Illusional Space   作:ジベた

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22 背中合わせの二人 【前編】

 エアハルトの襲撃予告から2時間が経過。

 倉持彩華が“遺産(レガシー)”と呼んでいるドーム状の施設の内部はゴタゴタとしている。

 

「急げ! これは我が社とミューレイの技術競争でもあるのだぞ!」

 

 大半は彩華が連れてきた倉持技研のテストパイロットである。最早企業間の戦争となっていた。

 一部にはツムギの面々の姿も見える。

 大声で周囲に檄を飛ばす彩華――プレイヤーネーム“花火師”の傍らにはシズネがいた。彼女は忙しそうにしている彩華の背を指でチョンチョンと突く。

 

「ん、君か。すまないが見てのとおり私は暇ではないのだ」

 

 彩華は振り向きこそしたもののすぐに部下への指示へ戻ってしまう。冷たい人ではないだけに本当に忙しいことが窺える。

 さて、どうするかとシズネは頭を捻らせた。うーん、と唸ること3秒。結論はすぐに出る。

 

「では報告だけします。私はアカルギでヤイバくんたちを迎えに行くことになりました。ナナちゃんたちのことをよろしくお願いします」

 

 ペコリと頭を下げる。彩華に見られていなくとも礼は欠かさなかった。言うだけ言ったのでシズネは停泊しているアカルギへと向かい始める。

 

「あー、はいはい…………ん?」

 

 軽く聞き流そうとしていた彩華だったがシズネの発言の一部が気になった。

 アカルギでヤイバたちを迎えにいく。

 たしかにアカルギは速い移動手段ではある。しかしマザーアース“ルドラ”に対する切り札になるかもしれない“こちら側のマザーアース”をヤイバの迎えに割いてしまっていいものだろうか。

 

「待ちたまえ、シズネくん! 少年ならば一人で大丈夫だ!」

 

 慌てて呼び止める。アカルギなしで戦えるように準備をしてきた彩華だったが、いざというときの保険は欲しかった。今から出て行ってしまえば、戻ってくる頃には敵軍との戦闘が始まっている。防衛対象のひとつでもあるアカルギを戦場の真っ只中に放り込むのも問題だ。

 シズネは足を止めて振り返る。相変わらず無表情だが、声だけは弾んでいた。

 

「ヤイバくん一人じゃないんです」

 

 一言だけ答えたシズネは早足で立ち去っていった。

 今度は彩華も止めるような真似はしなかった。自分の思い違いに気づいたためだ。

 手元の端末をいじる。ディスプレイに表示させたのは自らがセッティングしたミッションの参加状況。ほとんど集まっていないのは変わらないが、まだヤイバを始めとする見慣れた名前が載っていない。

 

「やれやれ……ギリギリでまとめて来るつもりなのか。お姉さんにぐらいは話を通しておいて欲しいものだ」

 

 彩華は右手で眉間を揉みほぐす。

 疲れていそうな彼女にまたしても声をかける人物が現れた。

 

「そう言うな。一夏は成績こそ悪いが悪知恵は働く。敵を騙すならまずは味方からということだろう」

「なるほど。姉によく似たわけだ」

「自分で言うのもなんだが、私は一夏と違って正攻法の力押ししかできんよ」

 

 彩華の嫌味も正面から受け止めた女性操縦者は既にISを装着している。

 フレームは打鉄。機体カラーは薄紅色。機体名は暮桜という。

 

「では我が社のために、君ご自慢の力押しを見せてくれ」

「倉持技研のことなどどうでもいい。一夏のためというわけでもない。だが結果的にお前たちの益とはなるだろう」

 

 暮桜の操縦者、ブリュンヒルデ。

 世界最強と名高いIS操縦者が参戦を表明する。

 彼女を突き動かす根源は実の弟のためでなく――

 

「束の死の真相。必ず突き止めてみせるさ」

 

 親友の仇討ちであった。

 

 

***

 

 彩華に報告を終えたシズネは遺跡(レガシー)に停泊している戦艦型マザーアース“アカルギ”へとやってきた。レミたち3人の操縦者は既にブリッジで待機している。シズネが号令をかければすぐにでも発進できる状態だ。

 アカルギの入り口に一人の少女が立っている。ツムギのリーダーである文月ナナ。彼女はシズネの姿を見つけると駆け寄ってくる。

 

「頼んだぞ、シズネ」

 

 この一言を伝えるためにナナはここでシズネを待っていた。彼女はヤイバたちの迎えには同行しない。自分たちの帰る場所を守るのを他人任せにはしておけないからだという。

 だが、それは表向きな理由だとシズネは知っている。

 

「ナナちゃんも一緒に行きませんか?」

「私には私の役割というものがある」

 

 シズネが誘ってもナナは首を縦に振らない。残って守りに徹するのが自分の役割だと断言する。

 ならば見送りなどしている場合ではない。彩華たちの戦術を確認しているべきだ。

 シズネは理解している。

 ナナが心からヤイバをアテにしていて、戦闘前に会いたいということ。

 同時に、ヤイバと顔を合わせたくないということ。

 二律背反な感情が合わさった結果がシズネを見送るという行動となったのだとわかっていた。

 

「そうですね。ナナちゃんの役割は戦いに勝利した後にヤイバくんに抱きつくことでした」

「シズネっ!? お、お前はな、何を言っているのだっ!?」

「私はスタイルに自信がある方なのですが、ナナちゃんくらいの胸がないとヤイバくんを癒せそうにないです」

「いくらシズネでも怒るぞ? 大体、私の胸にどんな価値があるというのだ」

「トモキくんを呼んで聞いてみましょうか?」

「やめろ。無駄に戦力を減らすわけにはいかない」

 

 ナナが一人で笑う。

 シズネは相変わらずの無表情のまま。ナナの脇を通ってアカルギの入り口をくぐる。

 

「それでは行ってきますね、ナナちゃん」

「ああ。私たちの希望を連れてきてくれ」

 

 ナナはヤイバのことを“私たちの希望”と言う。

 シズネにそれを否定する気はない。

 だが同時に不安も感じていた。

 ナナを支えている希望が脆いガラス細工なのではないかと。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 全員に弁当を配り終えたところで俺とセシリアは鈴たちの待っている体育館内に戻ってきた。鈴、シャル、ラウラ。いつもの面々で円を作って床に座り込む。

 ちなみに弾は虚さんを探してどこかに行った。土曜日の弾はいつもそんな感じなんだろう。週に一度のことだろうし、俺が邪魔するわけにもいくまい。

 数馬は残念ながら家からの呼び出しでミッションにも参加できない。前々から御手洗家の変わったルールに縛られている数馬だったが、最近は昼にも帰らなくてはいけないことが多くなったように思う。何か家の方で問題を抱えているのだろうか。俺が力になれるとは思えないけど。

 

「お疲れさま、一夏、セシリア」

「思ってたよりも配った量が多かった。何人分だった?」

「ここにいる皆さんを含めて約260人ですわね」

「お、そうなのか」

 

 隣に行儀良く座るセシリアに弁当の数を確認するとすぐに教えてくれた。これが敵への迎撃に参加してくれるおおよその人数となる。

 260人。生徒会長からは午前中の試合に参加していたのがツムギ側が94人、女神解放戦線側が144人と聞いてる。238人中260人ということは11割のプレイヤーが参加してくれるということになる。

 

「って、増えてんじゃねーかっ! 弁当だけ食ってく人がいるとかそういうこと?」

「ご心配なく。試合に遅刻していた人がいただけですわ。皆さんが戦っている間に藍越学園(ここ)を訪れるお寝坊さんな大学生が結構な数いらっしゃいましたし」

「あ、そうなの? なら良かった」

 

 半数は残ってほしいと思っていたが、またもや嬉しい誤算だった。

 午後からのミッションは前回の二の舞にはならないと俺は確信する。

 一安心できた俺はようやく昼飯にありつけそうだった。セシリアが用意してくれた弁当の蓋を開ける。

 ――いや、開ける直前で固まる。

 

「なあ、セシリア」

「なんでしょう?」

「俺のだけお前のお手製とかふざけたことはしてないよな?」

「そうしたかったことは山々ですが、残念ながら時間がありませんでした」

「セシリア……アンタ、今朝ので懲りてないのね」

 

 鈴が食事の手を止めて俺の思いを代弁してくれる。

 言われてしまったセシリアはなぜか得意げだった。

 

「わかっていますわ、鈴さん。たしかに今朝のわたくしは失敗をしました」

 

 セシリアは過ちを認めている。だが反省の色が見られないばかりか、目に闘志が宿っていた。

 

「ですがわたくしは学んだのです! 今できないことがあろうとも、執念とも言える思いを伴った努力を以てすれば、叶わぬ望みなどないのだと! 継続は力なり、ですわ!」

 

 言いたいことはわかる。それはそのままセシリアとISの関係だ。チェルシーさんが被害者となる前のセシリアを知っている俺としては、彼女の考え方の変化は良い傾向なのだと断言できる。

 そうなんだけども……料理がまともになる頃まで俺が無事でいられる保証がない。今朝のを継続的にやられてしまうのはマジで勘弁。

 

「そういえばどうして俺が食わ――」

 

 ふと気になったことを聞こうとしたら、どこからともなくやってきた手によって俺の口が塞がれた。左隣にいた鈴の仕業だ。

 鈴は俺の耳元に口を寄せると小声で話してくる。

 

「アンタねぇ……流石にそれを聞くのは頭おかしいとしか思えないわよ」

 

 俺も小声で返す。

 

「なんでだ? 鈴は事情を知ってるだろうけど、セシリアは日本にいるために俺と仲がいいフリをしなきゃいけない。でも、だからって苦手な料理にまで手を出す必要なんてないだろ? 料理を上達させたいだけなら俺以外にも食ってもらうべきだし」

「そういうことね。あたし、わかっちゃった。アンタ、バカだわ。とりあえずさっきの質問はやめときなさい。いーい?」

「よくわからんがわかった」

 

 内緒話が終了。鈴は元の位置に戻って食事に戻る。俺も弁当の蓋を開けて食べるとしよう。

 鮎の甘露煮を口に運んだタイミングで、黙々と食べていたシャルが箸を休めた。

 

「一夏と鈴って親密な仲なんだね。一夏は二股かけてるの?」

 

 危うく口の中の物を吐き出しそうだった。急いで咀嚼して飲み下す。もっと味わって食べるつもりだったのに……

 

「人聞きの悪いことを言うな! 何を根拠にそんなことを」

「え? だってセシリアと同せ――」

 

 俺は慌てて身を乗り出してシャルの口を塞ぐ。

 周囲を見回す。幸いなことに俺たち以外の誰にも感づかれていないようだ。

 

「すまん、シャル。今のを聞かれると俺は殺されるかもしれない」

 

 きっと俺の最期の言葉は『マシュー、お前もか』だろう。

 

「ごめん、僕が無神経だった。一夏も男の子だもんね。複雑な女性関係を抱えてるんだよね。僕のパパみたいに」

「どうしてだろう? シャルの親父さんのことを全くと言っていいほど知らないけど一緒にされたくない気がする」

 

 原因不明なショックを受けて項垂れる俺。

 そんな俺のことなどどうでも良いであろう眼帯娘は自分の分の食事をすませてしまっていた。彼女は口元を布巾で拭いてから別の話題を入れてくれる。救いだった。

 

「次の相手はエアハルトか。厄介な相手だ」

 

 ラウラが出した名前は俺が勝たなくてはならない“敵”。

 今わかっているのは、世界5位の実力者がIllを操って集団昏睡事件の糸を引いているということ。

 まだ奴は実力の底を見せていない。

 

「エアハルトの国籍はドイツとなっていますが、ラウラさんは彼のことを知っていますの?」

 

 俺の知らない新情報をセシリアがなんでもないことのように話す。

 エアハルトはドイツ国籍らしい。ラウラもドイツ国籍だから何かしらの接点がある可能性がある。

 しかしラウラは首を横に振った。

 

「私が知っていることは皆と変わらない。少なくともエアハルトはドイツの軍人でないことだけは確かだ。そもそもランキングに表示されている国籍などアテにならない」

「そうですか。エアハルトの単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)の情報が得られればと思いましたが仕方ありませんわ」

 

 セシリアが目に見えて落胆する。エアハルトはドイツ国籍という情報だけで追えるような相手じゃなかったってことだ。

 とりあえず俺はセシリアの思考についていけていない部分があるので聞いてみることにする。

 

「エアハルトはワンオフ・アビリティを持っているのか?」

「持っていなければ5位に入っていないと断言させていただきますわ。ランカーはワンオフ・アビリティ持ちプレイヤーの巣窟で、中でも10位以内は国家代表ばかりです。モンド・グロッソでも強力な能力を前面に押し出していました。エアハルトにもそれらに匹敵する能力があると考えるのが自然でしょう」

 

 たしかに。確証はなくてもワンオフ・アビリティが無いと考えて戦いに臨むよりはあることを想定しておくべきだ。

 一体、エアハルトはどんな能力を持っているのだろうか。

 ……そもそもワンオフ・アビリティってどんなのがあるんだ?

 

「一夏さん、説明を入れましょうか?」

「頼む……」

 

 俺が首を捻ると即座にセシリアが申し出てくる。まだ何も言っていないし、クロッシング・アクセスをしているわけでもないけど彼女に色々と見透かされているのは良くあることだ。

 俺だけでなく全員がセシリア先生の講義に耳を傾ける。

 

「基本からいきましょう。ワンオフ・アビリティとはISコアの自己進化機能によって生まれる特殊能力のことですわ。機体や装備の性能に変化をもたらすものが主ですが、稀にIS以外のことに作用する超能力のようなものも現れることがあるようです」

 

 超能力といえば以前に宍戸に見せてもらったモンド・グロッソの試合はISVSとは思えない映像だった。今思えば俺とイルミナントの戦いも似たようなものだった気もする。だからセシリアのいう超能力はまた別の定義だろう。

 

「勘違いされやすいことですが、ワンオフ・アビリティは機体に発現するものではなく操縦者に発現するものです。一夏さんがブリュンヒルデのイスカを手に入れたところで“零落白夜”が使えるというわけではありません」

「え、そうなの? てっきりワンオフ・アビリティが生まれたイスカを国家代表に与えてるんだと思ってた」

「ワンオフ・アビリティを手に入れたプレイヤーが国家代表になっているという認識に改めてください。一度でも能力が発現すれば、以降は機体を選ばずに同様の効果が得られます」

 

 なるほど。ワンオフ・アビリティは操縦者の才能の一部ってわけか。

 

「今、セシリアが言ったのはISVSにおけるワンオフ・アビリティの説明だ。実物のISの場合、同様の能力が現れることは確実だがすぐに使えるわけではない。ISコアが操縦者に慣れる時間が必要となる」

 

 ラウラによる補足が入る。しかしこれに関しては俺には関係なさそうだ。俺が現実のISを使うなんてことがあるわけない。

 セシリアが説明を再開する。今度はワンオフ・アビリティの区分について。

 

「ワンオフ・アビリティは3つに大別されます。1つはイレギュラーブート。操縦者の意志、または特定の条件を満たすことで発動するコマンド型の能力ですわ」

「必殺技ってことよね!」

「あながちハズレではありませんわね……」

 

 鈴の相槌にセシリアは呆れを隠さないが否定はしなかった。ちなみに俺も鈴と同じことを思っていたりする。

 

「イレギュラーブートに該当するワンオフ・アビリティは、わたくしの“星霜真理”が当てはまりますわね。発動条件はわたくしの任意。能力の内容は大雑把に言うとコア・ネットワーク上の全てのISの情報を取得するというものです。わからない情報もあるので万能というわけではありませんが」

 

 セシリアのワンオフ・アビリティはクロッシング・アクセスしたときに体験させてもらったから大体わかる。周囲のISの位置情報や装備情報が丸裸も同然だった。あれがセシリアの普段からみている景色なのだと思うと、つくづく敵に回したくない。

 

「他には日本代表の“零落白夜”、ドイツ代表の“天光翅翼(てんこうしよく)”などが挙げられますわね。どちらの国家代表も能力を主軸にした戦闘スタイルを確立しています」

 

 その2人の試合は見たことがある。ドイツ代表はイルミナント以上の密度で様々なEN属性攻撃を出現させていたし、日本代表であるブリュンヒルデは物理ブレード1振りでEN属性攻撃を打ち消していた。俺の知ってるISVSの常識が通用しない無茶苦茶な戦闘だった。

 

「次はパラノーマル。イレギュラーブートと違い、常に効果を発揮するワンオフ・アビリティですわ」

「純粋に機体能力を向上させるものが多いんだよね?」

「その通りですわ、シャルロットさん。一夏さんの身近な例を挙げると、ナナさんの“絢爛舞踏”が該当します」

 

 なんだかんだでセシリアが説明している間は箸を休めなかった俺だったが、食事の手を止める。

 

「ナナがワンオフ持ち!?」

「一夏さんは知らなかったみたいですわね。ナナさんの絢爛舞踏は『サプライエネルギーを無制限に使用できる』というもので判明している全てのワンオフ・アビリティの中でも破格の性能です」

「え? ちょっとそれは強すぎない?」

 

 シャルが目を丸くさせている。彼女のことだから今の一瞬で1対1で戦うシミュレーションでもしてみたんだろう。だがサプライエネルギーが無制限に使えるということは、ENブラスターをいくらでも撃てるなどの攻撃面の隙のなさはもちろんのこと、アーマーブレイクさせても通常通りに動くことができて回復も一瞬で終わる。ISVSの理想ともいえる戦い方をするシャルの戦術のことごとくがワンオフ・アビリティひとつで止められる。

 言われてみれば自然なことだ。俺と会うまでナナはほぼ一人でツムギを守ってきていた。それぐらいの裏付けがなければ無理に決まってる。

 

「弾さんのお言葉を借りると、ISVSは不平等です。ワンオフ・アビリティも含めてナナさんのお力と受け止めるべきでしょう」

「そっか……全ランカーを打倒してもまだ終わりじゃないんだね」

 

 先は長いな、とシャルがボソッと漏らしていた。コイツは一体どこを目指しているんだろうか。最強となる前にフランスの国家代表にでもなれよと心から思う。

 

「パラノーマルには絢爛舞踏の他にもアメリカ代表の“戦型一陣(せんけいいちじん)”や我らがイギリス国家代表の“銃殺書庫(じゅうさつしょこ)”などがあります」

「イギリスのやつ、物騒な名前だなっ!?」

「わかっていますわ……やはりイメージ回復のためにはわたくしが国家代表になるしか!」

「無理だ。アリーナの1対1形式だとセシリアはこの中で最も弱い」

 

 国家代表になるという夢を語ったセシリアをラウラがバッサリと斬り捨てる。セシリアは反論を一切せずにガクリと項垂れた。下を向いたままぶつぶつと独り言を始める。

 

「……どうせわたくしは一人では何もできなくて、一般の方に“ちょろいさん”なんて渾名を付けられるような女ですわ。顔と体型で世間に受け入れられていただけの勘違いな箱入り娘ですわ。チェルシーのことにしても一夏さんがいなければわたくしは何もできなかったですし、助けるはずだったツムギの皆さんに励まされるような誠に残念な代表候補生(笑)なのですわ。そもそも努力といっても――」

「ストーーーップ!」

 

 俺は慌てて大声を出す。ラウラの一言はセシリアのトラウマを刺激するものだったようだ。俺の知らないセシリアがそこにいる。俺だけでなく他の女子3人も急変したセシリアに動揺せざるを得ないようだ。

 

「――一人前と胸を張れる方がおかしいのです。誰かさんのように張る胸を増量こそしていませんが。他人を利用して立ち回っているわたくしはやはり代表候補生として相応しくないのでしょう。信じてくれているチェルシーやジョージには申し訳ない思いでいっぱいですわ。これではオルコット家の未来は――」

 

 まだセシリアの自虐が止まらない。

 聞いてて耐えられなくなった俺は実力行使に出る。

 セシリアがダメ人間だったら、俺は一体何なんだよ?

 俺はセシリアの肩を掴んで強引にこちらを向かせた。

 

「俺だってセシリアがいないとダメなんだよっ!」

 

 俺の声は体育館中に響いていた。

 体育館内はシーンと静まりかえっている。この沈黙が凄まじく恥ずかしかった。

 止まった時間を動かしたのはセシリア。彼女はふふふっと愉快そうに笑う。

 

「わかってますわ。一夏さんは寂しがり屋ですもの」

「ぐあっ! 俺に恥ずかしいセリフを言わせるためだけの罠か!」

 

 また俺はセシリアの演技に引っかけられたらしい。そういうことにしておこう。

 体育館内に正常な時間が戻り、再び喧騒に包まれる。鈴たちも通常運転に戻り、早速鈴が口を開く。

 

「ねえ、セシリア。なんかあたし、軽く喧嘩を売られた気がするんだけど?」

「気のせいですわ。それとも、鈴さんには何か心当たりでも?」

「うぐっ!」

 

 なんと俺だけでなく鈴にも何かを仕掛けていたらしい。セシリアの背後に『ウケケケ』と笑っている悪魔が見える気がする。

 脱線した話がようやく落ち着いた。

 なんだかんだで全員が食事を終える。そのタイミングで弾と虚さんがやってきた。あと、ついでに仮面サーファー……たっちゃんさんも一緒にいたが彼女だけ体育館の外へと出て行った。

 

「よう、一夏。向こうでバンガードたちがフリプ(※フリープレイの略)やってるから見に行かね?」

「いや、俺はここでセシリアの話を聞いてるから遠慮しとく」

「そのセシリアがいないのにか?」

「え?」

 

 ついさっきまでセシリアがいた場所を見れば、そこには誰もいない。周りを見回しても見あたらなかった。

 

「何も言わずに外に出てったわよ」

 

 鈴が言うには俺が弾に気を取られているうちにさっさといなくなったとのこと。

 まだ説明が途中だったのに……ワンオフ・アビリティの種類、最後の1つは何なんだ?

 気になるところだが、彼女が黙って動いたということは緊急性のある何かがあるからだろう。仕方がない。弾の誘いに乗ってフリー対戦の様子を見に行こう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 体育館の入り口から出てきたセシリアはすぐに人を探した。彼女の追う人物は人混みの中に紛れたところで見失うことはそうそうありえない。大した苦労もなくセシリアは目的の後ろ姿を発見し、声をかける。

 

「そこの仮面のお方。ちょっとよろしくて?」

 

 仮面の女性が振り返る。一夏が“たっちゃんさん”と呼んでいるプレイヤーだ。鼻より上は仮面によって隠れていてセシリアからは彼女がどんな表情をしているのか口元を見てしか判断できない。現状は無表情。返事もなかった。

 

「一夏さんに執着されていたようですので、先ほどはわたくしたちの話の輪に加わってくるものだと思っていました。しかし、あなたはそうしなかった。理由をお聞かせ願えますか?」

 

 セシリアの脈絡のない問いかけ。

 仮面の女性――更識楯無は無愛想に答える。

 

「どこで何をしようと私の勝手でしょ?」

 

 その返答は想定通りであったのか、セシリアは二の句を継ぐ。

 

「そういうわけにもいきませんわ。液体に擬態するBTナノマシン“アクア・クリスタル”を操る13位のランカー“カティーナ・サラスキー”。あなたは日本国籍プレイヤー2位の実力者であるにもかかわらず代表候補生となってはいません」

「その通りね。でもそれがどうしたの? ドイツやアメリカも2位は代表候補生じゃないわ」

「ドイツの2位は男性ですから無理もありません。そして、アメリカの2位が代表候補生でない理由は表に出したくない人物だからですわ」

 

 楯無の反論も即座に切り返す。セシリアの本題はここから先だった。

 

「あなたもアメリカ2位の人物と似た立場なのでしょう。いえ、もしかしたら逆の立場かもしれませんが。違いますか? 更識家の現当主、更識楯無さん?」

 

 セシリアは確信を持って彼女の名を呼ぶ。

 

「……どこから漏れたのか不思議で仕方がないわ。五反田くん? それとも、たけちゃんがまたポカやった?」

 

 楯無も誤魔化すことはなかった。

 彼女の一挙手一投足を注意深く観察するセシリアは後ろ手に隠している携帯端末の操作を開始する。

 

「どちらとも、というのが正解ですわね。昨日は念のため、一夏さんに近しい方々には秘密裏に護衛を付けていました。その結果、更識という家に辿りついたわけです」

「なるほどね。イギリスの諜報員相手だとたけちゃんじゃ太刀打ちできないのも無理ないわ」

 

 正体を知られた楯無の口元は笑っていた。

 セシリアにしてみればひたすら不気味だった。楯無の考えが読めないまま、強引な手段に出るべきか思考を巡らせる。

 

「どうするの? さっきからずっと監視してる黒服連中に私を取り押さえさせるの?」

 

 セシリアの手はバレていた。今回のイベントのみ、藍越学園の中はオルコット家が警備している。

 楯無にとって今日の藍越学園は最悪のアウェー。にもかかわらず彼女は涼しい顔をしている。仮面で上半分が隠れていてもわかるほどに。

 

「さっきの質問の答えを言ってあげる。私が虚ちゃんたちから離れた理由は、一夏くんとあなたが居たからよ。現にあなたは私が楯無だからって警戒してる。だから私の判断は間違ってなかったわ」

「その仮面はやはり一夏さんに顔を見られないためということですわね?」

「そうよ。ここで問題。私はなぜ一夏くんに顔を見られたくないのでしょう? そして、私はなぜ今日の試合に参加したのでしょう?」

 

 今度は楯無からの問いかけ。

 しかしセシリアは答えを持ち合わせていない。そもそもそれが聞きたくて追ってきたようなものだ。

 セシリアが答えあぐねていると楯無が解答を発表する。

 

「答えはね、私が一夏くんの敵なんかじゃないってことを思い知ってもらうためよ。もう今の一夏くんには口で言っても伝わらないって五反田くんが言ってた。回りくどいけどわかりやすい手段を取るしかない」

「弾さんはあなたが楯無だと知ってましたの?」

「うーん……ちょっとセシリアちゃんの頭が固いわねぇ。まず、言っておきたいんだけど、あなたと一夏くんの中で“楯無”は何人居るかしら?」

 

 楯無の解答発表の途中、セシリアの割り込みに楯無は質問を返した。

 “楯無”は何人いるか?

 セシリアはようやく簡単な答えを導き出す。

 

「あなたとは別に楯無を名乗るプレイヤーがいる?」

「そういうこと。といっても私が言っただけじゃまだ確証はないでしょ? 五反田くんが信じてくれているのは虚ちゃんのおかげでしかないし。一度、鈴音って子を人質みたいに扱っちゃったこともあって、一夏くんには口で言っても信用を得られそうにないのよ」

「わかりました。あなたの目的は女神解放戦線との試合でなく、この次なのですね?」

「わかってもらえて嬉しいわ。悪いけど、一夏くんには黙っててもらえないかしら? それまでは私のことをいくら監視しててもいいから」

「了解しましたわ。あなたが味方であることを祈っております」

 

 話は終わった。セシリアは頭を下げて一夏の元へと戻ることにする。

 道中、セシリアは楯無について考えていた。

 楯無に指摘されたとおり頭が固かった。

 ISVSでヤイバを襲った楯無と現実で一夏を襲った楯無。同じ顔と同じ名前であるように見えて、実際は違うプレイヤーネームの2人。

 サベージのように違うイスカを使っていた可能性がないことはない。しかし、午前中の試合での楯無の戦いぶりをみる限り、ヤイバ相手に苦戦するとは思えない。わざわざ本気ではない装備でヤイバと戦う必要などなかったはずである。

 今思えば別人と考える方が自然だった。そうでなかった理由はセシリアに植え付けられた先入観にある。

 セシリアは一夏のためにIllに関係する可能性が高い噂を調査していた。その結果出てきた“水を纏う槍使い”の情報が、“カティーナ・サラスキー”の過去の装備と被っていた。敵である可能性をイメージとして刷り込まれていた。

 “銀の福音”の時と同じ手口にひっかかっていたと気づき、セシリアは己の成長のなさに呆れるしかなかった。

 

「一夏さんには……落ち着いてから話すとしましょう。今は楯無さんの提案に従うのが吉ですわね」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ミッションに向かう時間である午後1時半まではまだ時間がある。それまでは筐体をフリー対戦用に解放していて、藍越学園に集まったプレイヤーたちが好き勝手に対戦をしていた。鈴とシャルの2人はその中に混ざっていったが、残った俺たちは外のモニターで観戦するだけに徹している。

 弾と虚さんは2人でバンガードの試合を見ている。

 俺も同じ試合を見ようと思ったがその前にラウラと話しておきたかった。

 

「なあ、ラウラ。お前も昼からのミッションに参加していいのか?」

 

 ラウラはサベージとアーヴィンの試合を観戦したまま答えてくれる。

 

「ヤイバは私を必要としている。そうだろう?」

「それはそうだけど……ドイツ軍人が倉持技研とミューレイの諍いに加わって問題ないのか?」

「心配するな。私の上官からも『休暇中でも好きにISVSをプレイして良い』と許可が出ている。他に命令が出ない限り問題はない」

「割と自由なんだな。ラウラの上官ってどんな人?」

 

 ここまで目を合わせずに話していたラウラが初めて俺を見る。

 

「准将はシュヴァルツェ・ハーゼ創設の責任者だ。現状ではISの絶対数が少ないこともあり、軍内部にはIS操縦者で構成された大部隊など必要ないという考えの人が多い。だが准将は、いずれISが量産されて既存のシステムが悉く過去の物になると主張している」

「アントラスとは真逆の思想の持ち主ってこと?」

「たしかにあの人はIS推進派の筆頭だな。シュヴァルツェ・ハーゼ設立当時は軍内部にも敵が多かった。部下の私から見ても無茶ばかりする人だと思う。少しは自分の立場を考えろと言ってやりたい」

「ほほう。ラウラは上官さんのことが心配でたまらない、と」

「その通りだ。否定する気にもならん」

 

 ラウラは鼻で笑いつつも笑顔を見せる。

 俺がラウラと話をしたかった本当の理由は今朝の彼女の寝言が気になったからだった。

 俺の左腕に必死に掴まっていた彼女は『置いていかないで』と言った。それは過去に置いてけぼりにされたことのある奴だから言えることだと思う。

 今はどうなのか知りたかったのだが杞憂だった。上官との関係が悪いわけじゃないらしいし、以前に会った部下の人もラウラのために必死だったから俺が心配することなんて何もない。

 

「じゃあ、昼からも期待させてもらうぜ?」

「任せておけ」

 

 俺の方から話を打ち切るとラウラはサベージの試合の観戦に戻る。

 ちらっと見てみれば、あらゆる方位から迫る8本のBTソードをサベージが全て避けているところだった。サベージは『俺が本気を出せば簡単にはやられない』とか言っていたが十分に納得できる。

 今、ラウラがこの試合に見入っているのは倒しきれなかった悔しさ故にだろうか。

 

 ラウラのことはそのまま置いといて、次は弾たちに混ざってみる。特に目的はない暇つぶしだ。虚さんと2人きりになどという配慮なんてしてやらない。

 

「うっへぇ……うちの生徒会長ってあんなに強かったのか」

 

 弾が感嘆の声を漏らす。俺も試合を見てみるが同じ感想だ。

 リベレーターVSバンガードの一騎打ち。ステージを変えながら5連戦しているが、今のところの戦績は4対1とのこと。バンガードが先に1勝してからあとはずっと会長のターンらしい。

 

「ちらっと聞いた話だけど、会長は3日前に始めたばっからしいな」

「やめろ、一夏……聞いてて悲しくなってくる」

「悲観する必要はないです、弾さん。リベレーターの操縦技術はたしかに高度なものですが、バンガードを圧倒している理由はISVSの技能に関係ない駆け引きの上手さからでしょう。決して付け焼刃ではありません」

 

 しょげる弾の背中を虚さんが優しく撫でている。その姿を羨ましく思うと同時に世の不条理を嘆きたくなった。

 本当にどうして俺ばっかり標的にされるんだろうねぇ!

 さっきまで俺の隣にいたのがラウラでなく鈴だったらまた何か言われていたのだろうか。午前中の試合に勝ったところでアレが無くなるわけじゃないんだよなぁ。

 

「虚さんの言うとおりか。バンガードは強引に攻めるタイプのプレイヤーだから連続で対戦してれば読まれやすいに決まってる。ってか負け続けて熱くなり過ぎてるな」

 

 弾も落ち着いて見始めたようだ。

 会長が連勝してる理由は弾の言ったとおり、バンガードの弱点を突いているからである。俺が試合でやっていたことと同じだ。

 会長の本当の怖さは相手の人となりを一瞬で見極めるところなんだけど、わざわざ俺が弾に言うことでもないだろう。

 

「弾も会長に挑戦してきたらどうだ?」

「魅力的な提案だがパス」

「理由は?」

「土曜日だからだ」

 

 土曜日=虚さんとデート。なるほど。

 ちなみに傍で聞いてる虚さんは弾の言った意味を理解してないみたいだ。

 

 そんな感じでまったりと俺たち3人は過ごしていた。ラウラはいつの間にか離れてしまっていた。

 そこへ見覚えのない人たちが近づいてくるのに気がつく。

 人数にして3人……いや、2人の女子と一匹の巨大エビ(?)。

 たっちゃんさんで珍妙な格好に慣れたつもりだったが、あまりにも場違いなエビの着ぐるみには戸惑いを隠せない。

 

「弾。なんかこっちに来るんだけど、対応は任せた」

「待て、一夏。こういうときは大抵お前が目当てだ。あと、1人はうちの高校の同級生だぞ?」

「え? 誰?」

「女子ハンドボール部の相川だ。って言っても知らねえか。一夏は高校に入学してから最近までずっとコミュ障のフリしてたし」

「ひでえ。別にフリじゃねえし、理由は知ってるだろ?」

 

 言われて思い出す。

 俺は半年もの間、鈴、弾、数馬の3人としか付き合いがなかった。それはきっと鈴に指摘されたように自分自身への罰みたいなもの。箒がそんなこと望んでないってわかっていても、俺は周囲と一定以上の距離を置いていた。

 今の俺は違う。自分をいくら虐めたところで箒が帰ってくるわけじゃない。箒を救い出すために何をすべきかが見えている。

 だから俺がすべきことは力を貸してくれる人たちと握手を交わすことだ。

 

 向かって左側にいるショートヘアの子が相川さん、右側のおさげの子が推定“7月のサマーデビル”、エビの着ぐるみが“伊勢怪人”だと弾が教えてくれた。なるほど、あの着ぐるみは伊勢エビがモチーフなのか。

 そういえばマシューが言ってたけど伊勢怪人は86位のランカーらしい。そんなとんでもない相手がいるのに良く勝てたよな、俺たち。

 

 俺は意を決して彼女たちの行動を待った。

 だが彼女たちの興味は俺などではなかった。

 そして、弾でもない。

 

「お話があります、布仏先輩」

 

 彼女たちのリーダー格と思われるサマーデビルが虚さんの前に立った。試合の時に見せていた破天荒さなど微塵も感じさせない真剣な眼差しを虚さんに向ける。

 俺は彼女から嫌な空気を感じ取った。彼女自身を嫌うという意味でなく、嫌な予感の類である。俺と顔を見合わせた弾もきっと同じだったろう。

 虚さんだけは俺たちと違って彼女の目的を察しているようだった。

 

「お久しぶりです、谷本さん。まさかあなたと鏡さんがこの場に来るとは思っていませんでした」

「それはこちらのセリフです。私たちはいつまでも塞ぎ込んでちゃいけないと思って、今日という機会にいつもの私たちを取り戻そうとしたんです。じゃないと“本音”が帰ってきたときに、あの子が悲しむと思うから」

 

 俺は弾の肩を掴んで彼女たちから離れ、彼女たちに聞かれないようにこっそりと弾に確認する。

 もう嫌な予感が的中しているとしか思えなかった。

 

「本音っていうのは文字通りの意味じゃなくて、人の名前だろ? それも虚さん関係のだ」

「虚さんの妹の名前だ。今はお前の大切な彼女と同じ病院に入院してる」

「それが弾の戦う理由なんだな」

「ああ」

 

 ここまで情報が揃えば理解できた。

 虚さんが谷本さんと呼んでいた彼女は本音という子の友達で、他の2人も同じつながり。

 彼女たちはしばらくの間ISVSに顔を出していなかったらしいが当たり前だ。少し前の俺と同じようにゲームを楽しむ気になれなかったのだ。

 俺の場合はISVSに答えがあるとわかって前を向いた。彼女たちは進む方向もわからないまま、前を向こうとしたのだろう。俺よりも強い子たちだな。

 

「布仏先輩はどうしてここにいるんですか?」

「本音を探しているんです」

「本音は入院してます! こんなところにいませんよっ!」

 

 俺はこういうときどうすればいいんだろう?

 虚さんにしろ谷本さんにしろ、俺は彼女たちが求めている答えを知っている。

 本音という子はIllに囚われているのだ、と。

 だがそれを伝えてしまっていいのだろうか。

 知ったところで、探すアテもない。ISVSは広いため虱潰しに探したところで途方もない。俺と違って、より絶望するかもしれない。

 

 

「本音ちゃんはISVSのどこかにいる」

 

 

 俺が彼女たちのやりとりを見ているしかできずにいると、弾が前に進み出た。Illについて話すつもりなのか?

 

「信じられないかもしれないけど、彼女は3ヶ月もの間、ずっとISVSに閉じこめられている。だから彼女を閉じこめている奴をなんとかすれば入院している彼女は目を覚ますはずなんだ」

「五反田もあの噂を知ってるんだ……私は半信半疑だったんだけど、信憑性はどんくらい?」

 

 ここにきて相川さんが口を出してくる。あの噂とは集団昏睡事件に関するものに違いない。俺たちがイルミナントを倒してから目覚めた被害者によって、噂は大きく広がっていたはずだ。

 

「信憑性も何も俺たちは噂の化け物と戦ったことがある。な、一夏?」

「お、おう」

「なるほどねー。ってことは鈴音が病気で入院してたって話も実はそれ関係?」

 

 相川さんが鋭い指摘を挟んでくる。

 ここで弾が何かに気づいたようで八ッとする。

 

「そういうことか。お前は最初からそのつもりでサマーデビルと伊勢怪人さんの2人をISVSに引き戻したわけだな」

「確証はなかったけどね」

「清香。本音のことがわかったってこと?」

 

 弾と相川さんのやりとりについていけていない谷本さんが問いかけた。

 相川さんは谷本さんに向けて親指をぐっと立てる。

 

「私たちにも本音を助けるためにできることがあるってことよ!」

 

 それはISVSで化け物を倒すことである。わざわざそのことまで伝える必要はなかった。

 きっと谷本さんは自分にもできることがあるという事実だけで気が楽になっただろうから。

 

 弾が谷本さんたちに俺たちのこれまでの経緯の説明をし始める。

 俺が直接戦ったわけではないが、彼女たちの強さは試合で戦ってわかっている。Illと戦うための事情もある。きっと心強い味方となってくれることだろう。

 同い年の女子が危険な目に遭うかもしれないというのに、喜ばしいことだと感じている俺の心はどこか壊れてしまったのかもしれないな。

 

(かんざし)お嬢様にもお知らせするべきだったかもしれません」

 

 隣で谷本さんたちを見つめている虚さんが独り言を漏らす。

 何かがひっかかるが答えとしては出てこなかった。

 

 

***

 

 ミッション開始時刻となった。

 藍越学園に集まったプレイヤー総勢260人はISVS内の海岸に集結していた。ラピスが見せてくれた地図によれば、ツムギの本拠地に最も近い陸地なのだという。直接現地に転送できない理由は俺たちがゲートジャマーを設置したからだ。

 

「織斑くん。ミッションの概要によればここは戦場ではないようだけど、この後はどうするんだい?」

 

 生徒会長の質問に対して俺は指さすことで回答する。

 

「あれに乗っていきます」

 

 指さした先を会長が見たタイミングで、海中からアカルギが飛び出してきた。そのまま空を飛んでくると俺たちの頭上で停止し、ゆっくりと降りてくる。

 アカルギは無事に着陸。艦底の入り口が開かれた。

 

「よし! 順次、乗ってってくれ!」

 

 乗り込むように指示を出す。

 ブーイングの嵐だった。

 

「おい、織斑! これ1隻だけか!?」

「いくらなんでもこの人数は無理じゃね?」

「男女は分けられないんですか!」

「ちくしょうっ! 何で俺は鈴ちゃんの近くじゃないんだよォ!」

「よっしゃ! シャルロットちゃんと密着でき……アバターは男じゃん!? だが、それがい――ぎゃああ!」

 

 口々に文句を言いながらもなんだかんだで乗り込んでくれた。

 何人か妙なことを言っている気がするが気のせいということにしておこう。開始前から戦闘不能で離脱したプレイヤーなんて最初から居なかったんだ。

 

 プレイヤーたちが騒々しくアカルギに乗り込んでいくのを俺は見守る。

 隣にはブリッジから降りてきていたシズネさんがいる。

 

「賑やかですね」

「ごめんな。緊張感の欠片もなくて」

「いえ。皆さんのこうした姿は私たちの活力となります。可哀想って目で見られることの方が嫌です」

 

 シズネさんは相変わらず表情の変化が乏しい。

 俺はいつもそんなシズネさんに振り回されている。

 だからこそ感じた違和感というべきだろうか。

 

「シズネさん……何かあった?」

「何もありません。そのはずなんです」

 

 シズネさんはポーカーフェイスだが嘘が苦手な人だ。

 いつものシズネさんなら『ヤイバくんは緊張感が服を着て芸をしてるような人ですよね』とか『流石はヤイバくん。女の子の些細な変化も見逃しません』みたいな反応に困ることを言ってきそうなものだが今日は明らかに違う。

 何もないわけがない。そして『そのはず』だなどと自分に言い聞かせている。

 

「俺にも言えない?」

「何をでしょうか?」

 

 今までシズネさんは自分のことならば抵抗なく話してくれていた。

 彼女が隠そうとすることとなると、思い当たる事柄はひとつ。

 

「ナナに何かあったんだろ?」

「そうだとしても私にはわかりませんね」

 

 このまま平行線が続きそうだった。この場は諦めるとしよう。

 俺が会ってないうちにナナに何かあったんだとしても直接会って確かめればいい。

 

「プレイヤーの皆さんが乗り込み終えたようです。私たちも行きましょう」

「ああ」

 

 準備ができた。今は目の前の戦いに集中しなければ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 午後2時。

 ツムギ拠点の真上に浮かぶナナは南方の水平線上に黒い粒の群れを視認する。拡大してみれば、それらひとつひとつが黒い球体に手足を生やしたような形の機械であった。前回の襲撃者と同じだ。

 

「来たか。今は雑兵しか見えんが、あの巨大兵器が姿を見せるのも時間の問題だろうな」

 

 ナナの独り言の通りに敵が動く。進軍してくる黒い球体群の後方。海中から6本の腕を生やした巨大正八面体が現れた。正八面体が割れ、中心部から砲塔が伸びる。ISなしに直視すれば目を焼かれそうなほどの光量を持つエネルギーが砲内部に収束していく。

 

「デカいのが来るぞ!」

 

 ナナが叫ぶ。

 正八面体の正体は砲撃型マザーアース“ルドラ”。

 その砲撃は遺産(レガシー)であるツムギの基地も破壊することが可能と予想されるほどの威力を持っている。

 前回はナナが紅椿を盾にしてなんとか防いだ攻撃だ。今回も同じことができないことはないが、それをやってしまうと紅椿は戦闘不能となる。

 

「安心したまえ。来るとわかっている攻撃を防げぬなど、倉持技研にあってはならない」

 

 ナナに答える声があった。倉持技研の研究所の1つを任されている倉持彩華――プレイヤーネーム“花火師”である。

 花火師は部下の操縦者たちに号令を下す。

 

「総員、対長距離砲撃防御陣形! 前衛、“不動岩山”展開!」

 

 ツムギ拠点ドームの南方には打鉄の部隊が整然と並んでいる。等間隔に配置された全ての打鉄は皆一様に大型のシールドユニットを背負っており、花火師の号令によって一斉に展開される。

 登録容量を度外視したユニオンスタイル専用シールドユニット“不動岩山”。背中から伸びる機械腕に取り付けられている大型ENシールドは雪片弐型並のEN消費があり、使用中は移動も攻撃もできない。

 シールドの展開時間は出力によって決まる。防ぐことができるギリギリの攻撃を受けた場合、エネルギー配分を誤れば打ち破られることとなる。

 計25体の打鉄が不動岩山を起動。隙間無く広がった光の盾はドーム南方を覆い尽くしていた。

 

 ルドラの砲口が光の奔流を放つ。

 空気を裂く咆哮によって戦端が開かれることとなった。

 矛と盾が洋上で火花を散らす。海面が衝撃波によって激しく波打った。

 盾は一歩も退かず。矛が進めないまま、光の帯は細く小さくなっていく。打鉄は全機が健在とまではいかなかったが、耐えきっていた。

 開幕は倉持技研の意地が勝利した。

 

「動かざること、山の如し。花火師印の4文字装備を舐めてもらっては困る」

「次も防げるとは限らないがな」

 

 いい気になっている花火師にナナが水を差す。当然、花火師も承知の上のこと。

 

「防御要員はレガシーに着陸して回復に専念。攻撃要員は敵マザーアース“ルドラ”の攻略を開始せよ」

 

 花火師が部下に命令を下す。さらにこう付け加えられた。

 

「攻撃部隊の指揮はラピスラズリに委譲する」

 

 北方向より接近する巨大な機影がある。識別信号はアカルギ。ヤイバたちが駆けつけたのだ。

 ナナもツムギのメンバーに声をかける。

 

「我々は近づいてくる雑兵を片づけるのが仕事だ! 最前線でないとはいえ、決して油断はするな!」

「了解!」

 

 最後にナナは小さく呟く。

 

「任せたぞ。ヤイバ、ラピス」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 アカルギからもルドラの攻撃は見えていた。事前に全プレイヤーにその威力は知らされていたのだが、倉持技研は耐えきってみせた。アカルギ内は歓声に包まれている。

 

「安心するのはまだ早い! 役割分担は最初に言った通りだ! 全軍出撃!」

 

 真っ先にヤイバが空へと体を投げ出し、空中で白式を展開。彼はナナたちのいるツムギ拠点へと飛んでいく。その後にリベレーターやカティーナが続く。

 

「ようし! あたしらも行くわよ!」

 

 リンは別方向へと飛び出した。向かおうとする先にはルドラ。リンにとってこれはリベンジである。

 前回は戦闘後も勝利したと勘違いしていたリン。しかし、昨夜にセシリアからは実質的な敗北であったと伝えられた。順調だと思っていたのは自分だけでヤイバは水面下で苦しんでいた。リンは自分を許せない。

 

「バンガード! あたしを乗せなさい!」

「ま、任せろ!」

 

 リンはバンガードの機体“ラセンオー”の背部大型ブースターに飛び乗る。

 

「バレット。あたしらは一足先に仕掛けるから後続の指揮は任せたわ」

「元々、お前は指揮官じゃないだろが……さっさと行ってこい」

「うん、行ってくる。ハイヨー、ラセンオー!」

「リンちゃん!? 俺って馬扱い!?」

「考え方を変えるんだ、バンガード。お前が馬なんじゃなくて、リンちゃんがお前に馬乗りになるんだよ」

「流石だな、ベルゼブブ! やばいくらいテンション上がってキタァア!」

「ぎゃあああああ! アンタら、いい加減にしなさーいっ!」

 

 鞭の代わりにPICCのない拳骨を入れられてバンガードは発進した。

 バレットは無駄に騒々しい彼女らを呆れながら見送る。

 

「人の生き死にがかかってるかもしれないってのに呑気な奴らだぜ」

「でも弾さんはこれがISVSのあるべき姿だと思っています」

「まあ、そうなんですけど……アイさん、俺のことは今はバレットでお願いします」

「わかりました。バレットさんの好きなロールプレイでいきましょう」

 

 クスクスと微笑むアイと共にバレットも出撃する。

 目標は敵軍の要であるルドラ。アレを破壊すれば敵側に決定力がなくなり、防衛側の勝利となる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 バンガードに乗ったリンが先陣を切る。

 全速力でルドラへと向かうバンガードの周囲にはスピードを抑えたユニオン・ファイター部隊が付く。約1名のみフルスキンで音速域の特攻に付いてきているプレイヤーも居たりするが彼は特殊なので他プレイヤーは真似できない。

 リンたちの動きに反応した敵軍は黒い球体の軍団の一部を差し向けてきていた。不格好で鈍重そうな敵だが思いの外俊敏であり、戦闘は避けられそうにない。

 ミッション前にラピスから伝えられた情報によれば、この手足の生えた黒い球体はミューレイの最新型リミテッドであり、“ベルグフォルク”という名前である。攻撃面では通常のISと大差ないところまで来ているという驚異的な性能のリミテッドであった。

 

「出来ればザコに接触せずにデカブツに近づきたかったんだけどこれは無理ね」

 

 リンがバンガードから降りて戦闘を開始しようとしたときであった。

 彼女の前を飛ぶ男が待ったをかける。

 

「リンちゃん。こういうときこそ、俺の出番だぜ?」

 

 サベージが武器も持たずに告げる。彼の拡張領域には武器が一切入っていない。

 

「アンタ、武器も無しで何言って……ってよく考えたらいつも通りだったわ」

 

 リンは呆れを隠さない。

 サベージが普段装備しているスナイパーライフルは攻撃用でなく観賞用だ。持っていても持っていなくてもどうでもよいのである。彼が武器らしい武器を持ったのはベルゼブブとして戦っているときのマシンガンくらいなものだ。

 彼が今回、武器を持っていないのには実は真面目な理由があった。エネルギー効率が決して良いとはいえないシルフィードフレームで先頭に付いていくためには、ギリギリまでサプライエネルギーの供給能力を高める必要があったからである。おかげで拡張領域に武器を積む余裕は一切ない。

 

「よし、任せたわ」

「おつかれー」

「リンちゃんのためだ。死んでも囮となり続けるがいい」

「心配するな。リンちゃんは俺たちが見守っている。安心して踊ってろ」

 

 仲間たちは口々にサベージを応援してはさっさと迂回ルートへと飛んでいく。

 最後にはポツーンと残されるサベージだけが残った。

 

「え? 俺ひとり? マジでか……」

 

 一緒に戦うと言われた矢先の仕打ちがこれである。

 だがサベージは少しもへこたれてはいない。

 むしろ、その瞳は燃えていた。

 

「リンちゃんが俺に任せるって言ってくれた。だったら俺はやられない……国家代表とかの相手は無理だけど」

 

 サベージは敵の真っ只中に飛び込んだ。

 一斉に向けられるベルグフォルクたちの銃口。サベージにはそれらひとつひとつが鮮明に見えている。

 ショットガンが多数。次点がアサルトカノン。EN属性武器はなく、誘導重視のミサイルも多数。

 普段は自分で行なっている武器分析。

 しかし、今回は自分の力ではないおまけが付いていた。

 ラピスによる攻撃予測。サベージの広すぎる視界には弾道予測とタイミングまで表示されていた。普段よりも圧倒的に数が多いが、遙かにイージーモードであった。

 

「あざっす。これなら生き残ることは簡単だ。だけど――」

 

 サベージはラピスの指示から外れる軌道を通る。被弾覚悟ともとれる危険なコースをわざわざ選んでいた。

 

「今日は逃げるだけじゃダメなんだ」

 

 サベージを取り囲んだ敵軍から一斉射撃が放たれる。面で制圧してくる射撃の嵐の中をひらりひらりと漂うようにサベージは存在した。

 敵の第2波。今度は敵が狙ったわけではなく、サベージが狙わせたもの。攻撃を見切って避けるのは当然であり、サベージの真の狙いは別にあった。

 外れた攻撃は悉く敵軍に命中していく。空間を飽和させるためのミサイルはサベージの現在位置を追ってしまうために誘導され、攻撃と防御の両方に利用される。

 

「ここまで同士討ちが上手くいくとか、相当頭の悪いAIを積んでるみたいだな」

 

 ベルグフォルクたちの中身はプレイヤーではない。統率のとれた部隊ではあるが、動きが一致しすぎていた。故に外乱もなく予測が簡単なため、サベージにとってはラピスの支援がなくとも最初からイージーモードだった。

 サベージは武器を持たずしてベルグフォルクの部隊を半壊させた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 サベージの活躍は後続のバレットたちにも伝わっている。彼らが追いついた頃には攻撃能力の大半を失った絞りカスのようなリミテッド部隊が残っているだけでサベージはリンを追いかけて先に向かった後である。

 

「おーい、これじゃつまんねーぞ、バレットー」

 

 残党の始末だけしかやることがなく、バレットに苦情が入る。

 

「気持ちはわかるが、この“ベルグフォルク”っていうリミテッドはまともに相手してられないくらいに堅いのが特徴なんだ。サベージに感謝しとくとこだぞ」

 

 言っている矢先に海中からベルグフォルクの部隊が浮上してきた。その数は100を越えている。バレットたちは60人ちょっとであるため、数の上で不利だった。

 

「変なこと言うから来ちまったじゃねえか」

 

 バレットはグレネードランチャーとミサイルで攻撃を開始する。直進するグレネード弾は避けられたが、上空からのミサイルは全弾が命中した。しかし、球体の装甲が若干ひしゃげた程度であまり効いていない。これまでのリミテッドならば間違いなく倒せていたのだが、ベルグフォルクはフルスキンのIS並に堅い。

 バレットが倒しきれなかった個体の傍にいつの間にかアイの姿があった。更識の忍びと恐れられる彼女。左手のインターセプターで表面の装甲を切り開き、右手のブレードスライサーを隙間に差し込んでこじ開ける。そのまま内部に切っ先を向けて、イグニッションブースト。ベルグフォルクは胴体に大穴を開けた後、バラバラに砕け散る。

 

「解体できましたが手間取りました」

「あ、アイさん……すごいっすね。俺もやってやる!」

 

 速さだけが取り柄で火力不足という評価を受けているシルフィードフレームの方が大きな戦果を挙げていた。負けてはいられない、とバレットは自分を奮い立たせる。

 ショットガンを向けてくる敵にマシンガンを乱射する。破壊できずとも銃口を逸らすことはでき、バレットは動かずして攻撃を回避した。その判断が下せたのはラピスの補助あってのことである。

 さらにバレットは敵の胴体にハンドレッドラムで定点射撃を行なう。集弾の悪いマシンガンの癖を長く使ってきて把握しているバレットだからこそできる芸当。装甲に穴が開いたところへグレネードランチャーをぶっ放す。

 距離が近い上にマシンガンを連続で当てた直後は機動性が低くなる。問題なく命中したグレネード弾によって、ベルグフォルクは貫通した穴を中心にして吹き飛んだ。

 

 ほかのプレイヤーたちも独自の戦闘でベルグフォルクたちを倒していく。

 防御性能が高いリミテッドの大量投入によって優位に立つ敵軍という構図は優秀なプレイヤーたちによって形勢が傾きつつある。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ユニオン・ファイターの装備で出撃しているシャルルがラウラを乗せて移動している。

 彼女たちの向かう先はルドラ。先陣を切ったリンたちを目立たせていたのはラウラという本命を横からぶつけるためである。BTが関わらなければなんでもこなせるシャルルは単独でルドラに接近する大役を自分から買って出ていた。

 

「目標まで残り5kmを切った。敵リミテッドの姿は見られない。予定通り内部に潜入して敵主砲の破壊を行なう」

「じゃあ、突っ込むよ、ラウラ」

 

 ヤイバの信頼するエース2人がルドラを射程圏内に捉えた。

 敵マザーアースに取り付くのも時間の問題である。

 もう勝利が見えた。

 セシリアからの通信が入ったのは、その矢先であった。

 

『ルドラ後方に複数のISコアの反応! これは――新たなマザーアースですわ!』

 

 通信は敵に新手が出現したことを全員に報せるもの。

 2機目はたしかに厄介だが、シャルルは軌道と速度を変更せずルドラへと向かう。まずは1機でも確実に減らさなくてはならないからこその判断だった。だが、

 

「シャルロット……すまない」

 

 唐突にラウラがシャルルを突き飛ばした。ラウラはシャルルから離れ、ルドラではなく2機目のマザーアースである“黒い戦艦”へと飛んでいく。

 

「ラウラ! どうしたの!?」

「すまない……」

 

 返答は謝罪のみ。声色からは不本意であることが十分に伝わってくる。これはつまり、ラウラの判断自体はシャルルと同じものだったことになる。

 ラウラが自分の意志を唐突に捨てた理由。デュノア社のために戦っているシャルルは自分と重ねることで理解した。

 

「わかった。あとは僕に任せて」

 

 シャルルは単独でルドラへと向かう。

 ルドラの左方から攻め込む。射程に入ったところで大型ミサイル“マックノート”を2発射出する。なお、マックノートはデュノア社製ではない。

 ルドラはシャルル迎撃のために旋回するような真似はせず、左側の腕を動かす。左側3本のうち、一番上の腕の指先がミサイルに向けられた。指先にはガトリングガン。弾丸の雨がミサイルを襲い、2発とも破壊される。

 迎撃は想定の範囲内。シャルルは既に次の行動に移っていた。回り込むようにしてガトリングのついた最上段の手首へと特攻する。両手には巨大な杭。

 

「はあああ!」

 

 声を張り上げながら両手を前に突き出す。接触の瞬間にトリガーを引くとシャルルの腕以上の太さの杭が2本、ルドラの手首に打ち込まれた。手首が粉砕され、ガトリングガンを内蔵した手が海へと落ちていく。

 大型シールドピアース“グランドスラム”。これもまたデュノア社製ではない。これが意味するところ。それはミッション開始前からシャルルは手段を選ぶつもりがないという決意の表れだ。

 

「ちょっとミスしちゃった。アメリカ代表みたいにジャストタイミングとはいかないかぁ」

 

 今の一撃で両腕のグランドスラムが故障する。ほんの一瞬の遅れにより、衝突時にダメージが入ってしまっていた。不調を抱えたまま起動した高火力武器はただ1度の使用で自壊する。

 シールドピアースを失った。まだシャルルの足は止まっていない。背中のブースターの出力を上げて、中心部の砲身へと突撃する。

 だがルドラの左腕は2本残っている。中段の手がシャルルと主砲の間に割って入り、手の平からENシールドを展開。下段の手は同様にENシールドを展開してシャルルの後方から迫る。ENシールド2枚でシャルルを潰す構えだ。

 シャルルは単純な方向転換をしない。背中のメインブースターを切り離して、自分だけ予定していたコースから離脱する。ルドラの腕は両方ともシャルルを潰そうと追いかけた。

 装備の大半を失った絶体絶命のピンチ。にもかかわらずシャルルに焦りはない。

 彼女の視線の先には切り離したメインブースター。装甲がパラパラとめくれていき、内部からは流線型のデカブツが出現する。

 

「盾で攻撃するのもいいけど、守りを疎かにしたら本末転倒だよ」

 

 メインブースターだった代物の名は“星火燎原”。

 倉持彩香が『ISが使うミサイルの最高火力をどこまで高められるか』というテーマで開発した風林火山装備のひとつ。万全な状態のISに対しては集束型ENブラスター“イクリプス”に火力で劣るという結論が出てしまっているが、攻撃範囲は他の追随を許さない。ユニオンスタイルの集合体であるマザーアースには効果覿面の兵器である。

 ルドラは自分からミサイルの迎撃を放棄した。マザーアースといえどISの集合体であるため人が操縦している。いかに強力な装備があったところで、使う者の判断を誤らせれば勝機は見える。相手の弱いところを突くシャルルの戦術が上手く嵌まっていた。

 

 空気が揺れる。ただ1発のミサイルとは思えない衝撃波がまき散らされ、光と炎と音が周囲の目と耳を封じる。

 侵略すること、火の如し。爆発にこだわりを持っている倉持彩香自慢の一品はISを戦場ごと焼き尽くす。

 自分の攻撃の余波でシャルルは吹き飛ばされる。それすらも計算の範囲内。ルドラの腕の攻撃範囲から離脱することに成功している。あとは主砲発射不可能となったルドラを確認してシャルルの目的は達成できたといえた。

 だが、爆煙が消えた後、シャルルは思っていなかった光景を目にすることとなる。

 

「届いてない……?」

 

 シャルルは目を見開いた。今の一撃でルドラの左腕は3本とも破壊できた。だが肝心の本体は全くの無傷。透明なヴェールがルドラ本体を覆っており、空気との屈折率の違いからルドラが歪んで見えていた。

 

「水。いや、アクア・クリスタルだ。これほど大規模な運用ができるプレイヤーはカティーナ・サラスキーしか知らないけど、ラピスの話だと彼女は今、ヤイバの近くにいるはず」

 

 ルドラを守ったものは水でできたカーテン。本物の水というわけでなく、水に擬態しているBTナノマシン“アクア・クリスタル”で組み上げた盾である。使用するにはBT適性とは別に相性というべき才能が必要であり、使用できるプレイヤーの数はBTビット使いよりも少ない。実戦で扱いこなせるプレイヤーは13位のランカー“カティーナ・サラスキー”しかいないとされている。

 水のカーテンが撤去される。排水溝に流れていくようにカーテンの中心へとアクア・クリスタルが回収されると、そこに存在する機体の姿がハッキリと確認できた。

 右手には“蒼流旋”というランスを持っている。回収したアクア・クリスタルの一部をドレスのように纏い、本体の装甲はディバイドの中でも少ない方だ。他に装備は見当たらない。この装備構成はシャルルの知るカティーナ・サラスキーのものと同じである。

 初めて見る相手のはずだった。しかし、シャルルは相手の顔を見たことがある。それはヤイバとともに蜘蛛の目撃現場にいったときのこと。

 

「それが本気装備ってことかな。てっきりヤイバの方に現れると思ってたけど、こっちに来るんだったら容赦はしないよ」

 

 グランドスラムも星火燎原も失って満身創痍であるはずのシャルルの顔にはまだ余裕の色が窺える。

 武器ならばまだある。圧倒的な武器の豊富さこそがシャルルの持ち味であり、どう努力しても他者には追いつけない領域にまで足を踏み入れていた。

 シャルルはコンソールを開く。どのISでも統一されているレイアウトのはずであるが、シャルルのそれには専用の項目が存在していた。

 装備の一覧の上部に『フォルダA』と書かれたタブがある。左にはデフォルト、右にはフォルダBとフォルダCという同様のタブがあり、シャルルはデフォルトを選択する。

 

「“転身装束(てんしんしょうぞく)”。起動(ブート)

 

 機体に指示を下す。発動条件を満たした“リヴァイヴ・テンペート”は単一仕様能力を起動する。

 ほぼ装備を失い、装甲の大部分が大破した機体はシャルル本人を残して消失する。傍目にはISを失ったプレイヤーという状態となるがその時間は1秒と続かない。

 光の粒子が手足に集まったかと思うと瞬時に装甲が形成される。それらはシャルルが普段装備しているラファールリヴァイヴ改Ⅱのものであった。次々とシャルルに装甲が装着されていく。非固定浮遊部位であるシールドウィングまでが具現化すると、ユニオン・ファイターではなくディバイドスタイルのラファールリヴァイヴが存在していた。

 これがシャルルのワンオフ・アビリティ。拡張領域系イレギュラーブート“転身装束”である。ISコアの拡張領域が4つ存在し、それぞれに装備を設定。それらを切り替えることで実質的に他ISの4倍の装備を持つことができる。ただし、それぞれ独立した拡張領域であるため、拡張領域間を越えて装備を組み合わせることはできない。

 あくまで切り替えの能力である。それぞれの拡張領域のことをフォルダとして分けているのだが、フォルダの切り替えには一定の時間がかかり、その間は無防備となることも欠点。また、切り替え時に消耗したストックエネルギーが回復することもない。

 単純に武装が増える転身装束だが、最大のメリットは戦闘継続能力ではない。フォルダ切り替えの際にスタイルも瞬時に切り替わるという点こそが最も大きな武器となる。

 通常、ユニオンスタイルが容量オーバー装備を全て切り離(パージ)してもフルスキンやディバイドスタイルに切り替わるには30分程度かかる。シャルルの転身装束にはその30分が存在せず、フォルダごとのスタイルで即時に戦えるという特徴がある。

 つまり、今のシャルルは強敵を前にして満身創痍になっているわけではない。むしろいつもどおりの装備に切り替えたことで全力で戦える状態となっていた。

 

「まだ風は吹く。夜になるには早いよ」

 

 夕暮れの風が空を駆ける。


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