Illusional Space   作:ジベた

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【ツムギ - Illegal Strife - 】
15 来てしまった転校生


「あの子……あの篠ノ之束の妹らしいわよ」

「え、そんな子がうちの子と同じ学校にいるの!? 怖いわ」

 

 たったひとりの登校。たまたますれ違った中年女性2人の会話が漏れ聞こえてくる。父親の遺伝か、常人よりも遙かに五感が鋭敏であった少女は奥様方のヒソヒソとした会話もしっかりと聞き取ることができていた。そして姉ほどではないが聡明であった少女は7歳という幼さでも女性たちの会話の内容を察することができていた。少女は立ち止まって彼女らを一瞥する。すると女性たちは揃ってそそくさと離れていった。

 今に始まったことじゃない。渇ききった少女の心はいくら言葉のナイフを突き立てても砂のように飲み込むだけで傷つくことはない。嫌われていることが当たり前になっていた。慣れたのだ。

 小学生がひとりで登校している光景を気にする者は誰もいない。この少女は特別だったからだ。この少女には関わらない方が身のためであるという暗黙の了解が付近の住民の間には存在している。明らかな異常。しかしそれも仕方がないと少女、篠ノ之箒は割り切っている。

 

 少女が5歳になった頃、世間を騒がせた大事件が発生した。後に“白騎士事件”と呼ばれるこの事件は世界がISを知るきっかけとなった事件である。

 その概要は荒唐無稽ともいえるもので、世界中のミサイル基地が謎の暴走を起こして日本めがけて合計2341発ものミサイルを一斉に発射したという。当時の迎撃システムでは半数も撃墜できないという試算がでていたばかりか、その迎撃システムすら()()()()機能不全に陥って頼りにならなかったらしい。日本という国が一瞬で廃墟となるのも時間の問題であった。

 荒唐無稽な状況をひっくり返せるのもまた荒唐無稽な代物である。それが後に“白騎士”と呼ばれることになる世界で最初のISだった。突如日本の上空に現れた白騎士は信じられない速度で大気圏を離脱。たまたま捉えていた望遠カメラの映像によれば、白騎士が剣を1回振るっただけで全てのミサイルが撃墜されたとのことだった。

 一般に知られている白騎士事件の概要はここまでだ。白騎士によって日本は守られ、世界にISの技術が提供された。メディアに顔を出したISの開発者の名前は篠ノ之束。当時13歳の少女にして、箒の姉だったのである。

 

 これだけならば白騎士事件で日本を守った英雄とも言える篠ノ之束。しかし彼女がISの全ての情報を開示しなかったことにより、世間が彼女を見る目は変わっていく。

 現物は提出するが製造法は教えない。

 ISは女性にしか動かせない仕様だが、男性にも動かせるようにするつもりはない。

 世界は彼女を危険と判断した。遠回しに篠ノ之束は世界の軍事を一個人が握ると言っているようなものである。篠ノ之束はいつの間にか表舞台から姿を消し、その頃には白騎士事件も篠ノ之束による自演であるという説が信憑性を帯びてきていた。

 篠ノ之束は英雄ではなくテロリストのように扱われることもある。明確な証拠があるわけではないが、テロリストかもしれない人物の身内にわざわざ近づくような人間がいるはずもない。故に篠ノ之箒は家から出れば常にひとり。姉も世界も恨むことなく、これがあるべき姿だと悟っていた。

 

「おはよう、箒!」

 

 そんな箒の毎日が、ある人物によって変わろうとしていた。数日前から実家の道場に顔を出し始めた同い年の少年がいちいち声をかけてくるのである。箒は少年の挨拶を無視して歩を進めた。

 

「おいおい、無視すんなって!」

 

 なおも追いすがる少年。箒は無視だけではダメだと判断して振り向いた。そして一切の手加減のない平手打ちを少年の頬に当てる。

 

「寄るな。次に近づいてきたらストーカー扱いしてやる」

「やっと口を聞いてくれた。で、ストーカーって何だ?」

 

 頬を赤く腫れ上がらせた少年はその態度を一切変えなかった。普通ならば突然の暴力に怒り、暴言を吐き捨てて立ち去るか殴りかかってくるものだと思っていた。箒は戸惑いを隠せない。そもそも少年は怒ってすらいない。どうすればいいのかわからない箒は逃げるように立ち去るしかできなかった。

 

 

 

「あ、箒! 俺はストーカーらしいって千冬姉に言ったら何故か説教されたんだけどどういうこと?」

 

「箒! ちょっとわかんないことがあるから教えてくれ!」

 

「箒! 道場まで競争しようぜ!」

 

 来る日も来る日も箒の傍には少年の姿があった。いくら言葉で突き放そうとしても少年は箒の意図を理解しない。いくら暴力で突き放そうとしても少年の笑みは消えなかった。初めは父が少年に「箒の友達になってやってくれ」とでも頼んだのだと思っていた箒だったが、段々と思い違いに気が付きはじめた。

 頼まれてのわけがない。少年はバカだった。打算で動くような知恵があるようには見えない。

 故に自分のことも見えていない。少年は箒の近くに居すぎた。既に少年の傍には友人と呼べそうな人物はいない。箒から見てやはり少年はバカだった。

 

 今日も「一緒に帰ろう」と差し伸べられる手を箒は力強くはねのけた。

 

「ふざけるな! なんなのだ、お前は!」

「あれ? まだ言ってなかったっけ? 俺は織斑――」

「違う! そうじゃない! どうして私なんかに関わるんだ!? 本当にお前はわかっていないのか? 私は篠ノ之束の妹なんだぞ?」

「それくらい知ってるって」

「いいや、わかってない! 周りがお前のことをどう思っているのか考えたことはないのか!」

 

 箒はもどかしく感じながらも必死に叫ぶ。言いたいことを全くわかってくれない少年は天然ながら柳に風と受け流してくる。少年がバカだから何も知らずに近寄ってきている。そう思っていた。

 

「周りって『箒に近寄るな』っていちいち突っかかってきてた奴らのことか? 良くわかんねえけど、気に入らないって言ったら喧嘩になっちまって千冬姉に叱られたっけ」

「ほら見ろ。叱られたのだろう? だったら――」

「喧嘩はダメだと言われたけど、それ以外は怒られてない。だから俺が箒と話してもいいじゃん」

 

 流れは変わらなかった。ここにきて初めて箒は少年の芯とも言える考えに触れることになる。

 

「誰も箒を見てくれなくても、俺が箒を見る。束さんの妹である前に箒なんだ」

 

 少年の一言は箒の常識(当たり前)を打ち崩す。だがそれに納得してしまったら、少年も箒と同じにしてしまう。箒は少年にも伝わるようにと、自分の知る限り最も単純な罵倒で少年を引き離そうとする。

 

「お前はバカだ!」

「知ってる。だから箒にはこれからも俺にいろいろと教えてほしいんだ」

 

 もう少年を突き放す術は箒には無かった。察しの悪い少年に懇願することしか思いつかない。

 

「わかってくれ……私がお前にどうして欲しいのかを」

「それはわからんから、俺がどうしたいのかを箒の方がわかってくれ」

 

 少年はいつもと変わらず手を伸ばす。ひとりで居ることが当たり前と思っていた箒はもういなかった。手を取りたいと思う箒しかここにはいない。

 

「皆の嫌われ者になるのに?」

「くだらねえ。その皆とやらよりも俺は箒と居たい」

 

 決定的だった。少年はただのバカではない。箒の傍にいることの意味を知ってて近づいてきたバカだった。全て知っていての行動では、箒が拒絶することすら少年の想定内だったのだろう。少年がそこまでする理由は何だろうか。

 

「どうしてお前は私と居たいんだ?」

「わかんね。これからわかるかもしれねえけどさ」

 

 箒は少年の手を取った。わからないと言いながらも少年はどこか楽しそうにしていた。これから楽しい毎日が待っている。そう思った箒は少年の顔をその目に焼き付けようとした。

 

 ノイズが走る。少年の顔が歪んで一時的に見えなくなる。

 後に現れた顔は、黒髪の子供ではなく、銀髪の男だった。

 

 

***

 

 

「……最悪だ」

 

 久方ぶりの長時間の睡眠から目覚めたナナの第一声はすさまじく不機嫌なものだった。

 

「あ、ナナちゃん。おはようございます」

「おはよう、シズネ……」

 

 挨拶を返しつつベッドから身を起こしてから気づく。

 

「なぜ私の部屋にシズネがいるんだ?」

「鍵をかけ忘れるナナちゃんが悪いんです。どこぞの誰かさんが天使な寝顔のナナちゃんにお子さまには言えないようなイタズラをするかもしれないので私が監視していたんです。えっへん」

「それはすまなかった。だが、後ろに隠したカメラを見逃す私ではないぞ?」

「バレてしまっては正直に言わざるを得ませんね。これは花火師さんに用意していただいたカメラで、現実のデジカメと同等の機能をもっています。これでいつでもナナちゃんの寝顔が見られるってわけです」

「……寄越せ」

「大丈夫です。撮った写真は私が責任を持って管理し――ナナちゃん? いつもより目が怖いです」

 

 シズネが渋々カメラをナナに渡すと一瞬のうちにカメラは粉々に砕かれた。シズネが珍しく頬を膨らませてふてくされる。

 

「別にいいです。さっき撮った寝顔は苦しそうでしたので保存するに値しないものでしたし」

「そんなに醜悪な顔をしていたのか……」

「いえ、そんなことはないです。あれはあれで需要がありますよ。トモキくんあたりになら高額で取引でき――」

「シズネ……そろそろ私たちは距離を置いた方がいいのかもしれない」

「冗談です。いくらお金を積まれても渡しませんよ。私がナナちゃんの寝顔を独り占めするに決まってるじゃないですか」

「そうだったな」

 

 会話が噛み合ってるようで合っていない。端から見るとナナが絶交というカードでシズネを脅しているようにしか見えないが、普段のナナを知る者ならナナの冗談のキレが悪いことに気づくだろう。当然、シズネが気づかぬはずもない。

 

「私にはナナちゃんが必要です。もしナナちゃんが私のことを疎ましく思ってるのなら別ですけど、そうでないのなら堂々としていてください」

「すまない。冗談でも言ってはいけないこともあるものだったな」

 

 距離を置いた方がいい。それが全てというわけではないがナナが考えていたことだった。

 自分がシズネの邪魔になるかもしれない。逆に自分がシズネを邪魔に思うかもしれない。現実に帰るという目標を差し置いて、今のナナには大きな悩みがある。夢の最後に現れたヤイバの顔が頭から離れないのだ。

 ヤイバの存在がこれまでのナナを壊してしまう。そんな悪い予感さえ抱いていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 11月になった。秋ももう半ばを過ぎたという印象で、これから次第に朝の布団から出ることが難しくなってくる。といってもまだ過ごしやすい気温だ。俺はすんなりと起きることができ、自室のカーテンを開けると日が昇り始めたばかりだった。

 

「さて、今日も一日張り切っていくとするか」

 

 洗濯カゴの中身を洗濯機にぶちまけてからスイッチを入れ、台所に移動して朝食の準備を始める。俺の朝の日課だ。熱したフライパンに卵を落とす頃になるとようやくもうひとりの住人が顔を見せる。

 

「おはよう、千冬姉」

「……おはよう、一夏」

「まず顔洗ってこいって。人様に見せられるような顔してないぞ」

 

 海外出張から帰ってきても千冬姉は相変わらずだった。洗面所に行くことを促すと「んー」と言葉になってない返事をして出て行く。寝起きだけはまるで威厳のない別人だった。

 

「朝飯準備完了。弁当もよし。あとは洗濯物を干してくだけだが、食ってからにしよう」

 

 席について食べ始める頃にはちゃんと覚醒した千冬姉が対面に座っていた。俺がサラダを食べ始めると千冬姉の方から話題を振ってくる。

 

「そういえば私が帰ってきてからゆっくりと話す時間がとれてないな。最近の調子はどうだ? 何も問題はないか?」

「大丈夫大丈夫。寝起きの千冬姉よりは頼りにしてくれていいぜ」

 

 正直に言えば色々と問題はあったのだが、解決している今となっては掘り返すことでもなかった。いつかは千冬姉(けいさつ)の力を借りるときが来ると思っているが、まだその時じゃない。ISVSの問題なら俺たちの方がやれることが多いはずだ。

 

「寝起きの私を比較に出す理由はわからんが、まあいいだろう。思春期らしい悩みのひとつでも抱えてるのかとでも思ったが、その顔を見るに順風満帆のようだな」

「そう見える?」

「ああ。姉としては少々複雑だが、一夏が良ければそれでいい」

 

 先に食事を平らげた千冬姉が席を立つ。結局のところ、ゆっくりと話す時間が朝にあるはずもなかった。

 このまま千冬姉は先に出て行くことになるのだが、千冬姉はその前に話しておきたいことがあるようで、まだ食事中の俺の前に立つ。

 

「一夏に言っておくことが2つある」

「改まってどうしたんだ? また出張か?」

「似たようなものだな。今夜も含めてなのだが、私が帰ってこられない日がしばらく続く可能性が高い。私の分の夕飯は作っておく必要はない」

 

 刑事が忙しいと聞くと良くないイメージしか湧かない。しかし仕方がない。千冬姉は必要な仕事をしているだけだ。

 

「今までも似たようなもんだったしな。それで、もうひとつは?」

「家主である私がいない状況が重なってすまないが、海外からのホームステイを受け入れることにした。なにせこの家は2人で住むには広い。住人が増える分には一夏も構わないだろう?」

 

 なかなか予想外の展開だった。千冬姉の留守が続くということはつまりホームステイに来るという留学生(?)と俺が2人でこの家に住むことになる。

 

「俺、英語とか出来ないんだけど……」

「あちら側の日本語が一夏よりも達者だから心配はいらない」

「それってホームステイの必要あるの?」

「それを決めるのは当人だけだ。とりあえず対応を任せたぞ」

「りょーかい。で、いつから来るの?」

「今夜からだ」

「またえらく急じゃねーか! いいかげんそういう大事な話はもっと前から言ってくれ!」

「む、時間だ。では一夏。行ってきます」

「逃げるな! 行ってらっしゃい!」

 

 海外出張のときといい、今回といい、千冬姉は直前になって俺に知らせてくる。振り回される身にもなってくれと思いつつも、行ってらっしゃいと送り出すことだけは忘れなかった。

 

 

 イルミナントとの激闘から1週間近くが過ぎようとしていた。その間は目立った進展はない。敵に新たな動きはなく、静かなままだ。だからといって俺たちが何もしてないわけじゃない。

 ツムギの方には彩華さんを中心にして防衛体制が敷かれていた。倉持技研との関わりが深いプレイヤーが4交代制で24時間守備に付いているという。これで敵の不意打ちからナナたちを守れると思う。彩華さんが一番警戒しているのはプレイヤーにミッションとして提示する大規模攻撃らしいが、それは奇襲となり得ないためこちらも相応の迎撃を用意できる。

 仕掛けられるのを待つだけでもない。その分野では俺は戦力外通告されているが、敵と思われる相手の調査は続けられている。対象が決まれば、こちらから打って出るつもりだった。

 俺がしている準備は戦闘訓練だ。いざ戦うとなると、ISVS内でIllと呼ばれる敵を倒す必要が出てくる。イルミナントを倒せなければ鈴は帰ってこなかった。だから確実に敵を倒すだけの力が要る。実際にイルミナントを倒した俺が期待されているところだった。

 

「強くはなった……とは思うけど、独学だけじゃ心配だな」

 

 ISVSを始めてから2週間。振り返ってみると、俺の技術が最も成長した瞬間にはとある男が関わっている。あれから学校で顔を合わせても、職場での奴は堅物野郎だ。ゲームの話題など出そうものなら、俺はすぐに補習行きである。既に1回やられた後だったりする。

 

「なんとかしてもう一度宍戸に教わりたい、って顔に出てるぜ」

 

 登校中、良く時間帯が被る弾が俺の考えていることを当てつつ話に入ってきた。

 弾の言うとおり、宍戸先生から学ぶことはまだあると思う。だが一度は教えてくれたのに、今はちっとも相手にされない。何かしら手段を講じないと難しかった。そのための手段として、弾と協力して“ある動き”を始めていたりする。

 

「人数の方はどうだ?」

「藍越エンジョイ勢のうち、うちの学園の奴をかき集めれば余裕だったな。後は生徒会や学園長の承認さえ得られればいい」

 

 宍戸がISVSを学校とは関係のないものとして扱っているならば、ISVSの方を学校と関係のあるものにしてしまえばいい。そうすれば堅物宍戸も俺たちの話を聞いてくれるはずだ。その計画とは――

 

「宍戸の協力を得るためとはいえ、お前も思い切ったことをするよな。まさか藍越学園に“ISVSの部活”を作ろうとするとは」

「ゲームの部活と言ってしまうと許可は下りないだろうけど、ISVSの場合は少しばかり事情が違う。俺たちの目的とは別に、あれのシミュレータとしての側面や、世界の最先端技術に触れられる点を押し出せば、研究対象として扱えると思ったんだ」

 

 宍戸をISVS研究会の顧問として招き入れるつもりだ。堅物で通っている宍戸が顧問をするとなれば学園側も遊びだけで終わるとは思わないだろう。俺たちとしても宍戸の指導が欲しい。宍戸はISVSに肯定的だったから外堀さえ埋めてしまえば乗ってくれると俺は信じている。

 

「まずは生徒会の説得か。納得してくれるといいけど」

「大丈夫だろ。生徒会長のことを調べてみたんだが、今の藍越学園の校則は現生徒会長によって2年前に改正されてものすごく緩くなっているらしい」

「それっていいことばかりじゃないと思うぞ」

「その辺は賛否両論だが関係ない。とりあえず俺たちに重要なところは、現生徒会長は新しい風を入れることに抵抗のない人ってことだな。あと、職員らを相手にして弁が立つ」

 

 味方にしやすい上に心強いってわけか。だったら生徒会長の理解さえ得られれば俺たちの目標は達成できることになる。

 

「じゃあ今日の放課後にでも生徒会に乗り込むか」

「俺と一夏の2人で良さそうだな。後の連中は連れてくと面倒そうだし」

 

 今日の予定を確認しつつ、俺たちは教室へと入っていった。

 

 

***

 

 朝のホームルーム。宍戸が教壇で細かい連絡事項を伝える中、俺と弾は宍戸が話し終えるのを今か今かと待ちかまえていた。終わり次第、俺たち2人は宍戸に質問をしに向かう。ISVSとは明言せずに自分たちが部活を立ち上げた際に顧問をやってくれないか聞いてみるのである。生徒会に向かう前に『確認した』と言えるだけの事実が欲しいのだから明確な拒否さえされなければ物は言い様というものだ。

 宍戸が連絡事項を言い終える。俺と弾は席を立とうと椅子の背もたれに手をかけた。

 だが宍戸の様子がおかしい。いつもならすぐに退散するはずの男が教壇から動かずに俺をジロリと睨む。俺は蛇に睨まれた蛙だ。固まってしまって動けない。

 

「先生、どうしたんですか?」

 

 不審に思ったクラスメイトが宍戸に尋ねてくれた。そこでようやく宍戸の視線は俺から外れてくれる。俺が安堵のため息を漏らすと、ほぼ同時に宍戸も深く息を吐き出していた。ひどく疲れを感じさせるもので、普段の宍戸からは考えられない態度だった。続く言葉も当然のように普段からは考えられない一言だった。

 

「突然だがお前たちに転校生を紹介する」

『はぁ!?』

 

 誰もが意表を突かれていた。まさかホームルームの最初ではなく最後にこんな重大な連絡をしてくるとは思っていなかった。相手が宍戸であることも忘れてクラスメイト全員が失礼な声を上げてしまっていたが今回ばかりはお咎めはなさそうである。

 

「待ってください! こんな時期にですか?」

「何か事情があることはわかるだろ? なんとなく察するように」

 

 質問をする生徒に紛れて小声でひそひそと話している生徒があちこちで見られた。宍戸が教壇に立っているときには滅多に見られない光景だが、当の宍戸は珍しく気にしていない模様。とりあえず幸村が「どんな美少女だか知らないが鈴ちゃんには適わないに決まってる」と転校生が美少女であること前提で独り言を言っているのがやたらと耳に残った。

 宍戸は教室内を静かにすることなく、教室のドアを開ける。自然と教室内は静寂に包まれ、クラス全員が新たな仲間を見ることに集中していた。

 

 まさか幸村の言うとおり、転校生が美少女だとは思っていなかった。

 ……たださ、俺の知人なんだけど。

 

 廊下で待機していた金髪の美少女はうちの高校の制服を着ていてもどこか気品を感じさせる存在だった。なんというか、場違いだった。我がクラスは男子はおろか女子さえも存在感に圧倒されて声を出せないでいる。

 

「初めまして。わたくしはセシリア・オルコットと申します」

 

 スカートの端を摘んで優雅に一礼。ただ美少女が来ただけならば、うちの男子どもはもう騒いでいるはずだが、彼女の作り出した空気を壊さないようにしているのか、静かに見守っている。どう考えても嵐の前の静けさだけどな。

 出身や経歴などを軽く説明したところで、ようやくうちのクラスの中心人物が声を張り上げた。

 

「な、なんでアンタがこんなところに来てんのよ!?」

 

 鈴だ。セシリアのことを快く思っていないと思われる彼女のことだ。予想通りセシリアに突っかかっている。宍戸のストップがかかるかと思っていたが、奴は黙って状況を見守っていた。

 

「学び舎に来る目的といえばひとつだけですわ。言わなくてはわかりませんか?」

「ええ、わかんないわよ! よく知らないけど、もう有名な大学を卒業してるんでしょ? ハッキリ言って無駄じゃないの?」

「無駄などあるはずもありませんわ。ここでしか学べないものもあると思っています」

「たとえば何かしら? あたしたちを見下すような内容じゃなきゃいいけど――」

「それは……」

 

 鈴とセシリアの1対1の問答はそこで止まってしまった。タイミングとしては最悪である。セシリアの経歴が普通ではないことは本人も自己紹介で言っていたために周知の事実であり、天才様が凡人の群に入ってきたとしか映らない。いい気がしない人がいても不思議ではない。セシリアの黙りはその追い打ちとなってしまっていた。

 大きく息を吐く。唐突にセシリアが転校してきたのに驚いたのは事実だが、俺は彼女のことが何もわからないわけではない。なぜ学校に来たのかと鈴に問われて彼女が答えられないのはきっと恥ずかしいからなんだろう。俺は肝心なところで残念なセシリアに助け船を出すことにした。ガタッと起立して全員の注目を集める。

 

「要するに大学卒業なんていう資格だけ先に取っちまったから普通に高校生活してみたいってことだろ? 何も悪くないって。この高校なのは鈴と友達になりたいからだろうぜ」

 

 それだけ言って俺は着席する。セシリアは小声で「はい……」と言いながら俯いた。問いつめてた鈴はと言うと「これじゃあたしが悪者みたいじゃない」と多少乱暴に椅子に座り直す。

 

 ここでようやく宍戸が動き出した。このタイミングの良さは誰か生徒に面倒事を押しつけたかったからなんだろうなと察した。教壇に立った宍戸は俺の隣の誰もいない席を指さす。そういえば隣にいるはずの数馬がいない。探してみたら、数馬は違う席に移動していたようで離れた席に座っている。

 

「オルコットの席だが……織斑の隣が空いてるから、そこでいいだろう」

「待って! なんで数馬の席が移動してんの!?」

 

 またもや鈴の素早い反応があった。俺の記憶でも昨日の放課後時点では数馬の席は俺の隣だったから言いたいことはわかる。数馬の返答は予想外なものであった。

 

「『心機一転、新しい席にしたい』って先生に言ったらお前だけ移ってもいいって言われたから速攻で変えたんだよ」

「何よ、それ! なんであたしにも言ってくれないのよ!」

「凰、そろそろ静かにしろ」

 

 宍戸に注意されれば流石の鈴も口を閉じるしかない。その間にセシリアが俺の隣に着席した。彼女がいるだけで教室の中が別世界になってしまったように錯覚してしまう。

 ISVSにおける相棒は俺の方を見て微笑みかけてきた。

 

「これからもよろしくお願いしますわ、一夏さん」

「あ、ああ」

 

 セシリアの青い瞳が俺を見てくる。イルミナントを倒して1週間、まともに顔を合わせていなかった俺たちの再会がこんな形でなされるとは夢にも思っていなかった。

 突然の来訪者により、宍戸を顧問にすることとかどうでも良くなってしまっていた。そのことに気づいたのも1限目が始まってからのことであった。

 

 

***

 

 

 昼休み。初めてのまとまった休み時間になってセシリアの周りには人だかりができていた。漏れ聞こえてくる質問の中には『織斑や凰とは知り合いなの?』というものがあったが彼女はそれを肯定していた。特に隠し事をする必要はなさそうだ。あとは恋人設定さえなければ俺の高校生活は安泰である。

 セシリアの隣の席である俺は集まってきた人に追いやられて、いつの間にか教室の外にいた。というよりも連れ出されたという方が正しいのかもしれない。俺の傍には幸村の姿がある。

 

「大変なことになったぞ、織斑」

「はいはい、そうだな。セシリアは有名人だし騒ぎにもなるだろうさ」

 

 俺は幸村の言う“大変なこと”というものを軽視していたのかもしれない。俺の中での幸村のイメージでは『このままでは鈴ちゃん人気が危うい』とでも言うのかと思っていたのだが、幸村は単純に俺の今後を危惧していたのだった。

 

「セシリア・オルコットの転入は既に学園内で知らないものはいないほど広まってしまっている。問題は『なぜ彼女が藍越学園にやってきたのか?』だ」

「問題……?」

「そう。ただでさえ鈴ちゃんファンクラブの過激派に目を付けられている一夏なんだが、今回の件は彼らだけでなくもっとワールドワイドな団体をも敵に回しているのかもしれん」

「色々と突っ込みたいところだけど、なんで俺が目の敵にされなきゃならないんだ?」

「わから……ないのか……?」

 

 幸村が信じられないものを見るような目で俺を見てくる。もしかしたらわからないのは俺だけで、世界は正常なのかもしれない。

 

「唐変木な織斑には単刀直入に言ってやろう。セシリア・オルコットは間違いなくお前に会いに来た」

「いや、それはないだろ。さっき自分で『鈴の友達になりにきた』なんて言っといてなんだけど、それだけのために来るとかおかしい」

「それが事実かどうかは関係ないということに気づかないのか? 今朝の話がとどめだ。『周囲がどう思うのか』という観点で考えてみろ」

 

 言われて俺は気がついた。俺にとっては『またセシリアが何かしてる』程度の印象でも、周りには俺に会うために国を渡り、学校まで変えて共にいる時間を増やそうとしているように見えるのかもしれない。それは思わぬ敵を生んでいても不思議ではない、と幸村は言っているのだ。

 

「このタイミングでそんな話をするってことは……何かマズい動きでもあるのか?」

「わからない、というのが現状だ。おそらくは過激派の連中が放課後に会合を開くだろうから俺はそっちを覗いてみる。言っておくが、下手に奴らを刺激するようなことはするなよ」

「りょ、りょーかい……」

 

 ありがたくない内容だが、ためになる忠告だったかもしれない。考えたくもないことだが、俺への嫉妬がきっかけで宍戸を顧問とする部活の計画が潰れるかもしれないのだ。俺はため息を吐かざるを得ない。こんなことで俺たちの歩みを止められてたまるかっての。

 とりあえず昼飯にでもしようと廊下をひとりで歩き出す。すると、

 

「一夏さん、どちらへ? お食事でしたらわたくしもお供しますわ」

 

 教室から出てきたセシリアが追ってきた。その後ろにはかなりぞろぞろと人が付いてきている。

 俺は一際大きなため息を吐いた。

 ……幸村。俺、ダメかもしれない。

 

 

***

 

 放課後になる。今日の俺の傍には基本的にセシリアがいた。にもかかわらず彼女は俺とほとんど喋らない。俺としても彼女と話す内容となるとISVS、特に敵に関する話題になるから学校では話しにくいところがあった。

 ここで幸村の言っていた『周囲の観点』を考えてみる。

 セシリアは転校初日から俺に微笑みかけてくるが、進んで話しかけようとする姿は見られない。

 俺が移動をするとついてくる。傍にいることが当たり前と言わんばかりである。

 穿った見方をしなかったら、これは男女の関係を疑われても仕方がない、のか……?

 

 俺はというと、セシリアは俺の護衛に来てくれたのだと思っている。俺はセシリアと共にイルミナントを倒した男だ。公には一般生徒のひとりでも、ISVSにおいて、それも敵から見れば要注意人物である。ISVSの外では何の力もない俺だから、襲われたらひとたまりもない。その点、セシリアならば相手にISが出てこない限りは絶対に負けない。それがISというものの強さだった。

 事情を知らないとそうとは思わないだろうな。もしこの誤解が邪魔になるときは、セシリアに頼んで一芝居をうつ必要がある。

 

 などとセシリアに関する件は帰り道ででもじっくり直接話し合うことにする。今は他にすべきことをすませよう、と弾に話しかける。

 

「そういえば放課後に生徒会に行く予定だったと思うんだけど、先に宍戸のとこ行くの忘れてたな」

「その件は俺と数馬で動くことにした。一夏は結果だけ待っててくれ」

 

 傍にいる数馬が「そういうこと」と相づちを打つ。

 唐突に俺の仕事が無くなった。

 

「あれ? 俺が顔出さなくていいの?」

「今朝までは一夏がいた方が都合が良かったんだが、今はちょっと怪しい。逆効果になる可能性も考えるといない方がマシだと俺は考える」

 

 弾は幸村と同じことを危惧していた。俺はしょうもないことで一体何人に恨まれているんだろう? 考えると悲しくなってくるが、事実として受け止めなければならない。生徒会の中には変な奴がいませんようにと祈ることしかできない。

 

「わかった……任せる。2人とも、悪いな。元々俺の都合なのに」

「何を今更言ってるんだ。校内で堂々とISVSができるかもしれないんだぜ? 俺は俺の都合でやってるんだっての」

「俺は弾みたいに図々しいことは言わないけど、俺も俺の都合……というよりも自分で決めた約束事があるから」

「約束事?」

 

 弾のことは置いといて数馬の言ったことが気になった俺は聞き返した。すると数馬は言いにくそうに頬を掻きながら答えてくれる。

 

「家訓……みたいなもんなんだけど、親父に言われてからずっと守ってきたんだ。友達とこそ困難を分かち合え。そして友達を裏切るな。主体性の無い俺でもこれだけは絶対に譲れないんよ」

「もう止せ、数馬! あまりにも綺麗な言葉を並べられると、俺がただの俗物に見える!」

「弾、それはもう手遅れだ」

「マジかよ! じゃあ、俺も……」

 

 弾が顔を精一杯キリッとさせる。

 

「友達のためだ、ならやってやるしかねえじゃん。……どうよ?」

「とってつけた感がハンパない」

「くっ! 俺の何が悪いってんだ!」

 

 弾をいじりながらも俺は2人の友人の想いを確かに感じていた。2人は俺を助けることも自分のためだと思ってくれている。それだけ2人の中に俺の存在が居てくれて純粋に嬉しかった。

 後のことは弾たちに任せていい。俺は帰ることにしよう。俺は俺でやるべきことがあり、ただ待っているだけなのは時間が勿体ない。

 生徒会室へと向かっていく2人を見送った後で、手提げ鞄を肩に掛けて歩き出す。開けっ放しの教室のドアをくぐって廊下を歩いていると、後ろから足音がついてきていた。

 

「一夏さん、もう帰られるのですか?」

 

 振り返らなくとも予想はできていたがセシリアだった。声を聞いて初めて振り返ると、昼休みと違って周囲にいた連中は遠巻きにこちらを見ているだけ。下校にまでセシリアについてくることは無さそうだったが、幸村に注意を受けた今、視線が怖い。

 

「どうされました? キョロキョロと見回しているようですが」

「わかってて言ってるんだろ? 俺が周りにどういう目で見られてるのか」

 

 できる限り小声でセシリアに問いかける。この行動自体が火に油を注いでいるのかもしれないが聞かずにはいられなかった。俺はセシリアと顔が近い状態で校内を歩いている。

 

「鈴さんだけで飽きたらず、有名な海外モデルにまで手を出した節操なしといったところでしょうか」

「合ってるよ! 俺よりも正確に理解してるよ! ちくしょう、わかっててやってるじゃねえか!」

「それはもう色々と質問されましたから」

「待て! 何を聞かれた? 何て答えた?」

 

 もう小声で話す余裕は無かった。誰に聞こえていてももうどうでもいい。セシリアを問いつめることしか頭にはない。

 

「一夏さんと付き合っているのか聞かれましたので、お慕いしていますとだけ答えておきましたわ」

「アウトーっ!」

 

 セシリアの返答を聞いた俺はショックで廊下を転がった。

 

「あら? 無難にお答えしたと思いましたのに、何か問題でもありましたか?」

「大ありだよ!」

 

 跳び起きつつ叫ぶ。幸村の心配していたことが現実になりそうだった。確実に俺はファンクラブを敵に回している。具体的には蒼天騎士団。イルミナント戦では弾たちとともにこちら側で戦ってくれていたのに……。他にもセシリアのファンがいてもおかしくはないし、それらも俺の敵となりうる。勘弁してくれ。俺にとっての敵はIllを使っている奴らだけだっての。

 セシリアは無難に返したと本気で思っているようだが、彼女はもしかしたら男の嫉妬を知らないのだろうか。……知らないんだろうな。同年代の男と関わる機会なんて無さそうだし。

 

 玄関までやってくる。そこにはさらに燃料を投下する存在が待ち受けていた。

 

「あ、一夏。今から帰り……なんでセシリアがセットなのよ」

 

 鈴だった。教室にいなかったと思えば、まさか玄関に居るとは。しかもこの様子だと俺を待っていたようだし。俺を置いて鈴とセシリアの会話が始められた。

 

「たまたま一緒なだけですわ。鈴さんも今からお帰りですか?」

「たまたま、ね。じゃああたしも一緒に帰ろうかしら」

「ええ、お願いいたしますわ」

 

 なんか前にもこんなことがあったような。この状況を俺がどうにかできることはなく、俺、セシリア、鈴の3人で下校することになる。空気が重いと感じているのは俺だけなのだろうか。鈴は多分セシリアに嫉妬してたりするんだろう。でもセシリアは俺を恋愛対象だなんて思ってるわけじゃない。彼女の演技であって鈴の勘違いなのだとどう説明すればいいものか。こういう誤解を解くのは非常に難しい。

 3人で並んで歩く。俺は端に寄ろうとしたのだが、2人に強引に中央に据えられてしまった。この状況で話せることはなく、俺を挟んで2人の言葉が飛び交っている。

 

「それにしてもまさかアンタが学校にまで潜り込んでくるとは思っていなかったわ。そうまでして学びたいことって本当に何なのよ」

「恥ずかしながら一夏さんがおっしゃっていた通りですわ。わたくしだって普通の高校生活に興味がありましてよ?」

「要するに“ぼっち”だったのね」

「否定はしませんわ。わたくしは長らく独りでした。あの事件までそのことに気づいてすらいなく、一夏さんと出会うまではずっと孤独だったのですわ」

「ぐぬぬ……やっぱりアンタと話してるとあたしが悪役になったみたいに感じるわ」

 

 やはり険悪な感じだと思って聞いていたら、朝と同じように鈴が一方的に罪悪感を覚えただけになっていた。握った右拳の震えに哀愁まで漂っている。

 

「ではわたくしとお友達になりませんか? これまた恥ずかしいことなのですが、本国でのわたくしの知り合いで同年代の方々はお友達と呼べる関係にはなれそうにないのです」

「ああ、なんとなくわかるわ。代表候補生って枠の奪い合いしてるんでしょ。表面上仲良くしてても本当はどう思っているのやら」

「そうなのですわ。困ったときに誰も耳を傾けてくれないばかりか、わたくしをあざ笑う始末。腸が煮えくり返りそうでしたわ。あのような連中を友と思っていた昔の自分をひっ叩いてやりたい」

「本当、やだよね、そんなの。あたしだったら一発殴って縁を切ってるわ。にしてもアンタ、意外と口悪いでしょ? 今少し漏れてたわよ」

「あ……」

 

 セシリアが慌てて口を手で押さえたが既に発した言葉は取り消せない。2人が同時に笑っていたので俺もつられて笑う。前にも思ったけどこの2人、実は仲良いだろ。空気が軽くなったため、俺も口を挟み始める。

 

「セシリアはたまに恐ろしいことも言うしな。俺のときは『頭をかち割ってハンドミキサーでシェイクして差し上げましょう』だっけ?」

「あ、あれは柔軟な思考をしてくださいという比喩表現で――」

「たまにあたしもそうしたいときがあるから、セシリアは悪くないわね」

「鈴っ!? なんか釈然としないけど、なんかごめん」

「そんな風に謝られてもイラっとするだけだから以後禁止」

「了解であります!」

 

 どこともしれない敬礼をしてみた。うん、別に意味はない。

 そこからは3人でおしゃべりをしながら帰るというただの高校生になっていた。きっとこれだけでもセシリアがうちの学園に来た価値はあったと思いたい。たとえ、彼女が俺の護衛に来ただけなのだとしても。

 楽しい時間はすぐに終わりがくる。俺と鈴の共通の帰り道が終わる分かれ道までやってきた。鈴は1人だけ違う道へと歩を進めてから振り返り、片手を挙げる。

 

「じゃ、あたしはここで」

「おう、またな、鈴」

「ごきげんよう、鈴さん」

 

 と、ここで違和感を覚えた。それは俺だけでなく鈴もだったようで俺の代わりに言ってくれる。

 

「セシリア。アンタ、どこに住んでんの?」

「こちらの道を行ったところにありますわ」

 

 セシリアが指さすのは俺の家のある方だった。鈴は少し悔しそうに「そう」とだけ言うとそれ以上聞くようなことはしなかった。鈴は「また明日」とだけ言って去っていく。

 俺が感じていた違和感はまだ拭えていない。それが何かもわかっていないから何も聞けないのだが……違和感というよりも嫌な予感がしていたんだ。

 

「この辺りにホテルなんて無かったと思うんだけど、どこか借家とかあったっけ? でもどっちにしろセシリアが住みそうなところに心当たりがない」

 

 わからないなりに話を続けてみた。俺の住んでいる辺りは住宅街だが、別に高級住宅街というわけではない。そして駅前などのようにホテルがあることもない。これこそが違和感なのだと思っている。

 

「わたくしが住みそうな場所ですか。確かにわたくしは住む場所に一定以上の質を求めます。しかし、それは既に質の高い場所を選ぶわけでなく、わたくしの居る場を改めることでも為せますわ」

 

 徐々に違和感が無くなり、嫌な予感ばかりが増していく。

 セシリアは『改める』と言った。言い換えると作り替えるということになる。元がボロでも金と権力でどうとでもなるんだろう。俺の理解が及ばない世界だ。

 セシリアの住居の話はそこそこに、いい加減俺から聞いておきたいことを聞くことにした。学校では聞きにくかったが、流石にここまで追ってきているような奴は見あたらないし大丈夫だろう。3歩後ろを歩くセシリアに「それで――」と前置きをして質問を投げかける。

 

「セシリアがわざわざ俺たちの学校に転校してきたのは、やっぱり俺のためか?」

「自惚れも大概にしてくださいな。わたくしはわたくしのためにここに来ました」

「そうなのか? てっきりセシリアのことだから『わたくしだけ目的を果たしてさようなら、なんてわたくしが許すわけがありませんわ』とか言いそうだったんだけど」

「当たってますわね。ですからわたくしの都合なのですわ。一夏さんのためだなどと的外れもいいところ。もう誰もチェルシーのような目に遭わせたくはありません。ですからわたくしは一夏さんを利用するのですわ」

 

 セシリアにしてはやや早口で捲し立ててきた。辛辣な内容かと思えば、なんてことはない。弾たちと同じことを言ってくれているだけ。俺の親しい交友関係の中では最も付き合いが短いというのに、まるで何年も一緒にいるような感覚まで覚えた。

 

「ありがとう、セシリア」

「礼はあなたの助けたい方を助けてからにしてくださいな」

 

 そのときはきっと言葉だけじゃなく、彼女の手を取ってアホみたいに空をクルクル回ってそうだ。この前のときみたいに。俺と同じようにセシリアもそのときのことを思い出したようで顔を赤くしていた。

 何はともあれ、箒を助け出すまでこの頼もしい相棒が力になってくれるのは喜ばしいことだった。

 

 俺は家に帰ってきた。後ろにはセシリアの姿もある。当然、俺は振り返ってこう言う。

 

「じゃあな、セシリア」

 

 しかしセシリアは首を傾げるだけ。俺は彼女に構わず家に入るために鍵を回そうとした。

 ……開いている。

 

「閉め忘れ!?」

 

 俺は慌てて扉を開いた。するとそこには、

 

 

「おかえりなさいませ、一夏様、お嬢様」

 

 

 メイドさんがお辞儀していた。俺から見えるのは主にフリフリのついたヘッドドレスだけなのだが、メイドさんと断言できるパワーがある。あまりにも綺麗なお辞儀に、俺は反射的に「どうも」と会釈し返す。頭を下げたところで我に返り、首をブンブンと振った。

 

「って、誰だよ!? ここ、俺ん家だよな!?」

 

 後ろに控えていたセシリアを押しのけて表札を確認すると確かに『織斑』と書いてある。近辺に他の織斑さんはいないはず。曖昧になった認識を確信に戻して改めて家に入るがやはりメイドさんはそこにいた。メイドさん以外にも目を向けてみると、朝出たときとは比べものにならないくらいにピカピカになった我が家があった。メイドさんの仕業とみるべきだろう。割と真面目に掃除をしているのだがやはり本職には適わないということか。

 

「さて、セシリア。俺に事情を説明してもらおうか」

 

 もう大体察していた。朝に千冬姉が言っていたことを思い出す。

『海外からのホームステイを受け入れることにした』

『今夜からだ』

 つまり、セシリアが俺の家にホームステイすることになったというわけだ。それも使用人のおまけ付きで。

 

「あら? 先ほどもおかしいと感じてはいましたが、まさか一夏さんは千冬さんから聞いておりませんか?」

「いや、聞いてた。セシリアとは知らなかっただけ」

「ではわたくしは何を説明すればよろしいのでしょうか?」

「千冬姉とどういう関係なんだ?」

「特に親しいということはありませんわ。今回の件は、ただお願いしただけです。千冬さんは気前よく了承してくださいましたわ」

 

 そういえば俺の知らないところで俺のメアドを手に入れるくらいだ。千冬姉のことを調べるくらい朝飯前だったんだろうな。しかし千冬姉を納得させるとは、俺はセシリアに対する認識を“交渉能力が残念なぼっちお嬢様”から改める必要があるかもしれん。

 

「では改めて挨拶をさせていただきますわ。今日からしばらくこの家に厄介になります、セシリア・オルコットです」

 

 セシリアはメイドさんの隣に並ぶと教室で見せたようにスカートの端を摘んで一礼した。セシリアに続きメイドさんが口を開く。

 

「私はセシリアお嬢様の世話係をしています、チェルシーと申します。一夏様も私を使用人と考えてもらって結構です。なんなりとお申し付けください」

 

 セシリアの優雅さとは違う、勤勉さを感じさせる人だった。この人がチェルシーさんか。俺はセシリアの記憶を覗いていて知っている。この人はセシリアにとってただの使用人ではないってことを。過去の記憶だけじゃないな。セシリアはこの人のために、あの化け物(イルミナント)に立ち向かってたんだから。

 

「オホンッ! では最後に私の番でよろしいですかな?」

 

 そして、唐突にしわがれた声が聞こえてきた。声のした方は俺の背後。ビクッと俺の顔は反射的に急反転する。そこには燕尾服を着た老人が立っていた。老人……だよな? 無駄にピンと張った背筋のためか、声音や見た目よりも年齢が若いように感じる。

 

「お目にかかるのは初めてでしたな、織斑一夏殿。私はジョージ・コウと申す」

「は、はぁ……」

 

 ジョージという名前を聞いて思い当たる節はあった。確かセシリアとの例の演技のときにかかってきた電話の相手の執事さんをセシリアがそう呼んでいたと思う。お目にかかるのは初めて、ね。つまり向こうは一方的に俺のことを見てたってわけか。

 老執事さんからは握手を求められたので俺は握ろうと左手を出す。

 ……ん? 左手? 普通は右手じゃ……国が違うからなのか?

 俺の左手は力強く掴まれると同時に引っ張られた。老執事さんにぶつかったが彼は微動だもしない。老執事さんの顔が俺の耳元に寄っていた。

 

「セシリア様に気に入られたからといって調子に乗るなよ、小僧。貴様ごとき社会的にも物理的にも抹殺することは容易いのだ」

 

 俺は言葉に殺意が込められるってことを思い知った。ドスの利いたその声音はヤーさんのそれと同じだと思う。聞いたことないけどさ。

 

「どうしたのですか、一夏さん?」

「一夏様はお疲れのようですな。チェルシー、食事の用意をして差し上げなさい」

「そ、そう。今日は疲れたんだ。悪いな、セシリア」

 

 今のやりとりに本当に気づいてなさそうに見えたので老執事に話を合わせる形で誤魔化しておいた。脅されこそしたが、老執事の言動は俺にとっては嬉しいことだったんだ。だって、今のはどう考えてもセシリアを心配してのことであり、独りだなんて言ってたセシリアにもこんな人が居てくれるのは歓迎すべきことだと俺は思うから。

 あとはセシリアの態度を勘違いしてなければ言うことなしなのだが、そこは仕方ないと割り切ることにしよう。本当に俺が抹殺されるような事態が起きるわけないし。

 

 セシリアと同じ屋根の下での生活か。一人暮らし同然の状態より毎日が楽しそうなのはいいんだが……学校連中に知られると今度こそ俺の身が危うい。念のため、弾にだけはメールで連絡しておくとしよう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 そこは薄暗い部屋だった。全体的に淡い青色で照らされている部屋には専門外の人間には用途のわからない機材が散乱している。部屋を青色に染めている光源は、その全てが旧式の液晶ディスプレイであり、部屋の主と思しき無精髭の男がにらめっこの最中だ。上下共に作業服を着用している男は部屋の扉が勝手に開いたにもかかわらずディスプレイから目を離そうとはしなかった。

 

「あいかわらず汚いところですねぇ。それに暗い暗い。常人には理解しがたい環境に吐き気がしますよぉ」

「何の用だ、ハバヤ。それに……ヴェーグマン」

 

 部屋に入ってきたのは細い印象を受けるメガネの男と、肩に掛かるか掛からないかといった長さの銀髪をした男だった。ハバヤと呼ばれたメガネの男はその場にしゃがみ込んで転がっている機材をちょいちょいとつつきながら話を続ける。

 

「ただの世間話……をするにはこの部屋では難しそうですねぇ。当然、特別なお話があるわけですよ。リミテッドの開発者であるあなたにね」

 

 瞬間、銃声が響く。銃を握っているのは作業服の男の方だった。目だけはディスプレイから離さずに、銃口をハバヤに向けている。

 

「一発目は空砲だが、二発目からは実弾が飛び出るからな。覚えておけ」

「あー、こわいですねぇ、本当にもう。大変失礼しました、ウォーロック博士。リミテッドではなくEOS(イオス)でしたね」

 

 ハバヤの訂正を聞いてウォーロックと呼ばれた作業服の男は銃を下ろす。男の怒りの矛先は“リミテッド”という単語の一点のみだったのである。

 

 リミテッドとは当然、開発者が名付けたわけではない。ジョナス・ウォーロックが世間に発表したときの名称はEOS(Extended Operation Seeker)。様々な運用を想定した最新式のパワードスーツであった。もっとも、最新と呼べたのは3ヶ月の間だけであったが……。

 EOSの発表から3ヶ月後に白騎士事件が発生した。世界はもうISにしか注目がいかなくなり、ISと比較されたEOSはリミテッドストラトスという蔑称を与えられることとなった。世界はEOSを劣化IS、もしくはISの付属品としてのみ、その存在を受け入れたのだった。

 

「わざわざこちらの神経を逆撫でせずとも話くらい聞いてやる」

「あ、そうですかぁ? それは良かった。では、さっさと本題を切り出すとしますか。この部屋にいると気が滅入ってくるんで」

 

 床に転がっている機材を漁る手を止めたハバヤは右手で自分の肩を揉みながら立ち上がるとわざとらしく顎を突き出し、ディスプレイを注視しているウォーロックを見下ろす。口元は笑っていても、その眼の奥には冷たさだけがあった。

 

「ISVS内で計画にない機体(イル)が活動しているのですがぁ……心当たりはありませんかねぇ?」

 

 ハバヤの問いによりウォーロックは作業の手を止める。頑なに目を離さなかったディスプレイからすら目を離し、初めてハバヤと正面から向き合った。焦りは見られない。彼はただ顔をしかめていた。

 

「報告がいってないのか? 遺伝子強化素体が俺のところからIllの新型の試作を持ち出していったきり行方不明になった」

「あれ? そうなんですか?」

 

 ハバヤは背後にいる銀髪の男、ヴェーグマンの方を振り返り問いかける。部屋に入ってから沈黙を保っていたヴェーグマンだったが、その口は重いわけでなく簡潔に答えを返す。

 

「報告はあったが関係のないことだ。C型とH型の遺伝子強化素体が1人ずつ、私の管理下を離れた。何者かによって連れ出された可能性が高く、私は貴様をその容疑者と見ている」

 

 静かに淡々とヴェーグマンは疑いの言葉を投げかける。視線の先にはウォーロック。

 

「俺が容疑者だぁ? 血迷ったか、ヴェーグマン! 大体、俺に何のメリットがあると言うつもりだ?」

 

 聞く者によってはただの言い逃れでしかないが、この場の2人にとってはそうではなかった。ヴェーグマンは右手で顎をさすりつつ思考を開始する。

 

「そうだ。動機という点でこの仮説には欠陥がある。消えたIllと遺伝子強化素体は共に直接的な損失としては軽微なものだ。情報源としても第三機関があれらを手にしたところで篠ノ之束でもないかぎり解析はできない。故に、公表されて困るような情報も出ない。計画の継続に支障はないと考えられる。もし貴様が本気で計画を阻害しようとしていたのなら他に足が着かない手段くらいある。解せないな」

 

 ヴェーグマンの自己完結によってあっさりとウォーロックの容疑が晴れていた。「焦らせるな、命がいくつあっても足りないぜ」とウォーロックの肩から力が抜ける。

 

「ならどうしてわざわざハバヤまで連れてこんなところにきた?」

「直接話せばわかることもあるというものだ。この男は嘘を見抜くことに関しては一流であるから連れてきただけのこと」

「ちょっ、ヴェーグマン!? それだけのために私を日本から呼んだのですか!? 私は嘘発見器か何かですか!?」

「全て肯定しよう。何か問題があるのか?」

「……もういいです」

 

 少しも悪びれた様子のないヴェーグマンを横目に見ながらハバヤは「私も暇人ではないのでほどほどにしてもらいたいものですが、理解されないんでしょうねぇ」と愚痴をこぼす。わざと聞こえるように言っているのだが当のヴェーグマンからは特に反応はなかった。

 自分の扱いの悪さに関して諦めたハバヤが部屋の隅に移動している間にもヴェーグマンたちの話は進んでいく。

 

「それで? 他にも俺に用があるんだろ?」

「当然だ。計画に大きな支障はなくとも不確定要素は排除しておきたい。貴様の主導でないのならば、行方不明となったIllの行き先を調べていると踏んでいるのだが、何か情報はあるか?」

「不遜な若造にしちゃあ、やけに信頼してくれてんな。察しの通り俺の方で足取りを追ってみたんだが、大した情報はない」

 

 消えたIllの行き先は不確か。大した情報はないと告げるウォーロックが提示するのはネット上に転がっているひとつの噂であった。それは銀の福音の噂と入れ替わるように表に出てきた。

 

 ――蜘蛛を見たら逃げろ、でないと食われるぞ。

 

 内容を見て状況を察したヴェーグマンは独り言をこぼす。

 

「これは……奪取されたのではなく暴走か。問題はその暴走が偶発的なものか人為的なものか……過去2年で例がないことから人為的な可能性の方が高い。いや、それよりもこのままではIllの存在を吹聴して回っているようなものだ。早急に処分すべきか」

「処分っ!?」

 

 ヴェーグマンが処分と発した途端に部屋の隅に控えていたハバヤが叫んだ。にやけた顔を隠そうともしないでハバヤはヴェーグマンにスキップで近寄っていく。

 

「ひとつ、提案があるのですが聞いていただけます?」

「言ってみろ」

「その暴走Illの処分……この私にやらせてもらえないですかねぇ? きっひっひ!」

 

 ハバヤの狂った笑いが薄暗い部屋に響く。ウォーロックが苦痛に耐えるように片耳を塞ぎながらディスプレイに向かう中、ヴェーグマンは無表情を崩さずにハバヤに指示として下す。

 

「以後、対象をIlliterate(イリタレート)Illogic(イロジック)と呼称することとしよう。2体の処分方法は任せる。貴様の表の顔の手柄にするといい。渡しても良い情報に関してはウォーロックの指示に従え」

「そうこなくてはやりがいがないですねぇ。あなたはやはり話のわかる御方だ。大いに利用させてもらうとしましょう。キャッハッハー!」

 

 言うや否やハバヤは高笑いをしながらウォーロックの研究室から退室していった。残されたヴェーグマンは携帯端末を取り出し、画面に語りかける。

 

「聞いていたな、ギド?」

『おうともよ! 暴れてる元仲間を見つけてぶっ飛ばせばいいんだろ?』

 

 画面の中にはヴェーグマンと同じ銀色の髪をした男が映っていた。違う点としては体格と髪の長さだろうか。およそ運動が得意そうに見えない細めの体躯のヴェーグマンと違い、ギドと呼ばれた画面内の男は筋肉質な体格をしている。その体躯を見せつけるかのように上半身は裸である。ただ無造作に伸ばしたという印象を受けるボサボサの髪は髪色の美しさとひどくギャップのあるものだった。

 ヴェーグマンの指示を了承したギドと呼ばれた男は画面から姿を消す。

 

「これでいい。では私たちは城攻めの準備に取りかかるとしようか、ウォーロック」

 

 イレギュラーの対処を2方面に任せたヴェーグマンは次なる問題に取りかかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 様々な種類の車が幾列にも並んでいる。地面に引かれた白線に従って整頓されたここは日常生活では縁がありそうな場所だ。身長の3倍ほどの高さに天井がある地下駐車場に、俺は白式を纏って立っていた。

 人の気配のない駐車場に動く影が見えた。ISだ。俺の対戦相手だ。相手も俺の存在に気づいているようで、車を壁にして滑るように低姿勢で移動する。対する俺も正確な位置を把握されないように、地面すれすれをスライドして位置を変える。まだ互いの装備を把握してないため、手の内のさぐり合いの段階だ。雪片弐型しかない俺としては、障害物だらけの閉鎖空間という戦場は一撃必殺を狙いやすい環境といえる。

 距離が開いた状態で鉢合わせるのだけは避けたい。この場で言うのならば車体の列同士の間にできている直線の空間がそれに当たる。ライフルやアサルトカノンのような単発射撃ならばまだ回避できる可能性はあるが、マシンガンやショットガンが来ると、俺は一方的に撃たれ続けて負ける。相手の位置が正確にわかればやりやすいのに、と無いものねだりをしそうになった。こういうときラピスが頼りになるからな。今は俺ひとりだから、独力でどうにかしないといけない。

 

 しかしどうする? 俺には牽制できる武装なんて何もない。

 

 相手から考えなしに攻撃が飛んできていれば、回避ルートを模索して一撃を狙いにいくのだが、そうではない現状だ。相手の武器がわからずに飛び込めば返り討ちに遭う危険性も高くなる。

 かといってこのまま膠着状態を続けようにも、相手が設置型の武装を積んでいれば次第に俺は追い込まれていく。

 下手に動けない。だったら答えはひとつだ。

 

 ――俺は、下手くそだ!

 

 割り切った。近場にあった軽自動車を左手で掴み上げると奥に見える車にテキトーにぶつける。俺はここにいる。さっさと仕掛けてこい。そう挑発する。

 車同士の衝突の音が聞こえないわけがなく、音が響いた瞬間には敵が行動を開始していた。白式が捉えた敵の姿はメイルシュトロームのフルスキンスタイル。俺に向けられた武器は見覚えがあり、ハンドタイプの拡散型ENブラスター“プレアデス”だ。手頃な車を盾にして強行突破を考えていたが、EN武器が相手では盾として機能しづらい。イグニッションブーストで即座に左に飛ぶと、俺のいた辺りが焼け焦げた蜂の巣となっている。

 敵の攻撃はまだ終わっていなかった。移動した先で白式が警告を発する。敵機に照準されている。プレアデスを撃ってきたプレイヤーは今死角にいる上に、全く別方向からのロックだった。それは車上に設置された砲塔。BT兵器と比べて使用できる場面が少ないが、使用に特別な技能を要求しない遠隔操作のトラップ型装備だ。イグニッションブーストを終えた俺に向けて、設置型のアサルトカノンが火を噴く。

 宍戸に感謝しておこう。

 まだサプライエネルギーには余裕がある。以前の俺なら隙だらけだったこのタイミングでも、今の俺ならば万全に動けるのだ。

 2度目のイグニッションブースト。移動先はさっきまで居た位置。180°ターンして舞い戻るというわけである。大した距離じゃないからエネルギー消費もそこまでじゃない。敵の設置型武器は空振り、俺は舞い戻った先で敵と相対した。まだサプライエネルギーは切れていない。

 

 3度目のイグニッションブースト。プレアデスはまだ発射できる状態でなく、設置型武器の使用で他に手が回っていない敵は隙だらけだった。イグニッションブーストも修得していない。接近を果たした俺は1度2度3度と連続で斬りつけた。

 

 

 

 戦闘が終了して俺はロビーに戻ってきた。対戦相手も同時に戻ってきており、早速俺の方へと走り寄ってきた。

 

「負けた負けたー! これがニンジャって奴か!」

「いやいや、俺なんか全然忍んでないから」

「謙遜か。にしても良くあんなイグニッションブーストできるよな。俺とかだと頑張っても1回やって隙だらけになるってのに」

「まあ、そこは才能ってことで」

「む……意外と自信家だったか」

 

 なんか自然と話し始めたけど、初対面の相手だ。結果的に俺が一方的に勝ったからいちゃもんでもつけられるかと身構えたんだけど、杞憂に終わって何より。純粋にISVSを楽しんでいるプレイヤーだということなのだろう。

 

 俺は今、ひとりで海外プレイヤーの集まるロビーに来ている。最近始めた武者修行のようなものだ。ゲーセンから入るとなんだかんだで見知った相手ばかりになるから、実戦を想定した相手の装備がわからない状況を作るには家の方からログインして普段行かない場所へと赴いた方が都合が良かった。

 今日はセシリアと一緒に来ることもできそうだと思っていたのだが、生憎と彼女は他にやることがあるらしく、チェルシーさんの用意した食事をすませた後、部屋に籠もってしまっていた。あの怖い執事の目もあるため、俺は渋々ひとりでISVSを始めて今に至る。

 

「で、サムライくん。まだやってくか?」

「次は対策立ててくるつもりだろ?」

「当然!」

 

 たまたま暇そうにしてたプレイヤーに声をかけて1対1の試合をしたわけだ。相手の名前はレナルド。スフィア“クラージュ”のメンバーらしい。クラージュと言えば“風”にボッコボコにされていたイメージしかないけど、弱いわけじゃないのは理解している。実際、今回の試合は俺が相手の想定外の機動をしたから勝てただけで、知っていれば十分に対処されると思う。

 これから先、俺が相手をするIllがイルミナントと同じように俺を格下と見ているとは限らない。もう警戒されている可能性もある。俺に対する対策を練った相手と戦っておくのも悪くはないのかもしれない。

 

「よし! じゃあや――」

「げぇ!? アイツは!」

 

 やるか、と答えようとしたらレナルドの叫び声にかき消された。視線の先は俺の後方である。今日は良く後ろに誰かがいるなと思いつつ振り返ると、今度は俺の方に見覚えのある初対面の人がいた。

 

「こんにちは」

 

 笑顔で挨拶をしてきた華奢な男は、まだ声も高く声変わりを迎えていない。肩に掛かる長さの金髪を後ろで束ねている彼は女子と言われたらそう信じてしまいそうだ。ISスーツはオレンジ色を基調としている。彼の機体の色と同じその色は、柑橘類の色ではなく別の表現で呼ばれていた。

 

「“夕暮れの風”……?」

「僕のことを知ってくれているのを嬉しく思います。日本でのデュノア社の評判はどうですか?」

 

 夕暮れの風とは目の前のプレイヤーを指す言葉だ。俺が見たことがある試合ではレナルドたちクラージュ3人をひとりで相手にして圧倒していた。セシリアが言うにはランカー入りが近いらしい。要するに大変な実力者である。

 他にもセシリア情報であるが、彼はデュノア社と関係が深いらしい。今もデュノア社の評判を気にしている辺り、間違いなさそうである。

 

「俺の場合は倉持技研製で固めてるから良くわからないな」

「そうですか……」

 

 なにやら弱々しい返事だった。ひとりで猛者たちを圧倒していた“風”とは思えない姿に俺は戸惑う。どうしようかとレナルドを頼ろうとしたら、奴はいつの間にか10m以上離れていた。短距離なのにプライベートチャネルで通信が来る。

 

『悪いけど、今日はもう落ちるわ』

『はぁ? まだ対戦するんじゃないのか?』

『急用を思い出した……ということにしといてくれ』

 

 それだけ言ってレナルドはロビーから消えていった。タイミング的に“風”と顔を合わせたくないということなのだろうか。その辺の事情は良くわからない。

 とにかく、俺は唐突に凹んでしまった“風”の話し相手になってやらなきゃいけない。そんな気がする。

 

「とりあえず、デュノア社を知らない奴はいないと思うからそんなに落ち込むなって」

「ただ有名なだけでは意味がないんです……他社に劣るというイメージがあったらダメなんですよ」

 

 挨拶してきたときのような笑顔はかけらも存在していなく、彼の眼には光が感じられない。

 こいつ、こんなネガティブな奴だったのか?

 言いたいことはわかるけども、結局のところIS関連企業の評価は一長一短だったと記憶している。

 

 例えば、倉持技研は装甲やブレードなどの強度や修復速度に秀でているが、装備の規模に対して要求される容量が大きいものが多い。雪片がその最たる例だ。神風を除けば最軽量のフレームが打鉄である時点で重量指向の企業であるといえる。対してデュノア社は装備の規模に対して容量が小さい装備が目立つ。ひとつの機体に多種類の武装を積んだり、予備武器として拡張領域に放り込んでおいたりと重宝する。確かに見た目の派手さはないが、弾からも特に悪い評判は聞いてない。

 

 結論。ただのマイナス思考だ。わかる人はわかってくれてるということでフォローしておくか。

 

「弱いとは聞いたことがないから安心しろって。フレーム以外はパッとしないかもしれんが、だからこそ隠されてると厄介だし」

「そうなんだ! 僕も実際に使ってるから言えるけど、小型でもシールドピアースの威力は舐めちゃいけない! 射撃主体の機体と思わせて接近してきた近接機体を返り討ちにしたりもできるよね! 射撃武器を複数持つことも意味があるんだ! 一芸特化の方が派手な戦果をあげられるけど、相手に存在がバレてるとそれだけで詰みになる可能性もある。複数の手段を持っていることはその対処の幅を広げる意味もあるし、敢えて相手に手の内を知らしめることで“持っていること”自体が牽制にもなる。所持できる装備の数においてデュノア社は――」

 

 金髪少年の顔が急に明るくなる。テンションも先ほどまでとは雲泥の差であり、饒舌に語り始めた。デュノア社の宣伝をしていると聞いているが、それは仕事ってだけじゃなくて本当に好きでやってるのだろう。そう思わせるくらいに装備について語る彼は熱かった。

 もしかしたらレナルドが逃げたのはこれを聞きたくなかったからなのか? 俺としては弾の講座で耐性ができてるから問題ない。……と言っても限度があるので話の方向を変えよう。

 

「いや、すごいのはわかったからさ……俺と勝負をしないか? 俺の一芸が“風”の多芸にどれだけ通用するのかを知っておきたい。どうせそのつもりで声をかけてきたんだろ?」

 

 御託はいいからさっさと試合をしようと提案した。以前に見た態度から考えて二つ返事で受けてくれると俺は思っていた。しかし“風”の顔は浮かない。

 

「お誘いは嬉しいのですが、僕の用件は別にあるんですよ。“ヤイバ”くん」

「そっか。じゃ、仕方ない……ってあれ?」

 

 俺、名乗ったっけ? 俺の場合はプレイヤーネームを開示に設定してないから言わないとわからないはずなんだが。それにISVS内で初対面の相手と対戦以外の用件というのも気にかかる。俺は一歩二歩と下がった。

 

「申し遅れました。僕の名前はシャルル。巷では“夕暮れの風”と呼ばれていますが、僕のことはシャルルと呼んでください」

 

 “夕暮れの風”ってプレイヤーネームだと思ってた。要するに通り名とか二つ名という位置づけというわけか。

 自己紹介には自己紹介で応じるのが普通だが、俺は何も返さずにシャルルの出方を窺う。こいつのデュノア社愛は本物だと思うが、そのデュノア社自体が敵側である可能性も考慮しないといけないのを忘れていた。俺をヤイバだと知って近づいてきたということは、イルミナントの件も知っていると見ていい。それ以外に俺が有名となりうる根拠がない。

 

「警戒……されてますね。何も取って食おうというわけではありません」

「そう言われて『はい、そうですか』なんて言えるか!」

「まあまあ、話だけでも聞いてください。話というのは最近の僕の悩みなんですけど――」

 

 唐突に始まったのは“風”の悩み相談だった。別に俺はカウンセラーというわけじゃないのだが、面倒くさがって逃げるのも後味が悪いので黙って耳を傾ける。

 要約すると、夕暮れの風がいくら試合に勝っても宣伝効果が薄くなってしまったということだった。『デュノア社の装備で勝てる』と訴えようにも、既に世間の目は『“風”が強いのであってデュノア社の装備が強いわけじゃない』としか見ない。シャルルは名を売りすぎてしまったのだ。シャルルが勝ってもそれはもう話題にならない。当たり前の光景となってしまったのである。

 さらに追い打ちとなったのが“蒼の指揮者”の存在である。公にはされていなくとも、都市伝説であった“怪物”がISVS内に実在していて、“蒼の指揮者”と仲間によって討たれたという話がネットを中心に少しずつ広まっているのだとか。

 まとめると、話題が作れなくて困っているということらしい。

 

「で、それがどうして俺のところに来る理由になるんだ?」

「それは君が“蒼の指揮者の仲間”だからです。君のことを知ったのは偶然な上に、直接話そうと思ったのも、たまたまここで君と会えたからなのですが」

「あー、結構派手にやったから全員の口を塞げないのは仕方ないか。それで俺が怪物殺しだとして、お前はどうする気だ?」

「簡単です。僕も怪物殺しになりたい」

 

 シャルルの目は本気だった。

 

「ISVSには正体が定かでない怪物がいる。銀の福音の偽物に始まり、最近では蜘蛛の化け物など様々な噂や憶測が飛び交っています。デマが大多数を占めるとは思いますが、いくつかは真実なのでは? そして、それを君は知っている。違いますか?」

 

 鋭い、といえばいいのだろうか。俺やセシリアみたいに身内が被害に遭ってるとかそういう事情もないのにこんな荒唐無稽な話を信じているなどとバカか天才のどちらかだ。

 以前の俺なら間違いなく『危険性を理解してない奴を巻き込むわけにはいかない』として話を濁しにかかっていたことだろう。でも、今の俺は誰かの手を借りるのを躊躇うつもりはない。人それぞれに理由があっていい。シャルルの場合がデュノア社の知名度を上げるためだとしても、俺は否定しない。

 

「知ってることもあるというのが正確だな。何もかもを知ってるわけじゃない。それでもいいなら話す……と言いたいところだが条件がある」

「それは?」

 

 シャルルがずいっと寄ってくる。多少のことなら受け入れると目が訴えていた。

 俺は自分のことを卑怯者だと思う。でも、少しでも戦力が欲しいというのが本音だった。だから言ってやる。

 

「俺たちのスフィアに入れ」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 日が落ちてからかれこれ2時間以上は経過していた。帰宅のラッシュ時間をとっくに過ぎた駅前の通りは酔っぱらっているサラリーマンが歩いているような時間となりつつある。そんな中、腕時計を確認しながら走る男子高校生の姿があった。道行く人を避けて走る彼の顔は鬼気迫るものがあった。

 

「門限過ぎてるっ!」

 

 ごめんなさいと書いたメールを母親に送信したのが5分前。母親からは『お父さんが帰ってくるまでには帰りなさいね』と暖かい返事が返ってきていた。ルールにうるさいのは父親だけなのである。なんとしてでも父親よりも先に帰らなければ、と数馬は必死になっていた。

 遅くなった原因はISVSである。一夏や弾たちに追いつかなければとひとりでも熱心に練習している数馬だったが、今日は度が過ぎていた。一度ログアウトしなければ外の暗さなどわかるわけもなく、没頭してしまった結果、この有様だ。

 

「頼むよ、親父! 今日は残業でいつもより遅くなっててくれ!」

 

 人事は尽くしている。あとは天命を待つだけといったところだった。

 普段から走り込んでいるために得た持久力のため、大して疲労も見せないまま数馬は夜の街を走り抜ける。パトカーが傍を通って一瞬だけ身構えたりした。高校生の帰宅時間としては遅い方だが、辛うじて見逃してもらえる範疇だったと胸をなで下ろす。そんな一幕もあったが特に問題なく家にたどり着こうという時だった……。数馬の視界の端に妙な光が映った。

 

「ん? 何だろ?」

 

 不審に思った数馬がもう一度確認しようと辺りを見回すが妙な光は消えてしまっていた。気のせいだったのだろうか。とにかく今は早く家に帰るべきだと思い直し、再び駆け出そうと足に力を入れる。

 

「…………うぅ……」

 

 数馬は走り出さなかった。街灯の間が広く人通りの少ない薄暗い夜道で呻き声がしたのだ。ホラーが苦手な人間ならば尚更早く帰ろうと思うところだが、数馬はそうでない。誰かが苦しんでいると判断して、倒れている人がいないかもう一度探してみる。すると、暗闇の中でもぞもぞと動く影があった。数馬は迷わず走り寄る。

 

「大丈夫?」

 

 見つけたときは暗くてわからなかったが、倒れていたのは小さな女の子だった。数馬は中学生になったばかりくらいの年齢だろうと推測をたてる。ただし、近辺の中学校に通うような少女とは思えない。数馬の目は少女の腰まで伸びる長い銀髪に釘付けになっていた。

 

「誰? 彼は追求者です?」

 

 数馬が少女を抱き起こすと少女は目を開けた。金色の瞳は今まで見てきたどんな宝石よりも綺麗だと、そう思えるくらい美しいと数馬は感じた。少女が何を言っているのか完全には理解できない数馬だったが両手から伝わる少女の震えが怯えによるものであることは想像に難くない。

 

「俺は数馬。御手洗数馬っていうんだ。彼ってのが誰で、追求者ってのが何なのかわからないけど、俺は君に危害を加えないよん。安心して」

「カズ……マ……?」

「そうそう、数馬だよ」

「カズマは“マドカ”がどこに行ったか知りません」

「あ、うん。知りません」

 

 数馬は少女を外国人だと判断した。発音こそカタコトではなかったのだが、内容が日本語のようで日本語じゃない。不思議な感覚を覚えつつも次にやるべきことをする。自分の手には負えないため、警察に連絡を入れようと携帯を取り出した。だが突如動き出した少女の右手に打ち払われて携帯を落としてしまう。

 

「それはやです! 私はその仲間の場所へ戻りたくありま、せ……ん…………」

 

 急に動いたのが原因なのか、少女は何事かを訴えながら気を失ってしまった。

 数馬は落とした携帯を拾ってポケットに戻し、ずれた眼鏡を直して気を失った少女をどうするか考える。そして、彼のお人好しが発揮されるのだった。

 

「警察を嫌がってるっぽいし、とりあえず家に連れて帰るか。母さんならきっと力になってくれる。親父には……殴られるかもしれないなぁ」

 

 頭を抱えつつも、決めたからには実行する。それが数馬だった。

 少女を負ぶって数馬は家への道を走った。


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