Illusional Space   作:ジベた

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02 前を向いた刃

 日が射す頃には起きて活動を始めた。夜更かしをしていたにもかかわらず、すっきりとした目覚めだ。体がきびきびと動く分、家事をこなすのも普段より一段と楽である。

 

「おはよう……一夏」

「おはよう、千冬姉。顔くらい洗ってから来てくれ」

 

 死んだ魚のような目をした我が姉が、のっそりと姿を見せる。俺が起こさなくてもちゃんと起きる千冬姉だが、覚醒するまで少しだけ時間がかかるのだ。朝食の卵焼きを焼き終えて皿に移したところで、千冬姉は反転し洗面所へと向かっていく。

 

「さてと、千冬姉の朝飯はこれくらいでいいか。俺は俺の準備をしよう」

 

 フライパンをさっと洗い終え、俺は自分の部屋へと戻る。普段は千冬姉と一緒に朝食を摂るのだが、今日はもう先に食べてしまった。学校に行く前に寄りたい場所があるからである。学校の鞄を手に取り、借り物である“イスカ”を胸ポケットにしまって準備完了。

 

「千冬姉ーっ! 俺、今日は先に行くからー!」

 

 洗面所からバシャバシャと音が聞こえる。水音に負けないように声を張って千冬姉に呼びかけた。これでよし、と玄関で靴に履き替える。すると、後ろからトトトトと足音が近づいてきた。

 

「どうした? お前は部活をやってなかったはずだろう?」

「いや、ちょっと病院に寄っていきたくて――」

 

 と言ったところで後悔したが遅い。千冬姉は見る見るうちに沈んでいった。体勢的にも、おそらくは精神的にも。今の織斑家で病院といえば箒のこと以外考えられない。一度だけ千冬姉は、俺が毎日箒のところに通うのをやめろ、と言ってきたことがある。

『この子は私がなんとかする。だから……頼むから、お前は自分を苦しめるのをやめてくれ……』

 命令でなく懇願だったのだと思う。しかし箒の顔を見に行かなかったところで、どこにいようが俺が考えることは変わらないからと今まで続けてきていた。暗黙の了解だった。こうして面と向かって病院の話になったのは久しぶりのことである。

 

「あ、千冬姉っ!? 別に箒に会いに行くわけじゃなくて、落とし物を届けるだけだから。ね?」

「…………」

 

 千冬姉は額を押さえて黙り込む。初めて病院の箒に会いに行った日の俺の取り乱し様を考えれば心配してくれるのもわかるため、逆に俺が気を使わないといけない。

 しかし、ここまではっきりと病院に向かうと宣言しているため、今日は千冬姉をこのままにしてさっさと出て行ってしまった方がいいのかもしれない。

 

「えと……今日は弾たちと遊ぶ予定で、いつもより遅くなるから!」

「何っ!? それは本当か!?」

 

 行ってきます、と逃げようとした。しかし、千冬姉の様子が変わったため、俺は玄関の戸を半開きにした状態で足を止める。落ち込んだ様子とは打って変わってやけに嬉しそうだ。逆に俺は困惑せざるを得ない。千冬姉が何を考えているのかがさっぱりだ。

 

「ほ、本当だけど……どうしたんだ、千冬姉?」

 

 少々ビクつきながら肯定する。俺は一体どうなるんだろうか。千冬姉は怒ると宍戸先生以上に怖いからな。

 事態は心配する方向とは逆に動き始める。あろうことか千冬姉の目の端に涙が浮かんでいた。

 

「そうか、行ってこい。しっかりと楽しんでくるんだぞ?」

「あ、ああ。もちろんだよ。じゃ、行ってきます!」

 

 もしかしたら千冬姉はまだ寝ぼけているのかもしれない。そう思えるくらいにいつもの千冬姉とはかけ離れた姿だった。

 

 

 俺は学校へ向かう道から外れ、駅へと急ぐ。今の時間は通勤ラッシュが始まる少し前だから、多少は楽に移動が出来る。……あくまで多少だ。

 満席ではあるが満員ではない電車に揺られて駅を降り、歩き慣れた10分の道のりを人の流れの隙間を縫って進む。そうしてたどり着いたのはいつもの病院。まだ表が開くには早い時間だが、病棟の方は開いているためそちらに向かう。そこで俺は偶然にも目的の人物に会うことができた。

 

「おはようございます。ここのお医者さんだったんですか?」

 

 今日も朝から3本の飴をくわえている白衣の女性。今日の白衣の下はスーツだった。まだ昨日よりは医者っぽいと思ったのだが、女性は後ろを振り返って人を探し始めたので外れだと悟った。女性が医者だろうがそうでなかろうがどうでもいいので、さっさとここでの用件を済ませることにしよう。

 

「あ、違うのなら別にいいです。今日はあなたにこれを届けにきました」

「……ふぁ!? 私か! 言っておくが私は医者じゃないぞ」

 

 俺が胸ポケットからイスカを取り出す間に、やっと女性は俺が話している相手が自分だと気づいた。あなたが医者じゃないのはもうわかっている。

 女性はイスカを受け取ると表面と裏面をそれぞれ確認し始めた。そうすることで何がわかるのかは俺は知らないが、勝手に使った手前、怒られないか少し心配になってきていた。

 

「良く見れば、君は昨日、私とぶつかった少年じゃないか。なるほど。そのときに私がコレを落として君が拾っていた、と」

「そういうことです。無事渡せて良かったです。それでは!」

 

 今朝は逃げようとしてばかりだ。そしてまた――

 

「待ちたまえ、少年。まだ急ぐような時間ではないだろう? お姉さんの話を聞いてくれてもいいのではないかな?」

 

 引き留められた。走って逃げるのも選択肢にあったが、さすがにそれは女性に対して失礼すぎるのでやめておく。それに俺は叱られても当然だと思ってイスカを使ったのだし、逃げるのは変だ。観念して俺は女性の前にまで戻った。

 

「一応、今日も普通に学校あるんで、手短にお願いできますか?」

「わかっている。時間など取らせないさ。私が聞きたいことは一つだ」

 

 聞きたいこと。やはり俺が勝手に使ったことがバレてるのだろうか。軽い罰でありますように、と願いながら女性の言葉を待った。

 

 

「今、君は前を向いている。そう思えるか?」

 

 

 予想外の質問に俺は頭の中が白くなる。反射的に「はい?」と間抜けな声で聞き返していた。だが女性はまっすぐに俺を見たまま何も言わない。答えるまで待ち続ける、と態度がそう告げている。前を向いているか。俺にとっての前が箒との約束を果たすことだとすれば、確かに俺は前を向き始めた。どこかには進めているはずなんだとそう思える。

 

「はい。俺はようやく、俺の進みたい“前”のてがかりを掴めたと思います」

「……ふむ、そうか。ならば、これは君にこそ相応しいな」

 

 俺の回答を聞いた女性は手に持っていたイスカを俺に突っ返してきた。

 

「え? どういうことですか?」

「なあに、少年の青春を応援するお姉さんからの餞別だ。君にとってこれは邪魔にはならないだろう?」

「いや、確かにISVSを始めたいなと思ってるところですけど、俺がこれもらっていいんですか?」

「いいよ。元々うちの試験機を適当なプレイヤーに試させるためだけに用意したイスカだ。私個人のものではないから安心して受け取ってくれ」

「いや、でも名前がちょっと――」

「変更くらいすぐにできる。ならば、この場で私が変えておこう」

 

 倉持技研テスト用ではイヤだなと思っていたら、この場で名前を変えてくれるらしい。女性が携帯端末を取り出して操作をし始めたので俺は早速自分の名前を伝える。

 

「俺の名前は一夏です」

「それは本名か?」

「ええ、そうですが何か問題でも?」

「問題があるかどうかは本人次第だ。たとえば君がISVSをプレイしていると知られたくない人がISVS内にいるとすれば、鉢合わせたときに名前だけで一発でバレることになる。他にもISVS内での揉め事をこちら側に持ち込みやすいなどのデメリットが挙げられるな。と言っても現実の容姿をそのまま使っているプレイヤーは多く、名前の変更は防犯よりも趣味の意味合いが強いとは思う」

 

 揉め事を現実に持ち込む可能性、の方はそこまで心配していない。元々知り合いのいる中に飛び込んでいくのだからな。問題は前者の方。ISVSの中には間違いなく千冬姉がいる。それも事件の捜査でだ。その中に俺がいると知られては力尽くで止められる。流石に俺が箒と同じ状態になるかもしれないリスクを千冬姉が許すはずもない。

 

「わかりました。じゃあ本名はやめておきます」

 

 こういうとき、みんなは名前をどうやって決めているんだろうか。ハンドルネームでもあればそれを使うのだが、ネットを検索にしか使ってない俺にはそんなものはない。

 弾たちはどうだっけ? 確か……ゲーセンで弾は“バレット”と呼ばれていたな。弾だからバレット。安直だった。俺に適用すると……“ワンサマー”? これだけは絶対に嫌だ。

 

「どうする? 思いつかないのなら後で自分で設定すればいいぞ」

 

 女性の言うことは尤もだ。しかしながらちゃんと俺名義にしてから受け取りたいと思ってる。理屈じゃない。ただ、俺のものになったという実感が欲しかった。名前をどうするか。もうこの際だから凝った名前にする必要はない。弾がバレットなら、俺は何にする?

 そういえば昨日、俺は刀で戦っていた。銃は持たず、近寄って斬るしかできない機体だった。今思えば、銃を撃つよりも性に合っている。よし、名前を決めた!

 

「“ヤイバ”でお願いします」

「なるほど、いい名前だ。アレを気に入ってくれたようで何より。カタカナでいいか?」

「はい、それで」

 

 女性がタタタッと端末のタッチパネルを高速で操作する。1秒経つか経たないかの内に終わり、女性はイスカを改めて差し出してきたので俺は遠慮なく受け取った。倉持技研・testと書かれていた箇所には“ヤイバ”と書かれている。

 

「ありがとうございます! えーと……?」

倉持(くらもち)彩華(あやか)だ。ついでに名刺も渡しておこう」

「ありがとうございます、倉持さん!」

「彩華でいいぞ、少年」

「あ、はい、彩華さん。それでは失礼します!」

 

 彩華さんからイスカと名刺を受け取る。イスカを返しにきて、そのままそれを受け取れるとは予想外だった。俺の財布事情的に嬉しい誤算だ。あとは今日の放課後、弾たちとゲーセンに向かうだけ。早く銀の福音を見つけるためにも、俺は強くならないといけない。練習あるのみだ。

 

 

***

 

 本日最後の授業の先生が教卓の上の書物をトントンとまとめて終了を宣告する。この時より待ちに待った放課後の始まりだ。固まっていた肩を伸ばす。やりたいことができるようになるというのは素晴らしい開放感が得られるものだ。長い間、この気持ちを忘れていたような気がする。

 

「一夏。後ろから見てたが、今日は珍しくひと眠りもしてなかったな。昨日のアレで懲りて真面目に勉強する気にでもなったか?」

「いや、全然っ!」

「そうかそうか……マジで? 自信を持って言うことじゃないだろ……」

 

 弾よ。寝ないことと授業を真面目に受けていることは同一ではない。仕方がないのさ。俺は複数のことを同時に考えられるほど頭が良くない。気持ちはISVSにしか向いていないのだ。だから授業中は調べものしかしていない。宍戸の授業がないと自由でいい。

 

「じゃあね、一夏! あたし、今日は先に帰るから!」

「今日は店の手伝いする日だっけ? また明日な」

 

 入り口から手を振る鈴に挨拶を返し見送る。鈴とは良く一緒に帰るのだが、偶にこうして家の中華料理屋の手伝いをしている。昔は毎日だった気がするが、今はバイトを雇う余裕が出てきたとおじさんが言っていた。

 しかし、そうか……今日、鈴は一緒じゃないのか。ちょっと残念だが仕方ない。

 

「相変わらず仲が良さそうだねぇ、一夏と鈴は」

「何言ってんだよ、数馬。俺だけじゃないだろ」

「……あれ? まだ鈴と付き合ってなかったん?」

「ちょっ!? 何でそんな話になるんだよ!」

 

 ただ鈴と挨拶を交わしただけなのに数馬はそういう方向に話を持っていきたがる傾向にある。鈴とはこのクラスの中で一番付き合いが長いからクラスの他の連中にも特別に見えるのかもしれない。あまりそういう目で見てほしくないんだけどな。

 

「……ま、鈴の話は置いとこうぜ、数馬。それより今日はどうするかが肝心だ。鈴がいないとガチ勢とやり合うには戦力が心許ない」

「そうだねぇ。とは言ってもさぁ、昨日は結局のところファング・クエイク一人に全員やられちゃってたから鈴がいるかどうかはあまり関係なかったりして」

「言うな。流石に個人ランキング6位は目標が高すぎた。もう少し強くなってから再戦といこう」

 

 昨日はやはり弾たちの完敗だったらしい。しかしあれだけの力の差でもめげない弾はすごいなと思う。俺だったら遊びであれだけボコボコにされたら立ち直れない。

 

「そんな遙か先の話はどうでもいいじゃん? 今日どうするかだけさっさと決めてくれよ、弾」

「そうだな。今日はうちのクラスの連中も何人か来るそうだし、軽くミッションでもやるか、マッチングで適当な相手と戦うとするか」

 

 弾が鞄を肩にかつぎ、数馬もそれに続く。そうして教室から出ていく姿の後ろに俺も並んだ。

 

「そういや、弾。ミッションって何なんだ?」

「ああ、ミッションってのは与えられた課題を攻略するモードだ。目標物の破壊とか、輸送の護衛みたいなヤツ。敵のAIは同じ動きなんてしないし、他プレイヤーと競い合う場合もあるから単なる作業になりにくい。十分にやりごたえがあるぞ」

 

 ミッションね。今のところ俺には関係なさそうだが、ISVSの遊び方の一つというわけだ。銀の福音を見つけたい俺としてはやはり対人戦が要になる。

 

「マッチングってのは対人戦のことだよな? それって指定した相手となら遠くにいる奴とでもやれるの?」

「ISVS内部で本人同士が了承していればいけるな。俺たちは普段ISVS内部で日本に該当する場所に居るという設定だが、対戦時やミッション時は該当場所に転送される。そうして指定のアリーナに集まることで遠く離れた相手とも戦えるんだ」

「なるほどね。サンキュ」

 

 つまり、銀の福音に会えるかどうかは運次第。向こうが次の犠牲者を狙っているのなら、マッチングに現れないってことはないはずだ。可能性にかけて繰り返すしかなさそうだな。

 

 と、考えていたら前の背中にぶつかった。

 

「いてっ。急に止まるなよ、弾」

「一夏……お前、どうしてついてきてるんだ?」

「ああ、今日から俺もISVSを始めようかなと思――」

「なぜそれを早く言わないっ!!」

 

 おっと? これは弾の中のスイッチが入ったようだ。こうなると普段なら面倒くさいことだが、勝手に色々としゃべってくれるので今の状況だと大助かりである。

 

「よし、歩きながら説明できることはしておこう。まず、ゲーセンについたらイスカを買ってもらう。イスカってのは――」

「大丈夫だ。もう持ってる」

「おいおい本当にどうした!? 一夏くんにやる気があって弾お兄さん嬉しいぜ」

 

 コイツの妙なテンションはなんとかならないだろうか。話を聞く気が削がれる。数馬も頭を抱えてしまった。小声で「悪い」と謝っておくと、数馬は「一夏と遊ぶためだからこの程度へっちゃらさ」と返してくれた。普段から空気は読めないがいい奴だ。

 弾はなおも熱く語る。その中でも必要な要素だけを抜き出しておくことにしよう。

 

 まずゲーム開始後に名前を登録する。これについては彩華さんが設定済みなので必要はない。この名前がISVSの世界における自らを示す記号となる。

 次にアバターの設定。俺は特殊な始め方をしていたため、自分の顔とは似ても似つかない顔をしていたらしいことが調べていてわかった。リセットすれば今の自分の顔をモデルにして直してくれるとのことだが、このまま利用させてもらうことにする。元の顔を少しイジった程度じゃ千冬姉は誤魔化せない。

 最後に機体の設定。ISの構成は簡単に説明すると、コアと基本外装(フレーム)と装備に分けられる。コアについては操縦者が性能を選べないらしいが、他は選択肢の中から自由に選ぶことができる。さらに装甲の形状を自分でイジったりすることで自分だけの専用機となるということだ。

 

 細かいところはその時に説明すると締めくくられたところで、いつも弾たちが集まるゲーセンにたどり着く。店名は“パトリオット藍越店”。“愛国者”とはまた深い名前だなと思う。意味はもちろん弾が教えてくれた。

 

「お? 今日は凹んで顔を出さないと思ったぜ、バレット」

「確かに今日はあまり乗り気じゃなかったんですがね。そうもいかなくなりました。紹介します、クラスメイトの……ってそういや一夏? お前ってプレイヤーネームは決まってる?」

 

 店内に入ると弾は早速店の奥にいる店員の元へ俺を連れてきた。昨日は気づかなかったがこの人はここの店長らしい。弾は俺を紹介してくれようとしていたが、どうやらここでは本名でなくプレイヤーネームで呼び合うのが通例のようで紹介するのに詰まっていた。

 

「初めまして。“ヤイバ”で登録しています、織斑一夏です」

 

 早速、今朝決めたばかりの名前を伝える。一応本名も添えておいた。

 

「ヤイバ、ね。バレットが連れてきた男がその名前ってことは……さては合わせたな?」

「ええ、まあ」

「俺のことはディーンとだけ知っておいてくれればいい。ここの店長だ。たまに俺もお前たちに混ざってプレイするからそのときはよろしくな」

「こちらこそよろしくお願いします」

 

 最後に握手だけ交わしたところで店長さんは奥に引っ込んでいった。

 

「おいおい、一夏。俺に合わせて名前付けるんならお前は――」

「絶対にそんな名前にしねえ! そもそも安直すぎたら千冬姉にバレちまう」

「ん? 一夏は千冬さんにISVSプレイするの反対されてるの?」

「ああ。そして、千冬姉はISVS内にいる可能性がある。だから2人とも、ゲーム中ではプレイヤーネームで呼んでくれ」

「それはこっちから伝えようとしてた俺らのローカルルールと同じだから安心しろ。しかし千冬さんが反対……?」

「弾、早いとこ始めたいからさっさと教えてくれ」

「あ、ああ。じゃあ筐体に座って、イスカをヘルメットの差し込み口にだな……」

 

 弾の指示に従いゲームの準備を始める。自宅用と違ってここでの起動手順はまだ機械的だった。俺の推測ではこのヘルメットとかは飾りだが、きっと馴染みやすいように配慮したのだと思う。プレイ中の顔を隠す目的もあるのかもしれない。まあ、ゲーセンでプレイする女子なんて限られてるし、男子で気にするような奴は希少だろうけどな。

 

「さて、後はそいつを被って目を閉じれば開始する。だが中に入る前に設定をイジレるからそこでアバターを変えてこい。初期のままだと一夏だと丸わかりだからな」

「あいよー。他には何かある?」

「初期機体の選択について話すつもりだが、それは中に入ってからでも説明できる。それじゃ中で会おうぜ」

 

 弾が離れていき、別の筐体でメットを被る。それにしてもこのゲーセン、ISVSだけでどれだけ筐体を用意してるんだ? 最早ゲーセンじゃなくてネットカフェにしか見えなくなってきた。回数ではなくプレイ時間で金を取られる辺りもネットカフェに近い。無駄に金を取られないようにさっさと起動するとしよう。俺は目を閉じた。

 

 白い空間に出る。以前に来た時とは勝手が違うようで、名前の設定、アバターの設定、ISVSに入るの3種類の文字列が視界に現れた。“名前の設定”の文字に触れる。『“ヤイバ”から変更しますか?』と表示されたのを確認して、「いいや、変えないよ」と答えた。

 早速“アバターの設定”に移る。ISVSにおける分身だ。そういえば前回は自分の容姿がどんなものかを全く気にしていなかった。今もそのアバターのままなのでようやくご対面だ。設定のオブジェクトとして鏡が俺の前に現れた。

 

「うわあああああっ!!」

 

 俺は頭を抱えて叫んだ。俺の持っているイスカは彩華さんの持っていたtest用であり、俺より前に使ったことがある人がいるのはわかっていたはずだったのだ。そして試験用のISなんて使う人は限られてる。そう、前使っていた人は――

 

 女だったのだ。

 

 つまり俺は知らず知らずの内に、昨夜、ネカマになっていた。正確にはネカマと言うより女装だろう。おまけに誰かにそれを見られている。外見は女性らしくても、声変わりを終えた俺の声はとても女性には聞こえない。『くそおおおっ!』と本気で叫んでいたのだ。この格好で……。

 なんで無駄にスタイルがいいんだよ! ISスーツもいろいろとギリギリ狙ってやがるし! なんで髪が銀色なんだよ!? なんで片目が赤いんだよ!? 誰の趣味だよ、これ! どう考えても厨二病患者じゃねーか!

 

 長いため息を吐く。胸の内の不満を吐き出さないとやってられない。

 

 ……直そう。とりあえず、性別からだ。身長と体重の設定も入力できるから俺のデータを入力する。これで多少はマシになった。腰より長い髪とか邪魔にしかならないのでカット。髪の色は……下手に黒に戻すと元の姿に近づきそうだからそのままでいいや。瞳は明らかに変なので黒で統一。よし、これで完成。顔立ちも俺とは違うから、まず俺とは気づかれないだろう。アバターの完成を告げ、“ISVSに入る”を選択する。

 

 

 気がつくと建物の中に居た。前のような人気のない廃工場ではなく、人が多いイベント会場のような場所だった。キョロキョロとしていると肩にポンと手が置かれる。

 

「ようこそ、俺たちの放課後の遊び場へ。お前を歓迎しよう」

 

 どことなく顔が細くなったような弾がいた。大きくはイジってなくても少し顔を変えているようだ。名前を確認すると“バレット”と表示されており、オンラインゲームという感じがした。

 

「これがヤイバのアバターだね……髪を銀色にするなら片目の色を変えるとかすれば良かったのに」

 

 ああ、元の姿は片目の色が違ってたさ、数馬。声で数馬とわかったが名前が“ライル”で金髪にサングラス。正直、見ただけじゃ数馬とはわからなかった。

 

「よし、じゃあ早速ヤイバの初期機体を決めるか!」

 

 ここでバレット先輩の講義が始まった。数馬が言うには公式のチュートリアルよりも突っ込んだ説明をしてくれるらしい。

 

 ISは基本的にコアとフレームと装備で成り立つ。

 

 コアの性能に関しては個体差が存在するらしいが、プレイヤーから選択することはできない。運次第というわけでもなく、人によって異なるとのこと。一般的に“IS適性”と呼ばれているものはコアの性能をどれだけ引き出すのかを指すものらしい。弾曰く『ISVSに平等は存在しない』。不平等を受け入れることから始めろということだ。

 大雑把に言うと、コアにはIS全体のエネルギーの供給するジェネレータとしての役割とハイパーセンサーで取得したデータを取り扱うCPUとしての役割がある。それだけで勝負が決まることは無いので、他の要素でいかに逆転するかが楽しいのだと弾は語る。

 

 そして初期選択の主役である基本外装(フレーム)。ISの方向性を決める上で最も重視される要素である。シールドバリアの強度、実弾に対する装甲の強度、PIC維持コスト、重量と機体推力など挙げたらキリがない。これらは中々絶妙なバランスで成り立っていて、どこかが尖れば他がおろそかになる。絶対的に性能が高いというものは“とある条件を除いて”ありえないのだ。

 

 最初に選べるのは倉持技研製の“打鉄”、デュノア社製の“ラファール・リヴァイヴ”、クラウス社製の“ボーンイーター”の3種類。いずれも“容量クラス”が“メゾ”のものとなっている。

 容量クラスとは、後述する装備をどれだけ装備できるかを区分けしたもので、“フォス”、“メゾ”、“ヴァリス”の3種類がある。ヴァリスが一番フレームの搭載容量が大きいのだが、“サプライエネルギー”と呼ばれる行動に必要なエネルギーの回復量が小さいため運用に難がある。逆にフォスはサプライエネルギーの回復量が大きいため、シールドバリアの維持が楽だったり、推進機を噴かし続けられるが、フレームの搭載容量が小さい。要するに使いやすさなら中間が一番だということだ。

 フレームの搭載容量とはISが積める武器の量だとなんとなく察しがついたが、サプライエネルギーって何だ? そう聞いてみたが『後で説明する』と流された。

 

 3つの機体の特徴は、簡単に言えば打鉄がシールドバリア強度、リヴァイヴが総火力、ボーンイーターがスピードに秀でている。俺の性格的にはスピードがいいのだが、彩華さんの縁もあって倉持技研製である打鉄も捨てがたい。と、悩んでて思い出した。

 

「悪い、バレット。そういえば俺、機体はもうあるんだ」

「は? なぜ?」

 

 歩く取扱説明書がわからないと言っている。なぜと問う語尾が不自然に上がっていた。初心者ですと言っていたのに既に機体があるのはやはり普通ではないよな。

 

「実は俺のイスカはもらったものなんだ。だから機体もある」

 

 ほれ、と弾にデータを見せた。弾が真剣な眼差しで俺の提示したデータを見つめること3秒――

 

「なんじゃこりゃ?」

 

 またもや歩く取説が解説の匙を投げ出しそうになっていた。

 

「なんか変なのか?」

「いや、全く見たこともないフレームだったから驚いただけだ。まさか倉持の試作とは……クラスはフォスで、装備は……」

 

 弾は装備を見て固まる。良かった、ここは俺と同じだ。剣一本とかふざけるなって言いたいよな。

 

「雪片弐型……だと……!?」

「マジ!? 雪片がまさかのシリーズ化!? 誰が使うん、そんなの?」

 

 しかし俺の想定とは違い、弾と数馬は装備の名前に注目していた。

 

「えーと、状況が読めないんだけど、剣一本でどうしろってことだよね?」

「近いがちょっと違う。それを説明するにはある種の伝説となっている“雪片”について説明しなきゃならん」

 

 弾の説明はこう始まった。

 雪片とは、倉持技研が製作したネタ武器である、と。

 

「ネタ武器? どういうこと?」

「攻撃力がないわけじゃない。むしろ高い方だ。ただ近接武器の宿命の通り、ISに当てることは難しい」

「それはわかるけど、それだったら近接武器全部がネタ武器になっちまうぞ?」

「もちろん圧倒的なPICC(PICキャンセラー)性能に加えてアーマーブレイクのし易さもあるから、ISに対して近接武器が有効であることは周知の事実。問題はな、雪片の容量のでかさなんだ。IS同士の戦闘で近距離武器しか使えないことはハンデにしかならない」

 

 まだ良く分からない専門用語が飛び出しているが、説明を簡単にまとめるとこうだ。

 近接武器自体は敵ISの防御を突破しやすいから攻撃手段として優秀であるが、さすがに剣だけで銃を相手にするのは分が悪い状況が多い。で、雪片はとっても重いから他の装備は持てない。容量クラス:ミドルのチューン無しで他に軽いマシンガンも持てなかったことは今も語り継がれているらしい。

 

「へぇ……」

「他人事のように聞いてるがな、ヤイバ。見たところ、雪片弐型も容量の面では同じ条件だ」

「つまり?」

「この機体は他の装備を積めない。雪片弐型を装備している限りはな」

 

 剣一本しかないのは仕方がなかったからなのかー。納得。

 

「さらに問題点を挙げると、フォスでは到底持てないはずの武装を持つためにギリギリまで装甲が削ってあるみたいだ。装甲による防御は望みが薄いから弾幕とか張られると相当きつい目に遭う」

「そこはシールドバリアがあるからいいんじゃないのか?」

「そしてとどめだ。雪片弐型は今までにない出力のエネルギーブレードなんだ。エネルギー武器は対象の装甲を無視した攻撃ができる分強力なのだがもちろんデメリットもある。それは――」

 

 エネルギー武器を使ったら、出力に見合った分だけシールドバリアが減衰する。彩華さんからもらったデータの機体“白式”は、攻撃を行うととても柔らかくなることがわかった。昨日あっという間にやられた理由もわかるというものだ。絶句せざるを得ない。

 

「…………」

「機体、組み直すか?」

 

 普通に考えれば弾の提案に乗るべきだろう。だが、俺はまだデメリットを把握した上で白式を動かしていなかった。昨日はやらず嫌いだった俺だが、今は昨日共に戦った白式を動かしてみたい気持ちが表に出てきている。

 

「いや、いいよ。まずはこれでやってみる」

「いち……ヤイバ、悪いことは言わないから考え直した方がいいって」

「俺は数馬(ライル)とは反対の意見だな。お前がやってみたいんだったら、それでいい。高い可能性を秘めていることは間違いないからな」

 

 そういって弾は俺の前にリストを表示させた。名前が縦に並んでいるリストであり、最上部には個人ランキングと書かれている。

 

「こいつはISVSの世界ランキングだ。個人の対戦成績を元に順位付けされている。これにはもちろんモンドグロッソの国家代表も入っている」

 

 突然に始まった雲の上の話。なぜこんな話をしだしたのかと思ったが、考えられる内容は一つだけだった。

 

「ISVSで個人ランキングが発表されて以来、1位は変わっていない。んでもってその1位、日本代表でもある“ブリュンヒルデ”は雪片のみしか使わないことで有名だ。それでいて1対1の勝率は100%。つまり雪片のみでモンドグロッソを全て制している」

 

 弾が言いたいことは、諦めるなってことだ。険しい道だろうが、途切れてるわけじゃない。対策を立てられたら終わりそうな尖った機体でも結果を残している人は確かにいるのだ。ランキングトップの“ブリュンヒルデ”さんのように。

 

 決して世界一になりたいわけじゃない。それでも俺ができる範囲で強くなっておかないと、銀の福音を見つけても何もできず、箒を助けられない。手探りでもいいから俺に合うスタイルを見つけていこう。それが箒と再会できる最短の道だと思うから。

 

 

「じゃあ、機体は今の状態のままにして早速やってみるか。いきなりミッションは俺が不安だから、そうだなぁ……」

 

 弾が辺りを見回す。一人一人顔を見ていることから考えるに、俺の対戦相手を探してくれているようだ。そして一人の男で弾の視線が固定される。

 

「“サベージ”! ちょっとヤイバと対戦してくれないか?」

「はぁ? 今日の俺のテンションが最低なのをわかってて言ってんの?」

 

 弾が呼んだ相手は少々不機嫌そうだった。相手にやる気がないと俺としてもやりにくい。弾に「大丈夫なのかよ?」と小声で問う。

 

「安心しろ、サベージはクラスメイトだ。ヤイバが一夏だと知れば快く相手をしてくれるさ」

 

 弾はサベージの元に行き、一言二言話すだけでサベージが俺に指を突きつけてきた。

 

「面白い……ヤイバっ! “藍越エンジョイ勢、最速の男”が相手をしてやる!」

「あ、ああ。よろしく頼む」

 

 クラスメイトだからとは言ってもこの変わり様は不可思議だった。まぁ、結果的には文句は無いのでスルーしておく。正体が誰かってのも後で聞けばいい。ここに俺の初対戦のカードが決まった。弾の指示に従ってアリーナへの転送口へと移動する。『“サベージ”と対戦しますか?』と表示され、了承の意を伝えると即座に景色が変わった。

 陸上競技場を何倍にもデカくしたような場所だった。端から端まで走れば、中高生の運動部のランニングとしてもハードすぎる距離だろう。もちろん地面にトラックの線が引かれていないから陸上競技をする場所ではない。俺はその会場の中に立っていた。何もない会場内にある姿は、俺とあと一人だけ。200mほど離れた位置に立っている男は対戦相手であるサベージのはずだ。手にしている武器は銃身が異様に長いライフルが一つ。あと、特徴的なのは俺のISと違って頭と胴体も装甲で覆われていることだろう。

 

「ヤイバ。ISVSは初めてか?」

「あ、ああ」

「よし、じゃあ軽く説明をしておいてやる。視界の右上を意識してみな」

 

 言われたとおりに右上を見ようと意識する。すると2本の横に伸びたゲージと輪に囲まれた人型のようなものが見えた。サベージの説明によると、これがISVSにおけるプレイヤーの状態を表す。

 一番太い緑のものが“ストックエネルギー”と呼ばれるISのHPで、これが無くなるとIS戦闘の敗北となる。ピンチには色が赤くなっていくらしい。エネルギーと呼ばれるがISの機動やEN武器の発射には“原則的には”使えない。

 その下の段には青色で細いゲージがあり、こちらは“サプライエネルギー”と呼ばれるものでISコアが常時供給するエネルギーのことである。ISが推進機を動かしたりEN武器を使用するためのコストはこちらから消費され、使用されなかった余剰分のENはシールドバリアの補修やストックエネルギーの(微量)回復に回される。

 最後に人型と輪。人型は体を覆っている装甲の状態を色で示している。白い部分は損傷なしであり、黒くなるにつれて装甲が破損していることになる。人型を覆っている輪はシールドバリアの状態だ。これも白い場合は万全の体勢であることを示すが、黒くなるにつれて耐久力が減っている。

 

「ま、一度に言い過ぎても覚えられんだろ。まずはテキトーにやってみようぜ?」

「そうだな。お手柔らかに頼む」

「言っておくが俺は相手が初心者だからって手を抜くつもりはないぜ。ブザーが鳴った後で、実力の違いに絶望するがいい」

 

 本当に誰だろう、コイツ。どうも中途半端に俺に対する親切心と敵意が混ざってて、誰なのかが全然わからない。

 

 カウントダウンが始まる。3秒からスタートだ。俺が初心者だってのは仕方がない事実。ここでやるべきことは勝つことではなく慣れること。とりあえず安全だと思われる状況(ゲーセン)でなら無茶も許容できる。俺がやることは後先考えずに近づいて斬ることだけだ。

 カウント0。同時にブザーが鳴り戦闘の開始を許される。さあ、飛ぼう。飛んでこそのISだ。白式には翼がある。羽を広げて全身全霊を前に進むことに費やす。背後で爆発したような感覚と共に俺の体は空へと駆け出した。対象との距離は200。サベージはブザー開始直後に後方へと飛び始めたが、スタートダッシュが遅い。俺と奴の距離が0になるまで1秒を切った。ライフルは俺に照準されていなく、反撃はされない。雪片弐型を振りかぶり、距離が0になる瞬間に合わせて一気に――振り抜くっ!

 

「あ、れ? 絶望するのは俺の方……?」

 

 手応えはあり。サベージの不意をつくこともできたようで、声から奴の困惑も伝わってくる。勢いを殺すまでにサベージの居た場所からさらに100mほど過ぎてしまっていたが戦闘に支障はない。もう一度同じように近づいて斬るだけだ。

 

「あれ?」

 

 今度は俺が困惑する番だった。俺の視界には『勝利!』という派手な文字が現れていた。5秒後にアリーナから撤退しますとも表示されていて、カウントが進んでいく。それが0になったところで、俺は最初のイベント会場に戻ってきていた。すぐに弾と数馬の姿を見つけ、駆け寄る。

 

「なあ、バレット。なんか突然アリーナから放り出されたんだけど?」

「…………」

 

 弾は無言で俺を見据える。俺は何かをしでかしてしまったんだろうか。そう思っていると弾は力強く俺の両肩を掴む。

 

「おいおい、なんだよ今の! お前のような初心者がいるか、と素で言わなきゃいかん時がくるとは思ってもみなかったぜ!」

 

 また予想と外れて、弾のテンションがこれまでにないほど上がっていた。

 

「まさかうちの“最速の逃げ足”を誇るサベージが開始数秒で負けるなんて。余裕で最速タイムがでちゃったなぁ」

「ああ! 開始距離200mはサベージに多少不利程度だったし、障害物無しはサベージ有利の条件だったからグダグダな泥仕合になると思ってたんだが、ひっくり返しやがった!」

「え、と……とりあえず俺の勝ちでいいの?」

「文句なしだ! ってかあんなイグニッションブーストが使えるなら普通に剣一本(ブレオン)でやっていけるぜ!」

「イグニッションブースト? ブレオン?」

「おい、ライル! ヤイバが慣れればいけるんじゃねえか? 念願のガチ勢崩しっ!」

「うーん、少なくともアメリカ代表にリベンジするつもりなら、ヤイバがファング・クエイクとやり合えないといけない気がするけど――」

「おーい、俺の話を聞いてくれー」

 

 弾と数馬は俺を差し置いて話しこみ始めてしまった。まだわからない単語が多くてついていけない。そんな雲の上の人との対戦はどうでもいいから、早いところ俺はいろいろと経験を積みたいんだよ。

 

「悪い悪い、勝手に盛り上がっちまったな。たださ、ディーンさんが言うには、近い内にもう一度ファング・クエイクとやれるかもしれなくてさ。またメンバーを集め直そうと思ってたところだったんだ」

「ははは、そうか。どうでもいいけど、あまりアテにはするなよ」

「いやいや。やっぱり上位陣に切り込むには接近戦のエキスパートが欲しかったし、期待してるぜ」

 

 その期待は重すぎる。昨日見た限りでは“ファング・クエイク”は強い。さっきの俺と違って、ただ速いだけでなく、正確に止まって小刻みに移動していた。今の俺にはない技量があの機体にはあったはず。このままの状態で戦ったところで昨日の再現だ。

 そんなあるかどうかわからない対戦も、とりあえず強くなるための練習と割り切ろうと思っていた。続く弾たちから、とある単語を聞くまでは……。

 

「でもさぁ、バレット。昨日は向こうも最強メンバーじゃなかったんでしょ? トップランカーがもう一人追加されたらとても勝てない気が――」

「そっちは俺やリンでなんとかするしかないな。ファング・クエイクと違って“銀の福音”は射撃型だから俺としてはそっちの方が戦いやすそうだし」

 

 銀の……福音……!?

 

「弾! それは本当か!?」

「おい、ここではバレットと呼べ。で、何の話だったか?」

「銀の福音の話だよね? ランキング9位“セラフィム”の機体のことだけど……もしかしてヤイバは例の都市伝説を聞いたことがあるのかな?」

「都市、伝説……」

 

 少し、過剰に反応しすぎた。明らかに今の俺は“ゲームをしている少年”ではない。落ち着け。弾と数馬に悟られても面倒なだけだ。俺は自分から事件に首を突っ込もうとしていることを忘れてはいけない。そのために弾たちを巻き込んでもいけないのだ。あくまで弾たちとはゲームをしていないとダメだ。

 

「ああ、たぶんそれ。なんか昨日調べてたら名前だけ出てきてて、知ってた名前だからビックリしたんだ」

「大丈夫だよ、ヤイバ。やっぱりトップランカーになると嫉妬から変な噂を流されるもんじゃん?」

「実際、銀の福音と戦ったプレイヤーをそれなりに知っているが、意識不明になっている奴などいない。少しは安心したか、ヤイバ? もしそれが事実だったらリンにもライルにももちろんお前にもこのゲームをやろうなんて言うはずねえさ」

 

 今ので弾と数馬のスタンスは大体わかった。やはり都市伝説という認識でしかない。

 俺は戦った全てのプレイヤーが意識不明になっているわけではないのだと思っている。弾の知っているプレイヤーとはおそらくゲーセンのみ。俺の想定したケースではないため、弾の証言は否定の根拠にはなり得ない。

 

「さてと……結局今日はプレイしてねえや。時間も中途半端だし。どうする、お前ら? まだやってくか?」

「俺はそろそろ帰るよ。ちょっと疲れたし」

「ヤイバが戻るなら、俺も。そろそろ帰らないと親がうるさいんだよね」

 

 3人一斉にISVSから出てくる。被っていたメットを外し、イスカを取り出してから会計に向かった。プレイ料金を支払ったところでゲーセンの出口をくぐる。数馬は「やばいやばい」と言いながら「お先にー!」と走り去ったため弾と2人残された。

 

「また明日な、一夏。明日は俺と一緒にミッションでもやろうぜ」

「ああ。よろしく頼むよ」

 

 俺たちも軽く別れを告げて解散となる。

 今日のISVSは終わり。俺以外にとってはそうだった。

 

 

***

 

 帰る道中、俺は聞きそびれたことを弾に電話して聞いていた。弾たちのテンションの高さや銀の福音の話ですっかり自分の機体のことについて知るという目的を忘れてしまっていたのである。

 

「つまり、俺の機体は近づいて斬ることに関して特化しているわけだな?」

『ああ。対IS戦闘に特化していて、エネルギー消費を考えない機動力で問答無用に接敵し、ただ一振りで相手を沈黙させる。一撃当てれば勝ち、そうでなければ負けという一発屋だな』

 

 俺の機体“白式”は倉持技研の試作型フレーム“神風”を使用した機体である。ISVS内では試作のフレームや装備が山ほど存在しているが、敢えて手を出すプレイヤーはほとんどいない。弱点がハッキリしすぎていたり、明らかな上位互換が他にあったりすることがその主な理由だ。なぜ使われることの無いようなデータが数多く存在しているのかは一切不明とのこと。結局、プレイヤーに使われる装備は一部に限られることとなる。

 実のところ、俺の機体は特別でも何でもなく、弾たちも同じ構成のISを用意することはやろうと思えばできるらしい。やらないだけだ。

 

 試作型フレーム“神風”はクラス:フォス、言い換えれば軽量機体である。質実剛健なはずの倉持技研の社風には合わないフォスフレームである上に、白式は装甲を削ることで雪片弐型を載せる容量を稼いでいた。

 雪片弐型にしても、刀身のサイズは平均的なエネルギーブレードと変わらないくせに消費するエネルギーが大きいらしい。失うエネルギーがどこから来るかと言えばそれはシールドバリアであり、失ったエネルギーがどこに使われるかと言えばそれは攻撃力である。防御を捨てて攻撃、という考え方が倉持技研らしくないと弾は言っていた。きっと冒険に出たからこその試作なんだろう、と俺は勝手に納得している。

 あとの特徴はフレームと一体化しているイグニッションブースターだ。イグニッションブースターは読んで字の如くイグニッションブーストをする装置である。イグニッションブーストは瞬時加速ともいい、短距離全力ダッシュのようなもの。イグニッションブースターは基本的には後付け装備であり、通常の推進機とは使い方が異なるものである。求められる性能は瞬発力だけ。一時的にでも超高速で動きたいときに使用される装備なのだ。ISVSでは装備の操作は思考に頼るものであり、ボタンを押すだけで使用できる他のゲームとは事情が違う。イグニッションブースターを搭載したからといって誰でもイグニッションブーストが使用できるとは限らない。この辺りも『ISVSは平等ではない』と思わせるところだ。なにせイグニッションブーストのコツを教えろと言われても俺には教えることができない。だからプレイヤーは自分のできることを模索していく。平等でなくとも勝てる道を探しているんだ。

 俺はイグニッションブーストを使用でき、専用ブースターがフレームと一体化しているため、今日のような試合ができた。装備が一体化しているフレームは防御性能が落ちるらしいが、もう白式の防御性能については気にしない。直線移動の速さと持続時間に優れている白式のイグニッションブースターを使って、やるかやられるか紙一重の勝負に持ち込むことこそが白式の基本となる。

 

「ただいまー……って今日は俺が鍵開けたんだから千冬姉は帰ってきてないよな」

 

 弾から情報を引き出せたところで家に到着。今日は千冬姉は残業だろうか。もし帰らないといたら連絡がくるはずだが、たぶん俺がそれを受けることはない。

 夕食を適当にすませ、部屋へと戻る。帰ってきてやるべきことはやはりISVSだった。千冬姉には俺が寝ていると思ってもらわなければならないから部屋の明かりを消し、イスカを片手にベッドに入る。胸の前にイスカを置き5秒間、目を閉じた。

 

 

『今の世界は、楽しい?』

 

 

 また聞こえてきた。優しい声音。どこか懐かしさを感じる女性の声だ。

 今の世界が楽しいかって? 愚問だ。

 楽しかったとしたら俺はISVS(ここ)に来てはいないさ。

 俺は俺にとっての楽しい世界を取り戻すために来たんだよ。

 

 暗闇が一瞬ホワイトアウトし、白が落ち着くと俺は別の場所に立っていた。放課後にゲーセンから入ったロビーではない。そして昨日の廃工場でもなかった。一言で表すなら山の中。むしろそれ以外の言葉が見つからない。ゲーセンと自宅用の違いなのだろうか。だとしたら自宅用はゲームとして不親切な設計であるといえる。

 

「今回は夜じゃないみたいだが、どこ行けばいいのかさっぱりだ」

 

 とりあえず山の中では方角もわからないため、さっさと飛び上がることにする。周囲の木々よりも高く飛んだところで周りが見えてきたのであるが、景色はほぼ緑だった。

 

「とりあえずロビーに行かないと何もできないよな。それっぽいのはどこにあるんだ、これ?」

 

 アテは何もないが動かないことには始まらない。昨日見つけた都市でなくても、人工物があれば何かわかるはず。山を越えれば違う景色も見えるはずだと真っ直ぐに飛ぶ。

 だが、山を越える前に俺の耳を劈く爆発音が聞こえてきた。音のした方向を見やれば木々の一部が倒れていき、煙も上がり始めている。どう考えても何者かが戦闘していることは確実だった。

 

「もしかしてこれは、ミッションって奴か?」

 

 クリア条件も何もわかっちゃいないが、状況的に試合形式のIS戦闘をしているようには見えなかった。俺は特にミッションをする意思表示をしていないから、バグか何かで紛れ込んでしまったのだろう。だとしたら近づいては迷惑だろうな、とそちらを避けていくことにする。

 

 ――誰かが叫ぶ声を聞くまでは、そう思っていた。

 

 俺は反射的に振り返った。聞こえてきた声は確かに言っていた。“死ぬわけにはいかないのだ”と。負けるではなく、死ぬと言っていた。ゲームにおいて負けることを死ぬと表現したりすることはあるにはある。だが、比喩ではなく死に物狂いになっていることが俺には伝わってきた。気づいたときには俺は爆発のあった方へと飛び出していた。

 

 倒れた木々の隙間から複数の姿が見える。5機ほどのISが、ただ1機のISを包囲していた。多勢に無勢。状況的に完全に詰んでいる。その追いつめられているISに俺は見覚えがあった。

 

「あれは……昨日の赤いISか!?」

 

 昨日は暗かったためにハッキリ見れたわけではないが、かろうじてわかっている武者の形状とピンクのポニーテールが一致していた。俺の中では既に確信になっている。俺を助けてくれたISが今ピンチなのだと。そして、叫んでいたのはこのISの操縦者なのだとなんとなく感じていた。

 彼我の距離は500を切った。1対5の状況でもあちらはにらみ合っていて俺の存在は気づかれていない。今日の試合の経験上、十分に一息で接近できる距離である。そして俺は自分の得物の強さも把握していた。

 

 翼型のイグニッションブースターにエネルギーを溜める。防御のエネルギーなど考慮する必要はない。奇襲で先手を打ち、相手に気づかれることなく終わらせる。白式はそれができる機体なのだ。

 エネルギーの解放と共に翼の中で爆発が生じる。視界に移る木々を緑色の線に変えて、拡大されていく敵ISに狙いを定めた。雪片弐型の刀身を形成する。これでさらにシールドバリアが減衰するが、知ったことではない。敵ISに接触する。同時に雪片弐型を横薙ぎに払った。直後に見えるは、地面。

 

「――ぐっ!」

 

 刀を振り抜いた後、止まりきれなかった俺は両足で地面に着地する。減衰しきっていたバリアではダメージを抑えきれず、ストックエネルギーの減少が発生していた。つまりはISの絶対防御機構が働いた。この辺り、まだまだ操縦技術が足りないなと思わせられる。

 

「な、なんだこいつ!?」

 

 今の特攻で2体を撃破。白式と雪片弐型は色々と犠牲にしてるだけあって威力だけは本物だ。俺の乱入で固まっている敵に対し飛びかかり雪片弐型を振り下ろす。近接武器の無い敵はろくな抵抗もできずに両断され、消えていった。

 

「きっさまァ!」

「バカっ! 背を向けるな!」

 

 3体を倒した俺を無視できるはずもなく、残った内の1人が俺に銃を向ける。しかし、そこまであからさまな隙を赤い武者の子が見逃すはずもない。俺に向いた敵に背後から8本の光が浴びせられていた。

 俺はもう1人の方へと向かう。弾と違って見ただけで性能がわかるわけじゃないが、それぞれの手に取り回ししやすそうな銃を持っているため、中距離タイプと推察される。このまま距離を詰めれば俺の間合いであり、勝敗はそれで片づく。当然敵は距離を取ろうと後方へと飛ぶ。しかし、俺は最速の逃げ足と言われていた男を逃がさなかったのだ。いける、という自信があった。それは現実となる。

 

 4体のISを雪片弐型で倒した。当たりさえすれば勝てるというものは実に奇襲向きだなと思う。残りの1体も赤い女武者が倒していた。これで戦闘は終了だ。俺は早速赤い女武者の元へと移動する。昨日助けてもらった礼も言いたいところだ。

 

「危なかったみたいだな」

「……るな」

「ん? 何か言ったか?」

「私に、近寄るなああ!」

「ぎゃああああっ!」

 

 握手しようと差し出していた俺の手に対する返事は、刀の突きから放たれる8つの光だった。雪片弐型の刀身を出したままなのも相まって手痛いダメージを受けた。俺に攻撃を加えた赤い女武者は即座にこの場を飛び立っていってしまう。

 

「は、はは……」

 

 昨日は助けられ、今日は助けてから攻撃された。一体、俺はどう扱われてるんだろう? 皆目見当もつかなかった。助けてもらった恩はチャラだ。もうこんな奴には関わりたくない。

 ダメージをチェックすると、一戦闘するのも心許ないストックエネルギー残量であることがわかる。戦闘終了しても自動で回復しないことを考えるに、一度仕切り直さないとISVS内での行動は難しそうだ。この辺もゲーセンで入ったときと違う仕様なのだろうか。それとも、これはミッションを受けてる扱いでミッションが終了しないと回復しないのだろうか。いずれにせよ、今日はこれまでにするしかなさそうだった。これもあの女が攻撃してこなければ良かったのに、と過ぎたことでイライラを募らせることしかできない。そんな内面を自覚して、格好悪いなぁ、とも思うのだった。


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