Illusional Space   作:ジベた

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19 創られたヒーロー

 蜘蛛を倒しにいき、倒すことこそ出来なかったものの俺たちの目的は達成できた。蜘蛛に捕まっていた朝岡(ジョーメイ)を取り返すことができた。それで良かったのだと思ったのだが、何故か弾の顔は暗い。さっきまで喜んでいたからその落差の分、見ているこちらの心配が大きくなる。

 

「弾? 急にどうしたんだ?」

「どうしたもこうしたもねーよ。結局、虚さんは……」

 

 そういえば虚さんも関わっていたんだった。弾の話によると、助け出したと思った矢先に自分の手の中で消えてしまったらしい。俺もこの話を聞いたときは動転していてマズいとしか思わなかったのだが、今回の鈴たちが帰ったタイミングを考えるとひとつの答えが出せた。

 

「虚さんって、もう戻ってるんじゃね?」

「…………は?」

「鈴たちは一度蜘蛛にやられたわけだけどさ、中身の奴がいなくなった途端に帰れただろ? 虚さんの場合はお前の手で蜘蛛の範囲みたいなものから外に出されて、その結果転送されただけに思えるんだよな」

「……電話してみる」

 

 まず一番最初にやってみるべきことを弾は今更実行した。コール時間は少し長かったが、

 

「虚さん!? 良かったぁ……」

 

 虚さんは電話に出た。助けたい人を全て救えた今回は俺たちの勝利といっていいだろう。

 弾は虚さんとの長電話を始めてしまったので、そっとしておこう。俺には弾をからかうことよりもしなければならないことがある。

 

「よし。じゃあ話を聞かせてもらおうか」

 

 俺はラウラと店長の2人を交互に見た。

 ツムギを知っているラウラ。彼女がなぜナナたちのことを知っているのか。エアハルトすらもナナの名前を知らなかったのだから、敵よりも知っていることが多い可能性がある。

 店長。この人は世界中で起きている昏睡事件を把握している可能性が高い。というより、ほぼ確定だ。ただのゲーセンの店長で片づけてしまっていいわけがなく、何者なのかを徹底的に問いつめる必要がある。

 店長からのつながりで宍戸も普通ではないことがわかった。そもそも俺をこのゲーセンへと導いたのは宍戸だった。弾のことも行けばわかると濁していたが奴は知っててそんな物言いをしていたんだろう。俺の欠席を許していたあたり、俺が学校に来れない可能性を見越していたんだ。

 

 誰から話を聞いていこうかというときだった。複数の携帯の着信音が聞こえてくる。

 

「え、親父っ!? やばっ!」

「お母さんからだ」

 

 数馬と鈴が電話に出ていた。そういえば宍戸の奴、俺と弾の扱いについてしか言及してなかったっけ。ついつい呼び集めてしまったけど、2人には悪いことをした。

 2人の通話が終わる。

 

「ごめん、一夏。今から家族会議……」

「そ、そうか。俺の方こそ悪かったな」

「いいや。俺だけハブられるよりも呼んでくれた方が嬉しいもんだって。友達だかんな」

 

 それだけ言って数馬は急いでゲーセンを出て行った。せめて親父さんに数馬の意図がうまく伝わることを祈っておこう。学校さぼってゲーセン行ってましたって事実だけなら、俺の方ですらも千冬姉にフルボッコにされかねんことだし。

 

「あたしもちょっと帰らないと。一応、学校を休むとは言ってあったんだけど、説明は後回しにしてたから」

「俺のことは気にせず、行ってこい」

 

 あれから2年近く経ったとはいえ、まだ家庭内にはぎこちなさが残っていると聞いている。また鈴が原因で……それも俺のために家庭が崩壊されてはかなわない。

 鈴が去っていった後で今度は弾が長い電話の末に戻ってきた。

 

「一夏。ちょっと俺――」

「わかってるって。虚さんに会いに行くんだろ?」

「すまぬが拙者も弾殿に同行するでござる」

「あ、そうなの? 理由は知らないけど野暮な真似はすんなよ」

「合点承知。もとより拙者は全力で支援していく所存!」

「それが野暮な真似だからな? じゃ、行ってこい」

 

 なんだかんだで人が居なくなり、残ったのは俺とセシリア、ラウラ、店長というメンツだった。弾たちとの情報共有に手間がかかるが、この機会を逃すつもりはない。

 

「まず、店長。俺はあなたの話を聞きたい。ラウラ、お前との話は後回しでいいな?」

「いいだろう。私としても、貴様たちが何に巻き込まれているのか興味がある。あの蜘蛛のこととかな」

 

 俺とラウラ、セシリアの視線が店長に集中すると、店長はくるりと背を向けた。

 

「俺は奴と違う。ここまで来て黙りを決め込むような真似をするつもりはねえよ」

 

 場所を変えて再び従業員の休憩所。長机と丸椅子という簡単なものしかなかったが俺たちは腰を下ろした。

 

「話すって言っても何から言っていいものか。俺は説明が苦手だし、何もかもを知ってるわけじゃない」

 

 という前置きを入れてから店長が隠していたことを語り始める。

 

「まず最初に、世界中で起きているある現象について知ってもらう必要がある」

「ISVSプレイヤーの一部が昏睡状態に陥り、ずっと目を覚まさない」

 

 この場でそれを知らないのはラウラだけだった。軍所属とはいっても裏で起きている事件を全て把握してるわけではない。ましてや、この件を事件と認識している人間の数は最近こそ増えてきたが少ないのだ。

 

「そうだ、ヤイバ。ネット上ではISVSに怪物がいてプレイヤーの魂を喰らうなんて噂まで流れているくらいだ。そして、それは事実でもある」

「わたくしの流布したものですわね」

「そうなのか? 正直あの噂には参っていた。世間に大きな誤解を招きかねなかったからな」

 

 店長は頭を抱えてみせる。

 

「まさかとは思うが嬢ちゃん、“アントラス”だったりしないだろうな?」

「ふざけないでくださいませ! わたくしがあのような男尊女卑を掲げる連中と志を同じくするとでも? わたくしは男なんて大っ嫌いで…………」

 

 セシリアが机をバンと強く叩いて店長に突っかかるも途中で勢いを失い、口をポカーンと開けて俺を見た。

 

「い、今は違いましてよ? 決して、決して一夏さんたちのことを悪く思っていたりは――」

「今更誤解するわけないだろ」

 

 いきなりのセシリアの剣幕に驚きこそしたものの、俺はセシリアの優しさを身を以て知っているんだ。不安がられると逆にショックかも。

 

「ところで、“アントラス”って何なんだ? ラウラも言ってたから俺以外皆知ってるんだと思うけど」

「簡単に言えば、反IS主義者のことだ。女性にしか使えないというISの存在自体が人々の間に亀裂を作り必要のない争いを生むのだと主張し、ISの使用を全面的に排除しようとする者たちがいたのだ」

「極端に行き過ぎて男尊女卑にまで考えがいっちまうわけか」

「結果的にエネルギー問題解決の可能性を指摘したIS擁護側の主張が通ったのが今の世界情勢だ。もっとも、ISコアのエネルギーがどこから来るかも不明なまま。現状ではISよりもISVSという世界規模のシミュレータが諸企業に与えた利益が一番大きい。IS業界に限らず、多くの研究機関のコスト削減につながっているからな。そこは今はどうでもいいところか」

 

 ラウラによる解説。余分なところを省くと、アントラスって連中は束さんが作ったISが気に入らないってことだ。ISは女性にしか使えないから女性が偉いとする論調に反発する気持ちはわかるが、逆に振り切れてしまうのもどうかと思う。

 

「店長がセシリアにアントラスかと尋ねたってことは、あの福音の噂はISにとって……そして、店長たちにとって都合が悪いってことなのか?」

「ISVSにとってという方が正確だな。俺としてはISVSは現状が最も好ましい。ISVSが危険なものとして広まってしまえば、子供が遊べなくなる」

「それってゲーセンの店長としてってことじゃないっすか」

 

 俺は呆れを隠せなかった。少し茶化すつもりで相づちを打ったのだが、店長の顔は険しいまま。

 

「ISVSは世界中の人間にオープンな状態でなければマズいんだ。今は子供から大人まで大多数の人間が利用しているが、この遊べる状態自体が監視の意味を持っている。もしISVSが一般から遠ざけられ、一部の人間が独占してしまったら――」

 

 店長は自販機から買ってきていた缶ジュースを一口飲む。

 俺たち3人は次の店長の言葉まで固唾を飲んで待っていた。

 

「世界が征服される」

 

 何を言い出すかと思えば、かなり途方もない冗談としか思えない話だった。

 ISVSを一部の人間が独占する。ここまではわかる。シミュレータとしての有用性は知っているつもりだ。でも、そこから世界征服? つながりがわからない。

 

「もしかしてですが――」

 

 わからなかったのは俺だけだったのだろうか。セシリアが手を挙げて店長に質問する。

 

「“篠ノ之論文”が実在するのですか? ISVSの中に」

 

 また新しいキーワードが出てきた。でも俺にとって身近な名前が入っているからなんとなく予想がつく。論文ってのは研究成果をまとめたもので、篠ノ之は箒の名字と同じ。ISに関わっていて論文といえば、束さんが書いたものとしか連想できない。

 セシリアの問いに店長が頷いた。

 

「事実だ。コア・ネットワーク上の仮想空間をISVSという世界とするために、篠ノ之束はISVS内部に自らの研究成果を記録する必要があった。今でも閲覧できる形であの世界のどこかに隠されているのは間違いない」

「ISVSを作り上げたプログラマーに相当する役柄は篠ノ之束本人ではないということですの?」

「そういうことだ。ちなみにプログラマー……俺らがクリエイターと呼んでる奴とはもう連絡がとれない」

 

 もうわかっていたこととはいえ、ISVSの開発には束さんが関わっている。今の話を聞く限りだと束さん以外にも関わっている人がいるらしい。

 だけど、そろそろ脱線した話を戻したいところだ。俺がまず知りたいのは店長の正体。ISについて詳しすぎるということしかまだわからない。

 

「で結局、店長は何者なんですか?」

「俺か? 俺は本当にゲーセンの店長でしかない。今はな」

「じゃあ、昔は? なんかISに詳しいみたいですけど」

「昔……か。俺個人の昔話は山ほどできるが、今お前らに話すべきなのは一つだけだな。俺は“ツムギ”という組織に身を置いていた」

 

 言葉を失う。きっと俺の目は点になっていた。

 

「“ツムギ”ってのはさっき言ったクリエイターが作った組織でな。正義の味方を気取って世界中を荒らし回ったよ。若気の至りって奴だな。はっはっは!」

 

 店長は当時のことを思い出したのか上機嫌に笑い飛ばす。

 

「でも楽しかったのは白騎士事件が起きるまでだった。日本に向けられた2341発のミサイルを篠ノ之束がたった1機のISで落とした。それからずっとツムギは篠ノ之束とISを守るために存在していた」

「していた……?」

「俺たちツムギとアントラスは水面下で争いを続けていた。バックが国である場合は篠ノ之束の知識を欲しているから対処は簡単だったが、アントラスの連中は手段を選ばずに篠ノ之束の命を狙ってきていた。たぶん世間にはテロとして何件か伝えられてるはず」

 

 日常とは程遠い世界の話。俺の知らない束さんだった。確かに白騎士事件以降、俺は箒の家で束さんを見る機会はほとんどなかった。会えても数分だけで、すぐにどこかへといなくなってしまっていた。

 ……千冬姉は知っていたのかな。

 

「ツムギが組織として終わった最大の要因は、アントラスとの抗争の中でクリエイターが命を落としたからだ」

「代わりに頭となる人物がいなかったのか?」

「消滅の最大の理由はクリエイターの死後、篠ノ之束が俺らの前からも姿を消したことにある。目的を失った俺たちは自然に瓦解しちまったよ」

 

 店長の語るツムギは俺が全く知らないものだった。ナナたちがツムギを名乗っているのは偶然一致しただけなのだろうか。シズネさんから聞いた限りでは、ナナがツムギと命名したという。

 

「ツムギに文月奈々という子はいませんでしたか!?」

 

 ラウラが店長と話しているのに割って入った。これで奈々の身元がわかったところで何かが進展するわけでもないはずなのに、俺は聞きたくて仕方なかった。

 

「知らない名前だ。まあ、俺は組織の下っ端だから全員把握してるなんてことはないんだけどよ。で、誰なんだ?」

「いえ、知らないのならいいんです……」

 

 この件に関しては、わからないことがひとつ追加されただけに終わった。

 話を先に進めることにする。今、必要なのは敵の情報。

 

「店長たちがアントラスって連中と戦っていたというのはわかりました。今、この話を俺たちにしたってことは、俺たちが戦っている相手とはアントラスなんですか?」

 

 この質問に店長は首を捻る。ハッキリしていないということか。

 

「ISではないISを使うということまではわかっている。意地でもISを使わないというやり口が連中らしいとは思うんだが、腑に落ちないことがあってな……」

「先ほどの噂の件ですわね。わたくしが広めなければ、事件のことは誰にも知られなかった可能性があります。しかしアントラスにしてみれば、ISは危険という方向に世論が向かう方が好ましいはず。目的が男尊女卑であれ篠ノ之論文であれ」

「その通りだ、嬢ちゃん。あの噂の出所がこっち側の人間だとわかって違和感がでかくなった。俺たちも敵の正体がまだハッキリと見えてないんだよ」

 

 結局のところ、店長たちも動くに動けないということらしい。明らかに怪しいミューレイはおそらく隠れ蓑であるし、アントラスというのは組織でなく思想。下手な鉄砲を数撃ちゃ当たるというものでない。主犯を抑えないと、この事件は収まらない。

 

「なるほど。私には見覚えのない男だが、貴様もツムギの一員だったか」

 

 店長からの情報が止まったところでラウラが机に右手を置いて起立する。自然と注目が集まるラウラに俺は問う。

 

「貴様“も”って? ラウラもそうなのか?」

「私ではない。私の身近な人間が所属していただけだ。と、そんな話は今はどうでもいい! 今度は私から店長とやらに聞かせてもらおう」

 

 そういえばラウラも店長の話を聞きたがっていた。俺が聞きたかった敵の情報では足りなかったということか。

 

「ISではないIS。ヤイバがIllと呼んでいる兵器について知っていることはないか?」

「知らねえ。知ってたら頭を抱えてたりしねえっての」

「では私から情報をひとつ追加しよう。今日私たちが戦闘を行った蜘蛛型兵器の操縦者に関する情報だ」

 

 ラウラは唐突に左目の眼帯を外した。ISVSで見たものと同じ金色の瞳はおよそ自然のものとは思えない輝きを帯びているように見える。

 

「銀髪にその瞳……お前は遺伝子強化素体(アドヴァンスド)か!?」

「ああ。そして、蜘蛛型兵器の操縦者も遺伝子強化素体であることはほぼ間違いない」

「くっ……まだ道具として使われてる遺伝子強化素体が残ってるってのか!」

「残ってるのは遺伝子強化素体だけではない。そうは考えられないか?」

「亡国機業がまた活動を始めた?」

「私はその可能性を疑って――」

「ストップ!」

 

 加速していく議論に待ったをかけたのは俺だ。

 

「俺とセシリアにもわかるように説明してくれ。蚊帳の外ってわけでもないんだろ?」

「いいだろう」

 

 ラウラの説明によればこうだ。

 遺伝子強化素体とはある組織による遺伝子操作実験によって生まれてきた人間のことであり、ラウラ本人も遺伝子強化素体である。遺伝子強化素体たちは皆一様に銀の髪であり、生後すぐに行われる手術によって瞳の色が金色に変わるとのこと。常人を遙かに凌ぐ身体能力を持っているらしい。

 亡国機業というのは遺伝子強化素体を生み出していた組織の名称。15年前に壊滅しており、ラウラを最後にして新しい遺伝子強化素体は生まれていない。

 ラウラによると蜘蛛の操縦者は遺伝子強化素体であるとのこと。イルミナントの操縦者であったアドルフィーネも銀髪と金の瞳という特徴を有していたことからも的外れとは思えなかった。Illの操縦者として遺伝子強化素体が使われている。このことから、Illの背後には亡国機業が絡んでいる可能性があることをラウラは指摘している。

 

「セシリアはどう思う?」

「わたくしもラウラさんに同意しますわ。今回遭遇した“楯無”の情報からも支持できます」

「そういえば“楯無”は銀髪でも金の瞳でもなかったよな。でもどうして肯定する材料になるんだ?」

「“楯無”が使用していたものはISだったからですわ。Illではありません」

 

 言われてみれば“楯無”がいる状況でラウラたちは帰還できた。“楯無”がIllを使用していたのならば“楯無”がいなくなるまで帰還できないはず。そして、セシリアが断言できているということは彼女の単一仕様能力“星霜真理”によってISと判断できたということだ。

 

「ということは敵はアントラスってのじゃなくて亡国機業ってことなのか?」

「今はまだなんとも言えん。亡国機業が絡んでいるとすれば、昏睡事件を秘密裏に起こしていたことも納得できるってことくらいか。どちらにせよ、まだ敵を追いつめる材料が足りない」

 

 

***

 

 俺とセシリアとラウラの3人はゲーセンの裏口から出てきた。

 店長に聞けることはあらかた聞き終わったと思う。店長たちは前々からアントラスという連中と戦ってきていた。しかし束さんの失踪により、アントラスと直接戦闘する機会もなくなり、今は表だって活動はしていない。そんな中でもISVSの異変には気づいていて、情報を集めているが成果は芳しくない。昏睡事件に限って言えば、俺の方が遙かに成果を出しているのだとか。当事者の俺も振り回されているとしか思えていないのに。

 店長たちもISVSで調査をしていないわけではない。だが店長はお世辞にも戦闘が上手いとは言えない。実際にIllと遭遇すれば被害者の仲間入りは確実だとわかっているから無理はできないとのこと。

 でも宍戸は? もちろんそう聞いたけど、店長が言うには宍戸は戦えない体だということだった。理由は本人に聞けと頑なに話そうとしなかった。

 

「一夏さん。宍戸先生に連絡がとれましたが代わりますか?」

「……相変わらず根回しが早いね」

 

 俺はセシリアから携帯を受け取った。俺の前で店長から連絡先を聞いているようには見えなかったけど、どうやって宍戸の番号を手に入れたんだ? 俺が担任の携帯番号を把握していないことの方がおかしいのか?

 

「もしもし、織斑です」

『その声色からすると、五反田は無事のようだな』

 

 宍戸は学校にいるはずだが、普段の威圧するような声ではなかった。堅物教員としてではなく、宍戸恭平として電話口に立っているのだということだ。

 

「無事は無事ですけど、こっちはいろいろ大変でしたよ。先生が代わりにやってもらえるととても助かるんですが」

『やれるならばやっている。お前のようなひよっこに任せなければならないこちらの精神が病んでしまいそうだ』

「なるほど。鬼教師、宍戸恭平を鬱病に追い込めるってわけですか」

『お前らがまとめて昏睡状態で目を覚まさない、などという結末にでもなればそうなるな』

 

 何も決定的なことを口にしなくても互いに状況は理解できていた。宍戸が店長の言うように戦えないということ。俺を戦わせようとしているということ。俺たちを心配してくれていること。

 

「なんで前の時に説明してくれなかったんですか?」

『前の時? ああ、特訓してやったときか。あれはまだ織斑が引き返せる道を残しておきたかったんだ』

「引き返すだなんて欠片も思ってなかった癖に」

『当たり前だ。織斑が前に進む道さえ用意できれば良かった。他のことは蛇足だろうと判断して敢えて何も言わなかった』

「俺はもうその蛇足とやらも店長から聞きました。知らないことは先生がISVSで戦えない理由だけですけど」

『悪いが話すつもりはない』

「ですよねー。だからひとつだけお願いを言っていいですかね?」

 

 お願い。それはここ最近の俺が学校でしていることに関してだ。

 

『あのふざけた部活の顧問になれって奴か』

「知ってたんですか?」

『当たり前だ。でなければ生徒会からのイベントの提案自体なかった』

 

 生徒会からのイベントというと明日に迫った試合のことだった。そういえばまだまともにメンバーを集めていない。

 

『あのイベントを考えたのは生徒会長(もがみ)じゃない。このオレだ』

「はい? 先生が?」

『織斑に経験を積ませるためにな。もうひとつ狙いがあるんだが……それはオレがこの場で言ってしまうと台無しになるか』

 

 実は堅物なんかじゃなくて融通が利く人だと思っていたけど、思ったよりも遊び心満載なのかもしれない。

 

「いや、でも十分台無しですよ? 俺が勝たないと先生が協力してくれないから俺は試合を受けたわけで、こうなったからには負けても関係ないじゃないですか」

『んなことはねえよ。言うなればこれはオレから織斑に課した試練だ。この試合に勝たないとオレは織斑に協力はしない』

「は? なんでそうなるんですか!」

『最上たち程度に勝てなければ、お前はいずれ敵に負ける。もし最上たちに負ければ、オレはお前からイスカを取り上げることまで考えている』

「ふざけんなよ!」

 

 何の権限があって俺からイスカを取り上げる? イスカを失えば、俺はISVSに入れなくなる。そうなってしまったら、俺は……

 

『ふざけてなどいない。織斑は十分に今のISVSの危険性を理解しているはずだ。オレが根拠もなくお前を放置するとでも思ったか? もうお前はオレに対して“ISVSは遊び”という言い訳はできない。オレに対して、事件に立ち向かうという意志と力を見せなきゃならねえ。オレを安心させてみろ。織斑なら大丈夫だと納得させてみせろ。その程度ができないのならば、これ以上は関わるな』

 

 ……俺は勝手に思いこんでいた。宍戸も店長もただ俺を利用しているだけなんだと。自分たちだけ安全な場所で高みの見物するつもりかと憤ったこともあった。実際は手出ししたくてもできない現実に苦しんでいる人たちだった。

 俺の思いこみはそれだけじゃなかった。宍戸たちは俺に戦わせようとしてるのだと思っていた。でも、そんなことはなかったんだ。

 ……初めて『戦うな』って言われた。

 

「先生……どうしても俺が戦わないといけない理由ってありますか?」

『ねえよ、そんなもん。お前が動かなくても、戦える人材は他にいる。オレの伝手をなめるな』

 

 宍戸からは俺が戦わなければならない理由など出てこない。宍戸はただ俺の選べる選択肢を増やしてくれただけで、俺を戦うように仕向けたわけじゃない。

 宍戸の伝手というのがどんな人かは知らないけど、宍戸が戦えると断言するくらいだ。きっとものすごく強いのだろう。俺が戦う必要なんて全くない。弾や鈴、他の皆を巻き込んでまで戦う意味なんてない。

 

 ……そんなわけあるかよ。

 初めから自分で言っていたことじゃないか。俺は自分から飛び込んだのだと。俺が戦う意味なんて俺が一番よく知ってる。

 

 ――お前が救おうとしている“彼女”は誰よりも大切な存在か?

 

 ナナに聞かれて答えた。俺は“彼女”と目を合わせて話したいと。

 俺自身が戦わないと俺は“彼女”に合わせる顔がない。そんなものは俺の勝手な都合。俺が戦ってる理由に、宍戸が戦わないことなんて全く関係なかったじゃないか。

 

『どうした? やめるのならやめると言えばいい。オレは止めないぞ』

 

 宍戸の問いかけを聞いて、俺の脳裏には病院のベッドで横たわる箒の寝顔と、死にたくないと必死なナナの泣き顔が浮かんでいた。

 

「やってやる! 絶対に勝って『お願いします、織斑様』とアンタに言わせてやる!」

『それは絶対にないが期待だけはしておこう。一応言っておくが……今のところ、俺の感覚では織斑の方が分が悪そうだ。ヒントをやるとすれば、お前ひとりで勝つ必要はないってことか。明日までにできることをやっておけよ』

 

 通話を終えてセシリアに携帯を返す。電話で得たかったものは当初のものとは違うが、俺は今、燃えていた。

 

「よし、こうなったら早速戦力集めだ!」

「そうなりますわね……わたくしも参加できるのでしたら少しは楽になりますのに」

「禁止されてるから仕方ないって。それにしてもセシリア参加禁止ってひどい縛りだよな」

 

 と、ここまで言って気づいた。代表候補生の参加を禁止されたわけじゃないじゃん。

 

「そういえば、ラウラ。俺に聞きたいこととかあったんじゃないのか?」

 

 まだ俺たちについてきているドイツの代表候補生に声をかける。彼女が俺に会うために来日したことを思い出した。つまり、暇ってことなんじゃないか?

 

「聞くだけ無駄だと思うぞ。……私をブリュンヒルデに会わせてもらえないか?」

「ブリュンヒルデってランキング1位のプレイヤーだよな? なんで俺がそんな人と知り合いなんだよ?」

「予想通りの回答だ。貴様に興味を持った根拠が私の直感であるから信頼性など無かったのだ。仕方がない」

 

 良くはわからないがラウラは俺とブリュンヒルデにつながりがあると踏んでいたのか。共通点といったら近接ブレードのみで戦うってことくらいだろうに。

 

「で、これからラウラはどうするんだ? ドイツに帰るのか?」

「まだ休暇の日数はあるし、やりたいこともできた。しばらくは滞在する予定だ」

「そっか。やることがあるんならしょうがない」

 

 俺が諦めたときだった。

 

「……言っておくが、明日なら時間はある」

「マジっすか! じゃあ、手を貸してほしいんだけど」

「いいだろう。私としては貴様の手助けをするのにやぶさかではない。ではな」

 

 ラウラはあっさりと明日の試合の参戦を承諾すると、片手を挙げて颯爽と立ち去っていった。残されたのは俺とセシリアだけとなる。

 

「ラウラさんは良くてわたくしはダメなんですのね」

「まあまあ。俺としてはセシリアが居てくれる方が心強いんだけど、ルールにされてしまったらどうしようもない」

「一夏さんがそう思ってくださるだけで、わたくしには十分ですわ」

「今日はこの後どうしよう? 俺は心当たりに片っ端から声をかけて回ってから家に帰るつもりだけど」

「わたくしは今日のことで調べたいことができました。ですのでわたくしもこれで失礼いたします」

「調べたいこと? なんかわかったら俺にも教えてくれよ」

「当然ですわ」

 

 結局、俺の単独行動となったとさ。少しだけ寂しい。

 

 

***

 

 お日様がてっぺんを通り過ぎた頃合い。平日のこの時間でコンタクトがとれる同年代が見つかるとは思えなかった俺は、

 

「いらっしゃい、少年」

 

 倉持技研に来ていた。彩華さんの部下の人に連れられてヘリでやってくると、彩華さんが出迎えてくれる。

 

「高校をさぼってうちに来るとは、君も将来ここに来るつもりだったりするのかな?」

「いや、俺の頭じゃ研究職は無理ですよ」

 

 世間話はそこそこに本題に入る。

 

「倉持技研にはISVSが強い人っていますよね?」

「もちろんだ。君たちと違ってそれで飯を食べているプロなのだから、彼女たちなりのプライドもある」

「それで……明日あたり暇な人とか紹介してもらえます?」

「無理だ」

「そこをなんとか!」

「いや、暇人がいない理由は少年にも関係があるんだが」

 

 ため息混じりに彩華さんに言われてようやく合点がいった。

 

「ツムギの防衛に回ってる人たちですか!」

「そうだよ。先日はミューレイに一杯食わされたからね。うちの操縦者たちもコケにされたってムキになってる。ゲートジャマーの影響で防衛につく者たちは移動時間も含めて長時間向こうに拘束されるため、少年の学校での試合に参加しようと言う者はいないと思われるな」

 

 俺の用件を正確に把握してらっしゃった。それでいて無理と断言するということは本当に期待できなさそうである。俺たちの代わりに備えてくれる人たちがいるからこそ、俺の心に余裕があるのだからこれ以上無理は言えないな。

 

「まあ、プロの手を借りなくても少年ならば勝てるさ」

「根拠なく言ってますよね?」

「私は仕事柄根拠のないことは言わない人間でね。少年の実力を信じているのさ」

「この間は敵に負けたも同然だったのにですか?」

「負けたのは少年ではなく私だ。装備や設備の段階で敗北が確定していた。だからこそ、次は負けるつもりはない。その次を与えてくれた少年の期待に応えてみせる」

 

 前回のエアハルトとマザーアースの襲撃で力不足を痛感していたのは俺だけじゃなかったみたいだ。彩華さんは血走った目で「次は負けない」と繰り返している。

 

「といっても装備だけで勝負が決まるわけではない。最後は人の力次第だから、君の手でなんとかしてみせてくれ、ヒーローくん?」

「やめてください。俺はヒーローなんかじゃないんで」

「勘違いか傲慢か知らないが、君の発言はヒーローを自称することの虚しさに似ているな。これは他者が決めることだから、素直に受け入れるべきなのだよ」

「暴論っすね。まあどう呼ばれようと俺がやることには変わらないですけど」

 

 結局、彩華さんとはツムギ防衛の話だけして終わった。量より質の精神で代表候補生や企業の試験操縦者を集めようという俺の浅はかな思惑は簡単に崩れ去ったことになる。

 

 

 彩華さんと別れて、俺はヘリポートへと歩いていた。何回か来ているためか道は覚えているし、名札も与えられて許可された場所ならひとりで歩けた。誰もいない通路を歩くとき、なんとなく足音をたてると迷惑かなと考えてしまって静かに歩くよう意識していた。だからなのか俺は通路の曲がり角で、

 

「いたっ!」

「あっ……」

 

 反対側から来ていた人とぶつかってしまった。軽い衝撃で俺はこけることもなかった。小柄な女性……というよりも女の子だろう。俺は尻餅をついてしまった女の子に手を差し伸べた。

 

「ごめん、良く前を見てなかった」

「……謝る必要なんてない」

 

 ずれていたメガネを直した女の子は俺の手を取らずに自分だけで起きあがる。彼女が床に手をついたとき、彼女の服装に妙な点があることに俺は気がついた。

 

「袖、長いね」

「……悪い?」

 

 ものすごく不機嫌そうな返答。もしかしなくても怒らせてしまっているのだと思う。常に俯いていて、前髪がだらりと下がっている彼女の表情は全く見えないけど。

 

「えーと……なんかごめん」

「…………」

 

 なんとなくで謝ってしまったのだが、彼女は何も言わずに歩き始めてしまった。左胸の名札をチラッと見たのだが、俺のものとは違っていたため、正式にここの職員なのかもしれない。名前の方はフルネームは確認できなかったけど、KANZASHI(かんざし)と書かれていたのはわかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 一夏が去るのを見送った彩華は左のポケットから棒付きキャンディを3本取り出した。人差し指から小指までを使って器用に挟み込んで固定し、右手で流れるように包装を外していく。むき出しになった飴玉は皆違った色をしていた。彩華はその飴たちを人差し指側からまとめて口に入れていく。

 

「いつ見ても思うのだが、旨いのか?」

 

 そんな彩華に声をかける女性がいた。研究所に所属する者たちは彩華の趣味によって半ば強制的に白衣を着せられているのだが、この女性は白衣を着ていない。そもそも服と呼んでいい格好をしていなかった。男性を虜にする整った体のラインがくっきりと浮き出ているウェットスーツのようなものだけ着用している。

 

「この良さがわからないとは……君も案外普通の人間の側のようだね」

 

 彩華は口に含んだ飴を再び取り出した。でなければまともに会話ができないと少年に怒られて以降の習慣である。それまでは飴を舐めているときは人と会話をする機会もほとんどなかったから支障がなかった上に、誰も彩華に注意をしようとしなかったという。

 

「一夏を巻き込んだのはお前だったのか」

 

 ぴっちりとしたウェットスーツのようなものを着た女性は持ち前の鋭い目つきを崩さずに彩華を見つめる。女性が着ているのは正確にはウェットスーツではなくIS操縦者用に造られたISスーツである。行動を咎めることを意味する彼女の発言を聞いた彩華は内心穏やかではない。

 

「私は少年の前でイスカを落としただけだ。彼は自分からこの件に飛び込んだ。彼に聞いてもそう答えると思うぞ?」

 

 焦りを表に出さずに彩華が切り返す。指摘されたとおり、彩華は織斑一夏の前でわざとイスカを落としている。そして彼女の行動は織斑一夏を事件に巻き込むものともなった。だが彼女は道具を用意しただけに過ぎない。織斑一夏が事件に……ISVSに関わる最大のきっかけとなったのはある部屋に置かれていたメモだったことをこの場にいる2人は知らない。

 

「悪質な誘導もあったものだ。といっても結果だけ見れば私はお前に感謝するべきか。まるで抜け殻だった一夏が生気を取り戻したのだからな」

 

 ISスーツの女性、織斑千冬が口元だけ笑ってみせた。彩華は千冬に見せつけるように文字通りに胸を撫でおろす。

 

「無駄に脅さないでくれないか。君を怒らせては私は少年に合わせる顔がない」

「心配するな。一夏のことは少し前から聞いていた。だからこそ私自らがこうして防衛についている」

「“ブリュンヒルデ”が防衛に加わっても攻めてくるような敵が相手だけどねぇ。前回はバカなお偉いさんに呼び出されてていなかったけど」

「言うな。しかし国家代表という肩書きも邪魔になってきたな。いっそのこと捨てるか?」

「やめときなって。いざってときに専用機がないと全てが台無しになる可能性が高い」

 

 前回というのはエアハルトが指揮するマザーアースを主体としたツムギへの攻撃である。倉持技研の要であったブリュンヒルデが欠けていたことも苦戦の要因となっていたのだった。

 

「それで、私はいつまで守ればいい? 上は国家代表がいつまでも倉持技研の依頼に縛られていることを快く思ってはいない。あと数日が限界だぞ」

「わかってはいるが、確証もなく攻撃するわけにもいかない。今でこそ一企業同士の諍いで済んでいるが無理を通そうとすれば必ず反発が生まれる。失敗すれば我々が孤立するだけだ」

「結局、待ちしか手がないというのか」

「アメリカのお友達の方はどうだ?」

「成果なしだ。いざとなったらナタルにここに来てもらうつもりだが……」

「彼女も今、自由には動けないだろうから難しいな」

 

 世界最強のプレイヤー“ブリュンヒルデ”。1対1では負け知らずの彼女でも戦う相手が眼前にいなければ勝てはしない。未だ主導権は攻める側である敵の方にあるという現実を受け入れるしかなかった。

 

「ところで、少年にはブリュンヒルデの正体を教えてやらないのか?」

「言えないな。私なりに事件を追ってはいるが、立場というしがらみが邪魔をしている。こんな私を一夏には知ってほしくない。それに――」

「それに?」

「私に隠れて事件を追っていると一夏が思いこんでいる方が、一夏が無茶をしないだろうと思ってな。私が譲歩できる限界が今なんだ。お前から支援してやってくれ」

 

 織斑千冬は弟のことを知っていて何も言わない。危険だからと縛り付けては、心を閉ざしかねないと恐れていた。かといって公認すれば一夏は無茶をする。千冬にとって今が一番バランスがとれているのだった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 一夏と通路でぶつかった少女は自らに与えられた研究室へと戻ってきていた。元々は2人に与えられた部屋であり、自分が立てた理論を実践で開発していた相棒がいた。しかし、今はひとりだけ。相棒が着用していた無駄に長い袖の服に包まれて、少女は部屋の片隅で縮こまる。胸の辺りに余裕のある服はそのままぽっかりと空いた心を表しているようだった。

 

「失礼しますよ、と」

 

 研究室として機能していないにもかかわらず、人が訪ねてくることは稀にあった。ひとりは所長である倉持彩華。少女の相棒が入院してからもずっと少女を気にかけてくれている。少女はそれを理解しつつも前を向けなかった。自分の努力ごと親友を奪っていった圧倒的な暴力に心を砕かれて戻らない。

 今、訪ねてきたのは男だった。メガネをかけたスーツの男でぱっと見どこにでもいるようなサラリーマンである。この男は少女の幼少からの知り合いであった。

 

「……平石さん」

「元気を出してください、簪ちゃん。今日もとっておきの情報を持ってきましたから」

 

 平石がスティック形状の記憶媒体を差し出すと少女はあわててひったくる。

 

「大丈夫、落ち着いて。この情報は明日のことですから」

「明日……明日また……あいつと会える……」

「そう。そうです。大丈夫。あなたなら必ずややり遂げられます。それでは私はこれで失礼しますね」

 

 少女が記憶媒体を握りしめたまま独り言を呟く中、平石は静かに部屋を去った。自分以外の気配が消えたところで少女は受け取った情報を確認するためにパソコンを立ち上げる。手を動かしている間も独り言は止まらなかった。

 

「あいつを……銀髪の……を倒せば本音が帰ってくる。……私じゃ無理。お姉ちゃんは……動けない。……私が……お姉ちゃんになればいい」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 五反田弾は友人の朝岡丈明に連れられて、とある屋敷の前にまで来ていた。入り口を黒服が見張っているような場違いな場所を弾はおっかなびっくり朝岡の後ろをついていく。

 

「なあ、虚さんって偉いとこのお嬢様なのか? 俺、そんなことも知らなかったのか」

「心配無用。虚様は拙者の上司ではあるが主人ではござらぬ。この屋敷の持ち主に仕えている使用人でござる。詳しくは虚様からお聞き下され」

 

 使用人と聞いて弾の脳裏にはメイド服を来た虚の姿が浮かび上がった。すぐに「いかんいかん」と首を横に振る。純和風なこの屋敷にメイドさんは似合わない……というわけでなく、今はそんな妄想をしている場合ではない。

 今回の来訪は虚の無事を確認するだけでなく、虚について知ることが目的なのだから。

 

「さて、着いたでござるよ」

 

 朝岡に連れてこられたのは屋敷の一室。その扉を前にして朝岡は弾に前を譲った。ノックから先は弾自身にやれと言いたいらしい。弾はすかさずにノックすると中から女性の声がした。

 

「どちら様ですか?」

「五反田弾です、虚さん」

「中へどうぞ」

 

 虚が『どうぞ』と言い切る刹那、弾は引き戸を荒っぽく開ける。

 

「虚っさーーーんっ!!」

 

 屋敷から与えられる圧迫感によって抑えられていた感情を爆発させた弾は中にいる人物に飛びつく勢いで室内へと踏み入った。

 

「へぶっ!?」

 

 入室した弾を待っていたのは閉じた状態の扇子だった。吸い込まれるように弾の額に扇子の先端が命中し、弾は仰向けに倒される。額をさすりながら弾が見上げると、そこには虚ではなく別の少女が仁王立ちしていた。

 

「案内ご苦労様、たけちゃん。この子が五反田弾くんね」

 

 弾の知らない少女は意味ありげに扇子を広げて口元を隠す。『リア充爆発』と記された扇子の向こう側で少女は続ける。

 

「早速で悪いんだけど、私に協力してくれないかしら?」

「……というか、アンタ誰?」

 

 何もわからない弾はとりあえず問う。すると扇子の少女は首を傾げた。

 

「あれ? 織斑一夏くんは私のことを知っていたようだけど……まあ、いいわ。私は更識楯無。無駄に偉そうな高校2年生よ」

「お嬢様。無意味な自虐はお控えください」

「あ、虚さん」

 

 扇子の女子、楯無が自己紹介をすると後ろから生真面目そうな女子が口を出してきた。そこでようやく弾は虚の存在を認識するも、残念ながら入室したときのような勢いは失われていた。楯無という名前に聞き覚えがあったのにもかかわらず、既に弾の頭には虚しかいない。

 

「自虐も何も、今の私はそんなものでしかないわ。スパイを出し抜こうとして自滅したりね」

「お嬢様。それ以上一方的に話しても弾さんが混乱されます。説明は私の方からさせてもらってかまいませんか?」

「最初からそのつもりよ。役立たずな私はたけちゃんと一緒に隅っこで大人しくしてるわ」

 

 よよよ、と泣く真似をしながら楯無は本当に部屋の隅で丸くなっていた。

 主人の悪ふざけに一切付き合うことなく虚は弾の正面に立つ。

 

「まずは楯無お嬢様のことから話さないといけませんね」

「とりあえず先輩だってことと、付き合うのが面倒くさそうってことはわかりました」

「否定はしません」

「虚ちゃん!? そこはやんわりと否定しといてよ!」

「お嬢様はお静かに。話が進みません」

 

 虚は楯無の方を向き、唇の前で人差し指を立てた。楯無が大人しくなるのを見守った後で再び弾に向き直る。弾は思わず虚に聞きたくなった。

 

「いいんですか、そんなこと言って?」

「いいんです。私とお嬢様にとっては良くあることですから」

 

 虚は即答で断言した。弾の身近に主人と使用人という関係の者たちがいないため、そういうものかと弾は納得する。

 

「更識家について簡単にお話しすると、国内外の諜報を生業としてきた一族です。楯無という名前は代々の当主が引き継ぐ名前でお嬢様は今代の当主であられます」

「古くから続く裏の大物一族って感じですか。それって俺が知ってていいことなんですか?」

「一般的には荒唐無稽に思われるお話ですが、弾さんは疑わないんですね?」

「だって虚さんが言うことですから。もし騙されてるとしても俺は全力で信じます」

「弾さん……」

「虚さん……」

 

 弾と虚が見つめ合うと部屋の隅にいる楯無が「はいはい」と手を叩いて存在をアピールする。我に返った虚が説明を再開した。

 

「お嬢様がおおよそどんな立場の方かわかっていただいたところで、私の話に移ります。私の家、布仏の家は古来より更識の家に仕えてきた一族でして、実際に手足となって活動をしていたりします」

 

 弾の頭の中で連想ゲームが始まった。

 古来より続いている……諜報……実際に活動……。

 

「もしかして……忍者?」

「みたいなものです。当たり前ですが布仏は世間には知られていない名前ですね」

 

 虚は現代に生きる忍者だった。弾の中では即座に“くのいち”と言い換えられ、虚の忍び装束姿の妄想を膨らませる。何故か肌の露出が多い格好がイメージされ、自然とにやけてしまう。

 

「あだっ!?」

 

 いつの間にか接近していた楯無に小突かれて弾は正気を取り戻した。

 

「なんとなくわかってきた。虚さん……正確には更識って家の人たちが例の昏睡事件を追っているわけだな。人為的に引き起こされてる事件が国内で発生しているから解決しなければならない立場にいるってことか」

 

 更識の役割を弾は推定する。この昏睡事件は警察が表だって動きをとりづらい案件となっているから裏でコソコソと動く必要があるのだと。

 でも、それだけじゃないと弾は知っている。弾の発言に対して虚がハッキリとした態度を示さないのも無理はないと思えた。言葉にするのも辛いだろうと、弾は自分から言うことにする。虚を傷つけるかもしれないとわかっていてもハッキリしたかった。

 

「虚さんの目的は妹さんを目覚めさせること……ですよね」

 

 弾の語尾は上がっていない。虚からの返事はいらないという意思表示だった。虚は目を見張るばかりで何も答えられない。部屋の片隅でやさぐれていた楯無が動く。

 

「たけちゃんの仕業っぽい。そこまでわかってるのなら、もうこっちの事情で隠してることはなさそうね」

 

 楯無が横目で朝岡を見やると彼はそそくさと弾の背後に隠れた。

 

「じゃあ、本題に入ろっか。五反田くんが私たちの目的を知った上で、あなたに頼みたいことがあるの」

「いいっすよ。俺の一番の目的も虚さんの妹さんを助け出すことなんで」

「弾さん……」

 

 弾は敵の存在や強さを知っていながら臆したりはしなかった。その姿は数多くの争い事に関わってきた虚から見ても頼もしく映っていた。そんな弾と虚の2人を見て、楯無は小さく笑む。

 

「私の頼みというのは簡単なことよ。私を織斑一夏くんに引き合わせてほしいの。昏睡事件の被害者を助け出した彼と話がしたい。たけちゃんにも頼めそうだけど、あなたが間に入ってくれる方が良さそうだし」

 

 楯無の頼みを聞いて弾は目を丸くする。想定したよりも遙かに簡単なことだったからだ。だからこそ違和感を覚える。

 

「別に俺を通さなくても一夏なら普通に話にいけば問題ないはずっすよ? 今日だって初対面の女子とあっという間に仲良くなってますし」

「たけちゃんからも同じ事言われたわよ……だから少人数だけ動かして内密にコンタクトを取ろうとしたの。そしたら警戒を通り越して敵対されちゃってて、私の話に聞く耳持たない感じだったわ」

 

 一夏の対応にしては妙だと弾は思う。事件を取り巻く状況的に初対面の相手には警戒をするだろうが、話を聞かないというのは異常だった。何かがあるはずだと考える。そしてようやく思い出した。

 

「楯無さんは今日の午前中は何してました?」

 

 蜘蛛との戦闘の最終局面、敵に援軍が現れた。そのときに一夏が敵援軍に対して叫んだ名前が“楯無”だったはず。

 

「虚ちゃんから事情を聞いてたくらいね。他には何もしてないはずよ」

「それは本当ですか、虚さん?」

「はい。私が目覚めたのは早朝のことで、それからずっとお嬢様は私といました」

 

 虚の発言を以て弾は確信した。目の前にいる楯無は、一夏が敵と認識している“楯無”とは別人であると。

 弾は話をまとめにかかる。わかってしまえばやることは簡単だった。

 

「事情はわかりました。一夏は誤解してる。そして、敵には楯無さんに化けている奴がいるってことです」

 

 弾が得た結論を披露する。しかし楯無にも虚にも驚きは見られなかった。

 

「なんか噂にもなっちゃってるみたいだし……たしか“水を纏う槍使い”だっけ、虚ちゃん? 昔の私の機体そっくりな構成とか狙ってるとしか思えないわね」

「はい、お嬢様。裏の世界ではお嬢様も有名ですので、敵が更識の介入を想定し、お嬢様自身が疑われるよう仕向けた可能性があります。尤も、当主代行がISVSに関心を持たなかったこととお嬢様を謹慎処分にしたことで最悪は避けられていますが」

「ええ。お爺様には助けられてるわね。知っててとぼけてるところが腹立つけど」

 

 楯無と虚が弾にはわからない身内の話をする。とりあえず敵には楯無を真似ている敵がいて、一夏はその敵と楯無を勘違いをしているという事実だけわかれば問題はなかった。弾は明日のことで楯無に提案する。

 

「今の話を聞く限りだと、楯無さんもISVSプレイヤーっすよね? だったら一夏に近寄る良い機会があります」

 

 この提案は弾にとって一石二鳥。一夏の助けにも楯無の助けにもなる。

 

「明日の試合で、俺たちのチームに参加してください」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 その頃、藍越学園は放課後を迎えていた。特定の集団にとってはいつものことである怪しい集会が教室で行われている真っ最中だった。

 

「いよいよ聖戦は明日に迫った! 情報収集班、報告を!」

 

 教壇の上に立つ大柄な男、内野剣菱が叫ぶ。直後に宍戸先生が廊下を歩いていたため、以降は唐突に声のトーンを下げた。

 集まった男のうちのひとりが挙手をして進み出る。

 

「今日に至るまで、織斑一夏(ターゲット)が新たに接触した人間は蒼天騎士団のマシューくらいであります。セシリア・オルコットファンクラブとしての一面を考えるに、蒼天騎士団全体が織斑一夏に味方をするとは考えにくく、また蒼天騎士団自体が少人数のスフィアであるため、大した脅威とはならないと考えられます」

「織斑は今日、休んでいるようだが? ……しかも鈴ちゃんも一緒だ!」

「残念ながら織斑一夏の今日の動きは追えていません。ですがご安心を。午後の話ですが鈴ちゃんが自宅にひとりでいたという情報が入っています。織斑一夏と2人きりでいたとは考えにくいと思われます」

 

 内野剣菱は情報収集班の希望的観測に満ちあふれた報告を聞いて胸をなで下ろした。

 

「話を戻すぞ。明日の織斑軍の戦力は当初の目算どおり30人ほどということで良いんだな?」

「もっと少なくなる可能性もあります」

「対する我々は100人オーバー。更に生徒会長が仲間を引き連れてこちらに加わるとのことだ」

「そうなのですか!?」

「ああ。条件として敗北条件となるリーダーを生徒会長にしなくてはならなくなったが、元より俺は最前線で戦うつもりだった。生徒会長の申し出は単純に追い風といえる」

 

 剣菱の口元が歪む。戦う前から勝利を確信しての笑みだった。

 

「何よりも今回はあの“シュウマツのベルゼブブ”が重い腰を上げた」

「あの悪魔が!?」

「我々の仲間だったのか!?」

 

 男たちの間で戸惑いの声が広がる。男たちの中では伝説となっているプレイヤーの参戦に驚きを隠せない。剣菱は全員に落ち着けと手で制した。

 

「ここ最近の出来事は奴にも許せないものだったんだろう。今日の集会には顔を出せなかったようだが、明日には必ず我々の前に姿を見せるはずだ」

内野剣菱(バンガード)にベルゼブブ……」

「他にも全国区プレイヤーがこちら側に……負けっこねえ!」

 

 男たちの士気は最高潮となっていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 内野剣菱たちの様子を廊下から見ていた男が2人いた。ひとりは藍越学園の生徒会長、最上英臣。もうひとりは生徒指導担当の教師、宍戸恭平だった。

 

「明日になりましたね、先生」

「アイツらはやる気満々ってところだな。で、お前の方はどうだ? ISVSには慣れたか?」

「和巳の指導が優秀でしたので、一通り基本は覚えました。先生の期待には応えられると思いますよ」

 

 明日の試合で最上生徒会長は剣菱の代わりにリーダーの役目を負っている。プレイ時間だけでいえば初心者の域を出ない最上が負ければ敗北となる役目を請け負ったのにはわけがある。

 

「僕は一夏くんに……“織斑”に勝つつもりでいきます。僕が勝ったら、僕をツムギに加えてもらえますか?」

「前にも言ったろ? ツムギは解散してる」

「先生が僕を同胞と認めてくれれば僕は満足です。では考えておいて下さい」

 

 最上が生徒会室へと戻っていくのを宍戸は見送った。

 翌日の試合、一夏の相手となるプレイヤーたちは準備万端といった様子である。最上英臣、内野剣菱以外にも宍戸が用意した腕利きのプレイヤーが混ざる。数が多いだけでなく質も高い相手に一夏はどこまで食らいつけるのか。

 

「勝てよ、織斑。お前は“あの人”の息子なんだからよ」

 

 自分で難易度を上げておきながら、宍戸は一番の教え子の勝利を願っていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 街へと帰ってきた俺は携帯を片手に歩いている。いろいろと回ろうと思っていたけど、もう既に夕焼け空が見える時間となってしまっていた。

 

「――ありがとな。じゃあ、明日はよろしく頼む」

 

 通話を切る。今話していた相手は蒼天騎士団のマシュー。セシリアの口添えの効果があったのかマシュー以外のメンバーも俺たち側として参加してくれることになった。

 

「さて……もうそろそろネタ切れだな」

 

 俺が個人で集められそうなプレイヤーはもう打ち止めだった。俺がISVSを始めて間がないから無理もない。今のところの試算では20人ちょっと。相手が藍越学園の男子生徒の8割ほどだと考えると心許ない数字だ。

 この試合は主催である生徒会が俺のチームに対して“セシリア参加禁止”以外に干渉してきていない。生徒会の裏に宍戸の影があることから、この戦力を集めることこそが宍戸が俺に与えた試練なのだと思っている。無茶ぶりがすぎるが、エアハルトとの戦いの経験から宍戸の言わんとしていることはわかる。これからの戦いでは、俺とセシリアによる力押しだけでは乗り越えられないってことだ。

 頭ではわかっているが実際に集められるかは別。店長は俺に協力してくれているけど、どうも集まりは悪そうだと教えてくれた。これは相当頑張らないとキツい試合になりそうである。

 

「ん? 電話か?」

 

 着信があってすぐに取る。ディスプレイに表示されていた名前は五反田蘭。弾の無事は本人から連絡がいっているはず。俺に何の用だろうか。

 

「もしもし、一夏だけど」

『一夏さん……うちの馬鹿兄貴がご迷惑をおかけしました』

 

 そういえば弾には家に連絡を入れさせたけど、例の事件に関して話すわけにはいかなかったんだ。蘭の中で弾は“ゲーセン店長の家で徹夜で遊んでた”ことになってる。

 

「別に迷惑なんかじゃないって。むしろ普段は俺の方が弾に迷惑かけっぱなしだからさ」

『で、でも! 私があんな電話かけたから一夏さんに無駄な心配をおかけして――』

「いや、あの電話は助かったよ。だから気にするな」

 

 本当に蘭からの電話には助けられたんだ。あの電話がなければ俺が動くのが遅れた。ジョーメイを助けられなかったかもしれないし、弾の心が折れていたと思う。未然に防げたのは蘭のおかげだった。

 

『そういうところが一夏さんなんですよね……わかりました! ではお詫びも兼ねてひとつ提案があります!』

「いいよ、気にしなくて――」

『明日、私と学校の皆で一夏さんのチームに参加したいと思います!』

「ありがとう! マジで感謝!」

 

 自分でもビックリするぐらいにあっさりと態度を切り替えていた。

 

「で、何人くらい? ってか蘭もISVSやってたんだ」

『10人くらい、かな。私もお兄の影響でやってますし、腕前は保証します!』

「わかった。じゃあ、8時半頃には藍越学園に来ててくれ」

 

 通話を切る。急に10人ほど自軍が増えた。蘭の友達ということは中学生だが、弾の奴が関わっていそうだから腕前の方も大丈夫だろう。

 思わぬ援軍に緊張が和らぎ、帰り道をスキップし始めそうだった。それくらい軽い足取りで歩いていると、また携帯が着信を告げる。

 

「もーなんだよ、困っちゃうなあ」

 

 また助太刀の連絡かもしれないと浮かれたまま電話に出ようとした。そんな俺だったが、相手の名前を確認して目を覚ます。

 ――シャルル。

 フランスにいるプレイヤーであることに肩を落としてから、俺は気づいた。シャルル抜きで蜘蛛を倒しているということに。厳密には倒せていないのだが、俺がシャルルとの約束を破っていることは間違いない。

 コール音が鳴り続く。マナーモードでも留守電設定でもないため、シャルルの方から諦めるか俺が出るかするまで終わらない。意を決して俺は通話を押した。

 

「も、もしもし……」

『あ、良かったよぉ、ヤイバ。ヤイバからのメールを見たのがついさっきでさー。もしヤイバが負けてたらどうしようって本気で心配したんだからね!』

「悪い。シャルル無しで蜘蛛やっつけちまった」

『そんなこと気にしなくていいよ。僕の事情なんてヤイバの無事と比べたら小さいことだから』

 

 シャルルは怒っていなかった。Illを倒すために俺に近づいてきたはずだってのに、俺が無事であることを喜んでくれている。そんなシャルルの優しさを疑っていたことで俺は俺を責めたくなった。

 

「なんか本当に悪かった、色々と」

『謝らなくていいのに……そこまで言うんだったら、僕の我が儘を聞いてくれる?』

「ああ、なんでも聞いてやるよ」

 

 二つ返事の安請け合いをする。相手が弾や鈴だと何を要求されるかわからないがシャルルなら問題ないだろう。

 

『今、藍越駅にまで来てるんだけど迎えに来てくれるかな?』

 

 俺が……甘かった。

 

「シャルル……お前、日本に来てるのか?」

『うん、今日は基本的に飛行機の中だったね。だからメール見れたのも日本に着いてからだったんだよ』

「参考までに、何をしに日本へ来たか教えてくれないか?」

『明日、ヤイバはISVSで大切な試合があるんでしょ? それも人手が不足してて、現地にいないと参加できないっていうさ。僕の力を貸して欲しそうにしてたじゃん』

 

 そういえば前回の電話のときに試合のことは伝えたっけ。でも参加できないみたいなことを言ってたような気がする。……気がするだけ、か?

 

「どうして前の電話の時に言ってくれなかったんだ?」

『だってヤイバが聞かないんだもん』

 

 確かに日本に来てまで参加してくれるかどうかを確認した覚えはない。

 何はともあれシャルルまで参加してくれるのは心強い。当初の方針である“量より質”にピッタリの人材だった。

 

『それでさ、我が儘ってのはここからが本題でさ』

「俺のために日本に来てくれたんだろ? 遠慮なく言ってみろよ」

『今夜だけでもいいから僕をヤイバの家に泊めてくれないかな? 慌てて来たからまだ宿を取れてないんだ』

「なんだ、そんなことか。自慢じゃないが俺の家には部屋の数に余裕がある。今日だけなんて言わずに日本にいる間ずっと泊まってけよ」

『ほんとっ!? ありがとう、ヤイバ!』

 

 シャルルの頼みを俺は快く承諾した。

 正直な話、一つ屋根の下にセシリアがいるという状況は男として思うところがあったりして……嬉しいことは大変嬉しいのだが抑えるところを抑えないと執事に殺される。男の同居人が居てくれれば少しは俺の気が楽になるんだよ。

 

 

***

 

 

 駅前広場にたどり着いた。ここで人を探すのもセシリアのとき以来か。あの時は脅迫じみたメールで誘導されてきて、強制的に遠距離恋愛のフリをさせられたんだったな。そういえば最近は演技していないが監視の方はなくなったんだろうか。

 セシリアのことを考えながらも俺はシャルルの姿を探した。互いにアバターしか見ていないからシャルル側が俺を見つけることは困難なはずだった。しかし俺の方は金髪男子を探せばいいのだから見つけるのは容易いはず。だというのにどこにも該当する人物は見つけられなかった。珍しく金髪の女子はいるけども。

 

「あ、もしかしてヤイバ!? おーい!」

 

 シャルルの声が割と近くから聞こえてきた。キョロキョロしている姿から俺だとわかったのだろう。俺から見つけるつもりだったのに先に見つけられてしまった。無駄に悔しくなりつつも俺は返事をする。

 

「シャルルか! 待たせたな……って、うぇ!?」

 

 声のする方に右手を挙げて向かってみれば、金髪男子などどこにもいなかった。代わりといってはなんだが、先ほど俺がスルーした金髪女子がいる。鈴と違って出るところが出てて、やたらとスタイルがいい。

 

「ひっどいなぁ! 僕の顔を見るなり妙な声出して」

 

 両手を腰に当てて金髪女子はわざとらしく頬を膨らませている。大変聞き覚えのある声に俺はひとつの結論を出した。この女子こそ“夕暮れの風”と呼ばれている強豪プレイヤー、シャルルの正体なのだと。

 

「あの、シャルルさん?」

「なんでしょう?」

「女の子だったの?」

「はーい」

「どうして言ってくれなかったんだ?」

「聞かないんだもん」

 

 俺が戸惑ってみせるとシャルルは怒ったフリをやめて実に楽しそうである。この野郎……いや、この女、わかってて騙してやがった。

 どうすんだよ! もう泊めるって約束しちまったぞ!? セシリアになんて説明すればいいんだ!

 

「ヤイバ、すごい楽しそうだね」

「他人事だったらな。ったく、もう約束しちまったからシャルルはうちに泊めるぞ? それでお前は本当にいいんだな?」

「うん、もちろん!」

 

 よくもまあ、顔も知らなかった男の家に泊まろうだなんて思えたもんだ。シャルルは屈託ない笑顔のまま俺の右腕に飛びついてくる。

 

「早く行こうよ!」

「ああ。ってお前、荷物はどこだ?」

「さっき、パパが手配した人が持っていったよ。たぶん先にヤイバの家に着くんじゃないかな」

「俺、住所まで教えてないよな? あと、親公認なのかよ!?」

「そういえばパパからヤイバ宛の手紙を預かってたんだった。なんか僕が見ちゃいけないらしいんだけど」

 

 シャルルから渡された封筒を即座に開いて中身を読む。内容はたった一文だけ。

 ――娘に手を出したら殺す。

 じゃあ、手を出せるような環境に娘さんを送らないで下さいと思うのは俺だけか?

 俺が読み終わるタイミングで唐突に手紙に火がつき、俺が反射的に手を離すと綺麗に燃えてなくなった。なんて無駄で危険なギミックなんだ。親さんの本気具合がわかってしまう。

 

「パパのことだから変なこと書いてたでしょ? 気にしなくていいよ」

「そうさせてもらう。流石に頭痛い」

 

 もう色々と諦めた。受け入れた。これも明日の試合に勝つために必要と思えば俺はやっていける。既にセシリアが住んでるんだから今更ひとり増えたところで大差ない。

 セシリアやオルコット家の人たちへの説明は家に着いてから直接することにして俺はシャルルと帰ることにした。その帰り道になんとなく聞いてみたくなったことも聞いてみる。

 

「ところでシャルルはどうして男のフリしてISVSをやってたんだ? デュノア社の宣伝だったら別に性別を偽る必要なんてなかったろ?」

「もともとパパは僕がISVSをやるのに反対だったんだ。でも僕もパパの力になりたいって伝えたら、男としてプレイすることを条件に許可してくれたんだよ」

「その説明だけだと何も納得できないんだが?」

「パパはしみじみと僕にこう言った。『女性から見たISVSの世界というものはパパの女性関係と同じくらい殺伐としているからね。シャルロットは国家代表になりたいわけではないのだから要らぬトラブルを招かない方がいいだろう?』ってね。それを聞いた僕は『はい、男のフリをします!』と即答していたんだ」

 

 俺には良くわからないがシャルルの中では納得できることだったのだろう。

 

「シャルロットっていうのは本名?」

「うん、シャルルはシャルロットを男性名にしただけ。僕の名前はシャルロット・デュノアだよ」

「俺は織斑一夏だ。ヤイバってプレイヤーネームと本名は直接関係はない。よろしくな、シャル」

「シャル?」

「長いから勝手にそう呼ばせてもらったんだけど、ダメか?」

「ううん! 全然そんなことない! 愛称って奴だよね? 嬉しいなぁ!」

 

 俺が愛称で呼んだだけで、シャルは両手にグーを作ってハシャぎだした。やっぱり俺にはこの子のことは良くわからないのかもしれない。

 

 

***

 

 家に帰ってきた。すぐ後ろにはシャルがいる。先に荷物が届いているということは今更どう足掻いても意味がないので、遠慮なく玄関をくぐった。

 

「ただいまーっ! 実は言わなくちゃいけないことがあるんだけど――」

「おかえりー。どしたの、一夏?」

 

 なぜか俺を出迎えたのはセシリアでもチェルシーさんたちでもなく鈴だった。

 

「なんで鈴がここにいるんだ……?」

「あたしがアンタの家に遊びに来るのはいつものことでしょうが。それに今日はセシリアに誘われて来たのよ」

 

 なんてタイミングの悪い。おまけに、鈴と立ち話を続けていると俺の背中がチョンチョンとつつかれる。

 

「中に入らないの、一夏?」

「あ、そうだったな、シャル」

 

 シャルをいつまでも外に待たせてるのは悪いと思い、中に入れる。するとやはり、

 

「誰、この子?」

 

 鈴が俺を睨んでくる。わかってたさ。鈴とはち合わせた時点でこうなることくらい。箒、箒、と言い続けてるくせにまた違う女子を家に連れ込もうとしてるんだ。鈴は間違ってない。わかってるさ、それくらい。

 

「鈴、お前は誤解をしている」

「とりあえず名前から教えてもらおっか? あたしは凰鈴音。一夏とは古い仲よ」

 

 鈴は俺を無視してシャルに狙いを絞っていた。とりあえずセシリアのときみたいに険悪そうじゃないし、下手に俺が何か言わない方がいいのかもしれないな。

 

「僕はシャルルと申します。あなたのお母様には感謝をしなくてはなりませんね。こんなにも素敵な女性をこの世にもたらしてくれたのですから」

「シャル? 今のお前はシャルルくんアバターじゃないからね? シャルロットちゃんに戻ってね? あとフランスじゃなくてイタリアっぽいと思ったのは俺だけじゃないはず」

「この胸のときめき……もしかして恋!?」

「ちょろすぎるぞ、鈴! 俺、お前が変な男に騙されないか心配になってきたぜ」

 

 ついつい口出ししてしまった。

 

「冗談は置いといて、と。あたし、一夏の言うとおり誤解していたわ」

 

 珍しく今日の鈴は素直な反応だ。自分の非をもあっさりと認めるなんて鈴らしくないとも言える。本当にどこかおかしくなってたりしないか?

 鈴は力強く俺を指さして声を上げる。まるでとどめをさそうという気迫であった。

 

「シャルルは女よ! でも何故かあたしにはシャルル=男ってイメージがあるの! どうしてかしらねぇ?」

「そりゃあシャルルはあの“夕暮れの風”だから……」

「何それ?」

 

 鈴は夕暮れの風を知らない? じゃあシャルルとは完全に初対面のはずじゃ……あ、思い出した。

 

「そういえばシャルルと電話してたときに男だって断言したな」

「そう! あたしはハッキリと覚えてるわよ! アンタがこんなしょうもない嘘をつくなんて思ってなかったわよ!」

「いや、あのときは俺もシャルルが男だと思いこんでた」

「もう今更どうこう言うつもりはないけどね。……セシリアがいる時点であまり変わらないし。それでその子をここに連れてきたのはどうしてなの?」

「今日から家に泊めることになっ――」

「セシリアーっ! やっぱ泊まるから、あたしの部屋も用意しといてーっ!」

 

 シャルを泊めると言い切る前に鈴は後ろに向かって大声でお泊まり宣言をしていた。

 

「おい、何を勝手に言ってるんだ? お前は近くに家があるだろ!」

「友達の家でお泊まり会するのに家の距離とか関係あんの?」

「千冬姉が留守にしてる今、この家のことは俺が取り仕切って当然だ。俺がダメって言ったらダメ。この家が2人家族には広すぎる一軒家だからって限度ってもんがあるしな」

「まだ5人ほどは大丈夫でございます、一夏殿」

 

 人数を言い訳にしようとしたら、唐突に現れた執事に横やりを入れられた。ほくそ笑んでいるのがハッキリ伝わってきてやがる。ついでに2階からセシリアが降りてくる。

 

「お話は聞きましてよ、一夏さん。とりあえず内密にお伝えしたいことがありますのでこちらへ来てもらえますか?」

 

 セシリアに手招きされた。シャルと鈴をその場に置いて彼女の元に向かい、小声で会議を開始する。

 

「で、何? というか鈴を連れてきたのはどうしてだよ?」

「今日の蜘蛛の件がありましたので、わたくしの方から鈴さんにじっくりお話を、と思いましたの。一夏さんの方は明日の試合のために夕暮れの風をフランスから呼んでましたのね?」

「俺が呼んだわけじゃなくて、向こうから押し掛けてきたんだけどな」

「でも嬉しいのでしょう?」

「まあ、大変助かる。でもって礼代わりにうちに泊めることになったんだ」

「ではチェルシーに言って彼女の部屋も用意させますわ」

「頼む。鈴への説明も任せた」

「了解ですわ」

 

 会議終了。方針が決まれば後は行動するのみ。もうどうなってもいいや。

 

「よし、今日は皆泊まってけ! ただし、俺が健全な男子高校生だってことを忘れずに慎ましくしていること! それだけはお願いします!」

「ほう、面白そうだ。私もその輪の中に混ざってもいいか?」

 

 俺の口から許可を出したとき、開けっ放しの玄関の先に銀髪で黒眼帯のあの人が立っていた。俺はポカンと口を開けていることしかできない。

 

「あれ? 朝のドイツじゃん。どしたの?」

「路銀の節約ができるかもしれないと思い立ち、親切な知り合いがいないか探していたのだ。ヤイバは気前の良い男だな」

「もう、どうにでもなれ……」

 

 まさかのラウラまでやってくる始末。ラウラにも明日の試合を手伝ってもらうため断るのも気まずかった。今日は織斑家始まって以来最高に姦しい一日となることが約束されてしまっていた。……今日は疲れてるから早く寝よう。そうしよう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

【送信元】ヤイバ

【件名】新しい敵を確認したから注意

【本文】最近ナナと話す時間が取れてないな。本当は直接話したかったんだけどそうも言ってられないからメールで連絡する。今日、新しい敵と接触した。敵っていうのは前に福音って呼んでたのと同種の奴ってことだ。倒せる一歩手前まで追いつめたんだけど、逃がしちまった。もしかしたらナナたちを狙いに現れるかもしれない。花火師さんには報告してあるけど念のためナナにも伝えておく。蝶の姿をしたISには気をつけろ。じゃあ、また!

 

 自らの寝室で質素なベッドに転がり、ナナはラピスから受け取った携帯を眺めていた。ヤイバは滅多にメールを送らないため、ナナの携帯には数えるほどしか受信メールが存在しない。最近のナナの日課として寝る前にヤイバからのメールを読み返すという事柄が追加されているのだが、今日は新着メールがあっていつもより新鮮な気分になっていた。

 

「話す時間がない、か。流石に気づかれてしまっているな……」

 

 仰向けになったナナは左手を額の上に乗せる。意図的に避けていることがヤイバに知られてしまったらどう思われてしまうのか、と考えてしまう。ヤイバの知らせてきた新しい敵のことよりも、ナナはヤイバのことばかり気になってしまっていた。

 

「何を、誰に気づかれてしまうんですか?」

「シズネか。ノックくらいしろ」

「しましたよ。寝ているのかと思ったのですが、声が聞こえたので勝手に開けちゃいました」

 

 視線はメールに、思考はヤイバに集中していたため、ナナはノックに気づかなかっただけだった。父親に今のナナを知られてしまえば叱られるだろうと自らを嘲笑う。

 

「ヤイバくんに気づかれると困ることがあるんですか?」

「あるに決まっている。私とて思春期の女子なのだ。同年代の男子に知られたくないことくらいある」

「好きな人に好きって伝えることもですか?」

「そうだな…………」

 

 シズネに対して嘘をつかないことを信条としているナナは、聞かれるままに答えた自分の口を慌てて塞ぐ。しかしシズネの少しも動じない態度を見てナナは悟った。もう黙っていても知られている。

 

「いつから知ってた?」

「ナナちゃんはわかりやすいですから。ヤイバくんを見る目が変わったということから導かれる結論としてはとても簡単なものですよ」

 

 ナナとしてはシズネには知られたくなかった。7年前の約束の“彼”がいるのに、違う男に靡きそうになっている自分の浅ましさを。そして、親友の好きな男を好きになってしまったという事実を。

 

「大丈夫だ……今の私がおかしくなってるだけなんだ。私はシズネの邪魔をしない。私には他に好きな人がいる。何も心配することはないんだ」

 

 途中から言い聞かせる相手がシズネではなく自分となってしまっていることにもナナは気づかなかった。シズネはナナの右手をとって、自分の胸の前で抱き込む。

 

「おかしくなんてありません。ナナちゃんには自分の素直な気持ちと私を思う優しさの両方があるだけなんです」

 

 シズネは今のナナをも全肯定する。一方的に裏切った気持ちでいたナナの荒れた心にシズネの思いやりが染みていく。

 シズネと喧嘩にならなかったことに安堵したナナ。そんなナナを見たシズネは右手を離してナナの顔の前にもっていき、デコピンをかます。

 

「いたっ!」

「今のはお仕置きです。ナナちゃんは確かに魅力的な女の子ですけど、自惚れが過ぎると思うのです。そもそもヤイバくんには眠り姫さんがいるのですから、その間に割って入るのは簡単なことではありませんよ」

「そう、だったな。私の自惚れか」

「そういうことです。ヤイバくんの心に近づくには眠り姫さんも含めて私たちが現実に帰らないといけません。それまではいくら悩んでも無駄だと思います」

「シズネの言うとおりだ」

「ですからちゃんと眠ってください。自分だけでは答えの出ない悩みを抱えるのは辛いです。そんなナナちゃんを見ている私も辛くなってしまいます」

「悪かった。ちゃんと寝る」

 

 ナナが再びベッドに横たわるとシズネは寝室から出ていった。シズネに知られて気まずくなると思いこんでいたナナだったが思い違いと知ってひとつだけ肩の荷が下りた。

 ――そう。ひとつだけだ。

 

「ごめん、シズネ。それでも私はヤイバとまともに顔を合わせられないんだ」

 

 ヤイバの顔がナナの中にある“彼”に関する記憶を浸食していく限り、ナナはヤイバと向き合えない。シズネが何を言ったところで変えられるものではなかった。

 ヤイバは苦境に立たされている自分たちを助けてくれる都合の良い存在。ナナたちの希望という名のヒーローは自分のあずかり知らないところでも戦ってくれている。7年前の“彼”と違って……。現在と過去を比較してナナは自己嫌悪に陥るばかりであった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 ツムギの中枢。転送ゲートが設置してあるロビー部分の下方にある小さな空間に銀髪の少女がひとり佇んでいる。ナナやシズネたちと同様に睡眠もする彼女だが、起きている間はずっとこの場所にいてISVSの情報を閲覧していた。

 

「相変わらず何もないところでひとりぼっちか。AIって聞いてるけど、マジみたいだな。常人だったら発狂するぜ」

 

 人が入ってきたことを感知して少女が振り向く。しかしその眼は開かれておらず、どこを見ているのかは本人にしかわからない。

 

「倉持技研の人たちが来てくれてからクーはずっとここにいるよな。やっぱ安全になったからか?」

 

 銀髪盲目少女、クーの空間に入ってきたのはツンツンした茶髪頭の男、トモキである。クーの元を訪れるのはナナかシズネのどちらかであるのが普通であったため珍しいことだった。にもかかわらずクーは僅かにも動揺を見せない。

 

「逆です。安全を確認できていないからと言えます。現に倉持技研という組織にはこの聖域への侵入を許可していません。許可のない者に対しては問答無用で迎撃する用意があります」

「聖域ねぇ……自分のことに無頓着なクーがこの場所にだけは固執してるんだよな。この殺風景な場所が何か特別なのか?」

 

 トモキがクーの空間を見回すも、一面壁があるだけの場所で何も物が置かれていない。

 

「わかりません」

 

 クーはトモキの質問にわからないと答える。以前からクーは自分のことすら良くわかっていなかった。AIだと聞かされてから誰も深くは考えてこなかった問題だったが、トモキは初めて切り込んでいく。

 

「どうして“ナナさま”なんだ? ナナにもシズネにも聞いてみた。クーは最初からナナをさまづけで呼んでいたらしいが、ナナだけの理由がわからねえ」

「わかりません」

「誰も正確な答えなんて求めてねえよ。今のお前がナナをさまづけで呼んでる。これに意味があるのか?」

「わかりません。そう呼ぶのが当たり前であると認識しているだけです」

「それもひとつの答えか。わかんねえってことだけはわかったよ」

 

 トモキが立ち去る。彼が聞きたかったことは当然、ナナのことだ。ナナの悩みを解決するヒントがクーから聞き出せないかという試みであったが失敗に終わり、トモキは渋々自分の寝室へと帰って行った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「失礼します、セシリア様」

「待っていましたわ」

 

 夜、セシリアの寝室に入室するオルコット家執事のジョージをセシリアがテーブルについたまま出迎えた。チェルシーの淹れた紅茶を片手に彼女は本題前の軽い話題を振る。

 

「3名のお客様はどうされてます?」

「鈴様は先ほどお部屋に入られました。浮かないお顔でしたので、やはりセシリア様のお話に思うところがあるようです」

「鈴さんは一夏さんの現状を良く思っていませんから。それはわたくしたちも同様。わたくしとしても鈴さんを危険に巻き込むのは本意ではないのです」

「我々のような大人が何もかもを解決できれば良いのですが……」

「適材適所というものですわね。ジョージはあの店長さんと同じでISVSが不得意ですから。それにもしかしたら大人の方が融通が利かなくて動けないのかもしれません」

 

 セシリアから鈴への説明はもう終わっている。鈴には一夏と共有している情報を全て話した。セシリアが想定していたよりも一夏が鈴に話していたため新しく何かを伝えるということはなかったのであるが、セシリアからはハッキリと一夏の身が危険である可能性を指摘している。

 

「他の方は? “夕暮れの風”と“冷氷”のお二人です」

「どちらの方も鈴様とは違い、セシリア様のお話を聞かれても暗い顔はされていません。先ほどシャルロット様が嫌がるラウラ様を無理矢理浴室に連れていったところです」

「ラウラさんはともかくとして、あのシャルロットさんも一般人離れしているようですわね。Illの件を荒唐無稽に思っているか、あるいは真実と確信して平然としていられるか……。とりあえず絶対に一夏さんを浴室に近づけないでください。おそらく彼女たちの声は一夏さんには毒です」

「抜かりはございません。一夏殿は既にお休みになられています」

「妙に早いですわね。お疲れだったのでしょうか」

「おそらくそうでしょう。ですので、今からご報告することを一夏殿に聞かれる可能性はありませぬ」

 

 執事の返答内容からセシリアはあることを察した。

 

「廊下はチェルシーが見張っているというわけですわね?」

「はい」

「わかりました。では報告を始めなさい」

 

 ここからが本題である。昼に店長やラウラから話を聞き、セシリアはある事柄を使用人たちに調べさせていた。半日で結果が出る辺り、優秀な部下が揃っている。

 本来は一夏にも聞いてもらうべき内容。しかしジョージはそれを意図的に避けた。セシリアが一夏に話さないことを前提とした行動に、嫌な予感ばかりが募る。

 

「結論だけ申し上げましょう。セシリア様から渡された名簿に記された名前のうち、確認できた者は4名のみでした」

「今後確認される可能性はありますの?」

「日本国内の主な“病院”は調べました。病院以外の施設に収容されている可能性は低いと思われます。ここから先の調査では戸籍を確認していく作業となりますので少々手間がかかります」

「そう……ですか」

 

 やはり良くない報告だった。それも完全に想定外の類である。ここから先の調査で発覚することはさらに悪い方向でしかない。

 

「確認できた4名の名前を聞かせてください」

 

 セシリアは話を続けさせる。これ以上聞くべきでないと訴える本心を抑え込む。これは避けられない事実であるのだからと、動悸の激しくなる心臓を掴むように胸の前で服を握りしめた。

 

 国津玲美(レミ)岸原理子(リコ)四十院神楽(カグラ)。戦艦アカルギの操縦を担当している3名の名前が挙がる。

 そして、鷹月静寐(シズネ)。ポーカーフェイスなムードメイカーであるツムギの中心人物の名前が挙がる。

 セシリアがジョージに渡した名簿はシズネから渡されたツムギのメンバーを記したものだった。セシリアは現実でのツムギメンバーの足跡を辿ろうと、入院している同姓同名の人物を探させたのだ。

 

 4人しか見つからない。では他のメンバーは一体どのような存在なのか。仮説はいくつか出てくるが、どれもセシリアにとって好ましいものではない。

 

「ナナさんが……現実にいない……?」

 

 一夏の心が折れたとき、また孤立しようとしていた自分を立ち直らせてくれた戦友、文月奈々。

 彼女が現実に帰ってきた暁にはたくさん話がしたかった。鈴も交えて、本当の友達になれると思っていた。その彼女が……いない。

 

「ジョージ……他に報告は?」

「ありませぬ」

「そう。少し……ひとりにしてください」

「わかりました」

 

 ジョージがいなくなるまでセシリアは耐えていた。しかし、扉が閉まる音を聞いた途端に我慢ができなくなっていた。両目から溢れてくる涙の奔流が抑えられない。泣き虫な自分があることを自覚していたセシリアだが、今は抑えようとも思わない。

 

「こんなことって……」

 

 一夏にも鈴にも誰にも言えない。ツムギの誰にも言えるわけがなかった。

 ツムギのメンバーの大半は現実にいない。

 最初からいなかった。もしくは、既に死んでいる。

 一夏が知ってしまえば彼は壊れてしまう。セシリアにとってだけでなく、一夏にとってもナナが大きな存在であることはセシリアから見ても丸わかりだった。

 セシリアはこの事実を抱えて明日以降も平然としなければならない。


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