Illusional Space   作:ジベた

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21 容赦なき解放戦 【後編】

 一面の灰色の空に一点の穴が開く。一瞬だけ青い空が覗いたかと思えば、気流によって雲がかき乱されて再び青空は見えなくなった。だが何もかも元通りということはなく、雲の下に臙脂色の物体が出現している。それが穴を開けたものの正体。急速に視界の中で拡大されていくそれは背中に大型ブースターを背負ったISだった。

 

「織斑一夏ああああ!」

 

 臙脂色のISが俺の名前を叫ぶ。ヤイバではなく一夏と呼んで立ち向かってくるあたり、ISVS由来のモチベーションでないことは間違いない。マシューからの連絡を待つことなくわかる。コイツがバンガードだ。用済みとなったためか、バンガードは背中の大型ブースターを途中から切り離す。長距離移動用に余分に増設していたのだろう。一部を切り離してもなおバンガードはユニオンスタイル足り得る量の装備に包まれている。

 バンガードは小細工も何もなしに、ただ一直線に俺へと向かって落ちてくる。右手には円錐に螺旋状の刃がついているような武器。ISVSではあまり見かけない代物だ。ドリルである。

 

「うおらああああ!」

 

 凄まじい気迫と共にドリルが突っ込んでくる。無茶ができない俺は正面から立ち向かうような真似はせず、右にイグニッションブーストで移動した。ある程度は俺を追って軌道を変えてきていたバンガードだったが、俺が逃げる方が速い。バンガードは勢いを殺さずに地面に激突。土が高々とぶちまけられた後にできたクレーターの中心部にはバンガードが平然と立っていた。

 

「会いたかったぞ、織斑一夏ァ!」

 

 バンガードの頭部はメット状の装甲に覆われていて素顔は見えない。だがしかしその下の顔は良い感じに茹であがっていそうだった。念のため、確認をしてみることにする。

 

「俺が手配した出迎えはどうだった? なかなかいい趣向だったろ?」

「きっさまああああ!」

 

 作戦――というほど立派なものではないけど上手くいったみたいだ。バンガードは奇襲を仕掛けてきたつもりで孤立している。これより先に搦め手を用意しているとは考えられず、この場に来ることができる敵戦力はない。

 激昂したバンガードがドリルを前面に押し出して突っ込んでくる。事前に聞いていたバンガードの武器は槍だったはずだが、俺に対して持ってきたということはドリルこそが本気の装備なのだろう。属性としては物理ブレードと同じだが、ISに何か特殊な影響が出る装備でもあったと思う。それが何だったのかは思い出せない。

 当初の予定では雪片弐型で真っ先に槍を破壊するつもりだった。でも武器が違うから下手な手は打ちたくない。ここは――

 

「ぬっ!?」

「隙あり!」

 

 こちらからも飛び込んですれ違いざまに斬る。奴のドリルは剣のように振り回せるような代物ではない。機体自体は速くともドリルを扱う腕まで速いわけではなかった。このまま左手の盾ごと雪片弐型でぶった斬る!

 

「あれ?」

「くっくっく、かかったな!」

 

 怒りで染まりきっていたバンガードの声に余裕が戻ってくる。

 雪片弐型の刃はバンガードの盾に確かに食い込んだ。だが振り抜いた感触は空振りに近い。ISのシールドバリアに触れたときの独特の反応が皆無だったのだ。

 

「その盾、“スライドレイヤー”か!?」

「ご明察! そこは褒めてやる!」

 

 耐貫通性装甲スライドレイヤーはアサルトカノンやENブラスターなど属性を問わずに単発高火力の武器に対して効果を発揮する装甲だ。ただしマシンガンなどの手数重視の武器に対しては並以下の防御力となってしまう。速さを重視するユニオン・ファイターが盾を使用する場合はマシンガンやミサイルを警戒して単純に硬いヘヴィーイグニス装甲を使用するのが定石だった。

 バンガードがスライドレイヤーを用意してきた理由はただひとつ。雪片弐型(おれ)対策だ。何度も耐えられるものではないが、ENブレードはENブラスターの亜種。受け流すことは不可能ではない。

 

「もらったあああ!」

 

 俺の右手は雪片弐型を振り抜いたまま。バンガードはもう役に立ちそうにない盾を捨てつつ上半身を左に捻りながら右手のドリルを俺に向かわせている。剣の方が取り回しやすいとは言っても一度振り抜いた剣を返すよりドリルが到達する方が速い。フォスのディバイドスタイルである白式が物理ブレードなんて喰らえば即敗北コース。絶体絶命だ。

 

 ――シャルに会う前の俺だったならだけどな。

 

 笑いが抑えられない。

 誰かとの出会いが俺の力となっていることが嬉しくてたまらない。

 俺が夕暮れの風に何も教わらなかったはずがない。

 もう俺の右手に雪片弐型はない。

 何も持っていない左手を縛る制限は最初から何もない。

 だから――俺は隙を見せてなんかいない!

 

 左手に雪片弐型を呼び出す。下方向にENブレードの刃を出現させた下段の構え。迫り来るドリルよりも俺が左手を振り上げる方が速い。

 

「ラピッドスイッチだとっ!?」

 

 狙いはドリルの根本。ENブレードが通過した後にバンガードの右手に残されたのは柄の部分だけとなった。高速回転していた刃は空しく落下する。

 流れのままに俺は右足で回し蹴りを放つ。宍戸から教わったAICで物理ブレードと化した俺の踵がバンガードのメットを打ち砕く。

 

「ぐぁっ!」

 

 俺が体勢を戻したときになってもバンガードは蹴られた勢いを殺せず、腹当たりを中心としてクルクルと回っている。まだアーマーブレイクはしていないが、元々EN武器に対して耐性の低いユニオンスタイルだ。この一撃で終わる。右手に持ち直した雪片弐型を上段に構えて一気に振り下ろす。

 

「バカな……この俺がワンコンボで落とされるなんて……」

 

 驚愕の言葉だけを残してバンガードは消えていった。やはりエアハルトと比較すると何もかもが物足りない相手だった。雪片弐型のブレード部分を消してからマシューに通信をつなぐ。

 

「こっちは片づいた」

『早かったですね』

「勝とうが負けようが長引かない勝負だったしな」

『名誉団長。やっぱり正式に蒼天騎士団に入ってくれませんか?』

「考えとく。事件が全部片づいてからの話だけどな」

 

 マシューの勧誘を軽く流しておいて俺は戻ることにした。俺の役割であるバンガードの撃退はこれで終わり。あとは他の皆に任せることとなっている。

 何もなければ……だけどな。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 投擲使いの相川からの攻撃をバレットは避けきれずに右手で受けた。BT使いでもない相川が使う曲がるボールの軌道を読み切れなかったのだ。装甲の厚い箇所で受けたと言っても物理ブレードと同等の一撃を喰らっているため内部への衝撃は抑え切れておらず、ストックエネルギーが半分を切った。

 

「余所見してる場合?」

 

 わざわざバレットに警告する相川の手には次のボールがあった。彼女の言うとおりボールに集中しなければ回避することは難しい。しかしバレットを狙える敵は他にもいる。むしろそちらの方が危険な相手。

 

「来るぞ、バレット!」

 

 すっかり味方の数も減り、バレットの近くには同じスフィア所属のアギトしかいない。アギトの声に反応したバレットは相川から視線を外して海へと移す。海面から上半身だけを出している赤い海老が胸元の球体を光らせていた。本当に光っているわけではなく、ハイパーセンサーに事前に設定しておいたおかげで圧力異常を視覚化しているのである。これはリンが愛用している衝撃砲で確認される現象と同じ。バレットはがむしゃらに動く。止まることだけはありえなかった。

 不可視の砲弾を避けたのかそもそも撃たれていないのか。海から空へと撃たれれば何にも着弾しないためバレットには砲弾の存在を確認する術が自分に命中する以外にない。確認できるのは衝撃砲の起動だけ。衝撃砲は相手を動かす為の牽制として非常に優秀である。動くことを強要し、余裕を失った相手に本命の一撃をぶつけるとわかっていながらも、またもや術中に嵌まるプレイヤーが1人。

 

「しまった!」

「アギトーっ!」

 

 海老を模したIS“クルーエルデプス・シュリンプ”から射出された捕獲用アンカークロー“ヒットパレード”がアギトの足を挟んで捕らえる。海へと引っ張られるアギトは反射的に逆方向へと飛ぼうとするも、足を引きちぎると言わんばかりに強く締められることでPICの機能が低下してしまう。ついには抗えずに着水。迫ってきていた海老型ISのハサミに両腕を押さえられて、アギトは深い海へと連行される。

 その先は一瞬のことだった。

 ハサミに仕込まれているシールドピアース“グレースケール”が両腕に打ち込まれてアーマーブレイクが発生。ダメ押しの追撃として胸部の指向性水中衝撃波砲“渦波(うずなみ)”が放たれた。アギトは声を上げる間もなく粒子状になって退場する。

 

 アギトの反応が消えた。それはバレットにもすぐにわかった。アギトが引きつけていた敵プレイヤーが自分に殺到することも簡単に予想できる。部隊はほぼ壊滅。残っているのはカトレアを含めた数人だけであり、敵にはサマーデビルも伊勢怪人も健在の上に10機は残っている。

 

「マシュー。悪い、俺らは全滅するわ」

 

 ここの戦況など知っているであろう指揮官にとりあえず報告する。後ろに控えてた部隊を前に出すという連絡は来ていたがそれまで持ちこたえられそうにはなかった。すると彼からは妙な返信がきた。

 

『あれ? もう援軍が到着する頃のはずだけど?』

「はぁ?」

 

 もう援軍が来ているとマシューは言う。しかし20機ほどで構成されているはずの部隊などまるで見えなかった。

 

「隙あり!」

「うわっ!」

 

 マシューにクレームをつける暇もない。相川の攻撃をなんとか紙一重で避けたバレットだったが既に3機のISに囲まれてしまっている。アサルトカノンにスナイパーライフル、拡散型ENブラスターにマシンガン。これら全てとハンドレッドラムひとつで渡り合うことはバレットには不可能だった。

 敵から一斉に射撃が放たれる。逃げ道もまるでない。

 そんなときである。

 

 バレットの視界が白く染まった。

 

「何だ……これ……?」

 

 一瞬でバレットの周囲は霧に覆われていた。敵の仕掛けてきた目くらましにしてはタイミングが間違っている。かといって自分の出したものではなく、周囲にはバレットを援護できるような味方はいないはず。

 

「――あとはお姉さんに任せておきなさい」

 

 霧の中で女性の声がした。バレットはこの声を知っている。自分がこの試合に連れてきた人の声だ。

 声のした後、複数の攻撃が何かに着弾する音だけが聞こえてくるも霧の中では何が起きているのか見ることはできなかった。熱やPICに絞ってハイパーセンサーを稼動させてもノイズがひどくて何もわからない。

 

 バレットが呆然としていると急速に霧が晴れた。

 するといつの間にか目の前には知らないISの背中がある。

 いや、ISの背中と呼ぶにはやたらと肌色が目立っている。

 バレットは自然と肩から腰にかけての艶めかしいラインを目で追ってしまった。

 

「お姉さんのカラダが魅力的なのはわかるけど誰かの彼氏としては良くないわね。虚ちゃんに言っちゃおっかなー?」

「やめてください、楯無さん!」

 

 そう、バレットの窮地に現れたのは更識楯無だった。わざわざ現実と同じ仮面を被って変装をしている。どう見ても仮装であるのだがそこに触れてはいけない。

 バレットはからかわれているとわかっていても必死に楯無に懇願する。そうでなければ本当に虚にあることないことを言われてしまいかねない。昨日出会ったばかりだがもう彼女の人となりの一部は理解できていたバレットだった。

 

「じゃ、早速だけどバレットくんには残った皆を引き連れて敵の本陣に向かってもらうわ。どうも厄介な相手がいるみたいでエースの2人が立ち往生してるみたいなの」

「え? いや、敵が俺を逃がしてくれるはずが――」

 

 楯無の言った内容をバレットは理解できなかった。まだ不利な戦況で逃げるのも難しいというのに、最前線に合流しろと言われても無理だと答えるのが普通だろう。

 しかし本当に理解できていなかったのは今の状況の方だった。バレットを包囲していたプレイヤーは4人いたのだが、何故か今は相川の姿しかない。遠くにいる他の味方プレイヤーを探してみると既にバレット以外が集まっていた。

 

「何度も言わせないで。ここはお姉さんに任せなさい」

 

 ようやくバレットは悟る。楯無のことをISVSではあくまで一般プレイヤーだと思っていたが全くそんなことはない。むしろヤイバが自軍の要と定義していた2人をも上回る戦力である可能性が高い。

 

「わかりました」

 

 バレットは指示に従ってカトレアたちと合流し、敵陣営に向かう。全体的にボロボロであるが、まだやれることが残っているのだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 バレットたちが去っていく。予定では楯無が今いる戦場を迂回させた別働隊20機がバレットたちに合流してラウラとシャルルの元へと到着する。この試合は敵軍本陣の人工島が決戦の舞台となるはず。楯無がすべき仕事はこの場に残っている敵プレイヤーの排除で終わり。そもそもあまり目立つことをするつもりがなかったため、今の状況も不本意なものである。

 

「ひとりで残るなんて大した自信家じゃん? どんな手品で3機をいっぺんに落としたのか知らないけど、私は一筋縄にはいかないわ!」

 

 相川の全力投球。バレットを苦しめてきていたこの攻撃を、楯無は右手を一振りすることで対処する。彼女の右手に握られている装備は扇子。広げた扇で風を起こすように横に振るとボールに亀裂が入ってから爆発した。

 

「ちょ――手榴弾じゃないのにどうして?」

 

 相川は何をされたのかまるで理解できていない。ただ楯無は扇を振っただけ。楯無の両腕についている振り袖のような装甲が原因かと疑う相川だったが、結局ボールを爆発させた手段には思い至らない。

 

「球遊びはもうお終いかしら?」

「そっちこそ、その扇子で水芸でもしてみたら?」

「じゃあそうさせてもらうわ」

「え?」

 

 楯無の煽りを相川は煽り返したつもりだったが、最終的に翻弄されることとなった。楯無は開いていた扇子を閉じると相川に向けて真っ直ぐに突き出す。その先端には光っている粒子が集まっていく。

 扇子から水が出ることはなかったがビームが放たれた。一連の行動に目を奪われていた相川は直撃を受けてしまう。

 

「ちょっと! そんな武器、聞いたこともないわよ!」

 

 自らの知識から楯無の扇子をENライフルと判断したが、思い当たる装備はなかった。まだISVSを始めてから日は浅くとも勉強熱心な相川は色々と自分で調べている。しかし該当する装備はENライフルのカテゴリはおろか、他装備にも思い当たらない。

 ここで相川は気づいた。そもそもフレームからして知らないものが使われている。振り袖と形容した部分も装甲と呼ぶには柔らかく、布と何も変わらないように見える。非固定浮遊部位はなく、武器らしい武器は扇子だけ。

 

「それは仕方ないわ。これ全部ハヅキ社の試作だから、新作装備を片っ端から調べてるようなプレイヤーでないと知らないのが普通よ」

「ハヅキってネタ装備しか作ってない元ホビーメーカーじゃ――」

「よく知ってるわね。だからこれもネタ装備なのよ、きっと」

 

 ふふんと楯無はしたり顔を見せる。むっとする相川だが楯無の出方がまるでわからないため行動には移れない。そこへ相川の友人がやってくる。

 

「どうしてクシナダがここに来てるの?」

「私の機雷が突然全部爆発してカトレアちゃんを見失ってたら逃げられちゃった」

 

 てへっと自分のおでこを小突くサマーデビル。おどけた調子で話された内容には相川にとって聞き捨てならないことが混ざっていた。

 

「突然、全部爆発……?」

「そんなことより、今残ってる相手はそこの妖しいお姉さんだけなんだよね?」

「ふふふ。どうも、私が妖しいお姉さんです」

 

 サマーデビルの物言いに楯無は乗っかった。楯無としては彼女たちを無理に倒す必要もないため、会話を楽しむ余裕がある。そのことに気づいていない相川は戦闘の手を止めて楯無の機体について考えていた。

 

「あ、ちょっとごめん。戦う気がないならそこで大人しくしてて」

 

 楯無が断りを入れてから後方にふわりと浮き上がるように移動する。直後に赤いアンカークローが通過。遙か下方から伸びてきた武器の元を辿ると、赤い海老型のISの姿がある。

 

「海中用のIS。実際に造ってるところもあるけど、ISVSで見るのは初めてね。私に立ち向かってくるその意気もよし」

 

 バレットの部隊を壊滅に追いやった立役者であるプレイヤー。海の王者ともいえる相手に楯無がとった行動は急降下であった。海面すれすれで止まるのかと思えば、迷いなく海面を突破して海中へと潜っていく。

 

「さあ、来なさい」

 

 海中だというのに楯無は扇子を広げて暑そうに顔を扇いだ。近づかせようという魂胆が見え見えの挑発に対して海老型ISは遠距離からの攻撃を選択。胸の水中衝撃波砲で楯無を狙い撃つ。

 

「それじゃ届かないわ」

 

 楯無が扇子を前に突き出すと海面が割れて厚い空気の層が壁のように降りてくる。空気に阻まれて攻撃は失敗に終わった。

 海老型ISの次の攻撃は魚雷。背部の発射管から一斉に放たれる魚雷も空気の壁を突破できるとは限らなかったが、多方面から攻撃することで突破しようというゴリ押し戦法である。

 対する楯無は左手で指を鳴らすだけ。すると全ての魚雷が一斉に爆散する。発射している最中の魚雷までもが爆発し、海老型ISの背中の魚雷コンテナが完全に破壊された。捕獲用アンカークローも壊れてしまっている。

 

 残された武器はシールドピアースを内蔵しているハサミと胸の水中衝撃波砲のみ。実質的に接近戦を余儀なくされた海老型ISは高速で楯無に迫る。

 

「たぶん勘違いしてると思うんだけど、私の周囲にあるのは海水じゃないから」

 

 楯無は一歩も動かない。今度は扇子を振ったりもしない。テリトリーに入った敵ISの周囲に膨大な量の“ナノマシン”が漂うという状況は完成している。あとは指示を下すだけで終わり。

 

「さようなら。残り時間は上にいる子たちと遊ぶことにするわ」

 

 楯無のIS“霧纏(むてん)”からエネルギーを受け取ったBTナノマシンが一斉に爆発。一時的に海に大穴が開くほどの爆発の後、クルーエルデプス・シュリンプの姿はどこにもなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 バンガードが去った後の高空ではまだ戦闘が繰り広げられていた。数の上では5対4でリンたちが優位であるがユニオンスタイル初心者であるリンが混ざっているため実質的には五分。むしろ敵側の可変IS使いの技量が突出しているために押されている状況だった。

 

「なんか別ジャンルのゲームやってるみたい。戦闘機で撃ち合う感じの」

『リンってそういうのやったことあるの?』

「ないわよ。そんなイメージってだけ」

 

 戦況が不利だろうとリンはライルに愚痴をこぼす。各々が止まることなく、なんとか相手の背後をついて攻撃を加えることに終始している。ただしがむしゃらに撃ったところで当たるはずもないので、リンだけは攻撃すらできずに延々と飛び回っているだけだった。

 

「バンガードって凄いプレイヤーだったのね。こんなビュンビュン飛び回ってる中で格闘戦を仕掛けられる気がしないわ」

『高速戦闘でよく使われる武器がレールガンとか高速ミサイルのように弾速重視の射撃武器である理由はやってみると良くわかるでしょ?』

「うん、そうね……今まさにビシバシ当てられてる最中だから腹立つくらいに理解させられてるわ」

 

 通信をしているリンの背後に例の可変ISが執拗についてきている。戦闘機形態となっているその先端にはレールガン“レヴィアタン”が取り付けられていて、照準が合う度に少しずつリンのストックエネルギーが削られていた。

 

『リン、ひとつ提案があるんだけどいい?』

「何よ。言ってみなさい」

『作戦通りバンガードをヤイバが倒したみたいだし、ここにリンが残ってるメリットはもうない。今から俺がその可変ISを引きつけるから、その隙にリンは敵の本陣へ向かって』

 

 何もできずにいるリンへのライルからの提案は実質的に戦線からの離脱であった。役立たず宣告に近いものであるが、リンが足を引っ張っていることは事実であり自覚もしている。

 

「わかったわ。でも、アンタたちだけで大丈夫? あたしが言えたことじゃないけど」

『心配いらないよ。今回は俺が負けてもチームの負けじゃないし。それにいつまでも弱いままの俺じゃない』

 

 リンの了承を確認したライルが行動を開始する。リンを追っている可変ISの横に並ぶと機体ごと体当たりを仕掛けていく。もちろん避けられてしまうが、軌道が乱れればライルの思惑どおり。リンとの距離が開き、無理に追えばライルが後ろから狙い撃てる状況の完成だ。

 

 リンの離脱は成功。あとは戦うだけ。

 

「リンには言わなかったけど、相手はあの可変愛好家で有名な“カイト”さんだからなぁ。俺の腕でいつまで保つかわからないけどやるだけやるか」

 

 ヤイバの立てた作戦ではバンガードを倒すまで他の高空部隊をここで釘付けにしておく必要があるというだけだった。その役割は終えている。もう彼らを通してしまって問題はないのだが、いい機会だからとライルは日本のトッププレイヤーの1人に全力で挑むことにした。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ベルゼブブ。元を辿れば気高き主という意味であるバアル・ゼブルの名で呼ばれていた神であるが、多くの日本人が持っているイメージは聖書に記されているハエの王という意味を持たされたバアル・ゼブブであろう。聖書から固有名詞を借りたロールプレイングゲームをしていれば、ハエという特徴的な見た目から特に印象に残る悪魔の名前と言えた。

 

「くそっ! 何故当たらないっ! この数で攻めきれないというのか!?」

 

 苛立ち混じりのラウラの愚痴が漏れた。バレットたちの援軍が駆けつけて5分は経過している。敵側にも援軍が現れているが数の上ではツムギ側が優勢となっているにもかかわらず状況は何も好転していない。

 原因はわかっている。たったひとりでラウラとシャルルの2人を出迎えた黒いシルフィードを操るプレイヤーの存在だ。ラウラの攻撃はおろか、援軍に駆けつけてきたプレイヤーが包囲して一斉射撃を加えてもわずかな隙間を突いて潜りぬけてくる。それどころか攻撃を巧みに誘導してきて同士討ちを誘われる始末。数を頼りにすれば攻めきれるというラウラの判断を嘲笑うかのようなプレイを見せつけてきていた。

 

「こいつが噂の“週末のベルゼブブ”か……」

「知っているのか、五反田?」

 

 もう後のことなど気にせず、眼帯を外して全力を出すしかないと思っていたラウラの耳にバレットの独り言が届く。ISVS内でも実名で呼ぶ彼女のことを気にすることなくバレットは反応を返す。

 

「名前だけは聞いてた。でも会ったことはない。最近の俺は土曜日だけゲーセンに顔を出してないんだが、奴は決まって土曜日に現れる。微妙な距離でマシンガンをばらまき、こちらの攻撃は当たらない。まるでハエのような鬱陶しさと週末にしか現れないってことから付いたあだ名が“週末のベルゼブブ”。本人も気に入ってるみたいでプレイヤーネームもベルゼブブになってるようだな」

「一部では有名なプレイヤーってことだよね?」

 

 ラウラとバレットの会話にシャルルも混ざる。シャルルの発言をバレットは頷いて肯定しつつ、話を続けた。この戦闘で気づいたことがあった。

 

「名前だけしか知らない。そのはずだったんだが……俺は一度だけ奴の戦いを見たことがある」

 

 まだそれほど古くない記憶だ。アメリカ代表イーリス・コーリングを擁する強豪スフィア“セレスティアルクラウン”との試合でのこと。いち早く退場させられ、モニターで眺めていた“チームメイト”の活躍。9人を同時に相手にして一度の被弾もなく、そして一度も攻撃することもなく同士討ちを誘って相手にダメージを与えていた男の姿が敵プレイヤーであるベルゼブブの姿と被った。

 

「テンプレ装備だからって油断ならねえ。俺はずっと思ってた。“奴”がセオリー通りに機体を組めば強いはずだって」

 

 バレットの言う“奴”の弱点は接近戦にあった。ヤイバにもイーリスにもマシューにも同じように接近戦で瞬殺されている。しかし両手にあるマシンガンのおかげで接近戦にもある程度の対応が可能となっていた。マシンガンを愛用するバレットから見ればベルゼブブのマシンガンの使い方は下手くそである。しかし、それ故にラウラやシャルルがベルゼブブの攻撃を見切れないのだから結果的には脅威となっていた。

 なぜ“奴”がマシンガンを持ち出してまで“彼女”の敵側についてしまったのか。

 なぜ真っ当にISVSをプレイしているのか。

 答えは出ない。だが悩んだところで本気の“奴”が強敵として立ちはだかっている事実だけは変わらない。バレットは決断する。

 

「ベルゼブブの攻撃能力は並以下だ。無視して他を倒そう」

「だがそれは――」

「奴が邪魔なのはわかる。でもムキになって奴を倒そうとすることこそが奴の狙いだ」

 

 味方にいるとその恩恵を実感しづらかったが“奴”は囮として優秀である。敵に回したときの厄介さを十分に理解した上で、一番されてほしくないであろう選択をバレットはした。ラウラとシャルルの集中が削がれたままとなって思うように戦闘ができないが、無視こそが最善策とバレットは言い切る。

 だがラウラとシャルルでも倒せない敵がいることとなり、自軍の士気は目に見えて落ちていた。無理なものは無理と割り切ることも必要だ。だが結局何も解決していない選択をしただけでは勝ちとは言えない。

 

 この状況を打ち破る何かが欲しい。

 そんなときに都合良くやってくるのがヒーローというものだ。

 性別こそ女であっても彼女はヒーローだった。

 

『あの黒いのを倒せばいいのよね?』

 

 分厚い雲を突き破り、日の光とともに落ちてきたリンの双天牙月が吸い込まれるようにベルゼブブの胴体に食い込んだ。リンとベルゼブブは共に人工島の地面に激突し、両者共に倒れたまま動かなくなる。

 一瞬の出来事だった。抱えていた問題点が瞬時にクリアされ、バレットは叫ぶ。

 

「今だ! 一気に殲滅するぞ!」

 

 敵軍の柱となっていたベルゼブブの敗退により流れは一気にバレットたちに傾いた。ラウラとシャルルも調子を取り戻し、敵本陣への進行が本格化する。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 目を奪われた。ただそれだけのことだ。

 ランカーやそれに比肩する実力を持ったプレイヤーを前にしても致命打を喰らわず、多数のプレイヤーに囲まれてもなお君臨していたハエの王の名を持つプレイヤー。彼は空から落ちてきた少女の一撃を避けられなかった。何の工夫もない、真っ正直な攻撃であったにもかかわらずだ。

 地面に空けられたクレーターの中心でベルゼブブは大の字になって横たわる。まだストックエネルギーが尽きたわけではないから退場はしていない。しかしアーマーブレイク状態となっているためシルフィードフレームの持ち味である機動力が殺されている。回復するまでは動くだけ無駄であった。ついでにマシンガンが両方とも壊れており攻撃手段もない。

 彼が動かずにいるとすぐ傍で同じように倒れていた少女がむくりと起きあがる。ユニオンスタイルの弊害の1つであるのだが、彼女が装備していた大型ブースターなどの拡張領域(バス・スロット)に入っていない装備は墜落の衝撃で全壊していた。身軽になった少女はその場で伸びをした後で傍らに横たわるベルゼブブを見据える。

 

「よっしゃ! 当たったーっ!」

 

 続くガッツポーズ。無邪気に喜ぶ少女をベルゼブブはフルフェイスのメットの裏で微笑ましく見守っていた。

 

(鈴ちゃんの活躍を織斑が知っててくれれば、それでいい)

 

 ベルゼブブがこの試合に参加した目的はバンガードに同意したからというわけでも、他の強豪プレイヤーのように大規模な戦場で戦ってみたかったわけでもない。

 全てはこの一瞬のため。リンに倒されるためだけに参戦を決意した。それもただやられるだけでは何も意味がない。ヤイバに大きな壁として認識させてから倒される必要があった。

 ベルゼブブは周囲を見る眼に自信がある。虫の複眼のように周囲を同時に観察する特殊視界技能によって並の攻撃では掠りもしない。自慢の“逃げ足”を駆使して強敵を演出することができる。攻撃が下手な自覚はあったが手数でどうにかすることにした。

 余裕など何もなかった。ラウラとシャルルの2人の攻撃を避けられたのは紙一重のことであり、彼女たちがベルゼブブを強敵として警戒したことで下手なマシンガンも牽制として機能した。危ないところには都合良く味方の狙撃が援護してくれていた。打ち合わせも何もない支援と運に感謝してベルゼブブは戦い抜いた。

 

 そんな彼への褒美であったのだろう。

 集中力が限界に来ていた彼の頭上の空に穴が開く。

 雲を突き破り、陽光と共に現れた少女の顔を見て――脱力した。

 

 当初は衝撃砲による“わからん殺し”で倒されるつもりであった。それまでは彼女が相手でも全力で戦うと決めていた。

 しかし、いざ彼女の姿を目にして達成感を覚えてしまったのだ。俺はやり遂げたのだ、と。大好きな彼女の顔を見て癒されてしまっていた。

 

(ちょっと見た目には八百長に見えるかもしれないけど、俺は最初から最後まで本気だった。俺という見せかけだけの強敵にがむしゃらに飛び込んできた鈴ちゃんの強い意志があったからこそ、俺は敗れたんだ。だからさ、織斑。お前の周りにセシリア・オルコットみたいな優秀な女性がどんだけ来ようとも、鈴ちゃんがお前のために頑張ってるってことを絶対に忘れないで欲しい)

 

 所詮は独りよがり。それでも譲れないものが彼の中にはあった。カプ厨と笑われようとも、自分が美しいと思ったものを彼なりに守ろうとしていたのだ。

 もうベルゼブブにできることはなにもなく、あとは黙ってリンが去るのを見つめるだけ。そのはずだったのだがリンはまだ立ち去らない。それどころか歩いて近寄ってきていた。

 

(そっか。俺がまだ退場してないことに気づいてとどめを刺すんだな)

 

 別に死んだ振りをして生き延びようというわけでもない。むしろさっさと退場させてくれた方が外からリンの姿を追えると考えていた。

 だがリンの行動は予想から外れる。ベルゼブブの傍までやってきた彼女はその場に座り込んで彼の顔を覗きこむ。そうしたところでベルゼブブのアバターが見えるわけでもなく、もし見えても彼の正体がわからない顔をしたアバターであるはずだった。

 なのに――

 

「なんでサベージがそっち側にいるの?」

 

 彼女はベルゼブブが普段使っている方のイスカのプレイヤーネームで呼んだ。

 

「黒く塗ってあるのはイメチェン? それにマシンガンとか普段なら絶対に使わないじゃない。バレットがいつも言ってたわよ。サベージは真面目にやれば強いのにって」

 

 リンはベルゼブブをサベージだと断定して話しかけ続ける。声を出してしまえばそれが事実だと認めてしまうことになるため、ベルゼブブは黙って顔を背けた。今ここでベルゼブブの正体がサベージであるとリンに自白するのはダメな気がしたのだ。

 

「へぇ……あたしを無視しちゃうんだ。その調子で普段の態度も改めることね。スナイパーライフルを覗き見に使うために装備するなんてアンタくらいなのよ。本当に迷惑」

 

 気持ち悪がられていることは自覚している。しかしハッキリと言われてしまうのは精神的ダメージが入った。ベルゼブブは何も言い返せずに落ち込む。顔にも出ているがその変化はリンには伝わらない。

 しかし彼女はまるでベルゼブブの心が読めてるかのように話をこう締めくくった。

 

「一緒に遊ぶからには全力のアンタとがいいわ。次を楽しみにしてるわよ!」

 

 リンはベルゼブブにウィンクをしてから戦場へと戻っていった。一夏以外に対してもそんなことをしているからファンクラブなんてものができているのに彼女自身は気づいていない。だがベルゼブブはそんな彼女だからこそ好きになったのだから、この先も注意を促すようなことはしないだろう。

 リンがいなくなったところでようやくベルゼブブの口から言葉が漏れる。

 

「俺と一緒に……か」

 

 リンを見てるだけで良かった。サベージがISVSを始めた理由などその一点である。

 別イスカでベルゼブブとしてプレイしていたのは、たまたまリンがいないときに訪れたゲーセンで、ついでにイスカも忘れていたから新しく購入しただけ。リンがいなかったからいつもの覗き見装備をする必要がなく、バレットに頑なに薦められていた装備構成でやってみた。結果、誰にも負けなかった。それでもベルゼブブとしての彼はISVSを面白く感じていなかった。

 

「俺も一緒に楽しんでいいのかな、鈴ちゃん?」

 

 ベルゼブブ――サベージが次のISVSを楽しみにするのはこのときが初めてであった。好きな子に面と向かって誘われては悪い気はしない。

 諦めている恋を抱えたままでも、友達として楽しめるのだろうか。

 彼はそう自問したが、鈴ちゃんが可愛いければどうでもいいやと結論づけて考えることをやめた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ベルゼブブが落とされた場面は狙撃手からも見えていた。敵軍を足止めするための優秀な囮役が思わぬ相手に敗れたことで狙撃手、チェルシーの思惑通りの展開にならないことが確定した。ベルゼブブがいなければヤイバがここまでやってくる可能性はない。

 チェルシーは自分の唯一の得物であるAICスナイパーキャノン“撃鉄”を折りたたみ、すぐさま移動を開始する。これ以上この場に残っていてもヤイバの活躍を見ることはできそうになかった。今からヤイバの元へと向かって間に合うのか甚だ疑問ではあったが、行動しなくては何も変わらない。

 

 だがチェルシーがヤイバの元へ向かうことはない。

 

「そんな……」

 

 折りたたんだ撃鉄を背負ったところで、シールドバリアの減衰とストックエネルギーの減少が確認された。実弾などによる物理ダメージ、それも高PICCによる一撃を加えられたのだ。

 咄嗟に転がるようにしてその場を飛び退く。攻撃された箇所は首。左後方からブレードによって斬りつけられたものだと理解が追いつく。だが落ち着いて射撃戦ができる間合いにすることを襲撃者が許すことはなかった。

 襲撃者は既にチェルシーの背後を取っている。そこでようやくチェルシーは相手の姿を確認できた。闇に溶けるような濃い紫色のシルフィード。両手には物理ブレード“ブレードスライサー”とENブレード“インターセプター”がそれぞれ握られている。装甲が全くと言っていいほどついていないその姿は、PICが起動していなくても移動を可能にするためだとチェルシーは耳にしたことがあった。現にこの敵の接近にチェルシーはおろかBT使いが気づかなかったのはISVS特有の隠密機動を実践していたためである。

 チェルシーは噂でのみ聞いていた名前を口にする。

 

「更識の……忍び……」

 

 一部のプレイヤーに現代のニンジャとして恐れられているプレイヤー群の総称だ。

 人工島までの進入経路は橋の下。チェルシーの目では橋の下を移動するISの存在は認識できない。島にさえ到着すれば後はいくらでも障害物がある。ヤイバの作戦の初手であるあからさまな進軍は、女神解放戦線のプレイヤーの目を橋から逸らす効果をもたらしていた。

 もっとも、ヤイバは更識の忍びの行動どころか存在も把握していないのだがチェルシーにそれを知る術はない。

 

「お見事です、一夏様」

 

 流れるような剣捌きによる連続攻撃でチェルシーは勘違いしたまま退場することとなった。

 

「件の狙撃手は片づけました。このまま敵リーダーを討ちますか?」

 

 他に誰もいなくなった建物の屋上で更識の忍び――プレイヤーネーム“アイ”は自らの主に指示を仰ぐ。返信はすぐに来た。

 

『却下。たけちゃんが何者かに返り討ちにあっちゃってる。もう虚ちゃんの存在はバレちゃってるだろうから奇襲は無理そうね。五反田くんたちが敵リーダーを見つけるまで身を隠した方が賢明よ』

「了解しました」

 

 他に侵入していた更識の忍びの敗北を聞いたアイは主の指示に従い、コンクリートジャングルへと姿を消した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 試合も大詰めとなった。ベルゼブブを中心とした迎撃部隊を突破した後、マシューから例の狙撃手も倒したことを聞かされ、バレットたちはさらに勢いづく。バレット自身はストックエネルギー残量も使用可能な装備も少なくなってしまっているが、楯無が合流させた部隊はまだまだ戦える。ついでにバレットの妹もほとんど消耗していない。このまま敵リーダーである生徒会長を見つければ勝利は見えていた。

 

「結構、バラバラに散ってるみたいよね」

 

 唐突にカトレアがバレットに話しかける。現実でもISVSでもあまり積極的に話すわけではない兄妹仲なのだが、今日は少し違っていた。そのことを聞いてみようかとも思ったバレットであるが、今は試合中。普通に受け答えすることにする。

 

「そりゃそうだ。こっちはあの会長を捜索する必要もあるから広範囲を調べるしかない。そして、あっちは会長の居場所がわからないように迎え撃つ必要がある。こうして両軍が散逸するのは自然なことだぜ」

「本当にそうなのかな?」

 

 しかしバレットの返答は疑問で返された。

 

「あ? 何か気づいたのか?」

「よくわかんないんだけど、本当に何かを守ってるのかなって思ったの。私が相手側だとしたら居場所がバレてでも戦力を集中して徹底抗戦するんだけど」

「アホ。ラウラやシャルルがいるってわかってるのに真っ向勝負を仕掛けるかっての」

「じゃあ、会長さんはこの状況からどうやって勝つつもりなの? ううん、そうじゃない。どうしてベルゼブブがまだいる頃に行動を起こさなかったの? あのときならまだ挽回できたでしょ?」

 

 妹に聞かれてバレットは答えられなかった。次から次へと出てくる問題に対応するのに精一杯で、いつの間にか敵の視点に立って考えることを放棄していた。

 最初の作戦通りなら正攻法で徐々に敵の数を減らして、じわじわと敵を包囲していく手筈だった。だが実際は思ってもいなかった強力な敵によっってこちらの数も減らされ、今いる人工島へも強行軍でやってきたも同然となっていた。バレットたちが追いつめたわけでもないのに何故か敵は本陣で防衛戦の構え。リーダーが見つかれば即アウトなかくれんぼになってしまっている。

 

「なーんだ。アホはお兄じゃんか」

「何だとっ!」

「そんなだからいつも慎二(しんじ)に裏をかかれるのよ」

「ん? なぜお前がマシューの本名を知ってる!?」

「まあ、同い年だから色々あるの」

「お前、女子校だろ!? それにマシューの奴、年下だったのか!? ってかお前と奴はどういった仲だ!」

「あ、敵さん発見」

 

 色々と衝撃的な事実を聞かされて気になって仕方がないバレットであるが、カトレアの指さす方を見やれば確かに自軍ではないISの存在があった。誤魔化された感が強いがバレットは渋々ながら試合に意識を戻す。

 現れた敵はバレットの知識にある定番の装備構成にはない機体である。普通ならばISVSのノウハウを知らない素人が来たと思うところだったのだが、この試合ではそう簡単に考えていいものではないことが身に染みついていた。

 

 見てわかる情報を即座に分析する。

 フレームはティアーズ。装甲の量とバイザーからフルスキンスタイルと断定。全体にピンク系統のカラーリングが施され、アバターのボディラインからも女性であると推察される。

 装備は左手にハートマークの大型シールド。右手には籠手の部分に捕獲用アンカークロー“ヒットパレード”。あとは非固定浮遊部位として巨大な球体が浮いていた。その正体については該当する装備がないため、相川のボールのように装甲の塊だろうと推定。

 結論――

 

「何だこりゃ?」

 

 何がしたい装備構成なのかさっぱりわからない。

 

「お兄、どうする? 今なら2対1で戦えそうだけど」

「不気味な相手だが、やるしかないわな」

 

 接近戦主体であるカトレアを前衛にして、バレットは攻め込む。

 まず、相手は背後に浮かんでいた球体を動かしてきた。IS本体を軽く覆い隠せるくらいの大きさである球体をバレットは非固定浮遊部位としたがそれは違う。球体は固有領域を逸脱してカトレアへと放たれた。

 

「こんのっ!」

 

 カトレアがハンマーで球体を叩くが勢いを止めるだけで破壊には至らない。

 足の止まったカトレアの代わりにバレットが前へと出る。無事に残っている武器は愛銃であるマシンガン“ハンドレッドラム”とグレネードランチャー“赫灼”の2つ。まずはマシンガンでパラパラと牽制。当然、敵のティアーズが持つハート型の盾に阻まれる。

 

「その盾さえ剥がせば!」

 

 防御を固めた敵にバレットはグレネードランチャーをぶっ放した。アサルトカノンに爆発の追加ダメージがついたようなこの武器は連射性こそ悪いものの装甲にもシールドバリアにもそれなりの威力を発揮する。だがこの一撃はハートの盾に届く前で爆発してしまう。

 

「ちっ、シールドタイプのビットか」

 

 バレットのグレネードは目標とは別のものに命中した。いや、させられた。射線上に割り込んできたのは装甲板が取り付けられたBTビット。ようやくティアーズらしい装備が出てきて、敵のフレームの選択に合点がいった。

 だが腑に落ちない。盾を手に持っているのにBTビットまでが盾。防御特化ティアーズとでも言いたげな装備構成はバレットの理解を超えている。

 

「お兄、そっちに行った!」

「おわっと!」

 

 カトレアの声で慌てて飛び退くと独立して浮遊する鉄球がスレスレを通過していく。その際にバレット側のPICに干渉された。これにより本体から離れていても自在に操作できている鉄球の正体をバレットは掴んだ。

 

「装甲の塊でぶん殴るってのが女子の間で流行ってたりすんのか?」

 

 鉄球の正体はシールドビットの複合体。アーヴィンのBTソードのようにBTビットを射撃ではなく格闘に用いている。装甲の配置はプレイヤー側での自由度が高いため、相川や目の前のティアーズのようにオリジナル武器にできるということなのだろう。事前に得ていた情報にあった生徒会書記の得意分野だということにまでバレットは思い至った。

 

「カトレア、もう1回あの鉄球を止められるか?」

「それだけなら簡単よ」

「じゃ、頼む」

 

 相手の戦い方を把握したバレットは対処に移る。防御型ティアーズである理由も納得した。過剰な盾で身を守りつつ、同時に鉄球で攻撃を加えるという引きこもり戦法なのだ。ならば攻撃手段である鉄球さえ壊せば、盾で守るしか能のないISではじり貧となる。

 カトレアが鉄球にハンマーを打ちつける。狙い通りに止まったばかりか、シールドビットの一部が壊れて鉄球の中に攻撃ができそうである。

 思っていたよりも早く破壊できそうだ。バレットは隙間からグレネードランチャーを撃ち込もうと鉄球に突撃した。鉄球に急な方向転換をされたらカトレアがハンマーで壊せばいい。

 

 ――この勝負、もらった。

 しかし、そう思ったのはバレットの他にもう1人いたのであった。

 

 鉄球を形作っていたシールドビットが自ら分離する。

 元々くっついていたわけではなく、複数のシールドビットをあたかも1つの球体であるかのように動かしていただけ。

 球体の内部に金属は詰められていない。

 だが、何も入っていないわけではなかった。

 中にはISが潜んでいた。

 その手にあるのは――2つ並べた収束型ENブラスター“イクリプス”。

 

「地獄で会おうぜ、バレット!」

「ここでテメェか、ライタァアアアアア!」

 

 至近距離。砲口に自ら飛び込んでいくバレットが避けられるはずもなく、消耗した状態で耐えられるはずもない。

 敵に回っていた“藍越エンジョイ勢の一発屋”ライターの手により、バレットは光と共に消えた。

 

「よくもお兄を!」

 

 ENブラスター発射後、行動不能に陥って墜落するだけのライターにカトレアは容赦なくハンマーを振り下ろす。絶対防御以外の防御機構が何も働いていないライターは一撃で退場した。当てるときも去るときも一発屋の名に相応しい姿と言えよう。

 

「あ、足が……! きゃっ!」

 

 だがライターなど放っておくべきだった。カトレアの右足にティアーズが放ったヒットパレードが食いついている。ティアーズはカトレアを引っ張ると、自分を中心としてぶんぶんと振り回し始めた。抵抗できないまま振り回されるカトレア。アンカークローを外さなければと思う頃にはティアーズの仕上げが完了している。

 鉄球が元の状態に組み上がり、カトレアとは逆回転でティアーズの周囲を回っていた。徐々に2つの円軌道は近づいていく。

 

「やばっ――」

 

 ほぼ2倍の速度でカトレアに鉄球がぶつけられる。その衝撃はテンペスタのディバイドスタイルであるカトレアのISが耐えられるものではなく、カトレアもバレットの後を追うこととなった。

 

 一触即発の戦闘は防衛側のティアーズの勝利に終わった。

 ヒットパレードのワイヤーを回収する操縦者の女子高生は勝利に喜ぶことなく、ため息を吐く。

 

「ヒデくん……一緒にゲームしようって言ったのに私を放置するなんてひどい。……これも全部、あの織斑一夏のせいだ!」

 

 彼女の不満は最終的に一夏への怒りに発展していた。原因は彼女の恋人である生徒会長にあるのだが、この場にそのことを指摘してあげる人物は存在しない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「名誉団長。とうとうバレットがやられました」

「むしろよくここまで保ったと褒めるとこだな。いくら敗北条件だからって、後方で状況を聞いてるだけってのは若干心苦しくはある」

 

 マシューからの報告は朗報ではなかったが俺は明るく受け止めた。俺はチームメイトの誰も咎めるようなことはしない。今、俺が暇してるのは他の皆が頑張ってくれている証拠なのだから。

 

「それで、捜索状況は?」

「50%ほどですね。まあ、掃討戦みたいなものですから直に決着がつくでしょう」

 

 思いの外、思い通りに事が進んでいる。俺が攻め込まなくとも勝てる状況に持ち込めてしまっている。いくつかアクシデントはあったが、概ね筋書き通りだ。

 ……致命的なアクシデントもあったのにだ。

 気になった点を我が参謀に確認してみることにする。

 

「なあ、マシュー。お前が女神解放戦線側の指揮官だったとして、今の状況をどう打開する?」

「無理です。降参して早く終わらせた方がお互いのためでしょう」

 

 そう。俺も無理だと思う。だけど俺の立てた不完全な作戦は今の状況に持っていけるような大層なものじゃなかった。マシューも広すぎる戦場で勝手がわかってなかったようだし、ハッキリと言ってしまえば穴だらけ。それは相手にも言えるのだが、やはり人工島に攻め入ってからの敵の行動には違和感しかない。

 

「発想を逆転させてみよう。どんな要素さえあれば、敵は逆転できる?」

「今の状況からご都合主義的に考えてということですよね? こちらの主力は敵の陣地に攻め込んでいますし、予備戦力の大半も海上や高空に残っている敵プレイヤーの相手をしているので、がら空きとなっている“ここ”に奇襲をかけるプレイヤーさえ居れば逆転の芽はありますけど」

「やっぱそうだよな。お前もやってた手だし」

「もちろん警戒してますよ。ここに残していた10機には最初から陸地を隈無く偵察させてるので、気づかれずに近寄ることは無理です。僕も索敵重視の“アズール・ロウ”で来てるので、近づくISが居ればすぐにわかります」

 

 マシューの言うとおり、もしここに攻め込んでくるISが存在すれば俺たちの優位はたちまち消え失せる。俺がやられればそれまでだからだ。だからこそマシューはそれを警戒している。

 そういえば本来は俺たち自身も徐々に侵攻するつもりだったが、狙撃手の存在によって籠もることにしたんだっけ。だからバンガードを迎え撃つのも海の上ではなく、俺たちのいる本土側の陸地になった。でもって俺が居なくても勝てると見込めたため、俺は後方に下がったままの方が安全だと判断した。

 

 本当に俺たちの思惑通りなのか?

 本当にマシューは敵の接近を見落としていないのか?

 

 俺には……一つだけ思い当たる節があった。

 

「マシュー。俺とバンガードが戦ったポイントに誰かを向かわせてくれ。特にバンガードが切り離したブースター周辺を」

 

 マシューに頼む。

 だが彼の返答の前に、俺たちの耳に別の声が届くこととなった。

 

 

「その必要はないよ。僕はもう、ここまで来てしまったのだから」

 

 

 俺たちの前に現れたのは、女神解放戦線のリーダーである最上英臣(せいとかいちょう)その人だった。

 

「なっ!?」

 

 生徒会長がふわりと浮き上がる。突然現れた会長に俺もマシューも手が出ず、マシューへの接近を許してしまう。マシューの索敵特化型IS“アズール・ロウ”は滅多にないであろう軽量(フォス)フレームのユニオンであり、戦闘力はほとんどない上に防御力もない。

 会長の装備は見たことのないものだった。銃身が極端に短いアサルトライフルと言えば良いだろうか。言い換えればゴツい拳銃であり、両手にはそれぞれ同じもの。会長は射撃武器であるはずの拳銃でマシューに格闘戦を仕掛ける。鈍器のように殴りつけたかと思えば、銃口を密着させてトリガーを引いていた。

 アサルトライフルをゼロ距離射撃したとしてもまだマシューは落とされていないはず。しかし、この一撃でマシューがやられた。体は粒子となってこの世界から退場していく。

 

「くそっ! 最初っからこれが狙いか!」

「そうだよ。僕には僕の目的があったからね」

 

 ここまでの戦いは俺の筋書き通りなんかじゃない。バンガードの性格を利用して上手く誘き寄せたつもりだったが、単独で来たと偽装されただけ。実際は切り離されたブースターに会長が隠れていて、こちらに忍び込んでいた。ずっと会長の手の平の上だったんだ。ただ勝利するだけのシナリオではなく、俺を1対1で倒すためだけに仕組まれていた。

 

「俺がアンタの何だってんだよ?」

「君が勝てば教えてあげるよ。そういう約束だ」

 

 この戦闘は避けられない。会長は当然のように短期決着を望んでるからあからさまな時間稼ぎに乗ってくれることはない。ここまで皆を巻き込んできておいて、結局はリーダー同士の一騎打ちで勝敗が決まることとなる。

 会長の機体はフォスフレームのテンペスタ。ご丁寧にディバイドスタイルで来ているから雪片弐型のダメージは大幅に削られてしまう。機体カラーが白いのも含めて俺を意識した構成なのだろう。

 

 会長が拳銃を俺に向ける。プレイヤーによる改造装備と思われるそれには弾の飛び出す銃口の他に杭が覗く穴も1つ並んでいた。

 ……ハンドガンに“グレースケール”をくっつけてあるのか。

 ハンドガンは最軽量の射撃武器として造られた装備のジャンル。単純な攻撃力の低さと射程の短さといったデメリットがひどく、圧倒的な不人気武器であることは俺も知っている。会長はその威力の低さをカバーするためにシールドピアース“グレースケール”を併用しており、その破壊力は目の前で見せられたばかり。

 

 俺は一度距離を開ける。正直に言ってしまえば分が悪い勝負だ。ハンドガンは攻撃力こそ低いもののアサルトライフルよりも連射でき、さらにはPICC性能だけは高い。ハンドガンはダメージソースにはなり得ないが、相手の足を止めるなどの妨害はできる。俺にとっては足を止められるという特性が最も厄介だ。

 

「逃げてばかりなのか。それもひとつの道だということは認めるけど、宍戸先生が満足すると思っているのかい?」

「知るか! 俺は宍戸のために戦ってるわけじゃない!」

「ふむ、それもそうだね。では君自身は? このまま逃げて君の仲間が駆けつける。それで僕は敗北するだろう。その結果を抱えて、これから先を進んでいけるのかな?」

 

 俺を挑発しようとしていることは見え見えだ。でも堪える内容でもある。勝つために頼れる仲間を作れという主旨で宍戸はこの試合を企画した。だけどこの最終局面で仲間が来ることばかりを頼っていいのか?

 ハンドガンの弾が頬を掠める。ストックエネルギーにダメージはなくとも無駄に高いPICCによって機体制御が若干鈍ってしまう。

 

「ハッキリと言わせてもらう。ここで僕程度を打ち倒せないのなら、君の願いは叶わない」

「何だと! アンタが俺の何を知ってるって言うんだ!?」

「少なくとも君よりは君の両親を知ってる」

「だからどうした! 俺の願いに、俺が知らない親のことなんか関係な――」

「救いたいのだろう?」

 

 会長の一言で俺は動きを止めてしまった。俺を近づけまいとしていた会長の銃弾が2発当たり、白式の機体バランスが大きく崩れる。しかしこの明確な隙に会長は飛び込んでこない。

 

「アンタは……本当に藍越の生徒のことを全部把握してるのか……?」

「まさかそんなはずはないよ。僕はただ、君の父親が生前に口癖のように話していたとされる願いを口にしただけ。君の内面をも見通すような超能力者じゃない」

 

 俺の父さんの願いが『救いたい』?

 それだけだと何を救いたいのかわからないけど、俺の願いと一致している。

 千冬姉がまともに話してくれない父さんは一体どんな人なんだろう。

 もし会長の語る内容が事実なら、俺は顔も知らない父さんと似ているのかもしれない。

 

 俺と会長は攻撃の手を止めてその場に静止する。

 

「会長。アンタに勝てないと、俺は箒を救えないのか……?」

「箒というのか。もしかしなくても女の子の名前だろうね」

「そうだ」

「君という人間のことがわかった気がするよ。やはり僕の理想には遠い人間だ。まだ、だけどね」

 

 会長の理想? もしかすると会長が俺をやたらと気にしているのは、俺ではない誰かを見ているからなのか。その誰かとはおそらく俺の父さん。

 

「君の質問だが……僕に勝てないと君が箒さんを救えないというのは肯定しよう。そもそも僕が勝つようであれば、君でなく僕が彼女を救えばいい。それこそが僕が生きている意味でもある」

 

 この人は本気で言っている。

 俺がISVSで戦う意味である箒の救出を代わりにやってみせると。

 俺が戦う意味などないのだと。

 

「時間も残り少ない。僕が勝てば、僕の全てを懸けてでも箒という子を救うと約束する。君はもう何もしなくていいんだ。だから――」

 

 白式が機動制御を取り戻したタイミングで会長は両手の拳銃を一斉に俺に向けてきた。

 

「終わりにしよう」

 

 発砲。同時に会長はイグニッションブーストで前に飛び出してくる。どう転んでも、ここでこの試合を終わらせるつもりだ。

 

「……負けるかよ」

 

 俺は瞬時に高度を下げて銃弾をやり過ごし、すぐさまイグニッションブーストで会長へと向かう。

 会長の提案は優しいものだ。あのときの――イルミナントにリンが食われてしまった直後の俺だったら、俺は会長に甘えてしまったと思う。好きで戦ってるわけじゃない。怖いから逃げたい。代わってくれるなら代わってほしい。今でもそう思うときはある。だけど――

 

「俺が箒を助けるんだ」

 

 俺じゃないとダメだと何度も思い知らされてきた。

 ただ箒の無事を願っているわけじゃない。

 傍にいてほしい。

 独占欲と何ら変わりない。

 俺が『ごめん』と謝って、箒が俺だけに『ありがとう』と言ってくれる。

 そこから始まる未来がほしいんだ。

 

「アンタなんかに奪わせてたまるかあああ!」

 

 会長から2発目の銃弾が放たれる。イグニッションブースト下だというのに少しも照準に乱れを感じさせない正確な射撃だ。

 だからこそ俺にはそのコースが見える。ラピスの力を借りなくても見えた。宍戸の見よう見まねでイグニッションブースト中の軌道修正を行い、銃弾を紙一重で回避。シャルルから教わったラピッドスイッチで右手に雪片弐型を呼び出して斬りつける。

 会長は右手の拳銃で斬撃を受けた。ISVSの熟練プレイヤーならばテンペスタの本体で受ければいいと判断する攻撃をガードしたのだ。当然、拳銃は真っ二つとなり、雪片弐型の刃は本体にまで届く。

 だがEN武器への耐性が全フレーム中最高であるテンペスタだ。普段は相手のストックエネルギーの半分以上を削る雪片弐型でも大ダメージを与えることができていない。

 

「やってくれるね! でも――」

 

 会長は少しも怯んでいない。明らかな失策で片方の拳銃を失っていても動揺せず、すぐ次の行動に移っていた。

 白式の右手の甲が会長の左の拳銃に殴られる。握っていた雪片弐型を手放してしまい、下へと落としてしまう。拡張領域への回収は、俺の場合は手に持っていないと出来ない。

 白式本体と違って防御機構が一切働いていない雪片弐型に会長の拳銃が向けられ発砲。撃ち抜かれて使用不能となる。

 

「これで僕の勝ちだ」

 

 会長に残された武器は左手の拳銃のみ。対する俺は何もない。雪片弐型は破壊されづらい装備であるため、俺が主力武器を失ったのはこれが初めてだ。

 勝利を確信した会長の拳銃が迫る。狙いはグレースケールの1択。ここで最高火力を使わない理由がない。

 避けられるタイミングではない。

 ではこのまま終わるのか?

 答えは、否。

 俺は左手をグッと握りしめる。

 この拳こそが武器であるとイメージする。

 

「まだ終わってない!」

 

 俺は会長の拳銃に左の拳を全力で叩きつけた。

 止まる気がしない。

 俺の拳は会長の拳銃を粉砕し、そのまま左手を折る勢いで打ち抜く。

 

「これは――」

「うおおおお!」

 

 俺は吠えた。難しいことなんて知らない。気合いが俺を突き動かす。

 追撃の右ストレートを会長の顔面に放つ。

 だが会長は俺の渾身の一撃を右手で受け止めてみせる。

 

「なるほど。こういうのもあるのか」

 

 俺が宍戸から教わったAICを会長は見ただけで真似して見せた。そういうことなのだろう。

 こうなってしまってはIS戦闘はイナーシャルコントロールの主導権の奪い合いとなる。

 操縦者視点で見れば、意地のぶつけ合い。

 傍観者視点で見れば、純粋な殴り合い。

 

「もう君の意志を僕は認めた。その上で、僕にも譲れない在り方というものがある!」

 

 会長の左ミドルキックが俺の脇腹に刺さる。白式は持ちこたえてくれた。俺の反撃。

 

「在り方? アンタの生き方に俺は関係ないだろうが!」

 

 右拳を掴まれたまま、俺は右に体を回す。手を離さなかった会長は巻き込まれるようにして前のめりになった。突き出た後頭部に俺は右足の回し蹴りをぶつける。手応えは十分。

 

「関係ない? そんなはずはない! 僕の理想……人を苦しみから解放する救世主はひとり居ればいい! “織斑”の後継者には僕がなる!」

「そんなの勝手に目指してろ! 俺の理想は箒と一緒に過ごす高校生活だっ!!」

 

 これが本当に最後。

 俺と会長は同時に右ストレートを繰り出した。

 当たった箇所はお互いの顔面。タイミングも一致している。

 クロスカウンター。

 両者の腕が十字に交差して硬直する。

 それも長くは続かず、十字の片方は力なく崩れ落ちる。

 俺は落下していく会長を見下ろしていた。

 

 

『試合の終了をお知らせしますわ。女神解放戦線のリーダー“リベレーター”の敗退により、この試合の勝者はヤイバ率いるツムギです』

 

 

 ラピスの声で試合終了がアナウンスされる。藍越学園での長いお祭りもこれで終わり。俺にとっては、俺が戦う意味を再認識させられる、そんな結末となった。

 

 

***

 

 現実へと帰ってくる。俺が居る場所はログインしたときと同じ体育館の舞台袖。先に戻ってきていたであろう会長は生徒会の人と何やら話をしていた。

 

「――っと、織斑くんも戻ってきたみたいだね」

 

 会長は俺の起床に気づくと生徒会の人に簡単な指示を出して舞台に向かわせた。その後、俺の元へとやってくる。

 

「僕の負けだ。宍戸先生の言ったとおり、君には力があるのだと認めるしかない」

「アンタも俺を試してたってのか?」

「いや。本気で君を潰そうと思っていたよ。だが君は勝った。それが全てだ」

 

 本気で俺を潰そうとした? そうは思えない。

 

「集まった総合的な戦力はそっちの方が上だった。なのに戦力を小出しにして連携らしい連携もなかった。プレイヤー個人個人は本気でも、チーム戦としては手加減されていたように思える」

「手加減とはまた違うんだけど、そう見えて当然だろうね。何せ僕ら女神解放戦線は各人の配置だけ決めて、あとは個人の自由にさせていたんだ。内野くんに関しても僕は彼の手伝いをしていただけ」

「それ、だけ……?」

「もちろん利用はさせてもらったよ。彼らの意思を邪魔しない程度にね。皆、十分に楽しめたんじゃないかな」

 

 戦っているときも思ったが、会長は俺の求める勝利とは別のものを狙っていたように思う。俺を潰すという目的があったのだとしても、生徒の不満を解消するという名分は守ろうとしていたってことか。あの最後の局面まで俺に奇襲をかけなかったのも決着をギリギリまで引っ張りたかったってとこだろう。

 

「それで、俺を潰すってのは?」

「宍戸先生の様子がおかしかったから、織斑くんが危険なことに首を突っ込んでいるんだろうと思ってた。元ツムギの宍戸先生がISVSというゲームに本気で向き合っていることから、ISVSはただのゲームじゃないともね。そしてそれはアントラス、もしくはあの亡国機業が絡んでいる問題の可能性まで出てくる」

 

 俺も最近になって知った単語が会長の口から飛び出してくる。そして話は俺の知らないことにまで及ぶ。

 

「いずれにしても“織斑”にまつわる事件の可能性が高い。宍戸先生もそう匂わせていた。だから僕も仲間に加えてほしかったんだけど、断られてしまった」

「それで俺を倒せば宍戸先生が会長のことを認めるはずと思ったってことですか?」

「今思えば、これが嫉妬というものなんだね。でもそれだけじゃない。僕の知ってる君は決して超人の類じゃなかった。もしアントラスや亡国機業を敵に回しているのなら精神(こころ)が耐えられないのではないかと考えた」

 

 思い当たる節はある。というよりも図星だった。

 

「僕の信条は『全ての人に救いあれ』だ。不可能命題ではあるが、努力だけはしているつもりなんだよ。僕は君も苦しんでいるのなら解放してやりたいとそう思っている」

「だから戦うなってわけですか」

「でも、君にはちゃんと理由があった。僕の言葉だけで折れるようならば夢も希望もありはしない。あの戦いの中で君はどちらもあることを見せてくれた。僕の考えは要らぬお節介だったわけだ」

「無意味じゃなかったです。事実、俺は前に挫けました。それでも自分がやりたいことがあると思い直して戦いました。何のために戦うのか。ハッキリと見つめ直せたと思います」

「そうなのかい。お役に立てて何よりだ」

 

 始まりはただがむしゃらだっただけ。目の前に揺れる箒の手がかりに飛びついていた。その理由も曖昧なまま戦ってきた。でも、イルミナントの1件からの色々な出来事で俺の願いは次第に形になってきていると思う。

 

「そういえば、会長」

「ん? 何だい?」

 

 会長から聞くことはあまりないと思っていたけど、一つ聞きたいことがあったんだった。試合の前に約束もしたから答えてくれるはず。

 

「宍戸先生がいたツムギにどうして俺の父親が関わってくるんですか?」

 

 会長は当然のように俺の父親を引き合いに出してくるけど、俺にはその関連性がまるでわかっていない。なんとなく予想はしているが、会長の口から聞いておきたかった。

 

「そういえば君は父親についてほとんど聞いていないのだったね。簡単に言わせてもらうと君の父親は世界中を飛び回っていた“何でも屋”だ」

「何でも屋ぁ?」

「本人は私立探偵を名乗っていたらしいけど、頭脳労働だけでなく過激な実力行使もしていた人だったようだ。とある犯罪組織を社会的にも物理的にも壊滅させたという伝説まで残してたりするよ」

 

 俺は頭を抱えた。今まで千冬姉の断片的な話から勝手に思い浮かべていた普通の父親像は薄れ、どちらかと言えば全盛期の師匠(篠ノ之柳韻)のような超人の類としか思えない。

 

「父さんが自称探偵で世界のあちこちではっちゃけてたのはわかりました。それで、ツムギというのは?」

「ツムギは“織斑”の亡くなった後、彼の弟子たちが作った組織だ。活動内容は“織斑”の思想に沿ったものだった」

「宍戸先生は?」

「“織斑”の弟子の1人。本人は認めてくれないけど、まず間違いないよ」

 

 ……俺とツムギにはそんな繋がりがあったのかよ。ここまで来たら宍戸と千冬姉が知り合いでも俺は驚かないぞ。

 

「千冬姉もツムギに関わってたりするのか?」

「君のお姉さん? さあ、そこまでは僕も知らない」

 

 流石に考えすぎだったか。宍戸はともかく店長も何も言わなかったし。

 試合に勝った約束の話はここまで。会長は「そろそろ出番だ」と言ってステージに上がっていく。そういえばこのイベントの締めをやっているんだった。何やら会場は盛り上がっているが、俺がいなくても成り立ってるんだな。

 

「お見事でしたわ、一夏さん」

 

 俺一人が残された舞台袖にセシリアが入ってきた。こっそりとやってきたようで他には誰もいない。

 

「よう、セシリア。最後まで滅茶苦茶だったけど勝ちは勝ちだよな。この勝利で宍戸も俺を認めて協力してくれるはず」

「試合の勝利だけでなく、最後の告白も見事でしたわ」

「告白……?」

「『俺の理想は箒と一緒に過ごす高校生活だ』と生徒会長を圧倒したあの姿に、わたくしは惚れ直しました」

「あれ、聞かれてたの?」

「はいな。皆さんに誤解のないようにということでわざわざ叫ばれたのですよね? 敗退して悔しそうにしていたバンガードさんも『奴にも苦労があるのかもなぁ』とお怒りが薄まったようでしたわ」

「全部聞いてた?」

「『アンタなんかに奪わせてたまるか』と叫んでいた以外のことは聞き取れていませんわ。安心してくださいませ」

 

 それだけだったらまだいいか。別に知られて困るってほどではないにしても、なんとなく恥ずかしい。

 胸を撫で下ろしているとセシリアが顔を耳元に寄せてきた。香水だけではない良い匂いが鼻腔をくすぐってくる。

 

「え……と、セシリアさん?」

「敵に動きがありましたわ」

 

 セシリアの唐突な行動に鼓動が早くなっていた俺だったが、彼女に真面目なトーンで“敵”と言われたことでクールダウンする。

 

「敵って、エアハルト?」

「おそらくは。今から30分前、ツムギ――ナナさんたちの元へ宣戦布告のメッセージが届けられたそうです」

「宣戦布告? 前回、奇襲してきた奴らが?」

「ええ。ご丁寧に日本時間の午後2時に攻撃を仕掛けると予告しています。倉持技研は迎撃ミッションを発しましたが集まりは悪いようですわ」

「前のときは結果的に企業側のドタキャンになってたからな。ほぼ同じ内容のミッションだとまた同じ目に遭うかもと警戒するかも。まだ正午になる前だし、こんなに早くエントリーするような物好きがいないんだろ」

 

 とはいえ、前回と同じくこちらの戦力は心許ないのか。

 

「一夏さんは今回の敵の行動をどう見ますか?」

「俺の勘だと今回は宣言通りに攻めてくるだろうな」

「勘……ですか? それは以前にエアハルトと会話した上での答えでしょうか?」

「そう、なのかもな」

 

 本当になんとなくだ。俺にはエアハルトの狙いがナナを始めとするツムギの壊滅ではないと思える。ナナと俺を意識して“進化”と口にした。Illのこともある。戦うことで何かの実験をしているのかもしれない。だとすると、こちらが全力で迎え撃つのも奴の狙いである可能性がある。もっとも、無視できない上にマザーアースを出されたら全力で立ち向かってもどうにかできる保証がない。

 ここで問題となるのが戦力だ。倉持技研のミッションによる召集はあまり期待できない。このまま午後2時を迎えてしまえば、ナナに無茶をさせた前回の二の舞だ。

 

 戦力……?

 

 俺はステージを見た。まだ会長が喋っているということはこのイベントは閉会していない。早めにいなくなった人もいるかもしれないが、まだ人が多く残っている。

 

「行くのですね?」

「ああ、この機会を逃す手はないからな。悪いけど人数分の弁当か何か用意してくれないか?」

「もう手配済みですわ」

「流石だ。セシリアは本当に頼りになるよ」

 

 セシリアに見送られて、俺はステージへと上がる。

 会長の紹介もなく突然現れた俺は当然注目の的となる。

 

「おっと! 目立ちたくないと言って引きこもっていた本日の主役が迷い込んできました! ここに来たということはイジられることも覚悟の上とみた! 本当に大丈夫かい、織斑くん?」

 

 マイクを握っている会長が随分と勝手なことを言っている。セシリアとの話に集中していたからこの場の空気はまるでわからないが、俺は会長からマイクを奪い取った。

 

「織斑一夏だ! 目立ちたくないのは事実だが、引きこもっているわけじゃない!」

 

 おっと、そんなどうでもいいことは言わなくて良かった。

 

「今日は皆、集まってくれてありがとう。どっちのチームでも関係ない。今日ここで皆と遊べて楽しかったと俺は素直にそう思う。皆もそう思うだろ? 普段は顔を合わせないライバルが隣にいるのに、このままさようならってのは寂しいよな。もっと続けばいいのに」

 

 本音を言えばリーダーという立場でやりづらいところもあった。でも、ナナたちの命がかからないゲームは十分に楽しめるものだった。少々ステージが広すぎてグダグダしていたけど、それも楽しみのひとつと受け取っている。会場から返ってくる歓声は俺に同意してのものだろう。

 ここで俺はわざとらしく生徒会長をジト目で見る。

 

「会長、このイベントももう終わりなんですかね? せっかく藍越学園に設備を持ち込んだのに勿体ないと思いません?」

 

 俺の言わんとすることを会長も会場の皆も察してくれたようだ。

 

「残念ながら僕は何も用意してない。けど、藍越学園の施設と外部から運び込んだ設備は夕方まで借りているとは言っておくよ」

「よし、来た! 二次会といこうか、お前ら!」

 

 俺の提案に熱い歓声が返ってくる。聖徳太子じゃないから何を言ってるのかは聞き取れないが、ほぼ全て同意してくれてのものだ。そもそもやる気がない人はここで帰るだろう。

 

「というわけでここから先は俺の企画で進行させてもらう。もうお昼だから、とりあえずは昼休憩だ」

 

 舞台袖にチラリと目をやるとセシリアが親指を立ててくれる。

 

「昼食はこっちで用意したから遠慮なく食べてくれ。ついでに1時半まではISVSの筐体をフリー対戦用に解放しておく。でもって1時半になったら今度は全員で協力してミッションをやろう。とっておきなのを見つけておいたから楽しみにしててくれ。以上だ!」

 

 会長にマイクを返して俺は舞台袖に捌ける。会場の反応は上々だ。俺への嫉妬が発端となって開催されたイベントのはずだったが、もはやそんなことはどうでも良いと言わんばかり。皆、ゲームをしにきたってのが一番の理由なんだろう。

 ……俺は皆の純粋な思いを利用して、自分の願いを叶えようとしてる。とんだ悪人だな。

 

「わたくしはそんな一夏さんを許します」

「ありがとう、気休めでも嬉し――って俺、声に出してた?」

「いいえ。ですが顔に『俺は悪い奴だ』と書いてありましたわよ。鈴さんや弾さんにはそのような顔を見せないよう気をつけてくださいな」

「ああ」

 

 セシリアに言われて気合いを入れる。俺は決して誉められないことをしているが、今は必要なことだ。後で謝るとして、やるべきことをしよう。

 今度こそ、ナナたちを守りきる。皆の力を借りてでも……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 某国某所。照明が取り付けられているにもかかわらず意図的に点けられていない薄暗い部屋の光源は複数あるディスプレイの青い光だけ。部屋の主である作業服の男が無精髭をさすりつつ面倒くさそうにディスプレイと向き合っていた。

 入り口の自動ドアが開かれる。部屋の主が許可を出さない限り開かない扉であるのだが、主は許可をだしていない。それでも平然と入ってくる人物の心当たりはひとりしかいなかった。作業服の男、ジョナス・ウォーロックは苛立ちを隠さずに訪問者に出迎えの言葉を投げつける。

 

「来やがったか、ヴェーグマン」

「イリタレートの様子を見に来た」

 

 訪問者である銀の長髪の若い男、ヴェーグマンはウォーロックの態度を一切気にかけることなく淡々と進捗を確認する。嫌みを言ったところで通じないと理解しているウォーロックは呆れを隠さずに報告する。

 

「ハバヤが持ち帰ってきた機体は使い物にならないと判断させてもらった。別に修復不可能ってわけじゃねえ。中の遺伝子強化素体に合ってないってことだな」

「それで? 代わりの機体を与えて、どこまで伸びる?」

「ヴェーグマンの施術がどこまで影響を与えるか次第だが、あの個体には他の量産品にはない自意識が生まれてる。アドルフィーネやギドで単一仕様能力が確認されたときと似た状況だから化ける可能性は高い」

「なるほど。では彼女の機体を開発する方向で進めてくれ」

「趣味で造ってたのをそのままあてがうつもりだ。そう時間はかからん」

「部下が優秀で嬉しい限りだ」

 

 ヴェーグマンから“人”を褒める言葉が出てきてウォーロックは目を丸くした。

 

「お前、何かあったのか?」

「質問の意図が理解不能だ」

「今日のことにしてもそうだ。例の“遺跡”を攻撃するようだが、敵に予告するとはどう言った風の吹き回しだ?」

「必要だからだ」

「何にだ? あの遺跡を攻める目的は“篠ノ之論文”のはずだろ? わざわざゲームの体裁を保つ必要なんてない」

 

 ウォーロックは怖くなっていた。今まではヴェーグマンなりの論理で動いていたのに最近の彼はその論理に当てはまっていない。唐突に内通者だと疑われた過去があるが、次に同じ状況になったときに自分が助かる保証がなくなることになる。

 

「論文があるとすれば既に倉持技研に持ち出されているだろう。そちらは別の手を打ってある」

「じゃあ、何のために仕掛けるんだ? マザーアースはISと違ってコピーに手間がかかるから予備なんてない上に破壊されたらそれまでだ。お遊びで使ってんじゃねえ」

「遊び……か。そう思われても仕方ないが否定しておこう」

 

 常に淡々とした調子を崩していなかったヴェーグマンだが変化が現れる。気になったウォーロックがついヴェーグマンの方を向くと、彼の眼は大きく見開かれ、ウォーロックを見つめていた。

 

「私はあの男を真正面から叩き伏せなければならないらしい。私の本能がそう告げているのだ」

 

 背筋が震える。ヴェーグマンの言った“あの男”のことなどウォーロックは知る由もないが、彼は“あの男”に同情したくなった。自分の感じている恐怖を表に出さないように、平然を装って相槌を打つ。“あの男”の話題に触れないように気をつけて。

 

「遺伝子強化素体の本能……ねぇ。遺伝子強化素体たちは人の遺伝子を感じ取るとかオカルトな説も囁かれているが、そんな非論理的なものが存在してると認めざるを得ないのかもな」

「私自身も理論化できていなく、否定する材料もないことだ。一般人の間では“勘”と呼ぶのだったか?」

 

 ヴェーグマンの状態が元に戻りウォーロックはホッとした。すぐさま他へと話題を移して誤魔化しにかかる。

 

「そういえばハバヤの奴はどうした?」

「彼ならばイロジックの捜索に向かった……だが、今日の攻撃にも顔を出すことだろう」

「マネジメントについて素人な俺が言うことじゃないとは思うが、奴は信用していいのか?」

「彼は賢しい。決定的な力を得ぬ限り、私の敵になることはない」

「なるほど。信用ならないってわけか」

 

 ウォーロックは続けて気になっていた動きを確認する。

 

「奴が今のところは働いてるのに、ギドまでイロジック捜索に回してる必要があるのか?」

「ハバヤがイリタレートを回収した時点でギドには帰還命令を出してある。既に次の指令は送った。内容は貴様にも話すつもりはない」

「ちゃんと考えてんならいいんだ。俺は心配性なんでな」

 

 もう話は終わりだろうとウォーロックはディスプレイと向き合ってキーボードを叩き始める。だが意外にもまだ話は続く。

 

「遺伝子強化素体の脱走を手引きした者の足取りだが、日本のミツルギという会社が浮かび上がった。もっとも、企業はただの隠れ蓑で本人は雲隠れしているだろうが」

「そうか。俺には関係ない話だな」

「……そのようだな」

 

 ヴェーグマンが金の眼でウォーロックを観察した後、自分で納得して立ち去った。自動ドアが閉まったところでウォーロックは胸を撫で下ろしていた。


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