言われるかわからないから俺の胸の内に留めておこう。

 あとこの場で足りないのは彼女だけだろうか。

 

「そういえばナナは? その辺に見当たらないけど」

「ナナちゃんでしたら気分が優れないようでしたので寝室に行きました」

「そっか。残念だ」

 

 ナナは俺が来る前に部屋に引っ込んでしまったらしい。エアハルトにひどくやられていたし、休みたいんだろうな。戦闘中、どこかナナらしくなかったから気になっていた。

 俺は前回も今回もナナを危険に晒してしまった。ナナはシズネさんにすら弱さを見せようとしない。シズネさんもナナが話すまで待つような人だ。ナナはまた、ひとりで恐怖を抱え込んでいたりしないだろうか。心配にもなる。

 いや、心配なんてただの言い訳か。俺はただ、久しぶりに会って話をしたいだけなのかもしれない。だからこそ()()と思ったんだ。

 

「ではヤイバくんをナナちゃんの部屋にご案内しますね」

「ちょい待ち!」

 

 仕方がないと諦めようとしたとき、シズネさんが俺の手を引いて歩き出す。手を払おうとしたが妙に力強く握られていたため、無理矢理振り払うのに気が引けてしまった。仕方なく言葉で抗う。

 

「ナナは寝てるんだろ!? 流石にそれはマズいって!」

「え? ヤイバくん、ナナちゃんに何をする気なのですか!」

 

 しまった、墓穴を掘った!

 シズネさんが目を見開くところなんて初めて見た。彼女の頭から男女のそういうことは抜け落ちてたんだろう。普段はからかってくるくせにこういうときだけ抜けてるんだから本当に困った人である。

 とはいえ、誤解だ。やましいことは何もない。

 

「話がしたいだけだよ」

「し、知ってます。言ってみただけです」

 

 珍しい。声にまで動揺が表れてる。

 このままシズネさんをからかうのもいいかなと思ったが、今はナナを優先しよう。

 

「じゃあ、案内をお願いできる?」

「はい、もちろんです」

 

 シズネさんは快く承諾してくれた。他の人たちと別れて俺たちはナナの部屋へと進む。ナナ本人の許可も得ずに勝手なことをしているがシズネさんがやってることだから許してくれるだろう。

 ナナに会ったら何を話そうか。やはりまずはツムギの皆が無事だったことを喜び合おう。それから、一緒に戦ってくれる連中の話でもしてみようか。

 俺は全てが順調であると思っていた。この後のシズネさんの一言を聞くまでは……

 

「お願いするのは私の方なんですよ、ヤイバくん……」

 

 部屋の前に到着したらしい。シズネさんは扉から一歩分先に進んだところで立ち尽くす。俺の方に振り返ることなく、背中を向けたまま扉を指さした。

 

「ここがナナちゃんの部屋です。私にできるのはここまで。ナナちゃんを頼みます」

「え、どういうこと? シズネさん!」

 

 俺が聞き返してもシズネさんは答えてくれなかった。何も言わず、こちらを振り返ることもなく通路を走っていく。後には俺だけが残されていた。

 

「行くか……」

 

 結局のところ、シズネさんもいつもとは違っている。前回、俺がエアハルトに負けてからしばらく、俺はツムギに関わってこなかった。きっとその間に何かあったのだ。それが何かを知るにはナナに直接聞くしかない。

 俺はナナの部屋をノックする。

 すぐに中から足音がした。足音は部屋の前まできて立ち止まり、ドアノブに手がかけられる気配はない。

 

「シズネではないな。シズネならばこの時点で『ナナちゃん』と呼んでくる。何者だ?」

 

 部屋の中からナナの声がする。扉を隔てていて顔が見えないのに、声だけできつい目を向けられているイメージが湧いてくる。俺の知ってるナナで安心した。遠慮なく名乗ることにする。

 

「ヤイバだ。ちょっと話をしないか?」

「ヤイ……バ……」

 

 ナナは俺の登場を予期していなかったらしい。俺の名前すらまともに言えてなかった。俺の安心はどこかへと消え去る。

 

「とりあえず開けてくれよ」

「いや、無理だ」

 

 きっぱりと拒絶された。俺の名前を言うときと違ってハッキリしている。

 

「もしかして俺には見せられない格好をしているとか?」

「何を破廉恥な想像をしている? 生憎だが下着姿や裸で寝る習慣などない」

 

 考えられる可能性は他にはない。理由もなしに扉すら開けてくれないのは、何故かとても嫌だった。

 

「じゃあ開けてくれよ」

「すまないが私は疲れている」

 

 俺は自分のことをしつこい男だと思う。でも食い下がることにした。理由は具体的に言葉にできない。強いて言えば納得ができなかったからだ。

 もう話せなくても構わなかった。ただ、ナナの顔が見たかった。

 

「すぐに帰る。せめて顔だけ見せてくれ」

「駄目だっ!」

 

 ナナが声を張り上げる。扉1枚を挟んでいるのに俺の耳が痺れていた。それはきっと声の大きさによるものだけではない。

 

「どうしたんだよ、ナナ! お前、何かおかしいぞ! シズネさんも心配して――」

「私はおかしくなどないっ!」

「ここをこじ開けるぞ、ナナ!」

「来るなァ!」

 

 雪片弐型を使ってでも中に入ろうと思った。だけど、ナナの悲痛な叫びを無視してまで動くことはできなかった。

 俺が何もせずに扉の前で立ち尽くしていると、ナナが静かに喋りだす。

 

「被るんだ。お前の行動がアイツに……もうアイツの顔がわからなくなってしまった……私の中からアイツが消えていくんだ……」

 

 “アイツ”とは以前に聞いた“ナナの王子様”という男のことか。王子様だなんてナナの柄にあってないなと思った覚えがある。

 

「忘れそうなのか?」

「…………」

 

 返答はないがおそらくは肯定。ずっとISVSにいて現実の記憶が薄れてしまっているんだろう。シズネさんも現実でどう生きていたか忘れかけていると泣いていた。同じなんだ。

 

「俺のせい……なのか?」

「…………」

 

 やはり返答はない。俺のせいで好きな男のことを忘れるなんて悲しいにも程がある。

 俺に重ねてみると、俺が箒のことを忘れていくことのようなものだ。それは耐え難い苦痛であると断言できる。

 ナナが苦しんでいるというのに、王子様とやらはどこで何をしているんだ? 殴り飛ばしてでもここに連れてきてやりたいくらいだ。

 

「わかった。もう何も聞かない。俺はこのまま帰る」

 

 俺にはどうしようもない。ナナが苦しんでいるからといって俺が何かをすれば逆にナナが苦しむ。だったら、

 

「もう二度とナナの前には現れないよ」

 

 これでいい。そもそも俺の目的は箒が帰ってくること。ナナはおまけ程度の存在のはずだから、これが最善ということでいいじゃないか。これこそがお互いのためなんだ。

 だけどナナから思いもしなかった言葉が出てくる。

 

「嫌だ! もうヤイバと会えないなんて嫌だ!」

 

 自分に言い聞かせようとしていた矢先にナナから俺を求める言葉が出てくるなんて思ってなかった。もう俺にはどうしたらいいのかわからない。

 

「だったら俺は何をどうすればいいってんだよっ!」

 

 反射的に怒鳴りつける。扉の向こうは静かになってしまった。

 俺は助けると誓った人を怖がらせている。一体、俺は彼女の何を守れる気でいたんだろうか。自分の考えの浅さに反吐が出る。

 

「……心配するな。黒い霧のISは俺が倒す。じゃあな」

 

 俺はこれ以上、この場に残っていたくなかった。

 このままここに居たら、俺はナナに手を差し伸べてしまう。

 それが余計に彼女を傷つけることになると知ってしまっては、俺がいなくなる他に道はなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 扉を前にしてナナは膝を抱えて座り込んでいた。

 ヤイバに二度と会わないと言われた。

 ずっとヤイバに会いたくなかった理由だった。

 ナナは幼き日の一夏の顔を忘れていく。それをヤイバのせいにしてしまうということは自分でわかっていたのだ。ヤイバにしてみればとばっちりを食っただけである。

 

「嫌われて当然だな。最低だ、私……」

 

 戦闘中もずっと集中できていなかった。エアハルトの攻撃を喰らったときもいつの間にかという感覚である。

 一度危機に陥ってしまうと、誰かが助けてくれるのではと心のどこかで期待している自分がいた。ヤイバはちゃんと駆けつけてくれる。記憶の中の一夏でなくヤイバにしか期待していない自分に気がついてしまった。

 今でも一夏が好きだという気持ちは薄れていない。そう思っている。

 だがそれ以上にヤイバの存在が大きくなっていた。

 どちらかなど選べず。今の感情に正当性などまるで感じていない。

 自らの浅ましさに反吐が出る。自分のことが嫌いになるばかりだった。

 

 ヤイバたちはエアハルトに勝利した。

 だがヤイバとナナにとって喜ばしい結果になったとはとても言えない。

 戦場で出会った2人は戦いを通じて向き合った。

 だが度重なる戦いですれ違い、再び背中合わせとなる。


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